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「王昌」とは誰か

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(1)

「王 昌」 とは誰 か

漢文学教室 塩 今か ら千数百年 も昔の申国の詩 を読 んでい ると

,わ

かっているつ もりの詩語が

,実

は全 く把 えど ころのない

,漠

たる言葉 として

,我

々の前 に存在 している場合があることに気づか され る。 この小 論で とりあげようとす る「王 昌」 とい う人名 も

,実

はそのような詩語 のひ とつである。 しか も

,こ

の詩語 は

,六

朝詩 には全 く姿 を見せず

,も

っぱら唐詩中にのみ存在 した後

,次

の宋代 にあっては, 詩人たちか ら敬遠 され

,そ

の上

,意

味不明な措辞 のひ とつ として

,詩

話 の中で議論 の対象に とりあ げられる運命 をた どっている。以来

,現

在「王昌」を論ずる場合で も,「伝説 中の人物であ り

,誰

で あるか拘泥する必要 はない」(1)と

,あ

るいは ,「『情郎』(色男

)に

類す る人物 の一人である」121と いう風 に済 ませ られて しまってい る。 けれ ども「王昌」が伝説中の人物 と言われ るか らには

,ど

の ような過程でそのように規定 され るようになったのかを見 てお く必要があろうし,「情郎」の同類語 彙 となったのには

,そ

れな りの理 由に基づいたはずで

,そ

れについて も確か めてお くことは無駄で はなか ろう。 唐詩 においては

,初

・盛・中・晩唐 と,「王昌」 はどの時代の詩人 の詩 にも詠われてお り

,そ

こに は

,唐

代詩人の「王昌」に対す る共通 の認識 のような ものが感 じられ るのであるが

,で

は何故,「王 昌」が唐代 の詩人 によってのみ詠われたのか

,な

,唐

代 の詩人 たちは「王 昌」 とい う人名 に共通 の認織 と思われるものを感 じていたのだろうか

,

といつた ことは皆 目不明である。 この小論が

,ど

こまでそれ らの疑間に答 えうるか は

,は

なはだ心 もとないが

,ま

ず,「王 昌」に触 れた宋人 の文章 を 糸 国として

,一

応 の試案 を提示 してみようと思 う。 宋の王灼

(?∼

?)撰

による『碧難漫志』巻二 には

,以

下のような指摘がある。 古書亡逸固多

,存

於世者亦恨不基見

,李

義山絶句云「本茶銀漢是紅措

,隔

得慮家 自玉堂

,誰

興 王 昌報消息

,蓋

知三十六鴛鳶」

,而

唐人使王昌事尤敷

,世

多不暁

,古

築府中可互見

,然

亦不詳也。 (古書の亡逸固 よ り多 く

,世

に存す るもの亦 た尽 く見 ざるを恨む。李義 山の絶旬 に云ふ,「本来 銀漢是れ紅焙

,隔

て得た り慮家 白玉の堂

,誰

か王昌の与 に消息 を報ぜん

,尽

く知 る三十六の鴛 彦 井[ 見

(2)

塩見邦彦 :「王昌」 とは誰か 喬」 と。而 して唐人

,王

昌の事 を使ふ こと尤 も数 しばな り。世多 く暁 らざるも

,古

楽府中に互 ひに見 るべ し。然れ ども亦 た詳 な らざるな り。) 上記の ように述べた後

,二

つの楽府 を引用す る。ひ とつ は「相逢行」(『楽府詩集』巻三十四

,古

)で

あ り

,他

のひ とつ は「河中之水歌」(『楽府詩集』巻八十五

,梁

武帝離

)で

ある0。 そして

,そ

の結論 として

,以

下 のように続 ける。 以三章互考之,B「知築府前篇所謂 白玉堂

,奥

鴛鳶七十二

,乃

慮家。然義 山稲三十六者

,三

十六 雙自「七十二也。又知築府後篇所謂東家工

,BF王

昌也。 (三章 を以 って互ひに之 を考ふ るに,自「 ち楽府 の前篇の所謂

,白

玉の堂 と鴛鳶七十二 は乃 はち 慮家 なるを知 る。然れ ども

,義

,三

十六 と称 す るは

,三

十六の雙 は七十二也。又築府 の後篇 の所謂

,東

家 の王 とは,自口ち工 昌なるを知 るな り

,

と。) 一章 において,「王昌」は「六朝詩 には全 く現われない」 と言ったが

,梁

武帝 の築府 には「王」某 として現われる。六朝詩人 は

,詩

中に「王昌」 を用いてはいない ものの

,六

朝築府 には「王」某 と 現われ

,唐

詩人 はそれをふ まえた上での新 しい意義づ けの下 に

,そ

れぞれ各 自の詩 に取 り入れた も の と思われ る。 しか し

,梁

の武帝 の築府 と唐詩 との間 には

,数

百年の隔た りがあ り

,ど

のような経 過を経て

,後

に見 られ るような「王昌」像がで きあがってゆき

,唐

詩人 の「王 昌」像 に落 ちついて いった ものなのか

,と

い うことについては

,未

だ全 く不明瞭である。 そこで

,次

に梁の武帝の築府 に用 い られた とい うことか ら,『漢書』『後漢書』等 に見 られ る「王昌」 について考 えてみ よう。 ―.(1)元康四年

,競

(景厳候王競

)玄

,長

安公士昌詔復家。(漢書巻十六) 鬱)京兆升王昌褥賓

,二

年韓鳥隔門太守。(漢書巻十九・下) 0)南陽太守工昌鳥右扶風

,三

年兎。(漢書巻十九・下) は)……。中少府建威候工昌烏中堅脂軍。(漢書巻八十四) 6)……・詔遣中郎将韓隆

,工

,副

校尉駈阜

,侍

中謁者品敵

,長

水校尉王敏使旬奴………(漢書巻 九十四下 。九十六下) 二.(1)王昌一名郎

,超

國甘[鄭人也。素鳥 卜相工

,明

星歴

,常

以烏河北有天子氣。…… (後漢書巻十 二) ② ……権怒

,呵

遣麗卜

,囚

令虎責王昌追殺之

,昌

僑不及,麗卜得必兎…… (後漢書巻七十二・ 三國 志・ 魏書・ 駅帝起居注)

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 人文 。社会科学 第 41巻 第

1号

(1990) 2ユ

以上

,多

少の煩 瑣をい とわず,『漢書』・『後漢書』等 に現われ る「王昌」なる人物 を列挙 してみた が

,ど

の文章 にも

,楽

府 におけるような「東家」 の「王」某 らしき記述 は見 られない。 また

,唐

詩 人たちが共通 の認識 としていた「工 昌」 とい う人物 の最低条件 らしきもの

,つ

まり,(1)東 隣 に住ん でいる男性であること。(2)宋玉 との対比 で「王 昌」カミ考 えられていること、等のイメージか らは, ほど遠 い「王昌」である とい うことがで きよう。 い きな り

,そ

こまでふみ込 まな くて も

,少

くとも, 上記引用文 中の「王昌」 は

,楽

府か らうけるイメージのそれ とは、全 く異なるものであることは明 白であろう。 先 ほ ど,「最低 の」と限定 をつけて

,唐

詩人 たちが共通の認識 とした条件 らしきものを二つ ばか り 挙げた。 その第二 に

,宋

玉 との対比で「王昌」が詠われ ることを指摘 したが

,そ

の例 をい ま唐詩人 の詩旬で確認 してお こう。 王昌是東舎 宋玉次西家 自有工昌在 何努近宋家 自能窺宋玉 何必恨王 昌 王昌は是れ東舎 宋玉 は西家 に次 る (工 維 雑詩) 自ら王 昌の在 あ り 何 ぞ宋家 に近 きを労せん

(陸

鎗蒙 偶作) 自ら能 く宋玉 を窺 ひ 何 ぞ必ず しも工 昌を恨 まん

(魚

玄機 贈邦女) 以上

,宋

玉 (宋家

)と

の対比で「王 昌」が詠われ る詩旬 を掲 げたが

,そ

れで は何故

,宋

玉が「王 昌」 との対比 として挙 げられるのであろうか。 ここで我々 は

,第

一 の条件 として挙 げた「東隣」 に 住んでいる人物 とい うイメージ と

,宋

玉 とい う実在 した人物 とを思い浮べ る時

,以

下 の文章があっ たことに気づかされ る。 喩東家楢而攘其庭子則得妻。(孟子・ 告子篇) こ お とめ いだ (東家 の謄 を除へて其の処子 を擦 けば

,則

ち妻 を得 た り。) 天下之佳人

,莫

若楚國。楚國之麗者

,莫

若臣里。巨里之美者

,莫

若臣東家之子。東家之子増之 一分

,則

太長

,…

…然此女登謄闊臣三年

,至

今未許也。(宋玉 登徒子好色賦序

,文

選巻第十九) (天下の住人 は楚国に若 くはな し。楚国の麗 しき者 は臣が里 に若 くはなし。臣が里 の美 しき者 は臣が東家 の子 に若 くはな し。東家 の子 は之 を増す こと一分なれば

,則

ち太だ長 く

,…

…然れ ども此 の女

,焙

に登 りて臣を聞ふ こと二年なるも

,今

に至 るまで未だ許 さざるな り。) 恐 ら く

,上

記の『孟子』や『文選』 は

,伝

統的な儒教社会 の中で

,六

朝士大夫 の教養 として

,当

然 よ く読 まれ

,ま

,六

朝 の延長 としての唐代 の士大夫 にあって も

,各

人がただちに思い浮べ られ る文章であった。 そしてそれ は

,上

記の文章 の作家である孟子や宋玉 と不可分 の関係 として捉 えら れていた,とい うことを思い併せ るな らば

,宋

玉 と東家 との関係 は

,伝

統的な思考パ ター ンの上で, 明確 に

,正

統的な位置 を与 えられ続 けて きた と言 えるだろう。謂わば

,中

国の詩人 たちによって, 正統的なプラスの位置づ けのもとで

,宋

玉 も孟子 もその意識 の内に保 たれて きた と言 い うる。 とこ

(4)

塩見邦彦:「王 昌Jとは誰か ろが

,宋

玉 との対比で詠われ る「王昌」の方 は

,マ

イナーな人物 として

,朱

玉ほど明確 な位置 は与 えられて はこなかった と言 って も過言で はない。「王昌」の側 に立 って言 えば

,唐

詩で は

,宋

玉 は「東 隣」をうかが う女性 を描 いた「好色賦

Jの

作家 とい うよ り,「東隣」の男性 という立場か らみた人物 として位置づ けられてお り(つまり

,女

性か ら男性へ視点 を変 えて見ている),そ の彼 との対比 で「王 昌」が扱われているのである。 元来がマイナーな人物であるが故 に

,宋

玉 を正 とすれば,「王 昌とは

,負

の位置 を無意識 の内 に詩 人たちによって背負わされて きた

,

といって もよいので はなか ろうか。やや単純化 して

,換

言すれ ば

,メ

グルの表裏 の関係 のように

,宋

玉が正であれば,「王昌」は負であ り

,東

隣の女性 との関係か らすれば

,男

性 の方が正であ り

,女

性 の方が負 をなす とい うような思考パターンが

,詩

人 たちの内 に無意識裏 に働 いた故で はないか と考 えられ るのである。(下図参照) (矢印 は唐詩人 の連想 の方向 を

,―

印 は対応関係 を示す) 少 くとも

,以

下 にみるように『裏陽者富偉』等 に描かれ る「王 昌」 は

,決

して正の位置づ けを持 った

,は

なばな しい人物 としての「王 昌」で はない し

,女

性か ら見 て理想 の男性 としての「王 昌J で もない。 王 昌字公伯

,烏

東平相散騎常侍ぅ早卒。婦任城工曹子文女。昌弟式

,烏

渡遼脂軍長吏。婦 尚書 令桓楷女。昌母聰明有教典。二婦入門

,皆

令壁服

,下

車。不得鍮修。後 憎子喜尚魏主

,欲

金悽衣 見式婦。嘉止之日

,其

姫厳固

,不

得倍。爾不須持往

,犯

人家法。(裏陽者宮侮

,王

昌)t41 『裏陽者盲 偉』(晉・留撃蒼撰

)の

「王昌」 は東平 の相 としての「工昌」であ り

,今

問題 にしてい る「東隣」や宋玉 との対比 については

,い

ささか も触れ られていない。 ところが

,上

記 『裏陽者菖 樽』 とほぼ同様 の内容 を持つ文章が,『晉書』 に現われ る。 太康元年

,東

平王林上言

,相

王昌父嫁

,本

居長沙

,有

妻息。漢末使入中國

,値

呉叛

,任

魏局黄 門郎

,興

前妻息死生隔絶

,更

嬰昌母

,今

江表一統

,昌

聞前母久喪

,言

疾求平議 (晉書巻二十) 『晉書』 は唐代 の成立 (唐 。房玄齢等撰

)で

あ り,『裏陽者宮イ専』の文章が,「王昌

Jの

母親 に重点 を置いて述べ るのに対 し,『晉書』のそれ は「工 昌」の態度 に重点 を移 して述べていて

,同

一人物 と 思われ る

,次

の『隋書』(唐・ 魏徴等撰

)に

なると,「王昌」の父の とった態度へ と重点 を移 し

,し

か も

,死

亡 した と思われていた先妻 をそのままにして

,再

婚 して後妻 とい う

,二

人の母が偶然 に も 生 じた場合

,い

づれに養育 の恩が有 るのか とい う議論 の中で引用 されるものであ り

,こ

の「王 昌」 の父

,王

豚の場合が

,そ

のような話の典型 と考 えられていた と思われ る節が有 るのである。しか し, そのことは当面 の問題 とは直接関係がないので

,し

ば らく置 くとして

,少

くとも「王昌

Jが

『裏 陽

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・社会科学 第 41巻 第

1号 (1990) 23

着富侮』『晉書』『隋書』 の三書 に現われ ることは注 目に値す る。 昔長沙人王嫁

,漢

未鳥上計詣京師。B口而呉 。魏隔絶

,嫁

於 内國更嬰

,生

子昌。嫁死後烏東平相, 始知呉之母亡

,便

情繋居重

,不

撮職事。(隋書巻七十一

,誠

,劉

M博

) つま り

,以

上 の ことか ら言 えることは

,畷

陽脅菖停』か ら『晉書』『隋書』へ と

,少

しずつ視点 を移 しなが ら

,宋

玉 と比べて

,

どうみて もマイナーな人物である「王 昌」が

,従

,梁

の武帝の楽 府で詠われていた

,東

家 の「王」某 とい う人物 に

,い

つの間 にか重 な り

,唐

代頃 までには

,宋

玉 と 対 をなす人物 としてのイメージで,詩人 たちの中に定着 していつた と考 えられ るとい うことである。 そのように定着す るには

,宋

玉 とい う人名 との対 をなす とい うことで「王昌」の位置が相対的に引 き上 げられたであろうし,「王 昌」の母親や父親 の有名 な話柄 も与 って大 きな作用 をなしたであろう ことは言 を倹 たない。 しかるに

,元

来がマイナーな人物像であ り

,唐

代 において は「東隣」や初恋 の男性像 として意識 されていた「王 昌」 も

,宋

代 に入 ると

,

もはや省み られ ることさえな くな り

,最

初 に引用 したよう な

,議

論の対象 としてのみ

,専

らとりあげられるようになっていったので はないか

,と

思われる。 宋玉が肯定的な人物 としてまずあ り

,そ

の宋玉の文章か ら楽府 に詠 われた東隣の「王」某 と

,東

平 王 としての「王 昌」が

,マ

イナーで はあるが

,詩

人 たちの中にぶ くらんでいった。楽府 に詠われた 内容か ら

,当

,理

想的男性像 も附与 されたであろうし

,あ

くまで も

,男

性社会での「王昌」が前 面 に押 し出されて詠われ ることとなった。謂 わば,「王 昌」がプラスの評価 を持 ち うる(あるいは持 ちえた

)ま

でに成熟 していたのが

,初

唐 とい う時代で はなかったか

,

と考 えるのである。そこで, 唐代 の詩人 たちは,「王 昌」 をどのように詩 中に詠 っているのか。次章 でそれをみてみようと思 う。 四 『全唐詩』中に用い られ る「王昌」 は

,調

査 によれば

,全

部で十例 あるが

,以

下 にみるように, 初唐か ら晩唐 まで

,各

時代 の詩人 たちの詩 に とりあげられ ること

,前

述 の通 りである。第二章で宋 玉 との対比で挙 げた例旬 も含 めて

,時

代順 に並べてみると

,以

下 のようになる。 (1)南國 自然勝掌上 東家復是憶王昌 鬱)王昌是東舎 宋玉次西家 (3)十五嫁王昌 盈盈入豊堂 (4)莫愁私地愛王昌 夜夜筆啓怨隔皓 南国の自然 は掌上 に勝 り 東家復 た是れ王 昌を憶ふ 王昌は是れ東舎 宋玉 は西家 に次 る 十五 にして工 昌に嫁 ぎ 盈盈 として画堂 に入 る 莫愁 は私地 に王 昌を愛 し (上官儀 和太尉戯贈高陽公) (王 維 雑詩) (樫 頴 王家少婦) (元 根 等) 夜夜筆声 緒 を隔つを怨む

(6)

24 G)王昌且在緒東住 未必金堂得免嫌 (6)誰興王昌報消息 蓋知三十六鴛鴛 P)自有王 昌在 何努近宋家 偲)聞道離鸞思故郷 也知情願嫁工 昌 0)何必苦勢魂興夢 王昌只在此緒東 10自能窺朱玉 何必恨王昌 誰か王 昌の与 に消息 を報ぜん 尽 く知 る 三十六の鴛鴛 自 ら王 昌の在 あ り 何 ぞ朱家 に近 きを労せん 聞道 らく 離鸞故郷 を思ふ ま ね が わ 也 た知 る情願 くば工昌に嫁がん 何 ぞ必ず しも魂 と夢 とに苦労せん 王 昌は只 だ此の緒東 にあるのみ 自ら能 く朱玉 を窺ふ も 何ぞ必ず しも王 昌を恨 まん (李商隠 代應) (陸亀蒙 偶作) (唐彦謙 離鸞) (韓 握 董寝) (魚玄機 贈郊女) 塩見邦彦 :「王昌」とは誰か 王 昌 且 く烙東 に住 む ことあ らば 未 だ必 ず し も金堂 にて嫌 を免 るるを得 ず (李商 隠 楚 宮二首講肇 其二) 以上の如 く

,十

例 を検索で きるが

,こ

れ ら十例 の詩旬か ら浮 んで くる「王昌」 とい う人物 のイメ ージは

,第

二章でみた「王昌」 と比べてみて も

,そ

の共通項が更 にぶ くらんでいるとい うことがで きよう。 もう一度

,整

理 しなお してみると, 一、住居 は東隣であること。 二、工昌が宋玉 との対比で意識 されていること。 三、未婚の女性か らみて、理想の男性かあこがれの男性であること。 四、裕福ではない らしい家庭 の息子であること。 の四点 に集約で きるように思われ る。 これ らの条件 を

,第

二章でみた梁の武帝の楽府 に登場する 「王」某や『襄陽者害偉』等 に現われ る「王昌」が

,こ

とごとく充たしているとは言 えないが,「王 昌」 という名前

,孟

子・告子篇で言われ る東焙 (東隣

),そ

う裕福で はな く早 く没 した人物等の条件 か ら

,六

朝 を経て隋・ 唐へ と語 りつがれてゆ く過程で

,イ

メージを与 えられ

,時

代の要請 に合 うよ う変容 させ られ

,以

上の四点 に集約 され るようなひ とりの人物 として,「工 昌」は唐詩人 たちの意織 の中に定着 していった と考 えられ るのである。そのように見た時

,事

実 を重視す る中国文学の中で, フィクション的な要素 を多分 に有する小説の世界 と,「工 昌」の変貌過程 は

,相

い通づ る面 を持つ と 言 えるか も知れない。楽府 に詠われた人物 と実在 した人物 との結びつ き

,晋

か ら隋 までの時間的な 長 さ

,六

朝詩人 は一例 も「王 昌」 を詠わず

,逆

に唐代 になって

,初

めて堰 を切 ったように詠 いはじ める唐代 の詩人 たち。 これ ら

,さ

まざまな要素が

,複

雑 にか らみ合 い

,長

い時間の中で徐々 にイメ ージを変 えぅ詩の題材 も視野 も

,六

朝期 とは比べ ものにな らない位い広範囲にわたっていた唐代 の 詩人たちに

,一

つの新 しい意味 を持 ちうるまでに成長 した「工昌」像で はなかったであろうか。一 人の「王昌」は

,実

在 の「王 昌」であると同時に

,時

代 の中で徐々 にイメージを附与 された「王昌」 で もあった

,

と結論づ けて よいのか も知れない。

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 人文・ 社会科学 第 41巻 第

1号 (1990) 25

(1)『 李商隠詩歌集解』(劉学錯・余恕誠著,中華書局刊,1988)第五冊の注では「疑角博説人物

,不

必泥」(1815 頁)という。 鬱

)『

獲頴・桂國輔詩注』(万寛君注,上海古籍出版社刊,1985)では「総之是属子 `情郎″一類的人物」(22買) という。なお

,最

近出版 された『全唐詩典故辞典』上・下 (竜之麟・呉庚舜主編,湖北詳書出版社刊,1989) にも「王昌」の項 目は挙がっていない。 儒)「相逢行J:相逢狭路間,道除不容車,不知何年少,爽穀問君家,君家誠易知,易知復難忘

,黄

金鳥君門,白 玉烏君堂,堂上置檸酒,作使郁郵侶,中庭生桂樹

,華

燈何違埋,兄弟雨二人,中子烏侍郎

,五

日一茶踊,道 上 自生光

,黄

金絡馬頭,観者盈道傍,入門時左顧

,但

見雙鴛鳶,鴛鳶七十二,羅列 自成行

,音

馨何嘘n/4 鶴 鳴東西廂,大婦織綺羅,中婦織流黄,小帰無所月,換琢上高堂,丈人且安坐,調絲方未央。(古鮮) 「河中之水歌」:河 中之水向東流

,洛

陽女兒名莫愁

,莫

愁十三能織綺,十四採桑南隔頭,十五嫁角慮郎婦,十 六生免似阿侯

,慮

家蘭室桂烏梁,中有鬱金蘇合香

,頭

上金銀十二行,足下絲履五文章

,珊

湖桂鏡爛生光,平 頭奴子撃履箱,人生富貴何所望,恨不早嫁東家王。(梁武帝) は

)『

襄陽者雷博』王昌の条については,『王右丞集箋注』(清・超殿成箋注)からの引用によった。 (平成2年 4月20日受理) (附記) 上記小論 を提 出 した後,「王 昌」についての詩 を以下の如 く検索 したが

,詠

まれている内容 は唐人 の詩 の延長で あ り

,論

旨その ものに影響 はない ように思われ る。 東鄭移去復西邦 那得工 昌興宋玉 (衰宏道 代廣陵姫用前韻) 自玉堂前鴛鳶六六 誰興王 昌説

(錢

謙益 十六夜有感再次前韻) 但似王 昌消息好 履箱 撃了使相徒 (同 上 庚辰仲冬河東君至止半野堂有長句之贈 次韻奉答) 徒此雙棲惟海燕 再無消息報王 昌 (同 上 合歓詩四首 六月七 日茸城舟中作其二)

(8)

参照

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