香川大学教育実践総合研究(Bull. Educ. Res. Teach. Develop. Kagawa Univ.),28:79-90,2014
「物語り」を活用した授業づくり(2)
伊藤 裕康
(社会科教育)
760-8522 高松市幸町1-1 香川大学教育学部
Aiming at Designing Class by Narrative Based Learning(2)
Hiroyasu Ito
Faculty of Education, Kagawa University, 1-1 Saiwai-cho, Takamatsu 760-8522
要 旨 「物語り」活用の授業構想の際の基礎的知見(獲得させるべきスキル,未来志向の 学習,主体同士の関係軸で捉えた「学び」,生活概念と科学概念の相互交渉による両者の豊 穣化の支援,子ども個々の「物語り」を大切にした語りとクラスでの物語の摺り合わせ,主 体同士の共同的な関わり合いを基底に置く物語性)を抽出した。「物語り」活用の授業要件 となる主体同士による「すなお」な気持ちの安心した語り合いでは出力型授業が求められる。 キーワード 「物語り」 出力型授業 「『物語り』共同体」 未来指向の学習 授業づくり
1 はじめに
前稿では,情報消費社会下の学校教育で求め られるアイデンティティ形成における「物語 り」の有効性を明らかにした1)。その上で,先 行研究・実践の検討から,「物語り」を活用し た授業づくりを構想する際の基礎的知見の抽出 が十分にはできなかった。さらに,小西正雄が 提唱した出力型授業2)の再検討も必要である。 なぜなら,教育がサイバー・スペース上に展開 されても学校教育という物理空間から抜け落ち ない,学校でしかできない授業として出力型授 業が考えられるからである。しかも,出力型授 業は,「物語共同体」が成立する上での重要な ポイントとなる「教師と子どもが対等・平等に, ともにひとりの探求者(芸術家)として,すな おに語りあいながら,自分たちの世界づくりへ 参加できるように授業をデザインする」3)こと や,「主体―主体関係を前提とし,お互いの物 語を携えて対等な立場で対話し,そこで新しく 紡ぎ出される意味に着目して学びを創造してい く」4)ことを可能とすると考えられる。 本稿では,「物語り」を活用した授業づくり を構想する際の基礎的知見の抽出にさらに努め るとともに,出力型授業の再検討を試みる。2 「物語り」の概念規定
前稿では,「物語り」そのものの概念を十分 検討できていなかった。そこで,まず「物語り」 の概念規定をしておく。 「物語」が注目を集め,出自である文学理論 や歴史理論の枠を超え心理学,社会学,医学, 教育学等の人間科学の方法論や文化の基礎理論 として用いられ,学際的で多様な展開をみせて いる。物語は近代の大きな物語の不信感とも関する。「語り手と聴き手との相互行為から,ス トーリーは生み出され」,「その場の状況的文脈 によって変化」する15)。野口裕二は,一対一の 形式では新しい語りの生み出しに限界がある上 に,新しい語りが生まれても自分ともう一人し か知っていない不安定な語りとなるのに対し, 多様な語りとの出会いは新しい語りが生まれる 可能性を広げ,聴衆の存在で新しい語りがより 確かな位置を占めると述べている16)。野口は, 新しい語りが共有され定着する空間を「ナラ ティブ・コミュニティ」とし,人々の生活を支 え,人生を導くような場所となることを指摘し た16)。 藤原顕は,時間連鎖の形で関係づけられる出 来事について語る行為やそれが生み出す言説, さらにはそうした行為を導く枠組みに関する理 論を物語論と規定し,物語について次のように 述べている17)。 物語とは,まず,経験を物語る行為(ナラティ ブ)とみなされる。ナラティブ=物語行為等を通 して,人間は,現実においてであったさまざまな 出来事を意味づけ関連づけながら,自身の経験を かたどっていく。この物語行為は,モノローグで はなく他者との対話であり,これを通して語り手 の経験にかかわる物語言説が社会的に構築される ことになる。物語行為は,J. S. ブルーナが「物語 的思考」と呼ぶ認知様式によって導かれる。これ は,事象間の因果関係の理解にかかわる「論理- 科学的思考」と対置される,人間の行為の意図や 出来事の意味の解釈にかかわる認知様式である。 ただし,こうした認知の源泉は,社会の中で構築・ 共有されてきた種々のタイプの言説(神話・愚話・ 劇など)が担保する物語(ストーリー)の枠組み に見いだすことができる。つまり,「物語的思考」 という人間の認知は,そうした社会文化的な物語 枠組みに淵源していることになる。 このように,現在の物語論における物語概念は, 経験を構築する物語行為,経験にかかわる物語言 説,社会文化的な物語枠組み,という三つの側面 から理解できる。これは三つの側面は,循環的な 関係にある。つまり社会文化的な物語枠組みに規 連している。近代は科学的な知のあり方を万能 とし,物語的な知のあり方を前近代的として排 斥した。ところが,様々な分野で近代的な知の 行き詰まりに直面し,物語的な知の復権が叫ば れている。科学も物語的性格をもつことが認め られようになり5),ポストモダンの新しい知の 状況として物語が見直されている6)。 人間は「物語る動物」,あるいは「物語る欲 望に取り憑かれた存在」と言われる7)。「物語 ることは,われわれが自己の生の歩みを理解 し,世界のなかで経験することを理解するため の普遍的な形式である」8)とも言われる。物語 ることは,我々の根源性に根ざしている。「人 間が人間となることができるのは,教育によっ てである」と言われるように,教育も我々の根 源性に根ざしたものである。その意味で物語る ことと教育とは,密接な関係性がある。 やまだによれば,物語る行為は,「2つ以上 の出来事(events)をむすびつけて筋立てる行 為(emplotting)」である9)。これは,出来事 を時間的コンテキストの中に位置づけ,関連づ けることである10)。「個々の出来事は同じでも, それをどのように結びつけるかによって,物 語が変わる。たとえば,『幼い時に両親がなく なった』という出来事は変えられないが,『だ から,自分は一人ぼっちだ』という出来事(行 為)とむすぶか,『だから,自分は一人でも生 きられる』という出来事(行為)とむすぶかに よって,意味が大きく変わる。むすび方が変わ れば,人生の物語も,人生の意味も変わるはず である。」11)。このように,筋立てることで経験 を組織化し意味づけることで,自らの在り方を 確認する12)。結び方によって意味が変わること から,人は自分の人生物語を繰り返し物語り, 「人生物語の主人公である自分自身と折り合い をつけ,自分の身に降りかかった出来事の結末 を『受け入れよう』とするのである。」13)。「人は, 繰り返し物語りながら過去を再構成し,それに よって未来を指向して生きる動物」14)なのであ る。 語り手が語り手自身に語る自己内対話がある が,やはり,物語ることには聞き手を必要と
定された物語行為が経験にかかわる物語言説を生 み,そうした言説が物語枠組みを担保しつつ,さ らに物語行為を導いていくといった関係である。 野家啓一によれば,物語は,実態概念の「物 語」(語られたもの,ストーリー)と機能概念 の「物語り」(語る行為,ナラティブ)に分け られる18)。物語りは,藤原の経験を構築する物 語行為である。語られたものである物語は,藤 原の経験にかかわる物語言説である。 以上のことを踏まえ,本研究では,布施元の 「目的に基づく時間構造をもち,自らを社会の 文脈の中に位置づけ説明づけ定義づけ,自らの 生を意味づけ,生き方を方向づける行為」19)と いう物語の定義を下敷きに,物語を規定した い。なぜなら,布施の定義には従来の物語の定 義が多く踏まえられているからである。例え ば,「目的に基づく時間構造をもち……自らの 生を意味づけ,生き方を方向づける行為」は, 「人は,繰り返し物語りながら過去を再構成し, それによって未来を指向して生きる動物」と関 わり,出来事を時間的コンテキストの中に位置 づけ,関連づけることである。「自らを社会の 文脈の中に位置づけ説明づけ定義づけ」は「社 会文化的な物語枠組み」と通底し,経験の組織 化である。だが,布施の定義では,物語ったも のである「物語」の位置づけがよく分からない。 筆者は,物語る行為と物語られたもの(自己 の物語や社会文化的な物語枠組み)が循環的な 関係にあることから,両者を視野に入れ学習を 構想する。そこで,まず,「物語」と「物語り」 を包摂するものとして「物語り」と表記する。 次に,「物語り」を「目的に基づく時間構造を もち,仲間と語り合って自らを社会の文脈の中 に位置づけ説明づけ定義づけ,自らの生を意味 づけ,生き方を方向づける行為とその行為によ り生成されるもの」と規定する。 この定義による「物語り」のイメージを図化 すれば,図1のようである20)。 図1下図の太い相互の白抜きの矢印は,語り 手が聞き手となり聞き手が語り手となる語る相 互行為を示している。このことにより,物語が 生成する(図1下図の語り手=聞き手から物語 に向かう細い矢印)。逆に,語られたものであ る物語が語り手と聞き手に作用して,新たな語 りが生まれたり,語りが修正されたりする(図 1下図の物語から語り手=聞き手に向かう細い 矢印)。さらに,語り手は語る際に,社会文化 的な物語枠組み(図1下図の一番外側の円)を 参照して物語っていく(図1下図の太い黒い矢 印)。逆に,図1下図の物語枠組みに向かう細 い矢印が示すように,語り手が物語った物語が 社会文化的な物語枠組みに影響を与えることも ある。これらは,「仲間と語り合って自らを社 会の文脈の中に位置づけ説明づけ定義づけ」る ことをイメージしている。以上の一連の語り合 う行為により,社会(世界)への視野が拡大し ていく。 図1上図の現在-過去-現在-未来へと向か う矢印は,我々が物語を物語る際,現在から過 去を振り返って新たな意味を生み出し,未来を 指向することを示している。未来はやがて過去 となり,過去となった未来を現在から振り返っ て新たな意味を生み出し,未来を指向する。そ れだけではなく,指向する未来が現在にも影響 を与え,影響を受けた現在の事柄にもっとも適 合する過去の要素を浮かび上がらせることもあ る。このように,過去-現在-未来は往復しか つ循環している。これは,「目的に基づく時間 構造をもち」,「自分の身に降りかかった出来事 の結末を『受け入れよう』と」仲間と語り合っ て現在から過去を振り返り,新たな意味を生 み,未来を指向して生きることをイメージして いる。 以上の上下左右に拡張していく語り合う行為 により,生成されるものが「物語」である。さ らにその語り合う行為と「物語」を産出する場 が,楕円で示した「物語り」を通した「『物語り』 共同体」である。これは,野口の新しい語りが 共有され定着する空間である「ナラティブ・コ ミュニティ」を位置づけたものである。
図1 「物語り」のイメージ
3 「物語り」を活用した授業づくりに関
わる基礎的知見
まず,前稿で十分に述べられなかった「物語 の外の視点(立場)から『読む』こと」で「な ぜ?」を物語的な教材構造の中で生み出す重要 性を検討しておきたい。 前稿でもふれたように,森脇健夫は「物語り」 を活用した社会科の授業づくりを構想する際, 「物語の外の視点(立場)から『読む』こと」で「な ぜ?」を物語的な教材構造の中で生み出すこと を指摘している21)。これは,木村博一22)が,歴 史劇を構成し人物の行為を追体験しその心情に 感情移入しつつ歴史を学ぶ歴史授業が,学習を 主体的にする一方で偏った歴史認識に陥りやす いとして,立場の違う役割を習得させ,見方の 相対化を図る歴史授業を紹介していることと通 底している。一方,白井克尚は,「子どもの発 想は正しくても,あるいは正しくなくても,そ れは本質に迫る可能性をもっているとき,子ど 社会(世界)へ の視野 「『物語り』共同体」もたち全体の前に展開しみんなで討論させるこ とは重要です。ひとりの子どもの発想や論理 は,同世代の子どもたちには,教師の論理や発 想よりも分りやすい場合が少なくありません。 切売り知識をぎゅうぎゅうにつめこむより,少 ない内容でも深く考えさせ討論させた方が,子 どもの見方や考え方はきたえられる場合が多い のです。」という山本の文章に,山本の「劇化」 授業論の本質が現れていると指摘した23)。その 上で,先の山本の捉えは,「“問い” をもたせ, 学習を発展させるといった『異化』の可能性を 含んでいる」と述べている23)。それ故,白井は, 山本実践では,「学習過程の中に話し合いが明 確に位置づけられ」,「こうした話し合いの局面 は,『物語』の閉鎖性を克服し,客観性,科学 性を確かめ合う契機になるであろう」と指摘す る24)。山本実践では,「学習過程の中に話し合 いが明確に位置づけ」られるのは,「自分の既 有知識や自分の生活の中にある似た経験を探 し,それを『なぞらえ』ながら歴史事象を理解 するわかり方を重視しているからであろう。こ こでは,山本実践における「異化」の契機の有 無はともかくとして,「物語り」を活用した社 会科の授業づくりを構想する際に,「物語の外 の視点(立場)から『読む』こと」で「なぜ?」 を物語的な教材構造の中で生み出すことが問わ れることを確認しておきたい。その際,「物語 の『語り手』としての参加というよりは,新た な物語の起点を作るという立場で」という教師 の対応に「異化」の契機があることも確認して おきたい25)。 前稿での考察も踏まえ,「物語り」を活用し た授業づくりを構想する際の基礎的知見をまと めると次のようになる。 「物語り」を活用した授業づくりを構想する 際の留意点の一つ目として,「物語り」を活用 した授業づくりの基本的立場に関わることがあ る。物語が我々の存在を規定する本源的な知の 形式であり,教育・学習は,物語の知と切り結 ぶものとならなければ,学習者にとって深い 意味を持つものとはなりえない26)。しかも,物 語の知の影響力は,科学知より大きい27)。それ 故に,社会の大きな物語が偏っている場合は, 「自分が所属する集団,社会の『大きな物語』 を対象化し,批判的検討を加えるスキルを獲得 させること」27)が求められる。逆に,「物語り」 を上手く活用し,「小さな物語を集団的に折り 合わせ,所与の大きな物語と突き合わせる社会 参加のスキルが必要」27)である。さらに,大き な物語が自分たちの物語と対立する場合は,個 人の小さな物語を集団的に撚り合わせて新しい 大きな物語を構想していくスキルが求められて くる27)。これらのことが成されるには,「物語 の外の視点(立場)から『読む』こと」で「な ぜ?」を物語的な教材構造の中で生み出すこと が前提にある。そのためには討論の場を設けた り,違う立場に役割取得させ物語の世界の相対 化を図り,「異化」の契機を作り出す授業づく りが必要である。 二つ目として,田中の「学習者自身の未来の 物語を豊かにする方向で学習を組織する」28)こ とや,庄井の「古き意味を解体し,新たな意味 を生成しつづけうるような学習共同の構想メ タファー」29)と「先行世代の文化テクストを批 判的・創造的に解読し合い,未来の文化テクス トを自分たちで想像しつつ創造しあえる共同 体」30)に現れているように,未来志向の学習に 心がけることが挙げられる。後述する出力型授 業は,未来志向の学習を標榜している。今後の さらなる展開が求められるESDも,私たちと 次の世代の生命と暮らしの持続可能性を探る未 来志向の学習である。 三つ目として,庄井の「すなおに悩みなが ら,すなおに問いかけながら,自分の言葉で語 ることから生まれてくる学びあいを確信に持つ 共同体」29)である「物語共同体」31)に着目したい。 「物語共同体は,「語り合い,支配―被支配とい う権力関係を解体し,相互自立的なパートナー シップを構築しあいながら,世界・他者・自己 の意味を絶えず生成できるよう支援する共同体 のメタファーである」29)。また,「物語り共同体 は,対等・平等な立場で,すなおな自己を語り 合い,批判的・創造的・探求的に語り合いなが ら,古き意味を解体し,新たな意味を生成しつ
づけうるような学習共同の構想メタファー」29) でもあった。長瀬によれば,「物語(性)」は, 各個人をすべて「主体」と捉え,主体と主体が 共同的にかかわりあう関係を単位とすることに 特徴があった32)。河村は対話的空間づくりの重 要性を指摘していた33)。「物語り」を活用した 授業では,主体同士の関係の軸で「学び」をと らえる必要がある。 四つ目として,「物語共同体は,自己の感情 世界(あるがままの感情)と向かい合い,生活 概念と科学概念の相互交渉による両者の豊穣化 を支援するメタファーである」29)ことに着目し たい。立田も,実証的な根拠に基づくデーター だけでは多くの人の理解は得られず,個人的な 経験を加えて物語り,感情的な共感性や親近感 を生む分かりやすい話にする必要性を指摘して いた34)。科学も物語的性格をもつことが認めら れるように,物語の知と科学の知を対立するも のとは捉えない。斉藤35)が指摘したように,2 つの思考様式の相補的な必要性を考えていきた い。 五つ目は,「学習者の既有の物語を出発点と した上で」,活動が具体的な時間と空間に根ざ すものであることや,教材選択において教材の 背後に存在する学習者のナラティブを丹念に理 解することに関わることである。子ども個々の 「物語り」を大切にした上で,具体的な文脈の 中で物語を語らせ,物語をクラスで摺り合わせ ることが求められよう。 六つ目は,庄井が提示した四つの物語性に留 意したい36)。すなわち,①「自己物語」を豊饒 化する「目的としての物語性」,②「学習内容」 (題材)の物語化をする「内容としての物語性」, ③「学習過程」の物語論的(ドラマ論的)な展 開としての「過程としての物語性」,④「遊び =演劇」的空間の演出による自由な語り合いを する「環境としての物語性」,である。これら の物語性は,三つ目とも関わり,各個人をすべ て「主体」と捉え,主体と主体が共同的にかか わりあう関係がその基底にあることを忘れては いけない。 以上の先行研究から,子ども自身の物語を足 場とし,実証的な根拠によるデーターにも基づ きながらも,生活や社会との結びつきが考えら れる具体的な文脈の中で,子ども自身の未来に 関わることを各自に語らせ,それらの物語をク ラスで摺り合わせるという授業づくりの方向性 が看取できる。さらに,地域や国家,地球規模 のレベルの大きな物語と突き合わせるという授 業づくりの方向性が看取できる。その際,庄井 が掲げた四つの物語性を意識しながら授業構 成を図ることが有効ではなかろうか。さらに, 「物語共同体」とか「学びの共同体」,「共同的 な学び」が言われていた。これらが実現するに は,「主体同士の関係の軸でとらえる」ことが 必要である。
4 「物語り」を活用した学習の成立要件
「物語り」を活用した授業づくりでは,庄井 が我が国の学習共同体論を検討した上で,「物 語共同体」を提唱していた。ここでは,庄井の 「物語共同体」と河村の対話的空間等を補助線 にして,「物語り」を活用した授業の成立要件 について考察していく。 庄井は,「まず,教師自身が,すなおな言葉 で語ろうではありませんか。すなおに悩みなが ら,すなおに問いかけながら,自分の言葉で語 ることから生まれてくる学びあいを核心に持つ 共同体を,私は,『物語共同体』と呼んでいま す。」37)と語りかける。庄井が,「すなお」にこ だわるのには,理由がある。庄井が物語のある 学びに着目したのは,昨今における授業を成立 させる困難さの中での授業成立要件を,「第一 義的に(本源的に)学ぶものの側の自立のため の授業成立要件を考え,それにもっともふさわ しい様態で,教えるものの側から授業成立要件 を再考していくものにならなければならない」 38),と考えたことに寄っている。庄井は,「い かに子どもが自由にたくさん発言していたから と言っても,それらが出会い,ふれあい,響 き合い,新たな意味を創造しあえていなけれ ば,授業成立の要件を満たしているとは言えな い。」39)と述べている。さらに,庄井は,「他者との対話によって自己との対話が生まれる。他 者との対話のなかから,自己の精神内部で意味 生成が始まる。それが他者へ向けた発話行為を 生み出していく」40)と述べている。つまり,庄 井は,昨今における授業を成立させる困難さの 中での授業成立要件を,新たな意味を創造しあ えることに求めている。そして,庄井によれ ば,「自分の素直な感情と響きあった言葉で自 己表現する者同士が交わしあう対話でなけれ ば,意味を生成し続けることなどできない」し, 「自分を物語ることができないときには,もっ とも根源的な意味での批判的・創造的な対話で きない」のである41)。したがって,庄井は,「す なお」な気持ちで安心して語り合うことを重視 したのである。さらに,庄井が「第一義的に(本 源的に)学ぶものの側の自立のための授業成立 要件を考え」たことに注目したい。新たな意味 を創造しあうことは,子ども各自の自立に向か うものでなければならないのである。 ところで,庄井は,「物語共同体」としての 授業づくりを次のように述べている42)。 社会参加へ,学問探求へ,芸術創造へ,参加共 同体パラダイムで学びを考えるということは,教 師も子どもも対等・平等に,ともにひとりの探求 者(芸術家)として,すなおに語り合いながら, 自分たちの世界づくりへ参加できるように授業を デザインすることと思います。 庄井は,このような授業として,「越後の彫 刻家・石川雲蝶の『道元禅師猛虎調伏の図』を 虚心坦懐に子どもとともに読みひらこうとし た」小林朗の実践43)を挙げている。庄井は,こ の実践を「虚心坦懐に子どもとともに読みひら こうとした」としか記述していない。筆者なり に,同実践を検討し,庄井の「物語共同体」と しての授業のイメージを素描してみたい。 小林は,石川雲蝶の「道元禅師猛虎調伏の図」 をカラーコピーし,生徒二人に一枚配布して, 「この絵図にどんな動物がいるか?」と問うた。 この問いを受け,動物を「生徒たちは目を皿に して探している。」。そのようにして探していく 中で,次のようなやりとりがなされている44)。 左上にいる鳥が鷹か鷲かで生徒同士と口論が始 まる。①教師も自信が全くない。結局,くちばし によって鷹だという生徒の方に軍配が上がる。② 教師は黙って,その決着を見守っていた。これで 動物は終わりだろうと思っていると,一人の男子 生徒が右上の猿の隣に鹿の角があるという。③教 師と生徒全員で固唾を飲んで絵図を見る。④教師 が迷っているのをよそに,教室の大半の生徒たち から,発見した生徒に同意する声がある。鹿も絵 図にいることが確認された。 一枚の絵画資料を前にして,⑤教師と生徒の差 異がないためにある種の一体感が保たれ,みんな で興奮して探す作業に夢中になれるのである。(下 線と番号は引用者) 下線部①から,教師も正答を知らないと言う ことが分かる。だから,下線部②のように見守 るしかない。だが,この場合,見守ることが最 良のことに思われる。下線部③から,おそらく 教師も気づいていなかったことが予想できる。 また,教え-教えられるという関係などなく, 教師と生徒ともに,「本当なんだろうか」と探 る姿がある。しかし,そこは教師の性,何らか の確証あることを掴み,生徒に言わなくてはと 迷っている間に,下線部④のように,教師の思 いとは関係なく,生徒は絵図の読み解きを進め ていく。下線部⑤の一体感は,正答が分からな い興味関心の持てる問題を探究することから来 るのであろう。ここには,確かに「自己の感情 世界(あるがままの感情)と向かい合い」,「支 配―被支配という権力関係を解体し」,「対等・ 平等な立場で,すなおな自己を語り合い,批判 的・創造的・探求的に語り合」う姿が垣間見ら れる。このような姿が見られるためには,確か に「すなお」な気持ちで安心して語り合うこと が必要である。 ところで,河村は45),次のように「物語共同 体」とよく似た物語を生む共同的な対話的空間 づくりの必要性を述べている。 物語は,それが語られ聴かれる空間がなければ 生まれない。したがって,学びの共同性を考える
際,物語を生む共同的な対話空間をどうつくるか という問題も重要となる。対話的空間とは,単な る物理的空間というのではなく,学習者それぞれ が主体としてその場に参加することのできる空間 であり,自己について語ることができる空間であ り,またさらに,そうした語りを聴き届けてくれ る仲間のいる空間である。 河村は,このような空間は野口裕二の「ナラ ティブ・コミュニティ」46)としての対話的空間 であると述べる。野口の「ナラティブ・コミュ ニティ」は,概ね次のようである47)。 それぞれの語りを好奇心をもって聞き,互い の語りを尊重しあう姿勢が,新たな語りを引き 出す。この意味で,「新たな語りを生み出す共 同体」という側面がある。一方,それぞれの語 りが交錯することで,他では得がたい自分を自 由に語る経験が得られる。こうした経験が得ら れることで,グループは存続する。語りを生み 出す面と,語りによって維持される面,この二 つの意味をこめ,「語りの共同体」と呼ぶこと ができる。さらに,独特の物語が共有され,そ うした物語が参加者各自の個別的な語りに緩や かな共同性を与えている。グループ創設から現 在に至るまでの歴史が語り継がれ,それが一つ の物語としてメンバーに共有されている面も重 要である。参加者各自の語りに共同性を与える 共通の物語,そして,グループの来歴と存在意 義を明らかにしてくれる物語,この二重の意味 において,『物語の共同体』ということができ る。「語りの共同体」と「物語の共同体」とは 密接にかかわりあう。「語り」が「物語」を確 かなものにし,「物語」が「語り」を促す。「ナ ラティブ・コミュニティ」という言葉は,この 二つの相補的な関係を同時に表現している。 新しい語りの生み出しは,一対一の形式では 限界がある。多様な語りとの出会いで,新しい 語りが生まれたり,生まれる可能性が広がる。 「ナラティブ・コミュニティ」は,語りの多様 性を確保するうえで重要な意味をもつ。一対一 の形式により新しい語りが生まれても,それを 知っているのは,自分ともう一人しかおらず, 不安定な語りとなる。もう一人の態度次第で, いつの間にか消えてしまうかもしれない。これ に対して,「ナラティブ・コミュニティ」には 多くの聴衆がいる。聴衆が存在することで,新 しい語りはより確かな位置を占める。新しい語 りが共有され定着する空間,それが「ナラティ ブ・コミュニティ」である。この空間は,人々 の生活を支え,人生を導くような場所となる。 まさしく,人々の人生物語が展開する場所,単 なる「グループ」でなく「コミュニティ」にほ かならない。 河村の対話的空間も野口の「ナラティブ・コ ミュニティ」も,それぞれが主体としてその場 に参加できる空間であり,自己を語ることがで きる空間であり,その語りを聴き届けてくれる 仲間がいる空間であり,新たな語りを生み出す 空間である。 では,このような共同体が実現する要件は, 何であろうか。河村は,「物語としての音楽の 学び」,あるいは「物語構成的な音楽の学び」 として,「指導者と学習者そして共同学習者が, 自らの能力を背景にしながら主体としてかかわ り合い,その場その場で紡ぎ出される意味に着 目しそれぞれの物語を共同で編み直していくプ ロセス」48)と定義している。この学習の前提と して,河村は,次のように述べている48)。 指導者と学習者の関係性は,相互主体的な関係 性が前提とされる。一方が優位な立場に立ち,他 方がそれに従属するという主体―客体関係ではお 互いの物語は構成されえない。主体―主体関係を 前提とし,お互いの物語を携えて対等な立場で対 話し,そこから新しく紡ぎ出される意味に着目し て学びを創造していくことが,学びを物語るとし てとらえるということなのである。 「物語共同体」や「ナラティブ・コミュニティ」 としての対話的空間が実現するには,「主体― 主体関係を前提とし,お互いの物語を携えて対 等な立場で対話し,そこで新しく紡ぎ出される 意味に着目して学びを創造していく」ことが必 要である。しかも,新しく紡ぎ出される意味
は,子ども各自の自立に向かうものであった。 「物語り」を活用した授業の成立要件に,教師 と子ども,子どもと子どもの関係が主体同士の 関係となっていて,「すなお」な気持ちで安心 して語り合うことできることを挙げたい。
5 「物語り」を活用した学習における授
業観
「物語り」を活用した授業の成立要件は,教 師と子ども,子どもと子どもの関係が主体同士 の関係となっていて,「すなお」な気持ちで安 心して語り合うことであった。小西正雄が批判 した従来の入力型授業観に基づく入力型授業49) をしている限り,この成立要件を満たすことは 難しい。入力型授業観は,授業を入力するため の場,つまり知識や思考力を身につけさせる場 と考える。それ故,入力型授業観がもたらす入 力型授業は,より多くの情報を持っている人 (教師)とより少ない情報しか持っていない人 (子ども)との情報量の格差を解消するものと なる。入力型授業は,「子どもを食いつかせる」 に象徴するように,教師主導・教材優先型の授 業になりがちであり,往々にして謎解き型の授 業となる。知的好奇心を活用し,「知識・理解」 に至る授業である。教師の方が情報量を多くも ち,安心して授業ができてしまうので,ここに 安住する。「関心・意欲」は最終的には「知識・ 理解」の道具になってしまう。従って,子ども 達はより正しい知識を,より多く身につけるこ とが求められる。間違った知識(間違った答 え)は排除されることとなる。また,あれこれ 考え,知識等の習得が遅くなることも好ましい ことではないとみなされる。 一方,入力型授業観を批判して小西が提唱し た出力型授業観に基づく出力型授業は,子ども 達それぞれが持っている思いとかこだわりと いった価値観に関わることの隔たりを,埋めて いこうとする価値観偏差縮小の授業である。価 値観偏差の解消ではなく縮小であるのは,完全 な一致はとくに望まないので縮小なのである。 出力型授業では,授業を持てる力で何事かにト ライないしはチャレンジしていく場,身につけ たものを使わせる場,と考えている。言い換え れば,授業を知識を生かして働かせるための実 験場だと考える。子どもたちの思いを大切に し,1度はメチャクチャに出力することも認め られる。教師の役割は,子ども達の理解をはか り追究を促すことではなく,メチャクチャに出 力されたものを子ども達自身が取捨選択するの を支援し,その結果を的確に意味づけ,子ども 達に返すことである。従って,間違えや風変わ りな考え方も一旦は認められる。むしろ,互い を高めるということで歓迎されることもある。 教師の方が情報量を多くもち,子どもとの情 報量の格差を解消していく入力型授業では,よ ほど気をつけない限り,否が応でも教える人と 教えられる人という構図ができあがってしま う。教える人と教えられる人という構図ができ あがってしまっては,教師と子ども,子どもと 子どもの関係が主体同士の関係とはならない。 庄井は,か細い声で発言する子どもには,正し い答え(正答)を言わなければいけないという 強迫心があるのではないかと述べている50)。主 体同士の関係が成立していない場で,正しい答 え(正答)を言わなければいけないという強迫 心があれば,「すなお」な気持ちで安心して語 り合うことは不可能である。 ところで,前述したように,「物語り」を活 用した授業づくりを構想する際の二つ目の留意 点であった未来志向の学習を展開するには,出 力型授業が効果的である。小西は,出力型授 業は,「どちらが望ましいか,どうすればよい かを議論しあうような内容,つまり未来志向性 の強い内容もしくは仮説的条件命題とでもいう べき内容が中心となるので,その授業で逢着す べき明確な結論(正解)は存在しないことにな る。」51)と述べている。未来のことは未決なので あり,結論は出ていない。未来志向の学習は, 正答のない学習に繋がるのである。石川雲蝶 の「道元禅師猛虎調伏の図」を読みひらいた小 林朗の実践では,教師も正答をもっていなかっ た。「物語り」を活用した授業づくりにおいて, 未来志向の学習を展開する際は,答えはなく,それなりの応えしかないことに留意していきた い。 筆者は,従来の授業観が「入力型授業観」で あることもさることながら,それがあまりに強 い「入力型授業観」ばっかり主義であったと捉 えている52)。「入力型授業観」ばっかり主義が, ある面では強固なテスト中心主義や入試体制を 支えてきたと考える。さらに,正答主義を支え ている。それ故,「『入力型授業観』ばっかり主 義」から「『出力型授業観』も主義」や「『出力 型授業観』重点主義」への転換が,今後必要で あると考えている。それを図示すれば,図2の ようである。 き合わせる社会参加のスキル,個人の小さな物 語を集団的に撚り合わせて新しい大きな物語を 構想していくスキルが挙げられる。②未来志向 の学習に心がけなければならない。③主体同士 の関係の軸で「学び」をとらえる必要がある。 ④物語の知と科学の知を対立するものとは捉え ず,2つの思考様式の相補性を踏まえ,自己の 感情世界(あるがままの感情)と向かい合い, 生活概念と科学概念の相互交渉による両者の豊 穣化を支援する。⑤子ども個々の「物語り」を 大切にした上で,具体的な文脈の中で物語を語 らせ,物語をクラスで摺り合わせることが求め られる。⑥各個人をすべて「主体」と捉え,主 体と主体が共同的にかかわりあう関係を基底に 置いた上で,「目的としての物語性」,「内容と しての物語性」,「過程としての物語性」,「環境 としての物語性」に留意する。 「物語り」を活用した授業の成立要件として, 教師と子ども,子どもと子どもの関係が主体同 士の関係となり,「すなお」な気持ちでの安心 した語り合いの成立が挙げられた。教師と子ど も,子どもと子どもの関係が主体同士の関係 となり,「すなお」な気持ちで安心して語り合 うには,従来のような入力型授業観に基づく入 力型授業では困難であり,出力型授業観に基づ く出力型授業が必要であることが明らかとなっ た。今後は,「『入力型授業観』ばっかり主義」 から「『出力型授業観』も主義」や「『出力型授 業観』重点主義」への転換が求められる。 註 1)伊藤裕康「『物語り』を活用した授業づくり」香 川大学教育実践総合研究第23号,pp. 101-114, 2011 2)小西正雄『消える授業残る授業 学校神話の崩 壊のなかで』明治図書,1997 3)庄井良信『癒しと励ましの臨床教育学』かもが わ出版,p. 103,2002, 4)河村有美「物語としての音楽の学びに関する一 考察-成人のピアノ学習を中心にして-」,学校教 育研究論集第10号,p. 65,2004 5)野家啓一は,科学も物語的性格をもつことを次 図2 今後の望ましい授業観 あることもさることながら,それがあまりに強 い「入力型授業観」ばっかり主義であったと捉 えている50)。「入力型授業観」ばっかり主義が, ある面では強固なテスト中心主義や入試体制を 支えてきたと考える。さらに,正答主義を支え ている。それ故,「『入力型授業観』ばっかり 主義」から「『出力型授業観』も主義」や「『出 力型授業観』重点主義」への転換が,今後必要 であると考えている。それを図示すれば,図2 のようである。 従来の授業観 「入力型授業観」 今後の授業観 「入力型授業観」+「出力型授業観」 「出力型授業観」+「入力型授業観」 図2 今後の望ましい授業観 6 終わりに 本稿では,「物語」と「物語り」を包摂するも のとして「物語り」と表記し,「物語り」を「目 的に基づく時間構造もち,仲間と語り合って自 らを社会の文脈の中に位置づけ説明づけ定義づ け,自らの生を意味づけ,生き方を方向づける 行為とその行為により生成されるもの」と規定 した。その上で,前稿に続けて「物語り」を活 用した授業づくりを構想する際の基礎的知見の 抽出に努めた。その結果,次の6つの知見を抽 出した。①「物語り」を活用した授業で獲得さ せたいスキルとして,「物語の外の視点(立場) から『読む』こと」で「なぜ?」を物語的な教 材構造の中で生み出すことを前提として,社会 の大きな物語を対象化し批判的検討を加えるス キル,「物語り」を上手く活用し,小さな物語を 集団的に折り合わせ,所与の大きな物語と突き 合わせる社会参加のスキル,個人の小さな物語 を集団的に撚り合わせて新しい大きな物語を構 想していくスキルが挙げられる。②未来志向の 学習に心がけなければならない。③主体同士の 関係の軸で「学び」をとらえる必要がある。④ 物語の知と科学の知を対立するものとは捉えず, 2つの思考様式の相補性を踏まえ,自己の感情 世界(あるがままの感情)と向かい合い,生活 概念と科学概念の相互交渉による両者の豊穣化 を支援する。⑤子ども個々の「物語り」を大切 にした上で,具体的な文脈の中で物語を語らせ, 物語をクラスで摺り合わせることが求められる。 ⑥各個人をすべて「主体」と捉え,主体と主体 が共同的にかかわりあう関係を基底に置いた上 で,「目的としての物語性」,「内容としての物語 性」,「過程としての物語性」,「環境としての物 語性」に留意する。 「物語り」を活用した授業の成立要件として, 教師と子ども,子どもと子どもの関係が主体同 士の関係となり,「すなお」な気持ちでの安心し た語り合いの成立が挙げられた。教師と子ども, 子どもと子どもの関係が主体同士の関係となり, 「すなお」な気持ちで安心して語り合うには, 従来のような入力型授業観に基づく入力型授業 では困難であり,出力型授業観に基づく出力型 授業が必要であることが明らかとなった。今後 は,「『入力型授業観』ばっかり主義」から「『出 力型授業観』も主義」や「『出力型授業観』重 点主義」への転換が求められる。 註 1) 伊藤裕康「『物語り』を活用した授業づくり」 香川大学教育実践総合研究第 23 号,p p.101-104,2011 2) 庄井良信『癒しと励ましの臨床教育学』か もがわ出版,p.103,2002, 3) 河村有美「物語としての音楽の学びに関す る一考察-成人のピアノ学習を中心にして -」,学校教育研究論集第 10 号,p.65,2004 4) 野家啓一は,科学も物語的性格をもつこと を次のように述べている。 反証可能性に開かれているという点で,歴史言 明は科学言明と同じ身分をもつのであり,その限 りで,歴史は「文学」とともに「科学」とも境を 接していると言わねばならない。いや,科学言明 もまた「保証された主張可能性」以外の真理基準
6 終わりに
本稿では,「物語」と「物語り」を包摂する ものとして「物語り」と表記し,「物語り」を「目 的に基づく時間構造もち,仲間と語り合って自 らを社会の文脈の中に位置づけ説明づけ定義づ け,自らの生を意味づけ,生き方を方向づける 行為とその行為により生成されるもの」と規定 した。その上で,前稿に続けて「物語り」を活 用した授業づくりを構想する際の基礎的知見の 抽出に努めた。その結果,次の6つの知見を抽 出した。①「物語り」を活用した授業で獲得さ せたいスキルとして,「物語の外の視点(立場) から『読む』こと」で「なぜ?」を物語的な教 材構造の中で生み出すことを前提として,社会 の大きな物語を対象化し批判的検討を加えるス キル,「物語り」を上手く活用し,小さな物語 を集団的に折り合わせ,所与の大きな物語と突 -88-のように述べている。 反証可能性に開かれているという点で,歴史言明は科 学言明と同じ身分をもつのであり,その限りで,歴史は 「文学」とともに「科学」とも境を接していると言わねば ならない。いや,科学言明もまた「保証された主張可能 性」以外の真理基準をもちえないという反実在論の立場 からすれば,むしろ「科学」もまた一つの「歴史(history)」 であり「物語(story)」であるとこそいうべきである(野 家啓一『物語の哲学』岩波現代文庫,181-182,2005)。 6)毛利は,教育と関わって物語の見直しについて, 次のように述べている。 「物語学」(ナラトロジー)は,もともと構造主義や記 号論といった思潮の影響を受けた文芸批評の分野で展開 された「物語テキストに関する理論」であったが,今で は物語を重要な視点ないしメタファーとする学問の立場 (ナラティブ・アプローチ)を総称していると考えてよか ろう。現代の「物語学」は,もはや文学の文芸批評の分 野にとどまらず,あらゆる人文および社会系の学問分野 で,とりわけ「臨床的」な志向を持つ学問分野で展開され, それにともなって,「物語」の概念も,特定の時代の文学 作品とその様式からより一般的な「筋」によってまとめ られる言説へ,さらには「物語りつつある」という人間 のあり方を言い当てるものへと拡大していた。こうして, 人間と物語との関わりの多様な局面が明らかになるとと もに,その視点を取り入れたことで,既成の学問研究の あり方が根本から問い直されるようになってきたのであ る。(毛利猛『臨床教育学への視座』ナカニシヤ出版,p. 4, 2006)。 7)前掲6)p.13 8)前掲6)p.22 9)やまだようこ「人生を物語ることの意味」,やま だようこ編『人生を物語る』ミネルヴァ書房,p. 3, 2000。 10)やまだの定義は,時間的秩序を前提にしない生 成的定義である。やまだは,物語の定義づけでは, 時間的定義からのものが多いと指摘する(やまだ ようこ「ライフストーリ・インタビュー」,やまだ ようこ編『質的心理学の方法-語りを聞く-』新 曜社,p. 127,2007)。たとえば,「私が起きたとき 雪がふっていてびっくりした。」という文章は,「私 が起きたとき(始まり)」「雪がふっていて(中間)」, 「びっくりした(終わり)」という時間的秩序によっ て語られている。このように,「始まり-中間-終 わり」という時間秩序と調和的形態を重視するも のである。「始まり-中間-終わり」という時間秩 序を前提にしていない生成的定義も,二つの出来 事をむすぶことから,時間的コンテキストの中に 位置づけ,関連づけている。どちらの物語の定義 であっても,出来事を時間的コンテキストの中に 位置づけ,関連づけることでは共通している。 11)前掲9)p.128 12)物語が,経験を組織化するものであるという考 え方については,時間的定義をとる野家啓一は, 「経験は『物語』を語る言語行為,すなわち物語行 為を離れては存在しないのであり,逆に,物語行 為こそが『経験』を構成するのである,と。」(前 掲5)p. 85)述べている。このように,時間秩序 の前提の有無とは関係なく,物語が経験を組織化 するものであることは,共通している。 13)前掲6)p. 7 14)松本健一「総合学習・学びのプロローグ」カリ タス小学校/松本健一編集『共同で物語る総合学 習 自分をみつめる・自分をみつける』川島書店, p. 2,2001 15)前掲9)p. 23 16)野口裕二『物語としてのケア』医学書院,pp. 178-181,2002 17)藤原顕「物語論」日本教育方法学会編,p. 62, 2004 18)前掲5)p. 300 19)布施元「環境問題の解決のための『物語』に関 する考察-共生の視点を契機として-」共生シス テム研究Vol. 3,No. 1,p. 127,2009 20)図1の上図を作成するに際し,前掲14)p. 5の「総 合学習は,自分づくり(現在に立って過去と未来 を往復運動)をしながら知識空間を拡大する活動」 の図から示唆を得た。 21)森脇健夫「教材と学習者の間―教材『青い目の 人形物語』再論―」グループディタクティカ編『学 びのための授業論』剄草書房,pp. 190-192,1994 22)木村博一「子どもが追求する社会科授業」社会 認識教育学会編『社会科教育のニュー・パースペ クティブ』明治図書,pp. 136-144,2003 23)白井克尚「小学生が歴史を『劇化』することに
意義についての一試論―山本典人実践『ぼくは大 仏』の分析を通して―」探究第23号,p. 30,2011 24)前掲23)p. 26 25)森脇健夫「教材と学習者の間-教材『青い目の 人形』再論-」グループディタクティカ編『学び のための授業論』剄草書房,p. 182,1994 26)田中昌弥「学習における生活の意味と物語」,河 内徳子・渡辺淳・平塚眞樹・安藤聡彦編『学習の 転換 新しい「学び」の場の創造』国土社,pp. 109-110,1997 27)前掲26)p. 114 28)前掲26)p. 113 29)庄井良信「物語共同体による授業改革-ヴイゴ ツキー理論のナラティブな構築言説-」日本教育 方法学会編『教育方法30 学力観の再検討と授業 改革』図書文化,pp. 107-108,2001 庄井良信『癒しと励ましの臨床教育学』かもが わ出版,p. 160,2002, 30)前掲29)庄井(2001)p. 109 前掲29)庄井(2002)p. 162 31)庄井の提唱する物語共同体は,筆者が提唱した 「『物語り』共同体」とほぼ同じものと考えられる。 32)長瀬美子「物語(性)」恒吉宏典・深澤弘明編著『授 業研究重要用語300の基礎知識』明治図書,p. 245, 1999 33)前掲4)河村(2004)pp. 61-72, 河村有実「成人の音楽学習における教材論的検 討」教材学研究第17巻,pp. 17-24,2006 34)立田慶裕「学校をめぐる状況変化」,立田慶裕・ 今田幸蔵編著『学校教員の現代的課題』法律文化社, pp. 16-17,2010 35)斉藤浩一「道徳教育への心理療法からのアプロー チ-ナラティブセラピーの視点を中心として-」 東京情報大学研究論集第6巻第1号,pp. 29-38, 2002 36)前掲29)庄井(2002)p. 122 37)前掲36)p. 101 38)前掲36)p. 154 39)前掲36)p. 158 40)前掲36)pp. 157-158 41)前掲36)p. 159 42)前掲36)p. 103 43)小林朗「絵画を利用した授業の工夫―越後の化 政文化 彫刻家・石川雲蝶を探る―」歴史地理教 育593,pp. 28-31,1999 44)前掲43)p. 29 45)前掲33)河村(2004)p. 69, 46)野口裕二『物語としてのケア』医学書院,pp. 178-181,2002 47)前掲46)より筆者がまとめた。 48)前掲45)p. 65 49)「入力型授業観」とそれに基づく入力型授業,「出 力型授業観」とそれに基づく出力型授業の記述は, 以下の文献から筆者がまとめた。 小西正雄『消える授業残る授業 学校神話の崩 壊のなかで』明治図書,1997 小西正雄編著『「提案する社会科」の授業1 これが未来志向の “新しい授業観” だ』明治図書, 1994 小西正雄編著『「提案する社会科」の授業2 こ れが出力型の “舞台装置だ”』明治図書,1994 小西正雄編著『「提案する社会科」の授業3 これが社会科教育21世紀への序曲だ』明治図書, 1995 小西正雄編著『未来志向の社会科授業づくり』 東京書籍,1997 小西正雄『教育文化人間論―知の逍』東信堂, 2011 50)前掲29)庄井(2002)pp. 89-91 51)小西正雄編著『未来志向の社会科授業づくり』 東京書籍,p. 17,1997 52)伊藤裕康・大木馨「『出力型授業観』に基づく社 会科教育の研究」―『シンガポール引っ越し物語』 の実践より―」地理学報告83,pp. 18-36,1996