フランス高等教育機関の概観 望月ゆか
フランス高等教育機関現地調査レポート(その一)
フランス高等教育機関の概観
望
月
ゆ
か
ふとしたきっかけでフランス高等教育学士過程の現状について文科省から調査の機会を与えられ、二〇〇六年三月 上旬に大学やグランゼコー ル (1) 、省庁など一四の関係機関の担当者から聞き取り調査を行った。これも偶然だが、調査 の数日後には、ド・ヴィルパン内閣のCPE(初期雇用契約法)に反対して、フランスの多くの大学でデモの波が広 がりはじめ、ソルボンヌのブロックアウトなど一九六八年五月の学生運動を彷彿とさせる歴史的場面に立ち合うこと もできた。調査の時期が数日ずれていたら、大学は封鎖されており、いくつかのインタビューが取り消しになったこ とだろう。 今 回 の 調 査 で は、 ヨ ー ロ ッ パ 共 通 の 高 等 教 育 改 革( ボ ロ ー ニ ャ・ プ ロ セ ス、 フ ラ ン ス で は L M D 改 革 と も 呼 ば れ る)が進行して大きく変化しつつあるフランスの高等教育事情について、関係者からの証言をもとに最新情報を得る ことができた。調査の本来の主題は学士課程だったが、後述するようにフランスの教育制度では、グランゼコールな ど学士課程から修士課程にまたがる教育機関が存在するため、これら二つの課程を主にインタビューを行い、結果的武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 にフランスの高等教育についてかなり広範囲の情報を得ることが出来た。教育論は筆者の専門とする領域ではないが、 調査の公式報告書では形式の制約上書き尽くせない点も少なくなかったので、稿を新たにして調査結果の全容を記録 しておくことも無意味ではなかろうと考えた。この分野には素人であるため、誤解などがある場合は専門家の方々の ご批判・ご叱責をいただきたい。 本稿は三部構成である。第一部ではフランス高等教育の見取り図を、第二部ではフランスから見たボローニャ・プ ロセスを、第三部ではフランス高等教育における質保証の試みを扱う。なお、フランスの教育用語では略号が非常に 多いので、本文の最後に一覧表を付した。
フランス高等教育機関の概観
フランスには、ラテン諸国とドイツに共通の「教育は無償で万人に提供されるべきである」という考えと、グラン ゼコールに象徴される選抜エリート主義が存在する。いずれもフランス共和主義に由来する二つの考え方は、高等教 育人口が少なかった時代には矛盾を呈さなかった。ところが、職業・技術バカロレアが創設され、高等教育人口が急 増しはじめる一九八〇年代後半以降、事情は大きく変化し た (2) 。予想外の出生率増加という要素も加わ り (3) 、無選抜の原 則に立つ大学は、深刻なキャパシティー不足や学生の学力低下に悩むようになる。一方でグランゼコールは、高額の ──ただしアメリカに比べれば安い──授業料を徴収し、選抜制・少人数制の恵まれた教育環境を提供しつづけてい る。後述するようにフランスの高等教育システムは非常に複雑なのだが、ごく大雑把には、民主主義の大学とエリー ト主義のグランゼコールとの対立として ── たとえそれが「神話」的要素を含むにせよ──捉えておけばよいだろう。フランス高等教育機関の概観 望月ゆか 高等教育の大衆化は、大学とグランゼコールの格差の広がりを生んだ。しかしそれだけではなく、学位のインフレ ーションとその価値の相対的低下により、若年層の突出した失業率という負の結果をも招いた。こうしたフランス高 等教育の膠着状況は、一九八〇年代後半から一九九〇年代にかけては外国人留学生の減少によっても象徴された。パ スクワ法(一九八六年)の影響により旧植民地出身者の留学生数が制限されたが、それに代わるような他国の留学生 を呼び寄せることができなかったのだ。それは北米留学圏に対抗するだけの魅力やわかりやすさが、フランスの高等 教 育 制 度 に 欠 け て い た た め で あ る。 一 九 九 九 年 に 発 足 し た ボ ロ ー ニ ャ・ プ ロ セ ス は、 グ ロ ー バ リ ゼ ー シ ョ ン と 高 等 教 育大衆化問題に悩む「ヨーロッ パ (4) 」の国々が協力して、アメリカなどに匹敵する「欧州高等教育圏」を二〇一〇年ま でに創設しようとする高等教育改革の試みである。上述のような国内問題に悩んでいたフランスが、ボローニャ・プ ロセスの推進役を積極的に買ってでたのは自然の流れであった。ボローニャ・プロセス(LMD改革)によってフラ ンスの高等教育システムは大きく変革されつつある。以下はその現状についての調査結果の報告である。アンチCP E(初期雇用契約法)デモが大学を中心に大きく盛り上がった背景については、第六節「就職率」で触れられる。 聞き取り調査を行ったのは、教育省[DRIC(国際交流・協力局) ]、教育省[MSTP(科学・技術・教育視察 課 )] 、 外 務 省[ 国 際 協 力 開 発 総 事 務 局 ]、 エ デ ュ フ ラ ン ス( フ ラ ン ス 政 府 留 学 局 )、 CNÉ ( 国 立 評 価 委 員 会 )、 C P U (国立大学学長協議会) 、CGE(グランゼコール協議会) 、CTI(技術学位委員会) 、パリ第一大学、パリ第二大学、 パリ第四大学、パリ・ドフィーヌ大学、イナルコ(ラングゾー) 、ル・アーヴル大学である。
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号
第一節
フランスにおける教育の原則
フランス共和国のモットーは自由・平等・博愛であるが、今回の高等教育についての調査でよく耳にしたのは自由 と平等の原則である。 自由の原則は、第一に高等教育機関の評価機関に対する自主性という面に、第二に大学アカデミスムは市場原理に 従 属 し す ぎ て は な ら な い( 教 育 は ビ ジ ネ ス で は な い ) と い う 信 念 に 現 れ て い る。 後 者 に つ い て は フ ラ ン ス は と く に 大 学 授 業 料 が 高 価 な イ ギ リ ス と の 違 い を 強 調 す る( 第 三 部 参 照 )。 た だ し、 フ ラ ン ス 共 和 制 に お け る 教 育 の 中 央 集 権 的 性 格 も 忘 れ て は な ら な い。 ヨ ー ロ ッ パ で も っ と も 早 く 大 学 全 体 が L M D 制 に 移 行 で き た の は こ の 強 力 な 中 央 集 権 的 指 導力に由来する。 高 等 教 育 に お け る 平 等 の 原 則 は 二 面 か ら 考 え ら れ る。 ま ず 第 一 に、 教 育 の 同 質 性 の 保 証 で あ る。 国 家 学 位 は ど の 大 学 で 授 与 さ れ た も の で も 価 値 が 等 し く、 大 学 名 に よ る 差 が な い、 と い う の が 建 前 で あ る。 大 学 の ラ ン キ ン グ 付 け も 存 在 し な い し、 そ も そ も 存 在 す べ き で は な い と 考 え ら れ て い る。 ド イ ツ は フ ラ ン ス と 類 似 し た 大 学 制 度 を も っ て い た が、 (新旧学位制度の比較) en France (Hors Santé)» を参照にして作成》フランス高等教育機関の概観 望月ゆか 現在はエリート大学選出という改革が進行中である。こう した方向にフランスが方向転換するという事態はまずあり えないだろう。 第二に、教育の機会あるいは立身出世の機会が平等でな ければならない、という機会均等の原則である。ここから 二つの帰結が生じる。第一に、義務教育(六歳〜一六歳) だけでなく大学教育も無償で国が提供すべきであるという 原則、第二に、大学入学時の無選抜の原則──バカロレア 取得者は、キャパシティーの問題がない限りどの大学にも 入学可能──である。前者からはさらに、高等教育、生涯 教育(キャリアアップ教育)は国民の権利であるとの認識 も生じる。もちろん現実にはこの権利を享受しきれずに落 ち こ ぼ れ る 学 生 も 多 く、 そ の 数 の 多 さ( と く に 移 民 出 身 層)は初等・中等教育のレベルで深刻な問題となっている。
第二節
フランス高等教育の学位制度
フランス高等教育の学位制度は、LMD制度への国レベ 図1 フランスの高等教育過程 CTI(技師学位委員会)提供資料《Schèma des études supérieures武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 ル で の 移 行 を 踏 ま え、 二 〇 〇 三 年 に 大 編 成 が 行 わ れ た。 そ の 影 響 は( 国 立 ) 大 学 だけではなくグランゼコールにも及んでいる(図1参照) 。 一.学位の種類 L M D 改 革 以 来、 フ ラ ン ス の 高 等 教 育 の 学 位 diplôme は ヨ ー ロ ッ パ( 共 通 ) 学 位・国家学位のいずれであるかによって以下の三種類に分けられる(図2参照) 。 ⑴ ヨ ー ロ ッ パ( 共 通 ) 学 位( ボ ロ ー ニ ャ・ プ ロ セ ス 加 盟 国[ 現 四 五 ヶ 国 ] で 通 用 す る 学 位 ) を 兼 ね る 国 家 学 位 diplôme national 、 通 称《 grade 》 ─ ─ Baccalauréat ( バ カ ロ レ ア ─ 大 学 入 学 資 格 ─ )、 Licence ( 学 士 号 bac+ 3 (5) )、 Master ( 修 士 号 bac+5 )、 Doctorat ( 博 士 号 bac+8 ) が 代 表 的 だ が、 そ の 他、 Licence professionnelle ( 職 業 学 位 bac+3 一 年 コ ー ス で Licence 三 年 目 に 相 当 )、 Master Recherche ( 研 究 修 士。 本 Master 二 年 次 は 旧 学 位 の D E A に 相 当 )、 Master Professionnel (職業修士。本 Master 二年次は旧学位のDESSに相当し、 博 士 課 程 に は 進 め な い ) も す べ て《 grade 》 で あ る。 元 来 は 大 学 の 学 位 で あ る が、 L M D 改 革 以 来 国 際 的 認 知 度 の 向 上 の た め に、 グ ラ ン ゼ コ ー ル に も Master ( 修 士 ) を 授 与 す る 権 利 が 国 家 か ら 与 え ら れ る よ う に な っ た。 こ ち ら に は 基 本 的 に Master 二種類の区別はない。 ⑵ ヨ ー ロ ッ パ 学 位 と は 認 め ら れ な い 国 家 学 位 ─ ─ 旧 制 度 の 国 家 学 位 で、 D E ヨーロッパ学位 国家学位 種類 1 ○ ○ Baccalauréat 及び
Licence, Master, Doctorat(LMD制度)
2 × ○ DEUG, Maîtrise(旧制度)
3a × × DU(大学学位)
3b × × CTI 認証の技術学位、グランゼコール登録商
標の専門系修士号 MS, MBA など 図2 フランス高等教育機関の学位
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか UG(大学一般教育免状 bac+2 )、 Maîtrise (旧修士 bac+4 )などがある。 ⑶ 非 国 家 学 位 ─ ─ 大 別 し て 二 種 類 あ る。 ま ず、 ( 国 立 ) 大 学 が 独 自 に 授 与 す る D U ( 大 学 学 位 ) で あ る が、 こ れ は同じ大学が授与する国家学位よりレベルが低い。次に、グランゼコールなど大学(大学系学校を含む)以外の高等 教育機関が個別に授与する学位があ る (6) 。CTI(技師学位協会)が認証する Diplôme d'ingénieur (技師学位 bac+5 )、 C G E( グ ラ ン ゼ コ ー ル 協 議 会 ) の 登 録 商 標 で あ る 理 系・ ビ ジ ネ ス 系 の M S( Mastère spécialisé 専 門 職 系 修 士 号 bac+6 )、MBAなどで、これらは産業界で認知されている。 なお本稿では、新課程と旧課程の修士号、グランゼコール登録商標の修士号を区別するために、煩瑣ではあるがフ ランス語表記(それぞれ Master 、 Maîtrise 、 Mastère )も併用する。 二.ECTS単位制度(ヨーロッパ単位互換制度)との関係 現在、 上記のすべての学位は、 「ヨーロッパ学位 grade 」であるなしに関わらず、 ECTS単位制度(一セメスター、 三〇単位)にのっとって定義されることが現在義務づけられている。しかし、グランゼコールでは多くの学習量を確 保 す る た め に、 一 セ メ ス タ ー 三 〇 単 位 の 画 一 的 適 用 へ の 抵 抗 も 見 ら れ る (7) 。 国 家 学 位 の Master ( 修 士 ) 取 得 コ ー ス で はもちろん無理だが、非国家学位の独自コースで三〇を超える必修単位数を設けるのがその一方策である(ECTS 単位制度の具体的説明については、第二部を参照) 。
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号
第三節
フランス高等教育機関の種類
フ ラ ン ス の 高 等 教 育 機 関 は、 こ の 国 の 歴 史 を 反 映 し た 非 常 に 複 雑 な 仕 組 み に な っ て い る。 教 育 施 設 と し て は、 大 学 の み で な く、 フ ラ ン ス 独 自 の グ ラ ン ゼ コ ー ル( そ の 多 く が 超 エ リ ー ト 校 )、 高 等 専 門 学 校 の 三 種 に 大 別 さ れ る。 海 外 に 対 す る 説 明 と し て は、 大 学 / グ ラ ン ゼ コ ー ル の 対 立 に と ど め る こ と が 多 い。 大 学 内 部 に は さ ら に、 専 門 職 養 成 を 目 的 と し て 独 立 し た 教 育 機 関 が 設 置 さ れ て い る 場 合 も 多 く、 高 等 教 育 機 関 の 見 取 り 図 は さ な が ら 迷 宮 の 観 を 呈 す る。 ヨ ー ロ ッ パ 諸 国 だ け で な く フ ラ ン ス 人 に と っ て も 複 雑、 と 言 わ れ る 所 以 で あ る。 一.高等教育機関の地理的分布 学 士 レ ベ ル で は 大 き な 地 域 差 は み ら れ な い が、 博 士 課 程 に お い て は、 顕 著 な パ リ 集 中 が みられる。 二.高等教育施設の種類と選抜の有無 フランスの高等教育施設は次の四種類に大別される(図3参照) 。 ⑴ 大学 Universités ──主に国立 ⑵ 大教育機関 Grands établissements 高等教育機関の種類 数 国立 私立 選抜 1 大学 Universités 89 校 ○(82 校) ○(7校) 無 2 大教育機関 Grands établissements 5校 ○ × 有/無 3 グランゼコール Grandes Écoles 300 校位 ○ ○ 有 4 高等専門学校 Écoles spécialisées ? ○ ○ 有 図3 フランスの高等教育機関の種類フランス高等教育機関の概観 望月ゆか ⑶ グランゼコール(大学校) Grandes Écoles ──私立・国立 ⑷ 高等専門学校 Écoles spécialisées (美術、料理、看護、福祉など) ──私立・国立 大学は無選抜であるが、キャパシティー超過の場合には定員制を設ける場合もある。しかしその場合はバカロレア の成績によって選抜を行うことは禁じられている。大学入学にあたってのバカロレアのもつ価値は「大学へのパスポ ー ト 」 と い う だ け で、 そ の 優 劣 は 問 題 に さ れ な い た め で あ る。 た だ し、 大 学 が 無 選 抜 な の は、 Licence ( 学 士 ) 課 程 の み で、 Master ( 修 士 ) 課 程 に つ い て は 現 在 移 行 時 期 に あ り、 旧 学 位 制 度 に の っ と っ て《 Master 2》 年( M 2 旧 課 程 D E A / D E S S ) の 入 り 口 で 選 抜 が 行 わ れ て い る。 こ の た め、 《 Master 1 》 の 段 階 で 無 選 抜 で 全 員 が 入 学 を 許 可 さ れ、 一 年 後 に、 一 部 の 学 生 に 退 学 が 勧 告 さ れ る と い う 奇 妙 な 事 態 を 招 い て い る。 教 育 省 は 最 近、 《 Master 1 》 年 ( M 1) の 入 り 口 で の 選 抜 を 実 施 す る 決 定 を 出 し た。 ま た、 大 学 内 独 立 教 育 機 関( 本 節 の 三 参 照 ) で は、 そ の レ ベ ル を問わず(短大レベルから修士レベルまで) 、入学時に選抜が行われているので区別が必要である。 大 学 と グ ラ ン ゼ コ ー ル の 中 間 に 大 教 育 機 関 Grands établissements と 呼 ば れ る 五 校 が 存 在 す る。 大 学 よ り も 国 の 縛 り が 弱 く、 成 績 に よ る 選 抜 を 行 う 権 利 を も っ て い る。 大 教 育 機 関 の う ち 四 校 は 技 術 大 学 Universités de technologie という特殊なカテゴリーに属する。LMD改革以前は五年間の技師養成カリキュラムしかもたなかった工学系大学院 である。 〈事例一〉パリ第二大学─定員制、無選抜 パ リ 第 二 大 学 は 各 コ ー ス に 定 員 を 設 け て お り、 現 在 は、 入 学 希 望 者 の 殺 到 す る 他 の 大 学 と 同 様 に、 RAVEL と 呼 ば れ る コ ン ピ ュ ー タ ー に よ る 抽 選 方 式 を 採 用 し て い る。 以 前 は 先 着 順 で、 徹 夜 組 が 出 て い た。 RAVEL で は 学
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 生 は 第 三 希 望 ま で 登 録 す る こ と が で き る。 学 生 の 居 住 地 域 に よ っ て 登 録 時 期 が 異 な り、 基 本 的 に 大 学 近 郊 の 学 生 の 優 先 順 位 が 高 い。 パ リ 第 二 大 学 は パ リ 大 学 区 に 属 し て お り、 ま ず イ ル・ ド・ フ ラ ン ス( パ リ 周 辺 地 方 ) の 学 生 の 登 録 が 行 わ れ る が、 そ の 中 で も さ ら に 大 学 へ の 近 さ に よ っ て 高 校 ご と の 受 け 入 れ 人 数 を 決 め て い る。 RAVEL に よ る 選 抜 で は、 バ カ ロ レ ア の 成 績 は ま っ た く 考 慮 さ れ な い の で、 成 績 の 劣 る 友 人 が 入 学 許 可 を 得 た の に 自 分 は だめだったというケースも出てくる。 〈事例二〉イナルコ(国立東洋言語・文明学院[通称ラングゾー] )(大教育機関) ─定員制無、一部で選抜制 人 数 の 多 い 日 本 語 学 科 で は、 入 学 希 望 者 の 三 分 の 一 に あ た る 人 数 に 対 し て、 最 近、 選 抜( 書 類 審 査 ) を 行 う よ う に な っ た。 た だ し 早 い 時 期 に 願 書 を 求 め に 来 る 学 生 は 選 抜 の 対 象 に な ら な い。 こ の 一 部 選 抜 制 に よ り、 新 学 期 の時点での学生総数を減らせる効果があり、教室不足に悩む学生・教員両者に歓迎されている。 〈事例三〉パリ・ドフィーヌ大学(大教育機関) ─定員制、選抜 パ リ・ ド フ ィ ー ヌ 大 学( 経 済、 法 学、 人 文 社 会 ) で は、 バ カ ロ レ ア の 平 均 点 が 二 〇 点 満 点 中 一 二 点 以 上 で な い と 入 学 を 申 請 で き な い。 さ ら に、 コ ー ス の 定 員 に よ っ て 成 績 に よ る 選 抜( 書 類 審 査 ) が 行 わ れ る。 グ ラ ン ゼ コ ー ル 方 式 で あ る。 選 抜 制 を 取 っ て い る の で、 学 生 総 数 七、 八 〇 〇 人 と 他 の パ リ 大 学( 一 万 七 千 〜 四 万 五 千 人 ) に 比 べて少ない。 ──質疑応答── 問 パリ・ドフィーヌ大学はいつ創設されたのか。
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか 答 一九六八年五月の大学紛争の直後、創設者の理念がまったく異なる二大学がパリに創設された。一つは 完 全 な 自 由 を モ ッ ト ー と す る ヴ ァ ン セ ン ヌ 大 学( パ リ 第 八 大 学 ) と 保 守 的 な ド フ ィ ー ヌ 大 学( パ リ 第 九 大 学)だ。現在、ドフィーヌ大学は学生の九八%が高級管理職の子弟で、ブルジョワ的性格をもっている。 問 大学入学時の選抜は創設当時から行っているのか。 答 社会で成功する人材養成を目指していた我々は、創設当初から選抜を行うことを望んでいたが、それが 可 能 に な っ た の は 一 九 七 五 年 第 一 次 石 油 シ ョ ッ ク の 時、 学 生 運 動 の 精 神 が 学 生 側 で 希 薄 化 し は じ め た 時 期 だ。 問 どのような法的根拠で「平等」の原則から免れているのか。 答 厳密には非合法だ。学生受け入れ能力からすれば十分根拠がある措置なのだが。実際には、法的な抜け 道 を 使 っ て い る。 た だ し 試 験 で 振 り 落 と さ れ た 学 生 が「 平 等 」 の 原 則 を 盾 に 裁 判 を お こ さ れ る と 彼 ら が 勝 つ。 問 その法的抜け道とは。 答 当 初 は「 大 教 育 機 関 Grand établissement 」 の 資 格 を 用 い て 対 応 し よ う と し た が、 そ の 許 可 が 得 ら れ な か っ た。 し か し、 一 九 七 五 年 に「 技 術 大 学 Université de technologie 」 と い う 枠 組 み に 組 み 入 れ ら れ る 権 利 を 得 た。 ち ょ う ど コ ン ピ エ ー ニ ュ 大 学 が こ の 新 し い カ テ ゴ リ ー で 一 九 七 二 年 に 創 設 さ れ た と こ ろ だ っ た。 技 術 大 学 と は、 フ ラ ン ス の 大 学 と 技 術 学 校 の 中 間 に 属 す る カ テ ゴ リ ー で、 五 年 間 の 技 師 の カ リ キ ュ ラ ム を
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 提 供 し、 選 抜 が あ る。 当 初 は 博 士 課 程 は な か っ た。 わ れ わ れ は こ の 枠 組 み で 選 抜 を 行 う 資 格 を 手 に 入 れ る と と も に、 従 来 の 大 学 の 学 位 ─ 博 士 号 も 含 め ─ も 維 持 し た。 最 終 的 に 二 〇 〇 四 年 に は 大 教 育 機 関 の 資 格 も 得 る こ と が で き た。 も っ と も 最 近 の L M D 改 革 だ け は 逃 れ ら れ ず、 い ま カ リ キ ュ ラ ム 再 編 成 に 苦 労 し て い る。 問 どのような学生がパリ・ドフィーヌ大学を選ぶのか。 答 非常に優秀な学生はグランゼコールに行く。われわれの大学に来るのは、それよりわずかに劣る優秀な 学 生 だ。 カ リ キ ュ ラ ム は グ ラ ン ゼ コ ー ル に 比 べ て 少 し 軽 め だ が、 就 職 は 同 じ く ら い 良 い。 授 業 料( 三 五 〇 ユ ー ロ、 一 ユ ー ロ は 約 一 四 〇 円 ) も、 も ち ろ ん 普 通 の 国 立 大 学 の 登 録 料( 一 五 〇 ユ ー ロ ) よ り は 高 い が、 グ ラ ン ゼ コ ー ル( 一 五、 〇 〇 〇 〜 二 五、 〇 〇 〇 ユ ー ロ ) に 比 べ れ ば ず っ と 安 い の で、 お 値 打 ち 感 が 非 常 に 父 兄に受けている。 問 以前は「パリ第九・ドフィーヌ大学」だったのが、なぜナンバーを落としたのか。 答 二〇〇四年度にナンバーをなくす許可を得た。ナンバーを維持することもできたが、無味乾燥であり、 ア イ デ ン テ ィ テ ィ ー の は っ き り し た「 ド フ ィ ー ヌ 」 ─ dauphin [ イ ル カ ] と か け て シ ン ボ ル マ ー ク に し て い る ─ と い う 名 前 の み に し た 方 が ブ ラ ン ド 力 が 上 が る と 考 え た か ら だ。 も ち ろ ん 選 抜 を 行 わ な い 他 大 学 と の違いを強調する意図もある。
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか 三.大学 ⑴ 大学の種類と規模 フ ラ ン ス の 国 立 大 学 は、 そ の 所 在 す る 都 市 の 規 模 に よ っ て、 総 合 大 学( 中 都 市 ) と 単 科 大 学 連 合 体( 大 都 市 ) の 二 種 類 に 大 別 さ れ る。 後 者 の 場 合、 各 都 市 に 専 門 分 野 が さ ま ざ ま の ナ ン バ ー 制 大 学 の 連 合 体 が 存 在 す る。 た と え ば、 パ リ 大 学 は パ リ 第 一 大 学 か ら パ リ 第 一 三 大 学 ま で の 文 系・ 理 系 の 大 学 に 分 か れ て お り、 リ ヨンにはリヨン第一〜第三大学が存在する。 最 も 規 模 の 大 き な フ ラ ン ス の 大 学 は パ リ 第 一 大 学( 総 学 生 数 四 万 五 千 人 ) で あ る。 フ ラ ン ス は 全 体 的 に 日 本 の 大 学 と 比 べ る と 小 規 模 で あ る。 地 方 都 市 の 総 合 大 学 は さ ら に 規 模 が 小 さ く、 た と え ば ル・ ア ー ヴ ル 大 学 の 学 生 総 数 は 七 千 人 に す ぎ な い。 し か し こ れ で も グ ラ ン ゼ コ ー ル に 比 べ る と 大 き い。 大 学 は、 少 人 数 制 を 旨 と し 選 抜 を 行 う グ ラ ン ゼ コ ー ル や 大 学 内 独 立 教 育 機 関( 次 項 参 照 ) に 比 べ る と、 教 員 一 人 あ た り の 学 生 数 の 割 合 が 多 い の で、 大 学 の 学 士 課 程 一 〜 二 年 目 で は、 行 き 届 い た 教 育 を 行 う こ と が む ず か し く、 高 い 落 第 率・ 退 学 率 の 原 因 に も な っ て い る。 し か し、 学 年 が 上 が っ て 行 く う ち に 学 生 の 自 然 淘 汰 が 行 わ れ、 教 員 一 人 あ た りの学生数の割合は上がっていく。 ⑵ 大学系教育機関 フ ラ ン ス の 国 立 大 学 に は、 い わ ゆ る 学 部 組 織 の 日 本 風 の 大 学 の 他 に、 大 学 内 独 名称 目的 修業年限 学位
1 École doctorale(大学院)UFR(学部) 伝統的大学教育 bac+3 〜bac+8 学士、修士、博士職業学士など
2 École(高等研究学校) 専門職養成 bac+5 修士など(エンジニア 系は同時に CTI 認証の 「技師学位」) 3 Institut(学院) 短期工学系 IUT, STS など 専門職養成 bac+2 〜 bac+5 大学技術系学位、学士、 職業学士、修士など 図4 大学系教育機関
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 立教育機関が付属している(図4参照) 。 ⒜ U F R ( 学 部 U n ité s d e F or m at io n e t d e R ec h er ch e ) と É co le doctorale (大学院) ─ ─いわゆる伝統 的 な「 大 学 」 を 構 成 し、 学 士 号 か ら 博 士 号 ま で の す べ て の レ ベ ル の 教 育 ─ ─ Licence LMD ( 新 課 程 学 士 bac+3 )、 Master ( 修 士 bac+5 )、 Doctorat ( 博 士 bac+8 ) の 他、 職 業 学 士( bac+3 ) や 旧 制 度 の 学 位 ─ ─ が 行 わ れ る。 登 録料のみ支払う。 ⒝ 大 学 内 独 立 学 校 ─ ─ 専 門 職 養 成 を 目 的 と し て 設 け ら れ た 新 し い 教 育 機 関 で、 入 学 時 に 選 抜 が あ り、 登 録 料 の 他 に 授 業 料 が 徴 収 さ れ る。 Écoles ( 高 等 研 究 学 校 ) と Instituts ( 学 院 ) に 大 別 さ れ、 前 者 の レ ベ ル は 大 学 院 Master ( bac+5 ) に 相 当 す る の に 対 し、 後 者 は 短 大 か ら 大 学 院 レ ベ ル ま で さ ま ざ ま ─ ─ D U( 大 学 学 位 bac+2 )、 D U T( 大 学 技 術 系 学 位 bac+2 )、 Licence LMD ( 新 課 程 学 士 bac+3 )、 Licence professionnelle ( 職 業 学 士 bac+3 )、 Master (修士 bac+5 )──である。博士号取得については教育機関による。 日 本 の「 工 学 部 」 は 伝 統 的 な 大 学 の 学 部 と し て は 存 在 せ ず、 大 学 内 学 校 の École ( 高 等 研 究 学 校 ) の カ テ ゴ リ ー ─ ─エンジニア系のグランゼコール(次項参照)に相当──に含まれる。これはCTI(技師資格協議会)が認定して い る「 技 師 ingénieur 」 の 資 格 が フ ラ ン ス で は バ カ ロ レ ア 取 得 後 五 年 間 の 教 育 レ ベ ル( bac+5 ) を 必 要 と す る か ら で あ る。 つ ま り、 エ ン ジ ニ ア 系 に は 学 士 レ ベ ル で 終 了 す る コ ー ス は 存 在 せ ず、 す べ て Master ( 修 士 ) レ ベ ル で の 終 了 となる。他に「技術大学」という特殊なカテゴリーもある(本節の二参照)が、やはり学士課程で終了するコースは 存 在 し な い。 工 学 教 育 は 大 学 院 レ ベ ル か 短 大 レ ベ ル で し か 提 供 さ れ て い な い の で あ る。 後 者 の「 工 科 短 期 大 学 」( 二 年 コ ー ス ) と し て は、 大 学 内 に 所 属 す る Institut ( 学 院 ) 系 の I U T( 工 科 短 期 大 学 部 ) と 高 校 に 所 属 す る S T S ( 上 級 技 術 者 養 成 科 ) が あ げ ら れ る。 そ れ ぞ れ、 D U T( 大 学 技 術 系 学 位 ) と B T S( 上 級 技 術 者 免 状 ) の 学 位 が 取
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか 得 で き る( 図 1 参 照 )。 五 年 コ ースとの違いは理論的授業がほ とんどなく、実践中心である点 である。 以上のいわゆる大学と大学内 独立学校併存の例を挙げると、 パリ第四大学(ソルボンヌ)に は、 文 系 の 一 七 の U F R( 学 部)の他に、 CELSA ( École de s ha ut es é tu de s en s cie nc es d e l 'in fo rm a ti o n e t d e l a communication 情 報 コ ミ ュ ニ ケーション科学高等研究学校) と い う École ( 高 等 研 究 学 校 ) が一校付属しており、こちらは 同時にCGE(グランゼコール 協会)加盟のグランゼコールで も あ る。 ま た、 ポ ワ チ エ 大 学 1.エンジニア系 École polytechnique(X)[ポリテクニック(理工科学校)9)]
École nationale supérieure des mines de Paris[パリ国立高等鉱業学校] École nationale des Ponts et Chaussées(Ponts)[国立土木学校] École centrale de Paris(Centrale)[パリ中央学校]
École supérieure d'Electricité(Supélec)[電気高等学校] 2.マネージメント系
Hautes études commerciales(HEC)[高等商業学校]
École supérieure des sciences économiques et commerciales(ESSEC)[高
等商業科学研究学校]
École supérieure de commerce de Paris(ESCP)[パリ高等商業学校] 3 軍人養成系
École polytechnique(X)[ポリテクニック(理工科学校)] École spéciale militaire de Saint-Cyr[サン=シール陸軍士官学校] 4 公務員養成系
École nationale d'administration(ENA)[国立行政学院:高級官僚養成]:
ジスカールデスタン、シラク、ジョスパン、ド・ヴィルパンなど歴代大統領、 首相を輩出。パリ政経学院(シアンスポ)[6の項参照]などの専門の予 備コースで1〜2年学んだ後に受験する、グランゼコールの中でも特別 の存在。
5 師範学校系(文系・理系)
École Normale Supérieure Ulm(ENS)[パリ高等師範学校] 6 政治学系
Institut d'études politiques de Paris(Sciences Po)[パリ政経学院(シア ンスポ)]:法律、財政、コミュニケーション、マーケッティング、ジャー ナリスム
7 文系
École Normale Supérieure Ulm(ENS)[パリ高等師範学校]文系 École des Chartes[国立古文書学校]
図 5 グランゼコール超エリート校の例
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 ( 中 都 市 総 合 大 学 ) に は、 理 系・ 文 系 の 七 つ の U F R( 学 部 ) の 他、 一 校 の École ( 高 等 研 究 学 校 ) ─ ─ E S I P ( Ecole supérieure d'ingénieurs de Poitiers ポ ワ チ エ 技 術 高 等 学 校 ) と 六 校 の Instituts ( 学 院 ) ─ ─ 技 術 短 期 大 学 部 ( I U T )、 下 級・ 中 級 公 務 員 養 成 学 院( I P A G )、 企 業 管 理 行 政 職 養 成 学 院( I A E ) な ど ─ ─ が 付 属 校 と し て 存 在する。 四.グランゼコール フ ラ ン ス の グ ラ ン ゼ コ ー ル は 高 度 な 教 養 あ る 職 業 人 育 成 を 使 命 と し て お り 、 他 国 に 例 を 見 な い フ ラ ン ス 独 特 の エ リ ー ト 教 育 を 行 っ て い る 。 大 学 と 他 の 教 育 シ ス テ ム の 併 存 は ア メ リ カ( 大 学 と Community Colleges ) や ド イ ツ( 大 学 と Fachhochschulen ) な ど の 例 も あ る が、 フ ラ ン ス は グ ラ ン ゼ コ ー ル( と く に 超 エ リ ー ト 校 ) が 大 学 以 上 の ス テ ータスを有する点が他国と異なっている。超エリート校(図5参照)はフランス政財界の指導者を輩出しており、ノ ーベル賞受賞者はすべてグランゼコール卒業生かグランゼコール教員である。ただし、グランゼコールもその数が増 えるとともに、伝統ある超エリート上位校群(古くは革命期に遡る)と低レベルの下位校群に二極化しつつある。C GE(グランゼコール協議会) (本項⑶参照)加盟の有無がグランゼコールのレベル判断の一つの目安となっている。 グランゼコールは国公立、私立から成り、国立の場合は教育省、農林省、国防省、産業省など各省の管轄下にある。 グランゼコールの多くが大学と異なり授業料を徴収するが、一部の国立系グランゼコール(パリ高等師範学校やポリ テクニックなど)では授業料は無償で給料が支給される(本項⑵参照) 。 グランゼコールと大学のもっとも大きな違いは選抜制の少人数制にある。定員はたとえば、パリ高等師範学校では 文系・理系合わせて二百名弱、ポリテクニック(理工科学校)は四百名(仏人学生)にすぎない。通常はバカロレア
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか 取得後、リセ付属のグランゼコール準備学 級 (8) で二年間の一般教養科目を含むハードな受験勉強を行い、各グランゼコ ールの入試に臨む。不合格の場合は、もう一年準備学級で学ぶか、大学の三年次に編入する(図1参照) 。 ⑴ カリキュラム・学位 グランゼコールの分野は、マネージメント系、エンジニア系が大半を占め、その他公務員養成系、ごく少数の文系 か ら な る。 医 学、 法 律 系 は な い。 L M D 改 革 以 降 は、 カ リ キ ュ ラ ム は 国 家 学 位 Master ( 修 士 ) レ ベ ル、 つ ま り バ カ ロ レ ア 修 得 後 五 年 に 相 当 す る レ ベ ル( bac+5 ) が 主 流 に な り つ つ あ る。 し か し、 パ リ 高 等 師 範 学 校 や ポ リ テ ク ニ ッ ク のように四年制教育( bac+6 )を堅持している学校もある。 大学カリキュラムとの違いは、大学が理論的専門教育を伝統的に重視してきたのに対し、グランゼコールでは実学 的専門教育と学際的一般教養教育(外国語、社会科学、経済学など)とのバランスを重視している点である。グラン ゼコールではとくに企業との密接な連携が重視される。教師陣に企業人を含めるほか、運営にも企業人が半数関わる ことになっている。企業の上級管理職に就く卒業生が多いことから、問題解決能力やチームワーク精神の養成も意識 したカリキュラムが組まれている。また、国際性のある人材育成のために、外国語教育(英語による授業、留学制度、 国際企業でのインターンシップなども含め)にも力を入れている。 五年カリキュラム(修士レベル)では次の二コースが主流である(図1参照) 。 ⒜ バカロレア取得 ⇒ 選抜 ⇒ グランゼコール準備学級(二年) ⇒ 選抜 ⇒ グランゼコール(三年) ⒝ バカロレア取得 ⇒ 選抜 ⇒ グランゼコール(五年) 。五年のコースでは二年間の準備学級が一体化している。 学位については、 Master (修士)レベルに相当する上記の bac+5 のコースでは以下の通りである。 ⒜ エ ン ジ ニ ア 系 ─ ─ C T I( 技 師 資 格 委 員 会 ) 認 定 の「 技 師 学 位 」 プ ラ ス 国 家 学 位 Master 。 補 助 コ ー ス も 修
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 得 し た 場 合 は、 技 師 学 位 プ ラ ス 国 家 学 位 の Master Recherche ( 研 究 修 士 ) ま た は Master Professionnel ( 職 業修士) 。 ⒝ マ ネ ー ジ メ ン ト 系 ─ ─ グ ラ ン ゼ コ ー ル 各 校 の 授 与 す る 学 位。 補 助 コ ー ス も 修 了 し た 場 合 は、 そ れ プ ラ ス 国 家 学位の Master 系学位。 上記以外の学位としては、MBAに加え、一九八五年以来、CGE(グランゼコール協会)が認証する登録商標M S ( Mastère Spécialisé 専 門 系 修 士 号 ) が 五 年 コ ー ス 修 了 者、 あ る い は 同 等 レ ベ ル の 社 会 人 学 生 に 提 供 さ れ て い る。 M S は 一 年 コ ー ス( 授 業 と イ ン タ ー ン シ ッ プ 半 々) で レ ベ ル は bac+6 と な る。 ま た、 二 〇 〇 三 年 以 来、 新 し い C G E の 登 録 商 標 で あ る 学 位 MSc ( Mastère de science 科 学 系 修 士 号 ) が 創 設 さ れ た。 Licence ( 学 士 bac+3 ) あ る い は Maîtrise ( 旧 修 士 bac+4 ) を 取 得 し た 学 生 の た め に、 少 な く と も 三 セ メ ス タ ー の 教 育 を 提 供 す る。 な お、 グ ラ ン ゼ コ ールの学生が博士課程を修めるには、大学教授の指導を受けねばならない。 ⑵ 学費 官立で学費・寮費無料かつ在校生に給料が支給されるグランゼコールもある が )10 ( 、大半は国立大学に比べてかなり高 額である。ただしアメリカのビジネススクールと比べると割安で、官立のパリ政経学院(シアンスポ)で年間七千ユ ーロ、私立では一万五千ユーロから二万五千ユーロ(一ユーロは約一四〇円)が目安である。ただしコースによって 授業料は異なる。 ⑶ CGE(グランゼコール協議会) グランゼコールは全国で三百校ほどあり、その中でCGE(グランゼコール協議会)に加盟しているのは一八七校 である。内訳では、エンジニア系がCTI(技師資格委員会)認定校二二七校のうち約一四〇校が、フランス全土の
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか マネージメント系グランゼコール約八〇校のうち約三〇校が、CGE加盟校である。CGE加盟に当たっては、エン ジニア系ではCTI(技師資格委員会)の認定、ビジネス系では二〇〇一年に創設されたマネージメント教育・学位 評 価 委 員 会 Commission d'évaluation des formations et diplômes de gestion の 認 定 を 受 け た 上、 さ ら に C G E の 内 部基準を満たさねばならない。 C G E 入 会 の た め の 内 部 基 準 項 目 は、 運 営 委 員 会 の 構 成( ア カ デ ミ ッ ク、 民 間 か ら 同 数 の 代 表 )、 教 務 委 員 会( 民 間 出 身 ス タ ッ フ を 含 む )、 学 生 選 抜 方 法( 全 国 レ ベ ル の 選 抜 制 concours national )、 カ リ キ ュ ラ ム の 質( イ ン タ ー ン シ ッ プ 必 修、 企 業 人 を 含 む 教 育 陣、 キ ャ リ ア ア ッ プ 教 育 )、 職 員・ 教 員・ 研 究 ス タ ッ フ、 財 政、 施 設( 図 書 情 報 セ ン タ ー、 出 版 活 動、 学 食、 寮 の 有 無 を 含 む )、 研 究 者 ス タ ッ フ に よ る 企 業 提 携 の 研 究 活 動、 国 際 交 流、 卒 業 生 の 就 職 率 である( 《
Dossier de candidature à la Conférence des Grandes Écoles
》参照) 。 グランゼコールの特徴は、カリキュラム・就職にあたっての企業との密接な結びつきであり、これが就職率の高さ に結びついている。企業のトップや政界人もグランゼコール出身者が多い。グランゼコールの学位と就職の関連につ い て は、 R N C P( 国 立 専 門 資 格 デ ー タ ベ ー ス Répertoire national des Certifications professionnelles ) で も 確 認 で きる。各職種と要求される資格を紹介するもので、基本的に一度登録されると削除されることはない。グランゼコー ルの学位は、登録商標 Mastère spécialisé (専門系修士号)も含め、このデータベースに登録されている。
第四節
進学率と落第率
バカロレアを取得し高等教育機関に進学する者は、該当世代の五〇%程度であ る )11 ( 。その内訳は、二〇〇一年の調査武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 では、大学が三八、 九%、IUTやSTSなどの工科短期コースが二九、 三%、グランゼコール受験のための準備学級 が 七、 二 % な ど と な っ て い る )12 ( 。 そ れ ぞ れ 該 当 世 代 の 割 合 に 換 算 す る と、 大 学 進 学 率 が 二 〇 %、 工 科 短 期 コ ー ス が 一 五 %、 グ ラ ン ゼ コ ー ル 準 備 学 級 が 三、 五 % と な る )13 ( 。 グ ラ ン ゼ コ ー ル 準 備 学 級 終 了 時 に 入 試 に 失 敗 し 大 学 三 年 に 登 録 す る 学生は、CPU(国立大学学長協議会)会長によれば、準備学級登録者の八〜一〇%とのことである。 近年、学生数の増加による教育環境の悪化から、昔は大学に進学していた優秀な学生が選抜・定員制のIUTに進 学するケースが増えている。IUTは本来技術バカロレア取得者のために設立されたものだが、普通バカロレア取得 者の入学が増え、技術バカロレア取得者が大学に登録せざるを得ないケースが増加し、大学の落第率上昇の原因にも な っ て い る。 二 〇 〇 四 年 六 月 一 九 日 付 け ル・ モ ン ド 紙 に よ れ ば、 バ カ ロ レ ア 取 得 者 の 四 二、 一 % が 工 科 短 期 コ ー ス ま たはグランゼコール準備学級に進学している。グランゼコール準備学級進学率は二〇〇一年と大差ない七%であるの で、工科短期コースの人気が三年間で一〇%以上も急上昇していることがわかる。大学進学率は二〇〇一年より微増 の三九、 二%であるが、一九九五年の四九、 四%という数字と比較すれば大学教育の不人気は明らかである。学生一人 当たりの教育単価をとってもIUTは九、 一〇〇ユーロ、大学は六、 八四〇ユーロであり、前者の方が学生の満足度も 高い。 一.大学の落第率 旧課程DEUGの中退率については、少し古い資料だがフランス上院による調査(二〇〇二年)によると、分野に よ っ て 開 き は あ る も の の、 法 学・ 政 治 学、 経 営 管 理、 言 語 で は 一 年 次 入 学 者 の 六 〇 % 台 が、 経 済 学・ 経 営、 文 学・ 言 語学・美学、人文社会学、科学系では五〇%台が留年または中退してい る )14 ( 。しかし、大学の旧課程DEUG(二年コ
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか ー ス ) の 合 格 率 は、 一 年 次 の ハ ー ド ル を ク リ ア す れ ば か な り 高 く な る。 留 年 せ ず に 二 年 で 修 了 す る 学 生 は 在 籍 者 の 五〇%程度、一年留年組を含めれば六六〜六七%の合格率である。大学には入学時の選抜はないが、学年が上がるに つれこのような自然淘汰による選抜が行われるのである。もっとも前項で引用したル・モンド紙によれば、普通バカ ロレア取得学生に限れば八二%が──しかもその半数は留年せずに──DEUGの学位を取得している。大学の落第 率を押し上げているのは技術バカロレア取得者で、彼らのDEUG取得率は三八%にすぎない。現在大学では、とく に後者の学生に向けミスマッチを避けるための進路指導に力を入れはじめている[第三部参照] 。 選抜のある工学系の短期コースIUT、STSでは当然中退は少ない。留年せずに二年で修了する学生の割合は、 CPU(国立大学学長協議会)会長によれば、在籍者の八五〜九〇%とのことである。 〈事例〉パリ第一大学経済学専攻 学 士 課 程 一 年 次 新 学 期 に 約 一 千 人 の 登 録 者 が あ り、 そ れ が 一 月 の 前 期 試 験 で 五 〜 六 百 人 に 減 少、 六 月 の 後 期 試 験 で は ほ ぼ 同 数 が 残 る。 そ の う ち 進 級 で き る の は 三 百 人。 合 格 率 は 九 月 の 入 学 時 か ら す る と 三 〇 % だ が、 前 期 試 験 ま で 残 っ た 学 生 で は 五 〇 % で あ る。 前 期 を ク リ ア す る か 否 か に そ の 後 の 成 功 が か か っ て い る こ と が わ か る。 な お、二年次に進級した学生の合格率は八〇〜八五%とさらに上昇する。 二.グランゼコールの落第率 C G E( グ ラ ン ゼ コ ー ル 協 議 会 ) に よ れ ば、 選 抜 が あ る た め、 グ ラ ン ゼ コ ー ル 準 備 学 級 で の 落 第 率 は 九、 七 %、 グ ランゼコールでの落第率は一〇%と、大学に比べてずっと低いとのことである。ただし、落第率がとても高く無駄の
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 多い大学に比べるとグランゼコールの教育単価は低いというのがCGE会長の意見である。
第五節
大学とグランゼコール──対立と共存──
一.対立の歴史的背景 大学とグランゼコールが併存・対立する図式の背景は、一八世紀啓蒙主義の時代にまで遡る。中世以来大学は教会 に独占されており、教育内容は、伝統的な人文学部(自由七科と呼ばれる文系・理系の一般教養)とその上に位置す る専門職業集団を養成する医学部・法学部・神学部が提供するものに限られていた。啓蒙主義時代に科学技術が著し く進歩しても大学はそのような分野は職人の専門として軽蔑し、新しい学部を創設しようとは考えなかった──そし て前述のように現在も伝統的な学部としての工学部は存在していない──。啓蒙時代は同時に理性の時代でもあり、 キリスト教、とくにフランスの国家宗教であるカトリックの教義や社会的特権を享受していた聖職者に対する批判が 高まった。これは特権団体である大学批判とも結びついてゆく。 ルイ一六世の時代に、富国強兵を担う技術系官僚養成のための実学的な理系学校が二校創設された。国立土木学校 ( 一 七 七 五 年 ) と 国 立 鉱 山 学 校( 一 七 七 八 年 ) の 前 身 で、 最 初 の グ ラ ン ゼ コ ー ル 誕 生 で あ る。 従 来 の 血 統 主 義 で は な く 業 績 本 位 の 選 抜 入 試 制 度 が、 フ ラ ン ス で 初 め て 導 入 さ れ た。 こ れ は、 中 国 の 科 挙 制 度 を 参 照 し た も の で あ る )15 ( 。 フ ランス革命勃発五年後の一七九四年、国民公会は、共和主義(反教会)的理念と国家の発展のために、ポリテクニッ ク(理工科学校)や共和主義の優秀な文系・理系の教師を養成する高等師範学校といった新たなグランゼコールを創 立した。以上はすべて現在超エリートのグランゼコールとなっている。大学とグランゼコールの対立は伝統と進歩、フランス高等教育機関の概観 望月ゆか 宗教と世俗的共和主義の対立であった。 今回聞き取り調査をしたフランス人は一般に、グランゼコールの創設をナポレオンの名と結びつけていた。しかし、 ここまでで明らかなようにそれは誤解である。もっとも、この誤解には根拠がないわけではない。以下に紹介するよ うに、ナポレオンにおけるエリート教育主義とアンチ大学の姿勢は、現在の大衆的大学教育と対立するエリート主義 のグランゼコールというイメージと重なる部分が多いからである。 第一に、ナポレオンはフランスにおけるエリート教育の創始者と呼ぶにふさわしい。彼の教育改革の主眼の一つは、 国 立 の リ セ 創 立( 一 八 〇 二 年 ) と バ カ ロ レ ア( 大 学 進 学 資 格 ) 制 度 創 設( 一 八 〇 八 年 ) で あ る。 こ こ に、 「 リ セ( ま たは公立・私立のコレージュ ⇒ リセ二年) ⇒ バカロレア ⇒ 大 ファキュルテ 学 または(入試を経て)グランゼコール入学」という 官僚・専門職に到るための道筋が設定された。ナポレオンのエリート主義は、この中等教育過程が、一般大衆のため の初等教育とは不連続のまったく別個の制度として整備されている点、つまり教育制度の二元性にある。ナポレオン は、初等教育改革(たとえば国民公会で提案された初等教育無償化案など)にはまったく関心を示さなかっ た )16 ( 。 こうしたナポレオンのエリート主義は、一七四〇年代にソルボンヌで始まり革命時代に中断されていた「一般優秀 選抜試験 concours général 」と呼ばれる制度を一八〇八年に復活した点にも象徴されている。パリとヴェルサイユの 最優秀のリセ最終学年の学生を選抜し表彰する制度で、一時競争が過熱したため再中断されたが、現在もフランス全 国のリセを対象に行われてい る )17 ( 。 ナポレオンの教育改革のもう一つの主眼は、大学組織の解体・再編成と国家による掌握である。革命時代に教会の 支配下にあった大学は既に解体されていたが、ナポレオンはファキュルテとして、神学部・法学部・医学部に新たに バカロレア試験機関である文学部・理学部を加え、これを国家の中央行政機関(教育省のようなもの)である「帝国
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 大学」の名の元に管轄し、それまで大学にあった学位授与資格を国家で掌握し た )18 ( 。 エリート主義のナポレオンが創始したバカロレア制度が、現在では大学の大衆的高等教育と結びついているのは、 歴史の皮肉である。これが一九六八年の技術バカロレア、一九八五年の職業バカロレア創設の結果生じた新しい現象 であることは言うまでもない。 二.グランゼコールの有利な点 少人数制、選抜制を旨とするグランゼコールは、落第率も少なく、とくに超エリート校の就職率は抜群である。た だしグランゼコール一般となると、就職率の高さにはかなり神話的部分もでてくるが。いずれにせよ、グランゼコー ルに優秀な学生が多いのは、選抜試験を受けるために、準備学級を選ぶ段階からすでに自分の将来について明確なビ ジョンをもっている者が多いためだと言われてい る )19 ( 。大学には、無選抜ゆえに進路がはっきりしないまま漠然と入っ てくる学生が多く、それが学士課程一〜二年目の高い落第率の原因のひとつとなっている。 グランゼコールが高い就職率を売り物にできるのには二つの要因がある。上述のように、産業界とつながりが深い ことがまず指摘できる。企業人が教育陣だけでなく、学校運営協議会(CA)にも名をつらね、常に産業界とのフィ ードバックを行っている。さらに、カリキュラム上でも、大学のように国との四年契約に縛られることなく、産業界 のニーズがあれば即座に対応できる仕組みになっているという強みがある(大学も含めた就職率一般については第六 節を参照) 。
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか 三.棲み分けと接近 ⑴ 大学とグランゼコールの棲み分け グランゼコールが優勢にみえるフランス高等教育において、大学しか提供できない学位や分野が存在する。博士号、 もしくは研究指導資格 Habilitation de diriger la recherche (大学で Master [修士]以上の学生を指導する資格)を 取 得 す る に は、 大 学 に 登 録 し な け れ ば な ら な い の で、 グ ラ ン ゼ コ ー ル で Master を 取 得 し た 学 生 が 博 士 号 を 取 得 す る には大学に行く必要がある。これは大学の活力の一つの源となっている。また、大学は、中世以来の長い伝統のある 分野(法学・医学・人文学)についてほぼ教育市場を独占している。法学、医学のグランゼコールは存在しないので 弁護士や医者になるには必ず大学に行かねばならない。 文系の高等教育はグランゼコールでも提供しているが、学生は通常大学に登録する。その理由は二つある。まず第 一に、文系のグランゼコールは数が非常に少ない。準備学級を経て入学できるのは二つの高等師範学校(パリ、リヨ ン)や国立古文書学校にとどまる。大教育機関(第三節の三参照)のイナルコ(国立東洋言語・文明学院)を含めて も 三 校 で あ る。 さ ら に、 高 等 師 範 学 校 の 学 生 は 同 時 に 大 学 に 登 録 す る。 高 等 師 範 学 校 の 主 要 な 使 命 は 中 等 教 育( 中 学・高校)なので、他のグランゼコールと異なり独自の学位・免状は与えず、学生は大学に登録して国家学位を取得 することが義務づけられているためである。これは理系の学生も同様である。 ⑵ 大学とグランゼコールの接近 以前は、伝統的な大学の任務は極度に専門性の強い理論的・抽象的知識の伝達であり、即戦力がある高度な職業人 養成を任務とする実学的グランゼコールとは対照的であった。しかし、現在では大学でもたとえば一部のコースにイ ンターンシップを必修で導入するなどカリキュラムの職業化が進んでいる。大学がグランゼコールに近づいてきてい
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 ると言えよう。逆の例もある。以前はグランゼコール独自の学位と大学の国家学位とが独立して存在していたが、L M D 改 革 以 降 グ ラ ン ゼ コ ー ル は、 グ ラ ン ゼ コ ー ル 独 自 の 学 位 と 同 時 に Master ( 修 士 ) と い う 国 家 学 位 を 授 与 す る 権 利を得ている。これはグランゼコールの国際的認知度を高めるためであるが、結果的にグランゼコールが大学に接近 することとなった。また、大学とグランゼコールの垣根も低くなりつつある。準備学級を経てではなく、大学の学士 課程(旧課程では二〜三年)を終えてからグランゼコールに入学する学生が増加しているのである。 規模の小さい教育機関が大部分を占めるフランスは、賞や論文引用数など絶対数で評価される国際研究ランキング ( 上 海 大 学 ラ ン キ ン グ な ど ) の 地 位 が あ ま り 高 く な い。 そ こ で、 大 学 や グ ラ ン ゼ コ ー ル が 連 携 し 大 学 共 同 拠 点 Pôle universitaire と 呼 ば れ る 機 関 を 形 成 す る 動 き が 盛 ん に な っ て い る。 そ の 多 く は 地 方 を 地 盤 に し た 連 携 で、 ボ ル ド ー 第 一大学から第四大学からなるボルドー大学連合、ロワール地方の大学、大学内独立学校、グランゼコールからなるア トランテック Atlantech などがある。
第六節
就職率
一.フランスを揺るがせたアンチCPE(初期雇用契約法)デモ 若年失業率の高さ──二五歳以下の失業率は二二、 三%(日本は八、 七 % )20 ( )──が現代フランスにおける大きな社会 問題となっている。学位が就職に結びつかない、あるいは学位に見合った職につけないという二〇年前には考えられ な か っ た 深 刻 な 事 態 で あ る。 フ ラ ン ス の 雇 用 形 態 に は、 終 身 雇 用( C D I ) の 他 に、 期 限 付 き 雇 用( C D D )、 研 修 stage 、 臨 時 職 員 intérim な ど が あ る が、 高 等 教 育 機 関 を 終 了 直 後 に 終 身 雇 用 の 職 に つ け る の は 二 〇 〇 一 年 に 卒 業 しフランス高等教育機関の概観 望月ゆか た世代では三〇%にすぎない。同世代で終了後三年で同職に就けたのは七〇%であ る )21 ( 。背景にあるのは、高等教育の 大衆化、学位のインフレーションとグローバリゼーションによる企業の人件費削減などである。 フランス人の間で根強かった学位信仰も揺らぎはじめた感があるが、しかし、やはり学位は最低限の保証にはなっ ている。たとえば、フランスで中級管理職に就くには、通常、学士の学位が必要であるし、また管理職を望むところ までいかなくとも、終身の職を得るには学位がある方が断然よい。学校をドロップアウトした学位のない若者やバカ ロレアより下位の学位── CAP( 職業適性証書)や BEP( 職業教育修了証書 ) )22 ( ──しかもたない若者については、 同調査では、学校卒業三年後に何らかの職についているのは六〇%にすぎない。この中には期限付き雇用、臨時職員 などの不安定な雇用も含まれてい る )23 ( 。この数字は、女性、移民出身者に限るとさらに高くなることから、学位は差別 を回避するための不可避的要素であるといえよう。 昨年の秋以来フランス社会を揺るがせてきた若者の暴動やデモの直接の動機は、こうした若年雇用の不安定さであ る。二〇〇五年一〇〜一一月の暴動の主役は、無学位あるいはバカロレアをもたないような低学位取得者、あるいは そのような兄姉が失業に悩むのを目の当たりにしてきた少年たちが中心で、移民出身層が多かった。暴動が沈静化し た後、ド・ヴィルパン内閣は「機会均等法」の一部として、CPE(初期雇用契約法)を提案し、上院、次いで下院 で可決された。この政策は、二六歳以下の若者を対象に、最大二年間の試用期間を設け、満足する結果が出れば終身 雇用にいたるが、さもなくば雇い主は相手を解雇する、その際解雇の正当性を証明する必要はない、という内容であ る。フランスでは終身雇用や期限付き雇用における解雇では賠償金や訴訟費用が非常に高くつく。CPEの目的は、 解雇をしやすくすることによって雇い主が心理的負担なしに雇用を創出できるよう促すことにあった。 二〇〇六年二月に下院、次いで上院がCPE(初期雇用契約法)を可決した頃から、法案に反対する大学生・高校
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 生の大規模なデモがフランス各地で発生する。彼等の多くは高学位を取得するだけの長期間の学生生活が可能である ような、中産階級出身者であった。三月上旬、ちょうど調査のために筆者がパリに滞在していたときには、一九六八 年の学生運動を彷彿させるようなソルボンヌのブロックアウトが起こり、ソルボンヌ広場は警察の高いバリケードで 囲まれた。スト自体は地方の大学から始まったのだが、五月革命の歴史的舞台でのストライキのインパクトは強烈で、 その後、授業ストライキはフランス全土の大学に広がった。大学生だけでなく高校生や労働組合が近年まれに見る大 型デモ行進を繰り返し、結局、四月一〇日に法案は廃案となった。ちなみに、デモの参加者の中にグランゼコールの 学生や出身者が含まれていなかったわけではないようだが、明らかに圧倒的少数派だった。 CPE(初期雇用契約法)の失敗は、二種類の全く環境の異なる若者たちに対し一律に単一の雇用形態を提案した 点にある。職に就くこと自体が困難な恵まれない若者たちには朗報となりえたが、すでに研修や期限付き雇用の連続 に辟易していた、中産階級の若者たちやその親(保守層も含め)にとっては、卒業直後に終身雇用の職を得るという 希望の実現を現在以上に困難にする悪法にすぎなかった。 二.研修(インターンシップ)制度 反CPE(初期雇用契約法)デモでその濫用がしばしばマスコミ誌上を賑わして以来、研修制度はすっかり旗色が 悪くなった。本来正社員に任せるべき仕事を安上がりな研修生に与える企業も少なくないのは事実だが、他方では、 正社員になるには研修(インターンシップ)の経験が重要である。グランゼコールや一部の大学が、研修(インター ンシップ)を正規のカリキュラムに必修として含むことを売り物にするのは、そのためである。このような職業人養 成コースの就職率は概して良好である。もっとも、学士レベルでの研修(インターンシップ)は少なく、修士レベル
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか が大多数を占める。例外は、定員が少なく選抜のある「職業学士」である。これは短大、グランゼコール予備学級な ど を 出 た、 つ ま り 学 士 の 一、 二 年 目 を 終 了 し た 学 生 に 開 か れ た 一 年 間 の コ ー ス で、 研 修( イ ン タ ー ン シ ッ プ ) が 必 修 である。 こ う し た フ ラ ン ス の 研 修( イ ン タ ー ン シ ッ プ ) 制 度 を 支 え て い る の は「 見 習 い 税 taxe d'apprentissage 」 で あ る。 企 業 は 総 賃 金 の 〇、 五 % を「 見 習 い 税 」 と し て 納 め る 義 務 が あ り、 こ の 税 を 国 に 直 接 納 め る か わ り に、 大 学 や グ ラ ン ゼコールの学生に研修(インターンシップ)を提供できる。 三.分野別の就職率 フランスで就職率の高いコースは理系(エンジニア系) 、法学・ビジネス系である。 ⑴ 理系の場合 理 系 の エ ン ジ ニ ア 系 は、 二 年 コ ー ス の I U T( 技 術 短 期 大 学 部 ) と B T S( 上 級 技 術 者 養 成 部 )、 五 年 コ ー ス( 修 士レベル)の技術学校(大学内学校、技術大学、グランゼコール)とに分かれる。五年コースでは、研修(インター ンシップ)が必修である。二年コース、五年コースとも就職は良いが、前者は学士のレベルには達しないので、経験 を 特 別 に 買 わ れ な い 限 り 、 中 間 管 理 職 へ の 道 は 閉 ざ さ れ て い る 。 修 士 レ ベ ル の 「 技 師 in gé nie ur」 は フ ラ ン ス で は エ リ ートのステータスをもち、技術畑で働いた後、企業のマネージメントを任される重要ポストに就く場合が多い。ただ し、 「 技 師 」 の レ ッ テ ル が 独 り 歩 き し て い る 場 合 も 多 く、 マ ネ ー ジ メ ン ト に 不 向 き な 人 材 が 登 用 さ れ て い る こ と も 少 なくない。 「技師」の資格に加え、最終的に就職や昇進を左右するのは出身校のステータスであることが多いためだ。 エンジニア系のコースは確かに就職には有利だが、しかしかなり専門性が強いので、即戦力となる反面、科学技術
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 の急速な発達のために市場がなくなると、取得した学位が役に立たなくなる場合もある。また、企業の需要に教育機 関のカリキュラムが適応するための時間差という難しい問題もある。 また、とくに大学出身者については、自然科学系の博士号取得者の就職先として研究者のポストが少なく、頭脳の 国外流出という深刻な問題が存在する。一昨年来、研究者たちはポストや予算の増加を求め、激しい政府批判を行っ ている。 ⑵ 法学・ビジネス系の場合 法学・ビジネス系の修士レベルの就職は良いが、大学の学士レベルでは、企業の見習い税によるインターンシップ も少なくよい就職口を得ることはむずかしい。 〈事例〉パリ第二大学 学 士 課 程 で は 職 業 教 育 的 授 業( イ ン タ ー ン シ ッ プ ) や 職 業 学 士 コ ー ス が あ ま り 多 い。 こ れ は 希 望 者 す べ て に 半 期 の イ ン タ ー ン シ ッ プ が 提 供 さ れ て い る 修 士 レ ベ ル と 比 べ て 対 照 的 で あ る。 産 業 界 の 需 要 が な い た め で、 需 要 が な い と こ ろ に 職 業 コ ー ス を つ く っ て も 仕 方 が な い と い う 発 想 で あ る。 法 学 の 教 育 が も の に な る に は、 最 低 五 年 の 教 育、 つ ま り 修 士 レ ベ ル の 教 育 を 受 け る こ と が 必 要 で あ り、 パ リ 第 二 大 学 法 学 部 の 学 士 課 程 を 卒 業 し た 後 マ ク ド ナ ル ド で ア ル バ イ ト す る 学 生 も み ら れ る。 パ リ 第 二 の 修 士 課 程 の 就 職 率 は 良 好 で、 コ ー ス 終 了 以 前 に 既 に 弁 護 士 事務所からリクルートされる例もある。
フランス高等教育機関の概観 望月ゆか ⑶ 人文社会系の場合 パリ第四大学によれば、人文社会系の進路としては公務員(教師、下級公務員を含む)が圧倒的に多い。その他出 版関係に就職する者も少なくない。就職が有利なのは、心理学、言語学、英語、スペイン語、地理、一部の歴史専攻 である。しかし、理系、法学・ビジネス系に比べると就職率はかなり劣る。人文社会系学生は就学人口の三分の一を 占めるので、失業の問題は深刻である。学士課程のみならず博士課程でも失業率は高く、博士号取得者の半数は職に 就けないとのことである。博士課程の学生の四〇%は教師など既に社会人であり、また博士号取得後企業に就職する のは一〇%にすぎない。 インターンシップのための企業の見習い税が提供されるのは実学系分野(情報科学、コミュニケーション、ビジネ ス言語[LEA(応用外国語) ]など) 、英語、あるいは生涯教育コース(社会人キャリアアップコース)に限られる 場合がほとんどである。LEAでは3年間のうち半期の留学あるいはインターンシップが必修である。 四.グランゼコールと大学修士課程出身者との比較 グ ラ ン ゼ コ ー ル と 大 学 の 修 士 Master 課 程 両 者 の 教 育 レ ベ ル は 同 等 で あ る。 大 学 は 学 士 課 程 入 学 時 に は 選 抜 は な い が、修士課程まで残る学生は自然淘汰の選抜を経ている相当なエリートとみなせるからである。就職については、分 野によって、グランゼコールの方が有利かどうか意見は分かれる。また、グランゼコール出身者か否かによっても意 見が分かれる。 〈事例一〉 CGE(グランゼコール協議会)
武蔵大学人文学会雑誌 第 38 巻第 1 号 グ ラ ン ゼ コ ー ル 出 身 者 の 就 職 率 が 高 い 理 由 は、 企 業 が 既 に 選 抜 を 受 け て い る 人 材 を 好 む か ら で あ る。 非 常 に ハ ー ド ル の 高 い グ ラ ン ゼ コ ー ル 入 試 を 通 過 し た 学 生 は、 次 の よ う な 資 質 が 備 わ っ て い る と 考 え ら れ る。 勤 勉 さ、 記 憶力、抽象能力、ストレスへの抵抗力、自己啓発として競争を受け入れる資質、高い責任感などであ る )24 ( 。 〈事例二〉パリ第二大学 パ リ 第 二 大 学 の 経 済 学 修 士 課 程 出 身 の 学 生 は グ ラ ン ゼ コ ー ル 出 身 の 学 生 と 比 べ て 就 職 率 は 遜 色 な い。 学 生 採 用 の 際 に 企 業 が 重 視 す る の は 教 育 の 質、 学 生 が す で に 選 抜 を 受 け て い る こ と、 の 二 点 で あ る た め だ。 グ ラ ン ゼ コ ー ル は 入 学 時 に、 パ リ 第 二 大 学 で は、 ( 二 〇 〇 五 年 度 の 時 点 で は ) 修 士 Master 一 年 か ら 修 士 Master 二 年 に 上 が る 際に選抜を行っているわけだが、選抜時期の違いに大きな意味はない。 〈事例三〉 CNÉ (国立評価委員会) ──質疑応答── 問 グランゼコール出身者と同等の大学修士課程出身者とでは就職に差があるか。 答 エ ン ジ ニ ア 系 で は、 グ ラ ン ゼ コ ー ル 出 身 の「 技 師 」 と 大 学 内 エ ン ジ ニ ア 学 校 出 身 の「 技 師 」 の 割 合 は 半々である。にもかかわらず、エリート校のグランゼコールの方が就職は有利だ。 問 それはなぜか。 答 企業のトップはほとんどがグランゼコール出身者で占められているからだ。同族意識が強くこれを変え