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ジャナ No. 既 ふ 気 暑 寒 照 零 球 呑 気 空 気 凄 温 差 宇 宙 温 暑 寒 球 条 件 命 眺 評 価 造 満 爾 = 衆 迷 宇 宙 負 迷 ね 話 既 満 足 周 嫌 敵 切 皆 苦 釈 迦 観 凡 夫 悪 罪 悪 深 重 煩 悩 就 煩 悩 具 足 煩 悩 就 煩 悩 感

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真宗大谷派名古屋教区教化センター

〒460-0016 名古屋市中区橘二丁目 8 番 55 号 TEL(052)323-3686 FAX(052)332-0900 ■発行人/荒山 淳 ■発行所/真宗大谷派名古屋教区教化センター

2011.12.25

No.

79

センタージャーナル

真 実 の 学 び か ら 、 今 を 生 き る﹁ 人 間 ﹂と し て の 責 任 を 明 ら か に し 、 と も に そ の 使 命 を 生 き る 者 と な る 。

も く じ

宗祖親鸞聖人五百回御遠忌「御当日(御満座)之事」庭儀発楽前 御門跡様着座後の舞人・楽人泰向幄前奏一曲の図/西尾市岩瀬文庫所蔵 写真の無断転用はご遠慮下さい。

  土

  の

  荘

  厳

・講義抄録「真宗儀式の教相」 ❷・❸ ・尾張のお講 ❹・❺  −中島郡会レポート− ・近現代史  「原爆被曝と原発被曝」 ❻・❼        (第 23 回平和展) ・INFORMATION ❽ ◆挟み込み〈※寺報などにご利用ください〉 今 号 表 紙 の 写 真 は 、宗 祖 五 百 回 御 遠 忌 の 庭 儀 の 様 子 を 描 い た 絵 で あ る と 推 測 さ れ る 。原 本 は 、西 尾 市 岩 瀬 文 庫 に 所 蔵 さ れ て い る『 東 本 願 寺 法 要 之 図 』か ら の 抜 粋 だ が 、こ の 書 物 の 信 憑 性 に つ い て は 、小 生 の 学 識 で は 定 か で な い 。し か し 、今 か ら 二 百 五 十 年 前( 江 戸 時 代 中 期 )の 我 ら の 先 達 が 、そ の 時 代 の 最 高 の も の で 浄 土 を 荘 厳 し 、宗 祖 の 恩 徳 に 報 謝 し よ う と す る 姿 勢 に 学 ぶ に 、十 分 な 資料と言えよう。 思 い 起 こ せ ば 一 年 前 、小 生 も 楽 僧 の は し く れ と し て 、こ の た び の 七 百 五 十 回 御 遠 忌 で 供 そなえ 舞 ま い を 勤 め る こ と を 夢 見 て 精 進 努 力 し て い た 。し か し 、三 月 十 一 日 の 東 北 大 震 災 と 原 発 災 害 に よ っ て 、私 が 思 い 描 い て い た 想 定 は す べ て 泡 と 消 え た 。正 直 、未 だ に 未 練 が よ ぎ る 凡 小 愚 鈍 の 身 を 恥 じ る ば か り だ が 、し か し 、被 災 の 方 々 と 共 に お 勤 め し た「 被 災 者 支 援 の 集 い 」は 、今 を 生 き る 私 た ち の 悲 し み を 精 一 杯 表 現 し た 、歴 史 に 残 る 最 高 の荘厳と言えるだろう。 原 子 の 核 分 裂 が 発 す る 放 射 線 は 、細 胞 組 織 の 破 壊 に と ど ま る こ と な く 、我 ら が 長 い 歴 史 の 中 で 築 い て き た 地 域 、 家 族 、夫 婦 、親 子 の「 絆 」を も 破 壊 し て い る 。年 末 に 名 古 屋 を 訪 れ た 福 島 の 子 ど も た ち ( 前 号 N o . 78に 紹 介 ) の 現 在 は 、今 ま で 政 府 ・ 財 界 ・ マ ス コ ミ の 情 報 統 制 の 仕 組 み に 飲 み 込 ま れ て き た 、私 の 生 活 の 結 果 な の だ ろ う 。こ の 子 ど も た ち の 未 来 に 、こ れ か ら 我 々 は ど ん な 荘 厳 を すればいいのだろうか。 頭の下がったところに仏さまがいる (本誌二面・三面 「真宗儀式の教相」 ) 竹橋 太氏 一 見 、華 々 し く 描 か れ て い る 二 五 十 年 前 の 御 遠 忌 の 絵 の 背 後 に 、飢 饉 に 苦 し む 民 が い る こ と を 忘 れ て は い ま い か 。そ し て 、時 の 権 力 者 ・ 豪 商 に よ る 統 制 の 中 で 、犠 牲 に な っ て い る 民 が い る ことを忘れてはなるまい。 な か な か 頭 の 下 が ら な い 私 に 、儀 式 と い う“ か た ど り ”を も っ て 、仏 さ ま に 遇 わ せ し め よ う と し た 無 数 の 念 仏 者 に よ っ て 伝 え ら れ て き た 歴 史 。そ こ に 連 な る 、こ の 身 に 余 る 至 福 の 時 を 過 ご せ る 歓 喜 を 忘 れ 、今 、私 は 、い っ た い 何 を しているのだろう。 (教化センター主幹   荒山 淳)

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② センタージャーナル No.79

我々はふだん何気なく 「暑いとか寒い」 と か 言 っ て い る わ け で す が、 「 月 」 で は 日の照っているときは、 何百度にもなり、 日がしずむと、零下百何度となるのだそ うです。 地球から月を 「きれいだなあ」 と、 呑気に見ていますが、空気もなく凄まじ い温度差があって、とても人が住めるよ うな場所ではありません。広い宇宙の中 で、ほんの十度や二十度の温度変化の中 で、私たちは「暑い、寒い」と言ってい ますが、たまたま地球にこういう条件が そろったから、生命が生まれ、我々がこ うして存在しているのです。これは本当 に不思議なことです。ところが、我々は どうしても「自分の思いを中心にして自 分 自 身 や 世 界 を 眺 め、 そ れ を 評 価 す る 」 という構造を持っていて、不平不満を言 いながら生きています。 仏 教 で は、 「 無 始 爾 来 = 無 始 よ り こ の か た 」、 衆 生 は 迷 っ て 生 き て い る、 宇 宙 が は じ ま る 以 前 か ら の 歴 史 を 背 負 っ て 我々一人一人が、迷いの存在としていま ここにこうして有ると言います。不思議 なことですね。しかし本当の話です。で すから、いまここにこうして「有る」と いうことが、既にとてもすごいことなん だと思います。 けれども我々は、その自分のあり方に 満足せず、周りの世界を変えていくこと ばかりに関心が向かってしまいます。そ して、自分自身を見ないようにして、嫌 なところを世の中のせいにして、 「敵か」 「 味 方 か 」 と い う 関 係 を 生 み 出 し て い る のです。一切皆苦というお釈迦さまのこ とばは、仏教が人間をそういう存在とし て観ているということだと思います。

いる

このことを親鸞聖人は、 「凡夫」 とか 「悪 人」 、あるいは 「罪悪深重」 とか 「煩悩成就」 「 煩 悩 具 足 」 な ど と 言 わ れ て い ま す。 た とえば「煩悩成就」と言った場合は、煩 悩が私になっているという感じです。こ れはまた仏教の人間観、つまり縁起にも とづく人間観です。無始爾来、既に迷い があり、それが今こうして私となってい る。これは、常に私たちの帰るべき原点 であろうと思います。 親鸞聖人は、 八十歳を過ぎてまで、 『愚 禿 悲 歎 述 懐( 和 讃 )』 な ど を 書 か れ て い ま す。 「 虚 仮 不 実 の わ が 身 」、 「 こ こ ろ は 蛇蝎の如くなり」などと言われておりま す。 「 親 鸞 聖 人 は 自 身 に と て も 厳 し く て 厳密な人だ」と言われることもあるので すが、私はそうは思いません。浄土真宗 の「救い」というものが、こういう言葉 となっているのだと思います。 「 悪 人 だ 」 と 言 え る の は、 阿 弥 陀 さ ま に摂取されているからなのです。私たち は本物に出会うと本物のほうに体を寄せ て、自分が解った者であるかのように錯 覚してしまうという人間であるゆえの構 造上の欠点を持っています。人間は自分 が 正 し い と 思 わ な け れ ば 生 き て い け な い。 「あいつはわかってない」と、 「わか ってしまった人」は、そういう分け方を して生きてゆくようになっています。 親鸞聖人は、 そういうあり方が「迷い」 なのだと解ること、それが「救い」だと 教 え て く だ さ っ て い ま す。 「 阿 弥 陀 さ ま はどういうものか」 ということよりも 「自 分は偽者だった」と、頭が下がったとこ ろに仏さまがいるのです。それが「南無 阿弥陀仏」の意味です。阿弥陀さまに出 会う時は、かならず「南無」しかないの です。 前にも話しましたが、お念仏で救われ るのではなく、お念仏が救いそのものを あらわしている。南無と言って手を合わ せ、頭が下がっている。そこには必ず仏 さまがいらっしゃる。 『悲歎述懐』とは、 まさにそういうことを示しているわけで す。 苦 楽 の 問 題 で は な く、 「 あ あ 本 当 に 間違ってたな。ごめん」と言えたらすご く安心するじゃないですか。少し軽いた とえですが、そういう感じです。けれど も決して自分が変わって正しい者になる のではありません。そういうことはよく よく考えておいていただきたいと思いま す。

お荘厳

お荘厳などについては、いろいろな質 問 を い た だ き ま す。 例 え ば、 「 輪 灯 と は 何 で す か 」 と か、 「 仏 具 は 何 で 金 色 な の ですか」などです。はっきり言えば答え はないのです。蝋燭は仏さまの智慧を表 し、仏花は慈悲を表すと言われたりしま す。お説教としては結構なのですが、も とをたどれば、この三具足という形式は 室町時代に中国から入ってきた床間飾り の一種です。蓮如上人が仏さまの荘厳に 当時の最新の文化を取り入れたのです。 どうしても私たちは、お荘厳には一つ 一つの意味があって、それが総合して何 らかの意味を持っていると分析的に考え てしまいます。どうしても、こちらから の何らかの意味づけがないと落ち着かな

第 8 回

講 義 抄 録

2011年9月16日

〈研究生「教化研修」

「真宗儀式の教相」

た け

は し

 

 

ふ と し

(本廟部出仕)

(3)

③ センタージャーナル No.79 いのです。 意味づけで大事なことは、最高の物で 飾るということです。一つ一つの事柄に は意味がない場合が多いのです。最高の もので荘厳する、それによって別のすば らしい世界(超越)がこちらに来ている ことを示そうとしている、そういう方向 性が大事なのだと思います。 た と え ば、 「 派 手 な 仏 事 は や め て、 何 か浄土真宗のエッセンスというものを表 現する必要があるんじゃないか」などと い う こ と を 我 々 は 考 え る こ と が あ り ま す。私の中に潜む 「悪」 を捨てていけば、 中心には 「綺麗な私」 が残るに違いない。 これは私たちの分別です。すべてを剥が し て い っ た ら 何 も 残 ら な い。 「 人 間 は 玉 ねぎだ」というのが仏教の考え方です。 「 黒 衣 を 着 て 外 陣 に 座 っ て い て お 勤 め をしたら真宗らしいじゃないか」という 思 い、 こ れ も 我 々 の 分 別 の ひ と つ で す。 どちらがより適当だろうかという議論は されていいと思いますが、決してきらび やかに飾られているからといって誤って い る と い う こ と で は あ り ま せ ん。 そ の 時々の最高のもの、自分の手に届く限り のことをする。そういう形で出来上がっ ているのが仏教の、浄土真宗のお荘厳な のです。 親鸞聖人は「ただ南無阿弥陀仏と称え るということを選び取ったから、儀式や 荘厳なんかいらないんだ」というふうに 考えてもいい。ただし、そういう考え方 は、 必 然 的 に「 お 寺 な ど な く て も い い 」 という結論にまでいきつきます。 しかし、 あ っ て い い と も 言 え ま す。 「 南 無 阿 弥 陀 仏がお寺になった。南無阿弥陀仏が儀式 となった。南無阿弥陀仏が本山のあの大 きな建物となった」といただくこともで きます。そういう方向性を自分の中で確 保できるかどうかです。正解はありませ ん。どういただけるか、 という問題です。

方便とは

本山から受けられた阿弥陀さまの絵像 の 裏 書 に は、 「 方 便 法 身 尊 形 」 と 書 か れ ています。我々はそのご本尊に向かって 礼 拝 や 荘 厳 を し て い る の で す。 「 方 便 」 ということは、まずは、分別の心とは関 係ないということを意味しています。私 たちは自分の分別でお荘厳をしているつ もりでいますが、その分別をも超えるよ うな意味が与えられるのです。方便とい うはたらきには計らいがありません。仏 さまの方からこちらに来るのです。我々 は「 最 高 の も の を 仏 さ ま に お 供 え す る 」 という言い方をしましたが、実は、仏さ まがそういう形でいま、私の目の前に現 れていると考えなくては荘厳になりませ ん。 「 南 無 阿 弥 陀 仏 」 が 本 尊 で あ る と い う こ と は、 「 法 性 法 身 」、 「 自 じ 然 ねん 」 あ る い は 「 真 如 」 と 言 っ て も い い で す が、 そ れ が 形になったものということです。だから 私たちが何に手を合わせているかという と、 「 真 実 」 に な の で す。 あ る い は「 縁 起の道理」と言ってもいいですし、 「空」 と言ってもいいのです。 そして、仏さま(真実)に手を合わせ るということは、真実との出会いを表現 しています。儀式はそれを、形として表 現しているわけです。真実が仏さまの形 と な っ て、 そ こ に 私 た ち は 頭 を 下 げ る。 決して儀式をすることによって救われる わけでもなく、立派なお坊さんになって いくわけでもないのです。浄土真宗の儀 式は、そういう出会いを表現しているわ けです。それが方便ということです。 真実そのものは、私たちが間違ってい ようが、いまいが、構わないんです。し かし、私たちの中に「不安」というサイ ンをあらわします。 人間は必ず死にます。 思 い 通 り に な ら な い の が 人 生 で す。 「 不 安である」ということは、人間であると いうことの証拠でもありますし、仏の慈 悲の具体的なすがたそのものでもありま す。

教化者意識

真実は伝えるものではなく、伝わって いくものなのです。私が発した言葉を通 して伝わったとしても、それは私が伝え たのではなくて、真実そのものの力によ って、聞いた人の聞法してきた歴史と交 わるというようなことが起こり、突然花 が 開 い た り す る わ け で す。 真 実 は い つ、 どこにあらわれてくるのかわからないの です。逆に言えば阿弥陀さまはどこにで もおられ、どんな形にでもなるというこ とです。決して私が伝えたわけではない のです。間違ったことを言っても伝わる 時があります。こちらがどう思っていて も聞いている人の方がすばらしいという ことがあるのです。教化者意識とはつま り真実と世界を私有化するということで す。 大事なのは教化者意識を無くす努力で は な く、 「 教 化 者 意 識 は な く な ら な い 」 という自覚です。ただひたすら自分の教 化者意識を知らされるだけです。そして それが聞法の歩みです。ですから「私の 念仏はだんだん本物になってきた」など ということはありえません。 真宗の僧侶は、こういう衣を着て、お 寺という場、真実が表現される場をあず かっているのです。そういう役割を荷っ てきたのです。儀式の場所も含めて全て の も の が 真 実 の 回 向 表 現 と な る の で す。 真実の方から来るのであって、私が積み 上げていくものではありません。真実が たとえば儀式というかたちであらわれて きている。こういう受け取りが大事だと 思います。 (文責編集部)

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センタージャーナル No.79 ④      はじめに センタージャーナル七五号で、中島郡 会の本山御華束講について述べた際、御 華束作りだけでなく、その背景について も調査・研究すべきことを指摘しておい た。 今回はそれを受けて中島郡会の寄合 ・ 法要を取り上げ、御華束講の活動基盤に 触れてみたいと思う。      一、郡会と小会 ひとくちに「中島郡会」と呼ぶが、こ の講組織は決して単独で存在しているわ けではない。それに所属するいくつもの 組 に 分 か れ て お り、 「 郡 会 」 と 称 さ れ る 全体で取り組む行事と、各地域の組ごと での「小会」の活動とがある。現在活動 する小会は四組であるが、郡会現会長の 竹山錦氏、同副会長の吉田勇夫氏への取 材と、小会の一つ稲葉組の冊子『私たち の 真 宗 と 稲 葉 組 の 姿 』( 以 下『 稲 葉 組 の 姿 』 昭 和 四 八 年 発 行 )、 さ ら に そ れ を 再 編した『私達の真宗大谷派と稲葉組の現 在』 (以下 『稲葉組の現在』 平成三年発行) によれば、郡会結成時には十組あったと い う。 ち な み に そ の 十 組 と は、 一 宮 組、 稲葉組、 萩原組、 福島組、 山崎組、 高木組、 西島組、 三宅組、 丸渊組、 下起組である。 このうち最後の三つが行政区整理等の関 係 で「 海 部 郡 会 」( そ の 実 情 に つ い て は 不明)へ転属となって脱け、その後平成 に入って西島組が活動休止となり、さら に近年福島組、萩原組が相次いで休止状 態になってしまったという。また、会員 はすべて旧中島郡地域の有志門徒で、現 在 七 六 名( 男 性 七 三 名、 女 性 三 名 )。 数 の上では高木組が最も有力である。 さて、中島郡会の結成についてである が、直接の記録がなく詳細については分 からない。ただ、郡会が所有し伝えてき た御消息(御書)があり、 それを見ると、 明 治 三 三( 一 九 〇 〇 ) 年 に 現 如 上 人 よ り、 「 名 古 屋 別 院 所 属   尾 張 国 中 島 郡   二十八日講中」に宛てられたものである こ と が 分 か る( 添 状 は な い )。 中 島 郡 会 は名古屋別院の護持団体でもあることか ら、おそらくこの「二十八日講」が中島 郡会そもそもの公的名称であり、その結 成もこの御消息下付の時か、あるいはそ れほど遡らない明治中頃ではないかと推 測 さ れ る * 1 。 か つ て は 郡 会 で の 法 要 の 際には、この御消息と同時に下付された と考えられる教如上人御影(※写真)が 掛けられ、この御消息も拝読されたよう であるが、現在はそれはなくなり、各小 会の法要時に会所に運ばれ、そこで掛け られ拝読されているという。 *1   それを裏付けるものとして、 稲葉組の「世 話 方 の 会 」 が 平 成 二 一 年 に 作 成 し た『 稲 葉 組 大 年 番 当 番 表 』 が あ る。 そ れ に よ る と、 本 山( 真 宗 本 廟 ) の 両 堂 再 建 中 で あ る 明 治 二 三 年 に 稲 葉 組( こ の 時 の 名 称 に つ い て は 不 明 ) が 存 在 し、 明 治 三 三 年 に は 稲 葉 組 の 法要として第一回の 「郡会勤め」 が催された。 この時「中島郡会」の呼称があったという。      ま た こ の 場 を 借 り て、 本 山 報 恩 講 の 御 華 束 作 り の 由 来 に つ い て 付 言 し て お き た い。 先 の 七 五 号 で は 二 通 り の 伝 承 を 挙 げ て お い た が、 実 は、 今 回 再 び 調 査 を 進 め て い く 中 で 興 味 深 い 記 録 に 出 会 っ た。 そ れ は 名 古 屋 別 院 発 行 の『 名 古 屋 御 坊 』 昭 和 四 一 年 一 二 月 号 の 記 事 と、 先 述 の『 稲 葉 組 の 姿 』『 稲 葉 組 の 現 在 』 に あ る 記 述 で あ る。 あ く ま で 後 に 書 か れ た も の だ が、 そ れ ら に よ れ ば、 先 ず 第 二 次 大 戦 中 の 物 資 不 足 に 際 し て、 本 山 と 名 古 屋 別 院 の 修 正 会 の 鏡 餅 を 奉 納 す る こ と が 始 ま り、 さ ら に 戦 後 の 昭 和 二 四 年、 本 山 で の 蓮 如 上 人 四 五 〇 回 御 遠 忌 法 要 に あ た っ て 須 弥 盛 華 束 が 奉 納 さ れ、 翌 年 か ら は 本 山 の 春 の 法 要 と 報 恩 講 の 御 華 束 も 奉 納 す る よ う に な っ た と い う の で あ る( 現 在 は 春 の 法 要 は 金 納 )。 よ っ て、 明 治 二 四 年 の 濃 尾 地 震 の 際 に 本 山 か ら 多 額 の 見 舞 金 が あ り、 そ の 御 礼 と し て 始 ま っ た と い う の は、 本 山 及 び 名 古 屋 別 院 へ の 奉 仕 を 目 的 と し た、 中 島 郡 会 の 結 成 そ の も の を 物 語 る 伝 承 と 見 る の が妥当であろう。 ※中島郡会所有の教如上人御影とその裏書 (下付者は 「大谷本願寺釈現如」 、願主は 「尾 張国   廿八日講中」である)      二、 一宮組について 中島郡会では全体の郡会として名古屋 別院を会所に、三月に総会と永代経、八 月に盂蘭盆会、九月に報恩講が勤められ る が( 日 に ち は 不 定 ) * 2 、 そ れ と は 別 に小会においても、地域ごとに年一回寄 合・法要が行われる。ちなみに現在活動 する四組の法要の名称と時期は次の通り で、 各組とも独自の御消息を伝えている。 高木組―宝珠講、六月の不定日。 稲葉組―郡会お勤め、九月の不定日。

 

尾張

−中島郡会

尾張の真宗史

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センタージャーナル No.79 ⑤ 一宮組―五日講、一〇月五日。 山崎組―信珠講、 四月の不定日 (休止) 。 では、小会の法要について一宮組を例 に挙げて見てみよう。先ず法要の会所で あるが、これは現在の名古屋教区第六組 の寺院が有志で受け持ち、数ヶ寺で巡回 する。そして午前・午後と、その本堂余 間に前述の現如上人下付の教如上人御影 が掛けられ、会所寺院住職が調声人とな り、 正 信 偈・ 和 讃( 「 弥 陀 成 仏 の こ の か たは」次第六首)がお勤めされる。今年 の 会 所 は 一 宮 市 篭 屋 の 願 通 寺 で あ っ た。 お勤めの後には住職による御消息の拝読 があり、午前は一宮組所有の御消息、午 後は郡会所有の御消息が読まれる。その 後、招待された説教師の法話があり、正 午にはお斎も用意される。また、あくま でも一宮組の門徒が主催者であるから参 詣は一宮組が主であるが、他の郡会会員 も参加し、地元の人たちにも声が掛けら れて行われる。 次に、一宮組所有の御消息について見 てみよう。年次・添状を欠くが証判は厳 如上人で、宛先は「尾州   中嶌郡   海東 郡   海西郡   本山相続   五日講中」であ る。ただ「五」の字に加筆修正された跡 があり、この御消息自体は、別の講に下 付 さ れ た の を 一 宮 組 が 引 き 継 い だ も の で あ る * 3 。 し か し そ の 一 方 で、 文 政 元 (一八一八)年に乗如上人より、 「尾州中 嶋郡拾一ヶ寺卅五ヶ村」にわたる「本山 相続   五日講中」に対して、御消息が下 付 さ れ た こ と が 分 か っ て お り * 4 、 現 在 の一宮組は、近世に端を発する中島郡五 日講の流れではないかと思われる。もっ とも、一宮組の法要が勤められる一〇月 五日が教如上人の祥月命日であり、さら にその教如上人の御影が中島郡会の什物 として下付されているのを見ると、むし ろ中島郡会自体が中島郡五日講を地盤と して結成され、五日講の法要が一宮組の 行事として受け継がれるようになったと 見るべきかもしれない *5 。 *2   も と は 名 古 屋 市 中 区 大 井 町 の 中 島 郡 会 名 古 屋 詰 所 で 勤 め ら れ て い た が、 平 成二一年三月に同所は閉鎖された。 *3   さ ら に こ の 後、 「 愛 知 郡   春 日 井 郡 丹 羽 郡   葉 栗 郡   知 多 郡   名 古 屋 市 」 と別筆で書き加えられている。 *4   『真宗史料集成』 第六巻 (同朋舎) 、「大 谷派歴代消息   乗如集」 。 *5   こ れ に 関 連 し て、 以 前 は 一 〇 月 中 旬( も と も と は 一 一 月 五 日 ) に 郡 会 と し て 五 日 講 を 行 っ た と い う 記 録 が あ る 〔 『東別院護持団体のあゆみ』 (名古 屋 別 院 発 行 )、 前 掲『 稲 葉 組 の 現 在 』〕 。 一 宮 組 の 法 要 の 後 に 全 体 行 事 と し て も 寄 り 合 っ た と 解 さ れ る が、 現 在 は 勤 め ら れ て お ら ず、 そ の 詳 細 に つ い て は よ く分からない。      三、他の御消息から このような小会の法要の形式は、他の 組でも大体同じであるという。ただ、今 回は他の組の法要に参詣することが出来 なかったので、それぞれ所有する御消息 か ら 見 え て く る 所 を 述 べ て み た い。 先 ず 高 木 組 の 場 合 で あ る が、 こ れ も 年 次・ 添 状 を 欠 く が 証 判 は 現 如 上 人 で、 宛 先 は「尾州   中嶋郡   海東郡   海西郡   宝 珠 講 中 」 * 6 と い う 御 消 息 で あ る。 『 稲 葉 組 の 姿 』『 稲 葉 組 の 現 在 』 に よ れ ば、 そ もそも宝珠講とは本山報恩講に際して土 地の野菜を上納した講のことで、御消息 は謝礼として下付されたものであるとい う。あまり知られていないが、毎年中島 郡会からは、本山報恩講へ御華束ととも に大根も奉納されている。 これはまさに、 この宝珠講の伝統を受け継いだものであ る。おそらく中島郡会は宝珠講もその地 盤の一つとしており、後に法要・行事を 高木組が受け継ぎ、他の会員も参加する ようになったのであろう。 稲 葉 組 に つ い て も 同 様 の 構 造 が あ る。 現 在 稲 葉 組 の 小 会 で 拝 読 さ れ る 御 消 息 は、宛先を欠く明治四四年九月二四日付 の彰如上人証判のものであるが、実はこ れは、 本山の相続講制度改正にともない、 その「再興」のために全国へ一律に下付 されたものである。つまり、稲葉組の歩 みそのものと直接関係があるわけではな い。しかし、それとは別の御消息の添状 が伝えられており、それを見ると、そも そも天保六(一八三五)年に達如上人よ り、 「 尾 州   中 嶋 郡   海 東 郡   海 西 郡   本山相続   二日講中」に御消息が下付さ れたが、損じてしまったため新たに願い 出て、明治七年に下付し直されていたこ とがわかる。残念ながら、その後この御 消 息 も 損 失 し て し ま っ た の だ が * 7 、 こ こにある二日講が現在の稲葉組へと繋が り、法要が行われていることは間違いな いと思われるのである。 *6   こ の 御 消 息 に も 別 筆 で「 愛 知 郡   春 日 井 郡   丹 羽 郡   葉 栗 郡   知 多 郡   名 古屋市」と書き加えられている。 *7   今 の と こ ろ、 一 宮 組 所 有 の 御 消 息 が そ れ で は な い か と 考 え て い る。 な お、 山 崎 組 の 御 消 息 に つ い て は 残 念 な が ら 調査できなかった。      むすびにかえて 以上、調査の質・量ともにまだまだ不 十分で、変遷については不明なことばか りであるが、本山護持に携わる広域の講 が近世から中島郡地域にはいくつか存在 し、それが中島郡会結成の地盤となって いることが、 垣間見えてきたように思う。 それらが郡会の小会へと受け継がれ、寄 合・法要を行いながら、絶えず聞法の機 会が持たれてきたことを忘れてはならな い。中島郡会の強固な本山護持組織の背 景には、このような重層的な門徒の講組 織があるのであり、さらにこの小会を支 えるそのまた背後に、各集落における小 規模な講が存在するのである。本来なら ば そ れ ら も 論 じ て い く 必 要 が あ る の だ が、紙幅の都合により次の機会に譲るこ ととする。 (研究員   小島   智)

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センタージャーナル No.79 ⑥ はじめに 2011(平成 23)年3月 11日、日本 は四度目の被曝をした。過去三回は核兵 器による被曝であるが、今回は被災原子 力発電所による被曝である。 本稿は、原爆と被災原子力発電所の被 曝を自然科学の分野から見つめるもので ある。もとより、この分野は平和展スタ ッフの手に負えるものではないと考える が、その緊急性・重大性から、被曝理解 の一助とするための試みとして受け止め ていただきたい。 尚真宗大谷派では繰り返し、諸外国の 核実験には抗議声明を発表してきた。し かし、 今回の原発事故(被曝)について、 「 国 策 」 と し て 原 発 を 推 進 し て き た 日 本 政 府 な ど に 対 す る 抗 議 声 明 は 出 て お ら ず、 また宗議会の声明も否決されており、 核兵器と原発に対する姿勢の違いを鮮明 にしていることを確認しておきたい。 一、長崎の被曝 原 爆 被 害 は 三 種 類 に 分 類 さ れ る。 「 爆 風 」「 熱 線 」、 そ し て「 放 射 線 」 で あ る。 こ の う ち、 「 爆 風 」 は 原 爆 全 体 の エ ネ ル ギ ー の 約 50パ ー セ ン ト、 「 熱 線 」 は 約 35 パーセント、そして「放射線」はわずか 15パーセントでしかない。 この放射線被害について、放射性降下 物(爆発とともに発生し、時間を経て地 上に降下するもの)には、ストロンチウ ム 89・ バ リ ウ ム 1 4 0・ プ ラ セ オ ジ ム 144・ジルコニウム 95・ストロンチウ ム137・セリウム144・プルトニウ ム239、そしてセシウム137が検出 されている。このセシウム137は、半 減 期( 放 射 線 放 出 量 が 半 分 に な る 期 間 ) が 30年の性質を持っている。 1969 (昭和 44)年から1971 (昭 和 46)年までの、長崎市西山地区住民の セシウム137の体内量は、他の地域の 住民に比べ二倍近くに及んでいた。長崎 西山地区は、爆発直後に降雨となった地 区であった。 爆風や熱線による被害。そして急性放 射性中毒は、原爆爆発直後に発生してい る。しかし爆発後何十年も経過して発症 する「原爆病」は、この放射性降下物に よるものも多いと考えられる。 被曝による健康被害には、①白血病   ②癌   ③白内障   ④胎児の障害があげら れる。 二、遺伝的影響 ここで確認しておきたいことは、動物 実験により被曝による遺伝的な異常が明 ら か に な っ て い る が、 現 在 ま で に 広 島・ 長崎の被曝者の子供たちに遺伝的な異常 は認められていないことである。 ただし、この事実は遺伝的影響を完全 に否定するものではなく、継続調査が必 要となる。 三、被曝距離 被曝被害は、爆心地からの距離が大き く 関 係 す る。 距 離 が 離 れ れ ば 離 れ る ほ ど、その被害は減少するのである。広島 の場合、爆心地より500メートル以内 での放射線障害による脱毛率は100% (屋外での被曝) 、それが1キロメートル 以内では 90パーセント以下となり、 1.5キ ロメートル以内では 50%以下となってい る。 爆風・熱線とともに、放射線被害も爆 心地からの距離が大きく関係しているの である。 四、ベクレルとシーベルト 報道など、 被曝情報には 「ベクレル」 「シ ーベルト」の単位が使用されている。 「 ベ ク レ ル 」 と は「 一 秒 間 に 一 個 の 原 子核が出す放射線量」のこと。つまり放 射線の強さのことである。 これに対し 「シ ーベルト」は、放射線の体への影響度を 表す単位である。 よ っ て、 「 シ ー ベ ル ト 」 は、 放 射 能 の 強さにかかわらず、それからの距離によ り 変 化 す る。 地 震 の「 マ グ ニ チ ュ ー ド 」 と「震度」との単位の違いと同様に理解 す れ ば 分 か り や す い。 報 道 で、 「 シ ー ベ ルト」がより大きな問題として取り上げ られるのは、この理由による。 五、体内被曝 被曝には、 「外部被曝」と「体内被曝」 がある。人体の外側から放射線を浴びる ことを外部被曝。そして水や食物などに より、体内に放射性物質を取り込むこと を体内被曝という。チェルノブイリ事故 後のオーストリア政府の調査では、外部 被曝は 15パーセント、内部被曝が 85パー セントと報告されている。人体への危険

原爆被曝と原発被曝

(第

23回平和展)

近 現 代 史

非核非戦の碑パンフレット /長崎教区教化委員会提供

(7)

センタージャーナル No.79 ⑦ 性 は、 「 体 内 被 曝 」 が か な り 大 き な も の であることが理解できる。また、その被 曝は日常生活のなかで継続するというこ と に も 注 目 す べ き で あ る。 「 体 内 被 曝 」 の 代 表 的 な 放 射 性 物 質 と し て、 ヨ ウ 素 131   キセノン133   クリプトン 85   セシウム137   ストロンチウム 90が あげられる。また、文部科学省の調査で は、プルトニウムの飛散も確認されてお り、これにも注目すべきであろう。これ らの発する放射線が、健康被害をもたら すのである。 「 体 内 被 曝 」 は、 ホ ー ル ボ デ ィ カ ウ ン ターによる外部からの計測とバイオアッ セイ法による測定がある。ホールボディ カウンターは、体内にとりこまれた放射 性物質が発する放射線を外部から測定す るものである。よって放射線が微弱であ った場合は測定できない。一方バイオア ッセイ法は、糞・尿を分析し、排出され た放射性物質を分析することで「体内被 曝」を証明する方法である。 しかし、いずれにしても測定するのみ で、治療の効果があるわけではない。一 度体内に取り込まれた放射性物質は新陳 代謝などの作用により、排出されるのを 待つしか手だてがない。ちなみに体外に 排出されることによる半減期は、セシウ ム137で110日といわれている。こ れは「生物学的半減期」であり、治療に よ る も の で は な い。 「 外 部 被 曝 」 に は、 洗 浄 と い う 軽 減 方 法 が あ る が、 「 体 内 被 曝」は、自然(肉体)にまかせるしか軽 減方法はない。 ホコリをさけるためのマスクと食品の 洗浄が、効果的な予防方法であろう。 おわりに 原爆にせよ原発にせよ、被曝に対する 根本的な対処法はない。予防が唯一の対 処方法である。放射性物質・放射線被害 に、原爆と原発の違いはないのである。 被曝を防ぐには、地表の放射性物質を 取り除くことが最も効果的といわれてい る。 し か し、 汚 染 さ れ た 土 の 移 動 先 は、 現在もなお決定されていないのである。 1986(昭和 61)年4月 26日、旧ソ 連 で チ ェ ル ノ ブ イ リ 原 発 事 故 が お こ っ た。その後、 世界中に反原発運動が起り、 当然日本でも盛り上がった。その頃FM 東京では、タイマーズ(忌野清志郎)と ブルーハーツというロックバンドの曲が 放送禁止となった。いずれも反原発を歌 っ た た め で あ る。 F M 東 京 の 大 株 主 は、 東京電力であった。 同じ頃名古屋の放送局では、原発事故 の報道を危惧する職員がいたという。こ れは中部電力が大株主であることへの配 慮であろう。 このふたつのエピソードから、現在の 原発事故報道について色々な想像をして しまう。現在の原発事故報道の客観性は どのように評価できるのだろうか。先の エピソードのような、株主からの圧力や 自主規制が存在するのであろうか。とす れば、必要な情報が届いているとは言い 難くなるのである。 また逆から想像すれば、圧力をかけた り自主規制が出来ないほどの事実が存在 してしまっている、だから報道が許され て い る。 と も 考 え る の で あ る。 つ ま り、 圧力や自主規制が出来ないほどの事実だ けでも、報道の大部分を占めているのが 現実である、といえるのである。 か つ て の「 大 本 営 発 表 」。 政 府・ 軍 部 による情報統制であった。今回は、 政府 ・ 財界そしてマスコミの情報統制を疑って しまう。 平 和 展 で は、 拙 い な り に 情 報( 史 料 ) 収集と情報分析(史料批判)を必須とし てきた。今回の原発事故については、ひ とりひとりがこの方法により事実を理解 されることを強く望むものである。 そして 「対症療法」 だけでなく、 「被曝」 を完全に無くすための方策を考えていく 必要が求められている。 次回平和展まで、 状況の変化を見つめながら、更なる学び を深めていきたい。 (平和展スタッフ   大東 仁) 参考   ・ 広 島 市・ 長 崎 市   原 爆 災 害 誌 編 集 委 員 会 編   『 原 爆 災 害   ヒ ロ シ マ・ ナ ガ サ キ 』  岩 波 書 店   2005(平成 17)年7月 15日   ・ 沢 田 昭 二 ほ か   『 共 同 研 究   広 島・ 長 崎   原 爆 被 害 の 実 相 』  新 日 本 出 版 社   1 9 9 9( 平 成 21)年7月 30日   ・ 安 斉 育 郎   『 こ れ で わ か る   か ら だ の な か の 放 射 能 』  合 同 出 版   2011年7月 15日   ・ 「特 報 」  『 中 日 新 聞 』  2 0 1 1 (平成 23)年7月 29日   ・文部科学省ホームページ 「3月12日に爆発した福島第一原発1号機(写真左)と14日に爆発した同原発3号機」 (福島民報3月15日付紙面/福島中央テレビを撮影したもの)

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■名古屋教区・名古屋別院ホームページ[お東ネット]http://www.ohigashi.net/ ■名古屋教区教化委員会ホームページ[いのちきらきら]http://www.inochikirakira.com/

教化センター日報

2011年9月∼11月

9月2日 6日 9日 14日 16日 30日 10月5日 7日 11日 14日 21日 24日 27日 28日 11月4日 14日 15日 16日 18日

公開講座にご参加ください

(*両講座とも聴講無料)

◆聖教研修「『正信念佛偈』に学ぶ」

※どなたでもどうぞ 荒山 淳(教化センター主幹) 2012 年 2 月 17日㈮ 午後4時30分∼6時

◆教化研修「真宗儀式の教相」

※僧籍者対象 竹橋 太氏(本廟部出仕) 午後4時30分∼6時 名古屋教務所 1 階 議事堂 『正信偈』(東本願寺出版部刊) テキスト 2012 年 4 月 6日㈮ 名古屋教務所1階 議事堂

お知らせ

◎2011年12月29日(木)∼2012年1月7日(土)の期間、教化センターを閉館とさせていただきます。 ◎2012年2月1日(水)∼17日(金)の期間、教化センター所蔵図書、資料の整理を行います。この期間、図書、視聴覚資料などの貸し出しを 停止させていただきます。借受中の方は1月31日(火)までにご返却ください。 ご迷惑をおかけしますが、ご了承の程、お願い申し上げます。 ■教化センター 〈開 館〉 月∼金曜日 10:00∼21:00 土曜日 10:00∼13:00 (日曜日・祝日休館 ※臨時休館あり) 〈貸し出し〉 書籍・2 週間、視聴覚・1週間 ∼お気軽にご来館ください∼ 研究生・聖教研修(荒山淳センター主幹) 研究業務・「平和展」学習会 研究生・実習「真宗門徒講座」 HP「お東ネット」会議 研究生・教化研修(竹橋太氏) 研究業務・「平和展」学習会 研究生・学習会 研究業務・「お講」調査 研究生・実習「真宗門徒講座」 HP「お東ネット」会議 研究業務・「平和展」学習会 研究生・学習会 研究生・聖教研修(荒山淳センター 主幹) 「彰元さんのつどい」(大垣教区主 催)参加 研究業務・「平和展」学習会 研究業務・「お講」調査 研究生・学習会 研究生・学習会 研究生・実習「真宗門徒講座」 HP「お東ネット」会議 研究業務・「お講」調査 研究業務・「平和展」学習会 研究生・学習会 研究業務・「法然と親鸞−ゆかりの 名宝」展調査  大垣教区では2000(平成12)年より毎年、非戦・平和を願った竹中彰元師 を敬う会を開催している。  今回は大谷派の近・現代史を学ぶ一環として、戦争に反対したことによって 大谷派から僧侶の位を3年間最下位に落とす「軽停班3年」や布教使の免許 を取り上げる「免布教使」という処分を受けながらも非戦・平和を訴えた竹中 師の声に耳を傾け、自分自身がどこに向かって生きるべきなのか、また教団が どこに向かっていくべきなのかを考える。  木々が日増しに色づいていく中、10月21日(竹中彰元師の御命日)に 明泉寺で「彰元さんのつどい(大垣教区主催)」が行われた。非戦・平 和を願った彰元師の声に耳を傾けることを趣旨とするこの集いに、お 堂から溢れんばかりの老若男女が参加した。勤行に続き、「大逆事件 ∼彰元 −国家・世間を超える−」と題し講演した田中伸尚氏(ノンフィ クションライター)は「親鸞聖人は『非僧非俗』の立場に立った。国家に つながる、国家の任命した『僧』ではなく、またそういう国家・僧を支持 してきた世間・『俗』を超えて生きた聖人。大逆事件によって投獄された 高木顕明師や反戦発言で有罪となった竹中彰元師が信仰をもって国 家と闘った姿勢は聖人の姿勢と同様のものではないか」と語られた。  自らが身を置く国家・世間に迎合していく私に、人生における課題を 持つこと、そしてそれを根拠として批判していくことの大切さを教えてく れている。原子力発電もTPPも財界や他国の意向に沿う形で進んで いく。だが、根底には国家・財界らの戦略があり、その実現のためには 国家や財界が事実を事実として、また隠すことなく私たちに伝えてくれ ることはない。私たちは容易に定められた方向へと進まされるし、また 自ら進んでいってしまう。だからこそ課題を持ち国家や財界、世間、教 団そして自分への批判的な眼が必要になってくる。  国家・世間・教団がこぞって戦争協力へと進んで行った時、平和・非 戦を主張した竹中師と高木師。「自らの課題を根拠とし、一人ででも行 動していく「単独者」であれ」という田中氏の言葉に両師の願いをうか がうことができる。  自分が何を課題にし、どう動くのか。両師の願いに耳を傾けていか なければならない。 (教化センター職員 小笠原 智秀)

INFORMATION

彰元さんのつどい

2011年10月21日 大垣教区主催

センタージャーナル No.79 ⑧

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発行/真宗大谷派名古屋教区教化センター(No.79)

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