講義2 イスラエルの周辺諸国 ●イスラエルの周辺諸国とは 一概に「イスラエルの周辺諸国」と言っても時代によって大きく変わります。唯一変わらない 国は、エジプトです。その他の国々は、勃興しては衰退していきました。イスラエルの歴史に登場する 周辺諸国は、代表的な国としてはアッシリア、バビロンを挙げることが出来るでしょう。今回は、以下 の国々を取り扱うことにします。 1.エジプト 2.アラム 3.フェニキア 4.ペリシテ 5.モアブ・アンモン・エドム(東ヨルダンの国々) 1.エジプト 古代エジプトの歴史は、紀元前 3000 年頃に統一王朝が樹立され、メソポタミヤ文明、インダ ス文明、インダス文明、揚子江文明と共に古代文明と一つに数えられています。その後、アレキサンダ ー大王によって征服されるまでに31の王朝が興亡した1と言われています。その間に、ヒクソス人、リ ビア人、エチオピア人などの外国人の王によって支配されてきましたが、エジプトの文化は途絶えるこ とがありませんでした。その中にはヨセフのように外国人が政治の中枢にいたこともあるのです。しか し、アレキサンダー大王によってもたらされたヘレニズムは、エジプト文明を変質させていきました。 されに、ローマ帝国の支配によって文明の破壊は加速されていったのです。その最後がクレオパトラに なります。 §エジプト文明 世界の7不思議の一つにピラミッドがあります。巨大な石造建築、繊細な彫刻、絵画、パピル ス(ペーパー:紙)の発明とそこに残されたものは、文学、科学、天文学などあらゆる分野に及んでい ました。 ピラミッドは大変有名ですからご存知と思いますが、クフ王、カフラー王、メン・カウラー王の3つ のピラミッドが並んでいます。最大のクフ王のピラミッドは、底辺230㍍、高さ146㍍、1つの石 の平均の重さが 2.5 トン、石が 230 万個も使われていると言われています。専属の技術者が設計、施 工したと考えられています。労働者の多くは、農閑期の農民が雇われたと言われています。その他にも、 アスワンダムの建設のために移設されたアブ・シンベルのラメセス2世の岩に直接彫られた石像なども 知られています。 §エジプトの生活 古代エジプトの生活は、ナイル川を中心に営まれていました。そのために農業、牧畜、漁労な どが主な労働でした。農業は、ナイル川の氾濫によってもたらされる肥沃な土壌で農作物を育て、ナイ ル川で川魚を獲り、羊や山羊による牧畜がなされていました。ナイルデルタを中心とする北王国と南王 国との生活の違いは顕著でした。ラメセスやメンフィスを中心とした北王国とテーベを中心とした南王 国、テーベにはルクソール、カルナック神殿、王家の谷にはツタンカーメンの墓などが造られた。 1 月本昭男「目で見る聖書の時代」 p.86
§エジプトとイスラエル ヨセフによってヤコブ(イスラエル)はエジプトに移住したのです。その後、エジプトの王朝 が変わり、ヨセフを知らない新しい王が起こり(出エ 1:8)、イスラエルの民は奴隷となりました。しか し、エジプトでの奴隷状態から解放された「出エジプト」はイスラエル民族の信仰の原点となったので す。それは、シナイ山での十戒の授与によって確立されたのです。 出エジプト 12:37 イスラエル人はラメセスから、スコテに向かって旅立った。幼子を除いて、徒歩の壮年の男子は約六十万人。 12:38 さらに、多くの入り混じって来た外国人と、羊や牛などの非常に多くの家畜も、彼らとともに上った。 イスラエルの民からエジプト文化を排除するためにあらゆる配慮がなされたのです。 申命記 17:14 あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地にはいって行って、それを占領し、そこに住むよ うになったとき、あなたが、「回りのすべての国々と同じく、私も自分の上に王を立てたい。」と言うなら、 17:15 あなたの神、主の選ぶ者を、必ず、あなたの上に王として立てなければならない。あなたの同胞の 中から、あなたの上に王を立てなければならない。同胞でない外国の人を、あなたの上に立てることはでき ない。 17:16 王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに 帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない。」と主はあなたがたに言われた。 それだけではなく、イスラエルは常に周辺諸国の影響を曝されていたのです。 エゼキエル 20:7 わたしは彼らに言った。『おのおのその目の慕う忌まわしいものを投げ捨てよ。エジプトの偶像で身を 汚すな。わたしがあなたがたの神、主である。』と。 20:8 それでも、彼らはわたしに逆らい、わたしに聞き従おうともせず、みな、その目の慕う忌まわしいもの を投げ捨てようともせず、エジプトの偶像を捨てようともしなかった。だから、わたしは、エジプトの地でわたし の憤りを彼らの上に注ぎ、彼らへのわたしの怒りを全うしようと思った。 20:9 しかし、わたしはわたしの名のために、彼らが住んでいる諸国の民の目の前で、わたしの名を汚そう とはしなかった。わたしは諸国の民の目の前で彼らをエジプトの地から連れ出す、と知らせていたからだ。 20:10 こうして、わたしはエジプトの地から彼らを連れ出し、荒野に導き入れ、 20:11 わたしのおきてを彼らに与え、それを実行すれば生きることのできるそのわたしの定めを彼らに教え た。 エジプトとイスラエルの関係は、政治、経済だけではなく、その生活や信仰にも深く関わりているの です。
2.アラム 「アラム」とは、肥沃な三日月地帯を移動する遊牧民で、シリアを中心に定住するようになっ た部族民でした。古代イスラエル人は、自分たちの祖先がアラム人であると言っているのです。 申命記 26:5 あなたは、あなたの神、主の前で、次のように唱えなさい。「私の父は、さすらいのアラム人でしたが、 わずかな人数を連れてエジプトに下り、そこに寄留しました。しかし、そこで、大きくて強い、人数の多い国民 になりました。 26:6 エジプト人は、私たちを虐待し、苦しめ、私たちに過酷な労働を課しました。 26:7 私たちが、私たちの父祖の神、主に叫びますと、主は私たちの声を聞き、私たちの窮状と労苦と圧迫 をご覧になりました。 26:8 そこで、主は力強い御手と、伸べられた腕と、恐ろしい力と、しるしと、不思議とをもって、私たちをエ ジプトから連れ出し、 26:9 この所に導き入れ、乳と蜜の流れる地、この地を私たちに下さいました。 何故なら、カルデアのウルから旅立ったアブラハムは、ハランの地に留まりました。そのハランはア ラムの地になります。アブラハムの息子イサク、孫のヤコブはアラムの地に住むナホルの家系から妻を 迎えました。また、ダビデ王は、アラムを攻め、その地を征服しています。その後のソロモン王の領地 は遥かメソポタミヤに至っています。 Ⅱサムエル記 8:3 ダビデは、ツォバの王レホブの子ハダデエゼルが、ユーフラテス川流域にその勢力を回復しようと出て 来たとき、彼を打った。 8:4 ダビデは、彼から騎兵千七百、歩兵二万を取った。ダビデは、その戦車全部の馬の足の筋を切った。 ただし、戦車の馬百頭を残した。 8:5 ダマスコのアラムがツォバの王ハダデエゼルを助けに来たが、ダビデはアラムの二万二千人を打っ た。 8:6 ダビデはダマスコのアラムに守備隊を置いた。アラムはダビデのしもべとなり、みつぎものを納める者 となった。こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。 8:7 ダビデはハダデエゼルの家来たちの持っていた金の丸い小盾を奪い取り、エルサレムに持ち帰った。 8:8 ダビデ王は、ハダデエゼルの町ベタフとベロタイから、非常に多くの青銅を奪い取った。 また、北イスラエル王国とアラムの争い(Ⅱ列王記 20 章)、北イスラエルとアラムの同盟軍によるユ ダへの攻撃(Ⅱ列王記 16 章)なども記されています。アラムは、北イスラエル王国と共にアッシリア に滅ぼされたのです。 §アラム語 アラム人は、遊牧の民として独自の文化を育むことはなく、周辺諸国の文化を受容していまし た。しかし、アラム人が後代に伝えた重要なことは、フェニキア人から受け継いだ文字を「アルファベ ット」として記録に残したのが、古代アラム語でした。アッシリアに征服されたアラムでしたが、楔型
文字のアッカド語より容易なアラム語が重宝され、遊牧民であったアラム人によって使われたことアラ ム語が国際語として用いられるようになったのです。エルサレムに遣わされたアッシリアの司令官にア ラム語で語るように求めたのは、そのためなのです。 Ⅱ列王記 18:26 ヒルキヤの子エルヤキムとシェブナとヨアフとは、ラブ・シャケに言った。「どうかしもべたちには、アラ ム語で話してください。われわれはアラム語がわかりますから。城壁の上にいる民の聞いている所では、わ れわれにユダのことばで話さないでください。」 18:27 すると、ラブ・シャケは彼らに言った。「私の主君がこれらのことを告げに私を遣わされたのは、おま えの主君や、おまえのためだろうか。むしろ、城壁の上にすわっている者たちのためではないか。彼らはお まえたちといっしょに、自分の糞を食らい、自分の尿を飲むようになるのだ。」 18:28 こうして、ラブ・シャケはつっ立って、ユダのことばで大声に呼ばわって、語って言った。「大王、アッシ リヤの王のことばを聞け。 アラム語は、バビロニア帝国、ペルシャ帝国の時代も国際語(共通語)として用いられ、ヘブル語は このアラム文字を用いて表され、同じセム語として発展してきたのです。そのために聖書の中にアラム 語が含まれているのです。また、タルグムというアラム語訳聖書も作られ、タルムードの中にもアラム 語で記されている部分があります。 福音書には、「タリタ クミ(マルコ 5:41)」などのようなアラム語が出てきます。また、主イエスの 十字架上の言葉として、 マルコ 15: 34 そして、三時に、イエスは大声で、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」と叫ばれた。それは訳すと「わが神、わ が神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。 とアラム語で記されていますが、詩篇 22 篇では、「エリ、エリ、ラマ、アザブタニ」とヘブル語になっ ています。
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詩篇22:1 わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのです か。私のうめきのことばにも。
3.フェニキア フェニキアとは、レバノン山脈と地中海の間の南北に細長い海岸線の地域を指しています。聖 書には、ツロ・シドンという地名で頻繁に記されています。旧約聖書には 52 回、新約聖書には 12 回 ほど出てきます。ツロ・シドンの人々は、地中海貿易に従事し、シドン人はキプロスを植民地とし、ツ ロの人々は北アフリカのカルタゴを建設しています。そして、福音書の記述を見ると、 マタ 11: 21 [新改訳 「ああコラジン。ああベツサイダ。おまえたちのうちで行なわれた力あるわざが、もしもツロとシドンで行なわれたのだった ら、彼らはとうの昔に荒布をまとい、灰をかぶって悔い改めていたことだろう。 マタイ 15: 21 それから、イエスはそこを去って、ツロとシドンの地方に立ちのかれた。 マルコ 3: 8 エルサレムから、イドマヤから、ヨルダンの川向こうやツロ、シドンあたりから、大ぜいの人々が、イエスの行なっ ておられることを聞いて、みもとにやって来た。 マルコ 7: 24 イエスは、そこを出てツロの地方へ行かれた。家にはいられたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れ ていることはできなかった。 ルカ 6: 17 それから、イエスは、彼らとともに山を下り、平らな所にお立ちになったが、多くの弟子たちの群れや、ユダヤ全 土、エルサレム、さてはツロやシドンの海べから来た大ぜいの民衆がそこにいた。 と記されています。 §フェニキア人とカナン人 聖書は、「カナン語」、「カナン人」と記されていますが、本来の意味は曖昧ですが、「カナン」 という言葉が、「紫染料」を表す言葉の代用に用いられ、それを商う「商人」を意味する言葉として使わ れるようになったと些か苦しい解説をしている2。また、「商人」という普通名詞として用いられている (箴言 31:14 など)3と言われていますが、「船のように」ということで、海洋商人を意味することばと して「商人」と用いられています。また、ソロモンの時代には、ツロの王ヒラムによって杉材がいかだ で運ばれたことが記されています。この建材は、イスラエルだけではなく、エジプトにも輸出されてい ました。そして、エジプトから輸入されていたのは「パピルス」を荷上げしていた港が「ビブロス」で あったことからギリシャ語では、「パピルス」を「ビブロスもの」と呼び、書物を「ビブロス-バイブル」 と呼ぶようになったとも言われています。 このようにファにキア人は海洋航海に長けていたことから 2 新聖書大辞典 p.321 「カナン」 3 月本昭男「目で見る聖書の時代」 p.94
Ⅰ列王記 9:26 また、ソロモン王は、エドムの地の葦の海の岸辺にあるエラテに近いエツヨン・ゲベルに船団を設け た。 9:27 この船団に、ヒラムは自分のしもべであり、海に詳しい水夫たちを、ソロモンのしもべたちといっしょに 送り込んだ。 と、紅海へも進出しているのです。それだけではなく、高い技術をも持ち合わせていたことからソロモ ンの神殿建設のための石工が派遣された。また、アハブはサマリヤに「象牙の家」を建てた(Ⅰ列王記 22:39、アモス 3:15)と記されていますが、象牙を家具や調度品に使った家を意味していたようです。 4.ペリシテ ペリシテの地は、イスラエルの南部の海岸平野に住み着いたのは、紀元前 12 世紀頃で、エジ プト人には「海の民」と呼ばれていました。「ペリシテ人」はエーゲ海地方から南下し、地中海沿岸地方 からエジプトにかけて支配した。エジプトではラメセス3世が撃退しています。聖書は、ペリシテ人を キプロス出と考えたのです。 創世記 10: 14 パテロス人、カスルヒム人――これからペリシテ人が出た――、カフトル人を生んだ。 エレミヤ 47: 4 すべてのペリシテ人を破滅させる日が来たからだ。その日には、ツロとシドンを、生き残って助ける者もみな、断 ち滅ぼされる。主が、カフトルの島に残っているペリシテ人も破滅させるからだ。 アモス 9: 7 「イスラエルの子ら。あなたがたは、わたしにとって、クシュ人のようではないのか。――主の御告げ。――わたし はイスラエルをエジプトの国から、ペリシテ人をカフトルから、アラムをキルから連れ上ったではないか。 聖書は、アブラハムの時代からペリシテ人との関係を記しています。また、サムエル記では、ペリシ テ人の五大都市を挙げています。ペリシテ人が鉄の技術を持ち、イスラエル人を支配していたようです。 Ⅰサムエル記 13:19 イスラエルの地のどこにも鍛冶屋がいなかった。ヘブル人が剣や槍を作るといけないから、とペリシ テ人が言っていたからである。 13:20 それでイスラエルはみな、鋤や、くわや、斧や、かまをとぐために、ペリシテ人のところへ下って行っ ていた。 ペリシテ人の町を地図から見ると、如何に多くの遺跡がペリシテ人の町として残っているかがお分か
り頂けると思います。 5.モアブ・アンモン・エドム(ヨルダン川東岸の国々) 最後に、ヨルダン川の東岸にあった国々について 学びたいと思います。聖書は、アブラハムに与えた地の先 住民について 創世記 15:18 その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられ た。「わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプ トの川から、あの大川、ユーフラテス川まで。 15:19 ケニ人、ケナズ人、カデモニ人、 15:20 ヘテ人、ペリジ人、レファイム人、 15:21 エモリ人、カナン人、ギルガシ人、エブス人を。」 と記しています。その後、ロトの子孫としてモアブ人とア ンモン人(アモン人)、エサウの子孫としてエドム人だと 記されています。 創世記 19:36 こうして、ロトのふたりの娘は、父によってみごもった。 19:37 姉は男の子を産んで、その子をモアブと名づけた。彼は今日のモアブ人の先祖である。 19:38 妹もまた、男の子を産んで、その子をベン・アミと名づけた。彼は今日のアモン人の先祖である。 創世記 36:8 それでエサウはセイルの山地に住みついたのである。エサウとはすなわちエドムである。 36:9 これがセイルの山地にいたエドム人の先祖エサウの系図である。 これらの国々は、系図から見ても、イスラエルと祖先を同じくする民族、国々で、成立時期も滅亡時 期もイスラエルと前後している。 アモス 1:11 主はこう仰せられる。「エドムの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその 刑罰を取り消さない。彼が剣で自分の兄弟を追い、肉親の情をそこない、怒り続けていつまでも激しい怒り を保っていたからだ。 1:13 主はこう仰せられる。「アモン人の犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしは その刑罰を取り消さない。彼らが、自分たちの領土を広げるために、ギルアデの妊婦たちを切り裂いたから だ。
2:1 主はこう仰せられる。「モアブの犯した三つのそむきの罪、四つのそむきの罪のために、わたしはその 刑罰を取り消さない。彼がエドムの王の骨を焼いて灰にしたからだ。 2:2 わたしはモアブに火を送ろう。火はケリヨテの宮殿を焼き尽くす。モアブは、どよめきのうちに、角笛の 音と、ときの声のうちに死ぬ。 エドムについては、 イザヤ 34:5 天ではわたしの剣に血がしみ込んでいる。見よ。これがエドムの上に下り、わたしが聖絶すると定めた 民の上に下るからだ。 34:6 主の剣は血で満ち、脂肪で肥えている。子羊ややぎの血と、雄羊の腎臓の脂肪で肥えている。主が ボツラでいけにえをほふり、エドムの地で大虐殺をされるからだ。 とその滅亡を示唆しています。エドムは、ギリシャ語になると「イドマヤ」と呼ばれ、ヘロデ大王はこ のイドマヤ出身であることが知られています。 ヘロデの生涯については、学ぶ別の機会があるかと思いますが、ヘロデはユダヤの王を名乗ることを ローマから許され、ヘロデ大王と呼ばれますが、晩年は猜疑心に苛まれ、要塞として作られたヘロディ オンに埋葬されました。2007年5月、ヘブライ大学の研究チームがヘロデの墓を発見したと発表し た。ヘロディオンは、エルサレムの南、ベツレヘムへ向かう途中で、遥かに小富士山のような山が見え ますが、人工的に作られたものであることに驚くことでしょう。