南アジア研究 第29号 009書評・田中 多佳子「岡田恵美『インド鍵盤楽器考―ハルモニウムと電子キーボードの普及にみる楽器のグローカル化とローカル文化の再編―』」
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(2) 南アジア研究第29号(2017年). い文体で書かれている。物理的に大著ではないが、稀有なテーマと斬新 な切り口から次々と提示される新事実は時に衝撃的ですらあり、内容的 には地域的・空間的・概念的広がりの大きいものとなっている。 本研究の出発点は、なぜ外来楽器や電子楽器の使用が、長い伝統を誇 るインド古典音楽文化で容認され得るのかという素朴な疑問にある。ピ アノではヨーロッパ人が作ったピアノ曲を、日本の筝では日本の箏曲を 演奏するのが普通だろうが、今日のインド古典音楽では、インドの楽器 はもちろん、ヴァイオリン、サクソフォーン、ギターなどの外来楽器や 電子楽器も当たり前のように使われているのである。評者は日本からイ ンドに伝播した大正琴が「バンジョー」と呼ばれる電子楽器として活躍 1. している点に着目して研究を行ったことがある が、これも広義の「鍵盤 keyboard」楽器と言える。本書は、外来楽器の中でも比較的早くから取 り入れられていたハルモニウムやピアノおよび電子キーボードなどに焦 点を当てており、本書の「鍵盤」は、ヨーロッパ音楽文化の象徴とも言え る。ピアノのように黒白の板状の鍵が一定順序に整列した指板を指す。 ピアノは弦鳴楽器、ハルモニウムは気鳴楽器、電子キーボードは電鳴楽 器と発音機構や音色は異なるが、本書では鍵盤楽器と総称している。1 オクターブを半音(100セント)単位の12平均律に調律・固定してあり、 鍵を押すと特定の音が発音されるため、鍵盤楽器である限りインド古典 音楽の根幹をなす微細な音高表現ができず、インド音楽ときわめて相性 の悪い楽器であるといえる。 音楽の世界を地球規模で俯瞰すると、西洋音楽(クラシック)のグ ローバル化の波に広く席捲されているのがわかる。民族音楽学では、主 としてこうした西洋音楽と非西洋音楽とのせめぎあいに着目して、 「文 化変容」を、異文化をそのまま吸収する「文化移入 acculturation」 、異 文化を接合する「文化融合 syncretism」 、異文化の一部を組み込む「文 化適応 cultural adaptation」 (12頁)の3種に分け説明しようとしてきた。 しかし、インドは四百年もの間イギリス支配下にありながら西洋音楽は 浸透せず、様々な西洋楽器だけがインド伝統音楽文化に根づいた特殊な 事例である。 そこで、著者が用いたのが「グローカル化」と「ローカル文化の再 編」といった概念である。著者作図による「資料 0-1 グローバル化・ ローカル化・グローカル化の概念図」 (9頁)は興味深い。グローバル 192.
(3) 書評 岡田恵美『インド鍵盤楽器考 ハルモニウムと電子キーボードの普及にみる楽器のグローカル化とローカル文化の再編 』. 化とローカル化は視点が異なり、前者は「地球を俯瞰するような巨視的 で外部的な目線」からの「グローバル規範の普及過程」 、後者は「当該 地域や社会に身を置き、地平的で微視的かつ内部的な視点」が基軸と なった「グローバル規範の受容に際してのローカルな場での対応のメカ ニズム」であるという。ローカル化は、さらに、 「接触したグローバル 規範を無修正で受容」 、 「部分的に調整しながら採用(進出側・受容側の 意図)」、 「反グローバル化」つまり「異文化衝突・否定的ローカル化」 の三つに類型化される。 「ローカル規範の再編過程」とは、第二のロー カル化において、 「グローカル化」 (肯定的に受容する方向)ではなく、 「肯定的ローカル化」 (否定的ではないが固有の文化や価値に再帰する方 向)へ向かう、つまり、グローバル規範との接触により、逆に地域独自 の文化や価値を再認識しそれを保守したり補強したりする方向に向かう ことをいう。これに次の四つの論点が絡められる。すなわち、論点1 「グローカル化:異文化由来の「モノ」を誰がどう調整するのか?」 、論 点2「ローカル化にみる善悪の記述:変化をなぜ肯定/否定するの か?」 、論点2から抽出される論点3「ローカルな規範:その文化に とっての核とはなにか?」および論点4「リゾーム:多面的思考形態が 文化変容にどう関与するのか?」である。以上のような理論的枠組が 「序論2」 (6∼22頁)で論じられる。これらのみ見ていると複雑すぎるよ うに感じられるが、調査結果の分析に際してこれらが縦横に使い分けら れ、実に便利で説得力を持つツールとなってくるのである。 ハルモニウムについて論じた第1部の前半「第1章ハルモニウムの受 容と変遷」では、19世紀後半に伝播した仏製ハルモニウムがインド国内 で改良されつつ受容されてゆく過程が文化的に分析される。1842年フラ ンスで商標登録されたドゥバンのハルモニウムが牽引する形でリードオ ルガン産業が誕生し、グローバル化の中でインドにも到達した(第1 節) 。ベンガルの音楽学者 S. M. タクルが著したハルモニウム教則本 2. 『ハルモニウム・スートラ』 (1874)の記述対象は、高価な61鍵のキャビ ネット型足踏みオルガンの輸入品であった(第2節) 。1886年、イギリ 3. ス統治下のコルカタでドゥワルカナト・ゴシュ が輸入品を改良して国 産ハルモニウム第1号を発表、R. タクルら知識人たちも賞賛する(第3 節) 。国産ハルモニウムが古典声楽や宗教歌謡の伴奏楽器として重宝さ れ急速に浸透する一方、インド国営ラジオ放送は1939年から放送内での 193.
(4) 南アジア研究第29号(2017年). この楽器の全面的使用禁止を敢行、この楽器をめぐる大論争が起こる (第4節) 。さらなる改良楽器の創出や演奏技法の開発など、古典音楽の 楽器としての地位向上に努めた演奏家たちの貢献があった(第5節) 。 第1部後半「第2章国産ハルモニウム製作にみる都市単位でのローカ ル化」では、ハルモニウムの楽器製作側に焦点が当てられる。リードな ど諸部品は輸入にたよっていたが、1947年のインド独立に伴う輸入関税 引き上げを機に、完全な国産製造に転換(第1節) 。国産ハルモニウム産 業の主要3都市(東のコルカタ、西のムンバイ、北のデリー)では各々 特徴ある楽器製造が進められた(第2節) 。第3節ではコルカタのドゥ ワルキン工房、第4節ではムンバイのハリバーウー工房、第5節ではデ 4. リーのビーナー工房 を取り上げて、3者3様の沿革や製作工程、構造的 特徴や経営方針などが描かれる。 電子キーボードの普及過程を分析した第2部はまさに著者の痛快なま での真骨頂である。 「第3章インド国内における電子キーボードの需要 拡大」では、1990年代に登場した電子キーボードがグローバル化・ロー カル化を進め需要拡大し続けている社会・文化的背景を考察している。 1991年の経済自由化政策後、新興富裕層・中間層の増加と消費活動拡大 を受け、ドバイやシンガポール経由で安価で多数の曲が内蔵された玩具 として、鍵数がハルモニウムに似たカシオ製ミニキーボードが大量に流 入。同時期、政府は情報・通信技術産業の育成にも注力し、IT 産業が 成長、IT 技術者は国外でも雇用され、膨大な NRI(Non Resident Indian)を輩出。ニューリッチと呼ばれる新興中間層が子どもの教育に熱 心な点に目をつけたのが、在留ヨーロッパ人向けに文化移入してきたピ アノの修理や輸入で力をつけた大手楽器商たちだった。初期はピアノの 代替楽器として電子鍵盤楽器の販売も始めたが、彼らの需要に応じ、楽 器の貸出業、西洋音楽資格試験の仲介、その対策としての音楽教室の運 営など徐々に経営を多角化させていった。インド音楽文化は「電子楽 器」や「デジタル・テクノロジー」にきわめて寛容である。人口が多い にもかかわらず、近年、音楽家たちは正式な演奏会以外の場面では伴奏 者ではなく機械相手に練習することが多い。必須のドローンは「電子タ ンプーラー」や「電子シュルティ・ボックス」で、太鼓伴奏は「電子タ ブラー」で、さらに近年はアプリケーション化され、世界どこでもスマ ホをお伴に古典音楽演奏をすることが可能となった。そのきっかけを 194.
(5) 書評 岡田恵美『インド鍵盤楽器考 ハルモニウムと電子キーボードの普及にみる楽器のグローカル化とローカル文化の再編 』. 作ったのは G. R. ナーラーヤンというエンジニア兼バーンスリー奏者で、 彼が自らの練習用に開発したマシーンを知った多くの音楽家が後押しし、 今や知らぬ者はない「ラデル社」の諸製品が創出されたという。 第4章では電子キーボードのグローカル化のプロセスをメーカー側か ら観察している。1980年代、日本の電子楽器産業界ではカシオ社とヤマ ハ社の競争が激化していたが、それとは無関係にインド市場に第三国経 由で両社のミニキーボードが流入し始め、 「ヤマハのカシオください」 といわれるほど認知されるに至った。2000年代に入りさらに両社の電子 楽器(大半はインドネシア製と中国製)輸入が加速してきたところで、 ようやく日系メーカー側がインド市場に本格参入するようになったとい う。しかし、この需要は最初から「ユーザー主導型」で起きたものであ れば、今日もメーカー側は前述の現地大手楽器商と提携して現地の動向 の把握に努め、さまざまな「グローカル化」の形を模索し続けている。 たった一台の電子キーボードで、インドの民俗音楽から古典音楽まで使 える様々な楽器の音色やリズムが出せ、もちろん西洋音楽の演奏もでき る。そんなことを他のどのような音楽文化が求めたろうか。著者は、こ こにピアノにもハルモニウムにもなかった、製作側と需要側の新しい受 容のプロセスを見ている。 振り返ると、 「19世紀に入ってきたフランス製ハルモニウムは、徹底 的ローカル文化の再編の末にローカル化されてインドの楽器として定着 した。同時期にグローバル化の一環として在留ヨーロッパ人たちのため に全面受容されたピアノは普及しなかったものの、その取引で力をつけ た楽器商たちがピアノと共に電子キーボードを持ちこんだ。電子キー ボードはグローカル化により西洋音楽にもインド音楽にも IT にも対応 し得る汎用性を獲得し、若年層を中心に爆発的普及をみた。 」というこ とになろうか。見事にインド音楽における3種の鍵盤楽器が、グローバ ル化・グローカル化・ローカル化の観点から位置づけられ、現在の状況 に至ったことが腑に落ちる。このようなアプローチ方法はいかなる音楽 文化にも適用可能な普遍性を持つと同時に、インド音楽だからこそより 有効だったと言えよう。本書により気づかされたインド音楽文化独自の 楽器の必須条件には、 「胡座演奏」 (足踏みによる送風をやめて片手を鞴 の操作にあて、もう一方の手のみで演奏することで可能になった)とい う「身体性」や「携帯性」 (プロも生徒も基本的に自分の楽器を持ち運ぶ 195.
(6) 南アジア研究第29号(2017年). 習慣)などがあった。また、弦楽器にはない音量やドローンのための「持 続性」 、鍵盤による「視覚性」 「利便性」 、さらにインド内の複数の音楽様 式に適応し得る「汎用性」は「経済性」でもあった。そのための変革者た る演奏家の出現も楽器改良もひいてはその結果としての文化変容も進ん で受け入れる「寛容性」 、そうして今も新たな歴史を刻み続けているイン ド古典音楽文化の独自性とエネルギーを改めて思い知らされた。 さて、これだけ楽器という「モノ」をめぐって展開されてきた本書第 3部の最後(242頁)で大転換が起こる。 「インド古典音楽はこうあらね ばならない」と楽器を規定する「ローカル規範」の根幹にあるのは実は 「声楽から発展した音に重点を置く思考」だったと結論づけるのである。 「古典音楽の楽器に対するローカルな規範は、楽器という「モノ」に依 存するのではなく、声楽から派生した理論や表現方法をいかに忠実に表 出するかといった「音」に重点を置く思考であり、それが最優先の属性 として求められる…古典音楽で求められる「音」を具現化できれば、外 来楽器でも電子楽器でも許容される…。 」さらに「音の具現化さえ可能 であれば、楽器の多様性を容認するというそうした文化的寛容性こそが、 長い目で見れば時代を超えて、インドの音楽文化の根幹となるローカル な規範、すなわち、声楽から発展した厳密な音楽理論と表現技術を保護 し、保存することに繋がっていると筆者は考えるのである。 」と締めく くられている。楽器というモノに焦点化した楽器論のようで、実は楽器 に求められていたのは声楽様式の音の表出方法であったとする本研究は、 全く新しいインド古典音楽文化論の登場といえよう。 最後に特記しておきたいことは、メディアリテラシー能力の高い著者 ならではの、研究成果の新たな公開方法である。本書に関連して、それ 自体完成度の高い8本もの関連映像資料が作成され、ウェブ上に公開さ れ、本書冒頭(ii 頁)に URL が記されている。メディアや記録媒体が めまぐるしく変化する現代において、公開には技術的な困難や著作権や 肖像権などの問題も伴うが、音楽研究の過程で得られた録音・録画デー タ自体が、本来ならばその場で瞬時に失われてしまっていただろう貴重 な資料であり、人類の共有すべき知的財産である。恒久的ではないにせ よ画期的な研究成果の公開方法であり、音楽研究に関わる者として今後 大いに見習っていきたい。. 196.
(7) 書評 岡田恵美『インド鍵盤楽器考 ハルモニウムと電子キーボードの普及にみる楽器のグローカル化とローカル文化の再編 』. 1. 田中多佳子・尾高暁子・梅田英春「大正琴の伝播と変容. 台湾、インドネシアおよびイン. ドの事例」 『京都教育大学紀要』第120号、2012年、121-137頁 2. 53頁の資料 1-15の譜例の最下段の左手の運指番号は他段と異なる非現実的なものとなっ ており、著者か訳者の誤記と思われる。. 3. 本書で頻出する楽器工房・楽器職人名 Dwarkin & Sons , Dwarkanath は、恐らく日本 語の初出は拙著(田中多佳子「南アジアの楽器産業にみる伝統と近代化および西洋化の相 克」科研報告書、2004、pp. 44-45)と思われ、本書でも引用されている。しかし、拙著で はベンガル語の「dwa」は「ダ」に近い発音になるとの複数の専門家の助言を受けて「ダル キン」 、 「ダルカナト」としているのだが、敢えて「ドゥワルキン」 、「ドゥワルカナト」と言 い替えられている。. 4. 131頁のスィク教のキールタンに関する記述には、一般的な「キールタン」と独特の宗教歌 謡「スィク・キールタン」とが混同されており、事実誤認がある。. たなか たかこ. ●京都教育大学(民族音楽学). 197.
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