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"The lost boy"にみられる記憶の構造 : Thomas Wolfeノート

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"The lost boy"にみられる記憶の構造 : Thomas Wolfeノート

著者 林 以知郎

雑誌名 Core

号 3

ページ 66‑82

発行年 1974‑07‑10

権利 同志社大学英文学会Core編集部

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016368

(2)

66 

The L o s t  Boy" にみられる記憶の構造

ー‑ThomasWolfeノ ー ト ー ー

林 以 知 郎

Thomas V{olfeは記憶に固執した作家である.W o1feの作品のcharac

terたちのそれぞれがその背後にのしかかる過去の重荷の下に現在を生き ている.彼らが過去の重さを実感するのは彼らが記憶を通して遠い過去を 更生らせる瞬間である.Wolfe自身が,幻のように建る過去に全体的な表現

を与えることをその創作活動の目的としていた.羽To1fe(ま書いている.

1 intend to  wreak out my soul on paper and express it  all.  This  is  what my life  means to me: 1 am at  the mercy of  this  thing and 

(1) 

1 will do it  or die.  1 never forget; 1 have never forgotten.  この小論では私は Wolfeの後期の短編 TheLost Boy" (1937年発表〉

を textにして, そこに描かれた記憶の構造について考えてみたい.私が この作品を選んだのは,それが短編として秀れた構成をもっているからで は な し そζで様々な人物が僕々な方法で記憶を通して過去を睦らせるか らだ. そしてそこに描かれた記憶の構造を考えることが~司lo1fe 、の他の 作品を解明する手がかりを与えてくれると思うからだ.

記憶の問題は時間の問題と切り離しえない

r

i

意の働ぎによってわれ われは過去の世界を保有することができるのであるが,更にそれを再生す るζとによって過去をいまにおいて所有できるのである.意識に再現する ことによって,われわれは現在の地点に立って過去を展望することができ る。」世界を現在と過去, あるいは未来という関係で見る時, この関係そ

(3)

The Lost &y"にみられる記憶の構造 67  のものを一般に時間と呼んでいる. しカ〉し Wolfeの作品では時間は単に 純粋な関係そのものとして現われない.時間はいわば空間と同一視され,

実体的なものとして現われる.例えば Groverや Eugeneは Time"

が広場や通りに直接に知覚しうるもののように存在していると感じる.彼 らにとって時間とは様々な表象を通じてその進行を明らかにしながら永遠 に存在し続ける何ものかである.それはちょうど古典力学で前提される絶 対的時間のように,過去,現在,未来へと直線的に進行し続ける時間であ section 1では乙のような時間の進行をしるしづける事物が幾重も描

τF  '

か れ る 「照っては陰り, また照る陽J,「鼓動する噴水J,「音をたててi品 ぎていく荷車」などが時間の表象として, ある時は少年の意識にのぼり ある時は少年の意識の外側で示される.W oIfeの人物たちの生一一授らが 経験する様々なできごとの展開と連関の背後には常にこの時間の絶ゆみな い進行が対比されている.

しかし Wolfeの人物たち自身はこのような永遠に流れていく時間を常 に知覚しているわけではない.彼らの時間意識を考えるために, section 1  の構成をみてみたい.section 1で Groverが経験するできごとは次のよ

うに要約できる. Groverは使い走りの駄貨にもらった切手を町の菓子屋 に代金のかわりに払うが,その切手を余分に巻き上げられた上,切手の出 所まで疑われる.少年は父親に自分の無実を訴え,父親は片輸の菓子塁を 大時代な口調でののしる.少年は広場に立ち, 自分が何かを永久に失なっ てしまったと感じる. このできごとが展開していく間,少年の意識と作者 との聞には距離が置かれており,少年自身は時間の進行や経過を意識して いない. そして少年の意識の外側では時聞が絶えず進行しているというこ とが doublevisionとして示される. 少年の意識のありかたは section1  の始めの,町の広場を眺めながら歩〈少年の描写に示されている.(pp.2‑

3).町を歩きながら,少年の意識は少年が見る様々な対象が喚起する感覚 的反応、や連想,欲望によって満たされる.少年の視点の移動にしたがって

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68  The Lost Boy"にみられる記憶の構造

少年の意識の内容は刻々と流動していく.やがて少年の意識は菓子の臭い にとらわれ( hewas caught, held  suspended."  p.  3),先に要約したで きごとを経験することになる.羽Tolfeは菓子屋の手つきや,はかりの針を みつめる少年を描くが, ζれは少年の意識が一点に集中されており,時間 の進行が意識されていないことを読み手に暗示するための手法である.別 な言い方をすれば,できごとの展開に直面している少年にとって時間は現 在としてしか存在していない.例えば,少年が!吉先に真新しいSingerma‑

chineを見る時,少年の意識は vaguedepression円と共に machineが 喚起する様々な連想や記憶に満たされ,少年は反射的に首をすくめる. こ の場合, 少年の意識において, 過去や未来はある幅をもって少年が ma‑

chineを見ている現在に重なりあっているのであり,客観的な時間の進行 の上に位置づけられて意識されているのではない.

が,再び広場に立ち,十五分前にここに同じように立ったことを思い出 す時,少年は時間の進行を感じとる.

This is  Time

, "  

thought Grover. Here is  the Square

, 

here is 

my father's shop, and here am 

円 . r

And light came and went and came again‑but now not  quite  the smeas it  had done before.  (p.  14) 

少年は十五分前に広場に立った時と同様に,過去から現在,そして未来へ と流れる時聞を知覚している.十五分前に,少年は時間の進行の中の一点 のような現在に自分が存在していることを第三者の眼によるかのように確 認していた( Hereis  Grover, caught upon this point of time." p.  2).  今また少年は自分が時間の進行の中のこの瞬間,この現在に存在している

と確認する.ただ十五分前と違うのは少年が自身の変化を感じている点だ.

He could not say

, 

he did  not  know through  what transforming  shadows life  hdpassed within that  quarter  hour.  He only knew 

(5)

The Lost Boy"にみられる記憶の構造 69  that something had been lost ‑something forever gained.  (p.  14) 

少年は今,それを通して自分が何かを失なうことになったところのできご とを十五分間という時間の経過としてとらえている.そして何かを失なっ たという感情を広場の陽の移ろいに重ね合わせている.少年が何を失なっ たのかは問題ではない.あえて言うなら少年の失なったものは,十五分前 に存在し今はもういない少年自身だ. ここでは少年がいだく「失なわれた」

という;事情, あるいは陽の移ろいの imageによって時間の進行に関する 二つの異なった次元が示されている.すなわち I照っては陰り,また照 る陽」に表象されるように,時間は絶えず進行していく.一方,少年自身 はといえば,時間と共に変化しながら,河の流れに押し流されるように,

‑回限りの有限な生を生きてし、く.少年にとっては十五分間は時間の進行 のー断片ではなく,陽の移ろいのように不可逆的な, もはや失なわれてし まった「あの十五分間J(that quarter hour勺である.十五分前に少年 はまだ「失なわれたjと感じていなかった.(he did not feellost." p.  2)  今,少年は作者の芦によって thelost boy円と呼ばれている Grover は二つの意味において「失なわれた」少年である.ひとつは文字通り死ん だ少年である.さらに,少年は生きている者達に問いかけるのだ.われわ れはみな,時間の絶え間のない進行の中で,過去を失ないながら生きてい くのだろうか.過去が絶えず失なわれていくものであるならば,生は決し てその全体を現わにしはしないのだろうか.続く三つのsectionsで,三人 の人物がこの間いに答える.過去は被らの記憶として鷺る.記憶を通して,

f

皮らはその生の全体を把握する.三人の人物がそれぞれ三十年以上の歳月 に隔てられた過去を想起するが,以下において彼らの記憶がどのような型 で現われ,どのような認識を可能にするのかを考えてみたい.

section IIとsectionIIIは母親と姉との monologueで構成されてい る.記憶一一過去の再現はここでは「語ることJ(narrative act)と不可分

(6)

70  The Lost  Boy"にみられる記憶の構造

に結びついている. これは興味深い事実である.すなわち二人の語り手に とって「思い出すζと」は,ただ単に過去の事実や観念を再認し,聞き手 に伝達することではない. 母親の果てしなく divergeしていく mono‑

logue,満たされなかった過去の夢と老いの自覚に色どられた姉の hysteric な語り,これらは記情というものが実は不分明な,しかし広大な領域を有

していることを示している. 例えば sectionIIの母親の場合をみてみよ う.母親は聞き手の Eugeneに, Indian丘を経て St. Louisへ向かう列 車の中での Groverの思い出を語る.母親の口から何度もくり返されるよ

うに,語り手と聞き手の間では過去のある時の少年について語るという目 的が了解されている.しかし母親の monologueは被女の連想の広がりに つれてとめどなく divergeしていき, 再びもとの話題に戻ってくる.こ れは記憶というものが,決して明確な輪郭をもった事実や心像が直線的な,

単音的な時間の進行の上にI}頃序正しく並んで現われてくるものではないか らだ.記憶とは過去の経験が残した痕跡をひとつづっ反射的に再認するこ と で は な し ま ず 空 間 的 な 量 (mass)として母親の意識に現われる.ある 心理学者は過去の想起について次のように説明している. Iところで,古 い思い出を意志的に喚起する際に生ずることを調べてみよう.われわれは 一本の鎖にそって一つの環を捜すようにしてそれを捜すのではない.

われわれは,われわれのうちに現存するのが感じられる若干の過去を定着 させるために,一定の努力一一内的視線の適応のごとき一一ーをなす.そし てそのためにわれわれはまず最初に,その思い出を含んでいるところの内 的感情の質そのものによって手引きされるのである.ある一つの事実,あ る一つの心像,この事実とζの心像とが結びついているある一つの時期,

これらは, 何よりもまず, われわれの内的感情の質的様態である。J少年 について思い出そうとする時,母親の内部にはまず様々な感情一一最愛の 息子を失くした悲しみ,かつての信頼感,息子への誇り,などが喚起され る. これらの感情の広がりに身をまかせる時,量としての思い出はひとつ

(7)

The Lost  Boy"にみられる記憶の構造 71  ひとつときほぐされるように意識の明るみに像を結んでいく.内的感情に 手引きされて塊のような思い出に意識の照明を当てていく過程,それが語 る行為なのだ.同時に,複雑な時間秩序をもった空間的な量 (mass)とし ての思い出は語られることによって新しい時間秩序を獲得していく.それ は線的な時間の進行ではなく,彼女の「内的感情の質そのもの」によって 秩序づけられた時間だ.彼女の内的感情の広がりに応じて,同ーの時点に とどまり,遡行し, くり返される多音的な構成をもった時間秩序である.

語り続ける限り,母親は彼女自身の人間的時間を構成する主体である.少 なくとも語り続ける母親の口には 10st円という言葉はのぼらない.

姉の monologueでは過去は母親の場合と異なった現われかたをする.

そこでは過去が現在に鷺るのは写真を通してである.死んだ少年と姉の並 ぶ古い写真は sectionIIIで幾度も語られて姉にとっての思い出のありか たを比l聡的に表現しているa 姉の場合には記i憶はより明確に視覚的な映像 として現われる.姉にとって記憶とはまず見るζと,過去を停止した映像 として見ることである.実際 section IIIでは視覚的な要素が強調され る. Canyou remember, Eugene, how Grover used to look?  1 mean  the birthmark, the black eyes, the olive skin."  (p. 22)と聞き手の Eu‑

geneの記憶の中の映像を確かめることで姉はmonologueを始める.姉の 記憶の出発点は常に写真である.写真を通じて過去が睦ることによって,

姉は外界が今までとはどこか違って見えることに気づく.人々の限は「ま るで何かに当惑しているようにJ

r

自分たちが失なったものが何なのかと 当惑しているようにJ (p.  29)姉の眼に映る.また姉にとって過去は時間 の次元でよりもむしろ空間の次元で,すなわちより視覚的な次元で感じと られている.過去は Somethingwe dramedsomewhere. . . something  we heard somewhere . . . happened to someone else."  (p.  29)  として 空間的に現在から遠く離れてしまっているのだ.

視覚的な映像として控った過去は,遠いかなたから現在の姉に冷やかな

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72  The Lost Boy"にみられる記憶の構造

視線を投げかけているかのように彼女には思える.(Daisy and Ben and  Grover, Steve and all  of us‑‑and then how every one either dies or  grows up and goes away‑‑and then‑‑look at  us now! p.23)現 在の捕をみつめる幼ない日の姉白身の姿は,かつて未来に投げかけた希望 や野心を思い起こさせ,それらが満たされることなく老いてしまった現在 との間の gapに気づかせる. (All my hopes and dreams and big am bitions have come to  nothing, and it's all  long ago, as if  it  happened  in another world. p.28)写真から投げかけられる冷やかな視線が,今 まで空間的に遠く離れているように思われていた過去を Iまるで昨日起 こった」ことであるかのように匙らせる.過去からの冷やかな視線が,彼 女に白己の生をかつての希望や野心の挫折の過程として全体的に把握させ るのだ.われわれの日常的な意識にあっては生はこのような全体として現 われはしない.そこでは生は過去を絶えずその背後にっくりだしながら,

不確かな,しかしそれゆえに無限に感じられる未来へ向かう動色時間的,

空間的に無恨の拡散として意識されている。過去からの視線がわれわれの 現在をとらえる時にはじめて,われわれは不確かな未来への流動から一瞬 脱け出し,生を全体として把握するのだ.

ここまで母親と姉との monologueを「語ることJと「見ること」とを 中心にみてきた.二つの monologueを通じて Eugeneは聞き手一一過去 のある時に居あわせなかった者として想定されている.二人の語り手は語 りを通じて,聞き手が過去のある時に居あわせたならば経験したであろう 感覚や印象を Eugeneに再現しようとする.二つの monologueがそな えているある場所へ近づ、いていく動ぎの感覚は Eugeneの中に過去がし だいに形をとっていく動きでもある.section  IVは Eugeneが白ら過去 を再現していく processである.

section IIとsectionIIIの構成がそれぞれの語りの rhythmの上にな されているとすれば section IVの構成のもととなっているのは輝やき

(9)

The Lost Boy"にみられる記憶の構造 73  と陰りの交錯のrhythmといえる.過去と現在, Eugeneの中でしだいに 鮮やかになっていく記憶, Eugeneをとりまく広大な空間と死んだ少年が かつて横たわっていた小さな部屋,これらは輝やいては陰っていく陽のよ うに対照と交錯の rhythmを形づくる Eugene にとって現在と過去と は共に空間的な広がりの 1m旦併を伴なって意識されている.Eugeneを とりまく heat円と darkness円はそれらに包まれた暗く広大な空間を 彼に思い起こさせる.それは absenceandthe desolationヘ thelone‑ liness ;md sadness,円"enormous vacancy and weariness円に満たされ

た空間 Americaの大陸である. これらの phraseはすべて何らかの空 間の特質を表わす言葉と人聞の感覚的反応を表わす言葉とが and円で結 びつけられている.一方で空虚に,無際限に広がっていく空間が示され,

他方に人間の小ささ, 孤絶性を表わす言葉が対置される. Wolfeがその heroたちの senseof the presentを描く時,しばしばこの空間的な対照 の patternがとられる. Wolfeは人間の現在的な存在のありかたを無際 限に拡散していく空間の中で溺れる人間の imageでとらえる.ここでも Eugeneにとって現在は空虚な広がり,流動として現われる.彼は世界を 全体としてとらえることができないことに苛立ち I荒麗感と不信の中に 沈んで」いく.だからこそ,世界と自己の生とを全体としてとらえるため に, Eugeneは記憶ヘ,過去へと向かう.記憶の中の過去は決して空虚に,

無際限に広がっていきはしない.そこでは世界と Eugeneとはひとつに溶 けあい,彼は輝やきをおびた外界を感じ,触れ,嘆ぎ,味わうことができ た.世界は enormousvecancy"ではなく,幼ない Eugeneの「私」に 満たされ I私」が存在することによって意味と integrityを与えられた 空間であった.

記憶は陽がしだいに輝やきを増すように鮮やかになっていく.かつてそ うしたように「午後の人の出はらった気配と孤独の中で階段にうずくまり」

(pp.37‑8)さえすれば,過去がその当時そのままの気配や音や臭いを伴な

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74  Th巴LostBoy"にみられる記i意の構造

って一挙に鷺るであろうことを Eugeneは予感している. その時,三歳 の子供の loneintegrity of 1"を 取 り 戻 い Hereis  the House, and  here  House listening;  here  is  Absence

, 

Absence in  the afternoon;  and here in  this House, this  Absence is  my core, my kernal,一一‑here am I! (p.38)と再び感ずるだろうことを Eugeneは確実に予感してい

る. このような形での記憶のありかた,すなわち過去のある一瞬が一挙に,

鮮やかな感覚を伴なって現在に匙る経験を totalrecallと呼ぶことができ ょう.そして Wolfeの totalrecallはしばしば Marcel Proustが『失 なわれた時を求めてJで描いた「特権的な瞬間」と類似していることが指 摘される.周知のように, Proustはそζで過去のある瞬間の音や臭いや肉 体的感覚やが過去と現在において同時的に経験され, その結果被の Mar‑

celは「時間の秩序J(scope of time円〉から脱け出し,今まで隠されてい た事物の本性を享受し,また真の自己( trueself")を見出すという瞬間 を描いている.しかし Wolfeの total recallと Proustの privileged momentとは,それらの経験が heroにどのような認識を可能にするかと いう点で大きく異なっていると思われる.Eugeneの totalrecallがどの ようなものであるかは Wolfeがそこで用いている「鏡」の imageによ って比鳴されている.Eugeneはかつてそうしたように階段にうずくまり さえすれば I広間の暗い鏡( darkmirror勺 に 湛 え ら れ たJ幼ない披 白身の顔を再び見い出し,その幼ない眼をのぞきこむことができるだろう と考える匂.38).すなわち Eugeneは「鏡」のこちら側に I今,こ こに!という意識の側にいる.そして過去は,まるで現在であるかのよう に鮮やかでありながら,結局は鏡の映像として「今,ここに」という意識 の側から眺められているにすぎない.Proustの Marcelは過去と現在と を同時的に経験する(それは Wolfeの比轍にもとづいて言い直せば,鏡 の向こうとこちらとに同時に存在すること,鏡を越えることと言えよう〉

ことによって,時聞をも死をも越えて「永遠の本質」の領域に入いる乙と

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The Lost  Boy"にみられる記憶の構造 75  ができたが, W o1feの Eugene場合は totalrecallを通じての過去の鮮 やかな現前出と,過去の客観的な不在性とが対照されているにすぎない.

先に私はこの section が輝やきと陰りの交錯の rhythmの上に構成さ れていることを指摘した.Eugeneの totalrecallのprocessそのものも この rhythmをもっている.例えば Eugeneは Groverが死んだ部屋を 出ょうとする瞬間に totalrecallを経験する. I年月は枯葉のように落ち 去りJ,死んだ少年が「幽霊のように」近づいてくる.

Now say it~-Grover! 円

Gova.'

o~-not Gova一一一Grover!...Say it!

Gov旦 …

1 t 211 came backandfaded, and was 10st  again.  (p.  41) 

現在と過去が fuseしようとする瞬間に rcaptureされた過去は消え去 り,失なわれていく.

v

Tolfeは上の tota1recallの経験が Eugeneにど のような認識をもたらしたかについて Proustのようには分析しない.む しろ Wolfeは totalrecallによって recptureされた過去がたちまち消 え去った後の Eugeneの心理を rhetorica1に説明する.Eugeneは Gro‑

verカミ poorchild, 1ife's  stranger, and life's  exile, lost 1ike all  of  us,  a cipher in blind mzes,long ago" (p.  4わであることを確認する.こ

こには二つの心理が読みとれるように思う.ひとつは,匙り,そして再び 消え去った「死んだ少年Jを lostlike  all  of us "とみなしていること だ. すなわち死者を「われわれすべてと同様に失なわれた」存在とみな すことは主に言えば,生者を死という事実を通してみるということにな らないか.つまり上に引用した Poor child... long ago円 と い う 確 認 は死んだ少年に対してと同様にEugeneを含めた生者に対してもなされて いる.加わえて, ここには何かある線を踏み越えることへの恐れのような

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76  The Lost Boy "にみられる記憶の構造

ものが感じられないか. life's stranger" life's  exile" といった同じ connotationをもった語を rhetoricalにくり返していくことによってEu‑

geneが,そして Wolf巴自身が,自分自身に何かを納得させようとする 心理が感じられるように思うのだ.

Eugeneが sectionIVの最後で得る認識 thelost boy was gone for

ever, and would not return."について考えてみることはζれら二つの心 理を解明するだろう. thelost  boy円とは誰なのか.それはまず死んだ少 年としての Groverであることは明らかだ. またそれはかつての幼ない Eugene自身でもある.三歳の少年としてのEugeneを現在の彼は再び生 きることができず,鏡の映像のように再認することしかできなかった.さ らに, ζの lost円という感情は現在の Eugene自身にも向けられてい る.すなわち, total recallの経験は Eugeneに生についてのある認識を 可能にする.total recalIを通じて recaptureされた過去のまるで現在で あるかのような鮮明さと,その過去を再び生き得ないという過去の客観的 な不在性との対照は, Eugeneに過去と現在との間に経過した時間を量的 に把握させる.

r

今,ここに」と「かつて」とが対照され,その聞に生き られてきた生の全体は一挙に,量感を伴なって把握される. さらに Eu‑

geneが total recallを通じて探りあてた記憶は死んだ少年の記憶でもあ ったから, Eugeneの意識は死の想念をもはらんでいる.生は死という事 実の確認を通して眺められている.死とはただ生の状態でなくなることで はない.われわれははるかかなたに, しかし必らずあるものとしての死を 想うことによってのみ,生を統一的な全体としうる.前にも言ったように,

生とは様々なできごとの複雑に連関しあった継起であるが,われわれが自 己の生をとらえるのは常に「今,ここに」という現在的な意識においてで あり,そして現在とは背後に定漢と連らなる過去と不確かで無限に,思える 未来との不分明な接点にすぎない. このような生を腕々と連らなる杭の 列にたとえるならば,この杭の列をひとつの全体にしうるのは最後に打ち

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The Lost Boy"にみられる記憶の構造 77  こまれた杭のみなのだ. 逆説的にはひとつの生は「その終りとの類比 (analogy) によってのみ始まる。」死をその果てに想定した全体的な生の imageと, Eugeneの totalrecallの経験とは型の上での analogyがあ るように思える.鮮やかに建った過去と現在とがEugeneの意識の中で対 照され,不定形の生を枠で囲みこむのだ.そしてひとつの生の最後にくる 枠はすなわち死なのだ. 自らの可死性は観念としてではなく,型の anal

ogyを通して実感され, Eugeneを呪縛する.

こう考えることが可能だとすれば,われわれが sectionIVの最後の部 分で感じる何かある線を踏み越えることへの恐れのような印象1"過去は もう帰ってこない」という確認のあまりにも感情的な強調は解明できると 思う Eugeneの心理にはある種の時間感覚の合理化があるのだ¥過去を total にrecaptureすることによって生のただ中に侵入してきた死の想念 から臼常的な生の意識へと帰還するためには, Eugeneはrecaptureされ た過去を再び忘却の淵に沈めなければならない.未来は決して無限ではな いがあたかも無限であるかのように想定して刻々の現在とかかわっていく のが人聞の生の意識であるとするならば,そのような生の次元に戻るため には Eugeneは theenchanted wood, that thicket of man's memory" 

から自らをひきはがして hewould never come again, and that  10st  magic would not come again."  (p.  42)と自らに言いきかせる必要があ るのだ.Eugeneを少年の死の部屋へと導いてきたものが何か盲目の力の ようなものであったのに対し, he would never come  again.円という 心情には過去に対する態度を自ら決定しようという意志がみられる.そし てそれは過去を再び忘却に追いやることで生に復帰しようという意志なの だ.Eugeneが女家主に向かつて告げる good‑bye刊には「過去は戻り はしない」という心情と同時に1"過去は戻ってはならない」という心情 が読みとれるように思える.

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78  The Lost Boy"にみられる記憶の構造

このように私は TheLost Boy"を客観的,線的な時間の進行という 時間意識を背景にしてそれぞれの人物が過去を想起する際の様々な型とし て読んできた.各々の人物に共通して,過去が匙る瞬間は同時に彼らの生 の totalな imageが像を結ぶ瞬間でもあった.私はζこで取り上げた記 憶の様々な型が作品としての発展的な構造を形づくっているとは思わない.

各々の sectionのcharacterizationや物語的内容(その状況設定,できご との展開のしかた, など)にしてもそれらは W o1feの他の作品, 特に Eugene Gantを主人公とした二長編に materializeされている部分に類 似しており,この作品独自の構成といったものはみられない.それにもか かわらず TheLost Boy"はそれが記憶という motifを中心にしたい わ ゆ る themtic anthology" とみなすことができ,しかも記憶という motifが 羽10lfeの長編小説の最も大きな要素となっていることを考える 時, Wolfeの他の作品の解釈に手がかりを与えてくれるように思う. そ の意味で,最後に私は記憶の問題からの Wolfeの作品の解明という方向 について, ごく簡単に述べてみたい.奇rVoHeの作品への批判の多くのもの はその小説作、品としての構造 (structure)の欠如についてなされてきた.

また可rVolfeの作品を宵定的にみる批評家たちは,その作品構造を,生そ のものがはらむ多様性と有機性や, Wolfeの作品に常にみられる wan‑

dering forever and the earth again"という themeがもっ放浪の動き などにもとめてきた.私は Wolfeの作品の構造を記憶の型態との関連か らみてゆきたいと思う. Wolfeの作品の materialsourceは大部分が彼 自身の記憶にもとづいている.Helenや Eugneに与えられていた total recallの能力は Wolfe自身のものであった.過去は音や臭いやあたりの 気配までも含みこみながら一挙に,空間的な量 (mass)として W o1feに 理る.記憶を通して建った過去は,作家としての Wolfeが直面する現在 の世界が決して与えてくれない生の全体的な把握を可能にする.Wolfeは 量としての記憶を全体として表現しようとする.その場合に W o1feに可

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The Lost Boy"にみられる記憶の構造 79  能な方法は「語ること」である.

v

司Tolfe の作品には Eugene Gantや George Webberという heroesが設定されてはいるが,実質的にはその 大部分を Wolfe自身が現在の立場から語っているのだ.そしてわれわれ は聞き手として Wolfeの語りの前に身を置く. もちろん,語り手と聞き 手の関係は文学作品に基本的な前提ではある. しかし Wolfeの場合には この関係は極めて直接的なものであると思う.すなわち, Wolfeの作品に は heroの plotを通じての段階的な発展やできごとの展開と連関の効果 的な patternは存在しない.作品の細部は全体の contextに意味的な連 関をもって位置づけられておらず,孤立した点のように不連続的に並置さ れている.そしてζのような孤立した細部はW oIfe特有の rhetoricalな 語り口で強調され,またくり返される.それはわれわれが日常生活におい て過去の体験を語る時の特定の細部の強調ゃくり返しに似ている.われわ れが特定の細部を強調したりくり返したりするのは,それが語り子にとっ て「価値ある細部」として,すなわち伝えるべき体験の全体を象徴的に析 出する細部であるからだ.われわれは伝えるべき体験の全体をある│育景,

ある事物,時には断片のような言葉によって直観的に把握していることが ある.われわれが Wolfeの作品を読むi擦にわれわれを魅するいくつかの imageやsymbolはそのような全体を象徴的に析出する細部なのだ.例え ば LookHomeward, Angelを例jにとるならば,そζでは EugeneGant  の成長の過程に展開するできごとはそれぞれが artistic exile円 す な わ ち芸術家たらんとして故郷を出奔することへの orientationとして位置づ けられている.Wolfeは故郷での体験の全体を artisticexile円という 観念で直観的にとらえる.そして彼の alteregoである Eugeneの成長 過程の細部をそれぞれ artisticexile円への orientation として現在の

Wolfの視点から強調と変容を加えるのだ.その結果 Eugeneは「失な われた偉大な言葉」を求めてこの「牢屋のような世界」へ生まれ落ちるこ とになり,生まれたばかりですでに「言葉を通じての脱出」を予感してい

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80  The Lost Boy"にみられる記憶の構造

ることになるのだ.作品の全体は,個々の episodeが連関しあって narra‑ tive sequenceの上に秩序づけられたものではなく I価値ある細部」が 連続的に climaxを形づくって並置された容器のようなものとなっている.

そのような「価値ある細部」が強調され, くり返されてわれわれの内にひ とつの,あるいはいくのかの imageを結ぶ時一一それが「失なわれた偉 大な言葉」を追い求める人聞の姿であれ, a stone, a leaf, an unfound  door円という象徴的な事物であれ, 0,lost"という phraseであれー一一,

われわれは作品の全体,すなわち Wolfeが情動的に,直観的に把握した 故郷の体験の全体をつかみとることになるのだ. もちろん,そこにはこれ らの事物や imageやがどの程度まで全体を析出しうるかという鮮明さの 問題が問われねばならないことは当然であるが. したがって Wolfeの作 品の構造について考える際には次のような点が問題になってくるだろう.

すなわち,どのような imageや symbolを中心にして個々の細部にどの ような強調と変容がなされているのか.そのような細部が作品の全体にど のような frameworkを通して配置され,どのような variationをもっ てくり返されるのか. ここで frameworkとは具体的には, 個々の epi. sodeを連関させていくための構成, 例えば heroの成長や Wolfeの作 品にしばしばみられる pre‑existanceand return myth"などをさして いる.またある imageや事物を全体との関連において象徴的なものとし て読みとるのは Wolfeの characterたちなのか Wolfe自身なのかと いう pointof viewの問題,なども考えられねばならないだろう. この小 論ではそのような方向への出発点として Wolfeの描く記憶のいくつかの 型を考えることが目的であったから, こζではこれらの方向を具体的な documentationをぬきにして示唆するにとどめる.

(17)

The Lost Boy"にみられる記憶の構造 81 

i主〕

(1)  The Lefters of Thomas lclolfeto  his  lvlother, C. Hugh Holman and Sue  Fields Ross, eds., (new edition; Chapel Hill, The University of North Caro lina Press, 1968), p.  43. 

(2)  相良守次 u記憶とは何かj}, (東京:岩波書庖,昭25)p.4. 

( Wolf巴は TheStory of a Novelで時間の三つの相について書いている.ひと つ は theactual present"そして the past"であり,さらには timeim

mutable, the time of rivers, mountains, oceans, and the earth; a kind of eter nal and unchanging universe of  time aginst which would be projected the  transience of man's life, bitter briefness of his  day"である .The Story of  a 

' i

vel(New York:  Charles Scribner's Sons, 1936)  pp.  512. 

(4)  The boy stood  there, and a wagon rattled past.  There were some pople passing by, but Grover did not notice them.  (pp.  910) 

an old grey horse, with a peaceful look about his  torn lips, swucked up  the  cool  mountain  water  from  the  trough  as  Grovrand his father went  across the  Square, but they did not notice it.  (p.  13) 

本文中の引用頁数は以下の editionに基づく. The Lost Boy" in The Hills  Beyond ed.  Edward Aswell, (New York: Harper & Row, 1941) 

(5)  WolfesectionIIと同じ構成,同じ方法で秀れた中編 Webof the Earth " 

(in FトomDeath to Alorning)を書いており, また LookHomeward, Angel,  chap. VIIchap.XVIでも同じ方法で ElizaGantに語らせている.

(6)  M. ~ニャーノレ E. ミンコフスキー『生きられる時間L 中江育生,清水誠 訳, (みすず書房,昭47)pp.42‑5よりヲ開.

(の空間の中で溺れる人間の imageOnly the  Dead Know Brooklyn" (i IomDeath to Morning)に作品化されている.

(8)  例えば LouisD. Rubin, Jr. Thomas Wolfe:  The Weather of his  Youth,  (Baton Rouge, Louisiana State UnivrsibyPress, 1955) pp.  50‑51参照.

(9)  マノレセノレ・フ。ノレースト~失なわれた時を求めてj],第 7 巻「見出された時J ,

m

,淀野l径三,井上究一郎訳, (新潮社,昭 28).

ミシコフスキー ,op. cit, p.  173なお私はこの杭の比鳴を向書から借りている.

例記憶と死との結びつきは Wolfeにしばしばみられる.その典型的な例は Death the Proud Brother" (iFトomDeath to  l'Aorningうである.そこでは

「私」は夜の都市で四つの無名の死に出会うが,死は生を統一的な全体として完

(18)

82  :The Lost  Boy"にみられる記憶の構造

了し,静止させるものとしてみられている.そして Death ,""Memory"忘 却 を表わす Sle巴p"はpoetlCな passageで擬人化されて歌われる.また total な生の image Ben(Look Homeward, Augel, chap. XXXV) W.o. Gant  (Of Time and the River, chap. XXXII)の死の瞬間に鮮明に像を結ぶ.

同 Richard S.  Kennedyが NoDoor" (long version)について用いた用語.

Kennedy, Thomas W olfe's  Fiction: The Question of  Genre" in Thomas  W olfe and the Gμ5S of Time, ed.  Paschal  Reev巴s,(Athens, University of  Georgia Press, 1971), p.  16参照.

(

1ゆ ここで強調と変容という方法について説明しておきたい.例えば The Lost  Boy"の冒頭の数パラグラフは広場の風景描写と少年の monologueから構成さ れている.しかし Wolfeの風景描写は読み手の側に現実の広場の像を容易に結 ばない. それは「照っては陰る陽J,I鼓動する噴水Jなどの視覚的,聴覚的な imag巴や動きの rhythmは印象的に読み手に伝えられるのに,少年とその周囲 の事物との位置関係や少年を中心とした遠近法的な濃淡は一切無視されているか らだ.ここでは広場の風景を広場らしく描くことではなく,観念化され,抽象化 された広場という空間や特定の事物を通して,時間の進行や永遠の観念を視覚化 することが意図されている.少年と広場の風景とはいわば時間のmetaphorなの だ.時間の metaphorとしての広場の風景は s巴ction Iでくり返し描かれる.

そこでのできごとの展開のしかたが稚拙であるにもかかわらず,読み手の伊lIJには いくつかの imageや事物がその背後に時間の観念を伴なって印象づけられる.

もちろんこの短かい sectionでは鮮やかな効果は期待できないが, 少なくとも Wolfeの方法の原型的なものが示されているように思う.

参照

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