巴里エイゼンシユテインを聽く
著者 溝田 道雄
雑誌名 同志社文學
号 9
ページ 75‑78
発行年 1930‑11‑20
権利 同志社大學英文學科文學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000016754
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年二月中旬のある月曜日の午後九時︑巴塁ソルボンヌ大撃のリシュリウ講堂は︑教授・車一生・文士@批評家・映護人写二千人で身動きもできぬ程であった︒﹁新傾向調査のための哲皐的
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1ト・ロシアの映霊製作者エイゼンシユテ
インのつ新興ロシア映聾の諸原現L友る講潰をきL︑彼の﹁金繰﹂の映寝を観ょうとして集った人たちである白
あたり趨遁には厳粛な空気がたちとめてゐた︒直観の問題︑カント抵の超絶哲撃︑その他営代の白熱的な問題が︑若き暴徒の
前に︑フランス有数の教授によって誇々として設かれたその同じ講堂に︑数分ならやJしてヱイゼンシユテインが立たう
といふのである︒
彼があらはれた口ゐだやかな笑顔︒拍手:::それを押へようとする彼の身振り︒
とも何ごとぞ︑人々のざわめき!警腕膳からの電話で﹁金繰﹂の映寝が禁止された旨を司舎者が報告したのだ︒彼
の言葉は殆んど聞きとれなかった︒﹁知識普及の妨害::聡辱:::自由:・:﹂聴衆の憤怨・::怒競:;:叫喚!との猛
烈なデモは約十五分間穂積された︒
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4ヂユア抗議の波が鎮まるとヱイゼンシユテインが紹介された︒彼は所謂﹁講義﹂なしたのでもなく︑また強め準備したノー
トを一読んだのでもなかったり彼のフランス語はやL堅苦しい感がないでもなかったが︑その話し振りに至つては流暢な
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ものであった︒頭に浮ばぬ言葉のかはりに使用するヂェスチヤア友ども手に入ったもので︑寓人に理解されるものであ
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講読は素晴しい出来柴えだった︒人々は非常友感銘をうけた︒ソウェート欝術の偉大た傑作︑大地への護歌を限のあ
たり眺め得たかった営日の聴衆にとっては︑それがぜめでもの心やりであったらう︒
以下その講演の大︑要を抄錯する︒
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つ諸君に私の映聾を観ていたピく語に参りませんのはまととに残念なととであります:::ために私の仕事は一居の困
難を加へたζとにふなります︑限られたフランス語のカで映霊の楠なひを致さ血ばなりませんので口・::・話しの途中でも
疑問の黙は何卒御遠慮念︿︒能きるだけゐ答ヘしまずからD・:;ですが︑クlチェポフ将軍に闘するた訊ねとか︑私︑か
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vアで得てゐます給料についてのゐ尋ねとかいったゃうたものには︑充分縛満足の行くやう友返事を致
し粂ねますので︑とんな御質問をなさらぬゃう︑複めゐ麟ばりしてゐきますD﹂
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Iチぷポフ般市軍は口シア革命後パ
pl で亡命生活を怒ってゐた反ポルシエヴイキイ陣鈴の線大勝であるが︑本年一月二十六日
突徐火綜してしまヴた︒この事件を中心としてまきおこされた欧州の今大部分︒の新聞による反ソウエート熱の露骨な表明については
﹁改浩﹂五万携に木村毅氏により詳約報︐与されてゐること故就いて見られたいl
彼は進んで論旨の輪日取を興へる口彼はソウェート聯盟と資本家諸国とに於ける映聾の概念の相違から設き起す︒陳痛
な性的三角関係の破壊と映葺の教育的教化的水準へまでの品揚とは︑と彼は一五ふ︑革命後のロシア映霊監督たちの第一
の任務であった︒八官官ての被隠迫未成年者晴子の教育及び政治的棒蒙に関してソウェート映霊界が直面してゐる其膿的問題に就て︑また︑モスゴオ及びレニングラアドに於ける︑科撃的@審術的映葺従業員養成のための最初の均一堂大事開設に
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一︐私共は︑絶え守︑大衆を映童の製作に草入してゐますo私共の仕事の︑弊働者@農民による批評は︑私たちにとっ
て最も貴重一たものであります口私たちが彼等と共にまた彼等のために働いてゐる以上は︑置際︑唯彼等の要求と意見と
のみに耳を傾くべきであります口彼等は工場歪員舎でシナリオの慣枯闘を論議し︑また定に屡々燃岸在批評眼をもって私
共の仕事を鑑識﹁いたしま字︒ソーウェート聯盟院長きましでは︑監替やカメラマンは︑いづれかと申しますに︑第二共的
な役割を務めるものであります︒彼等はるる主題映叢北のイデオロギイ的重要性が映婁製作の目標となるべき人々によ
って決定された後に招き入れられるだけであります︒L
aヱイゼンシユテインは︑それから︑映霊の技術的範聞に於いてロシア映叢監督がなしとげた諸々の成果に就いての撮
要を興へる︒
﹁私どもの方法の重要性は︑観客に劃し︑一定の方向に副ふた思考を強制する法を護見したととの中に在るのでありま
す︒私たちは︑科島a的な計重を樹て︑観客に所定の印象を輿へるととの龍︑ぎるやうに映霊を装備するととにより︑私た
ちの新しい吐合制度の基礎となってゐる諸観念普及のための︑有力な武器をつくりだしたのであります︒
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﹁また私共は︑職業的俳優に替ふるに通常人をもってしましたD是によって私共は賓人生に一歩近寄ったものと確信し
てゐますo映聾に於きまして老人を必要とする場合︑とれを慣やる以前に僅々一一一日間しか練習したい俳優が︑云はど六
十年間も練習を績けてきた賓際の老人に匹敵し得る道理はないのであります口との方法は︑勿論︑多くの困難な問題を
合んではゐますが︑今起のとζろでは︑とれが以前の方法より勝れてゐるととを立詮してゐますo﹂
とれらの言葉はすべて︑聴衆に雑った高給俳優たちにとっては音築のやうに響きはしよなかったであらう︒然しエイゼ
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ンルユテインに於いては﹁太初に行錯ありき﹂であり︑員の船員︑甲府県の努働者によって︑また︑員正のロカ1
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動作@出来事の現場@場所)今で演ぜられた彼の映重を見た人遣は︑定に︑﹁プツデイングの味は喰はねばわからぬ﹂
ととを確信するに至ったであらう︒︑ン︑不﹁14政章に関する私共の新しい概念は︑襲術は科恩?と封立するものではないといふ考察の上に立ってゐます︒雨者は映書
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新?掛町デおよ副映室町一一のみが達成しうる方法に基いて結合するものであります︒観客は映霊幕上にうつるととろのものを感h
和一ます口科皐的定式は詩歌がもっ随意的性質を附輿され得るものであります︒而して︑此に閥す石私の考察の首
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否は何れでありませうとも︑現在の私は此の方向に泊ふて仕事を進めてゐるのであります︒私は?ルクスの﹁資本論a 一
を無教育な間労働者・農民に充分に理解させるために︑その映霊化の計書を樹てL
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疑ふのは各人の勝手であるが︑軍口々は今︑﹁金繰﹂に於いて牛乳分離器を観せ︑離衆の涙なそLるととに成功した男
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の前に在るととを忘れては友らぬ口加之︑資在の正鵠なる理解の基礎に立っとの人間感情の組織は︑マルクス主義者に
とっては︑何等新奇なととでは友い口フランスの高名な心理撃者クロオド・ペルナアルが偶然にも︑六十年の飴も前に同じ問題に就いて弐のやうに越ぺてゐる︒
﹁五日々は︑科単一‑と整備︑感情と理性の聞の割立を一五詩し得るものであらうか︒私はとの謝立の可能を信じない
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一i資本論﹂映霊化の動機は決してアカデミックなものではなく︑極めて具腫的なものである口役が吾々に語ってゐると
ほり︑それは持働者・農民に経済皐を教へる必要から生れたものである︒
﹁若し私共が成功致し・ます友らば︑それは一般謹術史に劃するロシアの偉大なる貢厳と友るでありませぅ︒﹂
而して結論
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﹁私共の映聾はプロレタリアート濁裁の裡に護展してきでゐます︒その誕生も護展も︑吾閣の偉大な
目的︑部一位合主義の建設から分離され得るものではありません︒﹂
講演格了後︑質疑磨答があったが︑その中一四日聾に関する答へから興味ある部分を抄諒してたく︒
﹁視莞に感ぜられる凡での事置は音聾の中にそれの割償物をもってゐます口とんた風に聴血児
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用してゐるのは︑私の知ってゐる限りでは唯日本の歌舞伎劇だけでヂ︒舞事上で俳優が切腹するのが硯られる一方︑舞
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豪横手から絹を裂く晋が聞えてくる如きはその一例であります︒ミツキイ・マウスの護聾漫霊もとの方法に非常に接近
してゐます︒との方法が映霊に於ける唯一の正営な一四日の使用であり︑映像と晋聾とを寝賓的に合致させる現在のやりか
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所 載 皆 吉 正
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に依った︒函に四月十八日の来朝紙は骨同日の
決況を傍へて次のやうに一五ワてゐる︒
﹁この日︑大講の構内には官憲のくりだし売警備り一大部隊が続性持してゐ大︒人は制服と私級との二重の人垣を押し分げなげれ
は講堂へはいることもそこから隣ることもdできなかっれ︒﹂
・廷に︑ァランス共和図の﹁完会なるデモグラシf﹂宵憲の符集部隊を以て武装された﹁臼肉﹂﹁平等﹂﹁博愛﹂議々歳ではある︒