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『宇治拾遺物語』の叙述と表現 : 第113話「博打子 婿入事」をめぐって

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(1)

『宇治拾遺物語』の叙述と表現 : 第113話「博打子 婿入事」をめぐって

著者 廣田 收

雑誌名 人文學

号 175

ページ 82‑183

発行年 2004‑03‑20

権利 同志社大学人文学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000007627

(2)

﹃ 宇 治 拾 遺 物 語 ﹄ の 叙 述 と 表 現

││第一一三話﹁博打子婿入事﹂をめぐって││

廣 田 收

︵一︶説話における叙述

﹃宇治拾遺物語﹄における説話の特質は︑叙述という視点からどのように認められるであろうか︒物語の叙述とい

うものを論じるにあたっては︑すでにさまざまな角度から論じられてきた

表題問の復反の現と︒制時︑で中のこか

ら説話の叙述について︑少考を述べることにしたい︒

早く阪倉篤義氏は︑﹃竹取物語﹄の﹁全巻を通じて︑会話の部分を除く︑地の文の数﹂を﹃日本古典文学大系﹄の

本文に基いて数えると︑約三二三文を認めうるという︒そのうち︑﹁﹃けり﹄を以て終始する文﹂は四三文であるとい

傾ると︑次のような向﹂があると述べているす挙︒各そしてそれらを﹁章列ごとに︑本文の順に︒

﹁けり﹂で終始する文は︑大体においてこの物語の前半に多く表われ︑しかもそれは大体幾箇所かに集中的に

用いられるという傾向を示している︒そして︑その場所というのは︑即ち各章の末尾および発端の部分であっ

― 82 ―

(3)

て︑その傾向は物語のはじめほど顕著に認められる

そのような事実によって︑阪倉氏は﹁この物語の各章﹂は﹁冒頭と︑結末の二章以外は︑それぞれ大体同数の文を単

位として成る﹂ことを指摘するとともに︑﹁この物語が︑ほぼ質的に等しい幾つかの部分によって組立てられている

ことを︑示すものでもあろう﹂と論じている

︒そして︑次のようにいう︒

この物語の文章の構成は︑前半と後半とでやや趣を異にする点が認められるが︑しかし︑全体的に見てその特

徴は︑﹁けり﹂止めの文を以て括られた幾つかの単位に分れ︑それら総てを更に大きく︑物語の初端および結末

の﹁けり﹂止めの文が締括る︑という形をとるところにあると考えられる

すなわち︑

一体︑この﹁けり﹂という助動詞は︑過去というよりは︑むしろ完了の助動詞的であって︑﹁き﹂が過去の事

象を︑それとして主観的に回想する態度を表わすに対して︑いわばそれをある程度客観視して︑常に現在との関

連において見る態度を示すものと言うことが出来る︒そこから︑一種︑説明的な叙述の態度が︑この﹁けり﹂に

は認められるのであるが︑これが更に﹁なむ﹂﹁ぞ﹂など︑聞き手への纏めを意図する助詞を伴って﹁なむ⁝け

る﹂﹁ぞ⁝ける﹂という形をとる時︑これは正に︑かの﹁物語る﹂という叙述の様式にふさわしいものであった

と考えられる

このような﹁﹃物語る﹄という叙述の様式﹂を︑阪倉篤義氏は﹁枠入りの叙述形式﹂と呼んでいる

これは︑物語の最も根底に予想される配置が︑説明するという意味で叙述に移されるときに︑原理的には話型に支

えられつつ物語の叙述を枠付けて行く可視的な枠組みであると見做せる︒

― 83 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(4)

およそ説話や物語に共通する冒頭の基本構文は︑単文として示すと次のようである︒

今は昔+︵存在︶+ありけり︒

である︒説話の冒頭に提示される存在は︑

!

選ばれた

"

在れさ構仮てしとのもるす内主に語物︑は彼︒るあで公人た

語り手によって︑﹁けり﹂をもって伝聞したこととして提示される︒文体としての﹁けり﹂を叙述という視点から考

察しようとするとき︑﹁けり﹂の機能を︑当面のこととしては単純に︑過去の事柄を回想的に伝承する機能として捉

えておきたい︒﹃宇治拾遺物語﹄の研究史においては﹁今は昔﹂﹁昔﹂﹁これも昔﹂という冒頭の区分が﹃宇治大納言

物語﹄から﹃宇治拾遺物語﹄に至る成立過程の痕跡と見る見解もあるが︑原理的に言えば︑﹁今﹂は必ずしも明示さ

れなくともよい︒﹁今﹂とは語り手の語り出す現在であり︑﹁昔﹂は以下︑語り手によって語り出される時空間へと︑

物語の内在するものとして仮構された聞き手である読み手を導く仕掛けである︒言い換えれば︑﹁今は昔﹂は︑出来

事の起きる時空間を用意する定式的な表現である︒﹃宇治拾遺物語﹄の場合︑﹁今﹂は編纂のなかに組み込まれた説話

の語り手の語り出す現在であり︑﹁昔﹂は過去のこととしての出来事の起きた平安京のこととして設けられる時空間

を示す︒

阪倉氏の言葉を借りれば︑物語は基本的に次のような構成をもつといえる︒

語り手の現在からする ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 84 ―

(5)

過去の出来事への導入⁝伝聞の﹁けり﹂による﹁回想﹂

出来事への立会い・追体験⁝現在時制による﹁説明的な叙述﹂

現在に対する説明⁝伝聞の﹁けり﹂による﹁回想﹂

そのように考えたときに︑﹃宇治拾遺物語﹄の説話の文体を改めて物語の文章構成から捉えると︑説話は物語と同

様の叙述の特質をもつことがわかる︒

例えば第一一三話の本文は次のとおりである︒本文は︑次のように一五の文から成り立っている︒

漓のるやうにて︑世人せにも似ぬありけりた寄昔若︑博打の子の年きりが︑目鼻一所に取︒ 滷にける処に︑長者の家かあしづく女のありけるがりて二に人の親︑これは︑いかし思て世にあらせんずると︑

顔よからん婿取らむと︑母のもとめけるを伝へ聞きて︑﹁天の下の顔よしといふ人︑婿にならんとの給﹂といひ

ければ︑長者悦て︑婿に取らんとて︑日をとりて契てけり︒

澆て︑顔見えぬやうにもなれして︑博打ども集まりどけそなの夜になりて︑装束どり人に借りて︑月は明かて

ありければ︑人

! "

しくおぼえて心にくゝ思ふ︒

― 85 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(6)

潺さて︑夜

! "

ぬりなにどほきべるゐ昼︑にく行︒ 潸寝井に上りて︑二人たのる上の天井を︑ひ天家いらかゞせんと思めぐしのて︑博打一人︑長者し

! "

と踏み

ならして︑いかめしく恐しげなる声にて︑﹁天の下の顔よし﹂とよぶ︒

澁かふどまき聞とぞ事るない家︑もどのものちうの家の︒ 澀︒顔よしといふと聞けい下かなる事ならん﹂といのの婿﹁︑いみじくおぢて︑を天のれをこそ︑世の人︑ふ

に︑三度までよべばいらへつ︒

潯へにもあらでいらつ﹁るなり﹂といふ心︑﹁いこれは︑いかにらばへつるぞ﹂といへ︒ 潛てを︑汝︑いかに思ひかぬくは通ふぞ﹂といふるり鬼ののいふやう︑﹁此家女なは︑わが領じて三年に︒ 濳と御助け候へ﹂いたへば︑鬼︑﹁いゞ︒﹁らさる御事とも知でり︑通ひ候つるなと

! "

にくき事なり︒一言

して帰らん︒汝︑命とかたちといづれか惜しき﹂といふ︒

潭命何ぞの御かたちぞ︒だ︑におはせば︑﹁たゞか﹁め婿﹂︑﹁いかゞいらうべきとといふに︑しうと︑しうた

ちを﹂との給へ﹂といへば︑教へのごとくいふに︑鬼︑﹁さらば︑吸ふ

! "

﹂といふ時に︑婿︑顔をかゝへ

て︑﹁あら

! "

﹂といひてふしまろぶ︒ 澂鬼はあよび帰ぬ︒ 潼ん︑てしさを燭指︑てと﹂見さ︒るた成ゞかいは顔﹁︑て人

! "

うやるたへすりと所につ一鼻目︑ばれ見な

り︒

潘︑て︑世婿にありてはなちにかせん︒かゝらざりに中たこは泣きてか﹁たゞ命と︑そ︒申るゝかれけりかべ ﹄表と述叙の宇語物遺拾治﹃現

― 86 ―

(7)

つるさきに︑顔を一度見え奉らで︑大かたはかくおそろしき物に領ぜられたりける所に参ける︑過ちなり﹂と

かこちければ︑しうといとおしと思て︑﹁此かはりには︑我持たる宝を奉らん﹂といひて︑めでたくかしづき

ければ︑うれしくてぞありける︒

澎いませければ︑みてじくてぞありけ住り所ての悪しきかと︑く別によき家をつる

本話は︑冒頭に﹁昔﹂を置く︒﹁昔﹂という語が収束して行く先は︑末尾の文

潘の﹁めでたくかしづきければうれ

しくてぞありける﹂と︑後日譚に相当する

澎をじみい︑ばれけせま住てりくつ家のきよに別︑てとかきし悪の所﹁く

てぞありける﹂である︒﹁昔﹂に対して﹁︵今は︶うれしくてぞありける﹂﹁︵今は︶いみじくてぞありける﹂と対応す

る︒

そこで右のように︑一五の文を取り出し︑段落に分割すると︑三つの段落に分けられる︒

冒頭の

漓滷の文末は﹁けり﹂︑末尾の

潘澎これらの助動﹁詞けり﹂は︑い︒るいてれらじ閉で﹂りけ﹁も末文のわ

ゆる伝聞の﹁けり﹂である︒このような冒頭・末尾の﹁けり﹂という文末をもつ文が︑出来事を伝える物語の枠を示

す︒

その物語の枠のさらに内部に︑物語の骨格を形成する枠がある︒それは﹁けり﹂ではなく︑﹁つ﹂﹁ぬ﹂で閉じられ

る文である︒

潺さて︑夜

! "

ぬりなにどほきべるゐ昼︑にく行︒

― 87 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(8)

澀かよしといふと聞け︒いなのる事ならん﹂といふに顔下婿を︑いみじくおぢて︑﹁ののれをこそ︑世の人︑天︑

三度までよべばいらへつ︒

澂鬼はあよび帰ぬ︒ 潺転味する︒それが場面換をの契機ともなっている意とはの︑物語の焦点が長者家こという場所に絞られる︒

澀は︑

婿が鬼の呼び掛けに応じ︑鬼によって抑え込まれる結果となる︒

澂還ぬ﹁や﹂つ﹁︒るす帰はてした果を割役が鬼︑﹂

は場面転換の契機となるものである︒

ちなみに︑そのような枠にかかわる文に比べて︑﹁なり﹂で閉じられる

潼のるす認確を末結題は難たし課の鬼︑た

めに説明として付加された文である︒物語を構成する二次的・二義的な文といえる︒

これに対して︑両者に挟まれ□で括った部分の中で︑

澆から

潼﹂もかし︑で語の外以りにけ﹁︑は体全の文る至現

在の時制で叙述されている︒現在時制によって我々は語り手の語るべき出来事に立ち会わさせられる︒物語において

語られるべき出来事は

澆から始まり︑

潘結るいてれらじ閉︑ればてのいおに﹂りけ﹁の尾末︒

すでに小峯和明氏は﹃今昔物語集﹄における﹁今は昔﹂について︑﹁﹃昔﹄に対する﹃今﹄の措定は︑過去の物語に

語りの現在を対置させることを示す﹂という︒そして﹁周辺の時間表現﹂について﹁人物の説明﹂を例に挙げて

﹁﹃近来﹄﹃只今﹄の家系説明﹂が﹁読者︵聞き手︶を物語世界にいざない︑﹃今﹄の時点から﹃昔﹄へ誘い出し︑逆に

﹃昔﹄から﹃今﹄に呼び戻す周到な語りの仕掛けであった﹂と論じている

いいかえれば︑読者は﹁︵今は︶昔﹂という約束された冒頭の語句によって︑現在から出来事の起きた過去へと導

かれ︑出来事に同時進行で立ち会うとともに︑再び現在に連れ戻されることになる︒ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 88 ―

(9)

このような叙述のありかたは︑﹃宇治拾遺物語﹄の他の説話にも認めらるものであり

︑今︑改めて別の事例を示 せば︑第四七話﹁長門前司女︑葬送時︑帰本処事﹂の叙述にも同様に認められる︒すなわち︑その本文は次のとお

りである︒

漓人けるが︑姉はのあ妻にてありけるり人今とは昔︑長門前司い二ひける人の︑女︒ 滷るりけりた居に家はに後︑がけ妹しぞ仕宮︑てくかわといは︒ 澆たるけりあぞどな人ふ通々時ゞ︑わてくなも男るたきつりあとざ︒ 潺︑るけりあは家ぞ高にりたわ町室辻︒ 潸たるけりた居ぞ姉はにか父の奥︑て成くなも母︒ 澁な人にあひ︑物ど常いふ所なりけるに︑南西のおもての︑のぞ方なる妻戸口に︒ 澀じりけにせう︑てひらづわくみ廿い︑年るけりなりかば八七︒ 潯にるけりたし臥︑てがや︑て口奥戸妻のそ︑てとしせろことは︒ 潛︑ぬいてゐへ野部鳥︑ててたしどさな姉︑ばねらな事きべるあて︒

濳ふ︑櫃かろぐとして︑たす︑いさゝかあきたりにろさかて︑例の作法に︑とくおせんとて︑車よりとり︒ 潭みにかい︑にるてあけあ︑てくしやも

! "

露物なかりけり︒︵

蠢︶

― 89 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(10)

澂︑なる事にか﹂と心いえず︑あさましか︑﹁ど道などにて落なすにべき事にもあらぬ︒ 潼と︑てと﹂はやんらあ︑てりすさ﹁︑てくなもたかきべ人

! "

あ︑もどれ見とやらかづのをに道︑て帰走る

べきならねば︑家へ帰ぬ︒

潘︑りたし臥ちうにうやのともに﹁口戸妻此︑ばれ見と﹂やしも︒ 澎そきし親︑てくしろおい︑もくしまさあと人

! "

に程ぐはさせはあひいとき﹂べすゞかい﹁てりまつあ︑

﹁夜もいたくふけぬれば︑いかゞせん﹂とて︑夜明て︑又︑櫃に入て︑このたびは︑よく実にしたゝめて︑﹁夜

さり︑いかにも﹂など思てある程に︑此櫃のふた︑ほそめにあきたりけり︒︵

蠡︶ 澑ちきしたし︑どれけなずい︑くしろそおくじみ人

! "

りよ棺︑ばれ見てり寄︑てと﹂ん見くよてく近﹁︑出

でて︑又︑妻戸口に臥たり︒

濂ろ入んとて︑よづかにすれど︑さらき︑﹁きいとどあさましわ又ざかな﹂とて︑に

! "

ゆるがず︒ 潦︑︑すべきかたなくて﹁れたゞ︑こゝにあらんとばなつなちより生ひたる大木どうを︑ひきゆるがさんやて

か﹂と思て︑おとなしき人︑寄りていふ︑﹁たゞ︑こゝにあらんとおぼすか︒さらば︑やがて︑こゝにも置き

奉らん︒かくては︑いと見苦しかりなん﹂とて︑妻戸口の板敷をこぼちて︑そこにおろさんとしければ︑いと

軽らかにおろされたれば︑︵

蠱︶

すべなくて︑その妻戸口一間を板敷などさりのけ︑こぼちて︑そこにうづみて︑たか

# "

と塚にてあり︒ 澳家の人

! "

かて︑み︑ほへぼわたりにけり︒えなおあもくてあひゐてさら︑物むつかしん ﹄表と述叙の拾語物遺治宇﹃現

― 90 ―

(11)

澣もりけにせうれぼこなみ殿さ寝︑ばれけに経月年︑て︒ 澡くずかつゐえ︑もどなすげ︑は近いらはたかの塚此︑かに事るなか︒ 澤はつかねば︑そこたえゞその塚一ぞあるゐもむ︑つかしき事ありと云人つたへて︑大かた︒ 澹も間斗が程は小家な六くて︑その塚一ぞ七︑高よ辻よりは北︑室町りには西︑高辻おもて高

! "

としてありけ

る︒

濆はろをぞ︑一いひやすへてあなるしのいにかにしたる事か神︑塚の上に︑︒ 澪此比も今にありとなん

本話もまた﹁博打子婿入事﹂と同様︑冒頭は﹁今は昔﹂︑末尾は﹁此比も今にありとなん﹂とあるように︑明らか

に冒頭の﹁昔﹂・末尾の﹁今﹂とは対応している︒ただし︑本話にとって現在に在るのは﹁高辻室町﹂という場所︑

﹁塚﹂とその上に造られた﹁社﹂だけである︒そこから︑過去に戻って︑目撃した出来事を今に証言することによっ

て︑﹁塚﹂と﹁社﹂の由来を説明するという構成をもつのが︑本説話に他ならない︒本説話は︑いわば悪所の由来を

説く説話として読むことができる︒説話集の編者の現在﹁今﹂にあっては︑もはやすべては﹁昔﹂の出来事に過ぎな

い︒

本説話ならびに繁盛社の由来については︑すでに先行研究がある

辿読にうよの次とるを︒述叙の話説本︑だたむ

ことができる︒

長門前司の姉妹のうち︑妹は常に姉と待遇のされ方が違っていたとみられる︒そのことについて︑諸注は触れてい

― 91 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(12)

ない︒普通︑姉妹ならば両方とも寝殿の奥に住むであろう︒姉の方だけが妹より格段に高貴な扱いを受けていると見

える︒姉と妹が寝殿の屋内で住み分けていることは︑例えば姉と妹は母を異にし︑姉の母が妹の母よりも身分が高い

ということも考えられる︒妹の住む妻戸口というのは︑女房の居所である︒また︑妹が宮仕えに出たというのは︑姫

君としての扱いではないことを意味するかもしれない︒あるいは︑妹がかつて宮仕えしたが後︑父の家に住み︑時々

男を通わせたというのは︑零落の姫君の物語のひとつであるとも見られる︒

いつも妻戸口に住んでいた妹は︑病死する︒そこで遺体を﹁鳥部野へゐて﹂行き︑﹁例の作法にとかくせん﹂と荼

毘にふそうとすると︑いつの間にか遺体が無くなっている︒人々はもしやと思って帰宅すると︑驚いたことに亡くな

った妹は妻戸口に﹁もとのやうにうち臥し﹂ていた︒今度は厳重に納棺したが︑﹁夕つかた﹂また櫃の蓋が開いてい

る︒やはり亡くなった妹は︑前と同じように妻戸口に臥していた︒また動かそうとすると︑今度はびくとも動かな

い︒そこで﹁おとなしき人﹂は妹が妻戸口から離れたくないという意志があるのではないかと考える︒板敷をこぼつ

と︑遺体は簡単に土の上に下りた︒それでそこに埋葬したという︒

この事例においても︑冒頭の

漓 潯までの文末は﹁けり﹂︑末尾の

澳澣及び

澪閉るいてれらじでの﹂りけ﹁も末文︒

そのような冒頭・末尾の﹁けり﹂という文末をもつ文が︑説話における出来事を伝える説話の枠を示すとともに︑

﹁つ﹂﹁ぬ﹂で閉じられる文をもってその説話の枠のさらに内部に︑説話の骨格を形成する枠がある︒それが︑

潛︑ぬいていへ野部鳥︑ててたしどさな姉︑ばねらな事きべるあて︒ 潼と︑てと﹂はやんらあ︑てりすさ﹁︑てくなもたかきべ人

! "

べるあ︑もどれ見とやらかづのをに道︑て帰走き

ならねば︑家へ帰ぬ︒ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 92 ―

(13)

などである︒

一方︑□で括られている部分の中にも﹁けり﹂で終止する文も認められる︒

潭みにかい︑にるてあけあ︑てくしやも

! "

露物なかりけり︒ 澎そきし親︑てくしろおい︑もくしまさあと人

! "

夜﹁︑に程ぐはさせはあひいと﹂きべすゞかい﹁てりまつあも

いたくふけぬれば︑いかゞせん﹂とて︑夜明て︑又︑櫃に入て︑このたびは︑よく実にしたゝめて︑﹁夜さり︑

いかにも﹂など思てある程に︑此櫃のふた︑ほそめにあきたりけり︒

これらはむしろ発見の機能をもつ﹁けり﹂であり︑説話を枠付ける伝聞の機能とは異なるといえよう︒

伝聞の﹁けり﹂をもって説話の枠は形作られるのに対して︑文末の現在時制は読者が︑説話のなかの存在の言動に

立ち会う仕掛けといえる︒

︵二︶説話における叙述と要約││﹁例の作法﹂││

妹を納棺して野辺送りしようとする人々の行動が繰り返されるが︑なぜかなし遂げることができない︒最初︑人々

は奇異に思うが︑不思議なことの起こる理由がわからない︒二度目にも︑なお野辺送りの不可能になる理由がわから

ないにしても︑人々は何か理解できない意志の働いていることを感じる︒三度目にして初めて︑人々は妹の本当の遺

志を理解する︒そのような三度にわたる繰り返しの中で︑野辺送りと﹁例の作法﹂

に基く葬儀は断念され︑長年妹

の住み慣れた妻戸口の場所に埋葬することが決まる︒火葬から土葬へ︑人としての葬儀から祟る怨霊を鎮める祭祀へ

― 93 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(14)

の転換が仕組まれる︒死者を埋葬した﹁塚﹂すなわち墓の上に﹁神のやしろ﹂を造営するというのは︑祟り神に対す

る鎮魂である

ここには︑説話における三回繰り返し

そはいるあ話説や語物ろしむはれ︒の出うちに起きる来る事が認められ昔

話に認められる普遍的な原理と見える︒それに対して︑儀礼性は亡くなった妹の葬儀という歴史的習俗を叙述すると

ころに顕在化する︒

﹁例の作法﹂について諸注釈は次のとおりである︒

漓本頁二三一﹄書全典古日野﹃︵︒儀葬︒送の辺︶ 滷拾頁二七一﹄解註全語物遺治野宇﹃︵︒儀葬︒りくおの辺︶ 澆古頁九三一﹄系大学文典本野日﹃︵︒儀葬︒りくお辺︶ 潺古頁六五一﹄集全学文典本葬日﹃︵︒り送辺野︒儀︶ 潸古︵﹃新潮日本典で集成﹄一三八頁︒の葬と儀のしきたりでにうかくしようとい︶ 澁本うとして︒︵﹃新日古め典文学大系﹄九五頁よ進葬と儀の所定の作法にもづをき︑あれこれの段どり︶ 澀典︒︵﹃新編日本古文続学全集﹄一二九頁き手遺す体を火葬し︑埋葬るのというような葬儀︶

それはどのような﹁しきたり﹂なのか︒

例えば︑﹃権記﹄寛弘八︵一〇一一︶年六月二二日条以下に︑一条院の崩御に伴う葬儀の次第が伝えられている︒二

五日条に院の遺体の﹁御入棺﹂が行われ︑﹁院司等﹂が﹁大炊頭光栄朝臣﹂を召して﹁御葬送雑事日時﹂﹁造御棺

時﹂﹁御沐浴日時﹂﹁御入棺日時﹂﹁初行山造日時﹂その他を決めさせている︒さらにこの日︑左大臣以下は﹁因旧記 ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 94 ―

(15)

御葬送并御法事雑事等﹂とあり︑﹁旧記﹂に拠って﹁御葬送﹂や﹁御法事雑事﹂を定め︑内蔵頭公信や伊

予介広業などに﹁定文﹂を﹁執筆﹂させている

存い基にれこ︑ととこたし在が︒﹂記旧﹁きべる拠︑ちわなすて

﹁雑事﹂が定められ︑﹁定文﹂が作定された︒そのことは︑葬儀がまさに儀式としての式次第・作法をもって﹁しきた

り﹂となって生きていたことに他ならない︒

﹃権記﹄の筆者藤原行成はいう︒

時︑予自世尊寺参︑候殿上南戸内︑源相公先之在此︑予依大臣命南廂︑予者非院司︑不

此定︑然而只以近習侍臣籠候︑亦得此末席

自分は院司ではないから︑本来この﹁定﹂は知らないのだが︑院の﹁近習侍臣﹂によって知るところとなったと行成

は記している︒そして︑﹁其定文﹂として︑次のような次第と行事︱執行責任者を記している︒

御葬事

一︑造御棺事︑始時巳四點︑

行事広業朝臣︑判官代式部少丞藤原惟任︑大膳属犬・︻飼︼忠時︑

御入棺人々︑/︵略︶

秉燭二人︑︻可儲布燭︑︼/︵略︶

一︑造御輿事︑行事広業︑惟任︑忠時︑/︵略︶

一︑焼香事︑︻高坏四本︑可置甍︑︼行事義通︑/︵略︶

― 95 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(16)

一︑行障十六基︑行事章信︑/持人

一︑黄幡︑

一︑炬燵十二人︑行事季任︑/︵略︶

一︑御前僧廿口︑/︵略︶

一︑山作所︑行事為義朝臣︻︵略︶︼/︵略︶

御竃所︑︵略︶

迎火十五人︑行事季任︑/︵略︶

上物︑行事惟任︑/︵略︶

素服所︑行事公信朝臣︑/︵略︶

定七々御法事︑

一︑御仏事︑/︵略︶

一︑名香︑/︵略︶

一︑御経︑/︵略︶

一︑御願文︑︻︵略︶︼/︵略︶

一︑七僧法服︑/︵略︶

布施︑/︵略︶

粥時︑/︵略︶ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 96 ―

(17)

一︑請僧︑/︵略︶

一︑百僧︑/︵略︶

一︑布施︑粥時︑/︵略︶

一︑御誦経事︑/︵略︶

一︑堂具︑/︵略︶

一︑堂荘厳︑鋪設︑/︵略︶

一︑饗︑殿上料五十前︑蔵人所廿前︑行事朝臣︑

一︑施行事︑米廿石︑

定御正日雑事︑

一︑御仏︑/︵略︶

一︑御経︑/︵略︶

一︑御誦経︑行事成順︑

一︑七僧法服︑/︵略︶

一︑七僧粥時︑行事頼国︑

一︑題名僧粥時︑行事頼国︑

饗︑行事義通︑/︵略︶

一︑請僧︑/︵略︶

― 97 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(18)

行事

一︑布施︑/︵略︶

いうまでもなく︑右は一条天皇の葬儀の具体的な事例の記録であり︑一般にあっても規範として﹁例の作法﹂が存

在したことは︑六月二八日条に︑次のような記事も見えることから明らかである︒

但事之案内無承︑今日参院見人々御気色︑可執申侍︑又十日者︑計自八日在三日之内︑十一日在七 日内︑共可無便宜︑天暦六年朱雀院崩給之後︑依太后御悩︑行幸主殿寮之時︑在御心喪内︑彼時所被相 定︑可准拠歟︑︵略︶ 又依先例付云々︑如何事︑御即位以前被固関︑已有先例︑︵略︶抑亦院御葬以前︑猶難

国歟︑此事可延長例也︑因冷泉院例行云々︑何日許可令院給哉︑然者承其日可

鐵候そ

と︑傍線を引いた箇所に見えるように︑葬儀には夥しい故事先例の関与していることが知られる︒

ちなみに﹃宇治拾遺物語﹄の﹁例の作法にとかくせん﹂という表現を考えるために︑儀式との関連が強く認められ

る﹃源氏物語﹄の事例を参照することにしたい︒その﹁作法﹂の用例は︑葬儀の事例の他に︑婚儀︵光源氏と葵上︒桐

壺︑一巻二六頁︶︵女三宮︒若菜上︑三巻二三九頁︶︑産養︵夕霧︒一巻三〇八頁︶︑灌仏︵六条院︒藤裏葉︑三巻一八六頁︶︑行

幸︵六条院行幸︒藤裏葉︑三巻一九六頁︶︑出家︵女三宮︒若菜上︑三巻二二六頁︶︵女三宮︒柏木︑四巻一〇頁︶︑算賀︵光源氏

四十賀︒若菜上︑三巻二六七頁︶︑対面︵一条御息所︒夕霧︑四巻一〇八頁︶︑新築の殿移り︵明石君︒乙女︑二巻三二六頁︶ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 98 ―

(19)

︵夕霧︒四巻一三六頁︒二例︶︑大学入学における着座︵夕霧︒乙女︑二巻二八三頁︶などがある

そこで﹃源氏物語﹄において﹁例の﹂﹁作法﹂というような語構成をとる事例の中で︑葬送の儀式にかかわる用例

を取り出すと︑次のとおりである︒

漓ん﹁同じ煙にのぼりな﹂方と泣きこがれ給ひて︑の限にりあれば例のさほうお北さめたてまつるを︑母︑

︵桐壺︑一巻九頁︶

滷へさほうのたまどど︑﹁何か︑このほ﹁くさらにことなしのなせ﹂と︑そと

! "

しくすべきにも侍らず﹂とて立

つが︑いとかなしくおぼさるれば︑︵夕顔︑一巻一三二頁︶

潸こさしも思ひ給へらず︑とゞはりの世の別れに︑おのと大と宮の亡せ給へりしをいかおなしと思しに︑致仕のほ

やけ

! "

らく心づきなかりしに︑六条院のつに︑かしきさほうばりしのことを孝じ給中

! "

ねんごろに後の御事

をもいとなみ給うしが︑︵夕霧︑四巻一二五頁︶

澁過なれば︑骸を見つゝもぐこしまじかりけるぞ心うとるやさがてその日︑とかくおめけたてまつる︒限りありき

世中なりける︒はる

# "

かめしきさほうなれど︑いとはかなきいなくもと広き野の︑所なりく立ち込みて︑限煙

にて︑はかなくのぼり給ぬるも︑例のことなれど︑あえなくいみじ︒︵御法︑四巻一七五頁︶

澀所

! "

ほう許にはあらずい︑としげく聞こえ給さ例のをの御とぶらひ︑内は︑じめたてまつりて︒

︵御法︑四巻一七七頁︶

潯てよりもさし分かせ給︑ほことに禄などたまはすうさ導に師のまかづるを御前召のして︑さか月など︑常︒

︵幻︑四巻二〇五頁︶

― 99 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(20)

潛どて︑とかく例のさほうもほするぞ︑あさましかりし思言るふかひなくて︑ひたふにと煙にだになしはててむけ

る︒︵総角︑四巻四六〇頁︶

濳よ葬送の事は︑殿に事のし﹁も申させ給て︑日定め御︑大し夫︑内舎人など︑おどきてこえし者どももまいりら

れ︑いかめしうこそ仕うまつらめ﹂など言ひけれど︑︵略︶この事を向かひの山の前なる原にやりて︑いと忍び

て︑と思やうあればなん﹂とて︑人も近うも寄せず︑この案内知りたるほうしのかぎりして焼かす︒いとはかな

くて︑煙ははてぬ︒ゐ中人どもは︑中中かゝる事をこと

! "

ばれけりなのもるすく深どな忌言︑しなしくし︑

﹁いとあやしう︑例のさほうなどあることども知らず︑下種下種しくあへなくてせられぬる事かな﹂と譏りけれ

ば︑﹁かたへおはする人は︑ことさらにかくなむ︑京の人はし給﹂などぞさまざまになんやすからず言ひける︒

︵蜻蛉︑五巻二七二頁︶

﹃源氏物語﹄の葬儀は︑描かれるかぎりにおいて︑すべて火葬にふされている︒

漓は桐壺更衣︑

滷は夕顔︑

潸は夕霧

の祖母大宮︑

澁澀は紫上︑

潛は宇治八宮︑

濳式ういを第次・儀はの送葬の舟浮︒ 澁でれる︒特に手厚いものあ行ったが︑火葬によってわりにて関して︑光源氏によっ亡とき紫上のために葬儀は紫

上の亡き骸が煙となるのも﹁例のこと﹂だが︑あっけなくはかないものであるという︒

濳にが発言している︒さら﹁階ゐ中人﹂が葬儀をとり層のに関ついて︑浮舟の葬儀にしどて﹁大夫︑内舎人﹂な行

なうとあるから︑京中とは異なる葬儀が行われたことが知られる︒逆に︑京中では︑﹁下種﹂でなく貴族社会に﹁例

の作法﹂のあることが示されているといえる︒

なお︑物語の中で印象深い葵上の葬儀は︑﹁作法﹂という言葉が用いられていない︒ただし︑﹁夜もすがらいみじう ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 100 ―

(21)

のゝしりつる儀式なれど︑いともはかなき御かばねばかりを御なごりにて︑あか月深く帰り給﹂とある︵葵︑一巻三

一二頁︶︒

﹃源氏物語﹄においては火葬が一般的であるのに対して︑﹃宇治拾遺物語﹄第四七話の長門前司の娘の場合は土葬で

ある︒そのような習俗の相違は︑時代の相違というよりも︑死者の扱いに対する相違である

いずれにしてもこれらの儀式・次第は歴史的な事象であることにおいて︑説話の表層に属する︒原理的なものと歴

史的なものとのそのような組み合わせが︑説話の表現のもつ複合性である︒

考えるにこの説話において長門前司が誰であるのかはあまり重要でない︒重要であるのは︑﹁高辻室町﹂という地

名である︒その場所である︒すなわち平安京の悪所

れれ怖らか々人ぜなが所悪たらで知くよ︑ばえいに逆︒るあら

れ︑忌避されるようになったかを﹁説明する﹂

話るあは的目の説とのこ︑にろこ︒

そのような関係から見ると︑逆に第一一三話においては三回繰り返しが叙述に用いられても構わないことを示して

いる︒と同時に︑第四七話において﹁例の作法﹂という表現に要約されているように︑儀礼を踏まえていることを示

している︒

原理的な話型を基に︑可視化された叙述の枠を備えて具体的な叙述がなされる︒そして平安京における歴史性を帯

びた儀礼性の叙述は説話の表層に属する︒叙述を進めて行く上で︑葬儀や婚儀などのしきたりは︑歴史性を帯びた表

現といえる︒

― 101 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(22)

︵三︶物語叙述と儀礼性

第一一三話において︑博打の子が長者の婿になるにあたっては︑﹁日をとりて契てけり﹂とある︒さらに︑﹁夜

! "

行くに︑昼ゐるべきほどになりぬ﹂とある︒ここには﹁昼ぬるべきほど﹂という本文異同もある

︒ただし﹁昼居

る﹂か﹁昼寝る﹂かは︑文脈からは本質的な異同ではない︒いずれにしてもこれらは︑通いから始まる婿入婚

の形

態を示している︒すなわち︑吉日を選んで婚姻の儀式をなしたことと︑婚姻後の披露の宴という儀式を表現したもの

と読める︒そのことは︑﹃宇治拾遺物語﹄が平安朝以来の伝統的な物語の表現を襲うものといえる︒

例えば︑院政期の儀式書﹃江家次第﹄は巻第二〇に﹁執聟事﹂と題し︑﹁近代例﹂と注して︑次のような式次第を

載せている︒なお︑︻︼は小字の割注を示す︒

執聟事︻近代例︼

当日初有消息︒ 以本家之者使︑或無返事禄︑書裹様凡人与主上異云々︑必不然歟︑ 母屋庇出居侍所随身所︑︻小舎人在件所︑多分車宿廰︑為具所︑︼雑色所︻同︑︼牛飼所等并備畢︑ 聟公来︑︻布袴︑往年留剣下︵重︶着衣冠帰︑近代一夜例無其事︑︼追門車突車︑前駈取松明行︑ 脂燭差二人進出中門︑︻衣冠︑︼以御前火於脂燭前行︑聟公入中門寝殿腋階︑︻但登階随

所便︑︼水取人下階執沓︑︻同上︑︼ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 102 ―

(23)

件沓舅姑相共寝臥之︑ 脂燭一人留戸外︑一人親本家之人︑取合両脂燭帳前︑火移付燈楼︻三日不消︑︼聟公入帳内︑姫 公出︑︻必用鬘濃袴︑依人之心後出云々︑︼聟公解装束衾︑︻物吉之女上履︑︼車引入︑︻随身雑色 着其所︑︼ 次供餅銀盤三枚︑︻有尻居各盛小餅︑︼加銀箸台銀箸一双木箸一双︑件箸台多作鶴形︑ 已上居紫壇地螺鈿筥蓋︑ 件筥燕螺鈿云々︑多令夫婦年久子孫繁昌者之︑又令件餅︑聟公食餅三枚︑︻不食切云々︑︼

件陪膳是男陪膳也︑

次奉烏帽子狩衣︑︻妻家儲之︑︼聟公着之︑出帳前︑次供膳︑︻陪膳本家親昵之四位若五位︑︼近代用台三 本︑︻不六本儀︑︼一本箸台加銀箸木箸︑追居四種︑二窪器二︑次第二台追居乾物五盃生物五坏

︻是服赤色切也︑︼供飯︑︻居中盤︑居第二台南︑︼陪膳分盛於分器第一台︑次供酒器︑︻三物不

盤︑相従銚子︑︼冷汁︑︻相加追物︑︼次温汁︑︻同上︑︼次居菓子台︑︻五坏︑立一台南︑︼次侍所饗︑

︻蔵人五位勧盃︑︼汁物追物如常︑賜禄︑︻五位褂一重︑袴︑六位褂一重︑︼次随身所勧盃︑衛府五位勧坏︑︻諸 司官人︑︼長二人各給褂一重︑︻禄随時︑︼次牛飼勧盃︑給装束并禄︑︻随時︑︼次出下飯︑出居方︑ 次夜陪膳如此︑到第四日差筵︑︻女房陪膳︑︼童女着宿装束

次以吉日︑乳母許遣物︑近代不装束︑︻禁忌之心也︑︼

― 103 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(24)

次聟公父取吉日渡︑︻有儲︑︼親昵人公

吉日殿御湯︑択吉日取送物等并︑疋二馬物出曳遣会来下以聟 公出仕︑近代露顕一夜也︑仍無後朝使云々

﹃江家次第﹄によると︑聟取の儀は︑初日︑夜に行われる︒次の夜に陪膳があり︑後日︑﹁吉日﹂を選んで︑乳母への

贈物︑さらに﹁吉日﹂に︑聟公と父が対面する︒﹃宇治拾遺物語﹄の本話において︑﹁昼ゐるべきほどになりぬ﹂と

は︑﹃日本古典文学大系宇治拾遺物語﹄が﹁正式に婿入りすること﹂

よえま踏を式儀なうのとそ︑りおとるす注た

表現と考えられる︒

本話が婿入婚の形態をとるとするならば︑民俗学の指摘において︑例えば村武精一氏が︑日本の﹁妻訪婚の特徴﹂

を﹁嫁入婚﹂と比較して次のようにモデル化されていることは参考となる︒

︵1︶婚約成立儀礼︵略︶

︵2︶婚姻成立儀礼妻訪婚では初聟入り︑嫁入婚では嫁入りをもって婚姻が成立する︒聟入りは︑嫁入婚では

嫁入りの付属的儀礼にすぎなくなっている︒

︵3︶披露妻訪婚では︑婚姻成立儀礼の後︑しばらくしてから行われるのが通例︵多くは嫁の引き移

りのとき︶

﹁昼ゐるべきほどになりぬ﹂という表現は︑民俗事例によれば︑この﹁披露﹂の儀式に相当すると考えられる︒

つまり︑葬儀についても︑婚儀についても︑﹃宇治拾遺物語﹄は﹃源氏物語﹄と同質性を持つことが知られる︒た

だ︑伝統的な物語では物語の叙述が儀礼に基き︑儀礼そのもののうちに語られるべき事柄が託されるのに対して︑本

話では主人公が企てようとする目的に対して儀礼が障害となるように働くのであり︑にもかかわらず障害と見えてそ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 104 ―

(25)

れを逆手にとることで目的を実現していくところに︑本話の説話としてのおもしろさがある︒

︵四︶昔話における﹁三回繰り返し﹂と説話における痕跡

本話において︑博打の一人のなりすました鬼が︑婿に呼び掛ける条︑﹁三度までよべばいらへつ﹂とある︒この箇

所について︑﹃新日本古典文学大系﹄だけが次のように注している︒

﹁三日夜の餅﹂﹁三々九度﹂など︑婚姻の習俗には三という数字にかかわるものが多い︒ここおよび後の﹁三

年﹂もその縁か︒︵﹃新日本古典文学大系﹄︶

﹃新日本古典文学大系﹄は﹁三﹂という数にこだわっているが︑物語の本文によれば︑三度呼ぶまで婿は返答しなか

った︒問題は︑数の類縁性の問題ではなく︑説話の叙述の問題ではなかろうか︒

すなわち︑本説話をもし反復を厭わず表現した場合には︑

︵鬼︶﹁天の下の顔よし﹂︵婿︶自分に呼び掛けていると知るが返答せず︒

︵鬼︶﹁天の下の顔よし﹂︵婿︶なお返答せず︒

︵鬼︶﹁天の下の顔よし﹂︵婿︶思わず返答してしまう︒

というように︑問と答の三回繰り返しとして叙述されるのでなければならない︒

鬼の方から最初に呼び掛けられたとき︑﹁家のうちのものども﹂は﹁いかなる事ぞと聞きまどふ﹂というありさま

であった︒呼び掛けている者が何者であり︑誰に向かって呼び掛けているのか︒婿はこの謀略を感知していないよう

― 105 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(26)

に見える︒婿は﹁いみじくおぢて﹂いる︒﹁天の下の顔よし﹂と呼び掛けられたことによって︑その声が自分に向け

られたものであると分かっており︑それも人ではない

!

何者か

"

いるいてし示をとこるてのし解了とるあでざわし︒

そして重要であるのは︑この繰り返しの中で鬼と婿とが対峙する関係として据えられることである︒

そのとき︑婿に対して﹁これは︑いかにいらへつるぞ﹂というのは長者の言葉であろうか︒黙っていればよいのに

なぜ鬼の問いかけに答えたのか︑とまるで咎めるような口調である︒それに対して婿は﹁心にもあらでいらへつるな

り﹂と言い訳をしている︒婿の口ぶりは︑鬼の問いかけに答えてはいけないのに︑つい答えてしまったといわんばか

りである︒つまり︑姿も見えず人を呼ぶ邪悪な存在に対して︑人の側から応答することは忌まれていたことが予想さ

れる︒魔物の呼ばる声に答えてはいけない︑答えると禍いが生じるということは民俗事例においても知られるところ

である

現ある︒この説話の表にのは﹁してはいけない﹂でた︒い婿は︑してはならなのっについ返事をしてしまと いう具体的な言葉はないが︑表現の深層には︑タブー

taboo

に対する侵犯が仕掛けられていると見ることができる︒

もうひとつ面白い点は︑最初︑博打たちの側から長者を騙す仕掛けが叙述されていたのに︑途中から︑騙される長

者の側から叙述されるようになることである︒読者には︑博打の子がどのようにして成り上がるのか︑その仕掛けを

見せておかなくてはならないし︑まさかそのような仕掛けがあるとは知らず︑長者がまんまと騙されるところに︑笑

話の計算された構成が見てとれる︒本説話には︑途中から視点を変化させるという巧みさがある︒だからこそ博打の

子が親たちと周到な打ち合わせをしたのか否か︑わからない印象を受けることになっている︒

﹃宇治拾遺物語﹄の編纂過程は不明である︒したがって説話集として編纂される時に︑説話が文字言語によって整 ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 106 ―

(27)

えられたときに︑素材のもつ三回繰り返しが﹁三度までよべばいらへつ﹂というような表現として要約されたのか︑

あるいは説話集に採られる素材としての説話においてすでに三回繰り返しの表現に整えられていたのかは不明であ

る︒いずれにしても︑おそらく音声言語特有の表現として予想される三回繰り返しが︑﹁三度までよべばいらへつ﹂

というようにストーリーとして要約された痕跡と捉えることができる︒すなわち︑﹁三度まで呼べば﹂というような

表現は︑文字言語による表現の特質を示すものではなかろうか︒

基本的に﹃宇治拾遺物語﹄は書承の説話集であろう︒したがってそのような音声言語特有の表現が︑文字言語によ

る表現として整えられたことが︑説話集の編纂にとって素材の段階をいうのか︑説話集編者の編纂の過程の中で生ま

れたことなのかは不明である︒だとしてもなお説話集とそれに組み込まれた説話の表現は︑最終的には編者のもので

あることは動かない︒

一方︑このような文字言語による表現の対極に︑反復を厭わない昔話のような口承の表現が予想される︒そこで以

下において︑口承の表現としての昔話や︑文字言語による説話における反復表現の事例を挙げて︑三回繰り返しが転

換︱出来事を叙述する表現であるということについて考えて見たい︒

まず︑音声言語の代表として昔話における三回繰り返しが︑語りの過程の中で表現として整えられた事例を挙げる

ことにしたい︒本考察においては︑昔話﹁博徒婿入﹂や昔話﹁寝太郎﹂において︑鬼もしくは天狗と婿との間に︑こ

のような三回繰り返しの事例があればよいのだが︑残念ながら未見である︒

そこで︑昔話における三回繰り返しの一例として︑昔話﹁勝々山﹂の典型例を挙げて見ることにする︒それは次の

ようである︒

― 107 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(28)

むがし︒

爺ど婆どいだけど︒爺朝まに種播ぎ鳥の声聞いだ︒それで﹁雪解水も出だよだし︑山の畑さ豆播ぎにいぐべ﹂

ど︑豆の種持って山さ行ったど︒ほして︑すっかりぼんずやら︵平地︶になった山の畑さバラバラッ︑バラバラ

ッど豆ば播ぐわげ︒声調子のやんべだ︵名調子︶もんで︑爺唄うけえな︑うんと良え声で︒

一粒千粒なれ一粒千粒なれ一粒千粒なれ一粒千粒なれ︵

蠢︶

って︒そさ畑の声ば聞ぎづげで狸が来たな︑

一粒は一粒のまあまよ一穂は一穂のままでけづがれ︵

蠢︶

﹁いしゃたがり︵意地悪︶狸︒さっさどけづがれ︵行ってしまえ︶﹂て︑爺は狸どごぼだしかげだ︵追い払う︶

ど︒そんでもな︑爺が豆播ぎば始めるていうど︑やっぱり来て

一粒千粒なれ一粒千粒なれ一粒千粒なれ一粒千粒なれ︵

蠡︶

て︑高調子に播ぐど︑狸が山がら出はってきて︑木株さ坐って︑すっかり悪態だけ︑

一粒一粒のまあまよ一粒一粒のままでけづがれ

一穂は一穂のままでけづがれ︵

蠡︶

どくる︑爺は狸がいしゃたがる︵意地悪︶もんで﹁この野郎︑こわりすぐね︵生意気︶ぞ︒ただでおがね︑この

狸め﹂ど︑追うど︑狸はあがめて︵あかんべえ︶をして逃げで行ぐ︒

そんで爺も考えだわげ︑この狸ば退治しねば︑秋なっても豆も収穫さんねど︒家さ戻ってな黐ば持って山の畑

さ来たな︒ほうして狸の来て坐る木株どさ︑しゃごまる︵腰を下す︶よだベタッと黐ば塗ったっくっておいだ︒ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 108 ―

(29)

ほいて知らねふりして︑畑さ豆播ぎしった︒﹁今日はお天気もいやんべだし︒豆播ぎも日和良いし︑こりゃあ豆

播ぎ天気だ﹂て︑ほれ高調子で狸さ聞けるよに︑やったわげ﹁狸畜生穴こで居るな︒今に狸汁してくへっぞ﹂

て︒

一粒千粒なれ一粒千粒なれ一粒千粒なれ一粒千粒なれ︵

蠱︶

ど︑知らね顔で大声ば張り上げでやったわげ︒するど︑ほら︑狸がそろりど出だけ︑

一粒は一粒のまあまよ一穂は一穂のままでけづがれ︵

蠱︶

ど︑一粒は一粒でけづがれどやったな︒してがら木の株さねまったべ︒ベタリど黐さ尻ついで︑たんだ動ぐもは

ずぐもなんね︵進退窮まる︶︒こんだ畜生︑捕えられですまったは︒逃げらんねべじゅ︒狸の尻はビダリど黐で

木の株さひっ付いで︑爺がら縄で縛らってしまった︒狸の両手両足ば縛って鍬の柄さ通して爺は家迄来たった

ど︒狸は悪りい者ださげて︑にわ︵土間︶の真中さ縄でぶら下げでおいだった︒

そうして︑次の日よ︒今度は悪態つぐ狸も出る心配も無いしど爺は︑山の畑さ豆播ぎに行ってくるな︑出がげ

に﹁婆︑婆や︒今夜は狸汁にしてみるべ︒狸汁ば作っておげちゃ﹂ど︑こう言うけ︒ほんで︑爺は豆播ぎの大仕

事︑婆は﹁晩げは狸汁だど︒白い飯でも炊ぐが︑米をひしゃげる︵搗く︶﹂て︑曲った腰伸して米搗ぎば始めだ

ど︒トコントコン︑トコントコンどな︒それば天井がらブランと下げらってだ狸が見でだけども﹁婆ちゃん︒婆

ちゃん︒ほんげ難儀するごだ無いべ︒それなのそんまに︵すぐに︶搗いでくれるぞ﹂ど︑声ばかげだ︒︵

蠢︶

ほんでも婆は聞けねふりしてトコントコン︑トコントコンど搗いでいだ︒するど狸がまた声ばかげるな﹁婆ち

ゃん︑婆ちゃん︑小便たれでえさげて下ろしてくほ︒下さ行ったら狸じゃ力あるもんで︑米搗ぎなの楽なもん

― 109 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(30)

だ︒ダンダンどやってくへる﹂︵

蠡︶

こう呼ばるもんで︑婆なの人好えもんで縄ば解いでくった︒ほすっと狸スコスコど寄ってきて﹁婆ちゃん︑ど

ごば白ぐする︒こごが︑あそごが﹂て︑トコトコン︑トコトコンど搗ぐ真似ばしたけ﹁婆ちゃん︒見ろちゃ︑こ

れ位が﹂て︑婆ば呼ばったけ︒︵

蠱︶

婆が首と突出すどベッチョリ潰して︑殺してしまった︒そんで手拭ば冠って頭は隠し︑婆の着ていだ着物ば着

て︑毛の生えった脛ば隠し︑口さ油ば引いで声が出るようにして︑それで婆に化げでいだ︒

晩方になつたど︒婆殺さったども知らねで爺があがってきた︵帰宅︶﹁婆︑婆︒今帰ったぞ︒狸汁ば煮でおい

だが﹂て︒するど﹁おいおい︒ちゃんと狸汁ば作っておいだ︒早ぐあがれ﹂て︑婆どごベッチョリ潰して︑汁に

して煮で狸汁だどんて鍋さいっ杯持ってった︒それば︑爺が飯ど喰うけども︑なえだてしねくてしねくて︵固

い︶とでも喰うなさ工面すなんね﹁婆や︒ずい分あの狸畜生は︑年寄り狸だったな︒しなこくて︵固くて︶とで

もじゃ喰いかねる﹂て︒するど︑婆に化げで﹁ほんだべ︒ずい分と老けだ狸だよだけな﹂﹁ほう︒ほだが︒婆も

狸汁喰ったえがべ﹂するど急に流しさ行って﹁小便たれに行ぐ﹂て︑外さ出はってってしまった︒ほして﹁婆汁

喰った︒狸汁喰うどんて︑婆汁喰ったキヨツキヨツ︑ホーツホーツ﹂どんて︑唄ば唄いなが山の方さ逃げでって

しまった︒

爺は困って︑泣いでるど兎が来だど﹁爺ちゃん︒泣ぐな︒なして︵どうして︶泣いでるなや﹂て︑聞ぐけ﹁狸

汁ば喰うがどんていだら︑婆の肉ば喰ってしまった︒狸がら騙まされで泣いでるなだ﹂兎が爺の言うなりに︑台

所の縁の下ば見だらば︑婆の骨あっけど︒まずたまげで﹁爺な︒爺な︒泣がねたて︑兎が仇討ちしてくへるさげ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 110 ―

(31)

てな﹂て︑約束した︒

ほんで狸のいる小舟山の方のよだ木立山さ行って﹁狸どん︑狸どん︒山さ柴背負い行がねが﹂ど︑かたがた

︵立寄った︶れば﹁ほう兎が︒お天気も良いし焚き物拾いにでも行ぐが﹂て︑狸も出はってきて一緒に山で焚き

物ば背負子や背中当︵背中に当てる長方形の藁の民具︶さ山盛り拾ってな︑遊んだど︒そして帰りすなカチカ

チ︑カチカチど兎が狸の背負子の柴こさ火打石で火ば点けるかんじゅ︵つもり︶でカチカチ︑カチカチどやっ

た︒すると﹁兎︑兎︒何だがカチカチて音がするよだども﹂ど︑狸が先立ってで不思議がる﹁ん︒ここの山はカ

チカチ山だ︒あれはカチカチお山のケンケン鳥だべ﹂て︒そのうぢに火がついてボウボウど燃えできたもんで

﹁兎︑兎︑ボウボウて音するな﹂﹁ん︒あれはボウボウ山のボウボウ鳥だべ﹂﹁ほう︑ほっか︒ほんでも兎︑背中

が熱ぐなってきた︑あつ︑あっち︑あっち﹂て︑狸ボウボウど背中の柴ば燃やしながら家さぶっとんでったけ

ど︒︵

蠢︶

次の日︑兎またな︒すました顔して狸の穴さ出がげたど﹁狸さん︑何してだや︒この上天気に家さ寝でるじゃ

ねべや﹂て︑声かげだば﹁何と︑兎の悪いながら騙まぐらさってたんだ大火傷してしまった︒お前どうんと似だ

兎だども︑まさがお前ではねべな﹂﹁何というごんだ︒兎はうんといるべに︒兎ていったたて︑俺一匹どは限ら

ねべ︒その証拠にうんと火傷さ効ぐていう薬ば持ってきてけったぜ︒塗り薬ださげて塗ってくへる︒背中出せち

ゃ﹂て︑ベロリど赤だぐれになった背中さなんば︵唐辛子︶の入ったビリビリじゅうなゲラリど︑塗ってくっ

た︒狸痛ってがってヒイヒイじゅもんで︑転ばって痛ってがった︒︵

蠡︶

次の日になって兎まだ狸さ行った﹁狸どん︒遊ばねが︒こんげ春先のやんべだ日︵日和︶には舟遊びでもすっ

― 111 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(32)

ぺ﹂て︒狸は火傷も治り始めだ頃だし︑舟遊びに行ぐでぐなって﹁お前だべ︒火傷さズガズガじゅうなんばだし

︵唐辛子汁︶のよだもの塗ったくってった兎は﹂て︑聞ぐけ﹁何だべ︒俺はそういう悪い兎では無いぞ︒兎てい

ったてこの山には一匹だげて決ってもいねべ︒その証拠に舟遊びあべ︵行こう︶て呼ばり来たべ﹂て︑知らん顔

するけど︒狸も﹁ほっか︒ほんねば舟遊びするが﹂﹁んだな︒身体休めるには舟遊びが一等良いべ︒火傷には舟

遊びが効ぐもんだ﹂て︑山の狸ば沼さ連でってなや︑舟遊びするどんて︑兎は杉舟だけ︑狸は泥の舟でどべ土

︵泥︶固めで造った舟に乗せで浮ばした︒ほして唄がげで︑

杉舟ぁツエン泥舟ぁカツクハツ杉舟ぁツエン泥舟ぁカツクハツ

て︑水さ浮がばへでるうぢに︑泥舟ぁどべ土舟︑泥だもの︑水吸ってズブズブど︑溶げで沈み始めだ︒そうして

いるうちに︑全部沈んでしまって︑狸︑とうとう仇ば討だってしまったど︒︵

蠱︶

んださげて︑悪いごどなのは︑するもんではねど︒罰かぶるもんだぞ︒

どんぺからこ・ねけど︒︵﹃真室川の昔話鮭の大助﹄︶

三回繰り返しの表現を︵

蠢︶︵ 蠡︶︵ 蠱︒ことがわかるこいの昔話の事例るて︶こで示すと︑そにい反復の原理が働で

は︑その︵

蠢︶︵ 蠡︶︵ 蠱ーがわかる︒ストリこーの早い展開の面とる︶らの繰り返しが︑さにい三回繰り返されて白

さよりも︑繰り返しそのものを楽しんでいることがわかる︒

蠢るう払い追を狸は爺︒す︶害妨が狸をき播種の爺︒

蠡爺う払い追を狸は︒︶るす害妨が狸び再︒

蠱界︒るえま捕を狸にい︶てえ越をつ限害のらに狸は妨さす︒爺は我慢る ﹄表と述叙の拾語物遺治宇﹃現

― 112 ―

(33)

その繰り返しそのものの中に︑事態を変えて行く契機が用意される︒爺と狸の関係は︑狸の行動によって両者の間に

敵対関係が生まれ︑対立・

鐚面しの叙述のもつ白りさである︒その返繰藤との果てに︑勝利敗が北が決する︒それ意

味で︑この昔話の語り口は︑最も整えられ様式化されたものといえる︒すなわちこの事例においては︑唱え言を核と

して繰り返しが叙述されるところに特質がある︒

雪深い東北の語りでは︑昔話の表現は繰り返しをもって様式化され︑西日本の語りではストーリーがあらわになり

概略化が進むという地域差のあることは︑採録において経験上一般的なこととして知られるところである︒そのよう

な対照性から︑どちらが本来的な姿であるかを問うことはできない︒いうまでもなく地域的な変異と︑同一の語り手

においても︑語りの一回ごとに異同が見られることも周知のとおりである︒むしろ︑両者に様式化と概略化という対

照的な傾斜が認められるという問題である︒両者の相違は︑構造の差異ではなく︑叙述の差異であるといえる︒

そのことからすると︑東北型の昔話は三回繰り返しを厭わずに語りが豊かに整えられて行く傾斜をもつのに対し

て︑西日本型の昔話と同様︑物語では行動の叙述が簡略化される傾斜をもつといえる︒どちらかといえば東北型の昔

話のように三回繰り返しのうちに事態を進行させ︑転換の契機が孕まれてくるところに口承の語りの特質があり︑繰

り返しの叙述そのものに︑昔話の生命がある︒

これに対して︑物語では︑存在に内面性を与えることと引替えに行動の叙述は簡略化するのだと考えられる︒

昔話と物語では︑表現の整えられる方向が逆である︒内面化の叙述が進めば進むほど︑物語における行動の三回繰

り返しは回数のみが記されて︑痕跡化していると考えられる︒

― 113 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(34)

︵五︶昔話における三回繰り返しと唱え言

それでは昔話における三回繰り返しが︑どのような構成をとるのか︒その核となるものは何か︑ということについ

て考えてみたい︒

この昔話の本文における三回繰り返しには︑必ず唱え言を伴っている︒表現や性格は異なるが︑三つの﹁唄﹂を認

めることができる︒それは昔話の語りの一回性においても常に固定的に保たれる表現である︒そのような︑ひとつの

まとまりをもった語句︑章句

phrase

は︑小さい異同はあるにせよ常にそのまとまりをもったまま伝承される︒その

ような伝承的な表現のひとつが︑昔話の事例における音律的な表現である﹁唄﹂である︒ここにいう﹁唄﹂は︑三箇

所にわたってが認められる音律的な表現を包括するものである︒すなわち次の三箇所である︒

漓︑で声え良とんう︑なえけう唄爺で声んも︶子調名︵べだんやの子調︒

一粒千粒なれ︑一粒千粒なれ

一粒千粒なれ︑一粒千粒なれ

滷ツたキヨツキヨ︑喰ホーツホーツっ汁﹁狸婆汁喰った︒汁婆喰うどんて︑﹂

どんて︑唄ば唄いなが山の方さ逃げでってしまった︒

澆土け︑狸は泥の舟でどべ︵舟泥︶固めで造った舟にだ杉山やの狸ば沼さ連でってな︑は舟遊びするどんて︑兎乗

せで浮ばした︒ほして唄がげで︑ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

― 114 ―

(35)

杉舟ぁツエン泥舟ぁカツクハツ

杉舟ぁツエン泥舟ぁカツクハツ

棒線を施したように︑

蠢蠡 蠱は︒三者の﹁唄﹂︑い意味するところるての昔三つの言葉を︑話め自身が﹁唄﹂と認︑

極めて包括的な語であるとみえる

稲﹂について︑田歌浩二氏の﹃昔話謡る︒﹁友久武文氏は昔い話にあらわれては

生きている﹄における﹁舌切雀﹂五線譜の分析による分類︑

漓普通のもの言いの部分 滷ら部列音な的調強るなかし拍四︑で子調り上り分 澆4/4拍子の︑唄のような部分

から︑

澆結するとされつつ︑﹁局在のところ︑私は後退を﹂伏にと﹁昔話における歌謡いがう問題の本質的なもの重

ねて︑昔話を読み︑昔話におけるある種の律文部分をウタと仮定して︑話を進めていくしか方法がない﹂とされ

﹂るす義定にうよの次︑ていつにた︒一また︑田中塋氏うは︑昔話の﹁︒

すなわち︑その前後のいわゆる地の文の表現に比べてきわだった意味上のまとまりがあり︑音程のあるもの︑

または音程が不確実であってもリズムのあるものを﹁うた﹂と呼ぶ

とされる︒そして︑﹁昔話に見られる﹃うた﹄は︑それぞれが﹃話﹄の中で表現上どのような機能を果たしている

か︑という観点から﹂

次のように分類されている︒ 一︑描写としてのうた︵

﹁話の骨格﹂を構成する要素でないもの︶

1︑音描写のうた︵象徴的描写のうた︶

― 115 ―

﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

(36)

音をあらわすとともに︑その音がもたらす幸運の内容をも暗示する︒

2︑行動描写のうた︵説明的描写のうた︶

︵1︶行動の状況を解説することによって描写する︒

︵2︶行動主体の心情をうたうことによって描写する︒

二︑表示としてのうた︵

その﹁うた﹂の表示する意味内容が﹁話の骨格﹂を構成する要素であるもの︶

1︑情報表示のうた︵超人間的なものが主人公にはたらきかける︶

︵1︶ある行動をとるよう指示する︒

︵2︶ある情報を提供する︒

2︑心情表示のうた︵登場人物の心情の表現︶

︵1︶対他的なはたらきかけをあらわす︒

︵2︶詠嘆をあらわす︒︵定型歌がある︶

三︑要素としてのうた︵

﹁話の骨格﹂を構成する要素であるもの︶

1︑言葉あそびのうた︵表現上の芸が話の成立の要素となっている︶

﹁鳴き声の由来﹂﹁売り声失敗﹂﹁謎﹂など︒

2︑歌くらべのうた︵機知的で︑多く笑話に見られる︶

﹁歌問答﹂﹁付句﹂﹁謎﹂など

真鍋昌弘氏はこのような田中氏の分類を﹁うたを最大限広く解釈して︑実際の語りの場で︑リズミカルに抑揚をつけ ﹃宇治拾遺物語﹄の叙述と表現

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