九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
在日コリアン被爆者たちの被爆者運動 : 地理的政治 的境界と政治的社会的境界を越える試み
髙橋, 優子
http://hdl.handle.net/2324/2236326
出版情報:九州大学, 2018, 博士(学術), 課程博士 バージョン:
権利関係:やむを得ない事由により本文ファイル非公開 (3)
(様式6-2)
氏 名 高橋優子
論 文 名 在日コリアン被爆者たちの被爆者運動
─地理的政治的境界と政治的社会的境界を越える試み─
論文調査委員 主 査 九州大学 教 授 三隅 一百 副 査 九州大学 教 授 波潟 剛
副 査 九州大学 准教授 マシュー・オーガスティン 副 査 甲南大学 教 授 谷 富夫
副 査 広島市立大学
広島平和研究所 教 授 直野 章子
論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨
広島・長崎における原爆犠牲者のうち、朝鮮半島にルーツを持つ韓国・朝鮮人被爆者(以下「コ リアン被爆者」という)が1割を占める。そのうち日本に留まった在日コリアン被爆者は、冷戦の 影響による朝鮮半島および在日コリアン社会の分断により、日本人被爆者や在韓被爆者とは異なる 困難を強いられた。本論文は、そうした困難のもとで在日コリアン被爆者らが行ったコリアン被爆 者支援運動をとりあげ、その運動が直面したさまざまな困難(境界)とそれを乗り越える試みに着 目して、運動の意味を再解読しようとしている。その意味解読のために、歴史資料、インタビュー、
新聞報道、手記等を体系的に用いて、運動の重要局面における中心人物たちの行動や関係のあり方 を、個人的および集団的アイデンティティの観点から意味づけるという、ユニークな歴史社会学的 アプローチを用いている。
序章で本論文の目的や理論的枠組みを確認した後、第1 章ではコリアン被爆者の被爆時の歴史的 背景と、戦後の在韓、在朝、在日コリアン被爆者の歴史を概観する。第2 章以降では以下のような 内容で、在日コリアン被爆者の運動をケーススタディとして論じる。なお、地理的政治的境界は主 に日韓および日朝間で生じる困難、政治的社会的境界は主に在日コリアン社会内部で生じる困難を、
運動が直面する障壁とともにアイデンティティ形成の契機として、それぞれ指し示している。
第2 章では、日本の反核団体や市民団体と幅広く連帯して在韓コリアン被爆者に対する医療支援 運動を主導した、韓国原爆被害者対策特別委員会をとりあげる。この運動が直面した困難は日韓間 の地理的政治的境界であるが、その境界を越えてこの運動が拡大・発展した意味を考えるとき、コ リアン被爆者・姜文煕(カン・ムニ)とともに、日本人クリスチャン医師・河村虎太郎と在日コリアン牧師・
金信煥(キム・シナン)の存在が欠かせない。彼らはそれぞれ「コリアン」、「日本人」としてのアイデン ティティをもちつつ、キリスト教や被爆者としての連帯に基づく複合的アイデンティティを形成し て在韓コリアン被爆者医療支援の使命感を共有し、協働関係を築いていった。
第3 章では、日朝間の地理的政治的境界に直面した広島県朝鮮人被爆者協議会をとりあげる。中 心人物の李実根(リ・シルグン)は戦後、在日としてのアイデンティティの混乱を経験しながらも、次第に 北朝鮮の海外公民である在日朝鮮人被爆者としてのアイデンティティを形成していった。そして、
それを協議会の原動力にしながら、在日の同胞被爆者のみならず在朝コリアン被爆者支援を展開し ていった。北朝鮮をめぐる核問題に際して日本の反核団体との協働も行う等、ナショナルな枠組み を強調しながら、日朝間の地理的政治的境界を越えた連帯運動の事例といえる。
第4 章では、在日コリアン社会内部の政治的社会的境界に直面した長崎県朝鮮人被爆者協議会を とりあげる。この協議会は長崎で唯一のコリアン被爆者団体として、国籍や所属団体を問わず会員 を集め、長崎に根ざした活動を展開した。長崎で被爆したコリアン被爆者という包括的な集団的ア イデンティティのもとに越境を試みた事例といえる。その一方で、中心的会員たちと総連とのつな がりが別の境界を持ち込み、それが連帯拡張の限界となるようなジレンマも抱えていた。
第5 章では、1990 年代に広島で起こった韓国人原爆犠牲者慰霊碑移設問題をめぐる紆余曲折を、
現行碑の建立からこの問題に関わってきた在日コリアン被爆者・張泰煕(チャン・テヒ)に着目しながら、
再検討する。この問題は、統一碑としての移設により在日コリアン社会内部の政治的社会的境界を 越える試みが、座礁した事例として捉えられる。その背景には、犠牲者の呼称―「韓国人」か「朝 鮮人」か―をめぐる2つの在日コリアン組織-民団と総連-の間の集団的アイデンティティをめぐ る葛藤、また、民団と張ら当初の建立委員会メンバーの間の多水準的なアイデンティティ葛藤をみ てとれる。その葛藤の複雑さがゆえに、私碑とみなして現状移設する形の政治的決着において、統 一碑の論点は不問に付されざるを得なかった。
これら4つの事例に共通してみえてくるのは、複雑に絡み合う困難を乗り越えて日韓朝のコリア ン被爆者の連帯をめざそうとする、在日コリアン被爆者たちの運動の志向と実践である。そこに読 み取れるアイデンティティは、安易な一元化や葛藤回避を許さない。まさにそうして多水準的に重 層しながら変容するアイデンティティだからこそ、運動のさまざまな契機となるような力動をもつ。
そして、そうした葛藤の中でこそ、さまざまな境界を越えて広がる在韓、在朝、日本人の被爆者や 非被爆者との連帯が重要な意味をもつ。このように本論文は、表面的な出来事の記録だけからはみ えない運動の深層的なダイナミズムに、歴史社会学的に肉薄している。また、本論文は、在日コリ アン被爆者の被爆者運動という観点から、分散していた関係資史料を包括的にまとめた初めての研 究であり、学術に限らずその資料的意義は大きい。これらの成果によって、ナショナル・ヒストリ ーに回収されがちな在日コリアン被爆者による運動の認識に、ひいては東アジアの歴史認識に、新 たな複合的視座を提示することが期待される。
以上により、本論文は博士(学術)の学位に値すると認める。