共によりよ 共によりよ 共によりよ
共によりよく学ぶ く学ぶ く学ぶ く学ぶこと こと こと こと
―――
―学生の成功を支え学生の成功を支え学生の成功を支える学生の成功を支えるるる学習コミュニティのインパクト学習コミュニティのインパクト学習コミュニティのインパクト学習コミュニティのインパクト――――
(シラキュース大学)
訳者:児島功和(都留文科大学・非常勤講師)
〔訳者解題〕
今回訳出したのは、「
」 (
)に、
教授が参 考文献にいくつか新しいものを付け加えるなど、若干 の加筆を行なったものが原文となる。構成と内容にほ とんど違いはない。
教授は、ニューヨーク州の シラキュース大学に在籍しており、主著は
(初版
年)となる。
教授は、高等教育に関 する研究、なかでも学生の成功
や学 習状況に関する研究で広く知られており、大規模な調 査プロジェクトにも複数関わってきた著名な研究者で ある(詳細は、
)。
教授 には原文を送付いただいただけでなく、あわせて翻訳 許可もいただいた。ここに感謝の意を表する。なお、本稿内の〔
〕は訳者による補足となる。
以下では、本稿の課題・問題意識と日本における本 稿の意義について簡単に述べておきたい。
本稿の課題は、高等教育における学習の構造がはら む 問 題 点 を 、「 学 習 コ ミ ュ ニ テ ィ
」という視点から問いなおすことにある。
本稿では、大学生の学習が「個人化」あるいは「個 別化」されていることに、その構造的問題を見る。具 体的には、科目履修に関して個人の選択性が高く、出 席している授業で隣に座るクラスメイトの名前も知ら ず、科目間の内容的まとまり(関連性)も弱いといっ た点があげられる。「学習コミュニティ」とは、そうし た構造的問題を乗り越えようとする様々な試みの総称 である。なお、本稿の問題意識の背景には、アメリカ で急速に進んだ高等教育の大衆化があり、それは学力
的な意味合いだけではなく、エスニシティ、社会階層 などの点で以前よりも多様な層を大学が受け入れるよ うになったということである。すなわち、学力・文化 的な意味で大学生活をわたっていくことに困難を感じ るだけでなく、そうした困難を共有し乗り切るための 関係性が大学の学習構造ゆえに作りづらい層が多く参 入しているということである。結果、学習についてい けず退学する者、学習に意義を感じることのできない 者が相当数いる状況が広がっているのだ。本稿での「学 習コミュニティ」は、とりわけ....
そうした困難を抱えた 者たちを大学に繋ぎとめ、学習活動に積極的な意義を 感じられる場として大学を再構築するためのプロジェ クトといえる。
それでは、本稿の日本における意義とは何であろう か。日本では
年代半ばに、
歳人口の減少、大 学入学定員抑制策の破棄、大学数の増加、高卒で安定 的に仕事の世界に入っていくことの困難などが複数重 なることにより、4年制大学に進む若者が増加した。
年代半ば以降今日まで、大学生は新規学卒労働市 場における最大勢力となっている。本当に...平等に進学 機会が開かれているのかという内実はともかく、「大学 全入時代」と一般的に呼ばれるのは、こうした理由か らである。
重要なのは、以上の状況変動により、学力的・文化 的に大学での学習に困難を感じる若者を、大学がかつ てより多く受け容れるようになったのではないかとい うことである。そして、その困難がアメリカにおける 事態と近似した形で、大学での学習構造――本稿の言 葉を借りるならば、「他者から切り離された孤独な学習 者」として学ぶ――と強く関係しているのではないか ということである。訳者は次のような事態をイメージ している。授業には概ね「真面目」に出席している(実 際、近年の大学生の授業出席率は上昇傾向にある)。し かし、授業が難しいと感じるだけでなく、そもそも辞 書のように厚いシラバスから何を基準に授業を選択す るのか(選択基準自体が個人の選択に依存すること)、
授業にどのような意識・学び方をもって臨めばいいの かということ。そして、支えあい学びあう仲間がなか なか見つからないということ。以上のような困難を抱 える学生が少なからずいるのではないか、ということ である。
この点に関する実証研究は始まったばかりである が、今後実践的対応とあわせて重要性は高まっていく と思われる。訳者が主に想定しているのは、上記進学 者層を多く受け容れていると考えられる入学難易度の 低い大学群である。もっともどのような大学にも「孤 独な学習者」はおり、学習の意義を感じていない学生 もいる以上、「学習コミュニティ」に関する議論・実践 を検討する意義はあるだろう。本稿自体はもちろんの こと、言及されている豊富な著作や論文も、そのため の有力な手がかりになるはずだ。
他方、
(ファカルティ・ディベロップメント)と いう形で大学の教学改革が様々な形で精力的に進めら れている。だが、そうした様々な取り組みがいかなる 理念を軸に行なわれるべきか、必ずしも明らかになっ ていないと思われる。本稿の意義はこの点にもある。結論部分で述べられているように、「学習コミュニテ ィ」はあらゆる問題を解決する(撃ちぬく)“魔法の弾 丸”ではない。しかし、大学での学習デザインを
教育 的シティズンシップの規範
と結びつけながら議論す ることは、大学での学習を個人の利得だけではない公 共財として、その役割・機能を検討することにもなる はずだ。知識内容の共有、知識獲得過程の共有、知識 獲得における共同責任という「学習コミュニティ」の 三つの共通点は、その点で示唆的である。
当然のことながら、アメリカと日本の高等教育シス テムをめぐる社会的文脈、制度設計のあり方に違いは ある。そして、それと関わって本稿の副題にもなって いる「学生の成功」として何を指標とするのかなど、
検討すべき課題も多い(本稿では、学習への参加の程 度・意識はもちろんのこと、継続在学率
の 高さが重要な指標となっている)。だが、今回訳出した 本稿は、大規模な構造変動が起きている日本の大学の あり方を考察する上で興味深い論点を提起しているの は確かであろう。
〔訳文〕
近年の様々な試みにも関わらず、ほとんどの学生は、
いまだ他者から切り離された孤独な学習者として大学 を経験している。かれらが従事している学習は、クラ スメイトの前で一方的に成果を発表するような、ひと りでのパフォーマンスとデモンストレーションが多く を占めている。ほとんどの学生にとって、高等教育に おける学習経験は、教師の話をただ聞くだけの
スポー ツ観戦
に留まっており、学生が積極的な参加者となる ことはない。同じく重大なことであるが、典型的なこ ととして、学生は個別に科目を履修する。内容の面で もメンバーの面でも、ある授業と別の授業は分離して いて、ひとつの授業で得た知識や理解は他の授業とは 計画的に関連づけられていない。専攻こそあるものの、学生の学習における学問的・社会的なまとまりはほと んどない。そのため、かれらが学習に参加していない ように見えるのは、なんら不思議なことではない。学 生の学習経験は、まったくもって参加的なものではな いのだ。
幸いなことに、変化も現れてきている。
(
)(
)、
(
)(
)による
年代の一連の報告、
(
)、
(
)、
(
)、
(
)による
年代後半から
年代前半の研究に一部呼応するよ うに、多くの機関が相次いで教育実践のあり方を変革 するようになり、学生が積極的に学習参加するような 教室環境の再構築を行なうようになった(
)。 取り組みとして注目を集めているのは、学習コミュニ テ ィ
と 協 働 的 教 授
によるものがあげられる。学 生の学問的経験の周縁に存在する多くのプログラムと は異なり、学習コミュニティは、学生が自分自身を発 見できる場となるよう教室を作りかえ、カリキュラム と教室での学習経験のあり方を変えるような再構築を 行なおうとする。
高等教育における学習コミュニティ
最も基本的な形式として、学習コミュニティは、学 生が授業をばらばらにではなく一緒に取ることのでき る、共同での履修登録あるいはブロック時間割〔履修
科目が期間・時間的にまとまって確保されている時間 割。具体的には1~2限が「教育社会学」、他には関連 する複数科目が一定期間・時間的に集中して配置され ている、など〕のようなものから始められる。学習コ ミュニティの例として、典型的には「ライティング」
の授業と「選択文学」という組み合わせ、あるいは「ラ イティング」と「現代社会問題」といったように、二 つの授業を連携させることで学生を繋ぐというものが ある(科目連携モデル
)。また、学習 コミュニティにおいて、学生が学期を通じて同じ内容 を学習するために、入学後最初のカリキュラムを全て 共有するという例もある。オレゴン大学やワシントン 大学のような大規模大学では、学習コミュニティの
〜
人の学生は、受講者全体で
〜
人にも及ぶ 共通の講義に出席しているが、大学院生もしくは上級生が監督する新入生集団グループと呼ばれる小さなデ ィスカッション・グループにも所属し、同じメンバー で学習できるようになっている(新入生グループモデ ル
)。それ以外には、学生 が、同一メンバー、あるいは個別に、特定の授業を複 数取り、それらの授業間で、人的・内容的連携がとら れているという例もある(科目群連携学習コミュニテ ィモデル
)。また、学 生が一週間のうち何回か、一度に4〜5時間に及ぶひ とまとまりの大きな授業として複数科目を学習してい く場合もある(テーマ別統合学習モデル
)(図1を参照)。
学生が共同で履修登録する授業は、無秩序な形で構 成されているわけではない。典型的には学生は、授業
間の結びつきに意味を与える体系的テーマにより関係 づけられている。そのポイントとなるのは、相互に関 連性を持っていない独立した授業履修からでは容易に 得ることのできない、まとまりをもった領域横断的・
科目横断的な学習を引き起こすことである。例えば、
身体と心
というテーマで、人間生物学、心理学、社 会学の授業を連結させたシアトル中央コミュニティ・カレッジのテーマ別統合学習プログラムがある。学生 は、連結された三つの研究領域を通じて、ひとつのテ ーマを追求していく。すなわち、「人間はいかに、なぜ、
そのように行動するのか」を熟考させられるのだ。
年刊行の
らによる
に描かれている ように、多くの学習コミュニティは、あるトピックに 関する共同履修登録以上のことをしている。学習コミ ュニティは、学生のカリキュラムの経験の仕方、学び 方を変えるのだ。教師陣は、結びつけられた授業を横 断する形で、学生に共有された協働的学習の経験を促 すために、シラバスと授業のあり方を再編する。こう した授業組織の形態は、協働グループという形で一緒 に作業することを学生に要求し、クラスメイトや参加 しているグループの学習のために活動的になり責任を 持つことを要求する。このようにして、学生はカリキ ュラムの経験だけでなく、カリキュラムにおける学習 においても共有することを求められるのだ。
中味に変化はあるものの、およそほとんどの学習コ ミュニティには三つの共通点がある。一つ目は、知識 内容の共有
である。学生に授業を 一緒に取らせ、あるテーマと関わる形での授業編成を す
ることで、学習コミュニティは、例えば作文、微分積 分、歴史、スペイン語、地質学といった相互に関連性 のない授業ではなく、共有され、まとまりのあるカリ キュラム経験を構築しようとするのである。そうする ことで、学習コミュニティは、相互に関連性のない授 業への参加では容易には獲得されない、より高次の認 知的複雑性
〔多様な事象を単純 化せず多様なまま認識できる能力〕の獲得を促そうと する。二つ目は、知識獲得過程の共有
である。学習コミュニティは、いくつもの授業で同じ 学生を登録させ、そうすることで学生はすぐに、そし
て連携に十分な親密さをもって互いを知るようになり、
学生の学問的経験
にとってそれ が不可欠の部分となる。学生に協力しながらの知識構 築を求めることにより、学習コミュニティは、他者の 意見を聞くことで自らの知識獲得や理解が進むという 学習経験を取り入れながら、多様な意見や状況を理解 する力や認知的発達を育むよう、学生を社会的に、か つ知的に巻き込もうとする。三つ目は、知識獲得にお ける共同責任
である。学習コ
ミュニティは、知識獲得の過程において学生が互いに 責任を負うように求める。学生は、相互に支え合うこ とを求められる協働グループに参加し、その結果、グ ループの学習は各メンバーが自分の担当部分の作業を 行なうことなしには進まなくなるというわけだ。
カリキュラムの構造として、学習コミュニティは、
あらゆる内容、あらゆる学生グループに適用すること ができる。ほとんどの場合、学習コミュニティは、新 入生のニーズに応えるためデザインされた(
)。この場合、〈科目連携〉のひとつ となるのが、新入生セミナーである。それはまた、ま だ専攻が決まっていない学生や、大学生活や勉強方法 自体に支援を必要とする学生のニーズにますます適用 されるようになっている。このような場合、〈科目連 携〉の一つとなるのは専攻内容とそれに伴う職業的可 能性や将来設計を学ぶ科目や、そういったキャリア発 達のアドバイスを受ける科目である。また、後者のよ うな、学習支援を必要とする学生向けには、“学び方を 学ぶ”、あるいは勉強の仕方を習得する科目がありえる(
)。一つ、ないしそれ以上の科目を、そう した支援的性格を持ったものにしてもよいだろう。寄 宿舎を併設するキャンパスでは、学習コミュニティを 寄宿舎の中にも組み込んでいる。このような
生活学習 一体型コミュティ
は、共有された授業と共有された生活を統合する(
)。典型的には、大学入学後最初の学期 を迎えた学生が、いくつかの〈科目連携〉に登録し、寄宿舎の決まった場所で共同生活を送ることである。
ごく最近になって、多くの学習コミュニティでは、
活動
あるいはテーマを結ぶものとしてコミュニティ・サービス〔地域貢献活動〕を用いるようにな った。エヴァーグリーン州立カレッジ、ポートランド
州立大学、セントローレンス
大学、
マリコパコミュ ニティ・カレッジ学区では、サービス・ラーニング〔学 校での学習と地域での貢献活動を組み合わせた学習〕をひとつ、あるいはそれ以上の〈科目連携〉に付け加 えている。伝統的なコミュニティ・サービスと経験学 習を拡張するものとして、サービス・ラーニングは、
当該コミュニティにおける重要なニーズを満たすため、
計画的な教育活動と貢献経験を結びつける。単なるボ ランティア主義
とは異なり、サービス・ラーニングは、意図を持って計画された体系的経験こ そ学習の土台となるという想定に根ざした、教授(学)
的な戦略であり、教育への誘導的アプローチである
(
)。学習コミュニティと協働的教授とが 連携する時、サービス・ラーニングは、学生と教師が、教室で学んだ理論を実体験にあてはめたり、その理論 が正しいか現場でテストしたり、経験から更なる知識 を得たり、時間をかけて、複雑な社会問題についての 領域横断的な学習ができるという共有体験になる。い ずれにせよ、協働的状況
におけ るサービス・ラーニングは、単に授業内容の習得だけ ではなく、知的発達や、他者利害への責任共有意識を 高めることになる(
)。
先述したように、特定の学生グループに適用された とき、学習コミュニティの
スタッフ
は、往々 にして学問の専門家と学生生活支援の専門家の両方の 仕事を結びつけることになる。まさに、学習コミュニ ティは、その二つの関係者の協働的な努力を要求し、必要とするということである。多くの場合、キャンパ ス内で学生生活の支援を担当するスタッフこそが、
前 述したような〈科目連携〉のいくつかを教えるために 必要なスキルや知識を所有する唯一の人々となる。例 えば、勉強方法や大学での生活入門に支援を必要とす る学生の為に、かれらは必要なのだ。〈科目群連携学習 コミュニティ〉における
スタッフ
では、例え ば定期的に経済学の入門コースを教える教師が1人、そして、入門的な「ライティング」と数学を教える学 習サポート・センターの2人のメンバーから構成され ることになる。
学習コミュニティで効果をあげるには、〈科目連携〉
の中味と教授法の両方で協働で取り組み、学問の専門 家と学生生活支援の専門家が“学部メンバー
” として必要になる(
)。かれらは、平等なパートナーとして、〈科目連携〉がまとまりを持ち、かつ共有された学習 経験の提供を確実にするため、協力しあわなければな らない。指導メンバーが意見を言い合えるような場で のコラボレーションから得る多くの利益のうち一つは、
学生生活支援の専門家が教授と学習についての議論に もたらす豊かな知識を、教師陣が
発見
することであ る
。他部門と連携しないような人々が、ほんの一瞬 であっても、新鮮な目を持って自身の仕事を見直すと いうことの大いなる利益に気づくのだ。
学習コミュニティに関する調査・研究
学習コミュニティへの関心は高まっているものの、
ほとんどのプログラムは初期段階にあり、そのインパ クトに関する実証も部分的なものに留まっている。私 たちのいう学習コミュニティの有効性は、概して学会 や国内の研究会で発表された個別的事例、定期発行さ れる機関のレポートないしアセスメントの結果という 形に留まっていた。しかし、それも最近までの話であ る。私自身の最近の研究でも、
(
)(
から5年間の補助金を提供さ れている研究センター)の後援で、3つの異なる機関、ワシントン大学、ニューヨーク市のラガーディアコミ ュニティ・カレッジ、シアトル中央コミュニティ・カ レッジにおける学生の学問的行動、社会的行動、なら びに新入生の定着に関する学習コミュニティのインパ クトを調べたものがある(
)。
領域は限られているものの、調査・研究は、学生の 学習と定着における学習コミュニティのインパクトに 対して、多くの重要な洞察をもたらした。一つ目は、
学習コミュニティの学生は、教室という枠を超えて自 助グループを形成する傾向があったということである。
学習コミュニティの学生は、それ以外の伝統的な、相 互に関連性のない独立した授業に参加している学生よ りも、多くの時間を教室外で一緒に過ごし、その関係 を支えとしていた。都市型コミュニティ・カレッジで は、こうしたグループの存在が在学し続けるために重 要であると見なす学生がかなりいた。二つ目は、学習 コミュニティの学生は、授業中にも授業後にも、積極 的に学習参加していたということである。学生は、授
業の内と外の両方において一緒に勉強することに多く の時間を費やしていた。このようにして、学習コミュ ニティは、授業とそれ以外のしばしば学生生活を特徴 づける社会的活動との分断を架橋することを可能にし たのだ。学生は、学ぶのと同時に友達をつくる傾向が ある。多くの時間を一緒に学習することにより、学生 はさらに学習するようになった。三つ目は、学習コミ ュニティへの参加は、学生の学習の質を上げているよ うに見えるということである。一緒に学習することに より、参加者の目から見て、みんなの理解力と知識は、
豊かなものとなった。同時に、学習コミュニティのプ ログラムの学生は、こうしたプログラムを受けていな い学生よりもその学期の授業について、より大きな知 的見返りを受けている者として自分を認識している。
四つ目は、学生が学び、より学問的にも社会的にも従 事している者として自分を認識するようになると、学 生は伝統的カリキュラムを受けている学生よりも高い 割合で大学に留まっていたということである。例えば、
シアトル中央コミュニティ・カレッジでは、伝統的カ リキュラムを受けていた学生よりも、学習コミュニテ ィの学生のほうが割合で
%も高く大学に留まって いた。
最後に、これら学生参加者の事例は、
教育的シティ ズ ン シ ッ プ の 規 範
の、
いいかえれば、
「個人の教育的利益・幸福が教育コミュニティにおける他のメンバーの教育 的利益・幸福と否応なく結びついている」という倫理 観を養うことにおいて、協働的学習環境は有意義だと いうメッセージを強調している(
)。この プログラムにおける学生は、学習経験への参加に対す る責任が増加したという感覚、また自身の学習と他者 の学習への責任意識が増加したことを報告している。
結論
学習コミュニティは、学生の学習にとっての“魔法 の弾丸
”を表しているわけではない。他 の教授(法)と同じように、その効果には限界がある。他者との学習を嫌がる学生もおり、他の教員やスタッ フとの協働を難しいとする教員もいるだろう。しかし ながら、協働的学習や授業アセスメントのような学習 への学生参加を増進させる取り組みのように、それら の適用が学生の学習ならびに定着を促し、教師の専門
家としての生活を豊かなものにするという主張を裏づ ける十分な証拠がある。多くの機関が最近になって学 習コミュニティを始めるようになり、多くの団体がそ の発展を支援するプログラムを設定するようになった ことは、少しも不思議なことではないのだ。
注1 学習コミュニティは、今になって始まったものでは ない。アメリカにおけるその歴史は、哲学者で教育理 論家でもあった
の初期の著作 や、彼が
年にその設立を援助した
)ウィスコンシン大学の実験カレッジにまで遡る。しかしながら、カリフォルニア大学
バークレー校での
の実験のように(
)、初期の学 習コミュニティは、その範囲や対象とする学生という 点で限定的であった。エヴァーグリーン州立カレッ ジ・ワシントンセンターが過去
年間に渡ってリー ドしてきた近年の動向は、公立大学と私立大学、2年 制大学と4年制大学を含むだけでなく、より広範囲の 学生の学習ニーズに応えるなど、かつてとは異なった ものになっている。
(
) も参照されたい。
〈科目連携〉を通しての支援提供のテーマに関する 他のものには、補習
がある(
)。この学問的支 援モデルにおいて、学生は、授業外で1週間に1時間 ないしそれ以上の時間を上級生の個別指導員に会うと いう補習に出席するという条件とともに通常の授業に 参加している。学問的支援は、こうしたグループに対 して往々にして協力的態度で提供され、そして、その グループが属する授業の変化する要求に対応するよう 調整されている。このようにして補習という形で、通 常の授業にリメディアル・ユニットを付け加えており、それが一種の学習コミュニティとして機能する。それ は、学習コミュニティで働く者たちの言葉を借りると、
一種の“科目連携”ということになる。
この状況についての皮肉の一つとしては、典型的な 学生生活に関する専門家のほうが、学生の学習につい て、典型的な教師陣よりも知っているということであ る。忘れるべきではないが、学生が望もうと望まざる と、幼稚園から大学までの間で、大学教員だけが、学
生の教え方を訓練されていない唯一の教育者なのであ る。
も参照されたい。参考文献