10章 企業革新の構図と企業革新型ベンチャーの役割
1. 企業革新の構図と企業革新型ベンチャーの位置づけ
1) 企業革新はなぜ必要か
資料3-2ベンチャー組織の体系において、独立型ベンチャーと企業革新型ベンチャーの内 容を示し、9章までは、原則として独立型ベンチャー企業(法人形態)の分析を行なってき た。この章では、今までふれてこなかった企業革新型ベンチャーを取り上げてみたい。な ぜならば、現在日本には、個人事業を含めると約 470 万事業所が存在するし、法人会社数 だけでみても161万社存在する(資料3-3)。このうち、独立型ベンチャー企業とみられる 企業は、推定で2万〜5万社である。ということは、法人会社数の1.2%〜3.1%にすぎない わけで、逆にみれば、98.8%〜96.9%が既存の中小企業・中間企業、大企業ということであ り、とりわけ普通の中小企業は、約150 万社存在することになる。日本は失われた10年と いわれて久しいが、この閉塞状況を突破するには、2万−5万社と推定されるベンチャー企 業をより輩出すると共に、既存企業の企業革新を進めることが緊急の課題であり、かつ即 効性がある。
既存企業での企業革新の一つの戦略として、社内外ベンチャー(これを、目的を表わす 意味で、企業革新ベンチャーと称する)があり、本論に登場することになるわけである。
しかし、企業革新型ベンチャー企業に入る前に、企業革新全体について簡単に述べておき たい。
まず、企業革新は何故必要かということからスタートしたい。まず、企業と企業をとり まく環境との関係について考えたい。
企業は、人間社会のある約束事(法律)に則って形成された、組織体である。そして、
営利を目的として、社会の中で活動するわけであるから、社会環境変化のインパクトは、
直接的に受けることになる。そして、社会環境は常に変化し、現在の状況は後に述べるが、
非連続異質変化を起こしている。もし企業が、自らの環境を完全にコントロールできれば、
常に自らに有利な環境を作り出すことで、自らは革新を起こす必要はない。しかし、有史 以来、自らの環境を完全にコントロールできた企業は存在しない。最強と言われたIBMで さえ、ダウンサイジング化に対して社内ベンチャーを起こし、PCでの巻き返しに成功した にもかかわらず、1993 年には史上最悪の81 億ドルもの損失を出し、ガースナー会長を外 部から呼び、再建を図ることとなったのである。企業に限らず、国家ですら自らの環境は コントロールできない。2001 年9 月11 日の世界同時多発テロと、その後のアフガニスタ ン、イラク戦争を見ても、超大国アメリカは、自らの環境をコントロールしているとは決 していえない。ましてやどんなに巨大企業になっても、企業は自らの環境への影響力は行 使できても、コントロールは不可能である。P.F.ドラッカーは「顧客の創造」と言ったが、
環境全体を創り出すとは言っていない。とすれば、企業は、環境の変化に対応して、自ら
を変えていかなければならない。そして、環境変化がゆっくりした速度であり、同質的変 化であれば改善的変化でよいが、今日のように非連続・異質・高速度化であれば、革新し なければならない。
資料10-1 企業革新と企業改善の相違
(出所)筆者作成
資料10-1に示すように、非連続・異質・高速度化の起きている時は、企業革新での対応 になり、その対応内容は資料10-1に示すように、まさに質的に異なる対応が必要なのであ る。しかも現在の日本は、明治維新、終戦に匹敵するような、大変革期である。企業が環 境変化に対応するとすれば、企業改善でなく企業革新なのである。
もうひとつ、企業は企業革新をしなければならない理由がある。ある程度の企業規模に なった企業は、継続企業(Going Concern)でなければならないという前提がある。もし企 業が人間と同じで寿命があり、寿命がきたら消滅してよいとするならば、企業革新は必要 ないことになる。企業は生まれ、ある程度の規模になれば多くのステークホルダーが発生 することになり、勝手に消滅することは、特別な理由がない限り許されないことである。
以上のことから現時点での不連続・異質・高速環境変化への対応の必要性、企業は継続企 業であるべきとの考え方から、企業革新に取り組む必要があるいえる。
2) 企業の本質と企業革新の理論化
しかし、ある程度の規模や歴史のある企業の革新は、大変困難である。その証明として 資料10-2に倒産件数を示す。
環境変化 不連続・異質・高速変化 連続・同質・低速変化
↑ ↑ ↑ ↑
対応方法 企業革新 企業改善
対応内容
非連続的革新 構造的(質的)革新 全体経営レベル革新
組み替え的革新 新規性あるものの創出革新
迅速革新
連続的改善 延長線的改善 現場レベル改善 積み上げ的改善 現在あるものの強化改善
ゆるやかな改善
資料10-2 倒産件数と負債総額の推移
〜引き続き高水準が続く倒産件数〜
中小企業白書2003年CD-ROM 第1-1-25図 p.20
ここに示すように、2002年の負債総額1,000 万円以上の倒産件数は、19,087件と非常に 深刻である。さらに1999年から2001年の年平均廃業企業は、222,772 企業である注10−1。 もしこれらの既存企業が、環境変化に対応して企業革新を実行し効果を出していれば、こ のように多数の倒産や廃業が起こるはずがないからである。さらに本質的には、既存企業 の大多数はそれなりに成功体験を持っており、特に中規模、大規模企業であることは、成 功した結果だと言えるのである。個人でも組織でも成功体験を克服して、さらに新しい挑 戦をし続けることは、大変に大きな意思力とエネルギーが必要である。大企業もスタート アップ期は、大部分がベンチャー企業(トヨタ自動車のように社内外ベンチャーの場合も ありうる)としてスタートし、大変な苦労の末、成功を納めて大企業になった。しかし社 歴が長ければ、創業時の苦労を知らず、大企業へ入ることを目的とした社員が大部分を占 めてしまう。いわゆる大企業病に犯され病気であることすら気がつかず、巨体は沈んでい くのである。しかし、それを企業革新によって再生するには、サラリーマン個人としての リスクも高い。そして倒産直前になって、人員削減によってやっと生き残るというのが、
現在の大企業の多くの姿である。
このようなことから企業革新は、本質的に大変困難性があることが明らかになった。こ の困難性を突破するには、企業革新の理論化を行ない、方法論を確立することである。筆 者は、1987年6月編著として「マネジメント・ルネサンス − 経営革新プロセスとスキー マチェンジ 野村総合研究所」を出版した。これは、円高不況の中で苦しむ、日本企業に
対する企業革新の道程として表わしたものである。この書籍に共鳴してくれる多くの経営 者はいたが、日本全体を変えるほどのインパクトを残念ながら持っていなかった。この考 え方が、より広範囲に普及していたら、失われた10年もなかったと考えると残念でならな い。学問や理論は、正しくなければならないと同時に、社会を動かし力をも持たなければ 本物ではないと、このことを教訓として思っている。本論の体系的ベンチャー企業経営論 は、独創性、論理性を重視しながらも、実践的に使って実効を上げて欲しいという点を強 く意識しているのは、このような背景からである。
理論化に際しては、企業の本質は何かを明確にする必要がある。企業の本質に関する理 論としては、Alfred D. Chandler Jr.の「Strategy and Structure」の中で次のように述べ ている。「これらのいくつかの命題から引き出される結論は、組織は戦略に従ってつくられ るということ、及びもっとも複雑な組織は、いくつかの基本的な戦略の結合から生まれる ということである注 1 0 − 2。」
これに対し、H. Igor Ansoff は「Strategic Management」注10−3の中で以下のように述 べ「戦略は組織に従う」としたのである。「新しい用具を理解することができず、その活用 方法も知らず、その新しい用具によって自分の無能力が暴露されると感じた経営者にとっ ては、新しい用具は脅威となって現れることが多かった。最高経営者グループの権限によ って、新しいシステムが非常に長期にわたって維持され、経営者が新しい用具と共存する 方法を学ばざるを得なくなると、能力のその他の構成要素が発達して、そのシステムを支 援し、さらに新しい能力が新しい戦略的推進力をもたらした。こうしてチャンドラーの順 序は逆転し、「戦略は組織構造に従う」ようになったのである注 1 0 − 3。」
このような相反する命題に対し、その後のクイン(J. B. Quinn)やミンツバーグ(H.
Mintzberg)によって「戦略と組織は相互作用的関係にある」という考え方が示され、筆者
編著「マネジメント・ルネサンス」では、この立場をとっている注 10−4。つまり、企業の 本質は組織と戦略であるから、企業革新をするには、戦略を革新し、組織を革新し、それ が相乗効果が起きるように「相乗結合」させれば、企業革新が成功するという理論フレー ムを構築したのである。そして組織は人、すなわち企業構成員の集合であり、組織改革は 当該組織と構成員が持っているスキーマ(Schma)を変えること、すなわち「スキーマ・
チェンジ(Schma Change)」そのものであるとした。スキーマとは、認知論で用いられる 用語であるが、次のように定義される。「人間は、ある情報に基き行動し、その結果として 認識が固定化される。その固定化された認識の集合によって、認識枠、すなわちスキーマ が形成される。組織でも個人と同じように、以上のような過程で組織内に共有された認識 枠を持ち、われわれはこれを組織のスキーマと呼ぶ注10−4。」しかし、スキーマ(組織の認 識枠)は、行動の結果として共有されているだけに、チェンジすなわち革新することが大 変困難である。困難であれば、革新のプロセスを理論化し、その方法論を開発しなければ ならない 。そ こ で筆 者 達が注 目し た の は、Everett M. Rogers による 「Diffusion of Innovations The Free Press 1982」である。E. M. ロジャースは、世界各国の組織の中に
イノベーションを普及させる時の、普及過程の理論化を行なっていた。このE. M. ロジャ ースの理論をベースに筆者達が構築したのが、資料10-3に示すスキーマ・チェンジのプロ セスモデルである。基本的には、知識 → 態度形成 → 決定 → 実行のプロセスを経なが ら、他の構成員をまき込み、成功又は失敗によってそのスキーマが固定化されるというモ デルである。人や組織の認識枠の革新を行なうという大変困難な事も、この理論モデルに よりどの段階にいるかを正確に把握し、どのような対応を取ることが効果的であるかが、
自ら明らかになるのである。
(出所)「マネジメント・ルネサンス 野村総合研究所 1987年7月 柳孝一編著
新しいスキーマの確立
資料10−3 スキーマ・チェンジのプロセスモデル
このような理論化の結果、次に示すような企業革新の構図を構築し資料10-4を示す。こ の資料の原形は、「マネジメント・ルネサンス」であるが、1987年以降のケース・スタディ を加え、又理論的枠組も筆者の判断で進化させてきたものである。
3) 企業革新の構図と企業革新型ベンチャーの位置づけ
資料10-4のスキーマ・チェンジ5段階理論にあるように、情報創造と情報受容から、知 識 → 態度形成 → 決定 → 実行を経て、ある戦略が行なわれる。その戦略の結果が、新 しいスキーマ・チェンジを生み出し、さらに次の戦略革新を創出するという「相乗結合」
が構図の中心に描かれている。そして何回となくこの繰り返しがあれば、「変化(革新)が 常態」というレベルに達する。このレベルに達したのが、本論でも先に述べたソニー、本 田技研等々の革新型企業であるということになる。すなわち、革新が社内にビルトインさ れ、DNA化しているのである。
さてスキーマ・チェンジともうひとつの方法論が、この企業革新の構図の中に組み込ま れているが、それは企業革新プロセスという考え方である。スキーマ・チェンジも 5 段階 あるように、全ての革新においてもプロセス化し、一段一段進めていく必要がある。新戦 略の導入でも、まったく新しい戦略の為、現実には抵抗感が大変強い。まず一歩踏み出す プロセスを用意し、一歩踏み出したら次のプロセスに挑戦できるようにしておく必要があ る。これは、全体としては革新であるが、プロセスは一段一段ということである。
さて、スキーマ・チェンジには、直接的革新と間接的革新がある。直接的革新の中には、
CI 運動、意識革新運動、CS・ES 運動、トップ交代等々がある。間接的革新は、大規模組 資料10−4 企業革新の構図
(出所)「マネジメント・ルネサンス 野村総合研究所 1987年 柳孝一編著を改編」
織革新と人事制度革新がある。
次に、戦略革新であるが、戦略内容革新にはリストラクチャリング(事業構成の再構築)、 画期的新製品開発、社内外ベンチャー(企業革新型ベンチャー)、M&A、バーチャルコーポ レーション等々がある。リストラクチャリングについては、18年前GEの本社にインタビ ューに行き、初めて出会ったコンセプトであり、「マネジメント・ルネサンス」のなかで展 開した。しかし、その後の日本語としての使われ方は「人員削減」ということで用いられ ており、本来の意味である「事業構成の再構築」という意味が消えているのは、大変残念 である。この戦略内容革新の中に「企業革新型ベンチャー(社内外)」が含まれており、こ こで企業革新論の体系とベンチャー企業論の体系とが結びつくのである。内容については、
後にふれることとする。さらに戦略革新の中には、業務プロセス革新による体質革新があ り 、 こ の 中 に SIS(Strategic Information System) や BPR(Business Process
Re-engineering)が含まれる。つまり、セブンイレブンのように SIS によって、戦略を変
えた以上の優位性を業務プロセス革新によって成し遂げたのである。
以上、起業革新の構図について枠組のみ述べたのは、本論が体系的ベンチャー企業経営 論であるため、必要最小限にこの部分を留める必要があると考えたからである。
4) 「マネジメント・ルネサンス」の提唱
ここで、あえて1987年7月時点で、筆者がこの「マネジメント・ルネサンス」という書 籍の中で提唱した、「マネジメント・ルネサンス」を当時のまま引用しておきたい。なぜな ら、当時の問題意識は、そのまま体系的ベンチャー企業経営論のバックボーンになってい るからである。
「つまり企業の付加価値の発生が、コストを下げ、競争優位によって利潤をあげるとい う今までの日本型パターンから「知価社会」の到来により、システム、知恵、情報などが 基本になって付加価値を生む時代に入りつつあるのである。中略、そのためのキーワード が「情報創造」であり、本来人間にしかできない分野の仕事である。情報創造のためには、
どのようにしなければならないか。情報創造できる人間は、必死になって自分の頭でもの を考えることを自発的に行なう人間である。命令とか強制だけで情報創造は不可能である。
さらにユニークなアイディア、画期的なアイディアは、人間の創造性に依存している。人 間の創造性は、人間が解放された状態の時、最も発揮されるものである。このように、大 量生産とコストダウンという組み合わせでは、現在、日本の企業が直面しているディレン マからの脱出は不可能である。p.24~p.25」
「一方、現在の日本企業は八方塞がりの状況にあり、いままでの延長線上での努力を続 けることは、自らの首をしめかねない状況にある。すなわち、環境変化は、今までの発想 や、自らの今までの強みのとらわれない新しい分野や、新しい発想の創出を迫っているの である。つまり、企業の中に共通に持たれているスキーマのチェンジが、絶対に必要な時 代なのである。このような状態においては、今まで何回となく主張してきた、経営革新の
プロセスとスキーマ・チェンジとの相乗結合が絶対に必要である。単なる戦略導入でもな い。単なる組織の活性化でもない。経営革新のプロセスとスキーマ・チェンジが、相乗的 に結合してスパイラル状に、しかも社員の心の変革をも含めた真の経営革新を起こす必要 があるのである。米国式発想や方法論のショック療法的導入だけでは、日本人の心の底か ら出てくるスキーマの変革はできない。いまこそ、日本人の心にひびく経営革新論が必要 とされる時代なのである。p.45」
「日本の企業人は現在幸福であろうか。世界最大の債権国家をつくりだした戦士たちは、
その勤勉さと優秀さとによって、皮肉にも自らの体質を非常に速いスピードで変えること を迫られている。中略。日本人の優秀さは創造性にもあるはずである。いままでの企業人 の多くは、自らの能力の半分しか使ってこなかったのではなかろうか。効率的生産システ ムやビジネスシステムに合わせるために、自分を変形させてきたのではなかろうか。中略。
われわれがコンサルタントとして入っている企業のミドルマネジメントは、大変優秀であ りよく勉強している。しかし、発想を変えるということについては、非常に不得手である。
いままでの成功体験が、骨の髄までしみついているためである。そういう意味では、新戦 略を実行し、その体験の中からスキーマ・チェンジをせざるを得ない人が大部分であろう。
しかし、この変わり方も、大変に仕事師的である。一度企業人という枠をとりのぞいて、
自らの人間解放(ルネサンス)に挑戦してみてはいかがであろうか。これからの企業が求 める優秀な企業人とは、まさにこのような自己解放ができる人材なのである。創造性を発 揮することが、そのまま仕事を通じて社会に貢献している状態の人は、もっとも幸福な人 であるといえよう。人間性を解放し、創造性を引きだすことによって、企業の付加価値を 上げる経営、これが、「マネジメント・ルネサンス」である。p.49」
この「マネジメント・ルネサンス」のコンセプトは、体系的ベンチャー企業経営論のバ ックボーンとして存在しており本論にもつながっているため、15 年前の文章をそのまま引 用した。
2.企業革新型ベンチャーの実態と課題
1) 企業革新と企業革新型ベンチャーの役割
企業革新の構図(資料 10-4)において、企業革新型ベンチャーは、戦略内容革新の中に 含まれている。すなわち、戦略内容を革新するには、本業以外に新規事業を立ち上げる必 要がある。この時、本業とは異なった事業であるので、本業の事業部の中で管理すると、
本業的スキーマで仕事をすることになり成功しない。そこで、社内でも特別な組織的対応 をして、新規事業を育成する仕組みが社内ベンチャーである。
社内ベンチャーについての古典的文献は、Gifford Pinchotの「Intrapreneuring − Why you don’t have to leave the corporation to become an entrepreneur 1985 Haper & Row, Publishers, Inc.」である注10−6。G.ピンチョーの基本的問題意識は、以下のようである。
「社内における企業活動は、社員の企業家的才能を利用することにより、大企業の内部で すみやかにイノベーションを実現させることができる画期的システムである。創意に富ん だ有能な社員達に、会社を辞めなくても自分のアイディアを実現させるチャンスを与える ことによって、経営者は彼らを手元に置いておくことができる。同書p.5」さらに、G.ピン チョーは述べている。「すでにできあがった企業の中に、私が「社内イントラ企業家プ レ ナ ー」と呼ぶ人たち を、どうやって抱えておくかという問題の手がかりをはじめて得たのだ。企業の立場から すれば、社内企業家を抱えておく利点ははっきりしている。なにしろ、社内企業家は、新 しい製品や工程やサービスを導入してつくり出すのである。つまり、企業を全体として成 長させ富ませる力を持っている、ということである。同書p.16」
このように、米国の場合は、社内ベンチャーを起こすようなアイディアがあり実行力の ある人は、独立して独立型ベンチャーを起こす可能性が高い。それを、社内に留めるには どうしたら良いかという問題意識である。この点では、日本とはまだ環境条件はだいぶ異 なっている。
また、「コーポレートベンチャリング注10−7」では、社内外ベンチャーと経営革新との関 係について次のように述べている。「しかし、企業には組織風土が改革させるのを見届けて から、新規事業を手がけるほどの余裕はない。むしろ多くの企業がすでに新製品・新技術・
新規事業の開発に役立ててきた行動・制度・方策をいち早く実行する方が得策である。そ うすることによって、これらの企業行動が起業活動を活発にする風土の醸成に寄与するこ とがわかる。p.6」
このように米国では、活力ある人材の確保と新規分野に社内ベンチャーで積極的に取り 組むことで、企業革新の視点から活発な風土の醸成という視点が重視されている。
米国で社内ベンチャーによる企業革新を進め成長し続けているのが、ミネソタ州に本拠 地を置くスリーエム(3M)である。3M には、「過去 5 年間に開発された新製品の全商品に占 める比率が、常に 25%を超えていること」という、自らに課した厳しい「25%ルール」があ る。このルールを守るために 3M では、ビルトインされた社内の仕組みがある。主なものは 以下の通りである。
①社員だれでもが(秘書を含めて)新製品、新事業のアイディアを出せる。
②アイディアの申請書類は簡単なものでよく、これはなるべく多く出させること が目的である。発案者は、自分のアイディアに賛同する仲間を集めチーム(ミ ニ・カンパニー)をつくる。
③チームは、社内のどこからでもスポンサーを見つけることができる。プロジェ クトに反対するには、反対の理由を証明しなければならない。( 社内の殺し屋 からの保護)
④プロジェクトの失敗、成功については、明確な売上高、利益(赤字)基準で評 価される。
⑤プロジェクトで失敗しても、そのプロジェクト参加直前の待遇は、最低限保障
される。
⑥全体の雰囲気として、何年間も与えられた仕事しかせず、ベンチャー・プロジ ェクトにかかわらない人の方が、失敗者よりむしろ問題だとされる注 1 0 − 7。
以上のように 3M の場合は、社内のルールが社内ベンチャーを輩出するように、仕組み として完成しているといえる。このような3Mは、さらに2001年、GEの最高幹部のひと りであったJames McNerneyを会長として迎え、もう一段の飛躍を期している。J.マック ナーニ会長は就任後、社員との対話を積極的に行ない「3Mは根っからの起業家集団」と結 論づけ、「企業文化は変えない。私の仕事はリーダー創りだ」として、チームごとに指針を 示し、目標を競うリーダー像を浮かび上がらせ、業績、株価ともに好調である(日経新聞 2003年8月25日付)。
次に社内ベンチャーとして有名なケースである、IBM のPC開発を説明したい。アップ ル社のPCに対抗するため、1980年7月コンピュータの巨人IBMは、12名からなるPC 開発の社内ベンチャー組織を発足させた。与えられた使命は「1年以内にPCを開発し、ア ップルに対抗する」こと。投入資金の枠が与えられ、運営は、リーダーP. D. エストリッジ 氏に完全に任された。チームは、IBM のそれまでの方法を完全に変え、マイクロプロセッ サーはインテル、基本ソフト(OS)はマイクロソフトにそれぞれ開発させるという方法を 取った。こうして1年後の1981年8月IBMは、アップルを追撃する新しいPC(いわゆ るDOS機)を発表し、1983年にはPC市場の36%のシェアを奪い取り、大成功を収めた のである。このケースのポイントは、 本業からの汚染 をいかに防ぐかということである。
IBMは、中・大型コンピュータの巨人であったが、PCについては価格、顧客、技術何をと ってもまったく異なるカテゴリーである。そこで、本業のやり方を 180 度変えた方法が必 要であった。そこで、チームの場所も本社から遠いフロリダ州ボカラトン工場内に置かれ たのである。このように社内ベンチャーは、既存事業の資金や人材など経営資源の活用が できるというメリットがある一方、本業から距離のある新規事業でありながら本業のスキ ーマで汚染され、失敗するというディメリットもあるのである。これもある意味での矛盾 と捉えることもできる。もうひとつの IBMでのケースの問題は、PCプロジェクトは大成 功したが、これによっても本業そのものは救えなかったのである。PCでの成功は、皮肉に もダウンサイジングとPCネットワークの流れを加速させた。また、IBMのPCの成功も 一時的で、先にも述べたデルコンピュータ等のベンチャー企業が成長し、IBM はマイナー な地位に甘んじなければならなくなった。IBM は高コスト体質であり、中・大型機依存を 脱却できず、1993年には史上最悪の81億ドルの損失を出すに至った。その後IBMは、外 部からガースナ−会長を迎え厳しい合理化を行ない、業績は1997年には回復した。このよ うに、IBMの社内ベンチャーのケースは、色々な示唆を与えてくれている。
さて、IBM のケースで明らかになった本業との関係を、どのようにすべきかについて整 理したのが資料10-5である。既存事業は、既存製品、既存市場のマトリックスで表示され
るが、それぞれについての新市場、新製品について、既存事業と近いものについては、既 存事業組織の中で取扱えばよい。しかし、新規性が大きく、既存事業からの距離が遠いも の(資料10-5ではアミカケの部分について)は、社内ベンチャーや社外ベンチャーで推進 した方が成功の確率は高くなる。逆に既存事業とはまったく関係のない多角化事業につい ては、いくら社外ベンチャーでやっても成功確率は低い。やはり何らかの関係を持った事 業を行なうべきである。
次に、社内ベンチャーのリーダーとしての資質を示したのが資料10-6である。企業革新 の相手としての企業家型管理者が必要で、旧タイプの調整型管理者では企業革新は進まな い。企業家型管理者の基本条件のポイントは、自己実現力である。仕事を通じて、自分は 何が達成したいのかを持っていない管理者には、若い人はついていかない。
さて、企業家型管理者の中から、より進化して企業革新型ベンチャーを起業する、起業 家型リーダーが生まれてくる必要がある。起業家型リーダーの基本条件としては、当該企 業グループに所属している価値を共有できることである。もしこれがなければ、企業グル ープの外に出て独立型起業家になれば良いということである。そして、グループの間での 価値共有力があるから、グループ全体の組織活用力も身につけることができるのである。
このように管理者レベルでの進化がないと、企業革新型ベンチャーの成功も厳しい。
資料10−5 既存事業と企業革新型ベンチャーの位置づけ
(出所)著者作成
資料10−6 起業家型リーダーの基本条件と進化過程
(出所)柳孝一編著「企業家型管理者の時代」
(産業大学出版局)p17の図を改編
2) 大企業における企業革新型ベンチャー
日本の大企業の企業革新型ベンチャーの成功例は、驚くほど少ない。最近の成功例では、
ソニーの「プレイステーション」によるゲーム市場への進出が挙げられる注10−8。1991年 に社内プロジェクトとして細々とスタートしたゲーム機プレイステーションは、ゲーム業 界の巨人任天堂との闘いの中で世界No.1の売上に達し、約1兆円の巨大部門となった。ソ ニーのように、ベンチャー精神の旺盛な企業でも、ゲーム機に対する軽視、デジタルへの 低評価などがあり、久多良木健現取締役は苦労の連続での開発であった。しかし当時の大 賀会長は、社内でのスポンサーとなり、社内からの風当たりを陰に陽に防ぎ支援し続け、
ついに世界市場を制覇したのである。このケースでは、大変個性の強い久多良木取締役の 技術評価力と実行力、情熱とが、トップとのコンビネーションで成功まで達したというこ とができる。
これに匹敵するような成功事例は存在しないが、カシオのデジタルカメラによるカメラ 業界への進出や、住友金属鉱山とキンコーズとの合併によるビジネス・コンビニエンスス トアへの進出くらいである注 1 0 − 9。
もちろん過去には、セブンイレブンジャパン、ファナック、NTTドコモ、NTTデータ等 大成功はあるが、数は多くない。逆に花王のフロッピーディスク(FD)事業のように、華々 しい成功の後撤退したケースもある。花王は、1985年栃木工場内にFDの量産プラントを 設置し、1986 年から KAOブランドで本格的に参入した。トイレタリー分野から情報分野 への参入ということで、大変注目を集めた。分野としてはまったくの異分野であったが、
界面活性制御技術が磁気記録分野への進出に役立つということからの決断であった。米国 でのオペレーションも黒字化したが、1999年3月期決算で売上高800億円に育っていた事 業から撤退したのである。撤退の決断をした後藤卓也社長は、以下のように述べている。「確 かに売上高で 800 億円にも達する事業を、いきなりやめていいのかという見方もあるでし ょう。10 年近く全社を挙げてと言ってよいくらい、情報事業の拡大に力を入れてきたわけ ですから。しかし、現実の市場は非常に変化が速かった。花王の情報事業は、フロッピー ディスクなどのメディアだけで、ハードもソフトも持っていないわけです。とにかく変化 に振り回されるだけで終わってしまった。だからといって、花王がハードやソフトにも進 出し、総合情報産業としてソニーや松下電器産業のような生き方ができるかというと、そ れはできません。NIKKEI BUSINESS 1999年6月14日号」この発言の中にあるように、
花王ほどの収益力、資金力を持つ企業でも、情報事業の技術開発スピードについていけな かったということと、今後の長期展望が描けなかったことが原因である。
このように、大企業の企業革新型ベンチャー企業は、まだ軌道に乗っていない。しかし、
選択と集中の名のもとに本業回帰で収益の回復をしても、長期的にはやはり新規事業の開 発は必要である。最近の調査で、電機・電子・精密機器分野の主要大企業51社が、何らか の形での企業革新型ベンチャーの支援制度を持っていることが明らかになっている注 10−1
0。まだ成果を上げていないが、今後期待できよう。
また、別の調査では、30 社のインタビューを行なっているが、柱となるべきコーポレー トベンチャーはまだ成果としてはないが、企業革新型ベンチャー支援の対応は、進んでい るという結果となっている注 1 0 − 1 1。
ケースとして、協和発酵を取りあげる。1996年3月協和発酵では、第7代社長として平 田正社長が就任した。そして1996年10月から社内外ベンチャー制度が導入され、12月に かけて第1回目の募集を実施し、18件の応募があった注10−12。1997年6月〜11月に第2 回目の募集を実施、12件の応募の中で㈱レクメドが事業化された。2000年第3回目の募集 が実施されたが、採択案件はなかった。このように3回の募集に30件の応募で、1件の事 業化ということで、当社における社内外ベンチャー制度は定着したとは言えない。
平成10年5月㈱レクメドは、海外ベンチャー企業の医薬開発を支援し、医薬品候補物質 の国内への導入を事業とする企業として、資本金1,000 万円、協和発酵51%、松本社長49%
で発足した。松本社長は、当社のライセンス部門でバイオベンチャーとの新薬開発提携を 約10年間担当するなど、欧米のバイオベンチャー事情に詳しいことから44歳で起業した。
そして1999年7月、事業が順調でレクメドの認知も高くなったので、全株を松本社長が買 い取り、完全に独立した。それは資本関係があると、顧客から秘密が守れるかという疑問 があり、新規顧客の開拓の際に障害になる可能性があったからである。その後当社は、順 調に成長し、2002年 3月の売上高は、1.5 億円となっている。このように協和発酵のケー スは、松本社長という能力を持った社員が存在したという、個別事情が強いようにみえる。
しかしこの制度があり、結果として独立型ベンチャー企業が成立したことで、大企業社員 でも出来るというケースになり、社員の意識改革にはインパクトがあったとしている。こ の他に、他社とのジョイントベンチャーは、これとは別に数社立ち上げている。
以上述べてきたように、大企業の経営革新型ベンチャーは、まだ成果を出しているとは 言いがたい。大企業の社員の意識が変わるには、もう少し時間が必要であろう。しかし、
企業内の一部内の社員達が、自ら所属する会社から当該部門を買い取って独立するという MBO(Management By Out)が増加している。この形態は、すでに事業が展開されてお り顧客もついているので、ゼロから始めるよりリスクが少なく、日本的な風土では増加す る可能性がありそうである。資料10-7に示すように急激に増加し、2002年には件数で42 件(3年で3倍)になり、買収金額では766億円(3年で9倍)に達した。しかしこれは、
全て前向きなものではなく、大企業のリストラクチャリングの一貫として、子会社や事業 部内の売却を急ぐ動きが中心である。
このように、大企業からのベンチャー企業の輩出は、まだ時間がかかりそうである。大 企業が自らベンチャー企業を輩出することが難しければ、ベンチャーファンドを作って投 資するとか、有望独立ベンチャー企業への出資を行なうことによって、グループを広げて いく戦略もありうる。しかし、大企業風をふかせベンチャー企業を下手にコントロールし ようとすると、優秀な人から退職してしまうということもありうるので、厳に戒めるべき と考える。
また大企業には、優秀な人材が大変多く、その中には最近独立してベンチャー企業を起 こし、株式の上場まで達する会社も出現している。1975年に東芝に入社したザインエレク トロニクスの飯塚哲哉社長は、液晶用 LSI 開発を行ない、上場を果たした。同様に 2002 年12月ノースはマザーズに上場したが、飯島朝雄社長は1970年にソニーに入社し、初代 ウォークマンの基板開発などを手がけた(2003年1月15日付日経新聞)。また同12月に ジャスダックに上場した、画像処理 LSI メーカーアクセルの佐々木譲社長は、新日本製鉄
資料10−7 MBOの件数とその金額の推移
(出所)レコフ、NIKKei Business 2003年4月7日号
の出身で、LSI事業の立ち上げに携わった。2000年12月マザーズに上場した画像処理LSI を開発するリアルビジョンの杉山尚志社長は、NECやイノテックでLSI開発を行なってい た。このように大企業の技術者が、大企業を飛び出して上場会社まで到達するケースが増 えれば、後に続く人も増える可能性がある。これらの企業に続く大企業からの独立未公開 企業が、資料10−8に示すように最近相次いで多額の投資を受けている。これらは近い 将来、株式公開する可能性が高く、発展が期待される。しかし問題は、残った大企業が、
どう企業革新を進めていくのかである。独立組みが成功するということが、社内での成功 の可能性を高められる方向に行く可能性を期待したい。
資料10−8 主な半導体ベンチャーの最近の増資例
社名 (事業内容) 社長の出身母体 時期 調達額(円) 主な出資者
オプトウエア
(次世代光ディスク) ソニー 1月 11億
エイパックス・グロ ービス・パートナー ズ、ジャフコ パシフィック・デザイン
(LSI 設計) 富士通など 4月 2億 イグナイト・ジャパン アイピーフレックス (並
列処理型 MPU) アスキーなど 4月 5億1000万 サイモン・マレー・ジ ャパン
エフォーアイ (半
導体製造装置) 東京エレクトロン 5月 9億3600万 インベスター・グロ ース・キャピタル ファイベスト (光
通信部品) 富士通 6月 7億5000万 イグナイト・ジャパン (出所)日経新聞 2003年6月20日付
3) 中堅・中小企業におけるベンチャー化
中堅企業の社内ベンチャー、そして社外ベンチャーへの発展の典型的な成功ケースは、
プラスによるアスクルの開発である注10−13。プラスは中堅の文具の製造卸であるが、女性 チームによる「チームデミ」の開発等、ユニークな経営で知られていた。しかし、文具業 界はコクヨによる独占に近い支配が続いており、プラスは発展の突破口を探していた。プ ラスの今泉嘉久社長は、1983 年創業者の父親を継いで 40 歳で社長に就任し、当時の売上 高350 億を、1991年には984億円にまで成長させた。しかしプラスは、流通チャネルをコ クヨに押さえられており、これが更なる発展のネックとなっていた。今泉社長はこのネッ クを突破するために外部から人材投入を計画し、3年間かかってライオンで「Free & Free」
という新商品をヒット商品に育てた岩田彰一郎現アスクル社長を、1986年プラスに迎えた。
そして 1990 年に「ブルースカイ委員会」が結成され、21 世紀を見据えて主としてチャネ ル開発を中心にプランが練られた。1991年9月プランの具体化の為に、岩田氏をリーダー とするプロジェクトチームが結成され、プロトタイプのカタログなどが作成された。1992 年 3月にプロジェクトチームが解散し、アスクル事業推進室が設立され、同年 6月からテ ストマーケティングが開始されたが、この推進室長にすぐに岩田氏が就任したわけではな かった。岩田氏の願いを今泉社長は、3 回意思を確認した上で承認したのである。これは、
アスクルは単なる社内ベンチャーではなく、プラス自身がベンチャー化する起死回生を賭 けた事業であった為である。このような経緯を経て、1993年3月アスクル事業部が本格的 に稼動し、44ページのカタログでアイテム数562 で、その90%がプラス商品ということで 始まった。
ターゲットは、従業員30名以下のという小規模事業所に絞ったが、これらの事業所には 文具店のセールスマンは行かず空白部分であり、ユーザーは不便を感じていたからである。
アスクルのカタログは、ユーザーに直接届き、直接注文が入り直送される。このシステム では、従来の文具店が排除されてしまう為、エージェントとして位置づけ、新規顧客開拓、
与信管理、集金管理の機能を果たしてもらうことで、資料10-9に示すように、システムの 中に組み入れたのである。
(出所)アスクルホームページ
アスクル の役割
・ カタログの制作/配送
・ 価格の設定
・ マーケティング・マーチャンダイジング
・ 受注・納品
・ 大量注文の物流センターでのローコ スト処理
・ お問い合わせ受付業務、他
エージェントの役割
・お客様の開拓
(チラシの配布、個別営業など)
・代金の回収
資料10−9 アスクルのビジネス概要
このようなアスクルのビジネスモデルは、顧客の支持を得て急成長し、2003年5月期売
上高1,085 億円、経常利益52億円の規模となり、2000年11月にはジャスダックに上場す
るという、社内ベンチャーから社外ベンチャーの大成功ケースとなった。資料 10-10 に売 上高と経常利益の推移を示すが、驚異的成功である。
*1997年以前の数字は、プラス株式会社の事業部時代のものです。
(出所)アスクルホームページ
しかしこの成功の裏には、企業革新型ベンチャーとして克服しなければならない大きな 壁(矛盾)があった。ひとつは、当初はプラス製品が大部分であったが、顧客からの要望 では、他社ブランド製品も取扱って欲しいという事が大問題になった。当然プラス本体は 猛反対し、アスクルと対立したが、今泉社長の決断で取扱うこととなった。もうひとつは、
資料10−10 アスクル売上高・経常利益推移
顧客からの価格引下げの要望であった。これについても「お客様とともに進化する」とい う理念のもと 30〜40%の価格引下げが行なわれ、なお一層の顧客からの支持を得ることと なった。またアスクルは、社名の通り「明日来る」を掲げており、それを保証する為、超 近代的な物流センターを建設しており、IT やロジスティック技術の活用も成功要因のひと つである。
このようなアスクルの大成功をみて、巨人コクヨがいよいよ「カウネット」という子会 社で、アスクルへの反撃を始めた。2001 年1月コクヨはグループ売上高2,722億円、エー ジェント数約4,900 社の力をバックに子会社カウネットが参入し、2003年3月期では、カ ウネットは黒字転換したとされる(日経会社情報2003 年夏号)。このように、いよいよ親 会社を含めた全面競争の中で、アスクルがどのような戦略をとるのかが注目される。アス クルは、取扱商品やユーザーターゲットを拡大する ワンストップサービス を目指して いる。
アスクルの成功は、親会社であるプラスの活性化にも貢献したことは間違いない。また この成功は、今泉社長と岩田社長の絶妙のコンビネーションがあったことを強調しておき たい。つまり既存企業と企業革新型ベンチャーとの間の矛盾をどう解決するかについて、
二人の社長は大変参考になるケースを示してくれたのである。
中堅企業の企業革新型ベンチャーのケースとして、創造業であるタカノのケースを分析 したい。
タカノは創業は戦前であるが、会社設立は1953 年7月で、自動車用バネの下請工場であ った。当社の沿革は資料 10-11 に示す通りであるが、企業革新型ベンチャーを推進した元 会長(現相談役)堀井朝運氏は、1957年町工場であった当社に入社している。その後脱バ ネ戦略を展開し、1968年にはオフィス用椅子のOEM生産、1982年にはエクステリア製品 のOEM生産を開始し、企業規模を拡大した。そして脱下請戦略を実行する為、1984年に は信州大学への委託研究生の派遣を始めた。堀井氏が副社長に就任した1985年には、初め ての自社ブランド製品である電磁アクチュエーターを開発、製造・販売を始めた。1987年 には画像処理装置の第1号機を完成、1988年には堀井氏が社長に就任し、アイオア州立大、
バッテル研究所(米国)等との共同研究が本格化した。1994年には福祉機器グループが発 足、1995年店頭市場に上場を果たした。1997年には東京 2部市場に上場したが、最近に おける部門別売上高及び構成比は資料10-12、資料10-13に示す通りである。最も古いバネ
は16%から10%へ、オフィス家具も73%から50%に大幅にウェイトを下げている。代わっ
てエレクトロニクス関連が2%から25%へと大幅に伸び、利益貢献からは半分近いウェイト を占めると推定される。
資料10−11 タカノ㈱沿革
1941年 帝国発条(日本発条㈱に合併)向けにバネを納入するため、東京府向島区 (現東京都墨田区)において、鷹野忠良氏個人で鹿野製作所を創業
1945年 長野県上伊那郡宮田村に疎開
1953年 株式会社タカノ製作所を設立(代表取締役社長 鷹野忠良)
1954年 長野県上伊那郡宮田村に薄板バネ、線バネの宮田工場を新設 1957年 堀井朝道民(現相談役)入社
1962年 バネで培った技術をもとに、折りたたみバネ椅子を開発
1968年 コクヨ株式会社と取引を開始(オフィス椅子のOEM生産を開始)
1973年 タカノ株式会社に社名を変更
1982年 東洋エクステリア株式会社向け伸縮門扉の製造を開始 1983年 エレクトロニクス分野進出のため特晶工場を設置 堀井氏専務に就任
1984年 信州大学への委託研究員の派遣始まる
1985年 電磁アクチュエータを開発、製造・販売を開始 堀井氏副社長に就任
東京都千代田区に東京事務所を設置 1987年 画像処理装正の第1号機を完成 1988年 堀井氏代表取締役社長に就任
1991年 アイオワ州立大学との共同研究始まる 1992年 バッテル研究所(米国)への委託研究を開始 1994年 東京大学にAFM(原子間力顕微鏡)を納入
営業開発部に福祉機器グループ発足、車椅子第1号製品完成 1995年 日本証券業協会に店頭売買銘柄として株式を登録
1996年ISO9001認証取得(電磁アクチュエータ)
1997年 東京証券取引所市場第2部に上碍 ISO9001認証取得(オフィス家具)
1998年 堀井氏代表取締役会長に就任、鹿野準専務が代表取締役社長に就任 1999年ISO14001認証取得(オフィス家具)
ISO9001認証取得(エクステリア、画像処理装置)
ISO9002認証取得(宮田工場、横浜工場)
2000年 タカノ・バートントランスファーシステム発売
(出所)「ケースブック タカノの新規事業創出の実際 早大アジア太平洋研究センター 2001年2月 柳孝一監修」
資料10−12 部門別売上高
(出所)資料10−11に同じ
資料10−13 部門別売上構成比
(出所)資料10−11に同じ
このように当社の企業革新型ベンチャーは順調に育ちつつあり、企業の体質も下請メー カーの体質から変わりつつある。タカノの企業革新型ベンチャー成功のポイントは、第 1 にトップのリーダーシップである。堀井相談役は、筆者に常々「新規事業というものは、
やってみなければ成功するか否かわからないところがあるので、トップが決断しないと進 みません。」と言っている。第2は、大学等外部諸機関との共同研究である。堀井氏は「以 前は優秀な技術者は、当社には来てくれなかった。技術がなければ大学に人を派遣して、
共同で開発する道を選んだ。社内では反対の声もあったが、確信をもって進めた。博士号 を取った技術者も、当社で仕事を続けている。」と述べ、外部機関の活用の効力を強調して いる。このケースは、経営資源に恵まれず、人材も技術も不足している中堅・中小企業が、
外部を活用した企業革新型ベンチャーで、脱下請け企業への脱皮を図った大変参考になる ケースである。
次に、中小企業の新規事業開発について資料10-14 に示す。
資料 10-14 は、東商の委員会で新規事業開発についてケーススタディを行ない、筆者は
本部報告書作成についての専門委員会座長の立場で編著者である。このケースには、大企 業、中堅企業、中小企業が含まれているが、このうち特に中小企業に絞ってみると、各社 とも進出背景は差し迫った内容となっている。そして進出した分野と、従来事業との関連 をみると、技術、市場ともに新規というのは、インターワイヤードと協和しかなく、他の 中小企業は何らかの形で従来事業との関連がある分野に出ている。また新規技術があって も、自社開発や共同開発が多く、まったくの外部からの導入はない。このように経営資源 が不足している中小企業でも、何とかやりくりをして新規事業を開発している実態が明ら かになった。そして進出方法の組織については社内組織が多く、必ずしも社内ベンチャー としているとは限らない。しかし管理については、現場の管理者に任せず、トップ(社長)
自ら直接管理している。つまり現実には、社長直轄の社内ベンチャーというのが実状であ ろう。中堅・中小企業は、トップが決断すればすぐに企業革新型ベンチャーを動かすこと ができる。この事情が、大企業と異なる条件と考えられる。
「構造改革に取組む中小企業へ
注10-1 「中小企業白書2003年版」 中小企業庁編 p.102及び付注2-2-1参照
注 10-2 「Strategy and Structure − Chapter in the History of the industrial Enterprise − 」Alfred D. Chandler Jr. 1962 The M.I.T. Press 経営戦略と組織 三菱経 済研究所訳 実業之日本社刊p.30
注10-3 「Strategic Management」H. Igor Ansoff The Macmillan Press Ltd 戦略経 営論 中村元一訳 学校法人産業能率大学出版部1960年1月 p.109~p.110
注10-4 「マネジメント・ルネサンス」野村総合研究所1987年7月 柳孝一編著 p.42
〜p.43
注10-5 「Diffusion of Innovations」 The Free Press 1982 Everett M. Rogers 本書は、
1990年5月イノベーション普及学 青池慎一・宇野善康監訳、産能大学出版部から訳書と して出版された。
注10-6 「Intrapreneuring」Gifford Pinchot1985 Haper & Row, Publishers, Inc. イ ントラプルナー社内企業家 講談社1985年8月 清水紀彦訳
注10-7 「起業力をつける」日本経済新聞社1997年7月 柳孝一著 p.184~p.185
注10-8 「ソニーの革命児たち」IDGコミュニケーションズ1998年10月 麻倉怜士著
注10-9 「なぜ新規事業は成功しないのか」日本経済新聞社1998年8月 大江建著 p.10
注10-10 「修士論文 企業革新型ベンチャーの失敗に学ぶ」2001年12月 望月弘章
注 10-11 「修士論文 コーポレートベンチャーによる新規事業創出の有効性」2003 年 6
月 藤井康則
注10-12 「ケースブック 経営革新にチャレンジする協和発酵」早大アジア太平洋研究セ
ンター2003年4月 監修柳孝一
注10-13 「ケースブック お客様とともに進化するアスクル」早大アジア太平洋研究セン
ター2002年3月 柳孝一監修