• 検索結果がありません。

出版者 法政大学資格課程

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "出版者 法政大学資格課程"

Copied!
6
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

日本における生涯学習の源流としての法政大学高等 師範部(覚え書き) : 城戸幡太郎、留岡清男、波 多野完治、宮原誠一、乾孝

著者 笹川 孝一

出版者 法政大学資格課程

雑誌名 法政大学資格課程年報

巻 9

ページ 15‑19

発行年 2020‑03‑31

URL http://doi.org/10.15002/00023056

(2)

1.はじめに

 今では、歴史の中に埋もれて、「法政大学高等師範部」

の存在を知る人も少なくなった。しかし、ここに教授 等として在籍した城戸幡太郎、留岡清男、波多野完治、

宮原誠一、ならびに学生として在籍した乾孝、小池喜 孝らは、日本の生涯学習学、生涯教育学を切り拓いた 人々である。

 この伝統は、法政大学資格課程や、2003 年に発足し た法政大学キャリアデザイン学部(「Faculty of Lifelong Learning and Career Studies」)に受け継がれていると 考えられるが、これとても十分意識的になされている ものとも言えない。

 1988 年に法政大学に赴任した私は、着任前に宮原 誠一、城戸幡太郎、波多野完治の諸先生に、濃淡はあ るものの直接教えを受けたことがある。

 また、直接の面識はなかったが、乾孝さんの『私の 中の私たち 認識と行動の弁証法』、小池喜孝さんの『鎖 塚 自由民権と囚人労働者の記録』等は、大学院生時代 からの愛読書であり、東京都立大学での授業でテキス トの1つとして使ったこともあった。

 さらに、城戸さんの娘さんである城戸朋子さんは現 在、法政大学名誉教授であり、朋子さんとは法政大学 国際交流センター主催の上海外国語大学との共同プロ ジェクトのメンバーとして、ともに仕事をしたことが あった。

 しかしながら、怠惰にして、城戸さん、乾さんの詳 しいインタビューをしないままに、時が過ぎてしまっ た。この度、小ぶりなものではあるが、資格課程も参 画して「法政大学ミュージアム」が開館し、そこに高 等師範部、とくに城戸さんたちのことを位置づけるこ とになった。そこで、本格的な論文の前段階として、

ここに「覚え書き」を記し、おそらくは来年度末にま とまった論文を発表することとしたい。

2.「生涯学習の時代」について

⑴ 国家・国家間レベルでの「生涯学習の時代」のエ ポック

① 1965年 ユネスコ会議 ポール・ラングラン(ユ ネスコ成人教育部長)レポート “An Introduction to Lifelong Education”

 「生涯教育」という考え方は古くからあったものの、

それが国家間会議の場で公式に議論されたのは、そう 古い話ではない。1965 年にユネスコの会議が開かれ、

そこで、成人教育部長のポール・ラングランが、“An Introduction to Lifelong Education” と題するレポートを 発表したのが最初とみられる。

 「ユネスコフェロー」としてこの会議に出席していた 波多野完治(元法政大学高等師範部教授、当時お茶の 水女子大学教授、心理学、教育学)が、帰国後にラン グランレポートの翻訳刊行を行い(『生涯教育入門』『生 涯教育入門 第 2 部』)、『生涯教育』『続生涯教育』等 の執筆刊行を行った。

 また、宮原誠一(元法政大学高等師範部教授、当時 東京大学教授)は編著『生涯学習』を刊行して、いわ ゆる「社会教育関係者」にその解釈を含めて、普及活 動を行った。

② 1987 年 臨時教育審議会答申「生涯学習体系へ の移行」提言

 この動きは、政府の機構や政策にも徐々に浸透し始 めた。文部省(現文部科学省)の筆頭局は、初等中等 教育局から「生涯学習局」「生涯学習政策局」「総合政 策局」へと変化して今日に至っている。また、中曽根 首相のもとに組織された「臨時教育審議会」の答申は、

教育政策の基本的な軸として「生涯学習体系への移行」

を打ち出した。

③ 2006 年 改正教育基本法 第 3 条「(生涯学習の 理念)」を上位概念として新設

 これは、賛否両論がある中で改定された「改正教育 基本法」にも反映された。その第 3 条は「生涯学習の

日本における生涯学習の源流としての法政大学高等師範部(覚え書き)

〜城戸幡太郎、留岡清男、波多野完治、宮原誠一、乾孝〜

法政大学キャリアデザイン学部教授 笹川孝一

(3)

理念」を「学校教育」や「社会教育」の上位概念とし て設定した。

 「(生涯学習の理念)第三条 国民一人一人が、自己 の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、

その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所 において学習することができ、その成果を適切に生か すことのできる社会の実現が図られなければならな い。」

⑵ 2003 年「Lifelong Learning」を名称とした日本で 最初の学部の発足

  そ の よ う な 文 脈 に お い て、2003 年 に「Lifelong Learning」を学部の英語名称の一部に位置付けた学部、

法政大学キャリアデザイン学部、英語名称 「Faculty of Lifelong Learning and Career Studies」が発足し た。

3.「生涯学習」「生涯教育」という考え方、実 態の伝統はラングランレポート以前からあっ た

⑴ 『論語』の世界

 以上、ラングランレポート以後の国際的・国内的な 動きの中で、高等師範部に在籍していた人々の役割と、

その伝統を引き継いだ「法政大学キャリアデザイン学 部」について述べたが、生涯学習、生涯教育という考 え方はそれ以前からあった。今から 2000 年以上前の 書物と考えられる『論語』には、有名な次の句がある。

吾十有五に而て学に志す(志学)  三十に而て立つ

(而立) 四十に而て惑はず(不惑) 五十に而て天命 を知る(知命)  六十に而て耳順ふ(耳順)  七十に 而て心の欲する所に従ひて矩を踰えず(従心)

⑵ 伝統型生涯学習社会:「年齢階梯制度」など  このように、年齢とともに、人生の中での学ぶ課題 や目標が積み上がりながら変化していくことは、古く から認識されていた。日本の農村地域の場合には、遅 くとも江戸時代の中期には「年齢階梯制」という組織 を形成していた。これは、年齢とともに梯子段を上る ように学びの内容や役割、そのために必要とされる能 力が意識されて学習・教育が営まれていた。「子供組」

「若者組」「娘組」「大人組」「かかあ組」「年寄組」など の組は、それぞれが自治システムを持ち、同時に、年 齢が上の組が下の組を指導する、いわば「ピアサポート」

システムを構成していた。

⑶ 近代学校の展開とともに弱体化

 しかしながらこの年齢階梯制は近代化過程で弱体化 する。すなわち、産業革命、大量生産・大量消費・大 量廃棄、商品経済化と契約社会化、リテラシー社会化、

職住分離化の進展のなかで、個人ベースの「学校」制 度が重要視されるようになり、年齢階梯制は変容を迫 られるようになる。

⑷ 19 世紀末〜 20 世紀以後:近代学校制度を組み込ん で、生涯学習社会を再構築していく取り組みが展開  「学校」の基本的な役割は、時間と空間を超えた意思 疎通を可能とする「文字」の習得と、文字を活用して 表現される「関連付けられた一纏りの情報としての知 識」、および知識の創造方法と、知識と技との組み合わ せによって問題を解決していく智慧の生み出し方、活 用方法の習得をサポートすることにある。

 しかしながら、個人契約社会化の進展の中で、階級・

階層間の移動が自由になっていくと、この文字や情報、

知識、智慧の習得それ自体が目的化される傾向が出て くる。その傾向が独り歩きすると、学校が本来の母体 である共同体から切り離され、文字や「知識」が創造 から縁遠くなり、リテラシーの形骸化が起こる。つま り「論語読みの論語知らず」が続出するのである。そ のことはまた、学ぶということから問いを立てること が切り離されて、学びや「教育」が人を振り回すよう になり、自己喪失を加速するようになる。

 そのような状況の中で、注目される 2 つの書物が 1899 年に刊行された。1つは、ドイツ人パウル・ナ トルプの『Sozial Pedagogie( 社会的教育学 )』であ り、もう1つはアメリカ人ジョン・デューイの『School and Society(学校と社会)』である。

 ナトルプの『社会的教育学』は、「成人自由な自己教育」

をモデルとして、それを青年、子どもへとおろしていき、

「自由な自己教育」を軸とする「生涯にわたる自己決定 的な教育システム」を構築しようとするものであった。

これに対して、デューイの『学校と社会』は、学校は コミュニティーの中に創造されたものなので、これを、

一人一人の自律・自立を重んじる「society」の中に位 置づけなおし、学校とソサエティとの相互補完的な関 係性、すなわち「学校の社会化と社会の学校化」をと もに実現しようとするものであった。そしてここでも、

教育=子供というのではなく、大人の自己教育を軸と する共同体の教育システムが意識されていた。

(4)

4.4 人の専門、仕事(戦前)等

⑴ 4 人が活躍した時代

 城戸幡太郎たちが活躍した時代は、いわゆる「大正 デモクラシー」の余波がある時代であり、雑誌『新興 教育』を軸とする「新興教育運動」や「生活綴方運動」

などが盛んな時代でもあった。この時代は、関東大震 災をきっかけとする「帝大セツルメント」にも一つの 特徴を見ることができるように、「日本の近代学問の離 陸期」とも言われた時代でもあった。それは、日本の 古典と中国の古典の研究の上に、欧米の古典研究を行 い、それと並行して「日本の現実研究」を積み上げる ことを目指した、学問的なムーブメントの時代でもあ った。

 この学問的ムーブメントのキー・ステーションの1 つとなったのが、漱石全集で経営的にも飛躍したとい われ、出版内容的に古典と現代理解をつなごうとした、

岩波書店だった。岩波茂雄と夏目漱石門下、西田幾多 郎門下等が学問的サロンを形成し、そこに参加し、岩 波書店から書籍を上梓したり、岩波書店刊行の雑誌に 執筆した人々を、世間は、「岩波文化人」と呼んだ。法 政大学との関係でいえば、三木清、戸坂潤、野上豊一 郎、谷川徹三などであった。が同時に、後述するように、

城戸幡太郎、留岡清男、波多野完治らも岩波文化人の 一角に名を連ねていた。

⑵ 4人の活躍

① 城戸幡太郎

 城戸幡太郎は松山生まれで、漱石の『坊っちゃん』

の舞台の一つにもなった旅館「城戸屋」の息子であった。

東京帝国大学で心理学を学び、ドイツに留学して帰国 した。ドイツでは新カント派のナトルプの研究も行い、

「社会的教育学」「自由な成人の自己教育を軸とする生 涯学習学の構想」に親しみを覚えていた。帰国後には、

ドイツ心理学研究と日本人という土壌の上での人の心 理の研究を行った。

 そして、それを行えば行うほど、4つのことの重要 性に気が付いた。

 1 つは、教育勅語に振り回されない実証性を重んず ることの大切さであった。もう 1 つは、心理を考える ためには人が育つこと、それをサポートするものとし ての教育を重視する必要性が重要であること。3つ目 には、人が育つには、生活に根ざす実践性=教育実践、

生活表現が大事だということ。そしてそれは、国際性

(普遍性)と社会改造に向かうものにならざるを得ない こと。4つ目には、教育実践というものを地域の暮らし、

地場産業を意識して構想する必要があること。

 このような視点から城戸は、岩波講座『教育科学』

(1931-33)の編集を行った。そしてそれを踏まえて、

1936 年に雑誌『教育』を創刊した。

 同じ年に城戸は、「保育問題研究会」を立ち上げ、「学 校」だけでは完結しない教育学・心理学を目指した。

そして翌 37 年には、「教育科学研究会」(「教科研」)

を立ち上げた。保育問題研究会と教育科学研究会は、

末弘厳太郎が立ち上げた「判例研究会」が法実践とし ての判例を重視していたように、保育実践や教育実践 を「保育」「教育」の基本的な存在形態として重視した。

法政大学高等師範部教授を務めた。

② 留岡清男

 社会事業家である留岡幸助の息子。城戸と同じく東 京帝国大学で心理学を学び、雑誌『教育』編集や『保 育問題研究』の編集に携わる。教育科学研究会立ち上 げに際しては、代表の城戸を助ける立場としての幹事 長に就任し、のちに法政大学高等師範部の教授となっ た。

③ 波多野完治

 波多野完治は、神田神保町の古書店、波多野厳松堂 の息子であった。東京帝国大学心理学科での城戸の弟 子であり、城戸に呼ばれて法政大学高等師範部の教授 となった。城戸の助言で『教育科学』に文章心理学を 執筆して以後「文の形は想の形」という視点から生活 綴方運動にも影響を与えた。

④ 宮原誠一

 宮原誠一は三井財閥の大番頭の息子といわれている。

水戸高校生の時に『新興教育』に関連して検挙されて いる。東京帝国大学教育学科で学んだが、城戸に誘わ れて法政大学高等師範部に赴任し、教授となる。ソ連 邦の教育学に関心をよせる傍ら、デューイ研究を行い、

とくに『学校と社会』研究を深めた。教育科学研究会 にも参画した。

⑶ 法政大学を舞台とする保育問題研究会と教育科学 研究会の創立

① 保育問題研究会

 セツルメント運動との関連もあり、すべての子供た ち、とくに貧しい地域の子供たちの保育の実際を検討 することを意識していた。責任者は城戸幡太郎。

② 教育科学研究会

 岩波講座『教育科学』を受けて、天皇制イデオロギ ーにとらわれない「教育」に関する実証的、科学的研 究を標榜、とくに「教育」の基本的現象形態である「教 育実践」の研究を志向する。また、教育と社会、教育

(5)

と福祉の関連を重視する。城戸と留岡が発起人。

⑷ 卒業生たち

① 乾孝

 法政大学高等師範部での城戸の教え子。保育問題研 究会の活動に参加。心理学者。戦後、法政大学第一教 養部教授として心理学を担当。保育問題研究会の理論 的指導者。

② 小池喜孝

 東京府立青山師範学校卒業後に、本郷小学校に勤務 しながら、法政大学高等師範部に入学。北海道に移住 して、秩父事件関係者で北海道に行った人々の足跡を 調べ、「オホーツク民衆史研究会」を立ち上げ、「国民 的歴史学運動」を発展させた「民衆史運動」を切り拓 く。『谷中から来た人たち 足尾鉱毒事件と田中正造』、

『鎖塚 自由民権と囚人労働の記録』、『秩父颪 秩父事 件と井上伝蔵』、『伝蔵と森蔵 自由民権とアイヌ連帯 の記録』、『民衆史運動』

5.教科研事件と城戸、留岡、波多野、宮原の 検挙・失職と「転向」問題

 1944 年、教育科学研究会が「人民戦線」の一翼で あるとして、城戸らが検挙され、法政大学での職を失う。

これによって、学問レベルでの法政大学および日本の 生涯学習への取り組みは一時中断となった。その後、4 人はそれぞれなりに戦争と向き合うことになる。その 中で、宮原の『文化政策論稿』のように、「体制」に翼 賛する論文や書籍を刊行することもあった。

 これに関しては、長浜功『教育の戦争責任』のよう に戦争協力を強く断罪する論調もある。しかしながら、

戦争の最高指導者「大元帥」である昭和天皇裕仁がほ とんど全く責任を取らない状況下という日本の歴史の 特殊的状況を理解した上で、判断されるべきだろう。

戦争協力や体制翼賛は決して褒められるべきではない が、この総力戦体制の下で、「生産力理論」に基づいて、

農村文化の改革や女性の地位向上、機械工の地位向上 等が実現したのも、一面の真実であった。したがって、

「教育における転向問題」として、総合的多面的な研究 が必要であろう。

6.生涯学習の源流としての戦後の城戸、留岡、

波多野、宮原、乾

 教科研事件による検挙と法政大学失職に伴い、高等 師範部としての生涯学習研究は中断した。しかし、第 二次世界大戦末期における翼賛体制の中での地域密着 型の生涯学習研究を経て、第 2 次大戦後に城戸らは、

本格的に生涯学習学の研究を進めるようになる。

① 城戸幡太郎、留岡清男

 城戸幡太郎は、戦後、北大教育学部の創設学部長と なった。そして、北大教育学部の研究室と北海道の地 域、地場産業をつなぐことの大切さを強調した。これは、

北大では「城戸精神」と呼ばれているようである。同 時に、地域教育計画論の重要性を呼び掛けた。「城戸地 域教育計画論」と呼ばれている。城戸は、北大を退職後、

いくつかの大学に勤務した後、東京に戻り、正則高校 の教員となった。そして教諭の近津経史などと組んで

「200 海里」の総合的授業を推進した。

 留岡は城戸とともに北海道に渡り、北大の「社会教育」

担当教授となり、多くの弟子を育てた。

② 波多野完治

 お茶の水女子大学長、日本社会教育学会副会長、ユ ネスコフェローをつとめ、日本を代表する「生涯教育」

普及の論客となった。文章心理学を引き続き行いつつ、

ピアジェ研究、ワロン研究を先駆的に進めた。

③ 宮原誠一

 文部省社会調査課長、雑誌『教育と社会』創刊編集 長を務めた。その後、『社会教育』『月刊社会』「社会教 育推進全国協議会(社全協)」、教科研再建などに尽力 した。東大教育学部に「社会教育」講座が開設される と主任教授となった。日本社会教育学会創立会長。『教 育と社会』は、その後『社会教育』『月刊社会教育』と なり『月刊社会教育』の読者会を基盤に社全協が創ら れた。

④ 乾孝

 法政大学第一教養部教授、保育問題研究会の理論的 指導者。『私の中の私たち 認識と行動の弁証法』『ある 青年 心理学者の自伝的回想』などの著書がある。保問 研などは、教育科学研究会、社会教育推進全国協議会 などとともに、「民間教育研究団体連盟(民教連)」を 立ち上げた。

7.キャリアデザイン学部等に受け継がれてい る法政大学高等師範部における生涯教育学研 究

 このことを組織の点からみると、法政大学文学部教 育学科、同キャリアデザイン学部、北海道大学教育学部、

東京大学教育学部、東京都立大学教育学研究室、名古 屋大学教育学部などに継承されていると考えられる。

 その内容は、①教育の存在形態としての「教育実践」

の研究を軸とする研究スタイル、②教育と社会、乳幼 児から大人・高齢者までの「生涯教育」の重視、③教

(6)

育と地場産業、教育と労働・仕事との関連を大事にす る、④世界史の中で、世界との交流の中で地域と日本 の教育実践と生涯教育学を作っていく、⑤教育の自由、

学問の自由、「学習権」を尊重する。

 この内容は、次のような教育科学研究会関係者によ って、具体的には継承され発展させられてきたものと いえる。それは次のような人々である。

第1世代

城戸幡太郎、留岡清男、宮原誠一、波多野完治 第 2 世代

勝田守一、古川原、宗像誠也、五十嵐顕、大田堯

第 3 世代

再建時の大学院生たち:小川利夫、山住正己、小沢 有作、坂元忠芳、北田耕也、千野陽一、堀尾輝久、

藤岡貞彦…

第 4 世代

第 3 世代の弟子たち 佐藤一子、田中孝彦、佐貫浩、 梅原利夫、増山均、笹川孝一、乾彰夫、佐藤広美、

佐藤隆、片岡洋子、児美川孝一郎、平塚真樹、荒井 文昭…

*イタリック、下線=法政関係者

参照

関連したドキュメント

入学願書✔票に記載のある金融機関の本・支店から振り込む場合は手数料は不要です。その他の金融機

○経済学部志願者は、TOEIC Ⓡ Listening & Reading Test、英検、TOEFL のいずれかの スコアを提出してください。(TOEIC Ⓡ Listening & Reading Test

一高 龍司 主な担当科目 現 職 税法.

物質工学課程 ⚕名 電気電子応用工学課程 ⚓名 情報工学課程 ⚕名 知能・機械工学課程

東京大学大学院 工学系研究科 建築学専攻 教授 赤司泰義 委員 早稲田大学 政治経済学術院 教授 有村俊秀 委員.. 公益財団法人

市民社会セクターの可能性 110年ぶりの大改革の成果と課題 岡本仁宏法学部教授共編著 関西学院大学出版会

1978年兵庫県西宮市生まれ。2001年慶應義塾大学総合政策学部卒業、

ダブルディグリー留学とは、関西学院大学国際学部(SIS)に在籍しながら、海外の大学に留学し、それぞれの大学で修得し