米国メインストリーミング関連訴訟に見る障害児の 最も制限のない教育環境提供基準 : 米国障害児教 育関連訴訟分析(その3)
その他のタイトル Mainstreaming cases in the United States:
assuring LRE in order to educate children with disabilities to maximum extent possible with children without disabilities
著者 長野 麻由実
雑誌名 教育科学セミナリー
巻 42
ページ 41‑52
発行年 2011‑03
URL http://hdl.handle.net/10112/4870
米国メインストリーミング関連訴訟に見る 障害児の最も制限のない教育環境提供基準
〜米国障害児教育関連訴訟分析(その 3)
1 . はじめに
2009
年
6月車椅子を利用する児童の中学校入 学訴訟の判決が奈良地方裁判所において出され た (
1)。判決は当該児童の中学校入学拒否は特別 な支援教育の理念を没却するとして、下市町に 対し当該児童の中学校就学を義務付けるもので あった。障害児が近隣の学校へ行くことを認め た判決として、この判決自体は障害児のメイン ストリーミングを支持するものであるように見 える。しかしその判決理由あるいはその背景と なる障害児教育関連法規に関しては、障害児の 権利を保障し、メインストリーミングを推進す るための基準を確立するものであるとは言えな ぃ。一方、米国においては数々の訴訟を経て、
メインストリーミングの提供基準が確立してい る
(2)。本稿では近年の米国におけるメインスト リーミング関連訴訟で確立されたメインストリ ーミング提供基準に焦点をあて、その傾向を分 析し、今後日本で障害児のメインストリーミン グ提供基準を模索する上で参考とすべきと思わ れる点について考察を試みたい。
2. IDEA
(障害を持つ個人の教育法)
とFAPE
(無償の適切な公教育)
まず最初に米国におけるメインストリーミン グを考える上で必要な法的基盤について述べて おきたい。米国において、障害児教育の中核に 位置付くのは、
1975年に成立した全障害児教育
法 (Education for All Handicapped Children Act, EAHCA)を前身とする障害を持つ個人の
長 野 麻 由 実
教育法
(IndividualWith Disabilities Education Act, IDEA)である。
EAHCAは、公教育から排 除されてきた知的障害者や重度障害者達による
「教育を受ける権利」の確認を求めて起こされ た各地の訴訟により確定してきた原理・原則を 取り込んで成立したものである。
EAHCAは
1990年に
IDEAという名称に改められた。その 後数回の改訂を経て、
IDEAは今日まで米国障 害児教育において適切な教育を保障するための 中枢となっている(清水、
2004年 ) 。
同法の成立によって障害児の一人ひとりに無 償の適切な公教育
(Free Appropriate Public Education, FAPE)が権利として保障されるこ
とになった。しかし
IDEAには
FAPEの定義に 関する規定は存在しない。適切な教育とは一人 ひとりの障害児のニーズに従って形成されるも のであり、法律で規定されるのものではないと いう考え方に基づいている。
FAPEの実現のた めに、一人ひとりの障害児のために「個別教育
計画 (IndividualizedEducation Plan, IEP)」を 作成し、それに基づいて教育効果を定期的に評 価することが義務付けられた。また障害児およ びその保護者の権利を保護することが重視さ れ、「手続き保障」が規定された。
IDEA
にはメインストリーミングの概念も盛り 込まれている。障害児は「最も制約のない教育 環境
(Least Restrictive Environment, LRE)」
で教育を受けなければならないことが明記され
ているのである。
LREは
IDEAの中でさらに次
のように表現されている。「障害児は適切な範
囲において最大限障害のない子どもたちと共に 教育されることを保障しなくてはならない。そ して特殊教育学級、特殊教育学校その他におい て通常学級から離れた場所に措置する場合は、
補助的エイドおよびサービスを提供しても通常 学級での教育が満足に達成できない場合のみと する。
20U.S.C. 1412(5) (B)」最も制約のない 環境とはすなわち障害がなければ措置されてい た環境、つまり普通学級を意味し、最も制約の ある環境とは普通学級から完全に分離された環 境、つまり障害者専用施設等と解されている。
IDEA
における
LRE要請はしばしば法廷におい てもインクルージョンあるいはメインストリー ミングと混同して使用される。しかしながら
IDEAの
LRE要請を理解するためにはこれらの 用語との違いを正確に認識しておくことが重要 で あ る 叫
LREはインクルージョンあるいはメ インストリーミングのように障害児を普通学級 に措置することを最終目的としているわけでは ない。障害児が普通学級で
FAPEを実現できる 場合のみ、普通学級は
LREであると判断され るからである
(Yell, 2006年)。このような違い を認識した上でも、一般的に
LREは
IDEAのメ インストリーミング要請と理解されている。
FAPE
と
LREは
IDEAの重要な要素となってお り、障害児ために作成される
IEPの実施によっ て、この
2点を実現することが義務付けられて いるのである。
1997
年の
IDEA改正はメインストリーミング 要請をさらに強調するものとなった(消水、
1998
年、安藤、
2001年)。初めて特殊教育対象 の児童生徒が障害のない子どもと最大限に適切 な程度に共に教育を受けるため、普通学級ある いはその他の教育関連の環境で提供される補 助、サービス、およびその他の特殊教育に関連 するサポートが定義された。また障害児を普通 教育課程に関連付けるため、普通教育教員も
IEP会議に出席することが義務付けられた。さ
らに障害児を分離した環境へ措櫃する場合、
IEP
に普通教育を受けることができない理由と 普通教育を受けていない時間数を記載しなくて はならない。
1997年版
IDEAはメインストリー
ミング推進を意識した改訂だったのである。
3 . 米国におけるメインストリーミング 関連訴訟
以上のような
IDEAの規定を元に、これまで 障害児に対する
FAPEが保障されているかどう か、あるいは障害児にメインストリーミングを 提供すべきかどうかを争う訴訟が数多く持ち込 まれた。ここではこれまで法廷に持ち込まれた 障害児のメインストリーミングに関連した事例 とそこで議論されたメインストリーミング提供 基準について考察したい。
まず最初に取り上げるのは Rowley訴訟
(1982年)である。この訴訟は
LREを争点とした訴 訟ではない。しかしながら連邦最高裁判所が初 めて
IDEAに基づいて
FAPEを定義した判決と して、その後のメインストリーミング関連訴訟 に大きな影蓉を与え続けている。
FAPEの解釈 なしに
LREを論議することはできないのであ る 。
1)
Rowley 訴 訟 ( 連 邦 最 高 裁 判 所
1982年 6
月 28日判決)(
4)訴訟の概要
(5)聴覚障害児の両親が教科の授業における手話 通訳の提供を求めた裁判。聾者の児童
Amyは 幼稚園から普通学級に措置されていた。幼稚園 では手話通訳のサービスを提供されていたが、
小学校
1年次の
IEPにおいて、手話通訳サービ スを拒否され補聴器の使用で足りるとされた。
保護者がこれを不服としてヒアリングを申請し
たが、手話通訳は不要と裁定された。保護者は
IDEAに基づき
FAPE侵害を主張して地方裁判
所に提訴した。地方裁判所においては、
Amyは「障害がなければ達成していたであろう程度 ま で 学 習 あ る い は 学 力 達 成 が で き て い な い
(p.691)」として、
FAPE侵害を認めた。ここで のFAPE は「当該児童の可能性をひきだすため の他の児童生徒と同等の機会」と定義されてい た。控訴裁判所においては、一審の判決が支持 された。連邦最高裁判所では改めて
FAPEの定 義が議論された。最高裁判所では「州は障害児 に特別な教育を提供する義務があるが、障害を 持つ児童生徒の可能性を最大限に引き出すもの であるところまで要求されている訳ではない
(p.692)」と述べ、下級裁判所の判決を破棄差 し戻した。
FAPEの構成要素のうち障害児にと って「適切な」教育の提供基準について、連邦 最高裁判所が一定の限界を示した裁判であると 言える。
FAPE
審査基準としての
Rowleyテスト
Rowley訴訟では二重のテストが確立された が、このテストの基準は
1) IDEAに定められ た手続きを遵守しているかどうか、そして次に
2) IEPは当該児童が教育から十分利益を受け るために合理的に算出されたものであるかどう かを審議するというものであった。この基準は 障害を持つ児童生徒が受ける教育の適切さを審 議するものであり、障害を持つ児童生徒が置か れる教育環境の制約の度合い、あるいはメイン ストリーミングの提供基準を審議するものでは なかった。
前 述 の よ う に
Rowleyテストは
FAPEの無償 で適切な公教育保障の中で、教育の「適切さ」
を 審 議 す る た め の テ ス ト と 解 さ れ て い る 。
Rowleyは既に普通学級に措置されており、問 題となったのは提供する補助サービスの内容で あったからである。補聴器と同時に新たな補助 サービスを利用することによって保障される教 育の質が問題となったのである。
Howard(2004年)は「Rowley テストでは障害児をメインス
トリーミングすることが適切かどうかを審識す ることはできない」点を指摘している。またこ の訴訟では
LREの重要性は確認されたものの、
児童生徒の
IEPを決定する際に学校区の決定を 尊重する立場が取られた点も問題点として指摘 されている。
Rowleyテストは連邦最高裁判所 において確立されたテストであるが、その後現 在に至るまで連邦最高裁判所がメインストリー ミングを含め
FAPEの審査基準を打ち出した判 例はない。したがって法的にはまだ
Rowley基 準は覆されている訳ではないが、
FAPEに関す る後の訴訟では実質この基準を超えた判決も多 く出されている
(Scott,2003年 ) 。
Rowley基準 は障害児に
FAPEを保障するための最低限の基 準 で あ る と い う 見 解 も 多 い
(Scott,2003年 、
Wright, 2004年等)。
Rowley
訴訟はその後下級裁判所において数 多くの障害児のメインストリーミングが争点と なる訴訟で引用された。以下、障害児のメイン ストリーミングを扱う主要な訴訟を取り上げ て 、 そ の 判 断 基 準 を 個 別 に 見 て い き た い 。
Rowley訴訟とほぼ同時に審議されていた
1983年の
Roncker訴訟においては、
IDEAのLRE 規 定を学校区が遵守しているかどうかのテストが 提示された。
2) Roncker
訴訟(第
6サーキット控訴裁判所
1983年
2月
23日判決)(
6)訴訟の概要
9
歳の訓練可能精神遅滞児
(IQ50以下)と診 断された児童の保護者が当該障害児を精神遅滞 専門の学校へ措置する学校区の決定を拒否し、
普通学校の特殊学級への措置を求めた事例。保
護者は特殊教育の必要性は認めており、普通学
級への措置を求めたわけではなかった。障害の
ない児童生徒とより多く交流することから当該
児童が得る利益は大きいと考え、普通学校内の
特殊学級への措匝を求めたのである。地方裁判
所では学校区の決定が支持されたが、保護者は 控訴裁判所へ控訴した。控訴裁判所においては 地方裁判所の決定が覆り、保護者の主張が認め
られた。
教育利益のバランスを審議する
Ronckerテスト 控訴裁判所では、障害を持つ児童生徒を分離 した現境に措置することによって
FAPEを実現 する可能性があっても、
LREの審議に関しては さらに詳細な分析が必要と述べ、
Rowleyテス トをそのまま適用しなかった。また、学校区が メインストリーミングの教育環境では、より制 約のある環境と同様の教育利益が得られないと いうことを証明する責任を負う必要性も指摘さ れた。これが証明できない場合は、たとえ分離 された教育環境での教育が
Rowleyテストの基 準を満たしたとしても、
IDEAにおける
LRE基 準を満たしたとは言えないと裁定したのであ る。そして
LER基準を満たしているかどうか の判断は、「普通学級に措慨した場合の利益と 分離された教育環境での利益を比較し、分離さ れた教育環境での利益が普通学級での利益を大 きく上回る
(p.6) 」必要があるという基準を 打ち出した。これを判断するための要素とし て、障害児の他の児童生徒への影蓉が考慮され た。費用もひとつの要素として考慮される可能 性も示唆されたが、連邦政府による資金援助を 適切に利用し、障害児の措罷先の選択肢をいく つか用意した場合にのみ考慮すべきと述べ、学 校区の適切な対応を促す結果となった。また
「分離された教育環境での教育の方が適切であ ると考えられる場合にも、その教育がメインス トリーミング環境で実現可能かどうかを審議す る必要
(p.6) 」があり、「メインストリーミン グ環境で同様の教育が実現可能な場合は分離さ れた現境は
IDEAの
LRE規定に照らして不適切 であると言える
(p.6)」と述べ、
IDEAのメイ ンストリーミング要請を強調した。
Roncker
テストはメインストリーミング教育 環境と分離された教育現境の利益を比較するテ ストであるため、「バランス・テスト」と呼ば れている
(Howard,2004年)。一方
Yell(2006年 ) はこのテストについて「ポータプル・テスト」
という名称を用いている。
Roncker訴訟におい ては分離された教育プログラムの方が適切と考 えられた場合、その教育プログラムをメインス トリーミング環境に移動し実施することが可能 かどうかまで審議されたためである。もしそれ が可能な場合は分離された教育プログラムは不 適切と判断される。このテストは
IDEA規定さ れた障害児が最大限に障害のない児童生徒と共 に教育を受ける権利を尊重し、これを実現しな い場合は学校区にその合理性を証明する多大な 責任を負わせるものであると言える。
しかしながらその後の訴訟では
Ronckerテス トを採用した上で、障害児のメインストリーミ ン グ を 支 持 し な い 判 決 が 出 さ れ た も の も あ る叫分離された教育環境での利益が普通学級 での利益を大きく上回と判断され、普通学級で の教育より分離された現境での教育が望ましい と言う判決となった。また別のサーキットにお いては独自の判断基準が打ち出されていくこと になる。
3) Daniel R.R
.訴訟(第
5サーキット控訴裁判 所 、
1989年
6月12日判決)(
8)訴訟の概要
6
歳のダウン症児、
Danielは入学当初普通学
級へ半日、特殊学級へ半日措置されていた。そ
の後普通学級の担任が
Danielの普通学級への措
置 は 不 適 切 で あ る と 主 張 し た 。 そ の 理 由 は
Danielは普通学級で教育することから得る利益
が少なく、担任と補助アシスタントヘの負担が
大きいというものであった。校内措罷委貝会で
検討した結果
Danielは特殊学級へ全日措置され
ることになった。保護者は適正手続きヒアリン
グを要請し、ヒアリングの結果学校側の主張が 認められた。保護者は地方裁判所へ提訴した が、地方裁判所でもヒアリングの結果が追認さ れた。控訴裁判所では
Ronckerテストを採用せ ず、独自の判断基準を打ち出し、
Danielの
LREを審議した。その結果、地方裁判所の判決が追 認され保護者の主張は退けられた。
IDEA
の言語に回帰した
DanielR.R.テスト 本件においては、
Ronckerテストの判断基準 と
IDEAが実際にメインストリーミング要請の ために使用している言語との格差が指摘され、
独自のテストを採用した。まず、 1) 補助的人 材およびサーピスを提供したうえで、当該障害 児の通常学級での教育が満足に達成できるかど うか、もし達成できないと判断し、当該障害児 を分離された教育環境へ措置する場合、 2) 最 大限適切な範囲においてメインストリーミング を実施しているかどうかを審議するというもの であった。本件においては第一項目を審議する 際、学校がこれまで当該児童のメインストリー ミングを実現する努力を十分していたかどう か、教員への負担、当該児童を受け入れるため 変更を加えた点、他の児童生徒への影響等を考 慮した。このテストを採用して審議する際、問 題となるのは学校側が真に生徒のメインストリ ーミングを実現する努力をしたかどうかであっ て、判決文には学校側が可能な手段を全て講じ たかどうかまでは問われないということが述べ られている。このテストは
IDEAに規定された メインストリーミング要請事項の用語を忠実に 使用しているが、
Ronckerテストに比べより学 校区の決定を諒重する結果を禅き出すものとな
っている。
第
3サーキットにおける
Oberti訴訟
(9)では、
Daniel R.R
.テストを多少変更して採用した。こ の判決は障害を持つ児童生徒が障害を持たない 児童生徒から学ぶ利益だけでなく、その反対に
障害を持たない児童生徒が障害を持つ児童生徒 か ら 学 ぶ 利 益 を 認 め た 初 め て の 判 決 で あ る
(Howard, 2004年 ) 。
Oberti訴訟においては
Dan‑ iel R.R.テストを採用して審議したが、
Daniel R.R.訴訟とは逆にダウン症児のメインストリー
ミングを支持する結果となった。判決ではメイ ンストリーミングを提供しない場合は、障害を 持つ児童生徒がメインストリーミング環境から ほとんどあるいは全く利益を得られない場合、
またはその障害を持つ児童生徒が障害を持たな い児童生徒の教育活動に悪影響を及ぼす場合に 限るべきと述べ、
IDEAのメインストリーミン グ要請事項を腺重する姿勢が強調された。
4) Rachel H
.訴訟(第
9サーキット控訴裁判 所 、
1994年
1月24日判決)(
10)訴訟の概要
本件は精神遅滞の児童の保護者が普通教育の 時間を増やすことを求めて起こした訴訟であ る 。
Rachelは
IQテストの結果が
44であり、精 神遅滞と診断された。
1985年から
1989年にかけ ては様々な特殊教育プログラムを提供されてい た 。
1989年の
IEPに関して保護者は普通教育で の時間を増やすことを希望したが、学校側は教 科の授業は特殊学級で、それ以外は普通学級で すごす現在のプログラムが適切であると主張し た。保護者はヒアリングを要請し、ヒアリング の結果学校区は
IDEAに基づき
Rachelを普通教 育環境で教育するための適切な措置を講じなか った裁定され、保護者の主張が支持された。ヒ アリングオフィサーは学校区に対して、特殊教 育コンサルタントおよびパートタイムの補助的 人材を含めた補助サービスを提供した上で、
Rachel
を普通学級に措置するよう命じた。学
校区側は地方裁判所へ提訴したが、地方裁判所
においてもヒアリングオフィサーの判決が追認
された。
4
要素を比較する
RachelH.テスト
地方裁判所では学校区が
Rachelの適切な教 育を保障しているかどうかに関して、次のよう な要素が審議された。①適切な補助を提供した 上で、
Rachelが普通学級で学ぶ利益と特殊学 級で学ぶ利益の比較、②障害のない児童生徒と 一緒に過ごすことによる学業以外の利益、③
Rachel が普通学級にいることによる教員•他の児童生徒への影響、そして④
Rachelをメイ ンストリーミングすることにかかる費用の
4点 である。
①教育的利益
地方裁判所では、保護者側と学校区側が提示 した証拠が詳細に審議された。裁判所は学校区 は
Rachelの能力的限界ばかりに重点を置き、
特殊教育の効果が普通教育よりも優れているこ とを立証できなかったと裁定した。さらに
Ra‑ chelの担任の証言をもとに
Rachelが普通学級 で学ぶ利益の方が特殊学級で学ぶ利益よりも大
きいという判断を示した。
②学業以外の利益
次に地方裁判所では学業以外の利益が審議さ れた。保護者側から
Rachelが普通学級で学ぶ ことにより社会性、コミュニケーション能力、
自信を身に付けているという証拠が提示され た。母親と担当教員の証言から
Rachelが楽し く学校で過ごしている点、良好な友人関係、自 信をつけてきた点が認められることが指摘さ れ、普通学級への措龍の方が望ましいという判 断が示された。
③普通学級教員および生徒への影響
この点に関しては
1)当該障害児の素行が破 壊的かどうか、注意力散漫であるかどうか、あ るいは規則に従っているかどうか
2)、教員の 注意が当該障害児へ集中するため他の児童が不 利益を被る可能性があるかどうかの二点が審議 された。保護者側からも学校区側からも
Rachelは素行がよく、授業を妨害するようなことはな
いという証言が得られた。さらに
2年生時の担 任が
Rachelが授業進行の妨げになることは決 してなく、今後もパートタイムの補助的人材を つけることで十分対応できると証言し、この点 の審議に大きな影蓉を与えた。その結果普通学 級教貝および生徒への影需に関しても、普通学 級への措置を指示する判断が示された。
④喪用
最後に、
Rachelを普通学級に措置した場合 と特殊学級に措置した場合の喪用が比較され た。学校区は
Rachelを普通学級に終日措置し た場合、年間
109,000ドルの費用がかかると主 張した。この費用には
Rachelへのフルタイム の補助と
80,000ドルの学校内研修費用が含まれ ており、地方裁判所はこの研修の必要性が認め られないと指摘した。またたとえこの研修が必 要であるとしても、州教育局からこのような研 修の喪用がかからないという指摘をうけたこ と、また他の障害児の利益ともなり得る学校内 研修に関して
Rachelのみにかかる費用として 全額を算入することの不合理さも指摘された。
さらにフルタイムの補助的人材がが
Rachelに 必要かどうかも審議され、パートタイムで足り ると判断された点も費用の審議に大きく影蓉を 与えた。また学校区は
Rachelが学校にいる時 間の
51%を特殊学級で過ごさないと州からの賓 金援助を失うと主張したが、州教育局からこの 資金援助に関する例外措龍の存在を指摘され、
逆に例外措置の申し込みをしていなかった点を 非難される結果となった。地方裁判所では以上 を総合的に考慮し、費用の点についても学校区 は
Rachelを普通学級に措置した場合の方が、
特殊学級に措置するよりも著しく高額であると 証明できなかったと述べ、
Rachelの普通学級 措囮を支持する判決となった。以上
4点を個別 に審議した結果、地方裁判所は
Rachelの適切 な措慨先は終日普通学級であるという判断を示
した。
Rachel
テ ス ト は こ れ ま で の メ イ ン ス ト リ ー ミング関連訴訟において審議されてきた各要素 を
4つの要素にカテゴライズし、個別に詳細に 審議したものである。この点においてこれまで の基準の集大成であると言える。またこのテス トはこれまでの訴訟で採用されたテストとは異 なり、教育的利益を学業だけに限らず拡大して 個別の要素として審議した点が特徴として挙げ られる。この判決の後、後続の訴訟においても、
教育的利益を学業だけに限らず社会的スキルに も拡大して解釈する傾向が強くなった。
5) Beth B
.訴訟(第
7サ ー キ ッ ト 控 訴 裁 判 所
2002年
3月
5日判決)(11)訴訟の概要
知的障害と身体障害を持つ児童の保護者が、
当該障害児の特殊学級への措置を不服として学 校区の
IDEA違反を主張した。地方裁判所では 学校区の措置は適切であると裁定され、控訴裁 判 所 に お い て も 地 方 裁 判 所 の 判 決 が 追 認 さ れ た 。
Beth
は レ ッ ト 症 候 群 の た め 知 的 障 害 と 身 体 障害を持ち、発話もなかった。自分の意思を目 で表現するコミュニケーションに頼っており、
身体の動きを自分で制御することが困難であっ た。専門家によると認知能力は
12‑18ヶ月であ るということであった。
Bethは近隣の公立学 校に
7年間通学し、他の
13歳の生徒とともに近 隣の中学校の
7年生となっていた。当該中学校 では
42分間の授業を
6限実施しており、授業間 の 移 動 時 間 は
3分間であった。
Bethは
1対
lの補助アシスタントと共に教室間の移動を行っ ていたが、時間が限られているので困難な状況 であった。
1年生時からずっとアシスタントと 共に学校生活を送っており、可能な限り他の児 童生徒と関連した個別カリキュラムが提供され ていた。しかしながらその内容は他の生徒が数 学の授業中は数を学習し、気候を学習するとき
は雲の絵を見るというように変更されたもの で、就学前レベルのものであった。また授業の デイスカッション等に他の生徒のように参加す ることもなかった。
学 校 区 は
1997年に
Bethの
IEPを見直し、
2年生以降隣の学校区の重度障害児向けのプログ ラムを持つ特殊学級への措置を勧めた。その学 校では特殊学級の生徒も音楽、図書館、芸術、
コンピュータ、社会と理科の一部は普通学級へ メインストリーミングされ、ランチタイムと休 み時間、集会、遠足等は他の生徒と共に過ごす ことが提案されていた。さらに逆メインストリ ーミングとして普通学級生徒が特殊学級を訪問
し障害児と交流する時間も設定された。しかし ながら
Bethの保護者は学校区の提案を
IDEA違 反であるとしてヒアリングを要請した。ヒアリ ングでは学校区の決定が支持され、地方裁判所 もこの決定を追認。保護者は控訴裁判所へ提訴 したが、控訴裁判所でも地方裁判所の判決が追 認された。
保護者は
Rowley基準を近隣の中学校の普通 学級への措置に適用し、
Bethが現在教育的利 益を受けているので
FAPE要請が充足されてい るため、そこから
Bethを移動させることの違 法 性 を 強 調 し た 。 控 訴 裁 判 所 は こ の 論 理 に
FAPEの審議と
LREの審議が混在している点を 問題として指摘し、この
2点を個別に審議する 必要性があると述べた。その結果
FAPE審議に は
Rowleyテストを採用して審議し、
LREに関 しては別の基準を適用すべきことが提案され た 。
IDEAの
FAPE要請と
LRE要 請 は そ れ ぞ れ 独立した概念であることが再確認されたのであ
る 。
争点は主に
Bethの特殊学級への措置が
IDEAの
LRE要請に反しているかどうかに絞られた。
LRE
に関しては
Daniel R.R.訴訟と同様に
IDEAの規定に用いられた言語に回帰する独自のテス
トを採用し、学校区の措置は
LRE要請を充足
していると裁定した。
学校区の裁撮を強調した
BethB.テスト 本件ではまず
Rowleyテストを適用し、当該 障害児が普通学級から何らかの利益を得ている からと言って、そこから当該障害児を分離する ことがすなわち
FAPE侵害となるものではない こことが強調された。
Rowley訴訟判決の趣旨 は学校区の裁抵を強調することにあったことが 強調され、普通学級で何らかの利益を得ていれ ばそこからの分離が違反であると解釈すること はその趣旨を没却し、学校区や政策の意図を反 映することが極めて困難になる点が指摘され た 。
さらに
LRE審議に関しては、個々の児童生 徒の教育の状況を異なることを強調し地方裁判 所のように画ー的なテストの適用は避けるべき であるという判断が示された。
IDEAの規定に
LRE審議に関する枠組みが十分提供されている と述べ、
IDEA規定の用語を忠実に再現した。「補 助的手段を講じた上で普通学級で障害を持つ児 童生徒が受ける利益が満足できるものであれ ば、そこから分離された教育環境へ措置するこ とは
IDEA違反とみなされる
(p.6)」と述べ、
さらにもし「普通学級で障害を持つ児童生徒が 受ける利益が満足できるものでない場合は、措 置先では適切な限り最大限にメインストリーミ
ングを実現しなくてはならない
(p.6)」とした。
Beth
は普通学級では実質学業に関する利益は ほどんど得られず、発達に関する進歩も限られ ている点が指摘され、この判断基準を適用した 結果、学校区が
Bethを普通学級から分離した ことが
IDEAの「適切な限り最大限に障害のな い児童生徒とともに教育を受ける」という規定 に反するとはいえないと裁定したのである。こ の判断基準は
Daniel R.R.テストの判断基準と ほぼ同じであると言える。
4 . 考 察
米国のメインストリーミング訴訟において は 、
FAPEと
LREの達成のバランスが大きな争 点となっている。もちろん障害児に適切な教育 を提供しながら
LREを達成することが望まし いのは言うまでもないが、現状では個別に両者 のバランスを審議し、措置先と提供すぢ教育プ ログラムを決定していくことになる。障害児を 近隣の学校の普通学級に措置し、そこで適切な 特殊教育プログラムを提供することが
IDEAの
LRE要請事項に最も応えるものであることは言 うまでもない。しかしながらそれそのまま適用 されないのは、
LRE要請事項は
FAPE達成のた めの一つの要素に過ぎないからであると考えら れる。
Thomas& Rapport (1998年)が指摘し ているように、「
LREの審議は
FAPEへの第一 歩に過ぎない」のである。
障害児が普通学級へ措置するかどうかの基準 としては、主に①当該障害児が普通教育から教 育的利益を得ることができるかどうか(学業と 学業以外の利益) ②他の児童生徒への影蓉、③ 教員、補助職員に与える影聘、④費用の
4点が 審議されていた。それぞれの障害児に関して個 別に議論するため、障害カテゴリー、障害の程 度、年齢等が基準として採用されることはな い。しかしながら、障害の程度が軽く、また比 較的年齢が低い幼稚園や小学校低学年でメイン ストリーミングが支持される傾向がある点も指 摘されている
(Thomas& Rapport、
1998年 ) 。
障害児のメインストリーミングに関して、連
邦最高裁判所はメインストリーミングに関する
判断基準を出していない。
30年前に
Rowley訴
訟で確立された
FAPEの提供に関する最低基準
が存在するだけである。
LREに関しては控訴裁
判所レベルでサーキットによって異なる基準を
確立し、それらの基準を適用して個別に審識し
てきた。その結果、同じ障害児がある州におい
てはメインストリーミングを提供され、他の州
では提供されないという多少のぶれは生じてい るであろう。特に最近の
Bethテストに関して は、明確な要素が提示されておらず、同ーサー キット内でも判断の結果が異なってしまう危険 性も指摘されている。しかしながらこれまでこ れだけ下級裁判所において障害児の
LREが審 議されたにもかかわらず、連邦最高裁判所に持 ち込まれることがなかったのは、下級裁判所で の判決がある程度の基準を満たし、連邦最高裁 判所の介入が必要であるほど大きな矛盾がある と判断されなかったからとも考えられる。「適 切な範囲において最大限」メインストリーミン グを実施することが要請されている
IDEAの存 在は大きい。米国においては、
IDEAの
LRE要 請を遵守するために、最低ラインのメインスト
リーミング提供基準は確立していると言えるだ ろう。大まかな流れとしては障害児を普通教育 環境に措置することを支持する方向であると言
える
(Howard,2004年 ) 。
5 . まとめ
Brown
訴訟
(12)以来、「分離は平等ではない」
という理念が確立したかに見える米国において も、障害児全てにフルインクルージョンを実施 する日はまだまだ遠いように思える。議会記録 においても明確に普通学級が全ての障害を持つ 児童生徒に適しているとは言えないことが確認 されている
(Yell, 2006年)。そもそも
IDEAに おける
LRE規定そのものが、全ての障害児の フルインクルージョンを想定していないとも言 える。フルインクルージョンの推進派は障害を もつ児童生徒と障害をもたない児童生徒と交流 することによる両者にとっての教育的利益を強 調し、反フルインクルージョン派は両者にとっ ての不利益を強調する。フルインクルージョン の費用に関してもインクルージョンにかかる費 用が現在の教育費を上回るかどうかで意見が分 かれている。米国におけるメインストリーミン
グ関連訴訟はこれらの黄用の点についても多く の訴訟で個別に議論されている。フルインクル ージョンの理想そのものに賛同することは容易 であるが、重度障害児を含めたフルインクルー ジョンを実際に教育現場で実現していくために は、メインストリーミング提供基準の必要性も 含め
LREのあり方に関する議論をさらに深め る必要があるであろう。普通学級で学ぶことか ら得られる教育的利益を重視する米国の基準で は、高学年の重度障害児が普通学級に措置され ることから得られる利益の証明が困難になる傾 向も指摘されている
(Johnson, 2003年)。米国 で今後メインストリーミングを推進するために は 、
IDEAにこれまでのメインストリーミング 関連訴訟で議論されたようなメインストリーミ
ングの提供基準を盛り込みながらも、さらにメ インストリーミング要請を強めた方がよいと言 う意見もある
(Yell,2006年 ) 。
米国の
LRE訴訟において形成されてきたメ インストリーミング提供基準は、
IDEAの
LRE要請にもとづいて障害児をメインストリーミン
グすることで、障害児が障害を持たない児童生
徒と交流することから得る利益を強調してはい
るものの、メインストリーミング現境と分離さ
れた環境とを比較してどちらが当該障害児にと
って、障害のない児童生徒にとって、また費用
的に利点があるかを重視したものであると言え
る。メインストリーミングはある種セラピーや
カリキュラムと同様に議論されるサーピスの一
部として取り扱われているようにも思える。例
えば
Beth訴訟では、普通学級環境における当
該障害児の他の児童生徒との友人関係、あるい
は近隣の学校へ通学することによるコミュニテ
ィーレベルの繋がり等は判決文では全く言及さ
れていない。
7年間同じ学校に通ったことによ
り、当該障害児にも保護者にも積み上げていた
人間関係が存在していたであろうし、実は近隣
の学校に通わせたいと願う保護者の気持ちはそ
れを断ち切られることへの悲しみがあったこと が推察されるのだが、保護者側もその点を強く 主張しているわけではない。これまで通ってい た学校でのメインストリーミングと新しい学校 での限られた時間のメインストリーミングでは 人間関係の質が全く異なるはずなのであるが、
メインストリーミングの時間として同列に扱わ れる。新しい学校で限られた時間の「交流」で は、常に一緒の教室で過ごしてきた人間関係と は全く異なることは容易に推測される。メイン ストリーミングにおいて重視されるべきは友愛 の感情であるとか、お互いに異なるバックグラ
ウンドを持つ人たちを理解し合い、尊重しあう 長期にわたる人間関係から得られる障害児と障 害を持たない児童生徒双方の人間的成長ではな いだろうか。米国のメインストリーミング関連 訴訟にいても、学力、カリキュラムや他の児童 生徒から学べる利益など、メインストリーミン グから得られる測定可能な利益ばかりに焦点を 当てるのではなく、近隣の学校に通うことによ るこうした人間的繋がりにも焦点を当てて議論 すると、また違った判決が禅き出されるのでは ないかと思う。
日本におけるメインストリーミング関連訴訟 では
1993年の旭川普通学級入級訴訟
(13)におい て、車椅子を利用する生徒と生徒の保護者が同 級生との人間関係の重要性を訴えていた。判決 では校長に学級決定権があると裁定し、保護者 らの主張は退けられた。車椅子を利用する生徒 に必要なサービスをどこまで提供できるか、障 害児の措置先を決定する際の障害児本人や保護 者の権利はどこまで保障されるのか、多くの課 題を残した判決であった。当該生徒の措置先決 定に関しては、残念ながら米国で議論されてき たようにメインストリーミングの提供基準に関 する議論はなされなかったし、またメインスト リーミング実現のために提供すべきサービスの レベルも米国の基準には到達していなかったと
断言できる。さらに前述の奈良車椅子中学校就 学訴訟では、結果的に車椅子を使用する生徒を 近隣の中学校へ就学させる判決が出されたもの の、その判決理由は当該生徒を近隣の中学校へ 就学させないことは特別支援教育の趣旨を没却 するというという曖昧なものであった。また訴 訟を経て就学した近隣の中学校では、当該生徒 は特別支援学級へ措置されている。これらの点 からメインストリーミングを推進するために障 害児の権利保障につながる判決とは言いがたい 面もある。しかしながらこれらの日本のメイン ストリーミング関連訴訟の背後には、近隣の学 校へ友人と共に通い、学ぶ場を共有することか ら培われる人間関係を重視する息吹のようなも のが感じられるのである。
障害児教育関連訴訟に関しては、学校と訴訟 を起こすことで障害児と学校、障害児と他の児 童生徒との人間関係にも影響を及ぼし、当該障 害児が侮つく結果になることも多い(古川、
2003
年 、
Rowley、
2009年等)。それでも様々な ことを犠牲にしながら訴訟を起こして闘うこと の意義は大きい。訴訟を通じて障害児の権利が 見直され、前進してきたのは明らかであるから である。米国においても日本においても、今後 のメインストリーミング関連訴訟において、こ れまでの判決からさらに一歩進んで、障害を持 つ児童生徒と障害を持たない児童生徒とのコミ ュニティでの人間関係を重視した人間味のある 判決が出される日が来ることが望まれる。
注
(1)
奈良地方裁判所
2009年
6月
26日判決
(2)後述の
Roncker訴訟、
Daniel R.R.訴訟、
Rachel H
.訴訟等
(3) Howard (2004
年)はインクルージョン
とメインストリーミングの概念の違いに関
して、インクルージョンとは障害を持つ幼
児児童生徒を含め、あらゆるバックグラウ ンドを持つ生徒を普通学級で教育すること を意味する一方、メインストリーミングと は障害を持つ幼児児童生徒をできる限り普 通学級で教育するという理念に基づきなが らも、それが不可能な場合は可能な限り普 通学級での教育を提供するという含みを持 っていると述べている。また山口
(1996年 ) は「統合教育(=メインストリーミング、
安藤
2001年)は、まず子どもを障害のある 子どもとない子どもに分け、しかる後に前 者を、後者のメインストリームに合流させ ようとする二元論であるのに対し、インク ルージョンは子どもはひとりひとりユニー クな存在であり、ひとりひとり異なってい ることが当たり前ですばらしいことなのだ という基本理念に立って、すべての子ども を包み込む
(inclusive)教育システムの中 で、特別なニーズに応えるという一元論に 立っていると言えるようである」と述べ、
メインストリーミングとインクルージョン を定義している。本稿においては
IDEAに 基づく訴訟に関する部分や
IDEAに関連す る 部 分 で は 、 な る べ
<LREという用語を 使用し、一般的に障害児を普通学級に措置 する事を意味する場合はメインストリーミ
ングという用語を使用するようにした。安 藤
(2001年)が指摘しているように、米国 において普通教育とは別の流れの中で障害 児教育が展開されてきた長い歴史がある。
この点から
LRE訴 訟 に 関 し て は メ イ ン ス トリーミングという用語を使用するほうが 適切と思われるからである。
(4) Board of Education of the Hendrie Hud‑
son School District v. Rowley (1982)
(5) 訴訟の概要に関して訴訟判決文における
認定された事実、原告側訴状、意見害を原 典資料として利用している。メインストリ
ーミング提供基準分析に関しては、主に判 決文中の審議事項における裁判所の意見を できる限り忠実に日本語訳し、考察を試み た。原典資料となった訴訟所判決文は直接 引用した部分にページを記し、参考・引用 文献としてアルファベット順に入手版を記 載した。
(6) Roncker v. Walter (6th Cir. 1983)
(7) A.W
.訴訟
(A.W. v. Northwest School Dis‑ trict (8th Cirl987)等がある。
(8) Daniel R.R. v. State Board of Education (5th Cir 1989)
(9) Oberti v. Board of Education of the Bor‑ ough of Clementon School District (3rd Cir. 1993)
(10) Sacramento City Unified School District Board of Education v. Rachel H. (9th Cir. 1994)
(11) Beth B. v. Van Clay (th Cir 2002) (12) Brown v. Board of Education (1954)そ
れまで
Plessyv. Ferguson (1896)で確立 していた「分離していても平等である」と いう理念を破棄した画期的な判決。人種差 別に関する訴訟であったが、その後の障害 児関連訴訟に大きな影蓉を与えた。
(13)
北海道障害児普通学級入級訴訟(旭川地 方裁判所
1993年
10月26日判決、札幌高等裁 判所
1994年
5月24日判決・確定)
参考・引用文献
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(2001年)「インクルーシプ教育の真 実―ーアメリカ障害児教育リポートー」、
学苑社
清水貞夫 (1998
年)「インクルージョンに向かっ
て一歩踏み出すか合衆国の全障害児教育法
(IDEA)の改訂」
SNEジ ャ ー ナ ル
vol.13, No. l清 水 貞 夫
(2004年)「アメリカの軽度発達障害 教育」かもがわ出版
田中孝男
(2009年)四肢機能に障害のある申立 人が就学すべき中学校について、仮の指定
(仮の義務付け)の申立てを認めた事例、
TKC
ロ ー ラ イ プ ラ リ ー 速 報 判 例 解 説 、 行 政法
No.52古川清治
(2003年)「原則統合を求めて〜「北 海道・障害児普通学級入級訴訟」を再考す る〜」千書房
山口薫
(1996年)障害児教育から特別ニーズ教 育 ヘ ―
21世紀への展望一一、
OTジャー ナル
No.30vol. 4A.
W .
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