一九九八年一 一月
平城宮発掘調
査 出土木簡概報国
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右端の一点のみ7:10)
(3
4,この概報には︑先に公刊した﹃平城宮発掘調査出土木簡概報
︵三十三︶﹄ ︵一九九七年一一月︶以後︑平城宮跡及び平城京
跡から一九九七年度に出土した木簡のうち主要なものを収録す
る︒
以下︑木簡の各地点ごとの出土状況を述べ︑釈文を掲げる︒
一︑木簡出土の地点と状況
第二七四次調査︵6AA1区︶
︵一九九七年四月〜七月︶
第二七四次調査は︑これまで継続して行なってきた壬生門内︵南面東
門︶東方の式部省官衛の発掘調査の最終段階として︑東面大垣とその周
辺約一八○○「を発掘したものである︒調査地は奈良時代前半の式部省
東官衛︑同後半の神祇官の遺構を検出した第二七三次調査区の東隣に当
たる宮東南隅である︒
調査の結果︑奈良時代の主な遺構として︑宮東面大垣と造営時の添柱
列︑堰板溝跡などの関連遺構︑溝五条︑掘立柱塀二条︑掘立柱建物六棟︑
東一坊大路︑暗渠一基︑橋状遺構一基などを検出した︒東面大垣SA四
三四〇は︑宮の東面を画する南北方向の築地塀︒最大二六mの掘込地業
を施し一層あたり約五mの厚さで版築したもので︑残存高は最大〇・七
m︑残存基底幅は最大二こ︵二mである︒下層に掘立柱塀はなく︑当初
から築地塀である︒大垣は︑奈良時代前半までは調査区中央やや北で開
口し︑そこを東西溝SD一七六五〇が貫流していた︒その開口幅は︑遷
都当初の第1期大垣で南北約六・二mである︒後に狭められ幅約三こ︵
mとなり︑埋立て部に継ぎ足しの第Ⅱ期大垣が造営される︒最後に開口
部分は埋められそこに第Ⅲ期大垣が造られ︑大垣は完全に閉塞する︒
木簡は︑東面大垣を横断する東西溝SD一七六五〇からI〇四六点
︵うち削屑九四四点︶︑宮内基幹排水路SD三四二〇から八三点︵うち 削屑六五点︶︑東一坊大路西側溝SD四九五︸から三〇九五点︵うち削屑二六六三点︶︑出土遺構不明一四点︑合計四二三八点︵うち削屑三六七二点︶が出土した︒SD一七火茲○ 東面大垣の開口部分を開渠で抜け︑SD三四一〇からSD四九五一に東流する溝︒SD三四一〇の水量を軽減し︑宮東南隅部分での氾濫を防ぐための分水路と考えられる︒SD一七六五〇Aは遷都当初の素掘溝︒幅五・五m︑深さI・五m︵大垣横断部分の数値︒以下同じ︶︒大垣造営に先だつもので︑第1期大垣造営後も機能した︒次に︑A溝を埋立て︑幅を約二・九mに狭めたSD一七六五〇B︑ついで幅約一 こ︵mのSD一七六五〇Cに改修される︒B・C溝には大垣横断部分に石の護岸が︑大垣からSD四九五一までの間には杭列護岸が設けられた︒C溝は︑堆積土・埋立土から軒瓦六二二五A︵天平初頭〜天平勝宝元年︶︑埋立土から平城宮Ⅲ古段階︵七三〇〜七四〇年頃︶の土器が出土しており︑天平一〇年︵七三八︶前後に廃絶︑大垣が閉塞する第m期
【第273次 訓査区】
00a︶
図1 第274次調査遺構平面図 1:
Å
1
の造営もそれ以降と考えられる︒木簡は︑大垣から流れ出た溝がSD四
九五一に注ぐまでの部分で集中して出土した︒堆積土層は大きく四層に
分かれ︑上から︑灰褐砂質土・灰色細砂土・暗灰粘質土などの層︵取り
上げ名称は黒灰土︒以下の括弧同様︶︑暗灰褐砂質粘土︵木屑層︶︑灰
色砂榛土︵砂榛層︶である︒木簡は︑黒灰土以下の各層から出土した
が︑B・C溝の木屑層・砂磯層出土がほとんどである︒そのほかにB溝
への改修に伴う杭列護岸の裏込め土︵しがらみ︶からも出土した︒
SDΞ面こ¨o 東面大垣の西側を南流する南北溝で︑幅六八⁚︶〜七・八
m︑深さI・一〜一 こ二m︒溝の堆積は上下二層に大別でき︑奈良時代
の堆積土である下層は︑幅五・三m︑深さ○エ︵五〜○・八m︒下層堆
積土は︑上から白色粒混黒灰粘土︑暗灰粘質土・暗灰砂質粘土︑暗灰褐
粘質砂︑灰褐バラス・暗灰粘土である︒本溝も数度の改修で遷都当初の
堆積は残存せず︑やはり奈良時代後半の堆積と考えられる︒三〜四期に
区分でき︑当初は素掘溝だが︑後に溝幅を狭め︑石積護岸が施される︒
木簡は︑主に最下層の灰褐バラス・暗灰粘土層︵砂篠層︶から出土した︒
調査区北方にある小子門西脇を経て宮内から南流する排
水路で︑宮東面外堀を兼ねる南北溝︒幅約六・二m︑深さ○・八〜一・
四m︒上層は平安時代以降︑下層は奈良時代の堆積︒下層堆積は上から︑
灰白ブロック混暗灰砂質粘土︵暗灰粘土︶︑バラス混暗灰砂質土︵暗褐
粘土︶︑バラス混暗灰砂質土・灰褐粗砂層︵灰褐砂︶︑木屑混暗褐粘土
層︵木屑層︶の四層に大別でき︑幅約四m︑深さ〇・五〜〇・八mであ
る︒溝は何度も改修を受け︑遷都当初の堆積は残存しない︒前述のSD
一七六五〇を切って本溝か改修され︑溝最下層に天平宝字の年紀木簡を
含む二とから︑奈良時代後半の堆積と考えられる︒護岸施設の痕跡と思
われるテラス状の段を西岸で検出した︒木簡は︑下層堆積の各層から出
土したが︑ほとんどが最下層のバラス混暗灰砂質土・灰褐粗砂層︵灰褐
砂︶︑木屑混暗褐粘土層︵木屑層︶からの出土である︒
木簡以外の文字資料としては︑﹁莫取研口盤/口風﹂ ﹁北僧坊﹂ ﹁朝﹂
﹁口支良女﹂﹁近衛﹂ ﹁口厨﹂﹁西﹂﹁狛﹂﹁茄﹂﹁口附名口﹂﹁朝﹂
﹁職﹂などと記した墨書土器︑﹁修﹂ ﹁理﹂ ﹁中﹂ ﹁真依﹂ ﹁乙万呂﹂ などの刻印瓦が出土した︒
第二八四次調査︵6ALF区︶
︵一九九七年七月〜一〇月︶
第二八四次調査は︑東院庭園の園池南西部の北区︑南面大垣から二条
条間路北側溝までの南区︑合計約七五〇「を発掘した︒北区では東院上
層園池SG五八〇〇B︑奈良時代末期の州浜SX一七七一〇︑二時期の
園池南岸建物SB一七五八二・SB一七七〇〇などを検出した︒南区で
は南面大垣SA五五〇五︑大垣南雨落溝SD九三七五とその下層の東西
溝SD一七七一七︑二条条間路北側溝SD五二〇〇A・B︑嬬地上で建
物五棟・土坑などを検出した︒
木簡は︑南区のSD五二〇〇Aから一九点︑SD五二〇〇Bから一点︑
同北岸護岸石裏込めから二点︑SB一七六九四の南庇の西から二基目の
柱穴から一点︑土坑SK一七六九二から一点︑出土地不明一点︑合計二
五点が出土した︒その他︑SD五二〇〇Aから馬形︑SD一七六九五
︵調査区西部で検出した嬬地上を横切る南北溝︶から銅鍔帯金具・巡方
表金具︑包含層から新型式の唐草文鬼瓦などが出土した︒
二条条関路北側溝︒四期の変遷に細分される︒SD五二
OOAは︑遷都当初開削の溝︒Aa溝と︑北岸で約一 ・七m南にずらし
たAb溝の二時期がある︒SD五二〇〇Bは︑SD五二〇〇Aを南に約
三mずらし開削したもの︒石組み護岸のないBa溝︑改修して石組み護
岸を施したBb溝の二時期がある︒Ab溝からBa溝への改修時期だが︑
第コー○次調査で和銅・養老の年紀木簡が出土し︑今回もAa溝から養
老六年︵七二二︶の木簡が出土した二方︑郡郷制下の可能性かおる荷札
木簡も出土した︒確言できないが︑恭仁遷都前の天平年間前半と推測し
ておく︒なお︑SD五二〇〇B北岸護岸石裏込めから出土した養老年紀
の木簡は︑本来SD五二〇〇Aの遺物であったものが混入したか︒
七六九四 桁行三間以上︵九尺等間︶×梁間二間︵九・五尺等間︶
2
‑ の身舎に南庇︵九・五尺︶がつく掘立柱東西棟建物︒SD五二〇〇Ba段階では︑それまで空閑地であった濡地部分に建物が多く建てられたが︑このうち最も新しい建物である︒SD五二〇〇Bbが機能する奈良時代末期には撤去され︑嬬地部分は再び空閑地となったと考えられる︒
調査区西辺の第二I○次調査区内の円形土坑︒直径五
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〇m︑深さ約二〇一︒時期不明︒
第二八〇次調査︵6BFK区︶
︵一九九七年一〇月〜一九九八年一月︶
第二八〇次調査は︑東院地区の庭園遺構周辺で南て北・東地区の三力
所合計約七〇〇「を発掘した︒南区では︑東院東南隅部分を調査し︑東
面大垣・南面大垣とその雨落溝︑二条条間路北側溝︑庭園の池に伴う溝︑
バラス敷など検出した︒従来﹁隅楼﹂と呼ばれていた楼閣状建物SB五
八八〇の全貌が解明され︑二間×二間︵八尺等間︶の身舎に間ロー六尺
の庇が西と北につく建物︑あるいは三間×二間の東西棟に間ロー六尺の
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北庇が東寄りにつく建物であると想定される︒北区では︑庭園内の東面
大垣西側を調査した︒東区では︑東二坊坊間路と二条条間路との交差点
北部を調査し︑二条条間路北側溝SD五二〇〇︑東二坊坊関路路面とそ
の東西両側溝などを検出した︒東二坊坊関路には新旧二時期があって︑
当初は坊間路相当の道路として造作され︑後に大路と同等の道路に拡幅
されたことが判明した︒
木簡は東区の調査のうち︑東二坊坊間路東側溝SD一七七七九から一
一点︑SD五二〇〇から三点︑合計二四点出土した︒
を検出した︒
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拡幅後の東二坊坊関路東側溝︒調査区東端でその西肩
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図3 第280次調査遺構平面図 1 : 400
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図4 第284次調査遺構平面図 1 : 400
3
吝D宜二〇〇 二条条間路北側溝︒東二坊坊間路西側溝SD五七八〇と
の合流点より東側では溝幅を約二・〇mに狭め︑深さ約○エ︵mである︒
南岸の一部に護岸石が残る︒
第二八一次調査︵6BFK・6AFF区︶
︵一九九七年七月〜一〇月︶
この調査は分譲住宅建設に伴うもので︑面積八七〇「の調査区を設け
て実施した︒平城京の条坊復原では平城京左京二条二坊十・十一坪︑二
条条間路にあたる︒主な検出遺構には︑二条条間路SF七〇九五及びこ
の北側溝SD七〇九〇A・B︑南側溝SD七一〇〇︑十坪の南に開く門
SB七一 フ⁚︶などがある︒
木簡は合計五二六点︵うち削屑二三二点︶出土した︒内訳は︑二条条
闇路北側溝SD七〇九〇から五〇二点︵うち削屑二二八点︶︑二条条間
路南側溝SD七一〇〇から一五点︵うち削屑四点︶︑この他出土地点不
明のものが九点である︒
図5 左京二条二坊十一坪調査位置図
図6 第281次調査遺構平面図 1 : 500
SD7115
S玖七〇九〇 長さ約一一〇mにわたり検出した素掘の東西溝で︑奈良
時代中頃に改修されている︒改修前の溝SD七〇九〇Aは︑幅約三・八
mで︑東流している︒改修後の溝SD七〇九〇Bは︑幅約二・〇mで西
流し︑当初の流水方向とは逆転している︒この改修は門SB七一一〇の
基壇がSD七〇九〇Aを埋立てた上に築かれていることから考えて︑こ
の門の造営に合わせて行なわれたとみられる︒木簡は下層のSD七〇九
〇Aから︑四七五点︵削屑二〇九点︶︑上層のSD七〇九〇Bから八点
︵削屑四点︶のほか︑層位不明のものが二九点︵うち削屑一五点︶出土
した︒
約コニmにわたって検出
した︑幅約四こ︵mの素掘の東西溝であ
る︒堆積は大きく上層︑下層に分かれる︒
木簡は下層から六点︵うち削屑三点︶︑
上層から九点︵うち削屑二点︶出土した︒
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4
第二八九次調査︵6AFF区︶
︵一九九八年一月〜二月︶
この調査は分譲住宅建設に伴うものである︒調査区は左京二条二坊十
一坪を東西に二分する地点を含み︑二条条間路南側溝にかかるように設
定した︒第二八一次調査区のすぐ南に当たる︒調査区の規模は約一八二
「である︒
検出した主な遺構は︑二条条間路SF七〇九五及びこの南側溝SD七
一〇〇︑奈良時代前半の東西溝SD七二九〇A・B︑同じく奈良時代前
半の掘立柱建物SB七二九一・七二九二︑奈良時代後半の左京二条二坊
十一坪の北に開く棟門SB七三〇〇︑同じく奈良時代後半の十一坪北面
築地南雨落溝SD七二九五A・Bなどである︒
木簡は合計三二点︵うち削屑一点︶出土した︒内訳は︑SD七一〇〇
からコニ点︑SD七二九〇Bから一八点︵うち削屑一点︶︑SB七二九
二の柱穴から一点である︒
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図7 第289次調査遺構平面図 1 : 400
SD毛賜︵xU 幅四・五m︑
深さ〇・七mの素掘の溝︒土
層は大きく上層・下層に分け
られる︒
幅〇・四m︑
深さ〇・五mの素掘の東西溝
である︒調査区西端のみで検
出し︑大部分はSD七二九〇
Bと重なっているが︑本来は
調査区を東西に貫流していた
と思われる︒
幅一・六m
深さ○エ︵mの素掘の東西溝 である︒SD七二九〇Aと同じく南側溝SD七一〇〇の南肩から約二・〇mの間隔をおいて流れる︒SD七二九〇Aを拡幅して調査区西端で北折させたもの︒土層は大きく上層︑下層に分けられる︒上層は人為的な埋土で︑下層は堆積土である︒調査区西半では︑最下層に木屑を多く含む砂層を検出した︒下層から郡里制下の付札が出土し︑最上層から奈良時代初頭の土師器が出土しているので︑比較的に短期間で埋め戻されていることがわかる︒十一坪内の排水を南側溝に流すために設けられた溝と思われる︒
いずれも十一坪内の南北棟建物で︑桁行
三間以上︑梁間二間で︑柱間は七尺等間である︒東西にわずかにずらし
て建て替えているか︑柱穴の重複はなく︑いずれが古いかは決められな
い︒これらの柱を抜き取った後に︑SD七二九五Aの木樋を据えている︒
SD七二九五Aは︑門SB七三〇〇に続く十一坪北面築地︵削平を受け︑
残存せず︶の南雨落溝である︒調査区中央部分では幅約四五m︑現存長
約四・〇mの木樋を設けており︑木樋の四隅に沈下防止用の瓦を敷いて
いるが︑うち一点は六六六三Cb型式の軒平瓦である︒従って︑木樋︑
さらには築地︑門SB七三〇〇の造営時期が平城還都後であることが推
定できる︒このことから︑SB七二九一 ・SB七二九二は︑これらの造
営時期より前︑奈良時代前半に存在していたと考えられる︒
第二八二−一〇次調査︵6AFF区︶
二九九七年一〇月〜一一月︶
この調査は個人住宅建設と駐車場建設に伴うもので︑南北に近接した
二つの調査区を設定して実施した︒調査面積は一五〇「︒遺存地割では
左京二条二坊十一坪の東に通じる東二坊坊間東小路と︑北に通じる二条
条間路の交差する地点︑及びその西南部分にあたる︒
検出した主な遺構は︑東二坊坊関東小路SF七二八〇及びこの西側溝
SD七二五︑二条条関路南側溝SD七一〇〇︑東西溝SD七二七四︑
5
南北溝SD七二七〇︑東西溝SD七二七一︑南北溝SD七二七三︑土坑
SK七二七六などかある︒
木簡は合計五四点︵うち削屑一点︶が出土した︒内訳は︑東二坊坊関
東小路西側溝SD七一一五から四一点︵うち削屑一点︶︑土坑SK七二
七六から六点︑東西溝SD七二七四から三点のほか︑出土遺構不明のも
のが四点である︒
SD七一一五 東二坊坊間東小路西側溝︒上端幅二・〇m︑底部幅一・
四m︑深さ約〇・七mの南北溝である︒
SK七三七六 十一坪東面築地塀想定位置にある浅い不整形の土坑︒こ
の部分には築地の痕跡はなく︑土坑内に木簡や木製品などが腐植質土と
ともに堆積していた︒
SD七二七四 幅○・八m︑深さ一五一の東西溝で︑北区の中程で西側
溝SD七一一五に流れ込んでいる︒底部には直径二〇m前後の浅いくぼ
みが連続しており︑敷石を抜きとった痕跡とも考えられる︒
【北区】
SD710C ‑ X゛ ・■>>7MI ̲ 」
:SD711
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SD7;
X 一 一 1 1 ^ ' J l ・ −
卜り言
y = ・ │ ・ j T i ' ^ i l
〕 μ 【南区】
ら
図8 第282−10次調査遺構平面図 1 : 400
第二八八・二九〇次調査︵6AGF区︶
︵一九九七年一一月〜一九九八年三月︶
この調査は工場改築に伴い実施したものである︒調査地は平城宮の南
端から四〇〇m南の右京三条一坊三・四坪に位置する︒調査は第二八八
こ一九〇次の二次にわたって行ない︑総面積は約二〇〇〇「である︒
第二八八次の調査区は北区と南区に分かれる︒北区︵約四〇〇「︶で
は︑朱雀大路と三条条間南小路の交差点の検出を目的とし︑朱雀大路西
側溝SD二六〇〇︑三条条間南小路SF二六二三︑及びこの南側溝SD
二六二I︑北側溝SD二六二二のほか︑溝三条などを検出した︒SF二
六二三の南北両側溝はSD二六〇〇に合流する︒ただし︑SF二六二三
は京造営当初は造成されておらず︑三・四坪東区を南北溝SD二六一八
が貫流しており︑三・四坪は南北一体の利用と考えられる︒その後︑S
F二六二三を設けてこの部分のSD二六一八を埋め︑三・四坪は分割さ
れる︒但し︑SF二六二三が朱雀大路西側溝を渡る部分に橋の痕跡は検
出されなかった︒南区︵約六〇〇「︶は四坪内の宅地の様相を明らかに
することを目的とし︑塀二条︑掘立柱建物七棟︑溝二条︑井戸二基︑土
坑二基などを検出した︒
第二九〇次の調査区は︑東区と北西区に分かれる︒東区︵約九〇〇「︶
は︑三坪内の様相を明らかにすることを目的とし︑朱雀大路西側溝SD
二六〇〇のほか︑塀五条︑掘立柱建物四棟︑溝一条などを検出した︒北
西区︵約一〇五「︶は︑西一坊坊間東小路の検出を目的とし︑同小路S
F二六四二︑及びその東側溝SD二六四〇︑西側溝SD二六四一などを
検出した︒
このうち︑木簡は︑第二八八次北区及び第二九〇次東区の朱雀大路西
側溝SD二六〇〇から合計二I点出土した︒
SD二六〇〇 幅約三・〇m︑深さ約〇・九mの南北溝︒両岸に部分的
に護岸の杭が残っていた︒
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第288次調査遺構平面図
1 : 500 図9
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図11 右京三条一坊三・四坪調査位置図
第二八二−三次調査︵6AFJ区︶
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図10 第290次調査遺構平面図
1 : 500
︵一九九七年五月︶
この調査は店舗建設の事前調査である︒左京三条一坊十四坪東辺のほ
ぼ中央部にあたる位置に︑南北二つの調査区を設定した︒検出した遺構
は︑東一坊大路西側溝SD四九五一である︒木簡はSD四九五一から一
三九点︵うち削屑一二I点︶が出土した︒
SD四九五二 本年度の第二七四次調査︑一九六五年度の第三二次調査
︵平城宮東南隅の調査︶で検出したものの下流にあたる︒土層は大きく
二層に分かれる︒木簡は主として下層から出土した︒
以上︑一九九七年度の発掘調査の詳細については﹃奈良国立
文化財研究所年報一九九八−Ⅲ﹄ ︵一九九八年︶を参照された
XD
し
7
「
二︑凡
例
︵一︶木簡は内容により︑文書︑付札︑その他の順に排列するのを原則
とした︒
︵二︶釈文の漢字は概ね現行常用字体に改めたが︑﹁龍﹂﹁廣﹂﹁賓﹂
﹁嶋﹂ ﹁龍﹂などについては右の字体を使用した︒
︵三︶釈文に加えた符号は次の通りである︒
・ 木簡の表裏に文字のある場合︑その区別を示す︒
口口口口目口
口口 口口
一一 ̄レフ1
一 ‑ l
﹇×﹈
カ
木簡の上端もしくは下端に孔が穿たれていることを示す︒
欠損文字のうち字数の確認できるもの︒
欠損文字のうち字数か推定できるもの︒
欠損文字のうち字数が数えられないもの︒
記載内容から︑上または下に一字以上の文字を推定したもの︒
同一木簡と推定されるか直接接続せず︑中間の一字以上が不
明なもの︒
抹消により判読困難なもの︒
抹消部分の字画の明らかな場合に限り︑原字の左傍に付した︒
異筆︑追筆︒
合点︒校訂に関する註のうち本文に置き換わるべき文字を含むもの︒
右以外の校訂註および説明註︒
文字の上に重書して原字を訂正している場合︑訂正箇所の
左傍に・を付し原字を上の要領で右傍または左傍に示した︒
編者が加えた註で疑問の残るもの︒
マヽ 文字に疑問はないか意味の通じ難いもの︒
︵四︶釈文下の上段のアラビア数字は︑木簡の長さ・幅・厚さを示す
︵単位は皿︶︒欠損・二次的整形の場合︑現存部分の法量を括弧つ
きで示した︒なお長さ・幅は木簡の文字の方向による︒ ︵五︶釈文下の中段に現在の遺存の形態を示す型式番号を記した︒型式
番号は次の通りで︑四桁の数字を用いているか︑本概報では時代を
示す千の位を省き︑下三桁の数字で表わした︒なお端とは︑木簡を
木目方向においた時の上下両端をいう︒
宕に型式 長方形の材のもの︒
宕ぶ型式 長方形の材の側面に孔を穿ったもの︒
呂笛型式 一端か方頭で︑他端は折損・腐蝕などによって原形の失わ
れたもの︒原形は6011‑6015‑6032‑6041‑6051型式のいずれ
かと推定される︒
呂旨型式 小型矩形のもの︒
ga型式 小型矩形の材の一端を圭頭にしたもの︒
宕丿型式 長方形の材の両端の左右に切り込みをいれたもの︒方頭・
圭頭など種々の作り方がある︒
宕呂型式 長方形の材の一端の左右に切り込みをいれたもの︒
宕S型式 長方形の材の一端の左右に切り込みをいれ︑他端を尖らせ
たもの︒
目話型式 長方形の材の一端の左右に切り込みがあるが︑他端は折損
腐蝕などによって原形の失われたもの︒原形は6031‑6032
・6033‑6043型式のいずれかと推定される︒
目た型式 長方形の材の一端の左右を削り羽子板の柄状に作ったもの︒
9台型式 長方形の材の一端の左右を削り羽子板の柄状にし︑左右に
切り込みをもつもの︒
9台型式 長方形の材の一端の左右を削り羽子板の柄状にしているが︑
他端は折損・腐蝕などによって原形の失われたもの︒
色沢型式 長方形の材の一端を尖らせたもの︒
gS型式 長方形の材の一端を尖らせているが︑他端は折損・腐蝕な
どによって原形の失われたもの︒原形は宕33‑6051型式の
いずれかと推定される︒
目巴型式 用途の明瞭な木製品に墨書のあるもの︒︵ ︶内に製品名
を註記した
8
gS型式 用途未詳の木製品に墨書のあるもの︒
§︱型式 折損・割截・腐蝕その他によって原形の判明しないもの︒
呂巴型式 削屑︒
括弧内の番号は︑二次的整形の場合に推定できる原形の型式を表わす︒
︵六︶釈文下の下段に出土地点を示す小地区名︵アルファベット・数
字︶を記した︒`は地区不明を示す︒複数の地区から出土した破片が
接続したものは地区名を併記した︒
︵七︶釈文の出土地点の下に付した﹁″﹂印は︑口絵図版に写真を掲げた
木簡を示す︒例えば︑﹁占﹂は﹁図版三﹂に対応する︒
木簡の釈読には︑平城宮跡発掘調査部史料調査室の舘野和己︑渡辺晃
宏︑古尾谷知浩︑山下信一郎があたり︑また︑岩本次郎・鬼頭清明・東
野治之・堀池春峰・鷺森浩幸・吉川聡氏の助力を得た︒また︑編集に際
しては︑大山綾子・北村有貴江・中岡泰子・南島真理子・八木典子氏の
助力を得た︒写真は佃幹雄の撮影による︒
本書の編集は古尾谷知浩・山下信一郎か担当した︒
9
第
一
一七四次調査 三︑釈 文
東西溝SD
− 七
六
五〇 ︵6AAI区︶
内蔵出純十四匹上総布十端 ︻段カ︼ 凡布十端 布四十口 糸紺絢
右依内侍牒進
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中進殿門薦草十尺八尺束又菅十尺八尺束
養老三年十月八日知末呂申
口口口六
﹇月カ﹈斤養老五年十口口老五年四月辰時付神人安麻呂
口内親王宮
「゛ ̄1 口神
口亀口 ロカ
中務省解 ﹇国力﹈召高橋口足
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之中菅八尺東此者 道守口合在 ︻臣カ︼
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︵︶二 函ぶ 大倭国進稲六十四口︵斜線アリ︶ ﹁ ・茸忌y口口
勅旨百半蕎Y軍口卿馮垣琳口 口 口口口口口口﹂
伊豆国那賀郡那賀郷口
﹇俣カ﹈美濃国厚見郡大口郷
米六斗
智夫郡由良里四おれ
一三カ﹂
伊予国伊予郡古鯖口
茂郷 五斗
一郷﹈口口口口口里口部羊
米五斗
﹇煮カ﹈ 口塩年魚入 員二百紺口
一斗七升六合﹇群力﹈内舎人平口 こ一ご
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﹇使 元位カ﹈口部口口口
﹇久力﹈高夫口
﹁正八位上口﹂
口高夫口
槻本連少床
神正月口物部得足
﹇人力﹈ 右三口 ︵削り残リ︶
﹇酒カ一 宍人口
口口高夫久 ﹁口
口 若桜部牛養
﹇朝臣家カ﹈口口口口口六口口
朝臣﹁萬呂﹂
﹁朝力﹂ 口臣﹁豊口﹂
土師宿祢口口
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口連山守口
口首口 ﹇部カ﹈口子口
口口文万呂口
石川口 古人
麻呂家麻呂
﹇百カ﹈﹇目口
五口口家口
当口
﹇老カ﹈口口五年口
﹁太黄 造醤
口三斗九升
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長二丈口 ロー丈六尺
口又二分四朱
一百カ﹈
日一口ロロロロ
大口日日口口
右五十人
舟諸 口
口口 口口
口青口 ﹇酉戌力﹈
口口口口
口口
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口 口口 口
口口口喪 ﹇ J
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口辞辞辞 日金鉄道口 口口
天天天口口¥
口﹂﹂大︵裏面︑他ニモ判読不能ノ墨痕アリ︶
口口見見見
宮内基幹排水路SD三四一〇
口上 瓜四丸 茄子六丸 六月八日国麻呂
西大寺元興寺口口供養
幡多郷戸主葛木口 同口麻呂
同小国 使秋女
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口哺 」 口喘 」 哺
束一坊大路西側溝SD四九五一
口謹¬ 解 申 請 給 布 事 合 一
請請食常 治部口
口
口
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︵異筆重書︶
﹁解申カ﹂ 口口
謹啓 申請銭口
口注状謹口
口口 口 口口 口
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019 BC13十BB14 草湯作料所請如前 四月十七日吉田古麻呂 内務所請真魚 四月一日大口 造口所
m炭口 四 龍口
可給多治口
進酒捌升壱合
進酒八升一合 九月三日禾田 カ︼
正月一日茨田嶋国﹁口﹂︼﹄
正月一日茨田嶋国
進上口 口
費字五年十一月五日
﹇筥力1 1口口弐口
依政所宣上
請口口口縄一方け心大伴
十九日参
十二月七日私部口口 ﹇人成カ﹈内舎人
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書生子部人主 合漆人
﹇村カ﹈口口口
紺村各五枚
伊勢部吉成 畠賢達 安倍永年 湯坐三口 大資人紀東人 四月廿六日
口
十一日模作干足
口作﹁干足﹂
﹁千力﹂ 口三百紺五枚女瓦
七月加米四口 ﹇真カ﹈ ﹁皿E合口 自員外破板十枚o
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四百五十枚辞瓦
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口口口口人
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口口 口口口
︵削り残リ︶﹁口口
十二月廿五日
買口 こ口
﹇鮑ニカ﹈ 東口口口口口
堅魚口口
口 ﹇二ヵ﹈
鮮鮑四貝
荒人四 口口口
大蔵二
﹁今 請カ﹂ 口謹口口井口 口口口子 子口
口口口﹇四月ハカ﹈
人足六 ﹇目
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﹁月 始 綱力﹂口八日口置口
伊勢国鈴鹿郡仕口
伊豆国田方郡久寝郷物部宿奈麻呂調口
安房国安房郡口
﹇郡カ﹈若狭国三方口口
越前国江口口 天平賓字口
レ︵転倒符︶越前国郡江沼山部郷戸主
﹇貴カ﹈佐々口安万呂戸人万呂
丹波郡丹波郷口
神門郡朝山郷交易雑魚謄﹂斗
出雲国仁多郡パ作四封心二龍
﹇雑カ﹈出雲国大原郡来次郷前口口謄一龍
天平賓口六年 ﹁字力﹂
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播磨国美嚢郡平野郷 口口口口万呂六百文
阿波国名方郡
口部文万白米五斗
﹇平賓字力一
口口口口六年九月二日
五斗 口年九月十五日
口口口口 米五斗
口口仕丁養物陸伯文
鹿宍未醤
﹇池カ﹈ 口田米
村社隊宍譜
﹇十力﹈祚譜口
o一千文天平賓字六年十月
o貫民領木高進徳
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o貫三野廣足
o五千文四叫
板茂浜成⁝爪
﹇位下カ﹈口従八口口口
口口 口
口 斤
口
﹁象カ﹂従従七位下紀朝臣真口
﹁益カ﹂口船身道衛衛国益口
﹇所カ﹈口造高口口
口本監
﹁伊力﹂﹁口﹂﹁春宮カ﹂口口口口
長谷部口口
︵刻線︶ロ ー忌部小龍
一滴 口嬬 女謎
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薦口口口放口 三井部里人︵︵おにこつ 薦薦
﹇郷力﹈ 口口部部口 口口
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﹁守カ﹂﹁船口﹂口
口浄足 阿漏口
口足走 河内国
口物生 部カ部
「十」持 万 万
呂 呂
物部石万呂
口。口 口百万 文カ呂 ゜之
病 下村主口
一敷カ﹂ 口口津嶋鳥
口口益益 口曹男足
− ¬ 五 口
物部古口
嶋名口 口 口
口﹂世カ﹂
阿倍口口口佐貴口口 ︵一回︶
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16