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●オフィス・ニュース
京のお菓子を包む
<講演 要旨>
「菓子の歴史と包む歴史」
まず「菓子の歴史」についてお話しします。
古代人にとってお菓子は、天然の果物や木の実 であり、草冠のない「果子」であったと考え られています。その後穀物加工の技術が生まれ
「餅・団子」が作られるようになり、甘あまつづらに葛煎や 蔓甘茶を煮詰めた甘味料、そして米もやしから 飴が作られました。奈良時代になって遣隋使や 遣唐使が中国に渡るようになり、粉をこねて、
油であげる技術が中国から伝わってきました。
鎌倉時代になって中国から喫茶の習慣が発達 します。1191年に禅宗の臨済宗を開いた栄西が 中国から持ち帰った「茶」の実を、京都栂とが尾のお高 山寺の明みょうえ恵上しょうにん人に渡し、植樹に成功してから喫 茶が盛んとなり、やがて「茶の湯」へと発展し ていくことになります。茶道の世界で使用する 菓子は、「茶の子」、「茶菓子」、「点心」と呼ば れました。中でも「点心」はお菓子と言うより 簡単な食事で、朝夕2食時代の名残だと言われ ています。この点心が後の「おやつ」の原型に
なったと言われています。この頃、点心として 肉や野菜を詰めた饅頭が渡来し、小豆餡を入れ た「饅頭」に変化していきます。室町時代に入 ると武士の精神と禅宗が結びつき、武家社会を 中心に「茶の湯」が発達しました。茶の湯は、
村田珠光を始祖として、竹野紹じょう鴎おうによって確立 されていきました。それに伴い茶席での菓子も 発達します。菓子は、鮑あわび、松茸の煮物、味噌を 付けた餅、焼き栗などが用いられました。この 頃趣向を凝らすようになり、製菓技術は飛躍的 に進歩します。応仁の乱が勃発するまでの京都 では、有力守護やその家臣など、多くの武士が 在京していました。武家文化と公家文化、大陸 文化の融合が進んでおり、武士は、このような 文化の担い手であり、新しい文化の保護者でし た。応仁の乱が終わり、京都は荒廃してしまい ます。在京していた守護やその家臣は任国に下 りました。そのときに公家や文化人達も地方に 招かれ、出版物が刊行されて、京都の文化が地 方へ伝播されました。
安土桃山時代以降に砂糖が多く使われるよう になりました。南蛮貿易によりポルトガルやス ペインから金平糖、有平糖、ぼうろ、カステラ など卵と砂糖をふんだんに使う菓子が輸入され たのです。まだ一般的ではありませんが、これ らの菓子の製法が和菓子の発展に大きく寄与す ることになります。
江戸時代270年の間、菓子は京都(京菓子)
と江戸(江戸菓子)の2系統に分かれて成長を 遂げたとされます。京菓子は、御所を始め、宮家、
公郷家の献上品に用いられたお菓子です。京菓 コメディア株式会社
代表取締役 野田大輔 氏
学園祭協賛行事 フォーラム
京菓子と包材 京菓子と包材 京菓子と包材
11月1日(土)に学園祭協賛行事の一環として、「京菓子と包材」をテーマとする
「フォーラム学生と図書館」を本学図書館第2閲覧室で開催しました。その時の講演と講 演の後の留学生からのコメントをもとにフォーラムを振り返ります。