九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
イデオロギー概念の展開
上田, 一雄
https://doi.org/10.15017/2328853
出版情報:哲學年報. 9, pp.131-163, 1950-07-20. Faculty of Literature, Kyushu University バージョン:
権利関係:
﹁イデオロギー概念に於ける最初のものは︑常に恐らく敵對考に對して感じると恩は飾るところの不信と疑惑の休
聡である︒即ちその最初に於ては不信が方法的となってゐた︒然し乍ら後には敵對者の虚偽の源泉を何等かロ杜含的
要素に求めることによって︑敵對考の見解症単に虚偲として体嶮せずに耽禽的欣況の構能であると説明せられるとこ
ろのその全体的態度の中に虚憾を見出す場合︑始めて敵對者の見解をイデオロギーとして解群す﹂っことになる︒﹂
︵註l﹀とマンハイムは云ってゐる︒事澱ナポレオン・ポナ今︿ルトが︑ネオカゾリシズムとロマンチークの思想的背
景のもとに︑コンデイヤックに追随して形而上學の腰莱と糀刷蒲科學の人剛學的︑心理學的韮礎づけと試みたところ
の進歩的︑革命的なフランス感鳧諭派の諏學春の一群に對して︑姪侮的に﹁イデオローグ︐﹂と誹誘し諺︵註2︶﹁細
︑一
部に汀ろて筋一原囚を追求し︑その韮盤の上に人民の立法を桃成しようとする彼の奇妙江形而上學にこそIこのイデオロジーにこそ︑フランスの一切の不幸は蹄因せしめられなければならない︒人間に對する血の支配遊資らしたも
の︑叛逆の原理を義務として立言したもの︑そして民衆に迎合したもの︑これこそ礎にイデオローグであるo﹂
︵賎3︶と罵倒したと云ふ一つの挿話が示してゐるように︑敵封考に對する不信と︑彼等︑概念乃至意融への虚偽曝
露が︑或る特定の主体に於ける観念や意識のイデオロギーとしての把握の根本的な心的動機となってゐる︒從って概
念や意識がイデオロギーとして把握せら郡る場合︑そ飢等は特定の主体によって︑敵封考のもつ主槻卿な利害や好意
に基いて歪曲せられたところの虚偽槻念或は虚偽意識として規定せられ︑彼等の虎侭曝露的な外在的批判の對象と芯
ろ︒﹄
このような覗野に於て老へるならば︑近世イデオロギー論の先蹴はフランシス・べ1コンの偶像論に求めら知るで
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て提唱する︒︵註6︶各階殺は各交澗自の階級的侃兇逓もち︑從つイ|我盈はそれが由來する根本的法則淀指示し︑認
識することによつイ↓階級諏何侃兇を克服し︑イデオロギー的拘束より脱却した科學的認識に立つことが出来る︒例へば
下屑階級は常に生成概察に︑上肘階級は常に存在観察に偏向するが︑繊は雨粁共に脆総でをっ︒か上る服偽より脱雛
するが鰯には︑歴史の凶架的契機の理碗の中にこれ弊の範鴫的涯利益展望を解消しなければならない︒換言す弧ば階
級的偶像よりの解放の中咋一階秘咽イデオロギーの克服形態としての審概的︑科學W認識が可能となる︒
このシエーラの見解は斑はベーコンの偶像論に示唆せら伽てゐろものである限り︑我糞はベーコンの偶像論が近代
的イデオロギー諭や知識紅称學に概念史的連關逓もつこと駐一應は拒否す﹄っことは出来ない︒
然し乍ら厳密に老へるならば︑我産は無條件にこれ筵泄認することは出來ない︒即ち﹁ベーコンに就ては﹃悪いそ鯵
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あらう︒ベーコンは封建的や柵獣的な知識体系としてのズコラ無學に反對して︑經験科學的︑灘證的涯科躍方法論筵
主張してゐる︒スコラ哲學は中世敦含の概念体系に原理的韮礎つけを與へ︑宗激の科學や哲畢に對する支配を原理的
に確立せしめた知識体系であり︑か上るスコラ的稚概念形態よりの思惟の解放︑即ち知識の猫立の中にこそ近世的な
観念11知識の体系の鹿恭可能であった︒乙人にベーコンは巨以狂なる知識にとって妨雲となる諾甑の偏見を械討し
て︑科學眠Mな事睡認識を可能ならしめる爲に︑彼の所訓﹁偶像論﹂莚主張する︒産4︶ベーコンに於ては周知の如
く︑﹁種族の偶像﹂︑.﹁洞猫の偶像﹂︾︑﹁市場の偶像﹂︑﹁朏場の偶像﹂の四・佃が科學的菰認識を妨げるものとしてあげられてゐる︒第一のものは人川性一般の中にその根擴逓もつものであり︑鋪二のものは特殊な仙人の性質や境遇
に由来する佃人的な偏見であり︑節こるものは人Ⅲ州立の交際︑就中言語に起囚する謬見であり︑妓後のものは歴史
や傅統等に蹄せられる誤謬である︒↓これ等のものは何いも鍬誤の源泉として純興なる經験を談まらせ︑眞正な事狂の
洞察への途逓川害するものである︒これ等の偶像は断乎として匪棄せられる尋へきであり︑これによってのみ悟性の淨
化が可能となる︒偶像の克服によって純度なる經験と興籏なる知識がもたらさ飾る︒
以上のべ1コンの偶像流に對してマンハイムは﹁そいは祗含及び傅統がか上る錯誤の源泉と芯ろと云鼻見解に於て
全く何等かの杜會的なものが豫兇されてゐろと云ふ乙とは事在である︒﹂︵註5︶と云ってゐろように︑そこには人柵
的交際︑即ち就愈關係や歴史的仰統の知識に對する拘束性は自彊せら肌て居ろ︒
更にこのベーコンの偶像論に連閲して︑マクス・シェラーは彼の所訓﹁階籾州偶像論﹂筵知識祗會學の一課題とし
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して愚かな名榊の附與が精祁を川雷すること﹄が問題である︒即ち迷蒙な傅統的概念が自由法認識淀阻止する役割が一
問題であって︑存在の一定の領域に於け馬配置逓意味する意識と存在との關係が問題とさ伽てゐ江い︒﹂︵註7︶とラ
ンドズフトも云つでゐるように︑近代のイデオロギー論は献會的存在状況に基づく知識の虚億や誤謬を對象とす︾勺に
對して︑ゞヘーコンは軍に抽象的な人間性や佃人的性癖に韮づいた誤謬や胴向の誘閃としての偶隙を論じてゐるに過ぎ
ない︒近代のイデオ狸ギー論も常に自己から出發してゐる︒然し乍らそれい勿論彼等に典へらいた歴史的︑耽會的諸
條件と諸淵係の内部に於ける自己からであって︑所謂純粋な︑抽象的な仙人からではない︒﹁狂は歴史が發展するに
伴って︑就晦分業による不可避的涯諦友の肚御關係の棡立化によって︑各佃人が人格的である限り︑從って彼が何等
かの鰐働部門とそい〃一脇する諸條件と・に包括さ伽てゐる限り︑乙姫等各仙人の生活の側には一つの厘別が生じて来
る︒﹂︵註8︶従って軍なる抽象的な人間一般芯・非歴史的な︑非肚會的な仙人の規定に基づくベーコンの偶像論は︑﹄︑︑
その主上無條件に近代のイデオロギー論へ概念論史上直結せら肌ることは出来ない︒
︵註1︶崗騨竺昌冒巨言冒国8ざ鰹の冒艮go宮の.岳患.い届.
︵注2︶堅胃詔写魚夛蔓.︑函P・1
︵註3︶z○戸ぐ2口&昌○匡昌弓の亀の8冒︒目の宮澤亘岸肩匡g四の昌匙⑦皇︵鵲三壱.
︵註4︶吋曙曽風︑国診8胃zつぐ昌巨○信曾ロE昼.国P目
︵誰5︶属緯匙ヨ韓巨邑冨冒如/弓匙.︑旨.
︵註6︶冨釦員.の号の庁罵己冒二嚴沼易き弓日の巨戸日包︵胃の易の房呂損津.雷房.mgP
︵註7︶画の鳴働&忌営︺勝胃罫恥属吋弐斥巨月の○畷さき喝の︑忌呂.m9.
.︵註8︶昌胃隈国侭の再己呂冒言国8ざ唱命QogE冨鼻偶筈①の風の津宮の旨長.国急.胃扇.ぐ目ぐ.缶昏愚誘底¥
国①匙冒.患酌騨︑の廓ノ
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勝義のイデオロギー乃至はイデオローグと云ふ概念の裁撚は︑學読史的には十八仙紀啓蒙時代のフランス唯物論︑
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︒就中感蝿諭派○打學に求められ燕ければ江らない︒﹁﹃王確にそして散文的意味で語る﹄と云必のが十八枇紀のフラ
ンス啓蒙主義であった︒換言すればフ.ランスの唯物論は︑現存する政治組織や宗溌や祁學に封す系闘争であ昂許りで薩く︑同様に十七仙紀の形而上學︑及び一切の形而上學l即菖勇ルト︑了クラン堂︑索ピノザ︑及びラィ
ブニッッに對する公然の戦ひでもあった︒﹂患1︶とマルクス・エンゲルスは語ってゐるo事溌フランス唯物論こそ
所洲アンシアン・レヂウムとその思想州表現としての概念論的な形而上學や祁學に對して決定的に批判的であり︑フ
ランス載命や雌命後に於ける近世ブルジョワ砒會形成の礎践通勤一と思想的に韮礎つけ︑それに對する思想幽言表逓與
へたのであった︒然し乍らこの正確にして散文的に語る︑と云は伽ろフランス唯物諭に陸ろの方向がある︒即ちその一つは︑その
根源をデカルトに曲来ずるものであり︑︑他はその根源淀ロックにもつものである︒前者は椴械論的唯物論として︑ド
ランスの特殊な自然科學と江り︑後薪はフランスの職養の要素として︑直接に祗會主義に注入してゐる︒然し乍らイ
デオロギー概念の概念史︾w考察と云必概鮎に立つ限り︑我舞は︑﹁直接にデカルトから系統とひいてゐるフランズ誉
物論に開しては︑一三−トンのフランス皐派やフランスの自然科學一般の發展に立入ることを必要としないように︑
これに深く立入一つ必要はない︒﹂愚2︶從ってイデオロギー概念の里脚展開に於て︑即ちブルジョワ革命によ﹂や近代
︽柵涯肺會經濟体制の雑﹄肌と︑その棚念形態のブルジョワ化と云易事庇に對して︑理論雌︑礎践的に連閥するものは︑
ロックに洲伽するフランス唯物論辨學︑就中人間の凡ゆる心的機能を感提の鍵形として観察したところのフランス鴬
畳諭でなければならない︒
ロックは維嶮論の立場に於て人州の幡性に閲する研究瞳韮礎づけ︑認識の起源や限界筵問題とした︒︵註3︶彼は
デカルルと異なり︑生得観念の存在を否定し︑認識の後天性を主張する︒即ち人川の悟性は生來は﹁タプラ・ラサ﹂
であり︑經験によってこれ筵記入せられて行くところに認識が成立する︑と老へる︒
ロックのフランスに於ける繼承薪はコンデイヤックである︒︵註4︶コンデイヤックはロッグに從って我觜の認識
の唯一の起源を感攝に求めろ︒そして彼はた図感蝿によってのみ︑我凌の一切の概念や認識が構成せられることを主
張す﹄名即ち彼によればすべての意識活動は感性的知舩から發展して來たものであり.錘型せられた感礎作用と芯
ろ︒かゐして注意とは︑一つの感録に渋理することにあり︑記憶とは後に残存するそ伽の影郷である︒﹁比較する﹂︑
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﹁判断する﹂と昼ろの感蠅逓川時に有し︑且つ雨着に注意することに他江らない︒この.・ンデイヤックの見解に至
ってロックの主張は純然たる悠兇主義に移さ伽﹄?この.﹄ンデイヤック︑主張は断叶的であり非体系的であったにも
拘らず︑イデオロジー織念・の確立には決定的な位世を占め一つもnである︒即ちザ唾モンによって︑﹁ロックがイギリ
ス堆命の折駆薪であったように︑コンディヤック︾︶そ革命時代を支配し︑特にド・ドラシー及び力今谷一スがその代表
考であったところの峨向を規定した人である︒﹂急5︶と云はれてゐ一名彼の主張は︑締祁の活動は鵬紳經の運動と
感魁との叩に立つ︒思恕は脳髄の分泌物である︒とするヵ曇︿一スを經て︑ド・トラシーに繼承ぜられてゐろ︒
唯物史柵とイデオロギー論との槻念史的迦蹄と詳細に討究し︑就中イデオロギー論に關するフランス感蝿論哲學の
意義を弧訓し︑唯物史槻の成立をめぐる感畳論の理論的蓮關を重覗す﹄っザロモンはド・トラシーの﹁イデオロジー要
諭﹂曇国g︺︵旨︵︸富っ呈逼c︐尉臼1場g雪と現代のイデオロギー論に封す年︒文字通りの歴史的起鮎であると考会﹄ゐ
ろ︒冠6︶ド・トラシーは該書に於一﹂︑概念○形式を發生と蓮経験科學的に研究し︑カパニスによって示唆せら郡
たに止まる﹁赫赫の自然科學﹂を完成しようとした︒然し乍ら認識手段︑雁史と概念の形成論︑︵秘念學︶鐸表現論
︵文法學︶︑結合論︵論理學︶を収扱った蛍部のみが完成せられたに経り︑これの我燕の意志への雁用︵經濟學︑
政治學︑道徳學︶を脚題とする第一蔀は着手せら恥た許りであり︑これの外部への雁用︵物理學︑幾何學︑數學︶筵
取扱ふ節三部は手を染められないま山になってゐる︒︒
﹁思惟することは常に感蝿することである︒然も感兇すること以外の何物でも芯いo﹂﹁感蝿は我盈の存在の一つの
現象であり︑我燕の存在そのものであ﹄令﹂詮7︶・と云ってゐろように︑ド・トラシーも亦決定的な感蝿論者であ
る︒概念の形成の蕪礎躁經瞼であり︑經馳は直接に印象に於一﹄與へられてゐる︒認識は經験によって我盈自身の中に
生ずるものであるが︑知蝿の能力は我糞のもつ﹁感碓性﹂の作用に基づいてゐる︒感兇性とは︑彼によれば﹁それに
よって我糞が極女の印象を受けるところの我登の存在○陽性である︒﹂歴8︶従って彼に於ては認識は感兇に還元せ
られ︑認餓の自主性は相對化せられる︒この限り彼は思惟や認識に封して外在的考察の立場嶢斗つ︒と入に我盈は感
髭・減の立場より思惟の︑認識の自立性症経験的に批判したド.・トラシーのイデオロジー論の概念論史的意義を見出
す︒然し乍ら彼は﹃感蝿は我交にとって﹃切であり︑父我黙の存在を榊成するものであるが故に︑我産の感兇は我産
が確麓と老へるところの節一の事蹴である︒そして我盈が信念牡もって爲すことが出来る第一の判断は.我盈が自ら
・一三五.︒
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感兇するところのものについて碓涯感をもつと一云ふことである︒﹂壷9︶.切の我友の認識は⁝..:・その正確さの
◆原因が我凌の現狂的涯知蝿の確睡性の中に渡見せらいると同様に︑︐その誤謬の原因が現在的知兇と先行的芯知羅との〃
關係の不定性の中に成立するo﹂忍廻として︑認識の碓狂性︑即ち風理性を我交の感覺に限定づける限り︑そこに
は未だ認識的脈偏の某盤とし・ての祗會的存在への理論的自蝿は見出さいない︒從って我凌は︑ド・トラシrを︑﹁観
念の形成を研究する科學︑感兇逓もって我だの知赦の潤自の原理とする体系﹂と云ふ意味に於け乙丞プオロジーの名
稠附與者として是認出來るとしても︑それを直ちに現代の祗會科學に所謂イデオロギー論に理論的に直結さすことは
出來涯いであらう︒
以上の如きコンデイヤックに始まるフランス感蝿論派の哲學者逵は︑反形而上學的な︑反紳學的な知識の進歩性の
故に︑却って反動家ナポレオンによって﹁イデオ画1グ﹂と瑚笑せられ︑その理論は非現蛮的な空想として喉笑せら
れた︒成程イデオローグはナポレオンの反動蛮践やシャトープリアン等の反動理論家の眼よりすれば︑非現蜜的芯屍
理窟屋であったかも知れない︒然し乍ら今日我盈の概鯲よりすれば︑彼等の理論は決し一﹂単純な室想や屍理窟ではな
く︑フランスブルジョワ革命を狂践的に指導した現在的な理論であったのである︒
イープオローグはその進歩性の故に乙二塞想家︑屍理窟と罵倒せられたのであった︒﹁奮來の形而上學は忠壷にして・
寂養ある階級の宗寂的代用物として政府にとっては極めて好都合であったが︑乙肌に反して締祁や祗會に開する新ら
しい物理學は敵とぜら奴たのである︒﹂薩皿︶碓かに聖プオロジーは︑﹁受鴬する諸規範や諸形式の椛威と先験性と
を反駁することによって革命的に作用する︒.⁝⁝:壮會的秩序に合致する概念や佃値の階位は下位のものや劣位のも
の︑即ち感性や物賀や自然が高揚せら肌ることに舞って顛倒する︒超感性的及び超自然的芯ものとして説明せら弧︑
聖化せられてゐたものが︐感性的なもの︑自然的なものとして解明せられろ︒自主的庭稠立的な諸形式や諸概念は
それによって力症喪失し・形式の發生.縛化の秘密が曝露せらいろ︒﹂患塁と云ふ鮎に於て進歩的︑準命的な理論
性をもってゐろ︒
然し乍ら彼等の知識批判は未だそれ等の就含的存在への相對化︑機能化に於てなされたものでは芯かつた︒彼等に
は近世ブルジョワ肚會のもつ内在的矛耐構造︑即ち階級對立的な肚命開係と︑毛の必然的歸結の一つとしての階級的
な意識の敵釣關係は自兇せらいてゐない︒従って例ひダランベールが︑我凌の表象は我麦の欲望と蓮關しており︑且
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つ他人との交通に於て思惟が發逹せしめら畑名のであるならば︐思惟の様式は言語の様式から︑從って佃人からでなく杜愈から説明せられなけ伽ばなら江い︑と云ってゐるにしても︑我燕は所謂イデオロジー論の卵に眞に現在科學的
な賦會科學批判は見出すことは出来ない︒更に又このコンデイヤック派のイデオ江ジー論は感兇論に立脚するにも拘
らず︑眞に唯物論としての徹底さを欠いてゐる︒即ちそれが人繊の史的發展を問題にする場合に於ては︑その感受的
︑︑﹁人州﹂槻︽と忘れて︑営時の凡ゆ一?﹁啓蒙主錐者﹂と同じ事を繰返した︒曰く︑﹁価界︵即ち人間の祗會關係︶は
意見によって支配せら伽ろo﹂と︒︵註心︶從って我盈はフランスの所拙イデオロJグによる概念論や概念的宗激への批判を現代の祗會科學的イデオロギー概念と同一視せんとするザロモンの見解には養意を表することは出來ない︒
︵註I︶塚昌日胃桝冒旦弓﹃尉︵富3両侭烏目①汗登鴨句曽︺藍の︑留麗.岸易号冒烹⑦畠房目の巨屋胃匡馬︑
︼与胃・浜︲国匡的⑦涼︐哩国︵一・
︵註2︶塁①易⑦写儲号昼.の鵠卑.︑
︵註3︶自冒日CO胃叱衿屋博殿曼89①昌冒弱国ニョ自己ロ号風冨昌一侭.岳9︐
●︵症4凸︶因.国号COE三宮Q己の︑閨一mm胃昏認喧巨⑦号言gE昌易普月①昏胃昌冒$・弓農..﹂
↓︵畦フ︶の昌旨畠啓冒gR国切言鳥呂昌.冒昌昌昌︑己畠目︵一国⑦○一揖一①巨匡胃の写留日.冒厚言弓琴命ヨロダ
︑目さき晦鼠園阜目・
︵賎6︶堅昌駕毎の叩ご匙.の酌む牌〃
︵註7︶衿.弓.︒︐己の︑言詳号自一・月胃国警の日の冒亀昼の○ざ蝉の︑字句胃胃.弓望.岳旨︐︵註8︺包閏附毎R夢迂︑画騨
︵姓9︶Qの扇の弓の︒S感国・の岳吟︑
︵註旧︶国の風の写勇号匙・皀・の停哩P
︵註皿︶の○屋国&の廷○日C胃号己.・の$房
︵註哩︶︵嚴尉⑦昏勇号星︑学②鱗
︵注⑯︶プレハノフ著川内唯彦蕊史的唯物論八頁
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現代的意味規定に於けるイデオロギーの概念はマルクス・エンゲルスによって体系化され︑確立せられた︒それは
或る意味に於て﹁イデオロジー﹂より﹁イデオロギー﹂への内奔鍵化であると云へよう︒即ちマルクス・エンゲルスは
営時のドイツ諏學の主流であった新ヘーゲル主謹の禰學とコンデイャック派のイデオロジー論に縦してその概念的︑
非海践的性絡とその原因を曝藤することによってそれを槻念畑な虚偽意訟として批判してゐる︒元來︑この雨着は極
めて顛似した徴践的課題や理諭的批判と江してゐろ︒フランス感畏論の祈學がフランス革命の諏學であったと岡じ
く︑新へ1ゲル主義の諏學は一八四八年のドイツ龍命症方向づけ︑共にブルジョワ莱命を理論州に韮礎マつけてゐろと
云鼻乙とと︑両考共に等しく反宗激的︑反祁畢油へ反形而上學的立場に立つことに於て大体軌を一にしてゐる︒マル
クス︒エンゲルスほこの間の淌息を次の如く一云ひ表はしてゐろ︒﹁フランス唯物論僻現存の政治組織弁宗激や祁學に
對す名闘争であった許りでなく心同檬に十七世紀の形而上學に對する︑そして凡ゆる形而上學厄對すな︑就中デカル
ト︑マールプランシ1︑スピノザ及びライプニッッに對する敢然たる闘争であった︒恰もフオィェル今︿シ︿がへ1ゲ
ルに反對して飴めて決定的江態度在とった場合︑酩酊した思辨祈學に撮醒した諏學を對置したように︑人友は形而上
學に諏學と對立せしめた︒十八仙紀のフランス啓蒙主義︑就中フランス唯物論によって打破せら伽た十七枇紀の形而
上學は︑ドイツ諏皐︑特に十九仙紀の思溌的ドイツ諏學に於て︑勝ち誇った内葬豊か江復興を〃ヘーゲルによって天才
的な方法で行はれた︒然るに一切の從來の形而上學とドイツ概念論を結合し︑形而上學的世界王國碇建設して以来︑
再び十八慨紀に於けると同じく︑祁學への攻雌に對應して︑思嶽的形而上學的及び一切の形而上學炬對する攻盤が生
把た︒形而上學は︑思糯哲學の勢作によって自己を定成し︑人文主義と結びついた唯物論の爲に常睡屈服せられるで
あらう凶︵註可J︶
フランスのイュプオローグは︑その進歩的︑革命的な理論性格の故に︑彼等の理緬はナポレオンや彼を卿緤する反動
思想家によって輕悔的︑罵倒的意味に於て︑非現磁的︑非蜜際的な筌諭として云たせられたのであった︒然るにマル
クス︒エンゲルスは︑﹁ドイツ・イデオロギー﹂に於て︑小ブルジョワ附厘正耽會主義の根抵としての新ヘーゲル學派
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凡そ歴史に於ける﹁精祁の主権﹂莚立證しようとする蕊常は次の三つの手練に蹄着する︒愚7︶
第一︑人糞ぱ︑經験的汰諸根擴に基いて︑經験的な諸條件の下に物愛的な佃人として支配する支配者の思想を︑こ
の支配者自身から切り離しももって歴史に於ける思想乃至幻想の支配を承認しなければならない︒
第二︑人糞ばか入る思想の支配の中に一つの秩序筵もたらし︑相繼起す﹄︒支配的諸思想の間に一つの祁秘的涯連關
逓立識しなければならない︒そしてこれは人凌がこれ等の思想莚﹁慨念の諸共の自己規定﹂として把握することによ
って達成せら弧ろ︒︑︵それが可能であるのは︑これ等の思想が自己の經験的涯唯礎花媒介として現澄的に相互に連關
してゐるからであり︑且つこれ等の思想が軍なる思想として把握せられて︑思惟によってなさいた諸迂の差異︑自己
塵別となるからである︒︶
第三︑人糞は︑この﹁自己自身を規定する概念﹂と云ふ祁秘的な外見を取り除く爲に︑その概念荘一価の人格
百巳意趣lに蝿するか︑或は全く鵬簡に§|鳥に︐霞に於ける思念鳴るもの﹂を袋畜累列
の諸人格に︑即ち﹁思想家たち﹂︑﹁打學者たち﹂︑﹁イデオ泡1グたち﹂に郷化する︒そこ炉一於ては︑乙伽等の人変
はまたもや歴史の製造家として︑﹁番人評識會﹂として︑支配者として把握される︒このようにして人友は唯物論的
要素症全く歴史から取り除き︑そして今や安んじて思瀞の駒逓思ふ存分疾躯させることが出來一名
・新ヘーゲル派挿學の糊念的惟格はかL語手練に米づいて辮築せられてゐ一名彼等は枇界托籾念によって支配される ︑︵パウェル︑シュチルナーvフオイェルバッハ等︶の褥學を︑イデオロギーとして容赦なく批判した︒彼等が︑新へ1ゲル主義の哲學をい﹁勿体募った﹂︑︵註2︶﹁主我的な﹂︑愚3︶﹁大言壯誘﹂犀4︶︑或は﹁幻影﹂急5︶であ
iろと非難するのは︑その保守的︑反動的江観念性の故である︒即ち︑﹁新へ1ゲル派のイデオローグ逹は彼等の所謂
︹批界媛憾的な﹄言葉使ひにも拘らず︑鮫も雀しい保守主義者である︒彼等の中で蚊も少壯氣鈍のものが自分達は﹃
言葉使ひ﹄に對してのみ戦ふのだと主張するとき︑彼等は自己の活動を正しく表現してゐた︒た上彼等は耐彼等がこ
の言葉使ひ自身に言棄使ひ以外の何物をも對立させないと云参こと︑及び彼等が我だの枇界の言葉使ひのみ逓攻殿し
てゐろ限り︑彼等ぱ決してこの現庇既存の泄界を攻盤してゐるのではないと云ふ事一と忘れてしまってゐる︒﹂︵註6︶
とマルクス・エンゲルスは云ってゐろ・新ヘーゲル主誰諏學の思想的保守性︑反動性はその思嶽的︑槻念的性格に蹄
せられなければならない︒
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ものとして︑観念及び概念症説疋的限埋として︑一定の思想を物筑Ⅲ世芥の哲學者達にとって近つき得る祁秘として
考察してゐろ︒︵註8︶即ち︑彼等の空愁に從へぱ︑人川の諸闘係︑その行動の全休︑その姪枯と制限は︑人佃の意
識の生産物であるからして︑新ヘーゲル派の人糞は︑人間の現在の意識を人川的な︑批判的な諺乃至は利己的な意識
と取り替へ︑それによって人間の諸制限を排除すべきである︑と云鼻道徳的巽祀を首尾一貫して人川に課してゐる︒
意識と愛革せしめよ︑と一云鼻この要求は跡するところ︑現存するもの比解騨の仕方を鍵えよ︑と云毎即ちをれを或
る逢った解澤によって承認せよと云必要求に外芯らない︒﹂︵註9︶
こ§に於て新ヘーゲル派の哲學は︑︒﹁現存諸關係を鍵化さすのは口︿管人盈の善悪に依存するとか︑或は現存諸關係
は概念であると老へるのは鷲びた幻想である︒諦隙係から切り難さ伽たところの哲學者によって職業として︑即ち
︐仕事として誉鰯されるような意識の愛革そのことが蜜は現存諸關係の所産であり︑これ等に所脇する事柄である︒棚 ︑■
界からのこの概念的高揚は世界に對する禰學者の無力のイテオ画ギー的表現である︒︵註︑︶と非難せられ︑更に彼
等のもつ表象姓︑︲﹁それ等の現迩的基礎逓無観するならば︑意識の内に於ける表象として︑即ち人間の頭脳の内に於
ける思想として把握せられがそぃ等の對象性から主概に昇華せら恥︑斑体から自己意識に高揚せられる︑即ちそ肌等はl嘉或朧固罷理念で参る.﹂︵註u︶と諭鷺ら段け陛層ない︒従って︑后新ヘーゲル派の箪淵 ︑︑や︑︑︑︑
は非現賀的︑非蔽践的な概念的空論に絡るo彼等は︑﹁諸思想︑諾理念︑つまり現存批界の猫一ユ化せられた思想的表
現淀現存価界の塞礎である︑と見談ってゐる︒﹂︵註唱︶と共に︑﹁思滞鮒韮礎から離脱せずして思涛の諸手才盾を解決
︐しようとする﹂︵註巧︶自己矛盾に賂入ってゐる︒從って彼等の歴史解群も恋挫に現蛮的芯科學性をもつことは出来
芯い心﹁何となれば︑殆んど凡てのイデオロギーは蹄するところ︑この歴史のゆがめられた解離であるか︑・或はこの
歴史からの全然抽象であるからであるo﹂︵註胸︶即ち﹁イデオローグ達は︑諸理念や諾思想が從來の歴史を支配した
と云ふこと荘︑諸理念や諸思想の歴史が從來の歴史の一切であると云ふこと皇那提としたので老っから︑叉現撞の諸
開係が人間及びその理念的諸關係︑即屯諾樋念規定によって規律せられて来たと想像したのであるから︑且つ一般に
人間そのものについての意識の歴史を・八間の現衡の歴史の基礎としたので一噌今から︑意識︑諸理念︑・聖なるもの等の
間定した諸表象の歴史を人間の歴史と名づけて︑これ筵現狂の歴史とすりかえてゐる︒﹄︵註巧︶?︒
︑こLに於てマルクス・エンゲルスは︑﹁観念が現資世界を生産すると一雪鼻更1ゲルの錯撮﹄︑自己意識の﹃獅學
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的企業家達﹄によるか︒x為絶荊滞紳の﹃搾取﹄︑自己意識の繼承者達の﹃競季的經瞥﹄に對する抗議﹂言柘︶・・とし
てドイツ・のイデオロギーへの批判を展開する︒彼等は云ふ︒﹁人間は従来自分自身に開して︑即ち自分が何である
〃か︑叉は何であるべきかについて州逢った槻念逓抱いて來たP祁とか規範人等に腿する彼等の槻念に從って彼等は自
己の諸開係症規律して來た︒彼等の頭脳から生れ出たものは大きくなって彼等の手に負へなくなった︒彼等の被造物
・の前に創造者たる彼等は身を屈した︒我交践彼等と彼等がそれ等の姪椎の中で岬吟してゐるところの幻影︑観念︑猫
〆
断︑︑空想の産物から解放しよう︒我凌はこのような思想の支配に對して叛逆しよう︒﹂︵註︶・と︒
︵註1︶丙緯匙昌自周匡艮司尾冨曽里︺圃匡鴨冒己の﹈・胃爵帯弓自昌ざ隠鬮.
︵姓2︶号筋のぎの叩己冨今の言い号⑦国の畠○四の.︑圏伊.︑
︵註3︶邑月印陛ご魚夢匙..の画画瞬
︵註4︶ユ昌駕毎魚号匙.印酌軌鯨
.︵注5︶角の易⑦写硯夢匙︒
︑函の鯨
︵註も︶.輿胃駕写里号壁.︑の1m﹄戸
︵注7︶ユ2.帯写魚号蔓.︑騨苧fの函P
︒︵註8︶力︑︲ル︑マルクス︑フリードワッヒ・エンゲルミFDイッチミイデオロギー︲︑﹂三十七頁三木活課
〃︵朧9︶︵ず鼠呈一︶急弓三・め酌mlm的P
︵註叩︶号勗のぎわ︾琴屋︒⑳鼠鄙jくい申麗.
︒︵註皿︶全員器淳児夢建.の樗山cjIの鼠F
︽︵涯哩︒B︶包胃駕写魚夢二・の可式
・・︵註酔︶力Lル︑マルクス︑フリードリッヒ・エンゲルス︑﹁ドイッチエ︑イデオロギ・I︑﹂四十六頁三木清課
︵駐修︶且の扇の写の琴蔓.︑得の卸
︵注妬︶のg露昌&︑是g5R芽匙の占部
︒︵駐〃︶丙勇呈昌胃崗冒匙吋再一旦1号園長勺青冒命号厚冒胃国の旦逼のく○国●の︵呑留.
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四
︒以上の新ヘーゲル派へのイデオロギー批判についでマルクス・エンゲルスは云ってゐろ︒﹁天上から地上へ降りて
來ろドイツ哲學とは全然反對に我交は地上から天上へ昇る︒即ち我盈は人川が語り︑想像し︑表象するところのもの
から︑叉は語ら知︑思惟され︑想像さ伽︑表象されたる人間から出發して︑やがて肉体淀もった人川に別逹するので
・はなく︑現変に活動してゐる人間から出發し︑彼等の現蛮的江生活過程からしてこの生活過程のイデオロギー的な各
睡の反影と反響との發展症も亦記述する︒..⁝⁝・前看の見方に於ては生ける佃人としての意識が出發鮎とせられるに
對して︑後肴の現在に適睡した見方に於ては︑現蛮的な生ける仙人そのものが出發鮎とせられ︑この場合意融は車に︑︑︑ /ゞ彼等の意識としてのみ見られる︒﹂︵注I︶﹁現在的な生活に於ては思涛のやむところヂ現変的な︑滋證的な科學
が︑即ち人間の滋践的活動の︑溌践的な發展過樫の欽述が始まる︒意識に關する思嶽はやみ︑現置的な知識がこれに
杙ら芯け郡ぱならない︒﹂︵註2︶と︒
彼等はかくして現蜜的な諸前提症自らの思惟の出發軸とする︒然も彼等のイデオロギー批判の出發鮎はフオィェル
︑ハッハに從つた宗數批判であり︑これによって彼等はその方法論上の節一次的韮礎を確立したのであった︒
フオイエル今ハッハの宗教批判の課題は宗教的祉界症その現世的基礎に解消することに存する︒︵註3︶從ってその
究極に於て發見さいたものは人間であり︑彼に於ては︑宗教的本質は人州的本愛に解消せられ︑﹁祁學の秘密は人間
學であるp﹂経4︶と結論つけられてゐろ︒然も彼は宗敦に於て人Ⅲと動物との根本的蓋異を認めろ︒この宗教自体
が麓は人間の本黄の自己の内部に於け一つ投影として人間によって作られたものであり︑宗敏が人間症作ったのではな
い︒祁的本伐とは現疫的な人間の制約より解放せら伽て對象化され︑崇拝された人川の本礎以外の何物でもない︒宗
教は人間の本質的規定を人間自らが自己疏外ぜしめることによってそれを猟立の存在本愛として赫格化するところに
壱名即ち﹁人間は彼の本瞳を對象とし一﹂後︑再び自己をこの對象化された一つの主体︑一つの人格に迄郷化さいた
本礎の對象とする︒﹂︵註邑乙型に人間の本礎が祁格化せられ︑人間と肺咋對する從來の個値の縛倒がなされろ︒﹁︑︑︑︑︑︑︑︑反宗教的批判の基礎は︑即ち人間が宗教を作るのであって︑︽雰独が人間症作るのではないと云ふことにある︒﹂急6︶
洲の本礎は霞は人間の本愛であり︑か型る人間の宗激的桂怯よりの陳理的な解放によってのみ眞に人川の主体性は碓
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立せられる︒人間のみが人冊にとっての妓高の存在である︒︑︑︑︑︑以上のフオイエルパッ︿の宗激批判に對して︑マルクス・エンゲルスは﹁ドイツにとって宗教の批判は本質的に経
〃結逓告げてゐろ︒﹂︵註7︶と云ってゐろ︒﹁宗教は抑唾せられた活き物の嘆息でありも又それが魂な・き状態の魂であ
も︑ろと等しく︑そ伽は無怖の仙界の感蒲である︒即ちそれは民衆の阿片である︒﹂︵註8︶
従って﹁宗激の批判は人間逓迷から醒めしめ︑そ伽によって人間が一人の墨醒し︑.理性に達した人側の如くに︑考
へ︑行ひ︑自己の現変性逓形造り︑叉それによって人間が自分自らの周園逓︑そしてそれによって彼の現斑の太陽の
周囲猛廻ろ様にしてやるのである︒﹂︵註9︶
それ故に宗識の批判こそ一切の批判の前提と考へられなければならない︒こきにマルクス︒エンゲルスは︑イデオ
ロギーの批判が︑一のイデオロギーに他のイデオロギーを︑一の理論に他の理諭逓對立せしめることともって始めら
るべきではなく︑・あらゆる理論︑凡てのイデオーロギーの現斑の土台を吟味することをもって始められるべきである︒︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︵柱︑︶と云参乙とを自発した︒彼等は云必︒﹁眞理の彼岸が消え去った後には.此岸の反理を設定するといふ事は︑寸︑︑b︑︑︑︑︑︑︑︑︑歴史の任務である︒そ︽して人間の自己疏外の祁聖な姿が而被を剥が匁七了った後には︑先づ第一にその祁聖ならぬ姿︑︑︑︑︑に於ける自己疏外の正体を見届けることが︑歴史の御用症努める哲學の任務である︒かくして天國の批判は地上の批︑℃︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑︑
判に︑宗教の批判は法律の批判に︑祁學の批判は政治の批判に愛じて來ろのである︒﹂︵註皿︶と︒かくし一﹂マルクス
・エンゲルスの全目的は.﹁丁度フオイェル等ハッハの宗数批判の場合に於けると同じ〃へ宗殺上及び政治上の諸問題
を自己意識ある人間形式に持ち來すこと以外にはあり得ない︒﹂︵註旭︶のである︒
然し乍らフオイェル︒︿ツハは例ひ宗激を人間に隷脇させてゐるにしても︑尚彼が人間と動物との本質的差異症宗激
に求めてゐろ限り︑未だ眞に宗敷よりの人間の解放に徹底してゐるとは云へない︒然も彼がそれに祁學を解消せしめ
んとしたところの人間學に於て把握した人間は未だ抽象的︑観念的人間存在の域を晩することは出来ない︒﹁人州は
動物の如く限定せられた感麩論者ではなl︑絶封的な感蝿論者で彗智︒と云ふことに於てのみ人間でみる︒﹂︵註吟︶と︑︑︑︑云ってゐるように︑彼も亦人川をその感性的存在柵迭に於て規定してゐるにも拘らず︑感性を麓践咽な人間的︑感性
的活動として把握してゐない︒段り從ってフオィェルパッ︿は︑﹁キリスト激の本質﹂の中で︑ただ理倫山な態
度のみ荏腫正に人脚的な態度と兄て猛り︑これに反して役職は︑ただその識いユダヤ人的な現象形態に於てのみ提へ
〆一四三
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ら郡︑問定されてゐる︒それだから彼は﹁錐命的な﹂︑濟践帆︑批判的茨活動の煮義と把振してゐない︲のである︒︑︑︑︵溢巧︶彼の所謂人間學賦︑一︑雁史的過程から抽象して宗職鯏精操をそいだけ同定し︑且つ一向抽象的︑孤立的︑︒︑吟︑人間的佃休を前提してゐお︒二︑本獄はそれだからただ﹁征﹂として︑内的な︑賑獄だ︑多數の個人滋同然的に結合
げ
す名普遍性として捉へられ得るにとどまってゐる︒晨酉その限り彼は未だ眞に人間の本質︑人間の存在樅造を現
鐡的に把握することは出來ないであらう︒從ってフオイェルや︿ツハは︑﹁現蛮的な或ぱた画それに汝が對立するとこ
ろの我であり︑そしてこの着自体は他の我に對しては汝であり︑客体である︒然るに観念的な我にとっては︑客体一J般が存在しだい如く︑如何なる汝もまた存在し江い︒.﹂︵註Ⅳ︶と云ってゐるにも拘らず︑彼が把握した人冊存在の本
質柵造としての我l汝の關係は未だ抽象的︑概念的︑非在践的な把握の域を脱却し得毒い︒と上にマルクス・エンゲルスはフオイェルバッハに扶袖する︒・
グ
︵註1︐2︶六色昌冨曽・〆匡員一句﹈帝︵言三画一驚毎口﹄の号二屋︾胃冨の巳侭冒の愚lめ葛.
︵註3︶カール・マルクぞフリードリッヒ・エンゲルュ︑ドイワチエ・イ会オロギ︑三十二頁三木清鐸・
へ註4︶|冒昏垂侭弓の胃・一言冨言く○﹈・宮昌曇幣︑票$g賢二.詞旦昌.日号︺.固三さ︑暑罫命.m画隠.聾の具言言二討つ︺●胃﹈国一・
︵註5︶︵青一・mの夢魚ロ昆身ご隅呂︵き○ず爵ざ匡言旨・の韓郭の胃己農昌の乏宮宍⑦.ご字﹈皇.
︵註6︐7︺カール・マルクス︑ヘーゲル法律哲學批列︑四百四十頁︑改遥砒版マルクス・エンゲルス全集第一繕
︵註8︐9︶同上掲書や四百四十一頁
︵註︑︶三木清署︑人間學のマルクス的形態二千二頁.箸作集錐三巻
/︵註皿︶カール・マルク為ヘーゲル法律哲學批列四百瓜十一頁
︵註哩︶同ル・Iゲに與ふ︒四○九頁︑奎集︑第一巻
︵註咽︶国己君億国畠の罵言の再三言建①再号眉包2房旨届く︒属国⑦弓冒見解︵常琶蜀言爾呂昌曼の①回.︑患P
m浄臼己建言岸の皇弓⑦罠斥の︒冒園g
︵註踊︶力・〃・マルクュ︑ブリ・Iドリッヒ・エンゲルス︑ドイワチエ・イデオロギー三十三頁三木清課
︵註疹︶同.上掲霄三十二頁. ︵註妬︶同・上掲霄三十三頁心
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マルクス・エンゲルスは云ふ︒﹁我だの出發点たる前提は決して勝手氣僅なものでも芯け伽ぱ︑渦断でもない︒そ
れは想像によってのみ抽象され得る現醗的な諸前提である︒それは現迩的な諸個人や彼等の行動であり︑更に彼等の
前に所與として見出される許りでなく︑彼等自らの行癒によっても形成せられ一つところの彼等の物質的な諸條件であ
る︒⁝.:凡そ一切の.人間史の鉱一次的な前提は云ふ迄もなく生きた人間としての諸仙人の生存である︒﹂患1.︶と︒
然も彼等がその前提とする人間は︑﹁何等か空想的に封鎖せら畑︑同定せしめられた状態にある人間では芯くして︑
一定の諸條件の下に経験的に直観せられることの出來ろ現蛮的な發展過程に於ける人間である︒﹂展2︶この人間を
彼等ほ牡會的生産關係の中に現霞に生産し︑・生活する主体として理解する︒彼等にとっては牡會的に生産しつLある
人間が︑従つで人間の祗會的に規定せられた生産が出發点である︒﹁人側は意識により︑宗教により︑その他勝手な
︑︑ものによって動物から厘別せられる︒然し乍ら人間自らは︑彼等が生活手段と生産し始めると同時に︑自己を動物よ
り鹿別するように江る︒﹂︵註3︶即ち人間は︑かAる静働的生産性なる自己の基礎経験に基づいて本愛必然的に祗會
約諾關係の中に存在する︒﹁人州は彼等の生活の吐會的生産に於て︑一定の・必然的の彼等の意志より渦︾必した關係
に入り込むのである︒﹂愚4︶然も人間の生産は単に物賀的な鍔働生産につきるものではない︒﹁概念︑表象︑意識
の生産は︑先づ第一に人間の物筑的活動及び物筑的交通の中に︑現蛮的生沽の言葉の中に直接に織り込ま伽てゐる︒l
人間の表象作尉︐思惟作用︑緒艸的交通はこ上ではなほ彼等の物筑的行勤の直接咽ぶ流出として現はれる︒⁝⁝芋.:.
人間は彼等の表象︑概念等共の生産者である︒然も乙上に所捌人間は︑彼等の生産諸力と︾てれに對應する交通の一定
の發展によって制約さ師てゐるところの現蛮的庵行動しつ上ある人川である︒﹂屋ら︶從って人間の表象や概念.
即ち芯融は人間仔在によって.彼等の祉獅的生産識捌捗江韮休とする此御闘係に於ける存在状況によって規定せら師
る︒意批とは意餓さ郡た存在以外の何物でも断じてない︒そして人柵の存在とは彼等の現迩剛な生液過程のことであ
一四五
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︵註Ⅳ︶厚農一三陀慰@厘の号息一罵声号ハ︺再いや営芦冨房目.制冒艮昌南吾の﹄や雷言日勗.胃︶ぬ︒眉一苛扇旨・︼寄乱の宮屋涌学具畠の
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乏爾のg辱の号昌︑留置.聾のE屋号の言⑦爵①〆切今五
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お︒︵註6︶と上に﹁人間の表識が彼等の祇命的存布乾規定す﹄︽のでは注ぐして︑人間の就含的武存在が雄等の憲識
を規定する︒﹄︵詮7︶と云ふマルクス主義の根本的立場が共礎づけら弧ろ︒かくして人間の意識は肺御の上部榊遥と
涯り︑肺會そのものは意識の下部榊遥となる︒こ上に所訓耽含とば抽象的︑獅念的な一般者としての意味に於けるそ
れではなくして︑生産及び交換の諸關係の總体︑即ち肚禽經演的諸腺係の総体に外芯らない︒趾會の經濟的構造こそ
一定の祗會的意識の存在形態を規定す﹂︒ところの現狂的土台に外ならない︒この意識に對する存在の優位︑即ち祇禽
の經濟瀦迭の意識︿の規定性は︑庇は人肌の生活上の韮礎維験にその術迭上の基礎ともってゐろ︒元來j人間に於
て︐﹁凡そ生活の中心をなすものは︑就中食録こと︑飲むこと︑︑住ふこと・茜﹄っ乙と︑その他尚若干のことである︒
それ故に第一次的な歴史的行爲は︾汎等の欲望症充足す︾勺ための手段の康出︑即ち物愛的生活そのもの上生産噂あ
る︒﹂経8︶換言すれば︑﹁・人類は政治︑科學︑藝術︑宗教等の生活を誉み得る以前に︑何よりも先づ食べ︑炊み︑
住み︑着なければなら族い︒﹂︵註9︶
以上の如く︑マルクス.・エンゲ左スに於ては人間の概念や表象︑即ち意識は下部構造としての祗含の經濟的体制の
反影p反射︑即ち上部織避として規定せらいる︒從つて人間の観念や表象︑具体的に云へぱ﹁︲宗教的褥學的︑その他
の概念方法の︑至上部榊造は︑結局に於てこれから説明せら肌なければならない︒﹂晨幻︶かくし七彼等は宗敏も︑
道徳も︑形而上學も︑科學も︑藝術もすべてか上る肚會經濟的体制によって存在的に規定せら奴てゐるもの︑即ちイ
デオロギーとして理解する︒彼等が乙良に所謂イデオロギーは︑フランス感蝿論諏學に於けるイデオロジーでも芯け
れば︑ドイツ観念論.就中新ヘーゲル派祈學に對して彼等がその槻念的反動性の故にそれを非諾する意味で呼稲した
ところのイデオロギー概念でもない︒それはマルクス・エンゲルスが﹁特殊的な﹂ドイツのイデオロギーと塵別し
蕪︑特に﹁イデオロギー一般﹂︑﹁総イデオロギー﹂︑﹁全イデオロギー﹂と呼んでゐるところのものである︒愚皿︶
然も道徳︑宗寂︑形而上學︑科學︑藝術等のイデオロギー一般︑或は全イデオロギーは︑それが將にイデオロギーで
ある限り︑そ伽自体猫立者としての外槻ともつことは出來涯い︒﹁物愛的生産と物礎的交通牡發展せしめつ上ある人
間が︑彼等の現渡と共に︑彼等の思惟と思惟の諸生産物を鍵化するのである︒|晨哩︶﹁凡ゆるイデオロギーの中に
於て︑人間及び彼等の諸關係が︑・怜もカメラの暗箱の中に於てのように︑逆立して現は伽るごとがあ為としても︑こ
の現象は︑網膜の上に於ける對象の倒立が︑人川の直接に物理的な生活過程から生ずるのと全く同様に︑人間の雁史
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Ⅲ 川 肌 山
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存在するものはすぺて不断に流動し︐生成しつ上あるものであり︑運動ごそ一切の存在の本鷺である︒從って我盈
はすべての形成せられた形態を運動の流れに於て︑即ちその経過的方面と追求し︑把握し芯ければならない︒経1︶
然も運動自体が一佃の矛盾であり︑矛盾の不断の設定と川時的解決とが即ち運動である︒かくして現麓的世界の韮
礎はそれ自体その矛盾に於て理解せら伽なければならない︒︵註2︶単なる形而上畢的思謡に立つ限り我糞は︑個凌
の事物に捉︿られてその聯開遊忘れ︑その存在に捉へられてその生滅逓忘伽︑靜止昨捉へら師て蓮動を忘れ︑畢党単
に樹木莚見て森を見ない︵註3︶結果に陥入一名乙上に我為は現蛮仙界の認識に於て糯證法的思帷に立たなければな
一四七
● 的な生活過程から生ずる︒﹄愚もかくしてマルク守︿・エンゲルスは唯物癖證法と唯物史槻とによって︑イデオロギーの祇會的存在緋造とその愛革と魅説明する︒
︵註1︶局胃胃昌胃Hご昌園再一⑦号一号園長の塚冒⑦︹冨儲句言国gざ唾⑦.四@.︵溢2︑〃3︶全①扇のぎの︑ご匙.の﹈P/
︵姓4︲︶丙鈎匙冒胃例閑嵐戴斥号弓宮冨四号go島go目の.閏﹄ぐ..
︵註5︐6︶局員﹈冒胃闇屋昌蜀胃号耳鼻圃口噌嫁夢匙.曾舎
︵註7︶丙釦堅冒胃削凄匙.の日ぐ︒
︵註8︶嵐包ユ冒胃掛巨口邑弓﹄・一畠藍号固侭勺冨.号塁・の弓.
︵註9︶フリードリッと・エンゲルス︑マルクス孟葬の齢︑六百六・十九頁︵改造献阪全集︑錐十二巻︶
︵註加︶同︑反デューリング論︑二百千五頁︵同第十二唇︶
︵註皿︶森戸辰男︑マルクス・エンゲルスのイデオロギー慨︑︵大原肚含問題研究所雑誌鏥六窓言ご
︵詮哩︶悶胃得冨胃擬声且副胃号呉号国匡需毒冒⑦号匡騎の言旨のC昌○蝿の.の臣.
︵姓喝︶全角諮夢魚等匙︑得群
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らない︒即ち鍼證法は事物及びその概念Mな映像症︑本
召握する︵註4︶從ってか上る嶽證法哲學はいやしくも窮極的絶對的興理と鞭その眞理に適合する絶對的人Ⅲ生活状
態とかいふものに開する概念とことごとく絶滅せしめてしま鼻のである︒この折︑學の前には窮極物︑絶對物︑祁聖物
は一切存在しない︒そ伽は説有の死滅性牡示す︒そしてその前に在るものは唯生成と表滅︑無限に低きより高き︿進
む︑永劫不断の過挫のみでぞっ︒︵註5︶從ってそいは現存せるもの上H定的な理解の中に︑同時にその否定の理解︑
︾ての必然的没落の理解を含むものであり︑生成せる一切の形態を蓮励の流伽の中應従ってまたその經遜的な側面に
從って理解するものであって︑何ものとも恐伽す︑その本礎上批判的で難命的なものである︒︵註6︶然もマルクス
主義に所謂辮證法はヘーグル涛證法を郷倒したものに外ならない︒即ちマルクスは云ってゐる︒﹁私の辮證法的方法
ばその根本に就てヘーゲルの方法と異ってゐるのみならず︑その正反對である︒ヘーゲルにとっては思帷過程が現恢
的なるものL進物主であって︑現在的なるものは思維過程の外的現象荘成すに外ならないのである︒しかも彼は思惟
過程を理念といふ名孵の下に獺斗の主体に郷化する︒私に於ては逆に理念的抵るものは人川の頭脳に縛移し︑翻詳さ
れた物寅的なるものに外ならない﹂涯7︶と︒乙典に於てマルクスはか上る嶽證法的思惟形態駐方法として人間祇
會に開する岐高の科學的思想としての唯物史槻を確立する︒
唯物史槻の根本的規定は︑﹁人間の意識が彼等の存在を規定するのでは芯くして︑反對に人間の祗會的存在が彼等
の意識を規定するo﹂︵註8︶と云ふ命題である︒エンゲルスも云ふように︑﹁これによって理想主義はその雌後の逃
避川たる歴史槻から追放され︑唯物史槻が生じた︒從來の如く人間の存在をその意識から説明するので稚く︑人間の
●生意識をその存在から説明する方法が發見さ帥た﹂︵註9︶のである︒・
元來一切の存在は愛化を本蹴としてゐる︒存在の鍵化とは一般的に云って単に一つの堂から他の堂への行樫である
許りで芯く︑更に量から残︿の行程及び愛から量︿の行程である︒即ちそ伽臆他のものと江ること︑換言すいば徐盈
性が中断して既存の疵在に窓醒叩な鍵化を生ずることである︒從って我盈の生活する現査の世界も亦既に完成されたも
のとして存在するのではなくして︑云は蛍過程の集合体である︒從ってマルクス・エンゲルスの所訓基本的範鴫とし
一﹂の經濟的祗禽構造もまた︑歴史的に規定せられた澗自の砿會描造の物筑的基礎部分として.同時に一切の祗禽構造
の歴史鮒特殊形態を貫徹して無限に發展するところの物衝的生産過膣の複合体として把握さる今へきものである︒さう︑↑
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一四八
來聯關として︑連級として︑運動に於て︑その生滅に於て把
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してかように祁握される物礎的生産過程はその一般的蔵溌展諾法則によれば︑その對立的な榊成因子たる生床諸力と
生産諸關係との交五作用駐内的動因とする無限の自己邇動であるばかりでなく︑さらにこの自己運動そのものが自然
構造の運動と少しも異なるところなく︑しばしば飛躍︑カタストロフ︑鍵龍を作って進行するのである︒︵註四従
って經濟的砿會構造の發展は本礎必然的に辮證法的運動法則によって一貫された自然史的行程として把握され蔵けれ
ばなら涯い︒こ上に人間壮會の雁史的法則を把握する肺禽科學的方法としての唯物糯證法逓基体とする唯物史観の方
法論的優位性がその對象自体の本質的溌造に即して規定せられる︒
唯物史観は現在の生産過程を︑直接袖涯生活の物質的生産から出發して展開し︑そしてこの生庵様式と聯關し︑そ
れから産出せら飾る交通形態症︑從ってまた極糞っ段階に於ける市民肚命と歴史全休の基体として把握し︑而してこ
の市氏祗會を國家としての活動に於て叙述し︑更に意識の種掩の理論的厳出物と形態との全休たる宗激︑折學︑︑道徳
等凌を市民祗會から説明し︑それ等の成立過程を市民牡禽の極変の段階から跡づけろ︒︵註Ⅲ︶從って唯物史観に於
ては例へぱ法律關係や國家形態は︑それ自身から理解されるものでなく︑叉所謂人間精祁の一般的發展から説明さる
ぺきものではなくして︑むしろその全休はへ1ゲルが市民祗會と名づけた物質的生活關係の中に根擴をも2﹂ゐろと
続論づけられ﹄名驫吃︶元來人柵は彼等の生活の壮會的生産に於てγ一定の︑必然的の︑雌等の意志より猫立した
幸關係に︑即ち彼等D物質的生産力の一定の發展段階に對應するところの生産關係に入り込む︒これ等の生産關係の總
和は肚會の經濟的樅造︑即ち現避の韮礎駐榊成し︑この上に法徹上︑政治上の上部僻迭が沸築せられ︑且つ一定の壮
禽窓細り形態が對應する︒物質的生活の生産方法は祗會的P政治的︑及び緒神的生活過程一般を規定する︒︵註巴︶
かくして唯物史概は﹁生産及びそれについではその生産物の交換が一切の牡含制度︵祗含桃序︶の韮礎であり.:..︾︑
凡ゆる祗命的鍵動及び政治的革命の窮極的原因は人間の頭脳の中に︑即ち永劫の反理や正義に對する人川の知見の増
進に求めるぺきでなく︑/密に生産方法や交換方法の鍵化に求むぺきである︒﹂︵註瞬︶と云参命題症一切の思惟の出發
皇点とする︒夫故に唯物史観は概念凋史棚の如く︑各時代花通じて唯一つっ範哨と探求すること淀必要とせす心何虚迄
も常に現庇的な歴史的地盤の上に止まり︑溌践を理念から説明しないで︑却って概念の諸形成物を物斑的賛践から説
明するのである︒﹂︵註腸︶︑
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一四九
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以上の如く唯物史観によ弧ぱ︑吐曾の經濟的構造が肚禽自体の下部榊迭であり︑これに規制せられて上部構造とし
て︑祗會の法律的︑政治的体制や︑一定の祗會懲識が術成せられる︒レーニンが﹁丁度ダーウィンが⁝・・・種の可塗性
とその祁充川の遺徳性と淀確立して︑初めて生物學逓完全な科學卿韮礎の上に据えたやうに︑今ルクスは︑⁝:.所與
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フリードリッ正・エンゲルス︑反デューリング論一二○頁︵.改造批版マルクス・エンゲルス全築第十二窓︶
同上掲番︑一二二頁〆◇
同ルドキッヒ・フオイエルバッハと凋逸古典哲學の纒未八八二頁︵改造紅版全集︑錐十二砦︶
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フリーFリッヒ・エンゲルス︑反デューリング論︑二一五頁
ワヤヂノz力︐︲ル︑マルクス︑こ四頁︵岩波文庫版︶
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カール・マルクス︑ヘーゲル法哲學批到の序︑︵改造融版全集第一念︶
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一フワードワッヒ・エシゲルス︑空想的枇含主鑑と科挙的祇會主義︑五六四頁︵改造祗阪全集第十二巻︶
同︑反デューリング論︑四三五頁︑︵改造融威全集第十二鱈︶
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