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子和田冨り 藤村童話の分析がどう 夜明け前 論に結び着いているか その微妙なつながりに注意しておきたい (二九四頁)と長編小説との関わりの中で藤村童話に触れるばかりで 残された問題の中から には取り上げていない そして 瓜生清が 近代作家研究辞典 島崎藤村 の項(桜楓社昭58初版 同60改訂一九四頁

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Academic year: 2021

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藤村童話研究史の傾向

椙山女学園大学研究論集 第33号(人文科学篇)2002

はじめに

 藤村の作品の内、藤村童話とは、彼自身が〈童話〉と認め、童話 叢書に収めた『幼きものに』大正6(一九一六)年〔藤村童話叢書 四篇 昭16(一九四一)年〕・『ふるさと』大正9(一九一九)年〔同 二篇 昭16〕・『をさなものがたり』大正13(一九二三)年〔同三篇 昭16〕・『力餅』昭和15(一九四〇)年〔同一篇 昭15〕の四作品 を指すとみて考察する。

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藤村文学研究における童話の位置

 藤村は、明治5(一八七二)年旧暦2月17日(新暦3月25日)、筑 摩県第八大区五小区馬籠村(現在、長野県木曽郡山口村字神坂)に、 この地で代々庄屋・本陣・問屋を兼ねた旧家の島崎家に、17代当主 の父正樹・母ぬいの四男として生まれ、春樹と命名されてから、昭 和18(一九四三)年8月22日大磯で永眠するまで、明治・大正・昭 和に亘る72年間を生きた。初めて著作が雑誌に掲載されたのが、21 歳(数え年。以後すべて数え年で表記。)の時で、明治25(一八九 二)年1月2日発行の「女学雑誌」への翻訳文および小論であった から、ここから数えても、執筆活動は52年に亘り、特に、明治30年 26歳で『若菜集』を出版して浪漫主義の新体詩人の代表格となり、 同39年35歳の時『破戒』を自費出版して自然主義作家と称され評価 を得た。その後、昭和初期に興った円本ブーム以降、作家としての 経済的成功を見る。そして、昭和10年64歳で日本ペンクラブの初代 会長に就き、72歳で没するまで務める。 そのためであろう。これまで藤村とその文学の研究は盛んに行わ れ、研究史や展望が幾度も試みられている。例えば、佐々木雅發は 『島崎藤村』「解説──島崎藤村研究史──」(日本文学研究資料叢 書 有精堂出版 昭46・2初版・同48・4再版 三一八頁)で、そ (1) れまでに試みられた研究史のおおよそのものを列挙した後で、〈「破 戒」評価の変遷〉を中心に〈研究の現状〉を示すし、中島国彦は『島 崎藤村Ⅱ』「解説──今日の藤村研究・明日の藤村研究──」(日本 文学研究資料叢書 昭58・6 二九三頁)で、藤村童話も収める筑 摩書房版『藤村全集』の刊行が寄与した研究の進展を示すけれども、 いづれも『春』や『夜明け前』を中心とした研究の進展と反省であ 三九

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子 和 田 冨 り、「藤村童話の分析がどう『夜明け前』論に結び着いているか、そ の微妙なつながりに注意しておきたい。」(二九四頁)と長編小説と の関わりの中で藤村童話に触れるばかりで、〈残された問題の中か ら〉には取り上げていない。 そして、瓜生清が『近代作家研究辞典』「島崎藤村」の項(桜楓 社 昭58初版・同60改訂 一九四頁)の【研究の展望と指針】に示 されるのは、伝記研究・作家論の他、作品研究では、『若菜集』をは じめとする詩集と『破戒』『新生』『春』『夜明け前』という長編小説 を中心とした作品論とそれを論じるための紀行・随筆の研究が展望 されるのみで、「その他、長編小説の谷間を埋める『食後』『微風』 等の短篇集の分析、童話・『新片町より』等の感想集についての解明 など、細部にも問題は残るが、今後、藤村文学の展開を串刺しにす る視点の確立をめざした活発な議論が望まれる。」(一九六頁)と、 童話は細部の問題という扱いをされる。 更に、十川信介も「日本現代文学研究必携」「島崎藤村」の項(「別 冊国文学・特大号」昭58・7 学燈社 六一頁)の「今後の研究課 題」で、「そのほか、長編と短編、小説と童話の相関関係、自伝的長 編における実生活の虚構化の問題などにみられる藤村の小説作法や 思考のパターンを探ることも重要である。」(六九頁)と、小説との 関わりで童話を考えることを示すばかりである。 時代は平成に移るがその傾向に変化はなく、遠藤満義は「新・現 代文学研究必携」「島崎藤村」の項(「別冊国文学」44 平4・11 五九頁)の「研究の現在」で、「童話に関しては飛田文雄『藤村の童 話 その位置と系譜』(双文社出版 昭58・4)が出た。」(六三頁) と紹介するのみで終わっている。 薮禎子の「藤村研究史」(『透谷・藤村・一葉』明治書院 平3・ 四〇 7 一八九頁)では、再び藤村童話に触れることなく、詩と小説中 心に論じられる。 そして、有精堂編集部による『時代別日本文学史事典 近代編』 (有精堂出版 平6・6)が刊行されたが、児童文学の項はなく、藤 村の記事にも童話は触れられていない。 木戸雄一も「島崎藤村」(全国大学国語国文学会編「文学・語学」 165〈特集〉平成十年国語国文学界の展望(Ⅱ)〔近代〕平11・10 三 八頁)で、『夜明け前』『新生』論を紹介し、その他の作品に関する 論は少ないと述べるばかりである。 このように、未だ作品論では詩と小説が中心で、藤村研究におけ る童話の位置は低い。 一方、日本の近代児童文学史の側面から、五十嵐康夫は「児童文 学この百年の流れ」(「国文学解釈と鑑賞」61─4〈特集=児童文学 この百年〉至文堂 平8・4 一〇頁)で、「藤村が、童話を書き始 めた大正期の初めは、近代日本児童文学の黎明模索の時代でもあっ たわけであ」(一二頁)り、大正期の児童文学は、島崎藤村・田山花 袋・徳田秋声・与謝野晶子・野上弥生子という当代の人気作家五人 に書き下ろしで依頼した、藤村の『眼鏡』をはじめとする「愛子叢 書」(実業之日本社 大2)5冊から始まり、「大正期の日本児童文 学は、童話・童謡の黄金時代であったといえよう。」と評価する。 菅忠道は『日本の児童文学Ⅰ 総論』(増補改訂版 大月書店 昭 31・4初版・昭47・4増補改訂版4刷)で、大正初期の「過渡期の 児童文学」として、「愛子叢書」を児童文学の新しい転換の具体化に 寄与したと位置付けるものの(八二頁)、「日本の児童文学の近代的 確立のために、自然主義派の詩人・作家たちの仕事は、ほとんど反 映されなかったといっていい。」(八六頁)、彼らの児童文学は、「小

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藤村童話研究史の傾向 説としての物語的構成は、きわめて弱い。」(八八頁)と指摘する。 さて、『眼鏡』出版の4年後、藤村は『幼きものに』(実業之日本 社 大6)を出し、「赤い鳥」創刊号(大7・7)掲載の童話「二人 の兄弟」をはじめとして、「小学女生」「金の船」「小学少年」「小学 少女」「婦人之友」「婦人公論」「少女界」「女性改造」「小学男生」他 の雑誌や読売新聞等に短編童話を載せつつ、『ふるさと』(大9)、『を さなものがたり』(大13)を、ほぼ3年おきに刊行。そして、17年後 の昭和15年に「藤村童話叢書」と銘打って第一篇『力餅』を刊行し、 翌年、第二篇『ふるさと』・第三篇『をさなものがたり』・第四篇『幼 きものに』として初版を一部改変して収め刊行する。 その『ふるさと』が発行された頃、子供であった久保田正文の「あ あいつかまた相逢うて」(『藤村全集』月報11〔第9巻付録〕筑摩書 房 昭42・7 七頁)から、(引用に際し、旧漢字体は新漢字体に改 め、促音表記は現行の小文字表記に改めた。傍点 ヽ は、冨田による。 以下、同じ。)  父が、童話集『ふるさと』を買ってくれたのは、私が小学校三 年生のときであった。校長会で、飯田の町へ出たときのみやげで あった。そのあとで、『幼きものに』も買ってきてくれた。『をさ なものがたり』の刊行されたときには、私はもう六年生であった から、新聞か雑誌かの広告でその発刊を知り、振替用紙で出版社 へ金を送ってとりよせたはずである。 かぞえ年十歳のムスコの私に、『ふるさと』を読ませようとした ころ、父はじぶんでは『新生』をよんでいなかったはずはないと おもう。すくなくとも、その〈事件〉を知らなかったはずはない。 しかしそういうことに関係なく、あの童話本を私に与えたのは、 やはり郷土の先輩作家という親近感からであったのだろう。(略)  藤村の童話は、少年の私にそれほどおもしろかったわけではな いが、立川文庫や『少年倶楽部』にあまり親しみのなかった私は、 いくらか退くつしながらも、草の葉や木の枝や麦の穂で手製の玩 具や楽器をつくることを知っている少年たちの話などにそれなり の親近を感じたりしていた。 小学校六年を卒業の年、……飯田の町……へ出た私は、父のと りつけの本屋へ行って、新潮社版名作選集のなかの『春』上・下 二冊を買った。濃いセピア色の絹表紙の小型本であった。得意に なって家へ持って帰ったら、おまえが読むのにはまだ早い、といっ て母にとりあげられた。 と、藤村の童話は親にとってお土産としても、子供が自分で取り寄 せても、小学生の子供に安心して与えられるものであり、一方、与 えられた子供にとっては〈それほどおもしろかったわけではな〉く、 親近感は持つものの〈いくらか退くつ〉するものであり、それに対 して、藤村の小説の方は小学校六年の子供には〈おまえが読むのに はまだ早い〉とすぐさま取り上げられるものであった状況が窺える。 当時は与える親の側に、それほどの藤村童話への信頼感があった とはいえ、〈特集=児童文学の世界〉(「国文学解釈と鑑賞」48─14 昭58・11)では、「児童文学作家論」に、小川未明・壷井栄・千葉省 三・坪田譲治・新美南吉・浜田広介・宮沢賢治の七名が取り上げら れるばかりで、藤村は「作家の児童文学」の中に、芥川龍之介・有 島武郎・川端康成と並んで取り上げられる扱いを受ける。 そして、〈特集 = 児童文学この百年〉(「国文学解釈と鑑賞」61 ─ 4 平8・4)になると、「児童文学作家論」には、先の7名と、巌 四一

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子 和 田 冨 谷小波・塚原健二郎の合計9名が取り上げられるばかりで、「作家の 児童文学」は紹介されず、よって、藤村は取り上げられていない。 このように日本の近代児童文学史の側面からも児童文学作家とし ての藤村の影は薄くなるばかりで、現在もその評価に変化があると はいえない。 そこで、次項では、藤村童話の研究史を展望するために、作品論 のみにこだわらず、藤村童話について書かれた小論も視野に入れる。

2 藤村童話研究史

秋田雨雀は「『少年読本』を読んで 島崎藤村氏の近業」(「東京朝 日新聞」大13・2・17 6面「学芸」欄)で、三作目の『をさなも のがたり』を読んで、「上京後のお父さんの見聞から生まれたもの は、実に最も優れた東京の印象記でもあり、また最も平易な言葉で 書かれた国民史といふとも出来ませう。」「島崎さんが最期の芸術様 式を童話に選ばれたことは、島崎さんのためよりも、日本の子供及 び子供の芸術のために喜ばしいことです。」と歓迎する。 とはいえ、これ以前に『幼きものに』と『ふるさと』の二作があ るが、それらについて論じたものを見ることができなかった。 そして、藤村が64歳で、10月に「夜明け前」第二部が完結し、日 本ペンクラブ発会、会長に推されて就任する年、昭和10年2月21日 付の槇本楠郎「島崎藤村の児童讀物研究」(秋田雨雀編『島崎藤村研 究』楽浪書院 昭10・11 三四一頁)では、(傍点・は、槇本によ る。) とにかく『幼きものに』 (ママ) はは相当「人に読まれ」 た。そして三 四ニ 年後の大正九年(一九二〇年)十二月、『幼きものに』の十四版と 同時に第二著書『ふるさと』が出版された。これによって氏のこ の分野に於ける確乎たる位置が定まり、氏もまた励まされて、『を さなものがたり』(一九二四年)『藤村読本』(一九二六年)『藤村 少年読本』(一九三〇年)など漸次仕事を押し進めて行った。(三 四三頁) と、『幼きものに』が〈十四版〉を重ねる程、読まれ、近代児童文学 においても〈確乎たる位置〉が定まったと述べ、「〈童話〉……とい ふ用語を……日本で慣用の〈児童文学〉または〈少年文学〉の意味 に用いてゐる」(三四九頁)と指摘し、「興味中心主義または教訓第 一主義の〈童話〉……を否定して、何よりも芸術作品であることを 望み、その芸術的教化力を認めてゐるわけである。……藤村氏の児 童文学に関心を持った動機は生活力の萎靡沈滞からであったが、そ

の作家的活動は寧ろその当時のその領域に於ける開拓的な寄与と

なった。」(三五一頁)と指摘する。が、藤村の「児童文学観の不徹 底さ……のために氏の作品の発展性を阻止されてゐるやうである。」 (三六五頁)とみる。 小山東一は「童話作家としての藤村」(「文学」4─8 岩波書店 昭11・8 四三〔一六五〕頁)で、『幼きものに』『ふるさと』『をさ なものがたり』の三作から、「童話といへば直ちに面白い話をもった ものといふ伝統的な考へ方からすれば藤村の童話は面白くない童話 である。……散文詩として見るときに面白いのである。」(四八〔一 七〇〕頁)「藤村の童話の教訓が露骨なものでないといふことは、 ……又詩人の態度ともいへよう。藤村の童話は全部がさういふもの であるといってもいゝ。」(四九〔一七一〕頁))そして、「古くさい

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ユ ウ モ ア が 多 く 、 ユウ モ ラ ス な 童 話 作 家 と は 未 だ い ふ こ と が 出 来 な い 。 ﹂ ( 五 〇 ︹一 七 二 ︺ 頁 ) と 指 摘 し 、 が 、 ﹁和 や か な 愛 情 に 満 ち 、 静 か な 喜 び を 感 じ さ せ る 童 話 で あ る ﹂ ( 五 一︹一 七 三 ︺ 頁 ) と 述 べ る 。 こ の後 、 藤 村 は 昭和 18 年 8 月 に 他 界 す る が、 生 前 の藤 村 童 話 評 で 見 る こ と が で き た も の は 、 以 上 の 三 つ で あ る 。 更 に 、 前 田 晃 は ﹁ ﹃ 幼 き も の に ﹄ と ﹃ ふ る さ と ﹄ ﹂ ( ﹁藤 村 研 究 ﹂ 16 ︹ ﹃ 島 崎 藤 村 全 集 ﹄ 第 16 巻 付 録 ︺ 新 潮 社   昭 26 ・ 3  三 頁 ) で、 ﹃ 幼 き も のに ﹄と ﹃ふ る さ と ﹄ の間 のわ ず か 三 、 四 年 の間 に、 ﹃ 新 生 ﹄を 書 き 終 わ っ た 精 神 の解 放 感 ・ 安 堵 感 か ら ﹃ ふ る さ と ﹄ の 表 現 は より 立 派 な 童 話 集 の も の に変 化 し た と 述 べ るし 、 坪 田 譲 治 は ﹁藤 村 童 話 覚 書 ﹂ ( ﹁藤 村 研究 ﹂1 6  六 頁 ) で、藤 村 童 話 を 詩 と 同 じ 位 高 く 評 価 し 、 愛 情 の文 学 で あ る が 、父 親 の文 学 であ り、 ﹁そ の 形 でな く 、そ の内 包 す る 感 情 や 精 神 に 童 話 と し て の ロー マン ス 性 が あ る の で あ る。 ﹂ ( 七 頁 ) と い い、 ﹁た と へ 子 供 に面 白 く な く て も 、 そ こ に 特 色 が あ って、 そ こ が 珍 重 し て 読 ま れ る と こ ろ で あ る か も 知 れ な い 。 ﹂ と 述 べ る 。 こ の ﹁藤 村 研 究 ﹂1 6 の編 集 室 によ る ﹁編 集 記 ﹂ (八 頁 ) で、 ﹁ ﹃愛 児 叢 書 ﹄ 第 一 篇 と し て出 版 し た ﹃ 眼 鏡 ﹄ が あ り、 ⋮ ⋮ 自 身 の少 年 時 代 よ り 青 年 時 代 に か け て の経 験 を 取 材 の特 色 と す る藤 村 の少 年 読 物 の 中 で も 、 殊 に ユ ニー ク な 存 在 であ る。そ の中 の 或 る 部 分 は、 後 の ﹃ 力 餅 ﹄ の中 に 再び 取 り 上げ てはゐ る が 、 自 選 童 話 叢 書 の 中 か ら も 切 り 捨 て ら れ 、 そ の作 品 の 姿 や 内 容 に 就 て、 こ れ を 捨 てた 藤 村 の意 図 は 検 討 さ る べ き で あ る 。 ﹂ と 指 摘 す る 。 矢 沢 邦 彦 は ﹁藤 村 の 童 話 に つ いて ﹂ ( ﹁ 信 濃 教 育 ﹂800   昭 28 ・ 8 三〇 頁 ) で、 ﹃ 幼 き も の に ﹄ と ﹃ふ る さ と ﹄ を 評 価 し 、 ﹁藤 村 は芭 蕉 の 文 の単 純 化 さ れ て い て、 含蓄 の多 い こ と を く り か え し 述 べ て い る。 か れ は 童 話 を 書 く 時 で も そ の事 を 忘 れ な か った 。 し か し、 そ の半 面 に 、 読 む 少 年 た ち の こ と は 忘 れ ら れ て い る の で は な い か と 思 う 。 ﹂ ( 三 三 頁 ) と 、 藤 村 の思 い と 文 体 の隔 た り を 述 べ る。 塚 原 健 二郎 は ﹁童 話 作 家 と し て の藤 村 ﹂ ( ﹁ 文 藝 ﹂ 臨 時 増 刊 号 く 現 代 文 豪 読 本II > 河 出 書 房   昭 29 ・ 9  九 五 頁 ) で 、 童 話 の中 の言 葉 を と ら え て、 ﹁ い のち と、 光 り と、 光 り に向 って 高 く はば た く も の 。 こ れ こそ は、 明 治 二、 三 十 年 代 の ロ マ ンチ シズ ム の高 揚 し た 精 神 に さゝ え ら れ て成 長 し た 藤 村 の文 学 に 一 貫 し て 流 れ る も の では な か っ た か。 ﹂ (九 七 頁 ) と、評 価 の違 う 詩 や 小 説 と 童 話 の共 通 点 を 見出 す。 荒 正 人 は ﹁藤 村 論 に つい て ﹂ (平 野 謙 ﹃ 現 代 作 家 論 全 集   2  島 崎 藤 村 ﹄ 五 月書 房  昭 32 ・11   一 七 七 頁 ︹ ﹁ 日 本 読 書 新 聞 ﹂ 昭 31 ・ 8∼ 9 の 転 載 。 ︺ ) で、 童 話 作 家 藤 村 と は ﹁詩 人 藤 村 の変 貌 ま た は 余 韻 の 一つ と ﹂ ( 一 九 三 頁 ) と ら え る 。 山 室 静 は ﹁藤 村 童 話 に つ い て ﹂ ( ﹃ 児 童 文 学 の展 望   児 童 文 学II ﹄ 角 川 書 店   昭 31 ・ 9  一 二八 頁 ) で、 彼 の童 話 に 対 す る 態 度 は 詩 や 小 説 作 品 と 同 様 に と ても 誠 実 で、 ﹁藤 村 童 話 も 、 ご く 大 ま か に い え ば 、 ⋮ ⋮ 孤独 と 現 在 へ の失 望 の中 か ら 、 未 来 を 形 づ く る 子 供 に訴 え か け る べく 書 か れ た も のと いえ る ﹂ ( 一 三 二頁 ) と 見 る が 、﹁ 作 者 ⋮ ⋮ の自 信 に か か わ らず 、 藤 村 童 話 は 一 般 に そ れ ほ ど 尊 重 さ れ ても い ず 、 児 童 に は ま し て 愛 読 さ れ て は いな い 。 最 近 で は こと に ほ と ん ど 読 ま れ て いな いか ら であ る。 ﹂( 一 三 五 頁 ) と 現 状 を 示し 、 そ の原 因 は ﹁藤 村 童 話 は 童 話 の童 話 た る 特 質︱ 日 常 的 リ ア リズ ム を 自 由 に のり こ え う る 強 味 を ま っ た く 生 か し て い な い。 ﹂ ( 一 四 〇 頁 ) と 指 摘 し 、 藤 村 自 身 も そ れ に 気 づ い て は いた の だ が と 述 べ る。 石 井 桃 子 は ﹁藤 村 の 童 話 ﹂ ( ﹃島 崎 藤 村 全 集 月 報 ﹄ 9  筑 摩 書 房 昭 31 ・ 10   三 頁 ) で 、 大 正 7 年 の ﹁ 赤 い 鳥 ﹂ 創 刊 に 始 ま る 新 し い 日 本 の 児 童 文 学 が 生 ま れ よ う と し て い た 須 に 、 ﹃ 幼 き も の に ﹄ が 淡 々 と 四三 藤 村 童話研 究史 の傾 向 藤 村 童話研 究史 の傾 向

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冨 田 和 子 し た、 美 し い 口語 で書 か れ た こ と、 いま も古 く な い、 正 し い 口語 文 で 書 か れ た こ と に 感 激 す る が 、 詩 人 藤 村 ら し く 一 編 一 編 が 、 す ぐ れ た 散 文 詩 、 寓 話 の印 象 を あ た え る と し な がら も 、 四冊 の童 話 が いず れ も 短 編 的 、 随 想 的 な た め 、 す ぐ れ た 作 家 に よ る太 い 柱 のと お った 長 編 の な か っ た こ と を 痛 恨 事 と 述 べ る 。 ママ 再 び 、 山 室 静 は ﹁藤 村 の童 話   ﹃ ふ る さ と ﹄ と ﹃ お さ な も の が た り ﹄ に ふ れ て ﹂ ( ﹃島 崎 藤 村 全 集 月報 ﹄ 17  昭 32 ・ 3  一 頁 ) で、 先 の ﹁藤 村 童 話 に つい て ﹂ で述 べ た あ ま り 子 供 た ち に読 ま れ な い 現 状 の 上 で、藤 村 は 童 話 と いう も の によ き 理 解 、 つ ま り 、 ﹁ 童 話 のも つ無 限 と も いう べ き 可 能 性 も、 独 得 の世 界 も 見 落 す こと な く 、 極 め て 豊 か で 柔 軟 な 見 方 ﹂ (三 頁 ) 、 童 話 観 を 持 ち な が ら も 、 藤 村 童 話 が枝 葉 を 切 り す て て 要 点 だ け を 浮 き 上 がら せ た た め に 童 話 に あ る べき ︿ 無 邪 気 な 遊 び ﹀ が 消 え 、 そ し て つね に 父 親 、 大 人 の立 場 に 立 って い た た め、 子供 の 世 界 にと け 入 る こ と が でき ず 、 のび や か で 豊 か な 童 話 の 世 界 を 開 く こと が でき な か った と 指 摘 す る 。 が、 ﹃ ふ る さ と ﹄ と ﹃ を さな も のが た り ﹄ に 描 か れ た 信 州 の自 然 への愛 を 教 え てく れ る 点 に 強 く 関 心 を 示 す 。 藤 村 の未 亡 人 と な った 島 崎 静 子 は ﹁藤 村 と 童 話 ﹂ ( ﹃ 島 崎 藤 村 全 集 月 報 ﹄ 17  三 頁 ) で、 雑 誌 ﹁処 女 地 ﹂ 発 行前 後 の大 正 12 年 頃 、 同 人 諸 姉 の集 ま り で 、 藤 村 が ﹁私 の 創 作 の中 で 童 話 は 残 る で し ょう か 。 童 話 は 残 る か と 思 いま す が ⋮ ⋮ ﹂( 四頁 ) と 言 った 話 や 日 常 生 活 の 中 で 藤 村 が 示 し た エピ ソ ー ド を 紹 介 し 、 童 話 執 筆 の熱 意 が 最 期 ま で 衰 え な か った こ と を 述 べ る 。 更 に 、 山 室 静 は ﹁ ﹃ 桃 の 雫 ﹄ と ﹃力 餅 ﹄   解 説 ﹂ ( ﹃島 崎 藤 村 全 集 月 報 ﹄ 19   昭 32 ・ 4  一 頁 ) で 、 ﹃ 力 餅 ﹄ に は ﹁少 く と も 高 校 生 く ら い に な ら な い と 、 身 に 合 う よ う に な ら な い 話 が か な り あ る 。 ﹂ ( 三 頁 ) 四 四 と 、 藤 村 の童 話 への見 識 が か え って 子 供 にと っ てわ か り に く いも の に な っ て い る 弱 み を 指 摘 す る 。 石 岡 康 代 は ﹁島 崎 藤 村 の童 話 ﹂ ( ﹁ 実 践 文 学 ﹂ 4  昭 33 ・ 6  実 践 文 学 会   一 三 頁 ) で、 ﹃ 眼 鏡 ﹄ は別 と し て、童 話 のか か れ た 時 期 に 共 通 点 を 見 出 し 、 順 に、 パ リ 帰 朝 後 、 ﹃新 生 ﹄ 執 筆 後 、 病 後 、 ﹃ 嵐 ﹄ ﹃ 夜 明 け 前 ﹄ の時 代 を 経 て、 海 外 旅 行 後 と 、 ﹁ど の 作 品 も 藤 村 の生 活 を 左 右 す る よ う な 大 き な 役 割 を も つ も のと 思 わ れ る 旅、 事 件 の後 に 一 息 つ いた ⋮ ⋮ 時 期 に 書 か れ て い る こ と で あ る 。 ﹂ ( 一 七 頁 ) と 指 摘 し 、 童 話 執 筆 の動 機 に 、 精 神 のゆ き づ ま り にた い し て 、 ﹁ ﹃新 生 ﹄ の中 に いう 心 、 ︿︱ 何 よ り も 先づ 自 分 は 幼 い心 に立 ち 帰 ら ね ば 成 ら な い ﹀ ﹂ ( 一 九 頁 。傍 点 は 石岡 に よ る。 )と いう 心 を 指 摘 す る。 ﹁ だ か ら 、藤 村 の 童 話 は 、 普 通 の童 話 と 云 う よ り も、 童 話 的 新 形 態 に よ る 自 伝 的 短 篇 作 品 と し て の味 の方 が 勝 って い て、 子 供 に は 教 訓 的 な 匂 い の す る 、 な じ め な い童 話 に な って し ま って いる の で は な いだ ろう か。 ﹂ ( 二〇 頁 ) と 述 べ る 。 塚 原 健 二郎 は ﹁ ︿特 集 現 代 児 童 文 学 事 典 ﹀ ﹂﹁ 島 崎 藤 村 ﹂ の 項 ( ﹁ 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 ﹂ 27︱ 13  11 月 臨 時 増 刊 号   昭 37 ・11   八 四頁 ) で、 ﹁藤 村 が 童 話 の対 象 を 、 児 童 だ け に限 って いな い﹂ ( 八 五 頁 ) と 述 べ る し、 同 書 ﹁ を さ な も のが た り ﹂ の項 (一一 ○ 頁 ) で、 佐 々 木 元 一 は ﹁言 葉 のた いせ つ さ 、 な が い 人 生 で の経 験 と し て生 か さ れ た 動 か ぬ藤 村 の姿 を 読 み と ら な け れ ば な ら な い。 ﹂ と 述 べ、滑 川 道 夫 は ﹁ わ が 子 の成 長 に つれ て、 与 え か た も 考 え 、 程 度 を 高 め てき て い る。 ⋮ ⋮ そ れ だ け に、 子 ど も に 身 構 え を さ せ て 読 ま せ な け れ ば 藤 村 童 話 の 真 価 は 理 解 さ せ に く い も の で あ る 。 ﹂ (一一一 頁 ) と 述 べ る 。 古 田 拡 は ﹃ 児 童 文 学 概 論 ﹄ ﹁ 第 九 章   島 崎 藤 村 論 ﹂ (福 田 清 人 ・ 滑 川 道 夫 ・ 鳥 越 信 編  牧 書店   昭 38 ・ 1 初 版 ・ 同 40 ・ 5第 4 版   一 三

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藤 村 童話研 究史 の傾 向 九 頁 ) で、 藤 村 の ﹁童 話 だ け は 残 る ﹂ と いう こ と ば は ﹁孫 を 愛 す る 七 十 の老 翁 の 思 い 入 った こ こ ろ と こ と ば ﹂( 一 四六 頁 ) か ら 発 っせ ら れ た︿ 心 理 的 理 由 に よ る も の﹀ ( 一 四 四 頁 ) で 、 石 井 桃 子 の指 摘 す る ﹁ 四冊 の 童 話 ⋮ ⋮ の い ず れ も が 、 あ ま り に も 短 編 的 、 随 想 的 だ と い う こ と ﹂ ( 一 四 三 頁 ) を 支 持 し 、 藤 村 童 話 の意 義 は︿ 話 し こ と ば の 童 話 ﹀ ( 一 四七 頁 ) と 見 ると こ ろ に 価 値 を 見 出 せ る と 述 べ る。 鳥 越 信 は ﹁幼 き も の に ・ 力 餅 ﹂ ( ﹁国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 ﹂ 31 ︱ 11 ︿ 特 集   島 崎 藤 村 研 究 図 書 館 ﹀ 作 品 論 ︱ 児 童 文 学   昭 41 ・ 9  八 三 頁 ) で、 ﹁た し か に 内 容 と い い、形 式 と い い、世 界 の 児童 文 学 の中 で、 こ の 四冊 は A ( ア ナ ト ー ル ) ・ フ ラ ン ス の ﹃ 少 年 少 女 ﹂ に 最 も 近 い。 ﹂ (八 四 頁 ) と 指 摘 す る 。 福 田 清 人 は ﹁藤 村 の 童 話 ﹂ ( ﹃藤 村 全 集 ﹄ 月 報 10 ︹第 8 巻 付 録 ︺ 筑 摩 書 房  昭 42 ・ 6  六 頁 ) で、 藤 村 童 話 は 詩 人 藤 村 の 望 郷 の 思 い の あ ら わ れ で あ り 、 副 次 的 に 、 伝 記 資 料 に 大 いに 役 立 つも のが あ る と 述 べ る 。 宮 口し づ え は ﹁藤 村 の世 界 と 私 ﹂ ( ﹃ 藤 村 全 集 ﹄ 月 報 11 ︹第 9巻 付 録 ︺ 昭 42 ・ 7  五 頁 ) で、 昭 和 3 年 5月 に 木 曽 で ﹁言 葉 ﹂ と いう 演 題 で さ れ た 講 演 で藤 村 が﹁ " 血 に つ な が る ふ るさ と 、心 に つ な が る ふ る さ と 、 言 葉 に つ な が る ふ る さ と " と く り か え し て言 わ れ ﹂ た 記 憶 を 紹 介 し ( 六 頁 ) 、 ﹁単 な る 懐 古 で は な し に、 自 分 の 心 に つ な が る 深 い 何 か を 伝 え た か った に ち が い な い と 思 う 。 ﹂ (五 頁 ) と 述 べ る 。 三好 行 雄 は ﹁ ﹃ 力 餅 ﹄ に つ い て ﹂ ( ﹃ 藤 村 全 集 ﹄ 月報 12 ︹ 第 10 巻 付 録 ︺ 昭 42 ・ 8   六 頁 ) で 、 ﹁父 に 見 ら れ て い る 子 の 世 界 へ自 己 を 解 放 す る 。 ﹂ ( 七 頁 ) が 、 母 が 不 在 で 、 ﹁ ﹃ 夜 明 け 前 ﹄ の 完 結 後 五 年 を 経 て 刊 行 さ れ た こ と の 意 味 ﹂ に 着 目 し 、 ﹁ そ の と き 、 藤 村 は晏 如 と し て 、 す べ て を 良 し と す る 心 境 に す で に 達 し て い る 。 ﹂と み る 。 更 に 、 回 想 的 性 格 が 顕 著 で ﹁ ﹃ 力 餅 ﹄は童 心 か ら ま す ま す 遠 ざ か った 場 所 で、 滋 味 掬 す べき 人 生 の知 恵 に つ い て語 る。 ﹂ (八 頁 ) と 述 べ る。 菊 地 重 三郎 は ﹁藤 村 の童 話 ﹂ ( ﹁太 陽 ﹂1 05 号 ︿ 特 集   藤 村 と 木 曽 路 ﹀ 平 凡 社   昭4 7 ・ 2  八 六 頁 ) で、 藤 村 の童 話 は ﹁慈 父 が 幼 い子 供 を 相 手 に知 恵 を 訓 え 解 き 聞 か せ る 話 と し て 比 類 な い も の﹂ で あ る が 、 ﹁ ﹃ ふ る さ と ﹄だ け は 他 の 三 冊 と 異 な っ て、 ︿ 童 話 ﹀ ﹂ ら し く 、 ﹁子 供 の 読 者 に は ⋮ ⋮ こ の 本 だ け は 素 直 に 興 味 を ひ く ら し い 。 ﹂ と 述 べ る 。 田中富 次郎 は ﹁藤 村童 話 の 再 評価 ︱ 仮 託的 手法 に ついて ︱ ﹂ (初 出 は ﹁信 州 白 樺 ﹂ 17  昭 50 ・ 4。 ﹃島 崎 藤 村 III   作 品 の 二重 構 造 ﹄ 桜 楓 社   昭5 3 ・ 1  一 五〇 頁 に再 録 ) で、 フ ラ ン ス に 三 年 程 滞 在 し て ︿ 中 世 を 探 求 す る 心 ﹀と ︿ 子 供 の心 ﹀ が 培 わ れ た と 指 摘 し 、 ﹃ 幼 き も の に ﹄ 所 収 の第 一 〇 話 ﹁鰐 ﹂ 、 ﹃ ふ る さ と ﹄ 所 収 の第 二 九 話 ﹁生 徒 さ ん、 今 日 は ﹂ ・ 第 五 四 話 ﹁冬 の贈 り 物 ﹂ を 例 に 挙げ て ﹃ 新 生 ﹄ と の 表 裏 関 係 、 二重 構 造 を 指 摘 し 、 ﹃ を さ な も のが た り ﹄ 所 収 の第 三 四 話 ﹁太 陽 の 出 る 前 ﹂ を 例 に挙 げ て ﹃ 夜 明 け 前 ﹄と ﹃ 東 方 の門 ﹄ へ も 裏 返 す 、 仮 託 を 見 出 し 、 ﹃ 力 餅 ﹄所 収 の最 後 の話 であ る ﹁ ほ ゝ づ き ﹂を 取 り 上げ て、﹁ 省 略 の 効 果 ﹂ を 述 べ、﹁ 藤 村 童 話 は藤 村 芸 術 の 源 泉 であ っ た ﹂ (一 七 七 頁 ) と 述 べ る 。 和 田 謹 吾 は ﹁藤 村 童 話 ・そ の 底 に流 れ る も の﹂ (初 出 は ﹃ 日 本 児 童 文 学 体 系 ﹄ 9   ほ る ぷ 出 版   昭 52 ・ 11 。 ﹃ 島 崎 藤 村 ﹄ 翰 林 書 房   平 5 ・ 10  二 二 七 頁 に再 録 ) で、 藤 村 童 話 が 父 の文 学 であ る と 見 る 点 は 同 じ であ る が、 先 の 槇 本 楠 郎 ・ 坪 田 譲 治 ・ 三 好 行 雄 が ﹃ 幼 き も の に ﹄を 藤 村 童 話 の出 発 と 見 る の に対 し、 ﹁ 素 直 に ﹃眼 鏡 ﹄を 第 一 作 と し て 考 慮 に 入 れ る べき だ と ﹂ ( 二 三五 頁 ) 述 べ、 ﹁ ﹃ 力 餅 ﹄ に至 って、 藤 村 童 話 は初 め て臍 の 緒 を 切 って 独 立 性 を 獲 得 し た と も いえ る﹂ ( 二 三 九 頁 ) と し 、 ﹁ そ も そ も の藤 村 童 話 成 立 の契 機 は 失 わ れ た と 見 ﹂ る 。 四五

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冨 田 和 子 鳩 貝 久 延 は ﹁ ﹃ ふ る さ と ﹂ ︱ 藤 村 の童 話 ︱ ﹂ (伊 東 一 夫 編 ﹃ 島 崎 藤 村 ︱ 課 題 と 展 望 ︱ ﹄ 明 治 書 院   昭 54 ・ 1 1   三 七 二頁 ) で、 ﹁童 話 ﹃ふ る さ と ﹄は、 ふ る さ と へ の愛 着 と 憧 憬 が 渾 然 と 一 体 と な っ た 作 品 であ る ﹂ ( 三七 九 頁 )と 述 べ、山 室 静 が 子 供 の 眼 で 眺 め て い な い と し た 藤 村 童 話 の問 題 と 想 像 力 の乏 し さ を 支 持 し 、 ﹁自 己 の 心情 を 語 る と いう 自 然 主 義 的 方 法 と 写 生 と いう 手 法 は 、 藤 村 の童 話 に リ ア リズ ム の面 から 作 品を 見 る と いう 、 そ の 当 時 の童 話 に な か っ た 面 を も た ら し て い る ﹂ ( 三 八 三頁 )と 指 摘 し 、 こ の ﹁リ ア リズ ム の 手法 を 童 話 に 導 入 し ﹂( 三 八 四頁 ) た こ と を 高 く 評 価 す べき も の であ ると 述 べ る 。 近代文学 研究室 ﹁島崎藤 村﹂( 昭和女 子大学近 代文学研究室 ﹃近 代 文 学 研 究 叢 書 ﹄ 第 51 巻   昭 和 女 子 大 学 近 代 文 化 研 究 所   昭 55 ・ 11 一 七 五 頁 ) で は 、 ﹁三 、 業 績 ﹂担 当 の赤 松 昭 は、 藤 村 が 童 話 に 手を そ め た 動 機 に つ い て 三好 行 雄 の ﹁ ﹃ 力 餅 ﹄ に つ い て﹂ ( ﹃藤 村 全 集 ﹄月 報 12 ︹第 10 巻 付 録 ︺ ) か ら 紹 介 す る の み で あ る 。 宮 沢 薫 は ﹁︽ 教 育 現 場 か ら ( 二) ︾ ﹃藤 村 の 童 話 ﹄ の再 発 見 ﹂ ( ﹁文 学 と 教 育 ﹂ ︿ 季 刊 ﹀ 117  文 学 教 育 研 究 者 集 団   昭 56 ・ 8  五〇 頁 ) で、 ﹁童 話 が、 ﹃ 夜 明 け 前 ﹄を 境 に 前 後 し て 書 か れ た こ と ﹂を 意 識 し 、 ﹁ 子 ど も の発 想 に 揺 さ ぶ り を か け る 語 り 口 で 語ら れ て い る。 ⋮ ⋮ 子ど も と の徹 底 し た 対 話 精 神 に よ り 、 未 来 を 負 う 子 ど も た ち の可 能 性 と 可 変 性 に 向 け て、 ひ た す ら に 、 人 間 の尊 厳 を テ ー マに生 命 ・ 労 働 ・ 精 神 に 関 る 話 が 語 ら れ る 。 ﹂ (五 一 頁 ) と 見 て、 ﹁ 子 ど も への 期 待 感 を 持 っ た 温 い 励 ま し の 文 学 で あ る 。 ﹂ (五 二 頁 ) と 述 べ る 。 飛 田 文 雄 は こ れ ま で 伝 記 や 小 説 等 と の 関 わ り の中 で し か 扱 わ れ な か った 藤 村 童 話 を は じ め て中 心 に 据 え て 論 じ た ﹃ 藤 村 の童 話  そ の 位 置 と 系 譜 ﹄ ( 双 文 社 出 版   昭 58 ・ 4 ) で、 童 話 が 藤 村 研 究 の中 で 重 四六 視 さ れ な い 理由 を 考 え る と と も に、 藤 村 自 身 が、 童 話 と いう も のを 、 ど う 考 え 、 ど う 扱 い、 そ の創 作 に ど ん な 姿 勢 を と って い た か を 問 題 に し て、 回顧 、 随 想 、 作 品 、 童 話 、 行 為 の 五 つ の視 点 か ら、 童 話 へ の愛 着 が 薄 れ な か っ た こ と を 述 べ る。 そ し て、 幼 年 期 の 体 験 を 題 材 と し た ﹃ ふ る さ と ﹄ 、 少 年 期 の 体 験 を 題 材 と し た ﹃ を さ な も のが た り ﹄ 、 青 年 期 の体 験 を 主 た る題 材 と し た ﹃ 力 餅 ﹄ 、 壮 年 期 の体 験 を 題 材 と し た ﹃ 幼 き も の に ﹄ が あ り 、 こ れ ら に続 く 老 年 期 の 体 験 を 題 材 と し た 老 年 童 話 の 準 備 が あ っ た こ と ( 三 三頁 ) 、 童 心 と いう よ り も ︿ 自 然 心 ﹀で 望 む こと や (六 五 頁 ) 、 ﹁ 子 ど も の た め の創 作 を し な い と き は、子 ど も の た め の書 の編 集 と 出 版 を 行 って、 そ れ を 補 って いた ﹂ ( 二六 〇 頁 ) と 指 摘 し 、 藤 村 文 芸 にお け る 童 話 の 見 直 し を 迫 る。 赤 尾 利 弘 は ﹁藤 村 童 話 ﹃ ふ る さ と ﹄ の位 置 ﹂ ( ﹁文 学 と 教 育 ﹂ 5 文 学 と 教 育 の 会   昭 58 ・ 7  一 六 頁 ) で、 藤 村 が 柳 田 国 男 の ﹃遠 野 物 語 ﹄ を 読 ん だ 感 想 文 ( ﹃ 後 の 新 片 町 よ り ﹄ の 中 の ﹁ 遠 野 物 語 ﹂ 明 43 ・ 7) と ﹃ 夜 明 け 前 ﹄ の 間 に ﹃ ふ る さ と ﹄ を 位 置 付 け て 見 る と 、 ﹁自 己 の 見 聞 し た 思 い出 や 原 光 景 を 語 ﹂ ( 二 二 頁 )り、 ﹁ そ の時 代 、 そ の 地 域 に 根 ざ し た 思 想 の真 実 を つむぎ 出 ﹂( 二 二頁 ) す こ と が 藤 村 文 学 の 奥 底 にあ る こと が よく わ か り 、 更 に、 フ ラ ン ス の リ モー ジ ュの 田 舎 を 見 て ﹁ 東 西 文 明 を 相 対 化 で き る 地 点 で、 父 親 及 び 父 の時 代 再 評 価 と いう 問 題 意 識 を か か え こん だ ﹂ ( 二 四頁 ) た め に 、 ﹃夜 明 け 前 ﹄ の前 に 、 ﹃ふ る さ と ﹄ で ﹁父 と 自 分 と の在 り し 日 の思 い出 に つ な が る 故 郷 の日 々 に さ か の ぼ り、 そ れ を 再 現 し て おく 必 要 があ った 。 ﹂︵ 二 四 頁 ) と 述 べ る 。 上 総 英 郎 は ﹃ のぞ み の国 ﹄ ﹁解 説 ﹂ (島 崎 藤 村 ・ 沖 野 岩 三 郎 ・ 賀 川 豊 彦 ・ 吉 田絃 二郎 ・ 有 島 武 郎   日 本 キ リ スト 教 児 童 文 学 全 集 2  教 文 館   昭 58 ・ 11   一 八 七 頁 ) で、 藤 村 の童 話 ﹁ 幸 福 ﹂ ( ﹃ を さ な も の

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藤 村 童話研 究史 の傾 向 が た り ﹄ 第 三 二話 ) を 引 い て、 童 話 の場 面 状 況 の細 部 を 省 略 す る こ と で、 ﹁読 者 で あ る 子供 の心 に余 白 を 残 し て お き た か った か ら な の で す 。 ﹂ ( 一 八 九 頁 )と 述 べ、 ﹁魔 法 づ か い﹂ ( ﹃ を さ な も の が た り ﹄第 三 六 話 ) を 挙 げ て 、 想 隊 力 を 刺 激 す る 童 話 の 効 用 を 述 べ る。 宮 沢 薫 は ﹁︽ 文 学 史 の中 の 児 童 文 学 ︾藤 村 の 童 話 ﹂ ( ﹁文 学 と 教 育 ﹂ ︿ 季 刊 ﹀ 125  文 学 教 育 研 究 者 集 団   みず ち 書 房  昭 58 ・ 7   四 〇 頁 ) で、 ﹁ ﹃ 藤 村 の 童 話 ﹄ は、 人 間 喪 失、 文 体 喪 失 の当 時 に お い て、 人 間 回 復 の原 点 を 言 い当 て て い る﹂ ( 四 一 頁 )と 述 べ、現 代 の子 供 た ち に と っ ても ﹁ 子 ど も の メ ンタ リ テ ィ に 揺 さ ぶ り を か け 、 自 己 凝 視 に よ る 自 己 確 認 と 自 己 否 定 を し な がら 、 自 己 変 革 を 迫 る、 子 ど も の魂 を 培う 文 学 ﹂ ( 四 四 頁 ) と し て魅 力 が あ る と 述 べ る。 神 田 重 幸 は ﹁ 島 崎 藤 村   そ の姿 勢 に ふ れ て ﹂( ﹁ 国 文 学 解 釈 と 鑑 賞 ﹂ 48 ︱1 4 ︿特 集 = 児 童 文 学 の世 界 ﹀ 昭 58 ・ 1 1   一 五 七 頁 ) で、 ﹁藤 村 の 童 話 への意 欲 は 、 自 分 の子 供 ら を 思 い、 自 ら の生 の危 機 の超 克 と し て 汚 れ のな い 童 心 の世 界 か ら 出 直 そ う と す る そ の生 き 方 と 常 に血 縁 的 な な か で 生 ま れ て い った の で あ り 、 そ れ が 作 品 と し て の童 話 の 内 実 を 規 定 し て い た ﹂ ( 一五 九 頁 ) と 述 べ る 。 高 橋 昌 子 は ﹁藤 村 の 童 話 ﹂ ( 現 代 文 研 究 シ リ ー ズ 15 ﹁島 崎 藤 村 ﹂ ︹ ﹁ 国 語 展 望 ﹂ 別 冊 43 号 ︺ 尚 学 図 書   昭 61 ・ 5   五 九 頁 ) で、 ﹁自 己 の 幼 少 年 時 代 と いう 素 材 、 語 り か け る と いう スタ イ ル、 そ し て生 命 肯 定 的 な 認 識 の 三 者 が 結 合 し た と こ ろ に成 立 し た のが ︿ お 伽 話 し の 情 調 ﹀ の 表 現 と し て の 藤 村 の童 話 で あ った 。 ﹂ (六 〇 頁 ) と 述 べ る が 、 ﹁別 の作 品 群 と 合 わ せ 読 ま れ る こと に よ って藤 村 の童 話 は は じ め て 光 を 放 つの で あ る 。 ﹂ (六 四 頁 ) と 、 小 説 な ど と の関 わ り を 重 視 す る。 五 十 嵐 康 夫 は ﹁藤 村 の 童 話 ﹂( ﹁国 文 学解 釈 と 鑑賞 ﹂ 55 ︱4 ︿ 特 集 島 崎 藤 村 の再 検 討 ﹀ 平 2 ・ 4  一 二 七 頁 ) で 、 ﹁藤 村 童 話 の特 色 は ⋮ ⋮︿ 郷 土 文 学 性 ﹀ と ︿ 寓 話 性 ﹀ が 際 立 って い﹂ ( 一 三 〇 頁 ) て 、 興 味 性 が 少 な く 、 ﹁ 現 在 では ほ と ん ど の 子 ど も に 読 ま れ な く な った が 、 ⋮ ⋮ 創 作 志 望 者 は 、︿ 言葉 ﹀で苦 し ん だ 藤 村 の 文 章 か ら は 多 く の こ と が 吸 収 でき る で あ ろ う 。 ﹂ と 、 童 話 に 看 過 でき な い大 切 な 点 を 強 調 す る 。 瓜 生 清 は ﹁ ふ る さ と ﹂ (伊 東 一 夫 ・ 青 木 正 美 編 ﹃ 肉 筆 原 稿 で読 む 島 崎 藤 村 ﹄ (島 崎 藤 村 コ レク シ ョ ン第 四巻 ) 国 書 刊 行 会   平 10 ・ 12  一 六 五 頁 ) で、 ﹁ ﹃ ふ る さ と ﹄の 特 色 は 、 衣 食 住 に 関 す る 人 間 の営 み が 、 所 与 の自 然 と 密 接 に 交 渉 し て お り 、 単 な る木 曽 の 風 物 詩 で は な く 、 現 代 では 失 わ れ てし ま った 人 間 の暮 ら し と 自 然 と の牧 歌 が 成 立 し て い る こと であ ろ う 。 ﹂ ( 一 六 七 頁 ) ﹁ し き り に 強 調 さ れ て い る ︿ 手 造 り ﹀ への愛 着 心 は、 後 年 思 想 的 に煮 詰 め 直 さ れ 、 ︿生 活 者 の文 学 ﹀と し て 大 成 し て いく 藤 村 文 学 の基 盤 を 成 し て いく の であ る。 ﹂ ( 一 六 八 頁 ) と 述 べ る 。 こ こま で の多 く の藤 村 童 話 論 は、﹃ 眼 鏡 ﹄ を 藤 村 童 話 に 入 れ るか ど う か の問 題 を 除 け ば 、 父 と し て語 り か け ると いう 表 現形 式 を 手 に 入 れ た と は いえ 、 自 分 の 体 験 に則 し て 語 って い る と こ ろか ら、 藤 村 の 童 話 は 彼 の伝 記 の 一 部 で あ り 、 長 編 小 説 と の 関 わ り を 常 に 念 頭 に お い て 読 ま れ る べ き も の と いう 見 方 が 大 方 の 見 方 であ る。 そ し て 、 私 は 、 藤 村 が 50 歳 の 時 に ﹁早 稲 田 文 学 ﹂ 6 ︿ 大 10 ) に 載 せ 、 ﹃飯 倉 だ よ り ﹄ に 収 め た ﹁童 話 ﹂ の 一 節 ﹁ 大 人 に 聞 か せ た い こ と と 、 子 供 に 聞 か せ た い と 思 ふ こ と が あ る 。 ﹂ と い う 言 葉 に 惹 か れ て 、 六 つ の観 点 か ら 論 じ た 。 そ れ は 、 ま ず 、 ﹁ 大 人 に 聞 か せ た い こ と と 、 子 供 に 聞 か せ た い と 思 ふこと ︱ 藤 村童話︱ ﹂ で 、藤 村 の 子供を 見る目と表 現感覚を 押 さ え 、 ﹃ 幼 き も の に ﹄ の 構 成 か ら ﹁ 子 供 に 聞 か せ た い と 思 ふ こ と ﹂ の 四七

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冨 田 和 子 考 察 を 試 み た 。 そ の 結 果 、 藤 村 は 、 自 分 が 見 落 と し て 来 た も のや 、 見 誤 ってき た も のを 、 又 は 畏 敬 し 遠 ざ け て き た も のを 、 フ ラ ンス の 田 舎 の 子供 達 が 見 せた 、 純 真 で 先 入 観 の な い好 奇 心 お お せ い の 眼 に 学 ん で、 誇 張 す る こと な く 表 現 し よ う と 試 み、 童 心 へ の 一 方 的 な 思 い いれ か ら 、 親 子 の対 話 が 生 れ る よ う な 親 し み の こも った 童 話 創 作 に 憧 れ た と 考 察 し た 。 次 に 、 ﹁ ﹁ 新 た な 暮 ら し 像 求 め ﹂︱ 藤 村 童 話 か ら ︱ ﹂ で、 父 親 で あ る 藤 村 が 童 話 に 込 め た ﹁新 た な 暮 ら し 像 ﹂ を 見 る 視 点 か ら 、 彼 の 童 話 形 式 に つ い て、 ﹁時 間 ﹂ ﹁ 才 能 ﹂ を キ ー ワー ド と し て、 外 国 暮 ら し を 経 験 し た 後 で 子 供 達 に聞 か せ よ う と し た ﹁愛 情 ﹂ の塊 の よ う な ﹃ 幼 き も の に ﹄を 考 察 し た 。そ こ に は、 旅 と 日 常 の対 比 を 通 し て、 子 供 の持 って いる ﹁時 間 ﹂ や ﹁ 才 能 ﹂ か ら 可 能 性 への 夢 を 、 彼 の 求 め た ﹁新 た な 暮 ら し 像 ﹂ に 投 影 す る 試 み が窺 わ れ 、 彼 の童 話 形 式 で あ ろ う と 考 察 し た 。 三 つ 目 は 、 ﹁ ﹃ 幼 き も の に ﹄ 鰐 の 懺 悔 話 と 幸 福 ﹂ で 、 ﹃ 幼 き も の に ﹄ に 登 場 す る たく さ ん の 動 物 の中 で、 鰐 ・ 兎 ・ 狐 ・ 雀 の 世 間 のイ メ ー ジ と 藤 村 親 子 の共 通 の イ メ ー ジ を 確 認 し 、 日 本 の昔 話 な ど と の扱 わ れ 方 の違 い な ど か ら 考 察 し た 。 そ し て、 外 国 帰 り の彼 が 子 供 達 の た め に 誇 張 す る こ と な く 表 現 し よう と し た 、 ︿ 風 物 や 文 化 は違 っ ても 、 物 事 の善 悪 や 精 神 は 変 わ ら な い ﹀ と いう 身 近 な 事 柄 の 大 切 さ ・ 幸 福 を 、 童 話 形 式 に よ って、 子 供 連 のた め に 人 生 の詩 と し て 語 ろ う と し た と 考 察 し た 。 四 つ目 は、 ﹁ ﹃ 力 餅 ﹄と ﹃ ハム レ ット ﹄︱ 藤 村 童 話 か ら ︱ ﹂ で、 藤 村 の 西洋 文 学 の影 響 を 童 話 に ま で 広げ 、 藤 村 童 話 の内 、 青 年 期 の 体 験 な ど を 題 材 と し た ﹃ 力 餅 ﹄ へ の ﹃ ハム レ ット ﹄ の内 面 的 な 影 響 を よ み と り 、表 現 し よ う と し た と こ ろ を 検 討 し た 。そ し て 、教 訓 的 ・ 四八 教 育 的 に 捉 え ら れ が ち な藤 村 童 話 で は あ る が、 青 春 の中 でパ ラド ッ ク ス に 陥 って 苦 悩 す る ハム レ ッ ト のよ う な 悲 劇 を 避 け て、 新 し い 時 代 が 到 来 す る 中 で、 ﹃ 力 餅 ﹄は ﹁自 由 な 舞 台 ﹂に 生 き るた め の表 現 を 試 み た も の で あ ろ う と いう 結 論 に 到 っ た 。 五 つ目 は 、 ﹁藤 村 童 話 と ﹃ フ ラ ン ク リ ン 自 伝 ﹄ ﹂ で 、 藤 村 童 話 四 作 と ﹃ フラ ンク リ ン自 伝 ﹄ を 、 パ ブ リ ック コミ ュ ニ ケ ー シ ョ ン研 究 の 一 問 題 点 、 メ ッセ ー ジ の送 り 手 の 信 頼 性 を 意 識 し て比 較 し、 類 似 点 等 か ら 考 察 し た。 そ し て、 両 者 の 示 し た 教 訓 の度 合 も 影 響 力 も 違 う も の の、 疎 外 か ら の救 済 を 求 め て、 幼 年 期 か ら の自 己 の 体 験 を ユー モ ア で演 出 し て 描 き 、 子 供 に演 出 し た い自 分 自 身 の存 在 を 伝 え る 目 的 が 共 通 し て、 藤 村 童 話 の根 底 に あ る ﹁子 供 に 聞 か せた いと 思 ふ こ と ﹂ は 、 自 分 自 身 の 存 在 で あ る と 考 察 し た 。 最 後 の 六 つ目 は 、 ﹁藤 村 童 話 ︱ ﹃ 力 餅 ﹄ の可 能 性 と メ ッセ ー ジ ︱ ﹂で、ま ず 、藤 村 の子 供 観 や ユ ー モ ア の理 解 度 と 意 識 を 確 認 し 、 藤 村 童 話 ﹃力 餅 ﹄ の可 能 性 を 検 討 し た 。 次 に、 藤 村 の生 立 ち を 重 ね な が ら 、 ﹃力 餅 ﹄に 描 か れ て い る 時 代 の庶 民 感 覚 を 意 識 し て、読 み 取 れ る 藤 村 の メ ッセ ー ジ を 検 討 し た 。 そ の結 果 、 日 本 浪 漫 主 義 の新 体 詩 人 であ り 、 日 本 自 然 主 義 文 学 の 代 表 作 家 で あ る と いう 従 来 の評 価 に 安 住 し な い で、 彼 の ﹁ 童 話 は 残 る か と 思 い ま す が 。 ﹂ と 言 っ た 言 葉 に 芸 術 家 と し て の冒 険 心 を 見 出 す べ き であ る と 考 察 し た 。 さ て、 これ ま で の論 者 のほ と ん ど が 藤 村 の 作 品 の内 、 詩 や 長 編 小 説 か ら 藤 村 文 学 を 読 み は じ め て おら れ ると 推 測 す る 。 が、 こ の六 つ の 視 点 か ら 考 察 し 感 じ た こ と は 、 前 項 で紹 介 し た 久 保 田 正 文 が 藤 村 童 話 か ら 藤 村 文 学 の世 界 に 入 って い った よ う に、 藤 村 が 藤 村 童 話 を 読 ま せ た い、 聞 か せ た いと 願 っ た 子 供 た ち は、 藤 村 童 話 か ら 藤 村 文 学 の 世 界 に 入 っ て いく 可 能 性 は あ った し 、 藤 村 は そ れ を 望 ん で い た

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藤 村 童話研 究史 の傾 向 と 思 う 。藤 村 童 話 の根 底 に あ る ﹁ 子 供 に聞 か せ た いと 思 ふ こと ﹂ は 、 自 分 自 身 の 存 在 であ る こ と は 確 か で あ る と 思 う が 、 藤 村 童 話 を 小 説 の 付 録 と い った 扱 い で は な く 、 藤 村 文 学 へ の入 り 口 に 位 置 す ると 見 る べ き で は な い か 。 ま と め ﹁ 小 学 校 の六 年 生 か 中 学 の初 め 頃 に、 も し 来 世 と いう も のが あ っ て も う 一 度 何 か に 生 ま れ 変 わ ると し た ら 、 もう 人 間 を 選 ば ず に他 の 動 物 を 選 び た い と 思 った ぐ ら い 学 校 嫌 い で し た 。 ﹂ と 語 っ た こ と の あ る 司 馬 遼 太 郎 が、小 学 校 国 語 教 科 書 ﹁ 小 学 国 語 ﹂( 大 阪 書 籍   昭 63 )に、 幕 末 の名 医 、緒 方 洪 庵 の生 き 方 を 描 い た ﹁ 洪 庵 のた い ま つ﹂ ( 5年 生 向 け ) ・ 子供 た ち に 寄 せ る 期 待 を 綴 った ﹁ 二 十 一 世 紀 に 生 き る 君た ち へ﹂ ( 6 年 生 向 け ) の 二編 の 読 み 物 を 書 き 下 ろ し た。 そ れ も ﹁ 書 き 終 え て か ら 、 ︿ 一 本 の 小 説 以上 の エネ ルギ ー が 要 る﹀ と 周 囲 にも ら し た と いう ﹂ 程 の 力 の 入れ よう で あ り 、 こ の時 は残 念 な が ら 公立 小 学 校 で の こ の教 科 書 の採 択 は ゼ ロと いう 結 果 であ った が、﹁ 一 度 、小 学 生 のた め に 書 き た いと 思 って い た の で、そ れ を 果 た ) せ た だ け で 十 分 、 満 足 。 ﹂ と 語 った と いう 。 ま た 、 ﹁ 心 に コ ド モ が い な く な っ て い る オ ト ナ が た く さ ん い ま す が 、 そ れ は も う 、 話 す に も 値 い し な い 人 間 の ヒ モ ノ で す ね 。 ﹂ と 、 自 戒 す る か の よう に 言 葉 を 残 し た 。 そ し て、 ﹁な ぜ 子 供 は 学 校 に 行 か ね ば なら な い の か ﹂ と いう こと を 考 え た 時 期 の あ っ た 大 江 健 三郎 が、 そ の 疑 問 を 主 題 に し て童 話 を 書 い た。 そ れ は、 子 供 の 素 朴 な 疑 問 に 世 界 の ノ ー ベ ル賞 受 賞 者 た ち が 一 つひ と つ答 え る と いう ド イ ツ の新 聞 社 が た て た 企 画 で、 平 成 6 年 の 受 賞 者 であ る 大 江 の テ ー マ が ﹁ なぜ 子 供 は 学 校 に 行 か ねば な ら な い の か ﹂ 。 そ こ で、 彼 が 感 じ た こ と は 、 現 在 の自 分 が 過 去 の 子供 た ち と つな が っ て い て、 彼 ら の分 ま で 生 き て、 更 には 未 来 の子 供 た ち と も つな が っ て い る こ と を 実 感 す る た め で あ り 、 友 達 の役 に 立 つと いう 新 鮮 な 喜び の発 見 を 積 み重 ね る こと で、 生 活 の中 で 見 つ け た 芽 を 、 現 在 の ﹁自 分 の 心 のな か に あ る 深 く 豊 か な も のを 確 か め 、 他 の人 に つた え、 そ し て自 分 が 社 会 に つな が って ゆ く た め の 、 いち ば ん 役 に立 つ 言 葉 ⋮ ⋮ 他 の 人 た ち と つ な が っ て ゆ く た め の 言 葉 ﹂ に 育 て、 確 実 な も の に し て い く た め に 学 校 に い く 、 と い った こ と を 、 ﹁ 童 話 の よ う な 、静 か に 語 り か け る 文 体 で 説 ﹂き、 ﹁ こ の よう な 形 で若 者 に さ ま ざ ま な こ と を 伝 え て い き た い と 、大 江 さ ん は い ま 考 え て い る 。 ﹂と 紹 介 さ れ た 。 ま た 、 朝 日 新 聞 が 行 った ﹁ こ の 一 〇 〇 〇 年 ﹁ 日 本 の文 学 者 ﹂ 読 者 人 気 投 票 ﹂ で は 、 藤 村 の 27 位 を 抜 い て 、 18 位 に ラ ン ク さ れ た 大 江 は 、 ﹃ 小 説 の 経 験 ﹄ ﹁I   文 学再 入門 ﹂ で、 幼 い頃 か ら の読 書 体 験 を 語 り な が ら 、 ﹁読 書 に は 時 期 が あ る。 そ の本 に つ い て、 そ の人 にと って、 本 当 に ジ ャ ス ト ミ ー ト す る 人 生 の 時 が あ ると いう こと は 本 当 だ と つ く づ く 思 いま す。 ﹂ ( 二 三 頁 ) と 、 こ れ ま で の 生 き 方 を 良 い小 説 を 読 み 返 し な がら 内 省 し つ つ 、 ﹁良 い 小 説 は 根 本 的 に 人 を 励 ま す 力 を 持 つ と 私 は 考 え て いま す 。 ﹂ (三 八 頁 ) と、 未 来 を 感 じ、 新 し い世 界 を 模 索 す る 。 更 に、 ﹁生 き て ゆく 上 で の 文 学 の有 効 性 と いう こ と を 疑 って い な い の です 。 ﹂ ( 一 〇 八 頁 )﹁ つ ま り 未 来 の 人 間 のあ り か た を 考 え る た め の モデ ル と し て文 学 は 役 立 つも の でな け れば な ら な いと 思 い ま す 。 ﹂ ( 一 一 六 頁 ) と 語 っ て い る 。 つま り 、 藤 村 が ︿ 語 り か け る 文 体 ﹀ で 童 話 を 書 き 、 ﹁ ﹃ 力 餅 ﹄ の 四九

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冨 田 和 子 後 に ﹂ で 、 ﹁ ﹃う ん 、 ちや う ど 、 いゝ ﹄  と 言 っ て 下 さ る 時 も まゐ り ま せ う 。 ﹂ と 期 待 し た の と 同 じ こ と が 、現 代 で も 期 待 さ れ て い る の で あ る 。 藤 村 を は じ め と し て 、 一 流 作 家 に 共 通 し て み ら れ る 子 供 へ の 思 い 。 そ し て 、 そ れ ぞ れ の 思 い が 生 ま れ た 心 の 成 長 に 着 目 す る こ と で 、 作 家 の 童 話 に つ い て 、 従 来 の 視 点 に と ら わ れ ず 、 新 し い 視 点 を 模 索 す る こ と が で き る の で は な い か と 思 う 。 更 に 、 藤 村 の ﹁ 大 人 に 聞 か せ た い こ と と 、 子 供 に 聞 か せ た い と 思 ふ こ と が あ る 。 ﹂ と い う 言 葉 を よ り 一 層 理 解 で き る よ う に な ろ う 。 現 代 の 司 馬 や 大 江 の 言 葉 が 示 唆 す る と こ ろ は 大 き い 。 (平 成 13 年 9 月 ) 注 ( 1 ) 佐 々 木 雅 叢 ﹃ 島 崎 藤 村 ﹄ (日 本 文 学 研 究 資 料 叢 書 有 精 堂 出 版 昭 46 ・ 2 初 版 ・ 同 48 ・ 4 再 版 ) ﹁解 説 島 崎 藤 村 研 究 史 ﹂ (三一 八 頁 ) か ら 、 引 用 す る 。 榊 原 美 文 ﹁藤 村 研 究 の 史 的 展 望 ﹂ ( ﹁日 本 文 学 ﹂ 昭 三 一 ・ 三 ) 村 松 定 孝 ﹁藤 村 を 研 究 す る 人 の た め に ﹂ ( ﹁国 文 学 ﹂ 昭 三 一 ・ 七 ) 荒 正 人 ﹁島 崎 藤 村︱ 近 代 作 家 像 へ の 照 明︱ ﹂ ( ﹁日 本 読 書 新 聞 ﹂ 昭 三 一 ・ 八 ∼ 九 、 のち ﹁藤 村 論 に つ い て ﹂ と し て 、 平 野 謙 ﹃ 島 崎 藤 村 ﹄ 五 月書 房 ・ 昭 三 二 ・ 一 一 に 所 収 ) 川 副 国 基 ﹁﹃ 島 崎 藤 村 論 ﹄ に つ い て ﹂ ( ﹁解 釈 と 鑑 賞 ﹂ 昭 三 三 ・ 三、 の ち ﹃ 近 代 日 本 文 学 論 ﹄ 早 稲 田 大 学 出 版 部 ・ 昭 三 四 ・ 一 二 に 所 収 ) 瀬 沼 茂 樹 ﹁島 崎 藤 村 研 究 史 ﹂ ( ﹃ 近 代 文 学 鑑 賞 講 座 ﹄ 第 六 巻 ﹃島 崎 藤 村 ﹄ 角 川 書 店 ・ 昭 三 三 ・ 九 五〇 吉 田 精 一 ﹁研 究 史 通 観 ﹂ ( ﹃国 語 国 文 学 研 究 史 大 成 ﹄ 第 一 三 巻 ﹃ 藤 村 花 袋 ﹄ 三 省 堂 昭 三 五 ・ 四) 猪 野 謙 二 ﹁島 崎 藤 村 ﹂ ( ﹃ 近 代 文 学 研 究 必 携 ﹄ 学 燈 社 ・ 昭 三 六 ・ 九 、 の ち ﹁藤 村 研 究 略 史 ﹂ と し て ﹃ 島 崎 藤 村 ﹄ 有 信 堂 ・ 昭 三 八 ・ 八 に 所 収 ) 畑 実 ﹁島 崎 藤 村 の 研 究 ﹂ ( ﹁国 文 学 ﹂ 昭 三 九 ・ 六 ) 和 田 謹 吾 ﹁島 崎 藤 村 の 研 究 ﹂ ( ﹁解 釈 と 鑑 賞 ﹂ 昭 四 一 ・ 八 ) 榎 本 隆 司 ﹁最 近 に お け る 島 崎 藤 村 研 究 の 展 望 ﹂ ( ﹁国 文 学 ﹂ 昭 四 一 ・ 一二) 山 田 晃 ﹁研 究 史 と 研 究 の 現 状 ﹂ ( ﹃島 崎 藤 村 必 携 ﹄ 学 燈 社 ・ 昭 四 二 ・ 七 ) (2 ) ﹃ 藤 村 全 集 ﹄ 第 9 巻 筑 摩書 房 昭 42 (3 ) ﹁椙 山 女 学 園 大 学 研 究 論 集 ﹂ 30 11・ 3 九 一 頁 。 7 一 〇 六 頁 ∼ 一 〇 七 頁 (人 文科 学篇 ) 椙 山女 学園 大学 平 (4 ) ﹁椙山 国文学 ﹂ 23 椙 山 女学 園大 学国 文学 会 平11 ・ 3 九九頁 ( 5 ) ﹁文 化 と 情 報 ﹂ 2 椙 山 女学 園大 学短 期大 学部 平11 ・ 6 二三頁 (6 ) ﹁椙 山 国 文 学 ﹂ 24 椙 山 女 学 園 大 学 国 文 学 会 平 12 ・ 3 六 七 頁 ( 7 ) ﹁椙 山 国 文 学 ﹂ 25 椙 山 女 学 園 大 学 国 文 学 会 平 13 ・ 3 八 五 頁 (8 ) 日本大 学 大学院 総合 社会 情報 研 究科 文化 情報 専攻 修 士課 程修 士論 文 二〇〇 〇 平 13 ・ 1提出 (9 ) 司 馬 遼 太 郎 ﹁師 弟 の風 景 吉 田 松 陰 と 正 岡 子 規 を め ぐ って 大 江 健 三 郎 ﹂ ( ﹁別 冊 文 藝 春 秋 ﹂173 号 昭 60 ・ 7 ) 。 ﹃ 八 人 と の 対 話 ﹄ 文 春 文 庫 文 藝 春 秋 平 8 ・ 5 一 二 五 頁 所 収 。 (10 ) ﹁司 馬 さ ん も 負 け た 公 立 小 学 校 執 筆 教 科 書 、 採 択 ゼ ロ 広 域 採 択 制 で ︿寡 占 の カ ベ>﹂ 朝 日 新 聞 昭 63 ・ 9 ・ 10 (土 ) 朝 刊 14 版 三〇 頁 (11 ) 神 山 育 子 ﹃ こ ど も は オ ト ナ の父 司 馬 遼 太 郎 の心 の 手 紙 ﹄ 朝 日 新 聞 社 平11・ 10 二六 四 頁 (12

)Kinderfragen, Nobelpreistr〓ger antworten

﹁子 供 た ち が 尋 ね て、

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藤 村 童話研 究史 の傾 向 (13 ) (14 ) (15 ) (16 ) (17 ) ノ ー ベ ル 賞 受 賞 者 が 答 え る ﹂ の 第 5 回  S〓ddeutsche Zeitung

Magazine No.15 14.4.2OOO

に 発 表 さ れ た 。 ( ﹁子 供 の疑 問 に 答 え て ノー ベ ル賞作 家 大 江健 三 郎が 書 い た ︿ 童 話>﹂ ﹃ 週刊 朝 日 ﹄2000.8.4 朝 口新 聞社刊   一 三〇 頁掲 載。 ) 大江 健三郎 ﹁なぜ 子供 は学 校 に行か ねぼ なら な い の か ﹂﹁ 子供 の疑 問 に答 え て   ノー ベル賞 作家 大 江健 三郎 が書 いた ︿童 話>﹂ ﹃週 刊朝 日 ﹄2000.8.4 朝 日 新 聞 社 刊   一 三 三頁 。 注 13 と 同 書   一 三 〇 頁 掲 載 の 見 出 し の文 章 。 朝 日 新 聞   平 12 ・ 6 ・ 29  朝 刊   12 版   24 面 、 投 票 総 数 二〇 五 六 票 数 。 ①夏 目漱石 ④宮 沢賢治 ⑦太宰 治 ⑩ 三 島 由 紀 夫 ⑬遠藤 周 作 ⑯森〓 外 ⑲村 上龍 (22) 井 上靖 (25) 高 村光太郎 (28) 中原 中 也 三 五 一 六 一二七 五 七五 四 五 四二 三 四 七 三一 ○ 一 七 九 一 五 四 一三 五 一一 八 ② 紫 式部 ⑤芥 川 龍 之介 ⑧松本清張 ⑪有島 武 郎 ⑭清 少 納 言 ⑰吉 川英治 ⑳ 石川 啄木 (23) 三 浦綾 子 (26) 藤 沢周 平 (29) 小林 一 茶 三 一 五 七 一一 四 九 六七 三 四 六 二 三三一 二 七五 一 六 一 一 四〇 一三三 一一 二 ③ 司馬 遼 太郎 ⑥松 尾 芭 蕉 ⑨ 川 端康 成 ⑫ 村上 春 樹 ⑮ 与謝野晶子 ⑱ 大江 健三 郎 (21) 谷崎潤 一 郎 (23) 安部 公房 (27) 島崎藤 村 (30) 芹 沢光治良 一四七 二 八〇五 五九五 三六 四 三 二 二 二〇 一 一 六 〇 一 四〇 一 二七 一一一 大江 健三 郎 ﹃ 小説 の 経 験 ﹄朝 日文 芸文庫 朝 日 新聞 社 平1 0  第 1 刷 。 こ の 中 の ﹁文 学 再 入 門 ﹂ は 、 テ レ ビ の連 続 講 座 N H K 人 間 大 学 で 、 平 成 4 年 10 月 か ら 12 月 ま で の 三 ヶ 月 間 に 12 回 に 亘 って 放 映 さ れ た も の 。 ﹃ 藤 村 全 集 ﹄ 第 10 巻   筑 摩 書 房   昭 42 ・ 8  五 一 五 頁 学大 学院 総合 社 会情 報研 究科 文化 情報 専攻 修 士課 程修 士論 文 二 〇 〇〇 平1 3 ・ 1提出 ) の ﹁序 論  Ⅰ   藤村 童話 研究 史 ﹂を基 に いた しま した。 (付 記 ) 本 稿 は 、 ﹁藤 村 童 話︱ ﹃ 力 餅 ﹄ の 可 能 性 と メ ッセ ー ジ︱ ﹂ ( 日 本 大 五 一 九 通 。 因 み に 、 上 位 30 位 は 、 次 の 通 り 。 ○ 数 字 は 順 位 。 漢 数 字 は 得

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