ネワール仏教の秘密舞踊
―その伝統継承をめぐって―
吉 崎 一 美
はじめに
ネワール仏教の司祭僧Vajrācāryaたちの間に伝承される秘密の仏教舞踊(New. Cacā:Skt. Caryā or Caryā nr.tya)は,秘密のタントラ神に対して奉納されるので,部 外者はその全容を知ることができない.ところが前世紀半ばになって,ネワール 仏教衰退への危機感から,とりわけネワール仏教舞踊の伝統衰微への切迫した危 機感1)から,何人かの司祭僧たちが,伝統の保全と継承を目的に,それら舞踊の 一部を公開するようになった.本稿では,その公開をめぐって意見を異にした二 人の司祭僧を紹介し,その対比を通じて秘密舞踊公開の意義を考察する.
二人の司祭僧
Badrī ratna Vajrācārya(N.S. 1053–1136, V.S. 1990–2073, ≒A.D. 1933–2016)とRatna kājī
Vajrācārya(N.S. 1054–1119, V.S. 1990–2056: 前者が後者より三ヶ月ほど年長である.以下,
N.S. はネワール暦,V.S. はヴィクラム暦を示す)は,現代ネワール仏教界を代表する学 僧たちであり,ともにパンディトの称号を冠せられていた.両者はカトマンズ市
内のSaval Bahā(Mantra-siddhi Mahāvihāra)に属して,少年時代から仏教宣布と教学
研鑽を志し,青年期には共著を出版するなど,たがいに深い友情で結ばれてい た.ところがネワール仏教とその伝統舞踊衰退への危機対応をめぐって,壮年期 の二人はそれぞれの道を進むことになった.
① Badrī ratna Vajrācārya
少年期の彼はTakṣe Bahā (Surata-śrī Mahāvihāra) のSiddhi harṣa Vajrācārya2)とその
息子たちに仏教学の基礎を学んだ(以下,チャチャー相承の系譜を省略する).V.S. 2021から本格的な布教活動を開始するや,その卓越した説法ぶりや堂々とした 立ち居振る舞いは,たちまち信者たちを魅了した.ほぼ同時期から数年にわた り,彼はさまざまな尊格に関するチャチャーを同輩たちに教示した.V.S. 2035に
は司祭僧の子弟がサンスクリット語を習得して儀礼やチャチャーを学ぶための教 育施設(Vajrācārya Adhyayana Maṇḍala)の開設に尽力し,V.S. 2047/48にはマヘンド ラ・サンスクリット大学における仏教学専修課程の設立にも奔走した.また彼は 司祭僧たちの先頭に立って,施主らに対して,布施として支払われる儀礼報酬の 増額を求めるなど,司祭僧の待遇改善にも努めた.彼の著作はV.S. 2051の時点で 43点を数える.その多くは信者たちの法施による出版である.彼の活動の主眼 は,司祭僧主導によるネワール密教(ネワール仏教の密教的側面)の復権である. 彼の著作(バドリ・ラトナ1993)は端的にそれを示している.それで,ともすれば まとまりを欠きがちな司祭僧たちも,彼を中心に団結しようとした. ② Ratna kājī Vajrācārya 彼はN.S. 1108(V.S. 2045, A.D. 1988)にカラシャ・プジャの新テキストを刊行し て,その儀礼体系の根幹をチャクラ・サンヴァラ三三昧に置き換えようとした. しかしながらこの画期的な試みについてよりも,彼の追悼文集(Ḍāns man.d.ala N.S. 1121)では,彼は専らチャチャーのグルとして賞讃されている.彼はチャチャー を父親3)から学んだばかりでなく,その伝統を受け継ぐ司祭僧たちからも熱心に 指導を受けた.そのような彼もまた,チャチャーの衰退を目の当たりにして,そ の打開策を考えるようになった.その頃(A.D. 1982)に彼はRājendra Śreṣṭhaに出 会った.非Vajrācāryaの出身にもかかわらず,RājendraはすでにLagaṃ Bāhāの Sapta muni Vajrācārya(N.S. 1028–1110, V.S. 1965–2046)4)らからチャチャー習得の手ほ
どきを受けていたが,さらにRatna kājīに指導を請うたのである(Ḍāns man.d.ala N.S. 1121, 161).Rājendraは1985年(V.S. 2041)にHotel Vajra内にKalā Maṇḍap (Institute of Classical Nepalese Performing Arts) を設立し(Ratna kājī 1986, 1–3)5),Ratna kājīをその代
表的な踊り手に迎えて,チャルヤー・ダンス(チャチャー)の本格的な公開に踏み 切った.さらに1986年にRājendraはSapta muni, Ratna kājī, Prajval ratna(Ratna kājī の六男)らを伴って香港での海外公演を挙行した(Rājendra N.S. 1111, 41; Ḍāns man.d.ala N.S. 1121, 213).その試みはネワール文化を海外に発信紹介しようとする民族運動 にも合致していた.こうしてRatna kājīは司祭僧以外のネワール人たちに,また 外国人にもチャチャーを教えるようになった.しかしながらBadrī ratnaの目に は,それは賛同しがたい暴挙と映った.多くの司祭僧たちと同様に,彼もまた, 部外者が秘密の舞踊について関心を抱くことをタブー視していたからである.
ネワール仏教舞踊とは何か?
二人の友情を決裂させる誘因となったチャチャーは,ネワール密教の本質に関 わっている.それを理解するキーワードはSādhanaである.サーダナは行者と仏 が〈神秘的合一〉をはかる瞑想修行法であった.当初,仏や神々の姿は宗教的な 天才たちSiddhasによって感得され,後にその瞑想法はいくつものサーダナ文献 群として成文化された.サーダナ文献群は仏や神々の姿を詳細に描写して,弟子 の修行者たちが,師である天才たちの瞑想を追体験できるように補助した.ネ ワール密教はこの瞑想法をKalaśa-pūjāとして儀礼化した.儀礼化されたサーダ ナ(カラシャ・プジャ)によって,その儀礼の目的に相応しい本尊と〈儀礼的合 一〉を果たした司祭僧が,本尊の代理となって施主の依頼に応えようとしたので ある.そこで,当初の宗教的な天才たちによって感得された仏や神々の姿は,一 連の所作を伴う動的な舞踊として表現され,サーダナ文献群において図像学とし て定着するような静止像ではなかったと考えられる.サーダナ文献群による成文 化が,そうした静止画像のような図像学を成立させたのである.逆に言えば, サーダナ文献群の図像学的記述や,それに基づく絵画や彫刻などは,その一連の 舞踊的所作の中から,ある一瞬の特徴的な〈決めポーズ〉を切り取ったものと言 うことができる.Ratna kājīによれば,チャチャーの踊り手たちは図像学典拠に 基づく絵画や彫刻に表現された仏の姿を見て,自らの舞踊姿勢を点検し修正す る.それゆえに,「サーダナは舞踊として表現されることもある」(Ratna kājī 1986, 6) と解説され,またサーダナ文献群の図像学的記述は,対応するチャチャー舞踊の 〈決めポーズ〉,ならびにチャチャーの歌謡に描写された仏らの姿と一致するので ある(それらの個別的な検証については別稿を予定する).これによって,チャチャー の伝統が,司祭僧の権能を持つVajrācāryaたちの間でのみ秘密裡に継承されてき た理由が納得できる.彼らは自らを当初の宗教的天才たちの後継者と自認し, チャチャーの伝統を独占的に継承することで,儀礼化したサーダナとしてのカラ シャ・プジャを司祭する権能の正当性を主張できるのである.チャチャー公開の意義
別稿(吉崎2005)で論じたように,ネワール社会において,サーダナの流れを む瞑想修行の主体は,世襲の司祭僧であるVajrācāryaから特定のネワール・ カーストに属する者たち(生き神クマリや仮面舞踊劇の踊り手たち)へ,またカーストや男女の性差といった制約を離れたネワール人霊媒師たちへ,さらにはネワー ル人以外の民間霊能者たちへと移行する現象が認められた.それにつれて, Vajrācārya司祭僧に顕著であった瞑想修行者としての資質は徐々に曖昧になる一 方で,〈神秘的合一〉を表現する動詞はサンスクリット語からネワール語(〈儀礼 的合一〉を表現する)へ,さらにはネパール語や土着の諸言語に変わるとともに, それらの〈合一〉は〈憑依〉と解釈されるようになった.また関連する神々にも 変化が認められた.そこで,もしこの変容の最終局面で,その主体の条件からネ ワール人またはネパール人という制約が除外され,人種や国籍に関係なく,仏教 徒であること(あるいはそれさえも不要か)が唯一の条件とされるならば,どうな るのか.すなわちRatna kājīのようなグルに師事した外国人(国籍や民族の制約を 離れるのだから,実際にはネワール人でもかまわない)がチャチャーを習得するならば どうなるのか.私の疑問に,生前のRatna kājīは,しばしば「誰であれ(たとえ外 国人であっても)弟子は,私が一体化した仏と同じ仏と一体化する」と答え,また 「舞踊中の弟子は,私と同じ局面で私と同じように震え,些細な仕草でも私と同 じように振る舞う(それによって弟子と私は同じ仏と一体化していると知られる)」と 語った.その〈一体化〉は,サーダナ行者と仏との〈神秘的合一〉に等しいか, もしくは少なくともVajrācārya司祭僧と仏との〈儀礼的合一〉に等しいことにな る.それはすなわち,Vajrācārya司祭僧以外の者たちもカラシャ・プジャを司祭 できるとする主張の根拠となる.Badrī ratnaはそれを危惧したのである.
おわりに
19世紀末に始まったネワール仏教写本の探索とともに,西欧の研究者たちが ネワール仏教に注目するようになってからというもの,ネワール仏教は一貫して 〈儀礼仏教〉という評価を受けてきた.その意味では,ネワール仏教とネワール 密教はほぼ同義語であった.その〈儀礼仏教〉を支えてきたのがVajrācārya司祭 僧たちである.ネワール仏教衰退の危機に直面して,Badrī ratnaはVajrācārya司 祭僧主導によるネワール密教の復権を目指した.それゆえにチャチャーの伝統 は,彼らの間だけで秘密裡に,また確実に継承されなければならなかった.それ に対してRatna kājīはチャチャーをネワール密教から解放して,それが世界に貢 献する場所を求めたのである.当初,大半の旧守的な司祭僧たちはその試みを激 しく非難した.それでも今日では,新たな学び手たちの熱意を見て,部外者が秘 密の伝統舞踊を学ぶことに理解を示すようになった.隔世の感を抱かせる変化の原因は,ひとえにネワール仏教の衰退,ことに秘密舞踊の伝統消滅への危機感に ある.そこにはネワール仏教の伝統文化を守ろうとする意識が強く働いている. 1)チャチャーの伝統衰退の現状については,現代ネワール仏教界の重鎮も,「寺の長老が 導師になって(秘密の)法要をする際にはチャチャーを舞わなければならないのに,最 近ではチャチャーの舞踊を知る長老が少なくなり,チャチャー歌を歌える者も減ってい る」と嘆いている(Phaṇīndra ratna 1999, 166–167).
2)Siddhi harṣaによる秘密舞踊を撮影した16ミリ・フィルムが保存されている(Iain Sin-clair氏の教示2017.4.2. による).
3)Ratna kājīの父親Moti ratna(N.S. 1015–1077, V.S. 1951–2014)はチャチャーの名手として
知られた.彼は五歳のBadrī ratnaに文字を教え,儀礼の初歩を手ほどきした.
4)彼はV.S. 2016から2020年代を中心にネパール国内外の各地でチャチャーを一般公開
し,多くの非Vajrācāryaの弟子を育てるとともに,外国人にもチャチャーを教えた.彼
の長男が刊行した追悼文集(Aṣṭa muni N.S. 1111)には,チャチャーの非公開を主張する
Vajrācārya司祭僧たちからの寄稿が見られない.また「Niṣṭhānanda Vajrācāryaが Lalitavis-taraをネワール語訳して刊行した時,またSiddhii harṣa VajrācāryaがGuru-maṇḍala儀礼の
印刷本テキストを刊行した時にも,同輩たちから非難の声が挙がった.Sapta muni Vajrācāryaも非Vajrācāryaの者や女性たちに秘密の伝統舞踊を教え,一般の人々にも公開 したとして,同様の非難を浴びなければならなかった」(Phaṇīndra ratna N.S. 1111, 52). 5)このテキストには著者名が記載されていないが,Ratna kājīの著作目録(Ḍāns man.d.ala N.S. 1121, 52)に,彼の著書21点中の第七として収録されている. 〈参考文献〉 バドリ・ラトナ・バジュラーチャールヤ(吉崎一美訳) 1993『ネパールの仏教―バジュ ラーチャールヤの立場から―』黒髪文庫. 吉崎一美 2005「サーダナから憑依へ―ネワール仏教の視点から―」『印仏研』53(2): (242)–(246).
Aṣṭa muni Gubhāju, ed. N.S. 1111. Caryā Nṛtya Guruyā Lumanāy. Yeṃ: privately printed. Ḍāns maṇḍala, ed. N.S. 1121. Paṃ. Ratnakājī Vajrācāryajuyā Smṛti Grantha. Yeṃ: Ḍāns Maṇḍala. Phaṇīndra ratna Vajrācārya. N.S. 1111. Cacāpyākhaṃ: Guru Saptamuni Vajrācārya. In Aṣṭa muni N.S.
1111, 48–53.
―. 1999. Nevāḥ Bauddha Saṃskṛtii Guthi. In Nepālamaṇḍalayā Bauddha Saṃskṛti
Sam-melan–1119: Chagū Prativedana, ed. Vajra rāja Śākya, 139–182. Yala: Loṭas Risarc Senṭar.
Ratna kājī Vajrācārya. 1986. Buddhist Ritual Dance. Kathmandu: Kala Mandapa.
Rājendra Śreṣṭha. N.S. 1111. Caryā Nṛtya Guru Sapta muni Gurujuyāta Lumaṃkā. In Aṣṭa muni N.S.
1111, 39–43.
〈キーワード〉 サーダナ,舞踊,図像学,Caryā nṛtya, Vajrācārya