印度學佛敎學硏究第66巻第1号 平成29年12月 (122) ― 371 ―
『成就法の花環』
Sādhanamālā
における
大寒林明妃成就法
園 田 沙 弥 佳
1.はじめに
大寒林明妃Mahāśītavatīは,五護陀羅尼pañcarakṣāに属する初期密教経典の 『大寒林陀羅尼』Mahāśītavatīが女神として神格化した尊格である.インドにおい て天然痘から人々を守護する女神として知られており1),その姿は五護陀羅尼の 各明妃が描かれたマンダラや,写本の挿絵等に見られる.五護陀羅尼の各明妃 は,遅くとも7,8Cまでに各々単独で神格化されたという2). 近年の五護陀羅尼成就法に関する先行研究は,Kim 2010,森2017等があげら れる3).そこでは図像的特色や実際の作例との比較等が詳細に述べられているも のの,密教経典が神格化される際の具体的な影響については言及されていない. 筆者は以前(園田2014, 2015)の中で『成就法の花環』Sādhanamālā(略号SM)no. 195, 206の考察および和訳を行った.SMは,11–12Cにインドの学匠アバヤーカ ラグプタAbhayākaraguptaによって編纂された312種の成就法の集成であり,大 寒林明妃の成就法が含まれている.本論文ではSMにおいて初期密教経典が神格 化される際に与えた影響について考察する. 2.女神として神格化された大寒林明妃
SMで確認できる大寒林明妃の姿はno. 200, 201, 206が該当する.また,SMと 同時期に編纂された『完成せるヨーガの環』Niṣpannayogāvalī(略号NPY)no. 18に おいても五護陀羅尼マンダラの成就法が説かれており,今回比較対象とする.[2.1] SM no. 200「大寒林明妃成就法」の図像的特色 SM no. 200は大寒林明妃単 独の成就法である.ここでは,大寒林明妃は一面四臂,赤色の体色の女神で,右
手には数珠と与願印,左手には金剛鉤針,経典を胸元に持つ.また,jīṃ字から
生じた女神で,阿弥陀仏の化仏がついた宝冠を被り,半跏坐に座す.Kim 2010:
276, 318–320に よ る と, 東 イ ン ド の 貝 葉 写 本(Cambridge University Library所 蔵, Nayapāla, 11C頃)の五護陀羅尼経典の写本において,文殊(智慧)と観自在(慈悲)
(123) ― 370 ― 『成就法の花環』Sādhanamālāにおける大寒林明妃成就法(園 田) の間に大寒林明妃が挿絵で描かれていること等から,大寒林明妃と般若仏母の関 連性が指摘されている.しかしながらSM, NPYおよび『大寒林陀羅尼』の中で 両者の関係は明らかではなく,その検討は今後の課題としたい.
[2.2] SM no. 201, 206, NPY no. 18の図像的特色 次に述べるSM no. 201, 206, NPY
no. 18は,五護陀羅尼マンダラの成就法である.特にSM no. 206は五護陀羅尼の 成就法の中でも特に詳細に説かれている. No. 201の大寒林明妃の姿は一面四臂で,正面の顔が赤,持物は右手に剣と与 願印,左手に と羂索を持つ.これらの特徴は前述のno. 200と同様である. No. 206の大寒林明妃はtrāṃ字から生じた女神で,北の方角に位置し,三面六 臂,緑色の体色である.正面の顔は緑,右面が白,左面が赤で,腕の数は六臂で ある.右手には施無畏印,金剛杵,矢,左手にはタルジャニー印と羂索,弓,宝 石の旗を持つ.如来の化仏がついた宝冠を被り,日輪の上で展右の姿勢でいる. また,本成就法には図像的特色以外の大寒林明妃の性格が述べられていることが 特徴的である.それによると,大寒林明妃はハーリーティー等のヤクシャ,ヤク シャ女を破壊し,ブータ,プレータ,ピシャーチャ,ヴェーターラ,ラークシャ サ等を魅了する女神であり,カラスやふくろう,ハゲワシ,タカ,鳩等を追い払 う女神であると説かれている. NPY no. 18の大寒林明妃は西に住する三面八臂の女神である.体色は赤で,三 面のうち正面が赤,右面が白,左面は青黒である.日輪の光背で,半跏坐に坐 す.右手に施無畏印と蓮,矢,金剛杵,剣を持ち,左手にタルジャニー印と羂 索,弓,宝石の旗,経典を胸元に持つ.臂の数に違いはあるものの,体色は前述 したno. 200, 201と一致する.以上がSMおよびNPYの成就法における大寒林明 妃の図像的特色である. [2.3] 小結 写本に見られる挿絵から,SM no. 194–200はインドの伝統,no. 206 はネパールの伝統によった記述であることがKim 2010: 270によって指摘されてい る.そこではNPY no. 18への言及はないが,赤い体色や経典を持物としているこ
とがSM no. 200の大寒林明妃の特徴と類似しているこことから,NPY no. 18もま
たインドの伝統に則した記述であると推測できる.SM no. 201は経典を持物とし
ていないが,体色より推察するならば同じくインドの伝統である可能性がある. 次に,大寒林明妃の基となった経典『大寒林陀羅尼』の概要について述べよう.
3.
2
種の『大寒林陀羅尼』の特色
(124) ― 369 ― 『成就法の花環』Sādhanamālāにおける大寒林明妃成就法(園 田) いる.第1にネパール写本,漢訳,チベット語訳が存在するもの(以下ŚV-A本と 称す)と,第2にチベット語訳にのみ存在するもの(以下ŚV-B本と称す)の2種で ある. ŚV-A本はネパール写本において他の五護陀羅尼と一括して扱われることが多 い.漢訳ではそれぞれ単独で収録されているが,その内容は概ね梵本と対応す る.一方,チベット語訳において同様の内容をもつ経典は,『聖持大 陀羅尼』
'Phags pa be con chen po shes bya ba'i gzungs(Ota. no. 308, Toh. no. 606)と題して収録さ れている.なお,チベット大蔵経において『大寒林陀羅尼』と題される経典は,
ŚV-B本(bSil ba'i tshal chen po'i mdo. Ota. no. 180, Toh. no. 562)に該当する.8∼9C頃チ
ベットで編纂された現存する最古の仏典目録といわれる『デンカルマ』dKar chag
ldan kar ma4),『パンタンマ』dKar chag 'phang thang ma5)において「5種の偉大な
陀羅尼」gzungs chen po lngaというカテゴリーの中に収録されていることから6),
チベット前伝期である9CにはŚV-B本の存在が知られていたことが推察でき る7). チベット語訳におけるŚV-A, B本の経題の問題は前述のとおりであるが,内容 構成についても,両者の間で大きく隔たりがある.まず,ŚV-A本は大寒林で 数々の障りを受けて苦悩しているラーフラに,世尊が諸々の障りを防ぐための陀 羅尼を授けるといった内容である.一方,ŚV-B本は大寒林で世尊と四天王が登 場し,四天王が衆生を守護するための陀羅尼を述べ,その後世尊がさらに優れた 陀羅尼を説くものである.したがって以上のŚV-A, B本はインド,チベットにお いて別個に展開された経典と考えられる8). 両者の共通点を挙げるならば,例えばŚV-A, B本ともに障りをなすものとして 数々の鬼神の名前が列挙されている.A本ではナーガやヤクシャ等の鬼神に加 え,トラ,カラス,フクロウ,虫等の実在する動物による障りが挙げられてい る.一方,ŚV-B本はあげられる鬼神の数は多いものの,実在の動物はあらわれ ていない.次節ではこれらの『大寒林陀羅尼』が神格化の際に与えた影響につい て述べる. 4.
考察
陀羅尼経典が女尊として神格化,可視化される時,その役割はどのように影響 したのか.例えば,孔雀明妃はあらゆる毒を浄化する女神であると説かれ,蛇毒 に侵されたスヴァーティーを蘇生させた『孔雀王呪経』の内容に見られる陀羅尼 の機能と類似している.(125) ― 368 ― 『成就法の花環』Sādhanamālāにおける大寒林明妃成就法(園 田) SM no. 206において,大寒林明妃はハーリーティー等のヤクシャ,ヤクシャ女 を破壊し,ブータ,プレータ等の鬼神を魅了する女神であると説かれている.こ れらはいずれも『大寒林陀羅尼』に現れるが,続けて,カラス,ふくろう,ハゲ ワシ等といった実在する動物の記述があることにより,2種の『大寒林陀羅尼』 のうち,ŚV-A本の機能が踏襲された可能性がある.以上のことから,SMが流布 する11–12CのインドにおいてはŚV-A本の系統が主流なものとして残っており, 五護陀羅尼マンダラの一尊として大寒林明妃が神格化された際にその影響を受け たことが推測できる.また,ŚV-A本に儀軌の記述は見られないが,その発展形 といわれる『仏説聖荘厳陀羅尼經』においてマンダラの作壇法が説かれている. ŚV-B本の終結部にもマンダラに関する記述があり,両者の特色およびSMとの 比較検討については今後の課題とする. 1)Bhattacharyya 1978, 69. 2)立川2009. 3)Kim 2010及び森2017を参照. 4)芳村1974を参照. 5)川越2005, および,西蔵博物館2003を参照. 6)「五大 陀羅尼」gzungs chen sde lngaとは異なる. 7)同様のことは五護陀羅尼の一つ『大護 明陀羅尼』にも生じており,奥山1998, 67–86に詳しい. 8)園田2016, 150–154を参 照.
〈参考文献〉
Bhattacharyya, Dipak Chandra. 1978. Studies in Buddhist Iconography. New Delhi: Manohar.
Kim, Jinah. 2010. A Book of Buddhist Goddesses: Illustrated Manuscripts of the Pañcarakṣā Sūtra
and Their Ritual Use. Artibus Asiae 70(2): 259–329. Skilling, Peter. 1992. The Rakṣā
Liter-ature of the Śrāvakayāna. Journal of the Pali Text Society 16: 109–182. 大塚伸夫2010「 檀
特羅麻油述経 に見る初期密教の特徴」『高野山大学密教文化研究所紀要』23: 147–169.
奥山直司1998「初期密教経典の成立に関する一考察」『インド密教の形成と展開: 松長有慶
古稀記念論集』法蔵館,67–86. 川越英真2005『dKar chag Phang thang ma』東北イン ド・チベット研究会. 西蔵博物館2003『dKar chag Phang thang ma』北京: 民族出版
社. 園田沙弥佳2014「 サーダナ・マーラー における五護陀羅尼の成就法」『印度學 佛教學研究』63(1): 435–438. ̶ 2015「 サーダナ・マーラー No. 206「五護陀羅 尼成就法」について」『東洋大学大学院紀要』51: 127–147. ̶ 2016「 大寒林陀羅 尼 Mahāśītavatī異本について」『印度學佛教學研究』65(1): 150–154. 立川武蔵2009 「 完成せるヨーガの輪 研究(三)」『人間文化』24: 117–143. 森雅秀2017『仏教の女 神たち』春秋社. 芳村修基1974『インド大乗仏教思想研究̶カマラシーラの思 想̶』百華苑. 〈キーワード〉 インド後期密教,『サーダナマーラー』,初期密教経典,Mahāśītavatī (東洋大学東洋学研究所研究支援者,博士(文学))