弘
法
大
師
の
教
育
と
そ
の
変
遷
斎
藤
昭
俊
弘法大 師の 教 育と その 変遷 (斎藤昭俊)1
教
育
の根
拠
弘 法 大 師 空 海 は 国 家 と い う も の と 、 そ こ で 果 し 得 る 自 分 の 役 割 、 つ ま り 真 言 密 教 に よ る 安 心 、 思 想 的 安 定 を 目 指 し た 。 真 言密
教 は 主 体 性 の 自 内 証 を 重 ん じ 、 そ し て 、 し か も 日 本 化 し た 。 そ の 日 本化
は 日 本 本 来 の 神 祗 崇 拝 と の 融 合 で あ り 、 そ の 中 で 仏 教 と く に 密 教 の 優 位 を 示 し た も の で あ る 。 そ れ は 奈 良 か ら 京都
へ 遷 都 が行
わ れ た こ と に よ っ て 、 奈 良 の最
高 の華
厳 宗 を の り 越 え て、 平 安 の最
高、 最 善 の 宗 教 と し て の 真 言 密 教 で な け れ ば な ら な か っ た 。唐
の 都 を 直 接 見 聞 し 、 国 家 の実
態 な る も の を 肌 に感
じ た 弘 法 大 師 は 日 本 の 国 と い う も の を 考 え て い た か ら こ そ 日 本的
思 想 を 真 言密
教 に よ っ て 顕 現 し よ う と し た と 見 る べ き で あ ろ う 。 「 六 大 無 碍 に し て 常 に 瑜 伽 な り四 種 曼 荼
各
離
れず
三 密 加 持 す れ ぽ 速 疾 に 顕 わ る
重 重 帝
網
な る を 即身
と名
つ く 法 然 に 薩 般 若 を 具 足 し て心 数 心 王 刹
塵
に過
ぎ た り各 五 智 無 際 智 を 具 す 円 鏡 力 の 故 に
実
覚
智 な り 」 と 即 身 成 仏 義 で の べ 、 こ こ に 即 身 成 仏 を 余 す と こ ろ な く の べ て い る 。 六 大、 つ ま り 物 と 心 の す べ て の要
素 が 、 そ の ま ま 真 実 の 世 界 に あ る、 そ れ が 仏 の 現 わ れ で 、 仏 、衆
生 、自
分
も 含 め て、 自 分 自 身 で あ る こ と を 自 覚 す る こ と だ と 教 え る 。 そ し て 弘 法 大 師 空 海 は 必 ず 本 来 的 な 在 り 方 を 教 え る と 、 そ れ に 向 う 方 法 を 教 え る 。 そ の 方 法 は 三 密 加 持 で あ る 。 凡 て の も の が 相 互 に 関 係 し 、 感 応 し 合 っ て い る こ と を 知 る に は仏
智 を 得 な け れ ば な ら な い 。 こ の 即 身 成 仏 の 思 想 と 宗 一 153 一NII-Electronic Library Service 智 山学報 第二十二 輯 教 を も っ て 、 奈 良 時 代 の 仏 教 が 受 容 さ れ た ま ま の 状 態 に あ っ た も の を 、 弘 法 大 師 空 海 が 日
本
化
し た と い え る 。 そ し て こ の 思 想 と 宗 教 は 日 本 的 体質
の 中 に 流 れ続
け て い る の で あ る 。 こ の 思 想 と 宗教
( 真 言 密 教 ) を 弘 法 大 師空
海
は ど の よ う な 方 法 で 敷 衍 し よ う と し た か 、先
づ 大 師 は従
来
の 真 言 密 教 の 重 要 典 籍 を集
め て 「 真 言宗
所 学 経 律 論 目録
」 と し た 。 こ れ が 一 般 に 三 学 録 と い わ れ 大 師 の 用 い た教
科 内 容 カ リ キ ュ ラ ム で あ っ た 。 大 師 以 降 は こ れ に 大 師 選述
の 書 が 加 え ら れ る 。 い わ ゆ る 三 学 録 は 全 巻 四 百 二 十 四巻
で 、 経 二 百 巻、梵
字真
言 讃 等 四 十 巻 、 律 百 七 十 三 巻 、 論 十 一 巻 で あ る 。 経 は 三部
に 分 か れ 、 金 剛 頂 系 、 胎 蔵 ( 大 日 経 ) 系 及 び 雑 部真
言 系 で あ る 。 論 は 二 部 で 金 剛 頂 発 菩 提 心 論 及 び 釈 摩 訶 衍 論 、律
は蘇
悉 地 経、蘇
婆 呼 経 、 金 剛 頂 受 三 昧 耶 仏 戒 儀 及 び 根 本 説 一 切有
部 律 系 、 根 本薩
婆 多 部 系 で 梵 字 真 言 讃 が 、 そ の内
容 で あ る 。 経 律 論 の 三 学 が真
言 僧 教育
の カ リ キ ュ ラ ム の 宗 乗 に 相 当 し、 「 三 教 指 帰 」 と 「 秘 密 曼 荼 羅 十 住 心 論 」 に 示 さ れ る も の が 宗 乗 と 余 乗 と を含
ん で い る 。 十 住 心 論 に で て く る 経典
で 多 い も の か ら 羅 列 し て み る と 次 の 如 く に な る 。 倶 舎 論 大 日 経 ( 大 日 経 疏 を 含 め る と 第 一 位 と な る ) 華 厳 経 ( 華厳
経 探 玄 記、華
厳 五 教 章、 八 十 華 厳疏
を含
め る ) 成 唯 識 論 正 法 念 処 経 起 世 経 大智
度 論 仁 王 般 若 経 順 世 理 論 一 154 一 N工工一Electronlc Llbrary弘法大 師の 教育と その変 遷 (斎藤 昭俊) 瑜 伽 師 地 論 大 乗 涅 槃 経 金
光
明 経 中論 釈 摩 訶 衍 論 大 乗 法 苑 義 林 土 早
摩
訶
止 観 勝 鬘 経 維 摩 経 大 毘 娑 沙 論 十 二 門 論 大 乗 玄 論 入楞
伽 経 法 苑 珠 林 金 剛 頂 経 般 若 理 趣 経 (般
若 理 趣 釈 、弁
正 論 成 実 論灌
頂 経 大 乗 理 趣 六波
羅 密 経 を 含 め る ) 一 155 一NII-Electronic Library Service 智山 学報 第二 十二輯 瑜 伽 論 ( 瑜 伽 論 釈 、 瑜 伽 論 記 を 含 め る ) 観 仏 三 昧 経 雑 宝 蔵 経
法 華 経
摂 大 乗 論 ( 摂 大 乗 論 釈 を 含 め る )
菩
薩
瓔
珞 本 業 経大 乗 同 性 経
守 護 国 界 主 陀 羅 尼 経 以 上 四 十 五 種 が 三 回 以 上 七 十 九 回
引
用 さ れ て い る も の で 、 一 回 乃 至 二 回 引 用 さ れ て い る も の は 次 の 如 く で あ る 。菩 提 心 論、 薩 婆 多 毘 尼 毘 婆 沙 、 十 誦 律 、 眦 尼 母 経、
菩
提 場 所 説 一 字 頂 輪 王 経、 大 乗 起 信 論 、 大 方 広 円覚
修
多 羅義 経 、 金 剛
峰
桜 閣 一 切 瑜 伽 瑜 祗 経 、 成 就 妙 法 蓮 経 王 瑜 伽観
智 儀 軌 、 観 心 論 、 般 若 灯 論、 大 乗 広 百 論 釈 論 、 四 教義、
禅
門 口 訣 、 止 観輔
伝 弘 決 、 百 論、 百 論 釈 、 三 論 玄 義、 大 品 摩 訶 般 若 波 羅 密 経 、 浄 名 経 、 仏 性 論、究
竟
一 乗宝 性 論 、
唯
識 二 十 論 、 金 剛 般 若 論 、 弁 中 辺 論 、 如 来 功 徳 荘 経 、 仏 地 経 、 阿 毘 達磨
経 、 阿 毘 達 磨 雑 集 論 述 記 、 大乗 阿 毘 達 磨 雑 集 論 、 十 地 経 論、
厚
厳 経 、 顕 揚 聖 教 論 、 遺 教 経 、 解 深 密 経、 大 乗荘
厳 経 論 、 無 垢称
経、 大 方 等 大集 経 、 順 中 論 、 対 法 論、 法
華
経 玄 義、 法 華 玄賛
、 法 華 文 句 、 斎 法経
、 優 婆 塞 戒経
、 王 法 正 論 経 、 十 住 毘 婆 沙 論 、増 一 阿 含 経、 雑 阿 含 経、 異 部 宗
輪
論、 異 部 宗輪
論 述 記、文
殊 問 経 、 四 分 律 疏、 四 分 律 刪 補 闕 行 事 鈔、 無 量 義 経 の 五 十 五種
で あ る 。 合 計 百 種 に の ぼ る 宗 乗 、 余 乗 の 経 典 が こ こ に 出 て く る 。 こ れ は実
に 弘 法 大 師空
海
の 博 学 と 高 度 な 学 問 性 と 綜 合 性 に 優 れ て い る こ と を 示 す も の で あ る 。 十 住 心 論 に は 外 典 に 属 す る も の と し て 左 伝 が 引 用 さ れ て い る 。 一 156 一 N工工一Electronlc Llbrary弘法 大師の 教育とその変 遷 (斎藤昭 俊 ) 次 に コ ニ 教 指 帰 L に み え る 術
語
の 出 典 、書
名
を あ げ て み る と 仏 教 関 係 で は、 阿 闍 世 王 受 決経
、 灌 頂 経、観
仏 三 昧 経 、 大 乗 起 信 論 、 大 乗 法 苑 義 林章
、 空 寂 菩 薩 所 問経
、 華 厳 経 、虚
空 蔵 菩 薩 聞 持経
、 金 剛般
若 経 、 金 光 明 最 勝 王 経 、 四食
経 ( 雑 阿 含 経 十 五 巻 抄 出 ) 、浄
土 盂 蘭 盆経
、 大智
度 論 、 大 仏 頂 経、 天 地経
、 仁 王般
若 経、 渥 槃 経 、婆
沙 論、普
曜 経 、 法 苑 珠 林 、 方 広 大 荘 厳 経 、 法華
文 句 、梵
網
経、摩
訶 止 観、 維 摩 経、瓔
珞 経 の 二 十 七 種 六 百 四 十 五 巻 で 、 そ の 殆 ん ど が 十 住 心 論 に 出 て く る 。 漢 籍 関 係 で は晏
氏 春 秋 、 逸 人 伝 、 易経
、 益 州 志、 准 南 子 、 韓詩
外 伝 、顔
氏 家 訓 、 漢 書 、 漢 書 評 林 、韓
非 子 、 漢 武内
伝、 儀 礼 、 金 銀簡
文 経 、 琴 操 、 孔叢
子、 甄 正 論 、 孝 経、 孔 子 家 語、 高 士 伝 、 孝 子 伝 、 後 漢 書 、 五経
通 義、 三 斉 略 記、 三 略、 爾 雅 、 史 記 、持
正 集、 十 州 記 、 周 易 、 荀 子 、 春 秋 左 氏 伝 、 尚書
、 神 異 経 、 晋 書 、 神 仙 伝 、隋
書
、 説 苑 、 世 説 新 語 、 西京
雑 記 、戦
国 策 、 千 字 文 、 荘 子 、 捜 神 記 、 続博
物 志、 楚 固 先賢
伝 、 楚 辞、 太 玄 真 一 本 際 経 、 凋 玉 集 、 博 物 志、 弁 正 論 、抱
朴
子 、 蒙 求 、 毛 詩 、 文 選 六 臣 注 、 遊仙
窟 、養
生 要 集 、 養 生 論 、 礼 記、 離 騒 伝、 列 異 記 、 列 子、 列 女伝
、列 仙 伝 、 老 子 、 老 子 経 、 老 子 内 伝 、 呂 氏 春 秋 、
論
語 の 六 十 九 種 千 二 百 四 十 巻 に 及 ん で い る 。 こ れ を も っ て 、 す べ て外
典
の 教 科 内容
と す る に は 厖 大 す ぎ る に し て も 、 宗 乗 、 余 乗 、 外典
の 内 容 の 大 要 を 示 す と 考 え て よ い で あ ろ う 。 そ れ で は こ の よ う な 厖 大 な 教 科 内 容 を ど の よ う に し て 教 え た か を 、僧
侶
教 育 と 庶 民 教 育 と に 別 け て 考 え て み る こ と とす
る 。2
真
言
僧
の教
育
僧 侶 教 育 は得
度 以 前 の教
育 と、 得 度 以後
の 教 育 と に分
か れ る 。 弘 法 大 師 空 海 に よ る 上表
に よ っ て 、 真 言 宗 は 承 和 二 年 一 月 ( 八 三 五 年 )年
分
度 三 人 が定
め ら れ た 。 度 の 制 度 は推
古 天 皇 三 十 二 年 ( 六 二 四年
) に僧
綱
が 始 め て任
ぜ ら 一157
一NII-Electronic Library Service 智山学報第二 十二輯 れ 、 「 日 本
書
記 」 ( 二 十 二 ) に 「 僧 尼 入 道 之 緑、 及 度 々年
月 日 … … 」 と あ り 、 「 続 日 本 紀 」 ( 十 一 ) 及 び 「 類聚
三 代格
」 に は得
度 者 の 資 格 を 天 平 六 年 十 一 月 ( 七 三 四 年 ) に 定 め た と し て い る 。 そ れ に ょ る と、 道 俗 を 問 はず
、 法 華 経 又 は 最 勝 王 経 一 部 を 暗 誦 し 、 礼 仏 を 心 得 、 浄行
三 年 以 上 の も の と 定 め て あ る 。 平 安朝
に な っ て 年 分 度 者 の制
が 定 め ら れ て 、 漢音
を 習 は な け れ ぽ 得 度 が で き な い ( 日 本 紀 略、 前 篇 十 三 、桓
武 天 皇 紀 、 延 暦 十 二 年 四 月 二 十 八 日 の条
) と さ れ た 。 延暦
十 七年
( 七 九 八年
) に は年
分 度 者 の 年 令 は 三 十 五 歳 以 上 と さ れ 、 延 暦 二 十 年 ( 八 〇 一 年 ) に は 二 十 歳 以 上 と な っ た 。年
分
度
者 に つ い て は 延 暦 二 十 五 年 ( 八 〇 六 年 ) 南 都 六宗
に 加 え て 天 台 宗 が 入 り 、 七 宗 と な り 、 華 厳 業 二 人 、 天 台 業 二 人 、 律 業 二 人 、 三 論 業 三 人 ( 二 人 は 三 論 、一 人 は 成
実
) 、 法 相 業 三 人 ( 二 人 は 唯 識 、 一 人 は倶
舎 ) の 十 二 人 で あ っ た 。 そ れ か ら 二 十 九 年後
に真
言 宗 年 分度
老 三 人 が 加 わ っ た わ け で あ る 。 年 分度
者 の 試 験 は 極 め て 厳 格 で あ っ た 。 学 業 、 人 物 と も 優 秀 で な け れ ば な ら な い 。 従 っ て 受 験 者 の 年 齢 も高
か っ た 。 試 験 内 容 は 本 業 の 疏 、 法 華 経 ・ 金 光 明 経 の 漢 音 及 び 訓 読 み、 所定
の 経 論 の大
義 十 条 ( う ち 五 条 以 上 に 通 じ な け れ ば な ら な い ) に つ い て で あ る が 、 合 格 者 が い な い 場 合 は 欠 員 と す る 。 得 度 試験
に 合 格 を し て 、 受 戒 を う け る 。 弘 法 大 師 空 海 は 延 暦 二 十 三 年 四 月 七 日 得 度 し た ( 続 日 本後
記 ) 。 と き に 三 十 一 歳 で あ っ た 。 そ し て 東 大 寺 戒 壇院
で 具 足 戒 を う け て い る ( 僧 都 傅 ) 。 従 っ て 得 度 以 前 は 児 、 童 子 、 沙 弥 の 生 活 と な る 。 弘 法 大 師 空 海 が 沙 弥 と な っ た の は 延 暦 十 七年
( 七 九 八 年 ) 二 十 五 歳 の と き で 、 そ の 前 年 に 「 三 教 指 帰 」 を 著 わ し た 。児
・ 童 子 に は 公 家 、 武 家 、 百 姓 の 出 が あ っ て 、 入 寺後
に 受 戒得
度 ( 正 式 な も の で は な い ) を す る も の 、 教 養 を つ む た め に 入 寺 し た も の 、 社 会 的 事情
で 入 寺 し た も の が あ る 。 児 ・童
子 は 七 歳 か ら 十 歳、 ま た は 十 三歳
か ら 十 九 歳 、 と さ れ て い る 。 「 右 記 」 に 示 さ れ て い る 児 ・ 童 子 の 生 活 と 学 修 は朝
は 黎 明 に 起 る こ と鎮 守 神 明 を 拝 す る こ と
読 経 ・ 法 楽 を な す こ と
漢
詩
・ 和 歌 に い そ し む こ と習
字
を 練 習 す る こ と 一158
一 N工工一Electronlc Llbrary弘法大 師の教 育と その変遷 (斎藤 昭俊) が あ げ ら れ 、 生 活 の 規 律 と し て あ げ ら れ て い る の は 他
室
に 勝 手 に 出 入 し て は な ら な い 肉 や 五 辛 を 食 し て は い け な い 女 人 を 近 づ け て は い け な い ( 乳 母 ・ 侍 女 も ) 里 居 は 四 序 に 一 度 つ つ 十 日 以 内 に 帰 参 し な け れ ぽ い け な い詩 歌
会
に は 美 麗 な 衣 裳 を つ け 、 美 し い 懐 紙 を 用 意 し て い く こ と 堂 上 堂 外 足 音 高 く 馳 せ て は い け な い暗
夜 道 を 行 く 時 は 必 ず 燈 を も つ べ し高 声 に 口 唾 を 吐 く の は 下 賤 の 態 で 慎 し む べ し
言 語 は や は ら か く 周 章 せ ず
雑
談
多 言 を 禁ず
能 と す る と こ ろ も 奢 ら ず 卑 し め
ず
多 能 で あ っ て も 人 が す す め な け れ ば そ の 芸 を あ ら は さ な い 会 合 に は 早
参
も 遅 参 も い け な い 禽 獣 を 飼 う こ と は い け な い (鶏
と 犬 は よ い ) 寺 院 の 例 役 に 従 い よ く 心 得 る で あ る が、 こ れ は 弘 法 大 師 の時
代 よ り約
四 百 年 も 時 代 が 下 っ て か ら で あ る が 、 生 活 に つ い て は 基 本 的 に は 、 そ の よ う な も の で あ っ た ろ う と 思 わ れ る 。年
分 度 者 と な る に は 修 学 が厳
し く、 延 暦 寺 、 海 印 寺 は 十 二 年 、 金 剛峯
寺、神
護
寺 は 六年
、 安 祥寺
は 七 年 と な っ て い る か ら 、 弘 法 大 師 も 奈 良 で 師 に つ い て 修 学 し た で あ ろ う し、 当 時 は 東 大 寺 が 八 宗 兼 学 の 道 場 で あ っ た 。 経典
の 読 誦 は 漢 音 を 正 と し 、 意 義 を 学 ぶ の に 和 訓 も 用 い た 。 弘 法 大 師 も 行者
の あ り 方 を 「 遺 戒 」 の 中 で は 「 諸 の 近 円 ・ 求 寂 ・ 近 事 。 童 子等
」 と い っ て い る 。 ( 灌 頂暦
名 ) 「 灌 頂暦
名
」 と 対 比 し 、Q
童
近 求 近 (鬱
子 事 寂 円編
島 ↓吏
鑿
五 十 歳 以 後ー
密 教 伝 授 − 三 摩 耶 戒 僧ー
二 十 歳 以 後 の 出 家ー
諸 宗 兼 学−
具 足戒
弥ー
( 二 十前
の 出 家 )1
諸 宗 兼 学 ー 十 戒 士ー
十歳
i
三 論 法 相 ー 八 戒 子i
七 歳 ー 外 学 − 三 帰 ・ 五 戒 ( 真 言 伝授
作 法 ) 戒 を 相 当 さ せ る と 右 の如
く な る 。 「 抜 苦 与楽
の 本 は 源 を 絶 た ん に は 如 か ず 。 源 を 絶 つ の 首 は 一159
一NII-Electronic Library Service 智山学報 第二 十二輯 法 を 授 か ら ん に は
如
か ず 。 法 薬 万 差 な り と い え ど も 、 前 に 説 く 所 の 八 種 の 法 門 こ れ 彼 れ の 本 な り 」 と い っ て 、 真 言 密 教 に よ っ て安
心 を 得 べ ぎ こ と を と く 。 若 し 善 男 子 善 女 人 比 丘 比 丘 尼清
信 男 女 が あ っ て 真 言 の門
に 入 ろ う と す れ ぽ 、 三 昧 耶 戒 が 必 要 だ と す る 。 先 づ 四 種 の 心 を お こ し 、 三 摩 地 に 住 す る も の の 持 つ 戒 が 秘密
三 摩 耶仏
戒
で あ る と 説 い て い る 。 三 昧 耶戒
は 自 己 自 身 が 仏 で あ り 、 仏 に 捧げ
て い る の で 、 仏 と 衆 生 と 自 己 と が 平等
で あ る状
態
で あ る 。 そ の 状 四 種 の 心1
ー
信心
1
1
−1
−llllllll
愛
不 讃 随尊
随
無
歓
決 澄−
大 悲 心ー
行 − 勝 義 心失
菩提
心⊥
態 を 弘 法 大 師 は 戒 で 示 し て い る 。 願 深 般 若 心 −能
求 菩提
心i
所 求 菩 提 心 そ れ が 秘 密 三 昧 耶 仏 戒 で、浄
( 心 性 清 浄 ) 定 ( 心 性 堅 固 ) 喜 (憂
悩
断 除 ) 厭 (懈
怠 心 断 除 ) 喜 ( 勝行
同 心発
起 ) 重 ( 不 軽賤
) 順 ( 不 違 逆 )歎
( 勝 行 称 歎 ) 壊 ( 不 忘 失 ) 楽 ( 慈悲
心 成 就 ) 心 ( 求法
心 ) ( 法 教 簡 択 ) ( 求 本覚
荘 厳 ) ( 無 尽荘
厳 金 剛 身 ・ 三 摩 地 ) 菩薩
戒 ( 三 聚 浄 戒 − 摂 律 儀 戒、饒
益 有情
茂
・ 摂善
法 戒 ) 一 160 一 N工工一Electronlc Llbrary弘法 大師の教 育と その変遷 (斎藤昭俊) を 具 し て 更 に 、 三 昧 耶 戒 を 具 す る の で あ る 。 秘 密 三 昧 耶 仏 戒
−
ー 四摂
の 法 ー1
四威
儀
法1
1
四波
羅夷
ー1
十 重禁
戒1
そ れ は 秘 密 三 昧 耶仏
戒 義 に 説 い て あ る が 、 図 で 示 す と 次 の 如 く で あ る 。 ー布
施 ー
愛
語
−
利行
−
同事
−
一 切 如 来 の 正 法 蔵 の 中 に 於 て解
了 せ ん と 誓 願 す1
一 切菩
薩
の 正 行 の 中 に 於 て 勤行
せ ん と 誓 願 す ー 一 切 如来
の 度 入門
の 中 に 於 て 修 習 せ ん と 誓 願 す1
一 切 有情
の 中 に 於 て 四 摂 の法
を 以 て 之 を救
済 し、 苦 を 離 れ て 安 き こ と を獲
し む−
正 法 を 捨 て て 邪 行 を 起 す べ か ら ざ る 戒 ー 菩 提 心 を 捨 離 す べ か ら ざ る戒
i
一切
の 法 に 慳 怯 す べ か ら ざ る 戒ー
一切
衆
生 に 不 饒 益 の 行 を 作 す こ と を 得 ざ る 戒−
菩提
心 を 退 す べ か ら ず ー 三 宝 を 捨離
し て外
道 に 帰 伏 す べ か ら ず1
三 乗 の 教 典 を毀
謗
す べ か らず
1
甚 深 大 乗 経 典 の 通 解 せ ざ る所
に 於 て 疑 を 生 ず べ か ら ずー
若 し 復 人 有 っ て 己 に 菩 提 心 を発
さ ん に は 、 是 の 如 く の 法 を 説 く べ か ら ず 一161
一NII-Electronic Library Service 智山学報第二十二 輯 一
1
未 だ 菩提
心 を 発 さ ざ る 者 を 見 て は 、 亦 是 の如
く の 法 を 説 く べ か らず
1
小 乗 の 人 に 対 し て 輙 く 深 妙 の 大 乗 を 説 く べ か ら ず1
邪 見 を 発 起 す べ か ら ず1
外 道 の 前 に 於 て 自 ら 我 れ 無 上 菩 提 の 妙 戒 を 具 す と 説 く べ か ら ず1
有情
の 中 に 於 て損
害 す る 所、 及 び利
益 無 く ば 皆 自 ら 作 し 、 及 び 他 に 教 え て 作 さ し む べ か らず
真 言 の 門 は こ の よ う に 定 め ら れ て い た が 、 当 時 、 正 式 に 度者
と な っ た 者 は 、 三 師 七 証 明 師 の も と で 得 度 、 受 戒 を し 、 二 部 の 戒 本 を読
誦 し、 そ の 一 巻 羯 磨 四 分 律 鈔 を暗
誦
し 、 本 業 十 条 の 他 、 戒 律 二 条 の 計 十 二 条 の 試 験 が 行 わ れ る 。 七条
以 上 に 通 じ て い れ ば 合 格 す る 。 そ れ が 第 一 の 階 で あ る 。 階 を 順 次 に 記 す と 次 の 如 く で あ る 。 一 階 二 階 三階
四階
五 階 と い っ て 、 仕 夏維
復
試
麈
M 講 講 義 講業
三階
を へ る と 講 師 に 任 ぜ ら れ る資
格 と な り 、 五 階 を へ る と 諸 国 の 国 分 寺 講 師 に な っ た 。 承 和年
間 、 つ ま り 弘 法 大 師 が真
言 宗 年分
度 者 三 人 の 許 可 を得
た 頃、 五 階 を へ た僧
が 三 会 の 講 師 を へ て、 僧 綱 に任
ず る 資格
と な っ た 。 弘 法 大 師 は 弘 仁 元年
( 八 一 〇 年 ) 三 十 七 歳 で 東 大 寺 別 当 と な り 、 天長
元 年 ( 八 二 四 年 ) 五 十 一 歳 で少
僧 都 に任
ぜ ら れ て い る 。 前 年 の 弘 仁 十 四年
東 寺 に 僧 五 十 口 、 天 長 元年
に は 高 雄 山寺
に 僧 二 十 一 口 、 天 長 四 年 ( 八 二 七 年 ) 大 僧 都、 承 和 二 年 ( 八 三 五 年 ) 金 剛 峯寺
が 定 額 寺 と な り 真 言 宗 年分
度 者 の 試 業 を 毎 年 九 月 二 十 四 日 に行
う こ と な っ た 。 こ の 一 162 一 N工工一Electronlc Llbrary弘法大 師の 教育と その 変遷 (斎藤昭俊 ) 年 入
定
さ れ て い る の で 、 生 涯 、 こ の 年 分 度 者 の 問 題 は つ い て い た 。 僧 綱 の 役 目 は 官 度 の 試 験 、 還 俗 者 の 申 告 、 僧 尼 の 訴訟
の 裁 断 、 講 師 ( 国 師 ) の 任 命 等 で 、 僧 侶 の 綱 維 を 維 持 す る こ と で あ っ た 。 大 寺 に は 三 綱 が お か れ 、 寺 務 を 司 っ た 。 弘法
大 師 は 弘 仁 三 年 高 雄 山 寺 に 三 綱 を お い て 、 杲 隣 を 上 座 、 実 恵 を 寺 主、智
泉 を 都維
那 と し た 。 承 和 元 年 ( 八 三 四 年 )東
寺
に 綱 を お い て い る 。 弘 法 大 師 が 講 師 と な っ た も の 、 講 じ た も の を 抽 出 し て み る と 次 の如
く で あ る 。 弘 仁元
年
( 八 一 〇 ) 三 十 七 歳 実 恵 、 呆 隣、 智 泉 な ど数
名 の 弟 子 に 密 教 を 教 授実
恵 に 伝 法 灌 頂 職 位 を 授 く 弘 仁三 年 ( 八 一 二 ) 三 十 九
歳
高 雄 山 寺 で 金 剛界
結 縁灌
頂 を 行 う高
雄 山 寺 で 胎 蔵 界 結 縁 灌 頂 を 行 う 弘 仁四
年
( 八 二 二 ) 四 十 歳最 勝 王 経 の 講
讃
の後
、 内裏
の 論 義 に 列 席 光 定 に 法 華儀
軌 一 尊 法 を授
く ( 高 雄 山 寺 ) 高 雄 山 寺 で 金 剛 界 灌 頂 を 行 う 教 誠 を 示 す 弘 仁 七 年 ( 八 一 六 ) 弘 仁九 年 ( 八 一 八 ) 弘 仁 十 四
年
( 八 二 三 ) 天 長二
年
( 八 二 五 ) 天 長三
年
( 八 二 六 ) 天 長四 年 ( 八 二 七 ) 四 十 三 歳 四 十 五 歳 五 十 歳 五 十 二
歳
五 十 三歳
五 十 四 歳高
雄 山 寺 で 三 昧 耶 戒、 両 部 灌 頂 を 授 く 天 皇 、 般 若 心 経 を 書 写 し て 、 大 師 に 講讃
せ し む嵯
蛾
上 皇 に 灌 頂 を 授 く 円 行 に 両 部 大 法 を 授 く 東 寺 夏 安 居 に 守 護 国 界 主 陀 羅 経 を 講 ず る こ と が勅
許 さ る 桓 武 天 皇 の た め 法 華 経 を 講讃
す 金 剛 界曼
茶 羅 、 大 日 経 を 図 写 し、神
護 寺 で 講讃
す 一163
一NII-Electronic Library Service 智 山学報第二十二輯 承 天 天 天 天 天
天
和 長長
長
長長
長 元 十 九 八 七 六 五 年 年年
年 年年
年 A A ハ ハ 八 八 八 八 八 八 八 四 三 ニ ー 〇 九 八 ) @ )@ j @ )@ j )) と 著 述 が 明 ら か に さ れて る の に 反 し 、 論 じ た も の は 少 い 。 こ の 中で 知 れ る よ う に 、 に お け る 日 夜 の 研 は 勿 論 で あ る が 、
が
加 え ら れ る こ とは
弘 法 大 師 の 先 述 の 年 譜 に も らか
な こと
で ある 。 法 華 経 、 網 経 、 涅 槃 経を 講じ
、 若 経 、 若 経 、 維 摩経
、 華 経 、 い る 経 論 で あ る 。 弘 法 大 師 の 真 言 僧 教 育 の も う 一 つ の 重 な 面 は 事 相 ( 行 法 ) で あ る . 勅 に よ り 橘 寺 で 法 華 経 を講
讃 す 五 十 歳 勤 操 の 周忌
に 梵 網 経 を 講 讃 す 五 十 六 歳 三島
亡
女 周 忌 に 平城
京西
寺 で 法華
経 を 講 讃 す 五 十 歳 真 済 に 金剛
界 曼 荼 羅 次 第 法を
授 く 五 八 歳 東 寺 で真
雅 に 伝 法 灌 頂 職 位 を 授 くワ
十 九歳
最 勝会
結 願 で 、 紫 宸 で 論 義 す 六十
歳
真 雅 に 真 言秘 印 を 授 く 六 十 一 東 大 寺 真 言 院 で 法 華 経 、般 若 心 経 健 を 講 ず涅 経 を 書 写 し 、 講 讃 す 弟 子 等 に 遺
誡
す 真 然 に 真 言 秘 法 を 授 く 講 師 、 論 義 等 明 ら か で な い 面 が 多 い 。 こ の年
譜
に よ る と 明 ら か に 講 じ 、 論 義 安 居 、 法 会 の 講 讃 、 講 会 が 僧 の 公 式 な 修 学 の 場 で あ っ た 。 寺 これ
は 項 を ら た め て の べ る こ と と す る 。 真 言 宗 の 場 合 は 灌 頂 等 の 事 相 行 法 宗 乗 と は 違 っ た も の で 、 公 式 的 に 最 勝 王 経 、 講 讃 し て い の は 、 こ れ ら の経 典 は 当 時 最 も よ く 知 ら れ た も の で 、 他 に は 仁 王 般 勝 鬘 経 、 は 倶 舎 論、
三 論 、 成 唯 識 論 、 等 す べ て 十 庄 論 の中に最 引 用されて 入室、 得 度 、 加行、初法談 、 新加、入坦 灌 一弘法 大師の教育とその 変遷 (斎藤昭俊) 頂 、 交 衆 、 練 行 、
精
義 、 開 坦 の事
相 階 程 は 近 世 に 定 ま っ た も の で あ ろ う 。 元 和 元 年 ( 一 六 一 五 年 ) の 真 言 宗 諸 法 度 に は 「従
二 四 度 加 行[ 至 二 授 職 灌 頂 師資
授 法 儀 式 井 衣 体 色 浅 深一 可 レ 為 レ 如 二 先 規 寺 法 一 事 一 と あ る が 、 弘 法 大 師 に 最 も 近 い と 思 わ れ る 御 遺告
第 二 十 一 に 輙 く 伝 法 灌 頂 阿 闍 梨 の職
位 井 に 両 部 の 大 法 を授
く 可 ら ざ る の縁
起 が あ る 。 … … 非 器 の者
に 授 く 可 ら ず … … 但 し 両部
の 大 法 を 授 け ん と 欲 せ ぽ 、 顕 か に 人 器 の 気 色 を 見 定 め て の 後 、 本 尊 界会
に 向 っ て 、能
く 祈 願 し て 夢 に そ の 想 を見
よ、 若 し感
応 あ っ て 彼 れ 学 せ ん と 欲 せ ば 三 箇 月修
行 精 進 せ し め て、 然 し て 後 に 両 部大
法 を 授 く 可 し 、 但 し 伝 法 灌 頂 阿 閣 梨 の職
位 に 於 て は 専 然 に授
け 諾 へ う応
ら ず … …彼
れ が操
意 を 量 っ て 出 家 入 道 せ し め 、 得 度 し て 具 足 戒 を 受 け し あ て 、 生 年 五 十 に満
ち て 以 後 伝 法 灌 頂 の 阿 闍 梨 の 職 位 を 授 け て 、 密 教 の 種 性 を 継 が し む べ し と あ る 。 同 じ 御遺
告 の 第 十 六 宗 家 の年
分 を 試 度 す べ き 縁 起 が あ る 。 こ れ に は 夫 れ 以 れ ば件
の 宗 分 度 者須
ら く 初 め に 思 う か 如 く 東 寺 に試
度
す べ し 。 然 れ ど も 山 家 を 荒 さ し め ず と 欲 う て 、更
に 改 め て奏
し 官 符 を 金 剛 峯寺
に 下 さ ん と 申 し 欲 ふ 者 也 。 敢 え て 東 寺 を 厭 て南
嶽
を 汲 ひ か ん や、 今 須 ら く 東 寺 の 座 主 大 阿 闍梨
耶 執 事 し て 之 を 改 め 直 さ ん と 欲 す 。 亦 、 諸 定 額僧
の 中 の 能 才 の童
子 等 を簡
ひ 定 め て、 山 家 に 於 て 試 度 し て 即 ち 東 大 寺 の 戒 坦 に 於 て 具 足 戒 を 受 け し め よ 。 受 戒 の後
山 家 に 於 て 三 箇 年 練 行 し 、 厥 の後
各 各 師 に 随 っ て 密 教 を 受 学 せ よ … … と あ っ て 弘 法 大 師 が書
か れ た と は 思 わ れ な い が 、 当 時 の 状 態 を 示 し て い る も の と み ら れ る 。 こ れ に は 東 寺 と 金 剛峯
寺 の 対 立様
相 が う か が わ れ る が 、 年 分度
者 の 試 験 を 東寺
な り 、 金 剛 峯 寺 な り で 行 い 、 東 大 寺 戒 坦 で 具 足戒
を う け 、 寺 で 三年
(後
六 年 と な る ) 練 行 し て 、 密 教 を 学 ぶ 、 そ し て 人 器 の 気 色 を み て 、 本 尊 に 感 応 あ れ ば 三 カ 月 修 行精
進 さ せ 、後
に 両 部 の 大 法 を授
け る、 生年
五 十 に な っ て か ら 伝 法灌
頂 の 阿 闍 梨 と な る 。 東 寺 二 世 実 恵 が 承 和 十 年 ( 八 四 三 年 ) に伝
法 灌 頂 阿闍
梨 に つ い て 一165
一NII-Electronic Library Service 智山 学報第二 十二輯 「 両 部 の 大 法 及 び 宗 義 並 び に 五 種 の 護 摩 法 等 を
禀
け 学 び 、 修練
加 行 し て 、 師 範 と な る に 堪 え た る者
あ ら ぽ 、先
に 阿 闍 梨 位 を受
け た る者
、覆
審 試定
し て 、 そ れ を 名簿
に 録 し 、 別 当 相 署 し て奏
聞 し 、 然 る 後、 報 答 を待
ち て 、 そ の宗
の 長 者 阿 闍 梨 を し て 、東
寺 に お い て 、 伝法
の 職位
を 授 与 せ し め よ 。 凡 そ物
に は 必 ら ず 条 貫 あ り、 若 し貫
な け れ ば 乱 墜 せ ん 。 時 に 当 っ て 法 首 た る も の に 委 し て 之 を 行 な わ し め、 た や す く 爾 に 他 処 に て 伝 法 位 を 授 与 す る こ と を 聴 さ ず 。 ま た 阿 闍 梨 位 を 受 け、 及 び 一尊
の 契 を 学 ぶ の 法 師 は 諸 宗 の 智 老帖
に 准 じ て 、 明 か に そ の 年 臘 及 び 居 る 処 の 寺 並 び に 学 ぶ と こ ろ の秘
法 等 を 記 し て 、 宗 の俗
別 当 の 署 を 加 え て 、 之 を 所 司 に 牒 せ よ 」 と の べ て 、 戒 を う け、密
教 を 学 び、 五 種 の護
摩 法 を う け 、 両 部 の 大 法 を う け た も の を、 更 に 試 験 し て 、名
簿
に の せ、 こ れ を 別 当 が奏
聞
し て、 そ の 後 長 者 阿 闍 梨 が 東 寺 で伝
法 の 職 位 を 授 与 す る 。 伝 法 印 可 は師
資
相 承 で 「真
言付
法 伝 」 に あ る よ う に嫡
々相
続 で、 法 身 大 日 如 来 か ら 金 剛 薩 捶 、 竜 猛 、 竜 智 、 金 剛智
、 不 空 、 恵 果 、 そ し て 弘 法 大 師 空 海 と 伝 授 さ れ て き て い る Q 弘 法 大 師 以 降 は 師資
相 続 が 、 各 自 の 独 自 性 に よ り そ れ ぞ れ の 流 派 を つ く り、 広 沢 流、 小 野 流 が 十 二 流 と な り 、 三 十 六 流 と な り、 七 十 余派
に 分 流 す る に 至 っ た 。 阿闍
梨 も 本 来 的 な も の と は 異 っ た 皇 胤 名 家 の 出 身 者 を 特 別 に 一 身 に 限 り 勅 補 し て 一 身 阿 闍梨
と 称 し た 。 再 び 真 言 僧 の年
分 度 者 に も ど っ て 、 そ の教
科
内 容 を み る と 、 真 言 宗 で は こ れ を 三 業 度 人制
と い う が、 金 剛 頂 瑜 伽 経 業 一 人 、 大 毘 盧遮
那 成 仏 経 業 一 人、声
明 業 一 人 で、 金 剛 頂 業 で は 金 剛 頂 瑜 伽 経 の う ち の 一尊
法 、 菩 提 心論
、 金 剛 頂 十 八会
指 帰 、 大随
求陀
羅 尼 、 四 種 曼 荼 羅 義 が そ の 内 容 で あ る 。 大 毘 盧 遮 那業
で は大
毘 盧遮
那 経 の う ち の 一 尊 法、 大 毘 盧 遮 那 経 住 心 品 、大
毘 盧 遮 経疏
、 大 仏 頂 陀 羅 尼 、 即 身 成 仏 義 、声
明 業 は梵
字 悉曇
章、 大 孔 雀 明 王 経 、 声字
実 相 義 が か せ ら れ て い る 。 こ れ は 承 和 二 年 ( 八 三 五 年 ) 正 月 二 十 二 日 に勅
許
さ れ た が 、 翌 日 に は 大 幅 に 改 訂 さ れ た も の が 勅 許 さ れ た 。 そ れ は金
剛 頂 業 一 人、 修 学 内 容 は 十 八 道 一尊
の 儀 軌 、守
護
国 界 主 陀 羅 尼 経、 三 十 七尊
礼懴
経、菩
提 心 論、 釈 摩 訶 衍 論、 胎 蔵 業 一 人、 内 容 は 十 八道
一 尊 の 儀 軌、 六 波 羅 密 経、 三 十 七尊
礼 懴 経 、 菩提
心 論、 釈 摩 訶 衍 論、 一 166 一 N工工一Electronlc Llbrary弘法大師の教育とその変遷 (斎藤昭俊) 声 明 業 一 人 、 内 容 は 梵
字
真 言 大 仏 頂、 随 求 陀 羅 尼、 大 孔雀
明 王 経 と な っ て い る 。 前者
の 内 容 は 金 剛 頂 経 、 大 日 経、 曼 荼 羅 、 即 身 成 仏 、 声 明 で は梵
字 悉曇
章 で 極 め て 理 論 的 で あ る 。 後 者 は 金 剛 頂 経、 大 日 経 な ど が な く て、菩
提 心 論 、 釈 摩 訶 衍 論 の 論 書 を 加 え た が、 教 相 的 、 学 問 的 な の で な く 、 事 相 的 も な も の に 重 き を お い た も の に な っ て い る 。 こ れ は 十 住 心 論 等 か ら 考 え る と 真 言 宗 年 分 度 者 の 最 低 の カ リ キ ュ ラ ム を 示 し た も の と 思 わ れ る 。 真 言 僧 の 教 育 の 内 容 を 弘 仁 四 年 ( 八 = 二年
) の 「 遺 誠 」 ( 四 四 三 字 ) に よ っ て 図 示 す れ ぽ 左 の 如 く に な る 。 こ の 「 遺 誠 」 は実
質 的 な 真 言 宗 立 宗 の 宣 言 と い わ れ て い る Q真
言 僧 の 教 育1
1
本尊
の 一 二 摩 地 ( 修 法 )1
師 資 の 道 ( 法 の 義 に よ る愛
。 修 学 )l
l
二 利 円 満 ( 自 利 ・ 利 他 )l
I
二戒
の 遵 守 ( 顕 密 二 戒 )ー
1
即 身 成 仏 そ の 始 め に 「 仏 道 に 趣 向 せ ん に は 戒 に 非 ざ れ ば 寧 ぞ 到 ら ん や 」 と あ る よ う に 、 一 を は か る こ と に 統 一 さ れ て い る 。3
庶
民
の教
育
す べ て 三 摩 耶 戒 に よ っ て 知 と 行 の 即 綜 芸種
智 院 の創
設 は 実 に 偉 大 な る も の で あ っ た 。 天 長 五 年 ( 八 二 八 年 ) 十 二 月 十 五 日 弘 法 大師
が 五 十 五 歳 の と き で あ っ た 。 辞 納 言 藤 大 卿 つ ま り 藤 原 三 守 の 邸 宅 の 一 部 が提
供 さ れ 、 東 に は 施 薬慈
院 が あ り 、 西 に は 真 言 の 仁 祠 東 寺 が あ り 、 南 は 墓 地 ( 生 休 帰真
の 原 ) 、 北 は 被 服食
糧 廠 ( 衣 食 出内
の 坊 ) が あ っ た 。 南 と 北 に は 湧 き 水 が あ り 、 き れ い な 水 が 流 れ 、 松 、 竹 、 梅、 柳 の 木 が あ っ て 、 春 に は 鶯 や 雁 も や っ て く る 。 夏 は 涼 し い 。 こ ん な 美 し い 環境
で あ る け れ ど も 交 通 に は 便 で あ る 。 西 は白
虎 の 大 通 り、 南 は 朱雀
の 通 り が あ る 。 土 地 は 二 町 余 、校
舎
に あ て る 屋 は 五 間 で 、 一167
一NII-Electronic Library Service 智山学報 第二十二 輯 弘 法 大 師 の 理 想 の 一 つ 教 育 環 境 の よ い こ と は 、 こ こ で み た さ れ て い る っ 何 故 弘 法 大 師 は か か る 学 校 を
開
く こ と を願
っ た か 。 当 時 は 官 吏 養 成 機 関 に す ぎ な い貴
族 学 校 し か な か っ た 。 庶 民 で 勉 強 し た い 者 が あ っ て も 出 来 な か っ た 。唐
の 国 で は 教 育 が 盛 ん で あ る 。 国 民 に 教育
が な け れ ば 繁 栄 は な い 。 そ の 教 育、 学 問 は 仏 教 と 一 般 学 で な け れ ぽ な ら な い と考
え た の で あ る 。綜
芸 種 智 院 式 序并
に 九 流 六 芸 は 代 を 済 ふ 舟梁
十 蔵 五 明 は 人 を 利
す
る 惟 れ 宝 な り故 に 能 く 三 世 の 如 来 は 兼 学 し て 大 覚 を 成 し
十 方 の 賢 聖 綜 べ 通 し て 遍 知 を 証 す 然 り と 雖 も 眦 訶 の 方 袍 は
偏
に 仏 経 を翫
ぴ槐
序 の 茂 廉 は 空 し く 外 書 に 耽 る 三 教 の 策 五 明 の 簡 の 若 く に 至 っ て は 擁 泥 し て 通 せず
肆 に 綜 芸 種 智 院 を 建 て て 普 く 三 教 を 蔵 め て 諸 の 能 書 を招
く 備 僕 射 の 二 教 と 石 納 言 の 芸 亭 此 の 如 く 等 の 院 竝 に 皆 始 め 有 っ て 終 り 無 し人 去 っ て
跡
穢 る 大 唐 の 域 に は 坊 坊 に 閭 塾 を 置 い て 普 く 童 稚 を 教 ふ県 県 に 郷 学 を
開
い て 広 く 青 衿 を 導 く 是 の 故 に 才 子城
に 満 ち芸 士 国 に 盈 て り 今 是 の 華 城 に は 但 一 つ の 大 学 の み 有 り
閭 塾
有
る こ と無
し遠 坊 の 好 事 は 往 還 す る に 疲 れ 多 し
今 此 の 一 院 を 建 て て 普 く 童 蒙 を
済
は む 善 か ら ざ ら む や と 述 べ て 、 現 状 の 教 育 を 批 判 し 、 国民
教 育 、 学 問 に よ る 人 間 形 成 を の べ 、 教 育 は 四 条 件あ
っ て 可 能 な も の で あ る こ と を 指 摘 し て い る 。 智 を 得 る こ と は 仁 者 の 処 に 在 り覚
を 成 ず る こ と は 五 明 の 法 に 資 る法
を 求 む る こ と は 必 ず 衆 師 の 中 に し て す 道 を 学す
る こ と は 当 に 衣食
の資
に 在 る べ し四 の 者 は 備 は っ て 然 し て
後
に 功 有 り と し て 、 四 条 件、 つ ま り 、 場 、 法 、 師 、 資 を あ げ る 。 師 に つ い て 処 有 り法 有 り と 云 ふ と 雖 も
若 し 師 無 く は 解 を 得 る に 由 無 し
故 に
先
づ師
を 請 ず師 に 二 種
有
り一 は 道 二 に は 俗 道 は 仏 経 を 伝 ふ る 所 以 な り
俗 は 外 書 を 弘 む る 所 以 な り
真
俗離
れ ざ る こ と は 我 が 師 の雅
言 な り と し て 、 仏 教 を 教 え る 師 、 一 般 世 間 学 を 教 え る 師 が あ り、 仏 教 を 教 え る 僧 は顕
密 二 教 を 専 門 と し て 、 四 無 量 心 ( 慈・ 一168
一 N工工一Electronlc Llbrary弘法大 師の教 育と その変遷 (斎藤昭俊 )
悲
・ 喜 ・ 捨 ) 四 摂 法 (布
施 ・愛
語 ・ 利 行 ・ 同 事 ) を 基 本 と し て 、 貴 賤 の へ だ て な く 教 え る こ と、 世 間 学 の 教 師 も 慈悲
心 を も ち 、 忠孝
を 思 い 、貴
賤 を と わ ず に 、 四 海 は 兄 弟 で あ る と し て 教 え る べ き だ と 教 師 の 心得
を の べ て い る 。 一 般 世 間 学 の 教 科 内 容 に つ い て は 九経
( 易 ・ 書 ・詩
・ 礼 記 ・春
秋 左 氏 伝 ・ 孝 経 ・ 論 語 ・ 孟 子 ・ 周 礼 ) 九 流 ( 儒 家 ・ 道 家 ・陰
陽 家 ・ 法 家 ・ 名 家 ・ 墨 家 ・ 縦 横 家 ・ 雑家
・ 農 家 ) 三 玄 ( 荘 子 ・ 老 子 ・ 周 易 ) 三 史 ( 史 記 ・ 漢 書 ・後
漢書
又 は 史 記 ・ 後 漢書
・ 東 観 漢 記 ) 七 略 ( 輯 略 ・ 六 芸略
・ 諸 子 略 ・詩
賦 略 ・ 兵 書 略 ・ 術 数 略 ・方
技 略 ) 七 代 ( 晋書
百 三 十 巻 ・ 宋書
百巻
・ 斉 書 五 十 巻 ・ 梁 書 五 十 巻 ・ 陳 書 三 十 六 巻 ・ 周 書 ・ 隋 書 八 十 巻 の 七 代史
) 文 ( 歌 詩 )筆
( 銘 賦 ) が あ げ ら れ て い る が、 こ れ ら の 音 と 訓 、読
み と 意味
を 学 習 す る 。 こ う し て す ぐ れ た 教 師 に よ る 綜 合 教 育 、 儒 ・ 仏 ・ 道 に よ る 人 間 形 成 が は か ら れ る 。 こ れ が 弘 法 大 師 の 教 育 理 念 の 重 点 で あ っ た 。 更 に も う 一 つ の 重 点 は 教 師 ・ 生徒
の 生 活 を 保 障 す る こ と で あ る 。 綜 芸 種 智 院 式 序 并 に 師 資糧
食 の 事 夫 れ 人懸
瓠 に 非 ざ る こ と は 弘 丘 の 格 言 な り皆 食 に 依 っ て 住 す と い ふ こ と は 釈 尊 の 談 ず る 所 な り
然 れ ぽ 其 の 道 を 弘 め む と 欲 は ぽ 必 ず 須 ら く 其 の 人 に 飯 す べ し
若 し は 道 若 し は 俗 或 は 師
或 は
資
覚 道 に 心有
す る 者 竝 に 皆須
ら く 給 す べ し 然 り と 雖 も 道 人 素 よ り 清貪
を事
と し て未 だ 資 費 を 弁 へ ず
且 若 干 の 物 を 入 れ て 若 し 国 を 益 し 人 を 利 す る に 意 有 り 迷 を 出 で
覚 を 証 す る を 志 し 求 む る 者 同 じ く 涓 塵 を 捨 て て 此 の 願 を
相
済
ふ ぺ し生 生 世 世 に 同 じ く 仏 乗 に
駕
し て 共 に 群 生 を 利 せ む と あ る 。 道 を 求 め ん と す る 人 に は 給 費 を 完 全 に し な け れ ぽ な ら な い と し て 、 教 育 の 今 日 的 問 題 と も い え る 場 ・ 法 ・ 師 ・ 資 の 問 題 を 解 決 す る こ と に 努 力 し て い る 。 承 和 十 二 年 ( 八 四 五年
) の綜
芸 種智
院 を 売 却 す る 時 の 官 符 に 「 経 史 を 設 け て 教 業 に 備 え 、 田 園 を 配 し て 支 用 に 充 て ん と す 」 と あ る が 、綜
芸 種 智 院 の給
費 に 院 所 有 の 田 畑 か ら の 収 入 を 当 て た が 、 大 方 の寄
附 を 求 め た こ と は 綜 芸 種智
院 式序
井 に 明 記 さ れ て い る 。 弘 法 大 師 自 身 も 清貪
に 甘 ん じ 、 自 分 の 一169
一NII-Electronic Library Service 智山学 報第二 十二 輯 資
費
も弁
じ 得 な い が 国 を 益 し 、 人 を 利 す る の 意 が あ り、覚
を 証 す る老
の 意 を救
ふ べ き だ と 訴 え て い る Q こ の よ う に し て 弘 法 大 師 は 道徳
的、 社 会 的 、 宗 教 的 全 人 を 綜 合 的 に 形 成 す る 。 つ ま り 真 言 密 教 的 人 間 の 中 に す べ て の 目 的 を お い た の で あ る 。 道 徳 的 − 社 会 的 − 宗 教 的 ー1
全 人 ( 真 言密
教 的 人 間 ) 奈 良 の 律 令 的 傾 向 を う け 、 平 安 の 反 律 令 的 傾 向 を普
遍 的 に 綜 合 的 に う け と め 、鎮
護 国 家 、 済 生 利 民 (国
家 の た め の 修 法 は 五 十 一 度 ) が 全 人 格 的 行 為 と し て の 全 人 的 存 在 ( こ れ は 大 師自
身 の 人格
的 特 色 で あ る ) が、 国民
教 育 の 形 態 で 打 ち た て ら れ た の で あ る 。 か か る 日 本 教 育 史 上 の 金 字 塔 た る 種 智 院 も 東 寺 二代
の 実 恵 の と き 廃 校 ( 十 九 年 間 、 大 師 滅 後 十 年 ) に な っ て い る 。 よ き 後 継 者 を得
な か っ た こ と 、 財 政 的裏
づ け が な か っ た こ と に よ る で あ ろ う が、 そ の 教 育 は 述 べ き た っ た 如 く 教 育 の 機 会 均 等、 綜 合 教 育 、 完 全 給 費 制 に あ る こ と は 大 方 の ご 指 摘 の 通 り で あ る 。 一 170 一N工工一Electronlc Llbrary Servlce
4
大
師
以
後
の教
育
奈 良 時 代 は 勅 会 、 平 安 時 代 は 論 義、 立 義 後 に 竪 義 、 勧 学 会 と な っ た 。 奈 良時
代
の 勅 会 は 興禅
寺 の 維 摩 会、 大 極 殿 の 御 斎 会、 薬 師 寺 の 最 勝 会 の 三 会 を さ し て い る 。 前 述 し た 三 階、 五階
を へ た も の の 中 か ら維
摩 会 の 講 師 が え ら ば れ る 。 維 摩 会 の 講 師 を 勤 め た も の が 、 御 斎 会 講 師 を つ と め 、 こ の 二 会 の 講 師 を つ と め た も の が 薬 師 寺 最 勝 会 講 師 を つ と め る 。 こ の 三 会 講 師 を へ た も の が 僧 綱 に 任 ぜ ら れ る. 、 従 っ て 維 摩 会 の 講 師 に な る こ と は 大 変 名 誉 な こ と で あ る. 、 三 階 、 五 階 を へ た も の は 講 師 ・ 読 師 と よ ぼ れ た の で あ る が 、 「 伝 法 大 会 竪義
綱 要 」 に は 維摩
会 の 講 師 は 実 に 学 僧 一 世 一 代 の 晴儀
で あ っ た の で あ る 。 竪 義 は 恐 ら く こ の 維 摩 会 に 設 け ら れ、 毎 年 諸 大 寺 の弘法 大師の教育とその変遷 (斎藤 昭俊) 学 僧 を 選 抜 し て 登 階 の 試 業 と し た や う で あ る 。 維 摩 会 に こ の 竪 義 を 加 へ る や う に な っ た の は 仁 和 二 年 に し て 、 民 勢 法 師 が 始 め て 竪 者 に 選 抜 せ ら れ た と 伝 へ ら れ て 居 る が、 延 暦 二 十 五 年 正 月 の 太 政 官 符 の 中 に 既 に 立 義 と 云 ふ 名 目 が 用 ひ ら れ 、 天 長 七 年 九 月 の 太 政 官
符
に 「 夫 れ 立義
は 其 の 優 劣 を 議 し て 、 便 ち 諸 国 講 読 師 の 試 を 為 す 」 と 云 ふ 言葉
が あ る 。 更 に貞
観 十 年 十 月 の 太 政官
符 に ( 維摩
立 義 ) と 云 ふ 言 葉 が使
用 せ ら れ て い る 。 こ れ に 由 り て 観 れ ば 興福
寺 維 摩 会 竪 義 は 、 延 暦 二 十 五 年 以 前 に 定 め ら れ た や う に 思 う 。 一 こ の 立 義 は 学 僧 の 試 験 で あ っ て 、 立 義者
に 探 題 が 題 を 与 え 、 間 者 が そ の 課 題 に つ い て 色 々 と 質 問 す る 。 間 者 に は 己 講 者 が 当 り 、 そ れ を 精 義 者 が き い て 竪 者 の 立 義 を 判 定 し 、 最 後 に 探 題 ( 延 喜 十 一 年 に お か れ た ) が そ の 可 否 を 決 定 す る の で あ る が 、 竪 義 に は 十 題 出 さ れ る の が 普 通 で あ る 。維
摩
会 、 御 斎 会 、 最 勝 会 の 勅 会 三 会 だ け で な く 、 安 居 、 諸寺
の 講 会 に も 行 わ れ た 。 真 言 宗 に あ っ て は 東 寺第
二 世 実 恵 が 承 和 十 二 年 九 月 ( 八 四 五 年 ) 綜 芸 種智
院 を 売 却 し て 、 一 千 四 百 貫 文 を 得 て 、 丹 波 の 大 山 庄 に 水 陸 田 を 買 っ て 、 こ れ を 東 寺 の 伝 法 会 料 と し た 。 東 寺 で は 承 和 十 四 年 ( 八 四 七 年 ) よ り 毎 年 四 月 東寺
伝 法 会 が 行 わ れ る に 至 っ た 。 こ れ を 真 然 が つ い で 高 野 山 に 始 め た 。真
然僧
正 伝 法 二 会 式 目 に 首 二 三 月 一 日 一 尾 二 干 廿 一 日 一 三 七 日 之 間、 三 業 法 門 且 書 且 伝 受 耳、 是 名 二 修 学 会 ハ 首 レ 自 二 十 月 五 日 一 尾 二 干 十 八 日 「 二 七 箇 日 之 間 、 前 所 二 受 学 一 経 論 糺 二 謬 正 邪 一 是 名 二 練 学 之 会 一 と あ っ て 、 三 業 の 法 門 を 二 十 一 日 間 伝 受 す る 修 学会
と、 受 学 し た も の を 試 験 論 義 す る 練 学 之 会 が 十 四 日 間 開 か れ る 。 こ れ を 覚 鑁 上 人 が 中 断 し て い た も の を 長 承 元 年 (=
三 二年
) に 大 伝 法 院 で 伝 法 大 会 を 行 な い 、 学 頭 職 が お か れ た 。 こ の 伝 法 大会
は 春 季 五 十 日 を 修 学 会 と し て 教 義 を 講 論 し、 秋 季 五 十 日 を 錬 行 会 と い っ て 儀 軌 を 攻 究 し た が 、 金 剛 峯 寺 方 と 伝 法 院 方 と の争
い で 中 断 し た 。 こ れ を 安 元 元 年 (二
七 五 年 ) 西 行 が 達 華 乗 院 を 建 立 し て 、常
時 の 談 義 所 と し た 。 こ の談
義 所 に 治 承 元 年 (=
七 七年
) 再 び伝
法 大 会 が 開 か れ る に 至 っ た 。 建 久 年 間 (=
九 〇1
九年
) に 源 一171
一NII-Electronic Library Service 智山学報 第二 十二輯
頼
朝
が 勧 学 法 会 を 発 願 し 、 弘安
四 年 ( 一 二 八 一 年 ) 北 条 時 宗 が 創 め た 。 文 永 三 年 ( 一 二 六 六 年 ) 頼 瑜 が 大 伝 法 院 学 頭職
と な っ た が 金 剛峯
方 と の 確 執 で 、 正 応 元 年 ( 一 二 八 八 年 ) 伝 法 院 と 密 厳 院 の 二 院 を 根 来 山 に 移 し て 、 根 来 山 で 伝 法 大 会 を 修 し た の が 根嶺
伝 法 会 の 始 め で あ る 。 元 禄 三 年 ( 一 六 九 〇 年 )卓
玄 が 豊 山 に、 元 禄 九 年 ( 一 六 九 六 年 ) 宥 鑁 が智
山 に こ れ を 再 興 し た 。 覚 鑁 上 人 当時
の 伝 法 大 会 の 講 本 は 「 真 言 宗 談 義 聴 聞 集 」 に よ る と 、 十 住 心 論 が 中 心 で 、 即 身 義 、 声 字 義 、 吽 字 義、 二 教 論 、 菩 提 心 論 、 釈 摩 訶 衍 論 等 で 十 巻 章 に 十 住 心 論 、 釈 摩 訶 衍 論 等 を 加 え 、教
相
の 研 讃 を な さ し め た 。後
宇 多 法 皇 が 大覚
寺 に 教 王常
住 院 と い う 密 教 専 修 院 を 創 め た ( = 一 八〇
代
) 。 法 皇 は 学 院 維 持 の た め 、 両 三 の 荘 園 を 施 入 し、 二 十 五箇
条 御 遺 告 の 建 立 教 王 常 住 院 紹 隆 学 業 縁 起 第 四 に よ れ ば 、 学 院 に は 学 頭 二 又 は 三 、 学徒
三 十、 う ち常
住 侶 十 六 、 入 学 衆 十 四 と 定 め て い る 。 学 頭 は 学 業 優 長 に し て 宗 旨 邪僻
な ら ざ る も の を も っ て 補 せ 常 住 侶 は 学 衆 の 内 学 頭 に 至 り て 人 師 と な る べ き も の を 補 せ 常 住 の 人 は 多 く は 法 流 に 浴 す る の 人 を 以 て 之 に 補 せ そ の 人 無 く ん ば暫
く 他 人 の稽
古 優 長 の 輩 を 補 せ と 定 め ら れ て い る 。 学 科 内 容 は 金 剛 業 、 胎 蔵 業 、 声 明 業 の 三 業 に 分 か れ 、 三 年 課 程 で あ る 。 そ の 学 科 内 容 は 次 の 如 く で あ る 。 金 剛 頂 業 得 度 三 ヵ 月 加 行 、 受 明 坦 ( 十 八 契 印 を う け る ) 初 学 金 剛 頂 経 開 題 四 種 曼 荼 羅 義弁
顕 密 二 教 論 一 172 一 N工工一Electronlc Llbrary弘法大 師の 教育と その 変遷 (斎藤昭俊 ) 中 学 後 学 胎 蔵
業
初 学 中 学 後 学
声
明業
初 学 学 頭 よ り 三 ヵ 月 講 義 を き き、 夏 秋 孟 中 月 は 学 場 で 試 講 ( 復 習 ) 九 月 以 後 三 ヵ 月 重 ね て 加 行 灌 頂 入 坦 し て 学 法 阿 闍 梨 と な っ て 金 剛 界 大 法 を う け る 翌 年 正 月 菩 提 心
論
十 八 会 指 帰 釈摩
詞 衍 論 五 月 以後
試 講 両 部 兼 修 の 者 は 師 に 随 っ て 加 行 九 月 以 後 学 場 の ひ ま に 胎 蔵 界 大 法 を う く 金 剛 頂 義 決 、 理 趣 釈 経 は 講 書 で は な く 、師
に し た が っ て 伝 受 し 、 け な い 般 若 心 経 秘 鍵 大 日 経 開 題 秘蔵
宝 鑰 大 日 経 住 心 品疏
十 住 心 論 中 学 の 続 講 悉曇
字 記声
字
義 聴 受 す る 人 三 人 を こ え て は い 一173
一NII-Electronic Library Service 智 山学報第二 十二 輯 吽 字 義 中 学 大 悉
曇
章字
母 釈 後 学秘 蔵 記 瑜 祗 経 は 秘 奥 の
根
底 な れ ば 、 三 学 の 書 に 入 れ ず 、 大 阿 闔 梨 法 機 を 量 り て 伝 跏 三 年 の 課 程 が お わ っ た 者 は 蓮 華 峰 寺 の 十 二 僧 に補
せ ら れ て 、事
相 教 相 の 勤 行 を 恒 修 す る こ と と な っ て い た 。 行 学 必 双 で あ っ た 。 法 皇 は 至 二 干 吾 後 生 一 者 行 学 必雙
若 経 二 歴 一 道一 更 不 レ 可 レ 聴 二 許 之 一 雖 γ 有 二 智 愚 勝 劣 一 必 相 二 励 之 一 行 学 不 二 兼 備 】 非 二 吾 本 志 一 也 、 若 背 二 此 旨 】 者 永 非 二 吾 後 資 一 者 也 と い っ て い る 。高
野 山 で は 正 安 二 年 ( = 二 〇 〇 年 ) 十 一 月 勧 学 会 法談
に 関 す る 規 定 三 箇 条 が 制 定 さ れ た が 、 そ の 後衰
微
し 、 文 保 二 年 (;
= 八 年 ) 九 月後
宇 多 法 皇 が 院 宣 に よ っ て 勅願
法 会 と し 、 肥 後 国岳
牟
田 庄 を 永代
勧
学 院 料 地 に寄
進 し た 。 院 宣 に 高 野 勧 学 院 可 レ 為 二 御 願 所 一 事 、 右 尋 二 勤 学 院 建 立 有 緑 之 子 細 一 在 二 高 野 山 一 結 界 無 漏 之 聖 跡 則 為 二 真 言 法 門 事 相 教 相 之 談 議 所 一 専 擬 二 我 后 聖 朝 安穏
安 全 之 勅 願寺
門 匪 三 啻 致 二 上 都 泰 平 之 精 勤 → 殊 亦 表 二 東 関 久 祖 之 懇祈
→ 紹 隆 之 濫 觴 誠 有 二 其 由 → 造 営 之 草 創 叡 感 尤 深 者 也 、 仍 以 二 肥後
国 岳 牟 田 庄 → 永 寄 二 当 院 家 営作
料 所 一 畢 、 触 申 事 由 於 二 鎌 倉 一 宜 〆 令 レ 致 二 興 行 之 沙塗
被 〆 止 二 地 頭 之 妨著
何 無 一嶺
掌 之窒
乎
者 、 院 宣 如厩
悉 之 以 状 ・ 文 保 二 年 九 月 二 + 九 融 と あ っ て 勧 学会
は 真 言 僧 の 事 相 教 相 研 修 の 場 で あ っ た 。 応 永 年 中 ( 一 四 〇 〇 年 代 )宥
快 が 宝 性 院 に 住 し て 左 学 頭 ( 権 大 僧 都 が 例 と な る ) 、 長 覚 が 無 量 寿 院 に 住 し て 右 学 頭 ( 権 少 僧 都 が 例 と な る ) と な っ て 、 そ れ ぞ れ 宝 門 ( 而 二 一 174 一 N工工一Electronlc Llbrary弘 法大師の教育と その変遷 (斎藤 昭俊 ) 門 説 を 表 と す る ) 、 寿 門 ( 不 二 門 説 を 表 と す る ) と な っ て 、 一 宗 勧 学 の 棟 梁 と な り 、 野 山 三 千 大 衆 の 依 止 と な っ た 。
1
両門 首 一宝 性 院 左 学 頭 (権大僧 都
) 一無量寿院右
学 頭 (権 少 僧都 ) 阿 闍 梨100
− (うち浅
臈30
人を山籠 と い う) 一碩学
1
一集
議t
一年
預1
(護 摩 衆
1
(学 頭7
13
1
−50
)2
)1
1
義者
精竪
聴 聴 衆
10
1
読
書 2
1
1 一三十 入寺
85
− [1
一学 道 衆20
1
会
衆
135
1
新 学 衆168
1
昇 口10
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一衆
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中瀛
一下 座 余 児 剃 の 学 侶00
人 を 謂 口 )10
衆分
( う ち 上 座 三 十 一 175 一 ( う ち 下 座 二 十 人 を 横 目 ) 衆 口 か ら 学 道 衆 に 至 る 五 階 級 を 衆 分、 三 十 入 寺 か ら年
預 に 至 る も の を 中 臈 と い い 、 集 議碩
学
を 老 分 と い っ た 。 こ の 坐 階 は す べ て 教 学 に よ る も の で あ っ て 、 法 談 、 論 議 を 主 と し た の は 高 野 山 、 智 積 院、 長 谷 寺 と も 同 じ で あ る 。 高 野 山 で は 毎年
恒 例 法 談 十 六 科 が あ る 。NII-Electronic Library Service 智山学 報第二十二 輯 法