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博士学位請求論文

「自己」の文化社会学

―現代における大衆的セルフヘルプ・メディアの実証的分析―

牧野智和

(2)

目 次

凡例

序 ・・・・・・・・・1

「自己」への関心増大と、その内在的な理解に向けて 本論文の構成

本論文の意義 初出一覧

【第1部 問題設定と理論・方法論的枠組】

第1章 「自己」の文化社会学に向けて ・・・・・・・・・13

第1節 「自己」を「文化」という観点から考える ・・・・・・・・・14 1-1.自己をめぐる問いと社会

1-2.「文化」のパースペクティブと「自己の体制」

第2節 自己の文化論的理解の源流 ・・・・・・・・・17 2-1.文化人類学

2-2.歴史研究

2-3.ミシェル・フーコーの知見

第3節 自己の文化社会学の位相 ・・・・・・・・・21 3-1.近代的自己について

3-2.身体の社会学

(1)病と健康

(2)食と自己、スリムな身体

(3)美容整形と化粧

(4)ファッション

3-3.消費社会、ポストモダニティと近代的自己の揺らぎ 3-4.後期近代における自己

(1)後期近代と「自己の再帰的プロジェクト」

(2)社会の「心理主義化」と「セラピー文化」の興隆 3-5.管理社会、監視社会における自己

第4節 本論文において採用する状況認識の確定 ・・・・・・・・・31

第2章 「自己のテクノロジー」研究の位相――今日における「自己の体制」の分析概念として

・・・・・・・・・33

第1節 「自分探し」の時代とその分析に向けて ・・・・・・・・・34 第2節 ニコラス・ローズにおける「心―科学」と統治性 ・・・・・・・・・35

2-1.ローズの分析視角――主体化の専門技術としての「心―科学」

(1)専門技術としての「心―科学」

(2)専門技術としての「心―科学」の機能――主体化

(3)

2-2.「心―科学」による主体化の系譜(1)「心理学的人間」という真理の可視化

(1)近代心理学の成立と「心理学的人間」の誕生

(2)民主主義における諸制度と「心―科学」

2-3.「心―科学」による主体化の系譜(2)「自己のテクノロジー」の提供

(1)主体的な労働者をエンパワメントする「自己のテクノロジー」

(2)家族の自己決定を支援する「自己のテクノロジー」

2-4.「自己のテクノロジー」と統治性 2-5.ローズの知見の含意

第3節 ミシェル・フーコーにおける「自己のテクノロジー」 ・・・・・・・・・43 3-1.「自己のテクノロジー」論の位置づけ

(1)フーコーの研究における位置づけ

(2)権力に対する抵抗という視点 3-2.フーコーの晩年の研究の展開

(1)分析枠組

(2)古代ギリシャにおける「快楽の活用」

(3)ヘレニズム~ローマ帝政初期における「自己への配慮」

(4)初期キリスト教における自己の解読・放棄と「主体の解釈学」

(5)近代における「自己との自己の関係」

第4節 「自己のテクノロジー」研究の位相 ・・・・・・・・・49 4-1.社会学的自己論における活用

4-2.権力と抵抗についての検討

4-3.教育への実践的活用の手がかりとして 4-4.「自己のテクノロジー」と新自由主義的統治

第5節 本論文における研究対象の導出 ・・・・・・・・・59

第3章 「文化のパースペクティブ」とその研究法――本論文における方法論について

・・・・・・・・・62

第1節 メディア資料を分析することの意義 ・・・・・・・・・63 第2節 「文化のパースペクティブ」について ・・・・・・・・・64 第3節 意味の網の目としての文化とその研究法 ・・・・・・・・・65

3-1.「文化のパースペクティブ」の源流――クリフォード・ギアーツ 3-2.「文化」の分析的決定における客観性および「文化のダイヤモンド」

3-3.カルチュラル・スタディーズの立場からの示唆

(1)カルチュラル・スタディーズの文化へのスタンス

(2)分節化/節合の視点

第4節 本論文における研究方法論について ・・・・・・・・・71

(4)

【第2部 現代における大衆的セルフヘルプ・メディアの実証的分析】

第4章 自己啓発書ベストセラーの戦後史――戦後日本における「自己のテクノロジー」の系譜学

・・・・・・・・・73

第1節 本章における分析対象とその目的 ・・・・・・・・・74 第2節 先行研究に対する本論文の立場と資料収集の基準 ・・・・・・・・・76

2-1.先行研究と本論文の立場 2-2.資料収集基準について

第3節 自己啓発書のルーツ ・・・・・・・・・79 3-1.自己啓発書の古典

3-2.思想的ルーツ①ニューソート

3-3.思想的ルーツ②ニューエイジ、新霊性運動

第4節 自己啓発書ベストセラーの分析 ・・・・・・・・・82 4-1.分析対象資料の全体的傾向

4-2.戦後~1960年代――人生論、記憶術、松下幸之助

(1)人生論ブーム

(2)記憶術と立身出世

(3)松下幸之助と経営者論

(4)小括

4-3.1970年代~1980年代中盤――仏教の心、ライフスタイル論、「女性」論

(1)仏教書ブーム

(2)「ライフスタイル」への注目

(3)小括

4-4.1980年代中盤~1994年――バブル経済の前後における「心」の模索

(1)失われた「心」を求めて――伝統への回帰

(2)1990年代前半におけるさまざまな「心」の模索

(3)小括

4-5.1995年~2002年――自己啓発書の分岐点

(1)『脳内革命』というブレイクスルー

(2)海外の著作の輸入による自己の技術化

(3)小括

4-6.2003年~2009年――法則論の増殖、スピリチュアル、仕事術と脳科学

(1)法則論の増殖――「強い心理主義」の台頭

(2)スピリチュアル・ブーム

(3)「仕事術」の台頭と脳科学

(4)小括

4-7.女性の生き方、女性にとっての自己

(1)「女性らしさ」「妻らしさ」の時代

(2)「女性らしさ」から「自分らしさ」、そしてカツマーへ

第5節 総括 ・・・・・・・・・111

5-1.まとめと考察 5-2.先行研究との比較

5-3.「自己の体制」をめぐる解釈仮説と検討課題の確認

(5)

第5章 「就職用自己分析マニュアル」が求める自己とその機能 ・・・・・・・・・115

第1節 本章の目的 ・・・・・・・・・116

第2節 大学生の就職活動における「自己分析」について ・・・・・・・・・117 2-1.大学生の就職活動における「自己分析」について

2-2.自己分析に関する先行研究の検討

第3節 就職用自己分析マニュアルについて ・・・・・・・・・121 3-1.分析素材「就職用自己分析マニュアル」について

3-2.「自己をめぐる権能の偏在・流動」仮説の検証――マニュアル執筆者の傾向 第4節 自己分析という「自己のテクノロジー」――就職用自己分析マニュアルの分析から

・・・・・・・・・124 4-1.就職対策書における「自分自身に対して行う作業課題」の登場

4-2.自己分析の目的論――採用市場の変化との節合 4-3.過去・現在・未来から「本当の自分」を導出する

(1)自己分析という「自己のテクノロジー」の様態

(2)過去の回顧と現在の分析

(3)未来の想像

4-4.セルフヘルプ・マニュアルとの相違点――職業の導出、客観化と有効性、自己表現

(1)「なりたい自分」から「なれる自分」へ、主観から客観へ

(2)自己の演出とエピソード化 4-5.自己分析の終着点

第5節 自己分析市場の機能――不透明性の低減、個人的動機づけの支援・調整、社会問題の個人化

・・・・・・・・・139 5-1.自己分析という「自己のテクノロジー」について

5-2.自己分析市場の機能

第6章 女性のライフスタイル言説と自己――ライフスタイル誌『an・an』の分析から

・・・・・・・・・142

第1節 本章の目的 ・・・・・・・・・143

第2節 ライフスタイル誌『an・an』の特性とその展開について ・・・・・・・・・145 第3節 『an・an』における「自己のテクノロジー」の分析 ・・・・・・・・・148

3-1.分析の視点について

(1)記事の選定基準

(2)分析の視点――自己に働きかける「動詞」の分析 3-2.1980年代以前における自己へのまなざし

(1)理想的イメージに向けて、自己を演出する

(2)変えられる外見、変えられない内面

3-3.1990年代前半――心理テストが構築する「本当の自分」

(1)1980年代以前の心理テストをめぐるダブル・スタンダード

(2)『それいけ!ココロジー』と深層心理への接近――本質主義的自己の構築 3-4.1990年代後半――内面の技術対象化

(1)「本当の自分」を知るための手続きの増殖――「あるがままの私」を知り、受け入れる

(2)「自己の変身」の意味変化――外見だけでなく、内面も変えられる 3-5.2000年代――「私」を磨き、高め、行動によって実現する

(6)

(1)「私」を磨き、高めるというまなざしの強まり

(2)目標を実現させる行動集の増殖

(3)心理テストの意味変容 3-6.小括

第4節 自己を語る権能の所在――生き方関連特集における記事登場者の分析

・・・・・・・・・172 4-1.「雑誌の記事に登場して何かを語る」ということ

4-2.分析手法と諸職業の登場傾向

(1)分析手法について

(2)諸職業の登場傾向

4-3.記事登場者の時期ごとの変化

4-4.小括――諸職業集団の「複合的」権能という理解

第5節 総括 ・・・・・・・・・180

5-1.『an・an』における自己をめぐるまなざし 5-2.自己をめぐる権能の「複合体」と「主体位置」

5-3.『an・an』における「自己のテクノロジー」と「女性らしさ」

第7章 ビジネス誌が啓発する能力と自己――ビジネス能力特集の分析から

・・・・・・・・・184

第1節 本章の目的 ・・・・・・・・・185

第2節 「力」の増殖とそれを捉える視点――対象資料の選定とその特性について

・・・・・・・・・186 2-1.「力」の増殖とそれを捉える視点

2-2.本稿における分析対象とその特性――三誌のビジネス誌について

第3節 ビジネス誌において啓発される「力」について ・・・・・・・・・192 3-1.掲載される「力」の傾向

3-2.先行研究との比較、およびメディア制作プロセスからの検討

第4節 ビジネス誌において啓発される「自己の自己との関係」 ・・・・・・・・・195 4-1.自己モニタリング、自己コントロールと「力」

4-2.潜在能力を高め、最大限に発揮する

4-3.創造的思考、独創的表現への志向とその「マニュアル」化 4-4.他者と組織における本質の発見、潜在能力の最大化

(1)組織の成員の潜在能力を最大化する

(2)組織の本質的問題を発見し、その強みを最大化する 4-5.小括

第5節 ビジネス誌の特性の複眼的理解 ・・・・・・・・・205 5-1.諸能力の体現者と定義者――自己をめぐる権能の偏在について

(1)今日におけるビジネス能力を体現する人物とは誰か?

(2)今日におけるビジネス能力を定義し、啓発する人物とは誰か?

5-2.『プレジデント』における過去の記事執筆者について――自己をめぐる権能の流動について 5-3.『日経ウーマン』との比較からみる三ビジネス誌の特異性

第6節 総括 ・・・・・・・・・215

6-1.ビジネス誌における自己をめぐるまなざし 6-2.自己をめぐる権能の偏在・流動について

(7)

6-3.記事登場者の登場形式について――今日的「通俗道徳」のダイナミズム

終章 セルフヘルプ・メディアが創出する「自己の体制」 ・・・・・・・・・219

第1節 セルフヘルプ・メディアが創出する「自己の体制」 ・・・・・・・・・220 1-1.1990年代以降における自己の技術対象化

(1)セルフヘルプ・メディアが創出する「技術的に処理可能な自己」

(2)社会学的自己論における本論文の意義 1-2.「自己のテクノロジー」の諸機能

(1)バリエーションの相違性――「自己のテクノロジー」による再生産

(2)バリエーションの相同性――「自己の自己との関係」の自己目的化

(3)新自由主義的統治性への奉仕?

1-3.自己をめぐる権能の偏在・流動について 1-4.私たちが生きる「自己の体制」と本論文の効用

(1)私たちが生きる「自己の体制」

(2)本論文の効用

第2節 今後の課題 ・・・・・・・・・239

引用・参考文献 ・・・・・・・・・241

資料編 ・・・・・・・・・252

「自己啓発書ベストセラー」一覧 ・・・・・・・・・253

「就職用自己分析マニュアル」一覧 ・・・・・・・・・256

『an・an』抽出記事一覧 ・・・・・・・・・263

「ビジネス能力特集」一覧 ・・・・・・・・・286

(8)

凡 例

 本文中における記述の形式、引用文献の出典記載形式、巻末における参考文献の記載形式等、本 論文における記述の諸形式は、基本的には日本社会学会『社会学評論スタイルガイド』に準じて いる。

 ただ、文献・資料の引用については、以下の基準に従って記載を行っている。

 先行研究については、短い引用の場合、本文中にかぎカッコ「 」でくくるかたちで引用 を行う。長い引用の場合、前後各一行ずつを開け、かぎカッコ「 」でくくるかたちで引 用を行う。この長い引用の場合、引用箇所のポイントは9ポイントとする。

 メディア資料については、短い引用の場合、本文中にかぎカッコ「 」でくくるかたちで 引用を行う。長い引用の場合、前後各一行ずつを開け、かぎカッコ「 」でくくるかたち で引用を行う。メディア資料を長く引用する場合、引用箇所のポイントは9ポイントとし(こ こまでは先行研究の引用と同様)、さらにより印象箇所が際立つよう、フォントをHG 丸ゴ シック M-PROとする。

(9)

1

「自己」の文化社会学

―現代における大衆的セルフヘルプ・メディアの実証的分析」―

(10)

2

「自己」への関心増大と、その内在的な理解に向けて

『100 年に 1 度の経済危機』」と言われて、もう 1 年以上になります。厳しい経済情勢や職場環境を反映して か、書店では『自分の強み』を探るためのノウハウ本や、働く意味を問う本が増えたように思います」

『朝日新聞』2010.1.30「読んでお得なビジネス本」

『昨年の“品格”本ブームのように、いまはビジネス本の中の“スキルアップ系”が盛り上がっている』(中略)

スキルアップ系とは、勉強法など自分の価値を高めるためのビジネス本だ。なぜそれが売れているのか。話は 90 年代前半にさかのぼる。山一證券の自主廃業などで金融不安が相次ぎ、企業にはもう頼れない、自分の価値を高 めないと生き残れない、そんな個人のサバイバル時代に突入。ビジネス本も時代の空気を反映した。これまでの 大上段から大企業の経営論を語ったものではなく、身近な経営を語るライトタッチのビジネス本が出版されるよ うになった」

『日経エンタテイメント!』2008.5「あなたはなぜビジネス本を買ってしまうのか?」

「20 代、30 代を中心に、勉強本や自己啓発本の購入、セミナーへの参加など、自己投資が盛んになっている。

一説によると自己投資市場は年率 20%成長の世界。経済不況の影響もあり、その伸び率に拍車がかかっていると いう。何が若手・中堅ビジネスパーソンを自分への投資に駆り立てるのか」

『日経トレンディ』2009.7「自己投資が心を支える時代」

近年、これらの記事にあるような「自分の強み」を探るためのノウハウ本、勉強本、ビジネス書と いった、より包括的にいえば自己啓発書への関心が高まっている。2009年の年間ベストセラー(出版 科学研究所調べ)を見ても、『「脳にいいこと」だけをやりなさい!』(マーシー・シャイモフ著、茂木 健一郎訳)、『面倒くさがりやのあなたがうまくいく 55 の法則』(本田直之)、『断る力』(勝間和代)、

『リーダーになる人に知っておいてほしいこと』(松下幸之助)といったビジネス書や、より広く生き 方について考えようとする『しがみつかない生き方』(香山リカ)、『人間の覚悟』(五木寛之)といっ た著作が並んでいる。出版業界内部においても自己啓発書の好調な売れ行きが注目されており1、自己 啓発は近年における一つのブームであるということができるだろう。

このような事態については、さまざまな解釈が示されている。たとえばビジネス書そのものの変質 という観点から、以下のような言及がなされている。

「かつてのビジネス書は価格・装丁・内容とも比較的ハードなものが多く、版元も読者も限定的だった。例えば ダイヤモンド社の P.F.ドラッカーの著書を学生や主婦が気軽に手に取る事はなかっただろう。しかし 01 年に読 者間口の広い“寓話”『チーズはどこへ消えた?』(扶桑社)がビジネス書として読まれミリオンセラーとなった のをきっかけに、ビジネス書に変化が起きた。広義の人生訓・自己啓発書として読める仕様にし、内容に一般性 を持たせることで、ビジネスマン以外の読者をも取り込む方向へ向かいだしたのだ。つまりビジネス書のノンフ ィクション化である。

一般的・普遍的な内容となったビジネス書には、総合出版社や実用書出版社など、これまでの“ガチガチのビ ジネス書”には手を出し難かった出版社も参入が可能となり、ビジネス書の一般書化が加速…(後略)

1 たとえば『日販通信』2007.102009.2)では、ビジネス書、自己啓発書のブームと好調な売れ行きを背景に、その 販売戦略に関する特集が組まれている。その中では、かつてのビジネス書の売れ筋が「経営戦略論」「マクロ経済論」

であったのが、近年は「教養・自己啓発」へと変化したことが言及されている(「読者ニーズを捉えたビジネス書販売 のポイント」『日販通信』2007.10)。また、「自己への投資」がキーワードとなっている今日、自分自身を高めることへ の意識が高くなっていること、「自分にとって、必要な知識を取捨選択し、自分のニーズを満たすべく、本の購入がな される、といった流れの中で、『難解』『総合的な』テキスト的商品は敬遠され、廉価な『分かりやすい』商品が選択さ れる傾向が強まって」いることがそれぞれ報告され、それらに合わせた効果的な販売戦略を練るべきだと主張されてい る。

(11)

3

(出版科学研究所『出版指標年報 2009』

「競争があるところほどマーケットは拡大するといわれるが、スキルアップ本が好調なのは、著者の参入が激しい ことも理由にある。ここ最近は出版点数が増えたり、これまで文章を書くことには無縁だった人までブログを書き 始めたことで、出版社の著者探しの幅が広がったからだ。なかでも読者のあこがれをあおれるコンサルタントは人 気で、『知名度のない若手も青田買いしている』(関係者)と言う。(中略)スキルアップ系ビジネス本が他ジャン ルを侵食して増加していく傾向はしばらく続くだろう」

『日経エンタテイメント!』2008.5「あなたはなぜビジネス本を買ってしまうのか?」

ビジネス書のノンフィクション化・一般書化、書き手の増殖・多元化、他ジャンルへの浸食。こう した指摘が当てはまる例を挙げることは難しいことではないだろう。たとえば2010 年のベストセラ ーである『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら』(岩崎夏海)

は、ライトノベル風のタッチと挿絵で、かつてなら「気軽に手に取る事」がありえなかった経営学者 ピーター・ドラッカーの経営哲学をとりあげる著作である。『もしドラ』とも呼ばれる同書は既に、電 子書籍の部数を含め200万部を突破しているといわれる。また、電車の中吊り広告や新聞の書籍広告 等をみれば、このような自己啓発への志向が、ビジネス以外の内容を扱う他ジャンルのメディアへと 広がっていることも容易に確認できるだろう。もちろんそれらは各メディアの文脈に即して改変され るものである。たとえば女性向けのメディアであれば、「本当の自分」の発見、ポジティブあるいは幸 せになるための自己改革、「恋愛力」や「女子力」の強化といったように。就職・転職に関するメディ アであれば、採用に向けた自己意識の啓発、キャリアビジョンの構築、表現スキルの向上といったよ うに(これらの内容は本論において詳細に言及する)。つまり文脈は異なるものの、かつてであれば、

他ジャンルのメディアにはあまり見られなかったような、自己啓発的な志向および言表が近年では当 たり前のように登場するようになっているのである。自己啓発書への関心増大に付随して、「自己啓発 的な言表の一般化」もまた進行しているということができるだろう。

このような自己啓発書への関心増大および自己啓発的言表の一般化の一つの帰結として起こった のが、2009年から2010年にかけて続いたいわゆる「勝間・香山論争」だと考えられる。『断る力』『起 きていることはすべて正しい』等のベストセラーを輩出し、働き方や生き方における効率性と合理性 を主張する経営評論家・勝間和代に対し、『しがみつかない生き方』において平凡な「ふつうの幸せ」

を説く精神科医・香山リカの対談は話題を呼び、2010年には『勝間さん、努力で幸せになれますか』

(朝日新聞出版)として刊行されるに至った。筆者がここで注目したいと考えているのは、その論争 自体の勝敗や行方ではなく、こうした論争や、その背後にある事態(自己啓発書への関心増大と自己 啓発的言表の一般化)への解釈がどのようになされたかということである。まず「勝間・香山論争」

については、勝間がベストセラー作家となった2008年から2010年にかけて、勝間の立場、勝間の信 奉者「カツマー」についてと合わせて、以下のようなかたちで論じられてきた。

「いま売れているのは、例えば勉強法ひとつとっても、方法論を記しただけの抽象的なノウハウ本ではない。著 者の体験や実践に基づいたスキルアップ本だ。読者は本を通じて、著者の成長を疑似体験する。(中略)読者から すると、学ぶためにビジネス本を読むつもりが、結果的に楽しんで読み終わる。ビジネス本読書が、仕事に必要 な苦行から感動の疑似体験に変化しているともいえるだろう。そんななかで物語の主人公である著者は、いくら 優秀でも無個性だとつまらない。著者の個性を前面に出さないと物語は面白くならない――つまり“キャラクタ ー”が求められるようになった。(中略)こうして著者のタレント化が進む。タレントにしたほうが知名度だけで なく、リアリティーが出て売れるからだ。加えて、単なるタレントにとどまらないプレーヤーも出てきた。この 状況を戦略的に活用して、ベストセラーを“意図的”に作り出す著者の登場だ。それがいま旬の勝間和代氏…(後 略)

(12)

4

『日経エンタテイメント!』2008.5「あなたはなぜビジネス本を買ってしまうのか?」

「ファイナンシャルプランナーなどを講師に呼ぶセミナーは、キャリア志向のバリッとした女性の参加者が多い。

一方、勝間氏が講師のセミナーは、参加者の年齢層は同じ 20~30 代でも、地味であまり目立たない OL 風の女 性がたくさんいた。『競争社会を勝ち抜いて上へと進む一群に追いつこうとする膨大な数の人が、カツマーなので はないでしょうか。実際、僕の周囲のキャリア志向の女性には勝間さんのメソッドを実践するのは物理的に無理 だし、効果はそれほどでは、という人が多い。つまり、“幻想”と分からない層が本を買っている』(佐々木俊尚 氏)

「社会学者の宮台真司氏は、今やベストセラーの 6~7 割は自己啓発書という現状を解説する。『肯定感が得られ ない社会状況で、生きづらさを解消する一番簡単な方法は自意識を変えることです。自己啓発書は読んでいる時 だけ元気になって、いずれ効用が切れる“スタミナソング”。本当に成功する人は読まないでしょう。読者はたい ていは一過性のものと気づいているので、効用が切れたらまた次を服用する。だから、勝間氏と香山氏の本を同 時に買っても不思議じゃない』

『サンデー毎日』2009.9.27「『勝間』『香山』どっちをとる?」

「自己啓発本にはアッパー系(覚醒剤系)とダウナー系(鎮静剤系)があって、人間には常に両方必要なんです よ。だから『目標を立てて頑張れ』というアッパー系の勝間和代ブームがしばらく続いて、『頑張るだけでは疲れ てしまう』というダウナー系の需要が出てきたところ。精神科医として活躍している香山リカがうまくスイート スポットとして入った」

『日経エンタテイメント!』2010.1「『IQ84』がぶっちぎりの一人勝ち 日本語本&自己啓発本も検討」

いわく、勝間はこれまでとは違う戦略的な書き手である、勝間の信奉者「カツマー」は幻想にとり つかれている、勝間と香山のどちらの読者も一過性の肯定感を得るために本を買い求めているに過ぎ ない(そして彼/女らは成功できない)、そもそも両者は自己啓発書の両輪に過ぎない、等々。

こうした解釈についての筆者の見解を提示する前に、「勝間・香山論争」に限らず、自己啓発書へ の関心増大という事態への解釈がどのようになされてきたかについても確認しておきたい。それは概 して次のように言及されることが多い。

「こうしたビジネスマン向けの自己啓発書、いわば『お勉強本』に人気が集まる背景には、昨今の日本企業が抱え る問題が影響している。バブル崩壊後、企業は新入社員の採用を絞った。その結果、中高年社員と新入社員の間が 大きく抜け、いわゆる『ロストジェネレーション(70~80 年代生まれの団塊ジュニア世代)』が生まれた。日本 の企業における従業員教育は基本的に『オン・ザ・ジョブ・トレーニング』(職場内訓練)で、社会に出たばかり の右も左も分からない新入社員は、仕事のノウハウを先輩社員から学んできた。ところが大きく間が抜けたことで、

社員同士のノウハウの伝達があまり行われなくなった。そこで若いビジネスマンが自分のスキルを磨くために、転 職の可能性も含めて、お勉強本を買っているのだ。これらの本のヒットは、人員、経費、時間といった面での企業 の余裕のなさをうかがわせている」

『日経エンタテイメント!』2008.5「あなたはなぜビジネス本を買ってしまうのか?」

「企業は頼みにならない――。個で生きる覚悟が必要だと悟った人々は、頼りは自分の能力、そして人脈だけだと 感じている。しかし、自分磨きのためにも『よすが』は欲しい。そこに現れたのが、成功哲学の体現者である。(中 略)流動性の高い社会に生きる私たちは、自分の哲学の源泉を何に求めるか、それを抱いてどこへ歩いていくか、

自分ですべて決めなければならない。増え続ける成功哲学との付き合い方も、その一つ。良い悪いで語るべきこと ではない。言えるとすれば、これほど成功哲学が求められるのは、グローバル化した社会は厳しく、もはや気楽に は生きられないと感じる人が増えているからに違いない。成功哲学を通じて人が集うのも、現代を生きる人間の自

(13)

5 助の新しい形なのだろう」

『日経トレンディ』2009.7「自己投資が心を支える時代」

これらの記事では、日本型雇用・訓練慣行の崩壊や経済のグローバル化と流動化といった、主に経 済を中心とした社会的背景や、そうした状況において自己啓発書を求める人々(読者層)の志向とい った観点から、自己啓発書への関心増大という事態が説明されている。「勝間・香山論争」もまた、社 会的背景や読者層について検討することからその現象を読み解こうとするアプローチが主流であった。

やや時代が戻ることになるが、2000年代初頭における若者の「自分探し」についてとりあげた以下の 雑誌記事においても、このようなアプローチは同様であった。

「書店に行けば、自己啓発本に当たる――そんな時代になってきた。中でも目につくのは、『1 分で』『今日から』

『小さいことから』『自分を変える』『なりたい自分になれる』といったタイトルだ。値段も 500 円くらいから 1500 円という具合。費用もあまりかからず、楽チンなことをするだけで、しかも時間をほとんどかけることも ない“安・楽・短”がキーワード。そんな[お手軽自己変革]本が 20~30 代に売れているとか。しかし、どう してそうなるの?ブームの深層を読み解く!」

『SPA!』2001.2.14「若者が「お手軽自己変革」に走るちょっとお寒い理由」

この記事では、「20代~30代が安易な自己変革に走る原因と影響」として、心療内科医、社会心理 学者、文化人類学者のコメントを引用しながら、以下の四つの仮説が示されている。すなわち、

「自分を知らず、アイデンティティが曖昧。潜在的な不安を抱える」

「興味の対象が『公→私』に。“本当の自分探し”の答えを本に求める」

「社会の急速な変化で混乱するからこそ、人生のマニュアルを求める」

「成功は才能によるものではなく、運やコツによるものだと考える」

の四つである。こうした若者の傾向を「ちょっとお寒い」と評する同記事では、さらに「変わりたい 若者が、皮肉な結末を迎える可能性も」として、以下のように記事を締めくくっている。

「結局、もとの自分がないために、空の箱に本を詰め込んでいるだけに等しい。空虚な空回りの“自分探し”の“ゴ ール”は、実体のない自分という悪循環。そうした生産性の低い無限ループにはまってしまったら、本当の自分と 向き合い幸福をつかむチャンスはますます遠のいてしまうだろう」

この記事から見えるのは、「自分探し」に惹きつけられる若者の傾向、特性を嘲笑しようとする態 度だといえる。これは『SPA!』という雑誌の立ち位置でもあるだろうし、あるいはより包括的に、

1990年代から2000年代にかけての「若者バッシング」言説の拡散という観点から解釈することもで きるだろう(羽渕 2008など参照)。だがいずれにせよ、この「自分探し」に関する記事もまた、冒頭 から言及してきた自己啓発(これは『SPA!』が 2001年の時点でとりあげたものと同一の事象とは 必ずしもいえないが、「自分探し」として言及されることもある)に関する記事と同様に、いずれも主 に20代から30代の若者たちが「自分探し」や自己啓発に勤しんでいるらしいという観点から、それ をさも珍しいものでも見るかのようにとりあげ、その読者層(の明示的、暗示的なバッシング)や背 景についての評論に終始している点では同様のスタイルをとっている。だが、こうした社会的背景や 読者層についての議論には、根本的ともいえる盲点があるように思われる。では、それはどのような ものか。

確かに、読者層や背景を語ることは、上述したような事象を理解するにあたっての重要かつ分かり

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やすいアプローチであるだろう。だが、これらの記事で、まるで珍しいものでもみるかのように言及 され、バッシングされる当の20代から30代(ロストジェネレーション)にあたる筆者からは、その 期間が一過性であるか、あるいは自分でそのことに気づいているか等はどうあれ、「自分探し」や自己 啓発、自己変革にという営みに強く惹きつけられているという事態は珍奇なものではなく、むしろよ く分かるようなこと、いかにもありそうなこととして感じられるのである。繰り返しになるが、その ことを、惹きつけられる層や社会的背景から考えることは一つの方策ではある。だが、もっと内在的 に、筆者を含むロストジェネレーションの世代が、その探求や啓発、変革に強く惹きつけられてしま うような「自己」とはそもそも何なのか、ということがもっと考えられてよいのではないかと筆者は 考える。従来の議論は、いってみれば宗教を信じる人々について、それを信じる人々の属性や、信じ るに至る社会的背景の評論に専ら傾注し、その宗教が説く世界観や教理といった内的な存立構造には ほとんど踏み行ってこなかったのである2。この従来の議論における盲点、すなわち人々がその探求や 啓発、変革に勤しむような、「自己」についての内的存立構造を読み解くこと――これが本論文の目的 である。

より精確に言い直しておこう。すなわち、最も包括的には、筆者が依って立つ社会的構築主義と呼 ばれる社会学上の立場は、あらゆる社会的事象を反本質主義的に捉えようとする。つまり、ある社会 的事象に関する内的本質は存在せず、それは社会的に構築されるものなのだ、と。この構築に際して 重要なのが、歴史・文化的に特殊なものとしてのシンボル・言語・表象体系である。これらがなけれ ば私たちは何も考えることができない。逆に、これらのシンボル・言語・表象体系があることで、私 たちはさまざまなことについて認識し、考え、目標を抱き、動機づけられるようになるのである。「自 己」という対象もまた、その生物学的基礎や、それにもとづく基底的な感情の構造を除けば、「自己」

の認識や、その探求・啓発・変革についての様態のほとんどが、当該社会における歴史・文化的に特 異なシンボル・言語・表象体系に強く規定されていると社会的構築主義の立場は考える。そのような 観点から本論文は、筆者もまた含まれる、ロストジェネレーションと呼ばれる世代(もちろんこの世 代のみではないが)が自己探求・啓発・変革に強く惹きつけられているという事態について、それを 分からないもの、「普通に考えたら」ありそうもないこととして外在的に評価し、バッシングするので はなく、そもそも少なからぬ人々が強く惹きつけられてしまうような「自己」とはどのようなものな のか、当人たちにとってそれはどのように立ち現われているのかという観点から、その「自己」の存 立構造を内在的に理解しようとするのである。より具体的には、「自己」の認識やその探求・啓発・変 革の様態とは、それを誘い、また導く自己啓発的、自助的なメディア(論文内ではセルフヘルプ・メ ディアと呼称する)というシンボル・言語・表象との相関物であると捉え、そうしたメディアの分析 を通して、私たちが生きている「自己」の様態を描き出してみようとすることが本論文の目的である。

本論文の構成

このような目的のもとに書かれる本論文は二部構成になっている。第1章から第3章までが第1部

「問題設定と理論・方法論的枠組」という理論パート、第4章から第7章までが第2部「現代におけ る大衆的セルフヘルプ・メディアの実証的分析」という実証パートとなっている。第7章の後には終 章が続き、第2部における分析の総括を行うとともに、本論文における結論を提出する。こうした本 論文の流れを示したものが図1である。第1章における問題設定の提示、第2章における分析概念の 提示、第3章における方法論の提示を踏まえ、第4章では実証パートの導入としてセルフヘルプ・メ ディアの最も包括的な見取り図を描き、第5章から第7章でより詳細な検討を行うという流れである。

2 ただ、宮台は「自己」をめぐる議論というかたちではなく、さまざまなかたちで現代を生きる人々の生の内的存立構 造に言及してきたともいえる。宮台が中心となって著した『サブカルチャー神話解体』1993)は、サブカルチャーの 内的論理に戦略的に傾注した分析であり、本論文のような立場の一つの極点にある。

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図1 本論文全体の流れ

以下、従来であれば各章の内容を簡潔に記述するところだと思われるが、ここでは各章についても その内容を図解で示すことにしたい。これは、第1部は理論的なレビュー、第2部は「資料の厚み」

にもとづく活字メディアの分析という、言語による記述が圧倒的に中心となる本論文の理解に際して、

その展開を別様のかたち(図解)で示しておくことは有意義だと筆者が考えるためである。まず第 1 部については図2から図4を見てもらいたい。第1部では以下のようにして、本論文の問題設定、分

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析概念(第2章では合わせて分析対象)、方法論の提示を行っていく。

図2 第1章「自己の文化社会学に向けて」の流れ(問題設定の導出)

図3 第2章「『自己のテクノロジー』研究の位相」の流れ(分析概念の導出)

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図4 第3章「『文化のパースペクティブ』とその研究法」の流れ(方法論の提示)

第2部の各章は、第4章におけるセルフヘルプ・メディアの包括的な動向把握と論点の提出、第5 章から第7章における各文脈におけるセルフヘルプ・メディアの特性分析と論点の検討という位置づ けを除けば、その展開自体はほぼ斉一である。そこで第4章から第7章までの流れは図5として以下 に一括して示すこととする。このような展開を経て、終章において、私たちが生きている「自己」の 様態、その内的存立構造についての総括的見解を提出する。

図5 第4章から第7章の流れ

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本論文の意義

上述のように展開する本論文について、その意義を主に学術的な諸先行研究との比較から示してお きたい。

人々の自助、自己啓発という営みについては、これまでにも社会学の各分野において研究がなされ てきた。たとえば、自己啓発セミナーやマルチ商法等の登場とともにその動向に注目し、研究成果を 蓄積してきた宗教社会学の諸研究(芳賀・弓山 1994, 島薗 1996, 小池 2007など)がその最たるも のとして挙げられるだろう。実際、本論文における具体的な分析結果は、こうした宗教社会学の研究 成果と重複する箇所も少なくない。だが、本論文での分析素材には一部宗教的ともいえる素材が含ま れているものの(霊能力者による著作など)、そのほとんどは非常にありふれた、自己啓発セミナーや マルチ商法よりもさらに一般的なメディアである。つまり宗教社会学の諸研究とは、その研究対象の 基本的な性質において異なっている。本論文の立場は、宗教社会学の立場(上述の研究もまた、従来 の宗教社会学が扱ってこなかった事象を扱うものであったが)からは射程に収めきれないような、今 日における自己探求・啓発・変革を促すメディア言説の様態を捉えようとするものである。またこの 際、本論文はそうしたセルフヘルプ・メディアにおける宗教性に注目しようとするものでもない。本 論文の焦点は、メディア言説が構築する今日的な「自己」の特異なモデル、ヴァージョンにある。つ まり分析の観点も宗教社会学のそれではない。本論文の立場は、宗教社会学の諸研究成果が参考にな るところは少なくないものの、その立場からは捉えきれない今日的事象(自己啓発書への関心増大と 自己啓発的言表の一般化)を、社会学的自己論の観点から検討しようとする、これまでにない独創的 な試みだということができる。

宗教との関連性が弱い、より一般的な人々の自助と自己啓発については、教育社会学や歴史(社会)

学における先行研究の蓄積がある。江戸期から主に戦前にかけての通俗道徳、教養主義、修養主義の 研究がそれである(安丸 1974[1999], 竹内 1991, 筒井 1995など)。本論文の中でもこれらの諸研究 に一部触れているように(第7章など)、大衆的な自己形成・自己啓発の「エートス」を考える際に、

これらの研究が参考になるところは少なくない。しかしながら、これらは当然、本論文が扱うセルフ ヘルプ・メディアの今日的動向を射程に入れるような研究ではなく、また「自己」という分析視点を 中核に据えた研究でもない3。本論文はそのため、大衆的な自己形成・自己啓発のエートスの今日的動 向という意味では、こうした教育社会学・歴史(社会)学的研究の延長線上にあるものと定位できる かもしれないが、これらの先行研究の枠組ではやはり捉えきれない事象を、先行研究とは異なる自己 論の観点から捉えようとする、やはり独創的な試みだということができる。

扱う素材の重複のみに注目すれば、重複する著述が存在している。たとえば第4章で扱う自己啓発 書、第5章で扱う就職用自己分析マニュアルについて、社会の「心理主義化」という観点から言及し た森真一(2000)がそれである4。あるいは、若者の「自分探し」という観点から、近年の自己啓発 書の流行に言及した速水健朗(2008)の著述もある。このように、扱う素材という点では本論文とこ れらの著述はほぼ重複している。しかしこれらの著述と本論文は、自己啓発書の流行に何が見出すか という点において異なっている。森は自己論というより、その後に続く「マクドナルド化」のような 社会変動の観察と評論に論点の比重があり、速水は関連する事象の紹介とそこから推察される若者の 特性に比重がある(つまりこれらはともに、「自己」そのものではなく、その社会的背景と読者の特性

3 これは研究対象が発生した時代状況が、その分析の最適な観点を異ならしめる(道徳・教養・修養か、自己か)とい うことでもあるだろうし、研究者自身の置かれた時代状況と研究動向が、やはり道徳・教養・修養に向かわせるか自己 に向かわせるかということの違いを生んだということでもあるだろう(筆者がロストジェネレーションに属することに 基づくと考えられる感覚を上述したように)。そのためこの相違は、研究対象や研究者に関するさまざまな制約による ものであるともいえる。

4 社会の「心理主義化」「心理学化」論については小沢牧子(2002、斉藤環(2003、樫村愛子(2003、山田陽子(2007 なども参照。このうち小沢、斉藤、樫村については、森と同様に理論的考察あるいは社会評論の域を出ていない。山田 は一部実証的な考察を行っているが、フィールドとしているのは教育現場であり、本論文とは対象が大きく異なる(人 格崇拝の加速を主張しているという点では、視点も異なる)

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を主に論じようとする著述だといえる)。また双方ともに、その分析や論述が、客観的・再検証可能な 手続きをもとに行われているとは言い難い。本論文の意義は、これらの著述によってその特異性が言 及された自己啓発書の流行という事象について、客観的・再検証可能な手続きをもってその事象の本 質、すなわちそれらが構築する「自己」の様態に迫ろうとする点にあるといえる。海外にも、本論文 でも幾度か言及するアンソニー・ギデンズ(Giddens 1991=2005)によるセルフヘルプ・マニュア ルの分析がある。ギデンズの知見はその背後にある社会理論的枠組(モダニティ論)においても、ま た具体的な分析結果においても、参考になるところは非常に大きい。だが、この分析もまた議論の主 目的はモダニティ論にあり、その分析も客観的・再検証可能な手続きに基づくものとは言い難い。そ のため、より重点的にセルフヘルプ・マニュアルの分析を行い、現代における「自己」のあり方につ いて検討したミッキ・マギー(McGee 2005)と伊佐栄二郎(2006)の著述が本論文における直接的 な先行研究ということになるのだが、これらのうちマギーについては客観的・再検証可能な手続きに もとづく分析であるかどうかという点では課題を残している(伊佐の議論の意義と限界については一 言では論じられない。本論第4章のなかでより詳細にその位置づけを行うこととしたい)。

これらの諸先行研究の整理を踏まえ、本論文の意義について改めて次のように定式化することがで きるだろう。本論文は、冒頭で挙げたように近年人々の関心をますます集めながらも、読者論と背景 論に終始し、またその実証的研究の成果が十全に蓄積されていない、自己啓発書への関心増大と自己 啓発的言表の一般化という事象をとりあげる。そして、今日広く流通するセルフヘルプ・メディアが 扱い、求め、その構築を促す「自己」とは何かということについて、可能な限り客観的・再検証可能 な手続きにもとづいて分析を行い、今日を生きる私たち(ロストジェネレーションと括られる世代を 中心とするような)にとっての「自己」の内的な存立構造を明らかにすることを目的とする。また本 論文は、人々がかつてないほど「自分探し」や自己啓発、あるいは「自分磨き」に勤しむ時代におけ る「自己」とは何かに迫ることを通して、そこから今日の社会を透かし見ようとする研究でもあると いえる。つまり、「自己とは何か、どうあるべきか」そのものではなく、「自己とは何か、どうあるべ きか」を自然と考えさせられてしまうような社会の構成に目を向けること。本論文はそのような観点 から「自己」について、また社会についての探究を行い、私たちの生のあり方を根本から見つめ直し てみようとする一つの試みなのである。

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12 初出一覧

第1章 自己の文化社会学に向けて

「『自己』の文化社会学に向けて」『学術研究 教育学・生涯教育学・初等教育学編』(早稲田大学 教育学部)58号、2010年3月

第2章 「自己のテクノロジー」研究の位相――今日における「自己の体制」の分析概念として

「通俗心理学について社会学的に考える」『社会学年誌』(早稲田社会学会)48号、2007年3月

「ニコラス・ローズにおける『こころの科学』と主体性」『ソシオロジ』160号(社会学研究会)、 2007年10月

「『自己のテクノロジー』研究の位相」『ソシオロジ』166号(社会学研究会)、2009年10月 第5章 「就職用自己分析マニュアル」が求める自己とその機能

「大学生の就職活動における『自己分析』の系譜――『就職ジャーナル』を素材として」『早稲田 教育評論』(早稲田大学教育総合研究所)23号、2009年3月

「『就職用自己分析マニュアル』が求める自己とその機能――『自己のテクノロジー』という観点 から」『社会学評論』(日本社会学会)61巻2号、2010年9月

第6章 女性のライフスタイル言説と自己――ライフスタイル誌『an・an』の分析から

「心理学的技法が創出する『自己』――ライフスタイル誌『an・an』における心理学的技法の分析」

『社会学年誌』(早稲田社会学会)50号、2009年3月

「セラピー文化の媒介者とその形式――ライフスタイル誌『an・an』における記事登場者の分析か ら」『ソシオロジカル・ペーパーズ』(早稲田大学社会学院生研究会)18号、2009年3月 第7章 ビジネス誌において啓発される自己――ビジネス能力特集の分析から

「ビジネス誌が啓発する『力』に関する一考察――社会的実践としての『力』をめぐる表現の分析」

『教育社会学研究』(日本教育社会学会)84号、2009年6月

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【第1部 問題設定と理論・方法論的枠組】

第1章

「自己」の文化社会学に向けて

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14 第1節 「自己」を「文化」という観点から考える

1-1.自己をめぐる問いと社会

「私」って何だろう。「自分」とは何者なのか。

あんな・こんな「私」になりたい。「自分」を変えたい。どうしたら変えられるのだろうか。

「私」は他人にどう見えているのか。どう思われているのか。どうしたら「私」のことを認めても らえるだろうか。

もっとうまく「自己」を表現したい。「自分」をうまく伝えるにはどうすればいいのだろうか。

自らにとって、また他者にとって「私」「自分」「自己」が何であるか、どうありたいか、そのため に何をすべきかといったことをめぐるこうした問いや望み(さまざまに表現は可能だが、ここでは「自 己をめぐる問い」と表現することにしたい)は、あまりにありふれた、陳腐にさえ見えるものかもし れない。だが私たちは人生のさまざまな場面で自己をめぐる問いに直面する、あるいはしてきたはず であり、その意味ではこれらは一見陳腐に見えたとしても、私たちにとてもなじみ深いものといえる はずである。

ところで、冒頭の問いや望みの多くは、一見して全く個人的、内面的な問題だと映るのではないだ ろうか。そのため、こうした自己をめぐる問いに答えうる学問があるとしたら、それは哲学や心理学 だと考える人が多いかもしれない。それらの学問が自己なるものの本質を教えてくれるのだ、と。だ がここで次のようなことを考えてみたい。仮に私たちが自己をめぐる問いについて悩んでいたとした ら、そのとき私たちは哲学や心理学の専門書だけでなく、哲学や心理学的な装いをもちながらより砕 けた感じの本や、書店に平積みになっている自己啓発書のベストセラー、あるいはエッセイや自伝な どを手に取って考えるといった選択肢をとることができるはずである。また、カウンセラーや占い師 に相談する、血液型性格診断や各種の占いで気を紛らわす、啓発的なセミナーや講演会に参加する、

バックパックを持って旅に出かける、ボランティア活動に身を投じる、服装やメイクやインテリアを 変えてみる、思い思いの趣味に没頭する、仕事上でのスキルアップを図る、仕事を辞めて資格の勉強 をするといった選択肢をとることもできるだろう。さらに、学校での「心の教育」や「キャリア教育」

を通して、あるいは就職活動に際しての自己分析やエントリーシートの提出プロセスにおいて、自分 はどんな人間なのか、将来自分が何をしたいのか、考えることを促されるかもしれない。自分一人で 考える場合や、身近な友人や家族に相談する場合でも、私たちは「自己アイデンティティ」から、「自 分らしさ」「やりたいこと」「本当の自分」「自分探し」「トラウマ」まで、さまざまな専門的用語ある いは独特の言い回しを用いて、自己を考え、表現することができる。

このように、今日を生きる私たちの周りには、自己をめぐる問いに取り組み、考え、表現するため の多くの手がかりがあり、私たちはその答えをさまざまなかたちで導き出すことができる。だが、私 たちにとっては当たり前のように見える、このような自己についての手がかりは、どのような社会に おいても共通するものなのだろうか。当然、共通しないものである。社会体制、国家体制、学校制度 および進学率、識字率、科学的知識の浸透の程度、各種産業の発達、ヒト・モノ・情報の流動性、流 行、社会の成員の意識、メディア環境、そしてジェンダー、人種、エスニシティ、階級をめぐる状況 等、非常に多くの社会的変数がここには関係している。これらの変数次第で、自己をめぐる問いのバ リエーションがそもそも異なってくるだろうし、またそうした問いに対して可能な答え、望ましい答 えの範囲も変わってくるだろう。たとえば、生まれてから死ぬまでの身分が固定的な社会において冒 頭のような問いが人々の関心を集めるとは考え難いし、服飾産業が発達していない社会では服装によ って自己を演出するなどという感覚はありえないものだろう。こう考えるとき、先にあげた自己をめ ぐる問いが私たちにとってなじみ深いものであり、またそうした問いに取り組み、考え、表現するた めの多くの手がかりがあるような今日の状況こそが、非常に特異な状況なのだと考えられそうである。

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このように、自己をめぐる問いとは、その一見した印象と異なり、非常に社会的な問題なのである。

1-2.「文化」のパースペクティブと「自己の体制」

自己をめぐる問いに対して何らかの実体的な回答や定義、あるいは望ましいあり方を示すのではな く、社会によって自己をめぐる問いへの可能な答え、望ましい答えが異なることを強調するこのよう な立場は、家族、教育、犯罪、宗教、医療などあらゆる社会現象をシンボル・言語・表象体系によっ て織りなされる意味の網の目としての「文化」(Geertz 1973=1987: 6, 10)という観点から捉える立 場にもとづくものといえる。このような立場は社会学において1980年代から1990年代にかけて構造 機能主義的なシステム論に代わって浮上・定着したといわれるが(厚東 1998: 32-3)、ここではそれ を長谷正人(2002)にならって「『文化』のパースペクティブ」と呼ぶことにしたい(以下、表現を 簡略化するため「文化のパースペクティブ」と表記する)。この立場から自己をめぐる問いを考え直す とき、次のような疑問が生じることになるだろう。もし、冒頭のような問いや望みを解決・達成する ことができたとしても、それは私たちがその中を生きている意味の網の目=文化の筋書きに沿ったも のに過ぎないのではないか、それは自分で選んでいるようで実はそのような方向に知らず知らずのう ちに誘導され、動機づけられ、選ばされた自己のあるヴァージョンに過ぎないのではないか、と。

もちろん本論文の筆者はそうした意味の網の目=文化の外に「本当の自己」があるとか、逆にその 中により「真正な自己」があるとか言いたいわけではない。そもそも「文化のパースペクティブ」の 立場は、扱う対象についての非本質主義的理解を前提としているため、本論文においても自己につい ての直接的で実体的な回答を提示することはしない。それでもあえて言うとするならば、それぞれの 社会におけるシンボル・言語・表象体系によって織りなされる意味の網の目=文化が自己の可能な、

また望ましいあり方の範囲を縁取り、社会の成員はそのシンボル・言語・表象体系のうち、それぞれ が利用できる、限られた、また偏った資源を用いて自己について考え、取り組み、個々人にとっての 自己をさまざまなかたちで組み上げている(その組み上げ方も社会によって異なる)、というのが筆者 の自己についての見方、立場である。

ただ、ここでいうシンボル・言語・表象体系や意味の網の目という表現は非常に抽象的である1。そ こで、「文化のパースペクティブ」の立場から自己についてより具体的に考えるために、ミシェル・フ ーコー派の社会学者ニコラス・ローズの知見を参照したい。ローズは、「私たち自身や他者への理解の 仕方や働きかけ方が、ある記述のもとに人間を認識可能で実践可能とするある種の方法の発明のもと に可能になる」(Rose 1996: 2)としたうえで、そうした認識・実践方法のもとに発明され、構築され た自己の可能な、また望ましいあり方を「自己の体制regime of the self」と表現している。つまり私 たちにとって、自己をめぐる問いそのものや、そうした問いへの手がかりは、一見すると全く個人的、

内面的な問題であるようにみえるが、それは自己あるいは他者、より包括的には人間について認識し、

解釈し、理解し、診断し、分類し、発見し、変え、作り、磨き、強化し、支援し、エンパワメントし、

動機づけ、調整し、矯正し、癒し、表現しようとする、何らかの知識・技法なしには存在しえないと ローズは考えるのである。このような観点からすれば、自己啓発書、エッセイや自伝、カウンセリン グや占い、セミナーや講演会、旅行、ボランティア、服装やメイクやインテリア、趣味、資格といっ た上述の例もまたすべて、自己をめぐる問いを創出し、人々の前につきつけ、意識化させ、実践可能 な課題へと化していくことで、特定の「自己の体制」を形づくる知識・技法の一部なのだと考えるこ とができるだろう。これらの知識・技法は「心の教育」や「キャリア教育」のように、ただ個々人が 自発的に利用するだけにとどまらず、時に他者や社会制度あるいは各種産業を通して促され、また課 されるものでもある。また、たとえば哲学や心理学のような何らかの知的権威に根拠づけられて人々 の前に現われるものでもある。だが繰り返しになるが、こうした知識・技法のバリエーションはどの

1 シンボル・言語・表象体系や意味の網の目という表現の理論的位置づけは第3章でより詳細に行うこととし、まず本 章では自己というテーマに関して意味するところを明確にしておきたい。

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社会においても共通するものではない。私たちは当該社会で流通する自己についての知識・技法のう ち、自らにとって利用できる、限られた、また偏った資源を用いて、自己について考え、取り組み、

個々人にとっての自己を組み上げているのである。では、今日を生きる私たちにとって利用できる、

あるいは自然と利用してしまうような自己をめぐる知識・技法とはどのようなものなのだろうか。ま た、それらの知識・技法が自己の可能な、また望ましいあり方すなわち「自己の体制」を縁取るもの だとすれば、それはいったいどのようなものなのだろうか。

このような観点から、自己をめぐる問いに対して実体的な回答を提出する代わりに筆者が行おうと するのは、自己をめぐる知識・技法の布置を観察することによって、今日を生きる私たちにとっての

「自己の体制」を描き出そうとすることである(これは私たちがその中を生きている、自己をめぐる 意味の網の目=文化そのものに迫ることとも言い換えられる)。私たちにとって、今日どのような自己 をめぐる問いが突きつけられているのか、そのためにどのような知識・技法にもとづいて、何をなす べきだとされているのか。そのような状況において、私たちが誘導され、動機づけられ、望ましいと 感じ、自然に選びとってしまうような自己の優勢なヴァージョンがあるとすれば、それはどのような ものなのか。これらを明らかにすることを通して、自己についての探究を行うことが本論文の目的で ある。もちろん、自己をめぐる知識・技法(自己をめぐるシンボル・言語・表象体系)はそれ自体固 有の論理をもつものだと考えられるが、その出現や展開においてよりマクロな社会体制、政治・経済 的動向、さまざまな社会的変数とも関係していること、またその関係のあり方も社会によって異なる ことをあらかじめ断っておきたい。

本章では、上述したような本論文の目的を達成するにあたり、今日の「自己の体制」について包括 的に理解するための見取り図を描くことを目的とする。すなわち、自己を「文化のパースペクティブ」

から理解することに貢献するような諸研究を整理することで、今日の「自己の体制」について位置づ け、また具体的な分析対象を導出する手がかりを得ることを本章の目的としたい。以下、2 節におい て本論文の立場の源流となっている諸研究を、3 節において今日的な自己について考えるための示唆 となる諸研究をそれぞれ検討する。4節では議論の小括を行う。

参照

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