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土木考古学による古墳築造技術の分析試論

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序論

 考古学研究における土質工学(土木工学の一分野)の重要性は、土木技術史を追究する上で、

より客観的な判断材料を提供するという点にある。たとえば古墳の墳丘盛土を遺構断面図から分 析する場合に、その検討材料は発掘調査者の認識に基づく分層と図化、土層註記(含有物・色 調・しまり・粘性)が主体となる。これは必要不可欠な情報ではあるものの、やや客観性に欠け る点は否めない。

 筆者(青木弘2007・2009・2010)は、これまで古墳構造の分析を進めていくなかで、各種調査 報告書における記録の不備あるいは土質工学分析の未実施という問題に直面してきた。

 昨今の発掘調査は、緊急性が高く様々な制約のなかで進めざるを得ないためか、本来は盛土遺 跡の分析に必要不可欠な土質工学調査を実施している事例は、数ある調査の中でも一握りという 状況である。

 盛土建造物や城郭などの構築を可能とした土木技術の歴史的展開を土木技術史と呼称するなら ば、土木技術史の追究は、遺跡や建築物が日々失われる状況にある現実問題に加え、人類史にお ける技術史の側面を明らかにするという学問的課題において必要不可欠な研究である。

 この土木技術史を考古学から追究する分野として、近年、土木考古学が注目を集めている。

 本論では、日本列島の代表的な盛土建造物である古墳を対象として、盛土技術に関する分析方 法を再検討する第一歩として、これまで進められてきた考古学・土木工学の研究史を振りかえる。

両研究史を整理した上で、土木考古学の興隆という近況に対し、古墳の土質工学調査事例をもと に古墳築造技術の考察を進める形で、古墳に対する土木考古学研究の一案を提示する。

1 古墳築造技術研究の背景 1-1 考古学研究

 梅原末治氏(梅原1955)による大阪府大仙・誉田御廟山・ミサンザイ古墳を対象とした土量と 労働力の分析は、墳丘長に加えて高さまで取り込んだ先駆的研究である。この古墳築造に必要な 労働力を試算した分析は、石川昇氏(石川1984・石川1985・石川1989)によって纏められる。石

土木考古学による古墳築造技術の分析試論

  土質工学調査実施古墳を対象として  

青 木   弘

  

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川氏の研究は近畿地方の主要な中期古墳を対象としており、古墳築造に伴う労働力をより客観的 に評価すべく、盛土の体積計算分析を導入した。しかし、労働力の推定分析は普及しなかった。

 大塚初重氏の編集による季刊考古学第3号『古墳の謎を解剖する』は、古墳築造技術に関する 1983年当時の研究視点を体系化した画期的な特集であった。このなかで、泉森皎氏(泉森1983)

は古墳における墳丘盛土の積み方を時期別に概観をしている。

 甘粕健氏(甘粕1985)は、前方後円墳を日本列島における最初の巨大土木建造物と捉え、古墳 造営の経験が、その後の都城や寺院といった大陸の土木建築技術の全面的な受容を可能にした主 体的条件だとみなす。最古の前方後円墳と目されている奈良県箸墓古墳の墳丘形態には、すでに 築造企画が存在するという研究成果から古墳の土木技術を評価している。

 その後、1980年代後半から1990年代にかけては、発掘調査において特徴的な事例が検出された 場合に、その個別の調査成果を用いた研究(例えば島根県考古学会1986、北條1990、石橋1990、

江浦2002、江浦2008)が行われるという潮流が続いた。

 これに対し、門田誠一氏(門田1994)は、中世の元寇防塁跡における盛土構築状況から示唆を 受ける形で、古墳時代における盛土技術について考察を行っている。

 門田氏は主に2種の異なる土を用いて盛土を行う技術を、「異種互層盛土」と呼び、これを中 国の版築技術とは異なり朝鮮半島に系譜を求められる技術と捉えた。「異種互層盛土」は朝鮮半 島では、昌寧校洞古墳群第1号墳・第3号墳や磻渓堤タ A 号墳など5世紀中葉から6世紀前半 における古墳に認められる。一方の日本列島では、福岡県桂川王塚古墳や大阪府富木車塚古墳、

今市大念寺古墳といった6世紀以降の西日本に分布する古墳に認められるとし、大阪府峯ヶ塚古 墳の事例をもとに5世紀末から「異種互層盛土」が列島へ浸透するとした。

 古墳事例とともに、門田氏は5世紀末から6世紀初頭に位置づけられる大阪府亀井遺跡で検出 された堤状遺構の土木技術を重視する。この堤状遺構では上記の「異種互層盛土」だけでなく、

植物質の材料を盛土に使用する技術がともに駆使されているという。門田氏は後者の技術につい て、弥生時代以来認められる在来系土木技術とみなしている。

 そして古墳時代中期後半に畿内地域を中心として、朝鮮半島系遺物が数多く流入する現象をあ わせて、「河内地域における開発形態の飛躍の条件となった新たな土木技術の系譜が朝鮮半島南 部にあり、その将来にはかの地の人々の来住が歴史的要因となったことを想定するための状況証 拠が、土木技術を含めた日本列島と朝鮮半島双方の遺跡や遺物の面から提示できる」(p.169)と 論じた。

 門田氏の研究は、これまで曖昧にされてきた古墳盛土を中心とした土木技術の系譜とその画期 について新たな論考を提示している点で重要である。

 樋口吉文氏(樋口1997)は、大阪府百舌鳥大塚山古墳の調査成果を受けて、古墳の築造技術を 検討した。分析には墳丘断面図の観察および土層註記の情報を利用し、「表土積換工法」「土盛拡

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張工法」「小丘連結工法」「プレート積重工法」と4つの工法を抽出した。

 樋口氏は百舌鳥大塚山古墳と同様の調査のなされた21遺跡の分析を通して、この4つの工法の なかでもプレート積重工法は、大阪府瓜生堂遺跡第二号方形周溝墓の墳丘に認められ、また、こ の工法を古墳時代前期から中期の古墳では一般的な工法と捉えた。これに対して小丘連結工法は、

古墳時代中期以降、古墳立地が平地に移ることから採用された工法であり、これは小丘ごとに分 割分業して施工できる方法としている。樋口氏の論考は、百舌鳥大塚山古墳を立論の起点とした ためか、対象資料は比較的規模の大きい前・中期古墳が大半を占めている。しかし、時期が下り、

古墳の規模や構造、立地が変化するに伴い、盛土に関わる工法も変化する現象を明らかにした点 は重要な成果といえよう。

 青木敬氏(青木敬2003)は古墳築造の研究を進める中で、古墳の墳丘構築法について、古墳盛 土各部の名称と属性を整理している。その上で、弥生時代から古墳時代終末期にかけての墳墓を 対象として、各時代、各地域でどのような盛土の属性が現れるかを断面図から検討を進めている。

この検討を通じて、青木氏は墳丘構築法に「東日本的工法」と「西日本的工法」を見出す。例外 も認められるものの、「東日本的工法」は墳丘内に小丘を造る事例、「西日本的工法」は墳丘内に 土手状盛土と平坦面を造る事例が該当する。この青木氏の分類は、複数に分層されている盛土内 から、どのように小丘や土手状盛土を認識しているか、そして工法・技法といった用語の使い分 けやその内容にやや説明不足の部分があり課題を残している。それにもかかわらず青木氏の研究 は、古墳築造技術というこれまで立ち遅れていた分野において、資料の集成から分析視点の構築 を進め、墳丘構築法の変遷を考察している点で重要である。

 2008年に工楽善通氏編集(工楽編2008)によって季刊考古学第102号『土木考古学の現状と課 題』が編まれた。本号では、管見による限り初めて土木考古学という分野と用語を大々的に提案 した。土木考古学は、狭山池の発掘調査を代表とする史跡整備における土木技術の知識とデータ 獲得の必要性がより強くなってきたことと、近年継続して土木技術に関する大きな発掘成果が上 がっていることに対して、研究面で考古学と諸科学が十分に連携できていない問題を受けての取 り組みだった。

 2009年には萩原三雄氏編集(萩原編2009)によって季刊考古学第108号『東日本の土木考古学』

が編まれた。萩原氏(萩原2009)は、土木考古学を「人間それぞれの時代に築造した構築物はま さに多様であるが、これらの遺構群を土木工学、土木技術的視点から考究し、それらを生み出し た社会的背景、原動力、さらに科学技術や人間の知恵、土木を担った人々や組織のあり方、労働 力などを解明していくことを目的とする」(p.14)と定義する。季刊考古学両号の取り組みは、

土木考古学を位置づけ、認知する上で大きな役割を果たした。

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1-2 土木工学研究

 管見では、土木工学や地盤工学的分析結果に基づいて、古墳の築造技術に言及した研究は、相 原俊弘氏(相原1983)による群馬県綿貫観音山古墳の事例を嚆矢とする。相原氏は「墳丘構造 学」を提唱し、綿貫観音山古墳の地盤・墳丘盛土構造について、土質工学的分析を実施している。

 西田一彦氏・澤田正昭氏・荒井仁氏・中澤重一氏(西田ほか1992)は、遺跡の土質工学的調査 と保存処理のための技術的手法の検討を進める中で、考古学調査と土質工学的調査の関連、およ び調査結果が保存と活用に寄与した事例を紹介する。調査・保存事例については長野県森将軍塚 古墳、兵庫県五色塚古墳、今市大念寺古墳、佐賀県久保泉丸山遺跡を取り上げている。

 西田一彦氏・笠井敏光氏・荒井仁氏・中澤重一氏・井上啓司氏(西田ほか1993)は、大阪府 峯ヶ塚古墳の恒久的保存へむけた整備に伴い、土質工学的調査を実施した。調査内容は、ボーリ ング・標準貫入試験をはじめ、各種物理試験を実施し、そこから古墳築造に必要とした施工日数 や施工法の考察を行った。峯ヶ塚古墳における一連の分析は、充実した分析成果を上げた。これ は、単純に峯ヶ塚古墳の保存整備に寄与するだけでなく、同様の土質工学調査の事例が増加する ことを意図していたと思われる。

 1995年に土質工学会内に組織された遺跡の土質工学的保存技術に関する研究委員会が、『遺跡 の保存技術に関するシンポジウム』を開催した(遺跡の土質工学的保存技術に関する研究委員会 1995)。このシンポジウムでは、これまで個々の局面で調査と分析が進められ、そのつど問題視 されてきた遺跡の保存技術、および考古学における土質工学分析の必要性について、佐賀県吉 野ヶ里遺跡や福岡県水城、大阪府狭山池、峯ヶ塚古墳といった当時注目を集めていた調査事例を 総集することによって課題を提起した。

 鬼塚克忠氏・横尾磨美氏・島宏信氏・原裕氏(鬼塚ほか1995・2003)らは、佐賀県吉野ヶ里遺 跡北墳丘墓と佐賀県戦場33号墳に関する土質工学調査とともに、盛土の模型作製を実施し、構築 時の人数及び日数の概算を行っている。この模型作製は足踏みによる締固めと、角材による突固 めという2つの手法で行われ、足踏みの場合は200回、角材突固めの場合は100回程度で構築土の 密度が得られるという。土質分析に加えて実験を実施した点は、考古学資料と土質工学分析結果 と当時の技術を結びつける上で重要である。

 西田一彦氏・西形達明氏(西田・西形2002)は、「①古墳の保存修復工事において要求される 工学的・技術的情報を得ること、②古墳のような古い土構造物を調べることによって、土木技術 の起源及び発展過程を明らかにすること、③長年月経過した土構造物の物理的・力学的性質を調 べることで、土の長期の挙動の情報を得ること」(p.75)を目的に、当時すでに調査の行われた 7遺跡(桂川王塚古墳・綿貫観音山古墳・峯ヶ塚古墳・森将軍塚古墳・吉野ヶ里遺跡北墳丘墓・

佐賀県戦場古墳群33号墳・中国江南地区所在土とん墓)を対象として、地盤工学的観点からの考 察を行った(1)。この西田・西形氏による分析は古墳の土質工学的調査結果を最も体系的に利用し

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た論考であり、本論とも関わる部分が多い。

 上述の1995年に開催された『遺跡の保存技術に関するシンポジウム』を受ける形で、2008年に は『歴史的地盤構造物の構築技術および保存技術に関するシンポジウム』が開催された(㈳地盤 工学会2008)。これは近年話題を集めている遺跡の分析・保存事例を踏まえて考古学と地盤工 学・土木工学との連携を深める重要な大会であった。

 藤原靖氏・城まゆみ氏・宮崎康雄氏(藤原・城・宮崎2008)は、大阪府今城塚古墳の調査で確 認された盛土に関して、鱗状盛土の構築方法を解明するために土質工学試験を実施している。

 藤原氏らは、粒度分析結果から盛土は旧表土・地山の土を人為的に改変して利用したと捉え、

鉱物組成分析結果から、盛土の鉱物組成が旧表土・地山と同様で、盛土は両者由来の土とした。

 また、盛土を人為的に改変したという点については、「鱗状盛土は何らかの方法で旧表土や近 傍の地山を材料として水簸することで粒度調整され」(p.47)、「特に暗色の鱗状盛土には木炭が 人為的に混合された可能性」(p.47)を推定する。

 一方、西田一彦氏・井上啓司氏・岡崎宣治氏・宮崎康雄氏・中山義久氏(西田・井上・岡崎・

宮崎・中山2008)は、同じく今城塚古墳を対象として、墳丘のボーリング調査を軸に、盛土にお ける有機物含有量を調べるために強熱減量試験を実施している。その結果、ボーリング No.c に おける強熱減量値の分布パターンからうろこ(鱗状盛土と同義)の原因が有機物の交じった元の 地表面近くの土層をブロック状に切り出して、逆に重ねたことの証拠となると判断した。

 つまり、盛土下部は地山表層部の有機質が多い部分を材料とし、盛土上部は有機質のやや少な い地山深部の土を材料にしているか、あるいは別の場所から持ち込まれた土と解釈する。また、

盛土の密度については、うろこの有機質の多い部分で密度が大幅に減少することと、有機物層の 幅の変化がよく対応しているとする。

 以上の分析を通して今城塚古墳のうろこ構造は、現地に存在する土をできるだけ乱さないでブ ロック状に採取し、積み上げたもので、土の性質を巧みに利用した優れた工法と結論づけている。

 今城塚古墳に関する分析では、藤原氏らの考察が盛土を何らかの水簸による粒度調整と木炭な ど炭素材料を混合して作成したとするが、西田氏らの考察は現地に存在する土をできるだけ乱さ ないでブロック状に採集し、積み上げたもの(水簸や炭素材料の混合など土に対する人的改良は 行っていない)と捉える点で見解が異なっており、問題を生じている。

 両者の当否は今後慎重に検討すべきであるが、どちらの成果も今城塚古墳、そして古墳時代後 期初頭における土木技術の解釈に大きな影響を与える問題である。

 田中邦熙氏・加藤誠氏(田中・加藤2008)は、東京都武蔵府中熊野神社古墳の墳丘盛土・掘込 地業土の土質調査を実施している(2)。その結果、掘込地業の強度は周辺の地盤よりも低く、横 穴式石室構築における強度の獲得という観点からは、施工の目的を達成しておらず、施工理由を 見直す必要があると興味深い指摘をしている。

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 三村衛氏・吉村貢氏・金田遙氏(三村ほか2008)は、奈良県高松塚古墳の横口式石槨解体調査 に伴い、解体作業に万全を期すため、そして高松塚古墳に駆使された土木技術の解明を目的とし て、土質工学的調査を実施している。

 一方、久保雄生氏・福岡捷二氏・上林好之氏(久保・福岡・上林2010)は、水利遺構に注目し、

考古学と土木工学の接点を唱え、更に土木考古学についても論じている。久保氏らが試みたよう に、考古学と土木工学の接点をつかむためには、両者の研究史を整理した上で、課題を抽出する 必要がある。しかし、この論文では、これが十分に行われているとはいいがたい。ただし土木史 研究会という場で、考古学と土木工学が接点をもつ必要性を論じた点は評価できよう。

1-3 考古学・土木工学研究における問題点と研究の視点

 古墳の盛土技術に関する研究は、考古学では1955年の梅原氏による研究以降、1つの良好な事 例を中心として局所集中的に進められてきた。本分野は上述の青木敬氏による研究を筆頭に、よ うやく軌道に乗り始めたといえよう。

 一方、土木工学研究は1980年以降、発掘調査・遺跡の保存整備における分析の要請に応える形 で進展する。ここで2010年までに土質工学分析を行った古墳の発掘調査を提示する(3)[表1]。

 この表から確認できる点は次の5点にまとめられる。①分析は史跡整備に伴う事例が多数を占 める。②比較的墳丘規模の大きい古墳における分析が多く、群集墳などの事例は少ない。③土質 工学調査には、様々な手法と条件による現地調査、室内物理試験があり、各事例間で同様の分析 を実施しているわけではない。④綿貫観音山古墳の分析事例が最も古い事例である。⑤土質工学 分析の結果とデータは、一部の事例を除いて発掘調査報告書に掲載されている。

 ①、②は遺跡の史跡整備に際して本分析が実施されるという背景が如実に示されている。③は、

同じ状況の遺跡が一つとして存在しないということと通じており、遺跡に適した、あるいは目的 に沿った分析を実施していると考えられる。④はこの分析法が考古学では比較的新しいことを示 している。⑤は、分析結果が発掘調査報告書に掲載されていても、報告書が十分に活用されてい ないという点から、考古学研究と土木工学研究との交流が薄いといえよう。土木技術に関する両 分野の研究において、互いの成果の活用や批判的検討が行われず、データは等閑視されてきたと いっても過言ではない。こうした現状をいかに克服していくかが、土木考古学が今後、着実に進 展していくための必須条件となる。

 考古学と土木工学の相互交流を図り、土木考古学を一学問分野の水準にまで引き上げるために は、まず遺跡で土質工学分析を実施し、そのデータを活用できる環境を整える必要がある。そし て、遺跡から得たデータを考古学的記録と合わせて遺跡間で比較検討し、体系的に研究を進める 新たな方法を模索する必要がある。

 今回、本論で扱うのは、古墳築造技術のなかでも盛土構造に関する分析である。特に、遺構と

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いう考古学資料から土木技術を抽出し、土木技術同士をより明確に比較検討する分析法の構築を 目的とする。これは、上述した研究背景とともに、版築技術や土のう積み技術など、土木技術の 分類と実態がいまだ不鮮明だという問題が残されているためである。そこで土質工学分析におけ る3種の分析結果(N 値・湿潤密度・粒径加積曲線)について、考古学的調査結果である遺構記 録と合わせて検証を進める。対象は、表1のなかでも類似した土質工学分析が行われた昼飯大塚 古墳、今城塚古墳、桂川王塚古墳、武蔵府中熊野神社古墳、高松塚古墳である。これに加えて、

原分古墳、田篠塚原4号墳について、両古墳で行われた分析の一部を取り上げる。

 以上の検証を通して、土質工学分析が土木技術を考察するにあたって、より客観的判断を下す 上で有効である点を提示する。その上で、考古学的記録はもとより、土質工学的分析事例が今後 増加する必要性を、土木考古学という視点から訴えていきたい。

2 古墳盛土技術の土木考古学分析試論 2-1 断面記録にみる盛土構造

 昼飯大塚古墳は三段築成の前方後円墳である。墳丘盛土は下位から順に、黒ボクを主体とする 混合土、礫混じり粘土、砂・礫質土によって構築されている。報告書でも考察されているように、

前方部主軸上に設定された第8トレンチ断面図では、盛土上位に比較的細かな単位が、下位に大 きな単位が認められる[図1]。本墳の調査では、旧地表面直上の黒ボク土が自然面ではなく盛 土面であり、墳丘基礎構造を今後より注視する必要があると重要な指摘をしている。

 田篠塚原4号墳の墳丘盛土は、四段築成の円墳である。横穴式石室と並行して盛土が積まれ、

石室石材と裏込石材をおさえる形で、黄褐色土と黒褐色土が互層、かつ外方へ傾斜して積まれる

(第一次墳丘)。この盛土の外側には、墳丘内第一列石に伴う形で比較的層厚も整った水平な盛 土が行われる。墳丘内列石は第二列石、第三列石が墳丘を全周せずに配置される。墳丘内第一列 石の外側には、墳裾へむけて傾斜し、層厚や積み方が一定ではない盛土が積まれる。

 今城塚古墳は三段築成の可能性をもつ前方後円墳である。墳丘盛土は1-2でもふれたように、

鱗状盛土と表現される一単位の明瞭な形状を呈する。下位に黒色かつ有機物を多く含む盛土、上 位に黄色を呈する盛土によって構築されている。また、墳丘内には石積み、排水溝、そして横穴 式石室構築に伴う石敷の基礎構造が設けられる特徴をもつ。

 桂川王塚古墳は二段築成とされる前方後円墳である。本墳は削平が激しく、遺存状況は良くな いが、墳丘盛土は砂質粘土、細砂、礫混じり中砂によって構築されている。墳丘盛土と葺石の間 には、葺石の裏込土が水平に近い層序で積まれる。

 武蔵府中熊野神社古墳は三段築成の上円下方墳で、一・二段目が方形、三段目が円形を呈する。

墳丘盛土はローム主体、黒色土、粘質土によって構築され、地山整地後、一段目を20㎝前後の比 較的層が厚い盛土が積まれる。二段目は葺石が9石残存し、盛土は古墳の中心から葺石方向にか

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けて傾斜する。この盛土上に、傾斜面を調整するように三段目下面まで盛土が行われる。三段目 は粘土質土層(トーン部分)の上に層厚だが水平な盛土が施される。本墳の発掘調査報告書では、

これらの盛土技術を版築技術と表現している。

 高松塚古墳は二段築成とされる円墳である。墳丘盛土は、下位から上位にかけて大きく3つの 図1 対象古墳の盛土構造

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構造に分けられ、それぞれ下位版築(白・褐色、淡黄色粘質土を厚さ3~5㎝単位で積む)、上 位版築(赤褐色、橙色砂質土を厚さ5~ 10㎝単位で積む)、版築状盛土(黄褐色粘質土を厚さ5

㎝単位で積む)と呼称している。主体部である横口式石槨の加工・構築と併行して水平に盛土が 行われる。本墳の盛土内には、排水溝のほか、水準杭の設置痕、ムシロ目と搗棒痕が検出されて いる。

 古墳の盛土では、版築技術、版築盛土といった表現が用いられることも多い。しかし、版築は 枠板痕跡と突き痕、水平層序、土質改良などが複合した技術である。以上の墳丘盛土の断面構造 からみて、版築技術の範疇に入るのは現状では高松塚古墳のみといえよう。

2-2 N 値にみる盛土の強度

 N 値は標準貫入試験(現地で直接土のしまり具合を知るための試験)によって求められる。こ れは試験に用いるボーリングロッドの先端に付けたサンプラーが30㎝貫入するのに要する打撃回 数を数値化したものである。主に地層の硬軟や締まり程度を示す。

 西田一彦氏・西形達明氏(西田・西形2002)のまとめによれば、吉野ヶ里遺跡北墳丘墓では火 山灰土で7~ 11(平均8.3)、江田船山古墳では砂質シルトで5~ 13(平均9.0)、久保泉丸山遺跡 の円墳群では砂質土で3、峯ヶ塚古墳では砂質盛土で17 ~ 54(平均33.5)、粘性盛土で11 ~ 18(平 均14.9)、綿貫観音山古墳で8~ 12(平均10.0)、須曽蝦夷穴古墳では粘土で4という測定結果が 得られている。両氏の考察によれば、墳丘規模と N 値の関係は比例関係にある。つまり、墳丘 規模の大きい古墳ほど強度も大きいという。対象資料のなかでは峯ヶ塚古墳が特に高い数値を示 している。ただし、築造時期は遡るが、峯ヶ塚古墳よりも規模の大きい昼飯大塚古墳では、下位 の黒ボク混合土が4~5(4.3)、礫混じり粘土が4~7(5.0)、砂・礫質土が8(8.0)と比較的 低い値である。墳丘規模と N 値とは、単純な比例関係と捉えるべきではなく、N 値単独で古墳 の強度・技術の評価を下すことは難しいだろう。

2-3 湿潤密度の深度分布にみる盛土の性質と締め固め

 湿潤密度は、乾燥密度とともに土のしまり方の程度を知るときに使われる。

 高松塚古墳(三村・吉村・金田2008)では3つの試験地点のうち、横口式石槨東側の B-3孔か ら採取された盛土資料のコアから密度分布が測定されている[図2]。これによれば搗棒による 打撃面では高密度化しているのに対し、各層の撒きだし下面では打撃エネルギーの分散によって 締め固め度合いがさほど大きくなっていないとされる。そのために密度の高低が層厚ごとに交互 に現れているという。このような傾向が、ほかの古墳における密度分布に現れているかどうか、

同様の分析が行われた5古墳をみてみよう。

 まず、昼飯大塚古墳では、乾燥密度の値のため厳密に同じ判断は下せないが、下位の黒ボク土

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層で0.959g/㎥、上位のシルト土層で1.351g/㎥の結果が得られている。細かな層序によるもので はないが、両者の間には数値の差が見いだせる。

 今城塚古墳、桂川王塚古墳、武蔵府中熊野神社古墳の分析結果では、古墳築造時期、墳丘規模、

盛土材に違いがあるにもかかわらず、密度の傾向はいずれも高松塚古墳と似た高低を繰り返す線 を描く[図2]。ただし、武蔵府中熊野神社古墳は密度の値が1.0 ~ 1.3g/㎥とやや低い点に注意 する必要がある。

 また、群集墳である田篠塚原4号墳では、A・B・C 三カ所の地点から試料採取が行われており、

A 地区上位(黒色土層)で1.65g/㎥、上位(黄褐ローム土層)で1.72g/㎥、中位(黒褐ローム土 図2 対象古墳における湿潤密度の深度分布

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層)で1.54g/㎥、下位(暗黄褐ローム土層)で1.57g/㎥である。同様に B 地区上位1.72g/㎥、中 位1.64g/㎥、下位1.91g/㎥、C 地区上位1.77g/㎥、中位1.86g/㎥と測定されている。A・B 地区は 上位>中位<下位、C 地区は上位<中位という盛土層間の差異が生じている。

 以上より、古墳築造時期、地域、立地も異なる6古墳の間では、盛土の密度が似た分布を示す。

 しかし、2-1で検討したように、各古墳の盛土構造は大きく異なる。特に高松塚古墳の版築 構造といえる盛土と比較すると、密度において近似した数値と似た密度分布を示す点は注目に値 する。これは、古墳盛土技術の方法であっても、版築技術に近い、あるいはそれ以上の強度を獲 得していた可能性を示唆している。つまり、異なる土木技術であっても似た効果が得られるとす るならば、土質における硬度の強弱のみでは盛土技術の評価は正しく判定できないのである。

 ただし、この密度分析結果の背景がやや異なる点は考慮されねばならない。高松塚古墳が密度 の高低を突き固めの影響としているのに対し、今城塚古墳では有機質を多量に含んだ盛土は密度 が低く、逆に有機質が少ない盛土は密度が高いという解釈をしている点である。突き固めと土の 種類は密接な関係があるため、両者を合わせて検討する必要があろう。

2-4 粒径加積曲線にみる盛土材料の選択性

 粒径加積曲線は、粒度試験結果について、横軸に粒径、縦軸に通過質量百分率をとり、図示さ れた点を結んだ曲線で表現される。粒径は粘土(0.001-0.005㎜)→シルト(0.005-0.075㎜)→

細砂(0.075-0.425㎜)→粗砂(0.425-2.0㎜)→礫(2.0㎜以上)と分類される。この曲線の勾配 がなだらかならば、細粒分から粗粒分まで一様に混じりあっており、逆に急勾配ならばある狭い 範囲の粒径だけで成り立つ土質といえる。古墳盛土の試験の場合、深度別・層位別に曲線がつく られる。

 粒径加積曲線が示されている4古墳から盛土材についてみてみよう[図3]。

 昼飯大塚古墳では、ほとんどの土層にシルト・粘土分が多く含まれている。グラフ中央に位置 する一つ異なる曲線は地山の試料である。各曲線とも大きな勾配の変化はなく、均等な粒径の土 が盛土に用いられている。

 桂川王塚古墳では、盛土層最下部である(2-5)曲線と地山(黒)曲線、SF(2-6)曲線を 除き、シルト、粘土分をよく含む昼飯大塚古墳と非常によく似た粒径分布を示す。各曲線とも大 きな勾配の変化はなく、均等な粒径の土が盛土に用いられている。

 原分古墳では、2地点からサンプルが採集されているが、各資料とも似た傾向を示す。砂分を 主体とした礫・細粒土分を混入する土層が盛土の主体となる。

 高松塚古墳では、3地点の曲線がいずれも細粒から粗粒にわたって均等な配合を示す。No.B-2 孔の曲線がややまとまりに欠けるが、各孔同士を深度別に概観しても似た曲線を描いている。

 以上の4事例からは、盛土には極端に一つの粒径に偏った土は用いられず、各層ともバランス

(13)

のとれた土が使用されていることを指摘できる。これは前期古墳であり、かつ墳丘長150mに達 する昼飯大塚古墳から、終末期古墳で墳丘長23mの高松塚古墳においても共通する。つまり、盛 土する際に土を選択するということが前期古墳の築造以来行われていたことを示すといえよう。

ただし、これは粒径のみの検討であって、土質改良の有無については異なる分析が必要となる。

まとめ

 本論では対象資料の断面構造に加えて土質強度の評価基準である N 値の傾向を捉え、湿潤密 度の深度別分布と粒径加積曲線を検討した。その結果、盛土構造の大きく異なる前期古墳から終 末期古墳の事例の間にも、類似した土質傾向を示す場合が存在する事実が明らかになった。

 今回の分析結果から技術とは何かを改めて考える必要があるだろう。土木技術の場合、発掘調 図3 対象古墳における粒径加積曲線

(14)

査で検出される断面形状と平面形状から、版築、土のう積みといった「技術」を見出す。たしか に形状の差異は重要だが、必ずしも強度や安定といった効果の発揮に大きな違いを生むわけでは ないことは今回の分析で検討した通りである。

 そのため、土木技術を検討する場合、形状に加えて性質を重視していくべきである。土木技術 における土の強度・種類・由来といった性質面の検討は、まさに土質工学分析が有効であり、形 状の検討に強い考古学分析とあわせて土木考古学的に検討することによって、はじめて古墳単体 に駆使された技術の内容、そして時期や地域をまたいだ古墳間の技術の共通点や変化に関する具 体像を導き出せるのである。

終論

 今回の対象古墳は、古墳の形態や出土遺物からおおむね各時期・地域における首長墳、群集墳 内の有力者墳といえる。古墳の築造技術は階層差や系譜の違いによって異なる傾向を示す可能性 もあるため、事例と分析データの蓄積を進め、稿を改めて検討していきたい。

 本論では研究史を整理し、土木考古学成立の背景と課題を抽出することを重視した。今後は分 析の進展にむけて土木工学分析を実施した遺跡の事例が増加することを期待する。考古学・土木 工学両面からのご批判・ご教示をいただければ幸いである。

 謝辞:本論を草するにあたり岡内三眞先生より懇切なご指導を賜りました。記してあつく御礼申し上げます。

 付記:本論は日本学術振興会特別研究員奨励費(課題番号22・5675)の研究成果の一部である。

  註

(1) 西田・西形氏の研究では、7遺跡に加えて熊本県江田船山古墳および奈良県植山古墳の土質工学調査結果 を取り上げているが、調査成果の第一次資料を確認することができなかった。

(2) 田中氏らの2008年論文は、東京農工大学地盤工学研究室2007『国史跡武蔵府中熊野神社古墳 地盤調査報 告書』を基礎としていると思われるが、文献を確認することができなかった。

(3) 表1掲載古墳に加え、熊本県江田船山古墳、石川県散田金谷古墳、奈良県植山古墳で同様の調査を実施し ている。そのほか古墳以外の遺跡において土質工学調査を実施した事例は管見では以下の通りである。

 吉野ヶ里遺跡北墳丘墓、狭山池、水城、長岡京跡、元寇防塁跡、甲府城稲荷櫓台石垣、江戸城、出島和蘭 商館跡

引用文献

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青木 弘 2007 「終末期古墳における掘込地業について―武蔵地域内の事例から―」『金鈴』第24号 pp.42-79  早稲田大学考古学研究会

青木 弘 2009 「古墳における掘込地業の分析試論―7世紀の武蔵地域を対象に―」『溯航』第27号 pp.1-22  早稲田大学大学院文学研究科考古談話会

青木 弘 2010 「2009年度早稲田大学史学会大会報告 古墳築造の終焉と土木技術」『史観』第162冊 pp.169- 171 早稲田大学史学会

(15)

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(16)

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2.長野県更埴市教育委員会 1992 『史跡 森将軍塚古墳―保存整備事業発掘調査報告書―』

3.筑前町教育委員会 2009 『国指定史跡 焼ノ峠古墳 発掘調査及び保存修理事業報告書』筑前町文化財調査 報告書第10集

4.大阪大学文学部考古学研究室 1990 『鳥居前古墳―総括編―』大阪大学文学部考古学研究報告第1冊 5.大垣市教育委員会 2009 『史跡 昼飯大塚古墳Ⅱ保存整備のための調査報告書』報告編・基本図編 6.佐賀県教育委員会 1986 『久保泉丸山遺跡』九州横断自動車道関係埋蔵文化財発掘調査報告書(5)

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8.羽曳野市教育委員会 2002 『史跡古市古墳群 峯ヶ塚古墳後円部発掘調査報告書』

9.藤原靖・城まゆみ・宮崎康雄 2008

10.西田一彦・井上啓司・岡崎宣治・宮崎康雄・中山義久 2008

11.㈶大阪府文化財調査研究センター 1998 『蔵塚古墳―南阪奈道路建設に伴う後期前方後円墳の発掘調査―』

㈶大阪府文化財調査研究センター調査報告書第24集

12.向日市教育委員会 1995 『向日市埋蔵文化財調査報告書第40集~物集女車塚古墳保全整備事業報告~』

13.㈶群馬県埋蔵文化財調査事業団 1998 『田篠塚原遺跡・福島駒形遺跡・福島鹿嶋下遺跡・福島椿森遺跡』㈶

群馬県埋蔵文化財調査事業団調査報告書第244集

14.桂川町教育委員会 1994 『国指定特別史跡王塚古墳発掘調査及び保存整備報告』桂川町文化財調査報告書第 13集

15.佐賀県教育委員会 1999 『戦場第33号墳戦場古墳群』佐賀県文化財調査報告書第140集 16.群馬県教育委員会 1982 『史跡観音山古墳保存修理事業報告書』

17.財団法人静岡県埋蔵文化財調査研究所 2008 『原分古墳(平成19年度(都)沼津三島線重点街路整備事業

(地方特定)工事に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書) 構造解析編』静岡県埋蔵文化財調査研究所調査報告第 184集

18.石川県能登島町教育委員会 1997 『史跡須曽蝦夷穴古墳―保存修理事業報告書―』

19.田中邦煕・加藤誠・中島享 2008

20.奈良文化財研究所 2006 『高松塚古墳の調査―国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策検討のための平成16年度発 掘調査報告―』

21.三村衛・吉村貢・金田遙 2008

図版出典(文献番号は表1掲載文献リストに準ずる)

図1…文献5、13、14、および府中市教育委員会2005『武蔵府中熊野神社古墳』、松村恵司・廣瀬 覚・岡林孝作・

(17)

相原嘉之 2009 「高松塚古墳の石室解体に伴う発掘調査」『日本考古学』第27号 pp.145-156 日本考古学協 会掲載図面を改変して筆者作成

図2…文献10、14、19、21掲載図面を改変して筆者作成 図3…文献5、14、17、21掲載図面を改変して筆者作成 表1…筆者作成

(18)

参照

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