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菅原道真「惜春詩」の形成ー白居易「三月尽詩」の享受をめぐってー一、序

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(1)ー白居易﹁三月尽詩﹂の享受をめぐってー. 惜春詩﹂の形成 第一章 菅原道真﹁ 一︑序 平安初期の 漢詩文が︑六 朝・初唐の様 々な中 国 詩 文の語句を享 受していたのに対して︑ 承和期以降 の詩文は中 唐の代表的詩人・白居易の 個人詩集﹃白氏文集﹄を 全面的に享受 す るようになる︒そ こ に は︑前時代に 見られた﹁ 無差別に当所 の中国詩の語 句を借用﹂し ︑ 1 ﹁もとの詩 の作者 の本 意に深 く立ち 入っ た も の で は な い﹂ と いった無配慮な 享受 ではな. く︑白居易の詩句を 摂取しつつ︑ 自己の抒情を 実現する︑ 創作的な詩文 が見られるように なる︒ その先駆けとなったのが 菅原道真の詩 文であった︒ 道真 の詩文に白 居 易﹁三月尽詩 ﹂の影響が見 られることは︑既に多く の先学の説くとこ ろである︒本稿で は︑こ う し た詩句の典拠関係の指摘に 基づき︑道真 の詩文制作の 根本に 関 わる抒情性と ︑季節観念の独自 な享受過程に 言及し ︑とりわけ道 真 以 後 ︑ ﹃古今和歌集 ﹄ の 四季歌に代表 される︑王朝季節観念の 規範となってゆく﹁惜春ー 三月尽﹂の︑ 摂取・受 容 のあり方を 考察するものである︒ 二︑白居易﹁三月尽詩﹂の影響 承和期 に伝 来し た と言われる﹃ 白氏文集﹄ は︑道 真を始 めとして︑ その後 の日本 の漢詩 文や和歌 の制作に大き な影響を及ぼした ︒中でも ︑春に関す る詩的心情という面に お い て ︑ ﹁惜春ー 三月尽﹂と い う観念を定着 させたという点は特徴的 であるといってよい︒こ の こ とは︑和 歌を考えるならば︑最初 の勅撰和歌集 である﹃古今和歌集﹄において︑当代 にお ける季節観念の規範 が和歌の配列順序で示されていることを見れば︑よ り具体的に理 解さ れる ︒ ﹃古今和歌集﹄ の︑春 の巻を 締めくくる 歌には ︑周知 の如 く︑詞 書に﹁ 弥生のつご. みつね. も り の日 ﹂ ﹁春 のはて﹂を含 み ︑ ﹁惜 春﹂を主題とする和歌が配 列されている ︒ 弥 生のつごもりの日︑花摘み よ り帰りける女 どもを見て︑ よめる. 業平朝臣. とどむべきものとはなしにはかなくも 散る花ごとにたぐふ心か︵一三二︶ 弥生のつごもりの日︑ 雨の降り け る に︑藤の花を 折りて人につかはしける. みつね. 濡れつつぞしひて 折りつる年の内に春はいくかもあらじと思へば︵一三三︶ 亭子院歌合の春 のはての歌. 今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花のかげかは︵一三四︶ こ れ ら春下巻末三首の 中で︑ 具体的 な典 拠が指 摘されているのは ︑ ︵一三三︶ 番の業平歌 2 紫 藤 花 下 漸 黄 昏 ﹂ が考 え ら れ ︑ ﹁ 惜春 ﹂と ﹁藤 花 ﹂を 結び つ け る も の と し て ︑. で あ る︒ この歌 の典拠 として ︑ ﹃白 氏 文 集﹄巻十三﹁ 三 月 三 十 日 題 慈 恩 寺﹂の ﹁惆悵春歸 留不得. 重 要な役 割を果 たしている ︒また ︑この 歌は ﹃伊勢物語﹄ 第 八 十 段にもあり ︑ ﹁ 惜春﹂ を モチーフとする 物語や歌が他 の段にも見ら れ る こ と か ら ︑ ﹁古 今 集にさきだつものであり ︑. ‑ 1 ‑. 菅原道真 「惜春詩」の形成 第一章.

(2) 菅原道真 「惜春詩」の形成 第一章. 業 平た ち が は じ め て 開 拓し た分 野である ︒﹂ と す る上 野. 3 理氏 の 説 や ︑﹁﹃伊 勢 物 語﹄ な. いしは 在原業平の 表現は︑白詩 による﹁三 月 尽﹂の歌題の 最も早い時 期の影響と し て注目 に 値すると 言 ってよいかと 思う の で あ る ︒﹂ と し た上 で ︑﹃ 伊勢物語 ﹄の 本質 に関 わ る と 4 ころで詩 文の影 響を 述べた ︑片桐洋一氏 の 説 などが 論じ る よ う に︑業平独自 の﹁三月尽. 詩 ﹂の享受と考 えられる︒ 他 の二首は︑いずれも躬恒の 歌であるが ︑確 実な典拠を指 摘することは難しい ︒むしろ ︑ 5 ﹃古 今 集﹄撰者時代 においては ︑暦月意識と 節 月 意 識の ﹁ 二 元 的 四 季 観﹂が 存在し ︑春 の季末と し て の﹁惜春ー三月尽 ﹂の観念が ︑より広く定着 していることを考えさせられる ︒ 6 小島憲之氏 によれば ︑ ﹁﹃古今集﹄の 尽日の歌の成 立は ︑ ﹁白詩文学圏﹂の詩に基 づく﹁平. 安白詩享受圏﹂の詩︑即 ち忠臣・道 真らを中心とする九世紀後半の詩︑或は 詩題と歌を 結 ぶ﹃ 句 題 和 歌 ﹄ ︵﹃大 江 千 里 集 ﹄︶︑或 は朗詠集 などにみえる ﹁つ ご も り ﹂の 文学 と同 じ方 向 ︑つまり白詩的世界によって生まれたものである ︒﹂とされる ︒大江千里撰﹃句題和歌 ﹄ の中に ︑ ﹁惆 悵 春 光 留 不 得 ﹂︵﹁三月三十日題慈恩寺﹂ )や﹁唯残半日春 ﹂ ︵﹁三月晦日晩聞 鳥聲 ﹂ ︶などを始 めとする︑ 計五句 の白 居 易﹁ 三 月 尽 詩﹂に も と づ く句 題が収 められてい ることは︑和歌へ の直接の影響関係を証明するものと考え て よ い だ ろ う︒さらに︑ 藤原公 任 撰﹃ 和漢朗詠集 ﹄ ︵ 一〇 一 三 年 頃 成 立︶ では ︑ ﹁ 三 月 尽﹂ の主 題のもと 白 居 易の 詩 句が 三句 ︑それに続 いて道真の詩 句が二句収められている︒ これは︑白居易の﹁三月尽詩﹂が 時 代と共に幅広 く受け入れ ら れ︑同時に ︑これらを享 受した模範例 が道真であるとする見 方 が さ れ て い た こ と を語る 一例 で あ ろ う ︒ ﹁ 惜春 ー三 月 尽﹂の 観念は ︑小島氏の 言う﹁白 詩的世界によって生まれたもの﹂として ︑和歌の分 野では業平が 最初に享受し ︑その後︑ 漢詩文の分野 で︑道真ら の詩人に よ っ て享受され︑ それぞれの作 者によって ︑独自な享受 をしていったと考え ら れ る︒ 三︑白居易﹁三月尽詩﹂の特徴 7 中国古典詩 に お い て ︑ ﹁三月尽﹂ を詩に 表現 することは︑ 平岡武夫氏によれば ︑ ﹁ま さ. しく ︑白 居 易の 独壇場 ﹂なのであり ︑﹁唐 の代表詩人 ︑李白 ・杜甫 ・韓愈 らの作 品には ︑ 三 月 尽の 言葉はついに 用いられていない ︒もとより﹃ 文選 ﹄の言 葉ではない ︒ ﹂とされて おり ︑白居易の み に特徴的な詩的観念といえるようである︒また︑中国古典詩全般 を視野 8 に 入れ た︑ 松浦友久氏 の論 考に よ れ ば ︑ ﹁ 惜 春 詩の 流 行は 中唐以後 においていっそう 著. し い︒それはむろん︑時代的 な嗜好の傾向 や︑惜春自体 の心情の構 造とも関わっているは ずであるが ︑一 つの契機と し て︑中唐詩壇に お け る白居易の諸作品 ︑とくに﹁三月尽﹂ ﹁三 月三十日﹂ ﹁ 三月晦日﹂ 等の詩 題・詩 句を 含む一 連の作 品が︑ 大き な影響 を与え て い る こ とが 考え ら れ る ︒﹂とされ ︑中国詩歌史 の 中においても ︑﹁惜 春﹂ と い う詩 的 心 情の 流行 に︑白居易が 大き く関わっているとされている︒ さらに 松浦氏 は ︑ ﹁す で に濃密 な情緒 を こめて 歌わ れ て い た惜春 の心情 を︑ 白居易 は ︑ ﹁春 三 月の 尽きる ︑その 日︑そ の時﹂ とい う︑限定 された時間に 絞りこむことによって︑よ り純粋に集約 された︑典型的な惜春の 観 念を 生 み出 し た の だ と言 っ て よ い ︒ ﹂と し ︑ ﹁三 月 尽﹂ と﹁ 惜春 ﹂という 詩的心情 が相 互 に密接に 関わり合っていることを 述べる ︒このように︑中国古典詩においても白居易の﹁三 月尽詩 ﹂は︑独自性 を持った特 徴 的なものと 言うことができるであろう ︒このような 認識 は︑既 に平安朝の 漢詩人である ︑紀斉名によっても指摘されている︒. ‑ 2 ‑.

(3) 菅原道真 「惜春詩」の形成 第一章. 三月尽同賦林亭春已晩各分一字応教. 紀. 斉名. ︵以下略 ︶. 夫三月尽者︑虞夏之文︑略 而 不 載︑荊楚之俗 ︑得而無称︒ 皇唐以降︑元 白 之 流︑粗布篇章 ︑垂之竹帛 ︒ ﹃本朝文粋﹄巻 八・二二〇 それでは︑こ こ で道真の詩と の比較をする 上で︑白 居 易﹁三月尽詩 ﹂の特徴をまとめて 9 お く︒菅野禮行氏の論 を 参考にすれば ︑おおむね 次のように整 理される︒ ①﹁三月晦日﹂ に制作されていること︒. ②﹁三月晦日﹂ そのものが 詩的主題たり 得ること︒ ③﹁惜 春 ﹂﹁歎 老 ﹂﹁人 恋し さ﹂ の 感情 が歌 われ ︑そ の 基底 には 節序 の推 移に つ れ て 微妙に変化 する︑自然的風物への愛 着がうかがわれること︒ ④晩春から 初夏にかけて 移りゆく風物 の微妙な動き を敏感にとらえて繊細に 描写して いること ︒ 四︑道真の﹁三月尽詩﹂ 前 の四点 を特徴 とする ︑白居易の ﹁三月尽詩﹂ は ︑ ﹃ 白 氏 文 集﹄の 中に約三十例 ほど見 ることができる︒ これは︑自然的風物を敏 感に捉える白居易の詩の特 徴を担う︑重 要な一 要素 ということができる︒これに対して︑ 道真の﹁三月尽詩﹂と考 えられる詩は ︑白居易 ほ ど多くを見ることはできない︒その限 られた詩文の 中で︑道真が 白居易から学 んだもの は 何だったのであろうか︒ まず︑ 道真の 詩文の 中か ら ︑ ﹁惜春 ー三 月 尽﹂という季 節 観 念が見 られる 詩の題 を列挙 してみる︒ 晩春︑同門會飲︑翫庭上残華 ︒︵巻一︶ 過尾州滋司馬文亭︑感舎弟四郎壁書彈琴妙︑聊敍所懷︑獻 以 呈 寄 ︒ ︵巻一︶ 中途送春 ︒以下二首︑ 行路之作 ︒︵巻三︶ 春盡 ︒︵巻三︶ 春日獨遊三首 ︒ ︵巻四 ︶ 勒閑還山︑枇 杷 殿 作 ︒ ︵巻 五︶. 四年三月廿六日作︒ 到 任 之 三 年 也 ︒ ︵巻四 ︶ 惜春絶句︒. 〜 七 年 暮 春 二 十 六 日︑予侍東宮 ︑有 令 曰︑聞大唐有一日應百首之詩 ︒今試汝以. ・. ・ ︶. ・ ︶は道 真の修業時 ・. 224. 247. 251. 45. 46. 代ともいえる︑貞観十一年・二 十 五 歳の作と さ れ る︒巻三・巻 四の四首︵ 巻五 の二 首︵. ・. 〜 ︶は ︑道 真が 宰 相 時 代の ︑寛平四年 ・四 十 八 歳の 作と寛 平 七 年・ 391. 400. 詩﹂からの影響関係 も異なることが予想され ︑同等に扱うわけにはいかないであろう ︒前. 五十一歳 の作である ︒このような ︑制作年次の 違いは︑当然 の事ながら ︑白居易﹁三月尽. 345. は︑ 道真が讃岐守在任時代 の仁和二年〜 四年・四 十 二 歳から四 十 四 歳にかけての作である ︒. 188. って︑ 大きく 三つに 分類す る こ と が で き る︒ま ず︑巻 一の二 首︵. こ こ に列 挙し た題 は︑ い ず れ も ︑ ﹁ 三月尽 ﹂﹁ 春 尽﹂ な ど の語 を詩 中に 含む も の か︑ 晩 春に行 く春を 惜しむ ︑ ﹁惜春 ﹂の観 念を含 む も の で あ る︒これらは ︑道 真の制作年次 によ. 凡 鄙︑不能焼却 ︒故存之 ︒ ︵ 巻五︶. 一時應十首之作 ︒即賜十事題目︑限七言絶句︒予採筆成之︑二 刻 成 畢︒雖云. 400. に述べ た白居易﹁ 三月尽詩﹂の 特徴を考慮し た上で︑典拠関係の指摘などに目を向 ける必. ‑ 3 ‑. 391 345 251 247 224 188 46 45.

(4) 菅原道真 「惜春詩」の形成 第一章. は︑島 田 忠 臣の﹃田 氏 家 集﹄巻上に同 題・同韻の詩 が見え︑同 じ宴席の作詩 であ. 要があるかと思わ れ る︒ 巻一 明. るとされる︒と も に詩題にある ﹁残花﹂を ︑行く春の景 物として詠み 込んでいるが ︑主題 10. である︒ した. は︑ ﹁ 同門會飲 ﹂ で あ り︑ 節序 の推 移 ではあるまい ︒道 真の 詩に ︑﹁ 一 道 馨 香 今 日 盡 朝眉目爲誰施 ﹂とあるのは ︑ ﹁ 作者の 来客 に対す る心情 を披瀝 する﹂ もの. は︑詩 の中に﹁昨夜歡逢春晩盡. 今朝苦念夏來初 ﹂とあり ︑三月晦日の 作である. がって︑これは ︑白居易﹁ 三月尽詩﹂の 特徴には合致 せず︑典 拠 関 係の指摘もほとんど為 されていない ︒ 巻一 ようだが︑ 節序のはざまの景物自体を ︑繊細に詠んだものではない︒この詩 の主題は︑題 に示されているが 如く ︑ ﹁滋 司 馬の 舎弟である四 郎の壁 書と 弾琴が 妙な こ と﹂を 詠ん だ も のであろう︒やはり︑ 白居易﹁三月尽詩﹂との影響関係は論 じ難い︒ 送却鶯花心地迷. 何須臨水也登山 ﹂. 詩の 題という 点から 見れ ば︑巻 五 の﹁惜 春 絶 句﹂は ︑まさに ︑﹁惜 春﹂ の観念 を持 っ 春氣不將老氣還. されている︒. 11. 巻 五 〜 は ︑宇多天皇第一皇子 ︑東 宮 敦 仁 親 王︵後 の醍醐天皇︶ が道真 に求め た︑一 時十首応令詩 である ︒与 え ら れ た題のうち ︑﹁送春 ﹂﹁落花 ﹂ ﹁夜雨 ﹂ ﹁柳絮 ﹂﹁紫藤﹂ の五. はないものとの 典拠関係が指 摘. 美 しさを 述べ る こ と に︑主 眼が あ る よ う だ︒ 白居易 の詩句 からの 影響 は ︑ ﹁ 三 月 尽 詩﹂で. ﹁ 枇 杷 殿 作﹂とあり ︑ ﹁ 惜春﹂ を題としながらも ︑枇 杷 殿における三 月 尽 宴で︑ その庭 の. 月 尽 詩﹂の特徴に 類似する点も 認めてよいだろう︒ただし ︑この詩の 題に付す自注 には︑. と あ り ︑﹁嘆 老﹂と ﹁鶯 花を惜 しむ﹂ ことで 心が 乱れることが 詠ま れ て い る︒白居易﹁ 三. て い る︒詩 は ︑ ﹁生來未見四時閑. 345. ︶こ の讃 259. たのであろうか︒讃岐下向時の三首の 詩について検 討する︒. 岐守在任中に ︑道真 は毎年 のように ︑﹁ 三月尽詩﹂ を制作 し て い る︒ 愛読していた ﹃白氏 文集﹄ から ︑﹁惜春 ー三 月 尽﹂の 観念 をどのように 享受し ︑自 己の詩 文に反 映させていっ. で あ っ た こ と は︑ 自身 の詩 文 から 知られる ︒ ︵﹃菅 家 文 草 ﹄巻 四・ 客舎書籍 ・. 道 真が︑京 都より讃岐へ 赴く際に携行 した書籍は ︑医 書や﹃老 子 ﹄とともに﹃白氏文集 ﹄. 五︑讃岐下向﹁三月尽詩﹂. のが妥 当であると思 われる︒. 文に深 く影響を及ぼしてゆくのは ︑巻三・巻四 に見られる ︑讃岐下向時代であると考 える. だ︒ したがって︑ 道真 の詩 文 制 作 年 次を考 えるとき ︑ ﹁惜 春ー三月尽﹂ の観 念が︑ その詩. 五の公の 場で制作さ れ た詩文にはおいては︑そ の特徴の何点 かを認めることができるよう. このように 見てくると ︑白居易﹁三月尽詩﹂の影 響は︑巻一の 詩文には表 れないが︑巻. 白居易﹁三月尽詩﹂の影響下の作と考 えてよいだろう︒. 題は ︑ ﹃白氏文集﹄ に同題がある ︒他の題の 詩にも﹁春盡 ﹂という詩句 が二例見られ ︑. 400. 188. 中途送春. 一兩心情且附陳. 鳥如知意晩啼頻. 在路愁生野草新. 傷懐四十二年人. 以下二首 ︑行 路 之 作︒. まずは︑仁和二年︑讃 岐 守に任ぜ ら れ下向する旅 の途中吟︒ 巻三. 春送客行客送春 思家涙落書齋舊 花爲隨時餘色盡 風光今日東歸去. ‑ 4 ‑. 45. 46. 391.

(5) 菅原道真 「惜春詩」の形成 第一章. 12. ︑第一句 の﹁春送客行客送春 ﹂は ︑白詩 の﹁居人思客客思家 ﹂︵巻十四・ 望. この詩 においては︑ 既にいくつか ︑白居易の 詩文の影響が 指摘されている︒金子彦二郎 氏に よ れ ば 13. ︑ 白詩 の﹁ 不 独 送 春 兼 送 春 ﹂︵﹃後 集﹄ 巻八 ・送 春︶ の表 現を 学ん だ か も し れ. 駅台三月三十日︶ の句形を模し ︑詩想詩語 はこれを改めたものとする ︒また︑小島憲之氏 によれば 4 ないとする︒さらに︑金子氏 ︑小島氏と も に 1︑ 第二句の﹁傷懐四十二年人 ﹂は︑白詩の. ﹁ 四十六時三月尽 ﹂︵ 巻十七 ︑春 去︶に 見ら れ る如く ︑作詩年齢 を示す 例としての影 響を 指摘している ︒このように ︑白居易の﹁ 三月尽詩﹂ からその表現 の上で︑詩句 を学んでい るものとして 考えてよいだろう︒た だ し︑この一首 の主題は﹁惜 春﹂であると 同時に︑讃 岐下向 に対す る道 真の慨 嘆で あ る ︒ ﹁時の 推移﹂ や﹁ 年齢の 自覚﹂ が道真 の心を 傷ませ ︑ ﹁花 ﹂﹁鳥 ﹂﹁風 光﹂ と い っ た自然的風物 を擬 人 化す る こ と に よ っ て︑ 自己 の嘆 きを 仮託 していくといった方法 を読みとることができるだろう︒. 花鳥従迎朱景老. 去年馬上行相送. 風月能傷旅客心. 恨殺茫 々一 水 深. 鬢毛何被白霜侵. 今日雨降臥獨吟. 就中春盡涙難禁. 春盡. つづいて ︑ ﹁中 途 送 春﹂の一年後 の作で︑題 がまさに﹁春 盡﹂という詩 ︒ 巻三. 無人得意倶言咲. こ の詩 に お い て も︑ 第 二 句﹁ 就 中 春 盡 涙 難 禁﹂ に見られる︑﹁ 就中 ﹂の 語が 有名 な﹁ 琵 5 琶 行﹂ の中の ﹁就中泣下誰最多 ﹂︵ 巻 十 二︶をはじめ ︑数例 が白 詩に散 見す る こ と 1 ︒ ま た ︑第六句の ﹁鬢毛何被白霜侵﹂に見られる ︑ ﹁霜侵 ﹂の語が ︑白詩の ﹁霜侵残鬢無多黒﹂. ︵巻十五・晏坐間吟︶にあることや︑ 第七句﹁無人得意倶言咲﹂ の一句が︑ 白詩の﹁無人 16. されている ︒このように ︑詩句 を白居易の 詩に学 び な が ら ︑ ﹁春盡 ﹂を主 題と し て. 開口共誰語 ︒有酒廻頭還自傾 ﹂ ︵巻三十六・ 春 尽 日︶の 前句の 句形に 類似 し て い る こ と が 指摘. 述べ︑同 時に第三・四句目に見られるように︑ 讃岐下向時の 昨年と現在の 自己の状態を 対 比することにより ︑第五句目以降で は ︑ ﹁嘆 老﹂や ﹁人恋 しさ ﹂の心 情が よ り一 層 高まる ことが 述べられている︒時の推移 の中に︑自己 の姿を投影 し客観化する 方法である︒. 形四年春殘日四. 我情多少與誰談. 宿醸當招邑老酣. 逢三月盡客居三. 況換風雲感不堪. 四年三月廿六日作 ︒ 到 任 之 三 年 也 ︒. さらに ︑一年後︑仁和四年三月二十六日の作 ︒ 巻四. 生衣欲待家人著. 17. によれば︑ ﹁数字 を詩句 にこなして 使うことは︑ 白居易 の得意 と. 好去鶯花今已後 冷心一向勧農蠶 この詩 においては︑ 題に 日時が そ の ま ま使用 されている ︒こ れ は︑白居易 がしばしば行 う手法 で︑平岡武夫氏. するところである ︒ ﹂とされる ︒ 醉問周郎憶得無 ﹂と あ り︑数日後 に迫る三 月. また ︑ ﹁三 月 三 十 日﹂な ら ず と も ︑ ﹁三月二十八日贈周判官 ﹂ ︵後集巻七︶ ような 詩題も 見 受けられる ︒この 詩に ︑ ﹁一春惆悵残三日 19. によれば︑ ﹁頸聯の 対句は﹃朗詠集 ﹄夏の﹁更衣 ﹂に採られているが ︑. 8 三十日を 予想する手 法も︑白詩か ら学んだものと 1指 摘する ︒. また ︑太田郁子氏. 三月尽 と生衣・酒 とをとりあわせることは ︑白詩﹁閑 居 春 尽﹂の頸聯 に例がある ︒﹂とし ︑. ‑ 5 ‑. 224. 251.

(6) 菅原道真 「惜春詩」の形成 第一章. 次の例 を挙げる ︒ ﹁掲甕偸嘗新熟酒. 開箱試著舊生衣 ﹂ ︵後集巻十三︶. 言うまでもなく︑ この詩は︑讃岐下向時から 三年目の﹁三月二十六日 ﹂に制作されたも のである︒前の二 首の詩と比較 すると︑第 一・二句目に ﹁人恋しさ﹂ の心情は表れている も の の︑深い慨 嘆は見られなくなっているといえよう︒ むしろ︑第三 ・四句目に 見えるよ う に﹁惜春ー三月尽﹂の観念 が︑より強く 意識され︑ 第五・六句目 では︑晩春か ら初夏に かけての風物を 敏感にとらえて描写している︒第七・ 八句目からは 讃岐下向の 慨嘆に対す る開き直りの 心情を読むこともでき︑白居易の詩に 見られるような悠々自適な 面を感じさ せる︒ 20. によれば︑ ﹁要す る. 以上の よ う に︑道真の讃岐下向﹁三月尽詩﹂は︑詩 句の享受という点に お い て︑白居易 ﹁三月尽詩 ﹂の影 響を色 濃く受 けていると 考えられる︒ 菅野禮之氏 に道 眞は︑ 白氏の ﹁春盡 ﹂﹁三月盡﹂ などの 言葉のみを 攝取し て︑白 氏の﹁ 春盡﹂ の詩に お け る獨 創 的な文学的本質は 受容しなかったものと︑ 私は考 える ︒ ﹂とする︒ さらに ︑前 述した 白居易﹁三月尽詩﹂の特徴 である四点において比較検討し︑道真 の詩は白居易 の詩 と ﹁同 質に は論 じられまい ︒﹂ とも 述べ て い る︒ 双 方の 文学 の中 で ︑ ﹁ 三月尽詩 ﹂の 重き を占 める割合といった立場か ら の論としては ︑首肯できる 点も多い︒ しかし︑道真 が学ん だものは︑詩句だけではないであろう︒白居易の﹁獨 創 的な文学的本質﹂も︑道真独自に 享受 しているのではあるまいか︒白居易﹁ 三月尽詩﹂の 特徴と さ れ る︑四点において検討 してみたい︒ 白居易﹁三月尽詩﹂の特徴 である四点の 中で︑①について︑道真の ﹁三月尽詩 ﹂は︑い ずれも該当しない︒白居易 が﹁三月晦日 ﹂という︑ 限定された時 間に絞り込むことによっ て︑典型的な 惜春の観念 を生み出したのとは趣を異 にするといわざるを得な い︒しかし︑ 道真の讃岐下向﹁三 月 尽 詩﹂が制作されたのは︑ いずれも﹁三月二十六日﹂ という限定さ 21. であった︒ 即ち ︑﹁三月二十六日﹂ に限定 して詩 文を制 作するのは︑. れた一日である︒この 日はまさしく ︑道真が︑左 遷にも匹敵す る不遇と し て落胆した︑ 讃 岐守 への着 任の日. 道真 に と っ て﹁ 晦日 ﹂以 上 に ︑ ﹁時 の 推移 ﹂を 深く 感じ ︑﹁惜 春﹂ の 観念 を集 約し て表 現 することができたのである︒また ︑前に述べたように︑白居易﹁三 月 尽 詩﹂の中には ﹁数 日後 に迫 る三月三十日 を予想 する 手法﹂ も見ら れ ︑﹁三 月 晦 日﹂に 制作されなくとも︑ 一 面で 白居易﹁三月尽詩﹂と同質 に考えてよいと思われる ︒ ② については︑ ①に つ い て で述べ た理由 から ︑道真 に と っ て ︑ ﹁ 惜春﹂ の情とともに 自 己 の感 慨 が高 まる ﹁三 月 晦 日 ﹂に 相当 する 日は ︑﹁ 三月二十六日 ﹂と 考 えるので ︑ ﹁ 三月 晦 日 ﹂そのものが主題 たり得るということは ︑道 真の﹁三月尽詩 ﹂に も表れた特徴 である ︒ 特 に﹁ 四年三月廿六日作 ﹂︵ 巻四 ・ ︶ は︑日 時が そ の ま ま題となり︑ 詩 的 主 題となって いると考えてよいだろう︒ このように ︑①②の特徴 である﹁三月晦日﹂については︑時の 推移を強く 感じさせる自 己にとって感 慨の深い一日 に限定して ︑詩作を行うという点にお いて︑白 居 易と道真に共 通する特徴 と見ることができるであろう︒ さらに ︑文学的本質の享受と い う意味では ︑③④の点 について深く 検討する必要 がある ︒ 白 居 易の詩 には ︑ ﹁節 序の推 移を示 す自 然 的 風 物の変 化を敏 感に と ら え て描写 す る こ と﹂ が︑ 必ず し も﹁ 三 月 尽 詩﹂の す べ て に表れるわけではない ︒ ﹁惜 春 ﹂ ﹁歎 老 ﹂﹁人 恋しさ ﹂ の 感情 の高 ま り が ︑ ﹁ 三 月 尽﹂ を契 機と し て ︑﹁ 節序 の推 移に つ れ て︑ 微妙 に変 化す る︑ 自然的風物への愛 着﹂に仮託し て表現されるという点は︑ 白居易と道真 の詩に共通 する方. ‑ 6 ‑. 251.

(7) 菅原道真 「惜春詩」の形成 第一章. 法で あ る︒ 三月江水濶 中原正兵戈. 悠悠桃花波. た と え ば︑ ﹃白氏文集﹄の中に ﹁春晩寄微之﹂ ︵前集巻十︶と題 する詩がある ︒ 年芳與?心事 南国方譴謫 頭上白髪多 春盡復如何. 此地共蹉. 眼前故人少 通州更迢遞 この詩は︑白居易が江州司馬に遷謫せられて︑初めての晩春に︑ 同じく通 州 司 馬に左遷さ れていた ︑親 友 元 ?に寄 せ た も の で あ っ た ︒ ﹁春盡復如何 ﹂の 句か ら し て ︑﹁三 月 尽 詩﹂ と考えてよいが︑白居易 の詩的心情 は﹁自然的風物﹂に向けられるのではなく︑自己の 境 遇や政情不安を憂い︑ 白髪が多くなったことを嘆 きつつ︑親 友への思いをつのらせるので. 云 々﹂の 詩題 で ︑﹁ 水?店頭春盡日. 送君上馬謫通川. 云 々﹂と い. ある︒白居易は︑この 詩からさかのぼること一年前の三月三十日︑左遷される元 ?を 水? に送 り︑そこで 別れている︒ このことは ︑ ﹃白氏文集 ﹄ ︵前 集 巻 十 七︶に ︑ ﹁十年三月三十 日︑ 別微之於 上? 22. う 詩が あ る こ と で確認 さ れ る ︒ また ︑ ﹁ 三 月 尽 詩﹂で ︑親 友 元 ?へ の思い を述べたもの として ︑﹁ 西 明 寺 牡 丹 花 時 憶 元 九 ﹂ ︵ 前集巻九 ︶ も見 ら れ る︒ こ の よ う に︑ 白 居 易の 詩文 の 中には ︑ ﹁ 三月尽 ﹂を契 機として﹁ 惜春 ﹂﹁ 歎老 ﹂ ﹁ 人恋し さ﹂といった ︑自己 の複数 の 感 慨を双関的に 主題とする詩 が見られるわけである︒ 道 真の讃 岐 下 向﹁三月尽詩 ﹂は︑左 遷 同 然の不遇を感 じていた着任 にはじまり ︑三年間 の﹁ 三 月 尽 ﹂︵三 月 二 十 六 日︶ に お い て︑ いずれも 制作 さ れ た も の で あ る︒ こ れ は ︑﹁三 月尽﹂を契機 として︑讃岐下向という 自己の境遇を 憂い︵惜春という時節の 推移に敏感と なり ︶︑白 髪た る こ と を嘆 き︑ 都へ の思 い を つ の ら せ る も の で あ っ た ︒このように ︑﹁三 月尽﹂は道 真においても︑複数の詩的観念を双 関 的に誘発する 契機として 作用している ︒ 道真の讃岐下向﹁三月尽詩 ﹂における ︑白居易詩文の享受は ︑単に詩語 の摂取のみならず ︑ 白居易の 詩的心情を 深く汲み取りながら︑自己 の抒情をも実 現してゆく︑ 文学的本質 に関 わる点 も︑少な か ら ず認めねばならないだろう ︒ 六︑結語 以上 ︑中国古典詩 においても 独自性のある ︑白居易の﹁ 三月尽詩﹂の 特徴を考え︑ 道真 の 詩文 へ の影 響を 検討 した ︒﹃ 菅 家 文 草﹄﹃ 菅 家 後 集﹄ に見 える ︑約五百余首 の詩 文の 中 に︑ ﹁ 三 月 尽 詩﹂ と考えられるものは ︑十 首に満 た な い が︑と り わ け︑讃 岐 下 向 時の三 首 に ︑白居易﹁ 三月尽詩﹂の 影響が著しい ︒これらの詩 は︑単なる 詩語の摂取のみならず︑ 白居易の詩文 の主題を自己 の境遇に関 連させ︑独自 な態度で享受 した上で︑自 己の抒情を も実現する ︑創作的な﹁ 惜春詩﹂であったと言ってよい︒ このように ︑道真 の私的 な場で 制作 された 詩文において ︑ ﹁惜春 ー三月尽﹂ の観念 は︑ 東宮応令詩︵ 23. 〜. ︶ に見られるように︑公の 場での題詠として︑. 白居易の ﹁三月晦日﹂ に対して﹁三月二十六日﹂ という︑限定 された日付 を以て享受さ れ る︒や が て︑巻五の. 的な季節観念に連な り︑自己の抒 情をも実現 していく﹂方 法が︑その後 の︑漢詩文や 和歌. ﹁惜 春ー三月尽 ﹂の観 念は定 着していく︒ そ れ と同時 に︑道 真の詩 文に 見ら れ た ︑﹁一 般. 400. の制作 に大きな影 響をもたらしてゆくことも 見逃せないであろう︒. ‑ 7 ‑. 391.

(8) 菅原道真 「惜春詩」の形成 第一章. ﹁惜 春ー 三月尽 ﹂の観 念は ︑ ﹃白氏文集 ﹄の 伝来とともに ︑業平 な ど に よ っ て︑和 歌の 分野 で独 自な享 受をしたが︑ その 後 ︑﹃古今和歌集﹄ の季節歌配列 に代 表さ れ る︑王朝文. 本 朝 文 粋 ﹄︵岩 波 書 店 ︶︑川. 古今和歌集 ﹄ ︵小学館 ︶ ︑. 学季節観の規範となっていくにあたり︑道 真﹁惜春詩﹂ の形成が大き な役割を担っている と考 えられる︒. 理 ・ 後 藤 昭 雄 氏﹃ 新 日 本 古 典 文 学 大 系. ※本文引用は ︑小沢正夫・ 松田成穂氏﹃ 新編日本古典文学全集 大 曾 根 章 介・ 金原. 昭. ﹃ 文学・語. 培風館. 第三章 ﹁白詩圏の文学 ﹂一. 菅家後集 ﹄ ︵岩波書店 ︶ ︑による︒. 昭和五十一年二月. 菅家文草. 一七八頁 句題和歌 ・千載佳句研究編﹄. ﹃ 東洋文学研究 ﹄昭和四十四年三月. 金子彦二郎氏 ﹃平安時代文学と白氏文集. ﹁文 学 史 上の承和期﹂. 小島憲之氏﹃古今集以前﹄ 塙書房. 口久雄氏 ︑ ﹃日本古典文学大系. 1 2 和十八年二月 理氏﹁伊勢物語の藤と蛍﹂. 上野 昭和六十年五月. 3 第一0五号. 片桐洋一氏 ﹁伊 勢 物 語の本質と そ の背景ー白詩 との関係にふれつつ﹂. 一号. 昭和五十二年一月 研究紀要 ﹄十 八. 昭. 昭和四 藝林舎. 岩波書店. 昭和六十三年十月 菅家後集﹄頭注. 大修館書店 菅家文草. 第二編第二章第三節六. 詩 と 時間 ︺﹁中 国 古 典 詩における﹁ 春﹂と﹁ 秋 ﹂ ﹂. 平岡武夫氏﹁三 月 盡ー白氏歳時記ー﹂ 昭和五十一年三月 松浦友久氏﹃ 中 国 詩 歌 原 論 ﹄︹一 昭和六十一年四月. 川口久雄氏﹃日本古典文学大系. ﹁春盡 ﹂の詩の比較文学的考察﹂. 菅野禮行氏﹃ 平安初期における日 本 漢 詩の比較文学的考察﹄. 大修館書店. ﹃ 日本大学人文科学研究所. 田中新一氏﹃ 平安朝文学に見 る二元的四季観﹄ 風間書房 平成二年四月 小島憲之氏 ﹁四 季 語を通して ー﹁尽日﹂ の誕生ー﹂ ﹃ 国語・国文 ﹄第四十六巻. 学﹄. 4 5 6 7 8 9 10 十一年十月 道 眞の文学研究篇第二冊﹄. 金子氏 の 指摘は ︑ ﹁ 句形 は こ れ を模し ︑詩 想 詩. 金子彦二郎氏﹃平安時代文学と白氏文集 二 0 三頁. 14. 13. 12. 注6. 注2. 注6. 注2. 金子氏. 小島氏. 金子氏. 小島氏. 金子氏. 所掲論文 ︒. 所掲書 ︒. 所掲論文︒. 所掲書︒. 所掲論文︒. 所掲書 ︒. 11 和五十三年四月. 15. 注2. 平岡氏. 注6. 小島氏. 所 掲 論 文︒. 語 はこれを改 めて﹂という 例の中に﹃ 白氏文集﹄巻三十三﹁春来頻与李二賓客郭外 同遊因贈長句 ﹂を指 摘し ︑一首 の詩篇全部に 及ん で︑句 形を模 し ︑ ﹁韻字 まで襲 用. 16. 注7. してゐる﹂と す る︒. 17. ‑ 8 ‑.

(9) 18 太田郁子氏. 注6. 所掲論文 ︒. 菅野氏 所掲書︒. 所掲論文︒. 注7. 平岡氏. 解説・年表︒. 桜楓社刊. ﹃ 国文学. 所掲論文︒. 大塚国語国文学会. ﹁﹃和漢朗詠集﹄の﹁ 三月尽 ﹂ ・﹁九月尽 ﹂ ﹂. 小島氏. 19 注9 川口氏. 昭和五十六年三月. 20 注10. 芸﹄第九十一号 21. 言語 と文. 本稿は︑平成十年三月十四日の平安朝文学研究会 における口頭発表の一部を. 22 注9 菅野氏 所掲書︑ 五九二頁にも指 摘がある︒ 23 この一時十首応令詩も︑寛平七年﹁三月二十六日﹂の作で あ る︒ ︽付記︾ もとに︑加 筆・修正を加 えたものである︒発 表 前 後に御教示いただいた先生 方に︑厚く 御礼申し上げます ︒. ‑ 9 ‑. 菅原道真 「惜春詩」の形成 第一章.

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参照

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