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︿資料﹀
ピューリタニズムと契約
宮下輝雄
宗教改革と契約説間の関連は親密なものであるけれども︑と
もあれ︑そのことは一般にヨーロッパにおいては︑主として外
的政治事情の結果であった︑ということは第五章︹モナルコマ
キと統治契約︺の最初の部分で述べた︒しかしながら︑大西洋
両岸英語圏の中には︑より急進的見解が出現し︑国家契約説は
教会組織の個人主義的理論の発展と︑かなり直接的関係をもっ
たように思われる︒この傾向は一七世紀初期のニューイングラ
ンドでの︑ピ落ーウリタン国家設立におい特に顕著である︒宗
教的迫害からのこれらの亡命者の間では︑どれ程の数の個人で
ヘヘヘヘへあろうと︑かれら自身の自発的合意によって︼つの教会を設立
しうるという理論は︑広く一般的であって︑教会は﹁使徒承伝﹂
に根拠をもつ機関というよりは︑本質的には神と信約を結んだ
信徒の集合であった︒
イギリスにおいてブラウン︹菊oσ①誹︼W民o≦口ρドααOIHOωωイ
ギリスの分離派︺やバロー︹国Φ口麸切鋤員︒≦"一呂Ol同α㊤ωイギ (1)リス独立派︺に見出され︑また︑分離派的キリスト教基本原理
の一つであったこの教会理論は︑アメリカで一六四入年に採用
された﹁ケンブリッジ綱領﹂09ヨ厚凱αq①℃一⇔窪霞ヨの中に︑そ
の最も明確な定義を受け入れた︒ここで︑組合教会8口咳Φぴq価,けざ昌99葺9は﹁神の招きによる聖者の仲間からなり︑聖信
約によって一団体に結合され︑神の公的礼拝式と主イエスの信
者のお互いの相互啓発のために︑キリストの設立による声戦う
現世教会の一部﹂であると述べられている︒﹁互いの信仰と俄
悔を確信した﹂︑ニューイングランド郡区のいかなる居住者も︑
互いに信約を結ぶことにより組合教会の一員となりうる︒﹁明
白な信約︑合意あるいは同意によって︑かれらは同一社会で一
緒にキリストの布告を遵守するために︑神にかれら自身を委ね
る︒それは一般に教会信約と呼ばれる︒﹂この信約は︑アブラハ
ムとイスラエル人によって神と結ばれ︑それによって︑かれら(2)は神の選民となったものと同一視される︒
イギリス自身における独立派と分離派は︑かれらがニューイ
ングランドでなしたように︑政府をコントロールするどころか
大部分のものは迫害の脅威のもとにあった︒つまり︑かれら
は︑イギリス国教徒によるのと同じ程度に長老派によっても好
まれなかった︒したがって︑単に存在するために懸命に苦闘し
なければならなかった︒クロムウエル軍隊の階級でのかれらの
名声を通して︑かれらが発言の機会を得ることができ︑また当
時の政治的討論に対し独特の貢献をなした内乱後の短期間を除
いては︑かれらはその宗教的見解の政治的帰結を十分に発展さ
せる地位にはほとんどなかった︒しかし︑アメリカにおいて︑
かれらは新開拓地を見出し︑そこでの︑かれらの宗教的実践
は︑大西洋を横断した少なくとも目的の]つであり︑かれらは
政治理論を実際に適用するための一層多くの機会を得た︒かれ
らは︑イギリス国教会の立憲的エラスタス主義を拒否し︑また
(かれらはカルビンの長老派主義には同意しなかったものの︑
結局︑かれの教義の影響のもとに)︑世俗的権威は宗教的権威に
服従すべきであることーかれらのローマに対する敵意にもか
かわらず︑中世カトリック教のその権力の絶頂時における主張
に︑その点で類似した見解を支持した︒かれらは︑国家は
本質的には教会の俗権であり︑教会の目的を確保する手段とし
て存在するという神政的見解を支持した︒したがって︑かれら
の国家の個人主義的理論は︑かれらの教会理論の個人主義に自
然に追随することとなった︒かれらは︑教会を設立するために︑
互いに信約を結んだ︒つまりかれらは組合教会の設立を保護し︑
支持する国家を設立するために︑同様に政治的信約を結んだ︒
かくして︑社会契約を︑事実︑このように理解した最初の人
びとは一六二〇年一一月︹メイフラワー号で渡米した︺プリグ
(3)リム・ファザーズ自身であった︒けれども︑他の多くの例が一
七世紀初期のニューイングランドの植民地から引合いに出され
うる︒たとえば︑ポーツマスで一六三八年一月七日に︑移住者
は次のように宣言した︒つまりわれわれは︑署名したので︑エ
ホバの御前にて︑ここに厳粛にわれわれ自身を政治体に組み入
れる︒かれは︑われわれを援助してくださるので︑われわれの 身体と生命と資産を主なるイエスキリストに委勃・﹂同一原
理が同年一月一四日にコネチカット州の﹁基本規定﹂の採用を
促した︒つまり﹁われわれは⁝⁝一共和国あるいはコモンウエ
ルスにわれわれ自身を連合させ︑結合する︒また︑われわれ自
身やわれわれの後継者や今後いつでもわれわれに結合するだろ
(5)う人びとのために﹂︑また︑かれらの自由とイエス・キリストの
福音の清廉とを保護するために︑そして︑市民的事がらにおい
ては︑そこで挙げられる法によって統治されるために︑﹁一緒に
(6)結合と連合とに加入する︒﹂
かくて︑ニューイングランド植民地の最初の憲法に秘められ
た社会契約は︑宗教的政治的諸問題に関する一七世紀アメリカ
理論家の著作にしばしば再現する︒それは旧約聖書の信約への
言及によって補強されたが︑その信約に関しては︑われわれが
ユグノーの政治理論を取り扱った際に直面した︒それに関する
明確な所説は︑コネチカット州の神学者トーマス・フッカー
(ハ門﹃O旨P蝉ω一山OO貯O﹃)に見られるが︑かれの著作﹃教会規律集概
説﹄蟄謹毫縣隷砺袋§ミ偽ミ○謡§§謡∪鋳ら凡黛勘ミは一六四
入年に出版された︒ここでは︑明示的と黙示的の二種類の信約
が言及される︒しかし︑それは︑明示的信約に好意を寄せなが
らである︒そして︑信約の効果は全体に対して︑すべての部分
を服従させることである︒しかし︑人民は︑﹁わきへそれる﹂
いかなる役人に対しても反抗を挑むであろうし︑このことは︑
(7)﹁かれらが所有する審判権によって﹂なされるであろう︒
民衆に起源をもつ政府理論に関して︑この時期で最もよく知
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られたアメリカの説明者の一人は︑ロジャー・ウィリアムズ
︹国oσQ興毫陰冨ヨ9一①Oω噌ーμ①Q︒ρイギリス生まれのアメリカの
牧師︑ロード・アイランド州の創設者︺であって︑かれは一六
四四年に﹃迫害の残忍な教義﹄↓曹b◎智ミ魯誤謡§w&ざ越馬,(8)ミ職§を出版した︒その中で︑かれは︑次のように言明して
ヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘヘへいる︒つまり﹁市民権力の主権者︑起源︑および基礎は人民に
ヘヘヘヘヘヘへ存する﹂︒そして﹁市民政府は︑人民の身体と所有物に関する
ヘヘヘヘヘヘへ限り︑人民の市民的平和を保護するための神の布告﹂によるも
のであるけれども︑それにもかかわらず︑市民権力(つまり人
へ民)はその政府とは別個のものであり︑したがって︑実際︑﹁市
ヘヘへ民政府の形態として⁝⁝最適と思われるものを設立する︒﹂か
れは続けて次のように言う︒つまり﹁人民によって設立された
ような政府は︑市民的権力︑あるいは同意し合意した人びとが
信託した以上の権力も期限も所有しないということは明白であ
蔚ゴこの文章において︑ウイリアムズは政府と人民間の関係
の基礎として(しばしばロックに関連づけられた)信託の概念
に先鞭をつけている︒しかし︑その観念は︑まったく発展され
ず︑後の書物においては︑委任ヨき9εヨというローマ法の
契約を復活させる言葉で︑類似の観念を表現している︒けれど
も︑かれがどの程度まで︑この観念を用いた政治学者によって
意識的に影響されたか︑あるいはまた気付いていたかは疑問で輪・ウイリアムズによ誕・﹁すべてのA︒法的為政者は・継
承であれ︑選出であれ︑神の使節であるばかりではなく︑かれ
はまた人民の使節あるいは奉仕者である︒⁝⁝したがって︑使 節であろうと為政者であろうと︑人民から委任を受けないこと
にまで手を広げるものは︑かれの任務の範囲を越えることとな
る︒﹂
ウイリアムズは︑﹁同意している︑または合意している﹂入
民というかれの記述からして︑それに親密に接近しているけれ
ども︑いかなる明示的契約にも言及していない︒かれはまた︑
ヨシア︹冒ω冨戸切︒O・①爲‑〜ユダヤ王︑在位しdb.忠01①O︒︒︺
の﹁主の前での信約﹂に言及し︑イギリス国王の言動を︑かれ
らが不利になるように︑ヨシアの言動と比較している︒という
のはヨシアは﹁神によって直接的に指名されたダビデ王を国王
の元祖にもつ高貴な支族﹂であったが︑他方︑﹁非ユダヤ人の
君主︑統治者や為政者は﹂﹁(たとえ君主制的であろうと︑貴族
制的であろうと︑あるいは民主制的であろうと):::(たとえ
政府は一般に︑なお神から︹由来する︺ものであろうと)(国
王と議会の両方の)かれらの任務︑権力そして権威を人民から
間接的に受理する︒⁝⁝ヘンリー入世︑エドワード六世あるい
は(ヨシアと同様な)いかなるものも﹂︑イギリス人の道義心を
﹁圧迫するためにイエス・キリストからいかなる委任を与えら
(12)れたのか﹂と︑かれは問うた︒
しかし︑ニューイングランドのピューリタンは宗教的自由を
擁護し︑迫害を非難した︑と同時に︑かれらは︑個人的自由よ
りもむしろかれら自身の社会の特権と独立を保護せんとしてい
た︒また︑かれらは︑万人の平等を信じなかった︒かれらは︑神
の選民と大部分の罪深き人間の問に明確な区別を引いた︒かれ