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仏教系生命保険会社の成立および破綻 理由について

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(1)

仏教系生命保険会社の成立および破綻 理由について

⎜⎜ 佛教生命,明教生命,六条生命の分析から ⎜⎜

深 見 泰 孝

■アブストラクト

明治期に我が国では,仏教系生命保険会社と呼ばれる生命保険会社が設立 される。この会社は,教団や僧侶が直接,間接的に関与したことが特徴であ る。保険思想が十分に普及していなかったとされる当時,多くの門信徒を抱 える教団を活用した保険募集は,募集を優位にすすめる方策と考えられた。

ところが,多くの会社が明治期に破綻や合併,支配権異動などで仏教系生命 保険会社としての営業活動を終えている。そこで,本稿では,これまで明ら かにされていなかった仏教系生命保険会社の支援形態の差異に注目し,この 違いが経営に与えた影響,破綻要因に与えた影響を分析し,また,仏教系生 命保険会社が保険業史上に果たした役割について検討した。

■キーワード

仏教教団と生命保険,ガバナンス,経営破綻

1.はじめに

明治20年代後半から30年代初頭に起きた企業勃興ブーム期に,生命保険業 界(以下,生保業界と略記)でも多くの中小資本の生命保険会社(以下,生 保会社と略記)が開業している。その中には,本稿で取り扱う仏教教団や僧

*平成21年10月25日の日本保険学会大会(龍谷大学)報告による。

/平成23年1月24日原稿受領。

(2)

侶が直接,間接的に支援した仏教系生命保険会社(以下,仏教系生保と略 記)も含まれている。こうした会社が設立されるまでに我が国で開業してい た生保会社は,わずか5社であり,まだまだ生命保険黎明期といえるこの時 期に,なぜ,こうした会社が設立されたのであろうかという疑問が浮かぶ。

また,仏教系生保を含むブーム期に設立された会社の多くは,明治33年の 保険業法施行とともに姿を消した。木村(昭和58年)は,同時期に設立され た生保会社の破綻要因を四つに分類している。一つ目は類似保険会社などに 多かった非科学的な料率計算。二つ目は販売対象や販売地域の限定による販 売不振。三つ目は資産運用の失敗。最後が経営者の内紛である。一方,仏教 系生保の破綻要因を巡っては,小林(昭和54年)が明教生命を事例に取り上 げ,宗門の利用を前提としており,事業構想が散漫でも,保険数理を理解せ ずとも事業が開始できたこと。そして,この前提のため販売対象が限定され,

準備金積立よりも教団への寄付に重点が置かれて自滅したと結論付けている。

これまでの仏教系生保研究においては,全ての会社が教団からの直接的な 支援を受けていたことを前提に議論されてきたが,仏教系生保には教団が設 立や経営に関与したものもあれば,教団は設立のみに関与したもの,教団で はなく僧侶が個人として支援したものなど,支援の形態は異なっていた。本 稿では,まずこのことを明らかにする。次に,こうした支援形態の違いが,

経営に影響を与えたのか,破綻要因に差異を生みだしたのかを明らかにし,

最後に仏教系生保が保険業史上で果たした役割について検討したい。

2.仏教系生保設立の背景とその特徴

⑴ 仏教系生保設立の背景

まず,我が国で仏教系生保が設立された背景を考察してみたい。それは,

保険商品の販売に宗教が有効に機能すると考えられていたと思われることで ある。明治24年頃,日本生命では 白骨の御文章 を模したパンフレットを 使った保険勧誘が行われていた 。これは,十分に保険思想が定着していな

1) 日本生命(平成元年)p.64。

(3)

かった当時,人々の保険に関する知識も乏しく,それゆえに生命保険の必要 性を訴えるのに,同じ 人の死 に対して精神的救済を行っていた宗教が用 いられたと考えられる。

そして,仏教系生保が相次いで設立される直前に,明治生命設立に関与し ていた中村道太や日本共同生命の発起人であった岡部廣らが,相次いで我が 国最大の門信徒を抱える西本願寺に,生保会社設立を進言している 。既に 生保会社の設立に関与した彼らも,保険思想が十分に普及していなかった当 時,保険の販売において,宗教が有効に機能すると考えていた証左であろう。

また,仏教系生保が相次いで設立される明治26年頃から,企業勃興ブーム を迎え,鉄道,紡績など多くの会社が設立されていた。生保業界も例外では なく,保険会社を監督・規制する法律がなく,資本金が少なくても利益や長 期資本を得やすいと誤解されていた。このため,生保業界でも明治26年から 33年に中小資本の会社を中心に45社が新設された。この中に仏教系生保も含 まれており,会社側は,保険思想が十分に定着していない中,募集活動を優 位に進めるための手段として宗教の利用を目論んでいた。他方,教団にとっ ても廃仏毀釈や上知令,戊辰戦争への財政支援で財政は悪化しており,これ に加えて,外国人の内地雑居を目前に控え,キリスト教の勢力拡大に対する 対応が必要であった 。これが仏教系生保設立の背景にあったと思われる。

⑵ 仏教系生保の特徴

では,仏教系生保の特徴はどこにあったのであろうか。先行研究では,廃 仏毀釈による教団財政の悪化を背景に,会社は教団から営業を支援される見 返りとして,利益の一部を寄付する関係があったと言われている 。しかし,

仏教系生保各社の設立目的と教団との関係をまとめた表1によれば,全ての 会社でこのような特徴を持っていたわけでもなさそうである。

2) 深見(平成19年)p.10。

3) 深見(平成19年)p.20。

4) 友松(昭和8年)。

(4)

表1によれば,これまでに明らかにされた特徴を有しているのは,真宗信 徒生命以後に設立された会社である。それまでに設立された会社は,僧侶個

(表1)仏教系生保の設立目的,教団からの支援

会社名

佛教生命

有隣生命

明教生命

真宗生命

日宗生命

六条生命

共慶生命

(出典)生命保険会社協会編(昭和11年)p.423,pp.437‑443,p.469,p.473,pp.

626‑628,p.631,佛教生命(明治27年),三岡編(大正5年)p.483,小林

(昭和54年)p.73,深見(平成20年),東京生命編(昭和45年)p.20,東京 生命(平成7年)p.27,日宗生命(明治29年),阪本編(明治34年),保険 銀行時報社(昭和8年),p.153,生命保険会社協会編(昭和14年)p.121,

宗報 第1号,第6号,第7号付録,第32号, 時事新報 明治27年10月 16日, 大阪朝日新聞 明治27年10月28日, 京都日出新聞 明治32年2月 1日, 保険時報 第54号 明治33年8月5日より作成。

設立時期 設立の背景および目的 教団の支援と教団への寄付

M27.3

全国の寺院(52,605ヶ寺)から平 均 6 人 が 保 険 に 加 入 す れ ば,

3,000万余の契約が見込めること を背景に,仏教徒のための保険事 業提供のために設立。

教団からの直接的な支援はなく,高僧 や信者を勧誘部員として雇用し,彼ら が保険勧誘を行った。教団への寄付は,

寄付先は特定できないが,事業報告書 上では寄付はあり。

M27.4

由利公正と恵美龍園が,東本願寺 の財政を談じた際,生保会社を起 して教団へ経費補助を目論んだこ とを背景に,各教団の高僧を集め て仏法興隆会を組織し,京都府知 事・中井弘の賛成を得た上で,仏 法を守護することを目的に設立。

教団からの直接的な支援はなく,仏法 興隆会が募集活動を支援。会社は,保 険金の1割(被保険者の希望で寄付額 は増減可)を,被保険者が希望する寺 院に永代供養料として寄付。

M27.5

僧侶,神官,信者のための生命保 険,神社,仏閣,殿宇,寺院,堂 塔,伽藍に対する火災保険を提供 のために設立。

教団からの直接的な支援はなく,永平 寺住職や円覚寺派管長,東本願寺執事 ら高僧が協賛。利益の一部を,株主総 会決議により寄付。寄付先は不明。

M28.8 宗門からの大きな御恩に報いるた め,信徒が金銭的補助を通じて,

宗門の発展を図れるよう設立。

創立趣旨には真宗大谷派,高田派,誠 照寺派,三門徒派,本願寺派の保護協 賛を得たとあるが,本願寺派,大谷派 はそれを否定。一方,寄付は希望者が 保険金の一部を檀那寺に永代経料とし て寄付も可能。

M30.2

信徒の相互救済と日英通商航海条 約改正で認められた外国人の内地 雑居に伴う教団が行う慈善救済費 用の援助を目的に設立。

日蓮宗宗務院が諭達を発布,高僧が賛 助員に就任し,僧侶も保険募集を行う。

布教費,興学費,寺院火災補助費用の 資金として,株主配当金の10%を日蓮 宗に寄付。

M32.2

外国人の内地雑居を背景に,東本 願寺の財政整理と門信徒の財産扶 植を助けることを目的に設立。し かし,世間では西本願寺と真宗信 徒生命のように,東本願寺の機関 会社とすることが目的とされる。

東本願寺は石川瞬台を監理に派遣し,

諭達も発布。また,同寺の布教使や勅 令使が保険募集に同行。一方,毎年保 険料の1%を東本願寺へ寄付させ,募 集拠点の末寺には,保険金額の0.75%

を寄付していた。

M33.10 六条生命関東派株主が分派して設 立。会社設立後,真言宗豊山派に 支援を求めており,目的は不明。

宗教所が諭達を発布。寄付については 不明。

西本願寺総務が諭達を発布,僧侶も保 険募集を行う。一方,純益金の30%を 西本願寺の慈善事業資金として寄付。

門信徒の相互救済と外国人の内地 雑居を目前に控え,教団が実施す る慈善事業費獲得を目的に設立。

M28.4 真宗信徒

生命

(5)

人による支援であり,寄付の方法も契約時に被保険者が希望した寺院に寄付 するものや会社からの場合も,特定教団へのものではなかった。すなわち,

真宗信徒生命の成功が,仏教系生保の設立目的や寄付方法を転換させたので はないかと思えるのである。

⑶ 仏教系生保の募集上の特徴

仏教系生保の募集上の特徴は,表1から僧侶や教団が支援するところにあ る。具体的には,真宗信徒生命の設立以前は,複数の宗派の高僧や有力信徒 の協賛や彼らが勧誘部員として雇用され,保険勧誘を行っていたことである。

他方,教団が直接関与した真宗信徒生命や日宗生命,六条生命では,教団 による諭達の発布や僧侶による勧誘が行われていた。そして,全国の末寺が 募集拠点となるとともに,有力門信徒や御同行衆が代理店となっていた。た だ,代理店となった有力門信徒も保険を理解していたわけではなく,むしろ どだい保険と云うものゝ意味がチンプンカンプンで…何が何だか判らぬま まに,兎も角も勿体ない事じゃ,此世の中を御救い遊ばされるための尊い事 業であるから加入したものにも定めしよき功徳があるに決まっている。丁度 極楽行きの切符を頂いた様なもの として,また,僧侶たちも念珠片手に 白骨の御文章 を引用して, 御本山のために という合言葉で信徒の信 仰心と報恩心に訴え て保険募集を行っていた 。日宗生命 や六条生命 でもそれは同様であり,教団が関与した会社に関しては,加入者も喜捨や寄 付に近い気持ちで保険に加入したと思われる 。

5) 東京生命(平成7年)p.27。

6) 東京生命編(昭和45年)p.29。

7) 東京生命(平成7年)p.27。

8) 日宗生命の募集方法は,深見(平成22年)pp.22‑23を参照のこと。

9) 趣意書及募集方法 ( 宗報 第6号 明治32年3月28日掲載)の第2項で,

御本山ハ各末寺ノ御住職ヲ扶助シ,御住職ハ直接其門信徒ヲ勧誘シテ,生命 保険ニ加入セシムル事 と定められていた。

10) 伊藤忠商事の業祖,初代・伊藤忠兵衛は,明治23年2月6日に日本生命と 500円の生命保険契約をしたが,明治28年6月1日には真宗信徒生命と1,000円

(6)

⑷ 仏教系生保の契約高と顧客層の特徴

では,仏教系生保の契約高は,どのように推移したのであろうか。図1に よれば,明治30年代初頭までは三大生保と同程度の増加がみられた会社もあ るが,傾向としては各社とも後年になるほど増加額は減少し,中には契約が 大幅に流出した会社もみられる。さらに,各社の増加額の推移をみれば,明 治31年,32年,34年に,明教生命,六条生命,佛教生命の契約が大幅に流出 している。これは株主対立や新契約募集停止命令といった会社内部の問題の 表面化が一因と思われる。

次に,仏教系生保の顧客層はどのような職業に従事する人が中心で,それ は三大生保の顧客層と異なっていたのかを表2を用いて考察したい。表2に は 日本帝国第十九統計年鑑 掲載の明治32年の生保業界全体の職業別加入

の生命保険契約をしている。当時,三大生保の一角にあった日本生命より,開 業直後の真宗信徒生命と高額の保険契約を結んだことは,彼が寄付や喜捨に近 い気持ちで契約したと思われる一例となろう。( 掌帳 伊藤忠兵衛家文書。な お,伊藤忠兵衛家文書は滋賀大学経済学部附属史料館で現在整理中である。)

(出典)保険銀行時報社(昭和8年)より作成。

(図1)仏教系生保の契約高増加額の推移

(7)

者数,同年の真宗信徒生命,有隣生命の営業報告書に掲載の職業別加入者数,

保険金額をまとめた。

合計 その他 芸妓 筆耕 傭人 家扶 議員 裁判官及検察官 新聞記者及著述者 機関士 薬剤師 産婆及看病人 弁護士及公証人 海軍軍人 技術員 陸軍軍人 海員 公吏 学生 警察官及司獄官 漁業者 医者 官吏 教員 教導職 銀行及会社員 雑業 工業 無職 農業 商業

職業

582,522 0 0 0 4,472 0 327 484 522 457 786 606 1,133 1,678 2,152 4,210 3,694 4,974 2,673 4,096 4,470 12,831 14,598 15,441 8,101 18,029 55,238 52,846 76,501 110,541 181,662 人数⒜

100,720 0 0 0 0 0 48 62 64 90 107 153 163 203 233 290 566 611 612 699 1,318 1,556 1,851 1,855 1,939 2,050 4,173 7,804 18,991 21,609 33,673 人数⒝

22,859,890 0 0 0 0 0 38,900 29,500 22,100 24,200 35,400 26,400 110,400 59,700 92,350 121,650 136,510 136,800 203,800 130,300 269,700 695,250 487,450 404,000 346,800 801,100 957,800 1,357,750 3,893,030 4,115,970 8,363,030 保険金額

227.0 0.0 0.0 0.0 0.0 0.0 810.4 475.8 345.3 268.9 330.8 172.5 677.3 294.1 396.4 419.5 241.2 223.9 333.0 186.4 204.6 446.8 263.3 217.8 178.9 390.8 229.5 174.0 205.0 190.5 248.4 平均保険金

17.3%

0.0%

0.0%

0.0%

0.0%

0.0%

14.7%

12.8%

12.3%

19.7%

13.6%

25.2%

14.4%

12.1%

10.8%

6.9%

15.3%

12.3%

22.9%

17.1%

29.5%

12.1%

12.7%

12.0%

23.9%

11.4%

7.6%

14.8%

24.8%

19.5%

18.5%

⒝ /⒜

193,377 0 0 0 1,861 0 195 319 234 225 232 334 595 1,193 876 2,768 1,055 2,295 1,101 1,759 738 6,248 7,396 6,497 2,021 9,582 12,575 18,097 24,527 27,625 63,029 人数⒞

62,091,590 0 0 0 415,100 0 155,050 188,100 163,400 52,600 96,820 53,400 506,000 956,900 545,280 1,750,240 361,690 568,210 486,300 352,840 256,200 3,816,350 2,995,390 1,909,820 467,900 4,611,680 3,524,220 4,447,670 6,086,670 7,146,990 20,586,670 保険金額

321.1 0.0 0.0 0.0 223.1 0.0 795.1 589.7 698.3 233.8 417.3 159.9 850.4 802.1 622.5 632.3 342.8 247.6 441.7 200.6 347.2 610.8 405.0 294.0 231.5 481.3 280.3 245.8 248.2 258.7 326.6 平均保険金

33.2%

0.0%

0.0%

0.0%

41.6%

0.0%

59.6%

65.9%

44.8%

49.2%

29.5%

55.1%

52.5%

71.1%

40.7%

65.7%

28.6%

46.1%

41.2%

42.9%

16.5%

48.7%

50.7%

42.1%

24.9%

53.1%

22.8%

34.2%

32.1%

25.0%

34.7%

⒞ /⒜

三大生保合計 真宗信徒生命,有隣生命合計

(出典)内閣統計局(明治33年),各社営業報告書より作成。

業界全体

(表2)職業別加入者数,保険金額(単位:円)

(8)

表2によれば,三大生保と仏教系生保2社の加入者で,業界全体の50%を 占めている。顧客は両者とも商業,農業,無職,工業,雑業従事者が中心で あり,それらが両者の加入者に占める割合は,67.3%と81.7%であった。ま た,仏教系生保加入者の平均保険金は,三大生保のそれと比べてほぼ全ての 職業で少ない。当時は,終身保険と養老保険が主力販売商品であり,保険料 負担能力は所得と比例関係にあると想定されることから,仏教系生保の顧客 層は,三大生保のそれより低所得層であったと考えられる。

そして,職業別加入者の業界全体に占める割合に注目すると,教導職,農 業では両者の差が,1.0%,5.5%と他の職業よりも小さい。これらから,両 者とも農商工業者が顧客の中心であったが,仏教系生保の方が三大生保より も低所得層の農商工業者を主たる顧客にしていたと指摘できよう。

3.仏教系生保の収益性

次に,仏教系生保の収益性から破綻要因を考察したい。このことに関して,

先行研究では,準備金積立より寄付が優先されたため破綻したとの指摘があ るが,それが事実なのかも検証したい。

まず, 損益計算書 を発見できた各社の収益を表3にまとめた。表3に よれば,明治31年から34年まで,一貫して黒字を計上していたのは,有隣生 命,真宗信徒生命,日宗生命の3社だけである。六条生命は,設立直後に合 併した中央生命が2万円を超える赤字を計上していたこともあり,設立直後 から赤字を計上し,その後も赤字額を拡大させている。そして,佛教生命,

明教生命も収益は年々悪化し,赤字に転落している。

この理由は何か。そこで,責任準備金積立状況を表4にまとめた。表4に よれば,六条生命,佛教生命,明教生命は,表3で赤字額が拡大した年度に,

責任準備金積立額を大幅に増やしており,準備金積立が赤字額拡大の一因と 言える。各社が責任準備金を積み増した時期は,保険業法施行直前であり,

保険業法施行に備えた措置であろう。では,なぜ積立額を大幅に増やさなけ ればならなかったのか。その理由は営業報告書などで次の記述がされていた。

(9)

六条生命の責任準備金算出方法は,総収入金から総支出金を差引いた残額 を責任準備金とし ,佛教生命も 生命表改称及保険料,責任準備金算出方 法変更認可申請書 を農商務省に提出している。そして明教生命は,損益 計算書に 保険業法第109条未補填不足額 として82,273円余が計上されて いた。保険業法第109条未補填不足額とは,保険業法第109条で,責任準備金

(表3)仏教系生保の収益(単位:円)

明治31年度 明治32年度 明治33年度 明治34年度 佛教生命 9,889 ‑24,141 ‑105,000 − 有隣生命 8,211 9,559 9,567 9,520 明教生命 20,538 12,651 ‑16,207 − 真宗信徒生命 16,982 14,337 14,360 25,746

禅徒生命 ‑9,553 − − −

日宗生命 4,544 5,683 6,604 − 六条生命(※) ‑21,316 ‑79,770 ‑77,623 −

※六条生命の明治31年の収益は,合併前の中央生命の数値を用いてい る。

(出典)各社営業報告書,保険銀行時報社(昭和8年)より筆者作成。

(表4)責任準備金積立状況(単位:円)

(出典)保険銀行時報社(昭和8年)より作成。

165,380 116,919

96,677 31,747

六条生命

173,440 115,193

139,060 40,525

日宗生命

24,580 18,639

6,982 2,976

禅徒生命

682,633 500,319

300,276 177,006

真宗信徒生命

248,210 206,058

76,532 50,000

明教生命

558,199 453,573

330,750 210,379

有隣生命

100,232 67,614

107,952 51,358

佛教生命

明治34年度 明治33年度

明治32年度 明治31年度

11) 生命保険会社協会編(昭和11年)pp.1301‑1302。

12) 佛教生命(明治33年)p.7。

(10)

に不足額のある会社には不足額の開示が求められ,これに従って開示された ものである。つまり,明教生命には8万円以上の責任準備金積立不足があっ たのである。このことから,これら3社は責任準備金が保険数理に基づかず に算出された額を積み立てており,それゆえ保険業法施行を目前に控え,不 足額積み増しに迫られたのである 。

では,責任準備金積立不足は,先行研究で指摘された,寺院や教団への寄 付が優先されたために起きたのだろうか。そこで, 営業報告書 に記載さ れていた各社の寄付金額を表5にまとめた。これによると,次の事実が明ら かとなる。1点目は,全社とも赤字決算の年度には寄付をしていない。2点 目に,収益が悪化していた佛教生命,明教生命,六条生命は,収益悪化後は 寄付をしていない。さらに遡っても,寄付が行われていたのは,佛教生命の 2,000円(明治30年),明教生命の750円(明治28年),3,500円(明治29年)

しか見当たらない。すなわち,寄付額は積立不足の準備金より明らかに少な く,教団への寄付を優先したが故に,破綻したとは言い難いのである。

13) 責任準備金積立不足のなかった有隣生命,真宗信徒生命,日宗生命には,そ れぞれ粟津清亮,志田鉀太郎,楠秀次郎が入社し,彼らが科学的に責任準備金 積立額を算出していた。

(表5)年度別寄付金額(単位:円)

(出典)各社営業報告書より作成。

− 0

− 六条生命

− 450 450

300 日宗生命

− 0 禅徒生命

5,990 3,832

4,000 4,430

真宗信徒生命

− 0 0

0 明教生命

寄付規定なし 有隣生命

明治34年度 明治33年度

明治32年度 明治31年度

佛教生命 2,000 − 0 −

(11)

4.仏教系生保の破綻

これまで,仏教系生保の特徴,収益性について考察したが,最後になぜ仏 教系生保が破綻したのかを考察したい。そのため,表6に仏教系生保として の基本的性格が消滅した理由をまとめた。これによると大正期もその性格を 維持していた会社は真宗信徒生命だけであることがわかる。そこで,破綻や 合併に至る要因を教団が設立や経営に関与していない会社(佛教生命,明教 生命)と関与した会社(日宗生命,六条生命)に分けて,考察したい。

⑴ 教団が設立や経営に関与していない会社

佛教生命は,明治33年が転機となった。それは,明治33年6月期決算で責 任準備金積立不足の補填が一因となり,赤字決算となったこと 。そして,

明治33年末に新契約募集停止命令が発令され,契約高の約75%にあたる300 万を超える契約が流出したことである。新契約募集停止命令の発令理由は,

資本充実,不動産売却,不良債権処理が指摘され,さらに,預金先の近江興 業銀行が破綻したことも一因であった。近江興業銀行は佛教生命社長・九鬼 隆備が頭取を兼務しており,同行の預金の大半は,佛教生命からのものとさ れる。

同行の破綻を巡っては,設立当初から経営状態は芳しくなく,明治26年に は資本金を減資(50万円から6万円)して再建を図る。しかし,翌年には京 都米穀取引所の不祥事に役員が関与し,信用は著しく低下する。その後も低 迷は続き,明治31年に江州同盟銀行会から退会,明治33年5月に解散する 。

このように,役員を兼務していた預金先銀行の破綻が,新契約募集停止命 令の発令要因となり,加えて責任準備金積立不足を原因とする赤字転落が同 時期に起き,これらが相まって契約者に動揺を与え,契約高の約75%もの契

14) 佛教生命の 第九回報告書 によれば,保険料収入の約51%が責任準備金と して積み立てられている。

15) 渕上(平成17年)p.81。

(12)

約が流出したと思われる。その後,一度は新契約募集停止命令も解除される が,株主間対立の発生や,またもや役員が兼務する別の不良行へ過大な預金

(表6)仏教系生保としての性格の消滅理由

会社名 発生時期 性格消滅に至る要因

佛教生命 明治43年5月

明治33年秋,預金先の近江興業銀行が破綻し,11月に新契約 募集停止命令を受ける。その後,一度は整理に成功して新契 約募集停止命令は解除されるが,明治37年以降損失が拡大し,

任意解散に至る。

有隣生命 明治44年12月

設立の中心人物であった由利公正が高齢になり,職務に耐え られなくなる。その化身となった支配人・松崎松太郎は地位 と資金を悪用し,鉱山その他の事業に社金を悪用,それがき っかけとなり,支配権は転々と異動。明治44年には日本積善 銀行・高倉藤平へ支配権が異動。

明教生命 明治34年10月

明治33年末からの日清戦後第二次恐慌によって,社長古畑寅 造が経営していた七十九銀行が破綻すると,古畑寅造の所有 していた明教生命株は大阪生命・岡部廣に移り,大阪生命と 合併する。

真宗信徒生命 昭和9年9月

設立以来,西本願寺の有力門徒が経営し,規模も順調に拡大 するが,大阪生命事件に巻き込まれ,西本願寺が同社株式を 80%以上保有する。大正3年,大谷家の財産整理のため有力 門徒の久原房之助に株式を売却(株式の30%は本山へ寄付)。

その後,昭和9年に野村財閥に支配権が異動。

真宗生命 明治32年6月

明治28年の設立以来,社内にはもめごとが相次ぎ,その影響 もあって会社の信頼は失墜。心ある株主がこれを憂い,加島 銀行頭取・廣岡久右衛門へ支配権を異動させる。後に大同生 命となる。

日宗生命 明治42年9月

姉妹会社であった日宗火災破綻の影響を受け,当時,成金と して有名であった鈴木久五郎へ会社救済を交渉。これをきっ かけとして,鈴木久五郎の手下・須永清が会社に入社。会社 内部で須永派と鈴久派のもめごとが続き,解散命令が出され る。

禅徒生命 明治35年4月

曹洞宗を背景として設立された会社であったが,明治33年末 時点の契約高は57万円余りであった。その後,社長が交代す るも業績は一向に挙がらず,明治35年に大阪生命と合併。

六条生命 明治40年4月

明治34年農商務省の検査により,東本願寺に対する貸付金回 収を命じられたが一向に進まず,契約高の激減,欠損額の増 大を招き,解散に至る。

共慶生命 明治43年5月

共慶生命は六条生命からの分社以後,徒に睡眠状態を続ける。

明治36年,手島知徳の入社以来,業績は改善。明治43年,渋 沢栄一の娘婿・尾高次郎に支配権が移り,渋沢栄一の協力も 得て,業績は改善。後に東洋生命となる。

御嶽生存保険合資 明治34年1月

同社は,その前身会社であった競盛生命の不始末のため,保 険募集に苦労し,収入保険料はわずか5千円程度に過ぎなか った。保険業法施行後の検査で,営業停止を命じられ,明治 34年には任意解散する。

(出典)保険銀行時報社(昭和8年)pp.140‑222より作成。

(13)

を行い,業績の向上を見ることなく破綻に至る。

次に,明教生命である。明教生命は設立当初こそ,順調に契約高を伸ばし ていたが,明治31年以降は流出に転じる。この契約流出の契機は,明治30年 に起きた株主対立であった。同社の株主構成は,大株主が京都・東京・大阪 に分散し,それぞれが役員を出し,役員間の意見対立が絶えなかった。この 対立は,宏佛海社長による京都支社長外数名の告訴で表面化し,会社分裂の 危機を迎える。この危機は,渋沢栄一と濱岡光哲が仲裁に入り,株式の分散 を改めるべく株式の集中を求めた。その結果,七十九銀行,大阪火災を経営 していた古畑寅造が41%の株式を保有し,本社を京都に移転する。

これで会社分裂の危機は回避できたが,契約の流出に加え,新たな問題も 起きる。それは,表7に示した明治32年に火災保険 が赤字に転落し,表 8からは,明治33年に生命保険も,保険料収入の約半分に当たる責任準備金 積立不足が露呈し,それを積み増したため赤字に転落する。さらに,古畑社 長が拘引される 。

16) 明治32年に赤字に転落した火災保険は,古畑が経営していた大阪火災に事業 が承継されている。なお,当時は生保と損保の兼営が可能であった。

17) 古畑が拘引されたのは,自身が経営していた七十九銀行の資金で伊予鉄道や (表7)明教生命 明治32年決算

収入 支出

生命保険料 火災保険料 生命保険利子 火災保険利子

生命株式書換料及雑収入 火災雑収入

火災当期欠損金

合計

(出典)明教生命(明治33年)より作成。

161,090.143 76,439.629 9,062.602 791.126 1,635.749 124.726 9,387.470

258,531.445

生命保険支払金 火災保険支払金 生命保険解約割戻金 火災保険契約割戻金 生命代理店手数料 火災代理店手数料 生命本支社営業費 火災本支社営業費

合計

58,655.000 57,968.634 2,277.947 37.474 8,146.862 3,312.479 76,176.221 25,424.364

258,531.445 生命当期収支残金 26,532.464

(14)

古畑の拘引をきっかけに,大阪生命の岡部廣が大阪火災を整理する。岡部 はこの整理に乗じて,同社所有の明教生命株2,000株,担保として所有して いた840株,七十九銀行保有の1,200株など6,610株(持株比率にして約66%)

を公売などで取得する。当時,岡部は生保トラストの形成を目指しており , 彼はその議決権を行使して,明教生命を大阪生命に合併したのである。

⑵ 教団が設立や経営に関与した会社

一方,教団が設立や経営に関与しながら,破綻した会社には日宗生命と六 条生命がある。日宗生命の破綻に関しては,深見(平成22年)が詳しい。深

大阪火災,大阪運がなどの株式を保有したが,明治33年に起きた日清戦後第二 次恐慌で株価が暴落し,七十九銀行の債権者より告訴されたためである。

18) 岡部の生保トラスト形成の過程は,小川(昭和62年),深見(平成19年)が 詳しい。

合計 当期不足金

保険業法第109条未填補不足額 財産評価益

雑益 利子 保険料

責任準備金

火災保険未経過責任準備金 什器及診査用器等 利益

前年度繰越金

401,307.727 16,207.352 82,273.473 25,671.260 3,193.797 10,150.630 174,878.219 76,532.464 10,000.000 1,000.000 1,400.532

合計

支払備金 次年度繰越金 責任準備金 財産償却損金

雑費 紹介手数料 医師報酬 代理店費 旅費 営業費 俸給及報酬 火災保険料 再保険料(火災) その他返戻金 解約返戻金 保険金

401,307.727 9,212.238 206,058.344 5,164.618 27,801.779 3,513.528 3,101.140 18,201.683 20,628.013 27,866.846 4,590.200 7,122.551 210.225 1,921.562 65,915.000

(出典)明教生命(明治34年)より作成。

支出 収入

(表8)明教生命 明治33年決算

(15)

見(平成22年)では,日宗生命の破綻は,経営を教団内での地位の高い門信 徒が担い,彼らに匹敵する教団内での地位の者がいないが故に,会社に対し て利益を逸するような意思決定であっても,教団内での地位の高さから彼ら を規律づけられず,経営者の暴走を止められなかったと結論付けている。

一方,六条生命の特徴は,仏教系生保で唯一教団が支配権を握り,かつ高 僧を会社へ派遣して,経営に関与していたことである。東本願寺が経営に関 与するのは,東本願寺の負債償還方法を巡る対立が基底にある。

東本願寺は,明治31年1月時点で453,889円の負債を抱えていた。この負 債償還の財源を巡って,東本願寺宗政の中心にいた渥美契縁と石川瞬台に対 立が起きていた 。当時,東本願寺の運営を担っていた渥美は,募財による 債務償還を目指すが, 募財を応じることによって寺格があがるという教団 にとって悲しむべき現象も生れ ,教団内では全国的な革新運動が起き,

渥美執事を辞職に追いやる。代わって執事に就任した石川は,教団が行う営 利事業の利益を償還財源に挙げ,北海道の天塩や白糠の炭鉱開発など営利事 業を積極的に実施する。六条生命の設立もこうした営利事業の一環であった。

ところが,六条生命は設立直後の明治32年1月, 死亡生残表等ハ…単ニ 或ル先輩同業会社ノ営業保険料,即チ保険掛金表ニ依リ其中数ヲ取リ制定シ タルモノニシテ…附加保険料ノ利率一定セス。殊ニ,其率少額ナルヲ以テ,

社費及募集費ニ年年不足ヲ生シ ,合併直前の明治31年度決算で21,136円 余の赤字を計上していた中央生命と合併する。

しかも,六条生命の経営計画は実現不能であった。明治32年に東本願寺に 上申された 趣意書及募集方法 では,1年間の新契約を 各末寺ニ於テ募 集スル一ヶ年ノ保険加入者ヲ七萬五千三百五十人ト仮定(門信徒総数七百五 十三萬五千人ニ対スル百分ノ一即チ門信徒百人ニ付一人ノ割合)…此保険金

19) 両者の主張は,渥美執事が末寺からの募財と主張したのに対し,石川は教団 自らが行った営利事業の利益を充てるべきと主張していた。

20) 吉田(昭和36年)p.115。

21) 生命保険会社協会編(昭和11年)p.1117。

(16)

額一人弐百円ノ平均ニテ壱千五百七萬円 と見込んでいた。図1では当時 の三大生保でも,1年間の契約高は400万円の増加にとどまっていた。さら に,明治33年に東本願寺議制局会議に上申した 五年計画書 では,六条生 命の明治32年の新契約は73万円に過ぎないにもかかわらず, 一ヶ年に十四 萬の被保人を募集し,一件の平均弐百円とし,之れを五ヶ年に積算し , 実績の約40倍にあたる2,800万円の新契約を見込んだ。こうした達成困難な 計画で事業運営が行われたことも,破綻に至る一因になったのであろう。

他方,株主構成では,六条生命は中央生命と合併したため,同社の株主は,

本社派株主(関西在住株主)と関東派株主で構成されていた。この両者は,

業績悪化に伴う未払込資本金の払込を巡って対立する。明治32年に同社は,

農商務省に責任準備金不足額(7万円)の解消を求められる。本社派は,そ れを未払込資本金の払込による解消を目指した。一方の関東派は,現経営陣 が保有有価証券の流用や当座預金の私的流用,残る有価証券の評価も不正確 で,代理店勘定や仮払金にも欠損が予想されると主張して,分社を求めた。

一方会社側は,株主に対して未払込資本金の払込を催告し,応じない株主 には株式売却を求め,東本願寺門信徒に買収させた。その結果, 四千余株 ハ計画ノ如ク門信徒ノ有ニ帰 し,東本願寺の総務,寺務総長,理財課長 など判明するものを加えると4,832株(持株比率にして80.5%)を東本願寺 関係者で保有し,なかでも東本願寺第22世法主の次男,大谷光演は,3,500 株(持株比率で60%)を保有する支配株主となる。支配株主となった大谷光 演は,同社特別相談役,監理であった東本願寺寺務総長の石川に,営業利益 の10%の分配を条件に議決権行使を委任した 。これにより,石川が支配権 を握り,六条生命と石川は 一種特別の関係 となる。

経営権を掌握した石川は,債務償還のために行った営利事業の失敗を隠す 22) 宗報 第6号 明治32年3月28日。

23) 宗報 第32号 明治34年3月15日。

24) 生命保険会社協会編(昭和11年)pp.1301‑1302。

25) 新門主之行為 井上馨文書 705‑31。

26) 石川舜台他3名ニ対スル告訴状案 井上馨文書 705‑57。

(17)

べく六条生命を利用する。営利事業に関しては,天塩炭坑が 遂ニ七万 千 余円ノ金子ヲ該礦ニ投ゼシモ好果ヲ得ズ。中途ニシテ事業中止ノ止ムナキニ 至りヌ ,白糠炭坑は 今尚ホ採掘シツヽアリト云フ。然ルニ,之レ又収 利ヲ見ル能ハズ。出張所ハ夫レガ為メ,年々巨多ノ失費ヲナシ居レリ と いう状況にあった。これに加えて,教団内部で不正会計事件も起き ,東本 願寺の負債は表9のとおり,石川が執事就任後,加速度的に増加する。

前任者が財政再建の失敗で職を追われたことを鑑みれば,教団財政を急激 に悪化させた石川は,その地位を維持するにはそれを隠ぺいする必要があっ たと思われる。その手段として,会社から教団へ総額229,500円もの資金提 供を行う 。その額は,明治33年12月期決算の資産額(174,374円)を上回 っていた。農商務省は,こうした両者の異常な関係を問題視し,明治34年10 月7日に新契約募集停止命令と財産整理命令を発令する。しかし,東本願寺 からの資金を回収することは難しく,六条生命は解散に至る。

27) 大谷勝縁師経歴 井上馨文書 705‑59。

28) 新門主之行為 井上馨文書 705‑31。

29) 東本願寺内の不正事件とは,南和鉄道株売却事件,龍野益太等に対する貸付,

無名者への貸付(4万円),藤溪深誠への不正貸付,借下地抵当貸付などであ る。( 石川舜台他3名ニ対スル告訴状案 井上馨文書 705‑57)

30) その内訳は, 営業報告書 では預金(6万円)のみ計上されていたが, 明 治三十六年九月三十日調 五千円以上債務内訳表 によれば貸付金(6,500円),

大谷家所有不動産の架空買収(13万円),繰替金(33,000円)であった( 明治 三十六年九月三十日調 五千円以上債務内訳表 井上馨文書 705‑46‑ニ)。

(表9)東本願寺の負債額の推移

年月 負債額 前年比

△125,190円

△1,621,003円

△116,177円 453,889円

579,079円 2,200,082円 2,316,259円 明治31年1月

明治32年1月 明治34年11月 明治35年5月

(出典) 宗報 第10号付録(明治35年6月1日)より作成。

(18)

このように,六条生命においても日宗生命同様,経営者が教団内での地位 が高く,教団内での地位が彼らと同等の者が経営陣に入っていなかった。こ のため,経営者の暴走を規律づけることは難しく,私物化を防げなかったと 思われる。こうした役員構成は,大正期も事業を継続した真宗信徒生命と決 定的に異なっていた。真宗信徒生命は,設立こそ西本願寺の高僧が主導した ものの,経営は小西新右衛門や伊藤忠兵衛,鎌田勝太郎など複数の有力な西 本願寺門信徒が行っていた。こうした経営体制の差が,経営者の暴走を阻止 できるか否かの分岐点になったと思われる。

6.むすびにかえて

本稿では,仏教系生保の支援形態の差異を明らかにすること,この違いが 経営に与えた影響,破綻要因に与えた影響,そして,仏教系生保が保険業史 上に果たした役割について検討した。

設立の背景には,設立時期が生保会社設立ブーム期であり,顧客を集める 手段として, 人の死 を扱い,門信徒との精神的つながりをもつ教団や僧 侶の利用を考えたのであろう。初期に設立された会社は,僧侶個人によって 支援されたが,真宗信徒生命の成功を契機に,教団の支援による会社の設立 が始まる。これは,教団財政の悪化に加え,外国人の内地雑居を目前にし,

キリスト教の勢力拡大に対する事業資金が必要だったことがある。

こうして誕生した仏教系生保の保険募集は,有力門信徒や御同行衆の代理 店,僧侶,そして,会社によっては教団も行った。しかし,その多くは生命 保険の制度や便益を知っていたとは言い難く, 御本山のため や 本山の 事業だから功徳がある ,保険法話など門信徒の信仰心に訴えて,低所得層 の商工業者を中心に募集をした。その募集成績は一部の会社を除けば,決し て良好とは言えなかった。加えて,算出方法が杜撰なため多くの会社で多額 の責任準備金積立不足があり,その補填が一因となって赤字に転落する。

また,破綻会社に注目すれば,こうした収益面の問題に加え,大株主の対 立がさらに業績を押し下げた。さらに経営者が役員兼務した預金先銀行や火

(19)

災保険会社の破綻も経営に打撃を与えた。こうした一般的な破綻要因に加え,

教団が関与した会社では,特に次の点が挙げられる。それは,経営者が教団 を代表する門信徒や,教団内での地位の高い僧侶であり,彼らに匹敵する地 位をもつ者が役員におらず,彼らの暴走を規律づけられなかったことである。

(筆者は公益財団法人日本証券経済研究所研究員)

参考 献

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小林惟司 明治期の仏教生命保険事業⎜とくに明教保険株式会社をめぐって⎜

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東京生命保険相互会社 東京生命百年史 平成7年。

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深見泰孝 明治期の生保株買い占めとガバナンス⎜大阪生命事件を中心として⎜

企業家研究 第4号,企業家研究フォーラム,平成19年6月。

深見泰孝 仏教系生命保険会社の生成について⎜真宗信徒生命を中心に⎜ 保険 学雑誌 第602号,日本保険学会,平成20年9月。

深見泰孝 仏教系生保の破綻について⎜日宗生命を中心に⎜ 保険学雑誌 第 610号,日本保険学会,平成22年9月。

渕上清二 近江商人の金融活動と滋賀金融小史 サンライズ出版,平成17年。

保険銀行時報社 本邦生命保険業史 昭和8年。

三岡丈夫編 由利公正伝 光融館,大正5年。

吉田久一 清沢満之 吉川弘文堂,昭和36年。

《史料》

新門主之行為 井上馨文書 705‑31

(20)

明治三十六年九月三十日調 五千円以上債務内訳表 井上馨文書 705‑46‑ニ 石川舜台他3名ニ対スル告訴状案 井上馨文書 705‑57

大谷勝縁師経歴 井上馨文書 705‑59

掌帳 伊藤忠兵衛家文書 滋賀大学経済学部附属史料館所蔵

《営業報告書》

真宗信徒生命保険 第五回営業年度諸統計表 明治32年 真宗信徒生命保険 第六回事業並諸計算報告書 明治33年 真宗信徒生命保険 第七事業並諸計算報告書 明治34年 禅徒生命保険 第二回営業報告書 明治32年

帝国生命保険 明治三十三年統計表 明治34年

日宗生命保険 日宗生命保険株式会社保険規則 明治29年 日宗生命保険 第弐回報告 明治32年

日宗生命保険 第三回営業報告書 明治33年 日宗生命保険 第四回営業報告書 明治34年 日本生命保険 第拾壱回統計 明治32年 佛教生命保険 第一回事業報告書 明治27年 佛教生命保険 第七回報告書 明治31年 佛教生命保険 第九回報告書 明治33年 明教保険 第四回報告書 明治29年 明教保険 第五回報告書 明治30年 明教保険 第六回報告書 明治31年 明教保険 第七回報告書 明治32年 明教生命保険 第 回報告書 明治33年 明教生命保険 第九回報告書 明治34年 明治生命保険 第二十回報告 明治34年 有隣生命保険 第五回報告 明治32年 有隣生命保険 第七回事業報告書 明治34年

六条生命保険 第五回事業並諸計算報告書 明治34年

《新聞》

大阪朝日新聞 京都日出新聞 宗報

時事新報 保険時報

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