奈良教育大学学術リポジトリNEAR
台湾における高等教育の実情
著者 小笠原 真, 林 政諭
雑誌名 奈良教育大学教育研究所紀要
巻 25
ページ 13‑23
発行年 1989‑03‑01
その他のタイトル The Taiwanese Higher Education Today
URL http://hdl.handle.net/10105/6665
台湾における高等教育の実情.
小笠原 真・林 政論
(社会学教室)
要旨台湾の高等教育機関は、大学及び独立学院と専科学校の_種類に分けら れる。前者は、高度な学術研究と専門分野の人材養成を以って目的とし、後者 は、応用科学を教授し、技術分野の人材養成を目的とする。1950年度の大学 及び独立学院と専科学校の数は、僅か7校であって、学生数は6,665人に過ぎ なかったが、1987年度の統計によると、学校数は107校で、実に14.3倍に増 大し、学生数も464,664人となり、69.7倍にも増えた。
キーワード:台湾、高等教育、聯合考試
I.はじめに 】)
最近、人々は台湾の経済成長を「奇跡」と呼び、アジアNIESの優等生と賞賛している。台 2〕
湾はi987年末現在、面積36,000平方キロ、総人口1,945万人という規模で、貿易総額では第13 3〕
位、外貨保有高は750億ドルを超え、日本、西ドイツに次いで第3位である。とりわけ、台湾は 経済成長を継続していると共に、大幅な黒字を保持しているのだから、「奇跡」というわけであ
る。1987年間に台湾からの訪日者数は23万7,000人であった。日本へ来る外国人旅行者におい て、台湾人は米国人に次ぎ第2位である。日本のいたるところで、台湾の旅行者がいっぱい見受 けられる。強い円に後押しされ、パリ、ニューヨークなどの街を駆け巡る日本人旅行者がお土産 あさりの集団と化しているのと同じように、台湾人は、だれもが豪華な買物をする。そのことは とりもなおさず、台湾経済の強さを示唆していると思われる。
ところで、台湾経済の成長過程とそれを可能にした諸条件をここで客観的に整理して論理的に 説明するのは、必ずしも容易なことではないが、ただ一っ言えることは、教育が経済に対して果 たした役割を見逃しはならないことであ孔
台湾の場合には、教育に対する投資が表1のとおりである。ここ30年来、毎年の教育経費は 国家総支出の二番目になっており、国防・外交予算(支出)の次にランクされている。1986年 度各級政府(中央政府、台北市政府、高雄市政府、台湾省政府等々)の教育経費の支出は、1,190 億台湾ドル(1ドル約5円弱に当たる)を示している。この数字は、同年度の各級政府予算の16.
4〕
54%を占めている。このことから台湾の教育に対する莫大な投資と、そこで育成されたマンハ
^ The Taiwanese Higher Education Today
n Shin OGASAWARA and Che㎎一yu LIN(1Dψαr舳e〃。ゾS㏄三〇Zogツ,M伽ασπ加rs切0ゾ 醐㏄α此π,Mαrα)
表1台湾の国家予算の内訳(%)
年 国防外交 教育科学 経済建設 省市補助 社会福祉 債務 その他 合計
1954 60.7 13.8 9.O 0.9 6.0 2.6 7.0 100.0
1960 60.5 13.5 n.4 2.5 6.9 1.0 4.2 100.0
1965 53.8 12.5 8.1 11.O 7.6 4.3 2.7 100.0
1970 48.7 16.3 11.4 6.5 9.6 5.5 2.O 100.0
1975 39.2 16.4 17,1 12.6 1O.0 3.0 1.7 1OO.0
1980 39.1 15,3 16.7 14.8 11.1 2.O 1.O 100,0
1985 35.0 19,8 17.2 7.3 i5.7 4.2 0.8 100.0
1986 35.3 20.5 17.1 7.3 15.6 3.4 O.8 1OO.0
Source=Tα肋απS工α眺此αj Dα亡αBoo危,1987.p.172より作成。
フーによって、経済発展を遂げたのである。これは決して偶然の出来事でないのである。
一昨年・台湾出身者から初のノーベル化学賞受賞者も出た。カリフォルニア大学バークレー校 の化学主任教授をしている李還哲博士がその人物である。また、産経新聞の「ゴールデントライ アングルー束アジア新時代」と題する記事には、次のように書かれてい乱すなわち・「アメ 5〕リガの宇宙センターは、台湾の研究者がいなかったら機能しない」と。これは、おそらく、台湾 の高等教育をうけた者が研究者として、アメリカの研究所や大学などで、重要な地位を占めてい ると考えてもよいようだ。
ともかく、そういう人たちは、すでにアメリカで研究や仕事をやっている。しかし、彼たちの パワーも、間接的には台湾経済に活力を与えていると見ることができる。
さて、NIESの一員であるかぎり、台湾経済はすでに先進国型にかなり接近している。いっぽ う、台湾が各段階の教育にさいている努力は、対国民所得比で他の先進諸国とほぼ変わらない。
ことに、高等教育に大きな努力を払っている。だが、現在の日本の状況を観察すると、すぐ隣り にある台湾に対する日本人の知識は驚くほど乏しい。台湾に実感があると言っても、たかだか観 光名所やグルメないし政治に関するものに過ぎず、もちろん、教育についての情報は皆無と言っ ていいほどであるまいか。
そこで、この小論文では、台湾の教育全般についての考察ではなく、ただ高等教育をスケッチ することによって、変貌しつつある台湾の一断面を把握することにっとめたい。
n.教育制度における6・3・3・4の成立とその現状
中国において19世紀から20世紀初頭にかけて、清朝は西洋技術の長所を採用する際に、伝統 的高等文官試験制度、つまり科挙制度を廃止し、教育改革を断行した。その科挙に代わって、主
として日本の学制にならって、小学校の制度が導入された。高等教育においては、京師大学堂が o〕
北京に建てられた。そして、民国時代に入り、アメリカの学制を範として立案された1922年の
壬戌(6・3・3・4)学制、1928年の戊辰学制などが相次いで施された。
1945年に台湾の帰属が決まると、国民政府はむろん、台湾の教育制度をも6・3・3・4制 に移行した。教育は孫文の教え(図1参照)にしたがって、日本の皇民化教育の遺制を排除する 一方、中国語による民族文化の薫陶を目指すことにあった。その時点での義務教育は、従来の6 年制を受け継ぐ国民学校になった。中学教育は、高級・初級、職業学校及び師範学校の3系列、
高等教育は・新制の専科学校、学院(単科大学)、大学が設けられたが、1949年、中華人民共和 国は、北京を首都とし政権を樹立した。と同時に、国民政府は大陸本土から台湾へ移ってきた。
いうまでもなく、教育は孫文の教育理想の継続であって、そのうえに台湾地区の保全と経済発展 の必要に合わせて、計画的な教育を進めてきた。
その後は、台湾は高し吐産力を支える高度の技術を目指すために、1968年に義務教育を3年 延長し、9年一貫の国民教育を施す措置をとった。経済成長が進むにつれて、部分的改善が加え
られて・現行の教育制度では、図2のとおりであ孔
1988年度の教育部(日本の文部省に相当する)の統計によると、1950年当時、大学及ぴ独立 学院と専科学校の数は、全台湾地区で僅か7校(大学1、独立学院3、専科3)、大学の研究所
(Graduate School、日本の大学院に相当する)が3カ所、それぞれをも合わせば、学生数は 6,665人に過ぎなかった。しかし、その後経済の成長と歩調をあわせ、現在では学校数は107校
(大学16、独立学院23、専科学校68)、大学の研究所が315カ所、にのぼる。実に学校数では 14.3倍に増えたし、学生数は約69.7倍の464,664人に膨れあがった。(表2参照)
図1 「国父」と呼ばれる孫文の肖像を用いた台湾紙幣
9
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国民政府の教育方針は、民有、民治、民事の三民主義(民族主義、民権主義、民生主義)
を国是とし、そのような国を担う国民を育成するにある。
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図2台湾の学校系統図
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Source=MOE,亙〃oα此πSiα眺此s o∫τ加月ερ必〃c o∫C〃πα,1987より引用。
表2 工987〜1988の教育統計
学校数 教員数 就学者数 就学率・進学率
国民教育 3,151 123,477 3,454,537 . . 一 一 一 . 一 . 一
小学校
2,472 76,226 2,400,614 就学率99.89%中学校
679 47,251 i,053,923 小学校卒進学率i00%高等中等教育 380 31,496 中学校卒進学率78.93%
普通高校 171 14,130 206,O19
職業高校 209 17,366 447,328
高等教育 107 22,924 464,664 高等中等教育卒進学率54.60%
大 学 16 9,213 173,919
独立学院 23 3,673 34,135
専科学校 68 10,038 256,610
Source:MOE,肋阯。α{oπ8地眺此s oゾ肋e地p阯舳。ψC〃πα,1987,pp,5,9,29,68より作成。
皿.入学制度
大学及び独立学院と専科学校の入学試験は、「聯合招生」(聯合考試)と言って、統一方式で行 われる。これは一種の 共通一次 である。もっとも、以前は各大学、独立学院ないし専科学校 の自主的な個別募集であったが、受験者とその家族にとって、個別に入試が課せられると、不安 やストレスが増大することと入試に要する純然たる経済的費用を節約する目的から、1954年の 時点で、台湾大学を筆頭に、台湾省立師範学院、台湾省立農学院、台湾省立工学院の4校の連合 募集委員会が発足し聯合考試の実施に移ったのである。
教育部の説明によると、大学、独立学院、専科学校が聯合募集にこぎつけた理由として、次の 点を挙げている。
ω人的要素、財的要素。
12〕受験生の金銭負担の軽減及び精神的・肉体的ストレスや不安の減少。
13)各大学の欠員による困惑の解除。
14)大学の一部学科募集困難の回避。
15〕合格する機会を多くすること。
16)公平で客観的であり、私情入学の可能性を絶ちきることができること。
ともかく、聯合考試というものが着実に受け入れられるにっれ、1956年度からは一般公私立 大学にも広げられた。さらに、1976年教育部に「大学入試委員会」が設けられ、国、公、私立
を問わず統一的な入学試験の業務を担当する。その超然たる機能が認められて、今日に至ってい る。入試科目は学部によって若干異なるが、6科目ないし7科目が課せられている。そして、三 民主義、国文、英文、数学の4科目は共通必試、その他の科目は、第1組(文、法、商学部)が 中外歴史と中外地理、第2組(理学部I、工学部I)は物理と化学、第3組(理学部工1、工学部
I、農学部n、医歯学部)は生物、化学、物理、第4組(農学部I)が生物と化学、とそれぞれ なっている。実技のある学科は実技の試験が加えられる。入学手続きは受験生がそれぞれの希望 を書き入れ、大学入試委員会が試験の結果によって、成績順に振り分ける。したがって、学校差、
学科差によって難易がはっきりしている。
いっぽう、日本と異なり、台湾の学年は8月1日にはじまり、翌年の7月31日に終わる。そ して、1学年は、第1学期(8月i日〜翌年の1月31日)と第2学期(2月1日〜7月31日)
に区切っている。このため、受験シーズンはおきまりの7月1日から2日にかけて、2日間で行 われる大学及び独立学院の入学試験が先頭を切って、専科学校、高校の順に、それぞれの聯合考 試が行われる。つまり、ほとんどの入学試験は7月の一ケ月間で、行われる。したがって、7月 下旬になると、住宅街のあちこちで爆竹が破裂するが、それは、お祭りではなく、こどもが進学 の試験で有名校にみごとに合格したからである。
台湾人はもともと教育熱心で知られているが、 写真1予備校の街で知られる台北・南陽衡 この最近10年間に経済の成長と共に国民所得も
年を追って増えつつある一方、生活が豊かになっ てからは、一層教育に拍車がかかっている。表
2の示すとおり、9年間の義務教育の就学率は ほぼ100%、高校進学率80%、大学進学率54.
6%・とほとんど日本に並ぶくらいの高率であ る。しかし、高卒人数の増加に対して、大学に は定員数があり、収容人数が相対的に少なく、
受験生は、1回のチャンスしかないため・入学 競争がますます激しくなっている。このほか、
受験生は入試が一年中の高気温の最たるところ で、(ほぼ30℃前後)うだるような暑さに耐え なければならない。こうした重圧は大変なもの で、日本よりはもっと惨めな受験地獄とも言え 乱補習班と呼ばれる予備校が都市都に林立し・
特に写真1が示すように、台北駅近くの南陽街 沿いにずらりと補習班が軒を並べているさまは・
まさに、台湾の進学競争における激しさの証し であろう。
w大学及ぴ独皿学院と専科学校
図2が教えるように、学校制度は、幼稚教育、国民教育、高級中等教育、高等教育の4段階に 分かれる。さらに、高等教育においては、大学及ぴ独立学院と専科学校の2種類に分けられる。
1962年公布された「大学法」の第1条の規定によると、大学とは「中幸民国憲法第158条の
規定により、高等な学術研究と専門分野の人材養成を以って、目的とする」。そして、大学は文、
理、法、農、工、商、医などの学院(日本の学部に相当する)に分かれる。3っ以上の学院のあ るものを大学と称し、そうでないものを独立学院と称する。
師範大学或いは師範学院は、国がこれを設立するが、省及び直轄市(台北市、高雄市)もこれ を設立することができる。したがって、私的団体の設立は、認められていない。大学は、夜間部 を設けることができ孔
いっぽう、「専科学校法」の第1条には、専科学校の目的は、「中華民国憲法第158条の規定に 基づいて、応用科学を教授し、技術人材の養成を目的とする」と規定されている。したがって、
専科学校は、大学とまったく異なる目的をもっている。専科教育の場合は、国民中学校卒のため の5年制専科学校、職業高校卒のための2年制専科学校、普通高校ないし職業高校卒のための3 年制専科学校、の3系統に分けられる。そして、科学、技術の急遠の進歩が要請することに応じ
うる技術学院は専科学校の上に敷かれる。いうまでもなく、ここの段階は、もっと広く技術の理 論と実践につとめる課程を専科学校卒業者だけに設けられるのである。その修業年限は2年とし、
終了した者に対して学士号が与えられ糺
大学及び独立学院の修業年限は・4年であるが・師範系学部生及び建築工程学部生には・いず れも5年の修業年限であり、歯科と医科生はそれぞれ6年ないし7年の課程が課せられる。但し、
生物学、有機化学、普通物理学、数学など4科目を合わせて16単位以上を修得した大学及び独 立学院の卒業生が、医、歯学部に入ることができる。その修業年限は両方とも5年である。大学 院については、碩士(修士)課程と博士課程が敷かれ、共に2年の年限となっているが、実際需 要に応じて、前者2年、後者4年の延長が認められる。その間に論文を作成するのが一般的であ
る。しかし、現状では、博士号を取るには、少なくとも3年間在学し、かっ論文審査に合格した 者のみに、博士号が授与される。
さて、前節までですでに触れてきたように、台湾における高等教育の量的拡大は、実にめざま しい。確かに、就職の武器としての学位の重要性が増すにつれて、学位を得る機会とそれを得た 人に対する需要も当然高まった。そして、高度経済成長に伴って、一層プロの技術者、熟練した 職人などが求められ、そのため、専科の学生数もさらに増やされた。表2によれば、1988年現 在専門学校数は68校であり、その学校類別(C1ass冊。ation of Scboo1s)は、次のとおりである。
農業・2、工業・32、商業・10、工商管理・5、家事・2、医薬護理・1O、体育・2、芸術・
1、その他・1。
こうした専科学校の学生数は256,610人であり、前年度より増加比率が4.96%に増えた。国 公私立別に比べてみると、国公立校は12校、学生数が52,716人(20.54%)であって、私立校 は56校で学生数は、203,894人(79,46%)になっている。そこで、その学生全体を専攻別でみ ると、人文類別22,382人、社会類別74,194人、エンジニア類別160,034人であって、その比率 は8.72%、28.91%、62.37%となっている。
いっぽう、表3,4によると、ほぼ大学及ぴ独立学院が50年代後半から60年代にかけて、設 立されたことが判明する。1988年現在、大学は16校、独立学院は23校、となっている。学生
数は208,054人であるが、博士課程・2,695人、修士課程・i2,426人、学部・192,933人とそれぞ れなっている。その増加率が前年度よりも4.99%に増えた。国公私立別に分けてみると、国公 立校は25校で就学者数が84,734人(4073%)であり、私立校は14校で学生数が123,320人(5 9127%)である。また、学生数の専攻分野では、人文類別・41,435人(19.92%)、社会類別・6 9,849人(33.57%)、エンジニア類別・96,770人(46.51%)となっている。
表3国公立大学の概要
大学名
所在地 設立年度 研究科数 学科数 学生人数(人) 合 計台湾大学 台北市 1928 55 48(5) 16,003(1,620) 17,623
師範大学 台北市 1946 19 21(9) 5,758(1,912) 7,670
成功大学 台南市 1946 20 29(13) 8,303(3,399) 11,702
中興大.学 台中市 1946 20 33(15) 7,940(5,091) 13,031
政治大学 台北市 1954 23 26(0) 7,153( O) 7,153 清華大学 新竹市 1956 17 12(O) 3,954( O) 3,954 交通大学 新竹市 1958 13 12(0) 4,190( 0) 4,190 中央大学 桃園県 i962 12 13(0) 3,026( 0) 3,026 中山大学 高雄市 i980 王O 11(0) 1,962( 0) 1,962
台湾技術学院 台北市 1974 1 7(0) 3,056( 0) 3,056
海洋学院 基隆市 i953 6 12(3) 2,00王(930) 2,931
陽明医学院 台北市 1975 7 5(0) 1,623( O) 工,623
高雄師範学院 高雄市 1967 2 7(5) 1,622(1,286) 2,908
教育学院 彰化県 1971 3 9(2) 1,677(516) 2,193
芸術学院 台北市 1982 0 4(O) 560( O) 560 体育学院 桃園県 1987 1 1(0) 50( 0) 50
台北師院 台北市 1961 O 8(1) 1,179(1,482) 2,661
新竹師院 新竹市 1965 O 8(0) 913( O) 913
台中師院 台中市 1960 O 6(O) 1,067(834) 1,901
嘉義師院 嘉義市 1966 0 6(2) 883(1,249) 2,132
台南師院 台南市 1962 O 7(O) 1,005(311) 1,316
屏京師院 屏東県 1965 O 6(O) 1,O18(954) 1,972
台東師院 台東県 1967 0 8(0) 709( 0) 709 花蓮師院 花蓮県 1964 0 6(0) 677(377) 1,054
台北市師院 台北市 1964 0 9(0) 967(510) 1,477
Source:MOE,〃阯。α此π8吻桃此80∫丁如月εμ舳。ψC〃πα,1988,pp.142,ユ43より作成。
魎 ()は夜間部及び夏期講習会人員。
表4私立大学の概要
犬 学 名 所在地 設立年度 研究科数 学科数 学生人数(人) 合 計
東海大学 台中市 1955 1O 28(6) 8,012(3,060) 11,072
輔仁大学 台北県 1963 16 31(13) 1O,855(4,686) 15,541
東呉大学 台北市 i954 6 20(8) 8,021(3,877) 11,898
中原大学 桃園県 1955 10 19(6) 8,418(1,967) 1O,385
淡江大学 台北県 1958 15 32(17) 12−736(6,319) 19,055
文化大学 台北市 1963 24 48(16) 13,312(5,667) 18,979
逢中大学 台中市 1961 9 26(11) 12,332(4,346) 16,678
静宜文理学院 台中市 i963 2 9(3) 3,127(1,731) 4,858
大同工学院 台北市 1963 6 9(O) 1,617( 0) 1,617 高雄医学院 高雄市 1956 3 8(O) 3,241( O) 3,241 中国医学院 台中市 工958 4 8(1) 3,517(529) 4,046 台北医学院 台北市 1960 1 6(1) 2,726(436) 3,162 中山医学院 台中市 1960 O 6(O) 2,738( O) 2,738 長庚医学院 桃園県 1987 O 1(O) 50( O) 50
Source:MOE,〃山。α此πS刎js此sψ珊e肋ρ砒舳。ψCん加α,1988,pp.142,143より作成。
樹 ()は夜間部。
このほか、総就学者を100とすれば、1950年当時における初等教育、中等教育、高等教育、
その他の教育に占めるそれの比率は、87.59%、11.38%、0.63%、O.40%であった。しかし、
1976年になると、人口の自然増と経済的要因とともにそれが、おのおの54.99%、34.36%、
6.68%、3.97%となっている。さらに、1988年度現在、それぞれ51.73%、33.32%、9.08%、
5,87%となっている。そこで、高等教育における就学者は1950年にはO.63%、その内訳では、
専科学校・O.12%・大学・O.51%・から・1976年の6.68%に上昇し・その内訳では・専科学校・
3.44%、大学・2.43%、大学院・O.1O%、である。1988年度には、9.08%、その内訳では、専 科学校・5.O1%、大学・3.77%、大学院・O.30%に移った。
以上のデータが示すように、台湾は爆発的とも言える高等教育の大衆化の現象が明らかにみら れる。したがって・高等教育の場合については・次のいくつかの点に要約でき乱
ω専科教育において、国公立と私立の学校比率は1対4と闘いている。したがって、専科学 校の重みは主として私学にある。
12)エンジニア、テクニックなどに関する専攻生は、ほぼ50%以上の比率を占めている。
(3)大学及ぴ独立学院において、学部への就学率は、ほとんど横ばいとなっているが、大学院 への進学は、明らかに増えてい孔
(4)国民総生産の増加に伴って、教青水準の向上こそ、学歴の差を縮めている。
(5〕もっと専門的能力を有する教員の養成を目的として、1987年からは、すべての5年制師 範専門学校を独立師範学院に昇格させ、大学と並んで、やがて、教員についての量より質が 問われることに応じようとしている。
8000 7000 6000 5000 4000 3000 2000 1000
図3 出国正規留学生数及ぴ各専攻の推移
単位(人)
留学者数
,77 ,78 79 ,80 ,81 ,82 83 84 ,85 ,86 ,87
エンジニア
社会 人文
Source:MOE,亙ぬ。α比πS吻眺加80∫肋e五eρ肋κc o∫C〃πα,
1988,pp.54,55.より作成
パ・263人(3.99%)、オセアニア・8人(O.12%)となっている。(ここで、念のために書き添 えるが、実際アメリカ、日本などの先進国への留学生数は、上記の数よりかなり大幅に上回わっ ている。例えば、1985年度在日留学生は15,009人であった。その出身国別内訳では、台湾は首 τ〕
位の4,414人であって、29.4%の比率を占めていた。ちなみに、台湾の教育部の統計では、同年 182人そこそこの数であって大差がついている。おそらく、その差は、正規という留学生が台湾 において、大学及ぴ専科以上の学歴を有する者であって、教育部の留学のための出国許可を得ら れた者に限定しているからである。)ところで、こうした数字には、アメリカ留学があいかわら ず、圧倒的な高比率を占めていることが示されている。いっぽう、留学先での専攻分野の内訳は、
エンジニア類別が断然トップの3,646人(55.25%)、それに次いで社会類別が1,729人(26.20
%)、人文類別が1,224人(18,55%)とそれぞれなっている。ここで、いうまでもなく、台湾に おける海外留学がコンピュータをはじめ、エンジニアなどの先端技術の勉強を志向する姿は、こ こ十数年来少しも変わっていない。
今年1月末、李登輝が台湾の新大統領に就任した。大統領本人は、日本とアメリカの両方に留 学した経験があり、さらに、アメリカのコーネル大学農業経済博士号を取得している。いっぽう、
7月にスタートした内閣新任閣僚15人のうち、台湾の大学出身者は、僅か3人だけで、残りは 留学経験をもっている。
8〕
では、台湾における留学の動機ないし理由を問えば次のとおりである。
(1〕もっと高い学位を得たい。(37.88%)
(2〕国内より海外における研究環境、設備などが高く評価されている。(21.50%)
なお、台湾において高等 教育の側面もさることなが
ら、一っ注目しなければな らないことに、高等教育に おける海外留学の点がある。
教育部の出国正規留学生の 統計によると・1988年に は、出国正規留学生数は6,
599人にのぼっている。
(図3参照)その留学先に ついては、アメリカ・6,06 5人(91.90%)、アジア・
263人(3.99%、そのうち 日本には224人)、ヨーロッ
(3)家族の願望に応じたい。(9.56%)
(4〕海外においては国内より待遇がよい。(8.01%)
(5〕先生、友人などの励ましに応じたい。(5.41%)
16)職場における能力や技術の向上を図りたい。(5,04%)
17〕異性の相手に応えたい。(2.30%)
18)その他。(i0.30%)
上述のように、台湾人はそもそも学歴階級が高いほど、威信の保有量が高くなるという観念に 根ざして、海外までも出掛けるのである。また、留学はもともと国家的な事業として、組織的に 進められてきた点も見落としてはならない。経済が発展するにつれて、経済テクノク。ラートの育 成が国家にとっても不可欠であるからであ孔
V.おわりに
はじめにでも述べたように、今日、台湾の経済の発展はめざましい。われわれは、i988年春、
約半月間台湾を訪れ、都市部はもとより農村部にまでも、足を踏み入れた。その間、台湾の人々 の日常生活の一端にも触れることができた。また、高等教育の実情を探るべく、いくつかの大学 も訪ねた。そして、台湾で現に教鞭を執っておられる大学人といろいろと意見を交換した。その 際・得られた資料の一部を分析して・この小論文を書き上げ㌔
そこでは・台湾の経済発展を支えた背景には学校教育の充実で・教育を受ける機会の均等と質 のよさがあったことをけっして見逃してはならない。特に、社会の風潮である学歴に断わる出世 主義が高等教育にも及んできて、それが大学教育の大衆化をもたらした。その反面に、日本と同 じように・台湾でも受験競争がますます激しくなってきており・補習班の繁盛ぶりにもそれがあ らわれている。
なお最後に、この小論文では紙数の関係上多くの貴重な資料を割愛せざるをえなかった。それ 故、われわれはこれらの資料を分析した結果を別の機会に改めて発表することを企図している。
注
1)この小論文では、「中華民国(国民政府)」を「台湾」と略称する。
2)CounciI for Economic PIanning and Deve1opm㎝t Repub1ic of China,τα三ωαπ8亡αぬ此αJ Dα亡αBoo冶,1988.
3)r産経新聞』(大阪本社版)、1988年10月10日朝子1L
4)MOE,〃㏄α此πS如眺此80ゾmε月ψ必κc oゾ0肋㎜,1988,p.41.
5)『産経新聞」(大阪本社版)、1988年9月4日朝刊。
6)富崎市定著『科挙史』、平凡社、1988年、第四章第一節。
7)文部省学術国際局留学課編『21世紀への留学生政策』、1986年4月。
8)行政院青年輔導委員会編『20年来我国留学教育的研究』、行政院青年輔導委員会、1981,P60