資本主義と農業問題(2)
漆 原 按
ⅠⅠ土地所有の圧迫
ユ
われわれは.,先に,資本主義が必然的に土地所有の商品化や土地占有権の商 品化を促進することに・よって古い大土地所有を近代的な資本主義的な土地私有 に転化させたこと,そしてそれは,農業生産力発展の−・大前提をなすものであ ったことを,指摘した。近代的資本主義的土地所有の形成ほ,農民の自立化と 農民相互間の経済的競争をもたらすことによって,農業技術の発展湛・刺激を与 えた。また,土地所有の商品化と土地占有権の商品化は,それ自身近代的制度 の一つである均分相続制皮の普及とあいまって,ふ方では古い大土地所有の分 割・細分を引きおこして土地の上への資本投下を容易たらしめるとともに・,他 方では同時に,土地の集中をうながすことによって農業の社会的経営の前提条 件を作り出した。とはいえ,資本主義が作り出す近代的資本主義的な土地所有 制産もまた,農業生産力の虜錮な発展をさまたげ農業生産力甲相対的低下をも たらすという暗い面をもっている。
第一・に.。近代的資本主義的土地所有制度に・不可避的に・つきまとう土地の分 割・細分の傾向は,たしかに山方では,土地の,したがって農業生産の集中の ための歴史的な前提条件であるが,同時に他方でほ,農業生産の集中に対して つねに−・の限界を与え,農業生産の順調な拡大をさまたげる。こ・の分割・細分
●●●●●●●●
●●●●●●
の傾向は,諸々方々に・おいて,農業技術の絶対的な退歩さえ生み出す。「商業 的農業の第二の困難は,それが必然的に土地の私有を要求する点にある。そし てこのことは,相続によって帰属するさいに・,土地が細分されるか(そして,
●●●●●●
土地のこの零細化は,所によってほ技術的退歩さえもたらす),不動産抵当の重 荷を負わされる(土地をうけとる相続人が,土地を抵当にル、れて貨幣資本を借
−22−・
幾45巻 寛4号 470(1) りて,これを共同相続人に支払うばあい)という潜果をもたらす。」われわれほ
工業の部面でも,生産手段の私的所有や競争や利潤追求などにもとづぐブルー汐 ヨア的生産関係のもとでほ.,大企業がしばしばいくつかのより/J\さい企業に分
…===○●●●○●●●●●●●●
割されるのを見出す。−・般に,生産の拡大とそれに伴なう反対傾向としてのた
… … ● ○ ● ● ○ ● ● ● ○ ● ○ ● ● ○ ● ● ○ ● ● ● ○ ● ● ● ● ● ● ●
えざる生産の分割という矛眉は,生産力の発展と歴史的に特定された生産関係
………==●0
0●●○●●○●● としての資本主義との間の矛眉の必然的な現象形態である。しかし農業の部面
でほ,あとの方でみるように,とりわけ土地所有の分割。細分の傾向脚土地 に対する私有の要求−が極めて強いために,生産の拡大は工業よりもはるか に困難である。しかもそれだけではない。農業に.おける生産の拡大ほ,−・般に 必ず土地の集中を必要な前提条件とする。エ業でほ生産の拡大のための資本蓄 積は,その集中とほ独立紅進行することができる。大企業の発展ほ,多数の小 企業が残っていても,ある程度までほ.進行するこ.とができる。ここで喀,資本
の蓄積ほその集中の前提であり,それに.ある程度先き立つのである。「工共に 於いては,蓄積の嘩程ほ,集中のそれとほ独立に進行し得る。然り,前者ほ通 常後者に先立つ。ノ」\なる資本に・手を触るることなく,又小なる経営の独立性を 止揚することなくして,大資本ほ形成され,大工業的企業は設立され得る。ノj\
経営の独立性をなくすことほ,通常,エ業的大資本形成の結果であって前提で はない。菱,る所に靴ユ場を建設するためにほ,その地方の靴職親方を収奪する ことほ少しも必要でない。靴工場が存続し,繁栄する場合に始めて,それは小 靴製造経営の破壊となり,大経営に・よりその収奪が行はれる。大資本をして 靴工場を設立せしめたのほ,蓄積の過程,即ち消費せられざる利潤から新資本
(2)
を累積する過程である。」しかし有限な土地を重要な不可欠の生産手段とする農 業では,土地私有の存在するところでは・,生産の拡大のため紅は必然的に土地
(1)ソ同盟共産党(ポリシユダイキ)中央委員会付属マルクス・エンゲルス・レーニン 研究所編,マルクス・レ−エソ主義研究所訳『レ−ニソ全集』第4巻,大月書店,19 69年,159ページ。
(2)Ka工1Kautsky,助Agγα㌢二/ンαgβ;戯如㌧班め・Sよcゐ才彿み♂7・成セ:柁微お肌矧柁8物 modeYInen Landu)irtschajiunddieAgrarpolitikdeY・Sozialdemokratie,Stuttgart,
1899.VeI1agvon.i.血.w.Diez Nac壬1t,SS.142−143小 カクッキー,向坂逸郎訳
『農業問題』上巻,岩波苔店,1961年,248ぺ一−ジ。
471
資本主義と農業問題(2) ・−2g−
の所有権や占有権を集中するこ.とがどう しても必要である。ここでは,一・般 に,反対に・,集中こそ・が生産の拡大の前提をなしてい挙。「これに反して,総
ての土地が私有に移行し,小なる土地所有のみが支配する所に.於いては.,農業 企業者の最も重要なる生産手段,土地ほ,大経営にとってはいくつかの小所有 者の集中によってのみ獲得され得る。いくつかの小経営の没落は,そこに於い
(8) ては大経営興起の無条件的前提である。」さらに生産の拡大のために.は,集中さ
れるべき小地片は−Lカ所に.相接合していなければならない。「その集中によっ て大経営が形成され得るために.ほ.,収奪された小経営も相接合せる地面をなさ
(4)
なければならぬ。」レーニンもこのことを指摘している。「土地所有の独占は.,
戯業資本主義にたいして限界をおいている。工業でほ資本ほ蓄積常より,剰余
●● 価値の資本への転化紅よって,増大する。集中,すなわら,若干の小資本の大
きな−・資本への統合は,これより小さな役割を演ずる。だが,農業ではこれと 異なる。土地はすペて占有されており(文明諸国では),したがって,経営面税
●●●●●●●
を拡大することほ,数個の地所の集中(しかもそれらがまとまった面積を構成
するような集中)によってしか,可能でない。周囲の地所を買いしめて所有地
しさ\
をひろげることが非常に困難であることは,明らかである。」このように農業紅 特有の生産の拡大における事情がつけ加わるために,土地の分割・細分の傾向 ほ,農業生産力の発展向上に・対して,二工業では考えられないような強大な制限 や困難を与えるのである。
第二に。近代的資本主義的土地所有は,土地の商品化と土地占有権の商品化 に必然的につきまとう地代や土地価格を通して,農業における順調な資本蓄硫 を,したがって農業生産力の順禍な発展向上をさまたげる。農業生産力の発展 向上は,地代の増大と土地価格の勝負をもたらし,この地代や地価の増大・勝 負は,より以上の順調な偽業生産力の発展向上をさまたげるのである。土地所 有の圧迫,とりわけ,この地代や土地価格の増大・騰貴は,「都市による農村の
(3)Ibid,S143,同上苔,248ページ。
(4)Ibid,S..143.同上書,248ぺ−ジ。
(5)『レーニン全集』第4巻,142ぺ−ジ。
鋳45巻 第4号 472
−24 −
、搾取」とならんで,資本主義のもとで不可避的に.進行する農業生産力の相対的 低下傾向の主要な原因をなしている。(地代や土地価格の増大・騰貴ほ.,あれ
=●○●●●●●●●
これの地域でほ,農業生産力の絶対的な低下さえ.もたらす。)
そこで,本稿では,理論が,農業生産力の発展ほ.地代や地価の増大・騰貴をも たらし,この地代や地価の増大・騰貴が今度はより・−・層の農業生産力の発展を
さまたげているというこ.の命題を,どのように・明らかにしようとしているかを,
筆者なりに・整理してみることにしよう。
その時,われわれは,農業において資本主儀的生産関係が完成しており,従 って資本家的土地所有もまたすでに・出来上っているものと想定する。資本主義
●●●
的地代がまず考察の対象とされる。しかし,資本主義的地代の法則は,多少の
●●●●●
● 修正をすれは,小段制のもとでの地代の運動に・対しても適用するこ・とができ
○●●●
る。何故なら,農民経営のもとでも,−・面でほ都市や工業における資本主義の 発展の影響を受けて,賃金,利潤,地代の範疇が確立せしめられてゆくから である。鹿民ほ,農業労働者としての自分自身には賃金を支払い,虚業資本家 としての自分自身に.は平均利潤を支払い,さらに土地を所有して・いる場合に ほ,土地所有者としての自分自身に・射し平均利潤をこ・える地代を支払うという ように計算をするようになるのである。「もし一・人の独立な労働者−これを 一人の小農民としよう,というのほ,その場合には.≡つの収入形態のすぺてを 適用することができるから−が自分自身のために労働して自分自身の生産物 を売るとすれば,彼ほ,第一・に,自分自身を労働者として使用する自分白身の 雇い主(資本家)とみなされ,次に・は,自分自身を自分の借地農業者として使 用する自分自身の土地所有者とみなされる。彼は,賃金労働者としての自分に は労賃を支払い,資本家として−の自分のために.は利潤を要求し,土地所有者と しての自分には地代を支払う。資本主義的生産様式とそれに対応する諸関係と を−・般的な社会的基礎として前提すれば,このような包摂は,彼が自分自身の 剰余労働を取得することができるのほ彼の労働のおかげではなくて生産手段
− これほここでほすでに一・般的に資本という形態をとっている−の所有の
/
おかげだというかぎりでは,正しい。また,さらに.,彼が自分の生産物を商品
資本主義と農業問題(2)
・−・2づ・・一 473として生産し,したがって\その価格に依存しているかぎりでは.(まねそうでな い場合にもこの価格は見積もることができる),彼が価値として実現すること のできる剰余労働の患ほ,それ自身の大きさに.よっででほ.なく,−・般的利潤率 によって定まる。同様に.,もし−・般的利潤率に.よって規定されている剰余価値 の分け前を越える超過分があれば,それもまた彼が行なった労働の鼠に・よって 規定されて−いるのでほ.なく,ただ彼が土地の所有者だという理由によってのみ 彼に.よって取得されることができるのである。このように,資本主義的生産様 式に.対応しない生産形態でも−しかもある程度までほ.不当でなく一資本主
(6) 義的生産様式の収入形態のもとに包摂されることができる」マルクスは同じよ うなことを『剰余価値学説史.』の中でものぺている。「独立な農民またほ手工 業者ほ切断されて2人の人間に.される。/彼は,生産手段の所有者としては資 本家であり,労働者としてほ自分自身の賃労働者である。だから,彼ほ,資本 家として自分の賃金を自ノ分に支払い,自分の利潤を自分の資本から引き出す。
すなわち,彼は賃労働者としての自分自身を搾取し,剰余価値の形で貢物を
−労働が資本に㌧支払う義務のある貢物を一自分に支払う。.おそらく彼は,
土地所有者として・さらに第三の部分(地代)を自分に・支払うであろうが,それ は,われわれがあとで見るように.,産業資本家が自己資本で仕事をする場合に 自分自身に利子を支払い,そしてこれを,産業資本家としての自分にではなく
(7)
資本家一・般としての自分にたいする義務とみなすのと,まったく同じである。」
カクツキ−も同じようなことをいっている。近代的農業にほ貨幣が必要であ
り,個人的消費にあて−られない貨幣ヾ′ま.剰余価値をもたらす資本となり得るし実 際に資本に.転化されて−いると。「貨幣なくして近代的農業経営は不可能である。
或は同じことを意味するのだが,資本なくしては不可能である。何故かという
(6)Karx Marx−Friedrich Engels Werke,Band 25,Institute ftir Marxismus−
Leninismus beim ZK deISFD,Diez Verlag,Berlin,1964,SS.882−883.ドイツ 社会主義統一党中央委員会付属マルクス・レ−エソ主義研究所編,岡崎次郎訳『マル
クス=エンゲルス全集』発25巻籍2分冊,大月書店,1968年.1118−1119ぺ−ジ。
(7)Werke,Bd26,1Teil,1965,S.383.r時永淑訳『マル5Lス=エンゲルス全集』算 26巻第1分冊,1969年,519ぺ−ジ。
辣45金 貨4号
・−2β −し 474
に,今日の生産方法の下でほ,個人的消費の目的酷使用されない一切の貨幣鶴 は,資本に,即ち,剰余価値を産む価値となり得るのであり,且つさうなるの を通常とするものでもある。/かくして,近代的農業経営ほ資本主義的経営で
(8)
ある。近代的良業経営ほ,資本主義的生産方法の特賀的徴表を帯ぶる。」すでに 農民経営のもとでも,貨幣は草すます資本の性質をおびてくるのであり,農民 経営に.も賃金や利潤や地代の範疇がだんだん紅適用されるようになってくるの である。レー・エソもまた,マルクスやカクッキーのこの命題を確認している。
「カクツキ−は,資本主義的生産様式のもとでほあらゆる農業生産ほ『常則と して』資本主義的であることを非常によく理解していて,非常に正確かつ明瞭 にそのことをのぺている。この見解の根拠として,近代的農業には貨幣が必要 であって,個人的消費にむけられない貨幣は近代社会でほ資本になる,という
(9) 簡単な事実があげられてノいる。」「小土地所有の存在,あるいほ.より正しくいえ
ば小経営の存在は,もちろん,資本主義地代理論の一・般的命題常・ある程度の変 化をもたらすものであるが,しかし,との理論を廃棄するものでほない0マル
クスほ,たとえば,主として農耕者自身の要求を魂たすために営まれる小農実 のばあいほ,普通,絶対地代そのものは存在しない,と指摘している…だが,
●●●
商品経済が発展すればするはど,経済理論のすべての命題は農民経常にもー それがいったん資本主義世界の諸条件のなかにはいりこんでしまうと−ます
(10)
ますあてはまるように.なる。」そして,小農民のもとで資本主義の発展につれ て確立せしめられてゆく3範疇は,それと同時に進行する農民層の分解紅よる 農村ブルジョア汐−とプロレタリートの出現,資本家的地主の登場とともに異 なった階級に帰属するものとして互いに独立化し,終局的に,現実的な範疇に
(11) 転化せしめられるのである。
(8)Ag′αげγαg¢,S.56。カクツキ−『農業問題』上巻,103ぺ−ジ。
(9)『レ−・エソ全集』算4巻,121ページ。
(10)『レ−エソ全集』第13巻,1969年,319ぺ−・ジ。
(11)とはいえ,あとの方でみるように,′J\農経営のもとで3範疇が確立せしめら叫てゆ
くことほ,決して潰ちに大多数の農民の手もとに平均利潤や地代が完全に実現される
ことを意味しない。そのようなことはとてもあり得ないことである。大多数の良知
資本主義と農業闇題(2) ・−27−
475
2
農業の資本主義化叫農業における資本蓄積の増加−−★につれて地代と土地 価格ほ増大・騰貴する。これほ資本主義社会における必然的な法則である。
(しかし,ブル汐ヨア社会では,同時に他方でほ,地主の収入である地代は低 下せしめられる傾向をももつ。農業が発展して地代が増大し農業に.対する負担 が大きくなればなるはど,それにつれて−L国の農業の競争力は低下し,遅れた 農業周との競争に・さらされるようになる。(農業ではこ・のように地代の増大の ために.資本主義の発展ほし、つも工業よりも早くその限界につき当っているので ある。)そのために地主の収入である地代は低下する。(.19世紀末のヨーロッパ ……=○●
の農業がその好例を提供して.いる。)だから地代増大の必然的法則は,同時に …=……●○…●○…●○
地代のたえざる低下という反対の法則を仲なっているのである。・エンゲルスは
『資本論』の中で次のようにいってし、る。「しかし,この同じ法則ほまた.,な ぜこのような大土地所有者の生命のねばり強さがだんだん尽きて行くのか,と いうことをも説明する。/しかし,この世のこ・とはすぺてほかない。大洋を 横断する汽船や南北アメリカの鉄道やインドの鉄道ほ,まったく独特な諸地帯 をヨ一口ツパの穀物市場で競争できるようにした。劇方濫ほ北アメリカのプレ ーリ,アルゼンチンのパンパス,自然そのものによって開墾された大草原があ り,何年にもわたって幼稚な耕作で肥料なしでも豊かな収穫を与えた処女地が あった。また,ロシアやインドの共産的共同体の土地があった。これらの共同体 ほ,国家の容赦ない専制が一非常にしばしば富め苦に・よって叫強要した租 税のための貨幣を手紅入れるため紅,自分の生産物の一部分を,しかもますま す大きくなって行く一・部分を,売らなければならなかった。こ.れらの生産物 は,生産費には.おかまいなしに売られ,商人がかってにつける価格で売られ た。というのは,農民は支払期日のため紅はどうしても貨幣を手に入れなけれ ばならなかったからである。そして,この競争にたいしては.一処女地的大草
ほ,あとでみるよう紅,地主や古い資本家や都市の近代的資本家紅よって剰余労働 を搾取されているので,平均利潤や地代をかれらの終局的な収入として受けとらない し,賃金部分さえも十分に受けとらないのである(すなわち費用価格さえも十分には 実現し得ないのである)。
寛45巻 藷4号 476
ー2β −
底地の競争にたいしても租税の締め木にかかって倒れかかっているロンアやイ ンドの農民の競争にたいして.もーヨ−ロツパの借地農業者や農民ほ苦からの 喝代のもとでは対抗することができなかった。ヨー・・ロツパでほ土地の一部分は 穀物耕作でほ決定的に競争圏外に脱落し,地代はどこでも下がり,われわれの第 二の場合の変化2,すなわち価格が下がり追加投資の生産性が下がるという場 合がヨ一口ツパでの常例となり,こうして,スコットランドからイタリアまで
の,・また南フランスから東プロイセンまでの,地主の悲嘆とほなったのであ
(12) る。」と)
(1)差額地代
資本主義的地代の第一・の形態は差額地代である。差額地代には第一溜態と第 二形態とがあるが,差額地代の第一・形態ほ.,たんに・土地には豊皮や位置からみ
て等級上の差異があるだけでなく,特別の事情として優等地が限られていて経 営的に独占されて小る(すなわちここでは.,土地の上で,私的な資本主義的な 生産が行なわれていると想定されている)ことを条件として生ずる。「差額地 代は,そのときどきの与えられた耕作発達程度に・とって与えられたものである 土地種類の自然的豊皮の相違(ここでほまだ位置ほ考慮常人れない)から生ず
る。つまり,最優等他の広さが限られているということから,また,同盟の資 本がいろいろに違った種類の土地に投ぜられなければならず,したがって種類 の違う土地は同意の資本にたいして不等盈の生産物を生むという事情から,生
(13)
ずるのである。」このような条件のもとでほ,単位面砥当りに等額の資本を投下 しても,農業生産物の一・般的生産価格が最劣等地の個別的生産価格のところで 決定されるために・,より低い個別的生産価格で農業生産物を生産する優等地に・
(14)
は,平均利潤をこえる超過利潤=差額地代が作り出される0この超過利潤=差額
(12)Ⅳβγゑβ,Bd25,SS・735−736−・『マルクス=エンゲルス全集.』第25巻第2分冊,933−
934ぺ一汐。
(13)Ibid,S小671・同上書,849ぺ−・ジ。
(14)もっと厳密にいえば,最劣等他の個別的生産価格は,一般的生産価格の限界をなし ているというべきである。実際には,農業資本家間での激しい競争があるので,優等
地が一般的生産価格を調節し,劣等地の借地資本家を駆逐することもあり得るからで
資本主義と農業問題(2) − 29 −
477地代ほ,資本が自由に・作り出し・利用できる自然力の有利さからでほなくて,
資本が自由に作り出し・利用することができない,範囲が限られていて.・経営 的に.独占された自然力(土地)の相対的な有利性にもとづいている。だからそ れは,工業などでの超過利潤とは異なって−,経過的・−・時的・流動的なもので ほなく,特定の自然力と結びついた固定的で永続的な(とほいえそれも絶対的 なものでほないが)超過利潤であり,それ放それは,資本とは切り離された特 定の自然力の属性としてあらわれる。そこでこの超過利潤=差額地代は∴その 自然力(土地)を私有する土地所有者に・支払われて,借地科としての差額地代 に転化される。この転化は資本家たちや農民たちの相互の競争を介して行なわ れる。
差額地代ほまた,同一・の土地に.次々に・生産性の異なる追加投資が行なわれる ことを条件として生ずる(差額地代の第二形態)。(単位面積当りの追加資本の 増大=投下資本額の増大は,たとえ生産性の低下する追加投資であっても,農 業生産力の向上,土地の合理的・集約的利用等を意味している。「諸君ほ,マ ルクスが,農業の諸条件の多様性は,たん軋土地の質と位置の相違によって生
●●●●●●●●●●●●●●●
みだされるばかりでなく,土地に.たいする資本投下の大きさの相違によっても 生みだされることを系統的に,地代の分析全体を貰いて指摘しているのを,見
られるであろう。だが土地に資本を充用するとはどういうことか?それほ,農 業における技術の変化,農業の集約化,高度の農耕方式への移行,人造肥料の 使用の強化,農具や機械の改良 それらの使用の増大,賃労働の使用の増大,
ある。決して土地の経営的独占も絶対的なものではないのである。「部門内競争は,
同種の商品にたいする単一・の市場価値(社会的生産価格)の樹立にみちびく。土地の
うえでの資本主義的経営の独占の結果,との社会的生産価格は最劣等地の生産諸条件 によって規定されること紅なる。しかし,農業資本家階級内部の競争戦は,土地のう えでの資本主義的経営の独占の崩壊をもたらしうるし,またもたらしてもいる。」(ロ
・−‥ゼンベルグ,宇高基輔・副畠種典訳『資本論注賂』5,青木書店,1964年,191ぺ−
ジ)。すでにマルクスほ次のようにいっている。「この市場価値そのものほ,豊度の最 も低い部類の生産物の個別的価値よりもけっして大きくはありえない。」(仔♂γ如,Bd
26,2Teil,1967,S.266.時永淑訳『マルクス=ヱ∵/グルス全集』寛26巻第2分冊,
1970年,351ぺ−ジ。)
寛45巻 簾4号
− 3♂ − 478
(15)
等々を意味する。」)差額地代の第二形態は,一・面でほ,差額地代の第一・形態と 同じものである。何故なら,同一・土地への追加投資の生産性が異なることは,
この同じ土/地が次々に行なわれる追加投資に対して違った土地等級としてあら われるからである。その限りでは,差額地代の第二形態ほ差額地代の第「・形態
(16)
に・総括することができる。しかし,他面でほ,具体的な第二形態の差額地代 叫第一・形態の差額地代の土壌の上で展開される第二形態の差額地代一の運 動ほきわめて独特の法則を展開するのであって,差額地代の第仙・形態とほ大い に異なっている。通常,第二形態の差額地代は,最劣等地のところで決定され る−・般的生産価格にくらぺての優等地の個別的平均生産価格(個々の追加投資 の個別的生産価格を平均したもの)の低位性にもとづいて,優等地に形成され るものである。しかし,追加投資が行なわれるにつれで−・般的生産価格も個別 的平均生産価格も多様な変動を受けるので,と.の場合紅ほ,第・−・形態の差額地 代にくらぺて極めて複雑な運動が展開されることになるのである。
差額地代ほ一・般的生産価格を前提としている。だからそれは.,農業における 資本主義の完全な支配を前提とするのであり,次の絶対地代と同じように,資 本主義的地代の−・形態をなしている。
昇一形態の差額地代は,農業における資本蓄積の増加に・つれて−・般的に・ほ増 大する。マルクスは,おこり得るであろう種々の耕作形態の場合をとりあげ
て,このことを論証した。差額地代第一・形態の運動をマルクスほ次のように・特 徴づけている。(a)耕作が優等地からますます劣等な土地匿向って進行する場 合には,−・般的生産価格が上るのだから明らかに優等地の単位面積当りの差額 地代は増大する。(b)耕作が最劣等地からますます優等な土地に・向って進行す る場合にほ.,−・般的生産価格は変らなくても,優等地の個別的生産価格が下 るので優等地の差額地代ほ増大する。(c)最優等地と最劣等地の中間に・新し い等級の土地が入ってきてそれが最劣等地になった場合ほ,−・般的生産価格が 低下するので,優等地の単位面積当りの差額地代は減少する。(d)各等級他の収
(15)『レ−・ニソ全集.』努22巻,1969年,59−60ぺ−ジ。
(16)『レ−エソ全築』第13巻,296ぺ−ジ。
資凍主義と農業問題(2)
479
ー βJ−
益力が向上するか,それが優等地でもっばらみられる場合は(それが常態であ
(17)
るが),優等他の単位面積当りの差額地代は増大する。(反対に劣等地でそれが みられた場合に・ほ,優等地の地代ほ減少する)。さらに−・国の総地代もまた,
耕作面積の拡張が行なわれるのだから増大する(最劣等地の耕作拡張の場合を 除いて)。この総地代の増大ほ,劣骨地異りも優等地において.耕作が拡張され
(18)
るはど,より急速に増大する。
次紅,同一・の土地の上での追加投資の進行につれて−,第二形態の差額地代も また大ていほ増大する。エンゲルスは,農業生産物の−・般的生産価格が不変の 場合,低下する場合,騰貴する場合と,追加投資の生産性が不変の場合,低下 する場合,向上する場合とを組み合せたすべての起り得る場合についての差額 地代表を分析し,第二形態の差額地代は,資本者蹟の増加につれて,総額とし ては一・般的には増大するという結論を引き出している。(ごく簡単に,・エンゲ ルスの分析の結論的な部分だけを紹介しでおこう。)(a)・−・般的生産価格が 不変の場合。最劣等地(A地)が相変らず農業生産物の−・般的生産価格を調節 する。追加投資の生産悼が不変である時と追加投資の生産性が向上する時に は,ともに明らかに地代総額ほ増大する。追加投資の生産性が低下する時に は,最劣等地のすぐ上の優等な土地(B地)での地代ほ減少するが,・そ・れより ももっと優等な等級地の地代ほ,もっと増大するので,全体としで地代の総額 ほ増大する。(B他の地代がなくなる時に.は地代総額ほ同一・にとどまる。)(b)
−・般的生産価格が低下する場合。追加投資の生産性が不変の時と低下する時に は.,:A地が脱落しB地が最劣等地となってB地の地代ほなくなる。この場合紅 は地代給額は同一・紅とどまる。B地の生産性が向上する時には地代総額は増大 する。(c)−・般的生産価格が騰貴する場合。(これには二つの様式があって,
(イ)土地Aが相変らず−・般的生産価格を調節する場合,(ロ)Aよりもさらに 劣等な土地(A ̄りが新らたに.価格調節者として入ってくる場合とがある。)
(17)Ⅳβタ・ゐβ,Bd25,−S.669.『マルクス=.エンゲルス全集』第25巻籍2分冊,847ぺ−
こ†′■。
(18)Ibid,SS一・666−672.同上書,841−850ぺ−・ジ。
− ∂2−
第45巻 寛4号 480(イ)追加投資の生産性が不変の時,低下する時,向上する時のすべてについ で地代総額は増大する。(ロ)この場合でも,生産性が不変の時,低下する時,
(19)●●●●●●●●
●● 向上する時のすべて紅ついて地代の総額ほ増大する。(ただ3つの場合だけほ
(いずれもB地の地代がなくなる場合である),地代総額は不変である。しか
(20)
し,その場合でも,より優等な土地でほ,単位面積当りの地代は増大する。)か くしてエンゲルスほいう。「土地に投ぜられる資本が多ければ多いはど,−・国 の農耕と文明−・般との発展が高ければ高いほど,それだけ−・コエーカー当たりの 地代も地代の総額もますます大きくなり,社会が超過利潤の形で大土地所有者
(21) 軋支払う貢ぎ物はますます大きくなるのである。」
(なお,エンゲルスは.,完全に仕上げられて.■いなかったマルクスの差額地代 第二形態論を完成させたばかりでなく,若干の数量的な不合理性や誤まった外 観を示しているマルク不の地代表を正しいものに改めた。たとえば。マルクス
●●●●● ●●●
ほ,優等地では個々の追加投資についてでほなくて,それらを合訂した総資本
●●●●●●●●●●●●●●
紅ついて−の個別的平均生産価格がつねに規定的であるという命題を定式化して
(22)
いる。しかし,優等地に生産性低下の追加投資が行なわれる場合のマルクスの 地代表でほ,最終の追加投資がすくなくとも平均利潤以上の利潤をあげるとこ
●●●●●●●●
ろで打ち切られてV、るので,個別的平均生産価格でなくて,最終の追加投資の
●●●●●●●
個別的生産価格が規定的であるかのような誤解を与え易いものとなっている。
実際マルクスは,優等地で生産性低下の追加投資が行なわれる場合,すでに初 めの方の追加投資によって生じた超過利潤が差額地代化してしまい,地主がそ の減額に㌧応じない(すなわち土地所有が独自的・能動的な役割を演ずる)場合 の地代表の作成に際して−,最終の追加投資の個別的生産価格が規定的であるか のような熟まった計界をしている。しかしエンゲルスは,このような誤解をと
(19)Ibid,SS.729−734・..同上苔,923−932ぺ・−i7。
(20)Ibid,Sl−734.同上番,932ぺ−・ジ。
(21)
(22)例えばマルクスは次のように・いっている。「総生産(またほ総投下資本)紅ついて計 算された1クか−ダーの個別的平均生産価格がつね紅規定的である」(Ibid,S.7弧 同上書,953ぺ一汐)。実際,いうまでもなく,優等地での個々の遂次的投資がもたら す生産物の個別的生産価格がつねに平均されて,単位面積当りの個別的平均生産価格
資本主義と農業問題(2) −ββ−
481
り除き,土地所有の法則のもとでも,個別的平均価格が規定的であるという命
(28) 題紅そって,マルクスの地代表を修正した。)
に転化されているからこそ・,与えられた一般的生産価格に.くらぺて二,この優等地には 単位面積当り紅みてどれだけの超過利潤が生ずるかが明らかとなり,したがってこの 超過利潤の地代への転化も行なわれるのである(「これらの超過利潤がどのように.して
生ずる紅しても,それの地代への転化,つまり借地農業者から土地所有者へのそれの 引渡しは,その先行条件としてつねに次のことを前提する。すなわら,個々の逐次的投 資のそれぞれの部分生産物がもっているいろいろ紅.違う現実の個別的生産価格(すな
わち−・般的な市場調節的な垂産価格からほ芽虫立なもの)があらかじめ平均されて一つ
の個別的平均生産価格になって「いるということを前提する。1エーカ−の生産物の一 般杓な調節的生産価格が前述のようなその生産物の個別的平均生産価格を越える超過 分ほ,1エーカー当りの地代を形成し,またその大きさを定めるのである。」(Ibid,SS・736−737.同上苔,935ぺ−・汐)。優等地でほ,一一方では,個々の逐次的投登の生産 性の差異にもとづいて超過利潤が生ずるとしても,他方では,それはいつも平均化さ れるのであり,このようにして:のみ超過利潤の差額地代への転化が行なわれるのであ る。とのよう紅,鱒二形態の差額地代ほ,りね紅「差額地代Ⅰ紅逆転化させられなけ ればならない」(Ibid.S.737.同上乱936ぺ−・ジ)のである。
(23)エンゲルスほ,このような場合でも,優等地であるから紅ほ平均計簸が行なわれる と正しくのべている。個別的平均垂廉価格に,既存の差額地代力吏(これも総資本当り
紅ついて平均計算された上で)プラスされるのであると(Ibid,S.749 同上番,
95ト952ぺ−ジ)。(なお,日本では,生産性低下の追加投資の場合匠は,最終の追加投 資が単独で平均利酒を実現しうるととが投資の限界をなすこと,すなわち,とのような
場合に・は最終の追加投資の個別的生産価格が規定的であるとする見解がある。なぜな ら,それ以上に追加投資がすすめられるとすると(すなわち個別的平均生産価格が規 定的であるとすると),既存のせっかく手に入れた超過利潤総額が絶対的紅減少し,つ いにはなくなることもあり得るが,そのような「馬鹿げた投資」を虚業資本家がする
とは考えられないからであると(田代隆「差額地代第二形態牢対する疑問」(『恩英経
済研究.』27巻2号,1955年7月,19ぺ−の,常準政治「農業庭おける東亜的生産価 格の『限界原理』と『平均原理』−⊥差額地代籍二形態論の一考英一」(『三田学 会雑誌』52巻4号,1959年4月,33ぺ一−・ジ)。しかし,差額地代論の展開紅おいて は,さしあたりほ,土地所有は,単紅受動的に.,超過利潤の地代への転化の役割を果 すだけで,超過利潤の増減につれて,地代も増減するものと前提される。速から,借 地良民や借地農業資本家は,生産性の低下する追加投資紅よって超過利潤が減少して ゆくとしても,劇定限度までは,平均利潤を収めることができると前提される。このような前提条件のもとでは,明らかに,借地農民や借地農業資本家は,一・定の限度ま では,追加投資をすればするほど,他の追加投資をしないものたちに.くらべて,より 多くの平均利潤を手に.入れ,それだけ−・層資本の蓄積を行なうことができることにな る。(しかも,かれらは,追加投資によって,借地契約がまだ続いている間は,絶対 地代部分をも手紅入れることができるのである。)こういうわけで,追加投資につれて 生産性が低下して,超過利潤総額が減少するようになっても,決して,それは,「馬鹿
げた投資」ではないのである。もしも,土地所有が,独自的・能動的な役割を演じて,
地代の減額紅容易紅は応じないような条件あもとでは,明らかに,追加投資はより早
発45巻 寛4号 482
−β4 −・
(2)絶対地代
資本主義的地代の第二の形態ほ絶対地代である。絶対地代ほ.,農業資本の有
機的構成が社会全体の資本の有械的構成の平均度紅くらべて低いことを,すな
●● わら農業生産物の市場価値がその生産価格よりも高いことを条件とし,土地所
●● 有の私的独占の存在を原因として発生する。(農業資本の有機的構成が社会的
平均庶と同じかそれ以上であれば絶対地代は存在しない。こ・のように絶対地代 ほ.農業生産力の発展永準がまだきわめてト低いという人類史の技術的段階でのみ 存在することができる。しかし,差額地代もそうである。・それは土地の等級差
を克服することができないという農業生産力の未発達の状況のもとでのみ存在 し得るのである。)土地所有者ほ,土地への資本投下をさまたげることによっ て,農業生産物を生産価格でほなぐて市場価値の水準の市場価格で売ることを 可能にし,こうして,この生産価格をこえる市場価値の超過分を絶対地代とし
(24) てとりこむのである。(土地の私的所有がなければ,農業生産物は工業生産物
くその限界につき当ってしまうに.違いない。しかし,その場合でも,終局的に.は,資 本蓄積の方が勝利をしめ,地代は,結局ほ滅少を余儀なくせしめられることに.なるで あろう。(例えば,19世紀末ヨーロッパ農業恐慌時の地代減少をみよ。)何故なら,資 本主義社会では,結局のところは,資本蓄積の方が地主の地代要求を自己紅従わせ,
征圧してしまわぎるを得ないであろうからである。(なお,以上のようなことは,土地を 自ら所有する小農経営に対しても,農民的分割地所有や発展した資本主義下の小農的 土地所有紅対しても,修正をすればある棲度まではあてはめることができる。)マルク スもすでに.,このような超過利潤総額が減少ないし消滅するような追加投資のあるこ
とを論じている(Werke,Bd25,SS.738−742.SS743−746.『マルクス=エンゲルス 全集』第25巻第2分冊,937−943ぺ一汐,944−948ぺ−ジ)。
(24)ここでは農業生産物を支配する市場価値法則が,完全に作用しているものと想定さ れている。したがって,農共生産物の市場価格は市場価値と−L致し,こ.の水準で売 られるものと前提され,生産価格をこえる市場価値の全てが絶対地代紅なるものとさ れている。しかしより具体的に.は.,市場の需給状態など紅よって,市場価格が市場 価値にまで適せず,生産価格と市場価値の差額の全部が絶対地代化しないとともあり
得る(Ibid,SS.770−772.同上雷,978−980ぺ−ジ)。しかしこのようなより具体的な 場合の研究ほここでは捨象する。(なお,大内力氏は,『資本論』でほ生産価格をこえ
る市場価値の全部である場合と一部である場合との両方がとりあげられているのに,
『剰余価値学説史』ではあとの場合をとりあげていないといっている(大内カ『地代と
土地所有』東京大学出版会,1958年,179−182ぺ−・ジ)が,マルクスは,『剰余価値学 説史』の中でも,あとのような場合をも論じているのである。そこでは,農業生産物 の市場価値が優等地の個別的価値紅よって調節される場合もあり得ること,その場合 紅は,それよりも劣等な土地では絶対地代の−・部または全部が形成されないこともあ483 資本主義と農業問題(2) −g∂−
と同じくその生産価格で売られ,この超過分ほ.社会全体の資本に.帰属する平均 利潤の計算町入るのであるが,土地所有の私的独占があるために,この超過分 が農業内部にとどめられ,絶対地代として土地所有者の手もとに入るのであ
る。差額地代に対して,絶対地代は,土地所有の私的独占を成立原因としている
(25) という点で,「土地所有の適切な表現」である。(なおまた,絶対地代は農業資
本の有機的構成の相対的低位性を条件として生ずろものであるから,こ.の条件 のないところでは絶対地代が存在しないだけのことである。))
農業生産物の絶対地代に・おいて肝要な点は,土地所有の私的独占が設ける制 限のために,市場価格はそ・の市場価値に・よって決定され,それ以上に・は上り得 ないということである。では何放土地所有は農業生産物の市場価格をその市場
●●●● 価値以上町騰貴せしめ得ないのであろうか。それはいうまでもなく,価値こそ
=…===●○●●●●●●●
は市場価格の歴史的にも理論的にも,本来的な前提であるからである。資本主 義以前に.は,土地私有の存在にもかかわらず,価値通りの商品交換が行なわれ
ていたのである。(価値法則ほ,土地の経営的独占や土地所有の私的独占紅は かかわりなく買徹する。)発展した資本主義のもとでは,この法則が修正され て,価値ではなくて生産価格のところで市場価格が決定される。しかし農業で は,土地所有の設ける制限のために,価値の生産価格への転化が阻止されるの である。だから土地所有の私的独占の設ける制限性は,理論的に.は,市場価値 からの生産価格の編俺がなぜ起り得ないかを説明するのみであって,価値から の価格の編僚をもたらすことはできないのである。「土地所有は,ただ諸資本
●●●●●●
間の競争が諸商品の価値の規定を変更するかぎりでのみ,諸資本の行動に,そ れらの競争に影響を及ぼし,それを麻痺させることができるのである。価値の 費用価格への転化ほ,ただ資本主義的生産の発展の帰結であり結果でしかない のである。本源的なもの(平均に∴ついての)は.,諸商品がその価値どおりに売 られるということである。このことからの偏差が農業では土地所有紅よって妨
り得る与とがのぺられている。(Werke,Bd26,2Teil,SS 266−267.『マルクス=エ ンゲルス全集』算26巻算2分冊,351ぺ−汐。)
(25)Ibid,S.328,同上書,433ぺ−ジ。
第45巻 算4琶
484
− β6 −
(26)
げられるのである。」ローゼンベルグもこの点把ついて次のようにのぺている。
「なぜ農産物の独占価格ほ,原則として−,その価値以上にほ高騰しないのであ ろうか。それほ,価値がこの価格の直接的基礎だからである。資本主義以前の 時代仙十五世紀まてトーー・に粛,価値たよる商品の交換がおこなわれた。この 時期に・は,土地私有も存在していた。資本主義の発展とともに,価格形成にお ける変革がおこなわれた。価値でほなく生産価格が市場価格の変動の中心とな った。ところが農業で
価格の直接的基礎ほ依然として価値であり,それを中心に市場価格の変覿がお
(27)
こるのである。」(そして農業生麺物の価値通りの交換というこの必然的法則 は,いうまでもなく,農業資本家や農民や土地所有者や消費者たちの問での,
また,このそ・れぞれの内部での親争を介して−,実現され執行される。マルクス は,このような競争砿ついて次のようにの、ぺて−いる。「■土地生産物の価格ほ必 然的に.普通の意味での独占価格だということになったり,あるいは.また,その 価格紅は,租税がほいるのと同じ形で地代がはいるのであって,ただ国家に代 わって土地所有者が租税を取り立てるだけだということになったりするであろ
うか?との租税にほ−・定の経済的制限があるというととほ自明である。この租 税を制限するもの鱒,旧来の借地での追加投資であり,外国の土地生産物の競 争−その自由な輸入を前提して−であり,▼土地所有者どうしの競争であ
(お〉 り,最後に消費者たちの欲望と支払能力である。」)日常的にはわれわれは↓ば
●●●
しば真実とは.全く反対のことを尭える。すなわち,真実ほ農業では土地所有の 私的独占の存在のために,農業生産物の市場価格が価値のところで決定されて
●● 生産価格の水準にまで下らないというこ.とであるにもかかわらず,逆紅土地所
有のために農業生産物の市場価格ほ生産価格できrまらないでそれよりも以上に 騰貴してゆくといノうふうに思考するのである。こ.のような思考が,用心しない
と,土地所有の融限性がもっと大きければ,農業生産物の市場価格はその価値
(26)払id,SSり330−331・同上軍,437ぺ−汐。
(27)『贋本論注解』5,202ぺ−ジ。
(28)Ⅳeγゐβ,Bd25,Sい7661『マルク・ス=エンゲルス全集』算25巻第2分冊,Pねぺ−
ジ。
資本主義と農業問題(2)
485
・− ∂7−
を与・えてさらに上ってゆくだろうという誤まった主張にたどり?く危険をほら んでいることほし、うまでもない。理論的軋,筒場状況のいかんによって価値の 生産価格への転化がどの程度行なわれるか,市場価格がどの程度価値よりも低
●●●●●●
下するかということを表現する場合に,われわれほ日常用語では,反対に.,市 場状態のいかん妃よって,生産価格以上にどの程度まで価格が上っていくかと いうように.表現するのである。
こういうわけで,絶対地代と,生産価格隼も価値に・ももとづかない独占地代 とをわれわれは範疇的に区別しなければならない。絶対地代とは.違って.,独占 地代ほ,、農産物の市場価格が独占価格であること,すなわらその市場価値また は社会的価値以上に高められて・いることに・もとづいて形成されるもので串る。
それ咋・,資本主義の基礎的な法則である価値法則や生産価格準則を完全にか部 分的にか否定するところでのみ成り立つ。独占地代ほ差額地代や絶対地代のよ
(29) うに・ほ資本主義的地代の形態をなすものではないのである。
(29)大内力氏と日高晋氏は,絶対地代と独占地代を事実上同一胡する論者であるが(大 内カ『地代と土地所有』197ぺ−ジ,日高晋『地代論研究』時潮社,1962年,357−・358 ぺ−ジ),さら紅大内氏は・,レーニンもどららかという車両者を同「祝する見解に近か
ったなどといっている。「たとえばかれは『良薬問題と「マルクス批判家」』のなかで 地代をとりあつかうにさいしては,『土地所有はひとつの独身であり,かかる独占を
基礎として,土地所有者は農業企業家にたいして,この土地(限界地一大内)に.も地
代の支払を要求するであろう。この支払が絶粛地代なのセあり,これほ.・・刷私的土地
所有からでてくるものである。』とまず規定しているbそしてそのあとで,『マルクス は絶対地代が農業資本の剰余価値から成立する可能性を,農業でほ資本の全構成のな
かで可変資本の割合が平均以上に.あることによって説明している。そうであるとすれ ば,農産物の価値は−蔵匿その生産価格よりも高く,剰余価値は利潤よりも高いこと
紅なる。ところが,土地私有の独占ほ,この剰余が,利潤の平均化の過程のなか紅完 全紅はいりこむことをさまたげる,そして絶対地代がかかる剰余から成立つことにな
るのである。』と規定するのである。このようにレー・エソ鱒,絶対地代の成立をもっぱ ら土地所有の独占から説明し,ただその源泉が問麺になる喋あい,虚業の資本構成が 社会的平均よりも低ければ,虚業内部の剰余価値にそれが求められる可能性があると 理解している。」(大内カ,同上番,187−188ぺ」−㌢)。大内氏によると,レーエソは,土 地所有の独占からすぐに絶対地代が成立するととき,また,絶対地代の源泉は堪業外 部でもよいのであって,もし農業資本の有機的構成の相対的低位性があれば,農業内
部にも源泉をもち得る可能性がある,といっているというのである。われわれはこれ とは全く違ったよう紅レ−エソを理解する。籍−Lに,たしかにレーニンほ土地所有の
私的独占が絶対地代成立の原因だといっているが,しかし,かれは,ノここでは同時
第45巻 第4号
・−−∂∂−− 486
(因具に。われわれほ,差額地代法則を独立に.とりあげ,差額地代は・−・般的 生産価格と個別的平均生産価格の差額として優等地に・形成されるものであるこ
とを知った。絶対地代を前提とする場合に・は,差額地代ほ,市場価値と個別的 価値(個別的平均価値)の差額として優等地に形成されるというように.改めら
●●●●●●●
れなければならない。しかし絶対地代を前提としても,この既存の差額地代は
●●●■●●●●●●●●●●●● それ自体として不変であって,だから,さきにのぺた差額地代法則それ自体も
生きているのである。たんに農業生産物が生産価格でなくて価値の水準で売ら れるために・,さし当りほ既存の差額地代紅ある・劇般的な増加分がつけ加え.られ
るというだけにすぎないのである。「最劣等地の単位面積の生産物の価格がP
+Ⅰ■だとすれば,すべて.の差額地代はⅠ■の相当倍数だけ増大する。というの
(30) ほ.,前提に・よればP+Ⅰ■が調節的市場価格になるからである。」マルクスは次
のようにいっている。「土地生産物の一−・般的価格は.根本的に修正されるであろ うとはいえ,差額地代の法則はけっしてこれに.よって廃棄されて.はいないであ ろう。なぜならば,部類Aの生産物の価格,したがってまた−・般的市場価格が P+Ⅰ−ならば,部類B,C,D,等々の価格もやほりP+Ⅰ‥であろうからであ る。しかし,部類BにとってはP−P′=dなのだから,(P十Ⅰ )・−(P′一十r)
もやはり=dであり,またCにとってほP−P′′=(P十ー)・−(P′′+ー)=
2dであり,最後にPに.とってはP−P′′′=(P十エー)−(P′′′十り =3dであ り,その他も同様であろう。だから,差額地代ほ相変らず同じで,同じ法則に
しSl) よって規制される」のであると。そしてニ,ただ「地代は,この法則にはかかわ
りのない一層素を含んでいるであぁうし,土地生産物の価格と同時に一腰的な
に,その条件として農業資本の有機的構成の相対的低位性を設定することを忘れては いないのである。すなわら,この成立条件のないとこ.ろでほ絶対地代は生じないとい
うこ.とをここで明言しているのである。第二に,しかし,レーニシはこの成立条件が あっても,成立の原因がなければ絶対地代は生じないのであり,だから成立の条件が
与えられているだけではまだ絶対地代形成の可能性があるだけだということをここで はいっているのである。「可能性」という言弟をレ′−エソはそのような意味で使用して
いるのである。
(30)肋rゑ♂,Bd25,S.771い『マルクス=エンゲルス全集』第25巻第2分冊,979」980
ぺ一汐。
(31)Ibid,S.757.同上蕃,962ぺ一汐。
資本主義と農薬問題(2)
487
−∂9−
(82) (33) 増加分を加えられてこいる」のにすぎないのであると。)
絶対「地代もまた,資本主義の発展につれて,増大する傾向をもっている。単 使面積当りでみて−も,一・国全体の総地代としてみても,ともに増大する。算一 に。資本主義の発展につれて凰業生産力は相対的にますます工業生産力の発展 に.立ち遅れてゆくので,農業資本の有機的構成はその社会的平均構成にくらぺ
て相対的に.低下する。したがって農業生産物の市場価値と生産価格との差はよ り・一層大きくなって.ゆくであろうからである。欝こに。たとえ農業生産物の市 場価値と生産価格との差が不変であっても,・−・定面積の土地の上での投下資本 額の増加がすすむので,絶対地代は増大する。すなわち土地の上での追加投資
の進行が第二形態の差額地代を増大させるとすれば,同時に.それほ.,絶対地代
(32)Ibid,S.757.同上杏,962−963ぺ−・ジ。
(33)因みに・。このマルクスの「算式」に・おけるⅠを絶対地代とし,Ⅰやさらに・P,P′,P′′,
p′′′やdを生産物単位当りの値を示すものとすると,優等地ほど絶対地代が大きいこと になる(いわゆる「単位豊説」)。そこで,これらの値は単位面積当りの総生産還暦.つ いでのものと解すぺきであるとする考え方がある(いわゆる「総監説」)。絶対地代は 土地等級に応して異なるとする論者ほ概して「単位虚説」をとり(例えば,大内カ
、『地代と土地所有』,日高晋『地代論研究』),土地等級のいかんに.かかわらず同一である とする論者は「総量説」をとっている(例えば,山田勝次郎『地代論論争批判』同友 社,1948年)。しかし,第一・に,『資本論』の問題の箇所をみればわかるよう紅,では 鼓劣等地に支払われる地代,あるいはせいぜい最劣等地紅支払われる絶対地代という だけであって,決して直らに優等地の絶対地代でもあるといっているわけではない し,寛二紅,この「静式」は,工■だけ価格が上れば優等地紅どれだけの絶対地代が生 ずるか,またどれだけ差額地代が増加するかを算出するためのものでもない。(そのた めには別の「算式」を用意しなければならない。)優等地のⅠは,絶対地代のはか紅差 額地代を含んでいるからである。この「静式」は,最劣等地の生産物が生産物1単位 について地代Ⅰ・を要求し,したがって優等地でも同真の生産物1単位紅ついて同額の
地代Ⅰ・を要求するとすれば,農業生産物の一般的生産価格と個別的生産価格がともに
Ⅰ・だけ一・せいに騰潰するであろうこ.と,だから一般的生産価格と個別的生産価格の差 は依然として変らないであろうこと,を示しているだけなのである。「もし生産価格
(個別的生産価格と社会的生産価格)がこ.の前提された地代の大いさだけ増大するな らば,個別的生産価格と社会的生産価格との差額は依然として変化しないであろう。」
(ロ−ゼンベルグ『資本論注解』5,198ぺ一汐)。この王やPやdは明らかに生産物単 位豊当りのものであるが,だからといってマルクスが絶対地代の額が土地の等級紅応
じて異なるといっていたわけではない。また,あえてこれを単位面積当りの生産物総 畳についてのものと解する必要もないのである(実際そうすると,P.>P′>P′′>P′′′と いうマルクスの記述は誤まりで訂正しなければならないこと紅なる)。