平 成 二 十 六 年 度 博 士 学 位 請 求 論 文
二 宮 尊 徳 の 仕 法 と 藩 政 改 革
松 尾 公 就
目
次 序
章 報 徳 仕 法 の 研 究 と 本 論 の 構 成
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9第 一 節 は じ め に
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1 0第 二 節 報 徳 仕 法 研 究 の 成 果
― 小 田 原 仕 法 を 中 心 に
―
…
1 71
大 藤 修 氏 の 報 徳 仕 法 研 究
―
『 近 世 の 村 と 生 活 文 化
』 よ り
―
…
1 82
小 田 原 仕 法 の 研 究 成 果
…
2 2第 三 節 本 論 の 構 成 と 内 容
…
3 6第
一 章 尊 徳 仕 法 に み る
「 分 度
」 再 検 討
― 文 政
・ 天 保 期 の
「 平 均 御 土 台
」 を 考 え る
―
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4 7は じ め に
― 研 究 書 に み る
「 分 度
」
―
…
4 8第 一 節
「 聞 書
」 に み る 平 均 年 貢 高 の 意 味
…
5 3第 二 節 仕 法 書 に み る
「 平 均 御 土 台
」
…
5 6第 三 節
「 平 均 御 土 台
」 か ら
「 分 度
」
…
6 5第 四 節
「 分 限
」 ・
「 分 台
」 か ら
「 分 度
」
…
6 8お わ り に
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7 2第 二 章 報 徳 仕 法 導 入 以 前 の 小 田 原 藩 領
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7 9は じ め に
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8 0第 一 節 大 久 保 忠 真 時 代 前 半 の 藩 政
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8 0第 二 節 小 田 原 藩 の 財 政 と 年 貢 収 納 量
…
8 3第 三 節 文 政 期 後 半 の 御 厨 領 農 村
…
8 7第 四 節 文 政 一 一 年 の 藩 政 改 革
…
9 0第 五 節 天 保 飢 饉 と 米 相 場
…
9 3第
三 章 小 田 原 藩 政 の 展 開 と 二 宮 尊 徳
― 藩 主 大 久 保 忠 真 の 酒 匂 河 原 で の 表 彰 の 意 義 を め ぐ っ て
―
…
1 0 3は じ め に
…
1 0 4第 一 節 酒 匂 河 原 で 表 彰 さ れ た 奇 特 人 と 孝 行 人
…
1 0 7第 二 節 酒 匂 河 原 で の 表 彰 の 背 景
…
1 1 01
表 彰 の 背 景
…
1 1 02
郡 中 取 締 役 の 設 置 と 表 彰 者 の 選 抜
…
1 1 4第 三 節 酒 匂 河 原 で の 表 彰 と 尊 徳 の 桜 町 見 分
…
1 1 5第 四 節 桜 町 仕 法 と 小 田 原 藩
…
1 1 9第 五 節 大 久 保 忠 真 の 酒 匂 河 原 で の 表 彰 の 意 義
― ま と め に か え て
―
…
1 2 2〈 補 論 1
〉 酒 匂 河 原 表 彰 地 を め ぐ る 問 題 点
…
1 3 1第 四 章 二 宮 尊 徳 の 窮 民 救 済 仕 法
― 天 保 飢 饉 直 後 の 野 州 烏 山 領 と 駿 相 州 小 田 原 領
―
…
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1 3 7は じ め に
…
1 3 8第 一 節 藩 か ら の 仕 法 依 頼
…
1 4 0第 二 節 烏 山 領 の 窮 民 救 済
…
1 4 41
極 困 窮 人 の 救 済
…
…
1 4 42
困 窮 人
( 中 難
) の 救 済
…
1 4 83
そ の 他 の 困 窮 者 救 済
…
1 5 0第 三 節 駿 相 小 田 原 藩 領 の 窮 民 救 済
…
1 5 01
無 難
・ 中 難
・ 極 難
…
…
1 5 02
夫 食 貸 与 の 実 態
…
1 5 43
御 手 許 金 の 給 付
…
1 5 94
窮 民 救 済 の 概 要
…
1 6 05
夫 食 代 の 返 済
…
1 6 3お わ り に
…
1 6 5第
五 章 小 田 原 藩 政 の 展 開 と 報 徳 仕 法
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… 175
は じ め に
…
1 7 6第 一 節 救 急 仕 法 の 開 始
…
1 7 81
報 徳 仕 法 導 入 を め ぐ る 小 田 原 藩 の 動 き
…
1 7 82
尊 徳 の 小 田 原 仕 法 受 命 と 仕 法 着 手
…
1 8 8第 二 節 復 興 仕 法 と 小 田 原 藩 政
…
1 9 31
大 久 保 忠 真 の 死 と 小 田 原 藩
…
1 9 32
「 筋 分 け
」 問 題 と 報 徳
…
2 0 03
復 興 仕 法 の 着 手
…
2 0 24
尊 徳 の 桜 町 帰 陣 と 小 田 原 藩
…
2 0 45
二 宮 弥 太 郎 の 病 気 と 尊 徳 の 動 き
…
2 1 46
尊 徳 の 小 田 原 領 復 興 仕 法 着 手
…
2 2 0第 三 節 復 興 仕 法 後 の 尊 徳 と 小 田 原 藩 政
― お わ り に か え て
…
2 2 4第
六 章 小 田 原 藩 の
「 御 分 台
」 と 二 宮 尊 徳
…
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2 3 7は じ め に
…
2 3 8第 一 節 藩 主 忠 真 の 藩 政 改 革
…
2 3 9第 二 節 文 政 一 一 年 の 改 革 宣 言 と
「 四 ツ 物 成
」
…
2 4 3第 三 節
「 御 分 台
」 と 尊 徳 仕 法
…
2 4 8第 四 節
「 御 分 台
」 を め ぐ る 小 田 原 藩 と 尊 徳
…
2 5 6第 五 節 大 久 保 忠 真 仕 法 依 頼 直 状 の 再 検 討
― お わ り に か え て
―
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2 6 0第 七 章 小 田 原 領 内 の 報 徳 仕 法
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2 6 7は じ め に
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2 6 8第 一 節 小 田 原 領 飢 民 救 済 の 仕 法
…
2 6 9第 二 節 中 筋 農 村 の 報 徳 仕 法
…
2 7 31
吉 田 島 村 の 報 徳 仕 法
…
2 7 32
金 井 島 村 の 報 徳 仕 法
…
2 7 73
牛 島 村 の 報 徳 仕 法
…
2 7 94
宮 台 村 の 報 徳 仕 法
…
2 8 2第 三 節 東 筋 農 村 の 報 徳 仕 法
…
2 8 5お わ り に
…
2 9 6〈 補 論 2
〉
小 田 原 領 の 困 窮 人
…
3 0 6第 八 章 用 悪 水 堀 と 道 普 請 に み る 報 徳 仕 法
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3 1 5は じ め に
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3 1 6第 一 節 竹 松 村 報 徳 堀 の 開 削 と そ の 影 響
…
3 1 8第 二 節 西 大 井 村 の 報 徳 仕 法 と 用 水 悪 水 堀 普 請
…
3 2 11
西 大 井 村 の 報 徳 仕 法
…
3 2 12
用 水 堰 普 請
…
3 2 33
酒 匂 川 の 川 掘 普 請
…
3 2 54
悪 水 堀 普 請
…
3 2 65
道 普 請
…
3 2 8お わ り に
…
3 3 0第
九 章 伊 豆 韮 山 の 報 徳 仕 法 と
「 報 徳
」 ネ ッ ト ワ ー ク
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3 3 5は じ め に
…
3 3 6第 一 節 尊 徳 の 韮 山 行 き
…
3 3 7第 二 節 多 田 家 と 朝 日 家 の 家 政 状 況
…
3 4 01
多 田 弥 次 右 衛 門 家 の 家 政 状 況
…
3 4 02
朝 日 与 右 衛 門 家 の 家 政 状 況
…
3 4 4第 三 節 尊 徳 へ の 仕 法 依 頼
…
3 4 71
多 田 弥 次 右 衛 門 と 尊 徳
…
3 4 72
朝 日 与 右 衛 門 と 尊 徳
…
3 5 0第 四 節 尊 徳 の 仕 法 着 手
…
3 5 21
幕 府 代 官 江 川 太 郎 左 衛 門 の 直 書
…
3 5 22
多 田 弥 次 右 衛 門 家 の 仕 法
…
3 5 53
朝 日 与 右 衛 門 家 の 仕 法
…
3 6 2お わ り に
…
3 6 9第 一
〇 章 小 田 原 宿 報 徳 社 の 成 立 と 展 開
…
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3 7 3は じ め に
…
3 7 4第 一 節 小 田 原 宿 の 困 窮 と 町 人
…
3 7 61
小 田 原 宿 の 困 窮
…
3 7 62
小 田 原 町 人 と 尊 徳
…
3 7 7第 二 節 小 田 原 宿 報 徳 社 の 成 立
…
3 8 01
趣 法 土 台 金 の 拝 借
…
3 8 02
小 田 原 宿 報 徳 社 の 世 話 人
…
3 8 43
小 田 原 宿 報 徳 社 の 構 成 員
…
3 8 6第 三 節 小 田 原 宿 報 徳 社 の 展 開
…
3 8 91
報 徳 金 の 運 用 と 問 題 点
…
3 8 92
豊 田 正 作 と 竹 本 屋 幸 右 衛 門
…
3 9 13
竹 本 屋 幸 右 衛 門 甲 州 成 田 村
…
3 9 34
小 田 原 仕 法 の
「 畳 置
」 と 小 田 原 宿 報 徳 社
…
3 9 5第 四 節 小 田 原 宿 報 徳 社 の 再 編
…
3 9 71
報 徳 金 運 用 の 再 開
…
3 9 72
小 田 原 宿 報 徳 社 再 編 後 の 世 話 人
…
4 0 03
小 田 原 宿 報 徳 社 再 編 後 の 報 徳 金 運 用
…
4 0 3お わ り に
― 新 た な 小 田 原 宿 報 徳 社 像 を 求 め て
―
…
4 0 6第 一 一 章 小 田 原 報 徳 仕 法
「 畳 置
」 を め ぐ る 諸 問 題
― 弘 化 三 年 の 小 田 原 藩 と 二 宮 尊 徳
―
…
…
…
…
…
…
4 2 1は じ め に
…
4 2 2第 一 節 仕 法
「 畳 置
」 の 通 告
…
4 2 3第 二 節
「 畳 置
」 直 前 の 尊 徳 と 小 田 原 藩
…
4 2 6第 三 節 仕 法
「 畳 置
」 後 の 諸 問 題
…
4 3 11
仕 法
「 畳 置
」 直 後 の 小 田 原 藩 と 尊 徳
…
4 3 12
白 銀 と 報 徳 金 の 受 領 問 題
…
4 3 23
小 田 原 仕 法
「 畳 置
」 の 始 末 交 渉
…
4 3 64
報 徳 金 返 納 問 題
…
4 3 95
新 た な 報 徳 金 借 用 問 題
…
4 4 16
「 畳 置
」 の 理 由
…
4 4 4第 四 節 仕 法
「 畳 置
」 後 の 小 田 原 領 内
…
4 4 6お わ り に
…
4 5 0終
章
新 た な 報 徳 仕 法 研 究 を め ざ し て
…
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…
…
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…
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…
…
…
…
…
4 5 7
序 章
報
徳
仕
法
の
研
究
と
本
論
の
構
成
は じ め に
平 成 と い う 時 代 に な っ て
、 経 済 的 に は バ ブ ル 崩 壊 後 の 不 況
、 近 年 は 一
〇
〇 年 に 一 度 と 言 わ れ る 大 不 況 に 見 舞 わ れ た
。 こ う し た 不 景 気 に な る と
、 い つ も 二 宮 尊 徳 ( 金 次 郎
・ 金 次 郎
) が も て は や さ れ る よ う に な る
。 二 宮 尊 徳 ( 天 明 七 年
〈 一 七 八 七
〉
~ 安 政 三 年
〈 一 八 五 六
〉 ) は 江 戸 時 代 後 期 か ら 幕 末 に か け て
、 領 主 か ら 農 民
・ 商 人 ま で の 財 政 や 経 済 的 な 危 機 を 救 っ た と さ れ
、 彼 の 思 想
( 報 徳 思 想
) と や り 方 は
( 報 徳 仕 法
) 不 況
・ 不 景 気 に 対 す る 万 能 薬 の ご と く 考 え ら れ て い た 時 期 も あ っ た
。 今 な お そ う 考 え て い る 信 奉 者 も 少 な く は な い
。 二 宮 金 次 郎 と い え ば
、 か つ て 多 く の 小 学 校 の 校 庭 に 建 立 さ れ て い た
「 金 次 郎 像
」 が よ く 知 ら れ て い る
。 そ の 金 次 郎 像 の 主 な ス タ イ ル は
、 薪 か 柴 を 背 負 い
、 歩 き な が ら 手 に 持 っ た 本
( 大 学
) を 読 む 姿 の も の で あ ろ う
。 こ の 姿 の 像 を
「 負 薪 読 書 像
」 と 呼 ぶ 人 も い る が
、 い ず れ に せ よ 金 次 郎 が 勤 勉 で 倹 約 家 で あ っ た こ と を 表 し た 像 で あ っ た こ と に 変 わ り は な い
。 勤 勉 で 倹 約 す る こ と で 当 時 の 経 済 的 危 機 を 救 っ た
、 今 の 大 不 況 も 救 え る と 考 え る 信 奉 者 の 多 く が 影 響 を 受 け た の が
『 報 徳 記
』 や
『 二 宮 翁 夜 話
』 で あ り
『 二 宮 先 生 語 録
』 で あ っ た
。
『 報 徳 記
』 は 相 馬 中 村 藩 出 身 の 富 田 高 慶 が
( 『 二 宮 尊 徳 全 集
』 第 三 六 巻 五 七
~ 五 八 頁
、 佐 々 井 典 比 古 訳 注
『 補 注 報 徳 記
』 現 代 版 報 徳 全 書 一
・ 二 巻
)
、
『 二 宮 翁 夜 話
』 は 相 模 国 箱 根 湯 本 村 の 名 主 を つ と め た 福 住 正 兄
( 『 二 宮 尊 徳 全 集
』 第 三 六 巻 一 九 四
~ 三 七 七 頁
、 佐 々 井 典 比 古 訳 注
『 補 注
二 宮 翁 夜 話
』 現 代 版 報 徳 全 書 八
・ 九 巻
)
、
『 二 宮 先 生 語 録
』 は 富 田 高 慶 と 同 様
、 相 馬 中 村 藩 出 身 で
、 富 田 高 慶 の 甥 で あ っ た 斎 藤 高 行 (
『 二 宮 尊 徳 全 集
』 第 三 六 巻 三 二 三
~ 四 七 六 頁
、
佐
々
井 典 比 古 訳 注
『 訳 注 二 宮 先 生 語 録
』 現 代 版 報 徳 全 書 五
・ 六 巻
) が 著 し た も の で あ る
。
『 報 徳 記
』 は 尊 徳 が 死 去 し た 翌 月
、 つ ま り 安 政 三 年
( 一 八 五 六
) 一 一 月 か ら 書 き 始 め ら れ た と 言 わ れ
、 公 刊 は 明 治 一 六 年
( 一 八 八 三
) に 宮 内 省 版 が 出 さ れ た の が 最 初 で
、 『 二 宮 翁 夜 話
』 は 福 住 正 兄 が 尊 徳 に 師 事 し て い た 時 に 記 し た 手 控 『 如 是 我 聞 録
』 を も と に 書 か れ た と い わ れ
、 明 治 一 七 年 か ら 二
〇 年 に か け て 刊 行 さ れ た
。
『 二 宮 先 生 語 録
』 は
、 少 し 遅 れ て 明 治 二 五 年 か ら 三 九 年 に か け て
、 雑 誌
『 大 日 本 帝 国 報 徳
』 に
「 誠 明 二 宮 先 生 語 録
」 と 題 し て 連 載 さ れ た の が は じ ま り で あ る
。 富 田 高 慶
・ 福 住 正 兄
・ 斎 藤 高 行 の 著 作 は こ の 外 に も あ る が
、 右 の 代 表 作 は い ず れ も 明 治 一
〇 年 代 後 半 か ら 二
〇 年 代 以 降 に 公 刊 さ れ た も の で
、 し か も 弟 子 と い う 立 場 で 師 尊 徳 の 言 行 を 記 し た と い う 点 で
、 客 観 性 に 欠 け て い る と 言 わ ざ る を え な い
。 三 人 の 中 で 最 も 長 く 尊 徳 の も と で 指 導 を 受 け た 富 田 は
『 報 徳 記
』 の 例 言 に お い て
「 余
( 富 田
) 未 だ 先 生
( 尊 徳
) の 門 に 入 ら ざ る の 前 事 は 之 を 目 視 せ ず
、 故 に 先 後 順 序 を 誤 る 者 あ ら ん
」 と
、 入 門 以 前 の 事 は 見 て い な い の で 誤 り も あ ろ う と い う の で あ る
。 さ ら に
、 先
生
( 尊 徳
) 幼 年 の 艱 難 困 苦 長 ず る に 至 り 出 群 の 英 才 を 以 て 行 ふ 所 の 事 業 一 も 自 ら 之 を 発 言 せ ず
、 故 に 往 々 邑 民 の 口 碑 且 伝 聞 に 由 り て 其 概 略 を 記 す と 雖 も 何 を 以 て 其 一 端 を 挙 る に 足 ら ん
、 将 誤 聞 な き を 保 す る 能 は ず と
記 し た よ う に
、 尊 徳 は 子 供 の こ ろ の 艱 難 困 苦 も
、 成 長 し て か ら の 優 れ た 事 業 に つ い て も 語 ら な か っ た と い う
。 そ こ で 高 慶 は 関 係 の 村 々 の 村 民 か ら 聞 い た 話 や う わ さ を ま と め て
『 報 徳 記
』 に 記 し た の で あ り
、 誤 聞 が な い と い う 保 証 は な い と い う の で あ る
。 こ の よ う に
、 最 も 長 く 尊 徳 の も と で 修 行 を 重 ね た 富 田 高 慶 で さ え
、
尊
徳
の
こ
と
を
正 し く 著 す こ と が で き な い
、 で き て い な い こ と を 自 ら 明 ら か に し て い る
。 も う 一 つ 注 意 し な け れ ば い け な い の は
、
「 出 群 の 英 才 を 以 て 行 ふ 所 の 事 業
」 と あ る よ う に
、 常 に 師 尊 徳 の 行 っ た 事 業 を 顕 彰 す る 立 場 で こ れ ら が 著 さ れ て い る こ と で あ ろ う
。 例 言 に お い て 記 し て い る 代 表 的 な 箇 所 を 次 に 引 用 し て お く
。 聖
賢 に あ ら ざ れ は 聖 賢 の 心 志 を 知 る 能 は ず
、 豈 庸 愚 に し て 高 徳 大 才 の 蘊 奥 を 知 を 得 ん
、 知 ら ず し て 謾 に 之 を 記 す 果 し て 其 大 徳 を 損 す る の み に 非 ず
、 其 功 業 を 以 て 区 た る 平 常 の 事 に 比 す る に 至 ら ん
、 是 大 に 恐 る ゝ 所 に し て
、 数 十 年 間 之 を 記 す 能 は ざ る 所 以 な り 師
尊 徳 を
「 聖 賢
」 と い う 最 も 徳 の 高 い 人 と し
、 庸 愚 の 我 々 に は 聖 賢 の 志 や
、 高 徳 大 才 の 奥 深 さ を 知 る こ と は で き な い こ と で あ る と
、 尊 徳 を
「 聖 賢
」 と し て こ れ を 顕 彰 し て い る
。 聖 賢 の 言 動 を 十 分 理 解 し な い で 猥 り に こ れ を 記 す と
、 師 尊 徳 の 大 徳 を 損 ね る こ と に な り
、 そ の 功 業 を 理 解 で き ず
、 普 通 の 扱 い に な っ て し ま う
。 そ の こ と は 大 変 恐 ろ し い こ と で
、 数 十 年 間
「 報 徳 記
」 を 書 け な か っ た わ け も こ こ に あ る と い う の で あ る
。 富 田 高 慶 は
、 こ れ に 続 け て 書 く に は 書 い た が 極 め て 不 十 分 で
、 一 端 を 著 し た の で あ っ て
、 万 分 の 一 で も と 思 っ て 記 す こ と に し た と
、 自 ら そ の 足 り な い と こ ろ を 明 ら か に し た
。 こ れ ま で の 二 宮 尊 徳 に よ る 報 徳 仕 法 の 研 究 は
、 富 田 高 慶 を は じ め と す る 門 人 ら が 著 し た 記 述 に も と づ い て 進 め ら れ て き た
。 尊 徳 お よ び 報 徳 思 想
、 報 徳 仕 法 の 研 究 は
、 確 か に 古 く か ら あ る が
、 当 面
、 我 々 は 研 究 史 を 見 る 場 合 佐 々 井 信 太 郎 著
『 二 宮 尊 徳 伝
』 ( 日 本 評 論 社 刊
、 昭 和 一
〇 年 六 月
、 昭 和 五 二 年 七 月 に 経 済 往 来 社 よ り 復 刻
) か ら 出 発 し て 良 い で あ ろ う
。 実 は
、 同 書 も 基 本 的 に は
『 報 徳 記
』 や
『 二 宮 翁 夜 話
』 な ど の 記 述 に 基 づ い て い る が
、
そ
こ
に 若 干 の 客 観 的 な 史 料 を 用 い な が ら 構 成 し て い る 点 が そ れ ま で と は 異 な る
。 そ の 客 観 的 な 史 料 と は 著 者 が 編 集 刊 行 し た
『 二 宮 尊 徳 全 集
』 三 六 巻
( 二 宮 尊 徳 偉 業 宣 揚 会
、 一 九 二 六
~ 一 九 三 二 年 刊 行
、 後 に 龍 渓 書 舎 よ り 復 刻
、 一 九 七 七 年
、 本 論 で は 復 刻 版 を 使 用
) 掲 載 の 史 料 で
、 著 書 の 最 後 に
「 こ の 一 巻 は 二 宮 全 集 を 中 心 と し て 先 生
( 尊 徳
) の 生 涯 を 概 説 し た も の
」 と 述 べ て い る
。 氏 は
、 新 た に 編 集 し た
『 二 宮 尊 徳 全 集
』 ( 以 下
、 「 全 集
」 と 略 記 す る
) に あ る 各 冊 の 解 説
、 各 巻 の 解 題 を 集 め て ま と め れ ば
、 尊 徳 の 事 業 を 概 観 す る に 足 り る と 考 え た
。 自 ら の 著 作 に 問 題 点 が 多 い と し つ つ
、 彼 ら が 出 版 と い う 形 で 尊 徳 の 存 在 や 彼 の 思 想 で あ る 報 徳 思 想
、 そ の や り か た で あ る 報 徳 仕 法 を 世 に 示 し 広 め よ う と し た の に は 一 定 の 狙 い が あ っ た
。 富 田 高 慶 は 出 身 地 で あ る 相 馬 地 方 に お い て 興 復 社 を 設 立 し て
、 報 徳 金 貸 し 付 け 事 業 を 軸 と し た 農 村 復 興 を 指 導 す る と と も に
、 そ れ を 全 国 規 模 で 行 う こ と を 中 央 政 府 に 働 き か け よ う と し て い た
。 ま た
、 福 住 正 兄 は 相 模 国 箱 根 湯 本 の 旅 館 業 を 子 ど も に 継 が せ る と
、 小 田 原
・ 箱 根 地 方 の 振 興 に 大 き な 役 割 を 果 た し た
。 さ ら に
、 彼 は 福 沢 諭 吉 や 足 柄 県 知 事 の 柏 木 忠 俊 ら と の 交 流 を 深 め つ つ
、 富 田 高 慶 と 同 様 に 報 徳 思 想 の 浸 透 と 報 徳 仕 法 の 全 国 規 模 で の 実 施 を 図 り
、 そ の 実 施 母 体 と し て 全 国 各 地 に
「 報 徳 社
」 の 設 立 を 考 え た
。 報 徳 社 設 立 の 手 引 書 と も い え る
『 富 国 捷 径
』 ( 全 集 三 六 巻 四 八 八
~ 六 六 五
) を 著 し た の も そ の 一 連 の こ と と 考 え て よ い
。 こ の よ う に
、 富 田 や 福 住 が 明 治 に は い っ て 師 尊 徳 の 言 行 録 を ま と め て 刊 行 し た の は
、 尊 徳 に よ る 富 国
・ 安 民 の 思 想 と 仕 法
、 尊 徳 の 偉 業 の 正 当 性 を 世 に 示 す 必 要 が あ っ た か ら で あ っ て
、 江 戸 時 代 の 尊 徳 の 思 想
・ 仕 法 を 正 確 に 伝 え る こ と よ り も
、 明 治 期 に 受 け 入 れ ら れ る 感 覚 で の 正 当 性 が 問 題 だ っ た の で あ る
。 確 か に
、 彼 ら の 著 作 の 中 に は 見 る べ き 内 容 が 数 多 く あ る が
、 我 々 が 尊 徳 の 報 徳 思 想 や 仕 法
( 復 興 事 業
) を 歴 史 学 と し て 見 る 場 合 の 史 料 と し て は
、 極 め て 客 観 性 を 失 う
。 こ れ ま で
、 二 宮 尊 徳 や 報 徳 思 想
、 報 徳 仕 法 に つ い て 論 じ る 際 に 使 う 史 料 に つ い て
、
充
分
吟
味
さ
れ
て
こ
な
か
っ
た
と い う 問 題
、 門 人 の 著 書 を 無 前 提 に 使 用 し て き た こ と に 対 す る 反 省 さ え な さ れ な い ま ま に 進 め ら れ て き た と い う 問 題 を 考 え た 時 に
、 尊 徳 の 思 想 を 含 む 仕 法 全 体 の 見 直 し が 必 要 で は な い だ ろ う か
。 で は
、 我 々 が 尊 徳 に 関 す る 仕 法 の 研 究 を 行 う に は ど の よ う な 史 料 を 用 い る の が 相 応 し い だ ろ う か
。 尊 徳 自 身 の 記 録 は 極 め て 少 な い が
、 そ う し た 史 料 が 一 級 の 史 料 で あ る こ と は 間 違 い な い
。 尊 徳 の 言 行 に 関 し て
、 門 人 ら が 直 接 聞 い た 時 に 記 録 し た 史 料
( メ モ
) を 用 い る こ と は 問 題 な い と 考 え て よ い が
、 明 治 期 に な っ て 言 行 録 を 整 理 し 直 し た 著 作 は 門 人 の 恣 意
( 正 当 性 の 主 張 な ど
) が 入 り 込 み
、 明 治 と い う 時 代 の 感 覚 が 盛 り 込 ま れ て い る
。 当 時 は 意 識 さ れ な い ま ま 門 人 に よ っ て 書 か れ た と は い え
、 そ こ に は 門 人 ら が 理 解 し ア レ ン ジ し た
「 報 徳
」 が 著 わ さ れ て お り
、 そ れ は 必 ず し も 尊 徳 の
「 報 徳 思 想
」 や
「 報 徳 仕 法
」 と 同 じ と は 限 ら な い こ と か ら
、 歴 史 史 料 と し て 用 い る こ と は 適 当 で な い と 考 え る
。
「 報 徳 仕 法
」 に 関 し て は 尊 徳 の 筆 に よ ら な く て も
、 仕 法 の 計 画 か ら 仕 法 の 内 容 に つ い て 客 観 性 の あ る 史 料 で あ る 限 り 研 究 に は 活 用 す べ き で あ ろ う
。 ま た
、 尊 徳 と 尊 徳 を 取 り 巻 く 人 び と と の 往 復 書 簡 や 尊 徳 の 日 記 も 一 級 の 史 料 と し て 報 徳 仕 法 研 究 に 避 け る こ と の で き な い 史 料 と い え る
。 こ れ ら の 史 料 は 多 く が
『 全 集
』
(1
)
に 収 録 さ れ て い る ほ か
、 各 地
、 各 家 に 伝 存 さ れ て き た 古 文 書 を 使 用 す る こ と が で き る
。 こ れ ら の 客 観 性 を も っ た 史 料 に よ っ て
、 こ れ ま で と は 異 な る 方 法 と
、 新 た な 視 点 に よ っ て
、 新 た な 尊 徳 像
― 富 国 安 民 を 実 現 す る た め の 報 徳 仕 法 の 実 像
― を 再 構 築 し な け れ ば な ら な い と 考 え る
。 本 来 こ う し た 議 論 が す で に 行 わ れ て い な け れ ば な ら な い が
、 尊 徳 の 考 え を 信 奉 す る 名 の あ る 研 究 家 が 述 べ た こ と 書 い た こ と は 全 て 正 し い も の と し て 無 批 判 に 受 け 入 れ ら れ
、 さ ら に 新 た な 信 奉 を 生 む と い う 風 潮 が 受 け 継 が れ て き た
。 こ れ ら を 見 直 し
、 真 の 尊 徳 像 を 議 論 す る 機 会 を 作 り た い と い う の が
、 本 論 の 大 き な ね ら い で あ る
。 尊 徳 に よ る 報 徳 仕 法 は
、 (1)
大 き な 成 果 を あ げ た と さ れ る 下 野 国 桜 町 領
( 桜 町 仕 法
) を は じ め と し て
、 (2)
旗 本 川 副 勝 三 郎 知 行 所 の 常 陸 国 青 木 村 の 仕 法
( 青 木 村 仕 法
)
、 (3)
同
国
谷
田
部
領
と
下
野
国
茂
木
領
を
領
有
し
た
谷
田
部
藩
細
川
氏 の 仕 法 ( 谷 田 部
・ 茂 木 仕 法
) 、 (4)
下 野 国 烏 山 藩 領 の 仕 法 ( 烏 山 仕 法
)
、 (5)
常 陸 国 下 館 藩 領 の 仕 法 ( 下 館 仕 法
) 、 (6)
そ し て 磐 城 国 相 馬 中 村 藩 の 仕 法
( 相 馬 仕 法
) な ど が 主 な 仕 法 地 で あ る が
、 本 論 で は 尊 徳 が 生 ま れ 育 ち
、 天 保 大 飢 饉 直 後 に 仕 法 を 導 入 し た 相 州 小 田 原 藩 領 の 報 徳 仕 法
( 小 田 原 仕 法
) を 対 象 と し た
。 小 田 原 で の 仕 法 は 報 徳 仕 法 誕 生 の 原 点 で あ る と と も に
、 藩 政 改 革 を 進 め る 藩 と の 考 え 方 の 違 い か ら
、 突 然
「 畳 置
」 に な る と い う 経 過 を 経 る が
、 そ こ に 報 徳 仕 法 と 藩 と の 方 針 の 違 い や 軋 轢
、 問 題 点
、 矛 盾 点 を 見 る こ と が で き る で あ ろ う
。 そ う し た 実 態 を さ ま ざ ま な 視 点 か ら 検 討 し て み た い と 考 え る
。 尊 徳 が 自 ら 書 い た 手 紙 類 な ど 客 観 的 な 史 料 を 使 用 す る と 述 べ な が ら も
、 自 筆 史 料 を 用 い る 研 究 者 は 極 め て 少 な い
。 例 え ば
、 平 成 九 年 三 月 に 栃 木 県 立 博 物 館 か ら 刊 行 さ れ た
『 今 市 報 徳 二 宮 神 社 所 蔵 資 料
― 二 宮 尊 徳 関 連 草 稿 資 料
―
』
( 栃 木 県 立 博 物 館 調 査 研 究 報 告 書
) に は 七 九 点 の 尊 徳 自 筆 草 稿 が 掲 載 さ れ て い る
。 そ の 第 五 八 号 史 料 に は 「 一
、 小 田 原 ハ 小 田 原 ニ 而 引 受 取 行 相 成 候
」
、
「 一
、 諸 家 方 仕 法 金
、 西 久 保 相 廻 し
、 同 所 ニ 而 取 行 相 成 候
、 尤 御 本 家 ゟ 被 仰 付 候 義
、 御 同 所 御 頼 相 成 候 小 田 原 之 事
、 御 仕 法 金 一 ツ 取 纏
、 右 之 内 小 田 原 分 ハ 小 田 原 ニ 而 取 行
」 と い う 文 言 が 見 ら れ る
。 こ れ は 断 簡 で あ っ て
、 宛 名 も 年 代 も 不 詳 で あ る
。 難 読 の 箇 所 が 多 い が
、 概 略 は 諸 家 で の 報 徳 仕 法 は 江 戸 屋 敷 が
「 西 久 保
」 に あ っ た 宇 津 家 で 取 り 纏 め て 行 う が
、 小 田 原 領 分 の 仕 法 は 小 田 原 で 行 う よ う に す る と い っ た 内 容 で あ ろ う
。 あ る 時 点 で 尊 徳 は 小 田 原 仕 法 を 他 の 地 域 の 仕 法 と は 別 に
、 独 立 さ せ る 形 で 行 う 方 針 に 変 更 し た の で は な い だ ろ う か
。 小 田 原 が 尊 徳 の 生 ま れ 育 っ た 地 で あ る か ら
、 そ う し た 思 い 入 れ か ら 小 田 原 仕 法 を 実 施 し た か っ た と い う 観 念 的 な 指 摘 が 横 行 し て き た が
、 実 際 に は 小 田 原 藩 と の 様 々 な 軋 轢 か ら
、 他 所 よ り の 援 助 も
、 他 所 へ の 援 助 も し な い と い う 独 立 し た 形 で の 仕 法 に す る と し て い る
。 本 論 で 小 田 原 藩 領 と い う 地 域 の 仕 法 を 取 り 上 げ て 検 討 し よ う と 考 え た 理 由 の 一 つ で あ る
。 も う 一 つ
、 本 論 で 検 討 す る う え で
、 こ れ ま で の 報 徳 仕 法 研 究 と 異 な る 前 提 が あ る
。
そ
れ
は
尊
徳
を
見
出
し
て
桜
町
仕 法 を 命 じ
、 さ ら に 小 田 原 仕 法 を 彼 に 命 じ た と す る 小 田 原 藩 主 大 久 保 忠 真 に つ い て で あ る
。 尊 徳 を 顕 彰 す る 人 達 は 彼 を 登 用 し た 忠 真 を 名 君 と し
、 本 来 は 尊 徳 に 小 田 原 藩 領 の 復 興 仕 法 を さ せ る つ も り で あ っ た が
、 藩 内 に 反 対 勢 力 が あ っ た の で
、 そ の 前 に 分 家 で あ る 旗 本 宇 津 家 の 知 行 地 で あ る 桜 町 領 を 復 興 さ せ
、 そ の 成 功 と い う 成 果 を も っ て 小 田 原 藩 領 の 復 興 仕 法 を 命 じ る 積 も り で あ っ た と い う の が
、 こ れ ま で の 指 摘 で あ っ た と い え よ う
。 忠 真 に つ い て
、 幕 府 勘 定 方 に 登 用 さ れ た 川 路 聖 謨
と し あ き ら
は
「 遊 芸 園 随 筆
」 (
『 日 本 随 筆 大 成
』 第 一 期 二 三 巻 七 五 頁
) に お い て 次 の よ う に 回 顧 し て い る
。
頃 日 御 不 快 に 被 為 在
、 御 風 邪 御 一 通 り と は 乍 申
、 御 寒 気 御 往 来 有 之 候 は 御 宿 疾 の 様 に て
、 速 急 御 登 城 無 覚 束 被 為 在 候 と の 候 事
、 右 は 御 家 来 の 物 語 迄 の 儀 に て
、 乍 憚 安 心 も 仕 兼 る に 付
、 尚 又 牧 野 備 前 守 江 承 り 合 候 処
、 御 家 来 の 物 語 と 相 替 候 儀 も 無 之 候 に 付
、 先 づ 安 心 仕
、 廿 八 日 林 大 学 頭 に 承 り 候 処
、 追 々 御 快 方 と の 事 に 御 座 候 間
、 漸 安 心 仕 候 儀 に 御 座 候
、 閣 下 御 身 分 御 大 切 の 儀 は 不 及 申 儀 に て
、 乍 憚 御 勤 向 其 外 世 上 に て 奉 議 候 事 共 少 も 懸 念 仕 候 議 無 之 候 処
、 私 は 世 上 の も の 奉 感 伏 候 儀 に 甚 懸 念 仕 候 儀 御 座 候
。 第 一
、 都 て の 事 御 直 裁 に て
、 少 も 御 家 来 の 手 に 御 懸 不 被 遊
、 第 二 に 御 右 筆 の 手 に 御 ゆ だ ね 無 之
、 第 三 に 聊 以
、 御 遊 山 ケ 間 敷 儀 無 之
、 御 用 向 計 に 御 取 懸 切 に て
、 私 共 懶 惰 の 性 質 に て は 恐 入 候 計 の 儀 に 御 座 候 川
路 聖 謨 は 老 中 大 久 保 忠 真 の 仕 事 が 激 務 で あ る こ と か ら 体 調 を 心 配 し て 記 し て い る 箇 所 で あ る が
、 彼 は 忠 真 が 全 て の 政 事 に つ い て 「 御 直 裁
」 し て い る こ と
、 右 筆 を は じ め 家 来 に 手 を 掛 け さ せ な い で い る
、 少 し も 遊 び が な い
、 と 述 べ て い る
。 こ の よ う な 忠 真 像 か ら
、 家 臣 が 尊 徳 の 登 用 に 反 対 し た か ら と い っ て
、 忠 真 が 妥 協 的 に 桜 町 の 復 興 仕 法 を ま ず や ら せ て
、 そ の う え で 小 田 原 藩 領 の 復 興 仕 法 を 命 じ よ う と 考 え る タ イ プ で は な か っ た よ う に 思 え る
。
右 の 史 料 は
、 確 か に 尊 徳 の 登 用 に つ い て 家 臣 の 反 対 意 見 を 聞 き 入 れ な か っ た と い う こ と を 記 し た も の で は な い と の 反 論 も あ ろ う が
、 な ら ば 尊 徳 の 登 用 に 関 し て は 家 臣 の 反 対 意 見 を 聞 き 入 れ 妥 協 し な け れ ば な ら な か っ た の か と の 説 明 が 必 要 に な る で あ ろ う
。 名 君 大 久 保 忠 真 を 顕 彰 す る こ と で
、 客 観 的 に 忠 真 と 彼 の 業 績 を 検 討 す る こ と を 等 閑 に し て き た 結 果 で き あ が っ た 忠 真 像 で は な い だ ろ う か
。 二 宮 尊 徳 に よ る 報 徳 仕 法 の 実 態 を 検 討 す る う え で
、 尊 徳 を 登 用 し
、 や が て 小 田 原 仕 法 を 命 じ た 大 久 保 忠 真 の 実 像 も 併 せ て 検 討 し て お く 必 要 が あ る と 考 え て い る
。 本 論 は 以 上 の よ う な 問 題 意 識 に た っ て
、 こ れ ま で 発 表 し て き た 個 別 の 論 文 や 研 究 ノ ー ト な ど に 若 干 の 修 正 を 加 え て 収 録 し た も の で あ る
。
第 二 節
報 徳 仕 法 研 究 の 成 果
― 小 田 原 仕 法 を 中 心 に
―
二 宮 尊 徳 に 関 す る 著 述 は
、 彼 の 門 人 ら に よ る 伝 記
、 夜 話
、 訓 話 な ど を も と に し て
、 明 治 期 か ら 行 わ れ て き た
。 そ の 中 心 は 尊 徳 の 考 え 方
、 思 想 で あ る
「 報 徳 思 想
」 に 関 す る も の で
、 尊 徳 が 実 際 に 計 画 を 立 案 し 実 施 し た 領 主 財 政 の 再 建 や 村
・ 個 人 の 家 な ど の 再 建 と い う
「 報 徳 仕 法
」 に つ い て の 客 観 的 な 史 料 に 基 づ い た 研 究 は 最 近 ま で 等 閑 に さ れ て き た 感 が 強 い
。 尊 徳 が
「 報 徳 思 想
」 に 基 づ い て 仕 法 を 実 施 し た と い う 議 論 が 主 流 で あ っ た が
、 再 建 の た め の 仕 法 の 基 本 は 収 入 の 増 大 と 支 出 の 減 少 を 同 時 に 行 う こ と で 多 く は 達 成 さ れ よ う
。 そ れ を 当 事 者 は 勿 論 の こ と
、 周 囲 の 者 に 対 し て ど の よ う に 説 明 し 納 得 さ せ 実 践 さ せ て い く か が 問 題 な の で あ っ て
、
「 報 徳 思 想
」 そ の も の は 直 接 的 に 再 建 に 寄 与 す る も の で は な い
。
「 報 徳 仕 法
」 そ の も の が 領 主 財 政 や 村
・ 個 人 の 再 建 に 直 接 寄 与 す る も の で あ る
。 し か し な が ら
、 そ の
「 報 徳 仕 法
」
の
研
究
が
後
回
し
に
さ
れ
て
き
た
こ
と
を
我
々
は
大
い
に
反
省
し
な
け
れ
ば
な
ら
な
い し
、 本 論 は そ れ を 克 服 し よ う と 一 歩 踏 み 出 す こ と に 大 き な ね ら い が あ る
。 戦 前 の
「 報 徳 仕 法
」 研 究 は
、
「 報 徳 思 想
」 の み が 対 象 と さ れ
、 そ の 時 ど き の 体 制 的 維 持 を 目 的 に
、
「 収 入 の 増 加
」 と
「 支 出 の 減 少
」 さ え も 思 想 的 に 説 か れ て き た
。 収 入
( 生 産
) の 増 加 は 労 働 の 強 化
、
「 支 出 の 減 少
」 は 民 衆 の 節 約
・ 耐 乏 に つ な が り
、 そ こ で 生 み 出 さ れ た 余 剰 は 報 徳 思 想 で い う と こ ろ の
「 推 譲
」 と 称 し て 半 強 制 的 に 国 や 社 会 に 寄 付 す る
、 戦 時 下 の 経 済 体 制 と 自 ら の 生 活 を 支 え る こ と を 説 い た の で あ っ た
。 ま さ に
、 明 治 期 以 降 の
「 報 徳
」 研 究 が 軍 国 主 義 下 の 日 本 の 社 会 や 経 済 の 一 端 を 担 っ て い た こ と は 否 定 で き な い
。 じ つ は
、 戦 前 に 著 述 さ れ た 尊 徳 の 伝 記 を は じ め と す る
「 報 徳
」 研 究 は 見 直 さ れ る こ と も な く 引 き 継 が れ
、 近 年 で は 他 分 野 に 携 わ っ て い る 人 ま で も 自 ら の 著 書 に 無 批 判 で 尊 徳 の 思 想 を 紹 介 し て い る
( 2
)
。 こ う し た 状 況 を 生 み 出 し て き た 原 因 の 一 つ に
、
「 報 徳 仕 法
」 研 究 の 遅 れ が あ っ た こ と は 否 め な い
。 そ こ で 客 観 的 な 史 料 の 検 討 と 分 析 を 通 し て
、 尊 徳 に よ る
「 報 徳 仕 法
」 に 関 す る 研 究 を 前 進 さ せ る 必 要 が あ る
。 そ の 成 果 を も っ て
「 報 徳 思 想
」 に キ ッ ク バ ッ ク す る こ と で 将 来 新 た な
「 尊 徳
」 像 が 再 構 築 さ れ る で あ ろ う と 考 え て い る
。 1
大 藤 修 氏 の 報 徳 仕 法 研 究
―
『 近 世 の 村 と 生 活 文 化
』 よ り
― 先
述 し た よ う な 古 典 的
「 報 徳 思 想
」 「 報 徳 仕 法
」 研 究 に つ い て は す で に 大 藤 修 氏
「 戦 後 歴 史 学 に お け る 尊 徳 研 究 の 動 向
」 ( 二 宮 尊 徳 生 誕 二 百 年 記 念 事 業 会 報 徳 実 行 委 員 会 編 『 尊 徳 開 顕
』 有 隣 堂
、 一 九 八 七 年
) で 整 理 さ れ て い る
。 大 藤 氏 は こ の 五 年 前 に
「 関 東 農 村 の 荒 廃 と 尊 徳 仕 法
― 谷 田 部 藩 仕 法 を 事 例 に ー
」 (
『 史 料 館 研 究 紀 要
』 第 一 四 号
、 一 九 八 二 年 九 月
) を 発 表 さ れ
、 後 の
「 二 宮 尊 徳 の 飢 民 救 急 仕 法 と 駿 州 駿 東 郡 藤 曲 村 仕 法
」 (
『 東 北 大 学 文 学 部 研 究 年 報
』 第 四 七
・ 四 八 号
、 一 九 九 七
・ 九 八 年
) と と も に
、 豊 富 な 研 究 成 果 を
『 近 世 の 村 と 生 活 文 化
―
村
落
か
ら
生
ま
れ た 知 恵 と 報 徳 仕 法
―
』 ( 吉 川 弘 文 館
、 二
〇
〇 一 年
) と し て ま と め ら れ た
。 同 氏 の こ れ ら の 研 究 に よ っ て 「 報 徳 仕 法 研 究
」 は よ う や く 緒 に つ い た と い え る
。 現 在
、 我 々 が
「 報 徳 仕 法
」 研 究 を 振 り 返 る と き
、 基 本 的 に は 大 藤 氏 の 研 究 に さ か の ぼ る こ と で 十 分 で あ る と 考 え る
。 大 藤 氏
( 3
)