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選択方法の選択は至難の業?

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Academic year: 2021

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選択方法の選択は至難の業?

経済学部講師 佐 藤 伸

[社会的選択]

私たちは日常生活の中で様々な決定をしています が、それらのうちで複数の人々の意見を集計して一 つの結論を導く、あるいは選択を行う場面が多くあ ります。このような選択を「社会的選択」と呼びま す。

たとえば、大学を含めた多くの組織において、誰 を新しく採用するのかを決める場合には、誰か一人 の独断で決めるのではなくて、多くの人の意見を何 らかの方法で集約して決めます。あるいは、家族で 外食するときに日本食、フランス料理、中華料理な ど様々な選択肢があるなかで、どこに行くのかを決 めるときには家族の好みや意見を何らかの方法で集 計して決めることでしょう。さらに、国政選挙を含 めた様々な選挙も社会的選択の代表的な例です。

このように考えると、われわれの社会や生活の有 り様は社会的選択の積み重ねに大きく依存すること がわかります。したがって、私たちは社会的選択が

「正しい」方法で行われているか否かについて慎重 に考えなければなりません。

まず、以下の例を考えてみましょう。今、A、B、

Cという3人の就職活動中の学生を考えます。(こ のうち、Bを「あなた」として考えてください。 7人の採用担当者は面接などの評価に必要なプロセ スを終え、それぞれ以下のような意見を持ちました。

(下の数字は

Saari(2

1)からの引用。

・7人中の3人:A>B>C

・7人中の2人:B>A>C

・7人中の2人:C>B>A

ここで、最初の「A>B>C」は、7人の採用担 当者のうち3人は、Aさんが一番良い、Bさんが次 によい、そしてCさんは3人のうちではもっとも悪

い、という評価あるいは意見を持っていることを表 します。他の4人の意見の見方についても同様です。

さて、このときに誰を採用するのが「正しい」選 択なのでしょうか?あなた(B)は採用されるでしょ うか?

まず、もっとも一般的な「多数決」と呼ばれる選 択方法を用いた場合を考えます。すなわち、各採用 担当者が一番良いと思う候補者に1票ずつ入れ、最 も得票数の多い候補者を採用します。この場合には 候補者Aを採用することになり、残念ながら、あな た(B)は落選します。

しかし、あなた(B)が仮に上で表した採用担当 者のあなたに対する評価を知っていたら、この結果 を理不尽だと感じるかもしれません。(感じます か?)もちろん、中には素直に落選という結果を受 け入れる方もいるとは思います。そのような方も、

とりあえず下の議論を読んでみてください。

・念のために、採用された候補者Aとあなた(B)

を比べてみましょう。すると、なんと7人中4人、

すなわち過半数があなた(B)の方が実際に採用さ れたAよりも良いと考えているのです。

・さらにあなた(B)と候補者Cとを比べてみると、

こんどは7人中5人があなた(B)の方が良いと思っ ています。

ということは、あなたは、候補者Aと候補者Cの 両者に勝っているのではないですか?それなのに採 用されないなんておかしい!

[Arrow の定理]

上の議論が示すことは、もしかしたら、われわれ がよく使っている「多数決」は選択方法としての性 研究雑話

― 2 ―

(2)

能が良くないのかもしれない、ということです。

ひょっとしたら、他にもっと性能の良い選択方法が あるかもしれません。実は、論理的に設計可能な選 択方法の数は、一般に途方もない数になります。た とえば上の例のように7人の採用担当者と3人の候 補者がいる場合には、3個の選択方法が設計可能 です。これは、もはや普通のパソコンでは扱えない 大きさの数です。これだけの数の選択方法があるの ならば、それらのなかに、とても良い性能あるいは 性質を持った選択方法が存在するだろうと考えられ ます。

そうした期待を覆したのが

Arrow

の定理と呼ば れるものです。Arrowの定理が示された枠組みは、

ここまでの選択方法の話とは少し違うのですが、そ の違いを無視すると、「いくつかのもっともらしい 性質をすべて満足するような社会的選択方法は存在 しない」という驚くべき結果が

Arrow

の定理です。

この結果は

Arrow

がノーベル経済学賞を受賞した 理由のうちの一つです。

[Arrow の定理を出発点として]

意見をうまく集計することは民主主義をうまく機 能させるために不可欠ですから、Arrowの定理の与 えた衝撃は相当なものでした。さらに、その後

Sen

の定理や

Gibbard-Satterthwaite

の定理など、新しい 不可能性定理も生み出され、性能の良い選択方法を 設計することは困難であるという認識がさらに強固 なものになっていきました。(Senは、社会的選択 理論への貢献を主要な理由としてノーベル経済学賞 をアジア出身の経済学者として初めて受賞しまし た。

しかしながら、われわれは社会的選択を行うこと 自体から逃れることはできないのですから、何らか の選択方法を採用しなければなりません。したがっ て、望ましい社会的選択の方法の設計可能性を考え ることを放棄することはできないのです。

現在、世界では経済学者のほかに、政治学者、哲 学者、数学者など多くの研究者が社会的選択理論に 魅かれて研究活動を行っています。その結果、毎年 多くの新しい結果が発表されています。みなさんも いかがですか?

参考文献

Arrow, Kenneth J. (1963) Social choice and individual values, 2nd edn. John Wiley, New York.

Gibbard, Allan (1973) Manipulation of voting scheme: A general result. Econometrica 41, 587-601.

Saari, Donald G. (2001) Decisions and elections: Ex- plaining the unexpected. Cambridge University Press, New York.

Satterthwaite, Mark A. (1975) Strategy-proofness and Ar- row’s conditions: Existence and correspondence theo- rems for voting procedures and social welfare functions.

Journal of Economic Theory 10, 187-217.

Sen, Amartya K. (1970) The impossibility of a Paretian liberal. Journal of Political Economy 72, 152-157.

― 3 ―

(3)

経営学から考える企業の存在とその活動

商学部講師 藤 野 真

9年4月より福岡大学商学部経営学科の一員に なるという光栄な機会に恵まれた。まだ、研究の途 上にある未熟な私を教員として迎えてくださった福 岡大学商学部の先生方に感謝したい。

そこで、本稿において私が経営学をどのように考 え、どのような視座に立ち研究を行い、研究成果を 如何に学生に伝えたいと思っているかということの 一端でもお伝えできればと思う。

経営学と聞くと何やらきな臭い香りを感じさせな くもない。率直に言ってしまえば、楽に多くの利益 の生み出す方法を研究することが、経営学という学 問であるかのように思われるかもしれない。もちろ ん、より容易に、より多くの利益を生み出すことは 非難されることではなく、むしろ、私たちは、その ような企業の営利活動から多くの有益な影響を受け ているし、受けてきた。だからこそ、私たちは企業 がもたらしてくれるそのような恩恵に与ることで物 質的に満たされた豊かさを享受できている。しかし、

私たちは企業の利益の生み出し方には注意を払う必 要がある。なぜなら、企業はその活動を通じ、とき として私たちに良い影響だけではなく、悪い影響を 与えることがあるからである。

したがって、「経営学」とは、それら企業の存在 と活動を「客観的」に分析・研究し、企業の存在や それらが行う営利活動の正統性(legitimacy)を社 会の歴史的発展のなかに問う学問であるといえる

(百田義治「現代

CSR

の基本的性格と批判経営学 研究の課題・方法」経営学史学会編『経営理論と実 践』文眞堂、29年、59頁。。そして、それが「経 営学」に要請されている社会的責任ではないかと筆 者は考えている。

ここでいう「客観的」とは以下のような意味をも つものであると筆者は考えている。長くなるが、ア ドラー(Adler,P.S.)の言葉を引用したい。(客観的

という言葉が意味することは:藤野)経営利害その ものからの独立性である。…ビジネス・スクールの 研究…は経営者視点に立つことがあまりに多く、た だ問題を経営者視点からのみ眺める。これはしばし ば、『実用性のある』洞察を発展させる―つまり、

経営者にとっての実用性―という言葉で正当化され る。このような視点は、たとえそれが実り多くとも、

経営慣行がその他の出演者たち(利害関係者:藤 野)―企業内の労働者、企業外の顧客、コミュニティ

―にどのような意味があるのかを曖昧にしている。

労働者利害やヒューマニズムというより広い考え方 に価値を置く考え方を抱く私たちにとっては、この ような別の視点からの見通しを発展させることが緊 急の課題なのである。視点の独立性を確保すること は、価値中立的な科学に関心を持つ人々、つまりよ り『全般的な』視点から物事を見るためにより広い 視点から経営を研究することを必要とする人々に とっても、その緊急性は小さくない。実際、開明的 な経営者の視点から見ても、批判的見通しを明確に することは『ステイクホルダー』との真剣な対話の ためにも重要な前提条件である。(Adler,S.P.(鈴木良 始訳)「The Toyota Production System in the USA: Reflections

on HRM and Lsbor Relation」

『労務理論学会誌第十五号』晃 洋書房、26年、2頁。。引用で述べられているよう に「客観的」に企業とその経営をみていくことこそ

「経営学」における「視座」ではないかと思う。

筆者は前述のような視座に立つ経営学を学んでき たが、具体的には日本企業における小集団活動(QC サークル)を研究対象としている。

戦後の日本企業の検討にとって小集団活動は無視 できない問題領域である。戦後の高度経済成長、 年代のオイル・ショックの克服、10年代以降の日 本経済の目覚しい発展を可能にした土台のひとつと してわが国において独自な発展を遂げた日本的労使 研究雑話

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関係をあげることができる。しかし、日本企業の競 争力の源泉として欧米企業が最初に注目したものは、

日本的経営の「三種の神器」と呼ばれた年功制、終 身雇用制、企業別労働組合に特徴づけられる日本的 労使関係よりも、それを基礎として10年代前半に 日 本 の 製 造 大 企 業 が 導 入 し た

QC

サ ー ク ル 活 動

(Quality Control)、自主管理活動、

ZD

(Zero Defect)

運動などと呼ばれる小集団活動であった。

小集団活動とは、「同じ職場内で/品質管理活動 を/自主的におこなう/小グループである。このグ ループは/全社的品質管理活動の一環として/自己 啓発、相互啓発を行い/QC手法を活用して/職場 の管理、改善を/継続的に/全員参加で/行う」活 動のことである。

小集団活動は、自らの職場の問題を解決するため に労働者が自主的に全員参加のもと組織され、かつ 無償の労働として展開されてきた。自主的な全員参 加の無償労働という点に注目すれば、小集団活動は 労働の強化といえなくもないが、労働者が自らの職 場の課題や問題点を改善するという活動であるとい う点に注目すれば、労働における労働者の主体性や 社会性を回復させるものであるともいえる。このよ うに小集団活動に体現されている分かち難い二面性 を明らかにしていくことこそが企業や企業経営の存 在意義を社会に問いかけるときの糸口になるのでは ないかと筆者は考えている。

小集団活動の導入から約50年、それに対する研究 が隆盛を迎えてから約30年が経過し、近年、小集団 活動を対象とする研究は以前と比較してほとんど行 われていない。しかし、小集団活動に対する研究が ほとんど行われなくなったことで、小集団活動が もっていた部分的ではあるが労働者の自主性や社会 性を回復させるという意義が失われたわけでもなく、

また、自主参加という建前でおこなわれる全員参加 の無償労働であるという問題が解決したわけでもな い。研究上の関心が低下したことは、小集団活動を 導入せざるをえない管理のあり方の問題点が解決し たことを何ら証明するものでもなく、また、小集団 活動自身が内包する問題が解決されたからでもない。

筆者は現在においてもなお小集団活動を研究対象と することで、企業が歴史的にもちつづけている両面 性−その存在・活動の正統性と非正統性−を明らか

にできるのではないかと考えている。

福岡大学では、これらの研究成果を少しでも学生 に伝えられたらと思っている。学生には「経営学」

というよりは、むしろ「経営学」がもつ「視座」を 身につけ、社会に羽ばたいていってほしいと思う。

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参照

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