長崎方言文末詞推移考
―平山蘆江「唐人船」を方言資料として―
愛宕 八郎康隆
はじめに
本稿は,平山藍江の小説「唐人船」の方言会話文の全体を,相当に信頼できる,大正期 の長崎の方言資料とし,数10年を隔てた今日の長崎市域の方言状況を,「文末詞」について
これを比較し,そこにどのような推移が認められるかを明らかにし,あわせて,そこに認 められる推移について解釈を加えようとするものである。
私どもは,一・国規模の国語史にせよ,一地方,一地域規模での方言史にせよ,それを編 むに当って,信頼できる過去の文献資料の稀少に悩まされる。実際に私どもは,同一地方,
地域での,数10年をさかのぼる方言状況でさえ,これを知ることは容易ではない。
長崎地方,長崎市域についてもまた事情は同様であるが,さいわいなことに,当地では,
単なる方言集などとは違って、多くの登場人物による,多様な場面での,豊富多彩な方言 文表現を提供してくれる,平山藍江の「唐人船」の恩恵にあずかることができることであ
る。
〔1〕平山藍江と「唐人船」
藍本は,明治15年11月15日,神戸市湊川神社近くの田中家に生まれ,明治20年9月,満 4歳の時,父の遺言により,長崎市本籠町の平山家の養子となる。明治28年長崎商業学校 に入学,同32年中退。その後上京,同35年徴兵検査のため帰崎,同36年父の勘当を受け渡 満,同40年帰国。帝都新聞(後の都新聞)に入社。大正6年父の勘当を解かれる。大正14 年白井喬二,直木三十五,江戸川乱歩,長谷川伸などと「二十一日会」を結成,機関誌「大 衆文学」を発行。昭和5年都新聞を退社,同28年4月18日,満71歳で死去,戒名「常修院 藍江日篤居士」(以上の藍江の略歴は,「増補大衆文学事典」真鍋元久編,「大人名事典」縮 刷版第5巻,平凡社,「長崎の歌謡史」長崎新聞社,その他による)
「唐人船」は,藍江の代表作で,彼の自伝的長編小説とも言うべきもので,作中の主人公・
浦川幸之助は,藍江の分身と目されている。当作品は,明治中期(日清戦争の頃)の新地,
広馬場,本籠町界隈を舞台に,多数の人物(〔3〕「唐人船」の登場人物で述べる)を登場 させ,その言動を活写する。
作品は,昭和元年(1925)に刊行されている。本稿では,現代大衆文学全集22平山藍江 集,平凡社の「唐人船」(p.1〜p.407)を資料として用いた。
〔2〕方言資料としての「唐人船」の会話文
(1)方言会話文の年代付け
「唐人船」の扱う時代は,明治中期の日清戦争当時となっているが,これをもって,直ち に作中の方言会話文を,明治中期の長崎弁を伝えるものとすることをさしひかえ,せいぜ い,藍江の執筆時期に当る大正末期の長崎弁情況を伝えているものと考えるのが隠当であ ろう。また,地域ということでは,作中での舞台が,当時の新地・広馬場・本籠町,現在 の新地,籠町あたりが中心となっているが,この地域は,長崎市中心部よりやや事寄りの,
いわゆる下町風情に富んだ地域で,ここを舞台にしての方言表現は,まさに長崎弁と呼ぶ にふさわしいと言えよう。
(2)方言会話文の方言資料的価値
当然のことながら,作中の方言会話文の方言資料としての価値が問われる。換言すれば,
作中の方言会話文が,どれだけよく,正確に,当時の方言事実を写し伝えているかという 問題である。
結論的に言えば,作中の方言会話文は,当時の方言事実を,かなりよく伝えている のではないか。したがって,資料的価値もかなり高いものと考えるものである。もと よりそれは証明できるものではないが,筆者は上のように考える拠りどころとして,次下 の4項に注目する。
一つは,神聖その人の来歴である。幼時4歳の時,本籠町の平山家に養子入りし,満16 歳まで,当地で生活を営んでいること。20歳過ぎてから長崎を後にするが,在京生活中も 度々長崎に帰って長崎の生活に観しんでいること。(このことは,藍江の義妹,平山りんさ んの証言によって明白。平山りんさんのことは後述。)
「唐人船」の脱稿は,大正末年とされているから,藍江43歳の年に当る。43歳の藍江は,
長崎弁を,じゅうぶんに身につけていたものと考えられる。
二つには,藍江の義妹にあたる平山りんさん(明治31年12月生まれ,現在85歳)の証言 によってである。作中の方言会話文から帰納されることがらや,方言会話文事実について 直接たしかめた場合,りんさんの発言と一致をみることが多いということである。
三つには,作中の方言会話文に対する郷土史家や方言研究者の評価である。
まず,生粋の長崎人で郷土史家である永島正一氏は,作中の方言会話文を評して,「会談 のやりとりは全部なめらかな長崎弁でつづってある。」「見事な長崎弁の会話」(「郷土史散 歩」(154)黛新地かいわい 長崎新聞,昭和50年2月4日,傍点は筆者が施す)と評してお
り,方言研究者橘正一氏も,作中の長崎弁を評して,「その会話は,僅少の東京弁と大阪弁 とを除く外,全部長崎弁を以てしてあるのだから,先ず量的にすばらしいものである。次 にその用ゐられた長崎弁は極めて正確である。それは作者が長崎人であるばかりでなく,
臆病な作家が読者の理解の程度を顧慮して,いい加減の所で,標準語と妥協させて居るの に反して,これは『長崎弁が判らないなら判らない方が悪いんだ』と言ふ様な態度で,思 ふ存分に方言を使いこなして居るからである。(「藍江氏の『唐人船』と長崎方言」橘正一,
「旅と伝説」第18巻p.79〜p.82,昭和11年7月号,傍線は筆者が施す)と述べていること
による。
四つには,藍江の,方言やことばに寄せる関心の深さが,作中に看取されることである。
今,その該当の表現,表記を示してみよう。
り ら ら
「や,どうぞお構ひますな」と此頃少しつつ此人も言葉に長崎なまりを努めて入れるや うにしてみる。(加藤→幸之助の父)p.115一(3)
この会話主の加藤は,山口から近くに移住して来た会社員であるが,傍点部の表現に,藍 江の長崎弁意識とでもいうようなものを見て取ることができる。また,
「へ,さうでございまっしょ。あれはやっぱりドウイでございますたい。全体はじめは 南無阿弥陀仏とか南無妙法蓮華経とか云うて流しに往つたものでございましょばつて ん,南無阿弥陀仏に節をつけて呼ぶもんでございますけん,南無あいだと聞こゆるご となったとでございます。それが又くずれて南無あいだのだいの字だけ,ドウイ〜と 云ふごとなったらしうございます」(仙五郎→加藤)p.172一(6)
は,有名な長崎の精霊流しの精霊船を曳いていく時の,かけ声「ドウイ,ドウイ」につい ての由来を語るくだりであるが,その解釈の正否は別として,藍江のことぼに寄せる興味,
関心の深さを思わせるものである。
また,方言会話文文末詞の,長呼,短呼のとらえ分け,記し分け の,のう/かの,
かのう/たいの,たいのう/たいな,たいなあ/ね,ねえ などにも,ことばの観察や 扱いについての忠実さの一端を見ることができるように思う。
以上,4項の拠りどころによって,筆者は,作中の方言会話文の方言資料としての価値 を,かなり積極的に認めようとするものである。
〔3〕「唐人船」の登場人物
作中の方言会話文を方言資料としていくためには,会話文個々の話者についての整理が 必要である。以下には,「唐人船」に登場する人物のうち,本稿に直接関係のある人物を整 理した。
1.浦川幸之助(12歳)〈筆者平山藍江がモデルと言われる。浦川家(酒造業)の長男。
居住地,長崎市本籠町。〉(文例での略示(幸),以下( )は略 示)
2.浦川おつね(30歳台)〈幸之助の母,浦川仙五郎の妻〉(おつね)
3.浦川仙五郎(中男)〈幸之助の父〉(仙)
4.浦川の祖父(老男)〈幸之助の祖父〉(祖父)
5.お光(青女)〈浦川家の下女〉(お光)
6.遊廓(青男)〈浦川家の下男〉(唯)
7.お愛(青女)〈浦川家の下女〉(お愛)
8.神川長太郎(中品)〈浦川おつねの実弟,神川家の長男〉(長)
9.神川甚之助(青男)〈浦川おつねの実弟,神川家の次男〉(甚)
10.神川重吉(字画)〈浦川おつねの実弟,神川家の三男〉(重)
11.清川お葉(青女)〈浦川仙五郎の妻〉(お葉)
12.お銀(幼女)〈浦川仙五郎とお葉との間に生まれた娘,浦川幸之助の義妹,お銀は,
先の平山りんさんがモデルと言われている。〉(お銀)
13.加藤(中男)〈浦川家の貸家に,山口から移住してきた会社員〉(加藤)
14.加藤小夜子(12歳)〈加藤家の一人娘,後クリスチャンとなる〉(小》
※15.舟井おあき(9歳)〈浦川幸之助の友達で,隣家海産物問屋の娘〉(おあき)
※16.舟井恭太郎(13歳)〈舟井おあきの兄,幸之助の友達〉(恭)
※17.山下榮市(少量)〈浦川幸之助の友達〉(宅)
18.山下おさき(中女)〈山下宅市の母〉(おさき》
19.山下老人(老男)〈山下宅市の祖父〉(山老)
20.矢代はな(少女)〈蛇屋の矢代の妹娘〉(はな)
※21.豊造(少男)〈浦川幸之助の友達〉(豊)
※22.千本(13歳)〈浦川幸之助の友達〉(千)
23.鉄仙(17歳)〈長崎生まれの支那人〉(鉄)
24.泰昌号(中男)〈新地の大商人で,鉄仙の母子が世話になっている貿易商〉(泰)
25.阿玉〈アヨン〉(青女)〈支那人とも日本人ともわからない,うすのろの女〉(阿)
26.アンリ・ゴールド(少男)〈アメリカ人で,ばくち好きの不良少年〉(アンリ)
27。おくま(中女)〈アンリの叔母,日本人〉(おくま)
※は,浦川幸之助の友達に当る人物
以上,本稿に関係のある人物を,方言会話文表現の話者,聴き手という観点に立って,
年齢,年層,性別,人間関係などを考慮して整理した。登場人物は,藍江の分身と思われ る浦川幸之助を主人公に,浦川一家の家族,下男,下女,幸之助の父の妾,辛腹,幸之 助の母方兄弟,幸之助の友達,隣人などによって占められている。
〔4〕「唐人船」の文末詞と現行長崎方言の文末詞との比較
「唐人船」の文末詞との比較を試みるに当って,両者の文末詞を,支持層,頻度(ただ し,「唐人船」の場合は,出現の度合いということになる)などを考慮して,体系的比較を 念として整理すると,次に示す「文末詞比較表」のようになる。
この比較表に其いて,「唐人船」の文末詞体系と現行の長崎方言の文末詞体系との差異を 見い出し,これを推移事実と見なし,その推移について,それが起り得た事情を,筆者な
りに,以下に考えてみたいと思う。
〔5〕文末詞の推移とその解釈
推移を見る場合,これを,一応,(A)形態上の推移,(B)用法・支持層の推移に分けて考え てみたい。
(A)形態上の推移
まず,形態上の推移について見ると,一つに,多種から少種への推移が指摘される。上 掲の「文末詞比較表」によってもわかるように,「唐人船」の文末詞は,1例のみの出現の
ものも加えて,54種を数えるのに対して,現行長崎方言の文末詞は41種にとどまっている。
「唐人船」にはあって,現行長崎方言には見られない文末詞は,
「カノ・カノー」,「トノ」,「タイノ・タイノー」,「タイノーシ」,「バノ」,「バイノ・バイ
文忌詞比較表
「唐人船」 文末詞体系 長崎方言の文末詞体系(長崎方言は長崎市域の方言)
形 態 頻度 性 母 縺@層
(特に「唐人船」の「ノ」類のもの 頻度 に対応させ「ネ」を示す 性 別
N 層
備 考
1 ノ・ノー(の・のう) 頻 1〜4 ノー 稀 5.6 市中にはなく,郊外地に分布
2 ノーシ(のうし) 頻 1〜4 ノーシ,ヌーシ,ノシ 稀 5.6 市中にはなく,大崎地区できく
3 カノ・カノー(かの・かのう) 稀 2〜4
4 トノ(との) 中 2.4 トネー 頻 1〜6
5 タイノ・タイ・一(たいのたいのそ) 中 2.4 タイネー 中 3〜6
6 タイノーシ(たいのうし) 1例 2
7 バノ(ばの) 2例 2.4
8 バイ・・バイ・一(ばいのばいのう)
中 1.2 一 バイネー 中 3〜6
9 トバイノー(とばいのう) i例 2 トバイネー 中 3〜6
10 バイノーシ(ばいのうし) 2例 3.4
11 モ…モ・・一(もんのもんの弓)
稀 2.4 η 、c塔mー モノ不,モン不,モン不一 頻 1〜6 「三献は一山に,
12 トコレノ(とこれの) 1例 2
13 ナ(な) 稀 3 ナ・ナー 稀 5.6
14 ナン(なん) 頻 3.4.6
15 カナン(かなん) 2例 3.4 カナー 稀 4.6
16 トナ(とな) 2例 3 トナ, トナー 稀 5.6
17 トナン(となん) 中 3が主
王8 タナ(たな) 中 3.4.6 タナー 19 タイナ・タイナー(たいなたいな)
2例 3 タイナー 稀 6
20 タイナン(たいなん) 稀 3.4
21 トタナ(とたな) 2例 3.6 22 モンタイナー(もんたいなあ) 1例 3
23 バナ(ばな) 中 3が主 バナ
24 トバナ(とばな) 稀 3
25 モンナン(もんなん) 中 3が主
26 ネ・ネー(ね・ねえ) 稀 2.4 噛不・不一 頻 1〜6
27 カネ(かね) 1例 4 力不・カネー 中 1〜6 長崎方言には「ヤカネー」がある。
28 ヤ(や) 中 2.4が主
ヤー 頻 2.4.6 長崎方言には「トヤ・トヤー」がある。
29 ヨ(よ) 中 1〜4 ヨー 中 1〜6
30 トヨ(とよ) 1例 2 トヨ・トヨー 頻 3.5
31 ゾ(ぞ) 中 2.4 ゾー 頻 2。4.6 長崎方言には「トゾー」がある。
32 ザン(ざん) 2例 2 長崎方言には「デ・デー」がある。
33 カ(か) 頻 1〜4 カ・カー 中 1〜6
34 トカ(とか) 中 2.4 トカー 中 4.6
35 モンカ(もんか) 中 2.4
36 カイ(かい) 頻 2〜4.6 カイ 稀 4.6
37 トカイ(とかい) 申 .4が R 38 モンカイ(もんかい) 稀 2.4
39 ト(と) 頻 1〜4 ト・トー 頻 1〜6
40 テ(て,テ) 稀 1.2 テ 中 3〜6
41 タイ(たい) 頻 1〜4.6 タイ 頻 3〜6
42 タン(たん) ヒ 稀 3.6
43 トタイ(とたい) 中 2.4
44 モンタイ(もんたい) 1例 4
45 ダィ(だい) 中 2〜4 ダイ 稀 3〜6
46 バイ(ぱい) 頻 1〜4 バイ 頻 3〜6
47 バン(ばん) 1例 6
48 トバイ(とばい) 中 2 トバイ 中 3〜6
49 モン(もん) 頻 . ∫@1 モン, モー 頻 3〜6
50 トコレ(とこれ) 稀 1.4 トコレー 稀 5.6
51 サ(さ) 稀 2.4 サ 頻 1〜6
52 トサ(とさ) 2例 2.3 トサー 頻 1〜6
53 へ(へ) 頻 1.2 へ一 稀 3.5
54 トへ(とへ,と・へ) 頻 1.2 トヘー 稀 3.5
〔注〕 性別年層の数字は,1 少女 2 少男 3 青中女 4.青中男 5 老女 6 老男をそれぞれ示す。
ノー」,「トバイノー」,「バイノーシ」,「トコレノ」などの「ノ」類の文末詞(10種),
「ナン」,「カナン」,「トナン」,「タイナン」,「トナタ」,「モンタイナ」,「トバナ」,「モ ンナン」などの「ナ」類の文末詞(8種),
それに,
「ザン」,「モンカ」,「トカイ」,「モンカイ」,「タン」,「トタイ」,「モンタイ」,「バン」(8
種)
など,26種の多きにわたっているのが注目される。
この多種から八種への推移のなかみを見ると,「ノ」類,「ナ」類文末詞の衰退が目立ち,
代って,「ネ」類文末詞の盛況が目をひく。今,これを一覧表にして示すと,次のようになる。
唐 人 船 現 行長崎 方言
「ノ」類 「ナ」類 「ネ」類 「ネ」類 「ナ」類 「ノ」類
「 , ■ 1
1ノ(一)
Qカノ(一) i
@3トノ 1
113ナ・14ナン: 物ナン i
A・トナ・・トナンi
i26ネ(一)
@2アカネ
28l(一)
Q9
Jネ(一)i : 30トネー i I
i3《ナ(一)》
・Jナ一一 :37(トナ(一))i
i41(ノー)
@×
× i Bタナ i × 1 畷タナ_》i@××
l l l l
4タイノ(一)1 i× i咽ノ i噺ノ(_)i・トバイノ■・モンノ(一)i・トコレノ ;・ノ_シ i :
19
Q2モンタイナ Q3バナ
24トバナ
Q5モンナン
×
31^イネー i
i :× i i
レイネ_i :33トバイネーi
テンネ(_)i
i i× 1
39iタイナー)i
i i
ォ)i× i× i t × i× ; : × i
××××××4《モンノー)×43(ノー溺ヌー斗ノシ)
II^イノーシ11験イノーシi ×× × i
i
× } }
××
1 : 1
(注.文末詞左肩の番号は,次下の関係文例の番号を示し,話中の現行長崎方言欄で,()で囲ん でいる文末詞は,行われることの稀であることを示す。)
1 「何かしらん,怖ろしかの。叱られはせんぢゃうか」宅→幸 p.328(7)
r「寒うなって来たのう」おあき→幸 p.14一(6)
1 「そんげん事するもんぢやなか。のう兄しゃま」おあき→幸 p.6一(4)
2 「それぢゃ,悪うはございますめいかの」甚→おつねp.353一(5)
2 「さうかしらん,今度はどうしうかのう」幸→宅 p.330(1)
3 「唯八さん,まだ帰らんとの」豊→唯 p.144(5)
4 「その時あ幸ちいも僕の書記官ぐらみにしてやらうたいの」重→幸p.252(2)
4 「親類の中から大臣の一人ぐらゐ出にやどもならんたいのう」仙→甚・重 p.162(8)
5 「浦川,あんた一人が力たい頼むばの,頼むばの」泰→仙p.39(3)
6 「さうか,そんなら君にいうちゃならん事ぢやったぼいの」甚→幸 p.233(3)
6 「君たちゃ余程あんぽんたんぼいのう」千→恭・豊p.203(8)
7 「大鳥圭介って強かとばいのう」恭→豊・宅 p.202(1)
8 「困るさ,それに七番館の掃除と云ふたっちゃ,いつまでやらして貰はれるか判らせん もんの」鉄→アンリ p.90(6)
8 「何しろ家一軒について墓所にとってある地面が十坪や十二坪なかところはどんげん 貧乏人でもありゃしまつせんもんのう」仙→加藤 p.129(7)
10 「何しろ若かもんでございますのうし」おあき→おつね p.313(2)
10 「のうし,坊ちゃま」お光→幸p.98一(2)
11 「それはまアさうでございますたいのうし」甚→おつね p.355(5)
12「兄しゃまちう事がちゃんと判んなはると見えますぼいのうし」お愛→お葉p.
291一(5)
13 「幸しゃん,お父さんはな」おつね→幸 p.151一(7)
14「今から七年前の事のけん,お前が丁度五つになつとったなん」祖父→幸 p,57(5)
15「どこぼどうして逃げたもんぢゃうかなん」仙→おつね p.350一(3)
16 「豊しゃんはまだ帰らんとな」おつね→幸 p.41一(5)
17「どこに居ったとなん」おつね→甚p.351(3)
18 「あんげんもんば食べるもんぢやなか。食べられるもんなん。砂だらけたな」おさき→
宅p.311(5)
19「あ,おいくさんといふ人は,この人たいな。ふうむ,よか娘さんたい」おくま→アン
リ p.214(4)
19 「旦那さんはよか人たいなあ」おつね→唯八 p.98(4)
20 「こんげん子供でも,よう感じとると見ゆるたいなん」仙→お愛 p.366(9)
21「幸しゃん,お前はなん,何でもかんでも、,充分えらか人にならにやならんわけのあっ とたな」山老→幸 p.298(8)
22 「人間の品といふものは争はれんもんたいなあ」母→唯八 p.99(2)
23 「幸しゃん,叩くなら金盟ぢゃ困るばな」おつね→幸 p.168(6)
24「やかましか。下にも人間の居るとばな。宅市。お前もお前ぢやなかなん」おさき→宅
p.268(7)
25「第一今時の学校ちうもんが砥な事は教へんとちゃもんなん」おつね→仙 p.353(3)
26 「幸之助,よう留守番したね。」仙→幸 p.265(2)
26 「少し可笑しかねえ」重→甚 p.237(6)
27 「どれ,そろそろお詣りばして下ることにしうかね。」仙→幸 p.164(7)
280おソー アンナサイマシタ ネ。遅うございましたね。(老女→中男)
28 ○ドゲシコ チガウ ネー。どれだけ違うねえ。(中男一→中女)
290ダイノ スットヤロ カネー。誰がするのだろうかね。(爪糞→中女)
300ドガン シタ トネー。どうしたのねえ。(中郷→青男)
310イカンバデス タイネー。出かけなけれぼいけないですよねえ。(中女→中男)
320ハヨワ シニキランバイネー。早くは死ねないですよねえ。(老女→中男)
330ソンゲン ナットッ トバイネー。そんなぐあいになっているのよねえ。(中女→中 男)
340イッカイ コーチ ショクショーシタ モンネ。一度買って食べ飽きたものね。(中 女→中男)
34 ○スーット ショージバ セキナットヤ モンネー。すうっと障子を閉めなさるんです ものねえ。(中男→中女)
350キツカトジャ モン。タブレバ ナ。苦しいんだもの。食べるとね。(老男→老女)
35 ○ワッカモンナ 占卜ラキヨランヤッタケン ナー。若い人は働かなかったからねえ。
(老女→同)
360ナン カナー。何かねえ。(老男→中男)
370ドガン ユ トナ。どう言うのね。(老女→中男)
37 ○ドケ イク トナー。どこへ行くのかねえ。(老男→中男)
380ソイカラ サキガ ダイジ タナー。それから先が大事だよねえ。(老男→青男)
390テンコー アル ワケデス タイナー。点呼があるわけですよねえ。(老男→中学)
400ヨカ バナ。いいよね。(老男→中女)
410コドモモ ソー タブルト シマッシェン ノー。子どもも(夏みかんは)そんなに 食べようとはしませんねえ。(老女→中男)
420ライネンガ ガッコージャ モンノー。(孫女は)来年が学校ですものねえ。(老男→
中男)〈大崎>
430ノローイロノ コトバ ノーシ。色々のことをねえ。(老女→青女)〈大崎>
43 ○オカゲデ ヌーシ。おかげでねえ。(老女→一男)〈大崎〉
「唐人船」では,「ノ」類(12種),「ナ」類(13種)の優勢であるのに対して,「ネ」類 の極端な不振が目立つ。そのことは,「ネ」が,ほとんど複合形を生んでいないことによっ ても首肯される。
「ノ」類と「ナ」類では,全体,「ノ」類が優勢と受けとめることができる。そのことは,
文例1 の「そんげん事するもんぢやなか。のう兄しゃま」のような,呼びかけの「のう」
(「ノー」)が作中によく見られること(ちなみに,「ナ」,「ナン」にはこの用法は見当らな い)。また,文例10の「何しろ若かもんでございますのうし」のような「ノーシ」文末詞 や,さらに,文例10 の「のうし,坊ちゃま」などの,呼びかけの「ノーシ」が見られるこ とによっても,「ノ」類文末詞の優勢が察知されよう。ちなみに,文末詞の「ナーシ」や,
呼びかけの「ナーシ」は見当らない。
「ノ」類文末詞の支持層という点で見ると,少年・少女から,中年の男性・女性というふ うに広きに及んでいる。
次いで,「ナ」類の文末詞について見ると,文例13の「幸しゃん,お父さんはな」のよう な,短呼の「ナ」は,全体で4例と少なく,長呼の「ナー」はまったく見当らず,多出す るのは,もっぱら,文例14の「今から七年前の事のけんお前が丁度五つになつとったなん」
のような「ナン」であり,このような「ナン」の,当時よく行われたであろうことは,複 合形のものに,「カナン」(文例15),「トナン」(文例17),「タイナン」(文例20),「モンナ
ン」(文例25)などが見られることによっても察知されよう。
ところで,「ナ」類文末詞の支持層ということでは,先の「ノ」類の場合と違って,少年・
少女層では,まったく用いられず,中・老年層で用いられ,ことに,女性の使用が目につ
く。
「ネ」類は,先にも触れたように,全体で旧例にすぎず,文例26の「幸之助,よう留守番
したね」,26 の「少し可笑しかねえ」,27の「どれ,そろそろお詣りばして下さることにし うかね」などのような「ね・ねえ」,「かね」を見るばかりであるが,これらの使用者のす べてが男性であり,親子,兄弟間で用いられているのが注目される。
以上の,「ノ」類,「ナ」類,「ネ」類三者の役割を,作品から帰納してみると,「ノ」壷 中,「ノ」,「ノー」,「ノーシ」は,きまって家庭外で,隣人,知人,友人などに対して用い
られているのに対して,「ナ」類のものは,「ナ・ナン」を中心に,そのほとんどが,家庭 内で,・例えば,母親がわが子に,祖父が孫に,姉が弟に,夫が妻に,主人が下女に対して 親しみをもって用いられているのが注目される。
これをまとめてみると,「ノ・ノー」は,全年層的に家庭外で,いくらかよいことばとし て用いられ,「ノーシ」は,「ノ・ノー」よりも,一段,ていねいな気持で,目上ことばと して用いられているように見受けられる。(ちなみに,「ノーシ」のあらわれる文表現の述 部は,多く,「〜ございます」,「〜なさいます」,「〜なはりました」などの敬態をとりがち なことも蓋然ではない。)
このような,「ノー」,「ノーシ」などに対して,「ナ」類のものは,「ナ・ナン」を中心 に,多くは家庭内で,目下ことばとして,親しみの気持をもって用いられ,先の「ノ・ノー」
よりも一段下位に立つものと言うことができる。「ナ」類文末詞の使用者に,少年・少女が まったく見られないのは,この類のことぼが,一方から言えば,年長者から年少者へとい う方向を持っていたことによるものとも解することができる。
「ネ」類のものは,用例自体が少なく,その役割を今一つはっきりできないが,男性が,
わが子や兄弟に対して用いていることからすれば,そこにこめられる待遇意識は,「ナ・ナ ン」並みで,それほど高くはなかったものかと思われる。
先に紹介した,藍江の義妹,平山りんさんによれば, 娘時代には,「ノー」も「ノーシ」
も,「ナー・ナン」もはやったが,「ネー」ははやらなかった。「ノーシ」が一番いいことば で,「ノー」はその次。「ナー・ナン」は,ごく親しい人々の間で使われ,これは一番下だっ た。 とのこと,これは上に見てきた,「唐人船」での状況をよく裏付けていると言えよう。
このような,「唐人船」におけるナ直音文末詞の状況は,今日の長崎方言では,大幅な違 いを見せている。概して言えば,今日の長崎方言では,「ノ」類,「ナ」類の文末詞はまっ たく振わず,もっぱら,「ネ」類文末詞の盛況を見るぽかりである。ここに大きな,文末詞 体系上の推移を見る思いがする。
今日,文末詞「ノー」(文例41)や「ノーシ」(文例43),それに「モンノー」(文例42)
などは,市域ではあっても,市街地を出さなれた,旧西彼杵郡茂木村大崎(現在,長崎市 大崎町)など周辺地に,老人ことぼとして残存的に見い出されるにすぎない。このことは,
やはり,かつては市街地にも「ノー」や「ノーシ」などのあり得たことを示唆するもので あろう。
「ナ」類文末詞もまた,市域内で聞けばするものの,やはり市街地を出はなれた周辺地 に,男性ことぼ,老人ことばとして聞かれやすい状況である。
このように見てくると,大勢としては,かつての「ノ」類,「ナ」類文末詞を,「ネ」類 文末詞が統合していったものと,その推移を見なすことができよう。今日の長崎方言の
「ネー」は,あたかもそれを裏付けするかのように,かつての1「ナ・ナン」,「ノ・ノー」
の双方の役割を肩代りしているというのにふさわしく,かなりの幅をもって存立している
ように見受けられる。今日の長崎の「ネ・ネー」は,事実,家庭の内外で幅広く用いられ ているのを見る。このような「ネ」ことばは,いったい,何時頃,どのような事情によっ てもたらされたものであろうか。臆断は,もとより許されないが,先の平山りんさんや長 崎の古老に徴するところでは,「ネー」ことぼがはやってきたのは,ここ50年位前の,昭和 初期の頃だという。ちょうど,「唐人船」成立の後ということになる。古老たちが,「はやっ てきた」と評するのは含みのあるところで,これはやっぱり,次第に共通語の「ネ」の浸 透をみたということではないだろうか。
筆者は,今日のところ,「ノ」類,「ナ」類文末詞の衰退と,「ネ」類文末詞の隆盛という 推移を,以上のように推定するものである。
さて,次に,「唐人船」には見えなくて,現行の長崎方言にのみ認められる一群の文末詞 について見てみることにする。その一群の文末詞とは,「ヤカネー」,「トヤ(一)」,「ト ゾー」,「デ(一)」などである。
「ヤカネー」は,
440ユワシェン ヤカネー。すばらしいじゃないかねえ。(中女→中男)
450アレ ヤカネー。あれだよねえ。(青女→同)
などのように用いられ,青・中年の女性によく聞かれる。また,「トヤ(一)」は,
460アッ トヤ。あるのか。(一男→同)
470ドシタ トヤー。どうしたのかい。(少男→同)
480ワイ ドコデ フキヨッ トヤー。お前はどこで(洋服を)拭いているのか。(少男 →同)
などのように,男性の,なれなれしい問いかけことばとして,よく用いられる。「トゾー」
は,
490オマエ ヒトリデ ナカ トゾー。お前口人ではないんだよお。(老女〈母〉→中男)
500フトーカトノ オッタ トゾー。大きい魚がほんとにいたんだよお。(少男→同)
などのように,強いさとしとか,自己主張の持ちかけに用いられる。次に,「デ(一)」は,
510オイ イマカラ イコ デ。おい今から行こうよ。(青男→同)
520日目ー。シュー デー。はやく。しょうよ。(中男→同)
などのように,男性ことばとして,勧誘の表現によく用いられる。
以上の「ヤカネー」,「トヤ(一)」,「トゾー」,「デ(一)」などの一連の文末詞は,「唐人 船」には見い出せないものであって,現行の長崎方言の文末詞体系の重要な要素をなすも のである。
以上,これまで,(A)として,主に「形態上の推移」について見てきたが,次には,(B)と して,「用法・支持層の推移」について見ることにする。
(B)用法・支持層の推移
まず,(1)「ヤ(一)」が取りあげられる。「ヤ(一)」は,「唐人船」にあっては,少年男 子,青年男子,中年男子などが主な使用者ではあるが,少年女子や青年・中年の女子もこ れを使っている。対して,現行の長崎方言では,各年層にわたって,はっきりと,男性こ
とばとして定着しており,ここに,この文末詞の支持層の推移を見ることができる。
また,用法という点では,いわゆる勧誘の表現に用いられる「ヤ(一)」は,
53 「おいおい,墜ちい,早う行かうや」重→幸p.234一(1)
54「すぐかへる事にしまつしょや」おつね→おさき p.315(7)
550オレタチモ ナンカ ヤロ ヤー。僕たちも何かやろうよ。(青男→同)
などのように,双方に見られるが,
560オマエモ ヤー。お前もかい。(青男→同)
570アシタ ヤー。明日かい。(中男→同)
などのような,問いかけの表現に見られる「ヤー」は,現行の長崎方言にしか見られない。
これは,用法上,「ヤ(一)」の発展を示す推移と見ることができる。
次に,(2)「トヨ(一)」は,現行の長崎方言では,
580キョー スコシ スカバレトッ トヨー。きょうは少し(顔が)むくんでいるのよ。
(中女→中男)
590シカクカ ヒバチノ アリマシタ トヨー。(昔は)四角な火鉢がありましたのよ。
(老女→中毒)
などのように,やや改まった,告知的な持ちかけことぼとして,中年以上の女性に,よく 用いられているが,「唐人船」では,
60 「アンリが連れて行ったとよ」恭→幸 p.234一(7)
の一例があるのみである。しかもその使用者は,少年男子となっている。多くの女性が登 場する「唐人船」にあって,「トヨ」が,わずかに1例しかなく,使用者も少年男子である
ことは,「トヨ(一)」が,今日の状況とは,かなり違っていたことを物語るものと言えよ う。平山りんさんの,「トヨは,後からはやったことば」という告白は,このことを裏付け るものとして注目される。
次いでは,(3)「ゾ(一)」が取りあげられる。「ゾ(一)」は,
61「さあ皆,二階へ上れ上れ。芝居がはじまぞ」千→子どもたち p.266(7)
62「早う汲んで了はんと,七夕さまは来て了ひなはるぞ」仙→幸p.122(5)
630ウツ ゾご。打つよお。〈野球〉(少男→同)
などのような,述部末の終止形形態を承ける表現は,双方によく見られるが,
640オ万ママデ ヒャクエン ゾご。小浜まで百円だよお。(中男→中女)
650天フシキ ゾご。本番だよお。〈パッチン遊び〉(少男→同)
などのような,述部末の体言形態を承ける表現は,現行の長崎方言にのみ見られるもので ある。このような事態もまた,「ゾ(一)」の発展的推移として受け取ることができよう。
続いて,(4)「カイ」を見る。「カイ」は,支持層に関しては,現行の長崎方言では,男性 のことぼと言ってよいのに対して,「唐人船」では,女性の使用が見られる。それにもまし て,「カイ」が,「唐人船」ではよく表われるのに対して,現行の長崎方言では,著しく劣 勢であるのが注目される。しかも,現行の長崎方言の場合,「カイ」は,
660カユー カイ。替えようかい。(中立→同)
のように,未来形述部のもとに表われ,言わば,伺いの表現を仕立てる場合に限られるの に対して,「唐人船」では,
67 「幸ちい,千公に逢うたかい」宅→幸 p.276一(2)
68 「兄貴,どうするかい」甚→長 p.339一(7)
などのような,単純な問いかけの用法が重きをなしているのが注目される。
このことからも,「カイ」は,長崎方言社会では衰退という推移を辿っているものと解さ
れる。
次には,(5)「ト」が注目される。「ト」は,
69 「金玉が死んどっと」幸→小 p.251(6)
700ナーンテカンテ ユワレン ト。何ともかんとも言われないの。〈味のよさ〉(中女→
雨男)
などのような,報告的な持ちかけの用法が,双方によく見られるが,
71「アンリ,あなた呼びにやったと」おくま→アンリ p.213一(1)
のような,問いかけの用法の「ト」は,「唐人船」全体で,わずかにこの1例にすぎない。
対して,現行の長崎方言では,
720ドケ イク ト。どこへ出かけるの。(老女→中男)
730スンダ ト。終ったの。(中男→少男)
などのように,親しい間柄で気軽く問いかける「ト」が,よく行われている。
この事態は,やはり,文末詞「ト」の発展的推移ということができよう。
次に,(6)「ダイ」を見る。「ダイ」は,
74 「そんならあとから一緒に書いてやろだい」幸→おあき p.118一(6)
75「もう今日は休まうだい」豊→恭・千p、55一(6)
760モー ヒルジャロ ダイ。もう昼だろうよ。(老女→青男)
などのように,双方にこれを見ることができる。「唐人船」では,少・中年層で比較的よく 用いられているのに対して,現行の長崎方言では,「ダイ」はあまり振わないが,これが,
市の周辺域ではまだよく聞かれるところがらも,かつて市街地でも,「ダイ」は盛んであっ たものが,次第に衰退の途を辿ってきたものと推定される。
続いて,(7)「サ(一)」・トサ(一)」が取りあげられる。まず,「サ(一)」は,「唐人船」
では,
77 「ははは,ちっとやそっと喧嘩したっちゃよかさ」仙→甚・重
の文例を含めて,わずか3例を数えるのみで,使用者と,少年男子,青・中年男子などの 男性側に見られるのに対して,現行の長崎方言では,
780ハイ サー。そうよね。(中口→中男)
790クサーカ メシ クワサレテ サー。臭い飯を食わされてねえ。(中女→中男)
800モー 四周 サー。もういいよね。(戯男→青男)
などのように,「サー」は全年層にわたって,きわめて盛んである。
特に,「サー」が,終止形形態の述部のもとに表われるのみでなく,79の文例のように,
「〜テ」という中止的形態の述部のもとに表われる場合が多く,一つの特徴を示している が,このような事態は,文末詞「サー」の盛行の様を物語るものと言えよう。
文末詞「トサ(一)」もまた,「サ(一)」の場合と同様,「唐人船」では振わない。作中,
81 「おら寝とるとさ」鉄仙の母→仙 P.77(3)
の文例を含めて,わずか2例にすぎず,現行長崎方言での
820ワカッテカラ ユー トサー。わかっていて言うのよね。(老女→中男)
の例に見られるような「トサー」の盛行には比ぶべくもない。
このように,「サ(一)・トサ(一)」文末詞は,「唐人船」の頃から拡大発展の方向を辿っ てきたものと推定することができる。
終りに,(8)「へ(一)・トへ(一)」を見てみよう。「へ(一)・トへ(一)」ともに,「唐 人船」にあっては,きわめてよく用いられており,しかもその使用者が,
83 「幸ちい,おうちあ,もう内にかへるへ」はな→幸 p.371一(1)
840「どうして知つとるへ」幸→おあき p.275(6)
850「何へ,もう寝ると・へ」おあき→幸 p.41一(1)
860「加藤のをぼさんまで自宗になんなはったと・へ」幸→唯 p.383(4)
などの文例が示すように,すべて,少年女子,少年男子に限られているのが注目される。
対して,現行の長崎方言では,
870イクラ ヘー。いくらねえ。(中女→庭男)
880オウチ ドコ イク トへ一。あんたどこへ行くのねえ。(老女→中女)
などのように,中・老年の女性相互間で,女性ことばとして,わずかに行われているにす ぎない。用法的には,双方ともに親しい間柄での問いかけことばとして用いられているが,
その支持層のうえに大きな推移があったであろうことが注目される。
生粋の長崎人である浦上忠良氏(大正10年生まれ)は,これらの文末詞について, 沙年 の頃は,親しい友人に,よく,「ヘー」,「トへ一」を使っていた。今も仲のよい友達,例え ば越中哲也さんなどと話をしていると,ひょっと,「へ一」,「トへ一」のでることがある。
と述懐される。この浦上氏のことばによって解釈するに,「唐人船」の時代以後,「へ(一)・
トへ(一)」は少年少女層から,さらに広がりを見せ,成人の男女間でもよく用いられる時 期があって衰退に向かい,今日のような,中・老年女性に偏した,女性ことばとなったも のと推定される。
なお,「唐人船」での,文末詞「とへ」の表記には,「と」と「へ」との間に,統一的に 読点が施されているが,これは,その当時の「とへ」の音声事実が,「と」と「へ」との間 に,何がしかの間を置いた実現であったのか,そのこととは別の,藍江の,何らかの意識 が,結果そのような表記をとるに至ったのかは,今,さだかではないが,平山りんさんに よれぽ,当時の音声的実現は,ひと続きの「トへ一」であった可能性が高いように思われ
る。
おわりに
以上,大正末年に成った平山藍江の「唐人船」の方言会話文から帰納される文末詞体系 と,現行の長崎方言の文末詞体系とを相互に比較し,そこにとらえられる差異に基いて,
長崎方言社会での,ここ数10年間における文末詞の推移を見,それに,若干の筆者なりの 解釈を与えてきた。
長崎方言社会における文末詞の,多種から断種へという推移を大観する時,もっとも注 目されるのは,「ノ」類,「ナ」類:文末詞の衰退と「ネ」類文末詞の隆盛という事態であっ た。これにはやはり,共通語の「ネ」ことぼの浸透が大きく関与したものと考えられる。
このような事態とともに,「ヤカネー」,「トヤ(一)」,「トゾ(一)」などの一連の文末詞 の興起もまた注目をさそう事態であった。
文末詞の形態上には変化が見られず,それを支える使用者や用法上に推移の看取される ものもまた注目に価する。
「ヤ(一)」,「トヨ」,「ゾ(一)」,「ト」,「サ(一)・トサ(一)」などの一連の文末詞は,
支持層を増幅するとともに,多く用法上でも機能を拡げ,推移としては発展の方向を示し ているのに対して,「カイ」,「ダイ」,「へ(一)・トへ(一)」などは,支持者を失ない,衰 退という推移を見せているのが注目される。
この発展と衰退との併存の中で,特に注目されるのは,問いかけの表現にかかわる一連 の文末詞の動向である。
「唐人船」で活況を呈していた,問いかけの文末詞「カイ」は,現行の長崎方言では著し く劣勢で,しかもそれは,「カユー カイ。」(文例66)のように,伺いの表現に局している ことを見た。ここに活力をそがれた,気軽な問いかけ表現用の文末詞「カイ」は,あたか も,姿を変えて再登場したかのように,「オマエモ ヤー。」(文例56)の「ヤー」や,「ド ケ イク ト。」(文例72)の「ト」などとなって,空きを埋めているかのように見受けら れる。ここに,文末詞の体系的変化の一端を見る思いがする。
「唐人船」に見られる文末詞と,現行の長崎方言の文末詞との双方を見較べて,形態上,
用法上,支持層上,まずこれといった変化,変容を見せない文末詞ということでは,「タ イ」,「バイ」,「モン」,「モン」,「ヨ」,「トカ」などの数種を数えるにすぎない。ことばは やはり,移り動くものという感を深くするものである。
本稿の考察は,長編小説の会話文という,言わば,目的違いの資料に依拠しての考察で あるだけに,どこまで厳密な探索が許されるかは,いろいろ問題の存するところかと思わ れるが,本稿の冒頭でも述べた,作中の方言会話文を方言資料とすることへの信頼度の範 囲内で,文末詞の推移について立言できることは少なくないように思われる。とともに,
一方言社会の方言の史的研究 それもあまり遠くは逆のぼらない一の容易でないこと を改めて痛感する次第である。(本稿は,第7回広島方言研究所方言研究ゼミナールでの発 表原稿と,第30回西日本国語国文学会大会での講演稿とに手を加えてまとめたものであ
る。)
(昭和58年10月31日受理)