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スタルクの民事責任論と不法行為責任の根拠 La théorie de la responsabilité civile de

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(1)

1.はじめに

 フ ラ ン ス の民 法 学 者ボ リ ス・ス タ ル ク

Boris STARCK)が主張した民事責任論は、

すでに淡路剛久教授によって紹介され1、日 本でもその内容は知られるところとなってい るが、日本の不法行為法学に衝撃的な影響を 与えたとまでは言えない。しかしそれは、ス タルクの民事責任論が凡庸なものであったか らではなく、その骨子の理解が進んでいない からであると考えられる。なぜなら、淡路教 授の紹介では、人身被害に関する不法行為が その後に論じられたため、(論者の意図とは 別に)人身不法行為に対する一学説として認 識された可能性があるからだ。だが、スタル クの説く民事責任論、とりわけ保障理論は、

不法行為法の根幹に関わる問題を論じている のであり、不法行為責任の根拠に深い関連を 持っている。それゆえ不法行為法学において

決して等閑視されるような理論ではない。

 そのことは保障理論の内容を知れば理解で きるであろう。詳細は後述するが、スタルク は被害者の側から不法行為の発生を分析し、

加害者が被害者の法益享受を妨げたことこそ 不法行為責任の根拠であるとしている。これ は、他人の法益享受を妨げてはならない一般 的な不作為義務が各人に課されており、この 義務違反が不法行為となることを意味してい る。一般的に課されている義務の存在を原点 とするこの発想は、各人の活動の自由をいか に確保するかという不法行為法制定時の思想 を根本から覆すものである。

 そこで本稿では、スタルクの民事責任論を その眼目たる「法益享受の保障」という視点 から再考する。そして、この理論が今後の不 法行為法学の進むべき道標となりうるもので あることを論じる。

スタルクの民事責任論と不法行為責任の根拠

La théorie de la responsabilité civile de STARCK et le fondement de la responsabilité délictuelle

石 井 智 弥

抄録

 本稿は、ボリス・スタルクの民事責任論から着想を得て、不法行為責任の根拠に関する新しい視 点を模索しようとするものである。スタルクの民事責任論については、すでに先行研究があるが、「法 益享受の保障」という観点はあまり強調されていなかったと言える。しかし、これこそスタルクの 民事責任論の骨子であると考えられる。この「法益享受の保障」とは、別の表現を使うと、すべて の人が平等に取得している権利能力を保障することに相当する。このような考え方は、不法行為法 の根幹に影響を及ぼすものであり、等閑視されるべき理論では決してない。そこで、本稿では、山 本敬三教授の「権利論」に基づいた不法行為学説や加藤雅信教授の「二分論」など、近時の不法行 為学説との若干の比較を試みながら、「法益享受の保障」という視点に焦点を当て、不法行為責任 の根拠を展望する。

1   淡路剛久『不法行為法における権利保障と損害の評価』(有斐閣、1984年)18頁以下。

(2)

2.スタルクの民事責任論

 スタルクの民事責任論2は、保障理論と私 的刑罰論の二つからなる。本稿において中心 的に論じるのは保障理論のほうであるが、私 的刑罰論も保障理論と連動しているのであわ せて述べていく。

(1)保障理論

 民事責任の根拠として従来説かれていたの は、過失責任論であった。人が他人に損害を 生じさせるのは、彼が過失を犯していたから であり、過失がなければ損害の責任は生じな いと考えられてきた。しかし、19世紀に入 り、機械文明の到来を迎えると、予見し得な い突然の機械事故などで誰の過失にも帰され ることなく損害が生じたり、あるいは原因が 特定できない事故によって損害が生じるよう になった。そこで、そのような損害を生じさ せる機械を所有し利用している者に責任を負 わせるため、危険責任論が登場した。すなわ ち、危険を伴う活動によって利益を受けてい る者は、その活動によって他人に損害を生じ させた場合、過失の有無を問わず、その損害 を賠償しなければならない、という考えであ る。しかし、危険責任論も現代の民事責任の 根拠を説明するには不十分であった。なぜな ら、危険責任は危険な活動から利益を引き出 していることを責任の根拠としているが、自 動車事故の場合など、経済的利益を引き出さ ない活動もあるからだ。また、危険な活動か ら引き出される「利益」を経済的利益に限ら ず、快適さや便利さなどの何らかの「利益」

に拡大して考えるならば、人の活動には常に 損害賠償の負担が付随することになり、社会 活動は麻痺することになる。このように、民 事責任論は、加害者側の過失によっても、自 らの活動から引き出される加害者側の利益に よっても説明することができず、まさに出口 のない袋小路の状態にあった。

 こうした袋小路に至った原因は何か。それ は損害賠償の根拠についての従来の理論が損 害の惹起者の視点からでしか問題の解決を探 していなかったからだ、とスタルクは指摘す る。そもそも損害は被害者の側に生じている のだから、被害者の権利と自由を抜きに損害 賠償の根拠を論じることはできないはずであ る。損害賠償責任は、加害者の側に過失はあっ たのか、加害者はその活動から利益を引き出 していたのかという視点からではなく、損害 を蒙った被害者の側の視点から論じられるべ き問題である。そうしたことから、スタルク は、被害者がどのような権利と自由を有して いたのか、という視点から、損害賠償責任を 考察する3

 まず、スタルクによれば、各人は「安全 への権利(droit à la sécurité)」を有している。

人は法律の範囲内で自由に行動することがで きるが、それと平行して、人は物的又は精神

的な財(biens)を平穏に享受し、自己の身

体的完全性及び生命そして近親者のそれを保

全(conserver)する権利を有している。これ

こそが「安全への権利」であり、法はこの権 利を保障している。そして不法行為責任の根 拠はまさに、各人に保障された自由な諸権利 の享受を侵害された、ということにあるとす

2   スタルクの民事責任論については、以下の文献を参照した。

B.Starck, Essai d’ une théorie générale de la responsabilité civile considérée en sa double fonction de garantie et de peine privée, thèse, Paris, 1947.(以 下、Starck, thèseで引 用):B.Starck, Domaine et fondement de la responsabilité sans faute. RTDC, 1958.(以下、Starck, Domaineで引用):B.Starck, H.Roland, L.Boyer, Obli- gations 1. responsabilité délictuelle, 5éd, Litec, 1996.(以下、Starck, Obligationsで引用)nº44s.

3   Starck, thèse p.38s.

(3)

る。しかし、その一方で、加害者側にも行為 活動の権利があり、それは被害者の「安全へ の権利」とぶつかり合うことになる。例えば、

自動車のドライバーが法規に従って運転をし ていたが、人を跳ねてしまったとする。一方 で、そのドライバーは道路を走る自由を有し ていたが、他方では被害者もまた自己の生命 又は身体的完全性の安全への権利を有してい る。このようにして、一方の行為・活動する 権利と他方の安全への権利が衝突するが、ま さにこれこそが民事責任の問題であるとスタ ルクは主張する4。そして、保障理論の目的 とは「実定法秩序が人々にどれほど彼らの自 由と安全を保障しているのかを知るために、

損害の惹起者と被害者とを対立させる諸権利 の衝突(conflit de droits)という角度から責 任を考察すること」5であると説く。

 このようにして、「諸権利の衝突」が提起 されるが、それをどのように解決するのかが 次に問題となる。これについてスタルクは、

衝突している権利の一方に優先を与え、それ らの中に一種の位階を確立しようとした。

 まず、行為・活動する権利の中には、損害 を発生させることが法によって許されている ものがある、と指摘する。商売における競争 は、それが誠実な手段によって行われている 限り、ある商人が同業者に損害を生じさせて も、その商人に賠償の義務を生じさせない。

芸術作品などの著作物に対する批評は、それ が好意的なものではなく、その著作物への評

価を下げたとしても、賠償責任を発生させな い。労働者による正当なストライキが雇用者 を倒産に追い込んだとしても、その労働者に 損害賠償の責任は課されない。これらの権利 自由の行使によって生じる損害は、その行使 の必然的かつ通常的な結果であり、それがな ければこれらの権利・自由の存在は否定され ることになる。それゆえ、このような損害は 法によって許容されており、「適法な損害」

と位置付けられる6。法律自身が損害の発生 を許している限りにおいて、他方の安全の権 利は姿を消す。従って、賠償責任は生じない。

逆に、行為をする者が「損害を生じさせる正 当な権限」を用いることができないのであれ ば、他人の権利への侵害は、その安全への権 利に対する侵害を構成するので、被告の有責 判決の法的根拠となる。被告の活動それ自体 が適法であったか否かは、後者の場合、ほと んど重要ではない。

 また、安全への権利においては、生命、身 体的完全性、物的な財の完全性は特別な地位 に置かれている。なぜなら、人を殺すこと、

傷つけること、他人の財物を毀損し破壊する ことが認められている権利・自由は、稀な例 7を除いて、存在しないからだ。人の生命、

身体的完全性、物的な財の完全性は、どの社 会でも必要とされている最小限の安全である。

それゆえ、殺人、傷害、物的な財の毀損及び 破壊は、原則として、「損害を生じさせる正当 な権限」なく惹起された損害を構成する8。先

4   ibid. ; Starck, Obligations nº68 5   Starck, thèse p.43

6   Starck, thèse p.45

7   挙げられている例:ボクシングの試合において、ルールを遵守した上で、相手を殴打し、負傷させあ るいは死亡させること。ラグビーなどの荒々しい競技において、相手チームの選手を負傷させること。

正当防衛の状態で、人を負傷させあるいは死亡させること。自分の土地に突出した隣地の樹木の根の 切断など、法律によって認められている他人の財物の破壊(フランス民法典第673条、日本民法典第 2332項)Starck, Obligations nº71

8   Starck, thèse p.46

(4)

の自動車ドライバーの事故の例で言うと、ド ライバーには自動車を走らせる権利・自由は あるが、歩行者を殺す権利、傷害を負わす権 利までは与えられていない。したがって、こ のような損害の惹起者は、他人の権利の侵害 に付随するサンクションを回避できない。

 かくして、民事責任の中に、身体的損害と 物的損害の固有の分野が個別化された。そこ で、スタルクは損害を大きく二つのカテゴリー に分ける。すなわち、身体的損害及び物的損 害のカテゴリーと経済的損害及び精神的損害 のカテゴリーである。この二つのカテゴリー を用いて、スタルクは民事責任の問題の技術 的かつ実務的解決を以下のように見出した9  まず、保障理論は原則として、生命、身体 的完全性、物的な財の安全への権利に関し、

「それを侵害すること自体が不法である」と した。すなわち、この権利に対し、法によっ て許されていない侵害を生じさせることは、

それを惹起した者に対し、彼の内面・心理状 態とは独立して、その損害の賠償責任を負わ せるということである(無過失責任)。それ により、損害は二つのカテゴリーに分けられ る。スタルクによると、この区分は新しい 分け方ではなく、ローマ法の時代から存在し ていた。ローマ法では、物的損害と身体的損 害はアクィーリア法10によって規定されてい た。そのことから、スタルクは、物的損害と 身体的損害をアクィーリア的損害と呼び、そ の他の損害(経済的損害と精神的損害)を非 アクィーリア的損害と呼んだ。

 アクィーリア的損害においては、原則とし て、その加害者には損害を生じさせる権利が

与えられていない。それゆえ安全の権利に対 する侵害自体が賠償の根拠となる。他方、非 アクィーリア的損害では、法によって加害者 に認められた「損害を生じさせる権利」との 調整が必要となる。「損害を生じさせる権利」

によって、損害の惹起者が賠償を免責される のは、それを正しく行使していた場合におい てである。商売上の競争は、不正な競争でな い限り、それによって生じた損害の賠償の義 務を免れる。批評は害する意思をもって行わ れていたのでない限り、民事責任の原因とな らない。ストライキは、賃金交渉、待遇改善 などの正当な目的で行われている場合におい て、雇用者の損害賠償請求権を否認する。換 言すると、過失(faute)がこれらの損害の原 因となっていれば、その惹起者は損害を賠償 する義務を負う11

 このようにして、身体的損害と物的損害を、

原則として、無過失責任とし、経済的損害と 精神的損害を過失責任とした。どの判決理由 の中にも、「過失を問うことなく、法は、人 を殺すこと、傷つけること、物を破壊するこ とを禁じている」という原則は明確に書かれ ていないが、あたかもそうした原則が存在し ているかのように、判決が下され、立法がな されている、とスタルクは指摘する12。保障 理論はそうした実定法体系を理論化したもの だとしている。

(2)私的刑罰論

 予防は回復よりも価値がある。しかし多く の民法学者は、損害の予防という問題に無関 心である。スタルクは、民法学者のこうした

Starck, thèse p.47s. §4

10   アクィーリア法(lex Aquilia)は、当初、他人の物に加えられた損害についての規定であったが、ユスティ ニアヌス帝時代に自由人に対する傷害もその対象となった。原田慶吉『日本民法典の史的素描』(創文 社、1954年)339頁以下、同『ローマ法』改訂版(有斐閣、1955年)226頁以下。

11  Starck, Obligations nº69 12  Starck, thèse p.49s. §5

(5)

無関心の理由を二つ挙げている。一つは、多 くの民法学者が、損害賠償の判決は常に、被 告にとっての損失ないし不利益負担であり、

通常の損害賠償にすでに予防的機能がある、

と考えている点にある13しかしこの考えは、

契約と不法行為の両面から反論することがで きる。契約の不履行によって生じる損害賠償 は、必ずしも、非のある債務者にとっての損 失となるわけではない。それは、物事を元の 状態に戻すだけであるからだ。債務者が契約 の目的物を受領していた場合、本来対価とし てなすべき給付をしていないのなら、債務者 によって支払われる損害賠償は債務者にとっ て大した損失とはならないであろう。また、

不法行為によって生じる損害賠償について も、その惹起者が保険に加入していたり、そ の活動から賠償額を超える利益を引き出して いたり、莫大な財産を有する資産家であった 場合、惹起者の不利益負担や損失とはならな いとする。次に、今一つの無関心の理由であ るが、それは、「有害な活動の予防は刑法に 帰する」と言う考えである14。しかし、非難 すべき活動や損害を生じさせる活動の抑止と 予防を、刑法が全て果たすことはできない。

また、刑法の手段は社会生活の必要性に適合 するのに十分なほど柔軟ではない。軽はずみ が原因で損害を生じさせることに対しては、

例外的にしか刑法は適用されず、過失による 契約の不履行に対しては、債務者の悪意が明 白である稀な場合でしか、刑事上のサンク ションは行われない。

 このように、民事においては、塡補賠償を 前提とする損害賠償が常に予防的機能を果た

すわけではなく、刑事においては、刑法が柔 軟性に欠けているため、法の全ての予防的機 能を果たすことができていない。このような 状況において、判例は私的刑罰の考えを民事 責任に忍び込ませた、とスタルクは分析する。

そして判例だけでなく、民法の法制度自体に、

私的刑罰の考えが反映されている制度がいく つもある、とスタルクは指摘する。そうした ことから、スタルクは私的刑罰を「民事責任 の生命力の一つ」15と考えた。

 しかし、こうした私的刑罰論に対しては強 い批判がある。これについてスタルクは四つ の代表的な批判を挙げ、それぞれに対し反論 している。

 一つは、「私的刑罰は復讐と言う野蛮な考 えに基づいている」という批判である16。賠 償が損害の大きさを超過して与えられる場 合、それは被害者の心の奥にある復讐感情を 和らげるものである。復讐と言う有史以前の 野蛮な考えを民事責任に取り入れるべきでは ない、というのがその批判の内容である。し かし、復讐感情は誰もが現代でも有している 感情であり、「正当な怒り」として人の心の 中に存在している。実定法が人の復讐心を一 切考慮しないのであれば、被害者は自ら復讐 を実行するようになるであろう。私的刑罰は それを回避する安全弁となりうる、とスタル クは主張した17

 第二の批判は「法の歴史的発展は私的刑 罰の消滅へと向かっている」というもので ある18。非常に古い時代、過失によって他人 に損害を生じさせた者は、被害者に贖罪金

composition)を支払った。この贖罪金には、

13  Starck, thèse p.356s.

14  Starck, thèse p.358s.

15  Starck, thèse p.359 16  Starck, thèse p.371s.

17  Starck, thèse p.373 18  Starck, thèse p.373s.

(6)

回復的機能のほかに、復讐、贖罪、叱責といっ た刑罰的機能も含まれていた。しかし後に、

契約違反、所有権侵害など、過失の有無に関 係なく回復が与えられる、「客観的に不正な 行為(injustice objective)」が認識されるよう になると、被告に対する有責判決は回復だけ を目的とするようになり、刑事法が刑罰的機 能を担うようになった。このような歴史的法 発展の結果、現代の法は刑罰と回復の区別を 前提に誕生しているので、民事法には刑罰的 要素はない、というのが第二の批判である。

しかし、私法の制度の中には刑罰的要素を含 むものがあり、判例も刑罰的要素を伴った有 責判決を下している、とスタルクは反論する。

法の歴史的発展が民事法における刑罰的要素 を排除していったことを認めつつも、現代法 において、私的刑罰が復活してきていること を指摘する。

 第三の批判は「私的刑罰が民法と刑法の分 離という原則に反している」というものであ 19。刑法は社会的な損害の発生においてのみ 介入し、民法は個人の損害の発生においての み介入する。刑法が追求する目的は有責者の 更生と犯罪行為の予防であるが、民法が追及 する目的は以前あった状態に戻すこと、もの ごとを修復することである。刑法は「法律な ければ犯罪なし、法律なければ刑罰なしnullum crimen,nulla poena sine lege)」の原則に従い、そ の適用は厳格に制限される。一方、民法では、

裁判官は条文を類推、拡大して解釈すること ができる。このように刑法と民法は分離され ているが、こうした対置は表面的なものに過 ぎない、とスタルクは反論する。確かに、刑 法は社会的紛争を抑止するためだけに介入す

る。しかしその紛争は、社会秩序を乱す前に、

個人の権利を侵害している20。例えば、窃盗、

詐欺、放火は、所有権に対する侵害であり、

殺人、傷害、暴行は生命や身体的完全性への 侵害である。結局、刑法が介入する場合と民 法が介入する場合には相違はない。さらに、

刑法によって罰することのできない悪しき行 為(婚約の破棄、強姦でない誘惑など)が、

民法によってサンクションされているという 事実に鑑みると、刑法がサンクションする領 域と民法がサンクションする領域には、ほと んど差異がないということが分かる。刑法が 介入するのは、有責的な行為の結果生じる社 会的紛争が特に重大なとき、あるいは特に頻 繁に起こるときだけである。両者の差は、程 度の差であり性質の差ではない。刑法と民法 との対置はもっぱら経験的で、偶発的なもの であり、かつて刑法でサンクションされてい た行為が、今日では民法によってのみサンク ションされたり、またその逆もある。このよ うにして、民法と刑法の分離を根拠とした批 判に、スタルクは答えた。

 最後の第四の批判は「私的刑罰は被害者を 不当な不利益負担あるいは富の増加へと至ら せうる」ということである21。この批判は、

全額賠償(réparation intégrale)を前提にして いるものであり、有責者の過失の軽重に応じ て、損害賠償の額を変化させることは不当で ある、という考えである。つまり被害者が完 全な賠償を得られないということは、損害の 負担を被害者に負わせるということであり、

逆に損害以上の賠償金を被害者が受け取るの は不公平である、と批判するのである。この 批判の根拠はフランス民法典第1382条であ

19  Starck, thèse p.379s.

20   個人の権利への侵害でなく、反逆やスパイ行為など、直接社会秩序に侵害をもたらす行為であっても、

個人は、同胞がそのような行為をすることによって怒りや恥辱を感じ、不快感を覚える、とスタルク は指摘し、全ての犯罪行為は一般の私個人と無関係なものではないことを主張する。Starck, thèse p.381 21  Starck, thèse p.384s.

(7)

る。1382条は回復の義務を宣告しており、「回 復する」とは「以前あった状態に(statu quo ante)」戻すことであるので、賠償金は損害 の大きさよりも超過したり減少してはならな いことになる。だが、不法行為責任は1382 条という古いナポレオン法典の条文から離れ て、学説や判例によって構築された理論の中 で展開されている。それゆえ1382条の回復 の義務に拘泥する必要はない。また、民法典 は、契約の不履行が債務者の故意に帰すべき ものか否かで、賠償金の額を変えている(フ ランス民法典第1150条、1153条)。当事者 の合意によって、損害額と関係なく予め定め られた金額を賠償金とする取決めも認めら れている(同第1152条、過怠約款(clause

pénale)22)。それゆえ、過失に応じて賠償額

を変化させることは、必ずしも不当であると は言えない。これらのことを論拠に、スタル クは第四の批判に対しても反論をなした。

(3)評価

保障理論には、生命・身体への侵害を無過失 責任としたことなど、注目すべき点がいくつ もあるが、その中でも被害者の権利が侵害 されたという事実に注意を向けさせ、被害 者の視点から民事責任を捉えたことが重要で あろう。これは一見すると、フランス民法典 1382条の要件に、そこには規定されていな い権利侵害の要件を付け加えただけのように 捉えらえそうだが、そのような単純なもので はない。それは、法益を享受する資格を保障 するという意味である。なぜなら、スタルク の主張する「安全への権利」の内容こそ、法 益の享受の保障を意味するものであるから

だ。これを日本民法の言葉で表わせば、法的 主体者としての地位・資格(権利能力)の保 障に相当する。全ての人は出生の時より権利 能力を取得しており、日本民法にも第3条1 項でその旨が宣言されている。この規定は単 に権利能力の始期を表明したというだけにと どまらず、人は全て権利の主体たる地位を平 等に有している、という権利能力の平等性を 宣言したものと解されている23。歴史的には 欧米諸国で行なわれていた黒人奴隷など、同 じ人間でありながら、権利能力を否定ないし 制限する制度が存在していたが24、現在の日 本では人間の平等性が基本理念として承認さ れている。権利能力の平等性は、この実定法 の枠組を超越した理念が民法の中に現れたも のといえよう。権利を享受する資格について は、それを法が認めていることの裏返しとし て、その享受の不可侵についても保障が与え られて然るべきである。保障理論はこの権利 能力の不可侵性を保障したものと言え、この 点に画期的な意義を見出すことができる。

他方、スタルクの私的刑罰論については、

二つの特徴がある。一つは、保障理論を前提 として成り立っている、という点にある。損 害賠償責任が発生するか否かは、被害者の視 点から考察される、というのが保障理論の考 えである。すなわち、被害者の有している権 利が絶対的に保護されるべきものなのか(ア クィーリア的損害)、それとも加害者側の「損 害を生じさせる権利」と衝突するものなのか

(非アクィーリア的損害)によって、賠償責 任は決定される。アクィーリア的損害の場合、

加害者は過失(faute)の有無に関わらず、賠 償責任を課されるが、賠償額は客観的に評価

22   契約において、債務者が自己の債務を履行しなかった場合、生じた損害と関係なく予め定められた金

額を債権者に支払う、という条項。山口俊夫『フランス債権法』(東京大学出版会、1986年)225頁以下。

23   四宮和夫・能見善久『民法総則』(弘文堂、第7版、2004年)21頁以下。

24   能見善久「人の権利能力―平等と差別の法的構造・序説―」平井宜雄先生古稀記念『民法学における

法と政策』(有斐閣、2007年)69頁参照。

(8)

された額に制限される。それ以上の額を望む のであれば、加害者の過失が必要となる。非 アクィーリア的損害においては、加害者の「損 害を生じさせる権利」は、加害者の過失によっ て否定される。このように過失の存在が賠償 責任を加重し、あるいは生じさせていること は、民事責任における刑罰的機能の表れであ るとスタルクは考えた。そして第二の特徴と して、私的刑罰を精神的損害の賠償だけに限 られる例外として位置付けるのではなく、民 事法全体に存在する機能としてみなしている 点である。精神的損害であろうと物的損害で あろうと、不法行為責任であろうと契約責任 であろうと、損害賠償責任以外の分野であっ ても、存在している機能として私的刑罰を論 じている。それゆえ、民事責任における刑罰 的要素をより際立たせる考えと言える。

3.類似点を持つ学説との比較

 上述したスタルクの民事責任論、とりわけ 保障理論は、加害者側の行為態様がどうで あったかよりも、侵害を受けた権利者の側に 重きを置いている点で、近時主張されている

「権利論」を想起させる。ここでいう「権利 論」とは、山本敬三教授が主張している「個 人の権利を保障することに他の社会的な目標 の実現に優先する価値を認める立場」のこと を指すが25、スタルクの主張を語るにはこの

「権利論」との違いに言及する必要があろう。

また、「アクィーリア的損害」と「非アクィー リア的損害」という二分論を用いている点で、

加藤雅信教授が提唱する「絶対権侵害」「相 対権侵害」の二分論にも類似している。ス タルクの民事責任論を理解するには、二分論 についても相違を明らかにしなければなるま い。そこで以下では近時のこの二つの学説と スタルクの保障理論との違いを明瞭にする。

(1)「権利論」

(a)山本「権利論」の概要26

 山本教授は、「不法行為制度を個人の基本 権を保護するための制度として位置づけ」27 ており、この考えを基底にして、日本の不法 行為法学の歴史的展開を分析した28。山本教 授によると、日本民法典ないし不法行為法は、

「権利・自由の保護とその調整」という考え 方に立脚して構想されたという。しかしその 後、こうした考え方は不法行為学説において 末川・我妻両博士の違法性理論の登場により

「法秩序の維持・回復」にとって代えられた とする。そしてそれ以降も、確かに違法性理 論そのものに対する批判やそれを強化・修正 する学説が展開され、不法行為法学の「混迷」

あるいは「百花繚乱」の時代に入ったが、基 本的に「法秩序の維持・回復」という根底の 考え方は継承されていったと分析する。この ような流れに対し、潮見佳男教授は、「権利 論」―個人の権利を保障することに他の社会

25   「権利論」の嚆矢は潮見佳男教授(潮見佳男『民事過失の帰責構造』(信山社、1995年)、『不法行為法』

(信山社、2002年))とされているが、この考え方の貫徹した理論を主張しているのは山本教授である と考えられるので、ここでは山本教授の研究を中心にして考察する。

26   山本教授の研究については、不法行為法と関連する以下の論文を中心に検討する。山本敬三「不法行

為法学の再検討と新たな展望―権利論の視点から―」法学論叢154456292頁以下(2004年)

(以下、山本・「権利論」で引用)、「基本権の保護と不法行為法の役割」民法研究第577頁以下(2008 年)(以下、山本・「基本権」で引用)。

27   山本・前掲「権利論」294頁。

28   山本・前掲「権利論」297頁以下。

(9)

的な目標の実現に優先する価値を認める立場

―の観点から不法行為法を再構成しようとし たとされる。だが潮見教授の見解についても、

「権利・自由の保護とその調整」という当初 の構想に立ち戻るものとして評価しているも のの、その主張には、法秩序が個人の行動を あるべき方向へと導くとする思考や、権利は 法秩序によって保障されるとする理解が読み とれるため、末川・我妻両教授が追及しよう とした「社会本位の法律観」との連続性があ ると指摘し、「はたしてそれで、本当に権利 論の存在意義を維持できるのかという疑問が 残る」29と述べる。

 では山本教授が主張するように、「権利論」

を徹底し、「権利論」に基づいて不法行為法 を基礎づけるとどのようになるのか。まず、

「権利論」の中核となる権利観について見て いく。山本教授の権利観は、「するかしない かはその主体自身が決める」という「決定権 的権利観」と呼ばれるものである。これは憲 法上の基本権と関連した権利観であり、「憲 法上の基本権は、自由―することもしないこ とも法的に禁止も命令もされないこと―を保 障するためのもの」30であるという根本理念 を基盤としている。そして憲法上の基本権を 基礎としている限り、その侵害に対して、国 家は最低限の保護を与えることが要請される が、それと同時にそのような保護によって相 手方の権利に対して過剰な介入をしてはなら ないことになる。そうしたことから、「個人 が実際に何についてどこまで決定できるのか は、このような双方の『権利』の衡量によっ て決められることになる」31と述べる。ただ し、ここで述べられている「権利の衡量」は

個別具体的な事件における当事者の諸事情を 比較衡量するという意味ではなく、双方の当 事者が有する権利の「抽象的なレベルでの衡 量」であるとする。「…原則として自分だけ で決定でき、それが侵害されれば原則として 差止請求や損害賠償請求が基礎づけられると いうルールが確立している」権利が「支配権」

であり、その内容と射程の決定においては他 の権利との衡量は必要ないが、「そのような 意味での絶対的な決定権として確立していな いもの」については、他の権利との衡量が必 要になる。それゆえ、「『権利』の内容と射程は、

他の『権利』との相関において決まってくる」

と結論付ける32。そして不法行為法について は「個人の基本権が他人によって侵害されて いる場合に、国家がみずから負う基本権保護 義務を果たすために用意した保護制度」33 考えた。

(b)「権利論」との相違

 山本教授の見解は、個人の基本権の保護を 中心にした不法行為法を展開している。それ は被害者の権利だけでなく、加害者の権利の 保護にも言及するものであり、したがって両 者の権利保護の調整が必要になるが、それに ついては「権利の衡量」という手段を主張し た。スタルクも、被害者と加害者の権利・自 由が衝突することを指摘し、その解決は、両 者がどのような権利・自由を有していたのか を基準にしている。この点においては、両説 の類似点を見出すことができよう。

 しかし、不法行為法の根拠については相違 がある。山本教授は憲法で保障された基本権 の侵害を不法行為法の発動の根拠として捉え ている。それは不法行為法そのものが基本権

29  山本・前掲「権利論」348頁。

30   山本・前掲「基本権」127-128頁。

31   山本・前掲「基本権」129頁。

32   山本・前掲「基本権」130頁。

33   山本・前掲「基本権」135頁。

(10)

保護義務を果たすための制度であると考える からだ。つまり、基本権保護の制度の一つと して不法行為法は存在すると主張する。それ に対して、保障理論で守られている対象は、

「することもしないことも法的に禁止も命令 もされない」自由といった憲法上の基本権で はなく、「権利・利益の享受を妨げられない」

という内容(権利能力の不可侵)である。換 言すると、スタルクは基本権の保護という憲 法の枠組からの視点ではなく、実定法を超越 した原理として認められた「権利能力の不可 侵性」を保障するという視点に立っている。

それゆえ、被害者と加害者双方の「権利の衡 量・調整」という観点では共通するものの、

不法行為法の基本的な理念においては相違が あると言える。

(2)不法行為二分論

(a)加藤「二分論」の概要34

 加藤教授は「不法行為法学の混迷」と呼ば れる状況について、「不法行為法における絶 対権・絶対的利益の保護と、相対権・相対的 利益の保護とを区別しなかったことから発生 した」と分析する。そして、この二つの法益 については、「侵害があった場合に侵害者に 故意・過失があれば常に損害賠償が認められ る権利や利益」のことを「絶対権・絶対的利 益」と呼び、「一般的に保護されているわけ ではないが、悪辣・悪質な方法での侵害から は保護される権利や利益」のことを「相対権・ 相対的利益」と呼んだ35。前者の「絶対権・

絶対的利益」の侵害に対しては、故意・過失 と権利・利益侵害の二つの要件が充足されれ ば不法行為が成立するとし(権利侵害類型)、

後者の「相対権・相対的利益」の侵害に対し ては、故意・過失と権利・利益侵害だけでな く、侵害方法が悪辣・悪質であることを不法 行為の成立要件として要求する(違法侵害類 型)。悪辣ないし悪質であるか否かは、「どの ような権利・利益が、どのような方法で、行 為者のいかなる主観的な態様のもとで侵害さ れたのかを総合的に判断することによって決 定される」としている36

 そして、不法行為法の意義と二分論の関係 については、次のように述べている。まず、「…

709条は、『過失』と『権利侵害・利益侵害』

との二つの要件を用いて、市民の活動の自由 を確保しようとするものであった」。しかし、

ここで挙げられた「権利侵害・利益侵害」の 要件が念頭に置いた典型的な侵害は、二分論 で言うところの「絶対権・絶対的利益」の侵 害であり、これらの権利・利益は、第三者か ら容易にその存在を確知しうるので、その侵 害に対しては「故意・過失」があれば、損害 賠償を認めたとしても市民の活動の自由をそ れほど制約しない。それに対し、相対的権利 利益はその存在を外観から知ることはできな いので、市民(加害者側)の活動の自由の方 が優先し、過失による侵害があっても直ちに 損害賠償が認められるわけではない。つまり、

故意・過失の要件はここでは用いられない。

賠償が認められるのは、加害者に害意があっ

34 不法行為を類型化して要件を分ける考え方は、加藤教授自身が述べているように(加藤・後掲185頁)、

澤井裕博士の見解(澤井裕『テキストブック事務管理不当利得・不法行為』(有斐閣、3版、2001年、

初版は1993年)138頁以下)や藤岡康宏教授の見解(藤岡康宏『損害賠償法の構造』(成文堂、2002年)

21頁以下)と根底を同じくしている。しかし、上記の二説よりも加藤教授の見解のほうがスタルクの 主張との明瞭な類似点を有していると考え、ここでは加藤教授の説を中心に論じる。

35   加藤雅信『新民法大系Ⅴ事務管理・不当利得・不法行為』(有斐閣、2版、2005年、初版は2002年)(以 下、加藤・「大系」で引用)183頁。

36   加藤・「大系」184頁。

(11)

た場合に限られる。それは、他者に対する害 意をもった活動の自由まで保障する必要はな いからである。従って二分論では、相対的権 利・利益の侵害の場合には、加害者側の害意 を要件にすることで、市民の活動の自由の確 保と相対的権利・利益の保護との調和が図ら れる37

 以上のように、「市民の活動の自由の保障」

という不法行為法の意義と調和させ、「絶対 的権利・利益侵害」の権利侵害類型と「相対 的権利・利益侵害」の違法侵害類型の二つの 類型に分けて、二分論は展開されているが、

詳細な点においては人格権の特殊な性質を考 慮し、さらに四つの類型に分けている。通常、

人格権は絶対的な権利と考えられているが、

加藤教授は人格権を「絶対的人格権」と「相 対的人格権」に分けた38。生命、身体、健康、

自由を絶対的人格権として、「絶対的権利・

利益侵害」の権利侵害類型に入れた。その中 でも、生命、身体、健康は他の絶対的権利・

利益よりも要保護性が強いので、特別法で無 過失責任が導入されたり、無過失責任に近い 過失の認定がなされていることを指摘する39 一方、名誉、プライバシー、肖像などは「相 対的人格権」に含まれ、これらの侵害の場合 には、「相対的権利・利益侵害」型の要件に 行為者の過失が加わるとする40。その結果、

不法行為法によって保護される権利利益は、

①絶対的人格権(生命、身体、健康)、②絶 対権・絶対的利益(物権、自由など)、③相対 的人格権、④相対権相対的利益に分けられ、

①の侵害の場合が最も保護の程度が強く、市

民の活動の自由は狭められ、②、③、④と順 次その保護の程度は弱くなり、市民の活動の 自由は広くなるとしている41

b)二分論との相違

 フランスと日本の不法行為法が、それぞれ 一般的要件(フランス民法典1382条、日本 民法709条)を設けている中で、不法行為 の類型を二分化したことは、技術論として共 通している。加藤教授は、生命、身体、健康 を絶対的人格権と位置付け、要保護性のもっ とも強い権利とし、無過失責任の考え方が適 用されていることを指摘した。また、物権や 自由なども絶対的権利・絶対的利益として捉 え、絶対的人格権に次ぐ要保護性の高い法益 とした。他方、スタルクも身体的損害と物的 損害をアクィーリア的損害と呼び、要保護性 の強い法益の侵害として捉え、これらの侵害 に対しては無過失責任を主張する。類型ごと の詳細な内容については異なるものの、生命、

身体、健康などに最大の要保護性を認める点 では共通しており、その侵害においては無過 失責任を論じている点にも共通性を見いだす ことができる。

 しかし、その前提となる考え方において相 違がある。スタルクは、法益の享受を保障す る際には必ず「諸権利の衝突」が生じるので、

それを解決する手段として二分論を主張し、

かつそれが不法行為法の歴史から正当な分類 方法であることを論証した。それに対し加藤 教授は、「不法行為の目的は市民の活動の自由 を保障することにある」という考えを修正す ることなく、不法行為を論じており、混迷す

37 加藤・「大系」227頁以下。

38  加藤・「大系」189頁以下。

39   人身被害の不法行為に関する加藤教授の見解は、「総合救済システム」の導入を目指したものであり、

解釈論に留まるものではない。「総合救済システム」については、加藤雅信編『損害賠償から社会保障 へ』(三省堂、1989年)1頁以下及び289頁以下、加藤・「大系」400頁以下参照。

40   加藤・「大系」219頁。

41   加藤・「大系」228頁以下。

(12)

る日本の不法行為法を整合的に解釈する手段 として二分論を提示したと考えられる。そこ には「権利能力の不可侵性」を保障するとい う考えはない。つまり、不法行為責任が発生 する根拠については、加害者が過失を犯した

(過失責任主義)という加害者側の事情に求め る従来の思考形式にある。こうした思考形式 の否定からスタルクの民事責任論は出発して いることからも、不法行為法に関する本質的 な考え方において、両者には違いがある42

(3)小括

 上記二つの学説は、スタルクの保障理論と 類似する点はあるものの、不法行為法の根本 的な考え方において相違がある。山本教授は、

憲法で保障された基本権の保護を不法行為法 の存在意義としているが、スタルクは「権利 侵害」の「権利」を基本権のような憲法上保 障された法益として捉えてはいない43。加藤 教授の不法行為論は、混迷する不法行為法学 を整理する上で有益な解釈論を提示したが、

不法行為責任の根拠については、加害者側の 事情に重きを置く思考形式(不法行為責任 が発生するのは 加害者が過失を犯したか 加害者の行為は「危険」を生じさせ た か ら か ら逸 脱し て は い な い と考え られる。しかしスタルクはこの思考形式を完 全に否定している。スタルクが考える不法行 為責任発生の根拠は「他人の法益享受を侵害 したこと」であり、それは「権利能力の不可

侵性」を保障するという考えである。

4.不法行為法の目的

 上述のように、スタルクと近時の学説との 大きな違いは、不法行為法に対する根本的な 考え方にあると言える。そこで最後に、不法 行為法の目的ないし理念という視点から、ス タルクの民事責任論の特徴を論じていく。こ こでは、不法行為法という制度が設けられた 目的について検討するが、「被害者の損害を 加害者に填補させること」などは不法行為法 の機能に関する議論であると考え、射程外と した。「何のために不法行為法はあるのか」

ということが検討対象となる44

(1)不法行為法によって保護される対象

(a)活動の自由の保障

 起草者は活動の自由を最大限に認めるとい う理念から、加害者側の活動の自由を保障す ることを念頭において、不法行為法を作った。

その具体的な表れが「権利侵害」の要件と 過失責任主義である。2004年の改正以前の 709条は「故意又ハ過失ニ因リテ他人ノ権利 ヲ侵害シタル者ハ之ニ因リテ生シタル損害ヲ 賠償スル責ニ任ス」と規定していたが、その 要点は、過失責任主義と権利侵害にある。ま ず前者については、もし、加害行為と損害の 間に因果関係があればいかなる場合でも責任

42 人身被害については無過失責任を導入すべきという点で、確かに同じ視点に立っているように見える が、加藤教授の場合、「総合救済システム」の導入を視野に入れた議論をしているので、スタルクの無 過失論とは違う。

43   スタルクはまた、「法的に保護される正当な利益、まさにそれが主観的権利の定義である」と述べてお り、「権利侵害」の「権利」を「絶対権」などの狭い意味での権利と考えていない。Starck, Domaine p.502.

44   「目的」と「機能」は密接に関わっているので、分離して考えることは難しいが、本稿では、ある法制 度が一定の「目的」のために設けられ、その「目的」を達成させるために、それに相応しい「機能」

が備えられていると解釈している。つまり、不法行為法を制度設計する際の理念をここでは「目的」

と表現した。

参照

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