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現代の産業革命 : 低開発国の開発問題の視角から

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(1)

現代の産業革命 : 低開発国の開発問題の視角から

その他のタイトル The Present‑day "Industrial Revolution"

著者 佐藤 明

雑誌名 關西大學經済論集

13

4‑6

ページ 423‑443

発行年 1963‑12‑20

URL http://hdl.handle.net/10112/15421

(2)

﹈ 

ここで現代とは第二次世界戦争終了以後の世界を指している︒この現実の世界で︑われわれはつぎのような激し

い︑しかし︑きわめて希望的な世界史の動きに直面している︒すなわち︑両体制の競争的共存のなかで植民地の解

放があいついで闘い取られ︑政治的独立を獲得した国は︑その独立の経済的基盤を確実にするために︑いずれも急

速な経済発展を志向している︒旧植民地世界が政治的︑経済的独立を達成するために示す激しいエネルギーは︑結

論的にいえば︑世界史の平和的発展への力強い動きであり︑今日足音高くすすみつつあるところの資本主義から社

会主義への世界的移行の重要な契機である︒

しかし︑このような道は︑世界プロレタリアートの勢力が強大となった現代においてさえも︑けっして坦々たる

大道でないことはいうまでもない︒帝国主義諸国は経済援助という新たな粉飾のもとに︑新しい型の植民地支配を

うかがっており︑このために︑旧植民地諸国の経済発展は歪められるおそれがある︒しかし︑このような歪曲は国

民大衆の犠牲という形で示されるであろうから︑やがて彼らの反撃をうけ︑

l

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現 代 の 産 業 革 命

これらの歪曲に加担した国内の少数弁

••

(3)

424 

新しい対象に対処するには分析のメスをも新たに磨ぐ必要がある︒解剖すべき対象をよく切開し︑観察を総合

的に精緻にするためである︒世界史の動向は約一

00

余年まえにわれわれの偉大な先人が発見した法則の正しさ

を︑ますますあますところなく︑証明しつつある︒同時に今日ほど︑歴史は一定の土台の上で人間が作るのだとい

うことを痛感させる時代はない︒科学的認識に基づく人間の意志と選択力が歴史の過程を早め︑ る ︒ 買者は国民の審判にかけられ︑国民的経済発展の道中から消し去られるであろう︒旧植民地世界の経済発展は︑先進資本主義国の過去の経済発展とちがい︑大衆が搾取されるのを許さぬ︑きわめてきびしい側面をもっているので展﹂とは具体的にどのようなことを指すのか︒また︑的に組立てられるところの政治的︑社会的諸要因はどのようなものか︒こういったものを析出しつつ︑展﹂の現実的︑具体的形態を世界史のなかでさぐりあてたいと思うのである︒

このような作業は︑

﹁経済発展﹂という言葉に厳密な規定を与えずに使ってきた︒そこで︑これから﹁経済発

そのための経済的諸要因はなにか︑それらがそのなかで機能

いかに経済学の分野に限定しようとも︑きわめて多面的な性格をもつものとなろう︒それが

社会主義と独占資本主義の並存する世界を背景として︑経済的のみならず︑社会的︑政治的ならびに文化的にもお

くれた︵総合的に︶後進的な国でおこなわれるからである︒それは進行形をもっておこなわれる現実の問題であり︑

しかもそこでは先進国ですでに経験ずみの課題が機能的には問題となるのである︒しかし︑古いものが新しい環境

のなかで鋳直され︑新しい物質となって生誕するのである︒この意味で︑

ある︒このような諸点が現代世界の特徴である︒ 開西大學『網済論集』第十三巻第四•五・六合併号

それはまった<ユニークな問題なのであ

﹁自由の王国﹂へ 四六

(4)

の距離を短縮することができる︒

I l 経済的独立の問題点

( 1 )  

旧植民地の多くは経済的に﹁低開発諸国﹂

u n d e r , d e v e l o p e d   c o u n t r i e s

といわれる状態にある︒低開発国とは︑

経済成長論者によれば︑人ロ一人当りの実質国民所得がアメリカ合衆国や西ヨーロッパ諸国に比べて著しく低い水

( 2 )  

準にある国を指している︒この低所得水準の原因は﹁科学技街の進歩の成果が大規模に農業と工業とに応用されず︑

( 3 )  

自給自足生産が一般に重要で︑市場が比較的狭く︑製造工業が通常比較的重要でない﹂ところにある︒だから機

械化を進行させ︑労働の資本装備率を高めてゆけば︑人ロ一入あたりの実質国民所得が高まり︑経済成長が実現す

る筈である︒このためには芸ず現実の素朴な農業技術に依拠する農業国の段階から機械化された工業に依拠するエ

業国への転化をはかる必要がある︒このような産業構造の革命的な変化が一旦成功すると︑その変化が完了するま

( 4 )  

でのあいだテンポの早い経済成長が維持される︒このようなすばらしい飛行にむかって︑まず離陸させること︑つ

いで成熟へ前進させることが低開発諸国の開発

1

1工業化の根本問題である︒

ところで︑技術の導入を梃とする産業構造の激しい変化の過程はイギリスを先頭として先進国がいずれも﹁産業

革命﹂とよばれる過程において経験ずみのものである︒先進諸国ではこの経済過程は政治的︑社会的変化と結びつ

き︑その濃淡の差はあれ︑いずれも大衆の収奪の上で資本主義体制を確立させた︒世界史の発展法則の上でいえば︑

産業革命は生産力の著しい発展が資本主義的生産関係のなかで実現したところの工業化の特殊歴史的な現象である︒

しかるに︑低開発諸国における現代の﹁産業革命﹂は世界的に社会主義への移行のなかでおこなわれる︒だか

ら︑現代の低開発世界の﹁産業革命﹂は必ずしも一部のインクレストが期待するように資本主義コースで行われる

__̲̲̲̲̲̲̲̲̲  ‑̲‑‑

(5)

426 

開西大學﹃繹済論集﹄第十三巻第四・五・六合併号

とはかぎらない︒つまり︑終局的に資本主義の確立を導くかたちをとるわけではない︒否︑むしろそれが今日では

望むべくもないことは明白である︒ここで世界史的段階を異にする二つの﹁産業革命﹂.の類型が浮びあがる︒

は過去のものとして︑いま︱つは現実にさし迫りくるものとして︒ではこの二つの﹁産業革命﹂の類似点と相違点

はなにか︒先輩の産業革命は後輩の﹁産業革命﹂になにを教えることができるか︒

絶対欠くことのできない経済的諸要因︒それらを政治的︑社会的環境の上で実現するに当って先輩の﹁産業革命﹂

がやったことのうち︑プロレタリアートの立場からみて︑やらせてはならないこと︒それにかわって行われるべき

方法︒これらのことが教えられ︑学び取られなければならない︒

以上のことは経済史家がまず低開発諸国の工業化の問題点を把握したうえで︑

産業革命の過程を分析し︑そこに働いている経済的諸要因と政治的︑社会的諸要因との絡み合いを︑それぞれ比較

史的見地からあきらかにすることによって︑もっとも効果的に果されるであろう︒それは経済史家に与えられたも

っとも新しい研究テーマの︱つである︒このような新しい問題に正確に接近するためには︑経済史家もつねに新し

い経済理論の動向に敏感でなくてはならない︒

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﹇ 

工業化と産業革命 これを問題意議として︑先進国の

低開発諸国における工業化は農業から工業への移動を随伴するという点で先進諸国に

おける産業革命とおなじ過程である︒しかし︑先進諸国における産業革命が資本主義の確立を導くのに対して︑低

開発諸国では必ずしもそうであるとはいえない︒したがって︑この点では産業革命という用語は低開発諸国にとっ

てはあくまで比喩的である︒われわれはまず﹁産業革命﹂の機能的な面のみを抽出して︑これを新しい世界史の環 ﹁産業革命﹂を実現するために

一 っ

(6)

門が牽引車となり︑ 境のなかで焼直す作業をすべきである︒では産業革命の機能的な側面をどう捉えるか︒

第一に︑産業革命は一連の機械発明を基軸とする機械制工場工業の発達を内容とするものとされている︒しか

し︑このような工場制度の発生は必要条件ではあっても充分条件ではない︒産業革命が自生的に展開されたイギリ

スにおいてさえ︑工場の発生の時期を実証的に厳密に示すことはけっして容易なことではない︒まして低開発国に

あっては必要に応じて︑先進国の技術を輸入し︑部分的に工場を作ることは可能であり︑また現実に行われてい

る︒しかし︑それをもって産業革命に比定することはできない︒問題は技術学的なタームでではなく︑経済学的な

タームで規定するにはどうしたらよいかというところにある︒産業の急速な発展を実現するには通常若干の生産部

﹁有効な投資率ないしは貯蓄率は国民所得のたとえば五バーセントから一0

( 5 )  

はそれ以上に上昇することになろう﹂︒そして一度このような事情が成立すると︑それは後退はおろか停滞するこ

とも許されない︒これはロストウ教授の﹁離陸﹂にあたる︒産業革命の始期を判定する場合に﹁離陸﹂概念をつか

うことは︑低開発国の開発の立場から有効であるようにみえる︒第二に︑産業革命は国民経済の再生産構造を樹立

した︒このことは低開発国の﹁産業革命﹂においてもきわめて重要な示唆を与える︒この点については(VI)

以上︑産業革命における重要な二つの機能的な枠組を指摘したが︑

てる場合︑基本的な重要点となるであろう︒したがって︑低開発国の開発との関連からみるかぎり︑

伝統と封建制

これらは低開発国の工業化に歴史的接近を企

これらの過程

i n d u s t r i a l i z a t i o n

という用語で表現することがより合理的であろう︒

低開発国の工業化がおこなわれる場合︑工業化のために好ましくない経済的︑社会的︑政

(7)

428 

つねに自然資源を技術的に︑経済的に開発し

しかも自動車の普及でゴム市場が伸

閥西大學『網済論集』第十三巻第四•五・六合併号

すプスタクルズ治的要素がある︒これらは工業化のための障害として︑それをうちやぶることが望まれる︒産業革命ではこれら

の障害は具体的に封建的であり︑市民階級の反封建闘争によってやぶられ︑産業革命への道が切り開らかれた︒し

かるに︑低開発世界においては障害は必ずしも封建的なものばかりではない︒封建以前のものがかなり混在してい

るし︑また︑かって産業革命に促進的であったものさえも含まれうる︒だからこれらを今日的でないという意味で

tラディッヨンという用語で一括し︑次に︑伝統からの解放をいかに闘いとるかを論ずるのが有効ではなかろうか︒﹁伝統﹂

w

工業化の経済的諸要因

以上で工業化の骨格をきめたので︑さらにたちいって︑工業化を起す直接の諸要因を論じよう︒一般に成長の経

済学によれば︑経済の発展は自然資源︵技術を含む︶と人的資源と資本資源との組合せによっておこなわれる︒

沙漠や両極地方でないかぎりどこでもなにがしか与えられている︒しかし単にこれが存在するだけでは経済的意味

を持たない︒これが他の補完的生産要素︵労働・資本︶と結合され︑市場に接触されたときにのみ意味をもつ︒した

土地や鉱物といった自然から直接与えられているものが自然資源といわれるが︑

ると南米の生ゴムの生産高が下落して︑東南アジア︑とくにマレー︑

の工業を市場とし︑運河や鉄道に媒介されて発展した︒このように︑

このためには︑有用な自然資源の存在場所に労働力が送られ︑市場と接触させる媒体が必要である︒たと

( 6 )  

えば︑ウガンダにおける木棉裁培はケニャ・ウガンダ鉄道の敷設によって経済的意味を与えられた︒二0世紀に入

スマトラ︑ジャパのゴム裁哉が盛んとなった

が︑これはこの地方に安価な労働力が流れ込み︑西欧から資本が流れ込み︑

( 7 )  

び︑これに接触させられたからである︒先進国の場合︒イギリスではランカシャー︑ョークシャーの炭田は同地方

(8)

てゆくことは経済発展の条件である︒今日の多くの低開発諸国では自然資源はまだ多くねむっているといわれる︒

たとえば︑インドにはなお九︑

00

0万エーカの未開墾地があり︑灌漑計画がうまくおこなわれれば広大な耕地が

( 8 )  

開ける見込がある︒ビルマの広大な荒地は開墾されれば一︑九00万エーカーの耕地を生むといわれ︑これは現在

( 9 )  

の耕地とほぼ同じ面積にあたる︒また︑アフリカの銅・ボーキサイト・錫︑アジアの石油・鉄・ボーキサイト・錫︑

( 1 0 )  

南米の石油・鉄・銅・亜鉛などは経済的に開発されれば︑大きな価値を生むものである︒

労働人口の形成は工業化の最も重要な要因である︒工業化が資本主義コースで行われた先進国で

は︑その形成過程は悲惨な物語である︒どこの国の歴史をみても︑工業労働人口はその国の農業労働人口が何等か

の農業上の変化の結果として過剰となり︑かくて工業へ吸引されることによって創出された︒しばらく機能的な側

イギリスでは囲込による大農法︵いまだ農業の機械化ではない︶の普及が一八世紀末から起

った結果として︑農業労働人口に著しい余剰がつくられた︒もっとも︑イギリスでは一八世紀中葉以降の人口増加

が考慮されねばならないが︑これが工業人口を作る大きな原因となったことは否定できない︒日本のように︑明治

維新以後︑地主制のもとに零細耕作農民を固定させ︑高率小作料によって農民の生活水準に著しい圧迫を加え︑か

くて家計補充的労働を工業のためにスクイーズした場合もある︒低開発世界における工業労働人口の創出について

は︑まずヌルクセ氏のすぐれた問題提起があった︒彼によれば︑人口の比較的少ない中南米型の場合には︑イギリ

スのように農耕組織の改良ないし農耕技術の秩極的導入によって農業における相対的過剰人口を作る必要がある

一般に低開発世界では農業の原始的性格によって︑絶対的過剰農業人口がある︒すなわち︑他の条件

現代の産業革命︵佐藤︶. 面のみに限ってみると︑ A労働人口 2人的資源

(9)

C> 

すかという問題は甚だ困難な問題である︒ 術など︶が不変として︑農業生産力に何らの影響を与えないで取去ることのできる農業人口数がある︒

アジアなどの人口過剰地域ではこのような人口の比率は一五ーニ0︒ハーセントないし︑三0

最高のものはエジプトで五0︒ハーセントを示している︒これがヌルクセ氏の有名な仮装失業

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( 1 1 )  

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である︒この仮装失業人口を適当な方法で工業に動員し︑デモンストレーション効果を有効に抑止して︑国民

の不相応な消費性向をくいとめることができるならば︑経済的に新しい追加資本を費すことなしに工業労働人口を

創出することができるという︒理論的にはたしかにそうであろう︒しかし︑現実にそれをどのような仕方で生みだ

農業の自主的な発展のなかで第二次囲込が必至とされ︑そのような事情の下で行なわれたイギリスの場合でさえ︑

囲込が農民大衆に好意的に受入れられたわけではなかったことはいうまでもないであろう︒囲込が﹁農民からの土

地収奪﹂を意味する以上︑これは強力な国家権力をうしろだてとして︑農民の利益に反して強行されたものであった︒

イギリスの工業化過程では農業︑

から︑彼らの反抗が起ったのは当然であり︑

る︒これを抑えたのはブルジョア国家の強権であった︒日本の場合は︑さきにふれたように︑封建的農業組織の機

それをブルジョア的関係のなかで組み替えようとしたために︑農業労働人口の収奪は実際的にはもっ

と苛酷であった︒そして︑ 工業における小生産者の犠牲のうえで労働人口︵プロレクリア︶の創出が行われた

これらの反抗は藤々労働者政府の実現の方向につきあげられたのであ

その過程の実現を支持し︑農民の反抗を抑えるための国家権力の発動は言語に絶した︒

低開発世界でヌルクセ理論に忠実な政策をとるとすれば︑強力な国家の圧倒的な干渉が必要条件となるであろ

う︒それがどのような性格の国家であり︑現実的にどのような合理的な用意の下での介入であるかが検討されたの 賜西大學『網済論集』第十三巻第四•五・六合併号

とくに東南

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(10)

ちでないと︑現実的な問題となりえないであろう︒しかし︑そのようなやり方は︑結果として︑せっかちな方法と

批判されるようになる傾向を内在するのではないか︒低開発諸国では小農民︑小生産経済の自由な発展を促進する

ような方向で工業労働人口が吸収されるようになるのがヨリ現実的な方法ではないであろうか︒そのためには︑低

開発国の農民も充分弾力性のある欲望をもち︑交換経済圏への接触に懐疑的でなく︑報酬率に鈍感でないことがさ

( 1 2 )  

らに認識される必要があろう︒このためにはデモンストレーション効果が必ずしも悪影響ばかりもつものとはいえ

ない︒それが農民を貨幣経済へ接触させる剌戟となり︑.ひいては生産そのものへの剌戟ともなるであろう︒問題は

それが国民経済上浪費となるかならぬかにある︒

あり︑これが産業革命への剌戟となったことを想起すべきである︒低開発国では農民経済を発展させ︑いわば︑先

進諸国におけるマニュファクチャー段階の機能をこれに持たせることが︑たとえそれが経済発展上︑迂遠にみえよ

うとも︑最ものぞましいことであり︑かえってせっかちな方法より最終的には早く確実な方法であるかも知れない︒

わめて重要である︒それでは︑

インノペーターのような革新家が低開発諸国にも存在し︑あるいは発生する可能性があるかという問に対しては︑多くの学者はき

わめて否定的である︒その理由は︑バァウアー

1

ヤーメイ氏によれば︑慣習の力︑身分制のきぴしさ︑新しいアイ1

ェクステンデッド・フアミ99

デアおよび知的な好奇心の行使への不信があり︑さらに大家族︑村落︑部族などの共同体意識が個人の努力

( 1 3 )  

に対する報酬を当人が独占することを認めないからである︒それらの環境は西欧の経営者を育てたといわれるプロ

テスタンティズムのそれとは著しく対照的である︒しかし︑世界史のちがった段階では︑企業者的精神を起させる

B経営者以上のような方向への農民経済の発展のためには︑経営者ないし企業家といわれる人々の役割がき

一八世紀のイギリスの進歩的地主や一九世紀ビクトリヤ期の工業家・商人・銀行家 一八世紀前半におけるイギリスの流通圏の拡大には国内的要因も

(11)

432 

発展させるために必要である︒ にはプロテスタンティズム的環境が必ずしも不可欠とはかぎらない︒ロストウ氏はこのような動機として国辱に対

( 1 4 )  

する反撥心を措定する︒つまり︑外国からの侵入をうけ︑伝統的社会が外国人による屈辱から彼らを守りえない場

合には︑利潤動機に優越してこの反撥心が働き︑伝統的社会をくつがえそうとするのだ︑と︒しかし︑

発見が日本をして︑いわば国家意志の行為によって︑ 日本の明治維持を説明できても︑なぜ中国がこの反撥を一九四九年までまたねばならなかったかを説

(15) 明できない︑とロビンソン女史は批判する︒﹁世界にはその富と勢力とを産業技術に拠っている人々があるという

( 1 6 )  

その技術を習得せしめ︑強国の隊伍におしすすめさせた﹂︒

その質的な考慮を別にすれば︑日本の政府は欧米との接触を緊密にしつつ︑ ロストウ流

この過程を短期に●しかも効果的に実

現した︒これは経済発展にあたって︑プロテスタンティズムとは類型を異にした精神が働いた例であろう︒日本と

その開発のはじめにあたって︑プロテスタンティズムをもたない低開発諸国は日本の場合とおなじような

形態で開発をすすめるであろう︒ただし︑彼らがまなぶべき相手は必ずしも資本主義的欧米であるとはかぎらな

い︒この開発をすすめるにあたって︑政府は経済的に﹁経営者﹂の役割をも果さなくてはならない︒それはイギリ

スに対する後進国ドイツや︑欧米に対する後進国日本がやったように︑先進国に早くおいつくために重要産業部門

を国家ないし︑国家の後援する機関によって大規模経営の形で発展させなくてはならないからである︒このような

国営・準国営企業の経営者はつねに国民経済の観点から経済計画の線に沿って行動することを要求される︒

これと並んで︑地方経済的な規模の私的経営者の役割をも重視せねばならない︒これはむしろ下から国民経済を

このためには︑彼等が一時的に利潤追求をその行為の動機とするのも止むをえな

い︒彼らはまさにイギリスでプロテスタンティズムに支えられつつ︑局地市場圏を形成し︑国民市場の形成の原動 闘西大學『網演論集』第十三巻第四•五・六合併号

(12)

A国内資本 先進国の産業革命開始期︑

そのために︑

農業では労働集約 力となっていった︑あのマーチャント・マニュファクチャラーないしマニュファクチャラーと同じ方向に進むべきものである︒低開発諸国では︑地方経済における中産商工階級が一定の条件のもとでこのような動きをみせるであろうし︑中間搾取者として寄生的な華橋的商人といえども︑政府の政策如何ではこの︑ような方向に動くかも知れない︒政府は土着せず︑むしろ土着人に寄生してその発展を阻むような外国人層を追放するようにすべきであろう︒先進国の経験においても︑国民的生産力が上向してくる場合には︑流通圏に寄生する外国商人層が追放されること

ロストウ教授のいう﹁離陸期﹂においては︑純貯蓄と純投資は国民所得の

( 1 7 )  

1 0

1

1 0

バーセントであったが︑現在の低開発諸国では僅かにニー六︒ハーセントにすぎない︒ここに︑いわゆる

﹁悪循環﹂の原因がある︒具体的にいうと︑最近経済発展をとげつつあるナイジェリアの︑しかもその中心地域三

五 ︑

000平方マイルにかぎってさえ︑その鉄道敷設は二︑

OOO

マイルにすぎない︒国民一人あたりの電力消費

一九三七年のアメリカ合衆国の七︑

00

0キロワット時に対して︑ブラジルニ︱︱

1 0

00

( 1 8 )  

エジプト八0である︒これらは資本の低水準を示す︒また資金が少いことはこれらの国で利子率が高いことで証明

されている︒これらが悪循環の根源になるのであって︑

銀行に預金されて先進国のために役立っている︒中流商工業階級の蓄積は少く︑

的︑工業では家内工業といった生産形態が解消できない︒イギリスの場合には︑中産的生産者層のあいだにかなり 3資本資源 を教えている︒

これをいかに克服するかが問題となる︒

少数の支配階級が持つ巨大な財産は殆んど国内の開発に役立っていない︒それらはむしろ外国の

(13)

434 

これが産業革命の時期に工場制度を築く主力となったeまた工場制の初期においては利潤率がきわ

めて高く︑再投資が活澄で︑工業発展の主力となった︒工業部門に株式会社制度の普及がおくれたのはこのような

事情が大きく働いたためであった︒しかし工場の発展だけで経済発展が起るわけではない︒運河︑道路︑鉄道︑鉱

一般国民の資金が参加した︒イギリスでは重商主義時代に植民活動を通

じて豊富な富が国民のあいだに蓄積され︑機会があれば資本に転化されることができた︒日本では絹のような農産

物の輸出が初期の資本形成に一役買ったが︑大部分は強力な国家権力による農民の収奪から創出された︒低開発国

では農産物や鉱産物などの輸出によって資本形成を促進する道が残されているcしかし大切なことは農民的所有に

基づく土地が交換経済に接触し︑農民経済のプルジョア的発展が促進されるような環境が生まれることである︒こ

のような環境から私的経済の発展のための資本形成が生みだされるであろう︒これにはかってイギリスで成功し︑

日本で失敗した例がある︒この成功と失敗がその後の両国の経済発展にどのような差異を与えたかを比較検討すれ

ば︑低開発国がとるべき道に大きな示唆となろう︒

日本とイギリスとはその資本形成期において︑外国資本に殆んど依存しなかった例として有名で

ある︒逆にアメリカ合衆国は外国からの投資によって伸びた例である︒合衆国でいち早く株式会社の計理公開が発

( 19 )  

達したのもこのためであり︑外国資本が一国の独立性にとって必ずしも危険でない例として︑合衆国自身の帝国主

義イデオローグたちによって宣伝されている︒しかし外国資本には経済的にも︑政治的にも︑

る︒外国の私的資本が直接投資の形で入ってくる場合には︑その利潤は必ずしも資本蓄積の方向をとらない︒問題

はこれをうけ入れる国内条件の確立である︒しかし外国資本の投下がなければ低開発国の開発は不可能にちかいと B外国資本 山の開発など幾多の部門で︑地主︑商人︑ 開西大學﹃網済論集﹄第十三巻第四・五・六合併号五六

(14)

見られる現象である︒しかし︑

いうことは総ての人々の認めることである︒私はさきに国内資本の蓄積をイギリスの場合のようにやるのが大切だ

といった︒しかしこれは低開発諸国でもイギリスとおなじ経過でそれが可能だといったのではない︒当時のイギリ

スのように産業的中産階級の発展した場合でさえ︑植民地からの収奪がそれに大きな援助を与えていたのであっ

ーた︒ましてやこのような階級を持たず︑しかも異った歴史段階において︑低開発諸国がイギリスのような自生的発

展を実現することは不可能である︒ただ︑政府が外国資本の援助をうけて計画経済をすすめる場合に︑私経済圏を

これをイギリス的な方向におしあげるように努力することが大切だというのである︒そのような努力を

せずに日本のような方向にふみ出すのであれば︑成長のテンボは早くとも︑その経済構造は薄弱になるというので

ある︒ここに外国資本の導入の重要さと︑受入れ側の国内条件の整備の必要が認識されねばならない︒ここで国内

条件の整備というのは外国の投資家にとっての好条件という意味でなく︑自立経済を志向するような環境をつくり

だすことである︒このような条件があれば︑たとえ独占資本主義国の援助といえども︑社会主義圏からの援助とい

( 2 0 )  

う牽制が働いているならば︑ある程度これを利用することができるであろう︒ただし︑この種の援助はさしあたり

国連というようなヨリ国際的な機関によって全面的に行われるようになるのがのぞましい︒

生産形態の現実以上︑経済諸要因の考察において随所にふれてきたように︑低開発諸国の工業化の場合に

は︑開発起点となるべき重要な工業部門では現在最新の生産技術に基づく大規模な工場施設を興す必要があるとと

もに︑他方これと補完的に並存すべき地方経済の原動力としてのマニュファクチャーの発展の必要もある︒このよ

うな両者の関係︑すなわち機械制工業とマニュファクチャーの並存は最先進国イギリスの産業革命期においてさえ

マニュファクチャー自体のもつ歴史的意義はこの時期には終っており︑ただ近代機

(15)

436 

械工業の外業部として︑ (21) いわゆる﹁近代的マニュファクチャー﹂という形態で並存しているにすぎない︒マニュフ

ァクチャーの歴史的意義は本来的には機械制工業に先行し︑これが要求するヨリ規模の大きい経済諸要因創出のた

めの準備をそのなかで果すことである︒この過程はイギリスにおいては約二世紀をこえるながいものであったが︑

このなかで国民経済発展への底力がつけられた︒イギリスより工業化のおくれた諸国ではこのような発展はイギリ

スほどの徹底さを欠いた︒今日の低開発諸国ではこのような過程が皆無に近いところへ先進国のはるかに進んだエ

業技術が接触するというきわめてドラスチックな環境が生じている︒だから︑今日の低開発諸国ではマニュファク

チャー的な発展を促進することは全くばかげているか︑あるいはかえって不経済なことのようにみえるかもしれな

い︒といって︑先進国の最もすすんだ技術を全面的にうけ入れるだけで︑経済発展が現実に行われるであろうか︒

そのようなことはまったく不可能であり︑砂上に楼閣を築くに等しい︒マニュファクチャーに基づく私的経済を発

展させることと︑先進技術を輸入して国家的規模で工業化を企てることとは︑低開発国では楯の両面であり︑相互

補完︑相互依存的である︒このような形態での工業化が今日低開発諸国における発展の弁証法であり︑したがって

最も現実的な道であろう︒低開発諸国の機械工業とマニュファクチャーとはその生産形態においても︑それらがも

つ歴史的意義においても︑同時並存的である︒︶ 

︵ いままで主として機能的側面から折出した経済的諸要因は︑しかし︑

を考えてみよう︒

賜西大學﹃網清論集﹄第十三巻第四・五・六合併号

一定の歴史的環境の下で︑一定の具体的な

形をとって実現される︒そのような環境を作るものは政治的・社会的諸要因であるとして︑そのあいだの相互関係

-.~.,s., -一---—---

(16)

﹁現在の先進国においては︑ニー三世代の工業化を経てやっと福祉国家があらわれた︒現

在の低開発諸国においては︑むしろこの過程の逆が常識的政策のようにみえる︒これらの諸国では老令年金︑失業

( 2 2 )  

保険︑家族扶養制︑健康保険︑週間四四時間労働︑その他を完備した福祉国家の祝福を現在望んでいと﹂と︒さら

ハ.ンセンによれば︑所得は貧者から富者へ再分配するようになっていたと︑ヒ

に︑イギリスの工業化の時期には︑ この点を心配していう︒ イギリスの場合にはすでに重商主義時代に植民地からの巨額の収奪があり︑これが資本蓄積の

てことなったが︑それにもまして︑産業革命期を通じて低賃金による高利潤が存在したということが忘れられてはな

らない︒これは組合運動が未熟であったことに大きな原因がある︒センスのある成長理論家の一人ヒギンズ教授は

資本蓄積 労働力の創出

五九 イギリスの場合には囲込の果した役割が決定的に評価される︒しかし︑囲込は農民から土地

を収奪し︑突如無一文のプロレタリアにつきおとすプルジョア的結果を伴ったから︑流血的立法によって支えられ

る必要があり︑人類史を血でいろどることになった︒さらに一八世紀末以来機械が独立小生産者をプロレタリア化

してゆく力も大きかったが︑これらは大衆の反抗をかきたて︑結局は国家権力による彼らの抑圧の下で労働力の創

出が強行された︒日本の場合には︑このような解体がなく︑零細耕作農民が地主制の下に再編成され︑高率小作料

をてことして︑ここから家計補充的労働力が工業のためにスクイーズされた︒そのため農民の困窮は更にひどく︑

抵抗もはげしかったが︑政府はこれを軍隊と警察の力で弾圧しつつ︑この過程を強行した︒ブルジョア的コースに

よる工業化の場合には労働力の創出はいずれもこの種の強力を楯として︑労働大衆の犠牲によって強行されてい

る︒しかし︑世界史のちがった段階にある低開発国ではこの種の政策をとりえないことは誰の目にもあきらかであ

(17)

438 

開西大學﹃網済論集﹄第十三巻第四・五・六合併号

( 2 3 )  

ギンズ氏はいう︒それは当時の財政政策が消費税中心で所得税と相続税とをもたなかったからである︒

低開発諸国の国内政策にかぎってみても︑

最近の発展段階論と開発起点論 工業化のための必要要因を先進国とおなじ方法で実現することはその

環境が許さないであろう︒しかし︑何等かの方法で資本蓄積をやらなくては工業化ができない︒とすれば︑新しい

環境はどのような新しいやり方を現実に要求するであろうか︒いうまでもなく︑国民の利益に基づき︑国民の納得

のうえで政策を遂行しうるような国家のみがこの困難な問題を解決しうるであろう︒

ヽ ー ' ノ

V I 産業構造と体制の問題

︵ 最後に若干の残された問題に移ろう︒

まず考えねばならぬことは低開発諸国の工業化は具体的にどの産業部門

からはじめるべきかということである︒先進国はその工業化を綿業を主とする繊維工業からはじめ︑のち重工業に重

点を移動した︒このような先進国の経験から︑クラーク教授やホフマン教授の段階説が導き出される︒よく知られて

いるように︑クラーク氏によれば︑一国の経済は第一次︑第二次︑第三次産業という順序で発展するという︒ホフマン

教授のものは生産における消費財と資本財の比率をもって工業化の発展度を測るものである︒すなわち︑工業化の初

期段階では消費財の生産高の価値は資本財のそれの四l五倍であるが︑工業化がすすむにつれて資本財の伸びが早

くなり︑高度に発達した段階になると両者は等しくなるか︑または資本財のそれが消費財のそれを追い越すという︒

このような理論を工業化の過程の一般理論として︑低開発諸国にあてはめるとどういうことになるか︒低開発国

ではまず軽工業︵消費財︶から工業化をはじめよということになろう︒しかし︑これは果して正しい解答であろう

( 2 4 )  

か︒このような理論は低開発諸国に関するかぎり普遍妥当性を持ちえないものと思われる︒かってヌルクセ氏は軽 0

(18)

組み立てるにはどうすべきかという次の問題と絡み合せて再論しよう︒

自立的再生産圏と国際分業

工業から工業化をはじめるのを合理的として推賞したが︑ドップ氏は反対に重工業からの工業化を最も現実的なものとして主張した︒このような相対立する見解に判断を加えるためには︑段階論でなく︑むしろキンドルバーガー

( 2 5 )  

のいう﹁開発起点﹂

d e v e l o p m e n t a l s t a r t

という概念を使う方が便利であろう︒何から工業化をはじめるかとい

うことは置かれた客観状勢の下で指導者の意志︵階級的意志︶

先進国の産業革命が示す︱つの重要な教訓はそれが一国経済における再生産

構造の確立を斉らしたということである︒この点は低開発諸国の工業化の場合に忘れてはならない︒これは開発起

点を決定する場合に充分考慮されるべきである︒学者のなかには低開発国の工業化の場合には低開発国に容易な部

門から︑主として労働集約的な消費財部門から開発をはじめるべきで︑それに必要な物資は先進工業国から求める

ことができると説く人々がいる︒これは︑いわば先進国と低開発国とのあいだの垂直的な国際分業論である︒もしも

低開発諸国がこのような方式で開発をすすめるならば︑その低開発国は自国に再生産構造をもつことができず︑先

進国の再生産圏に包摂され︑ひいては新型の植民地に再編成されるおそれがあろう︒開発にあたっては自立的再生

産圏を確立するにはどのようにすべきかを念頭にすべきである︒しかし︑低開発国のなかにはいかにしても一国だ

けではこのようなことが不可能なところもあろう︒このような場合には︑同じ程度の国が地域的に連合し︑水平的

国際分業の形をとって︱つの再生産圏を作るようにすべきである︒このように支配・被支配の関係を生じない地域

統合あるいは国際分業の上で実現される再生産圏は独立で平和的であり︑自立的再生産圏といいうるであろう︒

混合経済と国家資本主義みぎのような観点から開発起点が決定され︑開発がはじめられるとすれば︑その

による強力な選択であるから︑  

この点は自立経済を

  ~ ー・と—..:: —---—、

(19)

440 

発展するところの国民的なものは事情を異にするC 開発の主導力は国家セクターから出なくてはならぬ︒このことは今日の先進諸国のなかでもイギリスにおくれてエ業化をはじめた諸国にはいずれも妥当することであり︑ターが下からの︑内実を分析し︑深い批判をもってこれに接するのでなければ︑

ドイツと日本とはその著しい例である︒ただし︑このセク

いわば私的セクターを押えるか︑または圧殺しつつ工業化を牽引してゆくならば︑そのような経

済構造は底が浅く薄弱なものとなろう︒戦前のドイツと日本の破滅的な発展の仕方がそれを示している︒それは︑

国家的セクターが一部の特権グループの利益に従属し︑国民的な基盤に立たなかったからに他ならない︒今日低開

発国の開発問題に関心をもつ人々の多くが明治いらいの日本のおどろくべき経済発展に注目し︑そこからその指導

者たちの役割を理解しようとしている︒しかし︑その態度はなおきわめて皮相的である︒そのような著しい発展の

日本の実例を今日の低開発世界で教訓的にすること

今日︑低開発諸国においては国家セクターの役割が益々大きくなっている︒このことには問題はない︒問題はこ

の国家セクターがどのグループの上に立つかである︒この場合一国の経済力を根底から高めてゆくためには国家セ

クターが私的セククーを補完的に発展させるような関係に立たなくてはならない︒すでにのべたように︑これは機

械制工業とマニュファクチャーとの共存であるが︑これは同時に国家的企業と私的企業との混合経済である︒低開

ナショナル発諸国における国民的なものは私的セクターの発展のなかにあり︑国家セククーがこの国民的なものの上に立つと

ころに今日の低開発諸国の現実性がある︒かってイギリスではこの国民的なもの自体がながい時間をかけて自主的

に発展し︑プルジョア生産関係を作った︒しかし今日の低開発諸国におけるように強力な国家セクターに導かれて 隅西大學『繹済論集』第十三巻第四•五・六合併号

(20)

︹ 註

このような特殊・低開発国的混合経済が規定する国家形態はなんであろうか︒それはきわめて過渡的

性格の強い国家資本主義である︒第一に︑低開発国における国家資本主義は近代独占資本主義のそれとちがって︑

少数独占グループの利益の上に立たず︑国民的なものの上に立つものであるから進歩的性格をもっている︒第二

に︑それはきわめて過渡的存在であるにすぎない︒それは低開発諸国の工業化を資本主義的タームで起動しながら

も︑その過程において社会主義へと移行せしめざるを得ないような事情にあるために過渡的なのである︒この事情

をランゲ氏はつぎのように描いている︒﹁しかし︑国家資本主義は低開発国の発展にイニシャチプをとるとはい

え︑その発展を長期にわたって持続させることはできない︒すでにみたように︑国家セクターは︑現代の低開発国

に特異な事情によって公共投資が全国民経済発展の起動力であるという理由から︑私的セクターより早く発展する

にちがいない︒もし国家セクターが国家資本的性格をもつならば︑それは私的資本主義の従属物に引下げられるよ

うになる︒その指導的な経済的役割は止まり︑その国の経済発展も止まる︒さらに︑それは国民経済全体の均衡発

展に役立たなくなる︒したがって︑結局は︑それは経済発展を全く促進しなくなる︒結局︑低開発国の経済発展は

( 2 6 )  

社会主義社会の経済的基礎の発展によってのみ持続されうるのである﹂と︒すなわち︑国家資本主義は低開発国の

て社会主義へと止揚される︒現代の﹁産業革命﹂の論理がここにある︒

(1 ) 低開発国という言葉と同じ内容を指すと思われる他の言葉も決して︱つや二つではない︒^^

un

de

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lo

pe

d"

 

^ 'b a

c k

wa rd

"

r is i

n g"  

"poor''という言葉も使用されている︒このうち^^backward"使

る﹁後進﹂に当るものである︒この意味は﹁低開発﹂よりも広義の総合的な響きをもっており︑むしろ社会学的な

工業化を資本主義コースである程度牽引してゆくが︑一定の段階で自己矛盾に陥入り︑

その機能を停止する︒そし

(21)

室図米玲『雛媒纏緑』踪+111;\l(cl踪回・ば・K4~nit>4く臣

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(C'J) 1~ 回兵母Q囲到垢古晦Q涵廿や辻羊砥-<QJI]QIJ冷羊砥迭窓如く令Q]Q~lldJ:1-<や>¥.J, ,J兵ふQ~Q]-<{l.O母距惑辻品ば〇"--~や’華Q憐紀囲Qi,1-~00"--~~斗旦溢'(\.J...)v~P. T. 珈四and B. S. Yamey, The Economics of Under‑developed Countries, 1959, p. 3, footnote, 2. 

(c<:>) P. T. Bauer and B. S. Yamey, op. cit., p.3. 

(‑sf') 「漉型」'「笹薬<Qj醒」~,Q専蒻紅0託:!;!W. W. Rostow, The Stages of Economic Growth, 1960. 

垢縣'*お幸『楽恕怪幽0濫函捉』,111‑1111° く一,:.;(<I ,t, ,>.‑j

(Ln) W. W. Rostow, op. cit., p. 8. 症芦桓睾置II゜(一酎゜

(<.o) P. T. Bauer and B. S. Yamey, op. cit., p. 50 

(<‑) P. T. Bauer and B. S. Yamey, op. cit., p. 50. (oo) G. M. Meier and R. E. Baldwin, Economic Development. Theory, History, Policy, 1957. p. 292. 

(o,) G. H. Meier and R. E. Baldwin, op. cit., p. 292. 

ぼ)G. H. Meier and R. E. Baldwin, op. cit., p. 292. (;::) R. Nurkse, Problems of Capital Formation in Underdeveloped Countries, 1953, Chapter II. 

(~) G. P. T. Bauer and B. S. Yamey, op. cit., pp. 82‑101. 

ぼ)P. T. Bauer and B. S. Yamey, op. cit., p. 103. 

ば)W. W. Rostow, op. cit., pp. 227. 垢芦苺睾霞Iiiギ゜(-•::So

ぼ)Joan Robinson, Economic Philosophy, 1962, p. 109. 

(;e) Joan Robinson, op. cit., p. 109. 

(;:;) B. Higgins, Economic Development, Problems, Principles, and Policies, 1959, p. 239. 

(e:l) P. T. Bauer and B, S. Yamey, op. cit., pp. 113‑4. ぼ)A. H. Cole, Business Enterprise in its Social Setting, 1959, p. 65. 

(~) 「ヤ応"--Q>0!2送+<や洒-R~囲條〇囃411,t,&,Q,>.-jl{"\~,\Q,Q盛!;.!;:~~:ti:冷玲.o',\-'Q\l!!l~Q~囲悉屯艇怜

参照

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