森安孝夫 (編) 『中央アジア出土文物論叢』
京都 :朋友書店 2004年3月刊行
シヴシ ドゥ ・ヤクシ ドゥ問係文書 と トヨク石窟の仏教教団
ペテルブル ク所蔵 ウイ グル語世俗文書節記
松 井 太
NotesontheUigurSecularDocumentsfrom theSt.PetersburgCollection
BuddhistMonasteryoftheToyoqCavesasRevealedfrom theTexts RelatedtoMonksSiv;iduandYaqsyidu
DaiMATSUI
Offpr●lnt
PapersonthePre‑IslamicDocumentsandOtherMaterials UnearthedPom CentralAsia
EditedbyTakaoMORIYASU H6ydShoten,Kyoto
ISBN:4‑89281‑094‑0
シ ヴシ ドゥ ・ヤ クシ ドゥ関係 文書 と トヨク石 窟 の仏教 教 団 ペ テル ブル ク所 蔵 ウイ グル語 世俗 文書節 記
松 井 太
はじめに
19世紀末以来, トウル フアン地域 を中心 とす る東 トルキス タンか ら将来 された古 ウイグル語文献 は, 英 ・独 ・仏 ・露 ・中国 ・フィンラン ドそ して 日本 な ど,各 国の研 究機 関に より所蔵 ・管理 されている.な かで も, ロシア科学 アカデ ミー東洋学研 究所サ ンク ト‑ペテルブルク支部 (以下,spFと略)所蔵 の ウイグ
(1)
ル語文献資料 は,質 ・量 ともに ドイツ (ベル リン)所蔵資料 と並ぶ巨大 コレクシ ョンをなす. 1996年 よ り このSPF所蔵 内陸 アジア出土文献 のマ イクロフィルム撮影事業が (財)東洋文庫 に よって開始 され,以降 数年間にほぼ全 てのSPF所蔵文献 のマイクロフィルムが東洋文庫 に将来 された. うちウイグル語文献のマ イクロフィルムは,梅村坦 ・庄垣 内正弘 ・吉 田豊 ・AbdurishidYakup(編)『東洋文庫所蔵 st.petersburgウ イグル文字 ・ソグ ド文字 ・マニ文字写本マ イクロフィルム仮 目録』(中央大学総合政策学部梅村研 究室,
(2) 2002)の完成 をうけて東洋文庫 で公 開 され,広 く学界 の利用 に供 され ることとなった.
さて,個 々のウイグル語世俗文書 は資料 としては孤立的であ り,正確 なテキス ト校訂 と内容理解 さらに は歴史学的考察のためには多数の文書の相互比較が重要 となる.SPF所蔵文書 か らも,登場人物 ・作成地 域 な どの歴史的背景 を共通 にす るウイグル文書群 と して 「ボル ミシュ文書」・「イネチ (イナ ンチ)文書」・
「オズ ミシュ文書」な どが夙 に注 目された [山田ⅤⅠⅠ;梅村1977;梅村1987].しか し,近年のSPF所蔵 ウイ グル文書研 究では,未検討の多種 ・大量 の世俗文書群 か ら単一 ない しご く少数の資料 を抽 出 して個別 に検 討することに主眼が置かれている. これ に対 し,筆者 は,上述の東洋文庫将来マイクロフィルムを利用 し て SPF所蔵 ウイグル文書 を網羅的に調査 し,一部 については原文書 を実見す る機会 も得 た.その結果, 合計60点近 くの文書群が歴史的背景 を共通 に してお り,表題 の ように 「シヴシ ドゥ ・ヤクシ ドゥ関係文 書」と総称 し得 る ものであることを知 り得た.ただ し,spF所蔵文献 のマ イクロフィルム資料 の公刊 は量 的に制限 されてお り, また紙幅その他の諸般の事情 もあって,本稿 では問題の文書群すべての校訂 テキス トを提示す ることはで きない.そ こで本稿 では,問題 の文書群の うち既公刊文書の再校訂 に主眼 を置 きつ
(3) つ,年代 ・作成地域 な どの歴史的背景の共通性 を中心 として, この間の筆者 の調査成果 を提示す る.
なお,本稿 に関 わる筆者 の調査研 究 は,貴重 な出土文献資料 の 日常 的管理 に従事 され る MaprapHTa Bopo6heBa一刀ecSITOBCKa兄女史 らspF東方文献室の諸氏 , またマ イクロフィルム将来 と上述 『仮 目録』編集 に尽痔 された梅村 ・庄垣 内 ・吉 田 ・Abdurishid各氏 の献 身的努力 を基礎 として,は じめて可能 となった も のである. この場 を借 り,上記の諸氏 には深甚の敬意 と謝意 とを表 したい. さらに,マ イクロフィルム閲 覧 と刊行許可 に際 して ご高配 を賜 った東洋文庫 の関係各位 に も,あ らためて御礼 申 し上 げる.
(1) spF所蔵 の内陸アジア出土文献 はsI(SeHndia)で始 まる所蔵番号 で管理 されているが,本稿 では便宜 的にSI記 号 を省略 し,その下位分類記号 (Kr,3Kr,4bKr,0,刀 X,etc.)によって示 す. この うち Kr,3Kr,4bKr番号 は帝政 ロ シア時代 の ウルムチ総督H.H.KpoTKOBの蒐集資料 を示 し,刀x番号 は原則 的 には EIyHbXyaH‑敦燈 出土資料 を示 す.なお,本稿 で扱 うJlx文書 の写真複製 はすで にDhSPb(vols.14‑16)で公刊 されている.
(2) 佐 藤次高 「サ ンク ト ・ペ テルブル グ東 洋学研 究所所 蔵 内陸 アジ ア出土文書 のマ イクロフ ィルム公 開 につ いて」
『東洋学報』83‑4,2002,p.085;梅村2002,p.203.
(3) 本稿 におけるウイグル語転写 は翻字 と標準 的発音表記 とを折衷 したsuK2の方式 におおむね準拠 し,その他 の 諸言語 については慣用 の方式 に従 う.原文書 の破損映 落や和訳 に関 しては拙稿 [松 井1998,p.13]の凡例 による.
1.既発表文書4件の再校訂
本節では,すでに写真複製 ・校訂テキス トが公刊 されているSPF所蔵 ウイグル文書3件 と,これに密接 に関連す る中国所蔵 ウイグル文書 1件 について,再検討 を試みる.
【No.1】 4bKr20verso
【解説】 本文書 は, まずTyrym eBaが写真複製 ・校訂 テキス トを公刊 し【TyryIIIeBa1996,No.6],その後B 部分 についてZieme[1998,p.66】が再校訂案 を提示 した.TyryueBaも指摘するように,字寸や筆蹟か ら, 時間差 をおいて書かれた5種類 (仮 にA〜Eとする)に分類で き,D部分 は上下逆,E部分は左端か らその 他 とは垂直方向に書かれ る.B部分 は契約であるが,明 らかに習書 ・草稿 とみなされる.筆者が実見 した ところ,紙寸 は27.0x20.0cm,紙色 はocre〜Ocrefonce,漉 き縞(5/cm)のある上質〜中上質紙で,漢文 仏典 『大般浬紫綬』(T.Vol.12,No.374,381b19‑381b28)の紙背 を二次利用 した ものである.なおオモテ面 の漢文仏典の行 間に も,lk也skdy'l'lt6rtheaysakizygm ikaqulut'l'siv喜idututung2qy‑airikipturupikika!igbitiy也 tagintim 6digbolzunyamu「鼠年第四月十八 日に.僕 シヴシ ドゥ都統 めが心 を痛めつつ2行 を書 き奉 った.
記念 となるように」とい う2行 の ウイグル文がみえる [語註3Y3b,3Y7b,4rl参照].
以下の転写 テキス トにおける字寸 は原テキス トにおける相対的な差 を示す.また和訳 はA‑Dの部分 ご とに提示す るが,書簡 冒頭部分の草稿 とみ られ るEについては省略す る.
A 1 tonguzyll'1t6rtdneaytoquzotuz‑qamangasivvsidu A 2 tonguzy'1'lt6rthe
●●
B 3 tOnguZy'1'lt6rtheaytoquzotuz‑qamanga
C 4 tonguzy'1'1bi差ineaytoquzotuz‑qamanpusardu B 5 Siv喜idututung‑qayangkargakbolup
C 6 kdskdy'1'lt6rtdneays畠kizygmi kamanbo差ヤutel'pusardutaz C 7 bitiy也tagintim e'1'n'01
B 8 Sヽ′l●nqO喜● ali也とkazigyangalt'1'mmun'1 ' ‑
● ●●●
B 9 ‑とaoqbitimasaronqame'1'bargayly也r
D 10 zqnin!sndnp!買叩耳npゆtZAnp!買^!SOS叩!耳 B/Dll manl ](..) npcbdm nPt買dt仏!l官軍n叩 Snd.I.21n人買Oq叩 円 D 12 [
E 13 il【 】L
E 14 6g畠siqyi'mdu(?) E 15 bilga
E 16 baga E 17 qutal E 18 soz也mu s●
E 19 savine E 20 to†ul E 21 tarqan E 22 ‑qa E 23 也k也差
(42 )
].TJnTnb
lNo.1] 4bKr20verso (ReprintfronlTyryiHeBa1996.No.6)
A l 猪年第四月二十九 日に.私 シヴシ ドゥ 2 猪年第四
3 猪年第四月二十九 [吊こ.私 に (即 ち)
5 シヴシ ドゥ都続 に,見本が必要 となっ [て]
8 シンコニシェリ(か ら)3行の見本 を (借 り)受 けた. まさにこの
9 ように書 けなければ,且0閥 の)鞭打 ち刑 を [私 は〕くらう.
ll
C 4 猪年第五 月二十九 日に.私 プサ ル ドゥ
6 鼠年第四月十八 日に.私,後学 たるブサ ル ドゥ‑タズが 7 書 き奉った.真である.
D 12 僕
11 後学 た るプサル ドゥ‑シェ リ, ヴ ァブシ ドゥ, ヴ ァプカ ドゥ, 10 キ ンツ オ, シヴシ ドゥ,ヤ クシ ドゥ,キ ンシ ドゥ, プサル ドゥ‑タズ
【語註】 lvl,5,sivsyidu:<chin.修士奴 .Tyrym eBa・ZiemeともにQays'1'duと読 むが,改 め る. またsUK LolO(lines2,13)で菖ivsaduと読 まれてい る人名 も,siv喜iduと改 めることがで きる.sYvとい うウイグル 字 によって音写 される漢字 としてはsiv<修*sl'^au〜惰*sl'^au(GSR1077d,1077e),差iv<寿*Z'.i,au(GSR1090g) な どが想定 され るが [庄垣 内2003,pp.130‑131],N0.3の例 か らsYvは/S/音 を有 した と考 えてお く[語註 3V9a参照]. この他,本稿 で扱 う文書群 には,仏教術語 に‑du「奴」を加 えて構 成 されるウイグル仏教徒 人 名が頻 出す る. これ らの人名 についてはzieme【19941が多数の用例 を掲 げて検討 しているので参照 された い. lv4,pusardu:<chin.菩薩奴 .Tyrym eBaはBo差anduとす るが,訂正すべ き. また, これ以 降は途中 で書 き止め られているが,おそ らくlines6,10にみえるプサル ドゥ‑タズ(pusardu‑Ta∑)と同一人物であ り, 人名要素 タズ(Ta∑)を省 略 した ものであろ う.後掲語註 lv6,2vl,2v4Cも参照. lv5,tutung:周知 の通 り,chin・都続 か ら借用 された称号 である [小 田1987]. lv6,pusardutaヱ:Tyrym eBaはBo孟andu‑Ta†と 誤読す る. lv8a,言i血qo言ali:Ziemeに従 い, この人物 を見本(yang)の貸主 とみなす.人名菖inqoはchin.
善光 か らの借用 か.称号 ;aliはchin.閣梨 (<skt.acarya)か らの借用語 であ り,寺 院で修行す る 「仏僧」一 般 をさす【Hamilton1984,pp.425‑431;Zieme1981,pp.25ト 252;小 田1987,m.108】.この点で,同 じくskt. acaryaに由来す る ものの, ソグ ド語Hc'ryを経 由 して借用 されたuig.aeari「阿閣梨 ,師範僧」とは異 なる
ようである. lv8b,也芭kazigyang・.r3行 の見本」.Tyrym eBaは 也ekazigを「3回 (TPHXJle)」と訳すが,従 えない.Uig.kazigを 「行」と訳す点 については語註3V7bを参照. またyangはchin.様 か らの借用語 であ
(4)
り,「見本」と訳す.語註2vl・2も参照. lvlOa,kintso.・<chin.賢蔵. lvlOb,yaq岩idu.・<chin.薬 師奴 . Tyrym eBaはYavs'1'duと誤読す る. lvlla,vap芸idu:<chin.法 師奴 . lvllb,vapqadu:<chin.法華奴 . TyryIⅡeBaは Yao‑saduと誤読す る.
lNo.2] 4bKr236verso
【解説】 本文書 について も, まずTyryIⅡeBaが写真複製 と共 に校訂 テキス トを公刊 し[TyryⅢeBa1996,No.
5】,その後zieme【1998,p.66】が再校訂案 を提示 してい る.筆者 の実見 した ところでは紙寸 は28.0Ⅹ9.5 cm,紙色 はBeige‑Chamoisα,漉 き縞(5/cm)のある中上質紙 .漢文仏典 『維摩詰所説経』(T.Vol.14,No.
475,538C20‑24)紙背 の二次利用 . なお,y‑1.1(line1),bitiyd(line3),man(line4)の3カ所 に逆記形 のニシ ャ ン印 (略花押 )が押 されてい る.
1 tonguzy'1'lex差aptaytartyagmi kamangapusrdu‑qabitigd‑ka 2 yangkargakbolupyaq差idututung‑t'1'nonsat'1'rk也m由・喜一kayang
3 alti'mbuoqyangeauzbitiyd<r,m畠napambitimas畠rm畠nonqame'1'bargd
4 yiydrmantanuqkintsotanuqtitsobutam†amanpusarduーtaZ‑nl'ng/oltipni.San 5 61'dl'm
(4) 密教系 ウイグル仏典 には 「儀式,典礼」をさすyangの用例 もある【BTrⅥⅠ,A4,A3551.ただ し,これに関連 し て引用 されるU1786bのyavi'ztoyi.nmanP(.)【 】/yangi'nk6rBbitidimlBTrVII,p.46]は,文脈か ら「拙僧たる私 ‑・・
見本 を見て書いた」と解釈すべ きであろう.
(44 )
猪 卑 戒 ,・L:‑13 (I‑第十二月)十四 巳に.私 に (即 ち ) フ サ ル ドT,.7(,こ , 書 写用の 見本が 夏、要 となって,ヤ クシ ドゥ都続からぎiO 両 の銀 にて邑 本 を
[倍 :A)受け]た. ま さにこの見本t・V'・71;針目こ私は巧 みに書 く.万 一,私が書かなければ,iO:1'画の)
鞭 打ち利 を
私は くらう(‑受ける).立会人キ ンツす,立会人テ ィツオ. この タムガ和 よ私フサル ドゥ‑タズ の ものである. と言って, 二二シャン印を]
5 私は こ措い こ た .
監語註3 2吐 ptiSrdu:〜pusalrdil.Ty‑T.y言.TL!e王弧 は B(‑'言i血 と誤読 したが,ziemcによ靖 丁正された∴ 宕註 2・V融 も参照. 2vl・2,b摘 g由・k畠yang:bitigi.iこ・?鳶三分 をTy!ry!fiCB誌は不明としたが, Z主e̲rrieが正 しく解;I;I‑・Eした . さらに行末に は K‑字 の残画がみえ,与格語尾心 を補う。以下の2例 を参照 :鮎・王V6i6i‑:二‑i..iabitf'LeZ'1.‑ka
叩 噂 迅rg猷 bofE‑/tIJ上目L)jyangbititipail:i'nl/ ‑‑に書写蒲の見本
が 必安 となって,‑ ・二にj邑本を書 かせ て, 私は岱 申受け た∴ 4bKr2i8:8kljskむyi'日独t臼neaytoq u .‑I. ygi・m ik畠 .Fianga siv;idu‑qa二こ)bitig由一kayangkrgakbE31i'LiPyaq 三id ubaxg1‑‑tau?・ky‑ii
yi,ingllbititip鵡 mr辰年幕臣摘 十八引 二. 私 に 常 ち ;t シ ヴ シ
ドゥに番写欄の見本が必要となって,ヤ ク シ ド ゥ 師 か ら タ 巧
み な 見本 を書かせて私は借 り受けた∴ z iern e H 995, p.51 は
ベル リン所蔵の CiLL!LT7426(】inc5)にみえるyangの 甘 例 を 絵 師 弓か 巻 紙」と考えたが,本処ではbitig油 虫「書写配 と明
示 されている点が注 冒される. T y王IyTfleBaii996.p.215jは本 処の 「見本」を印刷仏典とみなし て い る. しか し,上掲 のK r
!V61('r,4bKr218には bitigか kili yang「書写用の見本」を他
者に「藩かせて倍 吟受けた」とあ るか ら, 見本は必 ずし も印刷
仏具 とは限 らず, 筆 写 の 見 本 も存 在 した ことにな る. またベ
ル リン所蔵の U5657, U5670文書は表裏 ともに まず 丁寧な
草書体の ウイグル文 が 広 く行間をとって藩かれ,その行 間に は雫や 椎縄 な筆投で同 じ内琴のウイグル文が記 されている.
これ を「普写周の見本」の窺例 とみなす ことも可能であろう.
2・V2,yaq毒i血 :Ty王ryf三言CBa ・Ziemeともに Qay.qi.duと読むが,改 め る. 3V3a,bi軸ii<F': 同様.・n 見本貸借葵 (KAT!V636:3Krd・‑ 17:4bKr2】8)との比較か ら,本処では末字'J)‑R を誤脱 した
もの とみなす. 2V3b,bit主m畠S畠r:Tylryfヱ号eBaはbdtim(頼 政と したが,すでにZiemeによ り訂正 された. 2V4a,t主tso:<
chin,地温 Tyryll言eBa・Ziemeともに不明とするが , 残 画か ・:'
判読できる.ここ/71工数甘人名はsUKPiOl.AdOLA d02.Miii,
さI::・にはusp88=Ziemei981a.TcxtA(iinc6日二も確証 (attest) される. 2V4b再思mYa:「タム離 日印章:::LJといいつつ,実 際にはニシャン印 をni差an,略花押)が押される薫 はヲ年代比 定に聞達 して注目される Lr筆3節②奉書工 2V4C,pusar虚tB
【hT亡き.21 4b監r236verso
(Repri.ri沌 otiliri‑'yryf!・;C!3ミミi99(iド,j・5)
taz・ni'ng:人名pusarduのあ と,行の右側 に追加挿入を示す 「+」様の記号 を加 え, さらに行 の左鮎 こrraz‑ nilngを追加 している. この道補か ら,line2の借主名ブサ ル ドゥは7'サル ドゥ‑タズの略記 と羊膜 す る.
2V4‑5,蛸 anFl'zd'lvm : TyryiileBaは転写せず,ziemeは巨 Hins畠rL.j.vum 「‑‑窺 われれば‑‑」とす るが ヽ′
まirie 4行末は不鮮明なが ら(.)YS(.), またiine5行頭 は E 】DYM と読める.SUKRHi3(iincs15‑16)では安 約の主題を記 した後 に,tip・ni差anei'!ilpbiiigbirdim「・‑ と,ニ シャ ン印 を措 いて証文 を与 えたことい う
文脈がみえ,おそ らく本処 も同様の文脈 で記 された ものであろ う.ただ し,三irie5行頭 をbitidim 「私が書
い た」と捲補して, iine4行末 を書記音の人名 とみなす こ とも可能である.
[矧3. 3玉 津垂 配尋t=;:.‑58.5.6看撃言.I.I:!{e‑FS8
【解 説 】 本文書 は spFではな く中国 ・天津市芸術博物館 に 所 蔵 さ れ , すでに子天津雷基術博物館戒敦 塩 文
献 二1.・箪 ユ巻 .(上海古籍嵩版革王 1996.pp.68‑69)に表裏両面 の 写 真 複 製 が公干ほ れている.筆者は未だ原文 書を実 見 していないが,同書の第 7巻 ::逆2頁)の文書解竃に は,紙寸 26.5Ⅹ4lj.Ocm,漢文仏典 賢合部会
光明経̲i;(T.Voi.16.No.664.373bO3‑373ci())の紙背の二次利用 とい う情報力言提示 されている. また同処で 宇汝極 は この ウ イグ ル文に つ いて「社会文書」と解説 している. しか し,後 に牛汝極は自らの昆解を改め, 本文書 をやは り天津市芸術 博 物館 に所蔵 される津薬 oj5(58.5.669:'IST・;f天津奇襲術博物館就敦塩文献ゴ第
1巻 ,pp.('9‑72)の ウ イグ ル 文 と併せ,p.ziemeと共同で 三 宝更文」としてテキ ス ト転写 ・香謂ミを提示 し
[N o.3.1 津 聾 014verso,重量nesi・9
終 ep血 書若め m 『天 津 市 薮 衡博 物 館戒敦 短 文 叡踊 oL且,p.69)
を凝義∋
た[Niu/Zieme1996;Zieme/牛1996.なお,後者 は若干の補訂 を加 えて牛汝極2000bとして再刊 されてい る]. この両論文では,本文書 と津蛮015とは表裏の関係 にある とみなされている. しか し,津套014と 同様 ,津蛮015の ウイグル文 も漢文仏典(『妙法蓮華経』T.Vol.9,No.262,053cl4‑054aO4)の紙背 を二次利 用 した ものであ り,両 ウイグル文が表裏の関係 となるためには両文書が複雑 な状態で接合 されなければな らない. しかるに 『天津市蛮術博物館戒敦燈文献』第7巻 (逆2‑3頁)の解題 はその点 について何 ら註記 せず,公刊 された写真か らも両文書が連貼 された形跡 はうかがえない.筆者 は,両文書 は直接 には無関係 であ り,おそ らく牛汝極 ・ziemeは何 らかの理 由で文書情報 を誤解 した もの と考 える.
本稿 では,津蛮014裏面の うち,冒頭部分9行 ほ ど(上下逆 に書かれた箇所や行 間の追加 もあ り,厳密 には行 数 を定 めがたい)をNo.3文書 として校訂 テキス トを掲 げる. この うちlines4‑7,9が,牛汝極 ・ Ziemeによ りrectoとされた5行 に相当す る. また和訳の 【‑・・】は上下逆 に書かれた箇所 を示す.
00
1 k也sk也 凪 鮎a man tq.pz.I.2叩 叩!qdpntmATO.U.2ⅦtP!I!ql ] 2 dP瓜X(●''')A(ム)ztHTV9耶 gtrem lOgtmt I‑3tmlnlnP!買申t!Agut叩 tH(・・・)[ ]
k也sk也 ●●
3 kBskkBBikBtOyln 6dig<1,atim6digbolzun 4 muntaKWYL'Zbitiyduyur muarkitip 5 k也sk也k也sk也y'1'liki
6 k也sk也yi.1ikintiaytoquzyangi'qaqulut'1'siv差idututung 7 qay‑abutavYaek也n也zaikikazigbitiy也tagintim 8 buus●●●也k
9 mansiv喜●●idututungqay‑abirkazig6diglatime'1'n'01
1 鼠 私 私 【私が [善 い]た.真 である. と私が書 いた,措いた.】
2 【‑ ・私 の (即 ち)ヤクシ ドゥ都続 の ものである.私 に我 々の像(?)・‑‑ と言 って】
3 鼠 トイン 記 した.記念 とな ります ように.
4 ここに KWYL'Z(は ?)書 く [ことがで き]るか, と言 って 5 鼠 鼠年 2
6 鼠年第二月初 (旬 の)九 日に.僕 シヴシ ドゥ都統 7 めが, この漢文の巻子 に2行 を書 き奉 った.
8 この筆跡
9 私 シヴシ ドゥ都統 めが1行 を記 した.真 である.
【語註】 3vl,m益n:最初 のmanは袋文字 で書 かれ てい る. 3V3a,toyin:おそ ら くは人名. 3V3b,
6dig<1'atim,6dig:ClausonはV.6tigla‑を6tBg「請願,上奏」か ら派生 した動詞 とみて…torepay"と解 したが lED,p.54],訂正すべ き. この動詞の語源 となった6digが 「記録,記録簿,記念」を意味 し,6tBg「請願, 上奏」とは明確 に区別 されることは,すでにHam山onによ り指摘 された【MOTH,p.168,34.1;cf.OTWF, pp.199,443‑444;森安 1991,p.83;HtVII,pp.192‑193].従 ってその派生動詞 6digla‑も 「記す,記録す る, 記念す る」の意 となる.行末の6digbolzun「記念 となるように」は,題記 に頻見す る慣用表現である.安 西稔林窟第25窟のモ ンゴル時代 ウイグル文題記の1つには 2buqut‑1u†ta†S也m‑ka61eayt6mdr3darm ‑a差iri biz差aeu‑ti'nyvk血galikalip4yanar‑taqaequrq'1'y‑a5bitiydtagintimkinkik也nka6digbolzun「この天寵ある山寺 に
オルチェイ(bleay<mo.01Jvei)‑トミュル, ダルマ‑シ リの私たちが沙州か ら礼拝 しようとやって来て,戻