明治三〇年代の市街宅地'地租増徴問題
小岩信竹
目次
一間題の所在
二市街宅地租増徴に対する反対意見の表明
(一)京都市議会に見る反対意見書の作成過程(二)各地の商業会議所等による地租増徴反対意見
三市街宅地粗増徴問題
(一)市街宅地租増徴の立法(二)市街宅地と郡村宅地の組換え
四結び
付市街宅地租増徴反対意見集
明治二〇年代以後の地租軽減論や地租増徴反対論の展開が、経済的な背景の変化との対応関係の中でとらえられな(‑)ければならないことは既に先学によって指摘されている。即ち国内市場の展開過程は、地租の担い手が、その所有す
る土地の上で行う経済行為が生み出す利益の大きさを変え、その結果、従来からの地租の重さに対する評価や地租軽
減、地租増徴反対の運動をも規定するからである。ところで、明治、大正期を通じて国内市場の展開が実際の土地価
格に与える影響としては'交通手段の発達や交易の相手の地域的な拡大などによる'従来の低地価地域の高地価化'(2)即ち地域間の関係の変化が指摘できる。実際'帝国議会開設以後に地租増徴反対運動と対応しっつ盛んになる地価修(3)正運動は'このような動向を背景としたものであると考えられる。帝国議会開設以後の地租軽減'地租増徴反対運動(4)(5)や地価修正運動に関しては'初期議会での動向に関する研究や'時期を追って変化する議論の様相'日清戦争後の耕(6)(7)地の地価修正運動と地租増徴の相互関係についての論稿'立法に至る政治過程についての論稿などの研究成果が発表
されており'この時期の日本社会全体の中での位置づけが解明されてきている。また'特定の観点からではあるが'(8)研究動向の紹介もおこなわれている。明治一〇年代後半から帝国議会開設にかけての時期の地租軽減運動についても(9)研究業績が積み重ねられてきていることも付言しておかねばならない0
ところで'国内市場の展開に対応する地租増徴反対運動や地価修正の問題の政治問題化は耕地に限られるものでは
な‑'宅地'特に市街地の宅地についても起こった。この市街地宅地の地租(当時'市街宅地租と言われた。以下こ
の表現を用いる)に関する問題は日清戦争後から大正期に至るまで尾を引いてい‑。これまでの地租増徴や地価修正
の研究に於ては'市街地の問題については商工業者を中心とする都市住民が地租増徴推進の主たる勢力であることが
強調されるばかりで'市街宅地租の問題に関心が寄せられることは少なかった。また'地価修正や地租増徴が問題に
される場合'それは田畑に課される部分を主とした地租一般に関してのものであり'市街地についての考察が行われ(10)ることは稀であった。既に記した研究動向を踏まえた最近の著作の一つである坂入長太郎氏の著書を見ると'東京商
業会議所の意見書が引用され'同会議所が「中産階級または商工業者も土地を所有しているので'地租は土地所有者(;)が均し‑負担するもので'農民のみが負担過重にならないとし」地租の増徴に賛成したことが記されているが'市街
宅地の地租増徴にも問題があったことに関しては触れられていない。坂入氏の指摘される事実は確かに存在し'その
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ことは重要な意義を持つものであった。次の二つの見解はその例である。
今回政府ヨリ帝国議会へ提出相成候地租条例中改正法律案及田畑地価修正法律案二対スル賛成ヲ表シ右二関スル
請願書差出候問御参考迄別紙写捧呈仕候也
明治三十一年十二月十四日
横浜商業会議所会頭大谷嘉兵衛
内閣総理大臣侯爵山県有朋殿
地租増徴二関スル請願(写)
今回政府ハ必需ノ歳出二応ズル歳入補足ノ為メ地租増徴案ヲ議会二提出シタリ是蓋巳ヲ得ザルニ出ルモノナリト
謂フベシ本会議所ハ由来如斯国民ノ直接財産二課スルヲ以テ全然可トスルモノニアラズト錐モ夫ノ所謂消費税ノ如
キハ労費多ク徴収難ク而シテ其実収ハ予期卜違フノミナラズ国民負担ノ均衡ヲ誤り又延テ商工ノ発達ヲ阻擬スルヲ
免レズ且恐ル今日我国情ノ許サゞル者アルヲ故二本会議所ハ本案提出ヲ以テ頗ル其当ヲ得タリトシ最モ賛成ヲ表ス
ル所ナリ糞クハ之ヲ協賛シテ速二財政ノ基礎ヲ確立セラレン「ヲ
右本会議所ノ決議二依り請願候也
明治三十一年十二月十四日
横浜商業会議所会頭大谷嘉兵衛(12)貴衆両院議長宛
地租増徴二対スル陳情書
帝国戦後ノ経営ハ国運ノ進行二伴ヒ歳出ノ増大ヲ要シ歳入ノ以テ之ヲ償フ二足ラサルハ蔽フヘカラサルノ現象ナ
リ必須ノ程度二於テ国民ノ之ヲ負担セサルへカラサルハ固ヨリ其数ナリ而シテ比年歳入ノ方針未夕決セス財政計画
ノ基礎確立セサルカ為メ国民危慣ノ情二堪ヘス特二商工業ノ萎磨振ハサル今日ノ如ク甚太シキヲ致ス所以ノモノハ
主トシテ是二之レ困ラサルハ莫シ若シ零細不定ノ税源二困り一時蘭縫セントスルカ如キ「アランカ財政ノ基礎ハ猶
薄弱ナルヲ免レサルヲ以テ経済界ノ動揺ハ之ヲ簾静スルノ悲境二陥リテ国運ノ進行ヲ阻擬スルニ至ラン本組合ノ憂
慮措ク能ハサル所ナリ
抑土地所有者ハ独り農民二限ラス商工業者亦之ヲ所有シ華士族平民ノ均シク分有スル所ノモノハ帝国臣民ヲシテ
拾ネタ其負担ヲ分タシメ良租ノ性質ヲ具備スル所ノモノ孟シ地租ヲ措テ他二求ムヘカラサルナリ且地租条例制定ノ
際地価見積ノ標準タリシ石代ノ如キハ爾後ノ平均価格二比シ甚夕低廉ナルヲ見ル物価変動斯ノ如クナルヲ以テ目下
地租ヲ増徴スルモ土地所有者ハ地租条例制定ノ際二於ケル負担二比シ加重ノ実アルニアラサルナリ頃日政府ハ地租
増徴二由り歳入ノ不足ヲ補填シ地租ノ負担ヲ平衡ナラシムル為メ地価修正ノ二法律ヲ提出セラレ且本組合ノ至誠同
意ヲ表スル所ニシテ帝国議会ノ速二之ヲ可決シ上ハ帝国財政ノ基礎ヲ筆固ナラシメ下ハ以テ国民ヲシテ堵ヲ安ニシ
経済界ノ興隆ヲ図ルヲ得セシメン「ヲ侯望ノ至リニ堪ヘサルナリ
右本組合ヲ代表シ謹テ玄二陳情候也
明治三十一年十二月十五日
群馬県桐生物産同業組合
副組長森山芳平
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組長書上文左工門(13)内閣総理大臣侯爵山県有朋殿
しかし、別掲のように市街地宅地の地租の増徴に反対する見解も多数存在し、それらの見解の背後には、農村でと
同じ‑国内市場の展開の影響があることも事実である。本稿はこれまで注目されることが少なかった市街宅地租の増
徴問題を取り上げ、増徴に対する反対論や問題の展開過程を概観し、この間題に含まれる経済的内容を考察すること
を目的としている。
二
二)
まず、京都市議会の市街宅地租増徴に反対する動きとその背景となっている政府の動向等を見ておきたい。大隈内
閣の明治三二年度予算編成方針についての新聞報道の中に次のような記載があり、都市住民の反発を呼んだ。
政府ハ歳入不足填補の一策として全国市街地宅地租を増収することに決したる由にて其方法ハ単に税率を引上ぐ
るに在りと云へるが若し果して然らんにハ不公平も亦甚Lと謂はざる可からず蓋し現今の宅地たる法定地価格外に
安‑従て其負担する所の地租意外に少‑殊に市街地宅地に在て最も然と為す現に東京、大阪、横浜の如き都会の地
に在ては一坪百円内外の宅地あるに拘はらず其方定価格ハ僅々にして売買価格の数十分の一にだも当らす其外全国
市街至る所交通の便運輸の途開けLより宅地の騰貴するもの累々として枚挙に遥あらざるなり是れ畢寛田畑ハ土地(14)の生産力に限りある故騰貴の程度自ら限りあるも宅地に在てハ其位置に価あるが為め其価格の程度なきに困るなり
ここに、市街宅地租を増徴し、財政収入の不足を補おうとする動きがあることが報じられていることを知ることが
できる。これに対して、明治三l年l〇月l日の京都市議会に於て、7議員、東枝吉兵衛は当局者に対して市議会と
して反対意見を表明することを求めて、次のように発言した。
諸君モ御承知ノ通り今ヤ政府ハ三十二年度ノ予算ヲ編成セントスルニ当り歳出二対スル収入ノ不足ヲ補フ一端ト
シテ市街宅地租ヲ増徴スル由ハ既二各新聞紙二記載セシ通リナリ抑モ国家事業ノ膨張スルニ伴ヒ経費ノ増加ハ不得
止結果ニシテ随テ国税ノ増徴テフ事ハ亦夕勢ヒノ免レザル所ナリ国民ノ進ンデ之二応ズルハ亦夕当然ノ義務ナリ然
レドモ其平衡ヲ保タシムルハ亦夕大二吾々市民トシテ大ナル必要ヲ感ズルモノナリ故二吾々ハ今回政府ガ計画シ
ッ、アル市街宅地租増徴案ニハ調査ノ上相当ノ意見ヲ表白セント思フ是レ此建議ノ趣旨ニシテ幸二満場諸君ノ賛同
ヲ得テ以テ充分二此目的ヲ達スルノ手段ヲ実行センコトヲ期スルモノナリ聞ク処ニヨレバ政府ハ市街宅地租ハ現在
額ノ三倍ヲ徴セン見込ナリト果シテ然レバ仮リニ本市目下ノ地租額ヲ四万円トスルモ実二一足飛二十万円以上ノ負
担ヲ為サ、ルベカラズ‑‑然レドモ平均ヲ以テ1般ノ地租増加ノ計画ナリト云ハ、吾々ハ之ヲシモ忍ンデ耕黙スベ
シ独り市街宅地租ヲ増徴スルト云フニ至ッテハ唯ダニ其権衡ヲ失スルノミナラズ本市全般ノ利害二影響スルモノ決
シテ一日ヲ忽ニスベカラズ見ヨ彼ノ営業税ヲ之レガ議決ノ際ハ何ノ声モナクシテ実際各自ガ負担スル場合二至り忽
チ喧々景々種々ノ手段ヲ運ラシ非常ノ運動ヲ試シモ時機既二逸シテ何ノ効果ヲ収ムル能ハザリシニ非ラズヤ‑‑本(15)員ハ先ヅ差当り参事会ニテ調査ヲ遂ゲ吾々ノ意見ヲ遺漏ナク当局者二徹底サレンコトヲ建議ス
これに対しては更に調査をすべLとする次のような意見があった。
市街地宅地租増徴案ガ果シテ事実トシテ東枝君御説ノ如クニ現ハルゝニ至レバ吾々モ無論之二対スル運動ヲ必要
卜認ム其発表前二運動セント云ハルゝ点モ敢テ不可卜云ハズ併シ今日ノ場合直二之ヲ決定スルハ少シク早計ノ感ナ
キ能ハズ聞ク処ニヨレバ政府ハ未ダ歳入ノ目安立タズ目下猶ホ財源ノ発見中二テ坊間種々ノ説アルモ未ダ決定セシ