契約不履行に基づく損害賠償の解釈枠組み(2・完)
白 石 友 行
目 次 はじめに
第1章 フランス民法典における契約不履行に基づく損害賠償の構造 第1節 履行方式としての契約不履行に基づく損害賠償の誕生
第1款 モデルの萌芽 第2款 モデルの生成
第2節 履行方式としての契約不履行に基づく損害賠償の展開 第1款 2つの履行モデル
第2款 履行モデルの帰結(以上,前号)
第2章 日本民法における債務不履行に基づく損害賠償の構造(以下,本号)
第1節 履行方式としての契約不履行に基づく損害賠償の動揺 第1款 2つの履行モデルと2つの理論モデル
第2款 モデルの後退
第2節 履行方式としての契約不履行に基づく損害賠償の終焉?
第1款 2つのモデルの混在 第2款 2つのモデルの整合性 おわりに
第2章 日本民法における債務不履行 に基づく損害賠償の構造 従来,債務不履行に基づく損害賠償の議論 においては,2つの損害賠償制度を共通の枠 組みによって規律する伝統的理解だけでな く,契約を起点とした議論を構築する近時の 学説も,賠償モデルを当然の前提としてきた。
しかし,このモデルは,不法行為に基づく損 害賠償と債務不履行に基づく損害賠償とを明 確に区別し,前者を債権の発生原因として捉 え,後者に対し債権の効力としての位置付け を与えている日本民法の構造に必ずしも適合
するものではない。体系の点から見れば,日 本民法の債務不履行に基づく損害賠償は,そ れを契約ないし債権の実現手段として構想す る履行モデルに適合的である。本章は,民法 制定過程の議論を取り上げ,このことを明ら かにしようとするものである。
ところで,債務不履行法の制定過程につい ては,民法 415 条及び 416 条を中心に多くの 先行研究が存在する(79)。以下の考察がこれら の先行業績に多くを負っていることはもちろ んであるが,本稿は,従前の研究のプライオ リティーを尊重しつつ,第1章で得られた分 析成果を基礎に,契約不履行に基づく損害賠
償の理論枠組みという本稿独自の視点から,
日本民法の債務不履行に基づく損害賠償の意 義と構造を明らかにしようとするものであ る。従って,本章の第一次的な目的は,厳密 な意味での沿革研究を屋上屋を架す形で試み ることにはないし,起草者や立法者の意思を 明らかにすることにも存しない。本章の検討 は,契約不履行に基づく損害賠償に関する2 つの理論モデルが現行民法の債務不履行に基 づく損害賠償との間で理論的な整合性を有し ているのか,そして,これら2つの理論モデ ルが解釈のための枠組みとして有用性を保持 しうるのかを問おうとするものである。
第1節 履行方式としての契約不履行に基 づく損害賠償の動揺
現行民法の債務不履行に基づく損害賠償の 意義と構造を明らかにするためには,それに 先立つ旧民法の債務不履行に基づく損害賠償 の意義と構造を解明しておく必要がある。今 日の民法が旧民法の修正という形で成立した ものである以上,このことは当然であるし,
昭和 40 年代以降,多くの学説によって試み られ日本の民法学に実りある成果をもたらし てきた母法探求・沿革研究と,それと並行す るようにして展開された旧民法制定過程の研 究成果に鑑みれば(80),今日の学問状況の下で 旧民法研究の意義を強調することは余りに陳 腐とさえ言える。しかし,債務不履行に基づ く損害賠償の場合には,このことの意味を改 めて強調しておく必要がある。というのは,
ボアソナードの手になる旧民法の債務不履行 に基づく損害賠償に関わる諸規定の中には,
フランス民法典や同時代のフランスにおける 議論と対比したとき,それまでの不履行に基
づく損害賠償の原理や理論枠組みを変質させ るような要素を見出すことができるからであ る。以上のことを予告した上で具体的な検討 に入る(81)。
第1款 2つの履行モデルと2つの理論モ デル
まず,旧民法における債務不履行に基づく 損害賠償の体系的な位置付けを確認してお く。旧民法は,財産編の第2部人権及ヒ義 務において,第1章義務ノ原因に続き,
第2章義務ノ効力を置き,その中に,直 接履行ノ訴権(第1節),担保(第3節),
義務ノ諸種ノ体様(第4節)とともに,損
害賠償ノ訴権(第2節)に関する規定を置い ている。他方,不法行為に基づく損害賠償に ついて,旧民法は,債務不履行に基づく損害 賠償とは別に,第1章義務ノ原因の第3 節不正ノ損害即チ犯罪及ヒ准犯罪の中で 扱っている。従って,条文の配置から見ると,
旧民法は,債務不履行に基づく損害賠償を債 務の効果として把握し,かつ,2つの損害賠 償制度を別異に扱っている点において,基本 的にはフランス民法典の構想に従ったものと 見ることができる。
次に,ボアソナードが,損害賠償ノ訴権 について,どのような性質を持つ訴権として 捉えていたのかを見ていこう。旧民法は,義 務ノ効力と題する章の冒頭に置かれた一般 規定の中で,債務の主たる効力が直接履行に 存し,その付随的な効力が損害賠償に存する 旨を規定している(財産編 381 条)。このこ との意味について,ボアソナードは,以下の ように説いている(82)。財産編 293 条2項は債 務の定義を規定しているが(義務ハ一人又ハ
数人ヲシテ他ノ定マリタル一人又ハ数人ニ対 シテ或ル物ヲ与ヘ又ハ或ル事ヲ為シ若クハ為 ササルコトニ服従セシムル人定法又ハ自然法 ノ羈絆ナリ),これは道徳的・形而上学的な効 果を明らかにしたものに過ぎない。従って,
債務の効果を明確にするためには,債務者 が法的義務を履行しなかった場合を想定し,
法律が,債務のその後の効果,つまり,不履 行の諸結果,不履行のサンクションを確定し ておかなければならない。そして,この効果 は債権者の強制手段に存する。本条が規定 するように,債権者は,(強制手段として―筆 者注)2つの訴権を持つ。1つは,債務の直 接履行,つまり,義務付けられたこと(物,
作為または不作為)の現実的な実現を目的と するものであり,もう1つは,債務者が履行 しようとしないか,フォートにより履行する ことができない状態にある場合,あるいは,
債務者が単に履行するのを遅滞した場合に,
不履行に基づく補償を得ることを目的とす る。これら2つの訴権は,別々にまたは同時 に提起することができる。後者の訴権は,あ るときは前者の訴権に付随し,またあるとき には前者の訴権を補完する。しかし,法典は,
明確さのためにこれらの各訴権に別々の節を 与えたのである。
この記述を一読するだけでも明らかとなる ように,ボアソナードは,損害賠償ノ訴権 を直接履行ノ訴権と並ぶ債務の効果とし て位置付けている。確かに,一方は債務の主 たる効果であって現実の履行を目的とし,他 方は債務の付随的効果でしかなく金銭による 補完を目的とするから,これら2つの訴権は 異なるとも言える。しかし,ボアソナードの 構想において,これらは,債務の効果から導
かれる訴権であるという点で連続的に捉えら れるのであって,両訴権ともに債務が任意に 履行されなかった場合に債権者が採りうる強 制の手段として把握されているのである。
こうしたボアソナードの理解を当時のフラ ンス法の中に位置付けるならば,それは,ポ チェが言う原初債務の効果としての二次的債 務たる損害賠償や,オーブリー=ローが説く 債権の付随的かつ潜在的権利としての損害賠 償という構想と同じ枠組みを示すものと見る ことができる。このことは,債務不履行以外 の条文を対象とした注釈の内容からも明らか となる。例えば,更改不存在のケースについ て規定した財産編 490 条の注釈には以下の記 述が存在する(83)。債務の方式,担保,履行,
範囲,証拠等の変更は,その構成要素に関わ る変更ではないから,債務は同一性を保持し,
更改も存在しない。債務不履行に基づく損害 賠償についても,これと同じように理解しな ければならない。というのは,損害賠償は,
約定されたものであろうと裁判上宣告された ものであろうと,条件付きとはいえ原初債務 の当然の結果に過ぎないからである。ここ では,債務不履行に基づく損害賠償が原初債 務の当然の結果でしかないことを理由に,更 改の不存在が導かれている(84)。更に,ボアソ ナードが,債務を起点に,その履行手段とし て不履行に基づく損害賠償を位置付けていた
ことは,義務ノ効力としての損害賠償ノ
訴権が,法典の編別上,合意ないし契約に よって発生する債務のみならず,およそ債務 一般に妥当する規律として配置されていると いう事実からも裏付けることができる(85)(86)。 もっとも,ボアソナードの説明の中には,
当時のフランス民法学の主流とも言うべき基
礎付け,つまり,債務不履行の結果生ずる損 害賠償を当事者間の黙示の合意によって正当 化する方法をも見出すことができる。という のは,ボアソナードは,予見可能性による賠 償範囲確定ルール(財産編 385 条2項)を契 約に付随する黙示の合意によって説明してい るからである(87)。このように,ボアソナード の注釈には,債務の効力による正当化と黙示 の合意による正当化という当時のフランス民 法学における2つの潮流が混在している。し かし,このことは,ボアソナードの理解が理 論的な矛盾を来していたことを意味しない。
確かに,合意が介在しない場合に債務不履行 一般に妥当するはずの予見可能性ルールをど のように説明するのかという問題は残される が,いずれの潮流においても,契約あるいは 債務不履行に基づく損害賠償が契約あるいは 債務の代替的な実現手段として捉えられてい ることに変わりはないのである。
このような形で旧民法における損害賠償 ノ訴権の意義を理解すると,ボアソナード が債務不履行に基づく損害賠償をめぐって展 開していた議論についても,以下の読み方を 提示することが可能となる。
まず,損害賠償の基礎に関わる議論である。
旧民法における債務不履行に基づく損害賠償 の基礎は原初債務それ自体である。ここで は,過失や帰責事由の存在を根拠として原初 債務とは別の損害賠償が債務者に課されると いう判断枠組みが介在する余地はない。もっ とも,この理解に対しては異論も提示されう る。というのは,財産編 383 条は,債権者に 損害賠償訴権が与えられるケースとして,履 行拒絶,履行不能,履行遅滞を規定している ところ,このうち履行不能については,債務
者ノ責ニ帰ス可キ履行不能ノ場合という表 現を用いており,この意味に関して,ボアソ ナードは,不用意にも果たしうる以上のこ とを約束したためにせよ,不完全な事務の管 理によりその債務を履行することができなく なったためにせよ,履行が不能となり,かつ それを債務者の責めに帰すことができる場合 があると説明しているからである(88)。
しかし,この記述は,帰責事由が債務者に 対し損害賠償を課すための要素として観念さ れていたことを意味するものではない。ボア ソナードは,先に引用した部分に続けて次の ように述べている。このケースは,不履行 が偶発事故または不可抗力に由来するケース においては,反対の解決に至ることを含意し ている。例えば,目的物が偶然にも滅失して しまった場合や,目的物が市場から取り除か れた場合がそうである。もちろん,この場合 に,偶発事故または不可抗力を証明しなけれ ばならないのは債務者である。更に,この履 行不能は債務の消滅原因でもある(89)。この 記述からは,旧民法において,帰責事由の存 在が偶発事故・不可抗力の不存在の対概念と して用いられていること,債務者の責めに帰 すことのできない事由に基づく履行不能の場 合には債務が消滅すること,偶発事故または 不可抗力の証明責任が債務者の負担に属する ことが明らかになる。そして,これらの理解 は,原初債務とは別の損害賠償債務を債務者 に帰責するという構想を否定し,原初債務の 効果として債務不履行に基づく損害賠償を捉 える構想を採用していることを特徴付けるも のと言える。順に見ていこう。
第1に,財産編 383 条の帰責事由が不可抗 力・偶発事故の不存在の対概念として用いら
れていることである。つまり,帰責事由の不 存在は,不可抗力・偶発事故によって履行不 能になったことを意味する(90)。従って,旧民 法における帰責事由が,不正ノ損害即チ犯 罪及ヒ准犯罪における過失や懈怠とその意 味を全く異にすることはもちろん,損害賠償 訴権の基礎として用いられているわけではな いことも明らかである。このことは,ボアソ ナードが法学の基礎を培ったフランス法の議 論状況からも浮き彫りになる。既に検討した ように,19 世紀のフランスにおいては,
フォートの段階付けに関する議論がなされて いたが,この論争は,帰責の根拠ではなく,
目的物の保存債務の範囲をめぐるものと理解 することができた。ボアソナードも,フラン ス民法典 1137 条(91) に相当する規定を設けた が(財産編 334 条),この条文の注釈では,当 時のフランス民法学と同様,フォートという 言葉で債務の範囲を論じているように見受け られるのである(92)。かくして,ボアソナード の理解を当時のフランス法の文脈に位置付け るならば,たとえ条文や注釈の中でフォート やそれに類する言葉が用いられているとして も,それを今日と同じような意味で解釈する ことは許されないと言うべきである。
第2に,債務者の責めに帰すことのできな い事由に基づく履行不能,つまり,不可抗力・
偶発事故による履行不能の場合には債務が消 滅するとされていることである。これを反対 解釈すれば,債務者の責めに帰すべき履行不 能,つまり,不可抗力・偶発事故によらない 履行不能の場合には債務が存続するというこ とになる。ところで,旧民法は,財産編の第
3章義務ノ消滅の中に,履行ノ不能と
題する節を置き,債務者の過失なくして債務
が履行不能となったときには債務が消滅する 旨の規定を用意している(財産編 539 条)。
この条文は,フランス民法典 1302 条1項(93) の規律を,特定物の引渡し債務のみならず,
為す債務及び為さない債務に拡大したもので あるが,19 世紀の学説は,同条の基礎を提供 したポチェに倣って,債務者のフォートに よって目的物が滅失したときには債務は消滅 せず,当該債務はこの物の代価に関する債務 として存続するとの理解を示していた(94)。ボ アソナードが財産編 539 条に込めた意味もこ れと同じであり,彼は,債務者の過失による 履行不能の場合には債務が消滅することはな いとの理解を明確に提示していたのであ る(95)。
第3に,偶発事故・不可抗力の証明責任が 損害賠償を免れようとする債務者の負担に属 するとされていることである。この解決それ 自体は今日でも一般的に受け入れられている ものに過ぎないが,ここで注目すべきはその 理由付けである。ボアソナードは,このルー ルを規定した財産編 541 条の注釈において,
以下の叙述を残している(96)。フォート(過 失)は推定されないという一般原則に従え ば,債務者が債務を履行しなかったことにつ きフォートが存する旨を証明しなければなら ないのは債権者であるようにも思われる。し かし,この原則は債務を生じさせるフォート が問題となる場合にのみ妥当するものであ る。確かに,民事不法行為や準不法行為上の フォートの被害者であると主張しその賠償を 請求しようとする者は,行為とそのフォート ある性格(不正な損害)を証明しなければな らない。しかし,ここで問題となっている ケースでは,債権者は自己の権利を生じさせ
た当初の契約を証明すれば足りるのであっ て,債務者が不可抗力または偶発的な行為に よって履行を妨げられたことを主張しようと するときには,債務者は,以下の2つの原則 に従ってこれを証明しなければならないので ある。1つは,偶発事故及び不可抗力の障害 は推定されないという原則であり(中略),も う1つは,被告は抗弁において原告になる という原則である。以上の叙述を一読する だけでも明らかとなるように,ボアソナード の理解において,不可抗力・偶発事故の証明 責任が債務者に帰せられるという解決は,以 下のような論理構造の上に成り立っている。
債権者は,原初債務の存在を証明すればそれ だけで原初債務の効果としての不履行に基づ く損害賠償を基礎付けたことになる。従っ て,今度は,これを免れようとする債務者が,
債務消滅原因としての不可抗力・偶発事故に 基づく履行不能を証明しなければならない。
かくして,この理解によれば,財産編 541 条 の規律は,証明責任の一般原則を適用したも のに過ぎないということになるのである。そ して,ここでは,この理解が 19 世紀のフラン ス民法学において一般的に受け入れられてい た見解と同一であることも付言しておく。
以上の3点から明らかになることを整理し ておく。ボアソナードは,債務不履行に基づ く損害賠償を原初債務の効果として位置付け ており,債務者による債務不履行が存在し,
その履行が不可能になったとしても,債務消 滅原因としての不可抗力または偶発事故が証 明されない限り,原初債務は存続すると理解 していた。債務不履行に基づく損害賠償は,
金銭という形で履行されなかった原初債務を 実現するものにほかならないのであって,そ
うであるからこそ,ボアソナードは,原初債 務の存在を証明すれば不履行に基づく損害賠 償の存在も基礎付けられるとのルールを導く ことができたのである。そして,この理解の 下では,帰責原因としてのフォートや過失が 機能する余地は一切存在しない。ボアソナー ドは,同時代のフランス民法学説と同じよう に,伝統的に用いられてきたという理由だけ でこれらの表現を使用していたと見るべきで ある。
次に,損害賠償の範囲に関わる議論である。
財産編 385 条2項,3項は,フランス民法典 1150 条及び 1151 条(97) と同じように,債務 者ノ悪意ナク懈怠ノミニ出テタル不履行又ハ 遅滞の場合の損害賠償が当事者カ合意ノ 時ニ予見シ又ハ予見スルヲ得ヘカリシ損失ト 利得ノ喪失トノミヲ包含すること,債務者 に悪意が存在する場合には予見スルヲ得サ リシ損害ト雖モ不履行ヨリ生スル結果ニシテ 避ク可カラサルモノタルトキハ債務者其賠償 ヲ負担することを規定した。ボアソナード は,これらの条文の注釈において具体例を挙 げつつ解釈論を展開するが,その理論的基礎 については,ただ以下のように述べるだけで
ある。この現実もしくは仮定の予見は,損
害賠償に関する黙示の合意とみなされう る(98)。19 世紀の学説は,契約領域における 損害賠償が契約債務の効果であるとの理解を 起点として,当事者間の黙示の合意を援用す ることによりフランス民法典 1150 条の正当 化を試みていた。ボアソナードの手になる叙 述を当時のフランスの議論の中に位置付ける ならば,ここでも,ボアソナードが履行モデ ルの考え方を基礎に 19 世紀フランスの一般 的な理解に従って条文を起草したことが分か
るであろう。
以上が,旧民法及びその基礎となったボア ソナードの理解における債務不履行に基づく 損害賠償の意義と構造である。これによる と,旧民法は,ポチェによって提示された原 初債務の効果としての損害賠償という構成を 基礎に据えつつ(99),そこにその後の学説に よってもたらされた理論的な成果をも取り入 れながら,損害賠償ノ訴権に関する条文を 用意したと言うことができる。
ところが,旧民法の中には,2つの損害賠 償制度を接近させるかのような規定も存在す る。旧民法は,義務ノ効力としての損害 賠償ノ訴権と不正ノ損害即チ犯罪及ヒ准 犯罪とを別個に扱っているが,後者の冒頭 条文において,損害賠償の範囲については前 者の規定に従う旨の規律を設けたのである
(財産編 370 条3項)。ボアソナードは言
う(100)。この点に関して,日本の法典は,合
意の不履行において犯されたフォートまたは 作為の責任を参照させることによって,外国 の法典にある欠缺を埋めている(改行)。ヨー ロッパにおいては,契約に関して犯された悪 意及びフォートの補償を規律する法律上の規 定について,不法行為及び準不法行為にも拡 大しうると考えている学説はほとんど存在し ない。しかし,類似は明らかである。ここで は,罰ではなく,民事の賠償が問題となって
いるからである。裁判所は,不法行為及び
準不法行為のケースにおいては,如何なる規 範にも従わず損害の責任を評価するに際し無 限定な権限を持つのに対し,合意の不履行が 問題となる場合には,このような自由を持た ない。合意が問題となる場合に法律が悪意と 単純なフォートとの間に設けている区別が正
当で合理的なものであるならば,何故に,そ の他の場合,とりわけ準契約及び不法行為と 準不法行為のケースにおいて,そうでないの かを理解することはできない。いずれにして も,これらの様々なケースの類似性が明文を 持たない外国において十分に認められている かどうかを探求するまでもなく,日本の法典 の中にこれを規範として定立することができ るのである
これらが何を意味するのかは大きな問題で ある。旧民法は,債務不履行に基づく損害賠 償を原初債務の効果として位置付けており,
不法行為に基づく損害とは全く性質の異なる 制度として捉えていた。加えて,そこでは,
予見可能性による賠償範囲確定ルールが当事 者間の黙示の合意によって基礎付けられてい た。それにも関わらず,旧民法は,2つの損 害賠償制度の類似性を根拠に,損害賠償の範 囲についてのみではあるが,両者を同一の規 律に服せしめるべきことを規定したのであ る。これは,フランス法の文脈で言えば,2 つの損害賠償をフォートによって惹起された 損害を賠償するための制度として捉える可能 性を示唆していたドマにまで遡らなければ見 られない特徴であり,仮にこのような形でド マとの関係性を指摘しうるのであれば,旧民 法の中には,履行モデルを動揺させ,賠償モ デルの萌芽となりうる要素をも見出すことが できるということになる。そして,総論的に は債務不履行に基づく損害賠償の債権の効力 性を強調しながら,損害賠償の範囲の局面に おいてのみ賠償の視点を介在させる態度は,
現行民法の制定過程における議論にも影を落 とすことになる。
第2款 モデルの後退
旧民法における債務不履行に基づく損害賠 償は,それを原初債務の履行方式として理解 するモデルを基礎としているものの,部分的 ではあるが,不履行によって生じた損害の賠 償方式として捉える構想へと接近するかのよ うな意味付けも与えられていた。それでは,
こうした構造を持つ旧民法の債務不履行に基 づく損害賠償につき,当時の学説はどのよう な理解を示していたのか。
旧民法時代の学説は,一部の例外を除き,
ボアソナードの理解を忠実に再現するもので あったと言える。まず,債務不履行に基づく 損害賠償が,義務ノ効力,債務の付随的効 果として認められるものであることが強調さ
れていた(101)。その結果,不履行に基づく損害
賠償の機能についても,それが履行の代用物 であること,あるいは,それによって債権者 は履行がなされたのと同一の状態に位置付け られることが指摘されるに至った(102)。要件 のレベルでも,帰責事由の必要性が説かれて いたが,既に指摘されている通り(103),当時の 学説においても,この言葉は不可抗力・偶発 事故の対概念として用いられていた(104)。こ のことは,帰責事由が債務を履行しなかった 者に原初債務とは別の損害賠償債務を課すた めの要素として位置付けられていなかったこ とを示している。その証左に,当時の学説は,
旧民法の条文とボアソナードの注釈に忠実な 形で,不可抗力・偶発事故によらずに目的物 が滅失したときには,原初債務は消滅せず,
代替的な履行手段としての損害賠償の形で存 続するとの理解を示していたのである(105)。 更に,予見可能性による賠償範囲確定ルール を当事者間の黙示の合意によって基礎付ける
手法も,ボアソナードと同様であった(106)。 このような議論状況にあって,富井政章は,
同時代の学説とは若干ニュアンスの異なる叙 述も残していた。富井は,債務不履行に基づ く損害賠償(違約賠償)を総論的に論じた場 面で,以下のように述べている。損害賠償 ノ責任ハ或ハ違約即チ契約上ノ義務ヲ実行セ サルニ原因スルコトアリ或ハ民事犯タル所為 ヨリ起生スルコトアリ或ハ又法律ノ規定ニ基 ク義務ヲ履行セサルヨリ生スルコトアリ其原 因ハ同一ナラスト雖モ其訴権ヲ行フニ必要ナ ル条件及ヒ賠償金額ヲ定ムルノ標準等ニ至テ ハ全ク其原則ヲ異ニセス(107)。この叙述は,
一見すると,不履行に基づく損害賠償と不法 行為に基づく損害賠償を同一のものとして捉 える立場を表明しているようにも見える(108)。
もっとも,富井の理解において,損害賠償 を義務ノ効力として把握する視点が失わ れていないことに注意する必要がある。つま り,富井は,財産編 383 条以下の損害賠償を 既存債務の効果と位置付けているのである。
そうすると,理論的に見れば,不法行為によっ て発生した損害賠償債務の不履行ならばとも かく,それ自体が債務発生原因であるはずの 不法行為をここで言う損害賠償に含めること はできないはずである。それにも関わらず,
富井は,違約賠償と私犯が同一の枠組みに よって規律されるべきことを説いた。従っ て,富井の見解には,上に述べた限度で混乱 が存在すると見なければならない。
しかし,そもそも先の総論的な理解が具体 的な場面で重要な意味を有していたのかとい う点には疑問も残る。例えば,富井は,違約 賠償の要件として,違約が債務者ノ所為又 ハ過失ニ原因スルコト(109),義務ノ不実行ハ
債務者ノ故意又ハ過失ニ起因スルコト(110) を挙げているが,その意味については,同時 代の学説と同じく,天災又ハ抗拒ス可カラ サル意外ノ事件ニ因リ義務ヲ実行スル能ハサ リシコトとしていたし(111)(112),予見可能性に よる賠償範囲確定ルールに関しても,その正 当化根拠として是レ畢竟此場合ニ於テ賠償 ノ責任ハ双方の黙約ニ原因スレハナリとい う点を挙げ(113),更に,悪意の債務者の賠償責 任に関わる文脈では,富井は此場合ニ於テ 斯ク迄違約者ノ責任ヲ過重スル所以ハ他ナシ 賠償ノ義務ハ双方ノ黙約ニ基本ヲ汲ムニ非ス 悪意即チ責任ノ原因ニシテ又償金ノ額ヲ定ム ルノ尺度ト為ルモノナレハナリと述べてい
た(114)(115)。これらは,当時の理論状況を踏ま
えると,それ自体が債務発生原因である不法 行為法の領域では本来的に成り立ちえない解 釈なのであって,こうした点を併せて考慮す るならば,富井の言う同一ノ原則という 命題は必ずしも大きな意味を有していなかっ たように見受けられるのである。
かくして,富井の見解については,確かに,
旧民法でもその萌芽を見出すことのできた賠 償モデルの一端を垣間見ることができるが,
全体的に見れば,なお履行モデルの考え方が 基礎とされていたと理解することができる。
第2節 履行方式としての契約不履行に基 づく損害賠償の終焉?
現行民法の債務不履行に基づく損害賠償 は,どのような意義と構造を持つ制度として 設けられたのか。議論の見通しを良くするた めに予め結論だけを示しておくならば,現行 民法の制定過程における債務不履行に基づく 損害賠償に関する審議も,旧民法及びそこで
の議論の内容を引き継ぐ形で,つまり,履行 モデルと賠償モデルという2つの異なる視点 を併存させながら行われることになったので ある。
現行民法の債務不履行に基づく損害賠償に 関する諸規定の成立過程については,それを 詳細に跡付けた先行研究が存在する。従っ て,起草委員による原案の作成から様々なレ ベルでの審議を経て現行民法の条文へと結実 する経緯については,これらの先行研究の参 照を請うことにし,以下では,本章の検討課 題を解明するために必要な限度でのみ,起草 過程における議論を検討する。
第1款 2つのモデルの混在
まず,起草委員によって法典調査会に提出 された,いわゆる甲号議案(民法第1議案)
における債務不履行に基づく損害賠償の体系 的な位置付けを確認しておく。債務不履行に 基づく損害賠償の部分を含む甲第 20 号議案 は,第3編債権の第1章総則の中に
債権ノ効力(第2節)と題する節を置き,
この節の中に,第1款履行に続く形で,
債務不履行に基づく損害賠償に関する第2款 賠償を用意した。このような条文の配置 だけを見る限り,現行民法の債務不履行に基 づく損害賠償は,旧民法のそれと同一の位置 付けを与えられていることが分かる。現行民 法と旧民法とで,人権及ヒ義務の部あるい は債権編の体系は大きく異なっているにも関 わらず,債務不履行に基づく損害賠償を債務 ないし債権の効力として把握している点,2 つの損害賠償を区別して扱っている点におい て,両者が一致しているという事実はここで 強調されるべき事柄である。
次に,現行民法が,債権の効力としての賠 償をどのような性質を持つ制度として捉え ていたのかを検討する。もっとも,制定過程 での審議において,債務不履行に基づく損害 賠償の意義や性質が明確な形で意識され議論 に付せられたというわけではない。それどこ ろか,法典調査会における審議では,各委員 によって,また,同じ委員であっても発言が 行われた場面によって,あるいは,債務不履 行に基づく損害賠償が債権の効力であること を強調し,それを先存債権の実現手段として 捉えているように見える発言がなされ,ある いは,債務不履行に基づく損害賠償と不法行 為に基づく損害賠償の原理的な共通性を指摘 しているように見受けられる場面も存在する のである。以下,法典調査会における審議の 中から,そこで行われた議論の対象・素材ご とに,債務不履行に基づく損害賠償の性質に 関わるものと理解できる断片を拾い集め,こ れを本稿の問題意識に従って分析してみよ う。
第1に,表題に関わる議論を取り上げる。
債権ノ効力の節に置かれている規定の甲 号議案は,穂積陳重の手になる原案に起草委 員による討議を踏まえ修正を施された上で法 典調査会へと提出されたものである。穂積 は,同節が履行と賠償という編別を採用した 理由に関連して,履行の節に置かれた原案 408 条(現行 414 条)の趣旨説明の中で,以下 のように発言している。本條ハ既成法典ニ 直接履行ノ訴権トアリマス所ノ規定ヲ聊 カ修正致シマシタルモノデアリマス乍併多ク ノ場所ハ文字ノ修正ニ止ツテ居リマスルシ又 既成法典ノ中デ無用ニ属シマスル所ノ箇所ヲ 削ツタニ止ツテ居リマス先ヅ第一ニ直接履
行ト申シマスル言葉ヲ本案デハ強制履行 ト改メマシタノデアリマス既成法典デ直接 履行ト云フ言葉ヲ使ヒマシタノハ固ヨリ翻 譯字デゴザイマシテ或ハ義務ノ實行ヲ行ハシ メルノハ直接ノ履行デアツテ賠償ノ如キモノ ハ間接ノ履行デアルト云フヤウナ考ヘデモ取 ツテ居ルノデアラウト思ヒマス乍併賠償ハ固 ヨリ履行デナイ不履行ノ結果トカ諸國ノ法典 ニ舉ゲテアルガ如ク私ハ賠償ト云フモノハ間 接ノ履行デアルト云フコトハ當ツテ居ラヌト 思ヒマス要スルニ何ウ云フ事ガアレバ裁判所 ノ力ヲ藉ツテ其義務ノ強制履行ヲサセルコト ガ出来ルト云フノデアリマスカラ夫故ニ強 制履行ト云フ字當ルト思ヒマシテ之ヲ改メ タノデアリマス(116)。
ここでは,債務不履行に基づく損害賠償を 履行と見ることはできないという理由で,旧 民法の直接履行という表現が強制履行に改め られた旨が述べられている。つまり,穂積の 理解においては,強制履行と債務不履行に基 づく損害賠償が明確に区別されており,この 考え方が履行と賠償という債権ノ効力内 部の編別を採用せしめたと理解することがで きる。従って,この部分を強調すれば,現行 民法の背後にある債務不履行に基づく損害賠 償の理論枠組みは賠償モデルであり,そこに は不法行為に基づく損害賠償との原理的同一 性を指摘することができるとの認識に傾く。
もっとも,このように速断することはでき ない。なるほど,穂積が債務不履行に基づく 損害賠償を厳密な意味での履行として捉えて いないことは明らかである。しかし,ここで 問題としているのは,債務不履行に基づく損 害賠償に対してどのような名称が与えられて いるかではなく,損害賠償に関わる諸問題を
検討するに際してどのような思考を辿ってい るかということである。履行モデルにおいて も,損害賠償と本来的な意味での履行とでは,
債務者によって提供される対象が異なる以 上,両者の間に相違が存することは当然の事 理として受け止められている。この意味で言 えば,履行モデルを前提にしたとしても,損 害賠償は厳密な意味での履行ではありえな い。このモデルは,損害賠償の現実的な機能 に着目したとき,そこには履行との共通性を 指摘しうることから,これを履行確保のため の制度として位置付け,このような認識を基 礎にして損害賠償に関する議論を展開しよう とするものなのである。こうした視点をも踏 まえた場合,仮に穂積が言葉の問題として履 行と賠償を区別していたとしても,そこで用 いられている履行や賠償の中身が明らかにさ れていない以上,そこから直ちに履行モデル の放棄と賠償モデルの採用という帰結を読み 取ることはできないと言うべきである。
このように,甲号議案の債権ノ効力と 題する節の中で履行と賠償に別々の款が与え られていたこと,及び,この区分に関わる起 草委員の発言は,債務不履行に基づく損害賠 償の理論枠組みと直接的な関係を持つもので はないように思われる(117)。それでは,履行と 賠償を包含する節として設けられていた債 権ノ効力にはどのような意味が与えられて いたのか。穂積陳重は,各条文の逐条審議に 際して,この表題の意味について特に言及す ることはなかったが,それに先立つ形で行わ れた民法の編別(目録)に関する甲第1号を めぐる主査会での審議において,興味深い議 論がなされていた。
まず,箕作麟祥から,契約のところでは効
果という表現が使用されているのに,ここで は効力という言葉が用いられているが,こう した区別がなされている理由はどこにあるの かという質問が出された。これに対して,富 井政章は,権利又ハ義務ノ方ハ効力ト云フ テ,権利義務ヲ生ズル所ノ契約ノ方ハ効果ト 云フ方ガ區別ガ立ツテ宜カラウト思ヒマス,
何トナレバ権利ノ方ハ其権利ノ力ヲ謂フノデ アル,直接ニ實際ノ履行ヲ要求スルコトガ出 來ルトカ又ハ或ル場合ニハ夫レガ出來ナイト カ云フ様ナ事ハ皆ナ権利ノ力ノ問題デアル,
即チ権利カラ生ズル結果ト云フヨリモ権利ノ 力デアル,夫レカラ又引渡シノ義務ガ生ズル トカ所有権ガ移ルトカ云フ様ナ事ハ契約ノ結 果デアル,即チ其契約カラ生ジテ來ル所ノ結 果デアル,故ニ其方ハ効果トシタ方ガ宜カロ ウト云フ考デ,効力ト云フ字ト効果ト云フ字 ト意アツテ別々ニ用ヰタノデアリマスと応
対する(118)。次いで,第3編の表題として人
権は適切か,債権や債務の方が良いのでは ないかという点に議論が及ぶ中で,末松謙澄
から,第一節(債務ノ効力―筆者注)丈ヲ債
権トシテモ差支ハアルマイ,中ノ方ニ履行賠 償トアツテモ債権ノ効力デ以テ履行ヲ求メタ リ賠償ヲ求メタリスル権利ガアルノダカラ差 支ハアルマイト思フとの意見が出されたの に対し,富井政章は,この意見それ自体には 特に異論を述べることなく,夫レデハ編ノ 表題ニ行キ當ル又二節三節ノ表題ニモ行キ當 ルと応対しているのである(119)。
こうした表題をめぐる議論からは,債権
ノ効力債務ノ効力という表現には,債権
それ自体に内在する力という意味が込められ ていること,また,民法制定過程における議 論においては,少なくとも債務不履行に基づ
く損害賠償を債権に内在する力の発現として 捉える構想が存在したことが明らかとなる。
そして,甲号議案の起草に際して,旧民法の 人権及ヒ義務の体系が大幅に変更された にも関わらず,債務不履行に基づく損害賠償 を債権ノ効力に含める体系が維持されて いること,また,履行のみならず債務不履行 に基づく損害賠償をも債権に内在する力の発 現として位置付ける立場について,何らの意 見も出されなかったことを併せて考えるなら ば,この理解は,主査会の一委員に止まらず,
起草委員の間にも共有されていたと見ること も十分に可能であるように思われる。従っ て,こうした側面を強調すれば,現行民法に おける債務不履行に基づく損害賠償は,債権 を有していることの結果でも,債権が履行さ れなかったことの結果でもなく,債権に内在 する効力としての意味付けを与えられること になる。
第2に,帰責事由あるいは不可抗力・偶発 事故をめぐる議論を取り上げる。穂積陳重 は,法典調査会における原案 409 条(現行 415 条)の趣旨説明に際して,まず,本條ハ 財産編第三百八十三條ヲ修正致シタモノデゴ ザイマス重モニ文字ノ修正ニ止マツテ居ルノ デゴザイマスと述べた上で,同条のただし 書で其不履行カ債務者ノ責ニ帰スヘカラサ ルトキハ此限ニ在ラスと規定された理由に ついて,以下の発言を残している。夫レカ ラ但書ニ於キマシテハ諸國ノ法典抔ニ於テハ 多ク不可抗力或ハ……等ノ場合ハ取除イテア リマスガ前ヨリシテ不可抗力又ハ……等ノ事 ニ然ウ舉ゲズシテ過失ニ出デヌトカ云フヤウ ナ書キ方ニ為リ來ツテ居リマス夫故ニ如何ナ ル原因ニ依リマシテモ其不履行ト云フモノガ
債務者ノ責ニ帰スベカラザルトキハ此損害賠 償ノ責ヲ生ジナイト云フコトヲ此處ニ廣ク断 ツタ丈ケノコトデゴザイマス(120)。
このような穂積の発言からは,原案 409 条 が旧民法財産編 383 条の文言を修正したもの に過ぎないこと,責ニ帰スヘカラサルとい う表現も実質的には不可抗力や偶発事故が存 在するケースを意味するものとして理解され ていたことが明らかとなる(121)。もちろん,
文字ノ修正ニ止マツテ居ルとされている ことだけを取り上げて,直ちに現行民法も旧 民法における原初債務の当然の結果としての 損害賠償という構成を引き継いだと断定する ことはできない。しかし,この段階での帰責 事由が不法行為領域における過失とは全く異 なる概念として捉えられていたこと,そして,
この見方が穂積だけでなくほかの起草委員に も共有されていたことは(122),強調されるべき である。
ところで,原案 409 条ただし書はその後変 更が加えられ,修正案 414 条として再度法典 調査会の審議にかけられることになった。こ の修正案の審議過程においても,帰責事由な いし不可抗力・偶発事故の意味に関連して興 味深い議論がなされている。まず,土方寧が 修正案のような形に変更すると帰責事由の証 明責任の点において不都合が生ずる旨を指摘 する。これに対し,修正案 414 条の趣旨説明 を行った富井政章は以下の回答を行う。債 務ガアルト云フコトハ債権者ノ方カラ證明シ ナケレバナラヌモノデアルガ一旦債務ガアル ト云フコトガ確ニ分ツタ以上ハ履行シナケレ バナラヌト云フコトガ本則デアル,履行セヌ デモ宜イト云フ特別ノ理由ガアレバ夫レハ債 務者ノ方カラ證明シナケレバナラヌト云フコ
トガ法律上ノ根本原因ニ依テ疑ノナイコトト 思フ此規定ガ證據編ニデモアレバ今仰セニナ ツタヤウナ心配ガアリマセウガ決シテ舉證ノ 責ヲ豫定スル様ナコトニハナラヌ債権者ハ履 行ノ責ニ任ジナケレバナラヌト云フヤウナコ トヲ言ヒ出シテ訴ヲ起スデアリマセウ,是レ ハ自己ノ責ニ帰スベカラザル原因ニ依テ不能 トナツタト云フコトヲ債務者ガ言ヘバ債務者 ノ方カラ其過失ノナイト云フコトノ證據ヲ挙 ゲナケレバナラヌト云フコトハ少シモ本條ア ルガ為メニ妨ゲラレルコトガナカラウト思
フ(123)。その後,土方は,証明責任の所在に
疑いが残ることを理由に原案を支持する案を 提出するが,起草委員が,証明責任の規律は その通りであるとしても履行不能の場合の規 律を明確にする必要があること(富井政章),
これまでの条文にも証明責任の所在を反映し ない形で起草されたものが多く存在し,証拠 の問題は民事訴訟法に委ねられるべきこと
(梅謙次郎)等を主張したため,結局,原案 維持の案は賛成少数となり,修正案 414 条が そのまま可決されることになった(124)。
もちろん,帰責事由不存在の証明責任が債 務者側の負担に帰するという解決は,今日で も受け入れられているものである。ここで注 目すべきは,この解決を基礎付けるために富 井が述べている理由である。先に引用した部 分で,富井は,債務が存在することの証明責 任は債権者にあるが,債務の存在が証明され たときには債務者がその債務の履行を免れる ための事由を証明しなければならないと述べ ている。つまり,債務の存在が証明されれば それだけで債権者の損害賠償への権利は基礎 付けられることになるから,今度はこれを免 れようとする債務者が債務消滅原因としての
帰責事由の不存在を証明しなければならない と理解しているのである。この論理は,債務 不履行に基づく損害賠償を債権それ自体の効 力と見る立場を前提にしなければ成り立ちえ ないものであって,この点からすれば,起草 委員の発言の中に,債務不履行に基づく損害 賠償を債権に内在する力の発現として位置付 ける立場を見て取ることができるのである。
第3に,損害賠償の範囲をめぐる議論を検 討する。損害賠償の範囲についての原案 410 条(現行 416 条)は,債務不履行に基づく損 害賠償に関わる条文の中でも最も激しい議論 が交わされた部分であり,法典調査会におけ る審議の結果一定の修正が施されるに至って
いる(125)。また,不法行為に基づく損害賠償に
関する原案 719 条(現行 709 条)の審議にお いても,旧民法の中に存在した,債務不履行 に基づく損害賠償の範囲についての条文を不 法行為に基づく損害賠償へと準用する規定
(財産編 370 条3項)が削除されたことをめ ぐって,多くの議論が展開された(126)。これら の議論の中には,現行民法の債務不履行に基 づく損害賠償の性質はどのようなものであっ たかという問題関心から見た場合にも,興味 深い素材を見出すことができる。委員によ り,あるいは同じ委員であっても,賠償範囲 の問題を捉える際の基本的視座,つまり,債 務不履行に基づく損害賠償に関する理論枠組 みにおいて,相反する2つの視点が混在して いるように見えるからである。
原案 410 条の叩き台となる案の起草を担当 した穂積陳重は,その趣旨説明において,予 見が標準とされたことの意味につき,豫見 ト云フコトハ何ウモ之ハ債務関係ノ性質ヨリ シテ一ツノ標準ト致サナケレバナルマイト存
ジマシタと述べている(127)。冒頭の趣旨説明 の中で,この債務関係ノ性質ヨリシテの 意味がこれ以上明確にされることはなかった が,その後の磯部四郎による予見時期に関わ
る質問(128) に対する応答の中で,穂積は以下
のように発言している。御説ノ通リニ私共 ニ於テモ途中カラ豫見ヲシタ夫レハ契約ノ場 合ニハ限リマセヌガ契約ノ場合ナラバ分リ易 イ途中カラアレヲ約束通リ履行ヲシテ呉レヌ ト私ハ斯ウ云フ位置ニ為ツテ特ニ困ル其損害 ハ通常ノ取引ノ売買ニ依テ多數ノ人ガ損害ヲ 蒙ルヨリハ私ハ特ニ餘計ニ蒙ルコトガアルト 云フ斯ウ云フ事ヲ言ハレタ始メヨリ負擔シテ 居リマスル所ノ債務ノ分量ト云フモノハちゃ んト極ツテ居ル一貫目トカ二貫目トカ云フモ ノヲ負擔シテ居ルノニ夫レヲ一方ノ意思デ又 夫レニ五百目ヲ加ヘルトカ六百目ヲ加ヘルコ トガ出來ルト云フコトニ為ルノデアリマスカ ラ何ウモ理論上途中カラ知ラセテ貰ウトカ又 自分ガ豫見シタ事情ニ依テ特ニ其責ガ重クナ ルト云フヤウニサレルノハ穏カデアルマイ又 實際上モ然ウ云フコトヲサセタナラバ弊害ガ 殖エルデアラウト云フノデアリマス(129)。こ の発言を損害賠償の理論枠組みという視点か ら解釈すれば,債務不履行に基づく損害賠償 は先存債権を金銭の形で充足させるものであ るから,その範囲も先存債権が発生した当時 の当該債権の範囲によって画されるべきであ るとの理解を示したものとして読むことがで きる。そして,仮にこの読み方が正当である ならば,穂積の発言はまさにポチェの理論を 採用したものにほかならないと言える。
しかし,債務不履行に基づく損害賠償の範 囲に関しては起草委員の間でも対立が存在 し,これとは異なる見方も示されていた。梅
謙次郎の発言がそれである。梅は,予見の対 象は損害ではなく特別の事情とすべきである との田部芳の修正案に同調しつつ,以下の論 理を展開する。原案 410 条には当初から反対 であったが,実際上はそれほどの相違が生じ ないと考えたので,強いて反対をすることは なかった。私ノ考ヘデハ何レ債務者ガ損害 ヲ受ケテハナラヌト云フコトガ原則デナケレ バナラヌ譬ヘバ甲ガ乙ニ對シテ斯様ナル債務 ガアルト云フコトヲ認メテ居リナガラ其甲ガ 其債務ヲ履行シナカツタガ為メニ乙ハ斯ウ云 フ損害ヲ受ケルト云フコトガアル夫レデモ夫 レハ賠償セヌデモ宜シイト云フコトニ法律デ 極メテ置クノハ何ウモ穏カデナイト斯ウ云フ 考ヘヲ持ツテ居リマス従ヒテ私ノ意見ヲ極ク 十分ニ申シマスレバ損害賠償ノ請求ハ債務 ノ不履行ヨリ生スヘキ一切ノ損害ノ賠償ヲ為 サシムルヲ以テ目的トスト云フヤウナ風ニ シタイト思ヒマス(中略)要スルニ原因結果 ノ事情ガ明カデアレバ總テ損害賠償ヲサセル ガ宜カラウト考ヘテ居ルノデス(130)。つま り,ここで,梅は,損害が債務不履行によっ て生じたものと評価される限り全てが賠償の 対象とされなければならないとの論理を展開 しているのである。別稿で検討した通り,こ れは,効果レベルで賠償の範囲に制限を設け ることに反対し,因果関係の有無のみによっ て賠償範囲を確定しようとするものであるか ら,賠償の論理を最も純粋な形で適用するも のと言える(131)。
更に,梅は田部修正案に賛成する理由を以 下のように続けている。始ヨリ豫見シ又ハ 豫見スルコトヲ得ヘカリシというのは,契 約上ノ義務ニ付テハ少クトモ説明ガ出來マス 宜イトハ言ヒマセヌガ説明ハ出來ルけれど