非接触型眼球運動計測装置を用いた
パーキンソン病における視覚探索機能の評価
日本大学大学院医学研究科博士課程 内科系 精神医学専攻
永井 康
修了年
2017
年 指導教員 内山 真非接触型眼球運動計測装置を用いた
パーキンソン病における視覚探索機能の評価
日本大学大学院医学研究科博士課程 内科系 精神医学専攻
永井 康
修了年
2017
年 指導教員 内山 真目 次
1.
概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・1
2.
緒言・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5
3.
対象と方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 103.1.
対象・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 103.2.
実験方法・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 123.3.
眼球運動検査の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 123.3.1.
プロサッケード課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 133.3.2.
アンチサッケード課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 133.3.3.
時計課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 143.3.4.
逆さ時計課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 153.4.
眼球運動計測・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 163.5.
データの処理・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 163.6.
各課題の指標・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 173.6.1.
プロサッケード課題/アンチサッケード課題・・・・・・・・・ 173.6.2.
時計課題/逆さ時計課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 173.7.
統計解析・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 204.
結果・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 214.1.
「眼球運動機能の実行」の指標・・・・・・・・・・・・・・・・ 214.1.1.
健常者群における加齢の影響・・・・・・・・・・・・・・・・ 214.1.2.
健常中高年者群とパーキンソン病群の比較・・・・・・・・・・・ 214.2.
「視覚対象の認識」の指標・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 224.2.1.
健常者群における加齢の影響・・・・・・・・・・・・・・・・ 224.2.2.
健常中高年者群とパーキンソン病群の比較・・・・・・・・・・・ 224.3.
「視覚探索計画の生成」の指標・・・・・・・・・・・・・・・・ 234.3.1.
健常者群における加齢の影響・・・・・・・・・・・・・・・・ 234.3.2.
健常中高年者群とパーキンソン病群の比較・・・・・・・・・・・ 234.4.
パーキンソン病群における眼球運動指標と臨床症状及び臨床経過との関連・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 24
5.
考察・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 265.1.加齢による視覚探索の影響・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 26
5.2.
加齢による視覚探索の変化・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 275.3.
パーキンソン病と健常中高年者との違い・・・・・・・・・・・・ 295.4.
パーキンソン病における「眼球運動機能の実行」の特徴・・・・・・ 305.5.
パーキンソン病における「視覚対象の認識」の特徴・・・・・・・ 315.6.
パーキンソン病における「視覚探索計画の生成」の特徴・・・・・・ 345.7.
パーキンソン病における疾患特徴的な視覚探索について・・・・・・ 355.8.
今後の課題・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 375.9.
限界・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 386.
まとめ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 40謝辞・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 42 表・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 43
図・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50
引用文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 60 研究業績・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 68
1.
概要視覚的な認識は、目を素早く動かして視覚信号を得るための運動を行う「眼
球運動の実行」という眼球運動機能の過程と目を停留して得られた視覚信号を
分析し認識する「視覚対象の認識」という視覚認知機能の過程から成り立って
おり、これらを繰り返すことで外界を認識することが知られている。また近年
では対象を認識するためには眼球運動を順序立てて計画する「視覚探索計画の
生成」という過程も視覚認知機能として注目されている。これらの過程に沿っ
て、視覚探索を客観的に評価する方法として眼球運動測定が以前から知られて
いる。これまで中枢神経疾患における視覚探索異常は、原疾患の特徴から運動
機能の障害によるものか、視覚認知機能の障害によるものかが推測されてきた
が、両機能の障害を引き起こす疾患も多い。パーキンソン病は運動機能低下と
認知機能の全般の低下を認める疾患であり、これまでの眼球運動測定によって
パーキンソン病患者は健常者に比べて視覚探索異常が報告されているが、視覚
探索異常が眼球運動機能の障害なのか、視覚認知機能の障害なのかは明確に分
かっていない。本研究はパーキンソン病患者に対して非接触型眼球運動計測装
置を用い、サッケード課題にて「眼球運動機能の実行」の過程の評価を、難易
度の異なる
2
種類の視覚照合課題にて「視覚対象の認識」及び「視覚探索計画の生成」の過程をそれぞれ評価し、これらを組み合わせることでパーキンソン
病における視覚探索異常を眼球運動機能及び視覚認知機能の両側面から統合的
に検討した。さらに健常中高年者や健常若年者を比較対象とすることで、加齢 による影響以外の疾患特徴的な視覚探索異常について検討した。
パーキンソン病患者
13
名と健常中高年者17
名、健常若年者36
名に対してプロサッケード課題、アンチサッケード課題、時計課題、逆さ時計課題の
4
つの課題を施行し、非接触型眼球運動計測装置を用いて探索眼球運動の記録を行っ
た。プロサッケード課題、アンチサッケード課題では正反応率や、ターゲット
呈示からサッケード開始(サッケード潜時)、サッケード開始から最初の固視ま
での時間(サッケード持続時間)、サッケード開始から最初の固視までの距離(サ
ッケードサイズ)を測定し、時計課題、逆さ時計課題では正答率、回答時間、
規定した関心領域(
area of interest
:AOI
)内における固視の回数と総時間、平均固視時間を指標として求めた。さらに時計課題、逆さ時計課題ではテスト
刺激視認回数、被探索刺激視認回数、被探索刺激視認効率スコアを定義して測
定を行った。群間比較には一元配置分散分析または
Welch
の修正分散分析を使用したうえで、多重比較を行った。
Levene
検定を行って等分散性が確認できた場合には分散分析を行い、有意であった場合は下位検定として Tukey Kramer 法で多重比較を行った。また等分散性が認められなかった場合は、Welch の修
正分散分析を行い、有意であった場合に
Games-Howell
法を用いて、多重比較を行った。
「眼球運動機能の実行」の指標であるプロサッケード及びアンチサッケード
課題では、パーキンソン病群ではアンチサッケード課題におけるサッケードサ
イズが小さかった他は、有意な差を認めず、これらの指標は加齢の影響は受け
なかった。時計課題及び逆さ時計課題における「視覚対象の認識」の指標は、
パーキンソン病群で時計課題において固視回数の増加が、逆さ時計課題におい
て平均固視時間の増加が特徴的にみられた。また時計課題及び逆さ時計課題に
おける「視覚探索計画の生成」の指標であるテスト刺激視認回数、被探索刺激
視認回数、被探索刺激視認効率スコアは、逆さ時計課題において、特徴的にパ ーキンソン病群で高く、加齢の影響は受けなかった。
以上からパーキンソン病における視覚探索異常については「眼球運動の実行」、
「視覚対象の認識」、「視覚探索計画の生成」のいずれの過程において障害が存
在することが示され、特に「眼球運動の実行」と「視覚探索計画の生成」の過
程は加齢による影響は関係せず、疾患特徴的な変化であることが考えられる。
また「視覚対象の認識」もパーキンソン病では、加齢による機能障害とは質の
異なるものであったことが示された。
本研究ではパーキンソン病患者に対して眼球運動を客観的かつ簡便に評価す
ることが可能な非接触型眼球運動計測装置を用い、これまで使用されてきたサ
ッケード課題と探索眼球運動課題を組み合わせて眼球運動検査を行うことによ
り視覚探索における特徴について、より詳細な評価が可能であることを示し、
眼球運動を調べるという非侵襲かつ簡便な方法で、ヒトの視覚探索に関わるシ
ステムをより具体的に理解することができる可能性を示すことができた。
2.
緒言ヒトが外界を視覚的に認識する場合、眼球は積極的な素早い運動と短い停留
をくり返すことが以前より知られている。素早い眼球運動は、対象を網膜の中
心窩に捉え視覚信号を得るためのものであり、短い停留中に網膜で得られた信
号を分析し認識する 1)。この眼球運動の実行には、前頭眼窩野や外側頭頂間野 をはじめとした大脳皮質や上丘などの皮質下の神経ネットワークが関与する 2,
3)。停留時に得られた視覚信号の処理には、後頭葉の視覚領野及び前頭葉、頭頂
葉及び側頭葉にある感覚連合野が関与する 4), 5)。このような眼球運動と停留時 の視覚信号処理を繰り返すことにより、視覚による外界の認識が行われる1)。ま
た、このような素早い眼球運動と短い停留の繰り返しで対象を認識するために
は適切に順序立てられた眼球運動の計画が必要であることも近年注目されるよ うになった 6)。視覚探索に必要な順序立てられた眼球運動の計画には前頭前野
や上丘 6), 7), 8) などの領域が関与する。すなわち、近年では視覚探索時の眼球運
動には眼球運動機能を反映する「眼球運動の実行」と視覚認知機能を反映する
「視覚対象の認識」、「視覚探索計画の生成」という過程が考えられるようにな
り、これらの視覚探索についてモデルとして表すと(図
1
)のようになる。視覚探索中の眼球運動の測定を行うと、(図1)の視覚探索モデルに沿って視覚探索 の客観的に評価することが可能である。
これまで、眼球運動制限がある中枢神経疾患や眼球運動制限がない中枢神経
疾患において眼球運動測定を用いて視覚探索について評価した研究がいくつか ある。例えば、眼球運動制限を伴うパーキンソン病 9)、遺伝性小脳失調症10) に おいては、図形特徴認識の課題において探索眼球運動の注視領域がパーキンソ
ン病では狭くなり、遺伝性小脳失調症では広くなることが報告されている。こ
れらの神経疾患においては、疾患に特徴的な眼球運動機能の障害が視覚探索異
常に関係しているものと考えられてきた。一方、眼球運動制限を伴わない場合
においても、視覚探索時の眼球運動測定結果が悪化していることが分かってい
る。例えば、統合失調症においては、視覚探索課題における標的図版の再確認
が拙劣であるとともに健常者と比べて再確認時眼球運動の探索範囲の狭小化が
みられる 11), 12), 13)。同様の所見がアルツハイマー型認知症患者においてもみら
れた 14)という報告がある。これら臨床的な眼球運動制限を伴わない疾患にみら
れた所見については視覚認知機能の障害が視覚探索の異常に関係しているもの
と考えられてきた。このように、視覚探索異常が眼球運動機能の障害によるも
のか視覚認知機能の障害によるものかは原疾患の特徴から推測されてきたが、
運動機能や視覚認知機能の障害をともに引き起こす疾患も多く、視覚探索異常
の原因となる機能障害を同定するためには眼球運動の詳細の把握が必要である。
近年では高速で簡便な眼球運動の計測が可能な非接触型眼球運動計測装置が開
発されており、サッケード課題や視覚認知課題を行っている最中の眼球運動の 計測が可能になり、眼球運動障害の研究に用いられ始めている 15)。しかし、中 枢神経疾患において視覚探索異常が近年の視覚探索モデルにおいて、どの過程 の障害で生じているかについては、統合的に検討した研究はない。
今回、我々は運動機能の低下と認知機能の全般の低下をともに引き起こす中
枢神経疾患としてパーキンソン病に着目した。パーキンソン病は臨床所見にお
いて自発的な運動が遅くなる運動緩慢や運動が乏しくなる寡動が特徴的である
が、一方で思考が遅くなり決断が遅れる思考緩慢という現象も知られており、
特に進行例においては運動機能の低下のみならず、認知機能の全般の低下を引
き起こす疾患である。これまでパーキンソン病患者は、健常者と比較して視覚
探索が困難であり 16)、特に一定時間における注視領域が狭いことが知られてい
る 9)。これらのパーキンソン病における視覚探索の異常には加齢での機能障害
によるもの、疾患特徴的に眼球運動機能や視覚認知機能の障害によるものが含
まれている可能性がある。パーキンソン病の視覚探索異常を眼球運動機能及び
視覚認知機能の両側面から明らかにすることができれば、ヒトの視覚探索に関 わるシステムをより具体的に理解することが可能になる。
本研究の目的は、パーキンソン病において、眼球運動機能及び視覚認知機能
から成立する視覚探索異常を明らかにし、それが加齢における機能障害がより
著しく現れたものか、あるいは加齢における変化と質的に異なった変化である
かを検討し、パーキンソン病に特徴的な変化については、(図
1)の視覚探索モ
デルに沿って、どの過程に相当するのかを検討することである。臨床的に運動
機能の低下と認知機能全般の低下を引き起こすパーキンソン病において疾患特
徴的な変化があると仮定するならば、視覚探索モデルにおいて単一の過程での
障害だけではなく、複数の過程での障害を認めると考えられる。
視覚探索モデルにおいて「眼球運動機能の実行」の過程はこれまで用いられ
てきたプロサッケード、アンチサッケード課題とその指標を用いて評価した。
「視覚対象の認識」、「視覚探索計画の生成」の過程については、難易度の異な
る
2
種類の視覚照合課題である時計、逆さ時計課題を用い、視覚対象内及び視覚対象間の視線遷移パターンを検討することで評価した。この視覚照合課題も
従来と同様の課題と指標を用いたが、「視覚探索計画の生成」においては従来の
指標に新たな指標を加えて評価を行った。
本研究はパーキンソン病においてサッケード課題と視覚照合課題を組み合わ
せ、非接触型眼球運動計測装置を用いて視覚探索機能を近年の視覚探索モデル
に沿って統合的に検討した初めての報告である。
3.
対象と方法3.1.
対象本研究の対象は、パーキンソン病患者群、健常中高年者群及び健常若年者群
である(表
1
)。パーキンソン病患者群はUK PARKINSON’S DISEASE
SOCIETY BRAIN BANK CLINICAL DIAGNOSTIC CRITERIA
を用いて神経内科専門医によりパーキンソン病と診断された日本大学医学部附属板橋病院神
経 内 科 通 院 中 の 患 者 の う ち 、
(1) 50
歳 以 上 、(2) Mini-Mental State
Examination(MMSE)にて 26
点以上、(3) パーキンソン病重症度分類の指標Hoehn-Yahr
(HY
)分類でᶘ〜ᶙ
度、の基準を全て満たす者とした。また、パーキンソン病以外の精神神経疾患、頭部外傷、眼科疾患の既往歴を有する者、
頭部 MRIにて粗大な脳血管障害がみられた者、身体診察及び血液検査にて重篤 な全身疾患がみられた者は対象から除外した。研究参加のメリット及びデメリ
ット、参加しない場合でも治療上の非利益が生じないことを口答及び書面で説
明した上で、本人ならびに家族から文書による同意を取得した
13
名(男性8
名、女性
5
名)のパーキンソン病患者が本研究に参加した。今回の研究でのパーキンソン病群の平均年齢は
69.9±4.8
歳であり、健常中高年者群と比較して有意な差は認められなかった。パーキンソン病群の罹病期間は
98.5±48.1
月で抗パーキンソン病薬の内服量は
L-dopa
換算にて364±138mg
であった。MMSE は27.2±1.1
点で、健常中高年者と比較して有意な差は認めなかった。Behavioural
Assessment of the Dysexecutive Syndrome
(BADS
)は84.2±24.9
点でHY
分類は
2.7±0.5
であった。健常中高年者群は東京都板橋区の広報を用いた募集に応じて参加した
50
歳以上の男女のうち、
MMSE
にて26
点以上の者とした。また、健常若年者群は募集に応じて参加した
20
歳から31
歳までの日本大学医学部の学生であった。両群においては眼科疾患、精神神経疾患、重篤な身体疾患の既往があるものは対
象から除外した。実験の趣旨、内容、実験に伴いうるリスクについて口頭及び
書面で説明した上で、本人から文書による同意を取得した。健常中高年者群と
して
17
名(男性4
名、女性13
名)が本研究に参加し、平均年齢は73.0±8.8
歳であった。また、健常若年者群として
36
名(男性28
名、女性8
名)が本研究に参加し、平均年齢は
23.3±2.5
歳であった。本研究の実施にあたっては日本大学医学部附属板橋病院臨床研究倫理審査委員会の承認を得て行った。
3.2.
実験方法本研究では日本大学医学部附属板橋病院精神神経科病棟の検査室において、
tobii technology
社の非接触型眼球運動測定装置tobii pro TX300
(図2)を使用
して、課題遂行中の探索眼球運動記録を行った。装置の詳細については後述す
る(3.4.)。刺激呈示は
tobii pro TX300
の23
インチ(1920×1080 pix)のモニターを用いて行われた。被験者は
100〜200lux
の照度下において、以下に示す4
種類の課題を順番に行った。また眼球運動測定実験の前に、被験者がそれぞれの課題で用いられる画像を
正確に認識できることを確認し、その上で各課題について口頭及び文書で説明
をした。被験者が理解できるまで試行練習をし、課題内容についての理解を確 認した上で実験に臨んだ。
3.3.
眼球運動検査の課題本課題では(図
1)の視覚探索モデルのうち、
「眼球運動機能の実行」の評価としてプロサッケード課題及びアンチサッケード課題を、「視覚対象の認識」及
び「視覚探索計画の生成」の評価として時計課題と逆さ時計課題を用いた。
3.3.1.
プロサッケード課題指示に従って、出現するターゲットを両眼視で追視する課題である17) 。本課
題は被験者の眼球運動機能を捉える課題として用いられており17)、(図
1)の探
索眼球モデルのうち、「眼球運動機能の実行」の評価に該当する課題である。各
試行の最初には、画面中央に
1°× 1°の十字を提示し、その交点を固視するよう
に指示した。
1
秒後に固視点が消滅し、その0.2
秒後に固視点があった場所の中心から左右どちらか
7.5°
の位置に1°×1°
の正方形で構成されたターゲットを1
秒間提示した。被験者には、ターゲットをできるだけ早く正確に両眼視で追視
するよう指示した(図
3)
。本課題は連続して計30
回行った。3.3.2.
アンチサッケード課題指示に従って、出現するターゲットと左右対称の位置を両眼視で追試する課
題で 17)、本課題はプロサッケード課題と同様に(図
1
)の探索眼球運動のモデルのうち、「眼球運動機能の実行」の評価に該当する課題である。3.2.1. と同様
に、各試行の最初には、画面中央に
1°×1°の十字を提示し、その交点を固視する
ように指示した。
1
秒後に固視点が消滅し、その0.2
秒後に固視点があった場所の左右どちらか
7.5°
の位置に1°×1°
の正方形で構成されたターゲットを1
秒間提示した。被験者は固視点とターゲットとの間隔と等距離にあるターゲットと反
対方向の位置に、できるだけ早く正確に両眼視で注視するよう要求された(図
4)
。本課題は連続して計
30
回行った。3.3.3.
時計課題テスト刺激として提示した正置した時計図と同じ時刻を指し示している時計
図を
4
つの正置した時計図の中から選ぶ課題である 18)。本課題はこれまで視覚照合課題として用いられて 18)おり、(図
1
)の視覚探索モデルのうち「視覚対象の認識」及び「視覚探索計画の生成」という視覚認知機能の評価に該当する課
題である。時計図には
Archibald
ら 18)と同様、半径2.5°
の文字盤のついたアナログ時計を表現した図が用いられた(図
5
)。各試行の最初に画面中央に1°×1°
の黒色の十字を提示し、その交点を固視するように指示した。固視点の上方
5°
にテスト刺激の時計図が一つ示され、下方
5°
に10°
間隔でターゲット刺激と同じ時刻を指し示す時計図(ターゲット刺激)と、ターゲット刺激とそれぞれ異な
った時刻を指し示している
3
つの時計図(妨害刺激)の合計4
つの時計が示された。テスト刺激と同じ時刻を示す時計の位置は試行毎にランダムとし、選択さ
れる
4
つの時計には左から1
〜4
の番号がふられ、各時計刺激の下方に呈示された。被験者はテスト刺激と同じ時刻を示す時計の番号を出来るだけ早く正確に口頭
で答えるように要求された。実験者は直ちに被験者が答えた番号に対応するボ
タンを押し、その時刻が記録された。本課題は計
30
回行った。3.3.4.
逆さ時計課題テスト刺激として提示した正置した時計図と同じ時刻を指し示している時計
図を
4
つの倒立した時計図の中から選ぶ課題である 18)。本課題も時計課題と同様に視覚照合課題として、(図1)の視覚探索モデルのうち「視覚対象の認識」
及び「視覚探索計画の生成」という視覚認知機能の評価に該当する課題である。
時計図には時計課題と同様の図が用いられた(図
6
)。ターゲット刺激及び妨害刺激が倒立した時計図である点を除いて課題は時計課題と同様であった。実験
者は直ちに被験者が答えた番号に対応するボタンを押し、その時刻が記録され
た。本課題は計
30
回行った。3.4.
眼球運動計測本研究では日本大学医学部附属板橋病院精神神経科病棟の検査室において、
tobii technology
社の眼球運動計測装置tobii pro TX300
を使用して、課題遂行中の探索眼球運動記録を行った(
tobii pro TX300 ®
)。被験者はモニターに正対するように着席し、モニターと左右の眼球の中点の距離が
57cm
となるように顎乗せを用いて頭部を固定した。この条件において、視角
1°が画面上の 1 cm
となる。各課題実行前に被験者の眼球位置に対してアイトラッカーのキャリブレ
ーションを行った。課題実行中に被験者の視点の位置が
60Hz
のサンプリングレートでモニター上端にある付属の
CCD
カメラによって検出され記録された。視点の角速度が
30°
/sec
以上の視点の位置の変動を急速眼球運動、視点の角速度が
30°/sec
未満かつ停留持続時間が60msec
以上の場合を視点停留とそれぞれ定義し、付属ソフトウェアの
tobii pro Studio
を用いて被験者の眼球運動を急速眼球運動、視点停留、分類不能のいずれかに経時的に分類した。
3.5.
データの処理記録された眼球運動データと被験者の回答についてのデータは
tobii pro
Studio
とmatlab R2015b
(MathWorks ®
)を用いて処理した。3.6.
各課題の指標3.6.1.
プロサッケード課題/アンチサッケード課題プロサッケード課題及びアンチサッケード課題において以下の指標を定義した。
まず、プロサッケード課題ではターゲットと同じ方向にサッケードをした試行、
アンチサッケード課題においてはターゲットと反対方向にサッケードをした試
行を正反応試行と定義し、全試行に対する正反応試行の割合を正反応率と定義
した。また、ターゲット呈示からサッケード開始までの時間をサッケード潜時、
サッケード開始から最初の固視までの時間をサッケード持続時間、サッケード
開始から最初の固視までの距離をサッケードサイズとそれぞれ定義した。これ
らの指標は単純な眼球運動機能を表すものであり、すなわち(図
1
)の視覚探索モデルのうち「眼球運動機能の実行」を反映する指標である。
3.6.2.
時計課題/逆さ時計課題時計課題及び逆さ時計課題において以下の指標を定義した。まず、時計課題及
び逆時計課題において、ターゲット刺激を選択した試行を正答試行と定義し、
それぞれの被験者における全試行に対する正答試行の割合を正答率と定義した。
また、刺激呈示から実験者がボタンを押すまでの時間を回答時間と定義した。
Archibald
らと同様にテスト刺激、ターゲット刺激、妨害刺激のそれぞれの中心を中心とした一辺
5.5 cm
の正方形及び、ターゲット刺激及び妨害刺激の下に記された番号を中心とした
2 cm ×5.5 cm
の長方形を関心領域(area of interest
:AOI
)と定義し(図7
)、AOI
内における固視の回数と固視にかかった総時間、それぞれの固視の持続時間の平均値(平均固視時間)を求めた。これらの指標
は、特に固視時間、固視数、平均固視時間においては、眼球を停留させて視覚
情報の処理し、対象を認識するのかを示すものであり、(図
1
)の視覚探索モデルにおける「視覚対象の認識」を反映する指標である。
また
Archibald
ら 18) は(図1
)の視覚探索モデルにおける「視覚探索計画の生成」の指標として、試行ごとにテスト刺激を視認した回数(テスト刺激視認
回数)を定義して求めた。「視覚探索計画の生成」は適切に順序立てられた眼球
運動の計画を表し、課題全体の視覚探索の効率を評価する必要がある。しかし
従来の指標ではテスト刺激のみの視覚探索効率であり、十分な評価ではなかっ
た。そのため本研究では新たに「視覚探索計画の生成」の指標として被探索刺
激(ターゲット刺激と妨害刺激を合わせたもの)を視認した延べ回数(被探索
刺激視認回数)を定義した。また、新たに以下の式を設定し、「被探索刺激視認
効率スコア」として定義した。
被探索刺激視認効率スコア=各試行における被探索刺激を視認した延べ回数/
各試行において一度以上視認された被探索刺激の個数
被探索刺激視認効率スコアは視覚探索の際に、どのくらい効率良く被探索刺激
を視認したかを数値として表したものであり、被探索刺激視認効率スコアが小
さければ、より効率良く視線遷移したことを示す。このスコアはこれまでの研
究では定義されたものではなく、本研究において我々が独自に設定したもので
ある。
正反応率及び正答率以外の指標においては被験者毎の代表値として中央値を
利用した。
3.7.
統計解析パーキンソン病患者群、健常中高年者群及び健常若年者群の
3
群における群間比較には一元配置分散分析または
Welch
の修正分散分析を使用したうえで、多重比較を行った。最初に、
Levene
検定を行って等分散性の検定を行い、等分散性が確認できた場合には分散分析を行い、これが有意であった場合には下位検定
として
Tukey Kramer
法で多重比較を行った。Levene
検定で等分散性が認められなかった場合には、
Welch
の修正分散分析を行い、これが有意であった場合に
Games-Howell
法を用いて、多重比較を行った。パーキンソン病群の視覚探索の異常が加齢と疾患の両方に影響を受けることを仮定し、健常中高年者と健
常若年者を比較して加齢による影響を検討し、またパーキンソン病群と健常中
高年者を比較して疾患による影響を検討した。
パーキンソン病群における眼球運動指標と臨床症状及び臨床経過との関連を
調べるために
Pearson
の相関係数を算出した。統計解析はIBM SPSS Statistics
version 21.0
を用いて行い、有意水準は5
%未満を採用した。4.
結果以下、健常中高年者群と健常若年者群及びパーキンソン病群と健常中高年者
群とでの多重比較の結果を(図
1)の視覚探索のモデルに沿って示す。
4.1.「眼球運動機能の実行」の指標(表 2、表 3)
4.1.1.
健常者群における加齢の影響プロサッケード課題では正反応率、サッケード潜時、サッケード持続時間、
サッケードサイズのいずれの指標においても健常中高年者群は健常若年者群と 有意な差は認められなかった。
またアンチサッケード課題においても正反応率、サッケード潜時、サッケー
ド持続時間、サッケードサイズのいずれの指標においても健常中高年者群は健 常若年者群と有意な差は認められなかった。
4.1.2.
健常中高年者群とパーキンソン病群の比較プロサッケード課題では反応率、サッケード潜時、サッケード持続時間、サ
ッケードサイズのいずれの指標においても有意な差は認められなかった。
またアンチサッケード課題では正反応率、サッケード潜時、サッケード持続
時間では有意な差は認められなかったが、サッケードサイズではパーキンソン 病群は健常中高年者群に比べて有意に短かった。
4.2.
「視覚対象の認識」の指標(表4、表 5)
4.2.1.
健常者群における加齢の影響時計課題では健常中高年者群は健常若年者群に比べて有意に回答時間が長か った。固視時間や固視回数、平均固視時間では有意な差は認められなかった。
また逆さ時計課題では健常中高年者群は健常若年者群に比べて有意に回答時
間が長かった。正答率、固視時間、固視回数、平均固視時間では有意な差は認 められなかった。
4.2.2.
健常中高年者群とパーキンソン病群の比較時計課題ではパーキンソン病群は健常中高齢者群に比べて有意に固視回数が
多かった。また正答率、回答時間、固視時間、平均固視時間では有意な差が認
められなかった。
また逆さ時計課題ではパーキンソン病群は健常中高年者群に比べて平均固視
時間が有意に長かった。また正答率、固視時間、回答時間、固視回数では有意 な差は認められなかった。
4.3.
「視覚探索計画の生成」の指標(表6、表 7)
4.3.1.
健常者群における加齢の影響時計課題では健常中高年者群は健常若年者群に比べて、テスト刺激視認回数、
被探索刺激視認回数、被探索刺激視認効率スコアのいずれの指標においても有 意な差は認められなかった。
また逆さ時計課題においても健常中高年者群は健常若年者群に比べて、テス
ト刺激視認回数、被探索刺激視認回数、被探索刺激視認効率スコアのいずれの 指標においても有意な差は認められなかった。
4.3.2.
健常中高年者群とパーキンソン病群の比較時計課題ではテスト刺激視認回数、被探索刺激視認回数、被探索刺激視認効
率スコアのいずれの指標において、パーキンソン病群と健常中高年者群とで有
意な差は認められなかった。
また逆さ時計課題ではテスト刺激視認回数、被探索刺激視認回数、被探索刺
激視認効率スコアのいずれの指標において、パーキンソン病群では健常中高年 者群に比べて有意に値が大きかった。
以上をまとめると、「眼球運動機能の実行」の指標であるプロサッケード及び
アンチサッケード課題では、パーキンソン病ではアンチサッケード課題におけ
るサッケードサイズが小さかった他は、有意な差を認めなかった。「視覚対象の
認識」の指標である時計課題及び逆さ時計課題においては、パーキンソン病で
時計課題において固視回数の増加が、逆さ時計課題において平均固視時間の増
加が特徴的に見られた。「視覚探索計画の生成」の指標であるテスト刺激視認回
数、被探索刺激視認回数、被探索刺激視認効率スコアは、逆さ時計課題におい て、特異的にパーキンソン病群で高く、加齢の影響は受けなかった。
4.4.
パーキンソン病群における眼球運動指標と臨床症状及び臨床経過との関連各課題において、特にパーキンソン病群において特徴的に有意な差がみられ
た指標についてパーキンソン病群での罹病期間、抗パーキンソン病薬内服量、
BADS
、HY
分類に対して相関を調べた。指標はアンチサッケード課題でのサッケードサイズ、時計課題での固視時間及び固視回数、逆さ時計課題での平均固
視時間とテスト刺激視認回数、被探索刺激視認回数、被探索刺激視認効率スコ
アを用いた。いずれの指標もパーキンソン病群との有意な相関は認められなか った。
最後に参考のため、逆さ時計課題におけるパーキンソン病群、健常中高年者
群、健常若年者群での視覚探索の例を(図
8
)、(図9
)、(図10
)にそれぞれ示す。
5.
考察本研究は、パーキンソン病患者及びその対照として健常中高年者、健常若年
者に対して、非接触型眼球運動計測装置を用いて、プロサッケード課題、アン
チサッケード課題、及び難易度の異なる視覚照合課題として、時計課題、逆さ
時計課題を課し、その時の眼球運動を初めて測定した研究である。本研究での
主要な結果を示し、その内容について加齢による変化や疾患特徴的な変化につ
いてそれぞれ考察する。
5.1.
加齢による視覚探索の影響プロサッケード課題では、健常中高年者群は健常若年者群と比べて有意な差
がみられなかった。またアンチサッケード課題においても、健常中高年者群は
健常若年者群と有意な差がみられないことから、「眼球運動機能の実行」につい
ては加齢による影響はないと考えられる。
時計課題では健常中高年者群は健常若年者群に比べて回答時間は長かったが、
正答率、関心領域における固視時間や固視回数、平均固視時間では有意な差は
認められなかった。また逆さ時計課題においても時計課題と同様の結果であっ
た。このことから「視覚対象の認識」は、課題の難易度にかかわらず、加齢に よる影響を受けて時間がかかるようになることが明らかになった。
また視覚探索の効率を評価するテスト刺激視認回数、被探索刺激視認回数、
被探索刺激視認効率スコアについては時計課題、逆さ時計課題の両方において
有意な差がみられなかった。このことから「視覚探索計画の生成」については 加齢による影響はないと考えられる。
5.2.
加齢による視覚探索の変化加齢による生理的な変化が探索眼球運動にどのような影響を及ぼしているの
かについてはこれまでいくつか報告がある。健常の高齢者と若年者を対象にし たサッケード課題を比較した報告 19)では、高齢者では平均速度や反応速度が有 意に増加していることが示された。本研究では健常中高年者群と健常若年者群
においてサッケード課題における運動機能を示す指標の有意差は認められなか ったため、その相違についてはさらなる検討を要する。
本研究と同様の時計課題を使用した視覚照合課題において加齢の影響を検討
が若年者に比べ、妨害刺激に対する処理が上手くできず時間がかかる 20)ことが
これまで報告されており、これは加齢により無関係な情報を抑制して視覚情報 を処理する機能が低下している可能性が示唆されている 20),21)。本研究では健常 中高年者群は健常若年者群に比べて回答時間が延長していることが明らかにな
った。特に逆さ時計課題のような複雑な内容になると加齢による視覚情報処理
機能の低下を反映し、固視時間や固視数が有意に大きくなる可能性も考えられ
たが、今回は健常中高年者におけるばらつきが大きかったためか、有意な差を 得ることができなかった。
高齢者における視覚探索効率に関しても報告がある。本研究と同様の内容で
の比較検討はなされていないが、別の視覚照合課題において、高齢者は若年者 と比べて視覚探索効率では有意な差がなかったことが報告されている 22)。本研 究では健常中高年者群と健常若年者群での視線遷移の効率を評価する指標の有
意差はみられなかった。この結果は、これまでに報告されている内容を反映す るものと考える。
5.3.
パーキンソン病と健常中高年者との違いプロサッケード課題では全ての指標において有意な差は認められなかったが、
アンチサッケード課題では、サッケードサイズにおいてパーキンソン病群は健
常中高年者群に比べて有意に短かった。このことから「眼球運動機能の実行」
では初回のサッケードの距離が疾患特徴的に短くなることが考えられる。
時計課題ではパーキンソン病群は健常中高齢者群に比べて固視回数が有意に
多く、また逆さ時計課題ではパーキンソン病群は健常中高年者群に比べて平均
固視時間が有意に長かった。これらの所見をまとめると「視覚対象の認識」に
おいてパーキンソン病群では課題の難易度により若干影響する指標が異なるも
のの、固視回数の増加や平均固視時間の延長がみられ、これらは疾患特徴的に
視覚情報の処理低下を補おうとするためと考えられる。しかし、この点につい
ては共通して変化した指標がなかったため、今後さらに検討すべき課題である
と思われる。
また視覚探索の効率を評価するテスト刺激視認回数、被探索刺激視認回数、
被探索刺激視認効率スコアでは、時計課題は全ての指標においてパーキンソン
病群と健常中高年者群とで有意な差は認められなかったが、逆さ時計課題では
全ての指標においてパーキンソン病群では健常中高年者群に比べて有意に値が
大きかった。このことから「視覚探索計画の生成」において、より複雑な課題
ではパーキンソン病群は疾患特徴的に効率の悪い視線遷移を行っていることが
考えられる。
以下、これらの疾患特徴的な異常について(図
1)の視覚探索モデルに沿って
検討した。
5.4.
パーキンソン病における「眼球運動機能の実行」の特徴プロサッケード課題は外部刺激に反応しサッケードを行う課題であり、正確
な眼球運動機能が要求される 23)。アンチサッケード課題では、これに加えて、
外部刺激への反応を抑制し反対方向への随意的なサッケードを生成する機能が 要求されると考えられている 24)。
本研究においてアンチサッケード課題で、健常中高年者群と比べパーキンソ
ン病群のサッケードサイズが小さいという結果が得られた。これらの課題を用 いた研究は複数行われ、同様の結果を示しており 17), 25) 、パーキンソン病の臨 床症状である測定過小に対応すると考えられている 24)。プロサッケード課題に
みられる単純な眼球運動制御に比べ、アンチサッケード課題における外部刺激
への反応の抑制を必要とした複雑な眼球運動制御においては、パーキンソン病
患者でより特徴的にサッケードサイズが小さくなると考えられた。このことは
パーキンソン病における眼球運動の抑制的制御の困難さを反映していると考え られる。
5.5.
パーキンソン病における「視覚対象の認識」の特徴視覚探索課題として、本研究では
Archibald
ら 18)の研究と同様に、特定の時刻を表した時計の図(テスト刺激)を提示し、それと表す時刻が一致した時計
を、異なった時刻を表す複数の時計の図(被探索刺激)から選択するという課
題を用いた。本研究で用いた探索課題における視覚認識では、通常テスト刺激
に関する視覚情報を、作動記憶に保持し、これを基に被探索刺激との照合が行
われることが要請される 27)。本研究においては
2
つの難易度を設定し、正立条件(時計課題)、倒立条件(逆さ時計課題)を行った。時計課題及び逆さ時計課
題において呈示されたそれぞれの視覚刺激に対する視線移動を評価する指標と
して、テスト刺激及び被探索刺激の両者を含む関心領域(
area of interest
:AOI
)を設定し、そこにおける固視回数、総固視時間及び平均固視時間を測定し、パ
ーキンソン病罹患の有無がこれらの指標に影響を及ぼすパターンの違いを調べ
た。その結果、パーキンソン病群においては、時計課題では固視回数がパーキ
ンソン病群で健常中高年者群と比べて多かったが、平均固視時間に関しては差
がみられなかった。逆さ時計課題では、平均固視時間がパーキンソン病群で健
常中高年者群より長かった。それぞれの所見は、何らかの視覚情報処理機能の
異常を補おうとするものと解釈され、パーキンソン病患者においては、時計課
題及び逆さ時計課題における難易度の違いにより、それが異なった指標で表現
された可能性、あるいは視覚探索における異なった機能障害を疾患特徴的に反
映している可能性が考えられる。これらの点については、難易度設定をさらに 変化させた場合についての検討が今後必要と思われる。
今回の研究で、時計課題においてはパーキンソン病群が健常中高年者群と比
べて固視回数が多かった。今回と同様な時計課題を用いた研究において、パー
キンソン病の固視回数を検討したものはないので直接的比較は困難である。異
なった実験設定を用いた過去の研究においては、課題中の固視回数は健常対照
群と比較してパーキンソン病群の方が少ないことが報告されている 9)こともあ
り、固視回数という指標においては、課題の特徴や難易度が影響しやすい可能 性が考えられる。
逆さ時計課題においては、パーキンソン病群の平均固視時間は健常中高年者
群と比較して有意に長かった。逆さ時計課題を解くためには、時計課題の時に
加えて、テスト刺激を認識する際、あるいは保持したテスト刺激を基に被探索
刺激を照合する際に、心的イメージを回転する操作、すなわち
mental rotation
が要求される 18), 28)。探索眼球運動中には
mental rotation
の処理が抑制されることが、健常人を用いた実験から明らかにされている 29), 30)。したがって、
mental rotation
の処理を行うためには一定の時間サッケードをせずに固視を続ける必要があると考えられる。そのため、1回にかかる固視時間が
mental
rotation
に要する時間を反映していることが考えられる。パーキンソン病患者においては健常者と比較して
mental rotation
が困難となることが知られているため 31)、本研究における逆さ時計課題でのパーキンソン病患者の平均固視時
間の延長は
mental rotation
の処理の困難さを反映している可能性が高い。mental rotation
のような視覚表象の操作には作動記憶機能が関係することを考えると、今回得られたパーキンソン病に特有な平均固視時間の延長は作動記憶
機能を利用した「視覚対象の認識」の特徴的な低下と捉えることができ、今後 の研究でその意義を検討していきたい。
5.6.
パーキンソン病における「視覚探索計画の生成」の特徴本研究ではさらに、視覚刺激間の視線遷移を調べることで、探索眼球運動の
視覚情報処理機能を空間的側面から評価し、「視覚探索計画の生成」への影響
を調べた。この課題を解くためには、テスト刺激を記憶した上で、被探索刺激
のうちの一つを選び記憶したテスト刺激と照合する操作を正解である被探索刺
激を選択するまで繰り返すというのが視線移動において最も効率のよい方法で
ある。この場合、テスト刺激視認回数と被探索刺激視認効率スコアはいずれも
1となる。我々の研究では、時計課題ではテスト刺激視認回数と被探索刺激視
認効率スコアのいずれにおいてもパーキンソン病群と健常中高年群に有意差は
みられなかったが、逆さ時計課題においてはテスト刺激視認回数と被探索刺激
視認効率スコアのいずれもパーキンソン病群が健常中高年群と比較して有意に
大きかった。この結果から、心的操作を要求される視覚探索においては、パー
キンソン病患者は健常者と比較して効率の良い視線移動を行うことが特徴的に できないため、視覚探索計画の生成が困難であることが考えられた。
パーキンソン病においては、臨床的に認知の速度が低下する思考緩慢と呼ば
れる現象が知られているが 32), 33), 34)、思考緩慢に至る認知処理過程については
これまで詳細には理解されていなかった。先に述べた困難さの背景として、パ
ーキンソン病患者ではそれぞれの視覚対象の認識が障害されるのみでなく、提
示されたテスト刺激を視認した後に被探索刺激との照合を順序立った最適な方
法で行うことができず、何度もテスト刺激や被探索刺激を繰り返し視認してい ると解釈される。
5.7. パーキンソン病における疾患特徴的な視覚探索について
これまでの結果から、パーキンソン病における視覚探索異常については(図1)
の視覚探索モデルでの「眼球運動の実行」、「視覚対象の認識」、「視覚探索計画
の生成」のいずれの過程において障害が存在することが示された。特に「眼球
運動の実行」と「視覚探索計画の生成」については加齢による影響は関係せず、
疾患特徴的な変化であることが考えられる。また「視覚対象の認識」において
もパーキンソン病では、より複雑な内容に対しての空間的な情報の処理機能が
低下するなど、加齢による機能障害とは質の異なるものであったことが示され
た。
「視覚対象の認識」や「視覚探索計画の生成」はパーキンソン病の臨床症状
である思考緩慢などの認知機能全般の低下に関係する可能性があり、この過程
は眼球運動経路において前頭葉の領域が関与するとされている。したがって眼
球運動を簡便に調べることにより、これまでの中脳の異常であると認識されて
いたパーキンソン病において前頭葉機能異常との関係についての新たな解明に
つながり、認知機能全般の低下など、疾患の病態についてこれまで詳細に分か らなかった領域の理解がより深まる可能性が大いに考えられる。
5.8.
今後の課題視覚探索には眼球運動や視覚認知が共に関与しており、中枢神経疾患におけ
る視覚探索異常がどの機能の障害に影響されるのか、加齢の影響も含めてその
臨床所見だけで検討することは困難である。しかし本研究ではパーキンソン病
患者に対して眼球運動を客観的かつ簡便に評価することが可能な非接触型眼球
運動計測装置を用い、これまで使用されてきたサッケード課題と視覚探索課題
を組み合わせて眼球運動検査を行うことにより視覚探索における特徴について、
より詳細で統合的な評価が可能であることを示すことができた。更には健常中
高年者及び健常若年者に対しても同様の検査を行い加齢による影響を検討する
ことで、より疾患に特徴的な視覚探索異常の内容について検討することができ
た。眼球運動を調べるという非侵襲かつ簡便な方法で、ヒトの視覚探索に関わ るシステムをより具体的に理解することができる可能性がある。
5.9.
限界本研究においてはいくつかの限界がある。まず 第1に、パーキンソン病群で は全例において研究参加時にすでに抗パーキンソン病薬の加療が行われていた
ことである。抗パーキンソン病薬はドーパミン系の賦活やアセチルコリン系の
抑制などを介し運動機能や認知機能に影響を及ぼす 35), 36)。本研究においては内 服していた抗パーキンソン病薬のL−dopa換算量と眼球運動指標との相関を求 めたが、相関性は認められなかった。しかし、抗パーキンソン病薬が眼球運動
制御や視覚情報処理能力に対して影響を及ぼしていた可能性は完全には否定で
きない。この点については今後、治療歴のないパーキンソン病患者を新たに比
較対象として加えるなどの必要があると考えられる。第
2
に、本研究の結果が群間の学習速度の違いに由来する可能性が否定出来ないことである。本研究で各
被験者は課題内容が十分理解出来る程度の練習を行った上で本実験に臨んだ。
しかし、被験者が課題を完全に習熟するに至ったかについて確認はできなかっ
た。そのため、それぞれの被験者の最高のパフォーマンスにおいては群間差が
みられなくても、習熟度の違いによって群間差が生じる可能性は完全には否定
できない。第