本研究は、パーキンソン病患者及びその対照として健常中高年者、健常若年
者に対して、非接触型眼球運動計測装置を用いて、プロサッケード課題、アン
チサッケード課題、及び難易度の異なる視覚照合課題として、時計課題、逆さ
時計課題を課し、その時の眼球運動を初めて測定した研究である。本研究での
主要な結果を示し、その内容について加齢による変化や疾患特徴的な変化につ
いてそれぞれ考察する。
5.1. 加齢による視覚探索の影響
プロサッケード課題では、健常中高年者群は健常若年者群と比べて有意な差
がみられなかった。またアンチサッケード課題においても、健常中高年者群は
健常若年者群と有意な差がみられないことから、「眼球運動機能の実行」につい
ては加齢による影響はないと考えられる。
時計課題では健常中高年者群は健常若年者群に比べて回答時間は長かったが、
正答率、関心領域における固視時間や固視回数、平均固視時間では有意な差は
認められなかった。また逆さ時計課題においても時計課題と同様の結果であっ
た。このことから「視覚対象の認識」は、課題の難易度にかかわらず、加齢に よる影響を受けて時間がかかるようになることが明らかになった。
また視覚探索の効率を評価するテスト刺激視認回数、被探索刺激視認回数、
被探索刺激視認効率スコアについては時計課題、逆さ時計課題の両方において
有意な差がみられなかった。このことから「視覚探索計画の生成」については 加齢による影響はないと考えられる。
5.2. 加齢による視覚探索の変化
加齢による生理的な変化が探索眼球運動にどのような影響を及ぼしているの
かについてはこれまでいくつか報告がある。健常の高齢者と若年者を対象にし たサッケード課題を比較した報告 19)では、高齢者では平均速度や反応速度が有 意に増加していることが示された。本研究では健常中高年者群と健常若年者群
においてサッケード課題における運動機能を示す指標の有意差は認められなか ったため、その相違についてはさらなる検討を要する。
本研究と同様の時計課題を使用した視覚照合課題において加齢の影響を検討
が若年者に比べ、妨害刺激に対する処理が上手くできず時間がかかる 20)ことが
これまで報告されており、これは加齢により無関係な情報を抑制して視覚情報 を処理する機能が低下している可能性が示唆されている 20),21)。本研究では健常 中高年者群は健常若年者群に比べて回答時間が延長していることが明らかにな
った。特に逆さ時計課題のような複雑な内容になると加齢による視覚情報処理
機能の低下を反映し、固視時間や固視数が有意に大きくなる可能性も考えられ
たが、今回は健常中高年者におけるばらつきが大きかったためか、有意な差を 得ることができなかった。
高齢者における視覚探索効率に関しても報告がある。本研究と同様の内容で
の比較検討はなされていないが、別の視覚照合課題において、高齢者は若年者 と比べて視覚探索効率では有意な差がなかったことが報告されている 22)。本研 究では健常中高年者群と健常若年者群での視線遷移の効率を評価する指標の有
意差はみられなかった。この結果は、これまでに報告されている内容を反映す るものと考える。
5.3. パーキンソン病と健常中高年者との違い
プロサッケード課題では全ての指標において有意な差は認められなかったが、
アンチサッケード課題では、サッケードサイズにおいてパーキンソン病群は健
常中高年者群に比べて有意に短かった。このことから「眼球運動機能の実行」
では初回のサッケードの距離が疾患特徴的に短くなることが考えられる。
時計課題ではパーキンソン病群は健常中高齢者群に比べて固視回数が有意に
多く、また逆さ時計課題ではパーキンソン病群は健常中高年者群に比べて平均
固視時間が有意に長かった。これらの所見をまとめると「視覚対象の認識」に
おいてパーキンソン病群では課題の難易度により若干影響する指標が異なるも
のの、固視回数の増加や平均固視時間の延長がみられ、これらは疾患特徴的に
視覚情報の処理低下を補おうとするためと考えられる。しかし、この点につい
ては共通して変化した指標がなかったため、今後さらに検討すべき課題である
と思われる。
また視覚探索の効率を評価するテスト刺激視認回数、被探索刺激視認回数、
被探索刺激視認効率スコアでは、時計課題は全ての指標においてパーキンソン
病群と健常中高年者群とで有意な差は認められなかったが、逆さ時計課題では
全ての指標においてパーキンソン病群では健常中高年者群に比べて有意に値が
大きかった。このことから「視覚探索計画の生成」において、より複雑な課題
ではパーキンソン病群は疾患特徴的に効率の悪い視線遷移を行っていることが
考えられる。
以下、これらの疾患特徴的な異常について(図1)の視覚探索モデルに沿って
検討した。
5.4. パーキンソン病における「眼球運動機能の実行」の特徴
プロサッケード課題は外部刺激に反応しサッケードを行う課題であり、正確
な眼球運動機能が要求される 23)。アンチサッケード課題では、これに加えて、
外部刺激への反応を抑制し反対方向への随意的なサッケードを生成する機能が 要求されると考えられている 24)。
本研究においてアンチサッケード課題で、健常中高年者群と比べパーキンソ
ン病群のサッケードサイズが小さいという結果が得られた。これらの課題を用 いた研究は複数行われ、同様の結果を示しており 17), 25) 、パーキンソン病の臨 床症状である測定過小に対応すると考えられている 24)。プロサッケード課題に
みられる単純な眼球運動制御に比べ、アンチサッケード課題における外部刺激
への反応の抑制を必要とした複雑な眼球運動制御においては、パーキンソン病
患者でより特徴的にサッケードサイズが小さくなると考えられた。このことは
パーキンソン病における眼球運動の抑制的制御の困難さを反映していると考え られる。
5.5. パーキンソン病における「視覚対象の認識」の特徴
視覚探索課題として、本研究ではArchibaldら 18)の研究と同様に、特定の時
刻を表した時計の図(テスト刺激)を提示し、それと表す時刻が一致した時計
を、異なった時刻を表す複数の時計の図(被探索刺激)から選択するという課
題を用いた。本研究で用いた探索課題における視覚認識では、通常テスト刺激
に関する視覚情報を、作動記憶に保持し、これを基に被探索刺激との照合が行
われることが要請される 27)。本研究においては2つの難易度を設定し、正立条
件(時計課題)、倒立条件(逆さ時計課題)を行った。時計課題及び逆さ時計課
題において呈示されたそれぞれの視覚刺激に対する視線移動を評価する指標と
して、テスト刺激及び被探索刺激の両者を含む関心領域(area of interest:AOI)
を設定し、そこにおける固視回数、総固視時間及び平均固視時間を測定し、パ
ーキンソン病罹患の有無がこれらの指標に影響を及ぼすパターンの違いを調べ
た。その結果、パーキンソン病群においては、時計課題では固視回数がパーキ
ンソン病群で健常中高年者群と比べて多かったが、平均固視時間に関しては差
がみられなかった。逆さ時計課題では、平均固視時間がパーキンソン病群で健
常中高年者群より長かった。それぞれの所見は、何らかの視覚情報処理機能の
異常を補おうとするものと解釈され、パーキンソン病患者においては、時計課
題及び逆さ時計課題における難易度の違いにより、それが異なった指標で表現
された可能性、あるいは視覚探索における異なった機能障害を疾患特徴的に反
映している可能性が考えられる。これらの点については、難易度設定をさらに 変化させた場合についての検討が今後必要と思われる。
今回の研究で、時計課題においてはパーキンソン病群が健常中高年者群と比
べて固視回数が多かった。今回と同様な時計課題を用いた研究において、パー
キンソン病の固視回数を検討したものはないので直接的比較は困難である。異
なった実験設定を用いた過去の研究においては、課題中の固視回数は健常対照
群と比較してパーキンソン病群の方が少ないことが報告されている 9)こともあ