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鷺山仙道遺跡の発掘調査

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Academic year: 2021

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鷺山仙道遺跡の発掘調査

著者 高木 晃

雑誌名 金大考古

33

ページ 5‑6

発行年 2000‑07‑20

URL http://hdl.handle.net/2297/2837

(2)

− 5 −

( 2 ) 破 砕 す る ・ ・ ・ 祭 祀 遺 物 を ( 多 く の 場 合 は 土 器 で あ る が ) 破 砕 す る 行 為 は し ば し ば 見られる現象でる。埼玉県御伊勢原遺跡 号祭 1 30 祀址では復元不可能な土器片がコンテナ箱約 ケが出土している。

( 3 ) 集 積 す る ・ ・ ・ こ れ も し ば し ば 認 め ら れ る 現 象 で あ る 。 伊 勢 神 宮 で は 祭 祀 に 用 い た か わ ら け を あ る 一 定 の 場 所 に 次 々 と 積 み 重 ね て い る こ と を 故 亀 井 正 道 氏 か ら う か が っ た こ とがある 「破砕する」パターンとの区別は難 。 しいと思われるが、あえて分類してみた。

( 4 ) 移 設 す る ・ ・ ・ 群 馬 県 下 芝 天 神 遺 跡 の 器 物 集 積 遺 構 は 片 付 け 型 に は い る だ ろ う が 、 前 述 の 分 類 で は お さ ま ら な い 特 徴 を も っ て い る ( 世 紀 初 頭頃 。 東西 6 ) 10 m 、 南 北 7m ほ ど の 範 囲 に 、 膨 大 な 土 器 ・ 祭 祀 遺 物 が 出 土 ( 土 器 は実測可能個体で 2474 点を数えるという)し、

そ れ は 当 時 の 地 表 面 か ら 最 高 70cm ほ ど の 高 さ に 達 し て い る 。 さ て 、 報 告 者 は こ の 「 土 器 の 山」の土器集積が方形区画が 単位集まったも 3 の で あ る こ と を 見 い だ し た 。 つ ま り 北 西 の 区 画は 2m × 1.5 mほどの規模で 260 個体ほどの土器

5m 3m 1500

が集積され 中央の区画は 、 × の規模で 個 体 以 上 の 土 器 が 集 積 さ れ る 。 東 部 の 一 群 は 調査区外に延びているが確認範囲だけでも 600 個 体 以 上 の 土 器 が 集 積 さ れ て い る 。 こ れ ら は 時 間 差 と 推 定 さ れ る 。 さ ら に 注 目 さ れ る の は 多 量 の 土 器 は 重 ね ら れ て お り 、 そ の 間 に は 臼 玉 を は さ む も の も あ る こ と で あ る 。 私 は 祭 祀 行 為 は 別 の 場 所 で 行 わ れ て お り 、 そ の 後 使 用 した遺物を 移設 したものと理解したい 「 」 。 「 移 設 」 と い う 新 た な 概 念 を 本 遺 跡 の 事 例 か ら 提 唱したい。

駒沢新町遺跡の 号祭祀遺構 1

『 長 野県 史 考 古資 料 編 主要 遺 跡(北 ・東信 』 1982年 よ り

.廃棄パターンの意味するもの 3

こ の よ う に 祭 祀 遺 跡 に は 一 様 で は な い 廃 棄 パ タ ー ン が 認 め ら れ る 。 た だ し 、 こ の 差 異 が い か な る 意 味 を 持 つ の か は い ま だ 明 確 な 見 通 し を 私 は も っ て い な い 。 祭 祀 の 内 容 の 差 な の か、祭祀行為執行者の差異によるものなのか、

あ る い は 時 期 の 差 な の か 、 今 後 の 課 題 と し た い 。 た だ し 、 青 木 下 遺 跡 の 事 例 か ら す れ ば 、 祭祀遺構の重複が確認されることから 「祭祀 、 の 場 の 固 定 化 」 が 認 め ら れ よ う 。 そ の 「 祭 祀 の 場 」 の 規 模 の 大 小 も 廃 棄 パ タ ー ン か ら 導 き だ せ る か も し れ な い 。 今 後 は こ う し た 「 廃 棄 パ タ ー ン 」 と い う 視 点 か ら さ ら に 分 析 を 進 め ていきたいと思っている。

鷺山仙道遺跡の発掘調査

( 財)岐阜市教育文化振興事業団)

高木晃 (

鷺 山 仙 道 遺 跡 は 長 良 川 が 形 成 し た 扇 状 地 の 北 端 に 立 地 す る 。 今 回 の 調 査 で は 鎌 倉 時 代 に 主 に 使 用さ れ た 溝 (SD1 、 16c 前 葉 に 利用 さ ) れた井 戸(SE1 ・方形土 坑(SK1 、 その他時 ) ) 期 は 確 定 し て い な い が 30数 基 の ピ ッ ト を 検 出 した。

SD1は検出した長さ約10m、深さ約0.9m、幅 約3.6mを測り、調査区を北西方向から南東方 向 に 横 切 る 。 埋 土 か ら は 土 師 器 ・ 山 茶 碗 ・ 陶 器 ・ 磁 器 ・ か わ ら け な ど 古 墳 時 代 か ら 中 世 ま で の 遺 物 が 大 量 に 出 土 し た 。 中 世 以 前 の 遺 物 が出土するのはSD7など古代の遺構を壊してい るためと考えられる。

SK1は長軸1.3m、短軸1.0m、深さ0.25mを 測 る 長 方 形 土 坑 で あ る 。 プ ラ ン 検 出 時 、 灰 色 粘 質 土 が 周 囲 を 巡 っ て お り 、 ま た 断 面 観 察 か ら シ ル ト 質 と 砂 質 土 が 互 層 に な る と い う 様 相 が 判 明 し た 。 出 土 し た 遺 物 は か わ ら け が ほ と ん ど で 、 う ち 数 枚 は 完 形 で あ っ た 。 墓 も し く は 便 所 の 可 能 性 が 考 え ら れ る が 決 定 的 な 根 拠 はない。

ピ ッ ト に つ い て 、 30数 基 の う ち 根 石 と 考 え ら れ る 河 原 石 を 確 認 し た も の が 5 基 、 柱 の 残 欠 と 考 え ら れ る も の が 5 基 あ っ た 。 建 物 の 可 能 性 が 考 え ら れ た が プ ラ ン を 確 認 す る こ と は できなかった。

SE1は掘方長軸2.7m、掘方短軸2.5m、井戸 側 直 径 0.7m 、 深 さ 3.1mを 測る 。 検 出 時に プ ラ ン 内 と 周 囲 で 小 ピ ッ ト が 12基 見 つ か り 上 屋 があった可能性がある。

水 溜 部 分 は 桶 (樽 ? )が 使 用 さ れ て お り 、 直

(3)

− 6 − 径0.55m、高さ0.55mで、19枚の板で作られて い る 。 竹 箍 が 3 本 あ り 、 右 ね じ り 編 み 。 板 の 観察を行ったところ、底板の痕跡があること、

蓋 の 存 在 を 思 わ せ る 痕 跡 が あ る こ と 、 作 り が 精 緻 で あ る こ と な ど か ら 、 容 器 か ら の 転 用 で あ る こ と が 分 か っ た 。 材 質 は サ ワ ラ で あ る 。 井 戸 側 も 桶 (縦 板 箍 締 め と 考 え ら れ る )で 作 ら れ て い る が 、 検 出 し た の は 8 本 の 箍 の み で い ず れ も 右 ね じ り 編 み 。 井 戸 の 廃 棄 時 に 板 を 抜 き 取 っ て お り 、 一 枚 の み 折 れ た 状 態 の 板 が 出 土 し た 。 板 の 最 下 部 は 鋭 角 に 削 ら れ て い る が、これは地面に突き刺さり易くしたもので、

清 洲 城 下 町 遺 跡 で も 同 様 の 技 術 が あ る 。 作 り が 粗 雑 で あ る こ と 、 箍 を 締 め る た め の 木 製 の 楔 が 十 数 点 出 土 し た こ と な ど か ら 、 井 戸 専 用 に 作 ら れ た も の と 判 断 し た 。 材 質 は サ ワ ラ で ある。出土した遺物はかわらけ、箸、桃の種、

銭(元豊通宝)などがある。

筆 者 は 今 回 の 調 査 を き っ か け と し 岐 阜 県 内 の 井 戸 を 集 成 し た が 、 合 計 30数 基 と 少 な く 、 時 代 毎 の 傾 向 を 見 る の は 時 期 尚 早 で あ る 。 同 時 期 の 例 と し て は 岐 阜 城 千 畳 敷 遺 跡 、 城 之 内 遺 跡 な ど が あ る が 、 構 造 が わ か る も の は 石 組 み ば か り で 、 今 回 の 発 見 は 貴 重 な 資 料 と 考 え て い る 。 木 組 み の 井 戸 と 石 組 み 井 戸 の 違 い に ついて、前者を使用するのは身分が高いもの、

も し く は 前 者 が 飲 料 水 で 後 者 が 生 活 用 水 と い っ た 研 究 が あ る 。 ま た 尾 張 平 野 の 例 と 比 較 し た 場 合 、 井 戸 側 に 桶 を 使 用 し 始 め る の は 15c 後 半 か ら で 時 間 的 に も 符 合 し 、 ま た 前 述 し た 井 戸 桶 下 端 の 同 様 の 加 工 技 術 な ど か ら 当 地 域 と何らかの交流があったものと思われる。

今回の調査は全体計画の10分の1に過ぎず、

今 年 度 の 10月 か ら 調 査 が 再 開 さ れ る 。 そ の 際 に は こ の 地 に お け る 当 時 の 人 々 の 生 活 が さ ら に明らかになるものと期待している。

鷺山仙道遺跡検出井戸断面図

考古学大会出席者

平口哲夫(金沢医科大学)

田嶋正和(加賀市教育委員会)

山本幸子(古代学協会北陸支部)

小林謙一(金沢大学埋蔵文化財センター)

金沢大学卒業生

荒木麻理子(石川県埋蔵文化財センター)

石田浩司(鈴鹿市考古博物館)

井貫昇平(金沢大学埋蔵文化財センター)

入江剛弘(岡山大学大学院)

岩田安之(金沢大学埋蔵文化財センター)

楠寛輝(松山市教育委員会)

小松有希子(諏訪市博物館)

酒井中(福井県埋蔵文化財センター)

桜井秀雄(長野県埋蔵文化財センター)

庄田知充(金沢市埋蔵文化財センター)

宗融子(富山県)

高木晃(岐阜市教育文化振興事業団)

中本寛 石川県)(

原田幹(愛知県教育委員会)

前田清彦(鯖江市教育委員会)

山下平重(香川県埋蔵文化財調査センター)

金沢大学考古学研究室 学部生

江口麻美 太田真琴 川村亜悠美 木村ふさ子 佐藤こずえ 田中範裕 田中美幸 寺村直人 名田草介 丹羽裕樹 廣田典之 宮澤麻理 村田木綿子 村手裕一 石橋克崇 菅優也 業天唯正 神殿和志 坂本豪士 土本稔格 深谷暖 堀敬人 山本明仁 上原大介 大浦亮介 笹田竜之 田端政昭 平林拓也 前田章智 湯尾和広

大学院生

酒井康介 松永篤知 柳生俊樹 勝俣竜哉 小松隆史 高槁文 多だ正芳 長谷純司 森達也 教官

佐々木達夫 藤井純夫 中村慎一

書評

片山一道著

縄文人と 弥生人 −古人骨の事件簿−

(金沢大学文学研究科1年)

酒井康介

本書の目的は、弥生時代の革新を担った「弥

生 人 」 と は い っ た い 誰 な の か ? と い う 問 題 を

明らかにすることである。著者は 「弥生人」 、

参照

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