経 濟 學 説 に 於 け る 政 治 的 要 素
ー 重 農 學 派 の 凋 落 と り ベ ラ リ ス ム ・ ア ン チ フ
イ ジ ォ ク ラ チ ッ ク と を 決 定 せ る 政 治 的 要 素 ー
手 塚 壽 郎
一七七四年チ・⁝ルゴーが宰相となつて︑重農學派の主張であつた穀物貿易の自由を完杢に行ふや否や︑︑此主
張に不利なる偶然的現象が出現した︒即ち穀物貿易の自由の實施とは全く無關係である所の凶作が起つたので
ある・一七七四年の凶作竺七七五年に琶くパンの籍藤貴せしめ︑此年の春既に︑︒・・莞・・畠⁝盲冨・
と稔せらる玉幾同かの暴動を獲生せしめてゐる︒パンの便格の騰貴は凶作に原因をもつたものであるにも拘ら
す︑人々からはそれが穀物の輸出に原因をもつものであると考へられた︒これがために穀物貿易の自由︑從
つて重農主義に封する批難が隠々として起つて來た︒既に此頃から重農學派の頽勢は現はれ始めたのではある
が︑それが凋落したわけではない︒一七七六年には︑重農主義の最も明快にして完全なりと云はれる︒自多ヨ達
免︾︿窪ωけ︒凶P牢冨冒︒・計宣一甜芭騨二︒昌自三く・﹃︒・亀①(﹀ヨ・D冨鴎費β竃母︒‑嵐凶∩げ①一図︒ざド謡♀が出版されてゐる
し︑其翌年にはい︒目目8器のU"○乙器︒・8芭が出版されてゐる︒のみならす︑重農學派の思想が佛蘭西革命
初期のイデオ臥ヂーに影響を及ぼしたことは疑ふ飴地無しとせられてゐる︒だが一七八〇年頃から︑特に一七
九〇年前後から︑重農學派の凋落は目立つて來てゐる︒︑︑.
この重農學派の凋落は.ゴ昌o訟8℃冨幕旨ρロ⑦傷︒∩qぎ僧冨坪冨昏9誉含もH︒含評旨9..のために生じたのであ
つたか︒吾々はさう考へない者である︒それは︑一七八九年頃からの運動に基因してゐるのではあるまいか︒
経濟學説に於けろ政治的要素二九五
1)A.Schatz,L,individualismeξConomiqueetsocial,p.8翼.
二九六
地主階級の政治蓮動に封抗して起つた動産所有階級の政治運動が︑アダム・ス︑︑︑ス的なる維濟思想を廣く佛蘭
西に傅播する動因となり︑また此種の思想の傳播が重農學派の凋落を生ぜしめたのではあるまいか︒こ玉でア
ダムスミスの此種の思想と云ふのは重農的な側面ではなく︑︑.宣臣︒9二蕊躍げ窪9庁山かげ碧憲︒・ω曾畠︒冨9のき言
母B碧霞⑦山︒冨℃ξ・・δ自曽ユ・︑.の面である︒シヤール・リストによつて誇張せられてゐるやうに㍉スミスには重
農的思想が多分に含まれてゐる︒﹁屡々経濟學読史家が考へてゐるやうに︑スミスを毎胃曾舞︒・︒葺︒ロ§き〒
6凶簿⑦自α︒一︑ぎ9︒・曳龍︒︒日・と考へ︑農業擁護者と考へられてゐる重農學派に封立せしめるほど誤つてゐること
はない︒一七七六年に國富論が現はれたときは︑産業革命なる名の下に知られてゐる経濟的攣化は未だ始まつ
てゐなかつた︒⁝⁝スミスがよく知つてゐたところのヂエームス・ワツトは一七六九年に蒸氣汽罐の特許灌を
得てはゐる︒然し此らの獲明は何れも新しくして︑産業制度を攣革するに充分な時期を経てゐない︒また重要
なる震明の或ものO︒日鷺︒口の紡綿機(一七七九年)︑09ニュσqぽの機織機(一七八五年)は未だ現はれてゐな
い︒此らの年は雄辮であるゆスミスが國富論を公にした當時には︑産業革命は未だ始まつてゐない︒⁝⁝マル
クスはス︑︑︑スを..号昌Nロ旨日日①ほ会︒︒・ω窪山①昌宮臣い∩冨昌O︒ぎ昌︒日曾︒・竃き乱舞言60Hδ牙..と呼んだが︑實は︑
工業制度の影響をス︑︑・スが多分に受けたと考ふるは誤である︒此當時の英國経濟の特長は工業的ではなくし
て︑寧ろ大商業的であつた︒スミスが資料として利用したグラスゴー市は未だ商業都市であり︑主要なる職分
をアメリヵから輸入さる玉煙草の集散地として役立つことにありとしてゐたのである︒スミスの著作は來るべ
き新産業肚會のための豫言的宣言ではなくして︑表面的に讃み取り得る限りでは︑商人と工業家に樹して彼は
憎悪をもつてゐたのである︒彼の批判は莞σq8鼠昌冨と旨9⁝蜜9自団窪︒・に向けられてゐる︒地主の利釜と勢働
わ者の利盆は常に一國全艦の利釜と一致すると考へられてゐる︒L十八世紀末佛蘭西に傅播せられたス︑・︑スの思想
は此面に於て雪はない○共リベラリスム︑やがて展開せられてぎ含ω三践︒︒ヨ︒となつた所の面に於てfある︒
繰り返して云ふが︑一七九〇年前後から重農學派の凋落が著しく︑またスミスの思想の重農的面が佛蘭西に
捨てられたのは︑此頃から︑地主階級の政治運動に封して起つた動産所有階級の政治運動に基因してゐるので
はあるまいか︒換言すれば︑十八世紀末の佛蘭西の経濟思想がブイジオクラシーから9中︒︒曙の一巳ロ︒︒三僧一7
ωヨ︒に攣鱒して行つたのは︑か﹂る政治運動に原因をもつものではなからうか︒此問に封して︑十八世紀末の
政治思想に於ける特色によつて︑肯定的解答を與へようとするのが︑話筥畠幕を以て書かれる此一篇の目的で
ある︒
一 口
重農學派は政治思想の上では純粋たる保守主義者であつた︒それは此派の學者が君主專制政治に執著をもつ
てゐた.がためではない︒一七六〇︑七〇年頃には︑最も進歩せる思想家と雌︑佛蘭西にとつて可能なる政治形
態としては目§舞︒寓6以外に考へることが出來なかつたのである︒重農學派が保守主義者であつた所以のもの
縷濟學説に於ける政治的要素二九七
2)GideetRist,Histoiredesdoctrines6conomiques,5meedition,PP.75‑7.
二九八
は︑だから︑此汲の學者が号ぞσ留8︒頴σq巴のドツグムを読いてゐたからに他ならない︒﹁1此ドツグムから
目︒骨舞∩凱︒が唯一,の理想的政治形態となるのではあるが︒ー曹︒・竃箭ヨ︒簿﹃q巴とは畠8宕ユの日︒舞甑霞鉱器に重
農學派が封立せしめた概念であり︑自然法に基礎を置く所の紆紹︒什一︒︒唱︒℃あるσそれは一人の人闇のデスポチ
スムではなく︑法のデスポチスムである︒換言すれば君主は自らの意志を勝手に實行するのではなく︑自然秩
序に於ける法則を忠實に實行して行く機關に過ぎないやうな政治機構こそ即ちデスポチスム・レガルなのであ
惹︒從つて此デスポチスムにあつては︑君主のオートリテは︑自然秩序の法則から來る絶封的なるオートリテ
である︒勿論デスポチスム・レガルと錐︑人間を通してしか人聞に現はれて來ない︒い9空く響︒が云つたやう
に︑﹁公権力の本質は︑之を支配する樺利ある意志がそれを畿動せしむるまで︑蓮動せすに静止もてゐる黙にあ
わる︒此意志の獲動によつて︑此公樺力は︑此力を獲動せしむる意志に封して人的なものとなつて來る︒﹂
脅省o言錠げ凶q繊器とは反封に︑牙呂o器辰㈹緯は其臣民を支配するのに何らの暴力を用ひない︒﹁デスポ!トい
レガルの椹威はい︑ぎ号口8の直観的にして決定的なる力に他ならないのであるから︑此樺威が人民にとつては
奪敬と愛との劃象たるべきは自然である︒なぜなら此椹力は何らの暴力を用ゐすして︑人民の意志を服從せし
わめ得るからである︒
所でヂスポチスムを何人が行使するのであるかと武へば︑日︒葛渥器である︒重農學派に於ては︑モンテス
キューなどに見るやうに︑三椹の分立と云ふが如きものは考へられてゐないし︑ルー︑ソーなどに見るがやうに
1)Mercierdela 2)Ibid.,P.14.
Riviさre,Ordrenature1,p. IO'1.
︒︒︒暑・話ぎ①畠昌碧δ§一・と云ぶが如きものも考へられてゐないコ重農學派の政治理想は唯一の主樺の存在する政
治形態であつた︒
目︒塁お器は自然秩序の運行を確保するがために︑自然法(曾三梓塁ε謹鉱)を認識し︑宣言し︑運守せしむる
︑任務を有りてゐる︒實罷法観︒・宮ω三く8は自然秩序に於ける自然法を目8薗.ρまが認識し︑遵守せしむるもの
でなければならない○
此自然秩序なるものが経濟の面に如何なる様相を以て現はれねばならないかは(重.農學派の経濟學読を知る
には明らかにせられねばならぬ第一事であり︑明らかにもせられて來た︒だがこ玉での目的には此様相の読明
は左程必要ではない︒ヨ︒§おきの下に如何なる階級が政治的力をもつてゐるかの解明こそ訣くことの出來な
い第二事である︒
重農學汲によると.杜會には三つの階級がある︒
﹁自然は市民を三つの階級に分つてゐる︒生産的階級(冨o寓器箕︒含9ぞ①)︑地主階級(鼠︹冨︒︒︒︒①山①の℃同︒弓同器︑
け箪器︒︒)︑不毛階級(寅9器︒・o︒・幕藁①)がそれである︒
﹂﹁生産的階級は土地の耕作によつて國民の年々の富を再生産せしめ︑農業作業の出費の投資をなし︑土地の所
有者の牧入を年々支彿ふ所の階級である︒生産物が買手に引渡さる玉までの総ての作業と出費とは此階級によ
つてなされる︒生産物の買手に販費されると︑︑國民の富の年々に再生産せらる﹂債値が明らかに宏る︒
経濟學説に於ける政泊的要素二九九
三〇〇
﹁地主階級は主権者︑地主︑税吏を含んでみる︒生産的階級は年々作り出す再生産額のうちから︑年々の投資
を償還し︑耕作用の富を維持するために必要な富を控除したる後︑残りを地主階級に年々支撮ふ︒地主階級は
年々支彿はる﹂所の此耕作からの牧入即ち耕作の純生産物によつて生活するのである︒
﹁不毛階級は︑農業用役及び農業勢働以外の用役又は勢働に從事する総ての市民から成り︑其支出は生産階級
.鋤並びに生産階級から牧入を得る所の地主階級によつて支佛はれる︒﹂
ところで此ら何れの階級も立法について現代の市民の如き椹利をもつてゐない︒重農學派によれば︑自然秩
序は自ら明らかなるものであつて︑從つて此秩序を現實の法律に一致せしむる者換言すれば自然秩序に於ける
法則を認識しそれらを現實の法となす者があれば︑肚會は紳の欲する所の状態を出現するに到るのである︒而
■
して偵然秩序に於ける法則を認識しそれらと現實の法律とを一致せしむる者は主椛者でなければならす︑唯一
の主櫨者でなければならぬ︒重農學派は主樺を分割し得る庵のだとも考へないし沸況んや譲渡し得るものとも
考へない︒主橿は唯一であると考へてゐる︒また主椹は時闇的には分たれ得べからざるものである︒か製る意
味に於て︑主椹者は一人の王でなければならないし︑王たるの地位は世襲されねばならない︒簡潔に云へば︑
世襲せられる唯一の王が自然秩序に基いて法律を制定し︑且つ實施する︒右に述ぺた三つの何れの階級と雄︑
法律の制定と實施について︑王のなす所をなすことが出來ない︒
たΨ然し法律制定について王の諮問機關の存在は重農學派によつても認められてゐるし︑法律實施の補助者
3)Quesnay,AnalyseduTableau壱conomique,oeuvres,PP.306‑一 一9.