ll
イデオロギー としての、 あるいは 言説 としての <教育 >をめ ぐって
‑
19世紀 イギ リス教育史研究( 5 2 ) 「 一一
上 野 耕三郎
Ⅰ‑4
秩序 をめ ぐって
<道徳 > とい うこ とばに包摂 され る もの を追 うこ とに しよう。 <事実 >が 明 らか にな らないに もかかわ らず、 <道徳 > とい うことばにあ ま りに拘泥 し す ぎてい る、 と思 われ るか もしれ ない。 もち ろんその ことは充分承知 の上 で ある
。繰 り返 しにな るが、この こ とは重要 な意味 を もってい る。とい うの は、
歴史 は具体 的 な <事 実 >の集積 に よって の み構 成 され て い るので はな く、
人 々が <事 実 >の大海 の中か らどの ような <事実 >を拾 い上 げ、 それ を どの ように認識 し、意味 づ けていたか、 とい うことを も含 む ものだか らで あ る
。100
年以上 も前 の歴史 を理解 す るためには、具体 的 な歴 史事 象 を確定 しな け れ ばな らないのだが (この こ とは既 に述 べた ように一筋縄 で はいか ない作業 で あ る)ヾ同時代 の さ まざまな人々が歴史事 象 に何 を読 み込 んでいた のか を知 るこ とも、 それ に劣 らず必要 で あ り、価値 の ある こ とで\ ある
。もち ろん この ことは とて も困難 な壁 にぶ ち当た ってい る。 もの を書 き残 さない庶民 が( 5 3 ) 、 その身 の まわ りの出来事 、 さ らにはそ もそ も意識 の対 象 とはな りに くい出来 事 に対 して、 どの ような感情 を抱 いていたのか とい う点 について は、 まだ解 きあか しの端緒が開かれた ばか りで ある。な らば、一歩退 いて、ここで は<教
(52)
本論文 は 『 人文研究』第
83輯所収の拙稿の続編である。
(53)
だか らといって書 きことばと無縁である、ということにはならない。た とえば、
ヴィンセン トはその著作で、 民衆の生活のなかでの リテラシーのあ りようを詳細 に探 っている
。 (DavidVincent,Lite71aCyandPopularCultuyleIEngland1750‑1914,CambridgeUniversityPress,1989.)
12 人 文 研 究 第 84
輯
育 >あるいは<道徳 > とい うことばに込 め られた意味 を、労働者 の生活 圏へ の侵入者、探訪者‑ それ は従来 の 「 教育」史 の書 き手 に多 くの言説 を提供 した‑ の ものの言 い方のなかか らす くい とる とい う途 を選 んで も、必ず し も意味が ない とはいえないであろう
。しか し労働者 の 日常 の生活 にまでわ け 入 り、 そ こか ら意味 を くみ とった真 の探訪者 がなん と少 ない ことか。 これか らも引用す る文章 の書 き手 の多 くは、社会改革者、祝学官 な どであ るが、彼 らの生活圏 は心理 的 に も空間的 にもほ とん ど労働者 のそれ とは交わ る ことの なかった もので ある。彼 らの言説が きわめて型 にはまった もの との印象 を与 えてい るの もこのためであろう
。前置 きが また長 くなった。 ともあれ
19世紀 の初 等 <教育 >を理解 す るに は、一見 とて も遠 回 りで、無駄 とも思 える途 をた どる こともまた必要で あろ
う。 <道徳 >へ と立 ち戻 る ことにしよう。
男たちが真 っ裸 で走 るレースをし、 それ を群 が って応援 す る仲 間、それ を 恥 ずか しげ もな く見物 す る女性や子 どもたちのさまを、ひ とりの視学官 は眉
をひそめ、 その報告書 に書 き記 してい る
。「 朝 の 9時 と午後 の 4時 とい う白昼 に、一人 は青春の盛 り、もう一人 は
●■●●
中年過 ぎの男たちが、公道で、 それ も真 っ裸 で走 るレース とい うか、時 間 を競 う試合 を してい るのを見 た ことが ある。最初 の時 は、 裸 の男が ゴー ル に到着す る と、仲 間の群衆 に大声で祝福 され、 そ して仲間の肩 に担 ぎ あげ られ、勝利 の凱旋 の ようにして連 れていかれた。 もうひ とつの場令 には、大群衆 が裸 の男 の到着 を待 っていた。 この恥 さ らしなレースがお こなわれた道路 に沿 って並ぶ群衆 には、 あ らゆる年齢 の女性‑ 母親、
工場勤 めの少女、幼 い子 どもた ち‑ がいた。走 り手たちはたいへ んな 関心 をあお って いた よ うに見 える
。しか しそ こに集 まっていた多 くの 人々の、興味津々た る どの顔 に も、ひ とか け らの恥ずか しささえも見 る
ことはで きなか った
。(54)」イデオ ロギー としての、 あるいは言説 としての<教育 >をめ ぐって 13
い ったいぜ んたい これ は何 なのか、 この レース は何 のた めにお こなわれて い るのだ ろうか。 これだ けか らで は事 実 は何 で あったか は皆 目わか らない。
そ もそ も事 象 に対 して岸 巨離が離れす ぎてい る者が、得体 の知 れない もの に怯 えてい る、とい うことなのか。す くな くとも労働者 が <群 れ る>あ るい は<集 う> こ とへ の怯 えを、 ここに読 み込 む ことはあなが ち見 当違 い とは言 えない であ ろ う。 また視学 官 の <女性 ><子 ども>範噂か らは、 ここに垣 間み られ た <女性 ><子 ども>は逸脱 してい る、 とい うことを読 み取 るこ ともあなが ち深読 み とは言 えないであ ろ う
。ここにみ られ る現 象 を<群 れ る>あ るい は
<集 う> とい う表現 で括 る こ とが適切 か ど うか は問題 が あ るか もしれ な い が、 それ あるい はそれが必然 的 に孝 む ものへ の怯 え、怖 れ はさまざ まな事 象
00000 00
()に意味 づ けをあた えてい る
。た とえば、「 住 民 た ち は獣 の よ うな残 忍性
(ani‑ malbrutalities)に潜 れた ままにされ てい る よ うにみ える
。1849年 の
3月 ス
タフォー ド巡 回裁判 で は、他 の重大 な同種 の罪 と一緒 に、真 っ昼 間 に畑 で強
●●●●●●●●●●●●●●●●●
姦 を した罪 で
4人 の若者 が裁 かれた。 なん と百人 もの男女 そ して年齢 もさま
●●●●●●●●●●●●●●●
ざまな者が観客 として立 っていた
/ (55)」とい うものの言 い方 に もその ことは 見 て とれ る
。<群 れ る><集 う>あるい は<獣性 > とい う橡 で表現 され るものの典型 は 教 区な どの祝祭 で あ ろ う
。「 一年 に一度 あ らゆ る教 区で催 され 、2、3日の間連続 して祭 日 とな る 教 区の祝祭 に、音楽 と踊 りはつ きもので ある。教 区 に属す る人々 はすべ 00000 て その ときには帰省 し、 どの家 々 もお客 で一杯 にな る。 もし社交的集 ま
000
り好 きが浪費 へ と至 るな らば、 それ は主 として一 カ月 に一度 の賃金支臥 日の夜 で あ る。気分転換 をはか り、賃金 を分 けるた めに、た くさんの人々 が ビアハ ウス に集 う。残念 な ことには、 あ る程度 は祝祭 に伴 う誘 惑 の括
(54)MCCE,1846,Vol
. I
,p.440.(55)Jelinger
C
.Symons,
op.cit.,p.38.14
人 文 研 究 第
84 輯果、多額 のお金が この ように浪費 され る
。そ して さまざ まな種類 の不行 跡が結果 として起 こる ことにな る。 たぶ ん しば しば変 わ る賃金 を確保安 定す る こと、 それ もで きる限 りひ とりひ とりに別 々 にそ うす る以外 の、
どんな規制 も有益 な結果 を もた らさないで あ ろう.( 5
6)」すベ
ウ イル ダース ピンは、子 どもた ちを も巻 き込 んだ祭 りに対抗 す る術 ‑幼児 学校 を編 みだ した ことを、 自慢 げに述 べ てい る
。「さ らに多 くの害悪 を生 み出す もうひ とつの ことが あ る。す なわ ち、チ どもた ち を祭 りに連 れてい くことで ある
。私 た ちの学校 が開校 した最初 の年、ロ ン ドン近 くには何 らか の祭 りが あ り 、70、80人 の子 どもたちが 欠席 す る ことが よ くあった。 しか し親 た ち は この悪癖 をほ とん ど矯正 し た。とい うの も、現在 で は祭 りに行 くた めに
20人以上 の欠席者 がで るこ とはな くなったか らで ある
。幾人 かの子 どもた ちが私 に言 うには、親 は 子 どもたち を祭 りに連 れてい くの を望 んでい るが、子 どもたち は祭 りに 行 く代 わ りに学校 に行 くこ とを許 して くれ るように願 い出た。 ‑‑・
子 どもの ときか らそれ に慣 れ親 しんで しまってい る大人 に、祭 りに行 くこ とをや め るように説 くことはた いへ ん難 しい こ とであ る
。しか しチ どもた ちはその ような習慣 を容易 にや め る こ とが で きる
。とい うの は、
子 どもたちは学校 で楽 し く過 ごせ るな らば、祭 りに行 こう とす る気 な ど お こさないか らで あ る
。(57)」ここで は人 々が <群 れ る>あ るいは <集 う>‑ それ を<社交性 > と言 い 換 えて もよいのだが‑一 典 型 的機会 ともい うべ き祝祭 が、 その観察者 そ して
(56)MCCE,1840141,pp.2091211.
(57)SamuelWilderspin,OntheImportanceofEducat
i
ng‑・ ・ ・
,pp.190‑191,See SamuelWiderspin,TheI
nfantSystem‑. ・
・,pp.39140.イデオロギー としての、 あるいは言説 としての<教育 >をめ ぐって 15
書 き手 の感覚 にざ らざ らとした違和感 を与 えてい る
。それがいったい参加者 の生活 のなかで どの ように機能 していたか を充分 に理解す る ことがで きず、
結局 の ところ とまどい と怖 れのない まぜ ろになった感覚が、 その文章 か らう かが える。 だか らこの <社交性 >の領域 か ら子 どもたちを隔離 しようとす る ウイルダース ピンの意図 もわか らないで はない。
そ もそ も教 区の祭 りとはい ったい何 なのか。主 として
18世紀以降の民衆娯 楽 の研究 を進 めたマル コムス ンやベ イ リー によれ ば
(58)、緊密 に織 り合 わ され た農村共 同体 に根づいた、 い ささか粗野で儀式的 な民衆文化 には、祝祭 がつ きものであった。 この ような社会 においては、 日々 の労働 と労働以外 の生活 との間 にはそ もそ も明確 な境界線 は敷かれて はおちず、たんたん として過 ぎ てゆ く日常生活 は<社交性 >によって味付 けをされていた。 その <社交性 >
の最 た るものが共 同体 の全員が参加 す る祝祭で あった。
そ もそ もが民衆 の娯楽 は私的 な もので はな く、 <集 う> もので、集 団的色 彩 の強 い ものであった。ほ とん どの教 区で はそ こに住 む人 々 ばか りで はな く、
薬類縁者 そ して友人 たちが客 として招かれ、かな りな数 の訪問者 もまた祭 り に参加 した。 とい うの はバ ラバ ラになった友人 や親類縁者 が、彼 らの杵 の強 さを再確認 す るた めに寄 り集 まったか らで ある。
<群 れ る><集 う> とい う こ とをひ とつの特徴 とす る、 これ らの祝祭 は けっ して洗練 されて はいなか った。すなわち、 それ は過剰 ともいえるエネル ギーの放 出、血 で染 まる暴力儀式‑ 牛攻 め、穴熊 い じめ、闘鶏 な どの動物 虐待 や レス リングや拳闘 な どの余興‑ を伴 っていた. また祝祭 の場 には屋 台が出 され、時 には旅 まわ りのバ イオ リン引 きが踊 り手 のために演奏 す るな ど、 プロの芸人が しば しば地域 の祝祭 に加 わ り、雰囲気 を盛 り上 げるのに手
( 58)
RobertW.Malcolmson,PopukzrRec71eationinEnglishSociety17V0‑1850,
Cambridge University Press,1973,Peter Bailey,Leisuyle and Classi n
VictorianEnghznd:Rationalrecreationand thecontestforconty10l,1830‑
1885,RoutledgeandKeganPaul,1978.
16 人 文 研 究 第 84
輯
を貸 していた
。こうして祭 りは人 々 を非 日常 的世界 へ と誘 い込 み、 日々の生活体 験 とは まった くか け離れた、, 異質 な体験 に人 々 をさ らす こととな る。 と同時 にその 体験 に 日々の生活体験 とは まった く異 なった新 た な意 味 づ げをす る こ とと
なった。祝祭 は堅 固不動 と思われてい る日常 の秩序 に風穴 をあ け、 しば しば それ を逆転 させ、混沌 とした空間 をつ くりだす。 その空間で は 日常世罪 を牛 耳 る規制力 そ して拘束力 は解体 されて しまう
。この ような ことは他 の場所、
空間であったな らばけっ して許容 され る ことのない、夢想 としてのみ許 され るものであった。すなわち、人 間の欲望 を解 き放 つ祝祭空間で は、 日常世界 の現実‑ 日々のつ らい労働 や単調 な生活‑ を一時的 に押 し退 けて しまう
ことが可能 である
。そ こで は興奮が高 ま り、倦 怠感 は脇 へ と追 いや られ る
。過剰 ともい えるエネルギーの解放、血 を見 るような荒々 しい もの によー る興奮 は日常で はけっ して味わ えない経験 であ る。祝祭 は日常 をはるか に越 えた も ので あ り、 あ まりに も現実的である責務 や苦役 か らの一時的 な解放、 はけ口 であった。
バ フチ‑ ンが言 うように「カーニバ ル はただ じっ と観 てい る もので はない.
‑ その中で生活 をす るので ある
。すべての人が生活 す るのである
。なぜ な らそのイデーにおいてカーニバ ル は全民衆的 な ものだか らで ある
。カーニバ ルの行 なわれてい る間 は、誰 に とって もカーニバル的生活以外 の生活 はない のセある
。カーニバル は空間的境界 を知 らぬが ゆえに、 そ こを離れ て どこに 行 くこと. もで きない. カーニバルが行 なわれてい る時 には、 カーニバルの法 律、つ ま りカーニバル的 自由の法 によってのみ生活 で きるので ある
。(59)」この ような祝祭 とい う非 日常的な場 で は、農村共 同体 の権威 ・秩序構造が 底抜 け騒 ぎのなかで一時的 に破壊 され、た とえば民衆 が王 とな り、逆転 され た関係 をつ くりだ した。 しか しジェン トリー をは じめ とす る支配階級 はそれ
(59)
ミハイル ・バ フチ‑ン、川端香男里訳 『フランソワ・ラプレーの作品 と中世 ・
ルネッサンスの民衆文化』せ りか書房
、1974、14貢。
イデオ ロギー としての、 あるいは言説 としての<教育 >をめ ぐって 17
に攻撃 を加 える どころか、 それ に対 して寛容 で あ り、 しば しば民衆 の祝祭 を 庇護 した。マル コムス ンが指摘 す るように、 その寛容 さの よって きた るとこ ろは、 ひ とつには彼 ら自身が農村共 同体 の構成員 であ り、 また祝祭 は民衆 の 欲求不満 を発散 させ、 その ことによって農村寡頭制支配の権威 を強化す るの
に役立 つ との認識 によるもので あった
(60)0だがわれわれが問題 とす る
19世紀 の この時代 には、支配階級が依然 として 寛容 的態度 を示 していたのだ ろうか。確か に都市労働者 の娯楽の多 くはその 精神 そ して形式 で農村的色彩 を濃 く残 してお り、依然 として祝祭性 そ して残 虐性への熱狂 を示 していた こともまた事実 である
。これ に対 して都市 に住 ま う支配階級が放時 の安定化効果 を充分承知 して、許容 的態度 にでていたか は きわめて疑問である
(61)0
少 な くとも社会改革 を標梓す る文章 の書 き手の多 くは、 そのエー トスか ら いって も生粋 のジェン トリーで はなか った. したが って、祝祭、 それ に伴 う 放縦 の古典的表現一一一 飲 めや歌 えの大騒 ぎ、動物虐待 な ど‑ を もはや許 す ことはで きなか った。 た とえば次の ような指摘 はその ことを如実 に示 してい る。
「 質 問
804.人々の娯楽 につ いてですが、それ は どの よ うな ものです か ? ‑ すべて下卑た類 の ものです。安息 日の神聖 さを胃 と くす る件 については私たちはた くさんの話 を聞 いてお ります
。しか しそれ は以前 は もっ とひ どか ったのです。‑‑・ そ こ(トッテナム ・コー トロー ドの東側) や長 い原 っぱにはい くつかの大 きな池が あ りました。 ここでの娯楽 はか
も狩 り(
duck‑hunting)、アナグマい じめ
(badger‑baiting)で した。また猫 を水 の中に投 げ入れ、犬 をけしか けるのです。たいへ んな虐待 が常 にお こなわれ、最 も忌 まわ しい シー ンが演 じられてお りました。最 も低賃金
(60)RobertW.Malcolmson,oP.cit.,ch.4.
(61)PeterBailey,oP.cit.,pp.2‑3.
18 人 文 研 究
第
84韓
で最 も無知 な者 に限 られ ない、 その当時 のいかがわ しい者 たちの残虐行 為 を信 じるこ とは誰 に もで きないで し ょう
。(62)」「 質 問
987.この地 区 に広 まってい る害悪 は良 い道徳 ・宗教的教育が欠 けてい る ことか ら生 じる とお考 えです か ? ‑ その間題 について は明 らか に そ うだ と考 えて い ます。 ‑‑・これ らの地 区で は しば しば牛攻 め
(bull‑baiting)が な され、鉱夫 た ちはそれ に熱狂 してお り、その牛攻 めを 取 り締 まろう とす る と、暴動 が起 こる始末 です
。(63)」00000000000000000000000
「同様 の初期教育 が動物虐待へ の最善 の予防策 で あ る。動物虐待 は下層 階級 の間 に広 まってい る悪 習 で あ り、小 さい ときに昆虫 い じめや ネ ズ
000
ミ ・猫殺 しで もって は じま り、長 じて は野蛮 なスポー ツ、拳闘 の試合 や 公 開処刑 によって増長 され、多 くの場合 には、 つい には危険 な残虐行為
に まで いた るような悪習 で あ る
。(64)」「しば しば まった く思慮 が ない ことか ら、動物 を虐待 す る こ とが子 ども た ち の あいだ に蔓延 して い る
。その間題 につ いて の多 くの レ ッス ンに よって、 そ してその 目的 のために飼 われ ている犬、猫 、 うさぎ、 あひ る 等々 のペ ッ トをかわ いが る とい う実際 の習慣 を身 につ ける こ とに よっ て、 そ して偶 虫類 に対 す る もの さえ も含 むすべての残虐行為 に対 す る、
教 師 と子 どもた ちの仲間 に よる非難 叱責 を聞 くことによって、動物虐待 を防 ぐこ とがで きるであ ろ う。昆虫 あるい は順 虫類 を殺 す こ と、 あるい は虐待 す る ことはけっ して許 され るべ きで はない
。(65)」こうした血 で染 まる暴 力儀 式 が、 あ る社 会 的 コ ンテ クス トか ら切 り離 さ れ、<教育 >言説 の内部 に組 み込 まれ る と、それ は子 どもた ちの育 ち、子 ども
( 62)Re por
t1835,evidenceofFrancisPlace.(63)Report1835
報告
,evidenceofJohnCorrie.(64)JamesSimpson,oP.cit.,p.22.
(65)Zbid.,p.99. SeeMCCE,1840‑41,p.168.
イデオロギーとしての、あるいは言説としての<教育>をめぐって
19た ちの幼 い ときか らの習慣形成 に よる ものであ り、だか らそれ は矯正可能 で
もあ る、 とされ る
。ところでマル コムス ンによれ ば、庶民 に人気 のあった血 で染 まる暴力儀 式 にたいす る反対 運動 は、1
9世紀 の最初 の
40年間 にその頂 点 に達 し、その ことも力 あって、1
840年代 まで にそのほ とん どは姿 を消 した、
とい うことで ある
(66) 。 この過軽 で噴 出 した、血 で染 まる暴力儀 式 に対 す る批 判 ・反対論 が、道徳 問題 へ と収赦 してい くこ とか らも容易 にみて とれ るよう
に、 その多 くは道徳 的 そ して宗教 的考 えか ら沸 き上が った もので あった。す なわ ち、 その ような気晴 らし ・娯楽 は 「 野蛮 で
(barbarous)」、 「 非人 間的
(in‑human)
」、「 未 開の
(uncivilized)」もので、進歩 と理性 を標梼 す る時代 の啓蒙 的精神 にそ ぐわない もの とされた
(67)。言 うまで もないが、 この ような捉 えか た の背後 には文化 の違 い ともい うべ きものが浮 か び上 が って くる
。す なわち
「 一般庶民 の多 くは動物 との戦 い を生活 の 『自然 的』過程 の生得的部分 として みな していた。他 方、改革者 は自然 の秩 序 内での人 の地位 につ いて まった く 異 なった考 えを抱 いていた。改革者 に とって、人 の道徳 的義務 の全般 的枠組
は生 あ る ものの連鎖 の中 にあるべ きで あった。す なわ ち人 は動物 の世界 を統 治す る力 を生 まれ なが らに授 か ってい る。しか し神 が人 間 の生 を導 くように、
人 はその権威 を従属 す る被創造物 に乱用 して はな らない。権利 と義務 の秩 序 体 系が あ り、物 言わぬ動物 に対 す る人 の義務 は簡単 に無視 され るべ きで はな
い
。(68)」また、啓蒙的精神 にそ ぐわない血 で染 まる暴力儀式 へ の批判 は、 それが社 会 的権威秩 序 を突 き崩 す危 険性 を学 んで い る との主張 か らもな され てい る。
なぜ な らば、 それ は人 を興 奮 の相場 に陥れ、 た んたん とした 日常生活 の秩 序 を捜乱 し、怠惰 、浪費 、そ して賭博 へ と人 を誘 い、そ して ときには騒 々 しO、
(66)RobertW.Malcolmson,op.citリP.119.
(67)
この点に関 しては再度立ち戻 らなければならないが、 労働者階級の生活 を描写 する文章 にはこのような境がち りばめられている。そしてその ことが この時代の 教育学 ・教育方法 といかなる関連 をもっているかは興味ある課題である。
(68)RobertW.Malcolmson,op.cit,p.136.
20 人 文 研 究 第 84 輯
収拾 のつか ない混乱 を招 いたか らで あ る(69)。 まさに市民社会秩 序 とは対極 に 位置 す る もので あったか らで あ る。
収拾 のつか ない混 乱 に一役 買 って いた と名 指 しされた の は酒 で あ る。
「人 と少 しうま くいか ない場 合 には、招待 す るのが習 わ しで あ る。 ビー ル を樽 一杯 、強 い酒 を何本 か買 い込 み、一群 の男女 を家 に形 式上 は夕食 に招 く。 そ して招待 され た人 はそれ ぞれが余興 と酒代 を幾 らか払 う。 彼 らは しば しば飲 めや歌 えの酒 宴 を一晩 中 あ るい は次 の 日まで繰 り広 げ、
下 品 な放 蕩 が な され る。子 どもた ちや若者 が一般 にその酒宴 の一部 に加 わ り、 この習 わ しの不道徳 さはぞ っ とす るほ どシ ョッキ ングで あ る。質 金 はパ ブ リックハ ウスで定期 的 に支払 わ れ、酔 いつぶれ る こ とへ の この 御 招待 を恥知 らず に も許 して しまってい る。(70)」
少 な くとも ここで は 「飲 めや歌 え」 の酒 宴 に含 まれ る、 あ るい はそれ に伴 う三 つ の こ とが示唆 され、非難 ・弾劾 され て い る。 ひ とつ は労働 者 の <群 れ る>あ るい は <集 う>習性 ともい うべ き ものであ る。 なぜ ゆ えに彼 らが <群 れ ><集 う>か の理 由 は まった くとい って よいほ ど書 き手 には理解 で きない が、 それだか らこそ逆 にそれ に対 す る怖 れ、怯 えが昂 じるので あ る。 二 つ 目
(69))bid,p.138.いわず もがなの ことか もしれないが、 こういう批判攻撃の中に、
公然たる階級的偏見が うっか り暴露 して しまっている。「熊いじめ、闘犬などの 問題 を論 じなが ら、人間性 を主張す る資格 もまった くないすべての人 によって、
また鹿撃 ちか らさえも下層階級 は容赦せずに非難 されている。他方、彼 ら(批判 者たち)がお こなう同様の野蛮なスポーツは、自分たちによって徳 とされている。
そして無防備 な動物 に対する乱暴や反逆行為 を、勇敢 なそ して高雅 な行為 に属す るもの として彼 らはおおはしゃぎで語 る.」(Animals'Friend,no.6,1838,p.16
,
quotedinRobertW.Malcolmson, o p.
cit.,p.154.)「残虐行為」の批判者の眼 には、富者のファッショナブルな気晴 らしと貧者の 「残虐」とのあいだには厳然た る差異があると映っていた。
(70)JelingerC.Symons,op.cit.,p.35.
イデオ ロギー としての、 あるいは言説 としての<教育 >をめ ぐって 21
にはその得体 の知れ ない もの に、子 どもや若者が加 わ り、 その ことに よって 彼 らは 「 堕落」への途 に突 き進 んでい く、 とい うこ とであ る
。加 えて酒 を飲 ませ るパ ブで賃金が支払 われ てい る とい う指摘 で あ る。 この ことが また飲 む こ とへ の誘 惑 を断 ち切 る ことを困難 に してい る、 とい う
。結局 この ことはなぜ労働者 らはそ こに引 きつ け られ、寄 り集 まるのか とい う問題 に行 きつ く。既 に述 べた祝祭 を典型 とす る<集 い> とは何 かが違 うの だ ろうか。 <群 れ る>あ るい は<集 う> ことは同時代 の人 々 に とっていった い どの よ うな意味 を もっていたのか。 そ してパ ブ とい うものがそ こにいか に 介在 していた のか。 その ような ことに触 れ る こ とな くして は、解 き明かす こ
との難 しい問題 で あ る
。さて、少 な くとも調査 とい う機会 を除 き、 その場 に足 を踏 み入 れ労働者 と じか に交 わ る ことは まず なか ったで あ ろう<生活 圏 >外 の人 々 は、 これ を ど の ように解釈 したのだ ろ うか。その ような人 々 のなかで もたぶん例外 で あ り、
最良 のイデオ ローグのひ とりケイは言 う
。「 私が話 を した他 の職人 の人 々 は、 胃 と内臓 の感覚 が病 的 に刺激 され、
病気 にかか ってい る
。そのた めに腸 の分泌が狂 ってお り、食欲 が損 なわ れてい る。 この状 態が続 くと、患者 はげっそ りと痩 せ、顔立 ち は鋭 くな り、血色 が悪 くな り、熱帯 の気温 の影響 を こうむってい る人 々 にみて と れ る黄痘色 とな る。力 は衰 え、 肉体 的 に楽 しむ能力 は壊 され、肉体 の育
しみ の発 作 は深 い精 神 的憂 哲 に よって倍加 され る
。ジ ン シ ョップ とタ バ ー ン とい う困窮 と犯罪 の棲 み家 によって誘 われ る、 この病気 の哀 れ な 犠牲者 は、 日々 の労働 に まみれ るに したが い、 きつい酒 によって得 られ るまちが った刺激 によって、苦 しみ を紛 らわ そ う とす るの も不思議 で も なんで もない。 あ るい は倦怠 そ してやす らぎのな さに よってむ さ くる し い家庭 か ら逃 れ るように馬 区られ、惟降 しきった職人 た ちはた え まない放 蕩 の夢 にふ ける こ とで、先見 の明の な さ、窮乏、飢餓 そ して途切 れ る こ
とのない苦役 を思 い出 さない ように と努 め る
。そ うす る ことは弱 くなっ
22 人 文 研 究 第 84
輯
た肉体 の残 りのエ ネル ギー を枯 渇 させ る恐 れの ある ものだが、不思議 で もなんで もない
。(71)」ケイの措 きだす図 はあたか もホガ‑ス措 くところのジ ン横 町 の よ うな もの であ る
。過酷 な労働 に よる疲労 を 「まちが った刺激」 で あ るきつい酒 に よっ て癒 そ う とす る労働者 た ち、 そ して その酒 の世界 に浸 り、酔 いのなかで しか 夢見 る ことので きない安楽 の世界 に自 らの身 を委 ね る労働 者た ち
。帰 るべ き 家庭 に はたぶ ん彼 らの心 と体 を癒 して くれ る もの は何 も待 って はいや しな い。 その狭 くむ さ くる しい、光 のない闇 の世界 で あ る家庭 か らの、 ささやか なひ とときの逃避 の場 こそがパ ブで あった。 資本 の浸透 が緩やか な職場 で は、
月の は じめや給料 日後 の 4、 5日を怠惰 に暮 らし、 その損失 を補 い帳尻 を合 わすた めに過長労働 をす る労働 習慣 が あ り、その緊張 をやわ らげるた めに「 悪 い仲 間」がた む ろす るビア ・ ハ ウスへ と労働 者 はひ きつ け られてい く、 とも指 摘 され てい る( 7 2 ) 0
「 人 間の欲望 の限界 を越 えて あふれ そ して身 を滅 ぼす まで蕩尽 す る多 くの 労働 者階級 の浪費 ・放蕩 ・ ‑t ・ 。経験 あ る工場監督 官 の トレメ ンヒ‑ア
(Hugh Tremenheere)が意気消沈 して言 うには、『 前 の世代 の半分野蛮人 ともい うべ
きマナー は、ほ とん ど一般 的 な広が りをみせ てい る酒 に溺れ る こ と(
sensuaレ ity)‑ と変わ って しまった。』大酒 を飲 む ことが もっ ともしば しば指摘 され る 快楽 で あった。 ( 7
3)」こうして人 々 を泥沼へ と引 きず り込 む、酒 そ して人 の <集 う>場 のパ ブは 最大級 の形容 を もって語 られ る。 いわ く 「 現在 の巨大 な害悪 として大酒 を飲
● ● ● ● ● ● ● ● ●
む こ と‑ 犯 罪 と困 窮 の 発 生 源 ‑ を非 難 す る の に まった く蹟 槽 は な
(71)JamesPhillipsKay,TheMoralandPhysicalCondition・・・・・・,p.26. (72)MCCE,1839140,pp183,185.
(73)Repod ofthecommissiononthestateofthepopulationinminingdistricts
,
Rarliamenta73JPapers,1850,ⅩXiii,pp.578‑587,quotedinPeterBailey,op.cit., p.36.
イデオ ロギー としての、 あるい は言説 として の <教育 >をめ ぐって 23
い
。(74)」 「同時 に (この国 の道徳 的顧 廃 の)第 二 番 目の原 因 は 『 快 楽 に溺 れ る
●●●
●(sensua
l )そ して悪魔 の ような
(devilish)』大酒 のみ
(75)」で あ る とい うように。
モ ラ リス トらはそれが生 み出す恐怖 をあお りたて、悪魔 の ご と く次の よ う に叙述 してい る。
「 報告書 によれ ば、‑‑・ タバ ー ンは下 層階級 の犯罪者 と放蕩者 の寄 り 集 まる場所で あ る。隠 そ う とす る ことの まった くない、 そ こに生 じる 堕落 の光景‑ それ らをはねつ ける力 を まった くもた ない、 それ らの 社会 階層 にタバ ー ンが恥知 らず に も提供 してい る道徳 的堕落 へ の絶 え 間 のない誘惑 の魔 の手‑ 怠 け者 や軽率 な者 を虜 にす る大 きな罪‑ の そそのか し‑ タバ ー ンに日々 の障れ家 を見 つ けた悪漢 によって、 そ こで あ か ら さ ま に教 え られ て い る不 法 な お し え、不 誠 実 な 行 為
‑ ‑‑。必要 なのだ とい う見せか けを とり去 り、高潔 な楽 しみ とい
ooooo0OO 00
うベール をめ くれ ば、 それ は悪徳 の学校
(publicschoolofvice)で あ
0
る
。(76)」「 犯罪 のすべ ての近 因のなかで、飲酒、そ して法律 が許可 してい る飲 む場所 と酒へ の誘惑‑ 大衆 の道徳 と幸せ に とって もっ とも弊害 のあ る‑ が原因 となってい る もの ほ ど恐 ろ し く強力 な ものはない。 この ことについて はなん ら統計 を必要 としない。 どの町 もビアハ ウス とパ ブ リックハ ウスが満 ちあふれ、 その多 くが管理が悪 く、町で はその幾 軒 か は泥棒 、売春婦 そ してば くち打 ちの巣窟 で ある
。‑‑・ 若者 をよび こむた めに売春婦 を雇 うことが それ らの場所 で は常態化 してい る。 こ
●
の種 の大部分 は売春宿 で ある。 すなわ ちそ こで はあ らゆる悪徳 が育 ま
(74)EvidenceofPhilanthropist,AlexanderThompson,quotedinMaryCarpen‑
ter,oP.cit"p.133.
(75)EvidenceofMr.Clay,quotedinMaryCarpenter,oP.cit.,p.137. (76)JamesPhillipsKay,TheMwalandPhysicalCondition
‑・ ・
・,p.59.24 人 文 研 究 第 84
輯
れ、‑ 強盗 が計画 され、‑ 不 品行 が ほ しい ままにされ、堕落 の巣 に盗人が ひ そんでい る。賭博 が一種 の賞金 によって最近奨励 され、評 判 の悪 い種類 のイ ンやパ ブ リックハ ウスが最近法律 の網 の 目をか い く
ぐって建 て られ、 そ こに足 しげ く通 う若 い店員 や ぼんや りした者 の身 を滅 ぼ してい る
。(77)」貧民や犯罪者 が うじゃ うじゃ と寄 り集 まってい る場所 に、 この ような ジン シ ョップ、 タバ ー ン、 ビアハ ウスが最 も多 い ことをモ ラ リス トはけっ して疑 わ ない。 とすれ ば、貧 困 と酒 に まつわ る「 堕落」、 そ して犯罪 と酒 との間 の結 びつ きは明 白 とされ る。法 に触 れ るあ らゆ る行為‑ 泥棒、売春、賭博 な ど
‑ の巣窟、温床 となってい るのがパ ブで あ り、 そ こに足 しげ く通 う若者 は この好餌食 とな り、 この社会 へ の敵対者 へ と育 て られてい く、 とい うわ けで あ る。 ウ イルダース ピン も年少非行 の最大 の原 因 はパ ブであ る、 と糾弾 して 000000000( )0000000000000 0000000 い る。「サタ ンはエ ールハ ウスほ ど自 らの栄誉 がたた え られ、一生懸命崇 め ら
0( 〕000( )00000
れ る寺 院 を持 っていない。‑ どの ような牧 師 とい え ども、 そ この主人 は ど 一生懸命 で はない‑ どの ような信奉者 とい え ども、 そ こに足 しげ く通 う者
ほ ど熱心 で はない
。(78)」ところで なぜ ゆ え人 々 は<集 う>のだ ろ うか。 そ して なぜ ゆ えパ ブが人 々 を魅 了 したのだ ろ うか。 それ はパ ブが労働者 にさまざ まな慰安 を提供 す る と ともに、社会 的 ・経済的機能 を果 た していたか らで あ る。パ ブ は都 市 の貧尽 大衆 に とって、 ごみ ごみ とした汚 い街 や狭 いみす ぼ らしい家 で はなか なか得 る ことので きない暖か さ、光 を提供 した。だか らそ こは自然 と人 が集 う場 で あ り、人 と人 とが結 びっ く場 で もあった。 もち ろんそ こにはいつ も酒 が あっ た。人 が 自然 と寄 り集 まるゆえに、方 向性 を見失 った新参者 と不満 を持 った 人 々 を惹 きつ ける ものであった。「 パ ブは職業紹介所 、賃金 の支払場所 、そ し
(77)Jelinger
C
.Symons,
op.cit.,p.64.(78)SamuelWilderspin,TheInfantSystem.・・
・ ・
・,p.28.イデオロギーとしての、あるいは言説 としての<教育>をめぐって 25
て遍 歴職 人 の寄 港 地 として機 能 して いた 。 ‑ ‑ あ るい は また下 宿 して い る独 身者 に とってパ ブ は家 庭 に もっ と も近 い もの で あ り、彼 は こ こで食 事 を と り、
新 聞 を読 む な ど した。 ‑‑ ・またパ ブで会 合 を開 い た ク ラ ブな どの うち で最 も 顕 著 なの は友 愛 協 会 で あ る。(79)」ハ ンプ シ ヤー の牧 師 は1833年 にあ る労働 者
につ い て 「ビアハ ウス は彼 に とって魅 力 的 な もので した。 ・‑ ‑ビー ル で はな く、 そ こで 出会 う友人 関係 、彼 らが交 わ す談 話 、 それ らの ビアハ ウス にた え ず持 ち込 まれ、読 まれ る、 とる に足 らな い印刷 物 の ゆ えです(80)」 と正 確 に も 指 摘 して い る。 民 衆 の読 む印刷 物 や新 聞 が こ こを拠 点 と して交換 流布 され 、 あ る い はパ ブ で は政 治 談 義 に花 咲 く こ と も あ った こ と は よ く知 られ て い
(79)PeterBailey,oP.cit.,pp.10‑ll.
学校教師 に対 す る給与 の支払 いが以下 の ような方法で な され るの を どの よう に解釈 した らよいのだ ろうか。 この書 き手 は もち ろん教育 の提供者 の視 点か ら
「あって はな らない もの」として描 いてい るのであるが、逆 の視点か らすれ ば「労 働者階級私営学校」と推定 され るこの学校 は、教育 の消費者 た る親 と共 同体 の一 員た る教師 との、きわめて親 しい関係 を基盤 として運営 されていた、とも言 える。
「この学校 の教師 に対 す る給与支払 いの方法 は顕著で特徴的であ る。一種 のク ラブ、それ は生徒 の親以外 の者 をふ くんでいるのだが、毎土曜の晩 にパ ブ リック ハ ウスに集 まる。その際 に酒 を飲 んだ りタバ コを吸 った りして何時間か過 ごした 後、寄付が集 め られ、教師 に手渡 され る。教師 はその仲間の一人で あ り、そのお 金 の一部で寄 付者 に大 いにご馳走 す ることを期待 され る。」 (G.R Porter,LSta‑
tisticalEnquiriesintotheSocialConditionoftheWorkingClasses,andinto theMeansProvidedfortheEducationoftheirChildren',inCentralSoc
i
et
yof Education,secondpublicationof 1838(rep.1968),p.254.)友愛協会や相互扶助 クラブの会合がパ ブで開かれ、そ してその基金が酒代 に充 て られ ることに関 して、批判 が向 けられている。
「共済 クラブ (benefit‑club)へ所属す る習慣 はたいへ ん広範 な広 まりをみせて い る。通常毎月開かれ るこれ らのクラブの集 ま りで は、ひ とりあた り2ペ ンスの お金が クラブの基金の中か らビール代 として使 われ るのが認 め られている。いち どに3分 の1以上 のメ ンバーが出席す ることはけっしてない。出席者 は許 された 額、そ して しば しばそれ以上 の額 を使 う。そ して この習わ しをや めさせ る試 みは いっ ときで も成功 した とい うこ とを聞いていない。 したが って気 だての良 い者 は、‑‑・誘惑 され、そして廻 りの実例 の力で暴飲 の習慣へ と溺れてい きがちであ る。」 (MCCE,1839‑40,p.186,SeeMCCE,1840‑41,pp.142,207.)
(80)Repo71from theSelectCommitteeon theSaleof Beer,Parliamentaり RaPers,1833,ⅩⅤ,p.9(evidenceofRev.RobertWrightofItchin‑Abbas),quoted inRobertW.Malcolmson
,
oP.cit.,p.72.26 人 文 研 究 第 84 輯
る(81)。 こう してパ ブ は仕事 以外 の もっ とも日常 的 な集 い の場 で あ り、共 同体 の一種 の ネ ッ トワー クセ ンター として機 能 して いた。
中産 階級 の視 座 か ら言 えば、人 が <集 い ><群 れ る>パ ブ は、 そ こか ら集 団 的 な力 が産 みだ され る危 険 な場 で あ った。 <集 う> こ とに よって労働 者 は
<数 >か ら生 じる 自信 に よって つ き動 か され る よ うにな り、 それ を階級意識 とはい えな い に して も、集 団的連 帯 感 を育 て る こ とに もな った。したが って、
支配 の及 ば ない場 で の労働 者 の 自律 は、 中産 階級 の拠 って立 つ基盤 を脅 かす 力 を学 んで い る もので あ り、 それ だ けで も危 険 きわ ま りな い もので あ った。
だか ら中産 階級 の論 の方 向性 は、 「堕 落 」防止 策 として法 的規 制 を要求 す る ばか りで な く、 た とえば飲 酒 の害 を防 ぐた め に は、子 ど もた ち に対 して家 計 のや り くりを教 え、衛 生 ・健 康 教育 を施 す必 要性 を とな え るな ど(82)、労働 者 階級 の趣 向、習慣 の形 成 へ とい うお決 ま りの主 張 へ と収 赦 して い く. この よ
うな道徳 環境 主義 ともい うべ き言説 を支 えた もの は、 ひ とつ に は酒 に演 れ る こ とは聖 域 と考 え られ て い た家 族 イ メー ジ とは並 び立 て なか った か らで あ る。 家族 へ と引 き こ も り、 その孤独 を楽 しむ こ とに喜 び を兄 いだ して いた者 に とって、依 然 として寄 り集 う<社 交性 >に しが みつ い てい る こ とは逸脱 以 外 の何 もので もなか った(83)。だ か らその ひ とつ の予 防策 は、 その よ うな <群 れ る> <集 う> とい う人 と人 との関係 を断 ち切 り、 す べ て を 「炉 辺 のやす ら
(81)た とえば急進的出版物 は販売数 よ りもはるか に読者数が多 い ことが知 られて いる。20倍以上 に達す ると言われている。それは作業所、パ ブ、コー ヒールーム な どで読 まれたか らで あ る。労働 者 階級 全 国ユニオ ン(National Union of WorkingClasses)のメンバー は日曜の朝 にベ ンボウの コー ヒー シ ョップで急進 的新聞 を読 み、討論す るために集 まった。ラヴェッ トによれば、ひ とりのパ ブの 主人 は労働者 の顧客 を確保 す るために、一週間に5ポン ドを定期刊行物 の代金 と
して支払 っていた。 (PatriciaHollis,ThePauperPress:A studyinwoyking‑
classyladicalism ofthe1830
S
,oxfordUniversityPress,1970,p.119.SeeJoel H.Wiener,TheWaroftheUnstamped:ThemovementtorepealtheBritish NewspaperTax,1830‑1836,CornellUniversityPress,1969.)(82)MCCE,1840‑41,p.170.
(83)ア リエスの指摘す るように「孤立す ることに幸福 を兄 いだす」近代家族 は18世 紀以後、「社会 とのあいだに距離 をもち始 め、絶 え間な く拡大 してい く個人生宿
イデオロギー としての、あるいは言説 としての<教育 >をめ ぐって
27ぎ」へ と、 そ して家庭 とい う聖域 のなかへ と囲い込 む ことで あった。異雑 な 公 的 な世界 か ら遮 断 された私 的世界 た る家庭 は、俗界 か らの避難場所 であっ た。労働者階級 には閉 じる ことに よる充足感 を感 じる私 的世界 た る家庭 が欠 落 していた、とみな していた中産 階級 の急務 は、それ の代替 を彼 らにあてが っ てや ることであった。 それが家庭 を範 とした学校 で あ り、父母 を範 とした男 女教 師で あった。 この点 について はのち に論 ず る ことにす る。
「793.
労働 者 はその時間 の ほ とん どをその家族 とで はな くタヴ ァ‑ ン やパ ブ リックハ ウスで過 ご しま した か ? ‑ 晩 にパ ブ リックハ ウス
パー ラー に行 くことは、 そ う呼 ばれていた慎 み深 い職人 の ほ とん ど一般 的 な習慣 で あ りました。 そ してほ とん どが そ こで食事 を しました。 それ らのハ ウスの多 くで は富 くじクラブやパ ンチ クラブが あ りました。 その ような習慣 はその ほ とん どの メンバ ーの破滅 の もとで した。 ・ ‑‑
795.