絆の日、争いの日:英国南西部のパッドストー五月 木馬祭
著者 ギル, トム
雑誌名 明治学院大学国際学部付属研究所研究所年報 =
Annual report of the Institute for International Studies
巻 22
ページ 57‑66
発行年 2019‑10‑01
その他のタイトル Day of Harmony, Day of Strife: The Padstow
Obby Oss Festival in Southwest England
URL http://hdl.handle.net/10723/00003776
絆の日、争いの日:英国南西部のパッドストー五月木馬祭
ト ム・ギ ル
要旨
五月一日は世界的に祭の日である。19 世紀の末から「国際労働者の祭り」となっているが、
そのずっと前、異教時代からヨーロッパの各地で肥沃祭として祝っていた。祭の日は吉兆な日で 村や町は共同体の絆を祝う機会であると同時に暴力・喧嘩の日にもなることがある。日本各地の 喧嘩祭もそうであるが、英国にも興味深い事例がある。主にコーンウォール州の「パッドストー 木馬祭」に着目して、祭の問題性を探る。
前書:五月一日、「難しい日」
今現在「メーデー」というと「国際労働者の祭」(International Workers’ Day)が頭に浮かんで くるだろうが、これは元々1886 年、アメリカの一日8 時間労働(Eight-hour Day Movement)の アメリカ全国一日総合ストライキが五月一日(土曜日)に呼び掛けられ、共産党の第2国際総会
(Second International, 1889 年)が五月一日を「国際労働運動の日」と定めて、現在は世界中で そのような意味を持つことになっている1。ところで、本日のプレゼンで取り上げるメーデーは 英国の異教時代からあった肥沃祭である。関係ないように見えるだろうが、この二つの祭(肥 沃・労働)が同じ日に当たるのは単なる偶然だとは思えない。まず共通点の一つは「労働をしな い日」であるということだ。
英国の年間行事サイクル
英国の伝統的な祭の多くは季節のサイクルの節目に当たる。それは春と秋の彼岸(equinoxes)
と至点(solstices)、であり、‘quarter days’と呼ぶ。彼岸と至点の間の真ん中の日は‘cross-
quarter days’と呼ぶ。
表1 イギリスにおける季節の節目
日付 キリスト教名 キリスト教以前
の名義 日本語名 注
2/3~4 Cross-quarter day: Candlemas Imbolc
(ケルト語)
立春(節分) 初春
3/20~21 Spring equinox: Lady Day Ostara( 旧 ド イ ツ語、Easter と 同じ語源)
春分(お彼岸、春 分点)
春の頂点
5/4~5 Cross-quarter day: May Day;
(In central Europe: Walpurgis)
Beltane
(ケルト語)
立夏 初夏
6/20~21 Midsummer: Saint John’s Day Midsummer 夏至 夏の頂点
8/7 Cross-quarter day: Lammas Lughnasadh
(ケルト語)
立秋 初秋
9/22~23 Autumn equinox: Michaelmas Mabon
(ケルト語?)
秋分 秋の頂点 11/6~7 Cross-quarter day: All Souls Day,
All Hallows Day, Halloween, Guy Fawkes Night
Samhain
(ケルト語)
立冬 初冬
12/21~22 Winter solstice: Christmas, New Year
Yule
(ノース語)
冬 至 ( 歳 暮 、 正 月)
冬の頂点
表の通り、分点と至点は季節の真ん中を指し、その間のクロスクオーターデーは季節の始まり を指す。キリスト教以前の冬至祭はキリストのミサ、つまりクリスマスになったのは有名な話だ が、同様にキリスト教以前にあったケルト宗教のクオーターデー祭もキリスト教化された。イン ボルク(立春)はカンドルマス(「ろうそくのミサ」)になり、ラグナサッドはラマスになり、そ してサメーン(立冬)はオールセインツデー、もしくはオールハローズデー(諸聖人の日)にな り、その前夜(eve)はハロウィンとなり現在に至る。
ところで、唯一キリスト教化されていないのは初夏祭、ベルテーン(立夏)である。これは現 在のメーデーで、キリスト教のカレンダーに入っていない。 そこでベルテーンとメーデーの関 係性に注目したい。
英国の古代祭の有名な学者、ロナルド・ハットン(Hutton 1996)によると「ベルテーン」2の一 番古い記録は紀元900年で、その意味は「吉兆な火」である。スコットランドのドルイド教の祭 司が二つの大型焚火を作り、農民の家畜をその間に走らせながら、家畜を夏場の病気から守るた め、清める呪文を唱える(Hutton 1996: 218)。スコットランドではこの焚火の習慣が 19 世紀の 半ばまで残った(同 222)。ベルテーンにはこういう防御的な様子があるが、メーデーはむしろ 寒い季節が終わり、夏が始まるというお祝いの色が強い。ハットンによるとこれがベルテーンと メーデーの間の一番大きな違いである。「ベルテーン」の語源は不明だが、Bel は「火」もしく は「太陽」の意味という説があり、「ベルテーン」は太陽神崇拝と見なす学者がいる(Kinsman 1997 [1931: 11-12])。
ベルテーン・メーデーに一番近いキリスト教祭はイースター(復活祭)で、そのフォーカスは キリストの死と復活を大自然における冬の後の生命復活で象徴するとされる。しかし厳密に言う とイースターは春祭であるのに対しメーデーは初夏祭である。イースターは太陰暦で決まり、早 ければ3月22日、遅くても4月25日に行われる3。
多くの英国の市町村ではこのメーデー祭とキリスト教の間の緊張感はとっくに希薄化している。
村の教会の前で子どもと大人がメイポール(五月柱:花・リボンなどで飾った棒、写真 1)の周 囲で踊って、「これは実はペーガン(pagan、異教、キリスト教以前の信念)とかヒーザン
(heathen、野蛮)な祭事でメイポールは巨大なペニスを意味する」と誰か言っても、それは冗 談を交えた基調である。ところがイギリスの南西部のある地域ではそのキリスト教との対立はも っとはっきりしている。
英 国 最 南 西 部 の 郡 で あ る コ ー ン ウ ォ ー ル
(Cornwall)は権力の中心であるロンドン、英国教
会の両本部であるカンタベリー市とヨーク市からも 遠い、言ってみればイングランドの周辺的な地域で ある。むしろブリストル海峡の北にあるウェールズ、
ドーバー海峡の南にあるフランス北部のブルターニュ に物理的に、そしてある程度概念的に近い地域であ る。特にコーンウォールは独自の文化・ケルト系言
語(Kernewekケルネウェク語)があり、独立運動も
ある。コーンウォールは「ケルト六カ国」4の一つであると誇りをもって指摘する人が多い。デヴ ォンとサマーセットはコーンウォールほどではないが、微妙にイングランドの文化(それもアン グロ・サクソン・ノルマン、ノース等々から出来ているのは言うまでもなく)とケルト文化を交 えている独特なアイデンティティを持つ。 コーンウォールには二つの有名な五月祭が昔から残 っている。(ただし、その「昔」は「数千年」とよく言われるが、証明されているのは18世紀の 末あたりまでであり、その前となると学者の意見は一致していない。)それはパッドストー木馬 祭(Padstow Obby Oss)とヘルストンファーリーダンス(Helston Furry Dance)である。前者は5 月1日、後者はちょうどその一週間後の5月8日に行われる。その日が日曜日の場合、2日と9 日にそれぞれ一日延期される。厳密に言うと初夏のクロスクオーターデーは5月4日・5日なの で、その前後となっている。
木馬(Hobby horses)
多くの英国人にこの言葉の意味を尋ねたら、「子供の玩具」だと答えるだろう。子供が遊びに 使う木馬は大体簡単なもので、場合によっては木の棒に可愛い馬の頭が付いているだけである。
ところが、メーデーやクリスマスの祭りで出る木馬は全然違う。さまざまなデザインがあるが、
大体大人の男は入れるぐらい大きな、木と帆布でできた機械である(Alford 1939, 1968; Cawte
1978; Pennick 1999)。メーデー祭のとき、木馬は町中暴れ、町民たちに襲いかかる。募金を求め
る場合があり、募金に応じてくれない人を苛め、強奪に近い場合さえある。また木馬が女性に触 れたら、それは「ラッキー」だとされるが、この「ラッキー」(lucky)という言葉は単なる「縁 起がいい」という意味ではなく、「妊娠する」という特殊な意味もあり、木馬に触られた女性は 次のメーデーまでに妊娠すると言われる。なかなか子供ができない主婦は木馬の触りを歓迎する が、未婚の乙女は必死に逃げる。現在こういった木馬は二つしか残っていない。それはコーンウ ォール郡パッドストー市(5月1日)とサマーセット郡マインヘッド市(5月1日~3日)であ る。
写真1 メイポール
パッドストー木馬祭りの伝統
パッドストーはコーンウォール北部の小さな 町だが、その五月祭は大変有名である。英語で はパッドストーの木馬は hobby horse ではなく、
obby ossという地方訛りで知られ、木馬で遊ぶ
のはossingである(Peter 1913)。
パートI:前夜の歌(night singing)
祭は 4月30日の夜から始まる。大きな群衆 は「ゴールデン・ライオン」というパブの前に
集まり、零時を待つ。零時の鐘が鳴ったら、パブのマスター(長年アレック・リッカードという 方であり、現在彼の息子マーティンである)に向かって歌を歌う。この歌は morning song(「朝 の歌」)と呼ばれ、「起きろ」というテーマなので、昔は夜の零時ではなく、夜明けに歌われたと いう説が有力。
Rise up, Martin Rickard, and joy to you betide, For summer is a-come unto day,
And bright is your bride that lies down by your side In the merry morning of May
起きろ、アラン・リッカード!幸せの便り 本日は夏が来た5
隣で寝る新婦は素敵だ この五月の楽しい朝
歌に応じ、リッカード氏は2階の窓から顔を出して、手を振ったり、参加者と冗談を交わした りする。歌を10分ぐらい歌ってから、群衆が出発して、町の道を2時間ほど歩き回る。ところ どころで人の家の前で止まり、同じ歌曲を様々な歌詞で歌う。歌詞は家の人の身分や人格に合わ せる。たとえば裕福な夫人の家なら:
Arise, up Mrs…., and gold be your ring.
For summer is comen to-day;
And give us a cup of ale, the merrier we shall sing In the merry morning of May.
起きろ、X夫人、指輪は金だ 本日は夏が来た
ビールくれればもっと元気で歌うよ この五月の楽しい朝
若い未婚の美人なら:
'Arise up, Miss Y, all in your smock of silk, For summer is comen to-day;
And all your body under as white as any milk.
In the merry morning of May.
起きろ、Y姉さん、絹布のスモックで 本日は夏が来た
その下にある肉体はミルクのように真っ白で この五月の楽しい朝
さて、このモーニング・ソングを誰の家の前で歌うか。それを決めるのはナイトシンガーのリ ーダー。近年ブルーム氏というがっちりした、背が高い男が担当しているけど、わりと最近母親 ジーンから後を継いだ職である。寄るところは大体決まっていて、例えばあるお婆ちゃんは毎年 一時ごろ紅茶とお菓子を配り、あるパブでビールを奢ってくれる。でもコースは多少バリエーシ ョンがある。リーダーの友達の家の前で下品なセリフを歌う。去年飲物をくれなかった人は今年、
パス。歌のセリフを調整して皮肉・風刺を含む。ほとんど害のない冗談だが、苛め・差別・村八 分の可能性は完全に否定できない。
パートⅡ 一日の朝:木馬の出番
夜の歌が終わればパッドストー人は数時間仮眠する。朝7時から青馬(Blue Ribbon Oss)がパ ッドストー・インスティチュートから出る。その一時間後、赤馬(Red Ribbon Oss)が「ゴール デン・ライオン」パブから出る。青馬が赤馬より少し早く起きるのは鉄則である。群衆の期待感 が頂点になった瞬間、黒いモンスターが爆発的な勢いで馬小屋から飛び出る。群衆はみんな朝の 歌の最初の節を歌う:
Unite and unite and let us all unite, For summer is acome unto day
And whither we are going we all will unite In the merry morning of May
一体化、一体化、みんな一体化 本日は夏が来たから
どこに行っても同じ一体よ6 この五月の楽しい朝
「馬」と言っても、本当の馬とあまり似ていない。「青馬」と「赤馬」は実際、両方はほとん ど黒であり、頭に付いているリボンなどの飾りで見極める(写真 2・3)。胴体は直径2メートル の黒い横型円盤で、その真ん中に操る人の頭が出る穴がある。操縦人は黒い円錐な帽子を被る。
それは馬の頭で、頭には恐ろしい顔が描かれ、羊毛で出来た 髭や眉毛も付いている(写真 4)。操縦人の顔は完全に隠れて いるが、二つののぞき穴から前が見える。円盤からぶら下が る黒い帆布の「スカート」により、操縦人の下半身・足も隠 れている。円盤の前に細長い「くび」が付いていて、その天 辺に鳥の嘴と似ている口部がある。操縦人が紐を引っ張ると 口が開閉して、ガタガタと音がする。これで人を掴む、ある いはその音で子供を驚かせる。後ろに可愛い馬の尻尾が付い ている。
馬の動きは独特である。ぐるぐる回ったり、上下したり、
横円盤がほとんど縦になったりしながら前へ進む。操縦人が 円盤を回せるから、頭と胴体が違う方向に動くことがある。
普段は音楽の歌曲に沿って進むが、突然女性や子供に襲いかか 写真4
写真2 赤馬 写真3 青馬
ることもある。コミカルなのか、本当に恐ろしいか。その境界線を狙うのは操縦人の仕事である。
女性に触れるとその女性が「ラッキー」(妊娠)になるとされる。昔、馬のスカートはタールで 塗られていたから、人が触ると触ったところが黒くなり、「ラッキー」だと一目で分かった。極 端な場合、馬が女性をスカートの中に引っ張り込むことさえあり、その場合は絶対に「ラッキー」
になる、とされる。
馬の前を司会者(Master of Ceremonies)が歩く。彼は正式なスーツにトップハットを被り、儀 式的な土鉾を持つ。司会者はルートを決める。大体伝統で決まっているが、「今回はちょっとこ の横道行こうかな」という気まぐれもある。木馬と一緒に歩くのはティーザー(the teazer)であ
る。Tease は「からかう」という意味で、teaser は「思わせぶりな女」という意味もある。この
ティーザーが木馬と踊りながら、馬の興奮を煽る。棍棒を振り回し、木馬を誘導する。踊りの雰 囲気と闘牛を赤布で煽る闘牛士の雰囲気が微妙に混ざっている。気取った、足を高く上げる歩き 方も独特である。
ティーザーの棍棒は興味深い(写真 5)。約 50 センチの木の棒に枕のようなものが付いて いる。それにコーンウォールの紋(赤い盾に 15 個の白い丸)が描いてあり。コーンウォー ルのモットー、“one and all”(「一人と皆)、そ して不思議な文字“O.B.”もある7。
木馬の後を音楽隊が行進する。楽器はドラ ムとアコーディオンだけである。前夜の「朝 の歌」と交えて「昼の歌」を歌う。朝の歌は 元気のよい歌曲なのに対し、「昼の歌」は悲し い。音楽隊が朝の歌から昼の歌に切り替える と、馬が「死ぬ」。動きが止まり、地面に崩れ
る。ティーザーは寂しそうにしゃがみ、棍棒をゆっくり左右に振る。1 分ぐらいで、音楽隊が朝 の歌に戻り、馬が回復して、立ち上がる。悲しいムードは直ぐ消えて、楽しい行進が続く。メー デーはキリスト教の復活祭と昇天祭の間だから、馬の復活をキリストの復活と関連つけて、両方 は大自然が冬の後で生き返ることを象徴する儀礼と見なす学者はもちろん大勢いる。一方、重た い木馬を運んでいる方には、定期的に1分ほど「死ぬ」ことはありがたい休みの機会である。約 20 分ごと、木馬の運び屋とティーザーは両方とも別な人に交代する。司会者だけは変わらない。
そこで、もう一つの大事な仕事がある。それは、交代係(著者が知っている限り、正式な肩書 はない)。次に誰が馬を運ぶか、誰をからかうか、決める人である。11 時間で約 15 分交代だか ら、約 50 人が運ぶ。やりたい人がもっとたくさんいるから、次はだれの番なのか決めるのが難 しい。権力のある仕事に聞こえるが、聞いたところやりたい人はあまりいない。全員に番が回る のが不可能だから、交代が必ず人々に嫌われてしまう。
進行を見送る群衆は歌を歌うのとは別に「オス、オス、ウイーオス」(oss, oss, wee oss)と言 う。その wee の意味にはたくさんの説があり、ケルト語で「おいで」である、馬がヒヒーンと
写真5
いななく音を真似する等である(Rawe 1999: 20)。それはともかくそうして木馬を呼び込むこと で、やってきたオスと踊ったり触ったりして縁起をよくするのが目的である。
町外れにプリドー・プレース(Prideaux Place)という豪邸がある。そこに住むプリドー一族は 16世紀の中頃からパッドストーに君臨してきた貴族である(Miles Brown 2006 [1964]: 55-56)。 木馬は必ずプリドー・プレースに行き、君主に「餌」(ビール、お菓子)をもらう。町に英国教 会、メソジスト、カソリックの3教会があるが、伝統によって木馬は教会を避ける。
夕方まで青馬と赤馬は全く別行動だが、日が暮れるころ、町の中心にある広場で出会う。そこ に 10 メートルほどのメイポールが綺麗に飾ってあり、木馬はその回りを踊る。このスタイルは 特に決まっていなく、フレンドリーにする場合もあれば、アッグレシッブな場合もある。
これで祭が終わり、すでにかなり酔っている町民の多くはパブに行き、夕飯を食べてビールを 飲む。
赤馬と青馬
上に近年の木馬祭の一般的な描写をしたが、実際に肉眼で見た 2010 年の祭には二つの大きな 相違点があった。(1)青い木馬は教会一軒に入って、潜った、(2)2 頭の木馬はメイポールで一 緒に踊らなかった。28 年ぶりの出来事であった8。その原因は大体赤馬派と青馬派の間の派閥争 いというか、ちょっとした宿恨というか、とにかく両派の間の不具合、にある。
赤い木馬の正式な名前はold original oss(古い本物の馬)である。昔、別な木馬もあったとい う伝説があるが、現在の青い木馬は赤馬ほど古くないのは誰も否定しない。青馬は 19 世紀の末 に、対抗馬として作られた。当時青いリボンには「禁酒」の意味があり、酒を飲まない約束
(the pledge)をした人が青いリボンを服につけることになっていた。1880 年代、パッドストー
にWilliam‘Bluey’Englandという人物がいた。彼は木馬祭の酔っぱらいを問題視していて、「素
面な木馬」として青馬を作った(Rawe 1999: 19)。そのあと何回も変化があり、たとえば 1912 年には3つの木馬が出たという(同)。また第1次世界大戦まで青馬はTemperance Oss(禁酒馬)
と呼ばれていたが、戦争が終わったら、終戦祝いという意味で Peace Oss(平和馬)に名前が変 わった。
現在、青馬の支持者も普通に酒を飲む。しかし青馬が赤馬を批判するために作られたような歴 史もあり、青馬と赤馬はもとよりあまり仲良くない。青馬派は酒を飲むようにはなったが、赤馬 派と同じパブで飲むことはない。両馬のチーム構成、組織、原則などには何点かの大きな違いが あり、町は実質的に二つの派閥に分かれている。この意味で5月1日は和の日でありながら争い の日でもある。ある意味では、二つのプロ・サッカー・チームがある都市と似ている。例えばリ バプール市にはリバープールFC(赤)とエバートンFC(青)があり、マンチェスターにはマン チェスター・ユナイテッド FC(赤)とマンチェスター・シティーFC(青)があり、両都市の青 派と赤派の相互関係は冗談を交えた楽しいライバル関係と本気の宿恨の間のグレー・ゾーンにあ る。同じ家庭に青と赤の所属者が両方いるのは珍しくない。パッドストーは小さな町でプロ・サ ッカー・チームはないが、熱心さでは青馬と赤馬の支持者は決して大物サッカーチームのファン に負けていない。やはり、「フーリガン」のような存在もある。
さて、青馬派と赤馬派の特徴を簡単に整理しておこう。
赤馬と青馬の組織
赤馬派は封建主義、青馬派は民主主義。青馬の司会者は毎年、真冬に行われる会議で投票を行 い決められる。しかし赤馬の司会者は終身の仕事である。よって、青馬の司会者を経験した人は たくさんい る が、赤馬の 司 会者は数十 年 間変わらな い 。2008 年ま でコブラー ・ ロバーツ
(Cobbler Roberts9)が赤馬司会者だったが、死にそうになった 2008 年にマシュー・チャウン
(Matthew Chown)を後継者として指名した。チャウン氏はまだ 30 代だから、半世紀でも司会 者を続ける可能性がある。
青馬派は割合男女平等、赤馬派は男尊女卑の色が濃い。女性が木馬を運ばないのは共通点だが、
青馬派には女性の司会者は何回かあった。赤馬派の会議場に女性は立ち入り禁止である。
赤馬派は閉鎖的、青馬派はオープン。誰でも青馬派の総会に出られるし、だれでも運営委員会 に選出される可能性がある。しかし赤馬派は 5~6 家族がずっと入っていて、その家族ではない 人はなかなか入れない。中心的な家族はベート一族(the Bates)とマッカウワン一族(the McCowans)である。赤馬を運ぶのはベート一族の人で、からかうティーザーはマッカウワン一 族の人である。ただし、こうするとメンバーが少ないという問題があり、コブラー・ロバーツが ロンドンなどから民俗学に興味あるプロ・セミプロの音楽者を数名取り入れ、準会員にした。最 近赤馬の音楽隊に女性が見られることも人数減を止める対策だと聞いた。
青馬派は慈善活動をする、赤馬派はしない。祭の日、木馬は両方募金を集めて木馬の修理や会 議場の費用に充てる。残ったお金は赤馬派は自分たちで分けて遊び金にするが、青馬派はその金 を恵まれない子供や救命艇にカンパする。近年、赤馬派が批判されているから、募金の金をすべ て新しい馬小屋の建設費に使っていると聞いた。実際、ゴールデン・ライオンの裏に立派な新設 木馬小屋が見られる10。
青と赤の関係は 2009 年まで割と穏やかだったのは大いに一人の男のおかげだった。それはア レック・リッカード氏である。彼は生まれ育ちから青馬派で、70 年代には青馬の司会者も務め た。その時、赤馬派と交渉し、友好のシンボルとして両馬がメイポールで一緒に踊る同意を取っ た。ところがそれは一回だけで終わり、相当動揺があった。1952 年に木馬同士の踊りが記録さ れていて、リッカードが司会者を務めた時はそれ以来20年ぶりだった。そのあと1981年まで記 録はない。その年、青馬派のアレック・リッカードはまた動き出して、ゴールデン・ライオンの パブをビール生産社から購入した。これは前例なしの出来事だった。ゴールデン・ライオンは赤 馬の本拠地なのに、青馬の中心人物がマスターになった。反対の声が大いにあったが、リッカー ドがそれを押し切って、個人の人格力で派閥争いを静め、引退年齢までゴールデン・ライオンの 主人を務めて、息子に後を継いでもらった。リッカードの影響で、2009 年まで両馬が割と仲良 くなり、毎年一緒にメイポールで踊っていた。それだけではない。青馬のチームが赤馬を運ぶ、
赤馬チームが青馬を運ぶという馬交換も行うようになった、総合的なメッセージは「五月祭は戦 争ではなく、楽しい遊び・町の共同体の団結を表現するものである」、そういうものだった。
そこで、2009 年5月1日の出来事。その年、赤馬の司会者は初めて若い、怒りやすい(とさ
れる)マーティン・チャウンになった。当時コブラー・ロバーツはまだ健在だったが家で静養し ていた。チャウンは相当無礼で青馬派にヤジを飛ばしたりしたあげく、夕方の両馬踊り・馬交換 のとき、わざと意地の悪い小僧を青馬の運び屋として指名し、その小僧が荒っぽい踊りで相当青 馬の機体に害を与えた。すると青馬派の人は途中で踊りを取り止め、スクラム状態になりやっと 青馬を取り返した。
その背景もあり 2010 年の祭に両馬が一緒に踊るかどうか、パッドストーの町民はかなり注目 していた。午後6時になって、赤馬が広場に現れ、大群衆に巻き込まれ、メイポールのまわりを 踊り始めた。約 15 分後、斜面のきつい広場の麓に青馬派の司会者、ブライアン・ハリスのトッ プハットが現れ、一瞬上がってくるように見えたが、方向を調整して広場を通り過ぎた。赤馬派 のメンバーが「根性のない青馬派」を貶して一頭で踊り続けた。結局この日、両馬は会うことは なかった。
単なる根性の無さではなかったと青馬派は主張する。祭は楽しいお祝いであり、赤馬派が喧嘩 の機会にするのはそもそも祭の存在意義を勘違いしている。メイポールで会うと必ず喧嘩になる、
喧嘩を避けるのは「臆病」ではなく、「成熟」である、と。(青馬派の話を聞くと彼らが大人の兄 貴で赤馬派はヤンチャな弟という感じだが、実際は逆に赤馬の方がずっと古い。)それにもう一 つの 2010 年の祭の説があった。青馬派の司会者、ブライアン・ハリスの義理の父親は赤馬派の 中心人物で、コブラー・ロバーツが死にそうになったとき、後継ぎを狙っていた。彼が選ばれた ら、「司会者は終身」という制度を直して、青馬派のような民主主義にする予定だった。ところ がコブラー氏が選んだのは彼ではなく、青馬派に嫌われるチャウン氏だった。その仕返しとして、
メイポールの踊りを拒否した――という説である。
結び
「ただの遊び」なのか、それとも「本気の宿恨」か。前者だという人が多いが、青赤結婚はか なり珍しいということもある。パッドストーの社会の青と赤の意味を探るには、木馬祭と別な行 事を三つ見る必要があろう。それは(1)木馬祭前夜の「夜の歌」(night singing)、(2)12月のク リスマス前に行われるパッドストーの独特なクリスマス・キャロル(Padstow Carols)、(3)12月 26 日に行われる「くろんぼの日」(Darkie Day)である。夜の歌に参加するのは主に赤馬派。パ ッドストー・キャロルの参加者はもっぱら青馬派。最近「黒人差別」として批判されるくろんぼ の日はもっぱら赤馬派が参加する。こう見るとやはり木馬祭の派閥は「ただの遊び」ではない。
「本気の宿恨」は言い過ぎではあるだろうが、「真剣な遊び」だと言えそうである。
<注>
1 その三日間後の5月4日、シカゴ市のヘイマーケット広場で大型労働者のデモ隊が暴動を起こし、警官7名を含む11 名の死者が出てしまい、4名の無政府主義者がのち処刑された(1886 Haymarket Riot)。その8年後の1894年オハイオ 州クリーブランド市に 5月1 日暴動がおこり、1919年にもクリーブランド市に暴動があり、2人死んだ(Tassel and
Grabowski)。こうした歴史があり、欧米では5月1日が「労働者の日」「社会主義・無政府主義の日」「反体制の日」と
定着した。
2 Beltane, Beltain, Beltaine, Bealtaine, Bealltainn, Boaltinn, Boaldyn等と綴りは様々。
3 西洋キリスト教の場合、東洋キリスト教とは違う暦を使うため、4月4日と5月8日の間になる。
4 それはEire, Cymru, Alba, Breizh, Mannin, Kernow(アイルランド、 ウェールズ、 スコットランド、 ブルターニュ、 マン
島、コーンウォール)である。
5 このセリフに論点がある。文字通りならsummer is a-come unto dayは「夏は日に来た」で、意味不明。元々 summer is a-
comen to-dayというほとんど同じセリフで、意味は「本日、夏が来た」ではないかと信じる人が多い。でもそれを絶対
に認めない人もいて、こうして些細な詳細までこの祭は激しく論じられる。夜明けで歌った時代は「夏(の日)は日光 になった」と言われる。
6 パッドストーは長い移民の歴史があり、鉱山業関係でオーストラリア、アメリカの西部、南アフリカに住むパッドスト ー人が多い。クリスマスは無理でも、メーデーは里帰りをする人が多い。彼らの「どこに行っても、同じ一体」という セリフは特に感動的である。
7 歴史的な人物のイニシャルという説があるが、単なる「オ・ビー」つまりobby oss の「オビ」と言う可能性もあろう。
8 イアン・ドー(Ian Dawe)、青馬派、とのインタビュー、2010年4月30日。
9 本名Peter Roberts. 2008年9月19日没。66歳。http://www.thisisannouncements.co.uk/5484504?s_source=clsw_tiwd 10 その費用の一部はパッドストーに住む有名なテレビ料理人、リック・スタイン氏(Rick Stein)からのカンパで払ったと
聞いた。リック・スタインは木馬祭に次ぐパッドストーの2番目な有名人である。
<参考文献>
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