個
人
研
究
日
並
四
皇
子
倭
国
王
の
宗
教
的
藤
平
林
章
仁
は
じ
め
に
﹃ 日 本 書 紀 ﹄ 欽 明 天 皇 十 三 年 ︵ 五 五 二 ︶ 十 月 条 に は 、 百 済 の 聖 明 王 が 西 部 姫 氏 達 率 怒 斯 致 契 ら を 派 遣 し て ﹁ 釋 佛 金 銅 像 一 軀 ・ 幡 蓋 若 干 ・ 經 論 若 干 。 ﹂ を 献 じ 、 別 に 表 を 添 え て そ れ を 礼 拝 、 信 仰 す る こ と の 功 徳 を 述 べ た と あ る 。 周 知 の 仏 教 伝 で あ る が 、 こ れ に 関 し て 倭 国 で は 、 天 皇 は ﹁ 喜 踊 躍 ﹂ し 、 未 だ か つ て ﹁ 如 是 微 妙 之 法 ﹂ は 聞 い た こ と は な い が ﹁ 然 朕 不 自 決 ﹂ の で 、 群 臣 に ﹁ 西 蕃 佛 相 貌 端 嚴 。 全 未 曾 有 。 可 禮 以 不 。 ﹂ と 、 そ の 信 仰 受 容 の 可 否 を 諮 問 し た と い う 。 結 果 、 蘇 我 大 臣 稲 目 宿 は ﹁ 西 蕃 諸 國 、 一 皆 禮 之 。 豐 秋 日 本 、 豈 獨 背 也 。 ﹂ と 賛 意 を 表 し た の に 対 し 、 物 部 大 連 尾 輿 ・ 中 臣 連 鎌 子 は ﹁ 我 國 家 之 王 天 下 者 、 恆 以 天 地 稷 百 八 十 神 、 春 夏 秋 冬 、 祭 爲 事 。 方 今 改 蕃 神 、 恐 致 國 神 之 怒 。 ﹂ と し て 反 対 し た 。 そ こ で 試 み に 蘇 我 大 臣 稲 目 宿 に 授 け 礼 拝 さ せ る と い う 折 衷 的 対 応 を し た と こ ろ 、 反 対 す る 物 部 大 連 尾 輿 ・ 中 臣 連 鎌 子 は 国 内 の 疫 気 流 行 の 原 因 は 仏 教 受 容 に あ る と 主 張 、 そ れ を 受 け 入 れ た 天 皇 は ﹁ 佛 像 、 流 棄 難 波 堀 江 。 復 火 於 伽 藍 。 ﹂ こ と を 認 め た と い う 。 す な わ ち 、 倭 国 の 王 権 内 部 で 仏 教 信 仰 の 受 容 可 否 を め ぐ り 群 臣 の 間 で 大 き な 軋 轢 が 生 起 し 、 欽 明 天 皇 自 身 が 仏 教 信 仰 を 受 容 す る こ と は も ち ろ ん 、 そ の 取 り 扱 い に つ い て 倭 国 王 権 と し て の 基 本 方 針 を 決 定 で き な か っ た と 伝 え る が 、 物 部 大 連 尾 輿 ・ 中 臣 連 鎌 子 が 反 対 し て い る の は ﹁ 我 國 家 之 王 天 下 ﹂ の 仏 教 信 仰 受 容 で あ る 点 は 留 意 し て お く 必 要 が あ る 。 一 四 〇 日 並 四 皇 子右 は 既 に 悉 く に 論 じ 尽 く さ れ た か と 目 さ れ る 所 伝 で あ る が 、 後 述 す る よ う に 問 題 の 全 て が 明 ら か に な っ て い る わ け で は な く 、 残 さ れ た 課 題 も 存 在 す る 。 ま ず 問 題 は 、 こ の ﹃ 日 本 書 紀 ﹄ ︵ 以 下 、 ﹃ 紀 ﹄ ︶ 仏 教 伝 記 事 な ど が 、 七 〇 三 年 十 月 に 唐 ・ 長 安 の 西 明 寺 で 義 浄 が 訳 出 し た ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ に よ り 文 飾 さ れ て い る こ と が 早 く か ら 指 摘 さ れ て い る こ と で あ る1 ︶ 。 そ の こ と に 留 ま ら ず 、 ﹃ 紀 ﹄ に お け る 初 期 の 仏 教 関 連 記 事 、 す な わ ち 右 を は じ め 、 敏 達 天 皇 紀 十 三 年 是 歳 条 ・ 同 十 四 年 二 、 三 、 六 月 条 ・ 用 明 天 皇 紀 二 年 四 月 条 な ど の 蘇 我 ・ 物 部 両 氏 に よ る 崇 仏 ・ 廃 仏 を め ぐ る 抗 争 記 事 も 、 五 一 九 年 に 皎 の 述 し た ﹃ 梁 高 僧 伝 ﹄ ︵ ﹃ 大 正 新 脩 大 蔵 経 ﹄ 第 五 〇 ︶ の 竺 仏 図 澄 伝 や 、 六 六 八 年 に 道 世 が 三 蔵 の 故 事 を 解 説 し た ﹃ 法 苑 珠 林 ﹄ ︵ ﹃ 大 正 新 脩 大 蔵 経 ﹄ 第 五 三 ︶ な ど 、 類 書 に 典 拠 を 求 め て 述 作 さ れ た こ と も 明 ら か に さ れ た2 ︶ 。 こ う し た 指 摘 は ﹃ 紀 ﹄ に お け る 六 世 紀 以 降 の 記 事 全 体 の 信 憑 性 に も 関 わ る が 、 こ れ ら に 関 す る 私 見 は 先 に 触 れ た3 ︶ の で 割 愛 す る 。 結 論 的 に 述 べ る な ら ば 、 仏 教 伝 記 事 は ﹃ 金 光 明 最 勝 王 経 ﹄ や ﹃ 梁 高 僧 伝 ﹄ 竺 仏 図 澄 伝 な ど で 潤 色 さ れ て い る こ と は 確 か で あ る が 、 六 世 紀 以 降 の 倭 ・ 百 済 の 国 家 間 渉 と そ の 一 環 と し て 百 済 か ら 仏 教 が 齎 さ れ た こ と ま で は 否 定 で き な い と え る 。 す な わ ち 、 欽 明 朝 前 半 に 百 済 か ら 仏 教 が も た ら さ れ た が 欽 明 天 皇 は そ の 信 仰 を 受 容 で き ず 大 臣 蘇 我 稲 目 に 礼 拝 さ せ た こ と は 、 飛 鳥 寺 な ど 後 の 歴 の 展 開 か ら み て も 否 定 す る こ と は 出 来 な い で あ ろ う4 ︶ 。 さ て 小 稿 の 主 題 は 、 倭 国 王 ︵ 天 皇 ︶ は 何 故 に 仏 教 信 仰 を 受 容 し な か っ た の か 、 あ る い は 出 来 な か っ た の か と い う こ と で あ る 。 ﹃ 紀 ﹄ に よ れ ば 、 倭 国 は 継 体 天 皇 七 年 六 月 に 百 済 か ら 招 い た 五 経 博 士 段 楊 爾 を 十 年 九 月 に は 高 安 茂 に 替 え 、 欽 明 朝 以 降 も こ の 体 制 は 維 持 さ れ て 十 四 年 六 月 に は 医 ・ 易 ・ 暦 博 士 の 上 番 を 求 め 、 十 五 年 二 月 に は 五 経 博 士 を 王 柳 貴 か ら 馬 丁 安 に 、 僧 曇 ら 九 人 を 僧 道 深 ら 七 人 に 替 え た だ け で な く 、 同 時 に 易 ・ 暦 ・ 医 博 士 や 採 薬 師 ・ 楽 人 ら も 百 済 か ら 受 容 し て い る 。 こ の 時 は ﹁ 皆 依 請 代 之 ﹂ と あ る か ら 、 五 経 ・ 易 ・ 暦 ・ 医 な ど の 博 士 だ け で な く 、 僧 侶 に つ い て も わ が 国 か ら の 要 請 に よ る も の で あ り 、 国 家 と し て は 仏 教 を 求 め て い る こ と か ら 、 ﹁ 仏 教 伝 ﹂ で は な く ﹁ 仏 教 導 入 ﹂ と 評 さ れ る 所 以 で も あ ろ う5 ︶ 。 さ ら に 、 そ の 即 位 前 紀 に ﹁ 不 信 佛 法 、 而 愛 文 ﹂ と 評 さ れ る 敏 達 朝 に お い て も 、 敏 達 天 皇 紀 六 年 ︵ 五 七 七 ︶ 十 一 月 庚 午 朔 条 に 、 ﹁ 百 濟 國 王 、 付 還 大 別 王 等 、 經 論 若 干 、 律 師 ・ 禪 師 ・ 比 丘 尼 ・ 呪 禁 師 ・ 造 佛 工 ・ 造 寺 工 、 六 人 。 遂 安 置 於 難 波 大 別 王 寺 。 ﹂ と あ る よ う に 、 系 譜 関 係 一 四 一 日 並 四 皇 子
は 不 詳 で あ る が 王 家 の 一 員 で あ る 大 別 王 が 百 済 国 王 ︵ 威 徳 王 ︶ か ら 贈 ら れ た 仏 教 信 仰 を 受 容 し 、 同 紀 八 年 十 月 条 に も ﹁ 新 羅 遣 枳 叱 政 奈 末 進 調 、 送 佛 像 。 ﹂ と あ っ て 、 倭 国 が 新 羅 か ら 贈 ら れ た 仏 像 を も 受 け 入 れ て い る こ と か ら 、 国 家 と し て 仏 教 の 導 入 を は か っ て い た こ と は 明 白 で あ る 。 す な わ ち 、 百 済 国 王 な ど か ら 贈 ら れ た 仏 教 信 仰 を 、 国 家 と し て は 受 容 し な が ら も 倭 国 王 自 身 が 長 く 受 容 し な か っ た こ と は 、 当 時 の 状 況 と し て は 極 め て 異 例 の こ と で あ っ た と 言 え る 。 つ ま り 、 具 体 的 な 課 題 は 、 仏 教 信 仰 を 受 容 し な か っ た 、 も し く は 出 来 な か っ た 当 時 の 倭 国 王 の 宗 教 的 な 在 り よ う 、 そ の 宗 教 的 性 格 の 解 明 で あ る 。
一
倭
国
王
の
宗
教
的
性
格
倭 国 王 の 仏 教 受 容 拒 否 の 問 題 を 究 し た 二 葉 憲 香 氏6 ︶ は 、 ﹁ 天 皇 の 地 位 が 祭 祀 王 と い う 律 令 制 以 前 の 古 い 伝 統 を 踏 ま え て お り 、 そ の 政 治 的 地 位 は 祭 祀 王 と し て の 宗 教 的 地 位 に 由 来 す る ﹂ こ と と の 関 連 に お い て 説 明 す る 。 古 代 の 天 皇 の 宗 教 的 特 質 に つ い て は 、 吉 田 孝 氏7 ︶ も ﹁ 日 本 の 天 皇 は 畿 内 豪 族 層 に 共 立 さ れ た 司 祭 者 的 首 長 と し て の 性 格 を 色 濃 く 残 し て い る 。 古 代 の 天 皇 は 、 祭 祀 の み で な く 、 軍 事 指 揮 、 外 な ど 、 他 に も さ ま ざ ま な 重 要 な 機 能 を 果 た し て い た が 、 そ の 司 祭 者 的 王 と し て の 原 始 性 が 特 に 注 目 さ れ る 。 ﹂ と 規 定 す る 。 妥 当 な 指 摘 で あ る が 、 司 祭 者 的 王 で あ れ ば ど う し て 仏 教 信 仰 を 受 容 す る こ と が 出 来 な い の か 、 問 題 の 本 質 は そ こ に あ る と え る 。 と こ ろ で 、 推 古 朝 に は 蘇 我 氏 の 飛 鳥 寺 に 刹 柱 が て ら れ て 仏 舎 利 が 納 置 さ れ 、 最 有 力 の 王 位 継 承 者 で あ る 戸 皇 子 が 四 天 王 寺 や 斑 鳩 寺 を し 、 戸 皇 子 と 大 臣 蘇 我 馬 子 に 三 宝 興 隆 を 命 じ ︵ 推 古 天 皇 二 年 ╱ 五 九 四 ︶ 、 大 業 三 年 ︵ 推 古 天 皇 十 五 年 ╱ 六 〇 七 ︶ に は 隋 に ﹁ 聞 海 西 菩 天 子 重 興 佛 法 。 故 遣 朝 兼 沙 門 數 十 人 來 學 佛 法 ﹂ ︵ ﹃ 隋 書 ﹄ 倭 国 伝 ︶ と 称 し て 遣 隋 ・ 留 学 僧 を 派 遣 す る な ど 、 仏 教 政 策 を 大 き く 転 換 し て い る こ と は 、 倭 国 王 自 身 の 仏 教 信 仰 受 容 の 前 提 が 整 っ た と も 言 え よ う 。 し か し 、 そ れ で も な お 推 古 天 皇 紀 十 五 年 二 月 戊 子 条 に は 、 ﹁ 朕 聞 之 、 曩 者 我 皇 天 皇 等 宰 世 也 、 跼 天 蹐 地 、 敦 禮 神 。 周 祠 山 川 、 幽 通 乾 坤 。 是 以 、 陰 陽 開 和 、 造 化 共 調 。 今 當 朕 世 、 祭 祀 神 、 豈 有 怠 乎 。 故 群 臣 共 爲 竭 心 、 宜 神 。 ﹂ と 、 女 帝 が 倭 国 王 に 伝 統 的 な 神 祭 祀 を 重 視 す る 詔 を 出 し 、 同 月 甲 午 ︵ 十 五 日 ︶ 条 で も ﹁ 皇 太 子 及 大 臣 、 率 百 寮 以 祭 神 。 ﹂ と あ る こ と は 、 文 飾 を 除 い て も 倭 国 王 と 神 祭 祀 の 緊 密 な 結 び つ 一 四 二 日 並 四 皇 子き を 垣 間 見 せ て い る 。 さ ら に 、 孝 徳 天 皇 紀 大 化 元 年 ︵ 六 四 五 ︶ 七 月 庚 辰 ︵ 十 四 日 ︶ 条 に は 、 ﹁ 蘇 我 石 川 麻 呂 大 臣 奏 曰 、 先 以 祭 鎭 神 、 然 後 應 議 政 事 。 是 日 、 遣 倭 漢 直 比 羅 夫 於 尾 張 國 、 忌 部 首 子 麻 呂 於 美 濃 國 、 課 供 神 之 幣 。 ﹂ と あ り 、 天 武 天 皇 紀 七 年 ︵ 六 七 八 ︶ 正 月 是 春 条 に も ﹁ 將 祠 天 神 地 、 而 天 下 悉 祓 禊 之 。 竪 齋 宮 於 倉 梯 河 上 。 ﹂ と あ る こ と な ど は 、 具 体 的 内 容 や 目 的 な ど 明 瞭 で な い 点 も あ る が 国 家 に よ る 神 祭 祀 を 伝 え た も の で あ る こ と は 間 違 い な い 。 な お 、 天 武 天 皇 七 年 の 場 合 は 、 四 月 に 十 市 皇 女 が 急 病 で 亡 く な っ た の で 神 を 祭 る こ と は 中 止 に な っ た 。 祭 祀 王 説 に つ い て は 近 年 、 ﹁ 天 皇 が 祭 祀 王 と し て の 側 面 を 持 つ こ と は れ も な い 事 実 と い っ て 良 い 。 た だ し そ れ と 、 祭 祀 王 で あ る こ と が 天 皇 の 本 質 で あ る か ど う か と い う こ と は 別 問 題 で あ る 。 ⋮ ﹁ 仏 教 伝 ﹂ 記 事 は 仏 教 側 の 視 点 か ら 脚 色 さ れ た も の で あ り 、 仏 教 受 容 を め ぐ っ て 受 難 の 歴 が あ っ た と す る 伝 承 を 移 植 す る 上 で 国 神 の ﹁ 怒 り ﹂ も ら れ た と え て お き た い 。 あ る い は 仏 教 の 異 質 性 が 直 感 的 に 把 握 さ れ た た め に 導 入 に 当 た っ て の 異 論 が 存 在 し た と 見 る べ き で あ ろ う か 。 ﹂ と す る 新 見 も み ら れ る8 ︶ 。 筆 者 は 、 天 皇= 祭 祀 王 と い う 視 点 で て を 解 釈 す る の は 行 き 過 ぎ で あ る と 思 う け れ ど も 、 ﹁ 祭 祀 王 で あ る こ と が 天 皇 の 本 質 で あ る か ど う か と い う こ と は 別 問 題 ﹂ で は な く 、 や は り そ れ が 天 皇 の 本 質 の 一 部 を 成 す も の で あ っ た と 捉 え な け れ ば 、 古 代 上 の 諸 問 題 は 正 し く 理 解 で き な い と え る 。 要 す る に 、 ﹁ 天 皇 は 祭 祀 王 で あ っ た か ら 仏 教 信 仰 を 受 容 で き な か っ た ﹂ と の 説 明 に 、 何 と は な し に 納 得 し て し ま い そ う だ が 、 実 の と こ ろ こ れ で は 何 も 解 明 さ れ て い な い の で あ る 。 す な わ ち 、 祭 祀 王 で あ る こ と が ど う し て 仏 教 受 容 の 障 碍 に な る の か と い う 点 が 、 十 に 説 明 さ れ て い な い の で あ る 。 ﹃ 紀 ﹄ の 廃 仏 記 事 や 神 祭 祀 と 仏 教 の 表 面 的 な 異 質 性 な ど に 目 が 奪 わ れ て 、 見 逃 し て い た こ と が あ っ た の で は な い か と え ら れ る 。 こ の 問 題 を 正 し く 解 す る 要 は 、 祭 祀 王 で あ る こ と の 本 質 の 理 解 に あ る と え る 。 祭 祀 王 で あ る と い う 、 倭 国 王 の 宗 教 的 本 質 の 具 体 相 は 料 的 制 約 も あ っ て 究 明 が 困 難 な 面 も あ る が 、 私 見 は 後 述 す る 。
二
倭
国
王
の
仏
教
受
容
倭 国 王 が 仏 教 信 仰 受 容 を 拒 否 し た 理 由 を 察 す る た め に 、 倭 国 王 の 仏 教 信 仰 受 容 の 情 況 に つ い て 一 し て お こ う 。 仏 教 信 仰 受 容 を め ぐ る 軋 轢 は 常 に 倭 国 王 ︵ 天 皇 ︶ 自 身 に 関 し て で あ っ た と 捉 え る べ き だ と え る が 、 ﹃ 紀 ﹄ は 敏 達 天 皇 に つ い て ﹁ 不 信 佛 法 、 一 四 三 日 並 四 皇 子而 愛 文 ﹂ 、 用 明 天 皇 に は ﹁ 信 佛 法 、 神 道 ﹂ 、 孝 徳 天 皇 を ﹁ 佛 法 、 神 道 ﹂ な ど と 評 価 的 記 事 を 載 せ る が 、 敏 達 朝 や 用 明 朝 に ﹁ 文 ﹂ ﹁ 神 道 ﹂ な ど の 語 句 が 存 在 し た わ け で は な い9 ︶ 。 こ れ は 倭 国 王 の 治 績 所 伝 に 基 づ い た 後 世 の 評 価 的 記 事 で あ る か ら 、 編 者 が 適 切 と え た 用 語 を 漢 籍 や 仏 典 な ど か ら 抽 出 し て 記 事 を 編 む の は 、 最 初 の 国 編 纂 事 業 に お い て は 寧 ろ 当 然 の こ と で あ り 、 所 伝 に 対 応 す る 各 々 の 治 績 の 実 性 と 直 結 す る も の で は な い 。 た と え ば 、 用 明 天 皇 が ﹁ 信 佛 法 ﹂ と さ れ た の は 、 彼 が 二 年 ︵ 五 八 七 ︶ 四 月 に 天 然 痘 に 罹 患 し た 際 、 ﹁ 朕 思 欲 三 寶 。 等 議 之 。 群 臣 入 朝 而 議 。 ﹂ と 代 初 め の 重 要 議 題 の 審 議 に 兼 ね て 、 治 病 の た め 豊 国 法 師 を 内 に 入 れ る こ と の 同 意 を 求 め た こ と を 指 し て い る の で あ ろ う 。 飛 鳥 寺 や 斑 鳩 寺 の 本 格 的 伽 藍 造 営 は 新 た な 宗 教 的 権 威 の 現 出 で あ り 、 そ れ を 核 と し て 地 域 に 新 た な 宗 教 的 世 界 が 生 成 さ れ て い っ た 。 並 び 立 つ 堂 塔 伽 藍 や 日 々 の 僧 尼 の 活 動 を 目 に す る に つ け 、 倭 国 王 に は 従 前 の 神 信 仰 と の 違 い に つ い て 認 識 が 深 ま っ て い っ た だ け で な く 、 新 た な 宗 教 的 権 威 と し て の 地 位 を 獲 得 し つ つ あ る 仏 教 に 対 し て 危 機 的 意 識 が 芽 生 え て い っ た の で は な い か と 推 察 さ れ る 。 孝 徳 天 皇 の 代 に な れ ば 、 大 化 元 年 ︵ 六 四 五 ︶ 八 月 に 豪 族 の 寺 院 造 営 に 対 し て 援 助 す る と の 詔 を 下 し 、 白 雉 二 年 ︵ 六 五 一 ︶ 十 二 月 日 に は 二 千 百 人 余 り の 僧 尼 を 請 じ て 難 波 味 経 宮 で 一 切 経 を 読 ま せ 、 十 二 月 の 難 波 長 柄 豊 碕 宮 へ の 遷 居 に 先 立 っ て 安 宅 ・ 土 側 経 の 読 経 な ど 仏 事 を 催 し 、 翌 年 四 月 に は 内 裏 で 無 量 寿 経 の 講 経 を さ せ る な ど 、 ﹃ 紀 ﹄ 編 者 が 孝 徳 天 皇 を ﹁ 佛 法 ﹂ と 評 し た 情 況 が あ ら わ れ る 。 さ て 、 倭 国 王 が 仏 教 信 仰 の 本 格 的 受 容 を 正 式 表 明 す る の は 大 化 の 少 し 前 、 舒 明 天 皇 が 最 初 で あ る 。 舒 明 天 皇 紀 十 一 年 ︵ 六 三 九 ︶ 七 月 条 は 、 そ れ を 次 の よ う に 伝 え る 。 秋 七 月 、 詔 曰 、 今 年 、 造 作 大 宮 及 大 寺 。 則 以 百 濟 川 側 爲 宮 處 。 是 以 、 西 民 造 宮 、 東 民 作 寺 。 以 書 直 縣 爲 大 匠 。 す な わ ち 、 舒 明 天 皇 は 八 年 六 月 に 火 災 に あ っ た 飛 鳥 岡 本 宮 に 代 わ る 正 宮 を 百 済 川 側 に 造 営 し 、 そ れ と 対 で 大 寺 を し た 。 西 方 の 地 域 か ら 徴 用 し た 人 民 は 大 宮 造 営 、 東 方 か ら の 人 民 に は 大 寺 に 従 事 さ せ た と あ る か ら 、 百 済 川 を 挟 ん で 西 に は 百 済 大 宮 、 東 に は 百 済 大 寺 が 造 営 さ れ た と み ら れ る10 ︶ 。 同 年 十 二 月 に は 百 済 川 側 に 九 重 塔 を て る と あ り 、 十 二 年 十 月 に は 舒 明 天 皇 も 百 済 大 宮 に 遷 居 す る か ら 、 大 寺 の 工 事 も 進 し て い た よ う で あ る 。 ま た 、 十 二 年 五 月 辛 丑 条 に は ﹁ 大 設 齋 。 因 以 、 請 惠 僧 、 令 説 無 量 壽 經 。 ﹂ と あ り 、 お そ ら く 坂 宮 ︵ 橿 原 市 六 の 辺 り ︶ で 十 一 年 九 月 に 唐 か ら 帰 国 し た 僧 恵 隠 に 無 量 寿 経 を 説 か せ て い る11 ︶ 。 し か し 、 翌 十 三 年 十 月 に 舒 明 天 皇 は 百 済 大 宮 で 崩 御 し 、 宮 の 北 で 百 済 大 が 催 さ れ る か ら 、 そ の 後 も 大 寺 の 造 営 が 続 行 さ れ た か 詳 ら か で な い 。 な お 、 百 済 川 側 に さ れ た 百 済 大 寺 を 桜 井 市 吉 備 池 廃 寺 に 比 定 す る こ と の 問 題 点 一 四 四 日 並 四 皇 子
と 、 広 瀬 郡 ︵ 現 北 城 郡 広 陵 町 ︶ に 求 め る べ き で あ る こ と は 重 ね て 説 い て き た と こ ろ で あ る が12 ︶ 、 不 思 議 な こ と に 吉 備 池 廃 寺 百 済 大 寺 比 定 説 で は そ の 所 在 地 が 百 済 で は な く 、 倭 国 王 家 の 地 域 基 盤 で あ る 磐 余 の ほ ぼ 中 心 で あ る こ と は 全 く 触 れ ら れ な い 。 そ れ は さ て お き 、 い ま 重 要 な こ と は 舒 明 天 皇 に よ る 百 済 大 寺 の が 、 倭 国 王 自 身 に と っ て 最 初 の 仏 教 信 仰 の 受 容 表 明 で も あ る と い う こ と で あ る 。 百 済 聖 明 王 に よ る 仏 教 贈 与 以 来 、 九 〇 年 近 く が 経 過 し て い た 。 ち な み に 、 舒 明 天 皇 が 百 済 大 宮 と 対 で 百 済 大 寺 を 造 営 し て い る こ と は 、 多 に 戸 皇 子 の 斑 鳩 宮 ・ 斑 鳩 寺 の あ り 方 を 意 識 し て の こ と で あ っ た に 違 い な い と 思 わ れ る が こ れ 以 降 、 倭 国 王 の 正 宮 と 倭 国 王 の 大 寺 が 対 で 造 営 、 併 存 す る の を 原 則 と す る よ う に な る が 、 こ れ は 倭 国 王 権 内 に お け る 仏 教 の 宗 教 的 地 位 が 上 昇 し た こ と 、 倭 国 の 仏 教 政 策 が 大 き く 転 換 し た こ と の あ ら わ れ で も あ る 。 要 す る に 、 倭 国 王 は 神 信 仰 以 外 に 、 新 た な 仏 教 と い う 宗 教 的 権 威 を 身 に 纏 う こ と に な っ た の で あ る 。
三
仏
教
外
に
つ
い
て
倭 国 王 権 が 積 極 的 な 仏 教 受 容 策 に 転 換 す る 理 由 と し て 、 内 政 上 の 権 力 集 中 機 能 や 東 ア ジ ア 世 界 で の 仏 教 外 、 い わ ゆ る 仏 教 的 朝 貢 外 と い う 視 点 を 重 視 す る べ き で あ る 、 と い っ た 指 摘 が あ る 。 上 川 通 夫 氏13 ︶ は 、 ﹁ 大 化 以 前 の 法 興 寺 ︵ 飛 鳥 寺 ︶ は 単 純 に 蘇 我 氏 の 氏 寺= 私 寺 と 看 做 す べ き で は な く 、 造 寺 に 際 し て 僧 や 寺 工 が 国 王 ・ 大 王 間 で 授 受 さ れ た こ と な ど に よ っ て も 、 国 家 的 性 格 は 否 定 し 切 れ な い 。 法 興 寺 は そ れ を 中 核 と し て 構 築 さ れ た 、 国 家 の 特 定 内 容 の 仏 教 政 策 を 担 う も の で あ っ た 。 大 夫 層 以 上 を 主 体 と す る 仏 教 の 実 践 に は 、 寺 を 結 束 の 象 徴 と し て 氏 族 内 部 の 結 束 を 企 て る 機 能 と 、 氏 の 枠 を も 超 え た 中 央 支 配 集 団 の 結 束 を 企 て る 機 能 が あ っ た 。 畿 内 有 力 豪 族 に よ る 合 議 体 の 形 態 を と っ た 権 力 集 中 が 導 入 し た 仏 教 は 、 こ の 氏 族 合 議 制 を 支 え る 政 治 的 任 務 の 一 翼 を 担 っ た 。 ﹂ と 評 価 す る 。 す な わ ち 、 神 信 仰 ︵ ﹃ 記 ﹄ ﹃ 紀 ﹄ 神 話 ︶ と は 別 に 、 倭 国 内 の 大 夫 層 以 上 を 結 集 さ せ る 新 た に 共 有 さ れ た 宗 教 が 仏 教 で あ る と い う こ と だ が 、 た だ し 、 先 に も 記 し た よ う に 倭 国 王 ・ 王 権 が 神 信 仰 を 放 棄 し た わ け で は な く 、 そ れ と は 別 に 新 し く 仏 教 が 加 え ら れ た と 看 做 す べ き で あ ろ う 。 王 権 強 化 ・ 大 夫 層 結 集 の 宗 教 的 装 置 と し て 新 た に 加 え ら れ た の が 仏 教 で あ り 、 王 権 成 員 結 集 、 氏 族 に お い て は 氏 族 成 員 結 集 の 新 た な 宗 教 的 象 徴 と 一 四 五 日 並 四 皇 子し て の 寺 院 で あ っ た と 位 置 づ け ら れ よ う 。 大 夫 層 氏 族 の 寺 院 造 立 は 、 そ う し た 政 策 を 採 用 す る 政 体 へ の 帰 属 意 識 の 表 明 で も あ っ た と 思 わ れ る 。 倭 国 の 仏 教 導 入 を 東 ア ジ ア 的 視 点 か ら 察 す る 必 要 は 、 中 林 隆 之 氏14 ︶ も 倭 国 王 権 の 制 度 化 と 関 わ ら せ て 説 く と こ ろ で あ る 。 中 林 氏 に よ れ ば 、 ﹁ 古 代 の 法 や 官 僚 機 構 は 、 社 会 領 域 に お け る 内 面 的 価 値 か ら 独 立 し た 中 立 的 ・ 自 律 的 な 規 範 ・ 機 構 と し て は 定 立 さ れ え な い 。 そ の た め 、 正 統 性 を 裏 打 ち す る 他 律 的 ・ 権 威 的 な 規 範 が 要 請 さ れ る 。 ﹂ と し て 、 ﹁ 仏 教 の 政 策 的 導 入 ・ 興 隆 と 、 世 俗 の 支 配 層 や 権 力 機 構 の 形 成 ・ 組 織 化 ・ 運 営 と の 間 に は 内 在 的 な 連 関 が 予 想 さ れ る 。 求 め ら れ る の は 、 む し ろ 、 寺 院 や 僧 尼 の 生 産 と い う 権 力 的 事 業 が 、 そ の 他 の 世 俗 権 力 の 組 織 化 に 及 ぼ し た 影 響 ・ 規 定 性 に 慮 す る こ と が 必 要 で あ る ﹂ と 主 張 す る 。 倭 国 に お け る 仏 教 導 入 策 が 、 単 に 宗 教 的 世 界 だ け で な く 、 世 俗 的 な 権 力 の 組 織 化 や 強 化 の 機 能 を 有 し た こ と は 事 実 と え ら れ る が 、 そ れ に 関 わ り ﹃ 記 ﹄ ﹃ 紀 ﹄ 神 話 が 中 林 氏 の 説 く よ う に 天 武 朝 を 画 期 に 出 さ れ た も の で あ る な ら ば 、 そ れ が 当 時 の 仏 教 の 宗 教 的 、 世 俗 的 機 能 と ど の よ う に 相 関 す る の か 否 か 、 知 り た い と こ ろ で あ る 。 ま た 、 川 上 麻 由 子 氏15 ︶ は 、 ﹃ 隋 書 ﹄ 倭 国 伝 に ﹁ 敬 佛 法 、 於 百 濟 求 得 佛 經 ﹂ と あ る こ と か ら 、 倭 国 が 百 済 に 求 め て 導 入 し た の で あ る と し 、 ﹁ 倭 国 を 取 り 巻 く 国 際 情 勢 の み な ら ず 、 百 済 ・ 高 句 麗 ・ 新 羅 に お け る 仏 教 伝 来 ・ 認 に ま つ わ る 事 情 か ら 判 断 し て 、 倭 国 が 百 済 か ら 仏 教 を 的 に 導 入 し た こ と が 、 ア ジ ア に お け る 対 中 国 渉 と 仏 教 と の 関 係 を 前 提 と し て い な か っ た と は え 難 い 。 仏 教 色 を 強 調 し た 対 中 国 外 、 す な わ ち 仏 教 的 朝 貢 は 南 北 朝 時 代 か ら 流 行 し て お り 、 隋 代 仏 教 の 導 入 を 試 み た 日 本 の 遣 隋 が 仏 教 的 朝 貢 と 無 関 係 に 計 画 ・ 実 行 さ れ た は ず は な い 。 ﹂ と 述 べ る 。 推 古 朝 に は 倭 国 王 自 身 の 仏 教 信 仰 受 容 に 対 す る 軋 轢 も ほ ぼ 終 息 し た よ う に 思 わ れ る 。 い わ ゆ る 仏 教 外 が 展 開 さ れ る の は 、 推 古 天 皇 八 年 ︵ 開 皇 二 〇 ╱ 六 〇 〇 ︶ の 遣 隋 に よ る 東 ア ジ ア 世 界 に つ い て の 詳 細 な 情 況 を 直 接 に 把 握 し て 後 の こ と で あ ろ う 。 ま た 、 先 に も 触 れ た よ う に 倭 国 王 自 身 が 仏 教 信 仰 の 受 容 に 踏 み 切 る の は 次 の 舒 明 朝 の こ と で あ る 。 し た が っ て 、 倭 国 の 中 国 に 対 す る 仏 教 外 の 展 開 は 推 古 天 皇 十 五 年 ︵ 大 業 三 ╱ 六 〇 七 ︶ の 第 二 回 遣 隋 以 降 の こ と で あ る と え ら れ る 。 要 す る に 、 六 世 紀 代 の 倭 国 は 梁 と は 正 式 な 国 家 間 渉 は 行 な っ て い な い し 、 渉 の 機 会 を 探 っ て い た 様 子 を 窺 う こ と は 出 来 な い か ら 、 ﹁ 日 本 が 梁 代 に 百 済 か ら 仏 教 を 的 に 導 入 し た と い う の は 、 対 中 国 渉 を 視 野 に 入 れ た 行 為 ﹂ で あ っ た か は 、 な お 当 時 の 倭 国 内 の 情 勢 を 析 し な け れ ば な ら な い と 思 わ れ る 。 一 四 六 日 並 四 皇 子
四
仏
教
に
よ
る
君
臣
統
合
に
つ
い
て
倭 国 王 権 の 仏 教 導 入 、 特 に 天 皇 ︵ 倭 国 王 ︶ の 仏 教 信 仰 受 容 の 目 的 や 政 治 的 機 能 に 関 し て 最 近 注 目 さ れ て い る の が 、 仏 教 に よ る 内 政 的 機 能 の 中 枢 を な す 君 臣 統 合 説 で あ る 。 そ れ は 先 に 引 い た 上 川 通 夫 氏 ら に も み ら れ た 視 点 で あ る が 、 本 格 的 に 論 じ た の は 古 市 晃 氏 で あ る 。 古 市 氏 説 は 多 岐 に 亘 る が 、 こ こ で の 課 題 と 関 わ っ て 時 系 列 に そ の 要 旨 を 要 約 し て み よ う 。 ま ず 、 仏 教 導 入 以 前 の 倭 国 王 権 の 実 態 に つ い て 古 市 氏 は 、 熊 谷 男 氏16 ︶ の 研 究 に 依 拠 し て 、 ﹁ 五 世 紀 後 半 の 雄 略 朝 以 後 、 六 ・ 七 世 紀 の ﹁ 治 天 下 大 王 ﹂ に と っ て 、 も っ と も 重 要 な 王 権 イ デ オ ロ ギ ー で あ っ た の は 、 天 上 界 の 神 と の つ な が り に よ っ て 支 配 の 正 統 性 を 認 め る ﹁ 天 ﹂ の 思 想 で あ っ た 。 ﹂ と す る 。 こ の 天 か ら の ﹁ ﹁ 事 依 さ せ ﹂ の 思 想 が 、 律 令 制 下 の 王 権 イ デ オ ロ ギ ー と も っ と も 大 き く 異 な る 点 は 、 明 確 な 形 で の 神 思 想 が 確 認 出 来 な い ﹂ こ と で あ る と 述 べ る17 ︶ 。 続 い て 、 仏 教 導 入 以 前 か ら 以 降 に わ た る 王 権 統 合 の 在 り よ う の 変 化 に つ い て 、 ﹁ 六 世 紀 末 葉 ま で の 倭 王 権 の 君 臣 統 合 の 論 理 と し て 、 ﹁ ウ ヂ ﹂ を 前 提 と す る 論 理 が あ る 。 ウ ヂ と は 、 王 権 に 対 し て 特 定 の 職 掌 を 通 じ て 世 襲 的 な 服 属 ・ 奉 仕 を 担 う 諸 豪 族 の 組 織 で あ り 、 倭 王 権 は こ う し た 歴 的 に 形 成 さ れ た 職 務 掌 集 団 の 構 成 体 と し て 機 能 し て い た ﹂ 。 と こ ろ が 、 王 権 が 仏 教 を 導 入 し た こ と に よ り 、 ﹁ 仏 事 を 契 機 と し て 形 成 さ れ る 臣 下 諸 集 団 の 共 同 請 願 の 論 理 が 、 ウ ヂ を 単 位 と す る 個 別 的 ・ 断 的 編 成 原 理 を 再 編 成 し て 、 君 主 の 前 に お い て 臣 下 一 般 を 等 し く 統 合 す る た め の 新 た な 編 成 原 理 を 形 成 し た の で あ る ﹂ と 、 王 権 の 主 催 す る 仏 事 の 君 臣 結 合 機 能 を 評 価 す る 。 し か し な が ら 、 ﹁ 仏 教 中 心 の 統 合 論 理 を 基 軸 と す る 支 配 体 制 は 、 天 武 ・ 持 統 朝 に お い て 転 換 を 迎 え る 。 身 を も っ て 権 力 の 転 変 を 体 験 し た 天 武 の 段 階 で は 、 仏 教 を 媒 介 と せ ず と も 天 皇 自 身 が 統 合 中 枢 の 中 心 に 位 置 す る 論 理 が 構 築 さ れ る に 至 っ た 。 天 皇 を 天 上 界 の 神 の 子 孫 で あ る が 故 に そ の 国 土 支 配 を 正 統 化 す る 高 天 原 神 話 が 完 成 し 、 君 主 自 身 を 中 心 に 据 え た 統 合 論 理 が 構 築 さ れ る ﹂ と し て 、 天 武 ・ 持 統 朝 に お け る 国 土 支 配 を 正 統 化 す る 高 天 原 神 話 の 完 成 に よ り 王 権 に お け る 君 臣 結 合 機 能 は さ ら に 変 転 す る と 主 張 す る18 ︶ 。 精 緻 に 組 み 立 て ら れ た 古 市 氏 説 は 、 倭 国 王 権 の 仏 教 導 入 を 王 権 の 視 点 か ら 新 た に 位 置 づ け た 研 究 と し て 高 く 評 価 で き 、 倭 国 王 権 が 仏 教 を 積 極 的 に 導 入 す る に 至 っ た 国 内 的 状 況 を 理 解 す る 上 で 動 的 か つ 魅 力 的 な 説 で あ る が 、 な お 仏 教 導 入 以 前 の 状 況 や 天 武 ・ 持 統 朝 に お け る 神 、 神 話 一 四 七 日 並 四 皇 子に つ い て の 理 解 な ど に 若 干 の 違 和 感 も あ る 。 ま ず 、 神 祭 祀 に 基 づ く 権 力 構 築 は 個 別 的 で あ り 、 王 権 支 配 層 を 包 み 込 む よ う な 君 臣 統 合 と い う 政 治 的 機 能 を 有 す る も の で な か っ た こ と は 確 か で あ ろ う 。 倭 国 王 は 各 氏 族 と 個 別 の 政 治 的 、 宗 教 的 関 係 を 結 ん で 王 権 が 構 成 さ れ 、 運 営 さ れ て い た と み ら れ る 。 神 祭 祀 に 基 づ く 権 力 構 築 は 、 支 配 ・ 服 属 ・ 帰 属 と い う 関 係 を も っ て の 個 別 的 統 合 で あ っ た 。 倭 国 王 を 核 に 構 成 さ れ る 王 権 に お い て も 、 権 力 の 上 下 関 係 に よ る 強 制 は 常 に 存 在 す る こ と か ら 、 仏 教 に よ る 君 臣 統 合 に つ い て も 有 形 ・ 無 形 に そ の こ と を 排 除 す る こ と は 出 来 な か っ た の で は な い か と 思 わ れ る 。 次 に 古 市 氏 も 説 く よ う に 、 ウ ヂ の ﹁ 祖 名 ﹂ 継 承 と 維 持 を 核 と す る 結 集 は 仏 教 以 前 か ら の こ と で あ る が 、 詳 し く は 後 述 す る が そ こ に こ そ 神 話 と 歴 を 共 有 す る こ と の 重 い 意 味 が あ っ た の で は な い か と え ら れ る 。 ま た 、 天 武 朝 段 階 で は 高 天 原 神 話 に 既 に 幾 つ も の 異 伝 が 併 存 す る 状 況 に な っ て い た こ と は 、 ﹃ 記 ﹄ 序 文 や ﹃ 紀 ﹄ の 異 伝 記 載 な ど か ら 想 定 さ れ る 。 こ の こ と か ら 、 国 土 支 配 を 正 統 化 す る 高 天 原 神 話 が 天 武 ・ 持 統 朝 に 完 成 し た と 看 做 す こ と が 妥 当 か 否 か 、 疑 問 が 少 な く な い と え ら れ る 。 ﹃ 記 ﹄ ﹃ 紀 ﹄ の 神 代 の 物 語 は 、 倭 国 王 権 成 員 に は そ れ も 歴 と 観 念 さ れ た の で は な い か と 思 わ れ る が 、 こ う し た 神 話 ・ 歴 を 共 有 す る こ と が 成 員 の 証 で あ り 、 帰 属 の 証 明 で も あ っ た 。 時 と と も に そ の 内 容 に ﹃ 紀 ﹄ の ﹁ 一 書 曰 ﹂ な ど に み ら れ る 若 干 の 変 異 が 生 じ る の は 、 後 に も 触 れ る よ う に 当 然 の 成 り 行 き で あ っ た 。 要 す る に 、 ﹃ 記 ﹄ ﹃ 紀 ﹄ 神 話 は 仏 教 以 前 か ら 王 権 へ の 結 集 に お い て 機 能 し て い た の で あ り 、 律 令 制 成 立 期 の 作 ︵ 完 成 ︶ で は あ り え な い 。 そ う し た 新 し い 時 期 に 作 し て も 、 王 権 内 に お い て 神 話 と し て 機 能 す る こ と が 可 能 だ っ た か 、 疑 問 が 大 き い 。 さ ら に 、 天 武 天 皇 は 武 力 で 権 力 奪 取 を 成 し 遂 げ て 王 権 の 中 枢 に 位 し た の で あ る か ら 、 そ の ﹁ 国 土 支 配 を 正 統 化 す る 高 天 原 神 話 ﹂ の 作 な ど 、 今 必 要 で は な か っ た の で は な い か と 思 わ れ る 。 必 要 だ っ た の は 、 細 か な 部 で 生 じ て き た 差 異 を 統 一 す る こ と で あ っ た が 、 そ れ を 十 に な し 得 て い な い ﹃ 紀 ﹄ 神 代 紀 の 在 り よ う を 思 う べ き で あ ろ う 。 つ ま る と こ ろ 、 事 実 と し て 天 武 天 皇 は 人 々 の 眼 前 で 自 力 に よ っ て 王 位 に 坐 し て い る の だ か ら 、 ど う し て ﹁ 仏 教 中 心 の 統 合 論 理 を 基 軸 と す る 支 配 体 制 ﹂ か ら 、 ﹁ 仏 教 を 媒 介 と せ ず と も 天 皇 自 身 が 統 合 中 枢 の 中 心 に 位 置 す る 論 理 、 ⋮ 天 皇 を 天 上 界 の 神 の 子 孫 で あ る が 故 に そ の 国 土 支 配 を 正 統 化 す る 高 天 原 神 話 が 完 成 、 大 嘗 祭 、 節 日 儀 礼 と い っ た 、 君 主 自 身 を 中 心 に 据 え た 統 合 論 理 が 構 築 ﹂ さ れ て 、 前 者 に と っ て 代 わ る 必 要 が あ っ た の か 、 い ま ひ と つ 合 点 が い か な い 。 一 四 八 日 並 四 皇 子
古 代 の 神 話 は 、 祭 祀 儀 礼 や 神 信 仰 の 裏 打 ち が あ っ て 、 神 話 と し て の 価 値 と 機 能 が 十 全 の も の と な る 。 も ち ろ ん 、 ﹃ 記 ﹄ ﹃ 紀 ﹄ 神 話 の 冒 頭 部 に は そ れ を も た な い 中 国 古 典 か ら の 翻 案 や 観 念 論 的 な 部 は あ る が 、 い わ ゆ る ﹁ 高 天 原 神 話 ﹂ は そ れ ら と 同 一 視 出 来 な い 内 容 で あ る 。 も し ﹁ 高 天 原 神 話 ﹂ が ﹁ 天 皇 の 国 土 支 配 を 正 統 化 す る ﹂ た め 天 武 朝 に 新 た に 出 さ れ 完 成 し た も の で あ る ︵ こ う し た 理 解 が 研 究 者 間 に 普 遍 的 で あ る こ と は 承 知 し て い る が ︶ な ら ば 、 天 武 朝 に 出 さ れ た と さ れ る ど の よ う な 祭 祀 儀 礼 や 神 信 仰 と 連 関 す る の か を も 明 ら か に す る 必 要 が あ ろ う 。 例 え ば 、 天 武 天 皇 四 年 ︵ 六 七 五 ︶ 四 月 に 国 家 に よ る 農 業 祭 祀 と し て 始 さ れ 、 以 降 四 月 と 七 月 の 重 要 な 国 家 祭 祀 と し て 恒 例 と な る 広 瀬 大 忌 祭 と 龍 田 風 神 祭 に 関 わ り 、 広 瀬 郡 ︵ 北 城 郡 河 合 町 川 合 ︶ 鎮 座 の 廣 瀬 坐 和 加 宇 加 乃 賣 命 神 社 と 平 群 郡 ︵ 生 駒 郡 三 郷 町 立 野 ︶ 鎮 座 の 龍 田 坐 天 御 柱 國 御 柱 神 社 の 祭 神 が 、 ﹃ 記 ﹄ ﹃ 紀 ﹄ の 神 話 で 活 躍 す る こ と が あ る だ ろ う か 。 ま た 、 ﹃ 記 ﹄ ﹃ 紀 ﹄ 神 話 に は 各 氏 族 の 祖 神 に 位 置 づ け ら れ る 神 々 も 登 場 す る が 、 そ う し た 氏 族 と は 全 く 無 関 係 に 、 天 武 天 皇 と 彼 を 取 り 巻 く 一 握 り の 人 た ち で 新 た に 作 す る こ と が 可 能 で あ っ た だ ろ う か 。 本 来 、 古 伝 で あ る が 故 に 価 値 が 認 め ら れ る 神 話 が 、 天 武 朝 に 出 し て そ の 社 会 で 価 値 や 権 威 を 認 め ら れ た で あ ろ う か 。 古 代 社 会 に お け る 実 際 問 題 と し て 、 こ う し た 事 柄 を 慮 す る 必 要 が あ る と 思 う 。 そ も そ も 、 宗 教 的 儀 礼 や 儀 式 な ど は 、 自 己 主 張 ・ 自 己 顕 示 の 機 会 で あ る と 同 時 に 、 人 々 を 結 集 さ せ る 機 能 が 備 わ っ て い る こ と は 今 日 で も 経 験 す る と こ ろ で あ る 。 王 宮 と 対 を な す 寺 院 や 王 宮 内 の 仏 教 施 設 で 催 さ れ る 仏 事 を 通 じ て 君 臣 統 合 を は か る こ と が 出 来 た の は 、 倭 国 王 の 大 寺 が 単 に 倭 国 王 個 人 の 私 的 寺 院 で は な く 、 倭 国 王 家 ・ 王 権 の 意 に 基 づ く ﹁ 倭 国 王 ︵ 天 皇 ︶ 家 の 大 寺 ﹂ と し て の 地 位 が 付 与 さ れ て い た か ら で も あ ろ う 。 倭 国 王 家 の 大 寺 の 地 位 に つ い て は 、 こ れ が 正 宮 と と も に 造 営 さ れ 、 か つ 移 さ れ る と い う 後 の 展 開 か ら も 明 白 で あ る 。 要 す る に 、 仏 教 受 容 後 に 倭 国 王 が 主 催 す る 仏 事 を 通 じ て 君 臣 の 統 合 が 進 め ら れ た こ と は 認 め ら れ る が 、 そ れ 以 前 に 倭 国 王 自 身 が 仏 教 信 仰 の 受 容 を 拒 否 し 続 け た 理 由 は 、 こ れ と は 別 に 求 め な け れ ば な ら な い 。
五
倭
国
王
家
の
祖
神
信
仰
倭 国 王 権 ・ 倭 国 王 が 百 済 や 隋 か ら 導 入 し た 仏 教 を 、 外 や 君 臣 結 合 と い っ た 王 権 の 世 俗 面 で の 営 為 に 利 用 し た こ と は 確 か で あ る が 、 そ の こ と か ら は 受 容 拒 否 の 理 由 は 見 え て こ な い と い う こ と で あ る 。 倭 国 王 が 九 十 年 近 く も 仏 教 信 仰 受 容 に 踏 み 切 れ な か っ た 背 景 に は 、 や は り 宗 教 的 な 面 一 四 九 日 並 四 皇 子で 何 ら か の 障 壁 が 存 在 し た の で は な い か と 憶 測 さ れ る 。 先 述 の よ う に 倭 国 王 の 祭 祀 王 的 側 面 が 強 調 さ れ る こ と も あ る が 、 仏 教 受 容 後 の 令 の 規 定 に お い て も そ う で あ る か ら 、 問 題 の 解 明 は 依 然 残 さ れ た ま ま で あ る 。 そ こ で 、 少 し 視 点 を 変 え て 、 倭 国 王 の 宗 教 的 特 質 を そ の 祖 神 信 仰 の 視 点 か ら 察 し て み よ う 。 倭 国 王 ・ 倭 国 王 家 が 今 日 に 至 る ま で 伊 勢 神 宮 に 奉 斎 さ れ る 天 照 大 神 を 祖 神 と し て 崇 敬 、 祭 祀 し て き た こ と は 事 実 で あ る が 、 伊 勢 神 宮 の 立 ︵ 伊 勢 神 宮 で の 祖 神 祭 祀 ︶ お よ び そ の 祖 神 名 を め ぐ っ て 見 解 の 一 致 を み る に は 至 っ て い な い 現 状 に あ る 。 以 下 に 戦 後 の 主 な 研 究 を 紹 介 し つ つ 、 問 題 点 の 収 斂 を 試 み る こ と に す る 。 ま ず 、 直 木 孝 次 郎 氏19 ︶ は 、 ﹁ 記 紀 神 話 で 、 オ シ ホ ミ ミ は 天 照 大 神 の 後 を 継 ぐ 身 で あ り な が ら 、 素 戔 嗚 尊 に よ っ て 、 玉 あ る い は 剣 か ら 生 ま れ た こ と に な っ て お り 、 こ れ は 、 天 照 大 神 を 皇 室 の 開 祖 と す る 信 念 が 弱 か っ た こ と を 暗 示 す る も の で は な か ろ う か 。 伊 勢 神 宮 は 皇 室 の 氏 の 神 の 社 で は な く 、 伊 勢 大 神 は 皇 室 の 氏 の 神 で は な い 。 そ れ は 伊 勢 地 方 に 神 威 を 有 す る 地 方 的 な 神 で あ る と す る よ り ほ か は な い 。 継 体 以 後 の 斎 宮 記 事 を 列 記 す る と 、 酢 香 手 皇 女 ま で は 、 ほ ぼ ︵ 天 皇 ︶ 一 世 代 に 一 人 ず つ 斎 宮 が 出 た こ と に な り 、 根 拠 の な い 作 り ご と と は 思 わ れ な い 。 皇 室 が 伊 勢 神 宮 に 特 別 な 崇 敬 を よ せ る よ う に な る 時 期 は 、 六 世 紀 初 頭 以 後 、 古 く み て も 五 世 紀 後 半 の 雄 略 朝 ご ろ と 推 定 す る 。 伊 勢 が 日 の 神 の 霊 地 と え ら れ た こ と の ほ か に 、 伊 勢 神 宮 自 体 も 日 の 神 を 祀 っ て い た の で は な い か と え る 。 同 じ 日 の 神 で あ る こ と か ら 、 皇 室 の 氏 の 神 た る 天 照 大 神 と 伊 勢 大 神 と が 混 同 せ ら れ 、 伊 勢 神 宮 は 天 照 大 神 を 祭 る と せ ら れ る に 至 っ た と 思 わ れ る ﹂ と 、 歴 的 存 在 と し て の 伊 勢 神 宮 論 を 展 開 し た 。 伊 勢 神 宮 の 成 立 と 倭 国 王 家 の 祖 神 祭 祀 の 発 祥 の 問 題 を 、 古 代 学 の 俎 上 に 乗 せ 、 伊 勢 神 宮 と 天 照 大 神 を 歴 的 存 在 、 時 間 の 経 過 に よ り 変 化 す る と の 視 点 か ら 論 じ た こ と は 当 時 と し て 斬 新 な 研 究 で あ っ た と 言 え よ う 。 直 木 氏 が 説 く よ う に 、 太 陽 神 を 信 仰 ・ 崇 拝 す る こ と と 、 太 陽 神 を 祖 神 と し て 信 仰 す る こ と に は 、 宗 教 観 念 や 信 仰 の 上 で 変 化 、 発 展 を え な け れ ば な ら な い し 、 倭 国 王 家 の 祖 神 信 仰 も 歴 的 に 形 成 さ れ 、 変 容 し て い っ た こ と も 慮 す る 必 要 が あ ろ う 。 た だ 、 天 照 大 神 ・ 素 戔 嗚 尊 の ウ ケ ヒ 神 話 に は 、 こ の 姉 ・ 弟 の 近 親 相 姦 の 幻 想 を 読 み と る こ と も で き る か ら 、 必 ず し も オ シ ホ ミ ミ が 素 戔 嗚 尊 か ら 生 ま れ た と 捉 え ら れ て い た わ け で は な い と 思 わ れ る 。 伊 勢 斎 宮 が 舒 明 朝 か ら 天 智 朝 ま で 断 絶 す る こ と の 問 題 は 後 述 す る が 、 伊 勢 神 宮 は 伊 勢 地 方 の 地 方 的 な 神 で あ っ た が 五 世 紀 後 半 の 雄 略 朝 ご ろ に 王 家 の 祖 神 天 照 大 神 を 祭 る よ う に な っ た と す る 点 は 、 次 に 触 れ る よ う に 岡 田 精 司 氏 に よ る 批 判 が あ る 。 岡 田 氏 は 、 神 話 学 の 視 点 か ら 倭 国 王 家 の 太 陽 神 ︵ 日 神 ︶ 信 仰 の 形 成 か ら 伊 勢 神 宮 の 祀 、 天 照 大 神 の 成 立 の 過 程 を 次 の よ う に 述 べ る 。 一 五 〇 日 並 四 皇 子
ま ず 、 倭 国 王 家 が 太 陽 神 信 仰 を 保 有 す る 契 機 に つ い て 、 神 代 紀 第 四 段 伊 諾 尊 ・ 伊 尊 の 島 生 み 神 話 の 第 一 の ﹁ 一 書 曰 ﹂ に ﹁ 遂 爲 夫 婦 、 先 生 蛭 兒 、 載 葦 而 流 之 。 ﹂ 、 あ る い は 同 第 五 段 伊 諾 尊 ・ 伊 尊 の 神 生 み 神 話 の 本 文 で ﹁ 次 生 蛭 兒 。 雖 已 三 歳 、 脚 猶 不 立 。 故 載 之 於 天 磐 豫 樟 、 而 順 風 放 棄 。 ﹂ と あ る 、 い わ ゆ る 蛭 児 神 話 に つ い て 、 本 信 広 氏20 ︶ の ﹁ ヒ ル コ は ヒ ル メ ︵ 日 女 ︶ に た い す る 名 称 で あ り 、 太 陽 の 子 を 意 味 し 、 こ れ を 入 れ た 石 樟 が や は り 高 貴 な 子 を い れ て こ れ を 水 の た め し に あ わ し た 神 聖 な 容 器 を 意 味 し て お る ﹂ と の 説 に 依 拠 し て 、 ﹁ ヒ ル コ は ヒ ル メ ︵ 日 女 ︶ に 対 す る 日 子 で あ り 、 太 陽 の 子 を 意 味 し て お り 、 古 い 日 の 御 子 の 神 話 で あ る 。 日 の 御 子 の 神 話 に は 、 母 神= 日 の 神 の 妻 が 見 え 、 日 の 御 子 と 母 神 と の 神 話 に お い て 、 天 皇 氏 の 族 長 就 任 儀 礼 と し て 、 来 臨 す る ﹁ 日 の 御 子 ﹂ の 精 霊 と 一 体 化 す る 宗 教 的 行 為 が 行 わ れ た の で あ る 。 そ の 宗 教 儀 礼 の 定 期 的 な く り か え し に よ っ て 、 天 皇 家 の 族 長 を ﹁ 日 の 御 子 ﹂ と す る 観 念 が 成 長 し 、 さ ら に は ﹁ 日 神 の 後 裔 ﹂ と い う 思 想 に ま で 発 展 す る の で あ る21 ︶ 。 ﹂ と 説 く 。 岡 田 氏 だ け で な く 研 究 者 の 間 で は 、 古 代 の 天 皇 一 般 を ﹁ 日 の 御 子 ﹂ と 捉 え 記 す の が 一 般 的 で あ る22 ︶ 。 し か し な が ら 、 ﹁ 日 の 御 子 ﹂ の 称 辞 は ﹃ 記 ﹄ の 極 め て 限 ら れ た 一 部 の 歌 謡 で の み 用 い ら れ る 特 殊 な も の で あ り 、 そ の よ う に 称 え ら れ る 人 物 は 倭 命 ・ 仁 徳 天 皇 ・ 雄 略 天 皇 だ け で あ る 。 ま た 柿 本 人 麻 呂 が ﹃ 記 ﹄ 歌 謡 の 存 在 を 知 っ て 、 ﹃ 万 葉 集 ﹄ の な か で 天 武 天 皇 お よ び 天 武 天 皇 系 の 皇 子 に の み ﹁ 日 の 皇 子 ﹂ の 称 辞 を 用 い た と み ら れ る こ と な ど か ら 、 ﹁ 日 の 御 子 ﹂ の 称 辞 を 全 て の 天 皇 に 敷 衍 す る こ と は 出 来 ず 、 そ う し た 観 念 も 存 在 し な か っ た 。 そ の 称 辞 は 仁 徳 天 皇 ︵ オ ホ サ ザ キ ︶ に 対 し て 用 い ら れ た の が 最 初 で あ っ て 、 そ れ は 日 神 の 子 供 で は な く ﹁ 太 陽 王 ﹂ を 意 味 す る も の で あ っ た こ と な ど 、 前 述 し た と こ ろ で あ る23 ︶ か ら 再 論 は 避 け る 。 ま た 、 岡 田 氏 が ﹁ 日 の 御 子 の 神 話 に は 、 母 神= 日 の 神 の 妻 ﹂ と す る 点 で 既 に 日 の 御 子 は 日 神 の 子 と い う こ と 、 ﹁ 日 神 の 後 裔 ﹂ の 意 が 読 み 取 れ る わ け で 、 ﹁ ﹁ 日 の 御 子 ﹂ と す る 観 念 が 成 長 し 、 ⋮ さ ら に は ﹁ 日 神 の 後 裔 ﹂ と い う 思 想 に ま で 発 展 す る ﹂ と 説 く 進 化 論 的 な 解 釈 は 矛 盾 を 内 包 し て い る の で は な い か と 思 わ れ る 。 続 い て 岡 田 氏 は 伊 勢 神 宮 の 成 立 に つ い て 、 ﹁ 垂 仁 紀 二 十 五 年 条 の ﹁ 一 書 ﹂ に ﹁ 取 丁 巳 年 冬 十 月 甲 子 、 遷 于 伊 勢 國 渡 宮 ﹂ と あ る ﹁ 渡 宮 ﹂ は 内 ・ 外 宮 に 立 す る 以 前 の 伊 勢 神 宮 を さ し 、 ﹁ 丁 巳 年 ﹂ は 雄 略 朝 の 四 七 七 年 に 当 た り 、 大 王 家 の 守 護 霊 の 祭 場 を 伊 勢 へ 遷 し た こ と を 示 し て い て 、 こ れ が 伊 勢 神 宮 の 成 立 で あ る 。 神 宮 設 の 目 的 は 大 王 中 心 の 専 制 体 制 を 強 化 す る た め 、 そ の 宗 教 的 裏 づ け と し て 大 王 の 守 護 霊 を 国 家 的 祭 祀 の 対 一 五 一 日 並 四 皇 子
象 と す る こ と に あ っ た 。 そ の 歴 的 背 景 と し て は 東 国 経 営 の 進 展 も あ る が 、 朝 鮮 か ら の 日 本 の 敗 退 に 対 す る 国 際 的 危 機 が 直 接 的 動 機 と な っ た 。 伊 勢 の 度 会 が 鎮 座 地 に 選 ば れ た の は 、 太 陽 信 仰 の 聖 地 と い う 宗 教 的 条 件 が 大 き な 要 素 で あ っ た が 、 東 国 経 営 と の 関 係 も 無 視 で き な い24 ︶ 。 ﹂ と 、 新 た な 伊 勢 神 宮 雄 略 朝 成 立 説 を 唱 え 、 そ の 背 景 と し て 伊 勢 が 太 陽 信 仰 の 聖 地 で あ っ た と い う 宗 教 的 条 件 と 、 倭 国 王 権 の 東 国 経 営 と の 関 係 を あ げ る 。 と こ ろ が 岡 田 氏 説 は こ れ で 完 結 す る の で は な く 、 倭 国 王 家 の 祖 神 は も と か ら 太 陽 神 で あ っ た け れ ど も 、 そ の 神 は 高 皇 産 霊 神 か ら 天 照 大 神 に 替 わ っ た の で あ る と し て 、 次 の よ う に 主 張 す る 。 ﹁ 大 王 家 で は 最 初 か ら 太 陽 霊 を 守 護 霊 と し て 奉 斎 し て い た こ と は 明 白 で あ る 。 よ ほ ど 特 別 な 事 情 の な い か ぎ り 守 護 霊 の 変 は あ り え な い こ と で あ る 。 こ れ は 宗 教 上 の 原 則 で あ る 。 大 王 家 の 場 合 だ け 守 護 霊 を 変 す る よ う な 理 由 は え ら れ な い 。 従 来 の 大 王 家 と 太 陽 信 仰 の 結 合 が 新 し い と す る 説 の 根 拠 は 、 す べ て 天 照 大 神 の 新 し さ 、 お よ び 大 王 家 の 守 護 霊 が 倭 政 権 の 共 同 守 護 霊 に 発 展 す る の が 遅 か っ た 結 果 に 、 お き か え る こ と が 可 能 で あ ろ う 。 ﹂ と 述 べ 、 王 家 の 太 陽 神 祭 祀 が 当 初 以 来 の も の で 、 そ の 点 で は 変 は な か っ た と す る 。 次 に そ の 実 態 の 変 遷 に つ い て 、 ﹁ 五 世 紀 代 に お い て は 、 大 王 家 の 守 護 霊 た る 太 陽 神 が 、 大 和 朝 の 最 高 神 即 ち 国 家 的 祭 祀 対 象 と な り え な か っ た 。 大 王 の 宗 教 的 権 威 は む し ろ 三 輪 山 の 霊 異 を 背 景 と す る も の で あ っ た 。 五 世 紀 後 半 に な る と 、 大 王 権 の 発 展 に 伴 っ て 、 大 王 家 の 守 護 霊= 太 陽 神 を 倭 政 権 の 共 同 守 護 霊 と し て 、 国 家 的 祭 祀 の 対 象 に 昇 格 せ し め よ う と す る 動 き が 現 れ る 。 そ れ が 伊 勢 神 宮 の 成 立 で あ る 。 ﹂ と 説 き 、 倭 国 王 権 の 発 展 の 中 に 伊 勢 神 宮 の 成 立 を 位 置 づ け る 。 加 え て 、 ﹁ ﹃ 紀 ﹄ 神 代 紀 天 孫 降 臨 段 の 第 二 の ﹁ 一 書 曰 ﹂ で 、 タ カ ミ ム ス ビ の 言 が 二 ヵ 所 で ﹁ 勅 ﹂ と 記 さ れ て い る こ と は 、 タ カ ミ ム ス ビ を 最 高 神 と し て ﹁ 皇 祖 ﹂ に な ぞ ら え る も の が あ っ た こ と を 示 す 。 ﹃ 紀 ﹄ 第 二 巻 冒 頭 の ニ ニ ギ の 生 を 述 べ る と こ ろ で 、 ﹁ 皇 祖 高 皇 産 霊 尊 ﹂ と あ る 。 タ カ ミ ム ス ビ は 記 紀 系 譜 で は ニ ニ ギ の 外 祖 に 当 た る け れ ど も 、 天 照 大 神 の 独 占 で あ る べ き 皇 祖 と い う 語 で 表 現 す る の は 納 得 し が た い こ と で あ る 。 ﹂ と し て 、 天 照 大 神 を 王 家 の 本 来 の 祖 神 と す る 立 場 に 疑 問 を 呈 す る 。 さ ら に ﹁ 太 陽 神 を め ぐ る 神 話 も 、 タ カ ミ ム ス ビ を 主 神 と す る 神 話 で あ っ た 。 女 神 が 主 人 と な る 神 話 は 、 古 い 日 神 と ヒ ル メ の 神 と が 主 客 入 れ 代 っ た 後 に 、 神 名 だ け を 差 替 え る か 、 追 加 し た も の で あ る 。 太 陽 神 に 男 性 神 か ら 女 性 神 へ の 大 転 換 が あ っ た 。 日 神 が タ カ ミ ム ス ビ か ら ヒ ル メ の 神 に 、 そ し て 天 照 大 神 に 変 化 す る 。 ヒ ル メ の 神 の 成 立 は 古 い が オ ホ ヒ ル メ の 神 が 日 神 と 並 立 す る 最 高 神 の 位 置 に 上 が る の は 、 推 古 女 帝 の 時 一 五 二 日 並 四 皇 子
代 と え ら れ る 。 オ ホ ヒ ル メ の 神 を 単 独 の 最 高 神 と し て 天 照 大 神 と 名 を 変 え る の は 、 天 武 朝 の こ と で あ る 。 天 照 大 神 の 成 立 は 専 制 君 主 に よ る 太 陽 神 の 独 占 を 意 味 し 、 そ れ が 固 有 信 仰 に 与 え た 影 響 も 小 さ く な い も の が あ る25 ︶ 。 ﹂ と 述 べ 、 王 家 の 祖 神 が 高 皇 産 霊 神 か ら オ ホ ヒ ル メ 、 さ ら に 天 照 大 神 に 変 さ れ た の で あ る と 主 張 す る 。 紙 幅 を 費 や し て 岡 田 精 司 氏 説 を 引 用 し た の は 今 日 に 至 る ま で 古 代 研 究 者 の 間 に 大 き な 影 響 を 及 ぼ し て い て 、 倭 国 王 家 の 祖 神 が 高 皇 産 霊 神 か ら 新 し く 成 立 し た 天 照 大 神 に 変 さ れ た と す る 立 場 の 研 究 者 が 少 な く な い か ら で あ る26 ︶ 。 ほ ぼ 通 説 化 し た 有 力 な 見 解 と 位 置 づ け ら れ て い る が 、 こ の 説 の 問 題 点 と そ れ に 対 す る 私 見 は 後 に 述 べ る 。 そ の 後 、 岡 田 精 司 氏 は 伊 勢 神 宮 地 方 神 昇 格 説 に つ い て 、 ﹁ な ぜ 大 王 は そ れ ま で の 王 権 守 護 神 を 捨 て て 、 地 方 小 土 豪 の 守 護 神 に 切 り か え な け れ ば な ら な か っ た の か 、 ど う し て も 納 得 の ゆ く よ う に 説 明 す る 必 要 が あ る 。 し か し そ れ は 今 の と こ ろ 皆 無 で あ る 。 こ の 説 に は 王 権 の 宗 教 的 基 盤 、 最 高 守 護 神 の 問 題 に つ い て 配 慮 さ れ て い な い 、 神 宮 の 祭 祀 形 態 の 検 討 を 欠 い て い る と い う 基 本 的 問 題 点 が あ る 。 世 界 的 に み て も 最 高 守 護 神 の 祭 祀 は 大 王 の 権 力 の 呪 的 源 泉 で あ り 、 よ ほ ど 特 殊 な 事 情 が な い 限 り 変 は あ り え な い 。 大 王 が 地 方 の 弱 小 土 豪 の 守 護 神 を 〟 皇 祖 神 〝 に す る よ う な こ と は 、 世 界 の 宗 教 の 上 で も ま っ た く 例 を み な い27 ︶ 。 ﹂ と 批 判 す る 。 妥 当 な 見 解 で あ る が 、 ﹁ 最 高 守 護 神 は ⋮ よ ほ ど 特 殊 な 事 情 が な い 限 り 変 は あ り え な い ﹂ と い う 批 判 は 、 岡 田 氏 自 身 に も 向 け ら れ る べ き で は な い か と え る 。 ち な み に 、 古 学 の 視 点 か ら 伊 勢 神 宮 の 成 立 に つ い て 察 し た 穂 積 裕 昌 氏28 ︶ は 、 ﹃ 紀 ﹄ ﹃ 万 葉 集 ﹄ ﹃ 続 紀 ﹄ に お け る 関 連 料 を 列 記 し 伊 勢 神 宮 の 祀 時 期 と 鎮 座 地 に 関 す る 先 行 学 説 を 整 理 紹 介 し た 上 で 、 伊 勢 全 域 、 さ ら に は 伊 勢 南 部 の 後 の 神 郡 地 域 に お け る 当 該 時 期 の 古 学 上 の 知 見 を 合 的 に 判 断 し て 、 次 の よ う に 述 べ て い る 。 ﹁ 伊 勢 神 宮 の 成 立 と は 、 ア マ テ ラ ス の 宮 た る 伊 勢 神 宮 の 成 立 を 条 件 と し た も の で は な い 。 最 終 的 に ア マ テ ラ ス の 宮 に 帰 結 す る 施 設 が 、 最 初 に ヤ マ ト 王 権 と の 接 点 を 持 つ に 至 っ た 時 期 と 、 そ の あ り 方 を 問 題 に し て い る 。 そ の 時 期 は 五 世 紀 後 半 頃 で あ っ た と 推 定 さ れ る 。 結 果 的 に は 岡 田 精 司 が 提 起 し た 結 論 と 重 な る 部 が 多 い 。 ﹂ と 。 幅 広 く 古 学 の 視 点 か ら 伊 勢 神 宮 の 成 立 に 焦 点 を 当 て て 多 面 的 に 析 し た 成 果 は 評 価 で き る が 、 ﹁ 最 終 的 に ア マ テ ラ ス の 宮 に 帰 結 す る 施 設 ﹂ に 、 当 初 は 如 何 な る 神 格 が 奉 斎 さ れ て い た の か 。 ま た 、 倭 国 王 家 の 祖 神 ・ 天 照 大 神 の 奉 斎 さ れ な い 伊 勢 神 宮 と は 何 な の か 。 そ こ で 奉 斎 さ れ た 神 格 は 当 初 か ら 一 貫 し て い な け れ ば 、 倭 国 王 家 が そ こ に 遷 し た ︵ 祀 し た ︶ こ と の 意 味 が 存 在 し な い わ け だ か ら 、 そ れ は 後 に 天 照 大 神 の 名 辞 で 示 一 五 三 日 並 四 皇 子
さ れ る 神 格 以 外 に は え 難 い の で は な い か 、 等 の 疑 問 を 払 拭 す る こ と が 出 来 な い 。
六
ヒ
ナ
ミ
シ
皇
子
Ⅰ
| 草 壁 皇 子 | ﹃ 記 ﹄ の ﹁ 日 の 御 子 ﹂ と ﹃ 万 葉 集 ﹄ の ﹁ 日 の 皇 子 ﹂ を め ぐ る 問 題 は 先 述 し た が 、 お そ ら く ﹃ 万 葉 集 ﹄ に お い て 逸 早 く ﹁ 日 の 皇 子 ﹂ と 称 え 歌 わ れ る の は 、 ﹁ 皇 子 宿 于 安 騎 野 時 、 柿 本 朝 臣 人 麿 作 歌 ﹂ と 題 詞 の 付 さ れ る 四 五 番 歌 の 軽 皇 子 、 後 の 文 武 天 皇 で あ ろ う 。 柿 本 人 麻 呂 は 持 統 朝 頃 か ら ﹁ 日 の 皇 子 ﹂ の 称 辞 を 歌 謡 に 用 す る よ う に な っ た と み ら れ る が 、 持 統 天 皇 三 年 ︵ 六 八 九 ︶ 四 月 に 亡 く な っ た 文 武 天 皇 の の 草 壁 皇 子 ︵ 日 並 皇 子 尊 ︶ の 宮 で 柿 本 人 麻 呂 が 詠 ん だ 一 六 七 番 の 歌 ﹁ 日 並 皇 子 宮 之 時 、 柿 本 朝 臣 人 麿 作 歌 一 首 ﹂ や 、 草 壁 皇 子 の 舎 人 ら の 歌 二 三 首 の な か の 二 首 ︵ 一 七 一 ・ 一 七 三 番 歌 ︶ で も 草 壁 皇 子 に 対 し て そ れ が 用 い ら れ て い る 。 ﹁ 日 の 皇 子 ﹂ の 称 辞 が 歌 謡 に お い て 集 中 的 、 限 定 的 に 用 さ れ る 社 会 的 、 思 想 的 背 景 に つ い て も 慮 し な け れ ば な ら な い が 、 こ こ で 注 目 さ れ る の は そ の よ う に 称 え ら れ た 草 壁 皇 子 に 固 有 の 今 ひ と つ の 称 辞 ﹁ 日 並 ︵ ヒ ナ ミ シ ︶ 皇 子 ﹂ で あ る 。 こ れ に 関 し て は 、 神 野 志 隆 光 氏29 ︶ に 専 論 が あ る の で そ の 要 旨 を 引 用 し よ う 。 神 野 志 氏 は ﹃ 万 葉 集 ﹄ や ﹃ 続 日 本 紀 ﹄ な ど に お け る そ の 関 連 称 辞 を 集 成 し 、 次 の よ う に 類 、 察 す る 。 す な わ ち 、 ﹁ ﹁ 日 雙 ﹂ ﹁ 日 並 ﹂ は 、 そ の 字 義 か ら す れ ば 、 同 じ も の ︵ 資 格 ・ 内 容 ︶ と し て ﹁ 日 ﹂ が 二 つ あ い 並 ぶ の で あ っ て 、 あ い な ら ぶ 対 等 性 を と ら え る こ と が 大 事 で あ る 。 特 殊 な 草 壁 へ の 意 識 を ﹁ 日 並 ﹂ と い う こ と に こ め た 称 え 名 で あ る の は 瞭 然 で あ り 、 ﹁ 日 並 ︵ 雙 ︶ ﹂ は あ く ま で 草 壁 に 固 有 の 讃 称 で あ る 。 日 並 知 皇 子 は 、 た ま た ま 私 的 に お こ な わ れ た と い う よ う な 性 格 の も の で は な く 、 的 な 意 味 を も つ 諡 号 で あ っ た と え る べ き で あ ろ う 。 ﹂ と 位 置 づ け て 、 そ れ を 五 つ に 類 す る30 ︶ 。 A: 日 雙 斯 皇 子 命 ︵ 万 、 巻 一 、 四 九 ︶ B: 日 並 皇 子 尊 ︵ 万 、 巻 二 、 一 一 〇 題 詞 。 一 六 七 題 詞 ︶ 、 日 並 皇 子 ︵ 東 大 寺 献 物 帳 ︶ C: 日 並 知 皇 子 尊 ︵ 続 日 本 紀 ⋮ 文 武 即 位 前 紀 ・ 元 明 即 位 前 紀 ・ 元 正 即 位 前 紀 ・ 天 平 元 年 二 月 甲 戌 条 ︶ 、 日 並 知 皇 子 命 ︵ 続 日 本 紀 ⋮ 慶 雲 四 年 四 月 庚 辰 条 ・ 天 平 宝 字 二 年 八 月 戊 申 条 ︶ 、 日 並 知 皇 太 子 ︵ 続 日 本 紀 ⋮ 慶 雲 四 年 七 月 壬 子 条 ︶ 一 五 四 日 並 四 皇 子D: 日 並 所 知 皇 太 子 ︵ 万 、 目 録 巻 二 、 一 一 〇 。 本 朝 月 令 五 月 五 日 条 所 引 右 官 記 ︶ 、 日 並 所 知 皇 子 ︵ 七 大 寺 年 表 大 宝 三 年 条 、 南 都 高 僧 伝 義 淵 条 所 引 龍 蓋 寺 伝 ︶ E: 日 並 御 宇 東 宮 ︵ 粟 原 寺 露 盤 銘 ︶ そ う し て 、 ﹁ ﹃ 万 葉 集 ﹄ 四 九 番 歌 の 必 然 性 の な か で 人 麻 呂 に と っ て ﹁ 日 雙 ﹂ と い う 意 識 は は じ め て 明 確 な 形 を と っ た 。 草 壁 皇 子 を ﹁ 日 が あ い な ら ぶ ﹂ よ う な 特 別 な 存 在 と し て 位 置 づ け る こ と そ の も の が 、 こ こ で は じ め て 明 確 に 形 づ く ら れ た と 見 る べ き で は な い か 。 ﹁ 日 並 ﹂ を も っ て 特 に 草 壁 を 呼 ぶ こ と は 人 麻 呂 か ら は じ ま っ た 。 一 六 七 番 歌 の 持 統 三 年 の 時 点 か ら 四 九 番 歌 の 持 統 六 年 の 間 で 、 人 麻 呂 の 中 で 草 壁 は い わ ば 上 昇 、 拡 大 し た の で あ る 。 天 武 へ の 特 別 な 崇 敬 を 共 有 す る な か で 、 持 統 ・ 文 武 ・ 元 明 ・ 元 正 朝 に お い て 、 自 ら の 王 権 の 正 当 性 を 、 草 壁 を ﹁ 日 並 ﹂ と し て 上 昇 さ せ る こ と に よ っ て 保 障 し よ う と す る の が 、 ﹁ 日 並 ﹂ の 定 着 で あ る と い っ て よ い ﹂ と 結 論 す る 。 日 並 皇 子 の 称 辞 の 成 立 と 展 開 に つ い て 古 代 文 学 の 視 点 か ら 論 究 し た 、 管 見 で は あ る が 数 少 な い 専 論 と し て 評 価 で き る 。 た だ 、 持 統 ・ 文 武 ・ 元 明 ・ 元 正 天 皇 ら が 、 自 ら の 王 権 の 正 当 性 の 保 障 を 、 草 壁 皇 子 を ﹁ 日 並 ﹂ と し て 上 昇 さ せ る こ と に 求 め た と し て も 、 そ れ が ど う し て ﹁ 日 並 ︵ ヒ ナ ミ シ ︶ ﹂ 皇 子 と い う 称 辞 で あ っ た の か 、 と い う 課 題 が 残 る 。 当 時 、 王 家 に よ る 太 陽 神 崇 拝 が 高 揚 し て い た と み る 見 解 と 関 連 づ け て 理 解 す る 立 場 も あ ろ う が 、 そ れ は 後 述 す る と し て 、 そ の 称 辞 が ﹁ 草 壁 皇 子 を 〟 日 が あ い な ら ぶ 〝 特 別 な 存 在 と し て 位 置 づ け る ﹂ も の で あ っ た と し て も 、 ﹁ 日 並 ﹂ の ﹁ 日 ﹂ は 何 を 意 識 し た も の 、 す な わ ち 自 然 と し て の 太 陽 、 あ る い は 天 皇 家 の 祖 神 と し て の 日 神 ︵ 天 照 大 神 ︶ 、 そ れ と も 天 皇 自 身 な の か 、 な お え な け れ ば な ら な い と 思 わ れ る 。 ﹁ ヒ ナ ミ シ ﹂ の ﹁ ナ ミ ﹂ は 同 列 ・ 同 等 の 意 の 名 詞 と み て よ い が 、 参 ま で に 手 元 の 辞 典 類 の 解 釈 を 見 す る と 、 ﹃ 角 川 古 語 大 辞 典31 ︶ ﹄ は ﹁ ひ な み し の み こ ﹂ に つ い て 、 ﹁ 日 ︵ 天 皇 ︶ と 並 ん で 天 の 下 を し ろ し め す 皇 子 ﹂ の こ と と し 日 を 天 皇 と 解 す る け れ ど も 、 ﹁ ひ な み し の み こ ﹂ と い う 語 に は 本 来 ﹁ 天 の 下 を し ろ し め す ﹂ 意 は 存 在 し な い と え ら れ る 。 ﹃ 新 選 古 語 辞 典32 ︶ ﹄ に ﹁ ひ な み し の み こ ﹂ の 項 目 は な く 、 ﹁ ひ な み ﹂ は ﹁ 毎 日 す る こ と ﹂ ﹁ 日 の よ し あ し ﹂ と 述 べ 、 ﹁ ひ な み ﹂ の 語 に は ﹁ 日 と 並 ぶ ﹂ と い う 意 は み え な い 。 ﹃ 広 辞 苑33 ︶ ﹄ で は 、 間 投 助 詞 ﹁ し ﹂ は ﹁ 上 の 語 を 強 く 指 示 し て そ の 意 味 を 強 め 、 ま た 、 語 調 を 整 え る ﹂ と 解 説 す る 。 ﹁ ヒ ナ ミ シ ﹂ 皇 子 は 柿 本 人 麻 呂 の 作 し た 表 現 で あ る と 言 っ て し ま え ば そ れ ま で で あ る が 、 そ れ を ﹁ 日 が あ い な ら ぶ ﹂ 意 と 解 す る こ と に 不 安 一 五 五 日 並 四 皇 子
が な い わ け で は な い 。 そ れ を ﹁ 日 と 等 し い ﹂ と 解 し ﹁ 日 の 皇 子 ﹂ の 表 現 に 引 き つ け て え る な ら ば 、 ﹁ ヒ ナ ミ シ ﹂ は 本 来 ﹁ 日 と 等 し い も の ﹂ の 意 で は な か っ た か と の 推 察 も 成 り 立 つ 。 す な わ ち 、 ヒ ナ ミ シ 皇 子 は 太 陽 皇 子 の 意 、 ﹁ 日 の 皇 子 ﹂ の 別 な 表 現 で あ っ た の で は な い か と 憶 測 す る 。
七
ヒ
ナ
ミ
シ
皇
子
Ⅱ
| 敏 達 天 皇 | と こ ろ で 、 ﹁ ヒ ナ ミ シ 皇 子 ﹂ は 草 壁 皇 子 に 限 っ て 用 い ら れ た 固 有 の 称 辞 で あ る と み ら れ て き た が 、 い ま 一 例 古 代 料 に 存 在 す る 。 そ れ は 醍 醐 寺 本 ﹃ 元 興 寺 伽 藍 縁 起 流 記 資 財 帳 ﹄ で あ る34 ︶ 。 こ れ は 仏 教 伝 年 次 を め ぐ っ て 取 り 上 げ ら れ る 機 会 の 多 い 料 で あ り 、 奥 付 は 天 平 十 九 年 ︵ 七 四 七 ︶ と な っ て い る が 後 述 す る よ う に 疑 問 が 少 な く な い 。 問 題 の 表 記 は 、 木 裕 美 氏35 ︶ が 内 容 か ら 七 部 に け た 本 文 第 二 部 に 存 在 す る 。 す な わ ち 、 欽 明 天 皇 七 年 歳 次 戊 午 十 二 月 に 百 済 国 聖 明 王 が 仏 教 を 贈 与 し 、 餘 臣 等 の 反 対 の な か 、 蘇 我 大 臣 稲 目 宿 の み が 受 容 に 賛 同 し た 。 欽 明 天 皇 が 仏 像 等 の 安 置 礼 拝 場 所 を 大 臣 に 諮 問 し た と こ ろ 、 大 々 王 後 宮 が よ い と 答 え た の で 、 天 皇 は 大 大 王 ︵ 後 の 推 古 天 皇 ︶ に 牟 久 原 後 宮 を 他 国 神 の 宮 と す る よ う に 命 じ た 。 ﹁ 数 々 神 心 発 ﹂ こ と を め ぐ っ て 、 ﹁ 他 國 神 礼 罪 也 、 ⋮ 神 子 等 止 阿 ル 我 等 言 者 不 聞 ﹂ の 故 に 災 厄 が 起 こ る の で あ る と 廃 仏 を 説 く 餘 臣 等 と 、 そ れ に 反 対 す る 大 臣 稲 目 宿 の 間 で 論 争 が あ っ た 。 そ れ か ら 卅 餘 年 を 経 て 大 臣 稲 目 宿 が 重 篤 な 病 床 に あ っ て 、 池 邊 皇 子 と 大 々 王 に ﹁ 終 佛 法 莫 レ ト 忌 捨 ト ﹂ 後 言 し た 。 ﹁ 尓 時 大 々 王 者 、 日 並 ノ 田 ノ 皇 子 之 嫡 后 止 坐 キ 、 池 邊 ノ 皇 子 者 他 田 皇 子 ノ 即 次 ト 坐 キ 、 以 是 後 言 白 キ 。 ﹂ と 記 す 。 問 題 は こ の 中 の ﹁ 日 並 田 皇 子 ﹂ の 表 記 で あ る36 ︶ 。 こ の 表 記 に つ い て 、 ﹃ 元 興 寺 伽 藍 縁 起 流 記 資 財 帳 ﹄ 写 本 の 写 真 を 掲 載 す る ⑥ ︵ 番 号 は 34 ︶ に 対 応 ︶ を 見 る 限 り 、 確 か に ﹁ 日 並 田 皇 子 ﹂ と あ る が 、 参 照 し 得 た 諸 書 は 次 の よ う に 訂 す る 。 ① ﹁ 日 並 田 皇 子 ﹂ と あ る ま ま 。 ② ﹁ 日 並 ノ 田 ノ 皇 子 ﹂ の ﹁ 田 ﹂ の 右 に ︵ 四 カ ︶ と 傍 書 し て 、 ﹁ 日 並 ノ 四 ノ 皇 子 ﹂ で あ っ た 可 能 性 を 記 す 。 ③ ﹁ 日 並 田 皇 子 ﹂ と あ る ま ま 。 ④ ﹁ 日 並 四 皇 子 ﹂ と 改 め 、 七 七 一 頁 頭 で ﹁ 底 本 ﹁ 田 ﹂ に 作 る を 、 私 見 を 以 て 改 む 。 ﹂ と 記 す 。 読 み 下 し 文 で ﹁ 日 並 四 皇 子 ﹂ と ル ビ を 付 し 、 括 弧 内 に 小 字 割 書 で 敏 達 天 皇 と 記 す 。 一 五 六 日 並 四 皇 子⑤ ﹁ 日 並 四 皇 子 ﹂ と 表 記 し 、 九 頁 頭 注 で 敏 達 天 皇 の こ と と 記 す 。 三 三 四 頁 の 異 で 、 ﹁ 田 | 四 ﹂ と 記 し 、 注 者 が 改 め た こ と を 示 す が 、 そ の 根 拠 に は 触 れ て い な い 。 ⑥ 読 み 下 し 文 で ﹁ 日 並 四 皇 子 ﹂ と 表 記 し 、 ﹁ 四 ﹂ に ︹ 田 ︺ と 傍 書 し て 原 文 が そ う で あ る こ と を 示 す 。 こ れ の 前 後 の 記 述 か ら み て 、 こ の 部 の 大 々 王 は 後 の 推 古 天 皇 、 池 邊 皇 子 は 後 の 用 明 天 皇 で あ る こ と は 確 か で あ る か ら 、 ﹁ 日 並 田 皇 子 ﹂ は 即 位 前 の 敏 達 天 皇 に あ て ら れ る こ と も 間 違 い な い 。 他 の 箇 所 で 敏 達 天 皇 は 、 即 位 前 は 他 田 皇 子 、 即 位 後 は 他 田 天 皇 と 表 記 さ れ て い て 、 ﹁ 日 並 田 皇 子 ﹂ と 表 記 さ れ る の は こ れ 一 例 の み で あ る 。 他 田 ︵ ﹃ 記 ﹄ ︶ は 訳 語 田 ︵ ﹃ 紀 ﹄ ︶ と も 記 さ れ る が 、 ﹁ 日 並 田 ﹂ が 他 田 も し く は 訳 語 田 の 誤 記 と 看 做 し 難 い こ と か ら 、 ﹁ 日 並 四 ﹂ 皇 子 と 訂 さ れ て い る の で あ る 。 筆 者 も そ れ 以 外 に 解 し よ う が な い と え る が 、 当 時 の 記 録 の 残 存 情 況 か ら 推 察 し て 原 資 料 は 敏 達 天 皇 歿 後 の も の で あ る 可 能 性 が 高 い と 思 わ れ る 。 き わ め て 孤 立 的 な 表 記 で は あ る が 、 即 位 前 の 敏 達 天 皇 を ﹁ 日 並 四 皇 子 ﹂ と 称 し た こ と が あ っ た と い う こ と に な る 。