博士(行動科学)後藤靖宏 学位論文 題名
リズム知覚過程に関する認知科学的研究
学位論文内容の要旨
本 研 究 は ,認 知 科 学 的な 観 点 か ら音 楽 の リズ ム の 知覚 過 程 を 明ら か に しよ うとし た も の である .本論 文は, 全体で5部11章か ら構成 されて おり, その内 容は,第I部(第1章)が 「序」,第II部(第2〜第3章)が「先行研究の概観」,第III部(第4章〜第7章)が「実験研究」,
第IV部 ( 第8章 〜 第10章 ) が「 モ デ ル 研究 」 , 第V部 (第11章)が 「まと めJとな ってい る・
第I部第1章 で は , 本研 究 の 背 景と 目 的 に っい て 述 べ てい る . 間 き手 が 音 楽 を聞 いて,そ の リズ ム を 知覚 す る こ とが で き る ため に は , 音響 的 情 報 を知 覚 的 に 体制 化 し,時 間的 に 構 造化す ること が必要 となる .音楽 を聞い て知覚さ れる時 間構造 には 拍節構 造(metrical structure) と呼ば れる側 面があ り,西 洋調性 音楽に おいて 拍(beat) や 拍 子(meter) や 小節(bar冫 な どと い っ た用語 で表現 されて いる概 念は, 全てこ の拍節 構造を 構成する 心 理 的 時 間 単 位 を ぃ う . 本 研 究 の 目 的 は , 拍 節 構 造 の 知 覚 を も た ら す 拍 節 的 体 制 化 (metrical organization) の 性質 を , 心 理学 的 実 験と 計算論 的モデ ル化とい う作業 を通 して明らかにすることである.
第II部 では, リズム 知覚に 関して これま でに行わ れている研究を概観している.第2章(「拍 節 的 体制 化 の 過 程に 関 す る 実験 研 究 」 )で は 拍 節 的体 制化 の過程 に関す る実験 研究を ,第3 章( 「拍節 的体制化 の過程 に関す るモデ ル研究 」)で は拍節 的体制 化の過程に関するモデル研 究を,それそれ幅広く概観している・
第III部 で は ,聞 き 手 の 拍節 的体 制化の過 程を明 らかに すると いう目 的のも とで行 った,6 つの 実験研 究を報告 してい る.第4章(「拍節単位の心的実在性と心内表象の性質(実験1)」)
で は ,拍 節 構 造 の心 理 的 実 在性 を 確 認 する た め の 実験 を 行 っ てい る . あ る音 列 から一 定の 長 さ の断 片 を 抜 粋し , 元 の 音列 と 抜 粋 した 断 片 を 順に 被 験 者 に呈 示 し て 再認 さ せた. この と き ,断 片 は 異 なっ た 位 置 /異 なった 位相か ら複数 種類抜粋 されて いた. 再認実 験の結 果,
抜 粋 した 位 相 が 異な る と そ の再 認 率 の 間に 違 い が 確認 さ れ , また 評 定 課 題で も 同様の 傾向 が 確 認さ れ た . 抜粋 し た 断 片は 全 て 元 の音 列 内 に 存在 し た に もか か わ ら ず, 断 片間に は再 認 率 の違 い が 生 じて お り , この 結 果 は ,特 定 の 拍 節単 位 の み が心 的 に 表 象さ れ たこと ,ま た , 拍 節 構 造 が 心 理 的 に 実 在 し て い る こ と を 示 唆 し て い る と 考 察 し て い る . 第5章 (「拍 節構造 知覚の 基本的偏好性と漸進的確立(実験2)」)では,聞き手の拍節的体制 化 の 過 程 に み ら れ る 基 本 的 な 偏 好 性 と , そ の漸 進 的 な 確立 の 特 徴 とを 詳 し く 観察 し て い る . 既存 の 楽 曲 から 冒 頭 数 音〜 十 数 音 を抜 粋 し て 音価 の み の 音列 を 作 成 した . 次に, 冒頭 か ら3音 分, 冒 頭 か ら4音分 , 冒 頭 から5音分 と い う よう に1音 ず つ 加え て 段 階 的に 被験者に 呈 示 し, 知 覚 し た拍 節 構 造 を記 述 さ せ た. そ の 結 果, 間き 手は, 音列を 単純な2倍型の 拍節 構 造 とし て 解 釈 しよ う と す る傾 向 を も って い る こ と, ま た , この 傾 向 は 音列 の 冒頭で は特 に 強 いこ と を 確 認し て い る .ま た , 音 列の 冒 頭 に おけ る 拍 節 構造 の 知 覚 の程 度 は強い もの で は なく , 音 列 力s進行 す る に っれ て 自 身 の解 釈 を 徐 々に確 定して いくこ とを明 らかに して いる.
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第6章(「拍節構造知覚の確定と変更の過程(実験3〜5)」)では,音列の冒頭で知覚した拍 節構造が,音列が進行するにっれてどのように確定もしくは変更されていくかを調ぺてい る.聞き手はひとたび拍節構造を知覚すると,一定の周期で ダウンピート(down beat) を予測するようになる.ダウンピートとして予測される時点に,音のonsetijs存在するかど うかということがその後の拍節解釈に影響するとする予測を立てて実験を行い,ダウンピ ートが予測される時点に音のonsetが発生する場合には,その時点までの解釈が確定され,
逆に予測される時点に音のonsetがこない場合には,解釈が変更されるという結果を得てい る.
第7章(「音楽非熟達者の拍節構造の知覚:熟達者との比較(実験6)」)では,音楽の非熟達 者の拍節知覚の特徴を熟達者のそれと比較している.音楽非熟達者は,自分の知覚した拍 節構造を言語的に報告することが困難であるが,楽曲に対して皆等しく手拍子を打ったり 足踏みをしたりすることができることからは,音楽熟達者と同様に拍節的体制化を行って いることが予想される. probe tone technique を応用した実験課題によって両者の拍節 知覚を比較した結果,両者の間には本質的な差異は見い出し得ず,原則として音楽の熟達・
非熟達に関わらず,ほぼ等しく拍節的体制化がなされている,ということを明らかにして いる.また,複雑な拍節構造をもつ音列を聞く場合には,音楽の非熟達者は,熟達者と比 ぺ る と そ の 拍 節 構 造を 知 覚 する の が 遅れ る 傾 向の あ る こ とを 明 ら かに し て いる . 第IV部では,聞き手の拍節的体制化に関するモデル研究を行っている.第8章(「既存の モデルの考察:計算機上への実装とシミュレーション」)では,これまでに提案されている りズム知覚のモデルのうち,特に高く評価されている,Lee (1985)のモデルおよびPovel and Essens (1985)のモデルにっいて,それそれのアルゴリズムを研究して計算機上に実装して いる.そしてシミュレーションを行い,その振舞いの妥当性と問題点を詳細に考察してい る.
第9章(「新たな拍節的体制化の過程のモデルの提案」)では,新たな,拍節的体制化の過 程のモデル( メトリカル・ユニット階層化モデル )を提案している.ここで構築したモデ ルは,先行研究を基本にして,実験結果をよりよく説明することができるような改良が加 えられている.漸進的処理を行う点,拍節知覚の階層性を明確に出カする点などに加えて,
実時間的な制約をもっている点,tactusを明示的に出カする点,2倍型拍節解釈への偏好性 を意識している点など,既存のりズム知覚モデルにはなかった新しい特徴を備えている・
第10章(「モデルの妥当性:実験結果とシミュレーション結果との比較」)では,構築した モデルを計算機上に実装し,その妥当性を検討している.実装したモデルによって実験2で 使用した全音列をシミュレートし,実験結果と比較した結果,Lee (1985)のモデル,Povel and Essens (1985)のいずれのモデルよりも高い予測率を示した.たとえば 拍 に関して は,メトリカル・ユニット階層化モデルが間き手の結果の67.9%を完全に予測できたのに対 し,Lee (1985)のモデルでは26.7%,Povel ancl Essens (1985)のモデルでは1.23%しか予測 できなかった.こうした結果は,新たに構築したメトリカル・ユニット階層化モデルが,
他のモデルを凌駕して高い予測カをもつことを示している.
第V部第11章(「一般的考察と将来への展望」)では,本論文の全体的なまとめを述ペ,今 後 解 決 さ れ る べ き 課 題 と 将 来 に む け て の 展 望 に っ い て 言 及 し て い る .
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学位論文審査の要旨 主査 教授 阿 部純一 副査 助教授 田山忠行 副査 教授 篠 塚寛美 副査 教授 大 津起夫
学 位 論 文 題 名
リズム知覚過程に関する認知科学的研究
本研 究は ,人 間の リ ズム 知覚過程の性質を明らかにしようとしたもので ある.
第I部では,本研究の背景と目的について述べてい る.音楽を聞いて知覚される時間 的構造には, 拍節構造(metrical structure) と 呼ばれる側面があり,西洋音楽に お い て 拍(beat) や 拍 子(meter) や 小 節(bar) な どと いっ た用 語で 表現 されている概念は,全て この拍節構造を構成する心理的時間単位を意味する.本研究で は ,こ の拍 節構 造の 知覚 をも たら す 拍節 的体 制 化(metrical organization) の処 理の原理を,心理学的実 験と計算論的モデル化という作業を通じて明らかにしようとし ている・
第II部では,リズム知 覚に関してこれまでに行われている研究を概観している .第2 章では拍節的体制化の過 程に関する実験研究を,第3章では拍節的体制化の過程に関す るモデル研究を,それそ れ概観している.
第III部では,著者が,間き手の拍節的体制化の過 程を明らかにするという目的のも とに行った,6つの実験研究を報告している.
第4章(実験1)では, 音列の知覚時に拍節的体制化がなされていること,また,その 知 覚的 体制 化の 処理 の結 果,心内に特定の時間単位の表象が生じることを確認 してい る.
第5章(実験2)では, 聞き手がもつ特定の拍節構造への偏好性と,間き手が知覚する 拍節構造の漸進的確立と を詳しく観察している..音列の冒頭から1音ずつ増やした音列 を用意し,そのそれそれ に対して知覚された拍節構造を分析した結果,聞き手は,音列 を2倍型の拍節構造として解釈しようとする傾向をも っており,その傾向は音列の冒頭 では特に強いことを確認 している.また,音列が進行するにっれて自身の解釈を徐々に 確定していくことも確認 している・
第6章(実験3‑‑‑5)で は,知覚した拍節構造が,音列が進行するにっれてどのように 確定もしくは変更されて いくかを調べている.実験の結果から,ダウンビートが予測さ
れる時点に音のonsetが生 じる場合にはその時点までの解釈が確定され,音のonsetが来 な い 場 合 に は そ れ ま で の 解 釈 が 変 更 さ れ る , と ぃ う こ と を 明 ら か に し て い る . 第7章 で報 告されている実験では,音楽の非熟達者の拍節 知覚の特徴を熟達者のそれ と比較している.音楽非熟達者(すなわち音楽の素人)は,自分の知覚した拍節構造を,
自身で意識し,言語的に報告することが出来ない.そ して,それがためにか,その知覚 は音楽熟達者の知覚と質的に異なるのではないかとの 直感が一般にもたれている.本章 の実験では, probe tone technique を応用した実 験課題を考案し,それを用いるこ とによって両者の拍節知覚の特徴を比較することに成 功している.そして,その結果か ら,両者の間には本質的な差異は見い出し得ず,拍節 的体制化の処理は人間にとって基 本的な処理特性であることを明らかにしている・
第IV部 で は , 聞 き 手 の 拍 節 的 体 制 化 に 関 す る モ デ ル 研 究 を 行 っ て い る . 第8章 では ,これまでに提案されているりズム知覚の計算 論的モデルのうち,特に高 く評価されている2つのモ デル,Lee(1985)のモデル とPovel and Essens(1985)のモ デル につ いて考察している.ま た,実験2で使用した刺激音 列を用いてシミュレーショ ン を 行 い, それ それ のモ デル の心 理学 的妥 当性 と問 題点 と を詳 細に 考察 して いる . 第9章 では ,新たな拍節的体制化の過程のモデル( メト リカル・ユニット階層化モ デル )を提案している.このモデルは,実時間的な 制約を加えることで,聞き手が知 覚する時間単位をよりよく予測できるように仕組まれ ており,この点が既存のりズム知 覚モデルにはなかった新しい特徴となっている.
第10章 では ,第9章 で 提案 した 新し いモデルの心理学的妥当性を検討している.第9 章で提案したモデル(メトリカル・ユニット階層化モデル)を計算機上に実装し,実験2 で使用した全音列に対するシミュレーション結果を得 た上で,実際の聞き手の反応結果 と比 較し ている.その分析の結 果,Lee(1985)のモデルやPovel and Essens(1985) のモデルよりも,このモデルは,人間の反応をよりよ く予測することを検証している・
このモデルは,その予測率から見て,現在,世界中で 提案されているりズム知覚モデル の中でも心理学的に見て最先端のレベルにあるものと 言うことができ,その理論的考察 と心理学的妥当性の検証とは,本論文に記されている 学問的貢献の中で最も高く評価さ れるべきものとぃえる.
第V部第11章は,本論文 のまとめとなっている.
以上の内容と評価により,当審査委員会は,本論文 の著者後藤靖宏氏に博士(行動科 学)の学位を授与することが妥当であるとの結論に達 した.
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