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経
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訳
経
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北説のころ中国で編纂・撰述されたと思われる﹃浄度三味経﹄ (以下、﹃浄度経﹄)は、現時点、日本二本、中国十二本、あわ せて十四本が知られるのみであり、諸経録には巻数の相違する 数種の﹃浄度経﹄や﹃浄度三昧抄﹄を収めているが、その現存 する﹃浄度経﹄十四本はみな零本ながら、いずれも三巻本系統 に属するようである。十四本が今に残されているその数の多少 については、撰述経典という性格上、決して少ないとは思われ ないが、日本に伝存する二本について言えば決して多いとは思 われない。更に言えば浄土教系各宗における伝存が皆無である ことは不思議でさえある。というのも長西(一一八四 l 一 二 六予
寄
藤
隆
六)の﹃浄土依愚経論章疏目録﹄(﹃長西録﹄)群経録一に、浄 土三部経岡本異訳入部を列ねた直後に﹁浄土三味経三巻三十三 丁失訳﹂とあり、阿弥陀仏信仰と関連する各︿般舟三昧経﹀ や﹃悲華経﹄の前に置かれている。これは﹃浄度経﹄が依愚す べき要経であることの証左でもある。にもかかわらず浄土教系 各宗には伝存がなく、そして日本において法隆寺本(京都大学 附属図書館所蔵の記続蔵経本の底本)と七寺本しか知られてい ないということは決して多いとはいえないであろう。単に撰述 経典 H 不入蔵ということだけではかたづけられない問題であ る。こうしたことは﹃十往生経﹄についても言えることである。 さて、その零本十四種によって各本の校訂が可能となり、 ﹃浄度経﹄の全貌が明らかになった(﹃七寺古逸経典研究叢書 第二巻・中国撰述経典(其之二)﹄参照)。そしてこれによって様々な問題を指摘できるようになった。筆者は以前、﹃浄度経﹄ ( l ) と竺法護訳諸経との関連を指摘しておいた。よって本稿では、 この三巻本﹃浄度経﹄における訳語の語集を竺法護訳諸経と比 較し、更に巻第一に説かれる﹃浄度経﹄独自の三十地獄説につ いも、信一法護訳﹃修行道地経﹄地獄品と対照し、その関連性に つ い て 明 ら か に し た い 。
一
、
文質と文白の問題
訳語訳文を決定する翻訳者らの苦慮試行は、即ち意訳(文) か直訳(質)かの論争であり、それぞれの訳者の主体的立場に ( 2 ) 委ねられてきた。またそれは一部の経録にも注意されることに なった。この文と質の確執と並んで、同時に文語と白話の確執 もありうるのでbu
。これらに関して度々引きあいに出される ( 4 ) 支謙の撰と言われる維祇難訳﹃法句経﹄の序に引かれた老子と 孔子のことばは、これをよく物語っている。 美言は信ならず、信言は美ならず。(老子、八十一) 文質についは先学の考証もある(ぬ、もう一方で、仏典をインド の膨大な文学作品と見なせば文が優先され、神聖な聖典と見な せば質が優先されるとも言える。口語文語については、インド 以来の口授が口語体として発揮するか、推敵をかさね荘厳され ﹃ 浄 度 三 味 経 ﹄ と 佐 一 法 護 訳 経 典 た美言はいっそう文語調になるとも言えるであろう。 い ず れ に せよそこに自ずと翻訳された文章に差異が生じる。 漢訳仏典における口語導入の理由として、様々なことが考え ( 6 ) られるが、本来仏教経典とは仏と仏弟子などが中心となってお りなす会話形式で展開しており、その聞に地の文(叙述文)を 挿入することでその情景を説明的に描写し物語風にしたてて会 話文をつないでいるのだから、漢訳経典に口語的表現が頻出す ることは、会話箇所に限って言えば理にかなっており、さほど 不思議な現象ではないだろう。しかし地の文にまで口語表現が 含まれているのであるから事はそう単純ではない。ただ、漢訳 仏典における口語表現の導入理由としてしばしば指摘されてい るのが、仏法をあまねく衝巷人聞に弘めるために、庶民が使用 する口語語実語法を取り入れたという説である。ところが、そ もそも仏典というものを庶民が学ぶことはもちろんのこと、目 せいぜい出家者と 一部の知識人でしかないであろうし、たとえ在家者が経典に接 する機会をもち、そこに口語が多く含まれていたとしても、思 をとおすこともまずありえないのであって、 弁的で難解な仏教思想を見聞して容易に理解できたとはとうて い考えられない。だからこそ後に撰述経典や、更におくれて変 文や講経文が誕生し俗講が行われてきたのではないか。よって 口語導入の来源はそこにはないであろう(註例を参照)。それ 七併教大学総合研究所紀要第四号 ではこれをいったいどう考えればよいのか。それは筆者に的確 な結論の用意はないが、その漢訳初期においては将来した原典 からの翻訳というよりも、来華僧の口請をもってなされていた ということを考慮に入れなくてはならないだろうし、更に朔っ て印度仏教僧の師資相承の口請の伝統が翻訳に顕現したか、ま ( 7 ) た原典にも既に口語表現が含まれていた可能性もあろうが、そ の解明については筆者の力及ばない分野である。また仏典を受 容した中国人僧侶は、難解な教えを是が非でも血肉化しようと したはずである。だれもが争うように仏典を読み研鎖をかさね ただろう。このような旺盛な求道心が、少しでも容易に理解で きるような馴染み易い翻訳を導いたのかもしれない。いずれに せよ安世高以来、はじめから翻訳仏典には口語と思われる語棄 が含まれており、これを仏教の弘通のためというならば、庶民 に対する配慮というよりは、むしろ出家者自身に対する配慮で はなかったろうか。よってはじめから組織的に仏教を中国に根 付かせようとして口語語棄を取入れたのではない。中国知識人 たちの関心をひき中国に仏教が定着したのは結果論でしかない のである。そもそも訳経の文体や文白問題のみを取りあげて仏 教弘通、あるいは仏教の定着を論ずることなどできないはずで あり、さま、ざまな要因を考慮しなくてはならないのである。 また口語導入についてのみならず、仏典の文体にも注意をは j¥、 らう必要がある。それはこれまでの質実至上主義の文体から、 後漢ごろに始まり六朝期、更に初唐に特に支配的となった装飾 ( 8 ) 的な四六体の出現であり、仏典における導入である。ただし仏 典のそれはあくまで翻訳にかかるので対句構成をとらない。よ って厳密にいえば四六体ではあっても餅文体ではありえない。 また装飾的文章の条件である平灰の配置にしても規範はありえ ないし、偶煩における句末の押韻もない。つまり概ね一経の首 尾四字六字という表面上の字数のみに配慮がなされているだけ である。仏典における四六体は鳩摩羅什をまってその頂点に達 する。それははたして羅什の入京をまたずして没した道安の翻 訳論の範鴎におさまる範囲であったのだろうか。 さて、ここに述べた仏典における口語導入と四六導入の同時 的現象は、話しことばと飾り立てられた書きことばというよう に、あたかも水と油が混ざらないごとく、 が あ る 。 一見して矛盾する感 四六体はあくまでも文の よって四六を基調とする文体 しかし実際はそうではなく、 スタイルでありリズムである。 に、文語ではない口語語業語法が使用されているということな ( 9 ) のである。仏典においては口語の導入がまず先にあって、その 後に四六体が導入されてくる。例えば初の漢訳者である後漢の 安世高には多数の翻訳経典が残されており、それらの経典には ( 印 ) 既に口語表現が採用されているもっとも何をもって口語表現
( U ) と断定するかの問題はあるが、決して一経首尾四六を基調と した装飾的な文体とは言い難い。﹃出三蔵記集﹄巻第十三の安 世高伝に﹁義理明析、文字充正、弁而不華、質市不野﹂とある 僧祐のコメントのとうりである。我々が大正蔵経における安世 高訳とされる経典を任意に選んで読み込み、万が一、四六が基 調となっていれば、たいていそれは、費長房によって無批判に 安世高に仮託された後世の翻訳経典あるいは撰述経典であるこ とが、各経典目録によって再確認できるはずである。六朝の四 六の文体になじんだ者には安世高の訳経は非常に読みずらいは ずである。したがって﹃出三蔵記集﹄十三(九五上)の安世高 伝に﹁凡在読者、皆疏早聖而不倦鷲﹂とあるが、不肖こればかり は僧祐のとうりにはいかない。 このように仏典においては後漢以降という時代的制約もあっ て、口語の導入の後に四六体が導入されたと考えられるが、で は、なぜ四六体を導入したのであろうか。それは、先に述べた ように仏典を取り扱っていた者とは、主に出家者や有能な居土 と一部の知識階級という限られた人々である。よって彼等の使 用に耐えうる翻訳のありかたが要求されるのは自明である。質 実を重視するあまり逆に真の聖意を見失うこともある。そこで 翻訳者らはその要求に応えるべく、小説類など当時の中国文学 界(或は俗文学界)において支配的になりつつあった四六体を ﹃ 浄 度 三 味 経 ﹄ と 位 一 法 護 訳 経 典 採用し美文化させていったのであろう。更に付言すれば、経典 は読請の対象でもあり、特に大乗仏教経典の多くには、自ら経 の書写や供養とならべて経の読請を無上の功徳として現当の利 益をも説き奨励している。読請すること、特に暗諦するには何 といっても、偶煩にあるような四字句なり六字句なりの特定の リズム(たとえ押韻しなくとも)が長行においても不可欠であ る。このように読諦(暗請)の便を配慮した│配慮したという よりは、むしろ文語における四六のリズムが結果的に仏典読請 の便宜に抵触することなく、理にかなっていたということであ ( ロ ) ろうことも四六体が採用されてきた理由ともなろうか。かっ ( 日 ) て吉川幸次郎は仏典の文体を﹁雅俗混殺体﹂と呼び口語史の資 料として仏典に注目し、また近年四川大学の朱慶之は﹁仏教混 合漢語﹂と任問その語法と辞棄を究明している。これらはいず れも文質問題と不可分な要因なのである。 さて、﹃法句経﹄序に話をもどせば、老子のことばに続き孔 子のことばをかりた 書は言を尽くさず、言は意を尽くさず。(易、繋辞) にしても、同一言語であっても文語、口頭語、心情は、それぞ れが役割に応じ、あるいは相関的にも機能するのであって、そ の機能を他者で代用させることはできない。まして漢訳仏典の ように、異質の言語を漢語に置き換えることは言わずもがなで 九
併教大学総合研究所紀要第四号 ある。釈迦の心情を、口伝で票承し、文字で伝達し、更には他 言語に変換するという、その聞のプロセスに一一限界が見えて いるのは必歪である。しかし、そうは言っても﹃左伝﹄に孔子 のことばとして、﹁言は以て志を足らし、文は以て言を足らす。 言わざれば誰か其の志を知らん。之を言いて文なきは、行なわ る る も 遠 か ら ず 。 ﹂ ( 裏 公 二 十 五 年 の 条 ) と あ る よ う に 、 こ の ﹃ 左 伝﹄の文を漢訳仏典にあてて言えば、思想が美麗に成文化さ れ、それが翻訳されることなくして、法輪が普く転がることが ( 日 ) ないということも事実である。文質論争は異文化の言語を翻訳 する時、常に考慮される問題であり、これは現代でもまた爾り で あ る 。 このように﹃法句経﹄の序は翻訳における文質問題と、翻訳 におけるその物理的必然的な限界を示唆しているわけだが、こ れは何も翻訳された仏教文献に限ったことではない。撰述経典 でも同様なことが言えるのである。あくまでも﹁仏説﹂として 繰り広げられる﹁経﹂としての性質を有している以上は、当然 そこ(文質文白問題)に配慮がなされていたのである。六朝の 中国撰述経典に目を通せば、畢寛これに気付かされるはずであ る 。 O
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﹃浄度経﹄と竺法護訳経
翻訳経典の語実は、概ねそれ以前に訳された語棄を踏襲する といってもよいであろう。しかし後漢の安世高から六朝中期ま では、未だ一つの義に対する語棄が決定されておらず、流動的 であり、この間は翻訳者らそれぞれが試行していた時期であっ た。ある一定の訳語語裳が決まるのは、国家規模でなされた鳩 摩羅什の翻訳まで待たねばならないと言われている。また翻訳 経典における語実語法の踏襲は、後世の翻訳になるほど顕著に なっていき、これによって、現存する失訳人名の経典につい て、翻訳経典からの影響を云々したり、殊に訳者を決定するに いたっては困難を極めるわけである。例えば、漢訳︿無量寿経﹀ 類の﹁漢訳﹂と﹁呉訳﹂と﹁貌訳﹂は失訳ではないが、失訳同 然の訳者をめぐって、以前から異論がある。しかし実際のとこ ろ、これら三者の成立と翻訳の先後が問題視されるべきであ り、訳者の特定は常に疑問符がつきまとうのである。 ところで撰述経典の語文についても翻訳経典のそれと同様 に、あらたに作られるのではなく、既訳の経典や外典の語文を もって、中心となる思想的骨格を肉付けするわけである。しか し失訳の翻訳経典について、訳者を特定したり翻訳経典の影響 を検案したりすることが困難であるのに比して、撰述経典の場合はそれと異なり、特定の翻訳者や翻訳経典からの影響を、か なり明確に査定することができる。それは、単に語実語法だけ でなく、一文一節まとめて引いてくるからである。これは撰述 経典の編纂者ならではの作業であり、以下に示す﹃浄度経﹄だ けでなく、比較的大部の撰述経典に共通して言えることであ る。これは筆者にとって撰述経典(厳密には編纂撰述経典)に 対する現在の関心事である。即ち、ある一つの撰述経典が、① 翻訳経典の思想系統を特定してその影響を立証できるか、②翻 訳者を特定してその訳語の影響を立証できるか、③そして複数 の撰述経典聞に共通するものは何か、以上の三点である。しか しこれらの問題を解明するには、いつ誰によって何処で何故に 撰述されたかという史学的解明と無関係に論じられることでは ない。撰述経典の総合的研究は、多岐にわたる複雑なものであ る。ただ本稿で扱う﹃浄度経﹄には、既に牧田諦亮、砂山稔、 方広錯ら各先達の史学的研究が報告されているので、それらを 参照していただくとして、ここでは筆者の関心事について言及 しようと思う。①については中嶋隆蔵、挑長寿の論文があり、 ③については現在調査の段階である。よって②翻訳者を特定し てその訳語の影響を立証できるか、について﹃浄度経﹄をとり あげて論じていくことにする。 ﹃浄度経﹄が仮に北説の沙門統曇曜らによって組織的に編纂 ﹃ 浄 度 三 味 経 ﹄ と 竺 法 護 訳 経 典 五世紀の後半と考えられ、北貌が大延五 (四三九)年に大陸の北を統一したことで、当然に鳩摩羅什の 翻訳した仏典が京師平城にも入ってくるはずである。しかしこ の﹃浄度経﹄には鳩摩羅什訳経の語嚢の影響は見られず、かえ っ て 古 訳 に 現 れ る 訳 語 語 索 、 が 多 く 見 ら れ る の で あ る 。 そ し て 、 その中でも特に西晋竺法護が使用した語棄が顕著である。もっ とも安世高以来、用いられてきた仏教用語、あるいは漢語語実 も相当数あるが、以下に示す語棄が、まとまったかたちとして さ れ た と す る な ら ば 、 現れるのは竺法護を待たねばならないと考えられるのである。 それでは、なぜ曇曜ら編纂グループが竺法護訳経典から強く影 響を受けていたかと言えば、これについては北魂当時における 竺法護訳経典の流布状況や、﹃浄度経﹄と﹃提調波利経﹄との 関係を含めて考えなければならず、今これを云々するだけの準 備がないので稿を改めて論ずることにしたい。よってここでは ( 日 ) 経録と訳語の上からほぼ竺法護訳と断定できる経典を重点的 に、﹃浄度経﹄の語棄と比較検討を加えてみたい。以下に抽出 する語実は﹃浄度経﹄に現れる順にしたがう。語棄の下に示す 括弧内の丸っき数字と丸なし数字は﹃七寺古逸経典研究叢書﹄ に収める﹃浄度経﹄の巻数と行数で、竺法護訳経典の下に示し た括弧内の漢数字は大正蔵の頁数(巻数略)である。
傍教大学総合研究所紀要第四号 神鳥山(① 1 ) 佐一法護訳には多く﹁霊鷲山﹂を﹁霊鳥山﹂とす る。神は霊に通じ、鳥は共通する。よって﹁霊鷲山﹂に同じで あろうが、他の仏典では未見。 週和拘舎羅(①
6
・③捌)支婁迦識が﹁方便善巧﹂の音写とし て初めて使用する。佐一法護もまれに使用するが、むしろ﹁善権 方 便 ﹂ 、 ﹁ 方 便 善 権 ﹂ 、 ﹁ 権 方 便 ﹂ 、 ﹁ 権 謀 方 便 ﹂ な ど が 圧 倒 的 に 多 羅網(①8
)
﹃浄度経﹄では﹁顛倒羅網﹂とある。仏典におい て普通、﹁羅網﹂といえば仏国土の荘厳具として、また鳥や魚 を捕獲する網として、あるいは犯罪を取り締まるための法律を 警えたものとして描かれているが、ここでは﹁顛倒﹂と同列で あり、広く民一体を意味する語として扱われている。グ鳥魚を捕 獲する網グのイメージから派生し、心身にまとわりついて束縛 するものに由来するか。﹁網﹂が煩悩に誓えられるのは、支曜 ﹃成具光明定意経﹄(四五六上)の﹁俗人邪見疑網生﹂や、康 僧鎧﹃無量寿経﹄下(ニ六六上)の﹁掴裂邪網消滅諸見﹂や、 の﹁壊裂邪見網、為衆作大利﹂ 羅什﹃華手経﹄九(一九五上) などがある。ただし﹁羅網﹂のニ字をもって煩悩とするのは竺 法護のみであろうか。﹃弘道広顕三昧経﹄四(五O
六 下 ) ﹁ 以 為 衆魔及官属井邪外道之所得使、常在羅網結疑中﹂や、﹃正法華 経﹄五(九五下)﹁天人世人往来交接、其土無有九十六種六十 二 見 情 慢 羅 網 、 一 切 化 生 不 由 女 人 ﹂ 、 ﹁ 未 尽 羅 網 ﹂ ( 一 一 人 中 ) などがそれであり、信一法護訳経には他にも多数の用例を見るこ とができる。また﹁結網﹂、﹁疑網﹂と言う場合もある。なお﹃四 自侵経﹄には煩悩を意味する﹁羅網﹂と、鳥を捕獲する﹁羅網﹂ の 双 方 が 見 ら れ る 。 仏悉感傷、放白書相光、往而安之、光明徹照三十三天、下照十 八地獄、極仏境界(①お)﹃月光童子経﹄(八一六中)に﹁時世 尊放大光明、上照三十三天、下徹十八地獄、極仏境界﹂とあ り 、 ほ ぼ 共 通 し て い る 。 含毒(①必-M
・印)﹃浄度経﹄では﹁合室主であるが﹁含毒﹂ に改める。安世高﹃一切流摂守因経﹄(八一四上)﹁含毒、従聞 不可語言:以生有含毒痛悩不可意劇痛﹂にはじまる。﹃無量寿 に﹁含毒畜怒﹂とあ(出。義山は﹃無量寿経 で﹁含毒者云膿毒也﹂、香月 経﹄下(二七四下) 随開講録﹄(浄全十四 1 四四三上) 院深励は﹃無量寿経講義﹄(法蔵館、一九八O
、六八二頁)に ﹁毒は膿毒なり。眠毒を心に含み憤ることなり。﹂と解説する。 竺法護﹃賢劫経﹄一(六上)﹁毒蛇含毒日日増多、還自害身﹂、 同 ﹃ 竜 施 菩 薩 本 起 経 ﹄ ( 九 一O
下)﹁我(蛇)此含毒之身﹂、同 ﹃ 大 浄 法 門 経 ﹄ ( 入 二O
下)﹁警如蛇腫含毒害人﹂などとあるよ うに、毒蛇や毒虫が人を害することから意味が派生し、他人を 害する者も﹁含毒﹂と表現したと考えられる。信一法護において、その派生した用例は、﹃阿差末菩薩経﹄五(六
O
三下)に﹁諸 貢高自大、惰慢放窓、懐膜含毒之士﹂と見丸山山。﹃浄度経﹄と 関係の深い﹃提謂経﹄下にも﹁人喜含毒悪口﹂とb
m
o
自用(①却・③槌)﹃浄度経﹄に﹁心懐嫉妬情慢自用﹂、﹁但自 用心樫貧無信﹂とある。﹁自用﹂は、他人の意見を聞き入れず 自分勝手に行動するという(艶。竺法護﹃阿差末菩薩経﹄四(五 九 九 上 ) ﹁ 便 不 自 大 専 自 用 意 ﹂ 、 同 ﹃ 正 法 華 経 ﹄ 六 ( 一O
六 中 ) ﹁ 仮 使 有 人 慌 戻 自 用 : ・ ﹂ 、 同 ﹃ 四 自 侵 経 ﹄ ( 五 三 人 上 ) ﹁ 常 欲 膜 怒強根自用姪幡貧富﹂、同﹃舎頭諌太子二十八宿経(H虎耳意 経 ) ﹄ ( 四 一 七 上 ) ﹁ 慌 戻 自 用 ﹂ 、 伝 竺 法 護 ﹃ 四 輩 経 ﹄ ( 七O
五 中 ) ﹁ 専 愚 自 用 ﹂ 。 他 に ︿ 無 量 寿 経 ﹀ 類 の ﹃ 大 阿 ﹄2
二四下)﹁自 用 僅 差 、 常 当 爾 ﹂ 、 ﹃ 覚 経 ﹄ ( 二 九 六 下 ) ﹁ 自 用 僅 案 、 調 常 当 爾 ﹂ 、 ﹃ 寿 経 ﹄ ( 二 七 六 下 ) ﹁ 自 用 僅 憲 、 謂 可 常 爾 ﹂ とb
出 。 若干(①日:・)﹃浄度経﹄には九例ある。既に安世高に多数見 られ、現代でいう﹁若干﹂は数の少ないほうをとるが、﹃陰持 入経﹄上(一七下)の陳慧の解に﹁其事多故日若干也﹂とある ように、数の多いものを若干と標記している。本来は不定の数 を表す語であったが、仏典では安世高以来ほぼ例外なく大部の 数調を接続させて用いている。竺法護訳経典の用例でも、数詞 を接続する場合は少数の数詞を伴うことはまずなく、数調を伴 わない場合でも例外なく数の多い意味でとっている。﹃正法華 ﹃ J 浄 度 三 味 経 ﹄ と 佐 一 法 護 訳 経 典 経 ﹄ 七 ( 一 一 二 下 ) ﹁ 若 干 億 百 千 数 ﹂ 、 ﹃ 宝 網 経 ﹄ ( 八 四 上 ) ﹁ 若 干 百 千 億 妓 ﹂ 、 ﹃ 修 行 道 地 経 ﹄ 五 ( 一 二 二 ) ﹁ 久 遠 若 干 歳 ﹂ 、 ﹃ 文 殊 悔 過 経 ﹄ ( 四 四 六 下 ) ﹁ 無 量 若 干 光 明 ﹂ な ど 。 走 狩 ( ①H
・H-n
・目・回・ロ・②6
)
仏 典 で は よ く ﹁ 飛 鳥 ﹂ 1 4 η L と一対で現れる﹁走獣﹂に同じである(閥、﹃浄度経﹄ではみな ﹁走狩﹂に作る。信一法護﹃正法華経﹄八ご二O
上)の麗本に ﹁ 走 狩 ﹂ と あ る 。 三 本 で は ﹁ 走 獣 ﹂ 。 曇 無 蘭 ﹃ 五 苦 章 句 経 ﹄ ( 五 四六上)の知恩院所蔵中国古写経に﹁走狩﹂。﹃浄度経﹄と関係 の深い斯二O
五一﹃提謂経﹄下(﹃疑経研究﹄一九八頁下)に も﹁飛鳥走狩鬼神竜﹂、伯三七三二﹃提謂経﹄(﹃疑経研究﹄一 九二頁上)には﹁虫狩﹂ともあり興味深い。佐一法護訳経など仏 典においてはむしろ﹁走獣﹂が標準的であり、﹁走狩﹂は撰述 経典(或は写本)に特有のものであろう。なお﹃浄度経﹄では 七例の﹁走狩﹂があり、すべて巻第一に集中している(七寺本 巻第二の六行自にもあるが、この部分は敦埋本系統の﹃浄度経﹄ で 巻 第 一 に 相 当 し て い る ) 。 寧 j 不(①市- m
・ 胤 ・ ②m
-m
・ ③ 日 ・ m m ) 話者の強い質疑 を 示 す 。 ﹁ 寧 可i
不(耶)﹂も凡問。﹃浄度経﹄の七つの用例の うち、話し手の﹁寧1
﹂の質疑に対して、聞き手の応答がある 場合とない場合がある。応答がある場合を話し手の質問とし、 応答がない場合を話し手の疑惑(或は反詰)と理解する。併教大学総合研究所紀要第四号 吾 我 ( ① 回 ・ : ) ﹁ 自 我 ﹂ に 同 じ 。 ﹃ 浄 度 経 ﹄ に 五 例 あ り 、 ﹁ 吾 我 人 ﹂ ( ③ 河 ) と も あ る 。 支 婁 迦 識 や 竺 法 護 の 訳 経 に ﹁ 吾 我 ﹂ 、 ﹁ 吾 我 人 ﹂ と す る 例 は 多 数 。 ninhunE 六衰(①訂・引・口・②お
.
4
・ m M ) 安世高以降、六塵六境の 古 訳 と し て 使 用 さ れ る 。 位 一 法 護 訳 経 に 多 数 。 無所従生法忍(①ω
・加・②日・③日)不起法忍、無生法忍に 1 A q u n L 同じ。支婁迦識訳﹃佑真陀羅所間如来三昧経﹄、﹃阿闇世王経﹄ ゃ、支曜訳﹃成具光明定意経﹄、無叉羅訳﹃放光般若経﹄、更に は﹃光讃般若経﹄をはじめ竺法護訳諸経に多く見られる。無所 従生法忍は支婁迦識以来の古訳時代の訳語で、概ね鳩摩羅什以 後は無生法忍が使用されてくる。 不起法忍(①山・②飢)﹃浄度経﹄では﹁無所従生法忍 ( H 無 生法忍ごと異なるものとしているようであるが、佐一法護﹃正 法華経﹄六(九九下)﹁無所従生不起法忍﹂、同﹃四不可得経﹄ ( 七O
七下)﹁無所従生不起法忍﹂とあるように両者は同じで あ る 。 他 に ﹃ 生 経 ﹄ 二 ( 八 四 中 ) 、 ﹃ 光 讃 般 若 経 ﹄ 二 ( 一 六 二 上 ) 、 ﹃ 賢 劫 経 ﹄ 三 ( 二O
下 、 二 三 下 ) 、 ﹃ 大 京 経 ﹄ 三 、 八 ( 四 一 一 六 中 、 四四八上)など。ただし﹃竜施菩薩本起経﹄(九一一下) で tま 異なるものとして扱われているようである。 道遮(①山・即・②加・③m
-m
-m
)
安世高以来、須陀直を ﹁ 溝 港 ﹂ 、 ﹁ 道 迩 ﹂ ( ﹃ 陰 持 入 経 ﹄ 下 、 一 七 七 中 、 一 七 八 上 ) と 訳 四 す 。 信 一 法 護 の 用 例 は 多 数 。 ﹁ 往 来 道 ﹂ の 項 を 参 照 。 反復(①m
・③回)親や師から受けた恩をめ像し報いること。 ﹁返復﹂、﹁反覆﹂とも標記される。朱慶之﹃仏典与中古漢語調 葉 研 究 ﹄ ( 一O
九頁)﹁報思、報答、知恩図報﹂。仏典では、安 世高﹃七処三観経﹄(八八一上)に﹁是時仏告比丘。二人世間 難 得 。 何 等 二 人 。 一者前施人者。二者有返復不忘恩﹂とあるの が始まりか。信一法護﹃阿差末菩薩経﹄二(五八八下)に﹁在無 反復行報思徳﹂、同﹃生経﹄五(一O
二上)に﹁世尊讃目。善 哉善哉、諸賢難及、所作難及。是報恩、而有反復﹂、同﹃光讃 般若経﹄七(一九七中)に﹁何調菩薩而有反復知報恩者﹂、同 ﹃修行道地経﹄二、六(一九五下、二一九中下)にそれぞれ﹁如 是 有 反 復 ﹂ 、 ﹁ 懐 無 反 復 、 不 信 親 厚 哀 之 ﹂ 、 ﹁ 常 懐 無 反 復 ﹂ 、 同 ﹃ 諸 仏要集経﹄上(七五六上)﹁孝順反復報思﹂など、他にも多数 ある。伝安世高﹃罪業応報教化地獄経﹄に﹁障害師長、常無返 復﹂、﹃阿難同学経﹄にも﹁無反復﹂など。また温渠京声﹃五無 反復経﹄のように経題に﹁反復﹂を示すものもある。ここには 亡児に対する父母姉婦奴の五人の反復が説かれている。また ﹃善悪因果経﹄(一三八二上)や伝安世高訳などに多く見られ るように、撰述経典には、持戒とともに孝養謝思を﹁反復﹂と 標記して説いているものが多いように思える。 放心(①m
-m
-② 叩- m
)
﹁ 放 縦 の 心 ﹂ 仇 能 。 ﹃ 修 行 道 地 経 ﹄で は 放 と 恋 を 同 義 と し て い る 。 放 心 ( 一 八 二 中 、 一 八 六 中 ) 、 ﹁ 放 一 九 一 中 ) 、 ﹁ 縦 恋 自 ﹂ ( 一 八 二 中 ) 、 恋 ﹂ ( 一 八 四 上 、 一 八 七 中 、 ﹁ 自 恋 ﹂ ( 一 二 八 上 ) 。 ﹃ 浄 度 経 ﹄ で は 順 に ﹁ 恋 情 放 心 意 ﹂ 、 ﹁ 放 心 在 欲 行 ﹂ 、 ﹁ 放 心 恋 意 ﹂ 、 ﹁ 放 心 恋 青 山 ﹂ と も あ る 。 伝 竺 法 護 ﹃ 所 欲致患経﹄(五三九下、五回
O
上)に﹁放心恋意﹂多数あり。 老不止姪、夙夜不学、有財不施、不受仏言。有此八者、為自欺 身 ( ① 防 ) 佐 一 法 護 ﹃ 四 自 侵 経 ﹄ ( 五 三 八 上 ) ﹁ 夙 夜 不 学 、 老 不 止 姪、得財不施、不受仏言。是四出心、還自侵身﹂に符合する。 五道を輪廻して休息することがない理由として﹃浄度経﹄では 八つをあげる。これは﹃四自侵経﹄の四つに更に四つ加えたと い う こ と で あ る 。 心為泥沼君、道在身中。自心致之、不従他人求。何有難乎。従 7 8 ) 他人得者、繭乃為難(①日)中嶋隆蔵が指摘したように、﹃浄 度経﹄の思想的特徴として﹁自度﹂の思想がある。これに関連 したかたちで﹁自心致之、不従他人求﹂と説かれるのである。 竺法護﹃修行道地経﹄三(一九八下)の﹁当作是観、速疾成就 真如泥恒。不従他求、自国心致。従他人得、乃為難耳。由己勤 獲、何所難乎﹂に拠るのであろう。 為 j 所 見 ( ① 附 ) ﹁ 為1
所﹂と同じ被動の語法。﹃浄度経﹄に﹁為 五道主所見録籍、生死名不除﹂とある。佐一法護訳では、﹃正法 華経﹄に六例、﹃光讃般若経﹄に四例、﹃生経﹄に三例、他多数 ﹃浄度三味経﹄と竺法整訳経典 ある。森野繁夫は、﹁見1
の中には、受身よりも尊敬の意味に とる方がよさそうな例がしばしばある。﹂として、用例を列挙 した後、﹁これらは受身の意にとろうとしても無理のようであ る。このような例は同時の他書にも見えるが、﹃高僧伝﹄には ( 幻 ) とりわけ多いように思う。﹂と述べている。しかし﹃浄度経﹄ も佐一法護訳の用例も、施事者が仏陀をはじめとする高位の人物 である場合を除いては、句づくりの制約に準じており、尊敬の 意味はなく単に被動の意味で理解してよさそうである。 謂 是 我 許 ( ① 附 ) ﹁ 我 許 ﹂ は ﹁ 我 所 ﹂ 、 ﹁ 我 所 有 ﹂ に 同 じ 。 ﹁ 許 ﹂ ( お ) と﹁所﹂は同義として互用されていたと言われる。信一法護﹃修 行 道 地 経 ﹄ (一八七上)﹁謂是吾許(てっきり私のものだと ば か り 思 っ て い た ) ﹂ 、 同 四 ( 二O
九中)に﹁是四大身皆是怨讐、 悉非我許。誠可患厭。﹂とあり、このすぐ後に﹁吾観四種実非 我所﹂と復説している。よって﹁我許﹂は﹁我所﹂である。同 ﹃ 四 不 可 得 経 ﹄ ( 七O
六 下 ) ﹁ 心 存 天 地 、 謂 是 我 許 ﹂ 、 同 ﹃ 生 経 ﹄ 一(七三中)﹁此果我所、汝等勿取﹂、同﹃四自侵経﹄(五三八 下)﹁万物帰空、皆非我所﹂など多数。前掲梁暁虹(一九九頁) も六朝期の特殊な用法として取りあげて、﹁表示領属﹂の意と している。﹃浄度経﹄には他に﹁自許以道(︹実際はそうでない のに︺仏道を修めているものと自負する)﹂(②目、③臼)とあ ﹃ 提 調 経 ﹄ 下 ( ﹃ 疑 経 研 究 ﹄ 二OO
頁下)にも り、斯二O
五 一 五悌教大学総合研究所紀要第四号 ﹁自許云我行菩薩道﹂ともあるが、この﹁自許﹂は自負するの 意味であり、﹁我許﹂とは別義である。なお﹁謂是﹂について は ﹁ 調 呼 ﹂ の 項 を 参 照 。 更楽(①問)触、細滑、箆細、細、所更、更、所触などとも訳 さ札問。﹃浄度経﹄では﹁細滑﹂の訳語も使用されている。六 境 の 中 、 触 の こ と 。 安 世 高 ﹃ 人 本 欲 生 経 ﹄ ( 二 四 三 上 ) ﹁ 問 是 、 便言有、何因縁有、便言更因縁有、従是因縁阿難亦当知、令更 因縁痛﹂、異訳の僧伽提婆﹃中阿含経﹄巻二四因品(五七九中) ﹁若有問者、覚有何縁、当如是答縁更楽也、当知所調縁更楽有 覚﹂、佐一法護﹃光讃経﹄十(一二一上)に﹁色六入更楽痛愛受 有生老病死﹂、同﹃修行道地経﹄五(一二六上)﹁歓悦如是所更 楽 ﹂ 、 同 七 ( 二 二 四 下 ) ﹁ 名 色 六 入 更 楽 痛 憂 ・ : ﹂ と あ る 。 ま た 同 ﹃正法華経﹄三(八五中下)には十二因縁を、﹁痴、行、識、 名色、六入、更(所更)、痛、愛、受、有、生、老病死﹂とし て 触 を 更 と す る 。 他 に も ﹃ 光 讃 経 ﹄ 三 ( 一 六 七 中 ) に は ﹁ 所 更 ﹂ 、 伝 竺 法 護 ﹃ 所 欲 致 患 経 ﹄ ( 五 四
O
下 、 五 四 一 上 ) に ﹁ 更 楽 ﹂ 、 ﹁ 楽 ﹂ 、 ﹁ 所 楽 ﹂ と あ る 。 な お 安 世 高 ﹃ 道 地 経 ﹄ ( 二 三 二 上 ) ﹁ 耳 聞 声 、 鼻聞香、口更味、身更鹿細﹂、伝安世高﹃法受塵経﹄(七三七上) ﹁舌欲得其味、身欲更其細滑・:身欲更其細滑﹂とあるように動 調として使われる用例も多数ある。 阿惟顔(①印・②日・③臼)支婁迦識以来、しばしば使用され η L ー 」 ノ 、 るが、佐一法護訳経に最も頻出する。﹁阿維顔﹂とも標記する。 一 生 補 処 の 意 。 ﹃ 毘 羅 三 昧 経 ﹄ の 註 を 本 開 。 柔順法忍(①位・②犯・③日)僧肇﹃注維摩詰経﹄十(四一七 η 〆 “ 中下)に﹁什回、柔謂軟鈍也。於実相法、未能深入。軟智軟信、 随順不違、故名柔順忍也。肇日、心柔智順、堪受実相。未及無 生、名柔順忍﹂とある。佐一法護訳経では﹃正法華経﹄や﹃修行 道 地 経 ﹄ 、 ﹃ 阿 差 末 菩 薩 経 ﹄ 、 ﹃ 無 希 望 経 ( H 象歩経)﹄などに見 え る 。 往来道(①郎)安世高以来使用される。竺法護﹃光讃般若経﹄ 二(一五七上)に﹁開化衆生。令得流布果往来果不還果無著果 縁 覚 果 ﹂ 、 同 ﹃ 生 経 ﹄ 二 一 ( 九 四 下 ) ﹁ 聖 衆 之 中 。 或 得 道 跡 。 或 得 往来。或獲不還。或成無著縁覚果証﹂、同﹃海竜王経﹄一一(一 四三下)﹁声聞行者若始見仏則得道迩。再見得往来。三見得不 還。四見得無所著﹂、同﹃諸仏要集経﹄上(七五九中)﹁致於道 連往来不還至羅漢道﹂とあり、失訳﹃菩薩本行経﹄上(一一一 中)﹁一切大衆聞仏所説。或得道迩往来不還無著之証。成僻支 仏。或発無上正真道意﹂とあるように、四果の第二斯陀含を﹁往 来﹂とするのは、竺法護訳諸経において顕著である。 対(①m
・・)﹃浄度経﹄では十四回﹁対﹂が使われており、こ のうち十二回が悪報を意味している。温渠京声﹃五無反復経﹄ (五七三上)に﹁人生受死、物成有敗。善者有報、悪者有対﹂とあるように、﹁報﹂が善報で、﹁対﹂が悪報というように区別 している。したがって﹁対﹂とは即ち︹主に過去世の︺罪業の 報い(苦果)の意である。仏典では、安世高﹃安般守意経﹄下 ( 一 七
O
上)の﹁問、設使宿命対来到、当何以却。・:(中略) :宿命対不可却﹂にはじまる。佐一法護﹃正法華経﹄六(一O
七 上 ) 、 ﹃ 生 経 ﹄ 一 二 ( 八 九 下 ) 、 ﹃ 修 行 道 地 経 ﹄ の 五 例 他 、 多 数 あ り 。 ﹃四不可得経﹄は、﹁宿対﹂を免れようとする四人の仙人が神 足飛騰をもって、それぞれ空中、市中、山中、海中に逃避する が、誰もこの難から免れることができない(不可得)ことを主 題にしている。他に伝安世高﹃戸迦羅越六方礼経﹄(二五二上) に﹁老病死時至。対来無豪強﹂、同﹃長者子慎悩経﹄(八OO
中 ) に﹁対至命尽﹂など。﹃増一阿含経﹄一一六(六九三下)に﹁今 受此対﹂。東晋失訳﹃目連問戒律中五百軽重事経﹄(九七六上) には﹁命終生竜中。竜法七日一受対。時火焼其身肉尽骨在﹂。 呉維祇難﹃法句経﹄上(五六二上)に﹁善悪有対﹂。その他の 用例は前掲朱慶之(二三四頁)を参照。以上は﹁対﹂の名詞と しての用例であるが、動調的用例も若干あるようで、以下の三 例をあげる。﹃大阿弥陀経﹄下(一一二二中)及び﹃平等覚経﹄ に同じく﹁皆当対相生値、更相報復﹂とあり、 にも﹁皆当対生、更相報復﹂と 三(二九四上) あ~=;] る巴無 。 量 寿 経 6 下 七 四 下 ﹃ 浄 度 三 味 経 ﹄ と 竺 法 整 訳 経 典 形咲(①捌)﹁形調﹂に同じ。瑚り笑うの意。﹃浄度経﹄と関係 する斯二O
五一﹃提謂経﹄下(﹃疑経研究﹄二O
一 頁 下 ) ﹁ 人 喜 脱人衣冠、持頭抵突入、乃罵署沙門、形笑禿人﹂とある。前掲 の朱慶之(一一六頁)及び王雲路、方一新(四一一頁)参照。 竺法護訳経では﹃文殊師利現宝蔵経﹄(四六一下)など。 偶 ( ② 印 ・ ③ 揃 ) 詰 偶 に 同 じ 。 ﹃ 列 子 ﹄ 力 命 ﹁ 多 偶 ﹂ 、 ﹃ 釈 文 ﹄ ﹁ 偶 は譜なり﹂。偶は﹁かなう﹂の意で、譜も﹁やわらぐ、かなう﹂ の意である。﹃浄度経﹄の﹁所向不偶﹂の﹁偶﹂もこの意味で あ る 。 佐 一 法 護 ﹃ 普 曜 経 ﹄ 四 、 七 ( 五O
七上、五二七上)、同﹃生 (七六中)などに見られる。王雲路、方一新﹃中古漢語 経 語 調 例 釈 ﹄ ( 四O
三 頁 ) は﹁吉利、順利﹂とする。また僧祐の 新集疑経偽撰雑経録に収められる﹃決罪福経﹄下(一三一二O
中 ) にも﹁万悪終不来、所在即借偶﹂、同(一三三三下)﹁今人所向 借偶、常得擁護﹂とある。 寧可(②附・③日)願望を示す。﹁寧可1
耶 ﹂ は 疑 問 疑 惑 。 侵欺(②問・削・別)この三つの用例では﹁自侵歎﹂とする。 安世高﹃人本欲生経﹄(二四二中下)に﹁歎侵﹂とある。信一法 護は決まって﹁侵歎﹂、﹁自侵﹂である。佐一法護﹃四自侵経﹄を 参 照 。 無尽意菩薩(②即)﹃正法華経﹄光世音普門品(一二八下)に 登場する。他には、智厳・宝雲﹃大方等大集経﹄第二七無尽意 七傍教大学総合研究所紀要第四号 菩薩品など。なお﹃阿差末菩薩経﹄ ( 五 八 六 中 ) の 爽 註 に ﹁ 阿 差末者晋日無尽意﹂とある。 六情(②
m
-m
・ 山 ・ ③ ロ ) 安 世 高 以 来 の 六 根 の 古 訳 。 r d J L i t -唱EA 内 べ U ヴ i 正使(②m
-m
・ ③m
-m
・お)譲歩を表す。竺法護は多用す る 。 五毒治之(②問・③槌)①日には﹁五毒治人﹂ともある。﹁五 F 4 n L 毒﹂には五種の毒薬の意と、五種の酷刑または刑具の意があ り、ここでは後者。東晋曇無蘭﹃五苦章句経﹄(五四七中)に ﹁縛束送獄、桁械鞭答、五毒普至﹂とあり、ここには四具をだ すが、主に桁楊、荷校、桂槍、銀錯、拷掠(時代や典籍で相違 によって罪人の罪を取り調べることをい う 。 ﹃ 後 漢 書 ﹄ 八 一 独 行 伝 ﹁ 掠 考 五 毒 、 肌 肉 消 欄 、 終 無 異 辞 ﹂ 。 竺法護﹃修行道地経﹄三、五(一九九中、二一四中)にそれぞ れ ﹁ 獄 吏 考 治 若 干 種 傍 ・ : ( 中 略 ) : 五 毒 治 之 、 気 絶 復 蘇 ﹂ 、 ﹁ 在 於 模 床 、 五 毒 治 之 ﹂ 、 ま た ﹁ 考 治 五 毒 ﹂ ( -二 三 中 ) 、 ﹁ 五 毒 梼 答 ﹂ ( 七 七 下 ) ﹁ 五 毒 治 之 ﹂ 。 す る ) の 五 毒 ( 刑 具 ) ( 一 二 三 下 ) と も あ る 。 同 ﹃ 生 経 ﹄ 他に伝安世高﹃処処経﹄(五二七上)に﹁比丘報一言、我在地獄 中時、五毒極痛、令得作人﹂、同﹃罵意経﹄(五三O
下 ) ﹁ 復 以 五 毒 治 之 ﹂ 、 支 謙 ﹃ 入 師 経 ﹄ ( 九 六 五 上 ) ﹁ 五 毒 並 至 ﹂ 、 同 ﹃ 黒 氏 党 志 経 ﹄ ( 九 六 七 上 ) ﹁ 拷 掠 五 毒 ﹂ 、 竺 仏 念 ﹃ 出 曜 経 ﹄ 十 一 七 一 下 ) ﹁ 若 寿 終 後 身 堕 悪 道 五 毒 加 治 ﹂ と あ る 。 ( 六 /i、 乃繭(②制・③m
-m )
﹃ 見 羅 三 味 経 ﹄ の 註 を ゑ 脚 。 ﹁ 如 是 ﹂ の 意で、ほぽ例外なく句末に置かれる。信一法護訳では多数見られ る。一例をあげれば、﹃仏昇切利天為母説法経﹄下(七九九上 中)﹁如来威聖道徳之光、不可称尽、規規神妙乃如是也。・:仏 為 法 師 聖 尊 、 無 限 神 妙 乃 繭 ﹂ 。 解除(②制)魔よけをすること。王充﹃論衡﹄解除﹁世信祭記、 謂祭杷必有福、又然解除。謂解除必去凶﹂。佐一法護﹃生経﹄二 ( 八 二 下 ) ﹁ 医 薬 不 治 、 神 呪 不 行 。 仮 使 解 除 、 無 所 復 益 ﹂ 。 伝 竺 法護﹃八陽神呪経﹄(七四上、三本になし)﹁即自得解除﹂、同 ﹃分別経﹄(五四一中)﹁解除需杷﹂。漢代の陰陽家は凶悪をは ら い 除 く こ と を ﹁ 解 除 ﹂ と 称 し て い ( 問 。 量道(②町)亙盛のこと。竺法護﹃生経﹄二(八四下、八五上) ﹁ 盛 道 亙 呪 ﹂ 、 ﹁ 轟 道 符 呪 ﹂ 。 同 ﹃ 修 行 道 地 経 ﹄ 一 ( 一 八 五 中 、 一八八上)にそれぞれ﹁轟道井亙呪﹂、﹁盛道癒鬼﹂。同﹃文殊 師利現宝蔵経﹄下(四六三下)﹁以幻盛道、迷乱転他弟子﹂。伝 竺法護﹃八陽神呪経﹄(七四上)﹁諸兵不敢害、盛道不幸﹂。詳 しくは沢田瑞穂﹃中国の呪法﹄の﹁盛毒﹂、﹃道教事典﹄の﹁亙 盛 ﹂ ( と も に 平 河 出 版 社 ) を 参 照 。 逮 得 ( ② 制 ) 類 義 複 合 動 調 。 ﹃ 浄 度 経 ﹄ に ﹁ 逮 得 無 所 従 生 法 忍 ﹂ 、 他に﹁逮﹂、﹁逮入﹂ともある。仏典では安世高﹃一切流摂守因 経﹄(八一四中)﹁逮得度世﹂にはじまる。支婁迦識も使用するが、それ以上に竺法護訳経典に多数みられる。﹁逮﹂に類義の 語 を 接 続 し ﹁ 逮 獲 ﹂ 、 ﹁ 逮 入 ﹂ 、 ﹁ 逮 致 ﹂ 、 ﹁ 逮 成 ﹂ 、 ﹁ 逮 及 ﹂ 或 は ﹁ 得 逮﹂も見られる。﹃無量寿経﹄にも四八願中に三回見られる。 党 忍 天 ( ② 制 ) 竺 法 護 ﹃ 大 京 経 ﹄ 一 ( 四 一 一 一 一 上 ) に ﹁ 党 忍 天 ﹂ 、 同﹃文殊支利普超三味経﹄上(四
O
六中)に﹁党忍天王﹂、同 ﹃普曜経﹄二(四八九上)や﹃正法華経﹄二(七四下)には﹁党 忍 跡 天 ﹂ 。 細滑(②m
・③山・川)触に同じ。﹁更楽﹂の項を参照。安世 高 以 来 使 用 さ れ て い る 。 佐 一 法 護 は 好 ん で ﹁ 細 滑 ﹂ を 使 用 す る 。 薩云若(②制)支婁迦識以来、一切智の意の音写語として使用 される。信一法護では般若系の訳経に多く見られる。﹃光讃般若 経 ﹄ に 限 っ て も ﹁ 薩 芸 然 慧 ﹂ 、 ﹁ 薩 云 若 ﹂ 、 ﹁ 薩 芸 若 ﹂ 、 ﹁ 薩 芸 若 慧 ﹂ 、 ﹁ 薩 婆 若 慧 ﹂ と あ る 。 如来、至真、等正覚、明行成為、善逝、世間解、無上士、道法 御、天人師、号仏世尊(②閃・③胡)﹃正法華経﹄一(六五下) 4 9 q L に﹁有如来。号日月灯明至真等正覚明行成為善逝世間解無上士 道法御天人師為仏世尊﹂など、他多数。仏の号を﹁明行成為﹂、 ﹁ 道 法 御 ( H 調 御 丈 夫 ) ﹂ と す る の は 竺 法 護 の 特 徴 で 乱 出 。 一切衆生擾擾、但詩咽唯不急之事、万罪還自纏緯、或相害傷念 怒成仇、皆由貧生、競詩利欲。群迷雷問、不識道義、老死日加 ( ② 仰 ) こ の 一 文 は 竺 法 護 ﹃ 四 自 侵 経 ﹄ ( 五 三 八 上 中 ) ﹁ 一 切 擾 ﹃ 浄 度 三 味 経 ﹄ と 佐 一 法 護 訳 経 典 擾転転、但語咽喉不急之事、禍従口出、千挟万罪還自纏憧腕、或 相害傷念怒成仇、皆由貴起、競諦利欲。群迷雷同、不識道義之 真俗偽之惑、老死忽至﹂にほとんど符合する。﹃浄度経﹄を訓 読した際、﹁諦咽唯不急之事﹂の﹁咽唯﹂の意味がわからなか った。失訳﹃五王経﹄(七九六下)に﹁共居愛欲之中、共静不 急之事﹂、漢呉魂訳︿無量寿経﹀類の三毒段のはじめに﹁共諦 不急之事﹂とあるが、そこに﹁咽唯﹂に相当する語はない。し かしこの﹃四自侵経﹄の﹁咽喉﹂によって訂正できると思われ なお意味は判然としない。﹁咽喉﹂には、のどの意の他 る が 、 に、極めて緊要な地の意がある。 画瓶(②削)既に安世高﹃道地経﹄(二三六上)に﹁是身為警 画瓶、内雑最悪満﹂とある。佐一法護﹃修行道地経﹄二、五(一 九三下、二一七上、二一八下)、﹃普曜経﹄四、六(五O
五 上 、 五 一 九 中 ) 、 ﹃ 生 経 ﹄ (七一上)など、他多数。人間の身体の 不浄を、鮮やかに彩られた瓶に畳間える。外見は立派に飾りたて ているが、内に血汗大小便など悪露に満ちている人聞は、あた かも不浄を入れた色彩豊かな瓶のようであるということ。人身 の 不 浄 を 警 え る 仏 教 独 特 の 語 素 で あ る 。 信 一 法 護 ﹃ 四 白 侵 経 ﹄ ( 五 三八上)に﹁身如画瓶、内満不浄、臭処膿血、猶如革嚢﹂とあ るように、﹁革嚢﹂と意味は同じ。また﹁画僅﹂とも標記され る 。 九併教大学総合研究所紀要第四号 嘘天雅歩(②似)﹃浄度経﹄には﹁随六情、逐世栄名、虚夫稚 歩 、 尊 身 重 名 、 虚 偽 無 信 : ・ ﹂ と あ る が 、 佐 一 法 護 ﹃ 生 経 ﹄ 四 ( 九 七上)に﹁放恋情欲、嘘天雅歩、不以孝順﹂とあることにより、 ﹁虚夫稚歩﹂を﹁嘘天雅歩﹂に訂正した。他に﹃小法滅尽経﹄ ( 大 正 蔵 八 五 l 一三五九上)にも﹁貢高求名、嘘天雅歩、以為 労﹂とある。意味ははっきりとしないが、﹁嘘天﹂は﹃荘子﹄ 斉 物 論 に ﹁ 仰 天 而 嘘 ( 天 を 仰 い で 臨 つ け ( 問 ) ﹂ と 見 え て い る 。 ﹁ 雅 歩 ﹂ は 、 佐 一 法 護 ﹃ 生 経 ﹄ 五 ( 一
O
四上)に﹁安詳雅歩、挙動不 暴 ﹂ 、 同 ﹃ 阿 惟 越 致 遮 経 ﹄ 上 ( 二OO
下 ) ﹁ 安 詳 雅 歩 、 其 心 寂 然 ﹂ ともあり、文字どうり良い意味あいで使用されている。しかし この﹃浄度経﹄や﹃生経﹄(九七上)、﹃小法滅尽経﹄でも悪い 意味で使われている。恐らくは、自己の愚かさを顧みず威風堂 々とした態度をよそおうさまを言うのであろうか。更に竺法護 ﹃ 四 自 侵 経 ﹄ ( 五 三 九 上 ) に ﹁ 有 見 邪 姪 、 投 身 愛 獄 : ・ 自 謂 無 憂 、 高勝無上、虚天邪歩、広視裂目﹂、同﹃四不可得経﹄(七O
六 下 ) に﹁識詩聖道、以邪無双、嘘天推歩、慕子世栄、不識天地表裏 所由﹂とある。﹃四自侵経﹄の﹁虚天邪歩﹂の﹁邪﹂は麗本で あり、宋宮本は﹁雅﹂、元明本は﹁推﹂に作る。﹁邪歩﹂ならば、 意味は明確になるが、﹁虚天﹂では意味をなさない。﹁推歩﹂な ら ば 、 ﹃ 四 不 可 得 経 ﹄ ( 七O
六下)の﹁嘘天推歩﹂に符合する。 ただし﹃法苑珠林﹄六九(八一三下)ではこの﹃四不可得経﹄ 四 O を引用して﹁嘘天札拠﹂とする。﹁推歩﹂は﹃漢語大調典﹄(六 l 六七一)に﹁推算天象歴法﹂の意として、﹃後漢書﹄鴻組伝の ﹁組允、清白有孝行、能理尚書、善推歩之術﹂を引いている。 日月などの星が天空に転運している様が、ちょうど人聞が歩い ているようであるという。﹃四不可得経﹄に﹁不識天地表裏所 由﹂ともあるから、天と地は鏡のように表裏の構造になってい ることも知らずに、世間の名誉を求めるあまり、惑星の運行を 推しはかる愚を言うのであろ仁川山。天文学は古代以来、政治を 動かすほどその影響力があり、また国家の盛衰を占う大事であ った。これををなす者には官僚としての地位が約束されるとい う。地位や名誉を貧欲し推歩するのであろうか。いずれにせ よ、この四字は﹃浄度経﹄に﹁逐世栄名﹂とあり他経もほぼ同 じ趣旨の旬、が前後に見られることから、名をあげて世聞から称 賛される名誉を求めることと関連するようである。待続考。 盆 ︿ 用 j 為(②仰)﹃浄度経﹄では﹁不如独行独善無憂、薬用伴 為﹂とある。太田辰夫、牛島徳次各論文をゑ脚。この疑惑を表 す用法は﹃論語﹄(顔淵)の﹁何以文為﹂、﹃荘子﹄遁造遊篇の ﹁薬以之九万里而南為﹂、同徐無鬼篇﹁薬惑然為﹂、﹃史記﹄に ﹁ 何 以 為 ﹂ や ﹁ 何 以1
為 ﹂ 、 ﹁ 何1
為﹂という形で既に見えてい る 。 ﹁ 薬 ﹂ は ﹁ 何 ﹂ 、 ﹁ 復 ﹂ 、 ﹁ 当 ﹂ 、 ﹁ 悪 ﹂ 、 ﹁ 安 ﹂ 、 ﹁ 鷲 ﹂ と し て も 現れ、﹁用﹂も﹁以﹂に代用されることもあり、省略されること も あ る 。 佐 一 法 護 ﹃ 普 曜 経 ﹄ 四 ( 五
O
八上)﹁而棄我去、用復 活 為 ﹂ 、 ﹃ 文 殊 師 利 現 宝 蔵 経 ﹄ 上 ( 四 五 二 中 ) に は ﹁ 鷲 用 問 為 ﹂ とある。おそらく疑問詞(或は疑問副詞)であればこの位置に と れ る の で あ ろ う 。 緋 一 一 法 護 に は 上 記 の ほ か に 多 数 あ る 。 清白(③印)﹃浄度経﹄には﹁道以清白為首、領党行為道信﹂ とある。﹁清白﹂とは、清らかで正しいの意。既に安世高﹃漏 分 布 経 ﹄ ( 九 二 一 上 ) ﹁ 清 白 行 ﹂ 、 ﹁ 清 白 福 ﹂ と あ る 。 信 一 法 護 ﹃ 仏 昇切利天為母説法経﹄上(七八九上)﹁奉行精進、修清白行、 一 心 禅 思 ﹂ な ど 、 多 数 。 堪任(③剖・似・側)同義複合動調で、前掲朱慶之は﹁勝任、 承 受 ﹂ ( 七O
頁 ) と す る 。 堪 も 任 も 耐 え る の 意 で あ り 、 ﹁ 堪 忍 ﹂ 、 ﹁任受﹂に同じ。任務や負担を受けて、能力的に或は条件的 に、それを実行することが可能であること。可能の意を含むた め、概ね動調を接続し助動調的(可能を表す能願動調)に用い られるが、まれに名詞を伴い動調として使われることもある。 竺法護の常用語棄であり、﹃賢劫経﹄五(三五上)の﹁常能随 時堪任忍厚﹂のように同義を重ねて用いることもある。﹃正法 華 経 ﹄ 六 ( 一O
四下)にある﹁堪受﹂も同義。 寵戻(③町)双声語E - g
m E
ロ = 。 ﹃ 一 切 経 音 義 ﹄ 六 七 ( 七 五 一 中 ) には、﹁剛強難調伏﹂とある。﹃修行道地経﹄など竺法護訳諸経 に多数あり、人偏や立心偏を附すこともある。また﹁寵﹂は ﹃ 浄 度 三 味 経 ﹄ と 佐 一 法 護 訳 経 典 ﹁ 恨 ﹂ と 標 記 さ れ る こ と も あ る 。 死死(③印)複音節化によって副調のはたらきをもたせる。﹃浄 度経﹄では﹁不証入人罪、死死不犯﹂とある。王雲路、方一新 ﹃中古漢語語調例釈﹄(三五一頁)に﹁たとい死のうとも﹂の 意とする。﹃毘羅三味経﹄(巻下二六五行)にも﹁今日当去、死 死不止﹂とある。佐一法護﹃諸仏要集経﹄上(七五六下)に﹁遵 持経戒、死死不段﹂、伝竺法護﹃分別経﹄(五四一中)﹁受持五 戒、行於十善、死死不犯﹂など。 蓮華浄如来(③削)竺法護﹃無言童子経﹄下(五二九中1
)
。 世八事(③凶)﹃浄度経﹄では﹁捨世人事、利衰駿誉称磯苦楽﹂ とある。人の心を動揺させる世間的な八つのことがら(八風) のこと。安世高﹃陰持入経﹄下(一七六下)﹁亦従有世間入法。 何等為入。有利、無利、名聞、不名聞、有論議、無論議、若 昔、若楽﹂にはじまる。安玄﹃法鏡経﹄(十六中)になると﹁利 衰殻誉称議苦楽、不以傾動﹂というように、語実の定型がかた ま る よ う で あ る 。 信 一 法 護 ﹃ 大 哀 経 ﹄ 二 ( 四 一 四 下 ) ﹁ 若 利 無 利 、 歎誉誹語、有誉失名、若苦若楽、於世八事而無所著﹂、同﹃阿 差末菩薩経﹄三(五九四中)﹁不従一切世俗之積、越世人事。 利衰鼓誉苦楽有名失称﹂、同四(五九六中)﹁有利無利、若誉若 詩、若称失名、若苦若楽、過世人事﹂とある。 狐疑(③附)﹁狐疑﹂は狐のごとく疑心をもっ意である。竺法 四併教大学総合研究所紀要第四号 護訳経では多用され、しばしば双声語﹁猶予﹂と並記される。 ﹃ 楚 辞 ﹄ 、 ﹃ 史 記 ﹄ 、 ﹃ 漢 書 ﹄ な ど 。 仏 典 で は 支 婁 迦 識 か ら 使 用 さ れ て く る 。 空無相願(③胤)﹁空無相無願﹂のこと。竺法護は句ずくりの 制 約 上 、 ﹁ 無 願 ﹂ の ﹁ 無 ﹂ を し ば し ば 略 す 。 妻為両当、子為祖械、舎為牢獄、財為繋閉(③郎)七寺本の﹁狼 当﹂を敦埠本によって﹁両当﹂に改めたが、正しくは﹁銀錯﹂ で、刑具としての鎖のこと。竺法護﹃生経﹄一(七
O
中 ) に ﹁ 棄 家牢獄、銀錯柾械、想著妻子、而自繋縛、不楽党行﹂とあり、 両者類似する。﹃生経﹄を﹃浄度経﹄に照してみれば、﹁牢獄と なっている住居、銀錯となっている妻、柾械となっている子を 捨てよ。妻子に思いをよせて自らを束縛し、仏道を修めていな ぃ 。 ﹂ の 意 味 と な る 。 推燥居湿(③捌)父母は生まれた我が子を乾いた所に寝かせ、 自らは子が大小便をした後の湿った場所に居るという親の恩 愛。佐一法護﹃普曜経﹄二(四九五上)にも﹁推燥居湿、飲食乳 晴、使長大耳﹂、同﹃胞胎経﹄(八八九下)﹁其母小心、推燥居 湿、養育除其不浄﹂とある。他に東晋曇無蘭﹃五苦章句経﹄(五 四 七 上 ) ﹁ 乳 晴 懐 抱 、 推 燥 居 湿 ﹂ 、 失 訳 ﹃ 孝 子 経 ﹄ ( 七 八O
中 ) ﹁ 既 生之後、推燥臥湿、精誠之至﹂など、また数種の︿父母恩重経﹀ 類にも類似の表現が見ら札認。なお﹃後漢書﹄巻五四楊震伝(永 四 寧 元 年 の 条 ) に も ﹁ 奉 養 聖 島 、 難 有 推 燥 居 湿 之 勤 、 前 後 賞 恵 ・ : ﹂ 、 同巻八一独行伝﹁親自晴養、乳為生温、推燥居湿、備嘗難勤﹂ とある。また﹃孝経援神契﹄にも﹁母之於子也、鞠養股勤、推 燥居湿、絶少分甘﹂とある。 得便(③矧・制・叫・叩)松尾良樹は﹁つけこむ、っけいる﹂ の意であるとt
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竺法護﹃阿差末菩薩経﹄三(五九四下)﹁不 為 一 切 衆 魔 得 便 ﹂ 、 問 中 ハ ( 六O
六上)﹁一切諸魔不得其便﹂、同 ﹃弘道広顕三昧経﹄四(五O
六下)﹁以為衆魔及官属井邪外道 之所得使、常在羅網結疑中﹂など多数。支婁迦識から見られる 用法。﹃十往生経﹄や、伝安世高訳経典にも多数あり。 謂呼(③制)二字で﹁1
トオモウ﹂と訓む。﹁てっきりーだと 思 っ て い た ﹂ 、 ﹁ ︹ 誤 っ て ︺i
と思いこむ﹂の意味。中古漢語以 来 の 口 語 語 法 で あ り 、 ﹃ 浄 度 経 ﹄ に は 同 じ 意 味 で ﹁ 謂 是 ﹂ ( ① 附 ) の 用 例 も あ る 。 こ れ は 別 に ﹁ 調 為 是 ﹂ 、 ﹁ 謂 為 ﹂ 、 ﹁ 将 調 ﹂ 、 ﹁ 将 為 ﹂ 、 ﹁ 呼 為 ﹂ 、 ﹁ 呼 ﹂ と も 標 記 さ れ る 。 松 尾 良 樹 は ﹁ 唐 宋 の 詩 詞 中 に 散見される語に将請がある。王挟氏が﹁以為、表示測度和推断 的動詞﹂と釈しているのが当っていよう。ただし、その後に転 折の語気が含まれていること、つまり、﹁1
だとばかり思って いたのに、ーだった。﹂といった語気を必ず念出。﹂と述べ、 ﹃敦煙変文集﹄所収﹁太子成道経﹂の﹁自為新婦到王宮、将謂 君心有始終﹂(﹃敦憧変文集﹄二九九頁)を用例として引いている。朱慶之は﹁呼﹂の一字に﹁以為﹂の義があるとし、その用 例を引証し、また﹁謂呼﹂の用例も多数紹介していり出。竺法護 訳経では、﹃修行道地経﹄一(一八九上)に﹁従少至老、皆調 我所、呼為一種、不知非常之変也﹂、同一(一八七上)に﹁謂 是我許﹂とある。同﹃文殊師利現宝蔵経﹄下(四六
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下)には ﹁我(大迦葉)又間文殊師利。我難見有仏、将為得無所益乎﹂ とある。これは﹁将為(
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調 呼 ) ﹂ と ﹁ 得 無 ﹂ が 結 合 し た 用 例 。 ﹁私は︹法界に︺仏がおられるのを見ましたが、︹仏だけが衆 生を︺利益するのではないだろうかとばかり思っておりまし た。﹂の意。六朝の撰述経典の斯二O
五一﹃提調経﹄下(﹃疑経 研究﹄二O
三頁下)にも﹁世俗凡人不解法者、調呼事仏、己反 更 衰 喪 ﹂ と あ る 。 建立(③捌)竺法護の常用語葉。建造物(主に塔寺)を建設す る 場 合 と 、 ﹁ 禁 戒 ﹂ 、 ﹁ 功 勲 ﹂ 、 ﹁ 志 ﹂ 、 ﹁ 慧 ﹂ な ど を 成 就 す る 場 合 に 使 用 さ れ る 。 以上のことから﹃浄度経﹄に竺法護訳諸経典の訳語が取り入 れられていることは否定できないと言えよう。しかし中には安 世高以来の語嚢(仏教語と漢語)も当然見うけられる。ただ次 章の三十地獄説によって、やはり、﹃浄度経﹄の編纂者らが竺 法護訳経典の影響を受けていたことを確認できるはずである。 ﹃ 浄 度 三 味 経 ﹄ と 佐 一 法 護 訳 経 典一
一
一
、
﹃
浄
度
経
﹄
の三十地獄説
﹃浄度経﹄巻第一に説かれる三十地獄説のうち、第二と第四 から第十六までの十四の地獄が、西晋竺法護によって太康五年 (二八四)二月二十三日に訳出された﹃修行道地経﹄巻三の地 獄品第七却に順序、語葉、内容からして対応し、第一地獄と第 十七地獄から第二十三までの八つの地獄が、東晋曇無蘭﹃鉄城 泥撃経﹄の入札艇、及び同訳の﹃泥整経﹄後半に見られる入 札 一 般 に 順 序 、 内 容 が 対 応 し て い ( い ﹂ と は 以 前 指 摘 し た と う り で み初。ここでは紙幅の制約上、﹃浄度経﹄と、﹃鉄城泥翠経﹄及 び﹃泥翠経﹄との対照を割愛し、﹃浄度経﹄と﹃修行道地経﹄ を 対 照 す る こ と で 両 経 の 実 際 の 類 似 を 確 認 す ( 初 。 な お ﹃ 浄 度 経 ﹄ のテキストは、七寺研究叢書所収本(目続蔵経本の底本になっ ている京都大学附属図書館蔵本をもとに三種の敦埠本をもって 校訂してし泌)を、﹃修行道地経﹄のテキストは、大正蔵経を 使 用 す る 。 両経の地獄説を対照する前に、その導入部分について若干の 説明をしておく。﹃浄度経﹄では、仏が排沙王(頻婆裟羅)を 前にして地獄の情景とその堕獄の因を説いている。戒を持たず 七事の行(不明)のない者は、地獄に堕ち、地獄の天子(閤羅) の所属となる。天子の下には八大王がおり、更にその下に三十 四傍教大学総合研究所紀要第四号 の王(扶容王)がおり、その扶容王には各々九十六の国がある。 このように地獄は細分されており統治者は別々であるという。 これら種々の地獄には二十事(不明)を犯した者が堕ちるので あるが、経では三十地獄に限定して説いているようである。そ してこの三十地獄を順次めぐり、続いて百四の地獄(八地獄と 九十六地獄)にも身を堕すことが記されている。 一方、﹃修行道地経﹄の地獄品第十九は、この前の知人心念 品第十八のおわりで仏の教えに従わない者は三塗に堕ちるとい う修行者のことばから続くのである。この知人心念品には畜生 と餓鬼に堕ちて杖で打たれることや膿血汚物を飲むこと、人身 に復し難いことを簡潔に説いている。そして地獄については地 獄品で一品を設け、総説した後に各地獄を詳細に説いているわ け で あ る 。 さて﹃修行道地経﹄の地獄の数であるが、粛登福は﹁八罪獄 及十六部﹂という経説に基づいて、想、黒縄、合会、鉄葉、沸 灰、叫喚、大叫喚、阿鼻摩詞の八大地獄と、それを囲むように 沸尿、焼夫、嫡煮などの十六部(小地獄)が説かれていると述 べてい(初。しかし第一の想地獄はどこにも説かれておらず、説 かれているのは黒縄、合会、鉄葉、沸灰、叫喚、大叫喚、阿鼻 摩詞、沸尿の八地獄と、第八の沸尿地獄に含まれる焼英、嫡煮 の二地獄である。粛氏がなぜ先のような結論に達したのか疑問 四 四 と 左 の よ う に な る 。 が残る。よって、ここでは筆者の解釈により両経の対応を示す ﹃ 修 行 道 地 経 ﹄ 黒縄① 合会② 鉄葉③ 沸灰④ 叫喚⑤ 大叫喚⑥ 阿鼻摩詞⑦ 沸尿③
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焼笑③l﹁
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P U T A -1 A 16 該当なし 該当なし 対照においては、まず﹃浄度経﹄本文をあげ、その後に﹃修 行道地経﹄本文をならべて、これを十六地獄まで繰り返す。﹃浄 度経﹄を@、﹃修行道地経﹄を⑫とし、﹃浄度経﹄の語句に対応 する﹃修行道地経﹄の箇所を太字にして示した(句読は大正蔵 経及び国訳一切経によらない)。なお﹃修行道地経﹄は繁を避 け該当箇所をあげるにとどめる場合のあることを断っておく。@ 第 二 晋 平 王 、 典 治 黒 縄 地 獄 。 中 有 識 縄 。 有 一 二 刃 者 、 四 孤 者 、 八孤者。排直人身、鋸解之。或斧研人身、或四方或八角。但 坐犯五逆殺生、矛杖万斧害人及畜狩、姪盗嫉妬書痴。 ⑫罪人若堕黒縄地獄、彼時獄鬼取諸罪人、排著熱鉄之地。又持 鉄縄及執鉄鋸、火自然出、耕直其体、以鋸解之。従頭至足、 令百千段、警如木工解諸板材。於是煩目、守獄之鬼受王教、 鉄縄耕身以鋸解。其鋸火然上下徹、撲人著地段段解。守鬼又 以斧研其身斤撃井行、警如木工研治材木。或令四方而有八 角、治罪人身亦復如是。(大正蔵十五 1 二
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二 上 中 ) @第三葬都王、典治餓臼獄。治搾人身、如搾麻油。但坐鎮沓殺 人 及 諸 衆 生 。 ⑫以鉄軽輪市搾其身知圧麻油、置著臼中以杵捧之。於是煩目、 獄吏無慈仁、以鉄輪杵臼、困苦於罪人、如搾干麻油。(二O
二 下 ) @第四輔天王、典治合会獄。中有大織釘。釘人身百節、痛徹遍 人身。空中自然雨大石、砕破人身、身小村如麺。但坐誹詩聖 道、毒念向仏真人菩薩、反逆不孝、断法断功徳、軽慢父母師 友及所尊、殺生無道、以致斯狭。 穆其有堕在合会地獄。罪垢所致。令罪人坐鉄釘釘其膝。次復釘 ﹃ 浄 度 三 味 経 ﹄ と 佐 一 法 護 訳 経 典 之尽遍其体、身砕破壊、骨肉皆然、諸節解脱各在異処。其命 欲断因不可言。自然有風吹抜諸釘平復如故。更復以釘而釘其 身。如是苦悩不可計数百千万歳。於是煩日、以無央数百千 釘、従空中下如雲雨、砕其人身若磨麺。本罪所致遭斯厄。 ( 二O
二 中 ) @第五聖都王、典治太山獄。人適入山、山自然合、破砕人身骨 肉。戻尿合砕、如搾蒲陶汁。但坐犯五逆罪、嫉妬、愚痴、願 書、尊己賎人、不順父母師友君父正教、朋党賊盗姪欺殺生所 致 。 @爾時罪人造観太山。見之恐走入広谷中、欲望自済而不得脱。 適入其谷転相調言、此山多樹当止於斯。時各恐散在諸樹問、 山自然合破砕其身。於是頒日、以積衆罪換、己之本所造。彼 時諸罪人、悉入於山谷。適入山谷巳、彼山自然合。砕罪人身 時、其声甚悲痛。害牛羊猪鹿飛鳥、既無加哀奪人命。在合会 獄痛無数。危他人身獲此悩。(二O
ニ 下 ) @第六玄都王、典主火域獄。火焼人身、燥燃尽。但坐欺中人、 無信、衣食他人衣食、貧利、不肯布施凍保人、使身貧好服所 致 。 ⑫又遁見火焼、罪人調言、此地平博草木青青誓如琉瑠、当往至 四 五併教大学総合研究所紀要第四号 彼、爾乃安穏。即行逆火坐樹木問、四面火起囲擁其身、焼之 毒痛号突悲京。東西南北走欲避此火、聴与相逢不能自救。 ( 二
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二 下 ) ⑨第七広武王、主治錦樹獄。獄中万錦乱風吹、研破人身、無完 皮。復大鷲所食轍。但坐屠殺射猟、心心為悪故受此挟。 ⑫又復逢見鉄葉叢樹、転相謂言、彼樹甚好、車問草流泉共行詣 彼。無数百千犯罪人、悉入樹問、或坐樹下、或有住立、或睡 臥媒。熱風四起吹樹動揺、剣葉落堕在其身上、剥皮載肉、破 骨至髄、傷脇胸背、載項破頭。:・繭時鉄樹問、更有自然烏鵠 鵬鷲其口如鉄、以肉血為食、住人頭上、取眼市食、破頭 噸脳。於是煩目、彼人前生時、依信市害生、以鉄落身上、解 解市断載、:(二O
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三 上 ) @第八武陽玉、典主曜肌獄。中有狗。断人頭、飲血噸肉。但坐 心口身行、殺人及畜狩類、情人殺人、教人殺生故致此換。 ⑫於是鉄葉大地獄中、便自然生衆狗、正黒或有白者、走来喚肌 欲撃罪人。罪人悲突避之而蔵。或有四散或怖不動。狗走及之 便捉罪人、断頭飲血次噸肉髄。於是煩日、・:坐依信殺生。 ( 二O
三 上 ) 四 六 @第九平陽王、主治八路獄。中有利錦遍地間無空。人走其上、 裁足断朕。但坐喜行無慈心、斎日相使破壊法橋、損衆生、強 教 人 犯 禁 故 致 斯 換 。 ⑫爾時罪人為狗所噸、烏鳥所害恐怖忙走、更見大道分有八路皆 是利刀。意中自謂生草青青、有若干樹当往詣彼。行利万上載 其足駄血出流離。於是煩日、其人受経律、破壊於法橋、見有 順 戒 者 、 而 強 教 犯 戒 、 ・ : ( 二O
三 上 ) @第十都陽王、典治刺樹獄。獄中樹刺長三丈。人適上樹、刺下 逆人、人適下樹、刺上逆貫刺人、身皆破傷。但坐無戒、受人 信施服筋珍玩、常矛万所刺、分聴鈷鈴、人念愛身、賎他人、 陰 嫉 害 衆 生 、 使 獲 此 極 換 。 ⑩爾時進見諸刺聴樹。高四十里刺長尺六、其刺皆鰍自然火出 0 ・ : 爾 時 有 羅 利 ・ : 勅 使 上 樹 。 罪 人 恐 曜 、 涙 出 交 横 、 悉 皆 受 教 。 其刺下向皆貫彼身、傷其躯体血出流離。:・爾時罪人為守鬼所 射、箭至如雨時泣悲哀。呼使来下、刺便上向、貫掘相炎、復 喚使上。罪人叉手皆共求京、帰命悪鬼願見原赦。(二O
三 上 下 @第十一消陽王、主治沸灰獄。獄中有熱沸灰河。入其中、身悉 燭壊。但坐霊平賭鶏害生、可口。飲酒迷乱、臥沙門被枕中、口 出 悪 語 、 無 有 慈 心 、 以 獲 此 挟 。 ⑫ 従 鉄 釜 脱 達 見 流 河 。 : ・ 入 彼 河 水 悉 是 沸 灰 。 ・ : 罪 人 堕 在 沸 灰 地 獄。髪毛爪歯骨肉各流異処、骸体筋纏随流上下。(二