『長部』「大篇」の研究(1)
̶『長阿含』の註釈書的要素̶
越後屋 正 行
1. はじめに 本論文は、越後屋正行[2006][2007]の続編になる。先行研究ついては、 馬場紀寿[2003]pp.193-194、研究方法については、越後屋正行[2006]pp.(77) -(78),[2007]pp.(77)-(78)で詳細にされているので、ここでは必要な点だけ触 れておく。 まず、馬場紀寿[2003]p.194 では、アッタカターを調査対象として、北 伝阿含にはアッタカターと対応する部分(「註釈書対応部分」=「註釈書的要 素」)が含まれることを明らかにしている。しかし、越後屋正行[2006]p.(94) では、アッタカター、ティーカーも調査対象とすべきことを指摘し、越後屋正 行[2007]pp.(90)-(91),(93)により、『長阿含』には、ティーカーと対応する 部分が存在することを論証した。したがって、本論文では、『長阿含』にはアッ タカター、ティーカーと対応する部分が存在するという定義1 に基づき、『長部』 (D gha-nika_ya)「大篇」(Maha_-vagga)を調査対象として、(A)註釈書的要素は特有の伝承ではない可能性、(B)註釈書的要素は特有の伝承である可能性 を明らかにしていく2 。 なお、越後屋正行[2009]では、『長阿含』「世記経」を中心として、上座部のアッ タカター文献と北伝資料(漢訳文献、梵語文献、チベット文献)とを比較する 手法で論じた。本来なら、北伝資料を比較して、『長部』「大篇」を調査すべき であるが、紙幅の都合上、不備を承知しつつも、上座部の註釈書、法蔵部の『長 阿含』、対応する『中阿含』(説一切有部)のみを比較対象とする。北伝資料と の比較は、他日に期したい。 2.『長阿含』の註釈書的要素3 事例1.「大譬喩経」と『長阿含』「大本経」(B) 比丘達が過去仏を称賛していることについて、「大譬喩経」では、
実に如来は過去に般涅槃され、戯論を断ち、路を断ち、輪転を終息し、す べての苦を超越した諸仏を生からも随念し、名からも随念し、姓からも随 念し、寿命量からも随念し、一対の弟子からも随念し、弟子集団からも随 念する。(DN:Ⅱ.7[8]) と記している。これに対応する「大本経」では、 乃ち過去の無数の諸仏が涅槃に入りて諸もろの結使を断じ、戲論を消滅せ るを知れり。又た彼の仏の劫数の多少と、名号姓字と、所生の種族と、其 の飲食する所と寿命の脩短と、更ぐ所の苦楽を知れり。(T1.1b) と記している。「大本経」では、「飲食」と「寿命」に触れているのが特徴的で ある。そこで、対応する「大譬喩経註」では、「寿命量」に対する註釈で、 以上のように、すべての諸仏は一阿僧祗の寿命がある。彼等は何故、一阿 僧祗の間、留まらなかったのか?時節・食の欠損によってである。なぜな ら、時節・食により寿命は衰退も、増大もするからである。(DA:Ⅱ.7[413]) と記している。諸仏の寿命の長短は「食」の相違によることを指摘している点で、 「大本経」と一致している。しかも、この部分は他の場所では見られず、この 経の伝承特有であり、(B)に該当する。 事例2.「大譬喩経」と『長阿含』「大本経」(B) 過去仏の宿住について、「大本経」では偈の体裁で、 仏は時に頌して曰わく。方膺と無量子、妙覚と及び上勝、導師と集軍等、 羅
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羅とは第七なり。此の諸もろの豪貴の子にして、諸仏の種を紹継す、 法を愛し施の恵を好み、聖法に於いて畏れ無し。(T1.3b) と記している。対応する「大譬喩経」では、過去仏の子を記していない。しか し、対応する「大譬喩経註」では、同様に偈の体裁で、 サマヴァッタカンダ、アトゥラ、スッパブッダ、ウッタラ、 サッタヴァーハ、ヴィジタセーナ、ラーフラが第七である、と── まず、七人の菩薩の次第によって、これらの七人の子が知られるべきであ る。(DA:Ⅱ.15[422]) と記し、「大譬喩経」では説いていない事柄を補足して過去仏の子を示してい る点で、「大本経」と一致している。しかも、この部分は他の場所では見られず、 この経の伝承特有であり、(B)に該当する。事例3.「大譬喩経」と『長阿含』「大本経」(B) 菩薩の入胎について、「大譬喩経」では、「比丘達よ、そこで、ヴィパッシー 菩薩は兜率天から亡くなり、正念正知を持ったまま母胎に入った」(DN:Ⅱ.10 [12])と記している。これに対応する「大本経」では、「 婆尸菩薩は兜率天 より神の母胎に降るに、右脇より入りて正念にして乱れず」(T1.3c)と記し、「右 脇」より母胎に入ったことが特徴的な部分である。そこで、対応する「大譬喩 経註」では、 そこで、菩薩は高貴な白象になり、そこから近くに一つの金山があったの で、彼はそこに行き、そこより下りて銀山に登った。そして、黄金宮に入 り、母を右回りして、右脇を裂いて胎に入るようにした。(DA:Ⅱ.24[431]) と記し、「右脇」より入胎したという点で、「大本経」と一致している。しかも、 この部分は他の場所では見られず、この経の伝承特有であり、(B)に該当する。 事例4.「大譬喩経」と『長阿含』「大本経」(A) 菩薩が母胎にいる時について、「大譬喩経」では、 比丘達よ、この法性がある。菩薩が母胎に入っている時、「人、あるいは 非人、あるいは誰も彼の菩薩、あるいは菩薩の母を害してはいけない」と 〔言って〕、四天子が彼を四方で守護するために近付く。これが、この場合 の法性である。(DN:Ⅱ.11[12]) と記している。これに対応する「大本経」では、「四の天子有りて、戈矛を執り、 其の人を侍護せり。人と非人は侵 を得ず」(T1.4a)と記し、四天子の守護の 方法を具体的に説いている。そこで、対応する「大譬喩経註」では、 その内、この鉄囲山では、剣を手にした大王達4 が菩薩を守護するために 近付き、寝室に入った。他者達は内室の門から追放された泥鬼等の夜叉衆 を退かせて、鉄囲山まで守護を敷いた。(DA:Ⅱ.27[434]) と記し、四天子の武装を説いている点で、「大本経」と一致している。しかし、 守護する際の武装は想定できるので、この場合は(A)に該当する。 事例5.「大譬喩経」と『長阿含』「大本経」(B)5 三十二大人相について、「大本経」では、「十六は胸に万字有り」(T1.5b)と 記している。対応する「大譬喩経」では、三十二大人相の中でこの「万字」は 記していない。しかし、対応する「大譬喩経註」では、「・・・卍(sovattika)、
耳飾、卍字(vad.d.hama_naka)・・・乃至、転輪王の衆を含んで、すべてが輪相 の眷属である」(DA:Ⅱ.37[445-446])と記している。「大本経」では、胸にお ける「卍字」を記し、「大譬喩経註」では、足の裏における「卍字」を記して いる点では相違しているが、「卍字」の特徴性について、「大本経」と一致して いる。しかも、この部分は他の場所では見られず、この経の伝承特有であり、(B) に該当する。 事例6.「大譬喩経」と『長阿含』「大本経」(B) 同じく三十二大人相について、「大譬喩経」では、「王よ、この童子の眉の間 に白く、柔らかい綿のような白毫が生じている」(DN:Ⅱ.16[18])と記している。 これに対応する「大本経」では、「三十一は眉間の白毫なり。柔軟にして細沢なり。 引長すれば一尋あり。放てば則ち右旋し、螺きは真珠の如し」(T1.5b)と記し、 「白毫の長さ」と「右旋」を説いているのが特徴的な部分である。そこで、対 応する「大譬喩経註」では、「それなるこれは端を持って引かれているならば、 腕半分の量となる。放たれれば、右の渦巻きによって転じて、高くなって留ま る」(DA:Ⅱ.42-43[451])と記している。「白毫」の長さの単位は相違している が、「右旋」について、「大本経」と一致している。しかも、この部分は他の場 所では見られず、この経の伝承特有であり、(B)に該当する。 事例7.「大譬喩経」と『長阿含』「大本経」(A) 誕生した菩薩について、「大譬喩経」では、 比丘達よ、生まれたヴィパッシー童子のために、「彼を寒さ、あるいは暑さ、 あるいは草、あるいは塵、あるいは露が悩ましてはいけない」と〔言って〕、 日中も夜も白傘を保持した。(DN:Ⅱ.17[19]) と記している。これに対応する「大本経」では、「仏は比丘に告ぐ。 婆尸菩 薩の生まれし時に、諸天は上に在り。虚空中に於いて、手に白蓋と宝扇を執る。 以って寒暑・風雨・塵土を障ぐ」(T1.5c)と記している。ここでは、天の傘の 保持を説いているのが特徴的な部分である。そこで、対応する「大譬喩経註」 では、「【白傘を(setacchattam.)】とは、天の白傘をということである」(DA: Ⅱ .43[452])と記し、「天の傘」を説いている点で、「大本経」と一致している。 しかし、菩薩の誕生時には天も人も登場しており、両者とも傘を保持していた という可能性が考えられるので、この場合は(A)に該当する。
事例8.「大譬喩経」と『長阿含』「大本経」,「大因縁経」と『長阿含』「大縁方便経」 (B) この部分は、馬場紀寿[2003]pp.194-198 によって、インド本土の文献を 用いて明らかにされているので、この経の伝承特有とみなし、(B)の用例と した上で、詳細はそちらに譲り、ここでは簡略に示す。まず、「大譬喩経」で は、菩薩が縁起を観察する際、「十支縁起」を記している(DN:Ⅱ.26-30[30-35]) のに対し、「大本経」では「十二支縁起」を記している(T1.7b-7c)。同様に、「大 因縁経」では「縁起」とのみ記している(DN:Ⅱ.47[55])のに対し、「大縁方 便経」では「十二支縁起」を記している(T1.60b)。しかし、この部分に限り、 対応する「大譬喩経註」では「十支縁起=十二支縁起」(DA:Ⅱ.51[459-460])、 「大因縁経註」では「縁起=十二支縁起」(DA:Ⅱ.75[484-485])と記している。 事例9.「大譬喩経」と『長阿含』「大本経」(A) 蓮の比喩について、「大譬喩経」では、 例えば蓮池、あるいは紅蓮池、あるいは白蓮池におけるある蓮華、あるい は紅蓮華、あるいは白蓮華は水の内で生じるもの、水の内で成長するもの、 水面に上昇しないもの、内に没して成長するものになる。(DN:Ⅱ.33[38]) と記している。これに対応する「大本経」では、「譬えば優鉢羅花・鉢頭摩華・ 鳩勿頭華・分陀利華の、或るいは始めて 泥より出でて未だ水に至らざる者あ り」(T1.8c)と記し、蓮の数が相違している。そこで、対応する「大譬喩経註」 では、 水より上昇せず、他の池を食素とする青蓮華等があり、開花することがな く、魚・亀の食するものになるであろうという、それらはパーリに出てこ ない。運用して説明されるべきであると説明される。例えば、それらは四 種の花(puppha)のように、このように略説智者、広説智者、被教導者、 語句最上者という四の人がいる。(DA:Ⅱ.59-60[469]) と記し、パーリでは説いていないと明記して、四種の花(蓮華)を説いている 点で、「大本経」と一致している。しかし、例えば、「マハースダッサナ経」、『長 阿含』「遊行経」では、四種の蓮を記しており(DN:Ⅱ.146-147[179],T1.23a)、「大 本経」がこの形式に従っているとも考えられるため、この場合は(A)に該当 する。
事例 10.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(A) 王の不衰退法の説明について、「大般涅槃経」では、「ヴァッジ族は、ヴァッ ジ族の内のそのヴァッジ族の高齢者であるという、彼等を恭敬し、尊重をし、 尊敬し、供養し、彼等のことを聞くべきものであると考えていますか」(DN: Ⅱ.63[74])と記している。これに対応する「遊行経」では、「阿難よ、汝は 跋 国の人の父母に孝事し、師長に敬順なりと聞くや不や」(T1.11b)と記し、 「父母」も大切にすべきことを説いている。そこで、対応する「大般涅槃経復註」 では、「【示す(dassenti)】とは、『この者達は私達の祖父(pita_maha_)、祖母 (ma_ta_maha_)である』云々とによって心を低くし、尊重心の相を示す」(DAT.:Ⅱ.124 [161])と記し、表現は異なるが、父母や親族を大切にすべきことを説いてい る点で、「遊行経」と一致している。しかし、尊敬すべき対象として父母や親 族は当然、想定できるので、この場合は(A)に該当する。 事例 11.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(B) 同様に王の不衰退法の説明について、「大般涅槃経」では、 ヴァッジ族は、ヴァッジ族のその内と外にあるヴァッジ族の制多であると いう、それらを恭敬し、尊重をし、尊敬し、供養し、それらのために施さ れ、行なわれた如法な供祭を退失させていませんか。(DN:Ⅱ.63[74-75]) と記している。これに対応する「遊行経」では、「阿難よ、汝は跋 国の人の 宗廟を恭い致りて鬼神を敬うと聞くや不や」(T1.11b)と記し、鬼神を大切に すべきことを説いているのが特徴的である。そこで、対応する「大般涅槃経註」 では、「【ヴァッジ族のヴァッジ族の制多(vajj nam. vajjicetiya_ni)】とは、ヴァッ ジ王達のヴァッジ王国で尊重された状態によって、チェーティヤ(制多)とい う名前を得た夜叉のいる場所である」(DA:Ⅱ.110[520])と記している。この「鬼 神=夜叉」という点で、「遊行経」と一致している。しかも、この部分は他の 場所では見られず、この経の伝承特有であり、(B)に該当する。 事例 12.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(A) 比丘の不衰退法の説明について、「大般涅槃経」では、「慧がある限り、比丘 達よ、比丘達には増大が期待されるべきであり、衰退はありません」(DN:Ⅱ.67 [79])と記している。これに対応する「遊行経」では、「七には智慧を修習し、 生滅の法を知り、賢聖の要に趣き、諸もろの苦の本とを尽くす。是の如き七法
あらば、則ち法を増長して、損耗有ること無し」(T1.11c)と記し、「生滅の法」 を知っているとするのが特徴的な部分である。そこで、対応する「大般涅槃経註」 では、「【慧がある者(paññavanto)】とは、五蘊の生滅を把握する慧を備えた 者である」(DA:Ⅱ.120[530-531])と記し、「生滅を知ること」を説いている点で、 「遊行経」と一致している。しかし、「十増経」、『長阿含』「十上経」では、慧 と生滅の関係性が説かれており(DN:Ⅲ.256[290],T1.57a)、この形式に従っ ているとも考えられるので、この場合は(A)に該当する。 事例 13.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(A) 預流者の授記について、「大般涅槃経」では、「アーナンダよ、スジャーター 優婆夷は三結の遍尽によって預流者、不退転の法がある決定者、正覚に至る者 になります」(DN:Ⅱ.78[92])と記している。これに対応する「遊行経」では、「五百 人の命終せる者は、三結を断除し、須陀 を得て、悪趣に堕せず、必定して成 道す。七生を往来して苦際を尽くす」(T1.13a)と記し、悪趣に落ちないこと を説いているのが特徴的である。そこで、対応する「大般涅槃経註」では、「四 悪処における不退転の法、四悪処における不退転の自性がある者という意味で ある」(DN:Ⅱ.134[544])と記し、悪趣(悪処)に落ちないことを説いている 点で、「遊行経」と一致している。しかし、聖者の位であるので当然、悪趣に 落ちないことは考えられるので、この場合は(A)に該当する。 事例 14.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(A) 釈尊と悪魔の会話について、「遊行経」では、 時に魔波旬は復た仏に白して言わく。仏
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は昔、鬱 羅の尼連禅の水辺、阿 遊波尼倶律の樹下に於いて、初めて正覚を成ずるや、我れ時に世尊の所に 至りて勧請せり。如来は般涅槃す可し、今、正に是の時なり。宜しく速や かに滅度すべし。(T1.15c) と記している。対応する「大般涅槃経」では、この釈尊と悪魔との会話は説か れていない。そこで、対応する「大般涅槃経註」では、 これは世──────────────────────────
尊の正覚の獲得から第八の七日目6 に菩提道場にやって来て、「世 尊よ、あなた様によって諸波羅蜜が満たされたために、あなた様にはその 目的が到達された。一切知性智が通達された。あなたにとって世間の考察 が何になろうか」と言って、例えば今日にするように、このように、「尊師よ、今や世尊は般涅槃しなさい」と、〔悪魔が〕願った。(DA:Ⅱ.145[555-556]) と記している。ここでは、悪魔が以前、釈尊に般涅槃を要請したことについて、 「遊行経」と一致している。しかし、この「大般涅槃経」、「遊行経」では、成 道時に悪魔が世尊に般涅槃を願ったことを釈尊自身が明らかにしており(DN: Ⅱ.95-96[113-114],T1.17a)、この形式に従っているとも考えられるので、こ の場合は(A)に該当する。 事例 15.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(A) 八衆と釈尊の関係性について、「大般涅槃経」では、「そこで、彼等(八衆) の容色があるならば、私(釈尊)の容色はそのようなものである。彼等の声が あるならば、私の声はそのようなものである」(DN:Ⅱ.92[109])と記している。 これに対応する「遊行経」では、 彼に好色有りしも、我が色は彼れに勝れり。彼れは妙声有りしも、我が声 は彼れに勝れり。彼れは我れを辞して退きしも、我れは彼れを辞せざりき。 彼れの能く説ける所を、我れも亦た能く説けり。彼れの能わざりし所をも、 我れは亦た能く説けり。(T1.16b) と記し、釈尊が色や声で勝れていることを説いている。そこで、対応する「大 般涅槃経註」では、 彼等が白でも、黒でも、金色の皮膚であっても、師は黄金色である・・・ しかし、彼等は自らに等しい形相を見る・・・彼等は切れた声でも、アヒ ルの泣声でも、鴉の声であっても、師は梵音である。(DA:Ⅱ.150[560]) と記し、八衆と同じようにしている釈尊の形相を彼等(八衆)は見ているだけ で、実際には釈尊の方が勝れていることを説いている点で、「遊行経」と一致 している。しかし、釈尊は三十二大人相を備えていることからも、他者達より 勝れていることは明瞭であるので、この場合は(A)に該当する。 事例 16.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(B) アーナンダが釈尊に般涅槃を止めるよう懇願する時について、「大般涅槃経」 では、 アーナンダよ、この寿行は如来によって捨てられ、排除され、解脱され、 捨断され、捨遺され、除去されました・・・如来がそれを生命に因って再 び戻すであろうという、この道理は見出されません。(DN:Ⅱ.99[118-119])
と記している。これに対応する「遊行経」では、 吾れは已に性命を捨てたり、已に棄て已に吐けり。如来をして自ら言に違 わしめんと欲するも、是の処り有ること無し。譬えば豪貴の長者が食を地 に吐くが如し。寧んぞ当に復た肯えて食を還取すること有るべきや不や。 (T1.17b) と記し、吐いた食物を食べ戻すというのはありえないとする点が特徴的であ る。そこで、対応する「大般涅槃経註」では、「【再び戻すであろう(puna pacca_vamissati)】とは、捨てられ、吐かれたものであるという、それを実に再 び食べ戻すであろう(pat.ikha_dissati)という意味である」(DA:Ⅱ.154[564]) と記し、吐いたものを食べ戻すことを説いている点で、「遊行経」と一致して いる。しかも、この部分は他の場所では見られず、この経の伝承特有であり、(B) に該当する。 事例 17.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(B) プックサの供養を受けた後の世尊の状態について、「大般涅槃経」では、「尊 師よ、如来の皮膚の色は遍浄され、浄化されています」(DN:Ⅱ.111[133])と 記している。これに対応する「遊行経」では、「爾の時、世尊の顏貌は縦容と して、威光は熾盛、諸根は清浄にして、面色和悦なり」(T1.19c)と記し、「諸 根の清浄」を説いているのが特徴的である。そこで、対応する「大般涅槃経註」 では、「明浄色を現起させ、食による現起色が明浄であることから、意を第六 とする諸根(indriya_ni)が極めて輝いている」(DA:Ⅱ.161[570])と記し、「諸 根の清浄」を説いている点で、「遊行経」と一致している。しかも、この部分 は他の場所では見られず、この経の伝承特有であり、(B)に該当する。 事例 18.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(B) 世尊の般涅槃が近い時、扇いでいたウパヴァーナ長老を避けたことをアーナ ンダが尋ねた場面について、「遊行経」では、「乃往の過去久遠の九十一劫の時に、 世
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に仏有りき。 婆尸と名づく。時に此の比丘は歓喜心を以って手に草炬を執 り、以って彼の塔を照らせり」(T1.21b)と記している。対応する「大般涅槃経」 では、この長老の本生については説かれていない。そこで、対応する「大般涅 槃経註」では、 伝えによれば、ヴィパッシー正等覚者が般涅槃された時、一の厚い黄金の集まりのような仏舎利のために一の制多を作り、長寿の諸仏のために一の 制多を起こした・・・その時、この長老はバラモンで大講堂を持つ者となっ て、一の黄色の衣服(p
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taka-vattha)を持って行った。神々は彼の手か ら衣服を取って、制多を供養した。(DA:Ⅱ.171[580]) と記している。物語に相違はあるが、「ヴィパッシー世尊の登場」と「制多の供養」 について、「遊行経」と一致している。しかも、この部分は他の場所では見られず、 この経の伝承特有であり、(B)に該当する。 事例 19.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(B) 舎利を移送する時について、「遊行経」では、 時に路夷なる末羅の女有り。篤く仏道を信ず。手に金花の大きさ車輪の如 く─────────────────────
なるを げて、舍利に供養す。時に一りの老母有り。声を挙げて讃じて 曰わく。此の諸もろの末羅は、為めに大利を得ん。如来は末後に此こに於 いて滅度せり。国の士民を挙げて、快く供養するを得ん。(T1.28a) と記している。対応する「大般涅槃経」では、神々とマッラ族の「舎利供養」 だけを記し、「女性の登場」を説いていない。そこで、対応する「大般涅槃経註」 では、 このように世尊の身体が運ばれる時、マッラ族の将軍バンドゥラの妻 である【マッリカー(mallika_)】と言う者は、「世尊の身体を運んで いる」と聞いて、自らの主人が亡くなってから、使用せずにヴィサー カーによって置かれた荘身具のような【マハーラター(大蔓)荘身具を (maha_lata_pasa_dhanam.)】取り出させて、「これによって師を供養しよう」と〔考えて〕、それを清めさせ、香水によって洗浄し、門に立っていた。 伝えによれば、その荘身具はその二人の女性、盗賊デーヴァダーニヤの家 という三ヶ所において生じた。彼女は師の身体が門に到着した時、「親愛 なる者よ、師の身体を降ろして下さい」と言って、その荘身具を師の身 体に放った。それは頭から結ばれて、足裏にまで達した。黄金色の世尊の 身体は七宝から成る大荘身具によって飾られ、極めて輝いた。(DA:Ⅱ.189 [597]) と記し、物語に相違はあるが、「女性の登場」と「女性の舎利供養」について、「遊 行経」と一致している。しかも、この部分は他の場所では見られず、この経の 伝承特有であり、(B)に該当する。
事例 20.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(B) マハーカッサパが仏舎利を礼拝する時について、「大般涅槃経」では、 そこで、尊者マハーカッサパはクシナーラーにあるマクタバンダナという マッラ族の制多にある、世尊を火葬するための薪に近付いた。近付いて、 衣を一方の肩にし、合掌を向けて三度、火葬するための薪を右回りして、 世尊の足に頭で礼拝した。(DN:Ⅱ.134[163]) と記している。これに対応する「遊行経」では、 時に大迦葉は適たま香 に向かえり。時に於いて仏身は重槨の内より、両 足を双出せるに、足に異色有り。迦葉は見已りて怪しみ、阿難に問う。仏 身は金色なり。是れ何が故に異なるや。阿難は報えて曰わく。向に一りの 老母有り。悲哀して而して前み、手もて仏足を撫するに、涙が其の上に墮 つ。故に色が異なるのみ。迦葉は聞き已りて、又た大いに悦ばずして、即 ち香 に向かいて、仏の舍利を礼せり。時に四部衆と及び上の諸天は、同 時に倶に礼せり。是こに於いて仏足は忽然として現われず。大迦葉は を 繞ること三匝す。(T1.28c-29a) と記している。「大般涅槃経」では、仏舎利は「鉄の油槽」に入ったままで、「遊 行経」のように具体的な「仏足の出現」と「天人の礼拝」と「仏足が消えるこ と」を記していない。しかし、対応する「大般涅槃経註」では、 伝えによれば、長老は火葬するための薪を右回りして傾心しながら、観察 していた・・・確立心と共にそれらの五百重の布地は二様になって、雲の 直後の満月のように足が出てきた。長老は開花した赤蓮華のような手を伸 ばし、黄金色の師の足における踝までをしっかりと持って、自らの高貴な 頭に置いた。それ故に、「世尊の足に頭で礼拝した」と説かれる。 多くの人々はその稀有なことを見て、一斉に大咆哮で叫んだ。香料・華鬘 等によって供養して好むままに礼拝した・・・世尊の足が出てくる時、あ るいは入る時、木綿の糸、あるいは縁の糸、あるいは油の水滴、あるいは 木の集まりが、その場所から動かされるということはなかった。すべてが その場所のままに留まっていた。起き上がって没した月のように、太陽の ように如来の足がなくなる時、多くの人々が大号糾して悲泣した。(DA: Ⅱ.195[603]) と記し、「仏足の出現」と「人の礼拝」と「仏足が消えること」について、「遊 行経」と一致している。しかも、この部分は他の場所では見られず、この経の
伝承特有であり、(B)に該当する。 事例 21.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(A) 仏舎利の火葬を消す時について、「大般涅槃経」では、 世尊の身体が焼かれると、虚空から水流が現れて、世尊を火葬するため の薪を消した。水倉からも出て、世尊を火葬するための薪を消した。クシ ナーラーに住むマッラ族達はすべての香水で世尊を火葬するための薪を消 した。(DN:Ⅱ.135[164]) と記している。これに対応する「遊行経」では、「時に仏 の側に娑羅樹神有 りて、篤く仏道を信じ、尋いで神
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力を以って、仏 の火を滅せり」(T1.29a) と記している。「大般涅槃経」では、「虚空・水倉からの水」と「マッラ族の 香水」で火を消しているのに対し、「遊行経」では、「神力」で火を消している のが特徴的である。対応する「大般涅槃経註」では、火を消した際の神々の存 在は記していないが、対応する「大般涅槃経復註」では、「【水流が出て、消し た(udakadha_ra_ nikkhamitva_ nibba_pesum.)】とは、神々の威力によってである」(DAT.:Ⅱ.189[243])と記し、「神力」で火を消したことを説いている点で、「遊 行経」と一致している。しかし、釈尊の般涅槃前後に神々の存在は認められ、 神力で火を消した可能性も考えられるので、この場合は(A)に該当する。 事例 22.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(A) クシナーラーに住むマッラ族に使者を送る時について、「大般涅槃経」では、 「そこで、パーヴァーに住むマッラ族はクシナーラーに住むマッラ族に使者を 送った」(DN:Ⅱ.136[165])と記している。これに対応する「遊行経」では、「時 に波婆国の諸もろの末羅は即ち国中に下して、四種の兵たる象兵と馬兵と車兵 と歩兵とを厳にして、拘尸城に到り、使者を遣わして言わく」(T1.29b)と記 し、「四兵」と共に使者を送ったことが特徴的である。そこで、対応する「大 般涅槃経註」では、「〔使者を〕送って、『もし会えるならば、善いことである。 もし会えないならば、運び出すための方法で運び出そう』と〔考えて〕、四支 軍を武装して自分も出ていった」(DA:Ⅱ.199[607])と記し、「四兵」と「使者」 との関連性を説いている点で、「遊行経」と一致している。しかし、「大般涅槃 経」、「遊行経」では、この後に「戦争覚悟」の旨を記しており(DN:Ⅱ.137[166], T1.29c)、戦争のために四兵を派遣したという可能性も考えられるので、この
場合は(A)に該当する。 事例 23.「大般涅槃経」と『長阿含』「遊行経」(A) ドーナ・バラモンが仏舎利を八分割する時について、「大般涅槃経」では、「ドー ナ・バラモンは彼の集団、衆に答えて、世尊の諸舎利を八様に、平等に善く分 別をして分け、彼の集団、衆にこのことを言った」(DN:Ⅱ.137[166])と記し ている。これに対応する「遊行経」では、 時に於いて香姓は諸もろの王の語を聞き已りて、即ち舍利の所の詣り、頭 面にて礼し畢り、徐ろに前みて仏の上牙を取り、別に一面に置けり。尋い で使者を遣わすに、仏の上牙を齎して阿闍世王の所に詣れ。(T1.29c) と記し、「仏の上牙」をアジャータサットゥ王に送っている点が特徴的である。 そこで、対応する「大般涅槃経註」では、 伝えによれば、ドーナは彼等に答え、黄金槽を開かせた。そして、王達が やって来て、槽の内に留まっている黄金色の諸舎利を見て・・・泣いた。 バラモンはその時、彼等の放逸な状態を知って、右歯(dakkhin.ada_t.h.a) を取り、巻き物の内部に置いた・・・天中天のサッカが「天と共にある世 界の疑惑を切断するための四諦論の縁となる世尊の右歯は誰が取っていっ たのか」と観察していると、「バラモンが取った」と見て、「バラモンは 歯に適当な恭敬をすることができないであろう。それを取ろう」と〔考え て〕、巻き物の内部から取って黄金の箱に置き、天界に持って行って、小 宝石制多を確立させた。(DA:Ⅱ.201[609]) と記している。ドーナ・バラモンが「歯」を取った後、「遊行経」では、それ をアジャータサットゥ王に送り、「大般涅槃経註」では、それをサッカが奪い 取り、天界に制多を作ったという物語の相違はあるが、「仏の歯」に関係する 話として一致している。しかし、「大般涅槃経」では、経の最後の偈において、 仏の歯の一つは三十三天、一つはガンダーラ市、一つはカリンガ王の領土で祭 り、一つは龍王が祭るという記事が見られ(DN:Ⅱ.138[167])、それに従って いる可能性もあるので、この場合は(A)に該当する。 事例 24.「マハースダッサナ経」と『長阿含』「遊行経」(B) この「香水」と、「転輪王に財産を持っていき、転輪王に頭を下げること」 については、越後屋正行[2007]pp.(85)-(88)における事例6,8で、「マハー
スダッサナ経」と「遊行経」を対照し、越後屋正行[2009]pp.(33)-(35)にお ける事例1,2で、それらを北伝資料と比較対照した。詳細はそちらに譲り、 ここでは対応するページ数を記した簡略な図を以下に示す。 「遊行経」 「マハースダッサナ経」 「マハースダッサナ経註」 香湯に沐浴する (T1.21c) (DN:Ⅱ.141[172])頭の洗浄 香水瓶による頭の洗浄(DA:Ⅱ.209[617]) 金銀の贈与 転輪王に頭を下げること (T1.21c-22a) 財物の贈与 転輪王に頭を下げること (DA:Ⅱ.214[622]) 事例 25.「大衆会経」と『長阿含』「大会経」(A) 神々が世尊に偈を語る時について、「大衆会経」では、「柱を切って、閂を 破り、帝柱を引き出して不動である。彼の清浄な無垢者達は、有眼者によって 若象のように善く調御され、行動している」(DN:Ⅱ.203[254])と記している。 これに対応する「大会経」では、「刺を断じ愛の坑を平らげ、及び無明の を 填め、独り清浄の場に遊ぶ。善き象の調御するが如し」(T1.79b)と記し、「渇愛」 を説いている点が特徴的である。そこで、対応する「大衆会経註」では、「【引 き出して不動である(u_hacca maneja_)】とは、渇愛の動貪がないことで不動と なるこの比丘達は帝柱を引き出して、除去してということである」(DA:Ⅱ.274 [681])と記し、「渇愛の断絶」を説いている点で、「大会経」と一致している。 しかし、例えば、「大譬喩経」、「大本経」では、「渇愛の断絶」が重要なもの と記しており(DN:Ⅱ.31[36],T1.8b)、仏の教えとして明白なものであるので、 この場合は(A)に該当する。 事例 26.「帝釈天問経」と『長阿含』「釈提桓因問経」(B) サッカが釈尊に尋ねられ、昔の話をする時について、「釈提桓因問経」では、 各自宮に還り、五欲娯楽す。世尊よ、我れ復た後の時に於いて、諸もろの 大神天、自ら五欲を恣にし已りて、漸く各おの命終するを見る。時に我れ、 世尊よ、大恐怖を懷き、衣毛為めに竪つ。(T1.65a) と記している。「帝釈天問経」では、サッカが「神々の命終を見ること」と「恐 怖を懐くこと」は記していない。そこで、対応する「帝釈天問経註」では、
死の恐怖によって脅かされていたからである。伝えによれば、その時に 彼(サッカ)の寿命が遍尽して、彼は五の前相を見て、「今や私の寿命は 遍尽した」と知った。天子達に諸死相が明瞭になるという、彼等の内、僅 かな福業によって天界に生まれているならば、彼等は「私は今や、何処に 生まれるのであろうか」と〔考えて〕、恐怖、戦慄が起こる。(DA:Ⅱ.290 [Ⅲ .697-698]) と記している。「釈提桓因経」では、釈尊がサッカに尋ねる部分であるのに対し、 「帝釈天問経」では、サッカが釈尊に尋ねる部分という場面設定の相違はあるが、 「釈提桓因経」と「帝釈天問経註」が「サッカに関わる話」を説き、「神々の命 終」と「恐怖を懐くこと」を記すという点で一致している。しかも、この部分 は他の場所では見られず、この経の伝承特有であり、(B)に該当する。 以上、『長部』「大篇」に対応する『長阿含』8 経の内、5 経から計 28 ヶ所の 註釈書的要素を確認した。結果は「大本経」9 例、「大縁方便経」1 例、「遊行経」 16例、「大会経」1 例、「釈提桓因問経」1 例となる。 3. 調査結果 今回の調査結果を越後屋正行[2006][2007]における調査結果と統合し、『長 阿含』を軸にした表を次項に示す。なお、この結果は筆者の管見の限りであり、 見落としや不備もあると思われる。それらは今後の課題として、補足していく 所存である。 次に、『長部』「大篇」と対応する『中阿含』の註釈書的要素の事例を表にし て以下に示す7 。 『中阿含』 アッタカター ティーカー 「大因経」(大因縁経) 0 0 「大善見王経」(マハースダッサナ経) 1 0 「釈問経」(帝釈天問経) 1 0 「念処経」(大念処経) 0 0 「 肆経」(パーヤーシ経) 0 0 *( )の数字は(A)註釈書的要素は特有の伝承ではない可能性、( )のない 数字は(B)註釈書的要素は特有の伝承である可能性を示す。
『長阿含』 アッタカター ティーカー 第一分 .「大本経」 6(3) 0 「遊行経」 8(6) (2) 「典尊経」 0 0 「闍尼沙経」 0 0 第二分 .「小縁経」 0 0 「転輪聖王修行経」 1(2)8 0 「弊宿経」 0 0 「散陀那経」 (2) 0 「衆集経」 0 0 「十上経」 0 0 「大縁方便経」 1 0 「釈提桓因問経」 1 0 「阿 夷経」 1(1) (1) 「善生経」 (2) 0 「清浄経」 0 0 「自歓喜経」 1 1 「大会経」 (1) 0 第三分 .「阿摩晝経」 (1) 0 「梵動経」 (2) 0 「種徳経」 0 0 「究羅檀頭経」 0 0 「堅固経」 0 (1) 「 形梵志経」 (1) (1) 「三明経」 0 0 「沙門果経」 0 0 「布 婆樓経」 0 0 「露遮経」 1 0 *( )の数字は(A)註釈書的要素は特有の伝承ではない可能性、( )のな い数字は(B)註釈書的要素は特有の伝承である可能性を示す。
今回の調査結果から、いくつかの特徴的な部分が見えてくる。第一に、『長 阿含』「大本経」「遊行経」の事例数が圧倒的に多いことである。この二経は、 他の経と比較しても、長い経として有名であるが、それを差し引いても、事例 数の多さは注目すべきである。 第二に、事例の総数が、第一分(26)>第二分(15)>第三分(7)となっ ている点である。それに比例して、(B)の用例が多くなっていることも注目 すべきである。 第三に、今回の調査結果と、越後屋正行[2007]pp.(95),(98)-(99)とを合 わせた『長部註』と対応する『中阿含』の註釈書的要素の総数は七つ([5(2)]) となる。その内、『長阿含』の註釈書的要素と重複する部分は三つ([2(1)])9 となる。ここから、上座部の『長部註』、法蔵部の『長阿含』、説一切有部の『中 阿含』との間に対応関係が確認されることになった。また、越後屋正行[2009] p.(39)では、上座部と北伝資料(法蔵部、正量部、犢子正量部、説一切有部、 大乗経典)との対応関係を指摘した。以上のことから、北伝資料に註釈書的要 素は対応しているが、それは微妙に、場合によっては大幅に相違している。越 後屋正行[2007]p.(94)では、註釈書的要素が存在する可能性として、「①上 座部の輸出、②翻訳者の改編、③上座部の輸入、④偶然の一致」という四つを 指摘した。その内、②と④はインド本土の文献に註釈書的要素の対応が確認で きるので、可能性としては考えられないものとなる10 。 4. 結論 今回の調査結果は、北伝資料と比較する視点を欠いているので、不完全なも のとなっている。また、紙幅の都合上、本論文は『長部』「大篇」の註釈書に 対応する『長阿含』『中阿含』の註釈書的要素の事例の調査に終始し、考察ら しい考察をほとんど加えられなかった。一応の結論は、越後屋正行[2009]p. (39)において、「すべてがすべてではないにしても、この註釈書的要素は「イ ンド本土」を源泉とし、その源泉を「上座部」が取り入れた(上座部の輸入) とするのが最も妥当である」と指摘したので、詳細はそちらを参照されたい。 しかし、今回の調査をもって、『長部註』『長部復註』(上座部)と対応する『長 阿含』(法蔵部)、『中阿含』(説一切有部)の註釈書的要素の全体像は一応(不 備はあると思うが)、提示し終えた。本来なら、筆者の全体の調査結果と、馬 場紀寿[2008]pp.196-203 における「北伝四阿含の改編」の調査結果とを比
較検討し、註釈書的要素を解明することの研究意義を提示すべきであるが、こ れも紙幅の都合上、他日に期したい。 今後は、『長阿含』に関連する経典の註釈書的要素の解明(「『長阿含経』類 の註釈書的要素」という論題を予定)に向けて、北伝資料を参照しながら、本 格的に進めていきたいと思う。 参考文献 馬場紀寿[2003] 「北伝阿含の註釈書的要素──縁起関連経典」『仏教研究』31 越後屋正行[2006] 「『長部』「戒蘊篇」の研究(1)──『長阿含』の註釈書的要素」」『曹 洞宗研究員研究紀要』第三十六号,pp.(77)-(100) 越後屋正行[2007] 「『長部』「パーティカ篇」の研究(1)──『長阿含』の註釈書的要素」 『駒澤大学仏教学部論集』第 38 号,pp.(77)-(99) 馬場紀寿[2008] 『上座部仏教の思想形成──ブッダからブッダゴーサへ』(春秋社) 越後屋正行[2009] 「『長阿含』「世記経」の註釈書的要素──「転輪聖王品」「三中劫品」 を中心として」『駒澤大学大学院仏教学研究会年報』第 42 号,pp.(31)-(44) 略号 DN:D gha-nika_ya
DA:D ghat..thakatha_(Suman.galavila_sin)
DAT.:D ghat..thakatha_t. ka_(L natthavan. .nana_)
T:大正新脩大蔵経
R版:ロンドン・PTS 版
B版:ビルマ第六結集版
PTS:Pali Text Society 註 1 これを図に示すと、以下のようになる。 『長部』 『長阿含』 経典 ニカーヤ ニカーヤ対応部分 註釈書(アッタカター、ティーカー)対応部分 註釈書 アッタカター ティーカー なお、馬場紀寿[2003]において「註釈書」という場合は、「アッタカター」のみを 範囲とするが、本論文で「註釈書」という場合は、「アッタカター」、「ティーカー」 を示すことになる。
2 これは、越後屋正行[2006]p.(78)による、 いわば、(A)個々の経の伝承にのみ限り註釈書的要素の事例があるのかを見て 行き、そのプロセスを経て、(B)北伝阿含・ニカーヤ、アッタカター全体から 見てもその経の註釈書的要素の事例は註釈書的要素となり得るのかを考察して行 く。 という定義に基づく。 3 本論文では、B 版を底本として、引用の表記の仕方は、R 版と B 版の両方を示す(R 版の方は[ ]でページ数を示す。なお、ページ数が重なる場合は[ ]を省略する。 また、【 】は註釈されている言葉を示す)。 4 「大譬喩経復註」では、この「大王」について、「毘沙門天等の四大王」(DAT.:Ⅱ.27[33]) と記している。 5 なお、この事例 5 と事例 6 の詳細については、日本印度学仏教学会第 60 回学術大会 において「三十二大人相の注釈書的要素─「大譬喩経註」における足下二輪相と白毫 を中心として」という論文を掲載する予定であるので、そちらを参照されたい。 6 この「第八の七日目」について、「大般涅槃経復註」では、 なぜなら第七の七日目以後、アジャパーラ・ニグローダ樹下で大梵天とサッカ天 王に説法を知らせた世尊を知って・・・〔悪魔は〕世尊に近付いて一方に立ち、「尊 師よ、今や世尊は般涅槃しなさい」云々とによって般涅槃を願った。そのことに
関して、【「第八の七日目に(at.t.hame satta_he)」】云々と説かれる。(DAT.:Ⅱ.150
[193]) と記している。ここから、「第八の七日目」=「アジャパーラ・ニグローダ樹下」=「阿 遊波尼倶律の樹下」という関係性は明瞭である。 7 詳細は省略するが、以下に簡略に示しておく。 事例 1.「大善見王経」(B)(この「大善見王経」では、七宝の説明が省略されているので、 『中阿含』「大天奈林経」によって内容を補足する) 宝石宝について、「大天奈林経」では、「縄」との関連性を記しているが(T1.512c)、「マ ハースダッサナ経」では記していない。そこで、対応する「マハースダッサナ経註」
では、「真珠の網(mutta_ja_laka)」と記し(DA:Ⅱ.218[626])、「縄=網」という解釈で、「大
天奈林経」と一致している。しかも、この部分は他の場所では見られず、この経の伝 承特有であり、(B)に該当する。 事例 2.「釈問経」(B) 「釈問経」では、「サッカの恐怖」を記しているが(T1.637b)、「帝釈天問経」では記 していない。そこで、対応する「帝釈天問経註」では、場面設定の相違はあるが、「サッ カの恐怖」を記している(DA:Ⅱ.290[Ⅲ .697-698])。しかも、この部分は他の場所で は見られず、この経の伝承特有であり、(B)に該当する。 8 この「転輪聖王修行経」の用例は、越後屋正行[2007]p.(93)によると、アッタカター が「3(2)」となる。しかし、「マハースダッサナ経註」より補足した部分であるので、
この表では、その補足した部分((B)が 2 例)を差し引き、「遊行経」の用例に含める。 9 越後屋正行[2007]p.(88)における事例 9 が、越後屋正行[2007]pp.(98)-(99)に おける註 26 の事例 2 と対応し、越後屋正行[2007]p.(92)における事例 13 が、越 後屋正行[2007]p.(99)における註 26 の事例 5 と対応する。そして、今回の調査に おける事例 26 が、註 7 の事例 2 と対応する。 10 馬場紀寿[2008]p.203 では、「以上の対応関係は、前後の文章のみならず、語句が同 一である以上、偶然の一致とは考えられない。また、こうした対応関係は、複数のサ ンスクリット写本に確認できるから、漢訳者の作業に帰せられるものではなく、イン ド(南アジア)本土における伝承の問題である」と指摘し、本論文で述べる②と④の 可能性は考えられないとしている。