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陸軍史あちらこちら(291) 荒木肇 『野戦の経理部将校(6)――自衛隊&陸軍の高級幹部のつくり方(28)』

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Academic year: 2021

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2015/04/22発行

「海を渡った自衛官─異文化との出会い

─」

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□はじめに  さて、わたしたちが過去の歴史を学ぶ時、とりわけ戦争のことを知ろうとする ときに簡単に落とし穴にはまることがあります。  まず、軍隊とは戦う組織だから軍、師団や旅団、聯隊などという言葉に惑わさ れてしまうことです。○○方面軍は第○軍を隷下にし、第○軍は第○師団や、独 立混成○旅団・・・。そして聞かされるのはほとんど○○を占領、○○から撤退 などという、あたかもコマを盤上に進める兵棋演習を眺めるようなものになりま す。こうした知識をふんだんに持つと軍事に明るくなるという気分もあるようで すが、これがまず最初の落とし穴。  あるいは全く逆に、巨大な組織ピラミッドの最下部の中隊や小隊といった細か い体験談にだけ引きずられてしまうことです。ちょっと叱られるかもしれません が、民衆による戦場体験記や一兵卒や下士官、下級将校の手記などばかり集める 人がいます。これまた戦争の全体の様子は想像できないのです。つけ加えれば、 民間人の「空襲体験記」なども戦争は悲劇だとか、絶対に繰りかえしてはいけな いなどという情緒的な結論にはまる落とし穴でもあります。  どちらの論者も、たぶん「人間とは何か」ということに関心が少ないか、理解 が足りないかではないかと思うのです。戦争とは生身の人間が起こし、活動し、 戦場とは不条理で、無茶で、無道な事態が次々と生まれる場所でもあります。  そういう中で、人は食べ、眠り、喉をうるおし、傷を手当てし、病気を治し、 装備品をつくろい、命のやりとりをする。そうであるなら、戦争の全体像をつか まえるには、何を知ったらよいかが分かってくると思います。  モノや人や馬がどう運ばれ、どのように消費され、何が回収されたか。そうい った細かい知識を積み上げていけば、近代史のなかの「わたしたちの軍隊」は、 無個性な部隊名や兵員数、火器の数の集合体などではなくなることでしょう。当 時の歩兵の戦闘の様子、砲兵の実際の活動、工兵隊の技術などに想像ができるよ うになります。さらには、父祖たちが何に悩み、その解決にどんな努力をしたの かに考えがおよぶようになるでしょう。  ひいては、次の戦争をいかにうまくやるかについて思考することができるので す。国民国家の軍隊というものは、その国民のレベルを超えるものではありませ ん。  レイテ戦でアメリカ兵に捕獲された陸軍一等兵(中隊暗号手)が大作『レイテ 戦記』で書いたように、わが兵の敵はアメリカ兵ではなく、まさに明治維新以来

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のわが国そのものでした。  自動(装填式)小銃がなかったのは、その細かい部品がまともな品質管理のも とに造れなかったからです。また、ぼう大な消費が見込まれる小銃弾を前線に運 ぶ手段がなかったからでしょう。わが戦車が敵弾に撃ちぬかれ、こちらの砲弾が はじき返されたのもエンジンが非力で、装甲鈑が重くなっては機動力が発揮され なかったからです。故司馬遼太郎が書いたように、わが戦車は欧米のそれに比べ れば、ある時期から戦車もどきでしかありませんでした。高初速の戦車砲の開発 にも遅れをとりました。鋼材の素材の質が悪く、加工技術も貧しかったからです。    それらはすべて維新以来のわが国の実態を映したものでした。戦後になって、 「ゼロ戦」や「戦艦大和」の優秀性をいい、「物量に負けたのだ」と言い訳にし た人が多かったのですが、実態はそれだけの理由ではなかったのです。 ▼野戦軍と兵站  1934(昭和9)年度の参謀本部がまとめた「動員計画令」によれば、全軍 は野戦部隊、攻城部隊、守備部隊、特種部隊そして留守部隊に大きく分けられた。 野戦部隊とは出征軍であり、攻城部隊とは攻城砲兵隊をいい、守備部隊は台湾守 備隊、要地防衛部隊、海岸要塞部隊、兵站守備部隊のすべてをいう。特種部隊は 鉄道部隊などのことで、留守部隊とはわが国の内地にいて動員や補充をうけもつ 部隊である。  これらの総人員は野戦部隊94万9000、攻城部隊5千250、守備部隊1 4万、特種部隊9万8500、留守部隊24万3000であり、合計144万人 となる(いずれも概数)。そして機動力の主役になる馬匹が合計およそ36万頭 になる。  野戦部隊の内訳はというと、2個方面軍司令部、8個軍司令部、17個常設師 団。これに特設される乙師団といわれる師団が13個、合計して出征する師団数 は30個になる。いずれも2個歩兵旅団をもつから120個歩兵聯隊とその他師 団編制の中の特科隊(騎兵、野砲兵・山砲兵いずれかの聯隊、輜重兵、工兵大隊 など)や衛生隊、野戦病院などが定数ついた。  その他、軍直轄あるいは方面軍直轄の「特科部隊」はどうかというと、騎兵集 団司令部が1個で、その隷下には4個騎兵旅団があった。騎兵旅団が4個という ことは騎兵聯隊が8個。それに騎兵旅団機関銃中隊、同騎砲兵中隊、同装甲自動 車隊、同輜重隊が4個ずつあった。

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 砲兵では独立山砲兵聯隊が3個。そして6個野戦重砲兵旅団があり、この輜重 隊が6個、3個独立野戦重砲兵聯隊があり合計で15個野戦重砲兵聯隊。野戦高 射砲隊が甲・乙あわせて74、これに野戦照空隊が7個ついた。砲兵情報班も2 個あり、独立軽榴弾砲大隊も6個。    工兵も増えた。各師団の大隊30個の他に、軍直轄工兵として、野戦工兵の役 割を果たす独立工兵大隊が6個、2個坑道工兵大隊、重架橋大隊も1個、上陸作 業大隊が3個である。そして7個野戦瓦斯隊本部に5個瓦斯中隊、そして23個 の瓦斯小隊があって化学戦に備えた。    航空部隊も5個飛行隊司令部がおかれ、4個戦闘飛行大隊、5個偵察大隊、1 個軽爆撃機同、2個重爆撃機同と4個独立戦闘飛行中隊、4個偵察、3個軽爆、 1個超重爆の各独立中隊と3個独立気球中隊があった。戦車大隊は4個。    以上が通信部隊などをはぶいての戦列部隊のすべてである。いかに戦時編制が 多くの人員、装備、資材、馬匹を必要とするか理解できるだろう。 ▼兵站輸送部隊をみる  95万人の野戦軍が33万頭の馬とともに行動する。馬がいなかったら野砲も 、機関銃も工兵資材なども人力で運ばねばならない。この野戦部隊の中には兵站 輸送部隊も含まれている。  軍司令部が8個あるということは兵站監部も8個になる。各兵站監部はその軍 全体の兵站を統括する。その構成する兵站線を分担して管轄するのが兵站司令部 だった。これは80個が設けられる。内地から船舶で運ばれてきた物資・人員・ 馬匹は上陸する。そこから前線に輸送する部隊は、師団や旅団の輜重部隊とは別 の組織になる。  師団集積所までは、兵站輜重兵中隊が95個、兵站自動車隊本部も8個、兵站 自動車中隊は70個で運ぶことになっていた。問題はとてもそれらだけで足りる わけもないことだ。現地で集めた馬、馬車などで輸送縦列(じゅうれつ)が編成 された。これを護衛し、管理する兵力も必要になる。これを輸送監視隊といい武 装した兵科将兵の乗馬隊である。これが210個も必要になった。    このほか、集積基地や主地といわれる地点の管理や機能を発揮させるための業 務にはおそろしいほどの人員が必要だった。陸上輸卒隊、建築輸卒隊、火工輸卒 隊などの239個にものぼる兵站関係の部隊を必要としたのである。

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▼戦地の給養業務  奮闘する経理部将校たち。『陸軍経理部よもやま物語』には座談会形式で多く の体験談がのせられている。まず、北方の話から紹介してみよう。  ガダルカナルからようやっと帰還し、半年の入院生活を経て北海、千島防衛の 任についた第42師団の柴田主計少佐(士官候補生2期・陸士52期相当)の話 である。以下、要約し、紹介する。 『ガダルカナルの戦では飯が食えなくて死んだというのが9割といっていいと思 います』  苦戦の末、ようやく撤退した第2師団経理部、そこから入院し、続いて第42 師団経理部勤務になった。 『千島はご存じのとおり濃霧の激しいところでありまして、まるでカーテンをひ いたような霧がくるわけであります。これにひっかかりますと、米俵があっても 、俵の役をなさないで、一瞬にして青カビを越えて黒カビになっちゃうという地 域であります。それに加えて、真冬の状態は、雪が深いところはここはいいいな と思って天幕を張るというと、6、7メートル下になってやっと地に届く。その 土地に届く前に這松がいっぱいあって、なかなか天幕張るのに往生したというよ うなところでありました』  さらに湿気による米の保存の難しさは想像を超えている。 『米俵で米が来たと、しかも一重の米俵、いわゆる戦時梱包の、カマスの2枚で ないもので来ますと、いきなり真黒黒(ママ)になってしまうというような損害 を受けて、支持日数が計算上の支持日数と、実際食えるものとの差が非常に激し くて、あったような格好をしておっても、食える物がないという状況がありまし た』  保存するための設備も大変だった。 『野戦倉庫という名前を持って食糧を主として貯蔵しとったわけですけれども、 それの警備という問題で、日本人であり、また戦友であるものがかっぱらいに来 るのを警備するというような格好の野戦倉庫の警備。一番困った問題が起こった のは、警備をすべき歩哨係と営舎係とが撃ち合いをやって、「お前が取ったんだ 」とか、「お前が取れといったから取ったんだ」とかいうようなことで、口論を して、向かい合って発射し、片っ方が死んだというような事故まで起こったよう な事態であります』  困ったことはそれだけではない。青物の不足である。ビタミンCが足りなかっ た。栄養学の教官から、脚気はビタミンB1の不足で起こることを習った。そこ でB1を与えてもCが欠乏するとB1を吸収しない。まず、Cを与えることが先

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決だということになった。脚気症状で重い荷物を搬送中に蹴つまずいて死んでし まったという例がいくつか出た。そこで京都府の宇治に出張してお茶の葉を買っ てきて粉にした。これを飯に混ぜて支給したところ、軍医部のビタミンCの注射 よりはるかに有効だった。  補給も難しく、現地自活といわれても北方はまた大陸の戦闘部隊とは違った苦 労話が多く語られている。次回も続けよう。

参照

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