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千葉力創造研究会 報告書

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Academic year: 2021

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(1)

第2分科会

第2分科会

生活の創造

生活の創造

(2)

第2分科会(生活の創造)が目指すもの

第2分科会は、千葉県に住んでいる人たちの中にあるたくましい力を掘り起こし、

地域を活性化したいと考えている。それが「生活の創造」である。地域づくりは生

活文化の創造、すなわち日々の生活の創造的な営みの積み重ねである。そのたくま

しく創造的な生活力を持つ人たちを探し出し、広め、高めていく。これにより「生

活の創造」が人々の間で点から線、線から面に拡大・共有していくことで地域が活

性化していき、千葉力につながる。

生活創造の種を見つけ、掘り起こし、取りまとめ、それを情報として広めて、育

てていく。そして次の世代にもきちんと伝えていく、その意識を広く市民の間で共

有できれば、自治体、企業等などと一緒に地域づくり、町づくり、生活の改善、ビ

ジネスなどの分野で大きな流れがうまれる可能性が出てくる。

たくましく創造的な生活とは、例えば以下のような活動が考えられる。

安心安全な農作物を栽培して提供する活動を通して、地域農業の活性化

安心安全な農作物を栽培して提供する活動を通して、地域農業の活性化

に貢献した活動など。

に貢献した活動など。

自主的に地域の治安活動に取り組み、安心安全な地域づくりに大きく寄

自主的に地域の治安活動に取り組み、安心安全な地域づくりに大きく寄

与した

与した

活動

活動

など。

など。

すたれてしまいそうな地域の伝統芸能や伝統技術の継承に取り組む活動

すたれてしまいそうな地域の伝統芸能や伝統技術の継承に取り組む活動

など

など

見捨てられたり、見過ごされたりしていた地域

見捨てられたり、見過ごされたりしていた地域

観光資源を整備するこ

観光資源を整備するこ

とによって人々の関心を集め地域が活性化した活動など。

とによって人々の関心を集め地域が活性化した活動など。

住民たちが自主的に地域のバリアフリー化や景観のルールを作成するな

住民たちが自主的に地域のバリアフリー化や景観のルールを作成するな

ど住みよい地域づくりを行っている活動など。

ど住みよい地域づくりを行っている活動など。

働く女性の子育て支援活動として、学校帰りの子どもが集まる場をつく

働く女性の子育て支援活動として、学校帰りの子どもが集まる場をつく

り、子どもたちに地域の社会活動をする機会を与えるなどして子供の育

り、子どもたちに地域の社会活動をする機会を与えるなどして子供の育

成を図りながら地域づくりへも貢献する活動など。

成を図りながら地域づくりへも貢献する活動など。

地域の特産品を生活に活かす研究をして新たな需要を掘り起こし、豊か

地域の特産品を生活に活かす研究をして新たな需要を掘り起こし、豊か

な地域づく

な地域づく

に貢献した活動など

に貢献した活動など

本報告書では、たくましく生活力を創造している県民から聞き取り調査をした10

の事例について記載した。

これらを広く市民に発信する方法としては、本報告書の他に事例集をまとめ、発

行することを予定している。次のステップとしては、「生活の創造」をテーマにし

たシンポジウムを開催すること、新聞・機関誌・図書など媒体を利用して広報活動

をすることなどが考えられる。

個々の「生活の創造」を探し出し広める活動は、継続されることにより点から線、

線から面へと効果が広がり、「千葉力」を一層強いものにする。そのためには経済

界によるサポートも必要とされるものである。

(3)

生活の創造のイメージ

生活

生活

生活

生活

生活

生活

生活

生活

生活

生活

生活

生活

ビジネス

ビジネス

地域振興

地域振興

まちづくり

まちづくり

生活改善

生活改善

観光振興

観光振興

経済団体等

経済団体等

企業等

企業等

自治体

自治体

NPO

NPO

連携

連携

生活の創造のまとめと広報

生活の創造のまとめと広報

地域

活性化

地域

活性化

資源循環

資源循環

千葉力の創造

千葉力の創造

潜在する生活創造者の結びつけ 生活創造者を広め、共有する 生活創造者への聞き取り調査 ①聞き取り調査事例集 ②生活創造シンポジウム ③千葉力生活創造宣言

◇イメージその1

イメージその1

県内各地に潜在する生活創造者の発見

イメージその2

イメージその

(4)

事例研究報告

活動内容

生活者名

(敬称略)

地域名

友懇塾による少年の立ち直り支援活動

NPO法人ユース・サポート

・センター・友懇塾

理事長

井内

清満

千葉市

「土気、あすみが丘」活性化のための

情報発信活動

伊藤

純子

千葉市

鎌ヶ谷市立西部小学校の地域を

巻き込んだ学校改革・地域改革

西部小学校

校長

大久保

俊輝

鎌ヶ谷市

東葛星見隊による星空教育

東葛星見隊

代表

岸野

正栄

藤田

晴久

我孫子市

20万人の観光客を集める

「成田太鼓祭」の企画運営

成田まちづくり塾

木下

善貴

菊池

諸岡

良和

成田市

大里綜合管理㈱の地域貢献活動

大里綜合管理株式会社

代表取締役社長

野老

真理子

大網白里町

上総自然学校の里山再生事業

上総自然学校

代表

岡本

和幸

張 初美

袖ヶ浦市

周南中学校による松本ピアノの保存活動

周南中学校

校長

花井

知文

君津市

三芳村の里山の自然の中で子供を育てる

里山わんぱく塾

代表

菅沼

弘夫

南房総市

三芳村生産グループが目指す無農薬農業

三芳村生産グループ

代表

和田

博之

安田

南房総市

(5)

①友懇塾による少年の立ち直り支援活動

少年の立ち直り支援に積極的に関わり始めたのが1989年。千葉市内でもシンナーが蔓延し毎日のように新聞を賑わし ている時でした。千葉市補導員をしていた時、知人の校長先生から電話で、学校がひどい状況になっている、相談に乗っ てくれという話からでした。行ってみると、教室は授業にならない、部室からはたばこの煙が隙間から出ている、生徒の言 葉遣いもひどい、先生に暴力をふるうことも当たり前の状況でした。それから仕事に向かう前に学校に寄って行くのが日課 になりました。夜は夜で徘徊しそうな場所を校長と毎晩パトロールです。やがて、子どもたちと話ができるようになり1年後 子どもたちは無事卒業していきました。その時の子どもは今でも井内さんのところにやってきます。そのことが縁で「子ども の立ち直りのきっかけ」を覚え、何をどのようにしたら立ち直るのか、何が必要なのか、子どもの非行は「大人の責任」だと いうことが分かったそうです。 家に帰ることができない子ども、仮に帰っても居場所のない子ども、公園や空き家でたむろしている子どもたちを見て、子 どもたちに一番必要なことは何かと考え、1996年、1年かけて手づくりの12坪の小さな「子ども居場所」を自宅敷地内につく りました。いつでも自由に来て飲み物、冷凍庫からは肉などを自分で取り出し囲炉裏で火をおこし食べることができます。こ こに来た子どもたちは、生きるための基本的なマナーが備わっていません。お椀も箸も持てない、いただきますもできない。 言葉は悪いが「動物」よりひどいと思ったのでした。箸を持てるまで、挨拶ができるまでご飯を食べさせない、しっかりした教 育をこの居場所では行いました。本来、家庭や学校で教わるべき道徳ができないのだそうです。こうしたことを我慢強く教 えることで少しずつですが子どもたちが変わってきました。今の保護者自身が学んでこなかった「人に対する思いやりの精 神」が今の子どもたちに教えられるはずもありません。主義主張を言うだけでは子どもは育たないのです。 24時間電話相談からも保護者の、親としての再教育の必要性が如何に必要か身にしみて感じています。子どもを非行か ら立ち直らせるには保護者からと思い、5年前から「親塾」を開講し子ども躾の仕方、考え方、話のきっかけ作りなどを教え ることを始めました。子どもは大人の「おもちゃ」ではないことをしっかり教えます。子どもの非行は「親が悪い」と言いますが、 それで非行がなくなるとは思っていません。親が「悪い」と理解して初めて効果があるのですから、それを誰が言うのかが 大きな問題だとも言います。

少年の立ち直り支援に取組む心根の優しい熱血漢!

少年の立ち直り支援に取組む心根の優しい熱血漢!

NPO

NPO

法人

法人

ユース・サポート・センター・友懇塾

ユース・サポート・センター・友懇塾

理事長

理事長

井内

井内

清満

清満

友懇塾理事長の井内清満さんは千葉市に生まれ、通信社の契約カメラマンとしてベトナムを はじめインドシナ、中近東など世界中の国々を取材活動し日本という国を客観的に見てきまし た。インド・ニューデリーで大使館の紹介でJTBに会い、日本はこれから海外旅行ブームになる というのでインドの主な観光名所を案内したそうです。日本に帰国後、暫くスポーツカメラマンと して活動してきましたが、海外で見た日本人のマナーの悪さを見て、日本人を「国際人」にした いと考えインドで知り合ったJTBの人と再会し、JTB代理店として千葉市内に旅行会社を設立し たのが30歳の時でした。 2003年から千葉家裁と協働し少年の保護的処置の一環として毎月2回千葉駅前を 中心とした繁華街で清掃活動を行っています。町を汚しているのはその殆どが大人で す。こうしたことを実際に見せながら活動すると2回、3回と回数が増えるに従い子ども たちの目つきが優しい目つきに変わってきます。また、日頃ストレスの多い子どもたち と一緒に毎月1回里山活動も行っています。おいしい空気と汗をかくことで参加した多 くの子どもやその保護者からは感謝の言葉が聞こえてきます。毎年500人以上の子 どもたちと関わりながら活動しているそうです。 井内 清満 氏 ボランティアについても井内さんはこう言います。日本人は「ただ でやってやった」と「感謝の押売り」をする。本当のボランティアは自 分の家の前の道路の清掃や神社の清掃を毎日のように行うことが ボランティアの意味。欧米では、決められた行事内容だけ伝え、参 加する、しないは本人の意志に任せます。ボランティアの本当の意 味は「自主性」なのです。子どもたちにこうした自主性を気づかせ、 本当のボランティア精神を育むことができれば、と言います。

(6)

②「土気、あすみが丘」活性化のための

情報発信活動

それで、土気高校に通うようになり、こんな近い所に自然がいっぱいあるのに、意外と知られていないことが伊藤さんに はカルチャーショックでした。東京の人にも伝えたい自然が、ごく身近な所にたくさんあるのに、地元の人もその自然をもっ と楽しめば良いのに、と思ったそうです。 また、土気の街でギャラリーを開いていると、都心からやってきた皆さんがぼやきに来ます。「伊藤さんが主宰しているこ のギャラリーに来ると、銀座みたいで落ち着くわ」なんて。ただ、自然は楽しいのだけれど文化的なところが少ないとも言わ れました。確かに都心に比べればセンシティブな空間、文化的な空間は少ない、情報も少なくて満足していない方が多いと 感じたそうです。 そして、土気という街は、自分と同じような感じを持っている人が多かったので、ギャラリー・美術館を開設している階上に コンサート会場・イベントホールもあったので、様々な音楽を流し始めました。 街にも音楽をやっていた人が多かったので、音楽の街にできればいいなと思い、少しずつ仕掛けたそうです。 ギャラリーでは月ごとの企画展、陶芸展、絵画展などを開いており、上のイベントホールでは、食を絡めたコンサートで、 例えば樽で取り寄せたボジョレーヌーボー、料理、そこにシャンソンを付けてというふうに。食がつくと人も呼びやすいとのこ とです。 ギャラリーに出品いただく先生は、千葉の近場の先生方でしたが、同じ作家さんに偏ってしまうため、東京や地方の方に アプローチしています。すべてご自分で行なっています。 伊藤さんが最も苦労されることは、やはり収入面です。土気の情報誌を発行するにあたっては、公的な補助も受けられな いので、伊藤さん自身が営業して回り、掲載料をいただくなどしているということで、決して楽ではありません。でもNPOに してしまうと、理事会、決算報告とか雑務が増えてしまうので、一人で頑張っているとのことです。記事をたくさん掲載すると 広告をあまり載せられなくなるので、商工会議所、商工会などがバックアップしてくださるといいなと思っています。土気の 情報誌も一回止めているそうです。 また、よほど熱い心がないと続かない活動だと思うし、強い志がある人でないとほんとうの街づくりなど成り立たないと思い ます。 また、例えば茂原には有名な七夕祭がありますが、茂原全体のトータルなもの、つまり東京・巣鴨のようにお年寄りが行く 街みたいに、トータルにプロデュースして町おこししていくことが必要だと考えています。それは、そこで半日でも過ごしたく なるような街のことです。

センシティブな森をつくりたい!

センシティブな森をつくりたい!

−文化・芸術イベント・タウン誌からのまちづくり−

−文化・芸術イベント・タウン誌からのまちづくり−

伊藤

伊藤

純子

純子

伊藤さんは東京都の出身で美術の教師をしていました。人の前に出るのは好きではない伊藤さんで したが、その中学校で生徒会、部活担任、体育祭と多彩に関わっていました。 その時に、企画とか大勢の人を動かすとかを実体験して、徐々に自信がつくようになったそうです。 もともと人を喜ばすことが大好きで、喜ばすというのは、生活が楽しくなるということ、と伊藤さんはおっ しゃっています。 結婚してから、ご主人のお仕事の関係で茂原に住んでいましたが、ある時、県立土気高校に非常勤 で働くようになり、以前から学校だけでなく、みんなが楽しむ場所が自分の街にあったらいいのに、と 考えるようになりました。そして、自分が起こしたイベントを、その時に会った、来てくださった人が「楽し かった」「すごく満足したよ」と言ってくださる顔を見ることができたら、どんなに嬉しいだろうと考えるよ うになったそうです。 伊藤 純子 氏 最後に、伊藤さんの夢を語っていただきました。 自分はこれまで挑戦し続けてきました。そして、森をつくりたい、セ ンシティブな森を最終的にはつくりたい。森の中には、ギャラリーと かカフェがあり、現状に不満足な人たちも、ちょっとお茶飲みに行こ うかなって来てくださるような。森は茂原の自宅の近くにつくりたいと 考えています。近くに海もあるし、森もある。言霊なので、いろいろな 所で言って回っています。行く人が楽しくなければ意味がない。若い 人たちが楽しくおしゃべりしたり、おいしい空気を吸ったり、洒落た 食事をいただいたり。 この森の絵を三年くらい前に描いて、会う人、会う人に見てもらっ て話をしていますが、だんだん現実に繋がっていくのが面白くて。 まぁ、チャレンジですよね。まだまだ、甘い夢ですけどね。

(7)

③鎌ヶ谷市立西部小学校の地域を巻き込んだ

学校改革・地域改革

−子供大好き熱血先生の

−子供大好き熱血先生の

夢、感動、行動

夢、感動、行動

教育−

教育−

鎌ヶ谷市立西部小学校

鎌ヶ谷市立西部小学校

大久保

大久保

俊輝

俊輝

校長先生

校長先生

大久保先生は、常に子供の視線にあわせ、夢、感動、行動という基本の線を大切 に教育に取り組んでいます。 現在は、西部小学校の校長で直前は、船橋の三山東小学校で校長をしておりました。 ある時、生徒が「校長先生、校庭で虫を探すのだけどいないのだよ、ダンゴ虫ぐらい だよ」と言われ、生徒に「蛍見たことある」と聞くと「いや、テレビで見たことがあるけど、 本物の蛍は見たことないよ」と。そこで、新聞に蛍の放流の記事が掲載されていたのを 知り早速電話し、流山市の前川さんを紹介していただきました。先生は、子供達に感動 と自然の豊かさと命の大切さを教えたい。 蛍は、長い期間の中で生きている物を食べていく。蛍の習性は、人間より遙か昔から 生きていて、見にくい形から想像出来ない程ゲジゲジから成虫になり、生き餌を食べな きゃならない。特に平家蛍は田んぼ蛍だから、水を1ヶ月変えなくても生きている。その ためには、環境を保たなければならないのです。 そして、もう一つの素晴らしさは、百匹いたら全部成虫にならず、その中の何匹かはそのまま幼虫で残るのです。種を 残していく発想が自然界の中にはあり、遺伝子として組み込まれており生態系が必要で何でも良いのではありません。 是非、子供達に感動を与えたいので協力してほしいと、お願いし応諾頂いた。 先生の有志と六年生で、パットを利用して飼育を始めましたが、幼虫だから水に流したり、洗ったりしている時、数がど んどん減ってきてしまう。飼育している子供達は、どちらかというと、課題を抱えている子供達ですが、意外と物事をしっ かり見ているのです。 その後、「蛍の星」の映画を見て命の大切さを客観ではなく、実感してほしい。そして、命を繋いでいくという事の難しさ を教えたいと気持ちが強くなってきました。 蛍を飼育するには綺麗な水が必要なのです。そこで、子供や地域の方延べ1,000人が係り皆で役割分担し、立派な 井戸を掘ることが出来、今でも、地域の方の憩いの場所として春はお花見、夏には蛍の鑑賞になっております。 先生は、二つ目の井戸を西部小学校でも作ろうと地域の方と一緒に計画しています。 とかく、何かに取り組むときはお金がかかるので、断念してしまいがちですが、子供達のために作るのだという熱い思 いがあれば必ず人は協力してくれる。そして、地域の方々とも絆が強まり感動が生まれます。 また、富士山に不登校の子供達53名と文教大の学生150名を連れて今回も登山に挑戦。とても素晴らしいのは、登り 始めは大学生の方が元気いっぱいだけど、頂上に近づくにつれ子供達が力を発揮し学生に声掛けしている様子は、自 信に満ちた満足顔です。子供達は、このような体験をとおしてしっかり自信に繋げています。 西部小学校では木登りオッケーです。木から落ちることもありますが、落ちる経験も大事、低いところから落ちてもよい が、高いところから落ちたら死んでしまう。 そして、ケンカもさせます。ケンカしないのが美徳ではなく、殴った時の加減がわからないのが沢山いるから危険なの です。 その他の体験として、障害を持った子供達にプロのピアニストとヴァイオリニストによる本物の演奏を聴かせたいという 思いがあり、先生方の反対を押し切って演奏会を開催しましたが、演奏が始まった瞬間から聞き入って会場はとても静 まり返っておりました。 子供達にも本物の演奏の素晴らしさは十分伝わる事を信じていました。この演奏で一番喜んだのは母親でした。 障害を持っている子供達を演奏会に連れて行っては、周りの人に迷惑をかけるからと。その後も、サントリーホールで毎 年、親子コンサートを続けています。 西部小学校の校長室には、毎月外部の人が多いときには、300人も訪れ、絵本作家、音楽家、映画監督、ドックシェ ルター、メキシコからは、ゴミで音楽をと、様々な方が来られます。 先生はまさに、人は「会いたい」が大切なのです。色々経験を話しましたが、大きな病院の院長でも執刀し、なお臨床 教授つまり手術を見せます。まさに教育現場においても同じ訳ですが、教育学部の中には、教壇に立ってない教授は沢 山います。大変な学校やクラスがありますから、自らが体験する、感性を磨く事が大切なのではないでしょうか。 時には、子供が親に言えないことを教師が代弁してあげることも必要ですし、本物に触れさせていくことが基本だと思 います。 常に、何の為にやるのかをはっきりさせていくことと、もう一つは、諦めない事、いつかチャンスは必ずくるから忘れない 大久保 俊輝 校長

(8)

④東葛星見隊による星空教育

小学校との関わりは、もう十数年前に遡ります。大久保俊輝校長が岸野さんの撮った天体写真を新聞で見て大きなイン パクトを受け、小学校に招いて観望会や理科教室を継続的に行なってきたことから始まります。今では我孫子市内の小学 校でも観望会を行なっています。また、観望会の前に天文教室を開き、事前に小一時間程度時間をつくって当日の星空に ついての話や学校ではそこまで教えられないことなどを体験を含めて話してあげると、子供たちはいい返事をしてくれる、 つまりよくわかってくれると言います。星もただ見ているだけでなく、暗さや色とか様々な星があり、普通はそれを見たとき、 「見えた」で終わってしまうことが多い。では、どういう風に見えたのって聞いたとき、「色がオレンジっぽいね」と答えれば、 「オレンジは温度が低い星なんだよ」と説明すると「青いのは何?温度が高いの?」とかが分かってきます。 また、「地球も星も元は一つであったものが爆発して散らばっただけで、最初は一点だった、全部同じなんだよ、そういう 面から星を眺めてご覧」というとやはり気分的にも違うようです。 観望会には、子供たちだけでなく、親、家族とかあらゆる年齢の方が集まり、色々な意見も出るそうですが、中でも子供た ちは理屈抜きなので、ビンビン来て、これがメンバーの頭の体操になるといいます。最高!寝てられません!おもしろいで す! ただ、残念なのは子供たちも高学年になると受験勉強があって来られなくなり、そこで切れてしまうことですが、参加してく れた子供たちの中から、将来宇宙飛行士になってもらいたい、物理学者になってもらいたいと期待しています。 また、東葛星見隊は、地球環境問題にも関心を持ち、宇宙から見た夜の地球は明かりばかりで、それで世界地図になっ てしまうほどであり、特に日本列島は全部光っているとのことで、地球温暖化が進み動植物に悪影響を与えるということを 常日頃から子供たちに話しています。 観望会の打率(開催日が晴れて予定通り開けること)が最近低くなったことも、何らかの地球環境が悪化しているのでは ないかと心配しています。そういうなかで、自分たちのやれること、エネルギーの節約や無駄なことをしないようにということ を啓蒙していくことによって地球を良くしようと地道に活動しています。 また、柏プラネタリウムで観望会を行なったとき、車いすのお子さんが来られましたが、顔を動かすことができず、残念な がら星を見ることができなかったそうです。そこでメンバーの喜多さんと岸野さんは、車いすでも十分星がみられる道具を 試行錯誤してつくりました。その後、観望会のある時はいつも来られ、星を見ることができるようになり、とっても喜んでもら えたことが私の喜びになりました、と話しています。

星を介した子供たちとのふれあい

星を介した子供たちとのふれあい

東葛星見隊

東葛星見隊

岸野

岸野

正栄

正栄

藤田

藤田

晴久

晴久

我孫子市に星に魅入られた大人たちの集団「東葛星見隊」が地道に活 躍しています。 東葛星見隊と名付けたのは平成17年頃ですが、以前より仲間がぽつりぽ つり集まって観測したり、星に纏わる会に呼ばれたりしていたそうです。 メンバーは8名(内、女性1名)、40代から60代で構成されています。お互 いに個人的なことを聞くことはしていないので、はっきりしたことはわかりま せん。 メンバーの紅一点、駒井仁南子さんは、「星のきほん」(誠文堂新光社 刊)を出版しており、学校の先生とか専門的な方もいらっしゃれば、話を聞 かせてくださった岸野さんや藤田さんのように60歳前後になって本格的に 勉強を始めた方もいらっしゃいます。 こうした自分たちの趣味を生かした活動を進める中で、一番嬉しく、励みになるの は学校の子供たちが観望会の感想文を書いてくれることのようです。 「その感想文は、宝物にして・・・嬉しい、もう涙が出てきちゃうほど嬉しい、とても 嬉しいんですよ。質問もあるし、こんな質問をしてくれて嬉しいなって言うんで、一 生懸命勉強して・・・勉強になるんです、実は。」 最後に岸野さんはおっしゃいました・・・立派なことをやっていなくても、こういうこと をやっていけば元気溌剌よ。思った時にやるんじゃダメなんです。定期的にやって いくことが、その子供たち、地域の方たちに認められることであり、我々を理解して くれるし、星のこともそれなりに理解してくれる。それと我慢強く回を重ねていくって いうのは地道な努力が必要だと思いますね。 岸野 正栄 氏 藤田 晴久 氏 東葛星見隊

(9)

⑤20万人の観光客を集める

「成田太鼓祭」の企画運営

地元の次世代リーダーを育てるまちづくり塾

地元の次世代リーダーを育てるまちづくり塾

−素人がつくる関東一の太鼓祭り−

−素人がつくる関東一の太鼓祭り−

成田まちづくり塾

成田まちづくり塾

木下

木下

善貴

善貴

菊池

菊池

諸岡

諸岡

良和

良和

成田太鼓祭は、成田山参道の28軒の町内のPRと活性化を目的に、町並みと調和する伝統芸能や伝統文化を紹介 する小さなイベントを開催することからはじまった。スタッフは、町内会の人とその知り合いの素人ばかり。その素人集団 が「成田まちづくり塾」として祭りの運営を行っている。祭りを太鼓の演奏に絞り、成田山本堂前で太鼓の奏者が集い、 一斉に同じ曲を演奏するなど成田独自の祭りの見所を作り、また、メディアに取り上げてもらえるよう祭りにサブタイトル を付けるなどの工夫をして、20万人もの集客力を持つ関東一の太鼓祭りに成長した。今では、この祭りが地域にもたら 独自のイベントをやろうという話し合いがありまして、そのなかで、仲町という成田山門前の坂道の28軒しか無い町内 会ですけど、最初は、町並みを活かし、町並みと調和するような伝統芸能、伝統文化を紹介するイベントを小さい地域で 開催し、地域の売り上げ増進と地域のPRをすることが目的でした。祭りを継続させる為には、祭りに個性が必要なのと、 スタッフが素人ばかりなので運営しやすいこと、一つ一つのパフォーマンスにある程度の広がりがあることという条件で いろいろ考えましたところ、関東ではあまり大きな太鼓の祭りがなかったこともあり和太鼓を選びました。 最初は、町内会ですからスタッフが足りなかったんで、親しい後輩などに町内会以外の人たちに手伝ってもらいました。 次には彼らが、また、仲間を呼んで来て、その人達があんまり頑張るんで、地元町内会の人たちも黙って見ているわけ にはいかなくなってきました。それが、成田街づくり塾となり祭りの運営を行うようになりました。 祭りを短期間で出来るだけ大きくするために、広報には相当力を入れました。メディアにどう取り上げてもらうかが我々 のテーマでした。例えば、社会部の記者にとって地域おこしのイベントに興味はありませんが、何かのチャリティーにす るとか、行政の何周年に乗るとか、時期に即して祭りにサブタイトルを付けると記者に取り上げてもらえる。また、テレビ の場合には、事前にテレビ局に説明に伺い、取材に来られる場合には撮影位置などの撮影条件を全部受け入れました。 それと同時に、成田山本堂を背景にして、かがり火を焚いて太鼓の演奏をするなど絵になる状況を意識して作りだしま した。メディアに取り上げてもらった後には、必ずお礼をする。今では百数十社のメディアとの繋がりができています。メ ディアに取り上げられたあとの反響は非常に大きく、それにより注目度が高まっていきました。これは、自分が商売をす るのと同じことです。お客さんのニーズを捉え、効果的に宣伝することは経済活動と同様です。 未だにそうなんですが、街づくり塾のスタッフには、いっさいプロはいません。企画も演出もシナリオも舞台づくりも全部 素人が行っています。でも、スタッフの一人一人が街が好きで、地元で過ごしてきたからこそ分かる良い素材を知ってい る。その地元の魅力発信という同じ方向に向かって皆が考え、実現に向けて行動することで祭りの魅力がどんどん増し てきたと思います。 街づくり塾の活動は、人間関係の訓練に役立つと思っています。 特に訓練されるのは、リーダーシップ。その意味で、将来のビジ ネス活動に役立つものと思っていますし、街づくり塾の活動は、 無駄なものではないと思います。 何でもそうですが、次世代の成田のリーダーには、リーダー シップが絶対に必要です。リーダーシップは、もともと身に付いて いる人もいるかもしれませんが、トレーニングで身につく人が多 いと思うんです。そういう点では、街づくり塾にいる人達は、それ ぞれの分野で、相当リーダーシップを発揮されると思います。建 設的なリーダーシップを持った人が、街に分散していくと将来的 には、街に成果が現れてくるのではないかと思います。街が好き だという想いからの行動が、派生的に街を良くしていくものと信じ ています。 す経済波及効果も大きなものになっている。成功の秘訣は、自分たちの住 んでいる町が大好きなスタッフが、地元の自分たちしか知らない素材をイ ベントを通じて皆さんに発信するという視点でイベントを作り上げていった こと。それにより、スタッフ皆に共通のテーマと共通の行動パターンが出来 あがり成田太鼓祭の独自性が作り上げられてきた。 木下 善貴氏 菊池 貴 氏 諸岡 良和 氏

(10)

⑥大里綜合管理㈱の地域貢献活動

会社には保育所施設がなく、建物をそのまま子供に開放し、外出する時には他の社員が交代で面倒をみるので、たくさ んの母親に育てられる環境で大変有り難いという社員の声が多くあるのです。そのためには、社員一人一人も仕事を工夫 し、空き時間を上手に子供に向けています。 また、社員の子供たちだけでなく、地域の子供たちも受け入れて支援しようと、夕方になると学校帰りの子供たちがやっ てきて、多いときには、60人にものぼります。

不動産管理会社が行う働く母親の支援等地域貢献活動

不動産管理会社が行う働く母親の支援等地域貢献活動

大里綜合管理株式会社

大里綜合管理株式会社

代表取締役社長

代表取締役社長

野老

野老

真理子

真理子

マナーをきちんと教えることにより、仕事の妨げにもなりません ので、子供たちにとって、会社は、生きた社会勉強の場です。 子供たちは、社員が使うメモ用紙を作成、社屋の掃除、菓子作 りなどもし、菓子は自分たちのおやつだけでなく、時には、社員 に販売し、色々な活動の資金に当てています。 その他にも地域貢献活動として、海岸清掃、駅のトイレ清掃、 また、大網駅前の交通整理し、子供たちの通学時の安全誘導、 昼休みの時間に社屋でコンサートや、遊休農地を活用し農業に 取り組む等幅広い分野において頑張っております。 ここで、力を入れている活動の1つとして、野老社長から、「会 社設立40周年に、第九を、社員全員で、地域の人たち300人ぐ らいと一緒に合唱したいな」ということで、夢が叶い、19年の9月 に大里合唱団を立ち上げました。そして、地域の方と社員で月2 回合唱の練習を行い20年10月東金文化会館で合唱祭を行い、 合唱をやったことのない人がほとんどでしたが、みんなが一つに なり取り組んだことはすごいことであり、現在も、練習は続けてお ります。 毎月発行している「カムカムハッピー」は、大里綜合管理(株)の 活動がとてもわかりやすく、手作りが何より地域の方にとっても 好評であります。 野老社長の思いは、様々な取り組みを通して、子供を大事にし たい、仕事も大事にしたいということで、それぞれ、大事に積み 上げていくことで、もっともっと、道は開けていくと思います。今、 関わっている子供たちがやがて、この町のリーダーになってくれ たらと願いがあります。 会社が良くなるだけでなく、地域も良くなる、子供たちも良くなる。 そうしたら、私の夢が叶うかな。 やっぱり、一人残らず幸せになってほしいから。そんな、思いを 大網白里から発信し、大企業じゃなくてもできるのだと自信を 持って取り組んで参りましょう。 大里綜合管理(株)は、大網白里町にある不動産会社です。 大里の特徴は大きく分けて2つあり、職場内の整理整頓・清掃が行き届いていることと、 社員を含め会社全体が地域の方を巻き込んで90種類もの社会貢献活動を行っているこ とです。 なぜ、ここまで拘って社会貢献活動に注力してきたのか。 野老社長も3人の子供を育て、仕事にやりがいを感じながらも、泣いている子供を保育 園に預け、仕事に行くたび胸が痛んだといいます。 自分のわがままを満たすため子供を犠牲にしてよいわけがない。本気で仕事に打ち込 むため、職場で子供の面倒をみられ、安心して仕事ができる環境を整えることが必要で あると考えたからです。 野老 真理子 氏

(11)

⑦上総自然学校の里山再生事業

里山再生を通しての地域活性化へ

里山再生を通しての地域活性化へ

−地域が誇れる里山づくりを目指す−

−地域が誇れる里山づくりを目指す−

上総自然学校(曹洞宗真光寺)

上総自然学校(曹洞宗真光寺)

岡本

岡本

和幸

和幸

住職

住職

初美

初美

上総自然学校の行う里山再生事業によって、真光寺周辺にある7つの谷の手入れが行われ、現在そのうち3つの谷が、 田んぼとして人が入って使用できるようになりました。その結果、それまで人の手が全く入らなかったような森にも、人の手 が入るようになったことで周辺地域の環境が保全され、再生された里山の自然が維持されています。このような自然の維 持のためには、人間の手による手入れや人間と自然との関わりが必要であると、上総自然学校の張さんは話します。 そのようにして再生された里山の田んぼや自然を利用して、田植え、草取り、収穫祭などのほか、蛍を見ながら宿泊する キャンプのような自然の中での各種イベントを、上総自然学校では年間を通じて開催しています。現在、イベントの企画に 携わる張さんも、初めはそのようなイベントの参加者の1人でした。東京育ちの張さんはイベントを通じ、この地域の自然に 魅せられ、現在では寺の事務や経理に携わる傍らで、自分もイベントの企画や運営にも携わるようになりました。 これらのイベントの際、自然学校のスタッフの他に、地元に住む方々の力も必要となります。実際、地元の方に巻き寿司 づくりをお願いしたり、稲を使って藁を編むことを教えて頂いたりということがあるそうです。しかしながら、地元からイベント に参加される方は、東京をはじめとする他の地域から参加される方に比べて少なく、地域の活性化のために、地元からの イベントへの参加者を増やしていくことが、今後の目標の一つと張さんは話します。また、地元の小学生や中学生なども、 見学には訪れるものの、農業体験に参加することは少ないそうです。現状として多くの参加者を受け入れるだけの体制が 整っていないということも挙げられますが、それらの課題を解消しつつ、この活動のアピールをすることで、もっと多くの地 元の方に対して、活動を浸透させたいと思っているそうです。 張さんはまた、この地域の将来の展望として、現在手入れが行われている3つの谷に加え、残り全ての谷をきちんと作り、 山の中に入って自然と関わり、接することができるようなライフスタイルを作り出したいと語ります。人が入ることにより、自 然環境の保全を行い、この地域を元気にして、そこに住む人々に、自分たちの住む地域に対する自信を持ってもらいたい と思っています。 大月川源流域、川原井地区の樹林や農地環境を、里山として再生し、森林や農地として 持続的な利用をすることを目的とした里山再生事業は、平成8年、曹洞宗真光寺の住職で ある岡本和幸氏が中心となってスタートしました。その後、里山再生活動の内容も少しずつ 拡大され、平成18年3月に、現在の上総自然学校の前身となる、「川原井里山を守る会」 設立準備室が設立されました。そして現在、上総自然学校として、再生した里山を通じ、自 然とのふれあい、自然学習の場として様々なプログラムを実施し、多くの参加者を集めてい ます。 同様のことは、真光寺の住職である岡本さんも考えてい るそうです。目的ありきという考え方ではないものの、真光 寺周辺のこの自然環境というものは、地域社会の活性化 に寄与できるだけのものではないだろうか。この素晴らし い自然環境という資源に気づき、それを中核として、地域 興しや村興しを行う。そしてそれらを通じて、地元の人達に 地域というものに誇りを持ってもらいたいと語っています。 岡本さんはまた、この上総自然学校の将来像として、現在 運営の主体となっている真光寺の元を離れ、独立した団体 として自然学校を運営することが理想型だと語ります。 NPO法人のような形を取り、県などから補助をもらいなが ら、もっと幅広くいろんな人が参加できるような活動を行う。 これが岡本さんの活動の理想型です。しかしながら、現在、 その理想型のゴールが見えていると言う訳ではありません。 そのゴールに向かっている現在は、やれることを場当たり 的にでも行い、楽しいことを少しずつ積み重ねていきたい。 岡本さんはこうも話しています。仕事も楽しく。いつも楽しく やるのが一番ですからね。 岡本 和幸 住職

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⑧周南中学校による松本ピアノ保存活動

中学生による古ピアノ修理そして演奏

中学生による古ピアノ修理そして演奏

−職人が教える日本で唯一の授業−

−職人が教える日本で唯一の授業−

君津市立周南中学校

君津市立周南中学校

花井

花井

知文

知文

校長先生

校長先生

明治・大正期、国産ピアノとして山葉(現ヤマハ)と比肩する存在であった松本ピアノは、次 第に職人が減ったことにより1991年を最後に生産中止。そして2006年、君津市所在の激しく 老朽化した工場の取り壊しが決まった。『何とかしてピアノを保存してほしい』。地元の願いを 受け、歴史ある松本ピアノの保存・修復を手がけることになったのは、なんと地元の中学校で あった。『ピアノを修復する』という日本でも唯一であろう職人技を教える授業を始めた、周南 中学校の花井校長先生に話を伺った。地元で生まれ、失われつつある職人の技術は、教育を 通し、時を越えて継承されつつある。 2006年、地元君津に所在した松本ピアノの工場が取り壊しになり、花井先生が校長を努めていらっしゃる地元の周南 中学校に保存場所として白羽の矢が立ちました。半分は仕方なしで引き受けられたとのことですが、松本ピアノの三代 目(松本新一さん)がご健在であることもあり、「授業で活かせないものか」と考え、選択教科で技術を専攻した中学生が、 快く指導を引き受けてくださった新一さんの指導の下、2007年からピアノの修理に取り掛かかることになりました。 実際作業を始めてみるとピアノの構造は驚くべき複雑さで、修理は想像以上に大変であり、1年をかけても分解するの が精一杯。組み立てはこれからで、完成には複数年かかるのではないかとのことです。しかし、ご自分の定年までに何 とかして修理したピアノでのコンサートを開きたいと思っていらっしゃるそうです。週に1回のペースの授業ではどうしても 時間が足りないため、来年はもう少し時間を増やしたいと考えているそうです。また、新一さんは職人ですからピアノづく りにこだわりを持っており、部品が少しでも曲がっていたりすると、すぐにやり直しになってしまうそうですが、まったくの 素人がピアノを修理しているのですから、これは本当にすごいことです。 コンサートに関しては、中学生が修理しているものはまだ完成していないため使用できていないそうですが、松本さん が地域のボランティアの方と修復したピアノを用いたコンサートが文化ホールや周南中学校で開催されています。 花井校長は、「何年か後、全ピアノの修理が終わった後には、市にピアノ・ミュージアムをつくってほしいと考えています。 ミュージアムが難しくても、せめて君津市の文化ホールの一角にそれらしいものをつくってもらいたいです。新一さん曰く、 『ピアノは飾ってあるだけではだめだ。ピアノは弾かなくてはいけない』というので、市民が気楽に弾けるものを、いつか つくりたいと構想を練っています。」と仰っており、将来は松本ピアノを自由に弾くことができるようになるかもしれません。 また、花井校長は『今修理しているピアノの内側に、関わった全ての子供たちの名前を記入する』と仰っており、また、 新一さんは子供たちがつけている作業日誌を、いずれ本にしたいと考えているようです。きっと、音が出たときの子供た ちの感激は相当なものになるでしょう。 花井 知文 校長 ピアノ修理という授業は全国でも周南中学校だけで はないかということです。歴史あるピアノに関わって、 自分たちの手で汗して、協働して、元の音が出るよう に、いえ、もっと良い音が出るように修理していく。周 南中学校では、本当に恵まれた教育を実践されてい るのだと思います。松本ピアノは、全て機械によらず 手作業であり、正に職人技です。明治のころから音質 は松本ピアノが良いと言われ続けてきたその技術で、 今日も手作業での修復が行われています。手づくりだ からこそ当時の優しい音色が出せるのだと思います。 花井校長は「相当な年月がかかるので難しいかもし れませんが、いつか子供たちの中からピアノづくりの 技術の後継者が出てきてくれたら嬉しいですね。」と 仰っています。ピアノづくりは一昼夜でできるものでは ないかもしれません。しかし、地元が生んだ誇るべき 技術を継承する者がでれば、本当に喜ばしいことであ ると思います。 松本 新一 氏

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⑨三芳村の里山の自然の中で子供を育てる

小学生の子供達を対象に「遊びながら逞しく生きる力、基礎的な学力や体力を養い、情操 豊かな優しい心を育てる」ことを目的として、平成16年に開校した『里山わんぱく塾』。この塾 の代表を務めるのは、地元で育ち、長年地元の小、中学校で教壇に立っていた菅沼弘夫氏。 自然が相手の遊びを体験し、実物の生き物にふれて自然を肌で感じること。それが子供の情 操を育てるというが、それだけではない。実は、そういった行動に関わる大人も成長していく のだと菅沼氏は言う。だからこの活動は「子供に学ぶ会」と名付けられている。これまでの活 動の軌跡、そしてそれに向ける思いを菅沼氏に伺った。

子どもと大人をお互いに成長させる里山の塾

子どもと大人をお互いに成長させる里山の塾

−里山わんぱく塾が目指すもの−

−里山わんぱく塾が目指すもの−

子どもに学ぶ会

子どもに学ぶ会

代表

代表

菅沼

菅沼

弘夫

弘夫

菅沼 弘夫 氏 この塾に参加する子供は、館山市や習志野市からインターネットを見てくる子供もいま すが、三芳小学校等の地元の小学生が多い。もっと都市部から子供が来るものと思わ れていましたが、実際には地元の子供達もこんな遊びはやっていないということで多数 参加してくるとのこと。農山村の子供達は自然とのふれあいが必ずしも豊かだという訳で はありません。そこに大人や子供達がどういう風に関わっているかという関わりの豊かさ が見失われがちなのです。子どもの情操というのは、やはりこういう自然を相手にした遊 びを実際に体験し、実物の生き物にふれることを通して育てられるのです。 また、自然の遊びに伴う危険は、近寄らせないのではなくて、危険な場所はどう過ごすか、どう使うかという、そこを教えな ければいけないだろう、それは守らせなければいけないだろうと菅沼さんは考えます。 菅沼さんの将来の夢はビオトープを作ることだそうで、農地、水と土の生物補助事業をやりたいそうです。比較的汚染され ていない地域があるので、そこに在来の水性生物と植物の場所が出来ることを願っています。そこで子ども達が生き物と一 緒に生活することが出来たら良いなと思っているそうです。自然の摂理の事実を子ども達も知り、生態系の生々しさを子ども 達の直の目で見せる体験をさせるのは、大切な事ですよね。命の大切さを知る。人間だって一つの生き物ですから。その原 点がそういった所にあるのではないでしょうか。 そして、子ども達のそういった行動が大人達を学ばせるのです。子育てというと大人が子どもを育てるという一方向と思わ れがちですけど、子どもが大人を育てるという逆方向もあるのではないかと思います。だからこの活動の名前が「子どもに学 ぶ会」なんですね。そういう気持ちを忘れないように名付けられているそうです。 この活動がもっと多くの人に知られ広がっていくと良いですね。 里山わんぱく塾の主な教室である旧三芳村のこの堰は、もとは農業用水・灌漑用水の溜池として使われていました。用水 が酷くなり、県と国とが合わせた土地整備事業の一環として改修工事がなされた際、もったいない、せっかく工事したのだか ら何か他にも使えないだろうかと思ったのが最初のスタートであったそうです。この溜池の周囲は約1㎞あり、普通なら奥の 方は鬱蒼としていそうなものですが、ここは明るく気持ちの良さそうなところだったのです。そこでお願いして、堰堤の下に水 を回してもらいそこに生物を生息させました。本当はビオトープが出来るくらいのものが良かったのですが、予算の都合もあり、 自然のシジミを採ってきて放しただけの単純な水たまりになってしまったそうです。この工事は平成11年3月に完成。当時は そこに子供達を入れて遊ばせていただけであったそうです。 その後、旧三芳村役場の指導で、観察用に工事を行ったので出来上がったものを使わせてもらうようになったのですが、草 だらけとなってしまったため、平成12年から地区のボランティアを募り日を決めて草刈りやろうということになりました。また、 周囲には役場から頂いた桜の木を植えたりしたのですが、これら共同作業は、草刈りで集落の70%、植樹は35%程度は参 加という高い参加率で行いました。なお、減ってきてはいますが、今でも草刈り等は定期的にやっているとのことです。このよ うな施設ができた所で、子ども達を案内して自然の学習をしてもらおうということになったのは平成16年4月からだそうです。 初めの年は月2回行っていましたが、準備が間に合わないため現在では月1回にしています。 わんぱく塾に中心的に関わっている方は、菅沼さんを含めて3人です。1人は大手コンピュータ関連企業を退職し引っ越して きた方で、様々な紙面を作ってもらったりしている。もう1人は役所に勤めていた方です。その他には、父母で時々手が空いた とき来てくれる人で、十数人位来てくれるときもあり、そういう協力は随時あるとのことです。 草刈りボランティアのときなんかは半分位は他所から来た方々だそうで、実際に活動している絶対数からいえば地元の人 が多いのですが、集まってくる方全体では他所からの参加率は高いのです。生活が多様化している中で、他所の方々が活 動を担っているというのは、なにか、時代を象徴しているように思えますね。また、早稲田大学のボランティア学生達が菅沼さ んの自宅に泊まりながらお手伝いをしてくれることもあるようですが、ラフに使える公共的な宿泊施設があれば、更に充実出 来るとも思われます。

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⑩三芳村生産グループが目指す無農薬農業

三芳村生産グループの歴史は、「安全な食べ物をつくって食べる会」の初代代表を務めていた岡田米雄さんと和田さん との出会いから始まります。農業のあり方が大規模農業あるいは兼業農家の流れに傾き、小規模農家の存続が薄れてい く時代のなか、食べる会の岡田氏率いる主婦のみなさんから「環境に良くない農業は健康にも良くない。安心できる食べ 物が欲しい。」という要望があり、賛同した18軒の農家とともに、生産者・消費者と「提携」する道を選んだのが、三芳村生 産グループでした。現在では、提携農家は27軒、購入者は約900名にまで増え、年間100種類を超える野菜を提供してい ます。今では軌道に乗った活動ですが、開始当初は、生産者側・消費者側ともに不安を抱えてのスタートでした。特に生産 者側は、せっかく無農薬で作った作物が虫でダメになり、買い取ってもらえない場合のことを不安に感じていたため、グ ループでは、「全量引取」というルールを作り、安心して無農薬野菜の栽培に挑戦してもらうよう工夫をしました。また消費 者のなかには、冬の時期にトマトやキュウリが手に入らないことを不満に思う人もいましたが、時間が経つにつれ、自然の なかで旬の作物を正しく食べる大切さを理解していただけるようになりました。 無農薬農業の特色は、なんと言っても労力がかかる点です。農薬や化学肥料を使用した効率優先の育て方とは違い、 虫や草を取るなど手間がかかるため、農作業の苦労は絶えません。しかし、「その苦労をわかってくれる消費者がいるか ら、つらい時でも頑張れる。それが私たちの生きがいなんです。」と和田さんは語ります。大事に手間隙かけて育てた作物 は、業者を介することなく、必ず生産者が直接消費者に配達しています。これも顔が見える関係性を大事にする「提携」の ルールのひとつです。 35年の月日をかけて、無農薬野菜の生産や流通のノウハウを培い、確立した和田さんは、現在の農業は 行き詰ってい る と感じています。たとえば商品の流通にしても、最近では、野菜の大きさや形がすべて規格化されているため、農家は 高い選果機を買わなくてはなりません。そのため、コストを抑えようと、単品専業になる農家が増加傾向にあると言います。 このような現代農法が、「いかに安くいかに売れる商品を作るか」という考えを導き、商品そのものの質が度外視されがち になっているのです。しかし、現在の農業が抱える問題を解決するには、生産者である農家だけでなく、消費者の理解や サポートも必要不可欠であると和田さんは主張します。農業に携わる人であれば誰でも、無農薬が環境や健康に良いとい うことを知っています。しかし同時に、無農薬農業だけでは生活が成り立たないことも十分わかっているのです。そのジレ ンマを解消すべく、消費者が積極的にサポートを申し出てくれれば、農業の未来も明るさを取り戻す可能性があるのです。 三芳村生産グループが発足したのは、まだ世間に 無農薬農業 という言葉が浸 透していなかった1973年。「自然農法」を目指して18軒の農家の協力のもと、活動 を開始した。彼らがこの活動の基本にしていることは、生産者と消費者との「提携」、 つまり人と人とのつながり。無農薬野菜を作る側とそれを食べる側との信頼関係が、 彼らの活動を支え、また消費者の健康を守っている。

生産者・消費者の 提携 に支えられる無農薬農業

生産者・消費者の 提携 に支えられる無農薬農業

−三芳村生産グループの挑戦−

−三芳村生産グループの挑戦−

三芳村生産グループ

三芳村生産グループ

和田

和田

博之

博之

安田

安田

グループでは、安全な食べ物をつくって食べる会とお金を出し合い、「みんなの家」を建設しました。ここでは、提携農 家が作った無農薬野菜を食べることができます。活動が広まるにつれ、村や行政も認めてくれるようになり、ここに集ま る人たちは、野菜を食べるだけでなく、農業を体験したり、宿泊することができます。グループではこれを「縁農」と呼んで、 訪れる人たちを歓迎しています。 農業をやる上で、人と人とのつながりや信頼関係の大 切さを変わらず唱えてきた和田さんは、農業をきっかけ に日本の将来の食料について、生産者・消費者ともに考 えていきたいと思っています。そして最後に和田さんはこ う付け加えます。「とにかくみなさんには、農作物をいっ ぱい食べて欲しいですね。消費が増えれば、農薬なんて 使わなくて済むんですから。」 和田 博之 氏 安田 仁 氏

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