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日本近代体育の思想と実践 (5)

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(1)

日本近代体育 の思想 と実践

(5)

保健 体育科教育教室 入 は じbウ に 本稿では

,日

露戦争後 における全般的な社会的教育思想の一翼を形成する以下の体育論 を対象 と した。

(1)明

治39年に登場 した西園寺 内閣以後の教育政策論 に顕著 な人物論 と経済教育論

,教

育経済論 の思想的本質。

(2)人

物論 と経済教育論等 に内蔵 され る「修養論」 と高島平二郎

,川

瀬元九良Fによる身体 の修養 論

,人

格主義体育論 との接点。

(3)寺

田勇吉

,尼

子止男の身体 の修養論

,井

上八郎

,津

江清太

,児

玉猪久馬等の国民体育振興論 の特質。

(4)明

治40年代 における進化主義体育論 の特質 と形式主義

,画

―主義体育批判。

(5)沢

柳政太郎の『実際的教育学』の性格 とその意義。 5。 活 動 的 人 物 の 養 成 と体 育 の 実 際 化

1.日

露戦争後の経営 と経済教育論

(1)西

園寺公望の経済教育政策 と体育 の近代化 日露戦争 によって帝国主義段階に到達 した 日本資本主義が

,欧

米の先進帝国主義列強 によるアジ ア分割競争 に積極的に参加するためには

,何

よ りも

,軍

事力優先の軍国主義的国家体制 の確立 は不 可欠であった。 その結果

,軍

事力の拡充 を達成するために

,陸

軍の常備軍13個師団 を17個師団に増 師 し

,ま

,海

軍 の軍艦総 トン数 を

,25万

トンか ら40万 トンに増加 させる計画 を実現 す る とい う軍 国主義的財政 は

,戦

後 もなお継続 されていった。 さらに

,そ

れに関連 した製鉄

,造

船等の重工業

,あ

るいは鉄道の国有化 を軸 とする鉄道網 の普及, 治水

,土

木事業

,加

えて満州

,朝

,樺

太の経営等積極的な帝国主義的な政策が とられていった。 しか しなが ら

,そ

れ らの政策 を支 える財政 は

,著

しい弱体ぶ りを示 し

,戦

時公債 を中心 とした公 債の利払いをはじめ として

,そ

の負担 は労働者

,農

民な どの国民全般の肩 に重 くの しかか っていっ た。つ まり戦後の物価謄貴

,明

治40年以降の恐慌 の連続 とい う経済不況 も加わって実質賃金の切 り 下げ

,労

働時間の延長

,さ

らには農業 における商品経済の浸透 と

,寄

生地主制の強化 という形 をと って労働者

,農

民の窮乏化 をよ リー層深刻化 させていった。 己 克 江

(2)

こうした国民の相対的な窮乏化現象は

,一

方で

,農

村青年の向都離村 (三出稼労働

)の

傾 向 を促 進 させ るだけでな く

,明

治国家の体制的基盤 であるはずの農村の共同体的秩序 を解体 させ ることを 示唆するとともに

,他

方では

,従

来の軍事型の財政運営 に対する国民諸層の抵抗 を喚 び起 し,「富国 強兵」 とい う国家的 ビジ ョンの現実的意味 を喪失 させ る可能性 を秘めていた。 それ故 に

,政

党勢力 は

,藩

閥絶対主義勢力 に対 して日本 を実質 ともに近代的な帝国主義国家へ と脱皮 をはか るために, 独 占資本主義体制の確立 と立憲的政治の体制化 を主張す ることになる。 これが後 に

,大

正初期 の閥 族打破憲政擁護の運動へ と成長 してい くことになるが

,こ

の運動 は

,官

僚主義的な国家体制 を批判 す ると同時 に,例えば「我国の朝鮮 に対するや

,帝

国主義 にあ らず して世界主義 な り。帝国主義 とは 自国の存在繁栄の為 めに

,他

国のそをば

,犠

牲 に供することに して

,世

界主義 とは世界平和 の為 め に

,殊

に又世界文明の発展の為 めに

,巳

むを得ずんば強力 を以て之 を遂行するもの に して

,五

十年 前米使ペル リの我国に対 する

,日

清 日露両戦争

,清

国保全

,日

英同盟等皆 これな りとす

,而

して如 此使命 は

,世

界文明の理想 を以て

,其

の国是 とす る国家のみ

,独

り能 く妥当に之 を任 じ得 る ものに て,過 去及現在の国家中,唯我帝国のみ,世界主義執行の資格 ある国家な りとすΨといつた独善的で, 排外主義的な大国意識 をもって対外的には

,帝

国主義政的策 を推進す るイデオロギーを展開するこ とになる。 こうした時代思潮の激変 しつつある明治39年1月

,西

園寺内閣が成立 し

,3月

には文相 に牧野伸顕が就任 した。牧野 は

,文

相就任の条件 にロン ドン大学で「 日本の教育

Jに

ついて報告す ることになっていた沢柳政太郎 を次官にすえることを決めていた。 ところで

,こ

の西園寺内閣の基本的な課題 は

,次

の諸点 にあった。即 ち,(1)義務教育年限 を

6年

制 に延長 し

,近

代 的な帝国主義教育 を制度的に確立 す ること,(2)高等教育 を充実すること,(3)軍事 技術の発展 と戦闘の質的な転換 に伴 って「話 し方」教育

,体

育 を奨励 すること,(4)満韓の極寒地に おける戦闘の反省か ら

,衛

生思想 を普及 させ ることであったが

,そ

れ らの観点か ら人物 の養成

,経

済的徳の涵養

,教

授・ 訓練の実際化

,体

育 の改造等が標傍 され

,究

極的には

,天

皇制思想の社会的 基盤の動揺 を背景 に

,天

皇制思想の再強化 を図 ってい くことであった。以上の点 について各文部大 臣が

,さ

まざまな機会 に述べているが

,牧

野文相 は

,明

治41年5月 に国民道徳 として「商業的公徳」 を力説 し

,次

の ように語 っている。 「今 日我国は

,世

界の一等国 となった ことであるか らして

,国

民たるものは其態度修養共

,一

等国 民たるに恥 ぢざる様 にせねばならぬ

,今

日は国民の境遇

,道

徳の責任が複雑 とな り

,人

々の行ふべ き徳目が増加 し

,範

囲が広 まった ことは著 しい事実である。例へば共同的

,公

衆的の合同及事業, 汽車汽船

,学

,公

,立

憲政治的権利義務

,外

国の国家或 は一個人 に対する礼儀等

,維

新以前 に 比 して多 くの新徳が出来たのである。尚又今 日の国家 は殖産興業の時代であるか らして

,節

,勤

,守

,及

不慮 の急 を凝ふの用意

,意

志の正確 なること等の諸徳 を重要 とす る

,如

此複雑の社会 であるか らして

,益

々道徳の必要が有 るのである。(中略)故に人々が この社会組織 に応 じて

,相

当 の道徳 を守 るのでなければ

,到

底 この国家の進歩 は期 し得 られぬのであって

,彼

の一 日の長 ある欧 米諸国の

,商

業的公徳 は大 に発達 してをる

,然

るに我国には兎角 この方面 に鋏点が少 くない

,こ

れ 等 も時世の必要 に応 じて行 くべ き所以の

,実

際的手段 を講ず る必要がある

,?

また

,や

は り同月の小学教員会議で も

,徳

育 の改善 と教授の実際化 について演説 している。 「余の観 る所 によれば

,従

来我 国民が豊 富 なる智 識 を有 することを證 明 した場 合が少 くない

,而

してこれ実 に普通教育の結果である

,現

今の教育 は

,実

に比知識の点 に船て成功 した ものである, 乍併徳育之 に及 ばぬの憾 みあるは憂ふべ きことである

,(中

略)彼の日清 日露両大戦争の偉功 は

,国

民固有の 日本魂が

,聖

徳 に依 つて発揮 した結果である

,又

産業上の道徳

,及

社会一般 に守 るべ き公

(3)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第

1号 95

徳に就 いては兎角非難が多 くて

,軍

人の軍事 にお けると同様 の信用 をば受 けてをらぬ

,要

するに今 日の教育 に船ては

,徳

育 は未だ知育 に及 ばぬのである。(中略)今日の教育上改善の余地 あるは

,単

に徳育 の方面 に存 するに止 まらず して

,実

に知育 の方面 に も亦之あることを忘れてはな らぬ

,例

へ ば漢字の教へ方

,作

文の教授法

,算

術の実地的応用等は

,未

だ大 に研究せ られねばな らぬ もので あ る。す) 一方

,明

治41年 7月

,牧

野 に代 って文相 に就任 した小松原英太郎 は

,明

治42年5月 の地方長官 に 対する訓示の中で,「体操 は独 り身体 を鍛練 して之 を強健 な らしめ

,其

の発育 を均整 な らしむるを以 て目的 とするのみな らず

,秩

序 を重んじ規律 に服 す るの気風 を養ひ護国の精神協同の気風 を練成す るを以て

,要

旨とな らざる可か らず

,然

るに今 日に行 はる ゝ体操 は

,往

々唯身体 を鍛練するの一偏 に流れて

,動

もすれば其の精神 も失 はん とするものあるが如 し,本省に体操遊戯取調委員 を任命 し, 明治廿九年一月十五 日の官報 を以て

,其

の調査の結果 を公 にし

,以

て研究上の参考 に供 し

,又

講習 会 を開 きたることあ りと雖 も

,体

操科 に関す る要 目等 は

,之

を国情 に鑑みて

,尚

ほ仔細 に考量 す る の必要 を認 め

,未

だ確定の方針 を発表するに至 らず

,今

尚ほ諸般の関係 に就 き慎重調査中に属 す成 るべ く速に之 を決定 して

,其

の改善統一 を図 るべ しと雖 も

,各

位 は常 に学校 当事者 を督励 して

,体

操科教授の精神 を貫徹せん ことを努め られ るべ じ」と

,体

育 の精神的効果 に着 目すべ きことを説いて いる。 また

,明

治43年 4月22日の地方長官会議では,「誠実勤勉 に して

,常

に国家 を以て念 とし

,国

利公 益 を重んじて私利私欲 を後 にす るの美風伊 を備 えた人物の養成 を訓示 し

,そ

の前年の明治42年5月 8日 の第7回連合教育会 においては

,教

授・訓練 の改造 を主張 している。 「学校 におて最 も重要なるは

,教

授及 び訓練 に して

,近

時学校 は比の方面 に向 って漸次其の面 目 を 改めつ ゝあるは頗 る喜ぶべ き現象なれ ども

,教

授及 び訓練 は最 も重要な事項 なるが故 に

,其

の改 善 におては

,充

分慎重精密なる討議攻究 を経 て

,始

めて之 を採用するの周到 なる用意 なか るべか らず。 若 し然 らず して改善の道 を講ぜず

,郵

重なる研究 を遂 げず して

,動

もすれ ば形式的整理 にのみ流れ て

,妄

に外観 を街ふの弊 に赴 くを免れず

,斯

の如 きは最 も忌むべ く

,恐

るべ き弊害 にして国家の教 育 を誤 まる ゝ所以 なれば

,教

育者 たる者 は

,熱

心 と誠実 とを以 て

,常

に其 の研究 を怠 らず

,以

て其 の実行 を挙 げぬ ことを期すべ きな り。

9

さらに明治44年8月

,小

松原の後 を継いだ文相長谷部純高 は

,明

治45年3月 の東京高師の卒業式 で「国民の体育 は其の智徳 と相倹ちて国民教育上最重要なるに拘かはらず

,従

来各学校 にお いて, 実施する所往々十分 な らざるものあるは

,本

大臣の遺憾 とする所 な り

,体

育 を改善 して国民身体 の 健全 を図るは

,我

国今 日の情勢 に鑑み又一 日を緩 うすべか らざるものあるを覚ゆ

,体

育 の事 は体操 の教授 にのみ一任 するが如 きことな く

,各

教員共 に意 を此 に用ひ

,生

徒身体 の発達 を助長 し

,体

育 の効果 を一層顕著 なるに至 らんことを望む?と演説 し

,体

育 の奨励 を説 いている。 以上の ように

,明

治30年代か ら40年代 にかけての藩閥政治 による富国強兵主義

,

もしくは軍事型 の対外膨張主義か ら立憲主義的な政治体制による国民的

,国

家的経済発展への転換 という動向は, 新 たな国民教育論 を要求するようになった。 それ は「経済教育論J,「教育経済論」であ り

,例

えば 牧野文相の言葉 に も伺 い知れるように

,全

般的な「修養論」であった。 経済教育論 においては

,国

家的「公」 と個人的「私」の二 つの立場 を折衷 し

,か

つ満足 させ る経 済教育が主張 され る。つま り国民個々の「私

J的

経済力の総和が国家の「公」的経済力

,即

ち実 力 にな りうるとの観点か ら,「凡 そ教育者たるものは過去の歴史 に鑑みて

,将

来 の発達 を予想 し

,以

て 現在の時局 に適すべ き人材 を

,教

育する任 にあるものなれば

,唯

々漫然 として品性 を陶冶 して技 能

(4)

を授 くるのみにして

,今

日の趨勢 に応 じて活動す るに足 るべ き人材 を造 らざれ ば

,其

れ何 ぞ教育 者 た らむ

,今

や教育 の進歩 は益々人文の歩 を高め

,人

文 の進歩 は益々労働の価値 を貴か らしめ

,文

芸 的競争時代 は既 に過 ぎて

,漸

く実行的競争時代 に入 り

,健

全なる教育思想 としては

,道

徳 と経済 と は互に相密接すべ きことを示 して,教育 には道徳の外 に

,更

に経済 を必要 とす るに至れ り9と いうよ うに

,国

家的な経済発展 を基礎 に帝国主義的海外進出を肯定 し

,か

つ積極的に促進 しようとする活 動的

,奮

闘型の人物 が求 め られ,その養成のために経済的知識や技能 を包括 した「経済思想の養成」 と「経済道徳の陶冶」が呼号 されるのである。 そして方法的には

,従

来の形式的

,画

一的な普通教育が批判 され

,欧

米模倣一辺倒 を脱 し

,子

ど もの活動性

,創

造性

,主

体性 を尊重す る具体的な生活的教育論が展開 されるに至 るのである。例 え ば

,明

治41年6月25日の 『教育時論』 は

,社

説 に「帝国の地位 と教育」 を掲 げ

,次

のように述べて いる。 「我大 日本帝国の地位が

,世

界の第一等国に進 みたること

,今

更 らに之 を語 らぬは滑稽 の感無 き能 はず

,然

れ共果 して第一等国たるの実 あ りや

,又

現在其実無 しとするも

,其

実 を将来すべ き予期 あ りや。(中略)過去の歴史 は如何 ともすべか らず

,現

代 の欧米模倣 に就 いて考ふ るに

,欧

米人 は我 国 民 を解 して

,単

に模倣 に長 じて独創力無 きもの とす

,(中

)我

国民の模倣 に長ぜ るは事実な り, 而 して独創力 に至 りて は

,之

が発達の少か りしも亦事実な り

,然

るに現今国家の存亡

,主

として富 力 に依 るが故 に

,若

し我国民 に して果 して独創力が少 く

,且

つ欧米 にして我 を工場外 に拒絶するこ と

,今

日の如 くにして変ぜずんば

,我

国家の前途 は実 に寒心すべに ものな り。(中略)国民 に独立 自 由の精神熾 にして

,境

遇豊富 なれば模倣力 とな り

,前

者 に比 して境遇貪なれば始 めは模倣 となる, 米の如 きこれな り

,然

れ共後者 は

,到

底模倣 を免 る ゝこと能 はず して

,之

を救ぶの法 は唯―

,即

は ち独立 自由の精神 を発達せ しむるにあるのみ。 元来我国の道徳 は月艮従主義 な り

,大

木の下 に笠 を脱 ぎ,長いものに巻かれて生 を貪 るものな りき, (中略

)衆

民尚ほ未だ曹来の願を洗條 し難 くして,月艮従主義 は私 に余然 を保 ち

,精

神界 にしては屈 従的忠孝

,武

士道 を説 くものあ り

,教

権樹立 を説 くものあ り

,理

性の発達 を図 るべ き智育

,殊

に論 理的自然の他

,何

等の権力 をも認 めざるべ き科学的教科 を以て

,寧

ろ生徒の理性 の抑圧 の具 となす ものす らあ り

,換

言すれば教育 の全体 におて

,弱

意志 (生徒の意志

)自

殺 して

,他

の強意志に服従 するを以て

,即

はち国民性 な り

,国

体論上の必然的帰結 な り

,美

徳 な り

,本

分 な りと教育 しつ ゝあ るな り。(中略

)独

創力 は自由独立の一側面 に して

,斯

教育 の大根底 に して確立せんか

,(中

)今

後国家の経綸の大方針中,(中略)全教育社会喜来の順習 を打破 して

,独

立 自由の大精神 を鼓吹 し, 以て先づ世界第一等国た るの内容 を確得 し

,徐

々に日本国民の天職 を完 うすべ きな り,Ψ ところで

,こ

の経済教育論 は

,確

かに個人的立場 を強調 し

,自

由な私的経済活動 を承認 し

,個

人 の利益追求 を大幅に認 める論理 であったが

,し

か し

,

こうした個人主義的傾向は

,天

皇制国家 に と っては内部矛盾 を意味 し

,か

つ憂慮すべ き問題であ り

,当

,修

正 され るべ き論理 を含 んでいた。 そうした矛盾 を抑止す るために経済教育論 は,戦後体育経営論 に も読み取 ることがで きるように, 一方では個人主義 を強調 しつつ

,他

方で家

,部

落等の伝統的な共同体的道徳である「誠実勤勉」,「修 養」等が標傍 されていったのである。それは個人的勤勉 の徳 に対 して国家公共への奉仕 という徳 を 対置させ

,私

的な経済活動 に対 して,「徳」 とか「修養」とかいった伝統的な価値体系のイデオロギ ーをもって制約 を力日えなが ら国家的利益 との調和統一 を図 り

,そ

うした経済活動の根底 に体育 をお いたのである。後述する寺 田勇吉や高島平二郎等の体育論 における人格や身体 の修養論 は

,明

治未 期のそうした時代的思潮の文脈 の うえに成立 した ものであった!ω

(5)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第

1号 97

2.戦

後体育 の経営論 日露戦争後

,わ

が国の帝国主義 的要求の実現 とい う課題 は

,よ

リー層切迫 した もの として認識 さ れ

,そ

のために訓育主義的

,実

利主義的

,さ

らには自治

,自

動主義的な体育が鼓吹 されていった。 しか も

,そ

れは

,た

んに明治政府 の教育政策 を代弁するイデオローグによって標傍 されるだけで な く

,各

地方段階において も戦後体育経営の実践理念 として主張 されていった。 例 えば

,宮

城県の「亘理尋常小学校教授訓練 二関スル報告

J(明

治38年

)は

,そ

のなかで「女子ニ ア リテハ課外二所謂独乙式 (新式

)遊

戯 ヲ教授 シタルニ頗ル児童 ノ興味 ヲ惹起 シ

,成

績亦見ルベキ モノア リ。来学年二船テハ系統的二正科二加ヘテ教授 ヲナサン計画ナ メ」)と 報告す る一方,「児童 ノ 自治的精神 ヲ養成 スル ロ的 ヲ以 テ種々 ノ作業 ヲ課 シタルハ蓋 シ有効ナル手段 ノータ リ

,(中

略)自治 的行動 ヲ執 ラシムルニハ

,内

部的二之ガ発作 ノ動機 ヲ与 フル尤 モ必要 ナ リス ト」分と

,内

発的な動機 づ けによる自治精神の養成 を説 いている。 また群馬県教育会 による「戦後教育上施設事項」 によると,「教授に関す る事項の概要」,「訓練 に 関す る事項」,「女子教育 に関す る事項」,「教師 に関す る事項J,「社会教育 に関す る事項」等 とな ら んで「体育衛生 に関す る事項」があげられ

,次

の ような内容が示 されている。 「

1.盛

に体操遊戯 を奨励すべ きこと

,2,運

動会 を改良 してよ り多 く有効 な らしむべ きこと

,3.

水泳小浴 を奨励すべ きこと

, 4.屡

々旅行遠足 を行 ひて身体 を鍛練すべ きこと

, 5.衛

生事項 に注 意 し身体 を養護すべ きこと

, 6.伝

染病の予防 に一層注意すべ きこと

, 7.生

徒 の体育衛生 を監督 せ しむる為県に学校医 を置 くべ きこと

, 8.一

般人民の体育法奨励法 を講 ずべ きこと,」働 一方

,山

形県知事 は

,明

治40年10月に開催 された小学校長会議の席上,「戦後経営の方針」につい てふれ,「元来教育 は社会各般の事業の基礎 をなす ものなるは誰 も異論 な き所 な り。戦後経営 として 帝国の為すべ き事業は多々あるも皆教育 よ り出づるに外な らず。電気事業 を起 すの点 にお て も又産 業 を営 むの点におて国民の品位 を高むるの点 にお て も悉 く基礎 を教育 に置 ざるべか らず。然 るに従 来の如 き教育 にては果 して戦後経営の基礎 を為すに足 るや否や」。と

,従

来の教育 に対 する危惧 を表 明するとともに

,戦

後経営 に とっては

,何

よりも経済力 と尚武の気風が きわめて重要であると強調 している。 「日露戦争 に船てき民の負担せ る国債 は実 に二十億以上 に達せ り。現在及将来の国民 は速かに之 を 償却 して其の負担 を免 るる計画 をなさざるべか らざるのみな らず。尚進 んで富力 を増 し他の列強 と伍 して地位 を進 むるには財力の豊富 を計 るを要す。各国の歴史 に徴すれば戦争の勝利 は武器武力に依 らざるは勿論 なれ ども財力欠乏せば其の国必ず財城の不幸 を見 る。之我が封建時代の歴史のみな ら ず欧州各国の歴史 は皆之 を証 して明な り。尚武の気風 を高め益々兵力 を強 うす るは国 として存在 す

る以上必要欠くべからざる所にして此等の気象乏しきときは他国と競争するを得ざるや勿論なり」

D と。 そ して,さ らにこの国家富強の観点か ら同知事 は,「普通教育 は小学校 に従事 す る小学校長 に倹つ の外 な く本県の財力 を豊富 に し県民の品位 を高むるは主 として諸君に依頼するの外 な し。故に戦後 経営 を画策す るは先づ以て諸君 に諮 らざるべか らず。諸君は勿論本 日まで其の覚悟 にて従事せ られ たるな らん も爾後一層其の考 えを具体的に し着実事 に当 らざるべか らず」°と述べる とともに

,戦

後 経営の事項 として,(1)新 らしく戦後経営のために起 すべ き事項 と,(2)従来行われて きた事業 を改良 発達すべ き事項 をあげ

,そ

の改良発達すべ き事項の一 つに「教育の内容改善策」 を指摘 している。 この知事の訓示 をうけて県当局 は,明治45年に県教育会 に対 して,「普通教育 を一層実際的な らし むる方法如何」を諮問 しているが

,そ

の諮問理由の中で,「此に実際的 と云へ るは克 く児童及生徒心

(6)

身の発達 に鑑み実生活 に必要なる知識技能 を授 くことに意 を用ひ以て其の識見 を高 め実地応用の才 能 を養ふの謂 に して徒 に過多の教材 を附加注入せ しむるの謂 に非 らず。近時本県の普通教育 は此の 点におて見 るべ きものあ りと雖 も猶遺憾 な しとせず。是 れ本諮問を提出 したる所以 な り]Dと注入主 義 を排 して

,教

育 の実際化 を強調 している。 この諮問 に対 して県教育会 は,「普通教育 を一層実際な らしむるには素 よ り教師の識見 と努力 とに依 るべ きは勿論 なれ ども家庭の熱心なる協力 に も倹たざ るべか らず。 しか も具案的に其の方法 を請 ずること亦頗 る緊要な り甲 とし,「 教育の内容 と方法 と に注意すべ き事項」 として

,具

体 的には「個性 に注意 し且特殊 の個性癖 を矯正す ること」,「衛生 に 関する事項 は特 に注意 して授 くること」,「教授 は発表 と練習 とに重 きを置 き実地応用の能 を養ぶ こ と」,「校外教授遠足運動及修学旅行 を一 層有効 にすること」9を指摘 している。 こうした中で

,明

治45年5月 に開催 された中学校長会議 に対 し,「中学校生徒 ノ身体 ヲシテー層強 健二発達セ シムル方法如何」が文相か ら諮問 されているが,『教育時論』はこの問題 を とりあげ

,そ

の「社説」の中で体育教員の養成 と体育 に対 する自覚の必要 をあげ,「中学校 の体操及 び運動 は

,単

に体育其の ものに必要なるのみな らず

,又

徳性 の涵養上

,輿

りて大 に力 あるものなれば

,其

の振興 を図 らざるべか らずYOと述べ る一方

,さ

らに次のように主張 している。 中学校の「生徒の徳性上

,(中

)対

他の徳 に関 しては

,謝

恩心に鋏 け

,対

己の徳 にお いては

,独

立 自営心 に乏 しきもの ゝ如 し。識恩心 は対他の徳 にお いて

,最

も大切 なるものに して

,報

徳 を以 て 道徳の根本義 とす る

,徳

教あるに徴 して明かなるべ し。然 るに此の心の今 日の学生 に炊 くるの嫌 あ るは

,実

に寒心の至 りといふべ し。又独立 自営心 は

,対

己の諸徳の素地 をなす ものいひて可な り。 比の心な きものにして重 に忍耐克己

,勤

勉努力

,勉

学修徳の者あるべけんや。(中略)体育 に関す る 諸科の中

,所

謂普通体操 は

,最

も体育 の目的に副へ るものなれ ども

,小

学児童す ら

,尚

ほ之 を厭 ひ て

,遊

戯競技 を愛好す

,況

んや中学校生徒 にお いてをや。彼等 は之 を厭ふのみな らず

,又

実 に之 を 軽蔑す。而て体操の彼等に軽蔑せ らる ゝ原因

,固

よ リー な らず と雖 も

,体

操科の教員其の人 を得 ざ ること

,興

りて甚だ大 な りとす。Yり

3.身

体 の修養論 と社会 ダーウイニズム

(1)高

島平二郎の体育の科学化 と人格の修養論 先述 した ように

,朝

鮮半島の帝国主義的支配や欧米列強 との帝国主義的競争の激化 を背景 に

,主

知主義教育が批判 され

,新

人物

(=活

動的人物

)の

養成 とともに,「身体 の修養」がセ ッ トとなって 呼号 されていった。高島 も

,わ

が国最初の『体育原理』(明治37年)の なかで

,わ

が国が近代的な帝 国主義国家へ と脱皮するための布石 として

,体

育 の科学化 と身体の修養 を鼓吹 している。 教師 として「―

,教

育勅語に仰せ られた『国憲 ヲ重 シ国法 ヲ遵 ヒ』 を強調 して徹底 せ しむること 二

,中

等以上 の学生生徒 は入学の際禁酒禁煙 を天地神明 に誓 はせること ,『吾が如 くせ よ』この 言葉 を口に しつ ゝ訓誨 して貰ひた きこと学劾の三原則 を遵守 していた という高島は

,社

会有機体説 や 社会ダーウイエズムに基礎 をお く

,あ

らゆる日本的な帝国主義的イデオロギー を摂取 し

,人

格や身 体 の修養 を説 く点で

,明

治後期の全般的な帝国主義的教育論 と共通するものであった子° まず高島 は

,冒

頭で明治体育 の科学的

,理

論的根拠の脆弱 さを批判 し

,次

のように述べている。 「希臓 ノ体育 ガ理論的方面二船 テ見ル可キモノナキノ ミナラズ近古欧州ノ体育二お テサヘ其 ノ理論 研究ノ見ルニ足 ル可キモノナシ。其 ノ科学的研究態度 ヲ取ルニ至 レルハ近世 ノ事二属 ス

,我

ガ国ニ 船ケル体育 ノ発達二就キテモ亦此 ノ範疇 ヲ脱スルコ トナシ

,維

新以前ハ暫 ク之 ヲ措 カ シ

,維

新以後 二行ハ レタル体操ハ其ノ初メ何 レモ単純二欧米 ノ方法 ヲ模倣セシエ過ギズシテ之ガ実行モ亦甚盛 ナ

(7)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第

1号

リト言 フ可 ラズ

,況

ンヤ其 ノ理論的研究 ノ如キハ今 日二至ルマデ殆 ン ド進歩 ヲ見ザルナ リ。然 レ ド モ今ヤ我ガ国民ハ強大ナル生存競争 ノ経験 ヲ重ネテ身体 ヲ教育 スルコ トノ必要 ヲ感ズルコ ト漸 ク深 ク運動法 ノ実行 日二 日二盛 ンニ実際的体操遊戯書 ノ出版 セラルルコ ト所謂汗牛充棟 ナラントセリ, 是 レ堂二理論的研究 ヲ要求 スルノ機運既二熟 セルモノエアラズヤ。然ルニ理論的方面 ノ研究 ヲ公ニ スルモノ蓼々晨星 ノ如 ク絶エテ無 クシテ僅二有ル ヲ見ルハ実二教育 ノー大鋏陥ナ リトイフベ シ。V。 そ して高島 は,「世人動モノスレバ体育 卜体操 ヲ混同 シ

,体

操ハ即 チ体育ナ リト思惟 スルモノアル ハ

,大

ナル誤解 ナ リV。と体育の思想的限界 を指摘 しているが

,以

上の高島の言葉 には

,優

勝劣敗の 原理が支配 す る帝国主義諸国間の競争の下で,体育 の理論的基盤の確立 に向 けての焦燥感 とともに, 高島のなみなみな らぬ意欲が伺われ る。それが故 に彼 は,体育 の在論的根拠 と,その意義 を(1)幸福上, 修)経済上,(3)教育上,(4)審美上,(5)風教上,(6)競争上

,7)国

防上 とい う

,あ

らゆる角度か ら説 き明 そうとしたのである。高島は

,ま

ず「幸福上 ヨリ体育 ノ必要 ヲ論 ズ」 として「身体生活 ノ健全ハ, 主観的生活 ノ健全二基 ク可 ラザル條件ニ シテ

,主

観的生活 ノ健全ハ

,幸

福 ノ享受二鋏 ク可 ラザル條 件 ナ リ トス。サ レバ アラユル人生 ノ幸福ハ,身 体生活 ノ健全二基 クΥOと

,人

生幸福の享受 に身体 の健 康が不可欠であると述べ,「経済上 ヨ リ体育 ノ必要 ヲ論ズ」では,「経済 トハ

,即

チ最小 ノカ ヲ以 テ 最大 ノ良結果 ヲ生 ゼ シムル コ トナ リ。故二

,単

二金銭其ノ他財産上 ノコ トノ ミナラズ

,心

カニお テ モ体カニお テモ

,時

間二船 テモ空間二船 テモ

,経

済 ノ原則ハ行ハルルモノナ リYつと言い

,さ

らに経 済合理主義の立場か ら身体 の不健康が個人的に も

,ま

た国家的に も多大の影響 を及 ぼ し

,不

健康 で あることは国家的国民 として,その資格 を失 う悪であ り,ここに身体 の修養が要求 されるとしてい る。 「通俗 ノ意味 ヨリ考 フルモ

,身

体虚弱 ノタメニ

,

医薬 ノ料 ヲ支出シテ

,不

生産的二金銭 フ消費 セ ザ ル可 ラズ。又其ノ消極的方面二船テハ

,正

当工得ベ キ収入 ヲモ得ル コ ト能ハズ シテ

,窮

乏 ヲ将来 ス ベ シ。(中略)而シテ人 ノ上二立チテ

,自

己 ノ行為 ガ多 クノ人二影響 スル者ア リテハ

,其

ノ本務 ノ不 能遂行ハ

,延

ヒテ多数 ノ人二損害 ヲ及 ボシ

,之

ノ大ニ シテハ国家全体ニモ間接二損失 ヲ奥 フルニ至 ルベ シ。(中略)短命病弱 ノ国民多ク

,流

行病屋々行ハ レテ蔓延 スルガ如キハ

,国

家 トシテ最大不 経 済ナルノ ミナラズ

,又

最モ吐ズ可キヨ トナ リ トス。是等 ノ点 ヨリ考 フレバ

,国

家 ノ大経済 ヲ思 フモ ノ

,及

ビー身一己ノ経済 ヲ考 フルモノモ,共二身体修練二努ムベキハ,人 生必然ノ義務 ナ リトスV°と。 ここでは身体 な り

,健

康が単に経済合理主義のみな らず

,社

会有機体説の観点か ら捉 え られてい る。一方,「教育上 ヨリ体育 ノ必要 ヲ論ズ」 においては,「教育二智・徳・体三育 ノロヲ別 ツハ

,古

ヨ リ行ハンタル説ナレ ドモ

,之

二確然タル区別 ヲ奥ヘタルハ

,英

国 ノハーバー ト

,ス

ペ ンサーナ リ トス。此 ノ説ハ

,長

ク教育家 ノ称賛 スル所 ナ リタレ ドモ

,今

日ノ学説 ヨリ見ル時ハ

,三

育 ヲ以 テ並 行 セルモノ ト認ムベ カラザルナ リ。即チ身体 ノ修練ハ,他ノ智徳修養 ノ基 ヲナスモノエ シテ,身 体 ノ 修練二基カザ レバ

,智

識モ道徳モ

,之

ヲ修養 シ得ザル コ ト益々明ナルニ至 レリ。故二学校教育 ノ根 本問題ハ

,身

体 ノ健全及 ビ其 ノ完全発達 ヨ リシテ

,一

面ニテハ訓練ニ ヨリテ道徳的品性 ヲ養 ヒ

,他

面 ニハ教授ニ ヨ リテ多角的興味及 ビ実際的技能 ヲ輿 フルニア学9と身体修練の意義 を指摘 している。 さらに審美的観点か らは,人体美 を追求すべ きであ り,「醜悪ノ体躯 ヲ以 テ列強 ノ人士 卜同一制度 ノ月艮装 ヲナシテ並 ビ立 タバ,国家 ノ品位,国民 ノ威厳 二関スルコ ト

,決

シテ砂少エアラザ レバ ナ リ雪° と

,身

体美 をも国家的品位 という範疇か ら把握 し

,風

教上か らは国民の娯楽 は

,人

類 の自然性 に も とづ くが故 に

,絶

対 に禁止 され るべ きではない といい

,な

かで も国民娯楽 としての遊戯 の大衆化 を 強 調 している。 「一国 ノ風 尚 ヲ高 メ

,惰

弱騎奢 ノ弊 ヲ矯 メンニハ

,必

ズ体育 ヲ奨励 セザルベカラズ。 スベ テ国民遊 戯 ノ種類方法 ヲ改良 シテ

,静

坐安逸 ノ俗 ノ改 メ

,其

ノ家庭的娯楽 タル ト公共的遊戯 トニ論ナク

,身

(8)

体 ノ運動 ヨリ導カル ゝ快楽 ヲ多カラシメンコ トハ

,最

モ緊要 ノコ トナ リトス。且 ツ努 メテ個人的若 シクハ少数的娯楽 ヲ避ケテ

,衆

卜偕二楽ムノ遊戯 ヲ増加 セシム可キナ リ。是等ハ実二文明国二船 ケ ル体育家 ノ

,特

二意 ヲ用キルベキ所ナ リトス。写り 高島が個人的

,

もし くは少数的娯楽 を忌避 したのは

,そ

れ らが「立憲的国民 トシテ不適 当gりな資 質 を形成 しがちで,「動モスレバ主我的性隋二傾 キ,多クノ人 トー致協同 シテ不適当ナル性格 ヲ剛‖致 スル甲がためであ り

,従

つて「荀モ体育ニカムルモノハ

,深

ク是 レ等 ノ点二注意 シ

,遊

戯運動 ノ間 ニモ

,人

ノ気品 ヲ養 ヒ

,国

民性 ノ改善発展ニカ ヲ致サ ゞルベカラズす°としている。 人格修養 と体育 ところで高島は,「古来体育 ヲカ ムルモノ ゝ目的 トスル所

,種

々 ノ別 ア リ ト雖 モ

,之

ヲ要スルニ身 体其ノ物 ノタメニスルモノ ト

,或

ル職業ノ準備 ノタメニスルモノ ト

,人

格 ノ修養 ノタメニスルモノ ト三種二帰着 スベ シf°ではあるが

,そ

れ らは究極 的には

,人

格の修養に帰一 されるべ きである とい う。つまり人格 の修養 ということは,「是 レ現今二至 り体育 ノ思想大二発展 スルニ及 ビテ起 レル

,体

育 ノロ的ナ リ。即 チ此 ノロ的 ノ為 メノ体育ハ

,科

学的方法二基キ

,身

体各部 ノ不遍的発展及 ビ其 ノ 強健 ヲ期スルモノナ リ。故二此 ノロ的二船 ケル体育ハ

,単

二身体其ノ物 ノタメニスルモノエアラズ, 実二人 トシテ当然二具 フベキ体カ ヲ養 フエ在 り。換言スレバ

,健

全ナル精神 卜相待チテ

,完

全 ナル 人格 ヲ修養 スルニ在 り!°と。 修養論のイデオロギー的性格 については

,既

に論述 しておいたので割愛するが

,高

島においては 人格の修養 と

,身

体 の修練 とが不可分 な関係 として把握 されている。 教材の三領域論 と訓育主義的教授 人格の修養 を体育 の最終 目的に掲 げた高島は,そのための陶治材 を(1)規 則運動 (普通体操

,兵

式体操),(動自由運動 (遊戯

,散

,跳

躍),俗)技 術運動 (スポーツ

)の

二領域 に区分 し

,そ

れぞれの陶冶価値 を次のよう に明 らかにしている。

(1)規

則運動∼その教育 的価値 は 「全身筋 肉及 ビ諸 機 関 ノ調 査的発 達!り,「意思 ノ修練写9,「秩序 卜服従心写9の養成 にあたる。

(2)自

由運動∼ その特性 は「随意筋 ノ自由ナル運動Y° であ り,「運動 ノ 種類及 ビ其 ノ変化非常二多 ク

,ヨ

ク体操 ノ及バザル点 ヲ補 フコ トΥうに あ り

,心

理的には,「想像 ノ自由発動工在 り甲,「随意 ノ発動 ヲナサシ ムル ヲ以テ

,其

ノ主眼 トスルガ故二

,彼

等ハ其 ノ天性 二従 ヒ

,活

発ニ 種々 ノ想像 ヲ発起 シ

,之

ヲ種々 ノ方面二実現セ シメテ

,愉

快 ヲ感ズル ナ リ。 (中略

)サ

レバ学校 二船 ケル遊戯ハ

,諸

種 ノ材料 ヲ児童二供給 シテ

,彼

レ等 ガ之 ヲ用 ヒテ随意二自己ノ想像 ヲ発表 シ得ベカラシムル ヲ適当ナ リトス。」°また道徳的にも,「人生二最モ必要 ナル共同一致 ノ 徳 ヲ養成 スルニ

,適

切 ナル材料 ナ リトス。(中略

)遊

戯 ノ種類 ニ ヨリテハ

,忍

耐・ 勇気・秩序等 ノ 諸徳 ヲモ養 フベ ク

,要

スルニ是等運動ハ

,学

校 二船 テ道徳的智徳 ヲ活用セ シムルニハ

,最

モ適 当 ナル機会ナ レバ

,体

育 ヲ司ル教師ハ勿論

,一

般 ノ教師モ運動場二船 ケル児童 ノ自由遊戯 ヲ勿ニセ ズ

,巧

二之 ヲ利用シテ

,道

徳 ノ訓練二資スベ キナ リ。!°

0)技

術運動∼ この運動 は

,

目的の うえか ら(1)自 己の防 衛 を主 とした もの (武技),(跡娯楽 を主 と

衛生

︷れ一碑

講衛

三規 則 運 動 ⋮ ︵ 普 通 證 操 ・ 兵 式 継 操 等 ︶ 一 一、 由 運 動 ⋮ ︵ 遊 戯 。散 歩 ・跳 躍 等 ︶ 一二 、 技 術 運 動 ⋮ ︵フ ー ト ボ ー ル ・ ベ ー ス ボ ー ル ︶ 四 、 職 業 運 動 ⋮ ︵栽 縫 。 手 工 ・ 農 業 等 ︶ (表9)

(9)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第

1号 101

した もの (射撃

,庭

,野

球, クロケ ッ ト

,ゴ

ル フ等)は)職業 の準備

,あ

るいは運動 その もの を自己 目的 とした もの (乗馬, 自転車乗 り

,漕

,水

,器

械 体操

)に

分類 され る。 これ らの 価値 は

,生

理的には身体の各筋 肉の発達 と全身の運動的効果 に あ り,心理的 には「執意 ノ修養」9, 「愉快 ナル情緒 ノ発揚Y°等が指 摘 されるが

,こ

れ らの運動に共 通 した陶冶価値は「諸興ノ発現ζつ のほか

,注

意観察

,想

像力の訓 練

,敏

活 な判断にあ り

,道

徳的 には「勇 気 ノ養 成ζ9,「協カー 致 ノ精神」9,「公徳 ノ実行 」の等の 価値があげられ る。各領域の陶 冶価値 を,以上のように明 らかに した高島 は

,そ

の教授・学習に おいて訓育 を重視すべ きである としている。 「今運動教材二就 キテ考 フルニ, 其 ノ直接 ノロ的ハ運動 ノ技能二在 リト雖モ

,其

ノ技能 ヲ授 クル ノ精神ハ

,必

ズ訓育的ナラザルベカ ラズ。(中略)若シ普通教育二船ケル運動教材 ヲシテ

,単

二技術 ノ習得 ヲ以 テロ的 ヲ達 スルモノタラ シメバ

,其

ノ教授ハ芸人 ノ養成 卜電モ異ナル所 ナク

,全

ク学校体育 ノ趣 旨二背 ケルモノナ リス ト, (中略)荀モ普通学校二お テ運動教科 ノ教授 ヲ掌 レルモノハ

,常

二訓育的精神 ヲ以テ

,此

ノ科 ノロ的 ヲ完 ウセンコ トヲ期スベ キナ リ。fり ヘルバル ト派批判 と

3段

階教授説 高島は

,ヘ

ルバル ト派の体育論 に対 して

,

どの ような認識 をもっていたのか。彼 は

,ヘ

ルバル ト 派教育論の一般化が

,わ

が国の体育の教授法研究の貧困 と非科学性 をもた らす ことになった と

,次

の ようにllヒ判 している。 「ヘルバル ト派教育学二船 テハ

,特

二重キヲ各教科教授 ノ順序二置キ

,之

ヲ教授 卜称 シテ

,或

ハ明 瞭

,総

,秩

,系

統 ノ四段二分ケ (ヘルバル ト

)或

ハ予備・授輿 。連合 。結合・応用 (ライン)ノ 五段 トセルコ ト

,偏

ク人 ノ知ル所ナ リ。然 レ ドモ是 レ主 トシテ智識 ノ授奥二基 キテ立 テタル段階 ノ ミナラズ

,ヘ

ルバル ト派 ノ教育二船 テハ

,体

育ハ学校以外 ノモノナ リ トスルガ故工

,特

二運動教 科 ノ教授法二論及 スルモノ甚 ダ少 ナク

,他

ノ各教科 ノ教授法 ノ盛二研究 セラレテ

,著

ル シク進捗 シ, 教授 ノ如 キ細微 ノ点二到ルマデ明 ラメラレタルニ拘ハ ラズ

,運

動教科 ノ教授法ハ

,依

然 トシテ非科 学的・不 自然的タル ヲ免 レザ リキ。j劾 そ してヘルバル ト派の

5段

階教授説 を

,体

育の教授過程 に機械 的にあてはめることは非合理的で 1 弧 状 運 動 ・ 2 懸 垂 運 動 ・ A 員 懸 垂 ・ B 恨 懸 垂 。 3 李 衡 運 動 ・ 4 肩 脚 運 動 5 腹 部 運 動 。 6 躯 幹 側 方 運 動 ・ 7 跳 躍 運 動 ・ A 単 跳 躍 ・ B 複 跳 躍 瑞 典 畿 操 )贋 序 例 (図9)

(10)

あるとし,(1)予備運動,(2)本運動

,は

)終尾運動の

3段

階説 を唱導 したのである。 「ヘルバル ト・ ライン等 ノ立 テタル教授 ヲ直チニ運動教科二適用センコ トハ

,殆

ン ド不可能ナル ノ ミナラズ

,級

令形式上強 ヒテ之 ヲ適用 シタ リ トモ

,無

意識ノ煩雑 ヲ来 タスニ過 ギザル可 シ。何 トナ レバ

,ヘ

ルバル トー派ノ教授ハ

,心

理的遊 ビニ論理的順序二基 キ

,被

新育者 ヲシテ新事実 ノ統覚 ヲ 得ルニ便 ナラシムル ヲ以 テロ的 トセルモノナ レバ

,其

ノ主 トスル所ハ

,心

理的法則二在 レ ドモ

,身

体教科二船 テ立 ツ可キ教授ハ

,統

覚 ヲ以テロ的 トス可 キニアラズ。何 トナ レバ運動教科ハ児童 ノ身 体運動 が自然 ノ法則二従 ヒテ

,適

当二行ハ レ

,其

ノ身体 二善良ナル影響 ヲ輿 フル コ トヲ期スルモノ ナレバ ナ リ。故二運動教科二お ケル教授ハ

,其

ノ主 トスル所

,生

理的法則 二在 リ トイウ可 シ。然 レ ドモ心理法則 ノ実行 ガ

,生

理作用 卜相待 ツガ如 ク

,生

理作用 ノ実現ガ心理作用 ヲ伴 フコ トハ

,疑

フ ベカラザ リ事実ナレバ

,生

理的法則二嫁 リテ立 テタル運動教科 ノ教授段階ガ

,運

動技能 ノ授興上心 理法則二並行スベ キハ

,言

フコ トヲ待 タザルナ リ。故二運動教授二船 テモ

,簡

ヨ リ繁二

,既

知 ヨリ 未知二進ムノ注意 ヲ要スルコ トハ明カナ リ トイフ可 シ。f° 以後

,高

島の

3段

階説 は次第 に定着 し

,今

日に至 っている。 体育 における統合主義教授 ヘルバル ト派の

5段

階教授 を批判 し

, 3段

階 を主張 した高島は

,同

時 に「適当ナル教授ハ真ニ ヨ クロ的二合ヘル教授ナラザルベ カラズjり,目的 と教授法の一貫性 をはか るべ きであると述べる一方 , 「運動諸教科 ノ連絡f9を密接す るために体育 の統合主義教授の原則 に立つべ きである としている。 「凡 ソ教授二貴 フ所ハ

,各

教科 ノ連絡 ヲ計 リテ

,甲

ノ教科ハ之 ノ教科 卜互二相補助 セ シメ

,以

テ被 教育者 ノ精神界二堅固ナル統一的智能 ヲ奥 フルニ在 り。然ルニ之ガ注意 ヲ怠 リテ

,漫

然各教科 ヲ課 センカ。被教育者 ノ頭脳 ラ混乱錯膠シテ,徒二無益有害 ノ精神的負措 ヲ強 ヒラル ゝ二過 ギザルベ シ。写0 そして

,こ

の統合主義教授の観点か ら

,各

教材 をよ く吟味 し

,教

材が相互 に「相衝突スル コ トナ ク

,厳

密二連絡補助セ シメ写つて教授 し

,か

つ教授・ 学習の多様化をはか り

,興

味 を喚起 すべ きであ ると述べている。 「凡 ソ単趣 ガ疲労 ヲ速 キ易 ク

,厭

俗 ヲ来 タシ易 キヨ トハー般 ノ原則 ナルガ

,運

動教科

,就

中教育者 ノ命令二従 ツテ運動スル体操科 ノ如キニ在 リテハ

,生

徒 ノ意思ノ自由発動 ヲ許 サ ゞル故二

,注

意周 到 ノ教育者エアラザル ヨリハ

,動

モスレバ生徒心身 ノ状態二関セズ

,漫

然単調 ナル動作 ヲ永続 セ シ メテ

,顧

ミザルモノ少ナカラズ。是 レ運動教科 ノ教授 ヲ掌ル者ノ最モ注意スベ キ点ナ リトス。スベ テ変化ナキ教授ハ

,如

何二巧妙ナル方法二由ルモ

,必

ズ失敗二終 ラザル コ トナ シ。否

,巧

妙ナル教 授ハ

,変

化ナシエハ遂ゲ得 ラレザルナ リ。f0 国家富強 と体育 身体 と人格修養 を基本理念 に

,体

育の科学化

,合

理化 を標傍する高島には

,欧

米列強 に対 する強 烈な危機意識が働いていた。例 えば彼 は,「列国 ノ競争上 ヨリ体育 ノ必要 ヲ論ズ」の中で社会ダーウ ィニズムの観点か ら

,当

時の国際的現実 を

,次

のように分析 してみせている。 「抑モ今 日ノ世界ハ

,競

争 ノ世界 ナ リ。曹ニー個人 トシテ他 卜競争スベキノ ミナラズ

,又

実ニー国 民 トシテ他国民 卜競争セザルベカラズ。個人的競争二失敗スル者ハ

,貧

賤二陥 り

,甚

シキハ餓死 ス ルニ至 り

,国

民的競争二劣敗スル者ハ

,其

ノ国家貧弱二陥 リテ

,他

国 ノ干渉圧抑 ヲ被 り

,甚

シキハ 其 ノ国家亡滅スベ シ。吾人々類ハ,スベテカ ゝル運命 ノ下二生マンタルモノナレバ,個人 トシテモ, 国民 トシテモ

,必

ズ優勝・ 勝者 ノ地位二立 ツベ ク

,少

ナク トモ対等 ノ地位二立 ツベ シ。(中略)而シ

(11)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第

1号

103

テカ ゝル競争二打 チ勝 タン トスルニハ

,其

ノ用意一ニ シテ足 ラズ ト雖モ

,身

体 ノ修練 ヲカ ムル コ ト ハ

,供

ク可 ラザル條件 ノーナ リ。何 トナ レバィ身体犀弱ニシテ業二堪ヘズバ

,心

中如何 二煩間ス ト

,施

スニ策ナク

,坐

シテ優勝 ノ地位 ヲ強壮者二譲 ラザルコ トヲ得ザル可ケレバナ リ。写働 また,「国防止 ヨ リ体育 ノ必要 ヲ論 ズル」の一節でも,「今 日ノ世界ハ,兵 カ ノ世界ナ リ。兵強ケレバ 国強 ク

,国

強ケ レバ

,其

ノ国民ハ世界何 レノ虎二在 リテモ

,其

ノ権利 ヲ伸張 シテ

,其

ノ志 ス所 ヲ成 シ得ベ シ。兵 ノ強 キハ

,其

ノ教養如何二由 り

,其

ノ兵器・糧食 ノ完否ハ

,国

富 ノ如何二由ル。故ニ 強兵 ノ実 ヲ挙ゲ ン ト欲セバ

,国

民 ノ務ム可 キ所一ニ シテ足 ラズ ト雖モ

,其

ノ兵 トナル可 キ国民身体 ノ健全 ヲ図ルハ

,一

大要務 タラズンバ アラザルナ リ。(中略)サレバ荀モ国民タル者

,其

ノ兵士タル ト然 ラザル トニ論 ナク

,所

謂国民皆兵 ノ主義二基 キ

,努

メテ体育 ヲ励 ミ

,強

健 ナル身体 卜共二

,活

発 ナル精神 ヲ養 ヒ

,一

旦緩急アラバ

,義

勇公 二奉ズルノ心掛 ケナカルベカラズ。実二体育ハ,国民 ノ 元気 ヲ振 ヒ

,愛

国 ノ精神 ヲ養 フエ

,最

モ適切 ナル方法ナ リトスζωと

,国

家富強の うえか ら体育 の振 興が不可欠である としている。しか し

,

こうした世界的現実に対処すべ きわが国の現状 は

,ど

うか。 高島は

,切

迫 した危機感 をもって訴 える。 「然ルニ試 ミニ我ガ国ノ状態如何 ヲ顧 ミレバ

,富

二船テモ

,学

術二船 テモ

,兵

備二お テモ

,交

通 ニ 船 テモ

,実

業二船 テモ

,其

ノ他 アラユル事二船 テ

,欧

米 二及バザル コ トヲ挙ゲテ数 ウベ カラザル ホ ドナ リ。而 シテ我ガ国人 ノ身体如何 ヲ顧 ミレバ

,世

界 ノ文明国二船 テカゝル不良 ノ体格 ヲ有 スル者 ハアラザルホ ドニ劣悪ナルニアラズヤ。(中略

)抑

モ欧米 ノ国民ハ

,一

般二体格善良ナルガ上 二,身 体 ノ修養二全カ ヲ注 ギ

,我

ガ国人ハ

,劣

レルガ上二体育 ヲ顧 ミズ。此 クノ如 クニ シテ

,欧

米 ノ列強 卜対I時競争セ ン トスルハ

,ナ

ホ奮式木造 ノ兵船 ヲ以 テ

,新

兵鋼船 ノ軍艦 卜対抗 スルガ如 ク

,勝

算 ノ 覚束ナキヨ ト

,亦

明ナ リトイフ可 シ。サ レバ何 レノ国民モ

,列

国競争上 ヨリ

,体

育 ヲカムル コ ト必 要ナ リト雖モ

,現

今我ガ国ハ

,其

ノ必要一層切実ナ リト知ルベ シ。JD 以上のように高島は

,究

極的には苛烈 をきわめる生存競争

,言

い換れば

,優

勝劣敗

,弱

肉強食 と い う社会ダーウイエズム的な世界的趨勢の中で

,あ

くまで国家的仲張 という課題 を意識 しつつ体育 の合理化 を主張 したのであ り

,彼

の身体や人格 の修養論 は

,そ

うした危機感の反映で もあった。

(2)川

瀬元九郎の知徳の修養 と統合主義体育論 スエーデン体操 を紹介 し

,か

つ高島 とともに体操遊戯取調委員会の委員の一人 で もある川瀬 は, 明治39年に『体育学講義』 を著わ して活動主義的な体育 を唱導すると同時 に

,知

徳 の修練 のために 身体 を修養すべ きことを説 いている。 身体 の健全 と知徳 川瀬 は,「吾人 は文明社会の一員

,文

明国の一国民た らん と欲せば

,単

に身体 の完全 なる発達のみ な らず

,尚

又智徳の練磨 を要すべ じy)との前提 に立 って,「体育の第一の目的 とす る所 は(一般 に生 来健全 なるもの として

)智

徳の修練の為 めに受 くる身体の損害 を補修 して

,身

体 を して十分 なる発 達 を遂 げしめ

,天

輿の健康 を保護す るを努 め智徳の開発 を助 け

,且

之に堪 ゆる体力 を養成 するにあ り争りと体育の目的を規定する。 しか し

,こ

の言葉 は

,川

瀬が大筋主義的な体育観 を もっていた こと を必 らず しも意味せず

,む

しろ彼 は,「世人動 もすれば筋力 を強大 ならしむるは

,即

ち身体 を強健 な らしむる所以な りと誤解 し,身体 の各部の筋 を徒 に運動せ しめ,以て筋力の強大 を勉 むる ものあ り, 然れ ども健康 と筋力の強大 は相似たる所 あるも

,元

是れ同一の意義 を有するものにあ らず

,(中

略) 夫れ運動本来の趣 旨たるや

,最

も完全 なる生理的結果 を生ぜ しめ健康 を増進するにあ りて

,決

して

(12)

筋の発達のみを以 て目的 とすべ きにあらず

Pと

述べ

,通

俗的な大筋の鍛練 をもって体育 の本質 とす る論理 に批判 を力日えている。そして川瀬 は

,体

育 の 目的 を(1)生理的 目的,鬱)訓練的 目的に分 け

,生

理的目的 として

,次

の点 をあげている。 「―

,身

体 (骨格

,筋

肉及内臓

)の

不正なる状態 を矯正す ること 二

,全

身の健康 を保護増進 す る こと 三

,身

体の発育 を完 うすること 四

,身

体 の各部 を均斉 に発育せ しむること 五

,筋

力 を強 くし身体 を強壮 にす ること 六

,身

体 の動作 を機敏

,確

,緻

,耐

久ならしめること 七

,坐

作 行歩 を規律的な らしむること 八

,身

体の動静 を問 はず

,常

に自然の温雅優美なる姿勢 を保 た しむ ること 九

,体

格 を優美 にして且強大 な らしむること 十

,生

涯中最 も多 く遭遇すべ き運動 に堪へ しめんが為 め

,適

当なる練習 を突ふ ること 二

,感

覚機関 を正確機敏 ならしむることす。 また訓練的 目的に関 しては「―

,意

志 を強固に し

,敏

速且精密 に実行 し得べか らしめ以 て身体 の 意志の忠僕 た らしむること 二

,従

順 の性 を養ひ規律 を守 り協同 を尚ぶの習慣 を慈ぶ こと 三

,忍

,果

,沈

,勇

気 を増進せ しむること 四

,精

神 を快活な らしむること 五

,同

,愛

情心 を 養ふ こと 六

,注

,観

,思

,断

,想

,審

美等 を増進せ しめること 七

,克

,自

信及 自 重心 を富 ましむること 八

,辞

,信

義の徳 を養ふ こと 九

,公

徳の実行 を促す ことf°をあげてい る。 注入主義教授批判 と統合主義教授 これ らの 目的 を実現するために

,ス

エーデン体操 を受容 した川瀬 も

,遊

戯教材 を中心 に個性

,興

味 を重視 し

,他

教科の内容 との統合主義教授 を唱導 してい る。 川瀬 は「単趣 なる教授 は疲労 を速かに感ぜ しめ

,厭

俗 を来た し易 し

,故

に或 は徒手体操 と器械体 操 を

,或

は体操 と遊戯 とを適度 に加ぶ る等

,可

変的変化 を施すべ し

,然

らざれば生徒 の注意力 を他 に奪 はれ

,他

の方面 に精神的活動 をなすに至 るべ し」0と 単調な教材配当 と教授法 を批判 している。 また「体操 におては

,一

挙一動之 を課する理 由なか るべか らず

,無

意味 に動作 を命ずべか らず, この注意 を怠 る時は

,生

徒 を して体操 に対 して厭俗 の感 を来 さしむべ し。(中略)体操 の教授 にお て は

,生

徒 をして正確 に命令 に服従せ しめ

,秩

序 を正 さざるべか らず と雖 も

,圧

制的命令的な りと感 ぜ しむるは

,教

授の拙 なるな り

,生

徒 をして『吾等 は如何 なる運動 をもな し得 る準備成れ り

,先

生 よ君が生徒 に如何 なる運動 を行 はしめん とせ らるるや

,速

に意のある所 を知 らしめよ』 と云へ るが 如 き

,進

取的の位置 に立た しめざるべか らず」°と述べ

,体

操の威圧的

,注

入主義的教授 を論難 して いる。 こうした批判 を通 して川瀬は,「体操 に対す る興味 を起 さしむる方法 を研究すべ し

,其

法 は児童 の 年齢 によ り異 るべ しと雖 も

,毎

教授時間に船て

,一

の新奇なる運動 を設 け

,或

は単純 なる競争的遊 戯 をなさしめ

,或

は児童の少 しく困難 を感ず る運動 をはさしむる等

,児

童が精神的又 は身体 的 に, 快楽 を感 じ

,又

は熱心 を意起 することに注意すべ し」0と言い

,子

どもと教材内容 との間 にズ レ

,

も しくは矛盾 を感知 させ

,そ

れ をバネ とした動機づ けを方法原則 に教授法の改造 を求めている。 そして最後 に

,川

瀬 は「遊戯の時間 は

,教

育者 として生徒の個性 を研究するに最 も便宜 なる時機 なるを以 て

,其

機会 を利用 して教育上 に資す る所 なか るべか らず

,遊

戯 をして博物

,理

,手

工等 の学科 と聯絡 を保 た しむることに注意せば

,生

徒の智識の広 むるの資 とな り

,且

一層の興味 と熱心 とを惹起 す るを得べ しJ9と

,個

性の尊重 と統合主義教授 を鼓吹 している。

(13)

鳥取大学教育学部研究報告 教育科学 第 28巻 第

1号 105

(3)寺

田勇吉

,尼

子止男の身体 の修養論 一方

,文

部参事官 を経て

,精

華女学校長か ら日本体育会体操学校学監 となった寺田勇吉 は

,身

体 の修養による国民体格 の改良 を主張 している。寺田は

,日

露戦争後の全般的な状況 をこう認識 して いた。 「我が国が世界一等国の伍伴 に列するに至 るや

,従

来各締盟国の全権公使 を派出 した しを

,俄

か に 大使館 を設置 し大使 を派遣することにな りたる等のため

,国

費 を要す ること鮮少 な らず

,加

之国債 は急激の増加 を来 し

,其

の利子のみにて も毎歳一億円の巨額 を

,支

払わざるべか らざるに至れ り。 然るに国民の所得 は比較的増加せ ざること勿論 にして

,只

負捨のみ激増 したるものなれば

,国

民の 生活状態 は日に益不良 とな り且つ国民 は一般 に奢修 に流れ

,今

や其の停止す る所 を知 らず。斯 る状 態なれば吾々国民 は殖産興業の方面 に船て

,大

に開拓せ ざるべか らず。而 して之がため吾人が 目下 の急務 とする所 は

,吾

人国民の体格 を改良するに在 り。之れ国家発展の根本的問題 たるは

,余

が言 を待たず して明かな り。吾国民の体格が遠 く欧米各国民 に及 ばざるのみな らず

,最

近 の徴兵検査 の 成績 に徴すれば吾人の体格 は年々悪 くな り

,甲

種 は減 じて乙種丙種 の増加す るに至れるは

,国

民元 気の消長 に大関係 を及 ぼす ものに して

,菅

に殖産興業の点のみな らず

,国

防上 よ りいうも決 して等 閑に附すべ き問題 にあ らざる事 は

,猶

仏国に船 ける人 口の減少 に徴 して

,実

に憂慮 に堪 えざるな り。 然 るに官民共 に此の明瞭なる大問題 を重要視せ ざるの感 あるは

,吾

輩の最 も遺憾 とする所 な り剛 こうした経済 な らびに軍事的危機意識か ら寺田は,「又国民 も一般 に体育 に重 きを置かず

,従

て体 操遊戯等 を軽視 し

,吾

人が体格の益悪 くなる想到せ ざるは

,歎

息の至 りに難へず。 当局者 は近来生 産調査会

,国

勢調査準備委員会

,商

務官等を設 け

,国

家の発展 を図 らむ とす るもの ゝ如 しと雖 も, 之れ抑 も未な り。如何 に生産 を調査 し

,其

の発達 を図 らむ と欲す と雖 も吾人の体格が今 日の如 く軟 弱なる間 は

,決

して其の目的 を達す るを得ず了けと

,体

育軽 視の一般的風潮 を指弾 す るとともに

,身

体の修養 を説 いている。 また尼子 は,「今 日文明進歩の此の生存競争の劇甚 なる世 に所 して

,荀

も社会の一員 とな り

,而

か も活動的人間な らん と欲せば

,須

らく精神 と身体 とを平衡的に修養せ しめざるべか らざる次第であ る。(中略)畢党 す るに吾輩の主張せん と欲す る所 は

,文

明の世 に生 まれて完全 なる人格 を有 ち

,社

会に立 ちて活動的た らん とする者 は

,個

人的に も国家的に も身体修練 に最大 なる意思 を傾 けねばな らぬ。而か も体育 が其の根抵 となるものであると鼓号 して止 まぬ次第である了りと

,社

会 ダー ウイニ ズム的現実に対処 するために身体の修養 を説 いている。 独

)井

上八郎

,津

江清太

,児

玉猪久馬の国民体育振興論 日本体育会体操学校講師の井上 も

,社

会ダーウイエズムの原理が支配する世界的な状況 に対 し, 「世界的体格」 を養成 するために「国民体育 を振興すべ し

Jと

して

,次

のように書いている。 「生存競争 に熱中 し

,相

列 してあ らゆる事業 を企画 し

,国

益 を増進 し国家富強の基礎 を形成せざ るべか らざる今 日にお ては

,現

状の如 き日本的体格 にては

,到

底所期 の優勝 は困難 なるや必せ り。 されば国民 を挙 げて

,世

界的体格 を養成せ ざるべか らず。 これ 日本国民が一等国民の資格 を保有 するに船て

,必

要の義務 なればな り。然 らば今国民体育の振興せざる原因 を叙 し

,併

せて これが振 興の方法 を講究 するは

,現

下急務中の急務 な りと言 はざるを得ず。依て先づ国民体育不振 の基因 を 原ねむ とす。了9 また在原中学校教諭の津江 も,「生存競争 と体育の必要」 と題 し,「動物 には植物食 の動物 と

,動

物食の動物及 び雑食の動物 とあれ ども

,動

物 それ 自身は

,他

動物 を食せざれば他動物 を食する地位

(14)

にあると同 じく

,植

物 に在 りて も一方には気中若 くは地中よ り養分 を摂取 し

,又

一方には動物 よ り 食せ らる ゝものなれば

,生

物 は常 に防御

,又

は攻撃 に備へ ざるべか らざるは勿論

,何

れにして も食 物 なければ一 日も生活す ること能 はず

,如

何 なる手段方法 に依 るも之み獲取するの必要 あるよりし て遂に競争の止むべか らざるに至 る

,而

して競争 に直接

,間

接 とあ り

,直

接の競争 とは三以上の生 物が

,或

る物 を獲得せん として互 に奮闘力争す るを云 ひ

,間

接の競争 とは自然の結果 として不知不 識の中に競争す るを云ふ な り

,(中

略)其の競争の直接たるとを問 はず

,勝

ちたるものは栄 え

,負

け たるものは衰ふ る亦是れ 自然の勢 に して学者 は是等の理 を適者生存

,優

勝劣敗

,自

然陶汰等の語 を 以て言を顕 はさん とす る所の者也ζ。とのダーウイエズムの観点か ら,「今 日の如 く社会の進歩す るに 従ひ分業の進 むは言 を倹たざるな り。滋 に船 てか

,益

々技芸運動 を盛 に し

,国

家の隆盛 な らんこと を計るべ きな り了Dと体育 の振興 を促 している。 さらに

,青

山女学院講師の児玉 は,「由来

,体

育 を論ずるもの

,必

ずや治乱興亡

,富

国強兵 を以て 目的 とせ り。之れ 日前 の論 にして

,其

の理想 とす る所深慮 な らず。体育 は

,国

家の計営 にあらざる な り了°と国家主義的な体育 の限界 を一応指摘 し,「抑 も体育 なるもの を科学的に研究 し

,其

の根本原 因 より探究するときは,身心の関係 は実 に著大に且つ微妙なるを知 る甲 と,体育が身心関係 の科学的基 礎 に立つべ きことを主張 しているが

,こ

の児玉の言葉 は

,彼

が決 して体育の国家主義化 を全面的に 否定 し去 った ことを意味す るものではない。むしろ児玉 は,「5母肉強食

,優

勝劣敗の今 日

,刻

下の急 務 は

,万

古不動の基礎 を作 るに在 り。之 を なす他に非す

,幼

年期 よ りして完全 なる体育 を施 し

,之

れを根底 として智徳の修練 に勉 め

,身

心統 一 して以て完全 なる国民 に在 り。勉 にお てか

,其

の最基 礎たる

,国

民義務教育時代 に船ての体育

,殊

に正邪善悪

,東

西 を理へ ざる最初年級 に船 て体育 は大 に焦心熟慮 を要すべ きを知 る

Pと

述べてい るように,優勝劣敗の原理が支配す る現実 において,身心 の合理的発達 を主張 した もの と解釈すべ きであろう。 そして

,身

体 と知徳 の修養 という目的を実現する手段 として遊戯 を高 く評価 し,「遊戯 は

,児

童 を 天真爛慢に活動せ しむるに唯―の ものな り。活発 は

,児

童の天性 な り。決 して静坐安逸 を貪 るもの に非ず。故 に種々 なる想像 の下 に

,行

動 を形成す。此の行動 は

,電

も装飾欺詐 を交へ ざる児童の天 真 を捕獲 し得べ き純粋 なるものな り。是れ遊戯の特得の長所 にして

,他

学科 にお て

,殆

ん どか ゝる 場合に遭遇する事能 はざるな りg9と述べ ると同時に

,従

来の普通体操中心の体育 について「其教授 を見れば

,心

身の自由の活動 を欲 し

,嬉

戯心勃たる頑是 なき児童 を して

,一

号令

,一

規律の下 に総 括 して

,以

,左

視右顧 だ も之 を許 さず

,紅

なるべ き頼

,黒

目勝 にして愛嬌あふれ る如 き目元 も, 鈴沈 して以て

,宛

然木像 た らしむる。 国にする所の唱歌

,動

かす所の四肢 は只之れ機械的の動作の み。心理的生理的の顧慮何 にかある。唯夫れ児童 をして死 にた らしむるの感 あ り」°と批判 している。 以上の ように

,身

体 な らびに人格の修養論 は

,そ

の根底 に社会 ダー ウイニズムの原理 を形成 して お り

,日

露戦争後 に日本資本主義が陥った全般的な危機の反映であった。 低

)吉

田熊次

,丘

浅次部の社会進化主義体育論 折 しも明治42年は

,ダ

ーウイン生誕百年 目,『種の起源』が出版 されて50年目であつた。『教育時 論』には

,丘

浅次郎「 ダーウインと教育」

,吉

田熊次「ダーウインズム と教育」,力日藤弘之「進化 と 教育」

,元

良勇次「グルキ ンと心理学」

,建

部汀吾「 ダーウイニズム と社会進化説」,ナH島 金吾「進化 と教育」等の論稿がみ られるが

,吉

田は

,前

掲論稿 の一節でダーウイニズム と体育 の関係 について, 次のように述べている。 「進化 といふ ことの行 はれ るのは

,自

然陶汰の理 に依 るのであって

,此

点 にお て も亦教育者 はダー

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