(44) 印 度學 佛 教學 研 究 第41巻 第1號 卒 成4年12月
ク リシ ュ ナ 信 仰 と ア ー ビ ー ラ:族
-マ ハ ー バ ー ラ タ に み ら れ る ア ー ビ ー ラ族 の 検 討 及 川 弘 美 1. ク リシ ュナ 神 話 の 中 で ク リシ ュ ナは 様 々 な姿 を と って 現 れ る. そ の 中 で も, Harivamsa (以下Hrv.) を は じめ とす る プ ラー ナ文 献 に登 場 す る 牛 飼 い ク リ シ ュナ は, 現 代 の ク リシ ュナ信 仰 に最 も深 く関 わ っ てい る とい う点 で, 特 に 重要 な ク リシ ュナ の 一 面 で あ る とい え る. この牛 飼 い の ク リシ ュナ の起 源 に つ い ては, 従 来 よ り様 々に 論 議 され て き て い る1). そ れ らは1. Amarakosa (以下 Ak.)に ア ー ビ ー ラが, ク リシ ュナ 神 話 の 中 で は 牛 飼 い を 意味 す る 言葉 gopa と同 義 語 と して揚 げ られ てい る とい うこ とか ら2), ア ー ビー ラ族 とい う古 代 遊 牧 民 族 に 由来 す る とい う説 と, 2. Mahabharata (以下 Mbh.) に描 か れ て い る ク リシ ュナが ヴ リシ ニ族 出身 の ク シ ャ ト リ ヤ あ る こ と か ら, ア ー ビー ラ族 とは無 関 係 で ク リシ ュ ナ の属 す る ヤ ー ダ ヴ ァ ・ヴ リシ ニ族 に 由 来 す る とい う説 に大 別 で き る. 筆 者 と して は2に つ い て は 同 意 で きな い. とい う の も Mbh. で ク リシ ュナ は バ ー ン ドゥ兄弟 と縁 続 き の王 族 のひ と りと して登 場 す る だ け で, 牛 飼 い の ク リシ ュナは 描 か れ て ない こ と, さ らに, そ れ が 神 話 と して ま と ま った形 で描 かれ る よ うに な る のは, Mbh. 以 降 のHrv, Visnu Prana (以下 V.P.), Bhagavata. Purana な ど プ ラ ーナ 文 献 に お い て で あ り, Mbh. か らHrv. 成 立 まで の間 に, そ れ まで な か った 牛 飼 い の ク リシ ュナ とい う新 し い様 相 が 加 わ った と考 え た ほ うが 妥 当 だ か らで あ る. さ らに 同意 で き ない 理 由 と して 次 の こ と が 指 摘 され る. そ れ 以 前 の紀 元前2世 紀 頃 に成 立 した Mahabasya (以下 Mbhs.) の, sudrabhira とい う合成 語 と3)同 じ表 現 ま た は 類 似 の 表 現 が, Mbh. の ア ー ビー ラ族 に つ い て の記 載8箇 所 の うち5箇 所 に み られ る. これ は ア ー ビー ラ族 が い か に シ ュ ー ドラ と深 く関 わ って い た か を 示 して い る. そ れ がAk. で は シ ュー ド ラ と関係 よ りも牛 飼 い と の関 係 が 濃 くな り, 牛 飼 い の 同 義 語 と して扱 わ れ て い る よ うに な って い る. こ の こ とと, 後 にMbh. に 付 加 され たHrv. に 牛 飼 い ク リシ ュ ナ神 話 が 成 立 し てい る こ と な ど とを 考 え あ わ せ る と, や は り牛 飼 い の ク リシ ュナ 神 話 の成 立 には ア ー ビー ラ族 が 関 係 して い た とい え るの で は な い か と思わ れ る. そ こ で, MBh. の ア ー ビー ラ族 につ い て の記 載 か ら, ク リシ ュナ信 仰 と ア ー ビ ー-497-ク リシ ェナ 信 仰 と ア ー ビ ー ラ族(及 川) (45) ラ 族 と の 結 び つ き を 検 討 し て い こ う と思 う.
1I. Mbh. に は, ア ー ビ ー ラ に つ い て の 明 確 な 記 載 は, 次 の8ヵ 所 に み ら れ る. 以 下 に そ れ を 揚 げ る. 今 回 利 用 し た 資 料 は The Mahabharata; criticalty ed. Bhandarkar Oriental Research Institute, poona で あ る.
1Q sudrabhiraganascaiva ye casritya sarasvatim/vartayanti ca ye matsyairye ca parvatavasinah// (II. 2. 35) (Z andhrah sakah pulindasca yavanasca naradhipah/ kambo ja aurnikah sudrastathabhira narottama//(II 1. 86. 30) mallah sudesnah prahustastat ha mahisakarsikah/vahika vatadhanasca abhirah kalatoyakah//(vi 10.45) sudrabhirdtha daradah kasmirah pasubhih saha/khasikas'ca tukharasca pallava girigahvarah// (VI 10. 66) kalin. gah simhalalh pracyah su (d) rabhirah da-serakah/saka yavanakambo jastatha hamsadasca ye// (VII-19-7) tato vinasanam ra janna jagama halayudhah/sudrabhiranprati dvesadyatra nasty sarasvati//(IX-36.1) Q7 tataste papakarmano lobhopahatacetasah/abhira mantrayamasuh sametyasubha-darsanah//(XVI 8.45) pasyato vrsnidarasca mama brahmansahasrasah/abhirair-anusrtya jau hrtah pancanadalayaih//(XVI.9.16)
これ らの記 載 か ら, 1. Mbhs と同 様 な sudrabhira とい う表 現 が み られ る((1) (2)(4)(5)4)(6)) 2. 異 民 族, また は 蛮 族 と され る民族 と と もに 列挙 され てい る((2)(4)(5) (6))3. ア ー ビー ラ族 は, サ ラス ヴ ァテ ィー河 岸 付 近 に 住 んで い た(1)4. そ の サ ラス ヴ ァテ ィー 河 が, ア ー ビー ラ族 を 嫌 っ て消 え て し ま った(6)5. ア ー ビー ラ族 が, 貧 欲 な 汚 れ た 心 を も った残 忍 な悪 漢 とみ な され てい た(7)6. ア ー ビ ー ラ族 は, ク リシ ュナ の 属 す る ヴ リシ ニ族 の 女 性 た ち を 奪 った 略 奪 者 で あ った (8), 7. 6の 事 件 が起 こ った 頃1ア ー ビー ラ族 は バ ン チ ャナ ダ(五 河地方)に 住 ん でい た(8)こ とな どが 読 み 取 れ る. III. 以 上 の こ とか ら牛 飼 い ク リシ ュナ 神 話 の 誕 生 以前, ク リシ ュナ の属 す る ヴ リシ ニ族 と ア ー ビー ラ族 とは 敵 対 関 係 に あ り, ア ー ビー ラ族 は, 彼 らか ら野 卑 で 残 虐 な部 族 とし て蔑 ま され て い た こ と, この こ とは 同 時 に, 両 者 の社 会 的立 場 の 優 劣 関 係 を示 し て い る とい え る. しか し, 資料 ⑧ に み られ る ア ー ビー ラ族 が ヴ リ シ ニ族 の女 性 を略 奪 した とい う記 述 は, ア ー ビ ー ラ族 が ヴ リシ ニ 族 の ク リシ ュナ 信 仰 との 接 触 を 暗示 す る も の で あ り, い わ ゆ る集 団 略 奪 結 婚 と もみ られ る. とす れ ば, ア ー ビー ラ族 が, 略 奪 した ヴ リシ ニ族 の女 性 た ち の ク リシ ュナ信 仰 を 取 り 入 れ, 自分 た ち の牛 飼 い の神 と ク リシ ュナ と融 合 させ 牛 飼 い の 神 ク リシ ュナ を誕 生 させ るに 至 った と考 え られ る.
-496-(46) ク リシ ュナ信仰 とアー ビー ラ族(及 川) 最 後 に牛 飼 い ク リシ ュナ神 の成 立 の時 期 につ い て考 察 す る。 こ の ア ー ピ ー ラ族 に 関 して 述 べ られ て い る文 献 の 最 古 の ものは, 先 にみ た 紀 元 前2世 紀 頃 のパ タ ン ジ ャ リの. Mbhs. で あ る. また, 紀 元 前1世 紀 頃 の 『エ リュ トゥ ラー海 案 内記 』 に は, ア ー ビ ー ラ族 が, 西 は シ ャ カ族, 南 は サ ウ ラー シ ュ トラ と隣 接 す る イ ン ダ ス河 下 流 域 に 住 ん で い た こ とを 示す 記 述 が 見 ら れ5), 紀 元2世 紀 頃 の 『プ トレ マ イ オ スの 地 理 学』 に も, イ ン ダス 河 下 流 域 に ア ー ビー ラ族 の 国 が あ っ た こ とが 地 図 に 示 され て い る6)。これ らの 二 資料 は, サ ラス ヴ ヴ ァテ ィー 河 か ら バ ン チ ャナ ダ付 近 で 生 活 して い た ア ー ピ ー ラ族 が, イ ン ダス 河 下 流 域 に 移住 した こ とを 暗 示 して い る。 故 にMbh. の ア ー ピー ラに 関 す る記 述 は, ア ー ビ ー ラ族 が社 会 的 に低 い地 位 に あ った イ ン ダス 河 下 流 域 に 定 着す る よ り以前 の, 紀 元 前2世 紀 前 後 以 前 の こ と と推 測 で き る. 故 に 牛 飼 い ク リシ ュナ 神 の誕 生 は, それ 以 降 ま もな くの こ と と考 え られ る。 そ の 後, マ ハ ー ラー シ ュ トラあ た りま で ア ー ビー ラ族 の南 下 の 跡 を た ど る こ とが き るが7), この 下層 階 級 出 身 で あ り遊 牧 民 で あ った 彼 らが イ ン ドに ク リシ ュナ信 仰 を 浸 透 させ る一 役 を 担 つた とい え る。 1) こ の 論 議 の 詳 細 に つ い て は, 拙 論 「東 方 」7号1991, pp. 108-110参 照. 2) Ak. 2・9・57. ま た 類 似 の 記 述 が 同2・3・20に も み ら れ る. 3) Mbhs. 1・2・3 4) 資 料(5)の 原 文 は surabira と な っ て い る が, 資 料(2)(4)(6)よ り類 推 す る な ら ば, su-drabhira で あ る と 思 わ れ る. 5)『 エ リ ュ ト ゥ ラ ー 海 案 内 記 』 村 川 堅 太 郎 訳1945, pp. 107-108 6) rプ ト レマ イ オ ス 地 理 学 』 中 務 哲 郎 訳1986, p. 118及 び 拙 論, 前 掲 書p. 111参 照
7) ア ー ビ ー ラ族 の 政 治 的 活 動 の 歴 史 に つ い て は, R. N. Saletore: "Abhiras in The
Deccan," The Quarterly Journal of the Mythic Society, vol. 30, 1939, pp. 147-162.
<キ ー ワー ド> ク リシ ュ ナ, ア ー ビ ー ラ, 牛 飼 い, 神 話
(東方 研 究 会 専 任 研 究 員)